ニオイとは

我々の生活には「ニオイ」が溢れています。これらのニオイ、実は多種多様な分子が混ざり合ってできているということをご存じでしょうか。ニオイを構成する分子(ニオイ分子と呼ぶことにします)は、約40万種類も存在すると言われています。ニオイとは、1種類のニオイ分子だけでできているときもありますが、多いときには数1000種類のニオイ分子がさまざまな割合で混ざり合った複雑な混合気体なのです。たとえば、コーヒーのニオイは、500種類以上のニオイ分子から構成されていることが知られています。我々が吐き出す息(呼気)はさらに複雑で、そこには1000種類を越えるニオイ分子が含まれていることが報告されています。

このように、ニオイは非常に複雑かつ多様であり、それゆえにその分析は簡単ではありませんでした。しかし、裏を返せば、ニオイにはその発生源に関する詳細な情報が秘められているとも言えます。この情報は、たとえば、ニオイから健康状態を知る、ニオイから安全/危険を判断する、ニオイから感情を読み解く、など、価値ある未踏の応用につながる可能性を有しているかもしれません。我々は、日常生活を大きく変えるほどのさまざまな可能性を秘めたニオイに着目し、誰もが手軽に使える「嗅覚センサ」の開発を推進しています。このコラムでは、我々が最近得た成果の一端として、ニオイから特定の情報を高い精度で抽出する手法について紹介します。

従来のニオイ分析 – ガスクロマトグラフィーによる全成分分析

従来のニオイ分析には、ガスクロマトグラフィー(GC)という分析装置がよく使われています。これは、内壁に特殊な表面処理を施した「カラム」と呼ばれる細くて長い管の中にニオイを通過させ、各ニオイ分子のカラム内壁へのくっつきやすさを利用して、全成分を分離するというものです(つまり、内壁にくっつきやすければカラムから出るのに時間がかかり、くっつきにくければすぐに出てくる、この時間差を利用)。これにより、原理的にはニオイを構成するすべてのニオイ分子の種類と量がわかるため、あるニオイの全貌を知るうえで大変効果的です。GCは実際にさまざまな場面で用いられており、たとえば、特定の疾患を抱える人の呼気にだけ含まれるニオイ分子の存在の可能性などが報告されています。そのため、ニオイから特定の情報を抽出するという目的は、GCによって実現することも可能なのです。

一方で課題も残されています。数100種・数1000種ものニオイ分子からなるニオイの分離・測定は簡単ではなく、その結果も複雑で、多くの場合、その解析には時間と労力を要します。また、検出できないほど微量な成分は見落とされることもあります。さらに、装置自体が比較的大型かつ高価(数100万円のものから、高性能なものでは1000万円以上)であり、基本的には専門的な分析や研究用途が前提とされています。こうした課題が解決できれば、一般消費者レベルでも手軽にニオイを測定できるようになるなど、ニオイ分析の裾野は一気に拡がる可能性があります。

膜型表面応力センサ(Membrane-type Surface stress Sensor, MSS)によるニオイ分析

前述した全成分を分離する分析法とは異なるアプローチとして、複数個のセンサ(センサ素子、チャンネルとも呼ばれる)を配列させた、所謂センサアレイ(アレイは「配列」を意味するarray)を用いて、ニオイを分析するという方法があります。この方法は生物の鼻がニオイを認識する機構を模倣しているため、センサアレイは「電子鼻」や「人工嗅覚」とも呼ばれます。誰もが手軽に使える小型のニオイ分析装置を開発するうえで、近年の微細加工技術の進展は、センサアレイだけでなく周辺回路も小型化できるという意味で、このアプローチを強く後押ししています。センサアレイを構成するセンサにはさまざまな種類がありますが、以下では、近年我々が開発したMSSによるニオイ分析について概説します(正確には、4つのMSS素子を設けたチップを使用していますが、便宜的にMSSと表記します)。

MSSを用いた小型ニオイ分析装置のプロトタイプ。呼気計測の結果を、リアルタイムでスマートフォン画面上に表示させている。MSSチップのサイズは10mm × 5mmで、1枚のチップには4つのセンサ素子が設けられている

一般に、センサアレイを形成する各センサ素子は、より多くの種類のニオイ分子に対応するために、各々の応答特性が、ニオイ分子の種類に応じて大きく異なるように組み合わせる必要があります。MSSの場合、各センサ素子にそれぞれ特性の異なる材料を塗布して、各種ニオイ分子を吸着する「感応膜」を形成することによって、応答特性を多様化します。

ここで重要なのは、「ひとつの感応膜が1種類の分子にのみ応答するのではない」、ということです。感応膜には、その種類によって各々得手不得手なニオイ分子がありますが、不得手であってもまったく応答しないということは希で、わずかでも応答を示す場合がほとんどです。つまり、得意なものに対する応答の強さを1とした場合、その他はすべて0ということではなく、どんなニオイ分子にも0から1のあいだで応答します。この傾向が感応膜ごとに異なるという多様性と、その自在な組み合わせこそが、センサアレイのカギと言えます。得意とするニオイ分子種が大きく異なる感応膜を組み合わせておけば、より多くのニオイに対応可能なセンサアレイを構成することができるのです。

このようなセンサアレイを用いて、各センサの応答の違いからニオイの違いを識別する方法を、一般的に「パターン認識」と呼びます。これは相対的なアプローチであるため、たとえばニオイAとニオイBは違う、ということはわかっても、ニオイAに何がどれだけ含まれているのか、ということまでは簡単にはわかりません。

