ワサビ(Eutrema japonicum)は日本でうまれた栽培植物です。鮨、刺身、蕎麦に欠かせない薬味として日本の食文化に深く根付いてきました、ところが、若者のあいだでワサビ離れが指摘されています。そこで今回、全国の高校生と高齢者を対象にアンケート調査を行いました。その結果「トウガラシは好きでもワサビは嫌い」という若者が高齢者に比べて有意に多く存在することがわかりました。この結果は何を意味するのでしょうか。

日本の女子高校生のあいだで広まるワサビに対する苦手意識

全国の15農業高校生約600人と老人介護3施設約70人を対象に文書によるアンケートを実施し、27項目に対する回答から「ワサビを含む辛味に対する嗜好性」を調査しました。その結果、とくに女子高校生のあいだでワサビが嫌いな人が高齢者に比べて有意に多いことがわかりました。ワサビが嫌いな理由としては「ツンとくるから」が74.0%を占め、高齢者の36.4%に比べても高い値でした。さらに女子高校生では「ワサビは嫌いでも、辛くないワサビがあれば食べてみたい」と考えている人が男子よりも有意に多い傾向があることがわかりました。以上のことから、とくに女子高校生が「鼻にツンとくる強い辛味をもつワサビ」に苦手意識をもっている傾向が示されました。

「トウガラシとワサビでは、どちらが好きですか?」に対する回答結果

一方、高校生は高齢者に比べ「辛い食べ物やトウガラシは好きでもワサビは苦手」とする人が有意に多く、ワサビ嫌いが単に辛い食べ物が苦手だからという訳ではなさそうです。注目すべき点としては、9割近い高校生が、真っ先に思いつく辛い食べ物としてトウガラシ系の食品をあげており、その内訳もキムチ、鍋、ラーメンや菓子類など多種多様でした。現代日本において、トウガラシがいかに身近な食材として日常に浸透しているのかがわかります。

「日本人はワサビ、韓国人はトウガラシ」と辛味嗜好性の関係

過去の日韓の比較研究から、日本人の辛味嗜好性はワサビ嗜好性と、韓国人の辛味嗜好性はトウガラシ嗜好性と一致するデータが得られていました。

日本と韓国の若者の辛味嗜好性とワサビおよびトウガラシの嗜好性比較。日本と朝鮮半島の食文化の比較研究より(日々ら, 2001を改変)

これは、身近な食材が嗜好性に影響を与える可能性を示した興味深いデータです。そもそも香辛料は、獣肉の除臭、保存および防腐、暑中時の食欲減退防止などの目的に用いられてきました。生物学者シャーマンらは平均気温の高い国ほどより多くの香辛料が料理に用いられていることを示しましたが、類似した気候帯の日本と韓国における香辛料の用いられ方の違いが興味深いということで着目し、これは日本の魚食文化(とくに生食文化)と韓国の肉食文化の違いに起因しているのだろう、と考察しています。今回肉好きとワサビ好きには関係性がみられなかったにもかかわらず、魚好きとワサビ好きのあいだには有意な関係性がみられました。日本人のワサビ嗜好性が形成される過程で魚食経験が関係している可能性が示されたのです。

さらに重要な結果として、回転寿司とワサビ好きのあいだには有意な関係性がみられず、家庭でのワサビ経験や、生のすりおろしたワサビ経験とのあいだで有意な関係性がみられました。高校生のワサビ好きの背景としては、魚食とワサビの組み合わせをおいしいと感じた経験が大切であり、さらに家庭での経験や環境も重要であることが浮かび上がってきたのです。食べ物の嗜好性が、家庭での連続経験によって影響を受けることはすでに多くの研究から明らかになっており、今回の結果と矛盾しません。ワサビの嗜好性が形成する過程においても食習慣や食経験が重要であることが示されました。

日本の食文化の分岐点となった肉食禁忌の歴史的背景

なぜ日本ではトウガラシよりもワサビが好んで用いられてきたのでしょうか。トウガラシは室町後期に南蛮人が伝えたとの説があります。ワサビが鮨や刺身や蕎麦に汎用されるようになったのは江戸後期のことですので、トウガラシの導入時期が遅かったため、という理由ではなさそうです。『料理物語(1643年)』でも、トウガラシはまったく登場しませんでした。鄭(1979年)は著書のなかで、「なぜトウガラシが朝鮮の食生活には深く広く取り入れられながら、日本の食生活にはさほど取り入れられなかったのだろうか」という疑問に関して、「日本料理では獣肉類を用いる料理が少なく、香辛料の使用が歴史的にも乏しかったからだろう」、としています。日本でトウガラシよりもワサビが食文化に浸透した背景には、日本で長く続いてきた魚食文化と深い関係がありそうです。

日本における米、肉、魚、の一日あたりの消費量の年次変化(左軸)とワサビ生産量の推移(右軸)(米、肉、魚は厚生労働省国民健康・栄養調査より。 ワサビは農林水産省特用林産物生産統計調査より)

