「ホルモンが性を決定する」という仮説

ヒトの女性と男性は、その外見がしばしば大きく異なります。これらの違いの多くには、ステロイドホルモンが関係しています。卵巣から分泌される女性ホルモンが、女性のからだを女性らしく変化させ、精巣から分泌される男性ホルモンが、男性のからだを男性らしく変化させるのです。

しかし、ヒトが卵巣と精巣のどちらをもつかという根本的なところを決めているのは、性ホルモンではありません。それを決めているのは性決定遺伝子Sryで、実際はSryの司令をうけたSox9という遺伝子が、卵巣と精巣のどちらを発達させるか、つまり性の決定において中心的な役割を果たします。ここにステロイドが関与することはありません。このようなヒトで明らかとなった体のしくみは他の動物にもあてはまると思いがちですが、この「ステロイドが性を決めない」というしくみは、ヒトやマウスといったごく限られた動物のはなしで、多くの動物では「ステロイドが性を決めているのではないか?」という仮説が昔からあります。

ヒトにおける性決定機構とブリ類における性決定機構

話を20世紀初頭までさかのぼりましょう。このころから、性ステロイド類を動物に投与するとどのような効果が得られるか? という実験が盛んにおこなわれるようになりました。有袋類、鳥類、両生類、魚類など幅広い分類群において、性ステロイド投与による性転換効果(精巣の卵巣化、卵巣の精巣化)が得られたことから、「動物の性を決定する実効物質は、性ステロイドであろう」という説が唱えられはじめたのです。

なかでも、山本時男の一連の研究は、性ステロイド投与により完全な性転換体を魚類で自在につくりだせることを示し、世界の研究者に大きな影響を与えました。その影響があまりに強かったせいか、魚の研究をしている人の場合、「ステロイドが性を決定する」というのは当たり前と思っている人も少なくないと思います(ちなみに、そんなはずないだろう、という方ももちろんいます)。

しかし、この仮説を証明するのは非常に難しく、「性ステロイド=性決定の実効物質」説の当否は、その説の提唱から半世紀以上を超えた今でも決着がついておりません。その主な理由は、上記の生物たち、特に魚類では、性決定が終わって卵巣または精巣が形成されたあとでも、ステロイドを投与したりステロイド合成を阻害したりすると、しばしば性転換をおこしてしまうからです。

これでは、ステロイドが本当に性を決定しているのか、それとも性決定後の卵巣維持(または精巣維持)に寄与しているのかを実験で区別することが困難になります。そもそも、ステロイドの投与により性転換が起きてしまう現象は、内在性ホルモンの役割ではなく、外部からの過剰投与による人工的な副作用かもしれないという可能性は昔から指摘されてきました。

新しい性決定遺伝子の発見

今回、私たちは「ステロイドが性を決定する」という説を強力に支持する結果を、ブリ類をもちいて示すことができました。しかし、何もはじめからそれを狙っていたわけではありません。筆頭著者で大部分の実験をおこなった小山喬さんは、もともと東京海洋大学の坂本崇先生の研究室でブリの性決定遺伝子同定を目指した研究をおこなっていました。それまでの研究で、ブリはW染色体をもつとメス(ZW型)になり、もたないとオス(ZZ型)になることがわかっていましたが、性決定遺伝子の実体は不明のままでした。東大水産実験所が過去にフグの性決定遺伝子を同定したという実績をもっていたので、小山さんはブリの研究を進めるために移籍してきたのです。

ブリ、カンパチ、ヒラマサの3種を合わせて青魚御三家といったりします。見た目がよく似ていて、おいしさも確かな近縁の三兄弟です。小山さんはこれまで用いていたブリが実験材料としてちょっと難しそうだということで、カンパチを材料として研究を進めました。そして、フグ性決定遺伝子同定のときに用いた手法をこの魚に適用したのです。この手法はごく簡単にいえば、多数の個体のゲノム配列を比較するというものです。

その結果、小山さんは、この魚のW染色体とZ染色体の差は、ステロイド代謝酵素遺伝子のひとつであるHsd17b1遺伝子内の一塩基であることを見つけたのです。この一塩基の差はアミノ酸配列の差をもたらしているため、W型とZ型の2種類のHSD17B1酵素がつくられます。これらふたつの酵素の活性を比較したところ、Z型HSD17B1はW型にくらべて女性ホルモン産生能が低いことがわかりました。つぎに、ブリとヒラマサについても調べたところ、カンパチの雌雄間でみられた一塩基のDNA配列差は、やはり両魚種にもあったのです。したがって、これらブリ類三兄弟は同じ性決定遺伝子による同じメカニズムで性が決定されていると考えられました。

