academist Journal https://academist-cf.com/journal 未来のノーベル賞はここにある! イチオシ研究発掘メディア Mon, 12 Mar 2018 17:51:04 +0000 ja 1.2 https://academist-cf.com/journal https://academist-cf.com/journal 2 5 4 3 6 7 1 8 11 9 10 13 14 15 16 17 20 21 19 22 23 24 25 26 28 27 29 30 31 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 71 72 70 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 100 95 96 97 98 99 101 102 103 104 105 106 107 120 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 121 122 123 125 124 126 127 128 129 130 131 132 133 134 32 135 136 137 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 275 276 277 278 279 https://wordpress.org/?v=4.9.3 夢はみんなで作る研究所! クマムシ博士の野望 https://academist-cf.com/journal/?p=8 Fri, 02 Oct 2015 15:00:20 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=8 img_f4700d3ecc0f467f9030981ef82d7d7316608 ー上半期は、お笑い芸人・クマムシが空前のブームとなりましたが、どのようにご覧なられていましたか? クマムシ博士:いや〜 もう、ありがたい限りですよ。自分の愛するクマムシについて、ただで宣伝していただいているようなものですからね。何の研究をしているかと尋ねられた時にも、話の早さが全然違います。ちょうど昨年末、彼らがブレイクする直前に一度お会いさせていただいたりもしました。 ークマムシ博士は、大学4年の時に、「乾眠」と呼ばれるクマムシの復活劇を見て、クマムシ研究者へのキャリアを歩むことを決意したと伺います。あれから13年、現在はどのようなことに興味を持って、研究を進められているのでしょうか。 クマムシ博士:いま興味を持っているテーマは、クマムシがカラカラになっても乾眠で生き延びられるメカニズムを解明することです。クマムシを乾燥させても、水の代わりにさまざまな種類のタンパク質が細胞を守ってくれるため、乾燥耐性を獲得していると言われてます。しかし、乾燥耐性を持つと考えられている遺伝子を、ヒトの細胞に入れて乾燥耐性を保てるかというと、現時点ではまだ成功していません。まだ研究自体が入り口の段階なので、わからないことが多いんですよね。 もし将来的に、乾燥耐性を持つ「クマムシ因子」のようなものが見つかれば、クマムシのような耐性を持つ臓器を3Dプリンタ等で作ることも可能になるかもしれません。倫理的な問題はあるにせよ、ゆくゆくはクマムシ人間ができる日を夢見て研究しています。でもやっぱり、乾眠クマムシが水を吸って動く姿は何度見ても感動しますね。 ークマムシは知的好奇心を刺激する研究テーマであると同時に、再生医療など実用面におけるポテンシャルも高い分野ではないかと思います。にもかかわらず著書の中で、研究費獲得へ様々なハードルがあることを言及されていたのが非常に印象的でした。その原因は、どのようなところにあると思われますか? クマムシ博士:以前、日本学術振興会特別研究員制度という文部科学省による若手研究者養成事業に応募した時には、クマムシのような耐性を持つ生き物は地球だけではなく宇宙まで含めた生態系を見て研究したら良いということを主張したんです。いわゆる宇宙生物学(Astrobiology)の範疇に収まるような話ですね。ただ、この分野自体の歴史が浅く、日本での研究者人口も少ないため、なかなか審査員の方々に話を理解してもらえなかったんです。 宇宙生物学の論文誌にも研究成果が掲載されたのですが、当時指導を受けていた先生にも「この雑誌はちゃんとした雑誌なの?」と言われたくらいです(笑) アメリカでは高校生でも宇宙生物学という言葉に馴染みがあるくらい広く知られているのですが、日本では新しい分野への理解が乏しく文化の違いを感じました。 ー日本とアメリカでは、新しいものに対する反応が大きく違うんですね。クマムシ博士の現在の活動を考えると、アメリカで独立したほうが活躍しやすい印象を受けましたが、なぜ日本で活動されているのでしょうか? クマムシ博士:Mackenzie CowellというDIYバイオ(※)の世界的な先導者がおり、アメリカに留学していた2008年頃、彼から個人でバイオ研究を進めるアイデアを説明されたことがあります。ただその時はDIYバイオという概念が、なかなかピンとこなかったんですよね。起業家のようにDIYバイオのビジョンを語っていたのですが、どのようにビジネスにするのかが全く見えませんでした。質問をしても「これはビジネスじゃないんだよ!」みたいに言われたことを覚えています(笑) ただ、フランスにいった段階(2011年)で、彼の真意がようやく理解できました。もし、アメリカにいた時におもしろいと感じていれば、そのままアメリカで活動している可能性があったかもしれません。ただ、ありがたいことに日本でもクマムシや僕を応援してくれるファンの方も増えてきて、そういう意味では日本でも活動しやすいですね。僕がプロデュースしているクマムシキャラクター「クマムシさん」のグッズを買っていただいている方も少なくないですし。 (※)DIYバイオ:組織の中ではなく個人でバイオ研究を進めていこうとする流れを指す。 ーもし、クマムシ博士がアメリカのDIYラボでプロジェクトを立ち上げるとすると、どのようなことが考えられますか? クマムシ博士:現在の日本での活動と同じように、クマムシのプロモーション活動をやりたいです。アメリカは比較的マーケットが大きく、話題性もあるので、活動の広がりを期待できるのではないかと思います。クマムシに興味のある方と一緒に採取活動を行ったり、標本作成方法を教えたりしてみたいですね。また、クマムシ展を開催するのもおもしろいと思います。そして何よりも、そういう環境で似た志を持つ仲間に囲まれることが、新しいアイデアを出やすくするのではないかと思います。 将来的に考えている「クマムシ研究所」は、大きな施設に白衣を着た研究者がたくさんいるというよりは、こじんまりした部屋に数名の研究者がいるようなものをイメージしています。でも、それですらなかなか実現が難しい現状です。「お金はいらないよ。研究ができれば良いよ。」という市民研究者が増えれば良いのですが、土日に趣味で研究をするような人も日本ではあまりお目にかかれません。というより、バイオ研究の場がないので、やりたくてもできないんですよ。 NASAでは、ある朝いきなり知らないおじさんが来て、ボランティアで研究していることがありました。連続起業家で10個くらい会社を起こして、ロケットのエンジン開発をしていた人のようです。このようなアメリカでの「ムーブメント」を日本でも起こすことができれば変わってくると思うのですが…。 ー近年、オープン・サイエンスの動きが注目されていますが、ネット上で人々の人的・金銭的サポートを受けながら、研究を進めていく方法をクマムシ研究に適用すると、どのようなことが可能になりますか。 クマムシ博士:人的なサポートという面では、YouTubeなどでクマムシをつかまえる方法を配信して、全国の方々にコケを採取してもらい、研究所に送ってもらったりするのも面白いですね。解析に時間はかかりそうですが…。また、研究資金的なサポートとしては、クラウドファンディングに注目しています。 たとえば、雲仙に生息するとされる「オンセンクマムシ」というクマムシがいます。クマムシって、ぶよぶよしたタイプとカッコ良いタイプの二つに分かれているのですが、オンセンクマムシはその中間のタイプなんですよね。ただ、このオンセンクマムシを記載した元の論文には問題点があったり、実際の標本もないんです。なので、クラウドファンディングで研究資金を募り、そのリターンとして「オンセンクマムシ採取+いろんなクマムシを記載しようツアー」といったことが出来れば、結構面白いのではないかと思います。 academistで研究資金が実際に集まっている様子をみて、日本もまだまだ捨てたものではないなと思いました。時間はかかりそうですが、これからの「ムーブメント」を作っていけるように、クマムシ研究とそのプロモーション活動を頑張っていきたいと思います。 **** クマムシ博士のような独立系の研究者は日本国内でまだ少なく、DIYバイオに関しても普及しているとは言い難い状況だ。しかしクマムシ博士の取り組みをはじめ、学術研究における「ムーブメント」は少しずつ起きている。誰もが、好きな時に、好きな研究に参加できるような日は、意外とすぐに訪れるのかもしれない。   ※本記事は2015年6月12日にHONZにて掲載された記事を再編集したものです。]]> 8 0 0 0 『できたての地球』が二つの奇跡の謎を解く https://academist-cf.com/journal/?p=69 Wed, 30 Sep 2015 15:00:40 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=69
できたての地球――生命誕生の条件 (岩波科学ライブラリー)
作者:廣瀬 敬 出版社:岩波書店 発売日:2015-05-20
  「地球の起源」と「生命の誕生」ーーそれぞれが存分に語られてきているテーマではあるのだが、両者を関連付けながら解明しようとする集団がいる。東京工業大学地球生命研究所(ELSI)の研究者たちだ。本書は、ELSIの所長を務める廣瀬敬氏によって、現在までの地球生命科学の研究成果と課題、そして今後の展望がまとめられた一冊である。 カギを握るのは、初期地球の環境がどのような状態であったかということである。それ以前の地球には、現在のような陸や海は存在していなかった。火星と木星のあいだに漂う隕石の衝突により、地球表面はドロドロと溶けており、摂氏1万度以上の高温で、とても生命が住める環境ではなかったそうだ。やがて隕石の飛来頻度が少なくなると、地球の温度は次第に下がり、地表のマグマは冷えて岩石になった。するとマグマから熱が放射されなくなるため、地球上の大気が冷え、大気中の水蒸気が水となって陸に降り注ぎ、海ができた。約45億年前の出来事だ。 生命誕生の時期が、それ以降であることはほぼ間違いない。現在ではグリーンランドにある岩石の炭素同位体比を根拠として、地球史上初の生命は約38億年前に誕生したと言われている。しかし、生命の決定的な証拠となる化石が発見されたわけではなく、「生命はいつどのように誕生したのか?」という疑問に対する確かな答えは得られていない。 地球に陸や海ができた後、生命はどのように誕生したのだろうか。隕石と同様に宇宙から生命が飛来したという説もあるが、その可能性は低いと廣瀬氏は予想する。なぜなら、人間が突然惑星にポーンと飛ばされても生きていけないことからわかるように、生命が存在するには、その源となる特定の有機物を持続的に供給できる環境が必要となるからである。 多くの研究者は、RNAに注目しているそうだ。RNAは遺伝情報を次世代へ継承するだけではなく、特定の有機物の生成を助ける役割も持つ。つまり、初期地球環境でRNAを作ることができれば、生命は時間と共に進化していくのではないかと考えることができる。 しかし、RNAは複雑な分子構造を持つため、自然界でそう簡単に作られるわけではない。そこでELSIでは、RNA研究を生命誕生の出発点にするのではなく、初期地球環境の中に生体分子を持続的に供給できるシステムがあると想定して研究を進めている。これまで十分に考慮されてこなかった初期地球環境に注目することにより、何かしらのブレイクスルーが期待できるはずだ。 当時の大気中には、大量の二酸化炭素があったと言われている。それらを基に次々に炭素を結合させること(=クエン酸回路の逆回し)ができれば、生体分子を継続的に生み出すことができる。なぜかと言うと、炭素の結合過程では、脂質やアミノ酸、ヌクレオチドなど、生命に必須となる副産物が生み出されるからだ。脂質は細胞膜に、アミノ酸がつながればタンパク質に、ヌクレオチドがつながればDNAやRNAになる。初期地球でクエン酸回路の逆回しのシステムが稼働していれば、生命の誕生に都合が良かったのである。 炭素を結合させるためにはエネルギーが必要になるが、深海底にある温泉水の吹き出し口や、強い紫外線、隕石中の鉱物のように、初期地球環境にはさまざまなエネルギー源があるため、それらが炭素の結合に一役買っていたのではないかと考えられる。しかし、単にエネルギーを与えれば良いわけでもない。生体内のタンパク質のように、生体必須分子を生み出せる反応だけを進める「触媒」を初期地球環境から見出すことが鍵になると廣瀬氏は指摘する。現在、初期地球が用意できたと考えられるエネルギーや触媒の候補を利用して、 炭素が二個から三個になる反応、三個から四個になる反応、というように個別の問題に落とし込んで研究を進めているそうだ。 初期地球環境を考慮することで、「生命の誕生」に纏わる研究が進展するだけではなく、地質学だけでは遡ることが難しい「地球の起源」の具体像に迫れる可能性もあるという。天文学や惑星科学、地球科学、生物学、計算機シミュレーション等、さまざまな分野の研究者が集うELSIならではの着想だ。「地球の起源」と「生命の誕生」、二つの奇跡の謎を解き明かすヒントは専門分野の枠を超えた異分野コラボレーションから見えてくるのかもしれない。   ※本記事は2015年7月5日にHONZにて掲載された記事を転載したものです。
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『クマムシ研究日誌』研究で培われた、生きるための力 https://academist-cf.com/journal/?p=73 Sat, 03 Oct 2015 02:00:17 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=73
クマムシ研究日誌: 地上最強生物に恋して (フィールドの生物学)
作者:堀川 大樹 出版社:東海大学 発売日:2015-06-02
  今や「クマムシ」といえば、「あったかいんだから〜」で一気にブレークしたお笑い芸人をイメージされるかもしれない。だが、ここで紹介したいのは彼らのことではない。「地上最強の生物」と呼ばれている、体長約1mmの無脊椎動物のことである。 このクマムシ、普段は水中にある藻類の表面などに住んでいるという。水がない場所へ移すと体内から脱水が起こり、「乾眠」という仮死状態へ移行する。この時クマムシはピクリとも動かなくなるため、側から見ると一見死んでしまったかのように思える。しかし水を与えると、まるで再び命を得たかのように活動を始めるのだ。 驚くのはこれだけではない。乾眠クマムシはとてつもないストレスに耐えることもでき、マイナス273度の低温から100度の高温のもとでも生き延びられるという。さらに、人間の致死量のおよそ1000倍に相当する放射線量、水深1万メートルの75倍に相当する圧力など、人間には到底耐えられないストレスへの耐性も持っている。これだけで、クマムシが「地上最強の生物」と呼ばれている理由がお分かりいただけるのではないだろうか。 本書『クマムシ研究日誌』は、そんなクマムシの生態が余すところなく描かれた一冊である。しかし、単にクマムシの特徴のみが解説された本ではない。その最大の特長は、クマムシの魅力と共に、クマムシを第一線で研究する著者・堀川大樹氏の考え方や行動力も描き出されていることにある。 堀川氏は大学4年次に、乾眠クマムシが蘇る姿に感動し、クマムシ学の道へ進むことを決意した。北海道で採取したクマムシを用いて研究を進め、大学院生の時には、「世界で誰も調べていないクマムシの特徴を発見した!」という自信と共に、世界中のクマムシ研究者が集う「国際クマムシシンポジウム」に参加することになるのだ。 しかし、いざ蓋を開けてみると、堀川氏の研究成果に興味を示す研究者はほとんどいなかったという。彼はこの時の自分自身の研究を、「重箱の隅を突くような研究テーマで、かつデータ量も不十分」であったと分析している。 一方、堀川氏とは対照的に、同じ日本人で初めてシンポジウムに参加した鈴木忠氏の研究成果は大好評であり、クマムシ学の大御所を含めたくさんの人が鈴木氏の論文別刷を受け取っていたそうだ。この様子を見て堀川氏が抱いた感想がまた面白い。 “鈴木さんは僕と同じく、このときの国際クマムシシンポジウムが初の参加であり、言い方は悪いかもしれないが同じ新入りである。つまり、新入りだろうが何だろうが、おもしろく価値のある研究をする人間に対しては、キャリアも国籍も関係なく、賞賛する文化がそこにあったのだ。” 当時の堀川氏の研究歴はわずか2年程である。にも関わらず、ベテランの研究者である鈴木氏を「自分と同じ初めての参加者」という枠組みで捉える度胸、そして研究文化の違いという大きな視点から驚きを感じられるこのセンスこそが、堀川氏の魅力と言えるだろう。 しかし、いくらセンスがあり、頭脳明晰であっても、経済的に安定した環境で研究を続けていくことを簡単に許さないのが、学術界の現状である。 研究者の正規雇用までの道のりは、極めて長い。まず基本的に、大学卒業後の5年間(修士課程2年+博士課程3年)は、研究者の素養を身に付けるため大学院生として研究活動に勤しむことになる。そして博士号取得後も、論文や学会発表の実績が十分でかつ各研究機関のポストに空きがない限り、正規雇用先を得ることはできない。 つまり、ほとんどの博士号取得者は、任期付の研究員「ポストドクター(通称:ポスドク)」として、各研究機関を渡り歩きながら研究を進めなければならないのだ。現在、1万人以上のポスドクが正規雇用を得られない状況にあり、これは「ポスドク問題」とも呼ばれている。 実は堀川氏も、このポスドク問題に頭を悩ませていた一人だ。ポスドクとして雇用する口約束を反故されたり、「クマムシの研究やって、何か意味あんの?」と言われたりする日々。そんな中で、いつしか既存の慣習に囚われたキャリアだけではなく、経済的に自立しながら研究を行える道を模索するようになっていく。 「おもしろいことができれば、それでよい」ーーそんな研究理念に基づいて考えた抜いた結果、辿り着いた答えがクマムシグッズの作成・販売であった。愛すべきクマムシの魅力をキャラクター化し啓蒙活動を行うと共に、その売上を研究費として使うというアイデアに活路を見出したのである。 そんな堀川氏は、ポスドク問題に関して以下のように述べている。 “私たち博士は、博士号を取得する過程において知的訓練を積むことで、世の中の真偽を見分けたり未来を分析する力が養われる。言い換えれば「生きるための力」が身につく。これは、国民からの税金によるサポートによって身につけた能力だ。この事実に、私たちはおおいに感謝すべきである。 それにもかかわらず政府や世の中に対してさらなる援助を求める博士たちに対して、僕は大きな違和感を覚える。高等教育を受け、生きる力が人一倍高い博士であれば、その頭脳を使って生きていくための道を切り開いてしかるべきだからだ。” 実際に行動を伴わせている堀川氏の発言には、説得力がある。今後、堀川氏のように、所属機関に属さない「独立系研究者」が各分野に増え、研究成果を出せる実績が生まれてくれば、学術界と社会との接点が増え、結果的に学術研究の活性化に結びつくのではないだろうか。 本書から伺える堀川氏の一連の考え方や行動力は、まさに起業家精神(アントレプレナーシップ)に基づいている。虫好きの人はもちろん、生き物にあまり興味がない人であったとしても、試行錯誤する堀川氏の研究哲学に接することで、何かしら示唆を得るところがあるはずだ。   ※本記事は2015年5月29日にHONZにて掲載された記事を転載しています。
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考古学者が面白いと思う、日々の小さな発見の積み重ね - 考古学研究の素顔 https://academist-cf.com/journal/?p=82 Tue, 13 Oct 2015 02:00:39 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=82 12  

考古学は実益にはなりません

「あなたの研究は、どのような形で社会に貢献できるのでしょうか」ー これまでに何度も、たくさんの人に聞かれました。ペルーの考古学を研究していますから、ペルーの人々には貢献できることがたくさんあると思います。 特に歴史教育の分野において。ペルーでは日々、歴史の教科書を塗り替えるような新しい発見がたくさんなされています。最近の研究では、私が研究している約1000年前の人々と、同じ場所に暮らす現代の人々との間には明らかな遺伝的な繋がりがあることも明らかになっていますから、私たちの仕事は現代ペルー人のアイデンティティの問題にも直結します。 しかし、日本人にとっては、どうなのでしょうか。私は現在、academistという日本初の学術系クラウドファンディングサイトにて、発掘調査のための支援金を募っています。地球の裏側にある、あまり馴染みのない国の歴史を明らかにするための考古学研究が、日本人にとって何のメリットがあるのでしょうか。 正直に申し上げて、考古学研究は直接的で分かりやすいメリットを提供しません。私たちの研究 のおかげで誰かが大金を手にすることはありませんし、不治の病が治るようになるわけでもありません。しかし、一銭にもなりませんが、「実利」とか、「効率」といった概念とは正反対の「ワクワク」や「ドキドキ」をたくさん提供します。 地球の裏側に暮らしていた(遺伝的には同じくモンゴロイドですが)文化的に大きく異なる人々の研究は、ナショナリズムやイデオロギーに左右されない歴史観を養ってくれます。考古学は、アメリカでは人類学というカテゴリーに分類され、「人間とは何か」という壮大なテーマに挑む学問の一部です。人類学としての考古学は、文化間の違いを理解する上で重要な視座も与えてくれます。そして何よりも、今まで知らなかった世界を知ることは純粋に楽しい。 「発掘資金を募っている」なんて言っても、やはり10人のうち8~9人には批判されるでしょう。いや、批判はもっと多いかもしれない。しかし日本には一億三千万もの人が暮らしています。たとえ10人のうち1人からしか賛同を得られなくとも、一千三百万人もの人を味方につけられる計算になります。これまでに50名の方々からご支援いただき、支援金は873,800円に達しました(4月10日現在)。 支援を募り始めて30日で目標額130万円の67%を達成したことになります。500人の目に触れて、50人が支援してくれた、それだけでも十分に凄いことだと思っています(実際にはそんなに単純な計算では説明できませんが)。 その一方で、考古学が正当な評価を受けていないのではないかと思うこともあります。考古学を、恐竜を発掘する古生物学と混同している人たちもまだ少なくありません。現在の考古学研究に対する一般からの評価は、考古学が実際にどのように認知されているのか、ということに深く関連しているのでしょう。  

あまり知られていない考古学の素顔

考古学の一分野に「パブリック考古学」というものがあります。簡単に言ってしまえば、「広報活動」を扱う分野です。定義としては、「考古学者たちが調査によって明らかにした発見や、その解釈を含めた関連情報を様々な媒体を通じて世間一般に広く広めていくことによって、人々の関心を集めるだけでなく、文化財に対する意識を高めていくことを目的とするもの」といった感じになります。ちなみにパブリック考古学はアメリカでの呼称で、英国ではコミュニティ考古学と呼ばれているそうです。 私はまだまだ駆け出しで、あまり多くを語れるような研究者ではないのですが、自分が積み上げてきたすべてを社会に還元していきたいと考えています。まだ多くは語れないにしても、世間一般との対話を求めていく姿勢はとても重要だと思っていて、これまでにもそういう活動に時間を費やしてきました。 たとえばハーバード大学の研究所にいた頃は、娘の学校で小学生を相手に「考古学ってなんだろう?」というテーマでお話したり、アマチュア考古学者が集う研究会で自分の研究内容についてお話したり、日本への一時帰国時には、上野の国立科学博物館で講演をさせていただいたこともありました。アメリカ国立科学財団のようなところから、税金の一部を研究費として頂いて、発掘やら分析をさせてもらっているのだから当然だろうと思います。 ところが、人前で話してみて思ったことは、一般の人々は考古学者が面白いと思うようなことにはどちらかと言うと無関心で、もっとロマンを感じられるような壮大で分かりやすいストーリーを欲しているのかも、ということでした。それでパブリック考古学への情熱が萎えてしまった時期がありました。 どうしたら考古学を考古学者が面白いと思えるような形で世間一般の方々にも楽しんでいただけるだろうか。いろいろ考えました。そして最近になってようやくひとつ答えが見つかり、萎えてしまっていたパブリック考古学への気持ちが少しずつ盛り返してきました。出た答えは単純なものでした。実際に現地に来てもらって、「どのような目的でどこを掘り、何が見つかって、それを詳しく分析したらこういうことが分かったので、こういう解釈になった」という一連の作業を間近で見てもらえれば、私たちと近い視点で考古学を見てもらえるのではないかと思ったのです。 そんな矢先、先述のacademistについて知りました。「関心を共有できる人たちから資金援助をしてもらって、できることなら発掘自体も手伝ってもらおう」と思い、挑戦することになりました。ご支援いただいた見返りに「発掘参加できるオプション」を盛り込んだのはそういう経緯からです。 ですから、今回の挑戦がうまくいって調査費用を獲得し、一般参加者とともに発掘ができた暁には、パブリック考古学に対する私なりのひとつの答えが出せることになると思います。自らの五感を持って体験していただくことで、参加者の方々にも、私たち考古学者だけが知っている興奮と喜びを知っていただけるのではないかと期待しています。   ※本記事は2015年4月21日にCredoにて掲載された記事の転載です。 *** 松本さんのプロジェクトはこちら! 【academistプロジェクト】南米先史社会「シカン」の発展と衰退の謎を解明したい]]>
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academist第1弾プロジェクト「深海生物テヅルモヅルの研究」挑戦者に聞く! - 研究費クラウドファンディングって実際やってみてどうでしたか? https://academist-cf.com/journal/?p=151 Mon, 26 Oct 2015 01:00:44 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=151 kinugasa2 クラウドファンディングで研究費を調達することに興味はあるけど、自分の研究をうまくアピールできる自信がなかったり、実際の手続きがどうなっているのかわからなかったりして一歩踏み出せない……という研究者の方の声をときどき耳にします。 academistは、獲得した研究費を自由に利用できる、Webをとおして自分の研究の面白さを多くのひとに知ってもらえるなどというメリットがある一方で、一筋縄ではいかないことが多くあるのも事実です。 そこで今回は、実際にacademist第1弾のプロジェクト「深海生物テヅルモヅルの分類学的研究」に挑戦し、約60万円の研究費を獲得した京都大学フィールド科学教育研究センター 瀬戸臨海実験所 研究員の岡西政典さんにお話を伺いました。   ーacademistへのチャレンジを決めた理由について教えてください。 [caption id="attachment_152" align="alignright" width="198"]スクリーンショット 2015-10-03 18.02.47 京都大学研究員 岡西政典さん[/caption] 私は「系統分類学」という学問を専攻していますが、非常にマイナーな学問で、この分野で獲得できる助成金はかなり限られています。一方、ベーシックな学問ということで、旅費、実験の設備代、試薬のお金さえあれば研究を進めることができるので、そこまで多くの費用を必要としません。 研究費獲得の手段としてacademistを紹介された際、私の研究でも自由にチャレンジできるという”受け皿”の広さに魅力を感じました。金額を自由に設定できるというのも、academistに挑戦した理由のひとつです。   ーacademistで研究内容を発信する際に、なにか工夫したことはありますか? かなりマイナーな研究ということもあり、まずはみなさんに「おもしろい」と思ってもらえるよう、なるべくわかりやすく、インパクトが出るように心がけました。最終的には「キヌガサモヅルの分類」をテーマにプロジェクトを作成しましたが、当初はDNA情報や地史イベントから地球環境変動がどのように変化してきたかということを調査する「分子生物学地理」について発信できればと思っていました。 しかし、academistのスタッフと話していたところ、「テヅルモヅル」という生物だけで相当なインパクトがあるのではと指摘されたのと、新種を発見しなくとも種の分類をするだけで十分わかりやすいという提案をされたことで、シンプルかつわかりやすい最終的な形に落ち着きました。 ークラウドファンディングをやってみて良かった点を教えてください。 研究を進められるということももちろんですが、私の研究を支援してくださる方がこんなにいるとわかったことがとてもうれしかったです。非常にマイナーな生き物を研究しているので、「その研究が何の役に立つのか」と言われることもあります。そういう指摘に対しては、「環境変動を調査できる」という説明をすることもあるのですが、やはり私自信は、キヌガサモヅル・テヅルモヅルが好きで、その分類が面白いと思っているので研究をしているわけです。 今回挑戦をしてみて、academistのページで支援者からのメッセージをみてみると、「もともとテヅルモヅルが好きだった」「分類することがおもしろい」というものが多かったんです。私の研究が進むだけで喜んでくれるひとがこんなにいるんだということが実感できたのが最も良かったと思っています。私自身の研究の励みにもなりました。 ーチャレンジをとおして、予想外だったことや驚いたことはありますか? Yahooニュースに取り上げられたこともあり、想定より多くの資金が集まりました。目標金額を超えて集まったお金をどのように使うのかといったことを考えるのは、予想していなかった部分です。また、3万円のリターンであったテヅルモヅルの標本が真っ先になくなったことも驚きでした。 [caption id="attachment_153" align="aligncenter" width="400"] テヅルモヅルの標本[/caption]   ー今後、挑戦する方々へのアドバイスをお願いします。 やはり研究内容をわかりやすく、インパクトが与えられるよう発信することが大事だと思います。また、支援者の方々が支援したお金が、実際どういうところへ利用されるのかということが明瞭にわかると良いチャレンジとなるのではないでしょうか。あとはリターンですね。どういったものが支援者にとって嬉しいものとなるのか考えると良いと思います。 また、academistによる研究費獲得は、これまでになかったお金の動きが発生するので、その資金をどのように使っていくかということを、大学や所属組織とともに事前に考えておく方が良いと思います。私の所属機関の場合は、こういった方法で集めた研究費は必ず大学に寄付をしなければならないという制度がありました。これをチャレンジが終わったあとに知ったことで、事務などといろいろとやりとりをしなければならず、研究費を利用できるのが予定より2ヶ月延びることになってしまいました。やはり事前に確認しておくことはとても重要です。   ー最後にひとことお願いします。 academistへのチャレンジは、一般の方たちにどうやって自分の研究をおもしろく伝えられるか考える良い機会となりました。そのなかで、自分が研究している学問を一歩ひいてみることで、自分の研究へ新たな還元もできました。academistのチャレンジャー第1号としてさまざまな経験をしたので、チャレンジを考えていて、なにか不安なことなどがある方は、いつでも私に相談してきていただければと思っています。 (※本稿は、2014年12月に行った下記取材を書き起こしたものです。) [embed]https://www.youtube.com/watch?v=xkXUcs4QK5A[/embed]   *** 岡西さんがチャレンジしたプロジェクトのページはこちらです。 academistプロジェクト【深海生物テヅルモヅルの分類学的研究】

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おもしろい研究者が集まるプラットフォームを作りたい! https://academist-cf.com/journal/?p=159 Tue, 13 Oct 2015 10:07:14 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=159 159 0 0 0 「ウォール街の物理学者」が新しい学問を作り出す https://academist-cf.com/journal/?p=165 Wed, 04 Nov 2015 02:30:47 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=165 165 0 0 0 市民参加型の研究を目指した「雷雲プロジェクト」の野望 https://academist-cf.com/journal/?p=168 Tue, 13 Oct 2015 04:28:16 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=168 京都大学・榎戸輝揚さんと理化学研究所・湯浅孝行さんの共同研究として立ち上げられた「雷雲プロジェクト」。雷雲中の電子の加速により発生したガンマ線を検出することで、カミナリの発生メカニズムの解明に迫ります。 先日、目標金額の100万円を達成したため、ガンマ線を検出しやすい日本海側にオリジナルの検出器を設置することが決定しました。今回、検出器のプロトタイプ製作に取り掛かるという情報を聞き、理化学研究所を訪問してきました。   ークラウドファンディングに挑戦して、予想外のことはありましたか? 榎戸:検出器を高校に設定したいということをSNSで発信したら、想像以上の反響があったことですね。「ここに置けますよ!」「こうしてみてはどうですか?」というご提案をたくさんいただくことができました。科研費を利用した研究では、なかなか起こらないことかもしれません。 th_img2 ー研究資金だけではなく、研究協力者も募集できたということですね。検出器のプロトタイプの製作をはじめたとのことですが、どのようなものなのでしょうか。 榎戸:はい、アカデミストさんでサポーターが集まり始めたので、製作も開始しました。 これが検出器のプロトタイプの一部です。 th_img3,jpg ーこれで雷雲からのガンマ線や電子を検出するわけですね。 榎戸:そうですね。手前に置いてある白い正方形状の板は「プラスチックシンチレータ」と呼ばれる特殊な結晶で、主に電子や宇宙線粒子を検出します。奥に見える黒い筒の中には、「無機シンチレータ(CsI)」と呼ばれる結晶が入っていて、主にガンマ線を検出するものです。これらの結晶にガンマ線や電子、宇宙線粒子が入射すると、それらのエネルギーが可視光に変換されます。ここで発生する可視光は微弱なので、光電子増倍管(結晶に接続された黒い立方体の部品)で電流に変え、増幅します。 ー増幅された信号はどこに送られるのでしょうか。 湯浅:ケーブルを通じて、私が製作している電子回路基板に送られます。光電子増倍管からの信号は、この基板に搭載した専用の電子回路でさらに増幅され、デジタル値へ変換をします。デジタル化された信号は、PC上のソフトウエアによって処理され、最終的にはガンマ線や電子1個1個についてエネルギーや到来時刻をハードディスクに保存します。データの一部はインターネット回線を通じて、東京にも送る予定です。 ちなみに、この基盤の模様が、クラウドファンディングのリターンのTシャツにもプリントされているんですよね。 th_img4 ー最終的には、飛んできたガンマ線や電子のエネルギーを知りたいということですか? 榎戸:はい。今回の検出器の主な役割は、雷雲で加速された電子が放出するガンマ線のエネルギーの分布を測定することでなんですよね。エネルギー分布が測定できれば、雷雲とは関係しない環境放射線(大地や建物、宇宙から放射されるガンマ線)と、私たちが欲しい雷雲からの情報を切り分けることができます。 ーなるほど。それにしても、この電子回路は複雑そうですね……。 湯浅:製作もなかなか大変です。いきなり完璧な電子回路が作れるかというとそうではないので…。たとえば、この電子回路は試作機的な位置づけの「バージョン1」なのですが、実物の検出器に接続してテストをしながら、設計のミスや改良点を見つけていきます。今後、回路の図面を修正して「バージョン2」の回路を製造します。ここのスピード感がとても重要です。最近流行りの「リーンスタートアップ」のイメージですね。 th_DSC02450 ー完成形を一度で作ってしまうことはできないのでしょうか? 湯浅:もちろん、バージョン1の段階で大部分は完成形に近いものを設計します。しかし、多数の機能を組み込んだ電子回路を手作りする場合、基板の製作後にいろいろな問題や、改良点が出てしまうことがほとんどです。また、今回使用する検出器技術そのものは、市販の装置を組み合わせて作ることもできるのですが、汎用品の組み合わせでは装置の大きさが大きくなったり、1台あたりのコストが高くなってしまいます。雷雲プロジェクトでは、たくさんの検出器を並べてデータを取りたいので、検出器を小さく・低コストにするための回路製作はとても重要になります。 ーなぜ、検出器をたくさん並べなくてはならないのでしょうか。 榎戸:雲の流れ道に沿って検出器をたくさん並べることで、雷雲の一定の領域から放射されるガンマ線量を刻一刻と追うことができるんですよね。そうすると、その領域において、電子の加速される領域が広がるのか狭まるのか、また、電子の加速のエネルギーの条件がどのような変わるのかということを知ることができます。それを実現させるためには、検出器は一台では足りません。ガンマ線は大気中で100m〜200mメートル程度しか飛ばないので、一台では検出器周辺の情報しか得ることができないんですよね。 ー検出器を置く場所は決まりましたか? 榎戸:まさに今議論をしているところです。いくつかの大学・高校の先生とはすでにコンタクトを取り始めています。

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ープロジェクト紹介動画では、雷雲プロジェクトを「市民参加型」として進めていきたいと仰っていましたが、得られたデータはどのように公開されるのでしょうか? 湯浅:たとえば、市民科学プロジェクトの中でも有名な「Zooniverse」のサブプロジェクトである「Planet Four」という火星表面の探査プロジェクトでは、火星探査機が撮影した大量の画像に個人がアクセスし、「クレーターがあります」「水が流れた後があります」と いうような項目にチェックを入れて、研究機関に報告できるようになっているんですよね。それらのデータは研究機関のサーバに蓄積され、ビッグデータの形で研究者が解析できる ようになります。 湯浅:雷雲プロジェクトもこれに近いイメージで進めていきたいと考えています。たとえば、トップページに、研究で明らかにしたいこと、検出器の説明などを用意します。データ解析のページでは、実際に得られたデータを用いて、横軸に時間、縦軸にガンマ線 のカウント数を並べたグラフを見てもらい、「ガンマ線の計測数に目立った時間変化があるかどうか」を判定してもらいます。何時間分の観測データが何人に解析されているのかということも、表示できるようにしたいですね。 th_img8 ーおお、これはおもしろそうですね!クラウドファンディングのチャレンジはもうすこしで終わりますが、今後、資金面以外で「こんなサポートがあると助かる!」というようなことはありますか? 榎戸:雷雲プロジェクトのことはこれからも広めていきたいので、サイエンスカフェの機会があれば、積極的に情報発信していきたいと思います。ですので、発表機会をオーガナイズしていただける方がいれば、ぜひご協力いただけると嬉しいです。実験は石川県で行うので、ぜひ石川県で開催したいです。 ー支援者の方々とゆるくつながりながら、長期間かけて研究を進められる環境があると良いですよね。今日はお忙しい中、お時間いただきありがとうございました! [caption id="attachment_178" align="aligncenter" width="300"]th_img7 左から湯浅さん、榎戸さん、(検出器を入れる箇所を製作された)中野さん[/caption] 10月4日に目標の100万円に達しましたが、研究費サポートは10月16日まで可能です。お二人は2台目の検出器製作にも意欲を燃やしていますので、引き続き、応援をよろしくお願いいたします! 【academist プロジェクト】カミナリ雲からの謎のガンマ線ビームを追え!]]>
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”萌える”とは、心がぴょんぴょんすること - 「萌える生物学」イベントレポート https://academist-cf.com/journal/?p=185 Tue, 13 Oct 2015 14:05:29 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=185 moe1 司会を務める飯田先生[/caption] メインイベントとして行われた研究者による講演会は、まさに科学エンターテイメント。「時計」「性差」「左右」「四肢」という4つのテーマで、それぞれ2人の研究者が青コーナーと赤コーナーに分かれて対戦形式で研究紹介を行いました。入場時にはゴングが鳴らされ、プロレスラーのコスプレをした司会者が演者の紹介を行い、研究者の入場時には研究者ごとに異なる入場曲が流されるといった演出により、科学イベントとは思えないような雰囲気が作り出されていました。一方、講演の中身はいずれも真面目な研究紹介なので、遊び心と真剣さが交互に訪れて飽きることなく楽しむことができました。最先端の研究であるため、講演内容について詳細にご紹介することはできないのが残念ですが、いずれも気鋭の若手研究者による「萌える生物学」でした。 [caption id="attachment_208" align="alignnone" width="190"]academist 「萌える生物学」で発表したacademistのポスター[/caption] また、昼休みの時間を利用してポスターセッションも行われました。こちらは講演会と違って、プロの研究者や大学生だけでなく高校生や生きもの系同人イベント企画者、ペットショップ店員まで、非常に幅広い方々が自分の扱っている生物の萌えポイントや生態の面白さについて語り合うことのできる空間となっていました。筆者も萌える生物研究を行っているacademist挑戦者を獲得するべく、academistの宣伝ポスターを掲示させていただいたのですが、ほかの素敵な発表に気を取られてあまり宣伝できませんでした(笑)。 [caption id="attachment_207" align="alignnone" width="272"]名称未設定3 ポスター会場の様子。研究発表だけでなく、企業ブースもありました[/caption] 最初から最後まで遊び心にあふれ、それでいて真剣な萌えるイベントで、夢のような時間を過ごすことができました。 次回の開催は未定ということですが、開催されるのであればぜひ参加したいと思います。 * * * 本イベントの世話人の一人、飯田敦夫先生のacademistプロジェクトページ ・【お腹の中で子育てする魚「ハイランドカープ」の謎に迫る!】萌える生物学ウェブサイト]]> 185 0 0 0 絶滅の危機にある希少種がなぜか大量発生! - 生態系に改変をもたらす動物とは https://academist-cf.com/journal/?p=187 Fri, 16 Oct 2015 01:00:43 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=187 写真1 芦生の林床の様子。シカの食べないシダの一種に覆われています[/caption] 私が研究を行ったバイケイソウもそんな不嗜好植物のひとつです。 [caption id="attachment_219" align="alignnone" width="300"]写真2 バイケイソウの株[/caption] バイケイソウは京都府レッドデータブックでは要注目種に指定されており、京都府内では比較的珍しい植物でした。しかし、シカの増えた芦生研究林では、シカの食べないバイケイソウの姿が非常に目立つようになっています。今回は、そんなバイケイソウと、それを食べる昆虫のお話をします。

シカに嫌われても、昆虫に好かれる植物

2013年6月のある日、私の所属する研究室の高柳敦講師から「芦生のバイケイソウが何かに食べられている! 正体を突き止めてほしい」という依頼がありました。 先生から提示されたバイケイソウの写真を見てみると、葉は穴だらけ。 [caption id="attachment_220" align="alignnone" width="300"]写真3 バイケイソウの食害の様子[/caption] 株によっては葉が完全になくなり、茎しか残っていないものもあります。おそらくバイケイソウを食べていると思われるイモムシもたくさん見つかったとのことなので、持って帰っていただきました。そのイモムシを観察してみると、一見してハバチの幼虫であることがわかります。 [caption id="attachment_221" align="alignnone" width="300"]写真4 ハバチの幼虫[/caption] 植物を食べるイモムシはチョウやガの幼虫が有名ですが、ハチの仲間であるハバチの幼虫もイモムシのような形態をしています。つぶらな瞳をしており、一部の虫好きの間でその可愛さは有名となっています。しかし、これだけでは種の同定はできません。正確に種を同定するには、何としても成虫を捕まえる必要があります。ハバチの仲間は重要な森林害虫が多いため、種によっては生活史が詳しく研究されています。ハバチの成虫は春に発生するものが多いとのことなので、このハバチも春に発生するかもしれない……。そう予想して、翌2014年5月中旬に芦生に行ってみました。果たして、無事に成虫を採集し、バイケイソウを食い荒す生き物の正体を突き止めることはできたのでしょうか?

