蝶々の翅と鳥の羽は空を飛ぶという同じ機能を持っていますが、進化的な起源が違うので、学校では「相似器官(似て非なるもの)」と習います。一方、鳥の羽と人間の腕は機能は異なるものの同じ起源をもつので「相同器官」と習います。
ヒトの脳と昆虫の脳はどちらも高度な情報処理をすることができますが、起源が違うので教科書的には相似器官ということになります。ヒトの脳と昆虫の脳を同じ土俵で扱うと、それでも研究者か、と言われてしまいます。
しかし、近年の細胞や遺伝子レベルでの研究は、ヒトの脳も昆虫の脳も相同器官であることを示唆しています。しかし、ヒトの脳を崇高なものとして扱う研究者には、とても受け入れてもらえません。どうやったら脳の相同性が受け入れられ、教科書を書き換えられるようになるのでしょうか?
進化的に始原的な動物にヒト固有の遺伝子配列を入れてヒトの脳を実験的に進化させることができれば(「実験進化学」の考え方です)納得してもらえるに違いありません。が、それは言うほど簡単なことではありません。今回の研究ではプラナリアを使って「実験<逆>進化学」という逆転の発想で、脳の相同性を証明したいと考えています。
旧口動物である昆虫やイカ・タコの脳と、新口動物である霊長類の脳は違う進化経路を辿ってきた(相似器官)ので比較してはいけないと考えられてきました。しかし、旧口動物と新口動物に分岐する前にすでに脳の基本構造は成立していたのではないか、という仮説をわれわれはプラナリアの脳の再生研究から提唱しました。
具体的には、プラナリアの脳にすべての動物の脳の原型となる構造と機能を見出しました。下図は、左右1対の逆U字型をした脳の形と、眼の視神経(緑色)が視交叉を作って脳の内側部に投射し、一方エサやフェロモンを感じる感覚神経(赤色)が脳の外側部に投射していることを示しています。光から逃げ、エサに向かう、そして光のある所にエサがあることを学習すると光に向かうようになることもわかりました。
また、プラナリアが脳を再生するときに働く「脳を作る遺伝子プログラム」を調べたところ、マウスの脳が発生するときに見いだされる遺伝子プログラムと似たような時系列で駆動することを見出しました。特に、プラナリアから頭部に脳を作る遺伝子『脳だらけ(nou-darake)』を発見し(Nature 2002)、その『脳だらけ(nou-darake)』遺伝子が脳をもつすべての動物に保存されていることを見出し、ヒトの脳とプラナリアの脳が相同器官であることを示唆しました。
マウスの脳はES細胞と呼ばれる胚性の多能性幹細胞から作ることができます。また、プラナリアの脳の再生を可能にしているのが成体の多能性幹細胞(新生細胞と呼ばれます)です。多能性幹細胞とはすべての種類の分化細胞を作り出せる能力をもった無限増殖能のある細胞です。
マウスのES細胞とプラナリアの新生細胞は非常に良く似た性質を有していますので、新生細胞の代わりにマウスのES細胞をプラナリアの体に入れたらどうなるの? という素朴な疑問が生じます。どちらの細胞も脳に分化できて、共通の脳を作る遺伝子プログラムを持っているなら、マウスのES細胞もプラナリアの体の中でプラナリアと似たような脳を再生できるのではないでしょうか?
ただ、マウスのES細胞をプラナリアの体にダイレクト入れても細胞の栄養環境は違いますし、免疫機能によって排除されることが予想されます。そこで、本研究ではプラナリアの「ECM-body」にマウスのES細胞を入れることを行います。
ECM-bodyというのは、プラナリアの個体を固定液に漬けた後に脱細胞化処理をして、コラーゲンなどの細胞外基質(ECM)だけになったものです。プラナリアの体の形はそのまま残り、体の中の腸管の分布や咽頭の形が透けて見える半透明なプラナリアができます。プラナリアのECM-bodyではプラナリアの脳を包んでいるラミニンなどのECMも残ったままなので、その環境に入ったマウスES細胞が脳に分化することが期待できます。
この研究は、プラナリアの細胞にマウスの遺伝子を順次入れていって実験的に進化過程を再現するという一般的なアプローチではなく、マウスもプラナリアと共通の脳を作る遺伝子プログラムがあるならば、マウスの細胞でプラナリアの脳に似たものを作れるのではないかという逆転の発想に基づいたものです。
すなわち、脳を作るシステムの基本が一緒であれば、マウスの細胞でもプラナリアになる「進化の方向とは逆の現象」が起きると考えたわけです。この逆進化学的発想によって、脳の基本構造はヒトの脳とプラナリアの脳へ分岐する以前に成立していたという仮説の証拠を提供したいと思います。
クラウドファンディングでご支援いただいた研究費は、プラナリアのECM-bodyを調整する試薬や、プラナリア新生細胞やマウスES細胞を培養するための培養液などの消耗品の費用に充てるとともに、プラナリアのECM-body内に移植した細胞を蛍光で追跡するための装置システムの整備にも活用したいと考えています。
実験進化学では進化を実験室で再現することを目標に行われています。しかし、この研究では「逆進化学」という新たな発想によって、多様な生物のどこまでが共通の原理なのかを明らかにする方法論を確立し、進化の共通部分と多様化した部分とを切り分ける手法を編み出そうというアイデアの実現を目指します。この大胆な発想にぜひともご支援をいただければと思います。
Date | Plans |
---|---|
2020年10月〜2021年9月 |
パイロット実験期間
|
2021年10月〜 |
学会発表・論文発表
|
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