対人関係の「価値」は経済的価値と同じなのか? – 脳のはたらきから考える
対人関係の価値とは?
私たちは日常的に多くの人とつきあっています。ですが、本当に親しい(=困ったときにはいつでも相談できる)相手というのは、そんなに多くはないのではないでしょうか?
私たち人間が社会関係を維持できる相手の数は150人くらいという、いわゆるダンバー数を提唱した人類学者のロビン・ダンバーは、この150人というのがロシアの民芸品のマトリョーシカのようにごく少数の何でも頼めるとても親しい関係(5人くらい)、それより人数が多い親しい関係(もっとも親しい人たちも含めて15人くらい)、さらに人数が多いそこそこの関係……といったように、入れ子の構造になっていると主張します。つまり、私たちは日常的にはかなり限られた数の相手をとても親しい(関係価値の高い)相手としてつきあっていることになります。
この入れ子のもっとも内側、つまりごく少数の親しい関係の人たちというのは、何か困ったときに援助を求めることができる人たちです。このことは、狩猟採集社会の友人関係にもよく対応しています。アフリカのマサイ族の友人関係を研究している人類学者のリー・クロンクは、マサイ族の友人関係(彼らの言葉でへその緒を意味するosotuaと言います)は、困ったときにはお互いに助け合うための保険のようなものだといいます。マサイ族ではこのosotua関係を子どものころから長い時間をかけて形成します。そして、その相手が困ったときには自分にどんなにコストがかかっても助けてあげるという規範があるそうです。
相手のニーズに応じて援助するというこの友人関係のシステムは、単純な互恵的関係(相手が直前にしてくれたことを自分も返してあげる)とは一線を画します。短期的に見ると何度も病気になった人は助けてもらってばっかりということもありえるからです。このように自分が困ったときには必ず助けてくれるパートナーは関係価値の高い相手といえるでしょう。
関係価値を“計算”するためのコミットメント・シグナル
私たちは困ったときに助けてくれる(あるいは、助けてくれそうな)相手を関係価値の高い相手だと思っていることになります。ですが、どのようにしてこの人は自分が困ったときに助けてくれそうだということを知るのでしょうか? これまでたびたび病気や天災に苦しめられたときに助けてくれたという実績でもなければ、友人だと思っている相手が実際に自分を助けてくれるという保証はありません。
本当に困ったときに相手が自分を見捨てそうかどうかを知る鍵は、親しい相手が少数しかいないという点にあります。少数の人たちとの親密な関係にコミットしているとき、相手も自分との関係にコミットしてくれているかどうかが重要です。コミットメントの確認には、「顔色が悪いけれど大丈夫?」、「誕生日おめでとう」といった相手のことを気にかけていないとできないような声かけが有効です。というのも、このような声かけは相手が困っていないかどうか、常に一定の注意を払っていないとできないからです。これは親しい相手の数を増やすと難しくなります。毎朝、100人のパートナーの顔色に注意を払うのは無理でしょう。
相手がこのような声かけをしてくれるということは、あなたが相手にとっての少数の親しいパートナーに入っているということを意味するのです。そこで、私たちの研究チームでは、これをコミットメント・シグナルと呼んでいます。調査の結果、人々は他者から注意を向けられると、その相手を大切な関係のパートナーだと感じるようになることがわかっています。つまり、相手からのコミットメント・シグナルは相手の関係価値を計算するためのインプットになるのです。
関係価値を計算する脳部位とは?
親しい関係を関係価値の高い相手と言い直すと、急に即物的で冷淡な印象を与えてしまうかもしれません。お店に並んでいる品物の価値を見積もるのと、友人が大切だというのは意味が違うと感じられるからです。ですが、本当にそうなのでしょうか?