希少な植物を食い荒らす虫の正体は?

2014年の5月、私は高柳先生とともに芦生に向かいました。そこでは葉を開いたばかりの新鮮なバイケイソウが群生し、とても美しい風景が広がっています。バイケイソウに近づいてみると、何やら黒とオレンジの小さな昆虫が株の周りを飛び回っているではありませんか。予想どおり、昆虫の正体はバイケイソウハバチでした。 [caption id="attachment_222" align="alignnone" width="300"]写真5 バイケイソウハバチの成虫[/caption] 本種はもともととても珍しい昆虫で、2014年当時、近畿地方では兵庫県と三重県で1カ所ずつしか見つかっていませんでした。当然、京都府で発見されたのは初記録です。しかも、バイケイソウの株の多い場所では無数の成虫が飛び回っています。試しにバイケイソウの地上茎の数に対するハバチの個体数を調べてみたところ、成虫は地上茎が増えるに従って、指数関数的に増加していることもわかりました。もともと希少種だったはずの昆虫がこんなにたくさん見られるのか……とても大きな感動を覚えました。 さらに、6月にも芦生を訪れたところ、バイケイソウの葉や茎の上には幼虫がいっぱい…! 食害のひどい場所では、葉がほとんど残っておらず茎も食痕だらけでした。 [caption id="attachment_223" align="alignnone" width="300"]写真6 食害のひどいバイケイソウの個体群。葉は完全に食べ尽くされています[/caption] バイケイソウはこの時期に開花茎を伸ばして花を咲かせるのですが、あまりにも食害がひどく開花茎を伸ばすどころではありません。もしかしたらバイケイソウの繁殖に何か影響を与えているのかもしれません。 こうした疑問を解決するために、9月に再々調査を実施しました。バイケイソウハバチの密度の高かった場所で、バイケイソウがどれくらい繁殖できたかを調べるためです。バイケイソウは秋にはすっかり地上部が枯れてしまうのですが、開花茎や果実は9月でもしっかり残っています。今回は各場所で残った開花茎や果実の数をひたすら調べました。結果は単純明快。やはりバイケイソウハバチの密度の高い場所は開花茎を伸ばす株が非常に少なく、また果実の数も少なくなる傾向にありました。 こうした現象のそもそもの要因は、シカに食べられないバイケイソウが増えたためです。したがって、もともと希少種であるはずのバイケイソウハバチの大発生は、シカの増加による生態系の改変がもたらした結果とも考えられます。 ひとまず、今回の研究紹介はここで終了となります。しかし、今後バイケイソウとバイケイソウハバチはどうなっていくのでしょうか。バイケイソウハバチの大発生がこれからも続くのか? その場合はバイケイソウの個体群にどのような影響を与えるのか? まだまだ興味が尽きません。数年後にまた芦生を訪れ、彼らの関係のその後を観察できたらと思っています。]]>
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「なぜ世界にはいろいろな言語があるのだろうか?」- 歴史言語学者によるプロジェクト始動! https://academist-cf.com/journal/?p=227 Tue, 13 Oct 2015 14:14:41 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=227 back2 10月13日、学術系クラウドファンディングサイトacademistにて歴史言語学のプロジェクトを開始しました。 ▶︎なぜ世界にはいろいろな言語があるのだろうか? 本プロジェクトのチャレンジャーは、国立民族学博物館・総合研究大学院大学の菊澤律子准教授です。菊澤先生は、ことばが変わっていくときに、どのような変化が起こり得るのか、起こりやすい変化と起こりにくい変化は何か、どうしたらことばの変化をたどることができるのか、そのようなことを研究する「歴史言語学」を専門としています。 現在、世界中で約7,000言語が使われていると言われています。歴史言語学者の仕事は、これらのことばの現在の状態を分析しながら、過去にどのような言語が話されていて、それがどのように分岐して現在のような形になったのか、科学的に推論することです。これまでは、ことばの遺伝子ともいえる「発音」に注目した研究が行われてきたのですが、主語・動詞・目的語の語順をはじめとする文法的特徴など、単語レベルを超えたことばの特徴の変化を知る手段には、まだ結びついていません。 今回、菊澤先生は「ことばの遺伝子配列」に注目した研究を進めることを目的として、クラウドファンディングに挑戦します。できるだけ系統が近い言語を対象とするため、数多くの方言があるフィジーに着目して研究を進める予定です。得られた研究費は、主に現地の学生さんの人件費に使われます。フィジーでは、働きながら大学へ通う学生が多いため、言語学科の学生にとっては、専門に直接かかわる仕事をして、専門知識を身に付けながら学費を稼ぐことができる、他にないチャンスとなります。 支援者へのリターンとして、「学生さんからのお礼のメッセージ&ポストカード(1,000円)」や「今回研究で利用する予定のフィジー語諸方言のデータ(10,000円)」などが用意されています。 【募集期間】2015年10月13日〜2015年12月12日]]> 227 0 0 0 化石はわずか数週間で形成される!? - 研究チームの学芸員さんに真相を聞いてみた https://academist-cf.com/journal/?p=251 Tue, 27 Oct 2015 02:00:26 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=251 「化石」と聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。アンモナイト? 三葉虫? アンモナイトの化石は、日本でも北海道などで見つけることができるんだそうです。そしてその化石は、アンモナイトが謎のボール状の塊に包まれた状態で発見されることが多いんだとか。 だから化石の専門家は、まずこのボールを探し、これを割ってアンモナイトをゲットするわけなのですが、このボールが一体どうやってできているのかは、今までずっと謎のままでした。 今年の9月、「ツノガイ」という生き物の化石を調べることでこの謎を解き明かした論文が発表され、大きな話題となりました。 研究を行ったのは、名古屋大学の吉田英一 教授をリーダーとした個性豊かなチーム(吉田教授のほか、名古屋大学の山本鋼志 教授、氏原温 准教授、城野信一 准教授、丸山一平 准教授、南雅代 准教授、淺原良浩 助教、岐阜大学の勝田長貴 准教授、名古屋市科学館の西本昌司 博士、Quintessa社のRichard Metcalfe博士)です。 ……ん? 名古屋市科学館? そうなんです。研究メンバーのお一人である西本さんは名古屋市科学館の主任学芸員。なんと研究成功の鍵になった化石の実物も同科学館に展示されているとのこと。これは見に行くしかない! と、いうわけで、著者の白瀧が実際に名古屋市科学館にお邪魔して、西本さんにお話を聞いてきました。   [caption id="attachment_265" align="aligncenter" width="300"]2_seimei2F 名古屋市科学館の化石の展示室。賑わってます![/caption] [caption id="attachment_266" align="aligncenter" width="300"]3_unko うんこの化石とかあるんですけど![/caption] [caption id="attachment_264" align="aligncenter" width="300"]1_nishi_A 研究メンバーの西本さん、今回の成果について教えてください!「いいよ〜」[/caption] * * * OLYMPUS DIGITAL CAMERA 白瀧:こんにちは! 西本さん、ぜひ例の化石研究についていろいろ教えてください。   nishi 西本さん(以下、敬称略):はい、いいですよ。   OLYMPUS DIGITAL CAMERA白瀧:ありがとうございます! ええと、化石のでき方の謎が解けた、ということだったのですが。   nishi西本:アンモナイトとかの化石って、ボール状の塊の中に入って見つかることが多いんですけど、この塊のでき方が、これまでちゃんとわかっていなかったんです。今回の成果は、この塊がどうやってできるかを突き止めた、というものです。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA 白瀧:ボール状の塊、ですか……? ちょっとうまく想像できないなあ。   nishi西本:実際に見てもらったほうがいいかな。ここに展示してあります。アンモナイトはこんな感じ。  

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nishi西本:こんなふうに、アンモナイトが丸い石に入っていて、この丸い石ごと地面に埋まってることが多いんです。

  OLYMPUS DIGITAL CAMERA白瀧:へえ〜。アンモナイトがそのまま埋まっているわけではないんですね。   nishi西本:絶対そうっていうわけではないんだけど、でも生き物の形が綺麗に残っている化石はこういう丸い石に入ってるやつが多いです。この丸い塊はコンクリーションと呼ばれています。ノジュールという呼び方をすることもあります。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA白瀧:コンクリーションは、何でできているんですか。   nishi西本:土と炭酸カルシウムでできています。でも、何でできているかはわかっていても、今までこれがどうやってできているのかはよくわかっていなかった。今回の研究で、ツノガイの化石を調べたことでコンクリーションのでき方を明らかにすることができました。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA白瀧:あっ、これがその、ツノガイの化石ですか!?     6_hand nishi西本:そう。これがコンクリーションに入ったツノガイの化石です。これは割って断面が見えるようにしてあるやつですね。   OLYMPUS DIGITAL CAMERA白瀧:このヒョロッとしたやつが、ツノガイですか……。なんというか、シュールですね。     西本:実際に地面にこれが埋まってる様子とかね、凄いシュールですよ。現場の様子をnishi体感して欲しくて、埋まってる様子をできるだけ再現できるように、一番左側のやつはまわりの岩もたくさんついたままで展示してみたんだけど、伝わるかなあ……。   7_tuno   OLYMPUS DIGITAL CAMERA白瀧:えっ……これ、その辺の岩を割ったらこんなカニの爪のフライみたいなのが出てきたわけですか。   nishi西本:そうなんですよ。シュールでしょ。富山県の2000万年くらい前の地層から掘り出したんだけど、ハンマーで岩を割ると中からこれが出てくるの。   nishi西本:コンクリーションの部分は、まわりの岩に比べてすごく硬いんですよ。まわりの岩はサクサク掘れるんだけどね、コンクリーションに当たるとハンマーが跳ね返るんです。もう硬くて硬くて。でもこのコンクリーションが、化石を守る“タイムカプセル”になっていたんです。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA白瀧:タイムカプセルかぁ。ロマンチックですね。   nishi西本:今回の研究でわかったことはね、コンクリーションのでき方なんですけど、結局ね、ツノガイが死んで、ツノガイの柔らかい“身”の部分が溶けて土にじわじわ染み込んでいって、その染み込んだ部分が固まってコンクリーションになっていたんですよ。ツノガイの成分が土の中で拡散することで、球の形のコンクリーションができていたんです。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA白瀧:あっ、だからツノガイの殻の口の部分が、コンクリーションの中心になっているんですか!   nishi西本:そういうことだと思います。これだけ綺麗な球形の塊ができていて、球の中心部にだけツノガイの“身”が滲み出る部分があって、とてもシンプルに考えることができたことが、メカニズム解明の鍵になりました。サンプルのサイズも、ツノガイのコンクリーションは大きすぎず小さすぎず、解析するのにちょうど良かったんですよね。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA白瀧:なるほど。確かに、手のひらサイズで扱いやすそうですね(大きさも実にカニ爪フライのようであるなあ……じゅるり)。   nishi西本:実は、今回のもうひとつの大きな発見は、コンクリーションが数週間〜数ヶ月というとても短い期間のうちにできていたということなんです。世界中の誰も、こんなに素早くコンクリーションができているなんて思っていなかった。 nishi西本:で、この発見の根拠になった実験が、コンクリーションの“表皮”部分の厚みの測定だったんです。小さすぎるサンプルではこの実験がうまくできない。かといって大きすぎるサンプルは、解析が大変。ツノガイの化石は、本当にジャストサイズだったんです。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA白瀧:研究成功のポイントは、ツノガイの化石という良いサンプルを発見できたことだったんですね。   nishi西本:さまざまなバックグラウンドを持つメンバーが集まって、それぞれの得意分野を生かしながらコラボレーションできたことも大きなポイントでした。化石の専門家だけではなくて、地球化学の専門家や、コンクリートの専門家まで、本当にいろいろな人が集まって協力して、研究を進めてきたんですよ。これまでになかった異分野コミュニケーションが、新しい発見につながりました。   * * * なんでもコンクリートの専門家の方は、今回の研究でフィールド調査に目覚めちゃったんだとか。異分野コラボから始まった新しい研究。これからも研究チームの方々から目が離せませんね! なお、今回の研究成果を発表した論文は、誰でも読むことができる「オープンアクセス」形式になっています。英語でちょっと難しいけれど、「化石の研究論文ってどんなんだろう?」と思ったら、ぜひクリックしてみてくださいね! 【論文】 H. Yoshida et al. “Early post-mortem formation of carbonate concretions around tusk-shells over week-month timescales”Scientific Reports (2015) DOI: 10.1038/srep14123 【チームリーダー・吉田教授の研究室のWebサイト】 http://www.num.nagoya-u.ac.jp/dora_yoshida/  ]]>
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「カラス型ドローン」プロジェクトがメディアに掲載されました! https://academist-cf.com/journal/?p=298 Sun, 25 Oct 2015 04:46:59 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=298 カラス   先日スタートしたacademitプロジェクト「カラスと対話するドローンを作りたい!」のニュースがメディアに掲載されました! ・ねとらぼ カラスとおしゃべりするドローン! 鳴き声や動きでカラスを誘導するドローンカラス開発プロジェクト始動(2015年10月21日) ・マイナビニュース カラス型ドローンを作りたい! - academistでプロジェクトがスタート(2015年10月22日) また、チャレンジャーの末田航さんのインタビュー記事がエンジニアtypeに掲載されています。 ・エンジニアType 「IoTヨット」と「しゃべるドローン」の研究が人類の未来を変える!?テクノロジスト末田航氏の挑戦(2015年10月23日) クラウドファンディングのチャレンジは、12月19日までです。支援者の方々には、「カラスの羽ペン(5,000円)」や「VRゴーグルでカラスと一緒に空中散歩!視聴権(オリジナル観察キット付き)(10,000円)」をはじめ、「カラス肉の燻製を食べる調査特別参加枠(5名様分)(30,000円)」など、ここでしか手に入らないリターンが用意されているので、引き続きご注目ください! *** 【academistプロジェクト】カラスと対話するドローンを作りたい!]]> 298 0 0 0 魚の進化のメカニズムを解明したい!- 胎生魚とヒトに共通点はあるのか https://academist-cf.com/journal/?p=316 Fri, 06 Nov 2015 08:00:44 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=316 ハイランドカープの魅力について語る飯田さん[/caption] ヒトは、胎盤とへその緒を利用して、胎児に栄養を与えます。そのおかげで、胎児は母親のお腹の中で成長して、時が来たときに生まれます。しかし、飯田さんの研究するハイランドカープには、胎盤もへその緒もありません。それでは、彼らはどのようにして母親の体内で育っているのでしょうか。 ひとつのヒントは、「サメ」にあります。サメには、卵胎生と呼ばれる種類が存在し、その一種である「シロワニ」は、胎盤とへその緒を持ちません。シロワニの胎仔は母体から栄養を受け取れない代わりに、共食いをすることで栄養を得ています。 とはいえ、ハイランドカープが共食いをするかというと、そうではありません。ハイランドカープの胎仔は、へその緒からでも他の胎仔からでもなく、彼らの持つ「リボン」から栄養を吸収することで成長すると考えられています。 [caption id="attachment_320" align="aligncenter" width="300"] リボンの構造が目立つハイランドカープ胎仔。[/caption] 飯田さんは、およそ70年前の論文に書かれた「ハイランドカープの胎仔は、お尻にリボンを持ち、それを伸ばして栄養を吸収しているのであろう」という記述に興味を持ち、ハイランドカープの研究をはじめました。現在、ハイランドカープの妊娠から出産までの血中ホルモン量を計測し、ヒトのデータと比較することで、どのように胎生という特徴を獲得したのかを調べてようとしています。 そのためには、まずはハイランドカープを育てなければなりません。飯田さんは、日々ハイランドカープを水槽内で育てて、繁殖の様子を確かめています。 [caption id="attachment_319" align="aligncenter" width="300"] ハイランドカープが住む水槽。[/caption] 今回は出産のようすを見ることはできませんでしたが、一回の出産で、だいたい30匹程度を、丸一日かけて産むそうです。つまり、出産直前には、お腹のなかに全長1センチ強のハイランドカープの胎仔が30匹ほどうごめいていて、各々のリボンから栄養分を吸収しているということになります。 今後、繁殖のようすが把握できたタイミングで、各々の発達段階のハイランドカープから血液を抜き、そのなかに含まれる微量なタンパク質を検出することで、ホルモンの量を調べるそうです。もし、結果がヒトのデータに近ければ、へその緒や胎盤を持たないハイランドカープと、それらを持つヒトの母体において、妊娠を制御する共通の機構が適応されている可能性が出てくるというわけです。 飯田さんの研究のゴールは、魚の胎生獲得メカニズムを調べることで、魚の進化を解明することです。たとえば、ハイランドカープの属するカデアシ目には、卵生の種もいれば、胎生の種もいます。同じように、スズキ目のなかにも、卵生と胎生の種がそれぞれいるのです。つまり、胎生魚はさまざまな分類群に、独立して出現していると言えます。その数は約500種で、硬骨魚類全体の約2%に相当します。もしそうだとすると、胎生とは予想以上に獲得されやすい形質なのではないかと、飯田さんは考えています。 この研究が進んでいけば、進化の過程で「変化しやすい遺伝子」が見つかるかもしれません。それが見つければ、ハイランドカープの知見を他の魚の理解に適応させることができます。もし見つからないとしても、進化学の観点からでも大変面白いテーマであり、魚の理解を一歩進めたことになると飯田さんは語ります。 [caption id="attachment_318" align="aligncenter" width="300"] ハイランドカープぬいぐるみ、残りわずかです![/caption] 飯田敦夫さんのクラウドファンディング・プロジェクト、現在達成率54%、残り期間20日です。ぜひ、応援をよろしくお願いいたします!   *** academistのプロジェクトはこちらです。 【academistプロジェクト】お腹の中で子育てする魚「ハイランドカープ」の謎に迫る!  ]]> 316 0 0 0 地方の大学から研究を盛り上げる! - 未来の博士たちによる3分プレゼン大会 https://academist-cf.com/journal/?p=338 Mon, 09 Nov 2015 02:00:47 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=338 未来博士3分間コンペティション2015」のレポート記事をお届けします。 [caption id="attachment_339" align="aligncenter" width="225"]モデレーターはテレビでもおなじみの長沼毅さんです! モデレーターはテレビでもおなじみの広島大学学長特命補佐・長沼毅さんです![/caption] 「未来博士3分間コンペティション2015」とは、広島大学、山口大学、岡山大学など中国地方の大学で研究を進める37名の博士後期課程の大学院生が、自身の研究の魅力を3分で一般の人たちにアピールするイベントです。 [caption id="attachment_340" align="aligncenter" width="300"]IMG_8492 会場も豪勢です![/caption] 開会式を終えた後、早速「3分プレゼン」がはじまりました。通常のプレゼンテーションでは、発表内容をわかりやすくまとめたプレゼンシートを使うため、発表者はおおまかな話の流れを頭にいれておけば、流暢に話を進めることができます。しかし、今回のコンペティションでは、スライドは1枚しか使えません。 これはなかなか難しそうだと思いながら発表を聞いていたのですが、どの発表者も途中で詰まることはほとんどなく、ご自身の研究内容を見事にアピールされていました。総勢37名のなかから選ばれた最優秀賞は、「健康はシロアリから学べ!」というタイトルで発表されていた鳥取大学大学院連合農学研究科の田﨑英祐さんでした。一般的には、産卵数が多い生き物ほど寿命が短くなるらしいのですが、シロアリは産卵数も多く、約80年と寿命も長いそうです。将来的には、少子高齢化の日本が抱える問題の解決に結び付けていきたいと語っていました。 また、昼食後には、高校生と大学生によるポスター発表がビルの一角(!)で行われました。発表時間が短く、全ての発表を聞くことはできませんでしたが、学年や分野を超えて活発に議論がされていたように思います。 [caption id="attachment_341" align="aligncenter" width="300"]IMG_8494 中高生でにぎわうポスター発表会場[/caption] ポスター発表の後には、大学院を出た後のキャリアをテーマとしたパネルディスカッションが開催されました。ここでは私も登壇させていただき、事前アンケートで集められた質問事項に答える形で、約1時間にわたる議論を行いました。(ありがたいことに、academistを紹介する「3分プレゼン」の時間もいただけました!) アンケートでは博士後期課程の方々の抱える悩みとして
  • 生活費や研究費の心配
  • 就職先の心配
  • 研究で詰まるときの対処法
が挙げられていました。個別の経験はあくまでも特殊な事例なので、参考にはなるかは微妙ですが、「こういう選択肢もありなんだ!」ということを知ることが重要ではないかと思います。長沼毅さんのモデレーターとしての手腕が素晴らしく、終始笑いの絶えない、楽しく有意義なパネルディスカッションでした。]]>
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11月14日のサイエンスアゴラでトークセッションを開催します! https://academist-cf.com/journal/?p=352 Tue, 10 Nov 2015 02:00:54 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=352 日本科学未来館1階 アゴラステージC(事前予約は必要ありません。) [caption id="attachment_353" align="aligncenter" width="300"]サイエンスアゴラ2015公式HP サイエンスアゴラ2015公式HP[/caption] 情報技術の発展に伴い、オフラインだけではなく、オンラインで協働して研究を進めることが可能になりました。最近、オンラインで研究資金を募るクラウドファンディング「Experiment」や、人材を募るクラウドソーシング「Zooniverse」、情報が集約されるオープンアクセス誌が話題に上がることが多く、Githubなどの協働開発ツールも盛んに利用されています。日本でも同じような取り組みは行われているはずなのですが、オンライン協働の現状を研究者を交えて考える機会はなかなかありません。 そこで本企画では、各分野の現役研究者に各分野におけるオンラインコラボレーションの実例や可能性をご紹介いただき、実現までのプロセスを具体的に考えることで、新たな協働を生み出す契機となることを目指します。企画終了後には、研究者の方々は「自分の研究を進めるためにはこういう協働ができるかも!」と、一般の方々には「こうすれば研究者を効果的にサポートできるかも!」と感じていただき、次のアクションにつながる機会にできればと考えております。ぜひお越しいだけると幸いです。 【ゲスト研究者(50音順)】 ・榎戸輝揚氏:京都大学白眉センター/理学研究科 宇宙物理学教室 特定准教授 ・末広亘氏:京都大学農学研究科昆虫生態学研究室 博士課程 日本学術振興会 特別研究員(DC2) ・堀川大樹氏:慶應義塾大学先端生命科学研究所 特任講師 ・湯浅孝行氏:理化学研究所 基礎科学特別研究員 ・湯村翼氏:情報通信研究機構 サイバー攻撃対策総合センター 有期技術員/北陸先端科学技術大学院大学 情報科学研究科 博士課程 【ファシリテーター】 ・柴藤亮介:アカデミスト株式会社 代表取締役 ]]> 352 0 0 0 academistのリターン、現役研究者による博物館ツアーに潜入してみた https://academist-cf.com/journal/?p=362 Wed, 11 Nov 2015 02:00:46 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=362 tour こんにちは、academist Journal編集長の周藤です。みなさんは博物館や科学館に行くことはありますか? 私はときどきおもしろそうな特別展などが開催されていると見に行ったりするのですが、今回はacademistの「太古の海洋爬虫類モササウルスの眼の機構を調べたい!」というプロジェクトのリターンのひとつ、現役研究者による博物館同行ツアーに潜入してきたので、特別にその一部をレポートしちゃいます! ツアーが行われたのは11月3日。東京・上野にある国立科学博物館の常設展を同プロジェクトのチャレンジャー 山下桃さんに案内していただきます。なんとこの日は文化の日ということで、常設展の入場料が無料。たくさんの子どもたちでごった返していました。 約2時間のツアーのなかで一番印象に残ったのは、山下さんが研究されているモササウルス(トカゲ)の仲間「ティロサウルス・プロリゲル」と、クジラの仲間「バシロサウルス・ケトイデス」の展示でした。   [caption id="attachment_364" align="aligncenter" width="300"]mosa 「バシロサウルス・ケトイデス」(左)と「ティロサウルス・プロリゲル」(右)[/caption]   前者(画像右)は爬虫類、後者(画像左)は哺乳類なので、まったく別の生き物のはずなのですが、同じ環境で進化をしているため、とてもよく似た形をしています。しかし、頭や胴体の骨の形をよくみると、やはりそれぞれに特徴があります。たとえば、ティロサウルスは、下アゴの骨が前と後ろで分かれていますが、パシロサウルスのアゴはすべてつながった構造をしています。 [caption id="attachment_365" align="aligncenter" width="297"]ago1 ティロサウルスのアゴ[/caption]   [caption id="attachment_366" align="aligncenter" width="300"]ago2 パシロサウルスのアゴ[/caption] ヘビなどが獲物を丸呑みする動画をご覧になったことがある方もいらっしゃると思いますが、それはこういった爬虫類特有の下アゴ構造のなせる技なんだそうです。   [caption id="attachment_367" align="aligncenter" width="300"]ct マイクロCTスキャン室[/caption] さてここは、恐竜コーナーにある「マイクロCTスキャン室」です。山下さんは実際にこのCTスキャン室を化石の分析に利用しているとのこと。CTスキャナを利用すると、通常は標本を破壊しないとわからないような骨の内部構造や関節の断面などの様子がわかります。また、CTスキャナで撮影した画像から標本の形状をデジタルデータに変換することで、パソコン上で三次元の形が見れるようになるんだそうです。 今回案内してくださった山下さんは、さすが古生物学を専門に研究されているだけあって、展示の解説文や音声解説にはないような裏話や最先端の研究の話などを紹介してくださり、とにかく目から鱗が落ちまくりの2時間でした。現在進行中のacademistプロジェクト「新種のラプトルに名前をつけたい!」にも中国・北京での博物館ツアーのリターンがあるようですので、興味のある方はぜひ支援してみてはいかがでしょうか。現役研究者の方による博物館の解説、超おすすめです!]]> 362 0 0 0 生物進化の起源にせまる! - ELSIトークライブレポート https://academist-cf.com/journal/?p=372 Thu, 12 Nov 2015 01:00:11 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=372 SSF 生物はなぜ進化し、我々人間のような姿になったのかーー約5億万年前のカンブリア爆発直前〜カンブリア紀初期の地層から発見されるSmall Shelly Fossils、通称SSFと呼ばれる化石たちを調べることでこの謎を解き明かそうとしている東京工業大学地球生命研究所(ELSI)の研究員 佐藤友彦さんによるトークライブ「生物進化の起源にせまる!」が、11月3日に開催されました。 academistのプロジェクトページでもおなじみの付けヒゲをつけて、約40人の参加者の前に登場した佐藤さん。「なぜ生物は進化してきたのか、知っている人はいますか? わかる人がいたら僕にこっそり教えてください」と会場の雰囲気を和ませてから、とてもわかりやすく自身の研究について紹介してくださいました。 [caption id="attachment_373" align="aligncenter" width="232"]sato 東京工業大学地球生命研究所(ELSI)の研究員 佐藤友彦さん[/caption] カンブリア紀は、約46億年という長い地球の歴史のなかで最も急激に生物が進化し、現在生きている生物のすべての先祖が出揃った時代であるといわれています。現在はさまざまな研究者が、「三葉虫」や「アノマロカリス」といった当時の生物の化石を分析し、カンブリア爆発の謎の解明に努めていますが、佐藤さんは、その時代のどの生物よりも先に急激な多様化を遂げた「SSF」という化石のグループに着目しています。SSFが、どこでどのように進化したのか解明することで、謎に包まれたカンブリア爆発の「始まり」について明らかにしたいというのが佐藤さんの研究のモチベーションなのです。   [caption id="attachment_374" align="aligncenter" width="600"]Cambrian 「SSF」は、その時代のどの生物よりも先に急激な多様化を遂げている[/caption]   佐藤さんは中国の雲南省でのフィールドワークを中心に、SSFの化石がたくさん発掘されるという「リン酸塩岩」から構成される地層について調査しています。フィールドワークで岩石サンプルを採取し、研究室に持ち帰って酸で溶かしてSSF化石を抽出したり、切り刻んで岩石薄片にして堆積構造を調べたり、粉末にして化学分析を行い、どのような環境でSSFの進化が起きたのかを考察していくそうです。 また佐藤さんはSSFだけでなく、西アフリカ・ガボンにある21億年前の地層から発見された大型の化石についても研究を進めています。この大型化石が発見されるまでは、カンブリア大爆発が始まる6億年ほど前のエディアカラ紀に多細胞生物が出現したと考えられており、それ以前の時代には単細胞生物しか存在していないとされていたそうです。しかし、大きいもので体長十数センチほどあるガボンの大型化石は、それより遥か昔に多細胞生物がいた可能性を示すものになります。21億年前に一体何があったのか、生き物が大型化する要因は何なのか、佐藤さんはこの謎を解明しようとしています。 佐藤さんの研究に関する詳しい話は後日、インタビュー記事としてacademist Journalでお届けしますのでお楽しみに! トークライブ終了時には多くの参加者から質問やコメントが寄せられていましたが、私のような古生物の素人に対しても、言葉を選びながら誤解のないよう丁寧に解説してくださる姿がとても印象的でした。また佐藤さんの研究は、生物学、化学、地質学などの幅広い分野の知識が求められるものだと思います。これらの視点から「生命進化の謎を解き明かす」という大きなビジョンに挑んでやるぞ、という気概がひしひしと伝わってくるトークライブでした。  ]]> 372 0 0 0 盲目のシロアリはどうやって卵を数えているのか?【前編】 https://academist-cf.com/journal/?p=387 Fri, 13 Nov 2015 01:00:49 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=387 シロアリはすごい シロアリは名前に「アリ」と付いていますが、アリとはまったくちがう分類群の昆虫で、じつはゴキブリに近い昆虫です(アリはハチの近縁)。種によって異なるものの、多くは倒木など枯れた植物を食べて暮らしており、生態系の物質循環を支える重要な生物です。では、何故「アリ」と付いているのか。それは、アリに似た高度な社会を営む社会性昆虫だからです。シロアリの社会は、産卵を行う女王シロアリ、そのパートナーの王シロアリ、巣の防衛を担うソルジャー(兵隊シロアリ)、子育てや巣のメンテナンス、餌集めなどを担うワーカー(働きシロアリ)などで構成されており、人間社会と同様に分業を行うことで効率よく社会の運営を行っています。推計値ではありますが、地球上の植物と菌類を除くすべての生き物の体重をはかるとアリとシロアリで半分以上を占めると言われることもあるくらい、社会性昆虫は繁栄を極めています。   [caption id="attachment_389" align="aligncenter" width="300"]image00 シロアリの女王と王、ワーカー。お腹が大きいのは女王で、お腹の中はほぼ卵巣。[/caption]  

シロアリの弱点

しかし、そんな社会性昆虫にも弱点があります。それは、病気です。人間社会でも学校などの大勢の人が集まる空間では病気が一気に広まることがありますが、それはシロアリでも同じで、ひとつの巣に何万匹というオーダーで一緒に住んでいるシロアリ社会では病気が一気に広まりやすい状態であるといえます。加えて、シロアリ社会の巣の構成員は両親とその子供たちだけで構成されています。つまり、巣のメンバーどうしが遺伝的に非常に似ているため、病気への抵抗性も巣の構成員間で大きく違いません。一匹が感染すると巣全体に広まる可能性が非常に高いのです。特に免疫を持たない卵は病気に弱いため、ワーカーが頻繁に舐めてリゾチームという抗菌性のタンパク質を含んだ唾液で卵をコーティングすることで菌から守っていることが知られていました。しかし、シロアリはリゾチームを無駄づかいすることは出来ません。糖質が主成分である木材ばかりを食べるシロアリにとって、タンパク質は貴重な栄養素であるからです。実際に、ヤマトシロアリという日本のシロアリを使った私たちの研究により、野外でワーカーの唾液腺に含まれるリゾチームの量が巣の中に卵がある時期に増加し、無い時期には減少することがわかりました(Suehiro and Matsuura 2015)。  

眼が無いシロアリはどうやって卵を数えるのか?

分業を行っていない生き物は自分が産んだ子の数に応じて子育てに必要な物質を作れば良いですよね。しかし、シロアリは産卵する個体とそれを世話する個体が分業されています。つまり、ワーカーは自分で産んだわけではない卵の量を把握し、リゾチーム生産を調節する必要があります。実は、ヤマトシロアリのワーカーには眼がありません。生涯のほとんどを木の中や土の中という光のない空間だけで生活しているので、眼は退化して失われてしまっているのです。では、シロアリはどのようにしてリゾチーム生産の最小限の必要量を知っているのでしょうか。私たちは、眼の見えないシロアリがどうやって卵を数えてリゾチームの生産量を調節しているのか、引き続きヤマトシロアリを使って研究を進めました(近日公開の後編に続きます)。   [caption id="attachment_388" align="aligncenter" width="300"]image01 ワーカーと卵。眼のようにみえるのは、ただの「模様」[/caption]        ]]>
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巨大なナメクジWANTED! - 京大・宇高寛子助教が取り組む「ナメクジ捜査網」プロジェクト https://academist-cf.com/journal/?p=6920 Wed, 30 Nov -0001 00:00:00 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6920 雷雲プロジェクト」や、インターネットを通じて寄せられた画像をもとにマルハナバチの分布調査を行う「花まるマルハナバチ国勢調査」などの市民参加型の科学プロジェクトを紹介してきた。 そしてacademistでは今回新たに、外来種のナメクジの分布を調査する市民科学プロジェクト「ナメクジ捜査網」への支援募集を開始した。京都大学大学院理学研究科 宇高寛子助教らを中心として2015年に立ち上げられたこのプロジェクトでは、TwitterやWebサイトでの呼びかけなどを通じて外来種である「マダラコウラナメクジ」の目撃情報を集め、その分布を明らかにしようとしている。本稿では、長年ナメクジ研究に取り組んできた宇高助教に、ナメクジ研究の現状やナメクジ捜査網の詳細、そして今後の展望についてお話を伺った。 ——宇高先生は長年、ナメクジに着目されて研究を行われています。そもそも、ナメクジとはどういう生きものなのでしょうか。 ナメクジはカタツムリと同じ陸貝の仲間で、先祖は海に住んでいた巻貝です。この巻貝が陸に上がって生息するようになったのがカタツムリですが、陸上で貝殻のもととなる炭酸カルシウムを採ることはなかなか難しいので、進化の過程で殻をなくしたカタツムリがいます。これがナメクジです。日本語では「カタツムリ」と「ナメクジ」を区別していますが、実は区別していない国もあります。海外には、中途半端に殻が残っている"ナメクジとカタツムリの中間タイプ"も存在しているんです。 ——カタツムリの殻が退化してしまった陸貝を、日本ではナメクジと呼んでいるということですね。日本に生息しているナメクジについて教えてください。 都会で多く見掛けられるのは、体長5cm程度で背中に2〜3本の線を持つ「チャコウラナメクジ」です。チャコウラナメクジは、第二次世界大戦後に日本へ入ってきた外来種です。一方、田舎でよく見られるのが、「ナメクジ」という種類のナメクジです。こちらはもともと日本にいた在来種です。ナメクジと聞いてみなさんが思い浮かべるのは、おそらくチャコウラナメクジかナメクジのどちらかでしょう。 ほかにも、山岳地で見られる体長20cm程度の「ヤマナメクジ」、畑やビニールハウスなどで見られる体長2~3cm程度の黒っぽい「ノハラナメクジ」がいます。今のところ、日本全国でよく見掛けられるのはこの4種類だと思います。 ——宇高先生はナメクジに関して具体的にどういった研究を行われているのですか。 私はもともと、チャコウラナメクジを中心に研究をしていました。外来種であるチャコウラナメクジは、約50年で北海道から沖縄にまで分布を拡大したといわれています。チャコウラナメクジ移入前の日本では、キイロナメクジという別のナメクジが繁栄していたのですが、現在国内でキイロナメクジの姿を見ることはできません。このような種の変化がどのような過程で起こっていったのかは、まったく明らかになっていません。 50年というと、人間にとっては長く感じるかもしれませんが、ナメクジは素早く動いたり飛んだりできないうえに、日本の気候は沖縄から北海道まで幅広いことを考えると、変温動物の分布速度という意味では非常に速いといえます。なぜこのようにチャコウラナメクジが短期間で広範囲に分布できたのかということを、生理学的な観点から調べてきました。 ——ナメクジを研究するうえで、苦労されている点はありますか。 ナメクジの分類が進んでいないという、学問的な難しさがあります。分類学は生物学の基礎となる学問です。分類学が進んでいないと、同じ生物を研究しているつもりでも、実はぜんぜん違う種を見ていたということが起こり得ます。研究対象が何であるかということを明確にしてくれる分類学は非常に重要です。分類学はスキルと経験と知識が必要なので、一朝一夕でできるものではありません。私も分類学に精通しているというわけではないので、どうしたものか……と悩むときはありますね。 ——身近な生きものなのにもかかわらず、分類が進んでいないというのは意外です。 分類学に取り組むモチベーションのひとつに、収集の楽しさがあると思うんですよね。生物の差異を見て分類をするためには、まず対象となる生物を収集する必要がありますから。ただ、ナメクジはそもそも集めるということに向いていないんです。博物館の方に、ナメクジは展示をするのが難しいと指摘されたことがあります。展示が難しいということは、集めるのが難しいということです。カタツムリは殻が残るので、それを集めて展示することができますよね。しかも殻によってある程度分類することができるわけです。一方で、ナメクジは軟体部しかないため、アルコールやホルマリンの水溶液につけた液浸標本として展示するしかありません。しかしそれでは、なかなか集めて分類したいという気持ちになれないんですよね。 ——展示や収集をしたいかどうかが、殻の有無で決まってしまっているんですね……。 おそらく、一般の方の好き嫌いにも関わるのではないでしょうか。「カタツムリは好きだけど、ナメクジはダメ」という方は結構いらっしゃいます。殻の有無で親しみ具合がずいぶん異なっているんですよね。 子どもの頃に親しんだ人が多ければ多いほど、その生物のファンは多くなると思います。たとえば系統分類学など生物そのものを研究対象としている分野では、まずその生物のことを好きかどうかということが重要になりますので、ファンの数が多いということは、研究にとってもプラスになります。ナメクジはそういった部分で不利といえるのかもしれません。 ——一方で宇高先生は、一般の方からマダラコウラナメクジという外来種の目撃情報を募る「ナメクジ捜査網」というプロジェクトを進められています。お話を聞いていると、一般の方々にナメクジを探してもらうということは、なかなかハードルが高いという印象を受けますが、まずは、ナメクジ捜査網の概要を教えていただけますか。 2006年に茨城県でマダラコウラナメクジが見つかったという報告がありました。日本で発見されたのはこれが初の事例です。私はもともと外来種であるチャコウラナメクジの分布を研究をしていたこともあったので、この報告を聞いた際に、マダラコウラナメクジが今後どこにどのように分布していくのかを知りたいと思ったんです。 外来種がどのようにして分布を広げていくかを知るためには、今どこにいるか/いないかをきちんと把握しておく必要があります。マダラコウラナメクジの分布調査は、2006年以降も茨城県の博物館の方を中心とする研究チームによって進められてきましたが、全国的な調査を行うのは、人手や資金的な面から難しいといえます。そこで、マダラコウラナメクジの全国的な分布調査に対して一般の方々からの協力が得られないかということで、2015年に「ナメクジ捜査網」を立ち上げました。 [caption id="attachment_6923" align="aligncenter" width="600"] マダラコウラナメクジ。体長は大きいもので約20cmに達する。[/caption] ——ナメクジはどのようにして分布を広げていくのですか? はっきりとはわからないのですが、何かにくっついて移動していると推測されます。ナメクジは、民家の庭先や畑など私有地で見つかることが多いので、誰かが故意に持ち運んでいるというよりは、私たちが普段動かしているものに紛れて移動しているのではないか、と考えています。 マダラコウラナメクジが日本に入ってきて10年くらいになりますが、今後も徐々に日本全国へ分布が広がっていくと予想しています。分布は時間が経つにつれて変わっていくものなので、今この瞬間はもちろん、10年後20年後の状況を理解するためにも、長く継続して情報を積み重ねていく必要があります。 ——ナメクジ捜査網のこれまでの反響はどうですか。 マダラコウラナメクジ以外の目撃情報も含めると、2年間で約300件もの情報を寄せていただきました。徐々に現在のマダラコウラナメクジの分布が明らかになりつつあります。ナメクジ捜査網がきっかけとなって、家にナメクジがいるのに気づいたり、このナメクジはなんだろうと考えたりするようになったという声もいただくことがあります。 ——ナメクジについて興味をもってくださる方が増えたということですね。 まず、知っていただけるようになったということは大きな収穫です。知らないものは、好きにもなれないですしね。しかも外観が悪ければなおさらで、よく見ようとも思わない。ちょっとした嫌悪感から先に進めないんです。ナメクジ捜査網が、少しでもナメクジに興味を持ってもらえるきっかけになれば良いと思っています。 ——今回、新たにナメクジ捜査網のWebサイトを作るためにクラウドファンディングに挑戦されます。どのようなWebサイトにしたいと考えられていますか。 現在は、メールやSNSを通じてナメクジの目撃情報を提供していただいていますが、この方法では協力してくださるみなさんの心理的負担や手間が大きいという課題があります。Webサイトでは、ナメクジの写真と場所を入力してもらうだけで簡単に情報提供できるシステムを公開したいと思っています。また、結果を定期的にみなさんと共有できるようにもしたいですね。 海外では、Googleマップに紐付けて生物の分布を可視化するという取り組みも行われていますが、これをそのまま日本に導入するのは文化や慣習といった面から、少しハードルが高いと考えています。クラウドファンディングを通してみなさんのご意見を聞きながら、どういう形式で行うのが日本に合っているのか、探っていければと思っています。 ——この試みがうまくいけば、他の生きものの分布調査にも展開できそうです。 同じようなシステムは、ナメクジのようにマイナーな生物を研究しているさまざまな方が模索しているところだと思います。できればあまりお金や手間のかからない汎用的なシステムを作って、ナメクジ以外の生物にもこの取り組みが広がっていくことを期待しています。
京都大学大学院理学研究科 宇高寛子助教 プロフィール ★ここにプロフィールが入ります★
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カラスは食べられるのか!? - 私がカラス食を研究する理由 https://academist-cf.com/journal/?p=394 Tue, 24 Nov 2015 02:00:26 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=394 カラスは私たちにとって最も身近な野鳥のひとつです。彼らは人間の社会にうまく入り込んで生きているのですが、近すぎるがゆえに、人間とカラスの間にはたびたび摩擦が起きています。カラスにとっては、生きるための餌がそこにあるから食べているだけなのですが……

