黒鉛は黒色?

黒鉛というと、多くの方にとって日頃から馴染み深い物質のひとつではないでしょうか。黒鉛は炭の主要な成分です。食物を調理するとき温度が上がり過ぎて「炭化」してしまったときに、目にする黒い焦げが炭です。また、墨や鉛筆、各種のインクなどの形で、黒色に塗るときに使われる物質も黒鉛です。

Black leadの日本語訳であったこの黒鉛は、英語圏では現在「グラファイト」と呼ばれます。グラファイトというと、炭素でできた「黒い」結晶性物質である、という感覚を持つ方も多いことでしょう。このグラファイトを、完全といえるほどに純粋な単結晶として作り上げたならば、どのようなことがわかるのでしょうか?

パナソニックから(株)カネカに移られていた村上睦明先生は、多くの共同研究者の方とともに、ポリイミドフィルムからグラファイト単結晶を合成する方法を確立していました。筆者は10年以上前に、このカネカのグラファイトを拝見しました。そのときの驚きは、筆者のみのものではなかったと考えています。それは、従来知られていたグラファイトとはまったく異なる色であったからです。

ありふれた物質で世界最高の結晶

グラファイトは電極に使われることからも電気を通す金属としての性質が本来あります。ただし、表面が滑らかに見えても炭素棒は黒く見えるでしょう。ところが、村上先生のグラファイトフィルムは、アルミ箔よりも美しい金属光沢を放っていたのです。その薄い膜は、ピンと張った結晶としての姿を、ピンセットで持ち上げたときによりはっきりと示したのです。従来知られていたグラファイト材料とは明らかに異なる結晶性物質特有の様子は、一目で人々を惹きつけるものだと思います。実際、この結晶の透過電子顕微鏡像と光沢のことをお伝えするだけで、炭素材料の世界的権威の心をも強く揺さぶるものだったといえます。

このグラファイトフィルムがさらに結晶性を高めたということを、筆者は5年ほど前に知りました。その新しいサンプルは、さらに興味深い特性を示していました。光に透かしてみると、まさに半透明な膜として光を透過していたのです。物質が薄くなると光の透過性が高まります。しかし、不純物や表面の荒れがあると、散乱が起こることがあります。そのサンプルでは、可視光の波長より若干厚い程度にまで膜厚が薄くなっていました。純度が高まると同時に、より薄い完全結晶としての姿を見せ始めていたのです。

そのとき、この試料はさまざまな点で科学の知見に変更を迫ることが予想されました。世界最高の結晶は、実験科学に革新をもたらすばかりでなく、真の試金石として純粋理論研究にもより正しい理解を迫るものになるからです。この結晶を多くの方に見ていただきたい、という思いは、筆者だけの考えではないと思っています。

(a) 透過電子顕微鏡により得た単結晶グラファイトG2800の断面図 (b) 電子チャンネリングコントラストイメージング法により得た単結晶グラファイトG3200の結晶画像
K. Kusakabe et al., Phys. Rev. Materials 4, 043603 (2020) より引用)

グラファイトの未解決課題

グラファイトは、グラフェンと呼ばれる炭素のハチの巣型二次元結晶が積み重なってできている結晶です。この1枚の膜として分離可能なグラフェンの方はというと、その2名の発見者に対して2010年度のノーベル物理学賞が授与されたことで一躍有名になりました。グラフェンには、物理の理論にとって特別な価値があります。ディラックが発見した相対論的粒子が従う運動法則を、実験室系において有効的に検証できる舞台になるからです。実際、ジェイム教授とノボセロフ教授に与えられたノーベル物理学賞は、この新しい視点を実験検証したことに対して授与された、と考えるとその価値がわかりやすいです。

一方、グラフェンが沢山積み重なったときには、よく知られている黒鉛ができます。黒鉛は古来よりあまりにも多くの知見と研究成果が与えられてきたため、グラファイトとしての性質に未解明な点があるようには思われない、ということがたびたび語られてきました。一方、この炭素系を長年研究してきた物理学者と化学者のあいだでは、グラファイトに関わる物質系が繰り返し検討されてきた事実に、今もなお特別な興味がもたれています。合成手法と実験的計測手法の改善がなされるたびに、理論的な理解をも問い直すきっかけが、何度となくグラファイト関連物質から与えられてきたのです。