センサアレイを用いたパターン認識の概念図。各々のセンサが得意とするニオイ分子は異なるため、計測するニオイごとに各センサの応答が変化する。これにより、ニオイを識別することができる

データサイエンスとのコラボレーション

では、センサアレイで定量分析はできないのでしょうか。我々はこの問いに対するひとつの答えとして、MSSを用いて次のような実験を考えました。「アルコール度数の異なるさまざまなお酒を準備し、それらのニオイをMSSで分析することによって、そのお酒のアルコール度数がわかれば成功」というものです。アルコール度数は、お酒に含まれるエタノールの濃度として定義されています。お酒の主な構成成分は水とエタノールですが、香料その他の成分も含まれているため、同じアルコール度数のお酒であっても、同じ応答を示すとは限りません。実際にアルコール度数がすべて40%のお酒7種類をMSSで測定してみると、かなり異なる応答波形が得られました。これは、アルコール度数とセンサ応答のあいだには線形的な単純な相関が存在するわけではないことを意味します。

7種類のお酒のニオイを計測して得られたMSSの応答波形。いずれのニオイもアルコール度数40%の液体から発せられたものだが、応答波形は異なることがわかる

そこで我々は、統計処理などに用いられるデータサイエンスの手法(機械学習)を採り入れた解析を行うことにしました。多くのニオイ応答データ(ここでは32種の飲料からデータを取得)の背後にある相関を機械学習により見出すことで、未知のニオイ(学習に使用していない、赤ワイン、芋焼酎、ウイスキー)のアルコール度数の推定を試みました。この試みは非常に上手くいき、実際のアルコール度数と推定されたアルコール度数が高い精度で見事に一致することが確認されました。

実際のお酒のアルコール度数と推定されたアルコール度数の関係。学習に使用していない赤ワイン(12%)、芋焼酎(25%)、ウイスキー(40%)のアルコール度数が、高い精度で推定できた

今回は、超高感度であり小型化も可能なMSSに、感応膜として我々が独自に開発した特性の異なる4種の機能性ナノ粒子を塗布してニオイ分析に用いました。当然、アルコール度数を推定するためには、アルコール度数に関係する情報が十分な感度で拾われなくてはなりません。その点、今回のセンサと感応膜の組み合わせは、今回の実験においては十分に有効であったと言えます。また、学習と推定を繰り返すことにより、高い推定精度を実現するには、疎水的な性質を持つ感応膜の組み合わせが有効であることもわかりました。

今後のこと

以上のように、モバイル化やモノのインターネット(IoT)での応用が見通せるMSSを用いて、さらにデータサイエンスの手法を効果的に採用することで、ニオイから特定の情報を抽出できることが実証されました。目的に応じて最適な感応膜の組み合わせは変わるため、どのようなケースにも対応できるようにさまざまな特性の材料を揃える必要があり、材料開発は重要な課題のひとつです。センサ周りの諸要素やデータ解析手法にも最適化すべき点はまだ多くありますが、嗅覚センサの標準化に向けた包括的研究開発を今後も推進していきたいと思います。

参考文献
Kota Shiba, Ryo Tamura, Gaku Imamura & Genki Yoshikawa, “Data-driven nanomechanical sensing: specific information extraction from a complex system”, Scientific Reports 7, 3661 (2017), doi:10.1038/s41598-017-03875-7

この記事を書いた人

柴弘太, 田村亮,今村岳, 吉川元起
柴弘太, 田村亮,今村岳, 吉川元起

※ 写真は左から同順

柴弘太

国立研究開発法人 物質・材料研究機構(NIMS)国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(MANA)ナノシステム分野ナノメカニカルセンサグループ研究員。早稲田大学大学院創造理工学研究科地球・環境資源理工学専攻博士課程修了(2012年3月)。NIMSポスドク研究員等を経て、2016年8月より現職。現在は、世界初となる嗅覚センサの業界標準実現に向けて、ナノ材料およびセンサの開発に携わっています。


田村亮

国立研究開発法人 物質・材料研究機構(NIMS) 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(WPI-MANA) ナノセオリー分野量子物性シミュレーショングループ 研究員。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了(2012年3月)。NIMS ICYS研究員を経て、2015年4月より現職。現在、同機構、統合型材料開発・情報基盤部門 研究員及び、東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカル情報生命専攻 講師を兼務。最近は、機械学習を用いた材料研究である、マテリアルズ・インフォマティクスの研究に従事しています。


今村岳

国立研究開発法人 物質・材料研究機構(NIMS)若手国際研究センター(ICYS)ICYS研究員。東京大学大学院理学系研究科化学専攻博士課程修了(2013年3月)。東京大学大学院新領域創成科学研究科特任助教、NIMSポスドク研究員を経て、2016年8月より現職。現在は、嗅覚センサを実現するための、センサシグナルの解析方法の開発、精密ガス測定、感応材料の開発を行っています。


吉川元起

国立研究開発法人 物質・材料研究機構(NIMS)国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(MANA)ナノシステム分野ナノメカニカルセンサグループ

グループリーダー。東京大学大学院理学系研究科化学専攻博士課程修了(2004年3月)。東北大学金属材料研究所助教、スイス・バーゼル大学客員研究員、NIMS ICYS研究員を経て、2016 年4月より現職。2015 年4月より筑波大学連係大学院准教授。誰もが使える嗅覚センサの実現と標準化に向けて、各種最先端要素技術の垂直統合を、産学官連携によって推進しています。