[caption id="attachment_580" align="aligncenter" width="600"] ごみ収集車に群がるカラス[/caption]

そんなカラスを減らそうと、日本各地では箱罠による捕獲が行われています。しかし、箱罠に捕まるカラスは、放っておいても自然淘汰されてしまうものがほとんどです。実際、捕獲されたカラスは、自分で十分な餌を確保できない1歳未満の個体ばかりで、彼らは餌の少ない冬に死んでしまうことでしょう。したがって、捕獲によりカラスの数が減るとは一概には言えません。

とはいえ、カラスに悩まされている人たちからすると、自分の生活が脅かされていることもあるため、とにかくカラスの数を減らしたいのです。ある畜産農家さんは、子供のように可愛がっているウシの目玉をカラスにとられるというような被害にもあわれたそうです。それらの人たちの感情を考えると、カラスを捕獲するなとは言えないですよね。

[caption id="attachment_581" align="aligncenter" width="600"] カラスを捕獲する箱罠[/caption]

しかしながら、箱罠による捕獲には多額のコストがかかり、捕獲後のカラスたちは殺処分されてしまいます。そこで私は、カラスを食資源として利用できれば有益なのではと考え、カラスを食用化するための研究をはじめました。

まず、有害駆除で処分されたカラスから胸肉を切り出し、調理してみました。まずはカラスそのものの味を確かめるために、塩コショウを振りかけて、フライパンでソテー。もぐも……硬っ! そして臭っ! なんじゃこりゃー。噛めば噛むほど吐き気が……ビールで流し込んでみましたが、なんとも厳しいお味です。

次は、胸肉を数日牛乳に漬け込むことに。何回か煮こぼした後、ブーケガルニなどを入れ、ビーフシチューならぬ、クロウシチューを作りました。まずはスープを。旨っ! 最高に旨いシチュー部分、ん、ちょっと普通のビーフシチューとは違った独特の風味が後からきますね。まあ十分いけます。肉もほろほろ。クロウシチューはいけました。周りの同級生や後輩にも食べさせましたが、旨い旨いと大好評。きっと彼らは美味しいビーフシチューと思って食べていたのでしょう。これはカラス肉だよと明かすと、とたんにスプーンは止まり……やはりカラスを食資源化する上では、カラスのイメージの問題は大きいようです。

[caption id="attachment_582" align="aligncenter" width="600"] クロウシチュー[/caption]

これまでの研究では、まずはじめにカラスの肉の安全性を調べました。その結果、ほんの一部の個体から有害物質が検出されたのですが、食べても問題ない程度の量でした。一方、栄養面では、鉄分やタウリンが多いうえに、高タンパク低脂肪、低コレステロールという素晴らしい食材です。

カラスは過去に、長野でろうそく焼きと呼ばれているつくねのような料理として食べられていました。また、韓国では滋養強壮の漢方、古典フレンチでは最高級食材だったそうです。また、30代から50代の主婦142人にアンケート調査を行ったところ、15%の主婦が「カラスを食べたい!」と回答したことから、現時点でもある程度の市場性があることもわかりました。これらのデータをもとに、試食会を兼ねた市民セミナーを行ったところ、安全面、栄養面、食べられていた例を話すことで、カラス食に対する考え方が良い方向に変化することがわかりました。カラスに限らずに、試験や調査の情報に基づく普及活動を行うことで、食資源としては想定されていない有害野生動物を有効利用することができるのです。そのなかでも、食材としてのポテンシャルが高いカラスは、良いモデルとなるはずです。

[caption id="attachment_583" align="aligncenter" width="600"] 鉄分の多い真っ赤なカラスの肉[/caption]

しかし、カラスの肉の市場化を行うためには、味が重要です。そこでカラスレシピの開発兼試食会を行いました。今回のメニューは真空低温調理、カレー、餃子、赤ワイン煮、燻製です。果たしてどれが受け入れられるのでしょうか?

まずは、真空低温調理です。塩味をつけ、真空パックした後、75度の低温にて60分ボイルしました。しっとりローストビーフのようです。ただちょっと臭みを感じます。あと、ちょっとボソボソしてますねえ。味付けがシンプルだとなかなか難しいかもしれません。改良の余地あり。

[caption id="attachment_584" align="aligncenter" width="600"] 真空低温調理したハシブトガラス(左)とハシボソガラス(右)の胸肉[/caption]

カレーにしちゃえばなんでも食える!ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、市販のカレールーで作った、いたって普通のカレー。特別なのは肉がカラスということだけ。さすがカレーですね。なんでも美味しくなります。いつものカレー。ただ、肉がちょっと硬いところが気になります。

[caption id="attachment_585" align="aligncenter" width="600"] カラスカレー[/caption]

肉が硬いなら挽いてしまえ!にんにくたっぷりで臭みも消せる餃子はどうだ!ただ、カラスの肉は脂がほとんどない肉ですので、豚の脂身も一緒に挽きました。ニラやキャベツなど、みじん切りした野菜と共にまぜまぜ。皮で包んでホットプレートで焼きました。全く臭みを感じない。挽いてあるから硬さもクリアー。大変美味しくいただけましたが、これは反則ですよね……。

[caption id="attachment_586" align="aligncenter" width="600"] カラス餃子[/caption]

タマネギ、セロリなどの野菜と共に、ローリエなどのハーブも入れた本格派赤ワイン煮。半日グツグツと煮込みました。これは高評価。肉が多少ボソボソする感はありますが、ソースのうまさでカバー。でも手間がかかりますね。

[caption id="attachment_587" align="aligncenter" width="600"] カラス肉の赤ワイン煮[/caption]

カラスの胸肉を一口サイズに薄切りにし、塩コショウで味を付けます。その後、脱水シートで包み、冷蔵庫で半日保存。桜のチップで1時間程度燻せば、燻製の出来上がり。これはかなり高評価。そして調理も簡単。保存もきく。これでいきましょう!

[caption id="attachment_588" align="aligncenter" width="600"] カラスの燻製[/caption]

どうやら、燻製がカラスに適した調理法のひとつのようです。高タンパク、低脂肪、低コレステロール、おまけにタウリンや鉄分が豊富なカラス肉。ぜひみなさんも試してみませんか?

現在チャレンジ中のクラウドファンディングプロジェクト「カラスと対話するドローンを作りたい!」のリターンのひとつにカラスの燻製が食べられるチャンスがありますので、ぜひご支援をご検討ください!

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カンブリア爆発の謎を「リン鉱石」から解き明かす! - ELSI 佐藤友彦 博士 https://academist-cf.com/journal/?p=411 Wed, 25 Nov 2015 02:00:29 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=411 カンブリア爆発と呼ばれる”進化の大爆発”の謎を解き明かしたい!」と2014年12月、academistでクラウドファンディングに挑みました。 [caption id="attachment_414" align="aligncenter" width="405"]satosann02 研究をアピールする佐藤さん[/caption]   今、地球には、さまざまな姿をした生き物がいます。私たちヒトのように背骨で体を支える動物や、背骨は持っていないけれど体のまわりに殻を持ったエビやカニのような生き物など……。太古の昔、約6億年前の地球では、生き物はこのようにさまざまな姿をしていたわけではありませんでした。身体全体が柔らかく、海底にへばりついたり水中を漂ったりしながらまったりと暮らす生き物ばかりの時代が、長い間続いていたのです。 しかし、カンブリア紀と呼ばれる約5億4000万年前の時代に、背骨のもとになる構造を持った生き物や、様々な形の殻を持った生き物など、多種多様な形をした生物が、一気に、そして大量に出現したのです。この爆発的な生き物の形の多様化は「カンブリア爆発」と呼ばれています。 いったい、この時代に何が起こっていたのか。どうやってカンブリア爆発は起きたのか−−その謎を解明するためのヒントが佐藤さんの研究ターゲットとなる「Small Shelly Fossils(通称:SSF)」です。SSFは、カンブリア爆発の始まりの時代に真っ先にさまざまな進化を遂げた小さな殻をもった生き物たちの化石のことをいいます。 [caption id="attachment_416" align="aligncenter" width="300"]ssf いろんな形のSSF。どれも小さい![/caption] SSFは1mmくらいの大きさで、さまざまな生物のグループが含まれており、SSFに続いて出現した三葉虫やアノマロカリスなどの身体の一部が含まれている可能性もあるそうです。カンブリア爆発の謎を解く鍵が、きっとここにあるはず! 佐藤さんはカンブリア爆発の「始まり」がどのように起こったのかを、SSFの調査から解き明かそうとしています。 クラウドファンディングに成功し、今回そのリターンのひとつでもあるサイエンスカフェでご自身の研究について熱く語られていた佐藤さん。普段ご研究をされているという新築ピカピカのELSIの内部に著者の白瀧が潜入して、お話をうかがいました。 [caption id="attachment_415" align="aligncenter" width="300"]satoworld 佐藤さんのご案内で、ELSIに潜入です![/caption]   * * * shirataki_icon 白瀧:SSFとの出会いは、何がきっかけだったんですか。     sato_icon佐藤さん(以下、敬称略):もともと自然科学が好きだったんですが、大学の3年生のときに実習でアメリカのグランドキャニオンに現地調査に行ってスケールの大きさに感動し、地球科学の道に進むことに決めました……というのは、サイエンスカフェでもお話させていただきましたね。   [caption id="attachment_429" align="aligncenter" width="300"]unnamed グランドキャニオンで感動し、思わずジャンプする佐藤さん[/caption]   sato_icon佐藤:研究室に入って、最初は今とは少し違うテーマの研究をしていたんですけど、あるとき僕の先生と共同研究をしていた方が使わない地層サンプルの一部をくれたんです。当時の自分の研究でターゲットにしていた時代の地層サンプルだったし、せっかくだからと思ってその頂いたサンプルを分析してみたら、SSFがいっぱい出てきた。おっ、これは!? となりました。   shirataki_icon白瀧:へえ、偶然の出会いだったんですね。その後、博士課程のころから、佐藤さんご自身が実際に中国に行かれるようになり、研究も本格的になっていった……と。SSFの研究は、どのあたりの地域で調査をされたんですか。   sato_icon佐藤:南中国の澄江(チェンジャン)というところです。中国といっても北京や上海などからは遠くて、むしろミャンマーやラオスに近い地域ですね。ここは世界最大の、リン酸塩岩の地層がある場所なんです。   shirataki_icon 白瀧:リン酸塩岩……ですか。リンを含む石、ということですね。     sato_icon佐藤:はい、そうです。リン鉱石とも呼ばれていて、肥料にも使われていますし、昔は火薬の原料などにもされていた石です。リンの岩石ってあまりないんですけど、チェンジャンには本当に大きなリン酸塩岩の地層があって。実はチェンジャンは、史上最大の”リン酸塩岩堆積事件”が起きたと考えられている場所なんです。   sato2   sato_icon佐藤:最初に解析したSSF入り地層サンプルにもリンが含まれていたので、”リン酸塩岩堆積事件”がSSFの進化になにか影響を与えていたかもしれないと考え、チェンジャン周辺のリン酸塩岩の地層をかたっぱしから見てまわりました。   shirataki_icon 白瀧:か、かたっぱしから、ですか!?     sato_icon佐藤:はい。たくさん見てまわりました。地層の近くの村の、村長さんのお家に泊めてもらって、村長さんに現場の地層を案内していただいたりもして。リンって肥料になるから、畑づくりをされている村長さんは、リンが多く含まれている地層がどこにあるのか、とてもよくご存知だったんです。   shirataki_icon 白瀧:なるほど。現地の方々のご協力も重要だったんですね。     sato_icon佐藤:そして地層を丁寧に調べているうちに、どうもリンの量が多い部分にSSFがたくさん存在しているらしいぞ、ということが見えてきました。   sato1   sato_icon佐藤:さらに、リンが多い部分というのは、岩石中の粒子が、大きくてゴツゴツしているということもわかったんです。川をイメージしてもらえますか? 上流は石が大きくゴツゴツしているけれど、下流ほど石が削られて小さく、丸くなっていますよね。SSFは海に住んでいたと考えられるのですが、海といっても深い場所ではなく、浅瀬に住んでいただろうということが明らかになりました。   shirataki_icon 白瀧:SSFは、浅い海のリンのたくさんある場所に住む生物だった、ということですか。     sato_icon佐藤:はい、そうです。SSFはリンの溜まりやすいとても浅い海……おそらく、奥まった海岸の砂浜のようなところに住んでいた。そこで小規模な土砂崩れが繰り返し起こり、海の中の浅いところで次第にそれが積もり積もって、今の地層になったんだと考えています。カンブリア爆発の始まりの時代に、SSFの多様化が閉鎖的な浅い海で起きた、というのは、ほぼ確定的です。   shirataki_icon 白瀧:では、まだわかっていないことというのは……?     sato_icon佐藤:リンがどこから来たのか? ということです。一般的に、リン酸塩岩はリンを多量に含んだ水が深海から上がってくることで出来るといわれています。でも、SSFは浅瀬に住んでいて、そこにあるリンが深海由来だとは考えにくかった。だから僕は、深海ではなく火山由来のリンが怪しいのでは? と睨んでいます。それをはっきりさせるためにもう一度、中国で調査をしたいんです。   shirataki_icon 白瀧:あっ、それが、クラウドファンディングの際におっしゃっていた調査なんですね?     sato_icon佐藤:はい! たくさんの方のおかげで、クラウドファンディングをサクセスすることができました。早く研究を進めて、また良いご報告ができるよう、頑張ります!     * * * お話のあとにELSIの出口まで送っていただいたところ、佐藤さんから豆知識を教えていただきました。なんとELSIの出口の床には、微生物の化石である「ストロマトライト」と呼ばれる岩石がはめ込まれていて、ちょっとした見所なんだそうです。 [caption id="attachment_412" align="aligncenter" width="300"]IMG_6076 床に並べて敷かれたストロマトライトについて語る佐藤さん[/caption] 最後の最後まで、佐藤さんの地球科学への情熱をひしひしと感じさせられたのでした。 現在、SSFの研究を進めながら、ガボンの大型化石という新たなテーマにもチャレンジしようと準備を進めている佐藤さん。生物進化という大きな謎にさまざまな化石から挑む彼を、私たちも応援しています! 【佐藤さんのSSF論文】 T. Sato et al. “A unique condition for early diversification of small shelly fossils in the lowermost Cambrian in Chengjiang, South China: Enrichment of phosphorus in restricted embayments” Gondwana Research (2014) DOI: 10.1016/j.gr.2013.07.010]]> 411 0 0 0 「正常細胞ががん細胞を駆逐するメカニズムを解明したい!」〜がんの予防的治療の確立を目指したクラウドファンディング・プロジェクト始動!〜 https://academist-cf.com/journal/?p=431 Thu, 26 Nov 2015 02:00:50 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=431 正常細胞ががん細胞を駆逐するメカニズムを解明したい! チャレンジャーは、北海道大学遺伝子病制御研究所分子腫瘍分野の藤田恭之教授です。これまで藤田教授は、がんの超初期段階では正常細胞は隣接するがん細胞の存在を認識し、それらを駆逐する能力があることを明らかにしてきました。しかしながら、このがん排除機構にどのような分子が関わっているのかについては、まだ解明されていません。 そこで本研究では、さまざまなスクリーニング手法を用いて、正常細胞とがん細胞の境界で正常細胞側およびがん細胞側において、どのような分子が細胞間の認識機構やがん細胞の排除に関係しているのかを明らかにすることを目指します。これにより、これまでがん研究のブラックボックスであった「がんの超初期段階で何が起こっているのか?」という謎に迫ることが期待できます。 さらに、それらの分子の機能を制御する薬剤を開発することで、「正常細胞ががん細胞を排除するメカニズムを活性化する、あるいはがん細胞が正常細胞からの排除を免れるメカニズムを不活性化する」という、がんを取り巻く細胞の社会性を利用した、全く新しいタイプのがん予防・治療法の確立を目指します。 今回のクラウドファンディングで集めた研究費は、細胞を培養するための試薬費・各種スクリーニングにかかる費用や同定したタンパク質に対する抗体の作成費用として使われる予定です。また、支援者へのリターンには、「オリジナル画像、学会講演資料(3,000円)」や「オリジナル白衣、研究室特性Tシャツ、オリジナル画像、学会講演資料(解説付き)(30,000円)」などが用意されています。 【募集期間】2015年11月26日〜2016年02月26日 【支援サイト】academist(アカデミスト)https://academist-cf.com/]]> 431 0 0 0 農薬に頼りきらない害虫防除に向けて https://academist-cf.com/journal/?p=436 Tue, 29 Dec 2015 01:00:30 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=436

未だに害虫被害はなくならない

農作物を食べてしまう害虫は、農家に大きな損失をもたらす厄介な存在です。その被害を少しでも減らすために最も普及している対策が、農薬です。農家は、農薬を使うことでターゲットとなる害虫を確実に殺し、農作物を守り、それにより収入が安定することを期待し、毎年多くのお金を使って農薬による害虫防除を行っています。しかし、実際には害虫被害は一向になくなりません。 たとえば、稲穂が出たばかりの頃にカメムシが米粒の汁を吸ってしまうと、吸われた部分は黒く変色してしまいます。カメムシ被害をもたらすカメムシは一般に“斑点米カメムシ(以降「カメムシ類」とする)”と呼ばれます。日本では、こうした規格外のお米が1000粒(お寿司およそ2貫分)に2粒入っているだけでお米の取引価格が大きく下がってしまうため、農家さんもカメムシ防除には必死です。それにも関わらず、米の一大生産地である宮城県では、今でも毎年のように深刻なカメムシ被害がでています。 [caption id="attachment_438" align="aligncenter" width="300"]fig1 斑点米カメムシ類の代表種であるアカスジカスミカメムシと斑点米[/caption]

西日本では、ウンカ被害が大変深刻な問題です。ウンカは稲の株元で茎の汁を吸い、稲そのものを枯らしてしまいます。坪枯れが大規模になると大きな被害をもたらしてしまいます。そのため農家は農薬を用いて必死にウンカの防除を行っています。それでも、平成25年度には西日本において9万ha以上(西日本の水田の約20%に相当)におよぶ水田でウンカの一種であるトビイロウンカによる坪枯れが発生してしまい、100億円を超える農業被害額が出てしまいました。

[caption id="attachment_439" align="aligncenter" width="300"]トビイロウンカにより坪枯れ被害にあった水田 トビイロウンカにより坪枯れ被害にあった水田[/caption] 農薬を散布しているにも関わらず、どうして害虫被害はなくならないのでしょうか? 農薬は、メーカーや国の検査機関などによって試験が行われ、殺虫効果が保証された商品が市場に出回っています。試験では、実験的に作った害虫を放った小さな農場で農薬を散布した後に害虫の個体数がどの程度変化したかを調べています。こうした試験を通過しているにも関わらず、実際の農地では十分な害虫防除効果が得られていないのは、実際の農地に試験場にはない何らかの条件が存在するからであると考えられます。そこで、本稿では考えられる条件のうち、特に「農地の周辺環境」と害虫との関係に着目し、農地の周辺環境が害虫の生息地や逃避地といった重要な役割を担っており、害虫の個体数維持にも大きく貢献している可能性について考えてみます。

周辺環境は農薬の効果に影響を及ぼすか

害虫が減らない理由として、農薬の影響が及ばなかった場所にいた害虫が農薬散布後に移入してきているため「見かけ上」害虫の個体数が減っていない、という可能性が考えられます。これを検証するには、まず害虫にとっての農地に代わる生息地が周辺に多いほど水田内の害虫個体数が多くなる、といった傾向を確かめる必要があります。

[caption id="attachment_440" align="aligncenter" width="300"]農薬散布後の害虫個体数の変化の概念図
 農薬散布後の害虫個体数の変化の概念図[/caption] そうした研究は、カメムシ類で多く行われています。東京大学の高田まゆら准教授らが行った研究では、周辺にイネ科雑草の繁茂する休耕地が多い水田ほどカメムシ類の個体数が多くなることが示されました(Takada et al. 2012)。同様の結果は、国立環境研究所の吉岡明良研究員によっても示されており、さらに吉岡研究員はイネ科雑草の中でも特にどの種類が斑点米カメムシ類に好まれるかまで明らかにしています。 両氏は以上の結果をもとに、「カメムシ類被害の効果的な防除には代替生息地となる休耕地などのイネ科雑草群落を特定し、そこの刈り取りを稲の出穂までに数回あるカメムシ類の発生ピークに合わせて行うこと」を推奨しています。一般にカメムシ類は夏に近づくにつれ個体数が増加していくので、なるべく少ないうちに生息地もろとも駆逐してしまおうという考え方です。 しかし、カメムシ類以外の稲の害虫が水田以外のどんな生息地に生息できるのかは十分に調べられていませんでした。そこで私たちは、農作物被害が大きいにも関わらず未だ生態があまり分かっていないウンカ類において、どんな環境で個体数が多くなるかを調査し、水田以外の生息地を調べることにしました。候補として考えていた環境の中で、ウンカ類個体数と最も強い関係性を示したのが以下の図の結果です。 [caption id="attachment_441" align="aligncenter" width="300"]水田から森林までの距離とウンカ類個体数との関係 水田から森林までの距離とウンカ類個体数との関係[/caption]

横軸は「水田から森林までの距離」、縦軸は「ウンカ類の個体数」を表しています。この結果から、「森林に近い水田ほどウンカ類の個体数が多くなる」ことがわかります。したがって、少なくとも森林に近くなるほど増加する何らかの要因が、ウンカ類の個体数に影響を与えていると思われます。今後は上述のカメムシ類のように、具体的にウンカが森林内のどのような環境に棲み、何を食べているのかを詳細に明らかにし、ウンカ類の個体数の低減につながるような管理手法につなげてゆくつもりです。


より効率的かつ自然に優しい農業に向けて

これまでの研究を通じて、農薬だけでなく農地の周辺環境も害虫をコントロールする上で重要であることがわかってきました。したがって、ただ闇雲に農薬を散布するのではなく、ターゲットとなる害虫の生態を理解し、害虫の生態にあわせた周辺環境の管理などの農薬以外の選択肢も考慮した、効率的かつ効果的な環境管理手法を織り交ぜていく必要があります。さらに、近年は農家の高齢化や農村地域での過疎化が深刻化しています。つまり、農地管理にかけられる労力の総量が減っているということです。そのため、より効率的な農業を営むという観点からも、害虫防除を工夫していく必要があります。 言うまでもないことですが、自然は単純ではありません。害虫が増減する条件を理解するうえで、害虫に影響を及ぼす周辺環境だけではなく本稿では触れなかったさまざまな要因にも注目していく必要があるでしょう。また、そうした害虫の増減を左右する要因が明らかになったとしても、現場で害虫防除に応用できるまでにもクリアしなくてはならない課題は数多くあります。しかし、産学官民(産業界・学術研究機関・行政・民間)でしっかり連携をとることができれば、その限りではないと筆者は考えています。 とくに重要なのは、次の2つでしょう。 ひとつめは「必要な研究にお金を回せる仕組みの整備」です。先に挙げた研究課題を実行するには、時間だけでなくお金も必要です。しかし、上述のような研究への資金は不足しがちなのが現状です。したがって、資金を必要とする機関あるいは人に、必要十分な資金を供給できる仕組みを作る必要があります。 2つめは、「研究成果を積極的に現場にフィードバックできる仕組みの整備」です。その際、研究の推進に加え、研究を理解し現場の農家に技術指導できる人材の配置も必要と言えるでしょう。なぜなら、(少なくとも農学的研究においては)研究成果が得られても、それを現場の人が理解し、実践できなくては研究の意義は半減してしまうからです。 そうした仕組みの実現には、産学官民での双方向なコミュニケーションが前提となります。たとえば研究者が成果を出したら、それをJAや農家の代表など、地域や集落でリーダー的存在にある主体が理解し、各農家に技術を伝達する。現場レベルで何か問題が生じれば、JAや研究者にすぐフィードバックされ、改善策が議論され、必要に応じて追加研究が行われる。そうした連携が必要になるでしょう。こうした連携を形成するには、Win-Winの関係をいかにお互いに認識できるかが重要になると、筆者は考えています。 したがって、これまで以上に研究者と現場の農家やJAなどが積極的に対話を行っていく必要があります。その際にカギとなるのは、研究者がコンサルタント的役割を担うことだと思います。自身の研究成果を説明するだけでは、現場の人には受け入れてもらえません。現場を理解したうえで、「どんな管理をすればより良い農業が実現できるか」といったインプリケーションまでを含めた成果をどれだけ提供できるかが、今後の密な関係を形成していくために重要になってくるでしょう。 以上を通じ、積極的かつ丁寧に「新たな知見」を積み上げていけば、より早い段階で、効率が良く環境負荷も小さい害虫防除法を確立できると、筆者は信じています。

引用URL:

図1 ・斑点米カメムシ類の発生状況と防除対策

図2 ・農林水産省ホームページ/平成25年産水稲におけるトビイロウンカの被害発生状況について愛知県あいち病害虫情報

引用文献:Takada et al. 2012. Multiple spatial scale factors affecting mirid bug abundance and damage level in organic rice paddies. Biological Control, 60, 169-174.

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盲目のシロアリはどうやって卵を数えているのか?【後編】 https://academist-cf.com/journal/?p=443 Mon, 30 Nov 2015 02:00:03 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=443

卵量シグナルの正体は?

前回ご紹介した研究で、眼の見えないシロアリが「何らかの方法で卵の量を知り、リゾチーム生産量を調節している」ことがわかりました。そこで、次の研究として「どのような方法で卵の量を知るのか」に挑みました。シロアリは眼が見えない代わりに匂いなどの化学物質や音を使って互いにコミュニケーションをとり、情報交換を行っていることが知られています。卵が音を出すというのは考えにくいので、私たちは「匂い」に注目して研究を進めました。

女王フェロモン

ヤマトシロアリの卵から出ている匂い物質として、「女王フェロモン」というものが知られています。卵から出ているのに「女王」という名前なのは少し違和感があるかもしれませんが、この女王フェロモンは卵だけでなく女王も放出していて、新しい女王が生まれ過ぎるのを抑制したりする機能があることが知られていた物質です。それゆえに女王フェロモンと呼ばれています(ヤマトシロアリは巣の成長とともに女王の数が増えます)。それ以外にも、卵の位置を示したり、カビの成長を抑制したりするという機能が知られています。そこで、ヤマトシロアリのワーカーに卵を与える、女王フェロモンを嗅がせる、何も与えない、の3つの処理を行った後リゾチーム生産量を比較してみました。すると、女王フェロモンを与えたワーカーと卵を与えたワーカーは何も与えなかったワーカーよりも抗菌タンパク質の生産量を増加させることがわかりました。やはり、ヤマトシロアリのワーカーは女王フェロモンを感知してリゾチーム生産量を調節していたのです。女王フェロモンは卵からも放出されている物質であり、卵の数が増えれば濃度を増してゆくことから卵量を示すシグナルとして機能していたのです(Suehiro and Matsuura 2015)。   [caption id="attachment_444" align="aligncenter" width="300"]003 ヤマトシロアリは卵を数か所にまとめて世話する[/caption]

節約志向のシロアリ社会と、進化の謎

先述のように、女王フェロモンは卵量シグナルだけでなく、卵の抗菌、卵の位置シグナル、次の女王抑制などさまざまな機能を持つ物質です。実は、卵の保護物質であるリゾチームは、ワーカーが卵を卵であると認識するためのフェロモンとしての機能も持っています(ヤマトシロアリはリゾチームを塗ったガラスビーズも卵だと思って世話してしまいます)。このように、シロアリの社会では可能な限りひとつの物質を多くの目的に用いることで栄養に乏しい環境中でも高度な社会を維持しているのです。 この女王フェロモンという物質は、最初は単に卵が自身を守る抗菌物質だったかもしれません。それが子育て行動をする際に母が自分の産んだ卵の場所を知るためのシグナルとしての機能、女王とワーカーの分業が進化するにともなって卵量シグナルとしての機能を、そして巣の規模が拡大し複数の女王で巣を維持するようになると女王数抑制機能、というふうに社会の高度化にともなって様々な機能を付加していった可能性があります。このようなひとつの物質を多様な目的に用いる仕組みは、昆虫においてどのようにして高度で複雑な社会が進化したのかという謎を明らかにする重要な鍵にもなるのです。   [caption id="attachment_446" align="aligncenter" width="300"]004 ヤマトシロアリの進化とフェロモン物質の多機能化(予想)[/caption]]]>
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カエデの葉を巻く不思議な蛾「ハマキホソガ」の謎 https://academist-cf.com/journal/?p=450 Tue, 01 Dec 2015 02:00:05 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=450 001 ハマキホソガの葉巻[/caption]   [caption id="attachment_455" align="aligncenter" width="300"]002 ハマキホソガの幼虫[/caption]

日本のカエデは何種類?

もみじという呼称が一般によく使われていますが、分類学上での名称ではありません。調べてみると「もみじ」という呼び方はムクロジ科カエデ属に属する植物のうち葉が掌状のものを指しているようです。 日本のカエデはさまざまな形の種類があります。皆さんにとって馴染み深いイロハモミジのようなもみじと呼ばれるもの、メグスリノキやミツデカエデのような3出複葉(3つの小葉からなる)のもの、そしてチドリノキやヒトツバカエデのような普通の葉と変わらない種類などがあります。カエデ属の植物は日本や中国を含む東アジア、そして、北アメリカやヨーロッパを中心に北半球に広く分布し、世界には約150種のカエデ属植物が存在します。そのうち、日本には28種のカエデ属の植物が分布しています。   [caption id="attachment_452" align="aligncenter" width="217"]003 日本のカエデの系統関係(Nakadai et al. (2014)より改変)[/caption]   カエデ属の植物は標高差のある日本の山に登ると、一度に多くの種類を観察することができます。私が学部、修士時代にお世話になっていた東京大学秩父演習林内では20種類ものカエデを観察することができました。

カエデの葉を巻く虫

学部4年生の研究を始めて間もない頃、私は研究対象とする昆虫を絞らず、カエデ属の葉を食べる昆虫全般を扱う研究を行っていました(Nakadai et al. Oecologia)。最初にハマキホソガの葉巻を見つけたのもその調査の中で、カエデの葉の切れ込みをうまく生かして、器用に葉を巻いている姿にとても興味を引かれました。調査を進めていくと東京大学秩父演習林内だけでもカエデ属を利用する複数のハマキホソガが生息していることが分かりました。このとき、「同じ場所に多くの種が分布するカエデ属の植物を複数のハマキホソガはどのように利用しているのか?」ということに疑問を持ち、修士1年からハマキホソガの研究を始めました。 生物種が利用する食べ物の種類や生息場所を「ニッチ(生態学的地位)」と呼びます。一般にこのニッチを共有するもの、つまり同じような食べ物(今回はカエデの葉)を食べ、同じ場所に生息するものの間には競争が生まれ、共存することが難しいとされています。これは生物だけに限ったことではありません。たとえば、古くからある商店街の近くに、大型のスーパーマーケットができるとお客さんが取られてしまい、どんどんとつぶれてしまうでしょう。商店街が生き残るためにはスーパーとは異なる商品を売る、営業時間を変えるなどの差別化が必要となります。このような例からもわかるとおり、同じカエデの葉を利用するハマキホソガが同じ場所に複数種が生息しているのは非常に興味深いことです。 秩父演習林の研究対象としていた14種のカエデ属の植物を調べていくと6種類ものハマキホソガが同所的に生息していることが分かりました。またそれぞれが植物の形質などに対して好みはあるものの、複数のハマキホソガが利用するカエデの種類が重なりながら、同じ場所に生息していることがわかりました(Nakadai & Murakami 2015 Eco ent)。さらにハマキホソガ属について図鑑で調べると、日本では21科の植物から51種が記載されていて、そのうち日本では最も多い11種のハマキホソガがカエデ属の植物を利用していることを知りました(現在では私自身が未発表ですが新種を見つけており、日本では少なくとも14種がカエデ属の植物を利用することがわかっています)。カエデ属を利用するハマキホソガはなぜ多様化したのかという新たな疑問も生まれ、現在では進化についても注目して研究を行っています。

ハマキホソガってどんな虫?

