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石坂晴奈

千葉大学、博士後期課程3年

Challenge period

2022-11-01 - 2024-03-29

Final progress report

Sat, 30 Mar 2024 01:16:30 +0900

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Tue, 01 Nov 2022 10:00:00 +0900

【私の究極の問い】人はどうしてケアをするのか

こんにちは、いしざかです。
最後の活動報告は、私が考え続けている問いと、現時点での応答を共有したいと思います。

私の問いは、「人はなぜケアをするのか?」です。

みなさんは、誰かをケアしたことはありますか?
ケアされたことは、一度はあるはずです。
みんな誰かに育てられてきたから、今生きているわけです。

では、なぜあなたはケアされたのでしょうか?
ケアする人の本能や成長の喜びからでしょうか、それとも義務感でしょうか。

そしてあなたが誰かをケアしたことがあるとしたら、それはなぜでしょうか。

ー・-・-・-・-・-・-・-

これまでいろんな研究者と対話をしてきて、さまざまな仮説と新たな問いが出てきました。
それぞれの分野で他の動物がケアをしているという記述を見つけてきてくれたり、返答に分野の考え方が反映されたりしていて、かなりおもしろかったです。

適当なものも含め、思いついた仮説はこんな感じです。
・赤ちゃんや犬・猫のような生きものをかわいい・助けなければと思い、それが他の対象にも広がった
・病や死を直視することは人間にとって苦しいからなんとかしようと思う
・他者の苦しみに共感してなんとかしてあげたいと思う
・ケアされることで感じた幸福感をケアすることでも感じる
・ケアしたときに受けた感謝などの報酬を脳が学習して次もケアしようと思う
(そうなると生きものにケアされずに育つことが可能な場合、ケアしないのか?)
・助け合うことができると個体としても種としても生き延びられたから
・社会的な規範としてケアが必要な人を放っておくことはよくないとされているから
・ケアしなかった後悔よりもケアした後悔の方が小さいから

ー・-・-・-・-・-・-・-

私が今、もっとも説得力があると思っている仮説は「他者の苦しみに共感してしまうからケアをする」です。
人間は生きもの以外、例えばただの●でも、動き方によってはそれが意思を持つと錯覚するそうです。
錯覚を起こすほどの共感能力があるからこそ、他者をケアする種になったのではないかと解釈してます。
そして私は、このバグのようにも見える人間の豊かな想像力こそが、人間らしさだと思っています。

この記事によると、類人猿がケガや病気になった後もケアを受けて長く生きていたことが化石からわかるそうです。
進化の過程で共感能力が強く働くようになったとすれば、何がそうさせたのか・脳が発達すると自然にそのようになるのかと疑問に思えてきます。

この化石の話を教えてくれたのは人類学者の先生なのですが、私の問いかけに即答した姿もかっこよかったです。

ー・-・-・-・-・-・-・-

そもそも「人はなぜケアをするのか」という疑問は、ある脳科学者の話を聞いたことから始まっています。

あるセミナーで、
先生:風邪を引くとなぜ体がだるくなるかわかる?
(私:休んでねっていう体のサイン?)

先生:それは、仲間にウイルスを移さないために群れから置いていかれなくちゃいけないから
動きが遅くなって群れに置いていかれればその個体が捕食され、群れが生き延びる可能性が高くなる
群れが危険にさらされると老いた個体から積極的に危険に向かっていくのも群れを生き残らせるため

だから自然界と人間では、感染症にかかるということは全然違う意味をもつ

では弱い生きものほどたくさん子孫をつくるけど、なぜか?
それは他の生きもののえさになるから

しかし、弱った個体は他の種に食べられていくのに、人間を食べる生きものはいない
ではなぜ人間は子孫を残すのだろうか?
………

ー・-・-・-・-・-・-・-

とめちゃくちゃおもしろい話が続くのですが、私はこの部分に引っかかり
本来、病気で弱った個体や老いた個体は群れのために犠牲になっていくものだとしたら、こういった人たちの回復・自立を助ける看護学は一体何をやっているのだろうか、と思いました。
自分たちは自然に反したことや本来意味のないことをやっているのではないか?と、分野の存在自体を根本から疑ってみました。

そこから「人はなぜケアをするのか」ということを考えています。

まぁ結局答えはわからないのですが、自分たちにとっての当たり前を疑ってみると世界がひっくり返ってかなりおもしろいですよねっていうことが言いたかったわけです。
そして、学問は使ってなんぼというスタンスなので、よりよく生きられるようにケアが存在できたらいいなと思います。

ー・-・-・-・-・-・-・-

当たり前のことを違う視点から見てみることは、たぶんどんなことにおいても重要です。

ケアにとって重要な要素でもある「人とのつながり」は、いろんな面でプラスに働きます。
人を元気にしたり、変化のきっかけになったり、生きがいを見つけられたり。

しかし、ある映画で出てきたセリフを借りると、「絆は呪縛でもある」のです。
「家族だから」と頑張ることは尊いですが、無理をし続けるときっとケアをされる人にも気づかれます。
そして「自分がいるせいだ、迷惑をかけている」と思うことにもつながり、セルフネグレクトにもつながりうるわけです。

だから、物事を一方向だけから見ていると、結構危ないんだなと思います。
物事は必ず表裏一体なわけです。

ー・-・-・-・-・-・-・-

さて、分野の外に立って見てみると、ケアが専門分野に追いやられていることにも気づきます。
生活に密接で、誰にでも必要になりうることなのに(これも偏った見方ではある)、ケアは専門職のものだととらえている人も多いのではないでしょうか。

身近に感じられるという意味では、ドラマで認知症のある人が登場することが増えてきたように思いますが、あまりにもステレオタイプでケアする側中心な認知症者像が提示されています。
これでは、認知症は厄介・なったらおしまいというイメージをすりこんでしまうよなぁと。

社会にかかわる学問である以上、人々の印象から受ける影響は避けられません。
だから、その意見は何をどこから見たものなのか?
それを違う角度から見たらどうなるのか?
それはどのような背景から生まれているのか?

を考えながら研究をしていかなければなと。
そして、どこにアプローチすればそれをくるっと変えていくことができるのか。

ー・-・-・-・-・-・-・-

私は高校生のときに「認知症って本人も家族も大変なんだ、なんとかしたい」と思い、ここまで来ました。

この活動をさせてもらうことで、誰かにとって少しでもよい影響があったでしょうか。

これからも、ケアを身近に取り戻し、認知症ケアがよりよき方向に向かえるように、精進していきます。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それではまた!!!

2024.3.30
いしざか

Haruna Ishizaka Sat, 30 Mar 2024 01:16:30 +0900
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