そこで、「グラフェン面が弱いファン・デル・ワールス力で結合してできている物質」としてのグラファイトには、この面間の結合力についてもなお人々の完全な納得が得られずにいるという不思議が残っています。純粋な量子力学的計算方法に対して残されている宿題のひとつでもある、ということができます。

そこで、グラファイトの真の単結晶が得られたときにまず計測がなされると良い性質に、弾性があるのです。特に、面間方向と呼ばれるグラフェン面が近づいたり離れたりする方向の変動に対して、グラファイトはどのような強度を示すのでしょうか? 大阪大学では、このことに答えを出せる研究上の準備が整っていたといえる、少なくとも2つの理由があります。それを次に紹介していきましょう。

単結晶の強度を測るには?

実は単結晶とはいっても、原子の並びが完全に揃っているのは、目では見えないような大きさのある部分だけなのです。この「完全な結晶」と呼べる部分は、どの程度の大きさなのでしょうか? それは、1 mmの千分の1、1 μm(マイクロメートル)です。

ピンセットで持てるカネカのグラファイト試料は全体では1 cmを超える大きさで作られます。それはよく見ると、マイクロメートルのスケールにある完全な結晶が、お互いに隙間なくほぼつながって作り上げられたものなのです(上図b)。ごくごく一部にわずかにずれが生じているだけです。微細な結晶構造が繋がっている部分は結晶粒界と呼ばれ、1 μmの千分の1である1 nm(ナノメートル)の大きさにある原子一つひとつの大きさのスケールにあります。カネカのグラファイトは、この原子のスケールで見ると、数十μmの大きさで原子の並びが完全に揃っていながら、ところどころにある結晶粒界でのみ揃い方が微妙にずれている、というものです。

ひとつの単結晶が示す強度とは、このマイクロメートルの大きさにある完全結晶のたったひとつを使って測ったときに、初めてわかるものです。より大きいスケールで弾性を測る方法を用いてしまうと、結晶粒界の影響を受けている平均的な値しかわかりません。目に見えるスケールのものでも結晶粒界に対応する壊れやすくなっている場所が脆さの原因になることがあります。こうした「完全な揃いがずれている場所」が沢山あるとき、そこがまず壊れやすくなってしまい、本当の完全な物質の性質がわからなくなります。そこで、結晶粒界の部分を避けて完全な結晶を正しく測ってみることが必要になります。

音でものの強度を見る – ピコ秒レーザー超音波スペクトロスコピー法

大阪大学には、物質の大きさがマイクロメートルスケールであっても、その強度を測ってしまうことができる装置があります。光を使って、音を鳴り響かせ、その音をまた光を使って見てしまう、という装置です。光としてはレーザー光線を使います。レンズを使って光をよく絞り、レーザー光が当たる領域を小さくすることで、マイクロメートル以下の領域にある完全結晶をひとつだけ測ることができます。

さて、レーザー光が当たったときに、結晶の中に音が発生することがあります。その音は、結晶を伝わっていき反対側の面で反射して、戻ってきます。音はものが振動している状態のことであり、結晶を作る原子がお互いに近づいたり離れたりする状態が表れます。おもしろいことに、この音波が伝わってきたときだけ、結晶の性質がわずかに変わって見えることがあるのです。

そのひとつが、光の反射具合です。反射率という物理量を測定すると、この音が戻ってきたときにだけ「グラファイトの光り方が変わる」のです。そこで、レーザー光で叩いて発生させてからその音波が戻ってきて反射率が変わるときまでにかかる時間を測ることができます。反射率の変化も光を使って測ることができるので、音の性質を光だけを使って測ることができるのです。

この音の伝搬を用いて、ものの強度を見るという原理は、丁度、包丁で切らずに美味しいスイカを判定する方法に似ているといえるでしょう。テレビ報道などで良く紹介されているこの方法では、スイカを叩いたとき、叩く側の反対側に添えておいた手に伝わってくる音を感じて(測定して)判断しています。中がしっかり詰まっていると、良く音が伝わって反対側の手が叩いたことをビンビンとよく感じるでしょう。中に隙間があると、この音が伝わりにくくなって、音の感じ方が悪くなります。良いスイカと悪いスイカを叩いて比べると良くわかります。