ハマキホソガの生活史は、卵から孵化した幼虫はまず1–3齢の間は葉に潜り、葉の内部組織食べながら成長し、4齢になると葉から脱出します。そして、その名前の通り、4–5齢では幼虫自身が葉っぱを三角錐または円筒状に巻き,開口部のない葉巻を作ってその中で生活をします。   [caption id="attachment_453" align="aligncenter" width="300"]004 ハマキホソガの生活史[/caption]   葉を巻くというとオトシブミを思い浮かべる方も多いと思いますが、オトシブミは成虫の親が葉を巻くのに対し、ハマキホソガでは幼虫自身が糸を吐きながら体をメトロノームのように揺らして葉を巻きます。晴れた暖かい日には幼虫たちが葉巻の外に出ていそいそと新しい葉を綴る様子が観察できるでしょう。ハマキホソガの葉を巻く行動は実に多様で、葉を切って巻くものや葉を落とすもの、そして二次的に葉を巻く能力を失い、全幼虫期を通じて潜葉するものなどさまざまです。 [caption id="attachment_457" align="aligncenter" width="300"]005 ハマキホソガのいろいろな葉の加工[/caption] このような幼虫の多様な行動は外敵から身を守るために進化してきたのだと考えられます。ハマキホソガをケースで飼育していると、幼虫や蛹の中から時折小さな蜂が出てきます。この蜂は寄生蜂と言い、昆虫の幼虫などに卵を産み付け身体の内部からじわじわと食べて成虫になるのです。具体的な死亡率の調査を行っていませんが、ハマキホソガの幼虫の死亡原因の多くはこの寄生蜂によるものだと思われます。こうした外敵からの捕食を切り抜けて、何とか成虫になることができるのです。成虫は全長1㎝ほどの非常に小さな昆虫で、前二本の足を揃え、一番後ろの足を羽に沿わせて静止する様子は初めて見る人には蛾であるとは判別できないかもしれません。 [caption id="attachment_456" align="aligncenter" width="300"]006 ハマキホソガの成虫[/caption] このように葉を潜って食べ、巻いて食べ、寄生蜂から逃れるなど様々なステップを通過することで初めて成虫となることができ、次の世代に子を残すことができるのです。

今後の展望

さまざまな情報を踏まえてもカエデ属を利用するハマキホソガの多様性がほかの植物を利用するものよりも高く、さらに同じ場所に共存することができる理由はいまだわからないことも多く、これから新たな発見が生まれていく研究であると考えています。現在はハマキホソガの多様性や共存に関わるプロセスを網羅的に調査しています。特に現在は種分化や多様化の過程における利用するカエデの種類を変化させる役割などに注目しています。カエデ属を利用するハマキホソガの共存そして多様化メカニズムの理解はこのシステムだけでの発見に留まらず、地球上で知られる生物種数の三分の一をも占める植物を食べる昆虫全体の多様性の理解に繋がる可能性があり非常に重要です。今後もどんどんとカエデ属とハマキホソガ属の関係を明らかに出来るよう頑張っていきたいと思います。 [caption id="attachment_454" align="aligncenter" width="300"]007 カエデの葉巻[/caption]]]>
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ことばを調べれば歴史がわかる【前編】 - 「歴史言語学」が明らかにすることとは https://academist-cf.com/journal/?p=462 Mon, 07 Dec 2015 01:00:33 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=462 001

先史の暮らしをことばから再建する

ことばを調べることで先史の文化がわかる、というと、よく不思議そうな顔をされます。考古学なら、発掘した遺物を扱いますから、昔のことを扱うのは自然であるように思えますが、言語の場合には、古いといえば、文献くらいしか思いつかない。そもそも先史というからには、文献記録が出てくる以前の時代のことであるはずです。それではいったいなんのことを言っているのだろうということになのでしょう。 けれども、歴史言語学では、語の由来を調べることができる、といえば、ぴんとくる方も少なくはないのではないでしょうか。語の由来とは、ある語がどこで生まれて、どのように広がったのかという、ひとつひとつの単語が持っている歴史のことです。語の歴史をさかのぼることができれば、その語にまつわる文化活動の過去を知ることができます。ことばには、人間の文化の営みが反映されているのです。 たとえば、ある国の西側では壺づくりがさかんで、東側では布をつくるのがさかんだったとしましょう。物々交換の結果、いずれの品も両地域にわたって広く使われるようになるかもしれません。けれども、壺の作り方の工程や材料などを表す語彙は西側で発達するはずです。そして壺とともに東に伝わるだろうと思われます。一方で、織り機の名称や織り方のパターンの名前などは、東で発達して西に伝わるだろうと思われます。工程や材料、道具の名称や製作品のパターンを示す語それぞれが、どの言語/地域で発達し、どの言語/地域に伝わったのかという歴史を紐解くことができれば、壺や布の動きや工芸誌(の一部)を知ることができるわけです。歴史言語学では、このような借用の過程を特定し、語の歴史、ひいては、文化接触の経緯に結び付けることができます。条件がそろえば、現在ではすでに見られなくなってしまったデザインや技術に関する情報を得ることができることもあります。言語の比較再建は、社会組織など、形で残らない過去を知るために有用な手段なのです。歴史言語学を専門にしていると、考古学だけではなく、民族誌や植物学の専門家から共同研究の依頼を受けます。言語を分析することで、各分野における分析だけではわからない情報を得ることができるからです。  

ことばのさまざまな変化のしかた

ここでは西から東、東から西への単純な伝搬を例にとりましたが、人間の営みはもっと複雑です。たとえば布は、もともとは東西両地域で織られていたけれども、西では壺が特産品になるにつれて衰退していったのかもしれません。東の織物業はずっと継続して行われていたわけではなく、栄衰を繰り返していたのかもしれません。そのような複雑な状況を知るためには、借用関係だけではなく、その背景となる言語状況、すなわち、それぞれの言語がそもそもどのような起源をもち、どのように発達したのか、を知る必要があります。 人間の言語が単一起源なのか複数の起源をもつのか、そのあたりはまだよくわかっていません。けれども、現在世界で話されている言語が過去に話されていた言語から分岐を繰り返して発達したことは知られています。複数の言語に共有される変化により、どこで分岐が起こったのかを特定することができます。生物の系統をさかのぼるように、言語の場合にも、現在話されている言語を比較し、共有変化を手がかりに系統関係を特定してゆくのです。形態の類似性が必ずしも言語と言語の系統関係と連動していないことも、生物の系統関係と同じです。同じ共通祖先から発達した言語は「系統が同じ」であるといいますが、共通祖先にあたる言語のことは「祖語」と呼びます。祖語がどのような言語であったのかを知るためには、現在、話されている言語を比較し、その祖形(祖語における形態)を再建してゆきます。   [caption id="attachment_469" align="aligncenter" width="359"]スライド70 H. Schmidtの研究によると、オセアニア祖語から現在のロトゥーマ語に至るまでの間、13世紀から20世紀にわたってさまざまな言語からの借用が起こったことが、ロトゥーマ語の語彙の由来を調べることでわかります[/caption]   あるモノを示す語が共通祖語のレベルまで再建できるということは、その祖語を話していた人々がすでにその物質の存在を知っており、それを使って生活していた、ということになります。すでにその物質を示す名前があったということだからです。その名前は、言語によっては祖語からずっと継承されてきて今日に至っているかもしれません。一方で、祖語まで再建できない場合には、祖語から言語が分岐してゆく過程のなかのある段階でそのことばができた、もしくは、文化接触によって借用されたということになります。借用は系統を同じくする言語どうしの間でも起こり、間接継承と呼ばれます。この場合には、もともと祖先から継承した共通の要素があるところで借用が起こりますので、直接継承による語彙との区別をするのが非常に難しくなります。それでも図1のロトゥーマ語のように、祖語から発達する過程でどのように近隣の言語から借用語が入ってきたのかを知ることができる場合もあります。 後編では、上のような考え方を使うことで、太平洋におけるタロイモの一種、ミズズイキ Cyrtoperma chamissonisの栽培化についてどんなことがわかるのか、具体的なデータをみながらお話してみようと思います。 *** academistのプロジェクトページはこちら! 【academistプロジェクト】なぜ世界にはいろいろな言語があるのだろうか?]]>
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ことばを調べれば歴史がわかる【後編】 - 「タロイモ」の伝播ルートを探る https://academist-cf.com/journal/?p=472 Wed, 09 Dec 2015 02:00:04 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=472 ことばを調べれば歴史がわかる【前編】はコチラ

なぜミズズイキか?

太平洋の多くの地域では、日本のサトイモと同じ種に属するタロイモが主食となっています。サトイモと似ていますが、地下茎すなわち「イモ」は子供の頭ほどあります。このほかに、気候や地理的条件によって、同じサトイモ科で種が異なるクワズイモやアメリカサトイモなどが主食になっている地域もあります。ミズズイキもそのひとつで、ミクロネシアおよびポリネシアのサンゴ性の島で主要作物となっています。真水の確保が難しいサンゴ性の島では、地下に淡水レンズ層と呼ばれる真水の層ができるのですが、これを利用して栽培されます。イモは掘り起こさなければ何年もそのまま育ち続ける、貴重な存在です。独特の栽培方法があり、その様子はウィキペディアの写真などでも見ることができます。 諸言語の植物名称を集める作業は、言語学に限らず、古くから行われてきました。ミズズイキに関しても、たとえば、太平洋の植物研究者として20世紀半ばに活躍したバロー(J. F. Barrau)による図が残されています。   [caption id="attachment_474" align="aligncenter" width="300"]後編図1 ミズズイキを示す語の地理的分布(Barrau 1956から引用)[/caption]   ただし、単語の分布をみるだけでは、それぞれの言語でみられる語が直接継承によるものなのか、間接継承なのか、あるいは借用なのかがわからないため、まず、ミズズイキを表す語が共通祖語に再建できるのかどうかを調べる必要があります。もし祖語に再建できれば、その時点ですでに何らかの形での有用植物であったことがわかります。一方、再建できないのであれば時代がくだってから栽培がはじまったということになります。  

ミズズイキを表す語はオセアニア祖語には再建できない

サトイモ科の植物の名称の由来を順に調べていた私は、ある日、おかしなことに気がつきました。ミズズイキを示すことばはオセアニア祖語に再建されていましたが、分布が系統図の中で非常に偏っているのです(図2)。   [caption id="attachment_475" align="aligncenter" width="300"]後編図2 黄色の丸をつけたグループでミズズイキを示すpulaka/purakaのような語形がみられる。系統図の上では分布が非常に偏っている。[/caption]   さらに、再建形も (1)~(3) のように研究者によって違うことがわかりました。 (1) *(m)pulaka (French-Wright 1983) (2) *bulaka (Ross 1996) (3) *buRaka (Geraghty 1990) (記号「*」は、続く語形が再建されたものであることを示す。) 調べてみると、それぞれの研究者が参照した語彙の組み合わせが異なります。系統が同じ言語の間で借用が起こると、見た目はあたかも祖語から継承されたように見えることがあります。けれども直接継承の場合と異なり、語の一部で音の対応が合わないケースがでてきます。どうやらミズズイキを示す語もその一例のようでした。先に述べたように、ミズズイキには独特の栽培方法があります。オセアニア祖語が話されていたと考えられるパプアニューギニアの北部ですでに有用化されていたのか、真水が手に入らないミクロネシアの島で有用化されたのかによって、ヒトとこの植物との関係がずいぶん変わってくるように思われました。

音対応に基づいて割り出したミズズイキの栽培化に関する仮説と伝搬ルート

というわけで、ミズズイキを示す単語について、見直してみることにしました。まず、確実に再建できるのがどのレベルまでか、ということを調べます。このためには、すべての言語において語を構成する発音が「規則的な対応」になっているのはどのグループかを調べます。これは、言語間で単語を通じてみられる発音の決まった対応関係のことで、直接継承語の発音はこの対応に基づいた形になっています(音対応の具体例についてはhttp://togetter.com/li/907740?page=2参照)。 すると、ミズズイキを示す語で規則的な音対応がみられるのは、ミクロネシア諸語の下位グループであるチューク・ポンペイ祖語(P-TP、図2参照)から発達した言語のみ、地理的な分布でいうと、ミクロネシアのポンペイ州とそこから西で話される言語のみであることがわかりました。すなわち、P-TPが現在使われているミズズイキを示す語の語源を遡ることのできるもっともはやい段階で、再建形は*Pwulakaです。さらに、ポリネシア諸語やアドミラルティー諸語、メソ・メラネシア諸語の各グループでみられる形は、音対応に不規則な面がみられ、系統が同じ言語からの借用語であることがわかりました。たとえば、ポリネシア諸語では直接継承語であるならばlもしくはrであるはずのところがlもしくはrという発音になっていたりするのです。 実は、これらの言語は系統図の上では離れていますが、ミクロネシアと地理的につながっているか、歴史的に接触があったことがわかっています。つまり、pulakaのような語は、ミクロネシアに見られるもの以外は、垂直伝播ではなく、水平伝播の結果だということになります。ミズズイキを示す語はおそらく栽培法が確立すると同時にミクロネシアのポンペイ州もしくはチューク州ででき、他のサンゴ性の島にも植物と栽培法が名前とともに伝わったのでしょう。いやむしろ、ミズズイキの栽培方法が確立したことによって、環境の厳しいサンゴ性の地域への移住が可能になったのかもしれません。  

最後に:コトバと植物のいろいろな関係

最後に、私がタロイモの名称について調べ始めたきっかけをお話ししましょう。 フィジーにはいろいろな方言がありますが、フィジー語でのタロイモを表す名称は、方言によって実はいろいろです。標準語では dalo、西部方言では doxo、私が主に調査をしたカンダヴ島では、suli と言います。このうち、dalo は太平洋の広い地域で同系語(共通祖語から直接継承された語)がみられ、共通祖語から継承された語であることがわかります。suli というのは、実は、「子孫」を表す語でもあります。タロイモはわき芽がどんどん育って新しい株が増えますが、そのわき芽のことは他の言語でもひろく suli, sulina と呼ばれます。カンダヴでは、このわき芽を指す言葉がいつのまにか、タロイモそのものを示す語に入れ替わったようです。 この説を支持する証拠がバナナの名前なのです。実はバナナも同様にわき芽から新しい株が育つのですが、suli という語がバナナを指す言語もあるのです。このことからも、「わき芽」を指す語がタロイモを示すsuliの由来であることが裏付けられますし、ふたつの言語でみられるタロイモを示すsuliとバナナを示すsuliが実は語源が同じだということもわかります。 このように、言語はどんどん変化を続け、発音が少しずつ変わり、新しい単語ができてゆきます。新しい言語が増えてゆくと不便になるかもしれませんが、それは人間の歴史が記録されてゆくひとつの過程でもあります。そしてこの記録を紐解くことで、今はまだ知られていない人間のさまざまな歴史をまだまだたくさん知ることができるかもしれないのです。 (参考文献)
  1. Kikusawa, R. 2000. Where Did Suli Come from? A Study of the Words Connected to Taro Plants in Oceanic Languages? In B. Palmer and P. Geraghty (eds.), SICOL Proceedings of the Second International Conference on Oceanic Linguistics vol. 2, Historical and Descriptive Studies, 37-47.
  2. Kikusawa, R. 2003 Did Proto-Oceanians cultivate Cyrtosperma taro? People and Culture in Oceania 19: 29-54.
  3. 菊澤律子. 2003. 「オセアニアのタロ―名称に基づく系譜の特定」. 吉田集而・堀田満・印東道子(編)『イモとヒト:人類の生存を支えた根栽農耕—その起源と展開』 平凡社, pp. 53-76.
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「動物行動学×コンピュータ科学」の異分野融合研究が目指すものとは https://academist-cf.com/journal/?p=489 Wed, 16 Dec 2015 02:00:02 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=489 現在、academistにてプロジェクトに挑戦中の、動物行動学を専門とする総合研究大学院大学 助教の塚原直樹さんと、コンピューター科学を専門とするシンガポール国立大学リサーチ・フェローの末田航さんは12月14日、カラス型ドローン開発プロジェクトに関するセミナー「カラスを騙し対話するドローンを作りたい」を、デジタルハリウッド大学院大学で開催しました。 [caption id="attachment_491" align="aligncenter" width="225"]th_IMG_8933 セミナーの案内ポスター[/caption]

セミナーはまず、塚原さんの研究紹介からはじまりました。

音と動きでカラスを騙したい

塚原さんは学部4年生のころ、「カラスがどのように会話をしているか調べてみたらどう?」という当時の指導教官からのアドバイスをきっかけに、カラスの研究をはじめました。それから13年間、出張先のあらゆる場所でカラスの鳴き声を録音し、音声解析を進めてきたそうです。研究では、長年蓄積されたデータ群から「求愛」「威嚇」「餌ねだり」などのように、カラスの鳴き声が合計41種類に分類されることを明らかにしてきました。

会場からは「音声データは一般公開しないのか?」「41種類の声はどのように分類したのか?」などという質問が次々に出るなど、大勢の方々が興味を示している様子でした。塚原さんによると、すべての種類のカラスの鳴き声を厳密に意味付けすることは難しく、現在は主観で分類せざるを得ない状況だそうですが、できるだけ早い段階でのデータの公開と論文化を目指して進めていきたいと仰っていました。

また音声解析を進めていくなかで、カラスは逃げるまでの過程で、はじめに警戒声を、次に威嚇声を、そして逃げる直前に逃避声を発することがわかったそうです。塚原さんはこの結果を利用して特許を獲得した「カラス撃退装置」を開発しました。

しかしこの装置を使っても、カラスを思い通りにコントロールすることはなかなか難しく、塚原さんは、次のステップとして、「音」だけではなくカラスらしい「動き」を加えることで、カラスをコントロールできるのではないだろうかと考えるようになったそうです。

機械と動物の共生の可能性について考えたい

ここで、末田さんにバトンタッチです。

末田さんの研究対象は、昨今話題に上がることの多い「ドローン」です。ドローンの性能は日々向上しており、制御不能になっても自動的に出発点に戻すことができたり、あらかじめ飛んで欲しい位置情報を入力することで自動制御できたりするなど、人間の思い通りに制御することが可能となっています。はじめのうちは、思うようにドローンを飛ばせなかった末田さんですが、試行錯誤を繰り返すうちにノウハウが蓄積し、今ではFirst Person View(FPV:一人称視点)ゴーグルと、頭の傾きを感知してカメラの視点を追従させることのできるヘッドトラッキング機能を搭載したドローンを作成し、毎朝ドローンと「空中散歩」ができるまでになったそうです。

セミナーでは、末田さんが作られた実物のゴーグルとドローンを提示していただき、大きなディスプレイでつかの間の空中散歩を楽しむことができました。

[caption id="attachment_493" align="aligncenter" width="300"]th_IMG_8935 ゴーグルを付ける塚原さん(左)とドローンの解説をする末田さん(右)[/caption]

そんな末田さんの研究目標は、動物とロボット間のコミュニケーションの可能性について調べることです。「機械と人間の共生がある程度進んできたので、機械と動物の共生の可能性について考えたい」と語る末田さんは、今回のカラス型ドローンの研究を通じて、その第一歩を踏み出そうとしています。

異分野融合研究に挑戦!

最後に、塚原さんと末田さんが挑むクラウドファンディング・プロジェクト「カラスと対話するドローンを作りたい!」の説明がありました。今回の挑戦理由のひとつは、大学間競争激化に伴う研究成果のグローバル化であると末田さんは主張します。研究機関の評価は主に「論文数」で行われるため、実績を残すためには、多くの論文に引用されている論文をもとにした研究を進める流れができます。そうすると、異分野連携型の研究やまったく新しい分野の研究をはじめることが難しくなってしまうのです。そこで今回、研究のファーストステップとなる研究資金を募るために、クラウドファンディングへの挑戦を決意したというわけです。

そんなお二人のプロジェクトは、残り4日で見事達成しました!  支援された方々には、本プロジェクトで使われたドローンの実物や、塚原さんの開発するカラスレシピのひとつ「カラス燻製」のリターンを用意しています。残りの期間でも支援は可能です。ぜひご注目ください。

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生きもの好きのユートピア- 「いきもにあ」イベントレポート https://academist-cf.com/journal/?p=512 Tue, 22 Dec 2015 02:00:50 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=512 生きものグッズ作家や生きもの好き、生きものグッズの愛好家、生物学者など「生きもの好き」という共通項を持った人々が一堂に会するイベント「いきもにあ」が、11月12〜13日に京都市勧業館「みやこめっせ」にて開催されましたので潜入してきました。写真中心にご紹介したいと思います!

まず驚かされたのは、いきもにあはまだ第二回目のイベントであるにもかかわらず、初日から入場制限がかけられるほど盛況ぶりだったことです。会場に入ってからも冬空なんておかまいなしの熱気にあふれていました。

[caption id="attachment_515" align="aligncenter" width="300"]通算入場者数は約3400人だったそうです。 通算入場者数は約3400人[/caption]

いきもにあのメインは生きものグッズの販売です。日本各地から集結した153もの出展者による生きものグッズ販売はどれもクオリティーが高く、思わず財布の紐がゆるみます。

[caption id="attachment_516" align="aligncenter" width="300"]「イワシ金属化」さんによる金属でできた生物の販売 「イワシ金属化」さんによる金属でできた生物の販売[/caption] [caption id="attachment_517" align="aligncenter" width="300"]「あまのじゃくとへそまがり」さんによる革製の生き物グッズ販売 「あまのじゃくとへそまがり」さんによる革製の生きものグッズ販売[/caption]

この他にも、恐竜やフクロウなどの人気の高い生き物からいきもにあ会場の外では1万人に1人も知らないであろうマイナーな生物まで、さまざまな生き物のグッズが販売されていました。とても本稿ではすべてをご紹介できないので、いきもにあでゲットしたグッズを自慢しあうタグ、「#いきもにあ戦利品」をまとめたページも併せてご紹介します。

Togetterまとめ「#いきもにあ戦利品」

いきもにあではグッズ販売だけでなく生き物の魅力を紹介するイベントや展示もあり、参加者は物欲だけでなく知識欲までも満たされます。第一線で活躍しているプロの研究者による研究紹介講演や、学術機関による展示ブースも一部ではありますがご紹介します。

研究者講演では島野智之さん(ダニ博士)、加賀谷勝史さん(シャコパンチ博士)、堀川大樹さん(クマムシ博士)、佐藤拓哉さん(ハリガネムシ博士)、前野ウルド浩太郎さん(バッタ博士)の五名の研究者がそれぞれの研究する生きものについて講演を行い、講演後は研究者と参加者との間でその講演内容に引けを取らないくらいに濃い質疑応答が繰り広げられていました。

[caption id="attachment_523" align="aligncenter" width="300"]シャコパンチ博士こと加賀谷勝史さんによる講演の様子 シャコパンチ博士こと加賀谷勝史さんによる講演の様子[/caption]

講演のほかにも、数は多くないものの展示ブースがあり、それぞれの研究者が調べ尽くしたくなるくらいに愛してやまない生きものたちを実際に展示・解説してくれていました。研究者にとっては生きもの好きにダイレクトに生物学をアウトリーチできるこのうえない環境と言えそうです。

[caption id="attachment_520" align="aligncenter" width="210"]大阪市立自然史博物館 外来研究員 熊澤 辰徳さんによるアシナガバエの展示・解説ブース 大阪市立自然史博物館 外来研究員 熊澤 辰徳さんによるアシナガバエの展示・解説ブース[/caption] [caption id="attachment_521" align="aligncenter" width="300"]伊丹昆虫館スタッフによる日本最大の蝶、オオゴマダラ羽化シーンのリアルタイム解説 伊丹昆虫館スタッフによる日本最大の蝶、オオゴマダラ羽化シーンのリアルタイム解説[/caption] [caption id="attachment_519" align="aligncenter" width="210"]日本モンキーセンターのブース。写真中で解説をしているのは京都大学霊長類研究所の早川卓志さん。 日本モンキーセンターのブース。写真中で解説をしているのは京都大学霊長類研究所の早川卓志さん[/caption]

いきもにあには講演者以外の研究者や博物館のスタッフなども参加者として多数来場していたり、グッズ制作にプロ研究者が監修として参画していたりと、生物学や古生物学などの生きもの分野での研究者と一般の方との垣根が下がりつつあるように思えました。

まだまだ開催2年目のはじまったばかりのイベントではありますが、生きもの好きの裾野の広さ、熱量を十分に感じられるイベントでした!

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【イベント情報】新しい研究のすすめ方について一緒に考えてみませんか? https://academist-cf.com/journal/?p=536 Wed, 30 Dec 2015 08:00:37 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=536 2016年1月8日(金)に「MTRL KYOTO」さんで「どう活かす?新しい研究のすすめ方 オープンサイエンス」を開催します。(企画詳細:一般の方々大学関係者の方々

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最近、クラウドファンディングやクラウドソーシングなど、研究を支援するための新たな仕組みが構築されつつあります。このような「オープンサイエンス」の取り組みが進めば、大学や研究機関で「どのような研究者が、何の研究を進めているのか」ということをわかりやすく知る機会が増える上に、誰もが研究に参加できるようになります。

今回、オープンサイエンスの取り組みを進めている方々にお集まりいただき、本イベントを開催することになりました。演者の方々の取り組みを共有し、それらのメリット/デメリットを議論することで、オープンサイエンスの取り組みを俯瞰視するための機会にできればと考えております。

研究者や研究支援者の皆様、この新たな学問の発展にご興味のある一般の皆様のご参加をお待ちしております。

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【2015年版】世界の学術系クラウドファンディングサイトTOP5! https://academist-cf.com/journal/?p=541 Thu, 31 Dec 2015 01:00:00 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=541 Experiment@アメリカ(約800プロジェクト) th_Experiment 堂々の第1位は、シリコンバレーを拠点に置く「Experiment」です。2012年4月のサービスリリースから3年半で、800プロジェクトが掲載されて、そのうち47.5%が目標金額に到達しています。目標金額に到達した研究プロジェクトの論文も合計20本出ており、着実に「Help fund the next wave of scientific research」を実現しつつあるサービスです。 第2位:Possible@オーストラリア(99プロジェクト) th_Pozible 学術系に特化したクラウドファンディングではありませんが、posibleのresearchカテゴリーに約100プロジェクトが掲載されています。posible全体では、2015年9月30日に合計10000プロジェクトを達成するなど、クラウドファンディング業界全体から見ても注目度の高いサイトです。大規模サイトがこれだけの実績を積み上げているので、オーストラリア発の学術系クラウドファンディングサイト「Fund Science(5プロジェクト)」の成長も期待できるのではないかと思います。 第3位:INSTRUMENTL@アメリカ(85プロジェクト) th_INSTRUMENTL リリースから1年半と若いサービスですが、着実に盛り上がりを見せています。すでに85プロジェクトが掲載されており、来年にはposibleを追い抜くことでしょう。Experimentと拠点が近そう?なので何かしらのコラボレーションが実現するかもしれません。過去の報道記事から女性研究者限定かと思いましたが、性別問わずに使われているようです。 第4位:Science starter@ドイツ(74プロジェクト) th_science starter ドイツ初の学術系クラウドファンディングサイトです。現在はドイツ語のみですが、着実にプロジェクト数を増やしてきています。 第5位:academist@日本(22プロジェクト) th_academist 上位4サイトと比較するとプロジェクト数は少ないですが、無事に?ランクインしました!日本初の学術系クラウドファンディングサイトです。これまでに、約1500名の方々から約1800万円の支援が寄せられています。ほかのサイトとの大きな違いは、支援に対するリターンがあることです。 ランキングは以上です。 個人的には学術系クラウドファンディングの文化を作り上げてきた「Petridish」のサービスが停止してしまい悲しいところではありますが、また新しい形でアカデミア関連のサービスを展開してくれるのではないかと楽しみにしています。上記4カ国だけではなく、スペイン発の「I LOVE SCIENCE(4〜5プロジェクト:現在リニューアル中)」、イギリス発の「WALACEA(10プロジェクト)」にも注目です。 基礎研究のあり方については、日本に限らず世界でも議論されているようです。来年以降、学術研究をクラウドファンディングで支える流れはどのように発展していくのでしょうか。academistも、日本の研究者の方々に使っていただけるように、日々サービスの質向上に努めていきます!]]> 541 0 0 0 【編集長挨拶】2016年もacademist Journalをよろしくお願いします! https://academist-cf.com/journal/?p=559 Thu, 31 Dec 2015 06:00:47 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=559 お問い合わせフォームからお気軽にご連絡ください。 2016年はより一層の充実を図っていきます! 今後のacademist Journalにぜひご期待ください。 academist Journal 編集長 周藤瞳美]]> 559 0 0 0 【2015年版】世界の大学特化型クラウドファンディングサイトTOP5! https://academist-cf.com/journal/?p=566 Thu, 31 Dec 2015 12:00:50 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=566 Michigan Technological University@アメリカ(74プロジェクト) th_Michigan 第1位はMichigan Technological Universityの寄付型CFサイト「Superior Ideas」です。学内の大学院生・大学生を中心に運営している様子。目標金額の達成率は約16%と低めですが、研究の傍ら自前でサイトを構築し、これだけのプロジェクトをリリースしていることに驚きです。 第2位:University of York@イギリス(64プロジェクト) th_York 第2位はイギリスのUniversity of Yorkの「YuStart」です。hubbubが提供するクラウドファンディング・プラットフォームを利用しています。All-or-Nothing型で、達成率は80%を超えているようです。 第3位:McGill University@カナダ(35プロジェクト) th_McGill アメリカ、イギリスに続いて、第3位はカナダのMcGill Universityが運営する「Seeds of Change」。流通総額は約37万ドルで、独自サイトを構築した上で運営されています。信念を持って運営されていている様子が伝わってきます。 第4位:Missouri State University@アメリカ(27プロジェクト) th_Missouri Missouri State Universityが第4位です。CrowdItと連携してプラットフォームを構築しています。 第5位:University of Texas, San Antonio@アメリカ(24プロジェクト) th_UTSA 第5位は、University of Texas, San Antonioの「Launch UTSA」です。ScaleFunderを利用しています。 別の記事で紹介した「世界の学術系クラウドファンディングサイトTOP5!」では、研究を進めるためのプロジェクトが主でしたが、以上のサイトは「大学特化型」であるため、学生の教育活動、ボランティア活動、部活動など、大学発のさまざまなプロジェクトが起案されていることが特徴です。 日本でも、日本で初めての大学特化型CFサイト「筑波フューチャーファンディング」の前例が出るなど、少しずつ各大学への導入が進んでいます。今後の展開にぜひご注目ください! (おまけ)第6位以降もご紹介します! 来年のランキングは、また違う視点からご紹介できればと思います。それでは、良いお年を!]]> 566 0 0 0 瀬戸内に浮かぶ“鬼ヶ島”で50年以上見つかっていなかった幻の昆虫を探せ! https://academist-cf.com/journal/?p=593 Mon, 18 Jan 2016 02:00:53 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=593 ガロアムシって? そもそもガロアムシとは、どんな昆虫なのでしょう? ガロアムシは20世紀に入って初めて発見された昆虫で、日本で初めて発見されたのは大正時代です。日本で発見したのは、当時来日していたフランス人外交官のガロアさん。そのガロアさんにちなみ、日本ではガロアムシと呼ばれているのです。 [caption id="attachment_594" align="aligncenter" width="600"]写真1 ガロアムシの成虫[/caption]   主に渓流沿いのガレ場や洞窟などといった特殊な環境に生息するため、一般的には見る機会がほとんどありません。系統学的には、バッタ、シロアリ、ナナフシ、カマキリなどと近縁な昆虫で、これらはまとめて「直翅類」と呼ばれています。 日本のものはたった6種しか知られていませんが、まだまだたくさんの新種が見つかると予想されています。また、すでに知られている6種のうち2種は、2008年当時で、いずれも初めて発見されて以降、数十年間再発見されていませんでした。それが長崎県にいるイシイムシと、今回紹介するチュウジョウムシです。チュウジョウムシはその発見例の少なさから、2012年に発行された環境省レッドリストで「情報不足」に選定されています。 チュウジョウムシを含む西日本(近畿南部、四国以西)のガロアムシには、成虫幼虫ともに眼が退化しているという特徴があります。もともと日本のガロアムシは眼が退化傾向ではありますが、西日本のガロアムシの多くは地中深くや洞窟に生息しているため、眼の色素がなくなってしまっていると考えられています。こうした西日本のガロアムシは近年の採集技術の進歩によって、あちこちで発見例が増えつつありますが、標本の少なさから分類学的な研究が遅れているのが現状です。  

見つけてみよう! チュウジョウムシ

私がチュウジョウムシを初めて知ったのは、当時大学1年生だった2008年です。チュウジョウムシは1957年に鬼ヶ島大洞窟で1匹のメス成虫が採集されているのみで、その後まったく再発見されていません。ぜひとも自分の手で再発見したい! と強く思いました。ただ当時は、どうすれば調査ができるのか、右も左もわからない大学生。一人では調査も難しいと考え、当時瀬戸内むしの会の会長をしておられた出嶋利明さんに連絡したところ、全面的に調査にご協力いただけることとなりました。ガロアムシの仲間は一般的に暑さが苦手で、特に西日本の低地では、夏になると地中深くにもぐってしまいます。冬のほうが見つかりやすいと考え、2009年2月14日(まさかのバレンタインデー!)と15日を調査日としました。 当日は出嶋さんたちとともに、女木島に移動です。やはり数十年間も見つかっていないことから、ひとまず生息地の現状把握だけでも良いかと考えていました。女木島に到着後は、観光協会の方々の案内で鬼ヶ島大洞窟に移動します。装備を整え、いざ洞窟内に入ってみると、中には鬼のモニュメントが多数配置されていました。 [caption id="attachment_595" align="aligncenter" width="600"]写真2 洞窟内の様子。鬼の像が多数ありました[/caption]   この洞窟は観光洞窟として使用され、入場料を払えば自由に中に入ることができます。洞窟内は、ところどころから地下水が染み出し、湿った場所の石の下には時折、クモやヤスデの仲間が見られました。一般観光客の入れない場所では、キクガシラコウモリも天井からぶら下がっています。 [caption id="attachment_596" align="aligncenter" width="600"]写真3 洞窟内で見つかったキクガシラコウモリ[/caption]   探索開始後しばらくして、めくった石の下から体長1cm程度の白い虫が走り出したではありませんか。幼虫ではありますが、チュウジョウムシに間違いありません。 [caption id="attachment_597" align="aligncenter" width="600"]写真4 チュウジョウムシ幼虫。幼虫は白色〜乳白色をしています[/caption]   震える手を抑えつつ、慎重に採集しました。その後も探索を続けましたが、後が続きません。結局この2日間の探索では幼虫3匹のみ。成虫の再発見は後日に持ち越しとなりました。しかし、幼虫を発見できただけでも十分すぎる成果です。チュウジョウムシが現在まで生き残っていたことを証明することができたのですから。  

チュウジョウムシ、リベンジ!

2012年3月、再び女木島に向かいました。このときには、洞窟内だけではなく洞窟外でも探索を行いました。初日は洞窟外でも観察できる場所を探索しましたが、残念ながらチュウジョウムシの生息に好適な場所を見つけることはできませんでした。しかしながら、洞窟内の再調査を行うことで、なんとメス成虫を発見することができました。 [caption id="attachment_598" align="aligncenter" width="600"]写真5 チュウジョウムシ成虫。成虫は赤茶色で、メスでは腹から産卵管が伸びています[/caption]   先述のとおり、これまでメス成虫は1匹しか採集されておらず、しかもその標本はアメリカにあります。今回発見された成虫は、日本に存在する唯一の成虫標本となりました。ただ残念ながらオス成虫はこのときも、またこれ以降の調査でも見つけることができていません。1957年の調査を含め、これまで誰も見たことのないオス成虫の発見は、今後の課題になりました。  

チュウジョウムシの分布と保全

2015年2月には、女木島のおよそ4km北に位置する男木島でも調査を行い、徹底的に探索したにもかかわらず、発見には至りませんでした。もちろん今後のさらなる探索によって新しい生息地が見つかる可能性は否定できませんが、現時点ではチュウジョウムシは世界中で女木島の洞窟にしか生息していないことになります(中浜ほか, 2015) 。 しかし、一連の調査で見つかったチュウジョウムシの個体数は幼虫成虫含めても10匹に満たず、決して個体数が多いとは言えません。また、チュウジョウムシを含め、洞穴内の生物が見つかった場所はいずれも地下水の染み出した湿った場所ばかりで、乾燥した場所からはほとんど見つかりませんでした。もし今後、洞窟内が何らかの理由で乾燥化が進んだ場合、洞窟からチュウジョウムシは見られなくなるかもしれません。幸い、女木島の洞窟では現在、洞穴内のライトを白熱灯からLEDに転換したおかげで、乾燥化の影響は小さくなっていると考えられます。今後もチュウジョウムシの保全と観光がうまく両立されることを心から願うばかりです。 最後に、チュウジョウムシの調査を行ううえで非常に多くの方々にご協力いただきました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。  
引用文献 中浜直之, 岡野良祐, 出嶋利明. (2015) 女木島洞窟に生息するチュウジョウムシの生息環境. 香川生物, 42: 63-66. 注意: チュウジョウムシの調査は女木島観光協会の許可を得て行っております。許可を得ない採集は重大なトラブルを引き起こす可能性がありますので十分にご注意ください。
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ウンチの化石を科学する!【前編】 https://academist-cf.com/journal/?p=604 Thu, 21 Jan 2016 02:00:18 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=604 日々の生活で絶対にお目にかかるモノ。老若男女問わずどんな国籍の人であれ、それは恐ろしいほど平等に水面(みなも)の中に降臨します。日々の体調や食生活によって、形状はさまざまに変化しますが、それは必ず出てきます。 ——そう、それとはウンチのことなのですが、このウンチなるものはどうしてこうも私たちを魅了してやまないのでしょうか。もちろん、一般的には「臭い」「汚い」などとネガティブなイメージを持たれがちです。実際に、少し前に流行ったアニメ「妖怪ウォッチ」の主題歌『ようかい体操第一』の4番には、「どうしてウンチは臭いんだ」とか「どうしてウンチはプンプンプン」という歌詞が存在します。ウンチ=臭いもの、というのがウンチに対する世間のイメージであることがわかります。 一方で、国民的コミック『Dr. スランプ』では「うんちくん」というキャラクターが登場し、愛嬌たっぷりに描かれています。さらに、Academist Journalのインタビュー記事『化石はわずか数週間で形成される?!』においても、著者の白瀧さんがインタビュー先の博物館に訪れた際にお目にかかったウンチの化石の展示の写真が掲載されています。これらのエピソードは、本来ネガティブなイメージの塊であるウンチが、一方では人の興味を引き付ける存在であることを示しています。   [caption id="attachment_266" align="aligncenter" width="500"]3_unko 恐竜のウンコ化石(Academist Journal『化石はわずか数週間で形成される?!』より 白瀧さん撮影)[/caption] 上述のように二面性を持つウンチですが、良くも悪くも私たちにとっては非常に身近なものです。イントロが少々長くなってしまって恐縮ですが、この記事では、そんなウンチの“化石”をクソ真面目に研究するとなにがわかるか、ということをご紹介したいと思います。 Academist Journalの記事『カンブリア爆発の謎を「リン鉱石」から解き明かす!』の中でも紹介されているように、この地球上に存在する動物のグループのほとんどは、約5億4000万年前のカンブリア紀という時代に一気に出現し、急激に多様化したことが知られています。カンブリア爆発と呼ばれるこのイベント以降は、実にさまざまな動物が栄枯盛衰を繰り返してきたわけですが、動物である以上、それらの大半はウンチをしたはずです。一個体の動物がその生涯に出すウンチの量を考えると(もちろんその動物の種類によりますが)、動物体そのものの化石よりも、そのウンチの化石の方がたくさん存在していても何ら不思議ではありません。古今東西、地質学者たちは伝統的に各地の地層とそこに含まれる化石を調査してきたわけですが、ウンチの化石はほとんど相手にされることはなく、動物体の化石のほうを精力的に研究してきました。もちろんこれには理由があります。動物体の化石の種類を調べることで、その地層の年代を知ることができるからです。これは地球の歴史を知るうえでは非常に大事なことです。 一方、ウンチの化石を研究することによって、また別の重要な知見を得ることができます。ご想像のとおり、ウンチの化石の中身を調べれば、そのウンチ化石の主の食事メニューを知ることができます。当たり前のように聞こえると思いますが、実はこれは結構重要なことだったりします。食事メニューがわかれば、太古の食物連鎖の構造といった生態系に関する情報を得ることが可能です。さらに、すべての動物にとって、食べることは生きるためのエネルギーを摂取するということです。したがって、どのような餌をどのように摂取するか、といったことは個体の生存率に直結します。これは、その個体の適応度を左右することを意味しますので、食べることは(最終的には)生物進化を考えるうえでも重要です。 今生きている生き物であれば、そいつが何を食べたかを知ることは可能です。リアルタイムで行動を観察したり、解剖して消化管の内容物を調べれば良いのです。しかし、それが太古の生き物が相手となると、これらの研究手法を適用することができないため、話は別です。ウンチの化石に頼るしか手段がないのです。 後編では、私がこれまで研究してきた動物のウンチ化石について、いくつかトピック的にご紹介することにいたします。]]> 604 0 0 0 ウンチの化石を科学する!【後編】 https://academist-cf.com/journal/?p=606 Mon, 25 Jan 2016 02:00:41 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=606 前回のような理由で、私は地層中に保存される動物のウンチ化石に関する研究を行っています。これまでに日本だけでなく、ヨーロッパや南米諸国の地層も調査し、ウンチの化石を採取してきました。最終的には、カンブリア爆発以降の5億4000万年間で、海の生態系がどのように変遷してきたのか、ということをウンチ化石の研究というアプローチで解明していきたいと思っていますが、まだまだ志半ばです(半ばどころか、ほとんど入口付近です……)。そこでこの記事では、私がこれまで研究してきた動物のウンチ化石について、いくつかトピック的にご紹介することにいたします。  

1.太古の脊椎動物のウンチ化石

脊椎動物とは、背骨を持つ生き物の総称です(背骨を持たないものを無脊椎動物と総称します)。私たちの研究グループは、宮城県内の地層(約2億4700万年前の海底に泥が堆積したもの)から脊椎動物のウンチ化石を発見し、それを入念に研究しました。これは、脊椎動物のウンチ化石では日本最古記録であり、研究成果は2014年10月17日の朝日新聞の紙面を飾ることができました。このこと自体は大変光栄なことですが、この研究の科学的な重要性は、「2億4700万年前」という時代背景にあります。 この時代は、ペルム紀末(約2億5200万年前)に起こった史上最大の生物大量絶滅の500万年後の世界で、大量絶滅のダメージによって、非常に単純な生態系しか存在していないと想定されていました。つまり、この大量絶滅から生態系が完全に回復するには500万年以上もかかると従来は考えられていたということです。しかし、宮城県の地層から発見されたサンプルを丹念に調べてみると、一部のウンチ化石の中には別の脊椎動物の骨が含まれていることがわかりました(ウンチ化石の主はおそらく魚竜という海棲爬虫類、ウンチ化石中の小骨はおそらく魚のものと思われます)。このことは、大量絶滅の500万年後には脊椎動物どうしの捕食‐被食(食う‐食われる)関係が成立していたことを示し、したがってこの時代には従来考えられていたよりも複雑な生態系がすでに回復していた、ということを意味します。 この研究成果の詳細や、実際のウンチ化石の写真などについては、下記URLをご参照ください。 ■財経新聞オンライン http://www.zaikei.co.jp/article/20141016/218174.html ■UTokyo Research http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/utokyo-research/research-news/the-oldest-fossilized-poop-from-japan/  

2.太古の無脊椎動物のウンチ化石

さて、上記リンクをクリックしていただいた方は、「日本最古の脊椎動物のウンチ化石って、普段目にする自分のアレにそっくりだ……」と思われたことでしょう。このように、人間以外の動物であっても、脊椎動物ならばそのウンチも比較的イメージが持ちやすいと思います(もちろん、人間も脊椎動物の一種です)。 一方、背骨を持たない無脊椎動物となると、そもそもイメージをつかむのが難しくなるうえに、そのウンチとなると考えたこともないという方が多いのではないか、と思われます。しかし無脊椎動物もウンチをするのです(注:一部の無脊椎動物は口と肛門が分化していない種類もいます)。ここではその一例として、浅い海に生息するナマコのウンチをお見せします。   [caption id="attachment_614" align="aligncenter" width="600"]図1 図1 (左)沖縄県名城ビーチに生息するクロナマコと、そのウンチ (右)クロナマコの解剖図。消化管には砂がギッシリと詰まっている。さらに肛門付近では、飲み込んだ砂が弾丸状のペレットになっているのがわかる(黒矢印)。これが排泄されれば、左写真のようにつぶつぶウンチになる[/caption]   ナマコも肛門から弾丸状のウンチを出すことがおわかりいただけるかと思います。このつぶつぶウンチ、ナマコが海底の砂を丸ごと飲み込み、その中に含まれる有機物成分を餌として吸収し、残りの砂を肛門から排泄した結果です。つまり、ウンチと言っても、ナマコの場合は実際には砂の塊です(安心してください、臭くないですよ!)。 ナマコのように、海底の砂泥底を這い回ったり潜ったりして棲息する無脊椎動物の場合、海底の砂泥ごと飲み込んで、その後必要な栄養分を吸収し、残った砂泥を肛門から出す、という生態をしているものが多いです。このような“砂泥ウンチ”は、図1のように海底表面に出された場合には海流や波の流れによってすぐにバラバラになってしまいます。しかし、たとえば巣穴の中など、海底下深部に出された場合には、その後の破壊を免れてそのまま地層中に化石として保存される可能性があります。 私は、そのような海洋無脊椎動物のウンチ化石についても研究しています。図2でお見せするのは、深海底に生息するユムシという無脊椎動物が出したと思われるウンチ化石です。ユムシもナマコと同様、砂泥ごと飲み込み、必要な栄養分を吸収し、残った砂泥をつぶつぶウンチとして出すことが知られています。図2の化石の事例では、海底下に掘った巣穴チューブの中につぶつぶウンチがギッシリとつまっていることがわかります。 [caption id="attachment_615" align="aligncenter" width="400"]図2 図2 (上)約300万年前の地層中に保存された、ユムシのものと思われるウンチ化石。枝分かれ状の巣穴チューブの中につぶつぶウンチが詰まっていることがわかる (下)巣穴チューブの拡大図。入念に観察すると、数mm程度のつぶつぶウンチが認識できる(黒矢印)[/caption]   さて、気になるその食事メニューは……。ということで、ユムシつぶつぶウンチの中身を観察したところ、珪藻や円石藻などの様々なプランクトンの化石が見つかりました。さらに、つぶつぶウンチのほとんどが、プランクトン化石のみから構成されるような事例も見つかりました。   [caption id="attachment_616" align="aligncenter" width="600"]図3 図3 ユムシのつぶつぶウンチ化石に含まれるプランクトン化石。太古のユムシは、これらプランクトンを食べていたのであろう (左)円石藻 (中央)珪藻 (右)ウンチ化石の中の円石藻の密集部。鉱物粒子の断面以外は、ほぼすべて円石藻化石である[/caption]   このことから、太古のユムシは、プランクトンが大増殖をして、海底に大量にプランクトンの死骸が供給された際に集中的・効率的にそれらを摂餌していたものと考えられます。 いかがでしたでしょうか? この記事を通して、ウンチ化石ワールドの魅力を少しでも実感していただけたのであれば、とても幸いです。しかし、ここではトピック的に一部の成果しかご紹介できませんでした。最終的に、ウンチ化石という視点から「カンブリア爆発以降の5億4000万年間で、海の生態系がどのように変遷してきたのか」という壮大なスケールのドラマを復元することができるように、今後も研究に励んでまいりたいと思っております! ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。]]>
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苦難のポスドク時代を乗り越え、「がん予防」の夢に挑む - 北海道大学・藤田教授 https://academist-cf.com/journal/?p=624 Fri, 05 Feb 2016 02:00:34 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=624 現在、がん予防薬開発を目指した研究費をクラウドファンディングで募る北海道大学遺伝子病制御研究所の藤田恭之教授。「細胞競合」の分野の第一線で活躍する藤田教授のキャリアは、決して平坦なものではありませんでした。

ー藤田先生は、昔から研究者を目指されていたのですか?