肉の消費量が初めて魚を上回ったのはごく最近平成18年(2006年)です。675年の天武天皇による殺生禁令以来、日本人は最近まで魚食が中心の食生活を送っていました。その後も国家が肉食を禁じたことで、この精神は日本国民に深く浸透してゆきました。これは、同じ稲作文化である東南、東アジアにおいても珍しい食文化といえます。結果的に日本は重要な動物タンパク源として魚に依存する民族となりました。それゆえ魚介類の料理法が発達し、とくに江戸後期には、刺身や鮨、魚の天ぷらといった多様な食べ方が生み出されました。こうしたなかで、素材の味をいかす料理法が好まれる日本人の嗜好にワサビはよく合い、この時期普及した醤油との相性もよく、淡泊な魚食料理に辛味や香りや風味といった嗜好的加味を与えることができ重宝されるようになりました。さらに、19世紀の終わりには伊豆半島を中心とした大規模な栽培化がすすみ、江戸へ大量供給できるようになっていました。こうしてワサビは江戸の食文化の成熟期とも重なり、香辛料としてのゆるぎない地位を確立していったのです。

伝統料理は移り変わる

韓国におけるトウガラシ文化が辛味の嗜好性にも影響を与えてきた、と述べました。しかし忘れてならない点は、トウガラシが朝鮮半島で現在のように多用されるようになったのは、長い歴史のなかでは比較的最近の出来事であったという点です。トウガラシが朝鮮半島に伝来した時期は17世紀頃とされており、一般に普及するのはさらに時代が新しくなってからだということがわかっています。ワサビに関しても、現代のような組み合わせでの利用が確立したのは江戸時代後期以降のことです。日本の長い歴史からみれば、比較的新しい食文化であるという見方もあります。ヨーロッパ諸国での新大陸原産の作物の例にみられるように、伝統料理も時代の移り変わりのなかで、新しく導入された食材や料理法に置き換えられる可能性は多いにあるということを、歴史は教えてくれます。しかもワサビの場合はトウガラシに比べて栽培が難しく、辛味成分が揮発性であるため食品加工も簡単ではありません。そのうえ肉食に急速に傾倒しつつある現状が明らかになるなど、不利な条件がそろっています。何の対策も講じられなければ、ワサビの食文化が衰退に向かう流れはとめられないのかもしれません。

ワサビの食文化を守ること=植物資源を守ること

この先、日本人がワサビよりもトウガラシを好む時代がやってきたとして「一体何がいけないの?」と感じる人もいるかもしれません。私が危惧しているのは「日本人がワサビを食べなくなること」です。ワサビはそもそも、トウガラシや他の蔬菜類に比べ、特殊な環境でしか生育できず、そのため栽培は難しく、成長に時間がかかることから、大量生産による大幅なコストダウンは望めない植物です。その希少性に価値が見出されなくなれば、ワサビ生産者は採算が合わず、これまで以上に生産者は減少するでしょう。重要な点として、ワサビは生育環境を選ぶ植物であるため系統維持が非常に難しく、栽培者がいなくなれば、植物資源が失われてしまいます。山に行けば野生が自生しているから大丈夫、という考えは間違いです。自生地環境は悪化する一方で、野生集団の消失が深刻な状態にあります。また、栽培と野生とでは辛さや根茎の肥大度が異なることがわかっています。

左:歌川広重作(1797年- 1858年)「あま鯛・藻魚にわさび」
右:現代のワサビ品種の根茎

江戸時代のワサビは、現代のワサビと比べても根茎は貧粗にみえます。ワサビの本格的な栽培が始まったのは慶長年間(1596〜1615年)であったとされていますので、広重の時代でもおよそ200年のあいだの野生種からの進化がみてとれます。さらに広重の時代から現代までの約200年間にも選抜が繰り返されて辛さも増しました。こうして約400年の時をかけて進化したワサビは、一度失われてしまえば復元することは困難なのです。

2013年に日本食が世界無形遺産に、ごく最近(2018年3月9日)「静岡水わさびの伝統栽培」が世界農業遺産に認定されました。和食に欠かせないワサビは世界中から注目され、海外での需要は確実に増えています。世界が認めた和食食材でありワサビ栽培です。持続的にワサビが生産され、食文化が継承されるために私たちにできることはあるのでしょうか。答えは簡単です。「ワサビを食べ続けること」です。ロジンら(1980年)は、メキシコで実際に行われているトウガラシの辛さに慣れるための食訓練の様子を紹介しています。食文化は短期間で形成されるものではありません。ワサビ離れだけでなく和食の根幹ともいえる魚や米離れも懸念されています。食文化を継承し維持するためにも、食育の重要性について、私たち一人一人がこれまで以上に意識しなければならないのかもしれません。

参考文献

  • Yamane, K., Y. Sugiyama, Y. X. Lu, N. Lű, K. Tanno, E. Kimura, and H. Yamaguchi. 2016. Genetic differentiation, molecular phylogenetic analysis, and ethnobotanical study of Eutrema japonicum and E. tenue in Japan and E. yunnanense in China. Horticulture Journal 85: 46-54.
  • 山根京子. 2010. 身近な野菜・果物~その起源から生産・消費まで(12) ワサビⅠ. 食品保蔵科学会誌. 36: 189-196.
  • 山根京子、小林恵子、清水祐美. 日本の若者におけるワサビと辛味の嗜好性に関するアンケート調査結果. 園芸学研究.(印刷中)

この記事を書いた人

山根京子
山根京子
岐阜大学応用生物科学部生産環境学科学課程植物遺伝育種学研究室准教授。博士(農学)。2005年からワサビ研究をはじめる。現在までに日本全国約250か所の現地調査を実施し研究室内でワサビ属植物を系統保存している。ワサビゲノムプロジェクトを始動しDNA分析によるワサビの起原や進化学的を研究しながら、全国複数個所での保全活動も行っている。