ブリ類ではゲノムにおける一塩基の雌雄差が女性ホルモン産生能の違いをもたらし、これが性を決定する。

これだけでも十分に良い研究になったと思いますが、小山さんはさらに問いをたてて研究を深めていきます。その問いとは、ひとつのアミノ酸置換がなぜ酵素活性にこのような大きな影響を与えるのか? ということです。この問いに答えるために、タンパク質の動的振る舞いに関する専門家の助けが必要だと判断した小山さんは、ネット検索で山下雄史先生を探しだしてきました。

山下先生は東京大学先端科学技術研究センターにお勤めです。偶然にも同じ大学同士ではありますが、お互いに一面識もありません。恐る恐る研究協力の依頼をしたところ、すぐにご快諾の返信をいただき、その後、山下先生の解析によって見事に、ひとつのアミノ酸置換が酵素活性を劇的に変化させる分子動力学的なメカニズムが明らかとなりました。もうひとつ幸運だったことは、坂本先生の研究室に性ステロイド代謝酵素に詳しい中本正俊さんがいたことです。彼の卓越した知識と技術により、論文査読者をして「審美的」と言わしめた遺伝子発現像をとることができました。

ブリ類の場合、たまたま、性決定遺伝子と性ステロイドの関係が非常にシンプルであったことから、「性ステロイド=性決定の実効物質」ということを示すことができました。しかし他の多くの動物では、そうはいきません。実際、有袋類、鳥類、両生類、魚類で、これまでにさまざまな性決定遺伝子候補が同定されていますが、それらの遺伝子と性ステロイドとのつながりはよくわかっていません(2019年に報告されたニジマスの研究は例外で、性決定遺伝子sdyがステロイド代謝酵素の発現を直接的に調節する可能性が示されています)。ステロイド誘導型の性決定機構は太古型のメカニズムで、哺乳類の祖先が胎盤をもったときにそれが失われたという仮説があります。その真偽を確かめるのはこれからの課題です。

ブリ三兄弟
上からカンパチ、ヒラマサ、ブリ。シーボルトのファウナ・ヤポニカより

一塩基による性決定

今回ブリ類では、たった一塩基の雌雄差が性を決定することが示されました。ヒトの雌雄間に膨大な塩基配列の差が認められることとは対照的です。ヒトでは性決定遺伝子SRYが乗ったY染色体をもつ個体がオスとなります。Y染色体はX染色体が退化した成れの果てともいわれ、X染色体とくらべると長さが極端に短く、いわゆるジャンクとよばれる機能不明のDNA配列が多量にたまっており、多くの遺伝子を失っています。ところが、ブリのZ染色体とW染色体の違いは一塩基だけです。雌雄を決めるスイッチとしては、考えられるなかで最もシンプルなメカニズムです。

実は一塩基の雌雄差が性を決定している生物群は、これまでに一例だけ報告されています。それはフグ類で、今回と同様に東京大学水産実験所が見つけ出しました。ブリ類やフグ類がもつ性染色体ペアは、性染色体進化のごくごく初期状態にあると考えられます。この初期状態を研究することで、雌雄の性染色体が似ても似つかないかたちに進化していく普遍的なメカニズムを明らかにできると考えています。

水産応用への展開

本研究からは水産業への波及効果も期待できます。ブリ類は日本の食用魚を代表する魚で、その養殖量は日本の海産魚養殖量全体の6割にも達します。現在、品種改良が強く求められていますが、親となる魚の飼育・管理のコストが高いことが問題となっています。今回の研究成果により雌雄判別が容易となるので、親魚管理のコストが下がり、品種改良が加速されることが期待されます。また、雌雄比の情報は野生生物の保全・管理においても重要です。今回得られた成果は、野生ブリ類の保全や生態把握にも役立つと考えられます。

参考文献

  • Burns, R. K. 1961. Role of hormones in the differentiation of sex. Sex and Internal Secretions I. p.76-160.
  • 山本時男, 1966. 性分化誘導物質はステロイドか. 化学と生物. 4巻12号 p.642-646.
  • Takashi Koyama, Masatoshi Nakamoto, Kagayaki Morishima, Ryohei Yamashita,Takefumi Yamashita, Kohei Sasaki, Yosuke Kuruma, Naoki Mizuno, Moe Suzuki, Yoshiharu Okada, Risa Ieda, Tsubasa Uchino, Satoshi Tasumi, Sho Hosoya, Seiichi Uno, 2019. A SNP in a steroidogenic enzyme is associated with phenotypic sex in Seriola fishes. Current Biology 29, 1901-1909
    (KikuchiとSakamotoは責任著者, Nakamoto, Morishima, T. Yamashitaは同等寄与者)

この記事を書いた人

菊池 潔
浜名湖のほとりにある東京大学水産実験所で研究をしています。東京大学で博士(農学)をとった後、オレゴン大学などで修行をして、いまの職場に就職しました。水産生物を対象として、性決定機構や性染色体進化機構などの解明に取りくんでいます。また、ゲノム情報を利用した品種改良法の開発や集団分化機構の解明もおこなっています。