コケで都市の大気環境を評価する – “コケ”にはできないコケのちから
小さくて目立たず、美しい花も咲かせない。おまけに食べても美味しくないため、文字どおり、”コケ”にされがちなコケ。でも、このコケが、私たちの環境を理解するうえで極めて有用な生物であることはあまり知られていません。
というのも、コケは環境の変化に非常に敏感に反応するため、コケの変化をみることで、現在、環境にどのような問題が起こっているのか、また、どんな危険が差し迫っているのか、評価することができるためです。今回の研究では、コケを利用した都市の環境評価の有効性やその問題点などを整理し、低コストで汎用性の高い環境評価手法を提案しました。都市でひっそりと暮らすコケは、一体、私たちに何を教えてくれるのでしょうか。
生物で都市の環境を評価する
自動車の排気ガスや工場の排煙による大気汚染、化学肥料の大量使用によって生じる窒素汚染、都市化に伴って気温が上昇するヒートアイランド現象など、人間活動がさかんな都市では、さまざまな大気環境問題が生じています。こうした問題を解決していくためには、まず現状の大気環境を正しく評価し、理解する必要があります。環境を評価する方法といえば、最初に思い浮かぶのはおそらく、計測機器を用いた環境分析でしょう。でも、私たちの身近にも、計測機器と同じように環境を評価できるものがあるのです。それは「生物」です。
生物は環境と密接に関わりをもち、それぞれの環境に適応して生活しています。そのため、生物の行動や分布、形態を環境の変化と結びつけることで、これらの生物の反応を指標として環境を評価することができるのです。このように、環境の変化に対する生物の反応を利用した環境評価を「生物指標」といい、そこで使われる生物を「指標生物」といいます。生物指標には、低コストで広範囲の地域を評価できる、長期間の環境が反映される、生態系への影響が評価しやすい、などの利点があります。
環境指標としてのコケ
生物にはいろいろな種類がありますが、どの生物が「指標生物」として適しているのでしょう? ここで登場するのが今回の主役である「コケ」です。コケはシンプルな体のつくりをしており、環境の変化に敏感に反応するために優れた指標生物になります。この説明はコケの構造を知ると理解しやすいので、コケの葉の断面をみてみます。
すると、葉の大部分は一細胞の厚さしかなく、葉細胞1つひとつが周囲の環境と接しているのがわかります。コケをよくみると透明感がありますが、これは葉が薄く、光を通しやすいためです。さらに、維管束を欠くコケは、葉細胞が直接、大気や雨などから水や栄養分を吸収しています。こうした体の構造や生態から、コケは周辺環境の影響をとても受けやすいのです。
都市の環境がコケで評価できる?
さて、いよいよ本題に入りましょう。冒頭にて、大気環境問題が都市において深刻になっていることを紹介しました。しかし、居住地や商業地、農地、工場などが混在する都市の大気環境は一様ではなく、場合によっては狭い範囲で急激に変化することもあることから、その評価は容易ではありません。高価な観測機器を街のいたるところに設置して、大気環境を分析することもできますが、現実的には難しいところがあります。そこで私が注目したのが「コケを利用した大気環境評価」です。本研究ではこの評価手法を広く実践していくための基礎研究として、
1. コケが都市の大気環境を評価するにあたってどの程度有用なのか
2. コケをどのように利用すれば、効率的に都市の大気環境を評価できるのか
を検討しました。
調査地は、非常に発達した市街地から人里離れた深山に至るまでさまざまな環境を含む八王子市(東京都)の22地点としました。評価対象とする大気環境問題は、「窒素汚染の深刻さ」「窒素酸化物(NOx)汚染の程度」「大気の清浄度」「都市化に伴う乾燥化(=乾燥に脆弱な種の分布)」の4つです。
本研究では、まず、コケの大気環境への応答を利用して、各環境問題の対する指標価を算出しました(詳細は参考文献)。たとえば、大気の窒素汚染が深刻なところでは、コケに含まれる窒素も多くなることから、コケ内の窒素量が「窒素汚染に対する指標価」となります。同様に、窒素酸化物汚染の程度にはコケ内の窒素安定同位体比、大気の清浄度にはコケの多様性、都市化に伴う乾燥化には乾燥に脆弱なコケの分布、をそれぞれ指標価としました。
次にこれらの指標価と調査地の周辺環境(土地利用タイプなど)とを一般化線形モデルとよばれるモデルで結びつけ、各モデルの整合性に基づいてコケ指標の有用性を検討しました。以上の結果に基づいて、コケを利用した効果的な環境評価手法について考察を加えました。
コケだからこそわかった!