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そうではありませんでした。中学生時代は医者になりたいという気持ちもあり、大学では医学部に入りました。しかし医者は患者さんの病気を治すことはできるかもしれませんが、治療できる人数にはどうしても限界があります。そのうち、たくさんの人々を時間や空間を超えて助ける仕事をしたいと考えるようになり、研究で医療に貢献しようと決めました。

ー大学卒業後は、どのような進路を選ばれたのですか?

研修医として働くか、大学院へ進学するかどうか悩んでいたのですが、がん患者さんのことを知らずにがんを研究するのはどうなのだろうと思い、まずは研修医になりました。研修医としての経験を3年間積んだ後、研究者のキャリアを歩み始めました。

ー研修医時代はどのような仕事をされていたのでしょうか?

最初の1年間は、救命救急部に在籍していました。仕事のひとつに、深夜に来院された患者さんの診察を行い、診察結果をまとめるというものがありました。当時は、アメリカから来日された先生の指導を受けていたのですが、先生の回診が始まる午前9時までに全患者さんの診察結果を英語でまとめなければならなくて、かなり大変でした(笑)。ただ、英語が上達したり、アメリカの医療レベルを知れたりなど、大変勉強になる1年でもありました。

2年目以降は、内科に移りました。将来、がんの研究をしようと決めていたので、がん患者さんと接する機会を作っていただき、患者さんとたくさんの時間を過ごしました。ただ、内科に来られる患者さんは、外科手術できない場合が多く、なかには治療の施しようがない方もいらっしゃいました。当時はがんを告知する文化がなかったので、患者さんとの人間関係に悩み、精神的に辛い時期もありました。医者としてがん患者さんを救えなかった経験は、今でも研究の原動力になっています。

ーその後、研究者としてのキャリアをスタートされたということですよね。

そうですね。最初は、大阪大学大学院で4年間研究しました。本当はがん研究を進めたかったのですが、神経伝達物質に関する研究をやることになりまして(笑)。なぜがんの研究をやらせてもらえないんだ! という気持ちを抱いてはいたものの、いざ研究を始めてみると、神経の研究も面白いんですよね。嬉しいことに、当時の研究成果は神経科学分野で有名な雑誌「Neuron(ニューロン)」に掲載されて、無事に博士号を取得できました。

ー博士号取得後は、どうされたのですか?

ベルリンで6年間、ポスドクとして働きました。ポスドクだけでも20人ほど所属する大きな研究室でした。研究室のボスが「君たちの中の1人か2人がNatureに論文を出せればええんや!」という感じの人で、何人かのポスドクに同じテーマを与えて研究させるというような熾烈な環境でした。自由に研究できたのは良かったのですが、競争で勝ち残らなければならないと思うと、かなりしんどいものがありましたね。

そこで、途中からテーマを変えてもらい、独自に研究を進めるようになりました。ただ、ほとんど3年間、データを取ることができずに、ボスの評価は最低でした。研究者のキャリアで最も重要であるポスドク時代にノーデータですので、精神的にかなり辛かったです。夜も眠れない日々が続いたのですが、現実的なテーマに変えたらトントン拍子に研究が進み、ポスドク生活の後半3年間では大きな研究成果を出すことができました。その実績を基に、翌年以降はロンドンで自分のラボを持てることになりました。

ーポスドク後、すぐにご自身のラボを持たれたということですか?

そうですね。ここが人生のターニングポイントでした。ベルリンでの任期を終えた後、日本で助手として働かないかというお誘いもいただいたのですが、自由に研究したい気持ちが強く、お断りしてしまいました。

退路を絶った状態で挑んだロンドンでの選考では、応募者80人中の2人に選んでいただくことができました。後に話を聞くと、かなりギリギリの争いだったようです。はじめの書類審査では、80人から12人まで絞られるのですが、その段階では論文が1本しかなかったので、12人の中では最下位でした。

次に、候補者が一人ずつ呼ばれて、全研究所員へ向けた45分間の講演と、各グループリーダーとの合計6時間に渡る面接により、4人まで絞られました。面接では、各グループリーダーの研究内容を理解する力や、それを基に議論する力などを、総合的に審査されました。難易度は高いのですが、ここは見事に通過することができました。今振り返ると、ポスドク生活の6年間で、毎週異分野のセミナーに参加したり、さまざまな研究室のメンバーと議論した経験を積めたことで、研究者に必要な幅広い知識や視点を持てていたからだと思います。ものすごく苦しい6年間を過ごす中で、知らないうちにどんな分野の研究者とも議論ができる「コミュニケーション能力」が身に付いていたんですよね。ここが僕の得意分野なんだろうなと気付けた瞬間でもありました。

ー最終面接はどのようなものだったのでしょうか?

最終面接は、ホワイトボードとペンだけ持たされて、研究のビジョンを2時間話す「チョークトーク」です。最初課題を聞かされたときは、絶句しましたね。スライドもなしに2時間ですよ(笑)。当日は、自分が思い描くプロジェクトについて語ったのですが、何か発言をするたびに2、3人の審査員の手が挙がり、鋭い質問が飛んできました。専門知識や人間性はもちろん、プロジェクトの実現性はどの程度あるのか、上手くいかない場合にはどう対処するのかなど、根掘り葉掘り聞かれました。面接が終わったときは、完全に落ちたと思いましたね。審査員のイギリス英語が半分くらい聞き取れず、質問内容を何度も聞き返したりしていたので(笑)。

ーロンドンでの研究は順調に進んだのですか?

その後は、割と順調でした。ロンドンでは8年半、昔から考えていたアイデアのひとつである「細胞競合」の研究を進めました。海外で独立する難しさも経験しましたが、良い仲間に恵まれたおかげで、ラボの雰囲気も良く、研究所内の評判も良好でした。ただ、スペイン人、ドイツ人、イギリス人、アルゼンチン人など、さまざまな国から研究員が集まっていたため、言葉や文化の壁を感じることはよくありましたね。議論の方法からモチベーションの保ち方など何から何まで異なるので、一人ひとりに向き合いながら、人間関係を築いてきました。ロンドンでの研究生活を通じて、個々の研究能力だけではなく、性格や特徴も見極める習慣が身に付きました。現在の研究室マネジメントでも活かせているのではないかと思います。

ー最終面接での経験を踏まえると、これからの研究には「異分野融合」という発想は重要になるのでしょうか?

僕が大学院に在籍していた時代は、マウスの専門家はマウスだけを、生化学の研究室は生化学だけを研究していれば論文が書けたのですが、今ではさまざまな分野の知見やノウハウを取り入れないと、大きな論文を出すことが難しくなりました。これは、実験技術の発展による影響もあるのですが、論文のレビュアーが多方面からの見方を要求するんですよね。さまざまなアングルから現象を捉えたほうが、主張に説得力も出るので、現在は異分野融合研究を進めることで科学が深められる時代であるように感じます。

ー日本では異分野融合的な文化は芽生えそうでしょうか?

ヨーロッパでは、いろいろな研究室の人たちと議論することで、科学者としての知識や考え方の幅も広がり、サイエンスを楽しむことができました。ヨーロッパでは文字通り「壁」がないんですよね。異分野の研究者が同じフロアを共有していますし、ティータイムの時に皆でお茶を飲む習慣もあります。一方日本では、下手をすれば隣のラボが施錠されているなど、物理的な壁が存在することが多い印象です。ただ、最近では、面白い研究所もたくさん作られてきているので、今後は数々のコラボレーションに期待できるのではないかと思います。

ー現在、クラウドファンディングで、萌芽的研究テーマとも言える「がん予防」に関する研究費を募られていますが、やはり新しいアイデアには資金はつきにくいのでしょうか?

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日本にも萌芽的研究に予算を与える枠はあるのですが、資金の額が小さいんですよね。また、萌芽的とは言っても、ある程度成功が予想できるテーマに資金が渡ることがほとんどのように思います。誤解を恐れずに言うと、サイエンスは失敗して当たり前で、成功を前提に資金を与える発想自体が間違っていると思います。ただ、面白いアイデアを持ち、かつ実力のある研究者を選ぶことは、そう簡単ではないのも事実です。資金を提供する側も面白さと現実性のバランスを保ちながら、研究者を選ぶことが必要です。そのためには、上層部の方々が欧米との比較をせずに「このアイデアは純粋に面白い。日本から世界を目指そう!」と感じるセンスを持ち、研究者のオリジナリティを評価できなければなりません。そして、研究者も夢を語るだけではダメで、現実に結び付ける能力を身に付けることが重要です。僕もどこまでいけるかわかりませんが、少しずつデータが出る中で、もともとのアイデアの正しさが示されてきているので、常に結果を出し続けるために挑戦していきたいと思います。

ー最後に、今後の野望について教えてください!

「がん予防」という新しい分野を作り、研究を実現させていくことです。そもそも、がん予防なんて胡散臭いじゃないですか(笑)。正直なところ、今の技術レベルでは、本当にがん予防の特効薬があるかどうかを検証することは難しいんですよね。でも、がん予防を実現するには、何を克服したら良いのかということは考えていかなければなりません。超早期のがんを診断し、予防的にがんを排除するためには、超早期がんの診断技術と予防的にがんを排除する技術を同時に発展させていく必要があるのです。本当に可能かどうかはわかりませんが、実現時のインパクトは大きいので、今後はそこにエネルギーを割いていきたいです。胡散臭い学問と言われて終わらせたくないので、しっかりとしたデータを提示し、説得力を持たせながら、夢を実現させていきたいと思います。

 

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酒好きアラサー女ふたりで『ワイン展』に行ってみた https://academist-cf.com/journal/?p=644 Wed, 17 Feb 2016 02:00:51 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=644 白瀧「あの……良かったら、上野の国立科学博物館で今やっている『ワイン展』でデートしませんか?」     suto   周藤「いいですね! 行きましょう!」     ……と、トントン拍子に話が進み、2月14日、ふたりでワイン展に行ってきました。   [caption id="attachment_645" align="aligncenter" width="300"]001 ワイン展会場に到着。ドキドキしますね![/caption]   [caption id="attachment_649" align="aligncenter" width="300"]002 展示はとても大人っぽい雰囲気。ワインが飲みたくなります[/caption]   shira   白瀧「会場は大きく3つに分かれている……みたいですね?」     suto周藤「そうですね。ワインの作り方を学べるZone1、ワインの世界規模での歴史を知ることができるZone2、そしてより深くワインを楽しむことができるようになるZone3、という感じのようですね。」     shira   白瀧「Zone1に足を踏み入れ……っと。わあ、ブドウがたくさん!」     [caption id="attachment_648" align="aligncenter" width="300"]003 ブドウの紹介から入るZone1。いろんな種類のブドウがあるもんだ[/caption]   shira   白瀧「美味しそうですね〜」     suto   周藤「……まだお酒になってないですよ。」     shira 白瀧「うう、発酵させないとですよね……あっ、発酵のコーナー発見しました! 微生物が展示されてますよ!」     赤ワインは、まずブドウの粒をつぶし、発酵させた後にしっかりとブドウを搾って種や皮などを取り除き、熟成させることで作られるのだそうです。そして、この「発酵」というプロセスを行っているのが、酵母とよばれる微生物。もともとブドウには複数種の酵母がおり、この中の一種類であるSaccharomyces cerevisiae (いわゆるイースト菌)にアルコールを作らせてブドウ果汁をお酒にしていく、ということがわかりやすく展示されています。   [caption id="attachment_650" align="aligncenter" width="300"]004 ブドウにもともといる酵母[/caption]   [caption id="attachment_656" align="aligncenter" width="300"]al アルコール発酵。酵母がグルコースからエタノールを作ります[/caption]   shira 白瀧「私、Saccharomyces cerevisiaeのフォルムが凄く好きなんです……丸くてコロンとしていて」     suto   周藤「あ、顕微鏡で実際に観察できるみたいですね。どれどれ……」       [caption id="attachment_646" align="aligncenter" width="300"]005 顕微鏡で酵母(Saccharomyces cerevisiae)を真剣に観察する周藤氏[/caption]   shira   白瀧「丸かったですか?」     suto   周藤「丸かったです。」     科学の基本はやっぱり観察ですよね。実際の形は、ぜひ会場で直接確かめてみてください……! ちなみに、発酵の後のプロセスである熟成についても、こんな展示が。   [caption id="attachment_647" align="aligncenter" width="300"]006 熟成していないワイン(手前)と熟成したワイン(奥)の色の比較。左は赤ワイン、右は白ワイン[/caption] なんかこう、実験室に置いてある試薬が空気酸化されて変色していく様を思い出してしまいますね……私だけでしょうか……。ワインの熟成の正体も、空気による酸化ですものね。うん。美味しくなってほしいです。 さて、Zone1、Zone2を順調に見学していった我々。Zone3で予想もしなかった展示を見つけました。Zone3では、バルト海の沈没船から2010年に引き揚げられたという約170年前の非常に貴重な最古級シャンパーニュ(日本初公開)が展示されていたのですが、なんと、そのすぐ側に米国アカデミー紀要(PNAS)に掲載された論文が展示されているのです! ビックリ! 紹介されていた論文は、 Philippe Jeandet et al. (2015) Chemical messages in 170-year-old champagne bottles from the Baltic Sea: Revealing tastes from the past, Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 112, 5893-5898 です。この最古級シャンパーニュの成分分析の結果を報告したもののようですね。ロマンチックなタイトルにも注目です。会場には1ページ目のみしか展示されていなかったため、後日ゆっくり見てみようっと。オープンアクセスの論文なので、こちらから誰でもダウンロードできますよ。 Zone3が終わったあとは、お土産コーナーでした。白瀧はワイン展の図録を、そして周藤氏は美味しそうなお土産用ワインをしっかりゲットして帰路についたのでした。 ワイン展は2016年2月21日まで、つまり今度の日曜日までです。気になるな、行こうかな、と思っている方……この週末がラストチャンスです! 科学系の博物館だし、文系だと楽しめないのかな……なんていう心配もご無用。Zone2には、ワインに関する古代の壁画など、世界史や考古学が好きな人には垂涎モノなのでは?! と思われる展示が盛りだくさんでした。 特別展であるワイン展だけではなく、常設展も非常に見応えがある国立科学博物館。 両方合わせると、1日居ても見きれないほどです。老若男女、たくさんの方が来館されていますよ。まだ行ったことがないんです、一人でも大丈夫かな……という方、一人でもまったく問題ありません!ぜひとも気楽に、国立科学博物館に遊びに行ってみてくださいね。]]> 644 0 0 0 ITベンチャーのお祭り「THE BRIDGE Fes 2016」に出展してきました! https://academist-cf.com/journal/?p=659 Mon, 22 Feb 2016 02:00:34 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=659

こんにちは!academistでインターンをしているやべべです。

国内スタートアップの情報を配信するブログメディア「THE BRIDGE 」が2月19日に開催した企業展示会「THE BRIDGE Fes 2016」にacademistも出展してきました! イベントの様子をご紹介したいと思います。

イベントには約100社が出展し、9時半の開場早々たくさんの人が来場していました。

[caption id="attachment_660" align="aligncenter" width="300"]ブースには約100社が出展 ブースには約100社が出展[/caption]

こちらがacademistのブースになります!

[caption id="attachment_661" align="aligncenter" width="300"]中央に鎮座するテヅルモヅルの乾燥標本 中央に鎮座するテヅルモヅルの乾燥標本[/caption]

academistのファーストチャレンジャーである岡西政典さんから頂いたテヅルモヅルさんを今回展示いたしました。

数ある企業の中でも生物の標本を持ち込んできたのはacademistだけ! 明らかに異彩なオーラを放っているテヅルモヅルさんに皆さん興味津々でした(笑)

[caption id="attachment_662" align="aligncenter" width="300"]大活躍のテヅルモヅルさん 大活躍のテヅルモヅルさん[/caption]

ブースには、IT業界で働く方々や投資家の方々、学生さんまで見学にお越し頂きました。

IT業界の皆さんにも弊社の新しい試みに大きな関心を寄せて頂き、「アカデミスト社の事業には大きな希望を感じる」「今あるベンチャーの中で一番価値ある事業を行っている」等のコメントにはとても勇気付けられました! 一方で、事業をスケールさせることの難しさに関するコメントも頂き、弊社事業のこれからを考える貴重な機会ともなりました。この場を借りて様々なアドバイスを頂いた関係者の皆様にお礼を申し上げたいと思います。

[caption id="attachment_663" align="aligncenter" width="300"]大学生の方々にも多数お越しいただきました!- 大学生の方々にも多数お越しいただきました![/caption]

ここで、会場の様子を一部ご紹介させて頂きます!

[caption id="attachment_664" align="aligncenter" width="300"]低コストセンサーを利用して、要介護老人の離床タイミング、部屋環境の変化、心拍数の異常などを検知することで施設や自宅での介護をサポートするZ-Works社 低コストセンサーを利用して、要介護老人の離床タイミング、部屋環境の変化、心拍数の異常などを検知することで施設や自宅での介護をサポートするZ-Works社[/caption]   [caption id="attachment_665" align="aligncenter" width="300"]自家用車に簡単に取り付けられるヘッドアップディスプレイを用いた運転支援デバイスを開発しているPyrenee社。透過ディスプレイに映し出されるインフォメーションが男心をくすぐられます。 自家用車に簡単に取り付けられるヘッドアップディスプレイを用いた運転支援デバイスを開発しているPyrenee社。透過ディスプレイに映し出されるインフォメーションが男心をくすぐられます[/caption]   [caption id="attachment_666" align="aligncenter" width="300"]同会場で開催された講演「日本はなぜFinTechスタートアップが少ないのか?」やはり多くの方が金融にも関心があるようでした 同会場で開催された講演「日本はなぜFinTechスタートアップが少ないのか?」やはり多くの方が金融にも関心があるようでした[/caption]

ITベンチャーの展示会ということでアプリの展示が多かったのですが、ガジェット展示やトークセッションもおこなれていました! 

[caption id="attachment_667" align="aligncenter" width="300"]academistチームの集合写真 academistチームの集合写真[/caption]

今後もこのような活動を続けていくことでたくさんの方々に認知頂き、academistを通して多くの研究者の皆さんを支援できるよう頑張って参ります!

academistでは現在、がん予防薬開発を目指す北海道大学遺伝子病制御研究所藤田恭之教授のプロジェクトを応援しております。募集期間は残り5日!皆さん応援よろしくお願いいたします!

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オープンサイエンスとは何か?多様な視点からその正体に迫るイベントが京都で開催 https://academist-cf.com/journal/?p=673 Wed, 24 Feb 2016 02:00:00 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=673 「オープンサイエンス」とは理論物理学者マイケル・ニールセン氏が書籍『オープンサイエンス革命(紀伊國屋書店)』にて提唱したものです。インターネットを活用し研究データを一般の人に公開することで、科学研究を効率的に発展させる動きのことを言います。

2016年1月8日オープンサイエンスを既に実践、これから実践しようとしている研究者、大学、民間企業が勢揃いし、それぞれの視点からその正体に迫るワークショップが京都にて開催されました。

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クラウドファンディングで160万円の研究費獲得に成功したことが開催のきっかけ

京都大学白眉センター理学研究科特定准教授の榎戸輝揚氏は昨夏カミナリ雲から発生するガンマ線を検出し、中性子星の謎の解明に役立てる研究の資金を、クラウドファンディングを通じて集めました。榎戸氏はこの成功から、近年話題になっているオープンサイエンスについてより多くの事例を知ってみたいとの思いを持ち、今回のワークショップ開催を思いついたとのことです。

[caption id="attachment_679" align="aligncenter" width="500"]榎戸氏と湯浅氏が進める雷雲プロジェウトのクラウドファンディング 榎戸氏と湯浅氏が進めた雷雲プロジェウトのクラウドファンディング[/caption]

オープンサイエンスの4つの型

榎戸氏は近年多くの人が「オープンサイエンス」の重要性を説くようになってきている一方、実際のところよくわかっている人はそんなにいないのではないかと指摘します。

オープンサイエンスには多様な在り方があり、その全体像はほとんどの人が掴めていませんが「科学者がより広く研究を公開し、市民が様々な形でサポートをする」というのがオープンサイエンスの形と捉えると、「市民が科学者にデータを供給する」「市民が科学者とデータ解析をする」「市民が研究者に資金を供給する」「市民と研究者が一緒に研究を楽しむ」という4つの型があると榎戸氏は分析します。

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市民が科学者にデータを供給する

京都大学でナメクジの研究をしている宇高寛子氏は、新しい種の研究のためには一般の人と協力する必要があると語ります。宇高氏は近年日本への移入が確認された「マダラコウラナメクジ」に注目しています。このナメクジには、他の種類のナメクジと一緒に飼育すると他のナメクジの生存率が下がるという特徴があり、このまま繁殖が進むと日本のナメクジの全てが「マダラコウラナメクジ」に置き換わってしまう可能性があります。宇高氏はこのナメクジの生息分布を明らかにするためTwitterアカウント「ナメクジ捜査網」を開設し、ナメクジの写真をツイートし始めました。すると一部のツイートが600RTほどされたのをきっかけに、徐々に一般の人から目撃報告があがってくるようになったそうです。

[caption id="attachment_677" align="aligncenter" width="375"]マダラコウラナメクジ マダラコウラナメクジ[/caption]

また、インターネットの発展によりが情報共有が簡単になったが、依然課題はあると指摘するのは大阪市立自然史博物館の金沢至氏です。金沢氏はアサギマダラという蝶の渡りの実態解明のために蝶の羽にマーキングをし、渡り後に市民中心に再捕獲をしてもらったデータを照合して、どこからどこに渡りをしたのか調べています。研究開始当初は「新聞、情報誌」のような紙媒体が情報共有の中心でしたが、現在ではfacebookで再捕獲された蝶の写真が共有される時代になりました。共有そのものが簡単になった昨今は、人によりマーキングの形式が違ったり、標識情報、再捕獲情報が整理されていない等、別の課題が挙がってきていると言います。

このように市民と協力して研究を加速する流れの中にあって、京都大学で考古学研究を進める上峰篤史氏は、一般に門戸を開くために研究者が必死にアウトリーチ活動をするのは問題だと指摘します。考古学界では「岩宿遺跡の発見」等、元々アマチュアが常識にしばられない発想で研究を実施することによりアカデミアに非常に大きな貢献をしてきていて、今のままでも考古学は十分オープンであり、一般の人の関心を呼ぶために躍起になって、研究成果を用いて芸術活動をしたりするのは学問の本質から離れてしまっていると警鐘を鳴らします。

市民が科学者とデータ解析をする

理化学研究所にて中性子星の研究を進める湯浅孝行氏は、昨夏中性子星からのX線ビームとメカニズムが似ているカミナリ雲からのガンマ線ビームの研究でクラウドファンディングプロジェクトを実施し、160万円の研究費獲得に成功しました。このプロジェクトで得られたデータは「thdr.info」というWEBサイトにて一般公開しており、データの解析で一般の人とコラボレーションをはかろうとしています。一方、解析は自動化すれば市民の手を借りる必要はないのではという指摘もあります。しかし、湯浅氏は海外の事例として「galaxy zoo」というプロジェクトを紹介します。このプロジェクトは大量に撮影された銀河の写真を一般に公開し、市民に銀河の分類の協力を仰いだものですが、分類中に一人の人がどれにも当てはまらない違和感ある銀河に気付き、その結果新しい銀河の分類が生まれるという成果が得られています。こういった自動化や専門家だけではすくい上げられない部分で、市民とコラボレーションする意義があると言います。

[caption id="attachment_681" align="aligncenter" width="500"]galaxy zooのWebサイト galaxy zooのWebサイト[/caption]

また2012年、国立天文台の田中雅臣氏はアマチュア天文家と協力し、超新星を探すKISSプロジェクトを実施しました。これは東京大学木曽観測所の望遠鏡を用いて、毎晩空の広い領域を一晩に複数回撮影、監視することで爆発の瞬間の超新星を捉えることを目的としています。KISSプロジェクトでは瞬間を捉え、すぐに追加観測をするため爆発から1時間以内の対象天体の発見が求められます。結果として1時間以内の観測は叶いませんでしたが、合計で139個もの超新星を発見することができました。

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市民が研究者に資金を供給する

学術系クラウドファンディングサイト「アカデミスト」を運営する柴藤亮介氏は「既存の科研費システムには一つ欠陥がある」と指摘します。それはある研究にお金を出すか判断をするのが、市民ではなく政府だということから、間接的な支援システムになってしまっているということです。このことにより、誰が何のためにどれくらいの資金を研究に充てているのかわからないという状況を招いています。クラウドファンディングはその点市民が直接その研究を支援するかどうか決めるため、直接的な支援システムになっています。ここで、柴藤氏は次の目標を掲げました。「科研費:アカデミスト=99:1」(20億円程度)とし、研究者の資金獲得において一つのスタンダードな選択肢となることを目指しています。

京都大学再生医科学研究所の飯田敦夫氏は以前アカデミストにて、クラウドファンディングを実施しています。飯田氏はオープンサイエンスを考える上で、研究には「発案」→「構想」→「議論」→「データ収集・実験」→「議論」→「発表」→「広報・議論」というプロセスがあり、どの部分をオープンにするのかという視点があると指摘します。これまでは一般への公開というと、発表後のアウトリーチ活動のことを指していました。しかし、クラウドファンディングを例として発表前のプロセスから一般の人とコラボレーションをするというやり方に注目が集まってきています。こうした新しい研究の進め方に対して、飯田氏は研究分野によって向き不向きがあると指摘します。例えば、分子生物学の分野においては遺伝子組み換え生物を扱うため、高価で専門的な機器を使うことが多く、大学でしか実験できません。

2015年9月に実施した「お腹の中で子育てする魚「ハイランドカープ」の謎に迫る!」のクラウドファンディングでは支援総額69万円、サポーター92名の支援を集めました。

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飯田氏はこのプロジェクトを支援したサポーターに注目し、支援コメント59個の内容からサポーターの種類を3種類に分類しました。その結果、始めから個人的な繋がりがある友人、知人が20人、以前何らかのイベント等でファンになってくれた潜在的な知人が15人、全く繋がりがない人が25人、それぞれおよそ3割ずつになりました。

アウトリーチという観点から考えると、全く繋がりがなかった25人の新しいファンをどのように増やしていくのかが課題になります。そこで、飯田氏は実体験を元に3種類の方法に整理しました。2つ目は従来通りの研究室の一般公開や、サイエンスカフェ等のイベントによる地道なアウトリーチ活動です。この方法では、直接対話が可能なためコアなファン向けに深い広報活動を行うことができます。2つ目はインターネットを通じた広報活動です。

相手の顔も見えず、広報力としては浅いですが、興味を引くことができれば多く拡散され、きちんと読んでもらえます。3つ目がテレビのようなマスコミです。これは完全に一方通行で、誤解を生む可能性がありますが、関心のない人の目にも触れるので、極めて大きな拡散力があります。飯田氏はこれら3種類の方法を適切に使い分け、効果的なアウトリーチ活動に繋げていくことが重要と結論付けます。

市民と研究者が一緒にサイエンスを楽しむ

スマホ顕微鏡を軸にした共創プラットフォーム「Life is Small」プロジェクトにて活動する早川昌志氏。スマホ顕微鏡というツールを使い、新しいサイエンスコミュニケーションの形に取り組んでいます。早川氏はサイエンスコミュニケーションには3つの段階「入り口をつくる」「理解を深める」「自宅で研究する」があると言います。まず入り口として、微生物のグッズやアートをつくり、触れてもらう機会の提供があります。中でも微生物トランプはこれまで1,000セットほど売れていて、ヒット商品となりました。最近では「なまけっと」「いきもにあ」「博物ふぇすてぃばる」等の博物系展示物販の場が増えてきており、そういった場で掴みとしてまずグッズに興味を持ってもらい、その場で実際の微生物を顕微鏡で観察してもらうという流れは、非常にスムーズだったといいます。

微生物展示は狭いスペースでも顕微鏡一つあれば観察ができるとはいえ、都度顕微鏡を持ち運ぶのは大変で、手軽に観察とは言いがたいものでした。そこで新しく開発されたのが「スマホ顕微鏡Leye」です。スマホと小さなキットがあれば手軽に観察ができ、スマホの画面を通じて見ている顕微鏡の視点を複数人で共有できるという利点があります。こちらは非常に好評で、小学生が20分くらいいじって遊んでいたこともあるそうです。合わせてこのスマホ顕微鏡から生まれたfacebookグループ「Life is Small」を運用し、理解を深められる場が提供されています。また、実はワインセラー等を使い、自宅で微生物を飼うことができます。観察に使うシャーレもプリンカップで代用できるため、早川氏は市民による微生物研究「DIY微生物研究」を広めていこうとしています。「Life is Small」ではインターネット上で微生物に関する質問に研究者が答える相談室を設けています。「お酒の肴にミドリムシ」のような気軽さで微生物に触れられる新しい顕微鏡文化の創出を目指しています。

何が科学かという視点

東京大学にて科学コミュニケーション分野の研究・教育を行っている横山広美氏は、つい先日から科学のクラウドファンディングについての研究を開始しました。まず横山氏はそもそも何が科学なのかという論点を提示します。ここで同じく東京大学にて科学技術社会論を研究する藤垣氏の「ジャーナル共同体が科学かどうかを決めている」という主張を取り上げます。横山氏は実際には予算獲得時点でピアレビューがなされていることに目をつけ、このレビューを行う共同体を「予算決定共同体」と名付け、この共同体が実質的にその研究が科学かどうかを決めていると指摘します。そのように考えると、クラウドファンディングは事前のピアレビューがないので、非常に興味深い現象が起きていると言えます。その支援者は商品を購入しているだけなのか、研究者を支援しているのか、純粋に科学を支援しているのかという疑問も湧いてきます。

クラウドファンディングも通常科学になっていくのかもしれない

海外に目を向けると海外の大手でexperimentというクラウドファンディングサイトがあり、このサイトではプロジェクト申請時にピアレビューをし、既に論文毎にDOI番号を振った独自のジャーナルを保有しています。横山氏はこのことからクラウドファンディングは質を保つために通常科学になりつつあるのかもしれない、と指摘します。

横山氏はクラウドファンディングにはやはり通常科学の枠にないことができるからこそ、政府予算では網羅できないニッチを攻めていって欲しいという期待と、研究の質の担保、また倫理的な問題を抱えた研究テーマをどのように扱うのかといった課題を挙げました。

国から配分される科学研究費が減少傾向にあるため、各研究機関では外部から資金を獲得することが切実な課題として挙がってきています。そのため外部から関心を呼ぶことで資金を獲得したり、研究を効率化したりするクラウドファンディングやオープンサイエンスといった流れは重要性を増しています。より多くの研究者が先進的な取り組みに挑戦できるよう、産学官が連携して応援していける仕組みづくりが早期に整備されることを切に願います。

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「愛」は普遍なのか? ヒッタイトの楔形文字から探る! https://academist-cf.com/journal/?p=754 Fri, 01 Apr 2016 04:50:05 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=754 アカデミストは、学術系クラウドファンディングサイト「academist(アカデミスト)」にて、歴史学のプロジェクトを開始しました。

「愛」は普遍なのか? ヒッタイトの楔形文字から探る!

チャレンジャーは京都大学文学部の山本孟(やまもとはじめ)研究員です。山本研究員はこれまでに、粘土板に刻まれた楔形文字から、古代アナトリア(現在のトルコ共和国)にあるヒッタイト王国の外交や条約に関する歴史を調べる研究を進めてきました。

[caption id="attachment_755" align="aligncenter" width="300"]th_back2 ヒッタイトの首都ハットゥシャの遺跡[/caption]

今回のクラウドファンディングでは、ヒッタイト人の「愛」に注目した研究を進めることを目指します。これまでは、外交という王たちの「ハード」な人間関係を扱ってきましたが、原点に立ち返りもっと「ソフト」な人間関係を考えます。通常「愛」と訳されるヒッタイト語「aššiyatar」に注目し、古代アナトリアの「愛」の意味に迫ります。

クラウドファンディングで集めた研究費は、主に膨大な資料を解析するための人件費に使われる予定です。支援者へのリターンとして、「オリジナル楔形文字粘土板(ヒッタイト語メッセージ付き)(3,000円)」や「楔形文字講座参加チケット(10,000円)」などが用意されています。

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【募集期間】2016年3月31日〜2016年5月15日

【支援サイト】academist(アカデミスト)https://academist-cf.com/

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星はどのように形成されたのか?ーハワイ島マウナケア山頂付近にあるサブミリ波望遠鏡でそのメカニズムに迫る! https://academist-cf.com/journal/?p=767 Wed, 06 Apr 2016 04:00:55 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=767 宇宙における星形成史を辿ってみたい! チャレンジャーは徳島大学教養教育院の古屋准教授です。古屋准教授は、星形成における磁場の役割の解明を目指した国際プロジェクト「BISTRO(B-fields In STar forming RegiOns)」の日本チームのまとめ役を務めています。 th___support 宇宙を漂う粒子たちは、たがいに重力を及ぼし合うためすこしずつ集まり、ほぼ球体のガス雲になります。そのガス雲は次第に回転し、回転軸の直交方向につぶれてホットケーキのような形の「原始惑星系円盤」を形成します。太陽系を含むすべての惑星系は、原始惑星系円盤から誕生したと考えられているのですが、必ずしもガス雲から惑星系が誕生したとは限りません。 back1 古屋准教授は、ガス雲の運命を決めると言われている「磁場」に注目し、ハワイ島マウナケア山頂付近にあるサブミリ波望遠鏡で、そのメカニズムに迫ります。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA クラウドファンディングで集めた研究費は、研究員をハワイ島へ派遣するための費用として使われる予定です。支援者へのリターンとして、「オリジナルポストカード(1,000円)」や「BISTRO-Jメンバーによる国立天文台見学ツアー(30,000円)」などが用意されています。 【募集期間】2016年4月5日〜2016年6月5日 【支援サイト】academist(アカデミスト)]]> 767 0 0 0 コオロギ食は普及するのか?ーフタホシコオロギの大量飼育を目指した学術系クラウドファンディングプロジェクトが始動! https://academist-cf.com/journal/?p=775 Wed, 06 Apr 2016 03:00:58 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=775 アカデミストは、学術系クラウドファンディングサイト「academist(アカデミスト)」にて、昆虫食の普及を目指したプロジェクトを開始しました。

フタホシコオロギ食用化プロジェクト!

