みなさま
いつもご支援ありがとうございます。
京都大学のひつわりです。以前、お知らせしたように、5月24日にCIC Tokyoでacademist Prize第2期のイベントがあります(早いもので3回目)。
「若手研究者と考える『基礎研究の社会実装』」 - academist Prize 第2期 企業賞発表イベント」
https://cic-academist0524.peatix.com/
毎回、異なるテーマを与えて頂いていますが、今回はポスター発表で、「研究の進捗」をお話してください、とのことでした。そのため、ここでは、この半年くらいの研究とacademist Prizeでの活動を織り交ぜながら活動報告できればと思います!
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目次
1.academist挑戦前までの研究と挑戦の経緯振り返り
2.この半年間のメイン研究:俳句鑑賞中の脳の様子をみた初めての実験
3.academist Prizeのはじめてのイベント
4.社会応用も目指して:俳句経験と平穏感謝
5.AI時代の芸術心理学者:「余白の美」を科学する
6.まとめ
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1.academist挑戦前までの研究と挑戦の経緯振り返り
さて、「研究の進捗」を報告しようとした時に、これまでやってきたこともお伝えすることってとても大切、というかこれ抜きにすると、伝えられることが少ないんじゃないかって思っています。だから、できるだけ長くならないように、これまでの研究の話を書きます。
元々は、自分自身、何事にも感動しやすく、その感動がきっかけで自分が変わってきた、価値観がアップデートされてきた、という感覚があり、「感動体験」というものを科学したいと思ったのが、研究のはじまりです(既に長くなりそうな雰囲気)。卒論は、広く感動体験について扱ったのですが、研究すればするほど、その概念の広範さと曖昧さに難しさを感じるようになります。そこで、感動体験の中でも「芸術」に関することをやろうと決めたのが大学院に入ってからです。
芸術や美的なものに興味があったので、別に「俳句」を研究する必然性はそこまでありませんでした。ただ、以下のようないくつかの理由で、とてもいい題材と思いました(だいぶ後付けのものが多いです笑)。
・言語芸術(芸術の中でもフロンティア)であること
・日本発祥でありながら、世界でも認知されていること
・厳格な型、ルールがあり、実験材料として優れていること
・世界最短であること
特に、短いのがめちゃくちゃよいです。このクラウドファンディングのメインテーマでもありますが、「美の核心」ともいうべき真理に近づくためには、小さい世界であるほどいいです。物理の世界でも、原子→原子核→陽子→クオークとか小さくなっていくのと似たようなイメージです。
それで、俳句を武器に、研究してきたわけですが、同じことをしていると飽きることもあり、あまりよくないレベル?で色々なものに手を付けてきています。俳句が喚起するイメージの鮮明度、AI俳句、匂いのある部屋での俳句鑑賞、俳句創作と鑑賞の関係性、などなど、これらのどれもが、データをとって、論文執筆までを行ったれっきとした自分の成果です(いくつかは既にジャーナルに掲載されていますが、いくつかは査読中です)。その中でも、俳句の持つ、そして、鑑賞者が感じうる「曖昧さ」というものに特に注目して研究をしてきました。
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2.この半年間のメイン研究:俳句鑑賞中の脳の様子をみた初めての実験
俳句は情報量がとても少ないので、基本的には「曖昧さ」を帯びます。俳人が目の前の減少や気持ちなどを全て描写することが叶わないのです。その曖昧さがおもしろいと思っていて、研究をしてきたわけです。1番最初にやった研究では、俳句の曖昧さと美の評価が負の相関(曖昧さを高く感じれば感じるほど、俳句の美しさの評価が下がる)をしました。しかし、この結果は個人的にはあまり納得がいきませんでした。俳句の曖昧さがおもしろいと言っているのに、それが評価を下げるんかい!となっていました笑
その後の研究ではもう少し工夫をして、1つの俳句に対して、曖昧さを何度か評価させました。その結果、最初は曖昧さが高くて、それが徐々に下がっていく時(曖昧性の解消と呼んでいます)、俳句の美の評価が高くなりそうだということが分かりました。これも完全に納得のいく結果かと言われると微妙なのですが(曖昧さが解消せずとも俳句を美しいと感じられるはずと思うからです)、ひとまず、1つ発見を進めることができました。
さて、やっとでここ半年の研究の話ができます笑
2022年の秋頃から年末にかけて、MRIという脳の中を撮影できる機械の中で、俳句を鑑賞してもらう実験を行いました。脳機能から、美しさについて探る「神経美学」という学問が生まれてから20年ほど経ちますが、今もなお、こういったMRI内での芸術鑑賞研究はホットです(我々の中では…)。しかしながら、俳句というニッチな題材を扱っていることもあり、MRI内で俳句鑑賞を行う実験それ自体がとても新しいものでした。
難しい話はできるだけ省くとして、MRIの中でボタンを渡して俳句の美しさの評価を行ってもらったのですが、俳句の美しさを感じている時により活性化する脳領域がいくつか見つかりました。その1つが、左中側頭回という脳領域です。この脳領域は先行研究で、一貫性のある秩序だった情報処理に関連すると言われています。つまり、美しい俳句を読んでいる時には、曖昧性が解消され、秩序だった情報処理が起こっている可能性が示唆されたわけです!脳機能を測定することで、これまでの研究をサポートすることができました。
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3.academist Prizeのはじめてのイベント
そんなMRI実験のデータ収集が終わった直後くらいに(データ収集も大変でしたが、その後の脳画像の解析がとても大変でした…)、academist Prizeの初めてのイベントがありました。ここでは、1分間の研究ピッチとポスター発表が行われたのですが、このような他分野の方、研究領域外の方と交流する機会は初めてで、目から鱗が落ちました。
