こんにちは、石坂です。
花粉が猛威をふるっているようですが、みなさまご無事でしょうか。
私は先日、無事に修了式(行ってないけど)を迎えました。
学位記をもらって帰り、修了式には出席せずに母とお寿司を食べました。
それから、全方位プロジェクト(正式名称は一度も覚えたことがない)という博士課程の支援制度があるのですが、その優秀賞に選出いただきました。
最近は研究費の獲得に奮闘・撃沈しているので、表彰するなら金をくれ…という感じですがありがたく頂戴しました。
あ、副賞で太っ腹なギフトカードをいただきましたので、お金相当のものは受け取っていました。
研究費を獲得するまでの書籍代などにしたいと思います…!
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さて、今月中旬に滋賀で行われた文化看護学会に参加してきました。
普段は認知症系の学会ばかり参加しているので、新鮮でおもしろかったです。
そのあと京都にいる研究者さんたちと議論ができたのもとても刺激的でした。
迷惑という意識についての対談を楽しみに参加したのですが、やはりおもしろかったです。
言葉は変わっても「迷惑」という意識は時代を越えて存在していたようです。
そして家族や個人の境界が明確に引かれている現代では、自分だけでどうにかしなければとセルフネグレクトにもつながる危うさもあります。
迷惑をかけて申し訳ないという気持ちには、相手を思いやる気持ちや自立していたいという気持ちを含んでいるといい、どういう意味なのかは言葉の真意を確かめなければわかりません。
それに、迷惑かどうかは相手に聞いてみないとわかりません。
私も人の相談は受けるのに自分は相談できないという状況に陥るので、自分で言いつつ耳が痛い…
聞いたところで相手が正直に答えるのかという問題もありますが、思ったことを素直に伝え合える関係を築いていきたい、そして相手の伝えたい気持ちを削がずに受け止められる人でありたいと思いました。
「終活」という考えもこの「迷惑をかけない」という意識から来ているというお話も納得するところで、世の中で当たり前のように使われている言葉の背景に目を向けることができました。
そう考えると「老害」という言葉も「迷惑」が背景にあるのかもしれません。迷惑意識の方向性は違いそうですが。
演者から一つ問いかけられたことがあって、考えてみるとおもしろそうなので共有します。
昔は、迷惑をかけて申し訳ないと思いつつ、神や仏の恩恵だと解釈して迷惑意識を低減させていた記録があるそうです。
しかし、信仰の低下によってよりどころとなるものがなくなってきている現代において、何が迷惑意識を低減できるか、といった問いでした。
これ、私はテクノロジーだなとすぐに思いました。
もちろんさっき書いたように対話も重要ですが、そもそも人に頼る範囲が最小限になればいいのではないかと。
今取り組んでいる研究の先には、テクノロジーをうまく使ってケアする人もされる人も穏やかに暮らせるといいなと思っているので、こんなことを思いました。
みなさんはどう考えますか?
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さて、気づけばプロジェクト終了まであと終日となってしまい、書きためておいて公開していないものを3日連続で公開していきたいと思います。ぎりぎり人間が出てしまった…
最後までどうぞよろしくお願いいたします。
2024.3.27
いしざか
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