チャレンジャーは、徳島大学生物資源産業学部の三戸准教授と農工商連携センターの渡辺助教(2016年3月)です。お二人はこれまでに、フタホシコオロギを用いた発生研究を行ってきました。

[caption id="attachment_776" align="aligncenter" width="1200"]th_back2 大量養殖を目指すフタホシコオロギ[/caption]

コオロギといっても、エンマコオロギやタンボコオロギなど、さまざまな種が存在します。現在主に海外で食用として養殖されているのは「ヨーロッパイエコオロギ」ですが、お二人は熱帯原産の「フタホシコオロギ」に注目しています。フタホシコオロギは体が大きいため、今回の研究で大量飼育に成功することができれば、食用利用の可能性が見えてきます。

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クラウドファンディングで集めた研究費は、フタホシコオロギの大量飼育に使われる予定です。支援者へのリターンとして、「オリジナルコオロギパウダー(3,000円)」や「オリジナルコオロギ標本(30,000円)」などが用意されています。

[caption id="attachment_778" align="aligncenter" width="1200"]3000 クラウドファンディングのリターンとして提供されるコオロギパウダーのリターン(3000円)[/caption]

【募集期間】2016年4月4日〜2016年5月31日

【支援サイト】academist(アカデミスト)

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今、うんちの化石がアツい?! − 名古屋市科学館の「恐竜・化石研究所」でティラノのうんちとご対面してきた https://academist-cf.com/journal/?p=782 Mon, 11 Apr 2016 02:00:27 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=782 この春、名古屋で盛り上がっているアレを皆さんはご存知だろうか?! テレビのCMでも、街中のポスターでも、いたるところで目にするそいつは……そう、”ティラノのうんち”である。なんと今、名古屋市科学館では、世界最大のティラノサウルスのうんち化石を展示した「恐竜・化石研究所」という特別展が開催されており、連日大盛況なんだそうだ。 [caption id="attachment_784" align="aligncenter" width="700"]image003 これは気になる……。特に右下[/caption] うんちの化石の科学といえば、1月の泉賢太郎氏のコラムも記憶に新しいところ。これは……2016年は、うんち化石がアツいかも!! そこでさっそく筆者の白瀧が、名古屋市科学館「恐竜・化石研究所」会場へと赴き、この特別展の企画者である西本昌司学芸員にお話をきいてきました。 [caption id="attachment_785" align="aligncenter" width="1200"]image005 西本さん、よろしくお願いします![/caption] * * * shirataki 白瀧:うんちの化石が展示されているらしい、ということで気になりまして……興味が湧いて、来てしまいました。   nishimoto 西本さん(以下、敬称略):気になったでしょ? 狙い通りです(笑)     shirataki 白瀧:ブツはどちらにあるのでしょうか。     nishimoto 西本:せっかちだなあ。じゃあ、会場の中へどうぞ。     shirataki 白瀧:あっ、ティラノサウルス発見です!     [caption id="attachment_786" align="aligncenter" width="1200"]image007 写真左側がティラノサウルス全身骨格。右側はテルミノナリス骨格など[/caption]   shirataki 白瀧:やっぱり迫力がありますね。さて、うんち化石は…? ティラノサウルス骨格の下には、特になにも無さそうですが……。     nishimoto 西本:下ではないですが、ティラノサウルスのしっぽの近くに展示してありますよ。     shirataki 白瀧:しっぽの近く? ま、まさか、通り道の奥のほうに見えるショーケースは、もしや。     nishimoto 西本:そう、そのショーケースの中にあるのが、ティラノサウルスの糞化石です。     [caption id="attachment_787" align="aligncenter" width="1200"]image009 これが”ティラノのうんち”!![/caption]   shirataki 白瀧:うひゃー。こいつが世界最大のティラノサウルスのうんち化石ですか。     nishimoto 西本:実は、世界最大というか、より正確には、世界で唯一「ティラノサウルスの糞であると認められた化石」なんです。     shirataki 白瀧:えっ、どういうことですか。     nishimoto西本:ほかのうんち化石は、ティラノサウルスの糞かどうかまでは決めることができていないんです。肉食恐竜の糞化石である、ということまではわかっても、その恐竜がティラノサウルスかどうかはわからない。でも、この化石だけは、きちんと論文でティラノサウルスの糞の化石だと発表されているんです。     shirataki 白瀧:なぜティラノサウルスの糞だとわかったのですか。     nishimoto西本:ポイントは3つでした。まず、サイズが大きいこと。小さな恐竜が大きな糞をするとは考えにくいです。次に、糞化石に骨片が入っていたこと。肉食動物の糞だとわかりました。そして最後に、同じ地層から見つかる大型肉食動物が、ティラノサウルスのみだったということ。これらの理由から、ティラノサウルスの糞だと断定されたんです。     shirataki 白瀧:そんな風に、ティラノサウルスの糞だとはっきり突き止められたのは、今ここにあるうんち化石だけなんですね。研究者の熱意を感じます……!     nishimoto西本:会場にはほかにも、いろいろなうんち化石を集結させてみました。うんちの化石を調べれば、その時代の生き物が何を食べていたのかもわかるし、どんな石になったかを調べることで、石化した際の環境、つまり過去の地球の姿を知ることもできます。     [caption id="attachment_788" align="aligncenter" width="1198"]image011 「石を見ることは、過去の地球を知ることです」[/caption]   nishimoto西本:実は、私が今とても知りたいのが、「生物はどうやって石になっていくのか」ということです。石になっていくプロセスに、ぜひ皆さんにも興味をもってもらいたい。だから、「恐竜・化石研究所」では、こんなコーナーを作ってみました。     shirataki 白瀧:えっ、何ですか、ここ?! 凄い!!     [caption id="attachment_792" align="aligncenter" width="1200"]image013 “化石の中の結晶”のコーナー。本特別展のとっておき![/caption]   shirataki 白瀧:キラキラしていて綺麗ですね……!こんなコーナー、初めて見ました!     nishimoto西本:化石が長い間その形をとどめたままでいられるのは、固い石になるからです。生き物の体が、石に置き換わっていく。体の隙間が、鉱物で埋まっていく。”化石の中の結晶”や”結晶になった化石”を見て、過去の地球の姿や、地球で起こってきた出来事に……”地球の営み”に興味を持ってもらえたら、と思いました。   [caption id="attachment_791" align="aligncenter" width="1200"]image015 オパール化した二枚貝。虹色なのがわかりますか?[/caption]   [caption id="attachment_790" align="aligncenter" width="1200"]image017 黄鉄鉱化したアンモナイト。金色に輝いています[/caption]   [caption id="attachment_789" align="aligncenter" width="1200"]image019 魚の中で、方解石の結晶が成長[/caption]   [caption id="attachment_795" align="aligncenter" width="1200"]image021 殻の隙間に鉱物結晶ができたアンモナイト。西本さんのイチオシ化石[/caption]   shirataki 白瀧:生き物が石になるプロセス……本当に不思議ですね。私もとても知りたいです。     nishimoto 西本:そんな風に、たくさんの人に思ってもらえたら嬉しいです。過去の生き物の姿だけではなく、地球の営みの全体を見て、感じてほしいという思いで、このちょっと変わった特別展を企画しました。是非、多くの方に楽しんでいただけたらなと思います。   [caption id="attachment_796" align="aligncenter" width="1198"]image023 オリジナルガイドブックも会場で発売中[/caption] * * * 一風変わった、見応えたっぷりの特別展「恐竜・化石研究所」。ご紹介できなかった展示も、ワクワクするものばかりでした。こんなの有り?!という斬新な展示も…来場すれば、時代の目撃者になれるかも?!この春の休日、名古屋市科学館で地球の歴史に思いを馳せてみるのはいかがでしょうか。   恐竜・化石研究所 公式ウェブサイトはこちら ※2016年6月12日まで開催中]]> 782 0 0 0 全国のクマムシ研究者が集結!〜市民に開かれたオープンな研究会に参加してみた〜 https://academist-cf.com/journal/?p=803 Tue, 12 Apr 2016 03:02:52 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=803 第1回クマムシ学研究会」が開催されました。昨年オンラインで「クマムシ博士のクマムシ研究所」を立ち上げたクマムシ博士・堀川大樹氏がモデレーターを務める誰でも参加できる研究会です。通常、学会に参加するには年会費や参加費等のハードルがあるのですが、今回は一般公開ということもあり、ここぞとばかりに参加してきました。 [caption id="attachment_806" align="aligncenter" width="989"]クマムツ 当日の案内板。ク、クマムツ…?[/caption] 狙って作られた(?)案内板に和みながら、いざ会場へ。200名近く入る大教室に、全国のクマムシ研究者やクマムシファンの方々が集結していました。 いまから10年前、クマムシ研究会が東京大学で開催されたそうなのですが、継続的な開催にはつながらなかったようです。そこで今回、「もう一度、クマムシ研究会を開催したい!」という思いを形にするために、慶応義塾大学先端生命科学研究所の荒川和晴氏、慶応義塾大学医学部の鈴木忠氏、慶応義塾大学先端生命科学研究所の堀川大樹氏の3名により、本研究会が立ち上げられました。現在クマムシを研究している人たちがほぼ全員集結しているため、「クマムシの現在を知るなら、ここしかない!」濃密な場所であると言えます。 [caption id="attachment_807" align="aligncenter" width="882"]クマムシ博士 開会の挨拶をするクマムシ博士[/caption] クマムシは、体長1mm以下で、8本の脚を持ち、土壌や苔、海などに生息しています。周囲が乾燥してくると体を縮め、ほとんど代謝を行わない状態になります。この状態のクマムシは、100℃ほどの高温や、ほぼ絶対零度(約-273℃)の低温、人類の致死量の1000倍のX線に耐えることができて、再び水を与えると動き回ることができるようです。 当日は、そんなクマムシを愛してやまない現役研究者と大学院生、高校生まで合計14名の研究者によるトークが5時間に渡って繰り広げられました。 トピックとしては、
  • 南極のクマムシの生態
  • 凍っても死なないクマムシの謎
  • クマムシの窒息仮死
  • ヨコヅナクマムシのアルコール耐性
  • クマムシ一匹からのマルチオミクス解析
など、興味をそそられる研究が多くありました。発表内容は極めてガチではあるのですが、演者の方々が初学者向けに発表を工夫していただけていたこともあり、大変刺激的な時間を過ごすことができました。 [caption id="attachment_808" align="aligncenter" width="1024"]グッズ販売 販売されていたクマムシさんグッズ[/caption] 通常のイベントでは、参加者間の付き合いが当日限定になることがほとんどで、近い興味を持つ人たちの関係性を保ちにくい傾向にあります。ただ、今回はクマムシ学研究会のオンライン版とも言える「クマムシ研究所」があるため、一度できた関係性を時間と空間を超えて深めていくことが可能です。 イベントのような短期間での取り込みに加えて、オンラインサロン等を活用した中長期的な取り組みを加えることで、より魅力的なコミュニティができるのだろうと感じました。 第2回クマムシ学研究会、今から楽しみにしています! [caption id="attachment_813" align="aligncenter" width="600"]Screen Shot 2016-04-10 at 7.26.05 PM 特別ゲストの巨大クマムシさん[/caption]]]>
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古代に生きた人々の心を理解する - 粘土板の楔形文字が教えてくれること https://academist-cf.com/journal/?p=825 Mon, 18 Apr 2016 01:00:32 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=825 クズルウルマック河(トルコ語で「赤い河」)。ヒッタイト時代にはマラシャンティアと呼ばれていました。[/caption]

中近東の古代文明といえば、エジプト文明やメソポタミア文明が有名ですが、こうした文明が栄えた時代、今から約4500年前のアナトリア中央高原(現在のトルコ共和国)には、ヒッタイトという王国が成立しました。ヒッタイト人について、高校世界史の教科書では「インド=ヨーロッパ語系で、世界に先駆けて鉄製の武器を使用し、メソポタミアに遠征してハンムラビ王で有名なバビロン第1王朝を滅ぼし、またシリアではエジプトとカデシュの戦いで対決した」というような説明がされています。

これだけ聞くと、ヒッタイト人とは鉄製の武器を使って遠征を繰り返した人々という、好戦的なイメージをもたれるかもしれませんが、実は外交によって諸国と共存をはかった現実的な人々であったという一面もあります。ヒッタイトの首都ハットゥシャの遺跡で見つかった楔形文字粘土板文書には、ヒッタイト王が諸外国と交わした条約や書簡などが確認されており、彼らの外交活動が明らかになっています。たとえば、エジプトとの戦争の数十年後には、両国の王がいわゆる「カデシュ条約」を締結しており、それは世界初の平和条約といわれます(レプリカがニューヨークの国連本部の壁に飾られていました!)

[caption id="attachment_829" align="aligncenter" width="500"]イスタンブール考古学博物館所蔵のカデシュ条約 イスタンブール考古学博物館所蔵のカデシュ条約[/caption]

当時の国と国の関係は、王と王の関係でした。ヒッタイトの王は、他国の王とどのような関係を築こうとしていたのか? そんな彼らの心に迫るには、人間関係を表す言葉一つひとつの使われ方から、当時の人の「ものの捉え方」を考えるのが有効な方法だと考えます。たとえば、「条約」と訳されるヒッタイト語の言葉「išḫiul」は、今日のような独立国どうしの対等な取決めを意味しません。「条約」という言葉のもとになった動詞は、「敵兵の手足を縛る」といった意味で使われることから、ヒッタイト語の「条約」には一方の王から他方に「強制的に義務を課す」というニュアンスがあります。つまり、本来、ヒッタイト語で「条約」は、王が相手よりも優位であることを示す文書だったのです。

[caption id="attachment_850" align="aligncenter" width="500"]ishiul 「条約」と訳されるヒッタイト語の言葉「išḫiul」[/caption]

ヒッタイト王国の歴史

そもそもヒッタイト王国とは何なのか、簡単にご紹介したいと思います。ヒッタイトの歴史は、紀元前17世紀半ば~14世紀の古王国時代と前14世紀~12世紀初めまでの新王国時代(帝国時代)に大きく分けられます(言語的特徴から中王国時代を入れて三区分されることもあります)。古王国時代は、紀元前17世紀半ばに、都をハットゥシャに定めた王ハットゥシリ1世の治世に始まります。ハットゥシリの後継者ムルシリ1世は、メソポタミアに侵入してバビロン第一王朝を滅ぼしました。しかし、彼は歴史的偉業を成し遂げたにも関わらず、バビロンを支配することなく本国に戻りました。彼の治世後は内紛が続き、長い混乱の時代を迎えることとなります。

[caption id="attachment_830" align="aligncenter" width="500"]前1350年ごろと前1220年ごろのオリエント世界(『世界の歴史1人類の起原と古代オリエント』から引用) 前1350年ごろと前1220年ごろのオリエント世界(『世界の歴史1人類の起原と古代オリエント(中央公論新社)』から引用)[/caption]

王国の危機的状況を収拾したのが、中央集権体制を確立させた前14世紀初めの王トゥドゥハリヤ2世とアルヌワンダ1世でした。その後、シュッピルリウマ1世の治世に、王国は新たな時代を迎えます。シュッピルリウマは、特にシリアへ遠征して諸国を征服し、アナトリアを越えた、広域な支配を実現したのです(そのことから、新王国時代は帝国時代とも言われます)。彼は、現地の有力者を征服国の王に任命し、自分との宗主関係を著した文書を作成して服従を誓わせることで、本国から遠い国々でも持続的な支配を可能にしました。このとき使われた文書が、ヒッタイト人にとっての本来の「条約」なのです。シュッピルリウマ1世治世後は、ムルシリ2世がアナトリア西部にまで帝国を広げ、続くムワタリ2世は、シリアでエジプト第19王朝のラメセス2世率いるエジプト軍と対決し、事実上の勝利を収めました。その後、国内の内紛を制したハットゥシリ3世がラメセス2世と平和条約を結び、両国の友好関係が始まりました。しかし、次のトゥドゥハリヤ4世の治世には周辺からの圧迫が強まり、スッピルリウマ2世の時代に首都が放棄されたことで王国の歴史は幕を閉じました。

ヒッタイト人の「愛」?

新王国時代のヒッタイト王は、王女を諸外国に嫁がせたことがわかっています。有名な例でいえば、平和条約締結後にハットゥシリ3世は娘をエジプトのラメセス2世と結婚させています。このような政略結婚は、重要な外交戦略のひとつでした。

ところで、言葉も通じない異国に嫁いだヒッタイトの王女たちは、どんな気持ちだったのでしょうか? 異国の王とどんな仲だったのでしょうか? 残念ながら、彼女らの思いは文書上に残ってはいません。出土している粘土板文書は基本的に公文書であり、政治や国家的な祭儀にかかわるものがほとんどで、王女のような高位の人々のことであってもあまりわかっていませんし、一般人の日常生活となるとなおさら謎に包まれています。しかし、自由恋愛の末に結婚があったとは考えにくいですが、日々の生活の中で、恋愛や夫婦愛といった男女の「愛」はあったのではないかと想定されます。

[caption id="attachment_831" align="aligncenter" width="500"]アナトリア文明博物館所蔵の王と王妃のレリーフ アナトリア文明博物館所蔵の王と王妃のレリーフ[/caption] 新王国時代の王ハットゥシリ3世の残した文書には、次のような一節があります。

「私たち(=ハットゥシリとプドゥヘパ)は結婚し、女神は私たちに夫と妻の愛をもたらした。そして私たちは息子たち、娘たちをもうけた。」

ここでは、ヒッタイト語で「愛」を意味する言葉「aššiyatar」が、「夫婦愛」として使われています。子供をもうけたという文が続くことからは、性愛を指しているのかもしれません。では、この言葉は他の粘土板文書ではどのように使われているのでしょうか。これまで、王の心をヒッタイト語の表現から理解しようとしたのと同じ方法で、ヒッタイト人たちにとっての男女の想いに迫れるのではないかと考えています。

[caption id="attachment_849" align="aligncenter" width="500"]assiyatar ヒッタイト語で「愛」を意味する言葉「aššiyatar」[/caption]

現在、ヒッタイト人たちの「愛」を調べるための研究資金をクラウドファンディングで募集しています。ご興味のある方は、ぜひ私のプロジェクトページをご覧ください。

(参考文献)

  • Collins, B.J. (2007) The Hittites and Their World, Atlanta
  • 大貫良夫他 (1998)『世界の歴史1 人類の起原と古代オリエント』, 中央公論新社.
  • 山本孟 (2015) 「ヒッタイトの「条約」と「婚約」の概念:動詞išhiya-hamenk-に関する一考察」,『オリエント』, 572,  pp.1-15.
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とある天文学者の1日 - ハワイの天文台で何をしているの? https://academist-cf.com/journal/?p=853 Wed, 20 Apr 2016 02:00:55 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=853
「ハワイの天文台で研究しています!」と言われても、どのように働いているのかなかなかイメージはわきにくいのではないでしょうか? 今回、現在アカデミストで「宇宙における星形成史を辿ってみたい!」に挑戦しているBISTRO-Jチームの林左絵子准教授より、現地の様子についてのレポート記事を寄稿していただきました。 * * * ここは海抜2900メートル、日本だったら乗鞍岳のてっぺんの高さだ。昨日、日本からホノルル経由でハワイ島到着、すぐに共同研究者に連れられて、ここマウナケアの中腹の施設ハレポハクまで来た。その時には空気が少し薄い感じがしたのに、一晩寝たらもう大丈夫。マウナケア山頂には世界各国が単独で、または共同で運用している数々の最先端の天文観測用の望遠鏡がある。そこで夜に仕事をした人たちは、この施設まで下りて来て昼の間寝ている。そして日が傾く頃に起きてきて、その日の最初の食事を取っている。 [caption id="attachment_888" align="aligncenter" width="1024"]IMG_0133_s ハレポハクの施設。夜間に仕事をする観測所職員や訪問研究者が昼間に寝るための宿舎と、食事が供されるカフェテリアなどがある。ここらあたりが森林限界。(撮影:NAOJ)[/caption]
まずは今夜の天気予報チェック。もちろん晴れ、風は5m/sぐらい、午後8時および午前2時 の気温が摂氏1度、湿度も低そうだ。昼間の今でも既に湿度が5%になっている。雲海がはるか下の方に見えている。これはたいへん良い観測夜となりそうだ。 午後4時、共用のカフェテリアで食事が始まった。今夜が最初の観測という訪問研究者たちは、観測当番の職員と打合せをしながらチキンをほおばっているし、たった2人で観測しなければならない望遠鏡だとそれぞれ新聞を読みながら、サラダをつついたりしている。しっかりエネルギー源を補充して、さあ行くぞというワクワクした雰囲気が漂う。
まだ日没までは2時間あるが、そそくさと食事を終え、4輪駆動車で標高4000メートルを超えるマウナケアの山頂地域に向かう。高山で薄くなる空気、そしてわざと舗装せずにスピードを落とすようになっている急な坂。傾いてくる日差しが、上る車の運転席に差し込み、まぶしい。ここには可視光・赤外線観測用やサブミリ波という電波を観測する13台の国際望遠鏡が 設置されていて、いわば望遠鏡銀座のようだ。日本の国立天文台が運用するすばる望遠鏡もある。 [caption id="attachment_889" align="aligncenter" width="1024"]dome_summit4 マウナケア山頂地域の望遠鏡群。右側の白い筒型建物がJCMT、 画面ほぼ中央の銀色に光る建物がすばる望遠鏡。(撮影:NAOJ)[/caption] BISTROグループは、そこの近くにあるサブミリ波観測用のジェームズ・クラーク・マックス ウェル望遠鏡(JCMT)で観測をする。これは直径15mの大きなパラボラアンテナで、円筒形のドームに収まっている。観測時には、ドームのシャッターが大きく開くが、パラボラアンテナ はメンブレンというスクリーンの陰に隠れ、風や風で舞い上がる砂埃から守られている。
望遠鏡といっしょに回転するドーム上部に、階段で上がると、ドーム壁際にコンテナハウスのような観測室がある。15mもの大きなパラボラに比べると小さく見えるが、入ってみると意外にゆったりした空間だ。望遠鏡操作を行う職員(オペレータ)が奥に陣取り、観測のための研究者は手前で観測モニターを開く。自分が持ってきたラップトップも置けるスペースがある。 所属している研究室は、日本だったりイギリスだったりするので、メールのやり取りもあれば、 スカイプで観測状況をリアルタイムで伝え、議論したりする。 [caption id="attachment_858" align="aligncenter" width="1200"]Screen Shot 2016-04-16 at 8.36.45 PM JCMTの観測室[/caption] 澄んだ空気のおかげで放射冷却が効き、日没後はあっという間に気温が下がる。システムチェックを済ませたら、もう観測に必要な条件が整った。いよいよ観測開始だ。ビデオカメラを付けて星を見ているわけではないから、リアルタイムで画像が見えるものではない。カメラに喩えると、撮影終了後にその画像がサーバーに送られ、コンピュータでその画像をチェック できるようになるのである。慣れた観測者であれば、そうして見た画像をちょいちょいと数値をチェックし、順調に観測が進んでいることを確認できる。もともと今夜の観測の流れは、電子ファイルに予定を書き込んであるのだ。望遠鏡は、その予定に従って次々と観測対象の天体に向きを変えていく。耳を澄ますと、望遠鏡は駆動にギヤを使うわけではないので動いていても無音だが、観測用のセンサーを納めている容器を冷やす冷却機構のリズミカルな動作音が聞 こえてくる。このような音は、異常を感知するのに役に立つこともある。冷却系に支障が出ると、異常な摩擦音などが混じるからだ。 夜どおし、このようにして観測用の機器の状態に気を配りながら、観測が進められていく。一つの研究チームに割り当てられる観測用の時間は限られているので、欲張って多くの天体の観測準備をしてしまうが、あっという間に夜が更け、そして夜が明ける。太陽が昇ってしまうと、観測ができなくなるので、もうどうしようもない。最後にどうしても較正に必要なデータ をとって、観測を終える。やはり緊張していたのだ。どっと眠気が押し寄せる。が、ハレポハクに安全に戻るまでが仕事なのだ。オペレータとともに、最終点検をし、下山する。山の斜面の空気がたいへん冷えたので、雲がかなり低いところまで下りている。高さ1000メートルぐらいだろうか。綿雲のように見える。なんだかあそこで寝ることができそうだ。おっとっと。ここで眠ってはいけない。こんな風にして、観測が行われるという実況中継でした。
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iGEM Nagahamaチームから結果報告が届きました! https://academist-cf.com/journal/?p=864 Thu, 21 Apr 2016 03:00:52 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=864 「合成生物学の世界大会iGEMで金メダルをとりたい!」というプロジェクトにチャレンジしたiGEM Nagahamaのみなさんから、その後の結果報告が届きました。2015年9月24日〜28日(現地時間)にボストンで開催された合成生物学の世界大会「iGEM」において金メダルを取ることを目指していたiGEM nagahamaのみなさん。結果はどうだったのでしょうか。 * * * こんにちは。iGEM Nagahamaの原口大生です。私は昨年度、academistにて「合成生物学の世界大会iGEMで金メダルをとりたい!」としてクラウドファンディングを行いました。そして昨年のiGEMの大会で金メダルを獲得しました。 「金メダルを獲る!」という目標を掲げたからには、なんとしても金メダルを取らなければという思いで、がむしゃらに活動してきました。 そして宣言通り金メダルを獲得することができて、本当によかったです。 これも応援してくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございました。 Screen Shot 2016-04-19 at 3.21.28 PM しかし、私たちの活動はまだまだ始まったばかりです。 これからの活動にご期待ください。また私たちの活動は下の方に載せているリンク先で確認できます。そして、年々世界中でiGEMの参加チームは増えており、今年も日本から新しいチームが誕生し参加します。 このように徐々にではありますが、iGEMに対する盛り上がりが熱くなってきていると感じます。 私は、いつかきっと、日本でもiGEMの大会がひらかれるであろうと思っております。 もしiGEMに興味もっていただけたのであれば、下にリンク先を載せて置きますので、またiGEMの公式サイトの方へ訪問してみてください。最後にではありますが、皆様の応援により金メダルが獲得できたと思っております。本当にありがとうございました。 そして今後とも引き続きiGEMとiGEM Nagahamaを応援よろしくお願いします。 Screen Shot 2016-04-19 at 3.19.35 PM 原口大生 続きまして次年度のリーダーから、これからのiGEM Nagahamaの活動について紹介してもらいます。 みなさん、こんにちは。 iGEM Nagahamaの2016年度のリーダーを務める大坪拓帆です。私からは今年度のプロジェクトについて説明します。 今年度のプロジェクト名は、「Flavoratorに用いる香りの増産とさまざまな香りの合成」です。昨年度はプロジェクト立ち上げ年にも関わらず、大腸菌に香りを合成させることができました。 しかし、その香りの量は極わずかでした。 この点から、香りをより多く合成させることでFlavoratorの実現可能性をより高めようと考えました。 さらに香りの種類も追加し、生物に応じて使い分けができるようにします。 そこで具体的な今年度のプロジェクトの内容を少し説明します。今年度のプロジェクトとして全部で3つの改良を行います。 まずひとつ目は、生物を変えることです。 昨年度は大腸菌で香りを合成していましたが、今年度は酵母で香りを合成するように変更します。 そして2つ目は、香りを合成するまでに関わる遺伝子を一度に改良することです。 これはチーム初の試みでCRISPR/Cas9というゲノム編集の技術を使用して行います。 最後3つ目は、モノテルペン系合成酵素遺伝子の追加です。 この遺伝子の追加により香りの材料であるモノテルペンの種類を増やします。 以上これら3つの改良を加えることで「Flavoratorに用いる香りの増産とさまざまな香りの合成」というプロジェクトを完成させることが今年のテーマです。 私たちがこのテーマで世界に挑戦することをぜひ応援ください。 Screen Shot 2016-04-19 at 3.23.13 PM 大坪拓帆 ・iGEMiGEM Nagahama]]> 864 0 0 0 肺移植後の慢性拒絶反応をなくしたい!ードイツ再留学を決意した中桐研究員の挑戦 https://academist-cf.com/journal/?p=892 Mon, 25 Apr 2016 01:00:01 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=892 肺移植後の慢性拒絶反応をなくしたい! チャレンジャーは、Hannover医科大学胸部心臓血管移植外科の中桐研究員です。中桐研究員は、呼吸器外科医のキャリアを順調に歩んでいたのにも関わらず、肺移植の抱える根本的な問題の解決を目指して研究者のキャリアを歩むことを決めました。 肺移植とは、病気により肺機能が極度に低下してしまった人たちに対して行われる治療です。肺移植の必要な患者さんは、普通の人が息を3分以上止めた状態と同じような酸素状態での生活を余儀なくされています。そのような患者さんにとっては、肺移植は最終手段であり唯一の救済方法でもあります。 しかし無事に手術を乗り越えても、術後5年の生存率は50%しかありません。この生存率に一番影響を与えているのが「肺移植後の慢性拒絶」です。慢性拒絶では、患者さんの肺の中の空気の通り道が詰まってしまうなど、移植した肺機能が徐々に低下してしまいます。 back1 慢性拒絶をなくす研究は長年行われてきたのですが、動物の実験モデルが存在していなかったため、実際の医療に反映させる研究にはつながりませんでした。しかし近年、マウスの肺移植を行うためのテクニックが開発され、安定した慢性拒絶モデルを作れる可能性が出てきました。そこで中桐研究員は、このモデルをクラウドファンディングで集めた資金で作成し、将来的には人の肺移植の成績を向上を目指して研究を進めていきます。 【募集期間】2016年4月21日〜2016年6月21日 【支援サイト】academist(アカデミスト)]]> 892 0 0 0 カラスの美味しい食べ方は? - 全11種のカラス食を大公開! https://academist-cf.com/journal/?p=902 Mon, 23 May 2016 02:00:56 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=902 総研大のまわりに広がるつつじ畑[/caption] 先日総合研究大学院大学(総研大)にて、昨年末に目標金額に到達したプロジェクト「カラスと対話するドローンを作りたい!」のリターンのひとつである「カラス食のレシピ開発研究会」が開催されました。 そもそも、どうしてカラスを食べるのでしょうか。総研大の塚原直樹助教は、カラスの音声コミュニケーションの研究を進める過程で、東京都だけでも年間約1万羽のカラスが捕獲されている事実を知りました。捕獲されたカラスたちを有効活用できれば良いのですが、なかなかそういうわけにもいきません。カラスたちはただ処分されてしまい、そこには決して安くない費用がかかっているのです。 この問題を解決できないだろうか? そう考えた塚原助教は、カラスを「食べる」というアイデアを思いつきました。カラスを食べると聞くと思わず顔をしかめてしまうかもしれませんが、塚原助教はカラスの特性を丹念に調べ上げ、これまでに数々のカラスレシピを開発してきました。 当日は、塚原助教と支援者の方々が集い、3時間に渡りレシピを開発しました。鉄分が多く、高タンパクで低脂肪、コレステロールが低く、タウリンが多いと言われるカラス。さて、いったいどのようなレシピが開発されたのでしょうか。早速、当日作られたカラス料理11種を一挙公開していきます! 1.カラスジャーキー [caption id="attachment_904" align="aligncenter" width="500"]カラスジャーキー カラスジャーキー[/caption] まずは、カラスジャーキーです。見た目は通常のビーフジャーキーと同じです。酸味がやや強いですが、食感や歯ごたえはよく食べるビーフジャーキーそのもの。赤ワインのお供に最適な一品です。 2.カラス肉のパイ包み [caption id="attachment_905" align="aligncenter" width="500"]カラスのパイ包み カラスのパイ包み[/caption] 「これは美味しい!」と参加者全員が口々に発するほど好評の一品でした。カラスというよりもパイそのものが美味しいのではないだろうか……という説も浮上していたので、次回はミートパイ VS カラスミートパイで真相を明らかにしたいところです。 3.カラス肉の赤ワイン煮 [caption id="attachment_906" align="aligncenter" width="500"] カラス肉の赤ワイン煮[/caption] ボルシチを連想させる見事な一品でした。このメニューは以前にも塚原助教にご紹介いただいているので、もしかすると塚原助教の得意なカラス料理のひとつなのかもしれません。 4.カラス肉のコンフィ [caption id="attachment_903" align="aligncenter" width="500"]カラスコンフィ カラス肉のコンフィ[/caption] 「コンフィ」という言葉は、フランス語の「コンフィル(confire:保存する)」に由来しているとか。ビーフジャーキーよりもやわらかく、サラミのような食感でした。 5.カラス肉の唐揚げ [caption id="attachment_907" align="aligncenter" width="500"]カラスの唐揚げ カラスの唐揚げ[/caption] 全11種のうち、カラスの味が最も強く出ていた料理でした。口当たりは軟骨の唐揚げのそれなのですが、噛めば噛むほどカラス特有の渋みと苦みが出てきます。カラス食を本格的に味わいたい気分のときには、ぜひ辛口ビールと一緒にご賞味ください。 6.キーマカレー [caption id="attachment_908" align="aligncenter" width="500"]キーマカレー キーマカレー[/caption] カラスの挽肉入りカレーです。カレーのスパイスとカラス肉とが程よい感じで混じり合い、カラス肉を意識せずに美味しくいただくことができました。 7.カラス肉の素焼き [caption id="attachment_909" align="aligncenter" width="500"]カラスの素揚げ カラスの素揚げ[/caption] 文字通りカラス肉をただ焼いただけの、カラス肉の素焼き。焼いたレバーのような口当たりの後に、カラス特有の渋みと苦みを感じました。焼酎好きの方々にはたまらないシンプルイズベストな一品です。 8.サムゲタン(サムカラスタン) [caption id="attachment_910" align="aligncenter" width="500"]サムカラスタン サムカラスタン[/caption] サムゲタンならぬ、サムカラスタン。実は塚原助教も食べたことのない初めての料理ということで、直接感想を聞いてみることにしました! 1 人類初(!?)のサムカラスタンに塚原助教が挑戦です! 2 一気に口のなかへ。さて、その味はいかに…… 3 ………… 4 サムカラスタン、美味しく仕上がっていたようです!塚原助教いわく、味に奥深さがあり、想像以上に美味しかったとのことでした。カラス食レシピに新たなページが追加されましたね。 9.ローストクロウ [caption id="attachment_911" align="aligncenter" width="500"]ローストクロウ ローストクロウ[/caption] ローストクロウ、野菜と一緒に前菜的に食べたくなる一品です。左側の写真はだいぶリアルですが、カラス味はそこまで強くありませんでした。 10.ろうそく焼き [caption id="attachment_912" align="aligncenter" width="500"]ろうそく焼き ろうそく焼き[/caption] 長野県上田市ではかつてカラスを食べる文化があったようで、そこで作られていた料理のひとつ「ろうそく焼き」をいただきました。ちょっと辛口の日本酒と一緒に食べたいカラス料理ナンバーワンです。 11.麻婆カラス [caption id="attachment_913" align="aligncenter" width="500"]麻婆カラス 麻婆カラス[/caption] 最後は、麻婆カラスです。ひき肉を利用していることもあり、カラス味をほとんど感じずに美味しくいただくことができました。真夏の仕事後に辛口ビールと一緒にいただきたいレシピです。 というわけで、カラスレシピ全11種をご紹介してきましたが、試してみたい料理はありましたか?まだまだ一般的とは言えないカラス料理ですが、最近ではジビエ料理を提供する店が出たり、クマムシを食べたり、ダイオウグソクムシを食べたりなど、人類の食文化は常に変化し続けています。もしかすると、5年後の飲み会でカラス料理を味わう日も来るのかもしれませんね。 ところで、現在アカデミストでは「フタホシコオロギ食用化プロジェクト!」で研究費を募集しています。リターンの「フタホシコオロギパウダー」など、カラス食に負けず劣らずのプロジェクトですので、ご興味のある方はぜひプロジェクトページをご覧ください!]]> 902 0 0 0 恐竜トーク炸裂! academistのリターン、恐竜カフェに行ってきた https://academist-cf.com/journal/?p=933 Tue, 10 May 2016 02:00:31 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=933 こんにちは、academist編集部員のヤべべでございます。

昨年、小型恐竜「ラプトル」を研究する中国地質大学・黒須球子さんがacademistで「新種のラプトルに名前をつけたい!」というプロジェクトに挑戦し、目標金額を達成しました。

[caption id="attachment_956" align="aligncenter" width="1200"]Screen Shot 2016-05-09 at 7.49.30 PM 見事に目標金額を達成しました![/caption]

そして、リターンのひとつである「恐竜カフェ」が2016年5月7日〜8日に開催。支援者限定で開催された恐竜カフェでは、黒須さんのラプトルにかける思いや、研究内容について詳しく聞くことができました。恐竜好きによる恐竜好きのためのイベント……その様子をちょっとだけご紹介いたします!

恐竜カフェの会場は東京・高田馬場駅から5分程に位置する10°カフェ。開場時間前から参加者の皆さんが集合しておられるという熱々ぶりです。

[caption id="attachment_946" align="aligncenter" width="1200"]Screen Shot 2016-05-09 at 7.39.41 PM academistのリターンのひとつ「恐竜カフェ」は高田馬場の10°カフェで開催されました[/caption]

恐竜カフェは、黒須さんの自己紹介を兼ねての研究紹介からはじまりました。

黒須さんの研究する「ドロマエオサウルス」は、映画「ジュラシック・ワールド」にも登場する、小型~中型サイズの肉食恐竜で「ラプトル」という名称で呼ばれることが多いそうです。鎌のように鋭い足の爪、棒状に固く伸びる尻尾を持ち、全身を羽毛に覆われた鳥のような生き物です。ドロマエオサウルスの化石は中国で発掘されることが多いため、黒須さんは中国地質大学(北京)で新種を発見すべく、日夜研究を行っています。

[caption id="attachment_947" align="aligncenter" width="1200"]サイエンスカフェ、開幕! 恐竜カフェ、開幕![/caption]

化石の発掘量が膨大な中国では、細かな化石には中々注目が集まらず、研究されていない未知の化石がたくさんあります。黒須さんはそういった小さな化石を一つひとつ分析し、標本の記載を進めていくことで新たな研究成果を出そうと奮闘しているそうです。

[caption id="attachment_948" align="aligncenter" width="1200"]小さな化石をコツコツ採集して分析する 小さな化石をコツコツ採集して分析する[/caption]

そしてお話は黒須さんが恐竜にハマったきっかけに遡ります。当時中学1年生だった黒須さんは近所の博物館で「内モンゴルツアー」という企画を見つけたそうです。これは参加しなければならない! と思った黒須さんは、お母さんに熱烈に交渉し、ツアー参加権を獲得。モンゴルでの恐竜発掘の体験を機に、恐竜にどっぷりハマってしまいました。研究者の道を歩むことを決めた黒須さんは、恐竜の研究が盛んな環境で研究するため中国の大学院へ進学し、羽毛恐竜の発掘をしていた研究者のもとで、恐竜研究に明け暮れることになります。ちなみに最初は中国語を全く喋れなかったそうで、初めて覚えた単語は’恐龙’(中国語で恐竜の意)だったそうです!

