この記事を読んでちょっと衝撃だったんで、思わずXとFBで書き込みしました。
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《JST主催》わが国の論文力なぜ失速 第一線の研究者らシンポで激論白熱
2024.04.30
https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20240430_e01/
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最後のメッセージが、わくわく感か。。。
この手のシンポジウム、なぜどれも同じようなものになるんだろう。むしろ、そこを問題に設定してシンポジウムしたらどうだろう。
結局、いつも「やり方」が同じであることに起因してると思う。同じやり方だから、同じ結果になる。。物申したい研究者や組織長が集まってしゃべる(だけ)。
例えば、企業人や、文科省や、小中高の先生や、子どもや、外国の方や、ハンディキャップある方や、色々集まって話すとかの発想などさ。
以下、仲良しの方々のコメントを記載します。
(仲良し=ここに載せたことを事後報告でも「全然OK」って言ってくれる人たち笑)
とってもいいこと書いておられる。
●仲野せんせのコメント
けっさくやな、これは。➕3SDくらいの人が問題の本質を把握できてると思うことに根本的な間違いがある。子供でもわかるわ
●三木せんせのコメント
多様性に賛成。結局いくら優秀な研究者が集まっても、研究者の答えしか出てこない。答えがもっと外にあるかもしれない。オープンでないのが本質に近いところの問題かな、と。そこから出てきた選択と集中が、手段的な間違い。
●湯浅さんのコメント
そうですよね、もうその問題が何かと原因はわかっているんですよね。解決策を話し合って前に進めば良いいのですが、いざ解決策を話そうとなると肝心の答えがない、または大変過ぎてやりたくないケースが多いと思います。自らも変わっていく必要あり、また時には痛みを伴う事もあるけど、あまりそこはやりたくないようにも思えます。
このパネリストのお一人にその後詳しいお話を伺いましたが、ではどうしたらいいの?的な解決策までは議論されなかったとか。でもお話はとてもわかりやすく大変納得出来るものでした。
今猛烈な勢いで私達の業界が変化しており、自分達は組織大変革中です。その過程でかなり膿を出したり痛みを伴う決断をしているので、辛い事良くあるのですが、やる意外に方法がないのが現実です。
この話も「やる事わかってるんだったら、やるしかないだろ?」って見ていて感じてしまいます。結局はやったもの勝ちですね。
●岸村せんせのコメント
そして、先陣切ってそれをやり始めた人だけが痛みを背負わされたりするんですよね…。世の中、ズルい人ばかりです。この問題に限らず、公共が何かについて、議論することから始める必要性を強く感じます。
●いでさんのコメント
研究と誘惑、先導する側とされる側といったように(無意識に?)研究(者)と社会を切り分けて上下関係を前提に語ってしまうところもなんとも気持ち悪
以上、今回の活動報告は、この全国キャラバンの実施に至る背景の話しでした。
こういう背景のもと、僕自身は研究者個々人が変わる必要があると考え、この事業を実施しているというわけです。政策や制度に頼らない、文科省や大学執行部に頼らない、各自が己に頼るということ。大学人こそが忘れてはいけないことを忘れているような気がしてしかたないのです。
これに補足して、Voicy放送でしゃべりましたので(チャプター2です)、よければ。
https://voicy.jp/channel/1595/1231772