そこでは、このクラウドファンディングプロジェクトで成し遂げたいことなどを語っていましたが、多くの方に足を止めて頂き、このように言われたのです。
「この研究はどのように社会実装する予定ですか?」
予定も何も、そのようなことはほとんど考えたことがなく、むしろこれまでは、「社会のためにも、お金にもならない研究ですが…」と前置きをしながら自分の研究の話をすることが多かったです(それも、自分の好奇心から始めた研究なので、研究の方向性も社会よりも自分に向いていました)。「美しさ」というテーマは、心理学の他のテーマと比較しても(例えば、うつ病や社交不安、認知症の研究などは、すぐにでも社会の役に経ちうるテーマ)、「別にこれがなくても誰も困らない」系の研究だと思っていたからです。
しかし、academistを通して出会う多くの方は、「美」の役割をいろいろなところに見出していて、自分の視野の狭さを強く感じました。だから、これからは、社会のためにならないなんて言わず、わかる人だけがわかれば良いと過度にニッチぶらず笑、社会応用をも目指して研究していきたいと思っています。
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4.社会応用も目指して:俳句経験と平穏感謝
そこで、ご縁もあり、すぐに取り掛かったのが、「俳句経験と平穏感謝」の関係を調べる研究です。平穏感謝というのは、何か特別な出来事がなくても、ありのまま、日々の日常に感謝する、というような個人の傾向のことを指します。自分もたまに俳句を詠みますが、俳句を詠もうとする時の世界の見方はいつもと違っていて、これを日常的にやっていると、普段は気づかないところにも気づくようになるんだろうなあと感じています。
やり方は、シンプルで、俳句を日常的に作っている人200名、作っていない人200名を募集して、平穏感謝の質問紙アンケートに答えてもらうというものです。結果はクリアで、やはり、俳句を詠む人の方が、平穏感謝の傾向が強かったのです。
これは、基礎研究の領域を出ないですが、俳句創作に平穏感謝を強める傾向があるということは、「今、何事にも感謝できない」といった人に何らかの介入をできるようなチャンスを与えてくれそうではないですか?例えば、俳句は他の芸術創作と比較しても手軽で、小中学校の時に誰でも1度は経験があります。これを学校外でも(例えば、カウンセリング場面や企業の研修など)実施してもらうことで、より豊かに生きていける人が増えるかもしれません。
ぜひデータを取らせて頂けるところがあればお待ちしています笑
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5.AI時代の芸術心理学者:「余白の美」を科学する
最後に、もう1つだけ今やっていることを書かせてください!
これも、社会のためになると最初は思っていなかったのですが、最近考え直したものです。
ぼくは、わびさび、粋、幽玄といった日本人独特の美意識にも興味があります。中でも、まずは「余白の美」というものに着目した研究をスタートさせています。俳句は、情報量が少ないので、どうしても余白が生まれ、鑑賞者がそれを埋めて、作品を理解する必要があります。同様に、視覚的な余白を持つ水墨画や、時間的な余白を持つ、能や歌舞伎などもあります。
なぜ日本人がこのような余白に美を感じてきたかを明らかにする手がかりを「分析的・包括的認知」という心理学の概念に見出しました。分析的認知は、対象の細部に注目するようなものの見方で、包括的認知は、背景情報などを含めて対象を全体的に捉えるものの見方です。この認知傾向には文化差があり、日本人は西洋人に比べて、包括的な認知をすることが繰り返し示されてきました。
つまり、余白を持つような芸術の鑑賞中に、より包括的な見方で鑑賞をすることによって、余白が作品の大切な一部として知覚・認知され、結果として、美を感じることに繋がるのではないかと考えました。実際に、包括的な認知をする人ほど、俳句の美しさの得点が高くなりやすいという結果を得ました(予備的な調査ですが)。
この研究も自分の興味からスタートしていますが、社会に還元できることもあると考えています。それは、現代の鑑賞文化において、余白が楽しまれることがどんどんなくなっていることと関係しています。例えば、半年ほど前からより顕著になっていますが、AIが生成する芸術が人の創作するそれと見分けがつかない程進歩していたり、TikTokをはじめとした大量生成されたショートコンテンツがものすごいスピードで消費されたり、映画の倍速視聴が流行したりしています。つまり、鑑賞者の芸術作品の味わい方もより短絡的になっているなあと感じています。
これからどんどんそのスピードも早くなり、AIが台頭してくると思いますが、そんな中で、人間に残された創作のスタイルとして、「余白の美」が大切なのではないかと考えています。AIはあるものは作れますが、ないものを作ることは難しいです(少なくとも今は)。また、これは創作側だけの話ではなく、情報を敷き詰めた芸術の鑑賞だけではない、豊かな鑑賞を取り戻す力があると思っています。いかがでしょうか(まだまだ仮説段階)!
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6.まとめ
やっぱり長文になりました笑 これまで、自分の興味に突き進み、「わかる人だけわかれば良い」とやっていた研究もacademistのクラウドファンディングを通じて変わってきました。もちろん、自分の好奇心に従う研究が1番と思っているのですが、それが社会のためにもなるならそれに越したことはないと思います!
これからもみなさまとディスカッションしつつ、基礎研究と社会応用のどちらもやっていきたいなあと思っています。最後までお読み頂きありがとうございました!
p.s. 今回、くさいタイトルを付けましたが、これは、最近MOROHAというアーティストのライブに行ったことに起因しています笑 「三文銭」という名曲の一節から拝借しています!
https://youtu.be/9Ul1fGwiFd0
ひつわり
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