スイカを叩いて比べて調べる方法はどなたでもすぐに習得できます。大阪大学の超音波の伝わり方を分析する超音波スペクトロスコピー法(スペクトロスコピーは分光と訳します)は、さらに手の代わりに光を使うという優れた方法です。ただし、レーザー光を用いる特別な装置が必要になります。そのため、大阪大学でなければ容易に測ることができない、という事情があるのです。

このピコ秒レーザー超音波スペクトロスコピー法を用いると、カネカのグラファイトが示す性質を正確に測れる可能性が出てきました。

カネカグラファイトの驚くべき「弾性定数」

実際に測ってみると、カネカグラファイト特有の「良い点」が随所に現れてきました。まず金属でもあるグラファイトの表面で、照射したレーザー光からとても良い効率で音が発生することがわかりました。通常の物質では、多くの場合、音を発生させるために金属を薄く蒸着する必要があります。こうした処理がまったく必要ありませんでした。

また、表面が極めて平坦で、膜としてグラフェンが重なって結晶になっているため、発生した音が反射をする反対の面もとても良くできています。そして、反射した音を捉えるときに生じる反射率の変化具合も、高い感度の測定を可能にする鋭敏なスペクトル変化を示したのです。つまり、このグラファイトは1枚の結晶をそのまま用いて、レーザー光線を当てるだけで、超音波スペクトロスコピーがそのまま実現できてしまう、理想的な物質でもあったのです。

今回のグラファイトの試料は、膜厚を決めることができていました。そのため、測定結果は音速として得られます。音速を元にして、物質の弾性(変化がもとにもどる範囲で物質を変形させた場合の性質)の強さを示す「弾性定数」を決めました。

グラフェン面の面間方向について弾性定数C33を決定してみると、驚くべきことに文献で引用されてきた値から大幅な上昇があることが見つかりました。50 GPaという値に近いC33が結論されたのです。(1 GPa=109 Paは圧力の単位でお馴染みの1パスカルの1億倍です。1気圧が約千ヘクトパスカル=105Paですので、1 GPaは1万気圧に相当します。)固いシリコン結晶の弾性定数といえど、およそ100 GPa程度です。

(a) ピコ秒超音波スペクトロスコピー法により決定された単結晶グラファイトの反射率変化の実時間依存性 (b) 弾性定数C33の結晶上の位置依存性
K. Kusakabe et al., Phys. Rev. Materials 4, 043603 (2020) より引用)

弾性定数の評価値が上昇する方向に改善されることは、完全性がより高い結晶が作られたときに期待されることであります。しかし、C33と呼ばれる数値が、従来の常識(複数の報告がありましたが、信頼性の高いものでも40 GPaを超える値は結論されていませんでした。)とされた値から2割以上も上昇するという今回の結果は驚くべきものでした。逆にいえば、従来測定に用いられていた試料と測定方法の双方に、大きな改善が求められるものであるということを意味しています。このことは、後編で再度考察することにしましょう。

後編へつづく)

この記事を書いた人

草部 浩一, 荻 博次
草部 浩一, 荻 博次
草部 浩一(写真左)
大阪大学大学院基礎工学研究科、理論物質科学、准教授。
1994年、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻にて博士(理学)を取得後、東京大学物性研究所物性理論部門 助手、1999年、新潟大学大学院自然科学研究科 助教授、2003年、大阪大学大学院基礎工学研究科 助教授を経て、2007年より現職。

荻 博次(写真右)
大阪大学大学院工学研究科、超音波工学、教授。
1993年大阪大学大学院基礎工学研究科修士課程修了。1997年博士(工学)(大阪大学)。大阪大学大学院基礎工学研究科 助教、米国標準技術研究所 招聘研究員、大阪大学大学院基礎工学研究科 准教授を経て、2017年より現職。

本稿は、(株)カネカ・村上睦明博士、村島健介博士、大阪大学・長久保白助教、和氣惇氏、岩手大学・足立寛太助教との共同研究成果に関して、解説を試みたものです。