経済的価値を計算する脳部位として、眼窩前頭皮質という部位が知られています。とある実験では、空腹の実験参加者にさまざまなお菓子を提示して、それを実際にいくらで購入してよいと思うかを回答してもらいました。参加者は、それぞれのお菓子の自分にとっての価値を計算したはずです。このときに活動していたのが眼窩前頭皮質です。もし、関係価値も経済的価値と同じように計算されているのであれば、コミットメント・シグナルを受け取ったときにも眼窩前頭皮質が活動するのではないでしょうか。私たちの研究チームでは、この可能性を検討しました。
具体的には、以下の図に示すような課題を20代の男女22人の参加者に行ってもらいました。課題といっても難しいものではなく、MRIのスキャナの中で、目の前に映し出される特定の友人とのやりとりが実際にあったと考えて、そのとき相手との絆が強くなるかどうかを評定してもらうというものでした。
たとえば、図に示しているのは、自分の誕生日に友人と一緒に食事に行く場面です。ひとつの場面につき、「コストあり」「コストなし」の2種類のコミットメント・シグナル、そしてそれに加えて「シグナルなし」のシナリオがありました。参加者には、このようなシナリオを見て絆が強くなるかどうかを回答するという作業を何度も繰り返してもらいました。
その結果、以下の図に示しているように眼窩前頭皮質という部位の活動が、コストのかかるコミットメント・シグナルを見たときに特に高くなることが示されました。右側のグラフは、左で示した部位(眼窩前頭皮質)の活動を3種類のシナリオ(コストあり・コストなし・シグナルなし)ごとに平均した値を示しています。統計的には、シグナルなしの場合よりもコストありのコミットメント・シグナルの場合に、有意に眼窩前頭皮質の活動が高くなっていました。
“計算”することの意味
この実験結果を知って、結局、私たちは大切な人間関係といっても経済的価値と同じように計算しているのだ、人間って打算的だなと感じられたかもしれません。ですが、この研究が示してるのはそういうことではないと思っています。
たとえば、みなさんはあるお菓子が自分にとってどれくらい価値があるかを計算するときに意識的にそのお菓子がもつ栄養価等を計算して決めるでしょうか? そうではなく、これまで食べた経験から、「あれはすごく美味しかったからまた食べたい! だから少し高くてもいいや」といったように決めるのではないでしょうか? 脳は価値計算をしますが、主観的に感じられるのはこのようなもののはずです。
同じように、私たちは対人関係の価値を、この相手とつきあっていると将来どれくらい自分にとって得になるかな、損になるかなと意識的に計算するわけではないでしょう。コミットメント・シグナルを受け取ると、主観的には「こいつってすっごくいいやつだ! 大切な友だちだ!」と感じるでしょう。この感じ方は、お菓子が美味しいからまた食べたいというときとはまったく違っています。それにもかかわらず、脳ではお菓子の価値も対人関係の価値も同じ部位で価値計算がされていそうだということがわかりました。このことが今回の研究結果のおもしろいところだと思います。ただし、脳がどこで計算しているとしても、私たちが大切な親友に対して主観的に感じる友情があたたかく尊いことには変わりありません。
参考文献
・Yamaguchi, M., Smith, A., & Ohtsubo, Y. (2015). Commitment signals in friendship and romantic relationships. Evolution and Human Behavior, 36(6), 467-474. https://doi.org/10.1016/j.evolhumbehav.2015.05.002
・Ohtsubo, Y., Matsunaga, M., Himichi, T., Suzuki, K., Shibata, E., Hori, R., Umemura, T., & Ohira, H. (in press). Role of the orbitofrontal cortex in the computation of relationship value. Social Neuroscience. doi: https://doi.org/10.1080/17470919.2020.1828164
この記事を書いた人
- 北海道大学文学部卒業(1994年)・同大学院文学研究科修士課程修了(1996年)・Northern Illinois University, Department of Psychology博士課程修了(2000年)。北海道大学文学研究科・助手、奈良大学社会学部・講師/助教授を経て2007年4月から神戸大学大学院人文学研究科に勤務。専門は社会心理学、進化心理学。
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