得られたコケの指標価に基づいて八王子市全体の大気環境評価した結果を下図に示しました。
この結果から、八王子の東部(市街地中心)では窒素汚染や乾燥化の影響が強く、中央部(高速付近)では窒素酸化物の汚染が進行していることがわかりました。一般化線形モデルの結果も考慮すると、「窒素汚染の深刻さ」「窒素酸化物汚染の程度」に対するコケの指標価は窒素の排出源の有無で、「都市化に伴う乾燥化」については、都市開発の程度で説明され、いずれも整合性の高いモデルであると判断されました。これらの指標価は同時に算出できることから、コケを利用して複数の大気環境を一度に評価することや、その相互関係を考察することもできます。
興味深いことに、コケの指標価の有効性は調査地点からの距離で変化し、この変化は環境問題の特性に応じて異なることも明らかになりました。たとえば、特定の排出源の付近で起こる窒素汚染の場合、コケの指標価は調査地点から遠ざかると急激に低くなりましたが、都市の広範囲に生じるヒートアイランドに対する指標価は、調査地点から離れても大きくは変化しませんでした。これらの結果は、コケの指標価の有効範囲を考慮するうえで、重要な情報になります。
なお、今回検討した大気環境問題のうち、「大気の清浄度」については、整合性の高いモデルは得られませんでした。この指標価は、大気汚染が深刻なところでは、コケの多様性が減少するという関係に基づいて算出されます。この関係を考慮すれば、調査地の大気がコケの多様性を減少させるほどには汚染されていなかったため、有効なモデルが得られなかったと推察されます。
以上の結果をまとめると次の3点になります。
1. コケを利用して都市の大気環境を評価することができる
※特に「窒素汚染の深刻さ」「窒素酸化物汚染の程度」「都市化に伴う乾燥化」の影響は、コケ指標に強く反映される
2. この手法を用いることで複数の大気環境を同時に評価でき、その相互関係も検討することもできる
3. ただし、コケに影響が及ぶ範囲は環境問題ごとに異なるので、注意が必要である
本研究の結論では、これらの結果に基づき、コケを利用した効果的な大気環境評価方法を提案しました。
今後への期待
身近なコケを利用して大気環境の状態を知ることで、地域の環境や生物への関心も高まります。そこで、本研究の成果は、都市における大気環境の評価を広く促進するともに、環境負荷を改善する行動や政策の決定につながると期待されます。この手法が広まり、コケの有用性が一般に認識されるようになったら、ひょっとしたら、近い将来コケが”コケ”にされなくなる日がくるのかも? しれません。
参考文献
大石善隆、2015.苔三昧-もこもこウルウル寺めぐり. 岩波書店、102p、東京
Oishi, Y., Hiura, T., 2017. Bryophytes as bioinidcatos of atmospheric environment in urban-forest landscapes. Landscape and Urban Planning 167: 348-355. https://doi.org/10.1016/j.landurbplan.2017.07.010
この記事を書いた人
- 静岡県生まれ。京都大学理学部を卒業後、京都大学大学院生命科学研究科(修士)に進学し、京都大学大学院農学研究科(博士)を修了。学位は博士(農学)。信州大学農学部、北海道大学苫小牧研究林北方生物圏フィールド科学センターを経て、2016年より現職。福井県立大では「コケの世界」「マイナー生物学」「環境学」など、コケや生態学、環境に関する講義・ゼミを担当している。
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