[caption id="attachment_949" align="aligncenter" width="1200"]Screen Shot 2016-05-09 at 7.40.18 PM 中学生の頃から恐竜の発掘に参加していた黒須さん[/caption] [caption id="attachment_950" align="aligncenter" width="1200"]Screen Shot 2016-05-09 at 7.40.28 PM 最新のドロマエオサウルス研究の紹介:ドロマエオサウルスは種類によって前頭骨の形状に大きな違いがある。 白亜紀後期の化石が出土する北米では頭が分厚い個体が多い。中国では白亜紀前期の化石が多く発掘され、ヴェロキラプトル(ジュラシック・パークに出てくるドロマエオサウルス)のような華奢な形態が多い。南米ではさらに細長い形状の個体が多く発掘されるなど、ドロマエオサウルスも種類によって体格や形状が千差万別[/caption] [caption id="attachment_951" align="aligncenter" width="1200"]Screen Shot 2016-05-09 at 7.40.35 PM 恐竜の色:遼寧省で採取される化石は保存状態が良く、顕微鏡で羽の細胞の形を観察することで、羽毛の色を再現できるようになった[/caption] [caption id="attachment_952" align="aligncenter" width="1200"]Screen Shot 2016-05-09 at 7.40.43 PM 恐竜スポット紹介:山東省にはティラノサウルス館があったり、遼寧省では熱河生物群(ジュラ紀後期~白亜紀前期の地層から出土する化石群)の展示が多いなど、出土する化石によって地域のカラーがあって面白い[/caption]

イベントの後半は参加者の皆さんとのフリートーク。全員が自分のイチオシ恐竜「推し竜」を紹介し、トークは大盛り上がり! 盛り上がりすぎて時間オーバーしてしまいました……。

[caption id="attachment_953" align="aligncenter" width="1200"]Screen Shot 2016-05-09 at 7.40.54 PM 参加者の皆さんが自分の「推し竜」について熱く語り合い盛り上がる様子は圧巻。ちなみに私の押し竜は剣竜類です[/caption] [caption id="attachment_954" align="aligncenter" width="1200"]Screen Shot 2016-05-09 at 7.41.06 PM 最後は黒須さんから直接リターンをお渡しして、恐竜カフェは大盛り上がりのうちに閉会しました[/caption]

今回の恐竜カフェでは、恐竜研究の今をわかりやすく丁寧に解説いただき、記事では紹介しきれないコアなお話もたくさん伺うことができました。また、恐竜についてまったく知らない方にもご参加いただき、敷居の高いと思われがちなアカデミアの世界を身近に感じる機会として、このような会が大きな可能性を持っていることも実感しました。

現在進行中のacademistプロジェクト「肺移植後の慢性拒絶反応をなくしたい!」「宇宙における星形成史を辿ってみたい!」「フタホシコオロギ食用化プロジェクト!」「愛は普遍なのか? ヒッタイトの楔形文字から探る!」の4つすべてにサイエンスカフェのリターンがあるようですので、興味のある方はぜひ支援してみてはいかがでしょうか。

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計算科学でタンパク質「G72」の構造に迫る!- 統合失調症の新しい治療法の確立を目指して https://academist-cf.com/journal/?p=935 Mon, 09 May 2016 08:00:48 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=935 統合失調症の鍵を握るタンパク質の構造に迫る!」を開始しました。 今回の挑戦者は、徳島大学先端酵素学研究所の加藤有介准教授です。加藤准教授は、統合失調症に関連するタンパク質「G72」の立体構造を理論的に解明するための研究を進めています。 [caption id="attachment_936" align="aligncenter" width="1200"]1000 タンパク質「G72」の立体構造[/caption] 統合失調症の薬は既に多種あるのですが、それらのほとんどは幻覚や被害妄想などの「陽性症状」に対する薬です。認知機能障害などの症状に対しては十分な治療法が確立しておらず、社会復帰が困難な患者さんが多数いらっしゃいます。 近年、統合失調症の発症には「G72」と呼ばれるタンパク質が深く関係することが明らかになりました。しかし、このタンパク質の働きは、まだ十分に明らかになっていません。その理由のひとつは、G72が水に溶けにくいため、結晶化させて立体構造を調べることが難しいからです。 そこで加藤准教授は、コンピュータを使った計算で、G72の立体構造を予測することは出来ないだろうかと考えました。計算科学的な手法で未知のタンパク質構造を予測する方法論はまだ確立していないため、はじめに構造予測手法の開発に取り組みました。その結果、計算手法が正しい立体構造を予測できることが分かり、2016年2月に最終目的である「G72」の構造予測に成功しました。 今回は、研究成果の概要をクラウドファンディングを通じて公開し、学会発表と論文化の資金を集めるチャレンジとなります。支援者の方々には、学会講演資料(3000円)やG72のマグカップ(5000円)、G72を3Dプリンターで再現したオリジナル模型(30000円)を受け取ることができます。 [caption id="attachment_937" align="aligncenter" width="1200"]G72の模型 3Dプリンターで再現したオリジナル模型[/caption] 【募集期間】2016年5月09日〜2016年6月30日 【支援サイト】academist(アカデミスト)]]> 935 0 0 0 academist最高達成金額・京大天文台プロジェクトの現状はいかに? https://academist-cf.com/journal/?p=981 Tue, 24 May 2016 02:00:05 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=981 2014年10月、京都大学・柴田一成教授が挑んだプロジェクト「太陽フレアの気候と宇宙天気予報の研究」が、academist史上最高金額となる373万円を達成しました。あれから1年半、柴田教授の進める研究ではどのような成果が得られたのでしょうか。今回、柴田教授からのプロジェクト進捗報告をいただきましたので、以下に掲載いたします。

* * *

京都大学飛騨天文台では、太陽彩層全面のHα線撮像観測や速度場観測においては世界最高性能の太陽磁場活動望遠鏡(SMART)が活躍しています。SMARTは建設後10年が経過したため、国(大学)からの維持費のサポートが2013年に終了しました。しかし、地球に影響を及ぼす比較的大きなフレアを観測するためには、今後も常時太陽を観測していく必要があります。そのためには、SMARTに常駐する人件費や維持費、そして観測結果を世界に配信するための設備費が必要です。そこで、2014年8月22日~10月20日までの60日間で、クラウドファンディングに挑戦しました。その結果、327人の方から、総額3,737,120円のご支援をいただき、当初の目標(350万円~3か月分の運用費)を達成しました。

[caption id="attachment_983" align="aligncenter" width="300"]京大飛騨天文台SMART望遠鏡 京大飛騨天文台SMART望遠鏡[/caption]

このご支援のおかげで、SMART望遠鏡による太陽観測を継続することができ、貴重なデータを取得することができました。特に上記クラウドファンディングの期間の最後の週に、太陽で20年ぶりの巨大黒点が出現しました。この巨大黒点は望遠鏡を使わなくても目で見える、いわゆる「肉眼黒点」でしたので、大きなニュースになりました。ご記憶の方もおられると思います。私も日食メガネを使って望遠鏡なしで黒点が見えたときには感動しました。

[caption id="attachment_1016" align="aligncenter" width="500"]20141024_FISCH_Co 2014年10月24日に出現した巨大黒点の連続光画像。飛騨天文台SMART望遠鏡による。[/caption]

巨大黒点が現れると巨大フレアが起きることが知られているのですが、このときは、2週間の間に6回も大フレア(いわゆるXクラスフレア)が発生しました。フレアからの強いX線によりデリンジャー現象と呼ばれる電波通信障害が何度も発生しました。Xクラスフレアは一回起きただけでもニュースになるくらいですから、このときは世界全体で何度も大ニュースとなりました。飛騨天文台SMART望遠鏡では日本が昼の時間帯に発生した10月19日と24日の2回の大フレアを観測するのに成功しました。

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さて、デリンジャー現象などの被害は起きたのですが、幸いこの巨大黒点からは、なぜかコロナ質量放出と呼ばれるプラズマの噴出現象が発生せず、その結果、地球で磁気嵐やそれによる被害が起きることもありませんでした。これは人類社会にとっては不幸中の幸いだったのですが、大磁気嵐や大災害が起きるかも、と緊張して待っていた宇宙天気予報研究者には不思議なことでした。巨大黒点が現れると多かれ少なかれプラズマの噴出が発生し、特に南向きの磁場を含むプラズマ雲が地球に正面衝突すると地球では磁気嵐が起きて様々な被害が発生するからです。そこで、「20年ぶりの巨大黒点が出現したのに、なぜコロナ質量放出が発生しなかったのか?」という新たな謎が生まれました。

私たち京大飛騨天文台のグループは、このクラウドファンディングのおかげで、貴重なデータを継続取得でき、また幸運にも20年ぶりの巨大黒点のデータが観測できた上に、新たな謎を目のあたりにすることができました。しかも、その謎に対する答えも短時間で得ることができたのです。その答えは、一言で言うならば、「巨大黒点は大きすぎたために、磁場が強大となり、プラズマの噴出をすべて閉じ込めてしまった」というものです。黒点は大きければ必ず(太陽外に飛び出す)プラズマ噴出が起きるわけではない、ということです。これはふつうの黒点で小さなフレアが起きても(地球に影響するような)プラズマ噴出は起こらない、ということと同じであることがわかりました。

以上の研究成果は2015年3月の天文学会と5月の地球惑星連合大会(国際セッション)で発表し、読売新聞と中日新聞でも報道されました。現在、その後の解析も加えて、レフェリー誌論文にまとめようとしているところです。つい先日(2016年4月)、フィンランドで開催された国際会議でフランスの研究者から、「昨年の上記国際会議であなたの発表を聞いたが、大変おもしろかった。論文ができたらぜひ送ってほしい」と催促されたばかりです。

最後になりましたが、クラウドファンディングを通じて、私たち京大飛騨天文台グループの研究をご支援くださった多くの方々とアカデミストのみなさんに、あらためて深くお礼申し上げたいと思います。(2016年5月16日記)

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水シールドを用いた電磁波防御システムを作る!- 無線電力伝送の実用化を目指して https://academist-cf.com/journal/?p=994 Thu, 19 May 2016 08:00:08 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=994 アカデミスト株式会社は、学術系クラウドファンディングサイト「academist(アカデミスト)」にて、新規プロジェクトを開始しました。

無線電力伝送の実現に向けた電磁波防御システムを作る!

今回の挑戦者は、龍谷大学理工学部電子情報学科の学部4年生・川辺健太朗さんです。川辺さんは、水シールドを用いて電磁波強度を弱める研究を進めています。

近年、「無線電力伝送を日本の得意技術にしよう!」という動きが見られるようになりました。無線電力伝送というと難しそうな言葉に聞こえますが、読んで字の如く、通信ケーブルなしで離れた所にある物に無線で電気を送る技術を指しています。

[caption id="attachment_995" align="aligncenter" width="1200"] コイルを用いて電力を伝送する[/caption]

この技術は意外と私たちの身近にあり、私たちも一度は使ったことのある「SUICA/ICOCA」や「IHクッキングヒーター」も、無線電力伝送の技術に支えられています。しかし、電気自動車や家電製品のように大きな電力を必要とする物に適用しようとすると、電磁波の強度が大きくなり人体に影響を与える可能性があるため、商品化はできません。

川辺さんは、将来的な無線電力伝送の実用化を目指して、研究を進めています。学部4年生であるにも関わらず既に数多くの学会発表を経験しており、若手技術交流会でポスター賞を受賞した経験も持ちます。電気自動車が道路から電力を得られる未来を目指した川辺さんの研究内容に、ぜひご注目ください。

【募集期間】2016年5月16日〜2016年6月30日

【支援サイト】academist(アカデミスト)

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天文学者が明らかにしたい究極の問いとは? - 徳島大学・古屋准教授の一般公開セミナー潜入レポート https://academist-cf.com/journal/?p=1019 Fri, 03 Jun 2016 02:00:56 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1019 会場からの風景[/caption] 2016年5月12日(木)、アカデミスト挑戦中の徳島大学・古屋玲准教授による一般公開セミナー「宇宙における星形成史を辿ってみたい!」が開催されました。星形成における磁場を観測するプロジェクト「B-fields In Star forming Region Observations(BISTRO)」チームの日本代表として研究を進める古屋先生より、天文学の魅力や難しさ、最終的に明らかにしたい究極の問いまで、1時間に渡る講演が行われました。本稿では、当日お越しいただくことができなかった方々のために、セミナーの様子をダイジェスト版でお送りします。 ラジオ好きだった少年時代 小・中学生時代はラジオのような電子機器をいじることに興味を持っていた古屋先生。家中にインターフォンを張りめぐらせたり、バケツをコイルにしてラジオを製作したりしていたそうです。しかし、学生時代に在籍していた鹿児島大学で電波望遠鏡に出会い、天文学にのめり込むようになります。直径45Mの望遠鏡が設置されている長野県の野辺山天文台で博士号を取得した後は、イタリアのフィレンツェにある研究所、カリフォルニア工科大学、ハワイにある天文台と、主に国外を拠点として研究を進めていきます。 天文学者の悩ませる2つの問題 古屋先生を悩ませてきた問題のひとつが、「奥行き」です。たとえば、面に対して垂直の方向からお盆を見たとき、上下左右の位置であれば簡単に特定することができます。しかし、「奥行き」はそう簡単にはいきません。面の垂直方向に10cm奥にある点と、50cm奥にある点の位置の違いは、なかなか正確に捉えることはできません。同様の問題は、星の観測でも発生します。地球と観測したい星の距離を調べる度に、この「奥行き」問題に悩まされているそうです。 [caption id="attachment_1021" align="aligncenter" width="500"] お盆を利用して「奥行き」問題の説明をする古屋准教授[/caption] また、私たちの生活に欠かせない「空気」が、天体観測では都合の悪い存在になっています。たとえば、水中を泳ぐ魚が水面を見上げると、水があるために水面が見えにくいはずです。それと同様に、空気中に住む人間が空を見上げると、空気があるために空が見えにくくなってしまいます。つまり、より正確な観測を行うためには、空気のできるだけ薄い場所に望遠鏡を設置しなくてはならないということです。BISTROチームが標高4000mにあるハワイ天文台で研究を進めている理由も、このためです。

「Are We Alone?」 - 究極の問いに答えたい

古屋先生の研究の最終目標は、「宇宙のなかで人間は孤独なのだろうか?」という疑問に答えることです。宇宙には、天の川銀河だけでも1000億個の星が存在するため、そのなかにひとつくらいは地球のような惑星があるのではないかと、古屋先生は予想します。最終目標を成し遂げるために、古屋先生は現在星形成の歴史を辿る研究を進めています。

歴史を辿るためには、星そのものを観測することが必要です。そして観測を進める際には、どの波長域で星を観測するかが重要になります。たとえば、星の発する可視光線を観測したときに真っ暗で何も見えなかったとしても、それだけでは「何もない」と言い切ることはできません。この段階では、「真空で何もない」か「何かがあるけど黒く写っている」のいずれかの可能性が残されることになります。両者を判別するためには、波長を変えて実験することが必要です。実際、可視光線よりも波長の長い近赤外線で観測すると、真っ暗な部分に星が見えることもあるそうです。

BISTROチームでは、「サブミリ波」と呼ばれる遠赤外線の波長域を利用して、可視光線では観測できない星の中心部を観測することにより、星形成における「磁場」の役割を調べます。現在理論家と観測家19名でチームを組み、ハワイのマウナケア山頂に設置されたJCMT望遠鏡を用いて研究を進めているところです。

[caption id="attachment_1022" align="aligncenter" width="500"] JCMTの写真[/caption]

「宇宙の誕生から現在までにいつどれくらいの星が誕生したのだろうか?」という問いに対する厳密な答えは未だ存在しておらず、また全てを確実に理解することは極めて難しい問題です。サブミリ波を用いた観測で、宇宙の成り立ちに対する私たちの理解はどこまで進むのでしょうか。今後本格的に始動するBISTROチームの研究に期待です!

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よくばり天文学者たちのよくばりプロジェクト【前編】 https://academist-cf.com/journal/?p=1030 Wed, 01 Jun 2016 02:00:04 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1030 研究にはいろいろなスタイルがあるその違いはその研究者の物の見方と人生が凝縮されているこれは逃れようのない事実である私の職業は観測天文学者である今は大学人としての顔も見せるが私という人格は天文学者という側面を抜きにして語ることはできない

観測天文学者の仕事はわかりやすいある研究主題にもとづいて宇宙を観測し得られたデータを解析して法則性を見いだすあるいは法則性の存在を検証する法則性の断片を信号のなかから切り出し宇宙が発するメッセージを読み取る職業である最後に学術論文としてまとめるある研究主題が動機となって観測に取り組んでも書き上げる論文の主題は初期のテーマ設定と異なることもしばしばであるそんなとき自らの変わり身のはやさにあきれることもあるがそれは観測天文学者に要求される資質でもある

ある人々はそれを節操がないと冗談まじりにからかうでもそれが必要なのだ所詮人間が考えることであるましてや私のような凡庸な科学者が予見することなどたかが知れている自然は私たちの予想すらしない姿を見せてくれる特に新しい観測装置や新しい望遠鏡で宇宙を覗き込んだときがそうだガリレオの発見を持ち出す必要もなかろう

だから変わり身のはやさとは科学者としての謙虚さの裏返しである自然が見せてくれた姿を先入観なしに受け入れることが科学研究に身を捧げる者の正しい姿だ観測天文学者とて然りこの点で私は誰に妥協するつもりはないからこの結論となる

観測天文学と双璧をなすのは理論天文学であるこちらは物理学や化学そして数学を駆使して理論的に宇宙の姿を予言する今日では大型計算機の能力が著しく上がったため非線形の方程式群を数値的に解きその時間発展を追うなど観測結果と直接比較できるほどの現実的な理論予測すらなされるようになったそれでもつぶさに見ていくとまだまだ足りないところがあるいや足りないところだらけだ理論天文学者には天才肌の人が多いそして彼らの理論予測にいつも私はため息をつくそんな私の発言だから不謹慎なこときわまりないのだが理論家諸氏は否定はされないと思う理論家がうなるような観測結果を観測家が示すとき凡庸な私はほっとする彼らとて私と同じ人間だ自然がそんな簡単に理論家のまえに跪くわけがない根拠なくそう信じている

さて実際のところ観測天文学者はどのようにして研究の主題を見つけるのだろうか? 現実的な話で恐縮だが観測対象天体までの距離を考えないと机上の空論になるわかりやすい話が太陽系から近い天体は良く見えるのだ逆に遠い天体はよく見えない宇宙論的距離ともなればそもそもどこにどんな天体がいくつあるのかと言った基本的な疑問すら研究の主題になる地に足のついた学問を研究されている諸氏はあきれるかもしれないがそれが観測天文学の醍醐味でもある

近い天体は詳細が見えるだからそこで進行中の物理過程および化学過程を直接見ることができる誤解無きように言っておくと太陽表面での爆発現象など一部の例外を除けば宇宙でおきている現象の多くは人類にとっては気の遠くなるような時間尺度で進行するそのため天文学者が生涯観測を続けてもその劇を見届けられないそこで進化段階の異なる類似の「個別」天体を複数観測するのだある程度の人数の赤ちゃんと若者大人そして老人をまとめて観察して人間全般を論じることに似ているこの手の研究の最大の弱点は観測対象の個性が見えてしまうことだ個性は一般的な性質を隠す人間一般に通じる性格を研究しているつもりが実は彼や彼女のちょっと風変わりな性格を研究していたなどという危険性がつきまとう

近い天体を対象にして研究を進める最大の動機はそこで進行している天体現象の逐一を見ることが出来る点にある天体の五臓六腑をひっくりかえし素過程を調べることができるこれに対して銀河に代表されるきわめて遠くの天体や近くにあってもあまりにも小さな天体を対象にして行われる研究は趣を異にする後者の良い例は星の研究である例外はあるのだがこの手の研究の特徴は多数の天体を同時に観測し理論研究との対比を行うことで進められる天体を多数観測する「網羅的な観測」の最大のメリットは個々の銀河や星の個性がデータに強く現れないことそれ故一般的な性質をえぐりだしやすい(後編へ続く)

[caption id="attachment_1045" align="aligncenter" width="500"]fig1 アルチェトリ天文台での一日の仕事が終わると、ガリレオが歩いた道を通って私は下宿へ帰った。ルネッサンスの大輪の華、フィレンツェで働いた3年間、私は学問とは何かを考え続けた。[/caption] [caption id="attachment_1046" align="aligncenter" width="500"]fig2 フィレンツェ市民は、ルネッサンスの芸術家を支え続けた。それは現代のクラウドファンディングに通じる。ロマン・ロラン著「ミケランジェロの生涯」高田 博厚 著(岩波文庫)は、トスカーナ州各地を持ち歩いてボロボロになった。[/caption]]]>
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よくばり天文学者たちのよくばりプロジェクト【後編】 https://academist-cf.com/journal/?p=1035 Thu, 02 Jun 2016 02:00:40 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1035 宇宙における星形成史を辿ってみたい!」だ。歯の浮くようなタイトルだが、プロ向けに言い換えるならば「網羅的なサブミリ波偏波観測による星形成過程における磁場の役割の解明」となろう。 要するに、観測天文学者と理論天文学者が19名のタッグを組む。世界の仲間と一緒に、太陽系を中心とする半径、約2千光年以内で星が生まれている天域に対して、「網羅的な観測」だけでなく、「個別観測」も同時にやってしまう。それだけでなく観測研究と理論研究がチーム内でガチンコ勝負する、というよくばりプロジェクトである。 天の川を見上げ、じっと眺めてほしい。星の集団の分布は一様でないことに肉眼でも気がつく。星が見えず、黒く抜けている部分がある。それが暗黒星雲だ。そこで星が生まれている。私たちの故郷でもある。そんな領域を片っ端から見てやろう、という野心満々な観測家の試みだ。しかもサブミリ波偏波カメラという新しい武器を持ち込んで観測するのである。 心がはやる観測家を横目に、今、理論家は静かに計算を進めている。観測結果によっては、私たち観測家は理論家へ挑戦状をたたきつけるかもしれない。あるいは、理論研究の先見性を証明するだけになるかも知れない。どっちに転んでも「面白い」ことになる。そうならなかったら、私たちはとんでもない間抜け揃いということになる。 宇宙における天体形成の主役は重力である。宇宙の大規模構造そのものとも言える銀河団の分布から、月や惑星の形成に至るまで、重力が支配する世界である。電気力や磁気力に関するクーロンの法則は重力に関する法則とよく似ている。どちらも距離の2乗に逆比例する。しかし、働く力の大きさは同じ自然界の力かと思うほど異なる。例えば、電子と陽子のあいだに働く重力は、クーロン力の10の40乗倍も弱い。 宇宙における構造形成の主役が重力であるならば、その10の40乗倍も強い電気や磁気の力の役割はどうなっているのだろうか? それほど強い力ならば、宇宙の進化に電磁気学な力も一役買っているはずと考えるのは自然である。ところがその検証を行う観測は、技術的に容易でない。 私たちの天の川銀河に分布するガスに関して言えば、電磁気学的なエネルギーを含む、さまざまなエネルギーが等分配され、おおよそ平衡状態が達成されている。この平衡状態の詳細すら天文学者は理解していない。星を生むガスを加熱しているのは、宇宙線と呼ばれる高エネルギー粒子である。一方、星を生むガスを冷却しているのは、サブミリ波などで観測される原子分子やダストからの放射だ。この絶妙なバランスを保つ担い手のひとつ、高エネルギー粒子は、銀河内にうまく閉じ込めておかないと逃げてしまう。誰が閉じ込めるのか?それは磁場である。 宇宙磁場。とりわけ星を生むガスにおける磁場観測についても、革新的なアイデアで観測的研究を進めた先駆者がいた。私たちの仕事は、先駆者が切り拓いた道筋を大きく広げる工程だ。それが「網羅的観測」の意味である。荒野を辿る消えそうな細い踏み跡も、広げていけば、やがて数多の方角へつながる無数の街道となる。それらがやがて知の地平線を新たに創る。「網羅的な個別観測」の狙いは、まさにそこにある。 物理学の究極の夢は何だろうか? 自然のなかに法則性を見いだし、それらを紬合わせ、過去のすべてを「物の理」に沿って説明する。現代の物理学は、それに挑み続けている。過去を知り尽くし、現在を徹底的に見つめることができた暁には、未来を予測する遊び心も許されてもよいはずだ。「宇宙における星形成史を辿ってみたい!」には、その夢も込めた。 [caption id="attachment_1038" align="aligncenter" width="500"] 私たちの観測によって全容が明らかになりつつあるオリオン座分子雲の中心方向の磁場の様子(左). 私のオフィスで磁石と砂鉄が織りなす磁力線の模様(右)[/caption]]]> 1035 0 0 0 絶滅が危惧される半自然草原性植物、その保全のために適切な管理方法とは? https://academist-cf.com/journal/?p=1049 Mon, 06 Jun 2016 02:00:02 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1049 半自然草原の危機的状況 皆さんは「半自然草原」という言葉をご存知でしょうか? 日本のような湿潤な温帯では、草原環境に人の手が加わらず放置された場合、木本植物が侵入・生育し、いずれは森林となってしまいます (遷移)。こうした遷移の進行が火入れや草刈り、放牧などといった人間活動により妨げられ、常に草原が維持されている環境が半自然草原と呼ばれています 。 [caption id="attachment_1050" align="aligncenter" width="500"] 代表的な半自然草原[/caption] 半自然草原は、古くから人間にとって非常に身近な存在でした。萱葺き屋根の萱、また田畑の肥料や家畜の餌としての干し草の利用のために定期的に草が刈られて遷移の進行が妨げられた結果、集落の周りには常に半自然草原が維持されてきたのです。驚くべきことに、明治大正時代には日本国内のおよそ11%が草原であったといわれています。 そうした半自然草原には、秋の七草として有名なキキョウ、オミナエシ、カワラナデシコのほか、リンドウやマツムシソウなどの美しい花々が咲き乱れています。 [caption id="attachment_1051" align="aligncenter" width="500"] キキョウの花(写真左)とカワラナデシコの花(写真右)[/caption] こうした植物はお盆の時期に供えられる盆花としてよく利用されてきたことから、文化的にも非常に重要であることが知られています。 しかしながら、こうした半自然草原は現在危機的な状況にあります。高度経済成長に伴い植林や土地開発などが各地で行われた結果、多くの半自然草原が姿を消しました。現在では、半自然草原の面積は明治大正時代の1/10以下にまで減少したことが知られています。その結果、多くの半自然草原性動植物が絶滅の危機に瀕しています。秋の七草のひとつとして有名なキキョウは、環境省レッドリスト(2012) では絶滅危惧II類に選定されている現状です。 半自然草原性絶滅危惧種スズサイコを例とした、保全に適切な草刈り時期の解明 半自然草原の植物を守るためにはどのようにすればよいのでしょうか? 前述のとおり、草原環境の維持のためには草刈りや火入れといった人間による管理は必要不可欠です。では、どの時期に行えば……? 草刈りは植物の地上部を破壊してしまうのですから、不適切な時期に草刈りをしてしまった時の影響が心配です。そこで、私は草刈り時期の異なる生育地で植物の繁殖を比較することで、適切な草刈り時期について解明することにいたしました。 対象とした植物は、スズサイコというキョウチクトウ科ガガイモ亜科の多年生草本です (写真左)。本種は夜間に開花し、蛾の仲間を中心とした昆虫が花を訪れます (写真右)。主に6-8月に開花し、9-10月に果実を形成します。残念ながら、本種もほかの半自然草原性植物と同じく、草原環境の悪化とともに全国各地で個体数が急激に減少しました。具体的には、環境省レッドリスト (2012) では準絶滅危惧種に選定され、45都道府県のレッドリストに掲載されている状況です。 [caption id="attachment_1052" align="aligncenter" width="500"] スズサイコの株。日中は花弁が閉じています(写真左)。スズサイコの花と、花を訪れているテンクロアツバ (蛾の仲間)。夜間は花弁が開き、多くの昆虫が訪れます(写真右)[/caption] 近畿及び東海地方から、草刈り時期の異なるスズサイコ生育地15か所を調査地として選択しました。ほとんどの生育地は、草刈り時期を少なくとも10年間は変更しておりません。まず、スズサイコの繁殖状況を生育地間で比べてみました。その結果、花と果実を形成する時期 (開花結実期) である7-9月に全面的な草刈りがされていた生育地では、いずれも小さな株しか見つかりませんでした。 [caption id="attachment_1053" align="aligncenter" width="500"] 9月に草刈りされた後に再成長した小さな株[/caption] 草刈りがされてから再成長した株なのでしょう、これでは花をつけることができません。一方で、7-9月以外の時期に草刈りされた生育地では、株自体が大きく育ち、たくさんの花を付けた痕や果実が形成されていました。 [caption id="attachment_1054" align="aligncenter" width="500"] 7-9月に刈り取られなかった株。大きく成長し、ひとつの大きな果実をつけています[/caption] 実際にデータを比べたところ、7-9月に草刈りにされていた生育地では、花序数や果実数が大きく減少している傾向にありました (図1a)。つまり、開花結実期である7-9月の草刈りは、スズサイコの繁殖を大きく阻害していたのです。 こうした繁殖の低下が毎年続くとどういった影響が表れるのでしょうか? その影響を評価するために、各生育地のスズサイコの遺伝的多様性 (※) に注目しました。遺伝的多様性を調べるために、マイクロサテライトマーカーという遺伝マーカーを用いて、各生育地の遺伝的多様性を明らかにしました。その結果驚くべきことに、7-9月の草刈りの継続は遺伝的多様性も低下させていたのです (図1b)。どうして草刈りは繁殖だけでなく遺伝的多様性も悪化させたのでしょうか。繁殖が低下するということは、種子を生産できる親株の数が少なくなるということにつながります。つまり、多くの種子が少数の親に由来するということになりますので、種子の遺伝的多様性が低下するということになります。そうした遺伝的多様性の低い種子が毎年生産され続けると……いずれは生育地全体の株の遺伝的多様性が低下してしまうというわけです。 [caption id="attachment_1056" align="aligncenter" width="500"] 7-9月に草刈りが全面的に実施された生育地 (黒丸)、部分的に実施された生育地 (灰色丸) とされなかった生育地 (白丸) における(a) 花序数と果実数、(b) 遺伝的多様性。ヘテロ接合度期待値とアレリックリッチネスはそれぞれ遺伝的多様性の指標 (Nakahama et al. 2016より改変)[/caption] 半自然草原性植物の保全に向けた草原管理とは? 一連の研究によって、開花結実期の草刈りはスズサイコの繁殖と遺伝的多様性に悪影響があることがわかりました。半自然草原性絶滅危惧植物 (都道府県版レッドリストのうち5都道府県以上で掲載されている草本植物) のうち、スズサイコと同様に夏から秋にかけて開花結実する種はおよそ75%にのぼります。このことから、夏から秋にかけての草刈りを避けることは、多くの半自然草原性絶滅危惧植物の保全にも応用可能であると考えられます。 それなら、もう草刈りなんかせずに放っておけば……? いいえ、草刈りをしなければいずれ森林に代わってしまうのですから、草刈りそのものは半自然草原の維持に欠かせません。それでは、具体的にどのような草原管理が適しているのでしょうか? ひとつ目の解決策として、7-9月以外の時期に草刈りをすることが望ましいといえます。実際に、5-6月と10-11月の年に2回の草刈りを実施している生育地では、スズサイコが旺盛に生育し、また多数の果実を形成していました。しかし、7-8月は草本植物が旺盛に成長する時期でもあります。場所によっては、この時期に草刈りを全く行わないのは難しいかもしれません。そこで2つ目の解決策として、7-9月に草刈りを行う場合、部分的な刈り取りを実施することです。たとえば、全体のうちの半分だけ草刈りを行う、もしくはスズサイコをはじめ、守りたい植物のみを刈り残すだけでも十分に効果があると考えられます。 日本人にとっての原風景のひとつである半自然草原。現在は全国的に危機的な状況にありますが、意外に簡単な方法でその保全をすることができるのです。この研究成果が、少しでも多くの半自然草原性植物の保全に寄与することを願ってやみません。 最後に本研究を行う上で非常に多くの方にお世話になりました。この場を借りて、深く深く御礼申し上げます。ありがとうございました。 ※遺伝的多様性とは? 同一の生物種でも個体によってDNAの構成が少しずつ異なっています (遺伝的変異)。このような遺伝的変異の大きさは遺伝的多様性と呼ばれます。多くの生物では、遺伝的多様性が減少した場合に繁殖が失敗しやすくなることが知られています。そのため、特に絶滅危惧種の保全においては遺伝的多様性の維持は非常に重要となります。 より詳しく知りたい人のために Nakahama N, Uchida K, Ushimaru A and Isagi Y. (2016) Timing of mowing practice greatly influences reproductive success and genetic diversity in endangered semi-natural grassland plant populations. Agriculture, Ecosystems and Environment, 221:20-27.]]> 1049 0 0 0 福島に生息するアリたちの被曝状況を調べたい! - 25年間の継続的な研究を目指して https://academist-cf.com/journal/?p=1077 Tue, 07 Jun 2016 08:00:26 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1077 アカデミスト株式会社は、学術系クラウドファンディングサイト「academist(アカデミスト)」にて、新規プロジェクトを開始しました。

福島に生息するアリたちの被曝状況を調べたい!

今回の挑戦者は九州大学・持続可能な社会のための決断科学センターの村上貴弘准教授です。

2011年3月に発生した東日本大震災および津波は、東京電力福島第一原発を直撃し、77万TBq/月の放射性物質を放出する重大な事故を引き起こしました。「研究者として何ができるだろうか?」と考えた村上准教授は、長年研究しているアリ類の観察を通じて、福島原発周辺の放射性物質の影響を長期的に評価しようと決意しました。

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村上准教授は、これまで5年間で福島県を3回訪問し、合計11種、38コロニーのアリを採集しました。現在実験室で73個体のアリを解剖することで、284枚の染色体標本の作製を行い、染色体の構造変化を追う研究を進めています。研究の最終目標は「ここまでは生物の影響が出ていない、ここからは危険」という指標を出すことです。

しかし、政府主導で進めていくべき研究であるにも関わらず、日本政府から長期的な展望は示されていない現状です。そこで村上准教授は、クラウドファンディングを利用して資金を獲得し、長期的に研究を進めると共にインターネットを通じて現状を広く発信しようと考え、今回のチャレンジに至りました。

支援者の方々は、オリジナル画像3点セット(1000円)や村上准教授が執筆に関わったサイン付きの著書(5000円)、サイエンスカフェの参加チケット(10000円)などを受け取ることができます。

[caption id="attachment_1079" align="aligncenter" width="500"] ハキリアリやグンタイアリ、世界最大のアリ、パラポネラやPheidologetonなどのソルジャーなど、村上准教授が採取したアリ標本もリターンに[/caption]

【募集期間】2016年6月06日〜2016年7月22日

【支援サイト】academist(アカデミスト)

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【連載】あなたの研究必須アイテムを教えてください! - [第1回]医療系研究者の場合 https://academist-cf.com/journal/?p=1081 Fri, 10 Jun 2016 02:00:15 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1081 肺移植後の慢性拒絶反応をなくしたい!」に挑戦中の中桐伴行研究員が選ぶ研究必須アイテムをご紹介します!

1. 顕微鏡

実体顕微鏡が無いとこの研究(手術)は出来ません。マウスの肺移植をするということは、マウスの血管や気管支をつながなくてはならないのですが、このマウスの血管は特に肺動脈が細く、太さも1mmもありません。これが無いとお手上げです。実は最初にマウスの肺移植をしようと思ったときは、眼鏡につける拡大鏡でしようと思ったのですが、自分の頭が動くだけでピントが合わなくなるうえに、視野がずれてしまい、使い物になりませんでした。これは必需品です。

顕微鏡

2. 手術器械

動物実験は、わざわざ新しい手術道具を買うのはもったいないので、臨床の手術で使わなくなった道具のお古を転用することが多いのですが、マウスの肺移植は細かすぎてそれが出来ませんでした。全部、新しく購入しています。中でもピンセットとクリップは特別です。ほとんどピンセットだけで手術していくので、このピンセットは無いとお手上げです。先が鋭くない、かつ細かい作業が出来るものを選んでいます。このピンセットだけで1本5万円ぐらいします! ラットの肺移植の教科書を書いている阪大の川村先生曰く、「コツンと先を当てたら、もう使い物にならないですからね」と。ホントにそうで、これが手術台から落ちたりしたときには、もう慌てふためきます。それとクリップ。写真を見ればその大きさが分かると思いますが、その他にも挟む力加減や、太さ、形などをいろいろ試してやっとこれに落ち着きました。これも1つ5万円ぐらいします。

手術道具

3. 人工呼吸器・麻酔器

胸を開ける手術をするので、人工呼吸器は欠かせません。人間の手術と同じように気管挿管(口から喉にチューブを入れること)をして、全身麻酔でします。お腹の手術や、四肢の手術なら全身麻酔だけでも出来るのですが、胸を開けると、開いている間は当たり前ですが呼吸が出来なくなる。そこで人工呼吸器が必要になります。そして麻酔。長時間の手術(1~2時間)の場合、ヒトで言う静脈麻酔だけでは手術が難しいのです。これは静脈麻酔によるマウスの手術の場合、点滴を入れているわけではないので、最初に皮下に麻酔薬を入れて、それが利いている間に手術をするのが一般的だからです。2時間以上になる手術の場合、麻酔薬の量が多すぎて麻酔によって死亡する可能性があること、また、つぎ足しながら手術というのも、手術が終わりかけているときに麻酔をしてしまうといつまでたっても起きないなんてことがありえますし、手術に集中しているときに時間が過ぎてしまうと途中で起きてしまうこともあり得ます。胸の手術でなければ、しばらくすれば起きてくるだろうでも構わないのですが、肺移植後の場合、起きてくるまで人工呼吸器をいつまでもつけておかなければならなくなります。そこで、ヒトでも用いているような吸入麻酔をする必要があるのです。しかしこの麻酔も、麻酔をあまりにも深くしすぎるとマウスは死んでしまいますし、浅いと起きてしまいます。手術をしながら心臓の動きに注意し、麻酔のコントロールをしつつ手術をしています。

麻酔器

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【寄稿募集】academist Journalでご自身の研究をアピールしてみませんか? https://academist-cf.com/journal/?p=1099 Mon, 20 Jun 2016 02:00:16 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1099 記事のイメージや進め方 記事のイメージや公開までの流れは下記のとおりです。

文字数

2000字~3000字程度でお願いしていますが、とくに制限はありません。

画像

2〜3枚程度ご用意いただくと良い記事になります。

記事公開までの流れ

1. Wordファイルやテキストファイル等で原稿のご提出(担当:研究者) 2. 記事のプレビュー画面を作成(担当:編集部) →記事の加筆・修正をお願いすることもございますので、ご了承ください。 3. プレビュー画面のご確認(担当:研究者) →タイトル等を含めた最終確認をお願いいたします。 4. 記事の公開(担当:編集部) ※記事執筆における謝礼は発生しませんので、ご了承ください。

参考記事

https://academist-cf.com/journal/?p=593 https://academist-cf.com/journal/?p=450 https://academist-cf.com/journal/?p=853 https://academist-cf.com/journal/?p=604

興味のある方は、お問い合わせページからご連絡ください。みなさんからの熱い原稿をお待ちしております!]]>
1099 0 0 0 瀬戸内に浮かぶ“鬼ヶ島”で50年以上見つかっていなかった幻の昆虫を探せ!]]> カエデの葉を巻く不思議な蛾「ハマキホソガ」の謎]]> とある天文学者の1日 – ハワイの天文台で何をしているの?]]> ウンチの化石を科学する!【前編】]]>
キヌガサモヅルの分類はどこまで進んだのか? - academistの第一弾プロジェクトは今 https://academist-cf.com/journal/?p=1117 Fri, 24 Jun 2016 02:00:02 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1117 academist第一弾のプロジェクトは、現在どのような形で研究が進んでいるのでしょうか。 * * * academistを通して皆さんに頂いた研究費を用いて、ツルクモヒトデ目テヅルモヅル上科キヌガサモヅル科のキヌガサモヅル(Asteronyx loveni)の分類学的研究を試みました。本種は両極域を除く世界中の、主に約100 m以深の海底に分布しています。日本では太平洋側に分布することが知られていますが、たとえば東北で採れる個体と東シナ海で採れる個体には、なんだか見た目に差があると、私はずっと感じていました。 [caption id="attachment_1118" align="aligncenter" width="500"]13524139_1329671470379640_2004312888_o 日本近海から採集されたキヌガサモヅル。上、東北沖。下、東シナ海[/caption] しかし現行の分類体系では、これらの差は種内の変異とされています。そこで、日本に分布するキヌガサモヅルが同種かを判断するため、1. 個体ごとのDNA配列の比較、2. マイクロX線CTスキャンによる内部形態も含めた詳細な形態観察、を行いました。 日本の太平洋側より採取した73個体のキヌガサモヅルを用いた分子系統解析を行いました。これは、具体的には、細胞の中にあるミトコンドリアという器官が持つ、16S rRNA領域とCOI領域という、クモヒトデ類の種の分類に有用な情報を蓄積する遺伝子領域を個体ごとに比較することで、系統樹を作成するという作業です。系統樹とは、1つの種、あるいは集団などが、2つの種に次々に枝分かれしていくという進化現象を、根っこを共通祖先、枝を進化の道筋、末端の葉を現生の種や集団に見立てて、樹状に表したものです。分子系統樹を作成した結果、解析した個体は2つのクレード(遺伝的なまとまり)に分かれることがわかりました。このうち1つは、日本の南西側の個体からなる集団で、もう1つはそれ以外の、日本の太平洋側全体に広く分布する集団でした。意外にも、これらは生息場所で分かれているわけではありませんでした。 [caption id="attachment_1119" align="aligncenter" width="500"]13493307_1329676247045829_1726059671_o 本研究の概要[/caption] この2つのクレードをマイクロX線CTなどを用いて見比べてみると、日本南西部のクレードには骨片が存在する事がわかりました。対して、もう一方の日本の太平洋側のクレードには体表面を覆う骨片がありませんでした。このような骨片の存在は認められていましたが、DNA解析の結果を加味して、その有無は種内変異でなく、種を分ける形態的な特徴になりうることが判明したのです。すなわち、日本の南西部の集団とそれ以外の集団とは、DNA的にも形態的にも分けられる別種の可能性が強く示唆されました。この場合、日本の南西部の集団は未記載種であり、新しく名前を付けなくてはならない可能性があります。 このうち、速報性が重要となるマイクロX線による、キヌガサモヅルの初の観察結果に関する論文を執筆し、国際誌に投稿しています。査読が終わり、論文を修正中ですが、これが上手く発表されれば、ツルクモヒトデ目では初めての試みということになります。楽しみにしていていただければと思います。また、こちらの論文の執筆と並行し、今度は分子系統解析の結果も踏まえた、日本のキヌガサモヅルの分類に関する論文の執筆も進めているところです。このような研究の状況なども含め、私自身のブログで、研究の状況などを公開しています(チームてづるもづる)。ご興味がおありでしたら、ご笑覧ください。このように無事に研究が進められたのも、皆さんのご援助あってのことです。本当にありがとうございました。]]> 1117 0 0 0 村上先生のアリ研究記(1)- 農業するアリ"ハキリアリ"の生態に迫る! https://academist-cf.com/journal/?p=1153 Wed, 06 Jul 2016 09:00:33 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1153 この文章を、私の研究人生のなかで最も長い時間ともにいる、ハキリアリの話から始めよう。ハキリアリは、その名のとおり葉を切るアリである。森から葉を切り出し、数百メートルに渡って緑の川をつくり、巣へと運んでいく。アマゾンを中心とした新熱帯域に生息するアリで、16属256種の存在が知られている。

[caption id="attachment_1162" align="aligncenter" width="500"] ハキリアリが、森から葉を切り出し、巣に持ち帰るところ。撮影はパナマ共和国、バロコロラド島。撮影者は竹中工務店・宮田弘樹氏。[/caption]

ハキリアリと人との関係

このアリは、古くから人間との関わりの深い生物である。アステカ文明の神話をまとめた「Los Viejos Abuelos」によると、アステカ文明の第五の太陽神の時代、農業の神であったケツァルコアトルは、太陽神からの命を受けて、地上の人間たちの安定した食料生産のための方策を練っていた。ある日、ケツァルコアトルは、一匹の赤いアリが何かの種子を運んでいることを発見した。「その種はどこから持ってきたのか?」とアリに尋ねたが、アリは教えてくれなかった。だが、しつこく何度も尋ねたため、ついにアリが真実を語った。その種子が「生命の山」にあることを。ケツァルコアトルは黒いアリに変身し、行軍をたどり、「生命の山」にたどり着いて、ついに秘密の種子を発見した。その種子こそ、中南米の文明を支え、現在全世界の食料のベースとなっているトウモロコシだったのだ(Marín 2000)。人間は、5000年前からアリの行動を子細に観察し、その特徴から人々の生活に役立つ知恵を学んできたのである。

大害虫ハキリアリ

ハキリアリは太古の昔から人間と深い関わりを持った生き物であったが、西洋文明の侵入後は厄介者として扱われることが多くなった。たとえば、ブラジルでは国家予算の10%が毎年ハキリアリ対策に費やされ、その防除法の研究開発のために、1000人を超える研究者が存在するといわれている(Hölldobler & Wilson 1990)。現在、ハキリアリ対策の予算の詳細は明らかにされていないが、2003年の報告では年間12,000トンの殺虫剤がブラジル全土に散布されている。農薬の購入費用だけで概算で400億円以上にも及ぶのだ。(Márcio da Silva Araújo et al. 2003)。また、アメリカ合衆国南部からアルゼンチンにかけての全域では、毎年数千億円以上の農業被害が出ていると考えられている(Lofgren and Vander Meer 1986)。さらに、農業被害だけではなく、直径10メートル以上、深さ5メートル以上あるような巨大な巣を家の下に作られて家屋が傾いたり、トラクターが巣にはまり横転して運転手が死亡したりなど、たかがアリなどとは軽視できないほど深刻な影響を与えている。

アリが農業をする?

ところで、ハキリアリたちは切った葉を巣に持ち運んで何に使うのだろうか? ツムギアリのように巣の素材にするのだろうか? 青虫のように幼虫の餌にするのだろうか? 実際にハキリアリの巣を掘ると、15㎝も掘れば空洞に突き当たる。直径約30センチの空洞には、灰色のほやほやした塊が詰まっている。その正体は、ハキリアリ5000万年の進化の結晶である「キノコ畑」だ。ハキリアリが運ぶ葉は、キノコ畑の榾木(ほだぎ)として使われているである。

[caption id="attachment_1163" align="aligncenter" width="500"]Screen Shot 2016-07-04 at 8.06.04 PM テキサス州で掘り起こしたハキリアリAtta texanaのキノコ畑[/caption]

人間以外の生物で「農業」を営む生物がいるというと、にわかには信じない人がいるだろうが、これは全くの事実である。それどころか、人間の農業の歴史がたかだか1万年位なのに対し、ハキリアリの農業の起源は数千万年とまさに桁違いだ。ハキリアリとその近縁種は、キノコ畑で育てた菌類を主要な餌としている。働きアリは、キノコ畑に繁殖した通常菌糸や蕪状菌糸を集め、幼虫や女王アリに給餌する。幼虫と女王アリはキノコが作り出す栄養のみで成長し、生命を維持する。これほどまでに単一の食料に依存した生物は珍しいといえるだろう。

アリの農業はどう進化したのか?

キノコ畑を維持するのは、大変な作業である。ハキリアリが食料とする共生菌は、地球上でこのアリの中にしか存在していない。これはどういったメカニズムで進化してきたのだろうか? 菌食という特殊な行動が進化したのは、アリ類ではハキリアリを含む菌食アリ16属256種のみで、1万1千種いるアリ類ではたったの一回であった。なぜ、菌食アリだけでそのような特殊な行動が進化したのだろうか? さまざまな進化要因があるのだが、私は1997年にそのひとつの要因を明らかにした。

ハキリアリの仲間に「ムカシキノコアリ(Cyphomyrmex rimosus)」というアリがいる。彼らもハキリアリと同じように菌類を栽培しているのだが、その畑は立体的なキノコ畑ではなく、オレンジ色のつぶつぶの集まりでしかない。私は、100時間を超える地道な行動観察を行い、この小さなキノコ畑がアリの吐き戻したものを乾燥させて作られていることを突き止めたのだ。この発見は、キノコを育てるという行動が、たまたまアリの周りに存在していた菌類を食べて美味しかったから育てた、ということではなく、アリの体内にすでに有用な菌を選択できるシステムが完備されていたことを示唆している。(Murakami and Higashi 1997)。

[caption id="attachment_1170" align="aligncenter" width="522"]Screen Shot 2016-07-05 at 12.38.35 AM 菌を栽培するアリで唯一酵母を栽培するCyphomyrmex rimosusのキノコ畑。矢印で示している粒が酵母のキノコ畑である。[/caption] さらに、テキサスで研究生活を送っている際に、おもしろい現象を見つけた。すべてのキノコを育てるアリで巣の入り口付近に白いペレットが吐き出されていて、そこから抗生物質を生み出す放線菌の仲間を単離できたのだ(Little et al. 2004, 2006)。この抗生物質は、キノコ畑に侵入してくるさまざまな菌類に対する防御効果があるだけではなく、アリ本体の健康状態も維持してくれるすぐれた物質である。つまり、栽培するのに適した菌類は偶然で選択されたのではなく、菌栽培アリの体内に存在する放線菌との共同作業によって達成されていると考えられる。それこそが、菌栽培アリだけが栽培に適した菌類を選べた理由ではないかと私は考えている。

菌は誰の食べ物か?

大事に育てられた菌類は、いったい誰の食料となるのだろうか? 菌類、植物、幼虫、成虫の炭素13と窒素15の安定同位体比を測定してみたところ、原始的な菌栽培アリでは、菌類を主食にしているのが幼虫で、成虫は植物から栄養を得ているという結果になった。進化した種であるハキリアリは、幼虫、成虫ともに菌類から栄養を得ている結果になった。つまり、高度に社会を進化させたハキリアリでは、より効率よく栄養が得られる菌類を主食にするように食性を変化させていたことが分かったのだ。さらにいうと、菌類への依存度が増していることになるので、アリ−菌類の共生関係はより強固なものへと進化したということもこの結果は表している。

[caption id="attachment_1158" align="aligncenter" width="500"]図4rev 菌栽培アリの餌資源を安定同位体比から明らかにした。左の図は中程度に進化しているTrachymyrmex smithii、右はハキリアリAtta colombicaの菌園の苗床となる植物、栽培されている菌、幼虫、成虫の安定同位体比を示している。T. smithiiの幼虫は栽培している菌から、成虫は植物から栄養を得ていることが分かる。ハキリアリはちょっと見にくいが、幼虫と成虫の安定同位体比に大きな差はなく、かつその栄養は菌から来ているものと考えられる。[/caption]  

遺伝的多様性と社会進化

では、ハキリアリが国家を傾かせるほどの高度で巨大な社会を進化させた要因はなんだったのだろうか? その謎を解くために、私は2種類の遺伝マーカーを使って、ハキリアリを含む菌栽培アリの血縁度を測定した。その結果、どちらの解析でも原始的なグループでは血縁度は0.75と高く、ハキリアリのグループは0.4以下と低い結果になった。つまり、血縁度が低いということは、遺伝的多様性が高いということだ(Murakami et al. 2000, Villesen et al. 2002)。

いったい、ハキリアリはどうやって遺伝的多様性を高めているのか? それは、女王アリが多くの雄と交尾することでもたらされている。ハキリアリの女王は、地球上のアリ類の中でも巨大で、多くの雄の精子を受け入れる物理的スペースがあるのだ。女王が巨大化するには、巣を大きくし、餌資源を大量に確保する必要がある。それを可能にしたのが菌の栽培であり、巨大な巣を作ることのできる熱帯雨林の存在なのである。ハキリアリは、テレビでも図鑑でも取り上げられるユニークな生き物でもあり、社会経済にインパクトを与える害虫でもあり、進化を検証できる素晴らしい生きた進化時計でもあるのだ。現在も多くの研究者たちが、ハキリアリの生態を知ることにより、農業被害を食い止めるだけではなく、その巧妙な社会を維持する術を人間社会に応用することを狙いながら、日々研究を進めているのである。

[caption id="attachment_1160" align="aligncenter" width="500"]Screen Shot 2016-07-04 at 8.01.17 PM ハキリアリの女王。体長3センチオーバー。地球上で最も巨大な女王アリで、ぱっと見カナブンに見える。お腹の中の精子袋には5−10個体分の精子が蓄えられ、寿命は20年で、一生で2億個体の子どもを産み続ける。[/caption]

参考文献

  • Hölldoboer B. & Wilson E. O. (1990) The Ants. Harvard University Press, 746 pp.
  • Little A. E. F., Murakami T., Mueller U. G. & Currie C. R. (2004) The infrabuccal pellet piles of fungus-growing ants. Naturwissenschaften 90: 558-562.
  • Little A. E. F., Murakami T., Mueller U. G. & Currie C. R. (2006) Defending against parasites: fungus-growing ants combine specialized behaviors and microbial symbionts to protect their fungus gardens. Biology Letters 2: 12-16.
  • Marín G. (2000) Los viejos abuelos. Universidad José Vasconcelos de Oaxaca, 95 pp.
  • Murakami T. & Higashi S. (1997) Social organization in two primitive attine ants, Cyphomyrmex rimosus and Myrmicocrypta ednaella, with reference to their fungus substrates and food sources. Journal of Ethology 15: 17-25.
  • Murakami T., Higashi S. & Windsor D. (2000) Mating frequency, colony size, polyethism and sex ratio in fungus-growing ants (Attini). Behavioral Ecology and Sociobiology 48: 276-284.
  • Villesen P., Murakami T., Schultz T. R. & Boomsma J. J. (2002) Identifying the transition between single and multiple mating of queens in fungus-growing ant. Proceedings of The Royal Society of London B. Biology, 269: 1541-1548.
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村上先生のアリ研究記(2)- 小さな侵入者"ヒアリ"を退治せよ! https://academist-cf.com/journal/?p=1175 Mon, 11 Jul 2016 08:00:17 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1175 前回お話しした"ハキリアリ"に続き、恐怖の殺人アリ"ヒアリ"について紹介しよう。 世界に拡がる殺人アリ ヒアリ(Fire ant, Solenopsis invicta)は、南米ブラジルとアルゼンチン国境付近の亜熱帯域を原産とするフタフシアリ亜科のアリである。見た目は、ぱっとせず、これといって特徴のないアリだ。働きアリの体長は2.0−6.0 mmと幅がある。 [caption id="attachment_1176" align="aligncenter" width="500"]ヒアリ図1 ヒアリの働きアリ(写真提供:島田拓氏)[/caption] 原産地では、このアリはとくに目立つことはない。林縁や川縁の赤土が露出した場所くらいしか巣を作ることができないからだ。しかし、1930年代にアラバマ州モービル港に侵入し、北米大陸に拡大していった。現在、この北米大陸の侵入個体群を起源として、カリブ海諸国、オーストラリア、ニュージーランド、中国上海、台湾と環太平洋地域は、このアリの侵入を受けている。 [caption id="attachment_1177" align="aligncenter" width="500"]ヒアリ図2 ヒアリの巣。アメリカ合衆国のフロリダ州ゲインズビルで村上が採集中の様子。[/caption] 幸いなことに、日本本土にはまだ侵入・定着の報告はない。唯一、硫黄島の米軍基地で侵入・定着により米兵が刺傷を受けたという情報があるのみだ。これは、運が良いということだけではく、日本の検疫システムが優れていることを示しているだろう。 多様化するヒアリの毒性 ヒアリは、原産地を離れて侵入地で定着すると、その性格が変化してしまう。たとえば、その毒性だ。ヒアリの毒は、ソレノプシンと呼ばれ、アルカロイド系の毒だ。アルカロイドは通常、植物毒の主成分で動物が自ら生合成することは珍しい。その珍しい例がヒアリなのである。したがって、ヤドクガエルやフグ、アカハライモリのように、食性や地域によって毒があったりなかったりすることはなく、どの地域であっても、自らの身を守るため、または捕食のために毒を利用することができるのだ。ソレノプシンのアルカロイド成分は、アルキル基の炭素数が11個(C11)、13個(C13)、15個(C15)、という3つのタイプ、アルキル基にそれぞれ飽和アルキルと不飽和アルキルの2タイプ、そしてシス型とトランス型が存在するため、合計12種類となる。 [caption id="attachment_1178" align="aligncenter" width="1024"]村上が台湾で実際にヒアリに刺された痕。このあと、軽いアナフィラキシーショックが出て、眩暈、動悸、手の震え、瞳孔収縮が見られた。なお、テキサス、フロリダ、アルゼンチンでも刺されたが、ここまで激しい反応は見られなかった。 私が台湾で実際にヒアリに刺された痕。このあと、軽いアナフィラキシーショックが出て、眩暈、動悸、手の震え、瞳孔収縮が見られた。なお、テキサス、フロリダ、アルゼンチンでも刺されたが、ここまで激しい反応は見られなかった。[/caption] 不思議なことに、原産地より侵入地の方が毒のタイプが多様になっている。原産地ではだいたい4−5タイプが使われているに過ぎないのだが、侵入地ではその倍以上のタイプが使われていた。これは、侵入地で遺伝的に大きく異なるもの同士もしくは近縁種との交雑により、遺伝的多様性が増すことでもたらされたと考えられる。 多様な毒は、侵入地の生態系だけではなく、人間社会にも深刻な影響を与えている。現在、アメリカ合衆国では年間100名を超える死者と5000−6000億円もの経済被害が出ている。このアリの進撃を止めることはできなかったのか? 『沈黙の春』の不都合な真実 ひとつの大きな要因は、環境科学のバイブルでもあるレイチェル・カーソンの『沈黙の春』にある。この本にはヒアリの被害について、こう書かれている。
「Fire antは合衆国南部の農業に深刻な脅威を与える,作物を傷め,地表に巣をつくる鳥の雛を襲うから自然をも破壊する.人間でも刺されれば,害になる - こんな言葉をならべたてて,議会の承認を得たのだ.だが,みんな嘘だということがあとでわかった.(新潮文庫186頁)」 「アラバマ州の専門家によれば,“植物に及ぼす害は概して稀である”という.また,アラバマ総合技術研究所の昆虫学者であり,アメリカ昆虫学会の1961年度会長E. S. アラント博士は言う—“自分のところでは,過去五年間,植物がfire antの害を受けたという報告は一度もない・・・・・・・家畜の被害もべつに見うけられない”.(同187頁)」 「このアリがアラバマ州にすみついてから40年にもなり,またそこにいちばん密集しているのに,アラバマ州立保健所の言うところでは,“fire antに刺されて命を亡くした記録はアラバマ州では一度もない”.(同188頁)」
1962年にこの本が出版され、世界的に大きなインパクトを与え、DDTやBHCなどの強力で安価な農薬は全面的に使用を禁止された。 それから50年。『沈黙の春』は世界に何をもたらしたか。これはあまり顧みられない不都合な真実だが、ヒアリや外来昆虫に関しては、当時アメリカ農務省が心配していたことが現実になっているのだ。日本からの外来甲虫であるマメコガネは駆除できずに、他の大陸にまで飛び火させるほど大繁殖させてしまい、ヒアリにいたっては多大な国家的損失を与え、地球規模の大害虫にしてしまった。 現在、アメリカ農務省は化学物質を使わない生物防除法の開発を研究しているのだが、80年経った今でも、駆除は達成できていない。 ヒアリを防除するために 幸いなことに、日本にはまだヒアリは侵入していない。今、防除に関する基礎研究を行うことが重要だと考えている。私は2008年から台湾、フロリダ、テキサス、そして原産地のアルゼンチンでヒアリの調査・研究を行い、防除法に繋がる基礎データを蓄積している。究極的な目標は、ヒアリの性決定メカニズムを解明し、それをコントロールすることで繁殖能力を著しく下げることにあるが、そこまでにはまだいたっていない。 これまでの成果は以下のようにまとめられる。
  1. ヒアリの倍数性がフロリダ個体群、台湾個体群で変異(3倍体、4倍体の頻度が高い)していた。
  2. Ag-NORシグナル数が原産地から離れるほど増加していた。
  3. 18S-rDNA遺伝子のシグナル数の変異が侵入地ほど大きかった。
現在、これらの成果を投稿中である。さらに基礎データを積み上げていって、生物防除法の確立に役立つ成果にたどり着くことを目指していきたい。 [caption id="attachment_1179" align="aligncenter" width="500"]ヒアリの染色体上の18S-rDNA遺伝子を蛍光色素で染色した図。台湾の個体群の例。通常は遺伝子数は種により変化がないはずだが、1−5個と変異が大きかった(もっと多いシグナルを示す個体もあった)。 ヒアリの染色体上の18S-rDNA遺伝子を蛍光色素で染色した図。台湾の個体群の例。通常は遺伝子数は種により変化がないはずだが、1−5個と変異が大きかった(もっと多いシグナルを示す個体もあった)[/caption] (この文章は「アリの社会」の一章を一部抜粋、改変しています) 参考文献 レイチェル・カーソン(1962)『沈黙の春』新潮社 坂本洋典、村上貴弘、東正剛(2015)『アリの社会』東海大学出版会]]>
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"偶然"を"必然"に変える研究者 - ImPACTプログラムマネージャー合田圭介教授 https://academist-cf.com/journal/?p=1190 Mon, 18 Jul 2016 22:00:14 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1190 内閣府の革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)「セレンディピティの計画的創出」のプログラムマネージャーを務める合田教授にお話をうかがった。 ー現在取り組んでおられるImPACTの「セレンディピティの計画的創出」プログラムについて教えてください。 002 セレンディピティとは、偶然の幸運な発見のことです。サイエンスの歴史をみると、ノーベル賞もそうですが、だいたい半分くらいが偶然の幸運な発見によってもたらされたものであるといえます。そういった不確実なものを、確定的なものに変えるというところが、このプログラムの本質的な目的です。 そもそも発見とは、探索して見つけること。これはサイエンスに限らず、婚活や就活など、人間の本質的な活動です。美味しいイタリアンを食べたいと思ったとき、20年前にはタウンページで探していましたが、それではなかなか良い店を見つけることができません。しかし、今ではGoogleなどの検索エンジンで探せば簡単に見つけることができます。20年前にセレンディピティだったことが、現在では普通になっているのです。この変化を、サイエンスの分野で起こしたいというわけです。 ー具体的にどういった分野での実装を考えられていますか。 現在は特にバイオ市場に着目して、膨大な数の細胞集団から単一細胞を速く正確に探し出せる細胞検索エンジン「セレンディピター」の開発を行っています。セレンディピターによって、ノーベル賞級の大発見を頻発させるというのが理想です。これは、光科学・応用化学・電子工学・機械工学・情報科学・分子生物学・遺伝子工学など、さまざまな分野の知見や異分野融合の技術から成り立っています。 たとえば、東大発ベンチャーのユーグレナが現在、ミドリムシ由来のバイオジェット燃料の実用化を進めていますが、セレンディピターを用いることにより、油を多く産生できる「スーパーミドリムシ」を速く正確に発見・分析し、短期間で油を取り出せる品種改良を繰り返すことが可能です。また、血液検査技術への応用も考えられます。セレンディピターを使って、血液中の造血幹細胞や循環がん幹細胞といった稀少な細胞を正確に単離できれば、がん検査や創薬などの医療応用へつながります。 [caption id="attachment_1194" align="aligncenter" width="500"]003 「セレンディピティの計画的創出による新価値創造」プログラムの概要 [提供:科学技術振興機構 革新的研究開発推進室(ImPACT)][/caption] ーバイオ市場に注目されているということですが、博士課程のころには重力波の研究を行われていましたよね。一見、まったく関わりのない分野のようにも思えますが……。 重力波は今年検出され、一気にホットな話題になりました。重力波を見つけるには、ものすごく微弱でかつレアな信号を検出しなければなりませんが、先ほど説明した血液の希少細胞を見つけるのとある意味似ていますよね。レアで微弱なものを計測することをprecision measurementと言いますが、この伝統や文化はほかにも適応できるんじゃないか、と。 バイオ分野では論文の再現性が低いといった問題がありますが、再現性がないということは、コミュニティ自体が進歩していかないということです。物理や化学は、対象がシンプルなために再現性が取りやすく、一度誰かが論文を出せば、その知識は全世界と共有され、皆が同じところからスタートできるので、進化の速度がはやい。 しかしバイオの世界では、論文中に書いていないことも多くあり、論文を読んで目的物をそのままコピーして作るということが難しい。その人のラボに行って技術を習得しなければならないなど、進み方がスローなんですよね。ここをうまく技術で解決できないかな、と。 また、現在のプロジェクトは、各チームが個別に研究を行うのではなく、すべてのチームが連携を取り合った編成で進めており、重力波検出実験に関わっていたときのモデルをうまく活用できていると思います。 ー合田先生のImPACTのプログラムのように、最近では異分野融合の流れがあるように感じます。 近年、論文の共著者数が増えてきています。2012年では平均5.3人でしたが、2030年には平均7.5人になると予想されています。したがって、論文を出すということと、学際的であるということがほぼ同義になりつつあるのです。ただし、これに向けてはいくつか問題点があります。 これまでのサイエンスは、進化と細分化の道が同じだったといえます。サイエンスの知識は年々蓄積されていく一方で、人間の学ぶスピードは変わらない。そんななかで修士・博士課程の数年間である程度の成果を出すためには、学ぶ範囲を限定するしかない。そのために細分化が必要だったというわけです。学問を細分化することによって、その分野のマスターを育成するといった教育が行われてきましたが、ここにまずひとつの問題があります。 また、人間的な問題もあります。サイエンスでは、文書化してそれを共有することで、全人類のサイエンティフィックな能力を底上げしていくということが重要です。この際、人間の言葉はあいまい性を含むので、それを排除するために専門用語を作るわけですが、そのせいで各分野がどんどん専門的になり、同じサイエンスでも専門が違うと会話ができないという状態になってしまっています。本来、分野のないネイチャー(自然)を、人間の都合で考えた分野ごとに細かく分けてしまっているのです。 ーその分野間をつなげる必要がでてきているというわけですね。 それを行うことができるのが、グローバルリーダーだと考えています。私はアメリカでの経験が長いので、「グローバルとは何ですか」とよく聞かれるのですが、たとえば、スポーツというグローバルグループのなかには、サッカーやバスケットといったローカルグループがある。学術のグローバルグループのなかには、生物や物理などのローカルグループがある。このローカルグループ同士をつなげられる人が、グローバルな人です。これを国の関係で行っているのが、一般的にグローバル人材だと考えられていますよね。学術分野では、大きな視野でサイエンスを見て、異分野をつなぐことができるグローバルリーダーが求められています。 ー学術分野でのグローバルリーダーになるにはどういった素質が必要なのでしょう。 アメリカで学際的な研究が進んでいるのは、一般教養に力を入れているからだと考えています。アメリカの大学では最初の2年間、文系学生と理系学生が一緒に一般教養を学びます。文系学生は、数学、物理、化学などを理系学生と一緒に学びます。逆に理系の学生も、社会学、歴史学などを文系学生と一緒に学びます。理系文系どちらの学問においても、良い成績を残さなければ希望する専攻に進めません。一般教養レベルで競争があるということです。こうして、高いレベルでの一般教養を身につけた結果、分野を移動したときに適応できるような人材となる。これがアメリカの人材流動性の強みであり、経済の強みだと考えています。 001 ー最後に、academist Journalを読んでくださっている若手研究者へのメッセージをいただけますでしょうか。 スクラップアンドビルドが重要です。日本では、伝統を重要視しているせいか、新しいものを導入するときに古いものを残しつつやろうとして非常に複雑になってしまっていることがよくあります。多少の犠牲や敵を作ってしまうかもしれませんが、壊すことを恐れずに、そこで新しいものを築いていくことが必要です。たとえば、まったく新しい分野に飛び込んでいくとしても、そのひとのサイエンスの重要なところは壊れない。強大な基礎学力があれば、専門性はすぐに身についてくるはずです。 現在ではインターネットを通じた情報共有が可能になり、世界のどこでも誰でも研究を行うことが可能になってきたために、研究者の数が爆発的に増えて、研究のスピードが速くなってきています。昔はすごい発見をしたらそれだけで20年やっていけたかもしれないけど、今では5年ごとに新しいものを発見していかなければ研究者として食べていけない。そういう状況においては、学際的にやっていかざるを得ないわけです。そういったときに、やはりスクラップアンドビルドが大事。日本は出る杭を打つ文化だといいいますが、アメリカでも出る杭は打たれます(笑)。打たれてもめげない杭になるべきなんですよね。
研究者プロフィール:合田圭介 教授 東京大学大学院理学系研究科教授/内閣府革新的研究開発プログラム(ImPACT) プログラム・マネージャー 北海道札幌市出身。1998年に渡米。2001年にカリフォルニア大学バークレー校理学部物理学科を首席で卒業。同年にマサチューセッツ工科大学理学部物理学科に移り、Laser Interferometer Gravitational-Wave Observatoryに所属し、重力波検出器の量子強化について研究。2006年より1年半の間はカリフォルニア工科大学で客員研究員として同研究を行う。2007年にマサチューセッツ工科大学理学部物理学科博士課程を修了(理学博士)。その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校工学部電気工学科にて斬新な光イメージング法やレーザー分光法を開発。2011年より同大学工学部生体工学科にて生体医工学とマイクロ流体工学を研究。2012年より東京大学大学院理学系研究科化学専攻物理化学講座の教授。2013年よりカリフォルニア大学ロサンゼルス校工学部電気工学科の非常勤教員としてUCLAでも研究活動を行う。2014年より内閣府革新的研究開発プログラム(ImPACT)のプログラム・マネージャー。
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村上先生のアリ研究記(3)- 私が福島第一原発周辺でのアリ相調査を続ける理由 https://academist-cf.com/journal/?p=1203 Wed, 13 Jul 2016 22:00:14 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1203 第1回はこちら。第2回はこちら

今回の科学エッセイを福島第一原発周辺でのアリ相調査の解説で締めたいと思う。

2011311日午後246分。巨大な地震が東日本を襲い、それに誘発された巨大津波の影響で、多くの人命が失われた。翌12日には、被災した福島第一原子力発電所1号機が水素爆発を起こし、続いて3、4号機も爆発。結局、1-3号機の炉心はすべて溶融し、大量の放射性物質が周囲に飛散した。事故のレベルは、1986年の旧ソビエト連邦で起こったチェルノブイリ原発事故と同レベルの7。放出されたヨウ素131とセシウム137の合計は900PBqという甚大な量であった。

この事故を受け、201152829日に札幌で開催された日本土壌動物学会において、ロシア科学アカデミーのAndrei S. Zaitsev博士をお呼びして、チェルノブイリ原発事故後の土壌動物調査の実態をレクチャーしていただいた。衝撃的だったのが、旧ソビエト科学アカデミー(現ロシア科学アカデミー)を中心に、事故発生からわずか数週間後には現地に入り、土壌動物の調査を行っていたという事実であった。

事故直後は線量が非常に高く、活動可能エリアが地表からわずか30センチほどしかなく、研究者は這いつくばりながら調査をしたという話や、調査には高齢の研究者を送り込んだなどの生々しい話には、息を呑んだ。この調査は20年経った現在でも継続して行われており、その成果は公表されている(Zaitsev et al.  2014など)。

今回、私がクラウドファンディングに応募する研究の端緒はまさにここにあった。

事故から半年後の9月、はじめて福島県二本松市東和町と浪江町に調査に入った。横浜国立大学、国立環境科学研究所、宮城教育大学などの研究チームとの合同作業だ。線量は高く、作業時間は1カ所につき15分から30分程度。アリを巣ごと見つけて、採集するには厳しい時間だ。

線量は最も高いところで150 µSv/h。これは平常の約3000倍に相当する。総被曝量はレントゲン一回受けるよりも低いとはいえ、実際に現場で感じる精神的なストレスは相当なものだ。気がついたら横国チームがいなくなっている! ここで置いていかれたら結構大変だ! と思いながら半泣きで山を下りたり(40過ぎなのに)、それ以降は横目で人の動きをちらちらチェックしながらの作業は、本当に気疲れした。結局、サンプリングできたのはわずか6種、9コロニーのみ。実験室で飼育しながら、観察と体サイズの測定、解剖、染色体標本の作製を行った。

20139月に2回目の調査に福島県浪江町と大熊町を訪れた。大熊町は原発からわずか数キロ圏内。最大線量は2年経ったにもかかわらず190 µSv/hであった。折悪しく土砂降りの雨の中のサンプリングは全くはかどらず、防護服の上にレインコートを着て、水が染みこまないよう万全を期しているが、やはりストレスフルなサンプリングだ。結局2011年度と同様に69コロニーしかサンプリングできなかった。

[caption id="attachment_1231" align="aligncenter" width="500"] 2013年の福島調査時の様子。事故後2年たっても倒壊した建物はそのまま残されていた。[/caption] [caption id="attachment_1232" align="aligncenter" width="500"]図2 2013年の福島調査時の様子。雨が降り、非常に厳しい調査となった。[/caption]

20146月。3回目の調査を行う直前にひとつ厄介なことが起きた。とあるマンガの影響で、これまで許可されていた調査ができなくなってしまったのだ。直前でのトラブルで頭を抱えたが、たまたま大学の後輩のご実家の協力を仰ぎ、いわき市、富岡町、大熊町で比較的時間をかけて調査することができた。本当に感謝している。

このときの最大線量は16 µSv/hと大幅に減少しており、除染が順調に進んでいること、しかしながら、大量の除染後の汚染土が黒いビニールにくるまれて空き地に保管されているのが印象的であった。いわき市で2日、富岡町で1日、大熊町で1日とかなり時間をかけて調査ができ、これまでで最多の25コロニーを採集することができた。

[caption id="attachment_1234" align="aligncenter" width="500"]図3 2014年の福島調査時の様子。富岡町の駅舎。津波で骨組みだけになった駅舎は、被害の甚大さを物語っている。[/caption] [caption id="attachment_1235" align="aligncenter" width="500"]図4 2014年の福島調査時の様子。富岡町の駅周辺に津波で押し流されてきたであろう車があった。[/caption] [caption id="attachment_1236" align="aligncenter" width="500"]図5 2014年の福島調査時の様子。大熊町での調査近景。3年たち空間線量はかなり低下していた。[/caption]

現在、これらのデータを収集・解析の途中である。今回、クラウドファンディングに挑戦した理由は、もちろん科研費が不採択であったことが実際の行動を後押しした理由だが、本質的には国が担保しきれないより公平性の高い調査・研究が、クラウドファンディングというシステムでは実現しやすいということに今更ながら気がついたからである。

これまでの3回の調査はもちろん、これからのさらなる調査について、私は基本的な姿勢としては原発反対でも賛成でもない第三者の視点を提供できるよう細心の注意を払い調査を続けるつもりだ。電力会社・地元の人々・研究者・国とさまざまなステークホルダーが関連する場所になってしまった福島第一原子力発電所周辺を、いかにオープンな場所にしていくのか?タブー視せず、勇気を持って現実を直視し、最適な解決策を提案できるのか?

これからも、20年程度の時間をじっくりかけながら、調査・研究をしていく覚悟だ。今後とも、皆様には長い時間のご支援をいただければ幸いである。

参考文献

Zaitsev, A. S., Gongalsky, K. B., Nakamori, T., & Kaneko, N. (2014). Ionizing radiation effects on soil biota: Application of lessons learned from Chernobyl accident for radioecological monitoring. Pedobiologia, 57: 5-14.

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academist Journalの常連執筆陣、白瀧千夏子さんの博士課程時代の研究を聞いてみた https://academist-cf.com/journal/?p=1211 Mon, 25 Jul 2016 01:00:32 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1211 今、うんちの化石がアツい?! − 名古屋市科学館の「恐竜・化石研究所」でティラノのうんちとご対面してきた」などの記事でお馴染みのacademist Journal常連執筆陣、白瀧千夏子さんに突撃インタビューをして参りました。白瀧さんの研究者としての姿を暴きたい! という編集部の野望を実現すべく、急遽インタビューを敢行。ドイツの化学ジャーナル「Angewandte Chemie International Edition」のインサイドカバーを飾った博士課程での研究についてお伺いしてきました。 [caption id="attachment_1220" align="aligncenter" width="500"]001 白瀧さんと筆者。中央は「Angewandte Chemie International Edition」のインサイドカバー[/caption] ー大学院博士課程での研究内容を教えてください。 私は博士後期課程で、タンパク質をうまく”騙す”ことで緑膿菌の増殖を抑える研究成果を発表しました。緑膿菌は日和見感染の原因菌として有名で、動物の体内や、水周りなどの身近なところに生息しています。多剤耐性緑膿菌の出現や院内感染が社会問題にもなっており、新聞等で名前を見聞きしたことがある方も多いのではないでしょうか。 ー緑膿菌はどのようにして増殖をしているのでしょうか? 動物の体内に生息する緑膿菌は、宿主の持っている鉄分を奪って増殖するんです。鉄欠乏状態におちいった緑膿菌は、菌体外にHasAというタンパク質を放出します。宿主の血液中にはヘモグロビンというタンパク質がたくさん存在しており、ヘモグロビンはヘム鉄という金属錯体を含有しています。放出されたHasAは、宿主のヘム鉄を捕捉するんです。その後、HasAは緑膿菌の菌体表面に存在する特異的受容体タンパク質(HasR)にヘム鉄を受け渡します。HasRを経由して緑膿菌がヘム鉄を取り込み、このヘム鉄を鉄分として利用することで緑膿菌は増殖できます。 [caption id="attachment_1212" align="aligncenter" width="300"]heme ヘム鉄の構造[/caption]   [caption id="attachment_1213" align="aligncenter" width="500"]ヘム鉄獲得システム ヘム鉄獲得システム[/caption]   ー緑膿菌の「ヘム鉄獲得システム」を見て、どんなことを考えたのですか? ヘム鉄獲得システムをうまく利用し、「ヘム鉄を結合した”本物”のHasA」によく似た「別の分子を結合した”偽物”のHasA」を使うことで緑膿菌を騙して、HasRの取り込み口をふさぐことができれば、緑膿菌への鉄分供給が遮断され、緑膿菌が増殖できなくなるかもしれないと考えたのです。 [caption id="attachment_1215" align="aligncenter" width="500"]ヘム鉄結合HasA(左)と鉄-フタロシアニン結合HasA(右) ヘム鉄を結合した”本物”のHasA(左)と、別の分子である鉄-フタロシアニンを結合した”偽物”のHasA[/caption]   ー実験に使う錯体の候補はどうやって選定したのでしょうか? ある程度構造的に似ていて入手しやすいものを選定していきました。一部をご紹介します。 [caption id="attachment_1216" align="aligncenter" width="500"]鉄錯体 実験に使用した錯体[/caption] ヘム鉄がオリジナルである天然の金属錯体で、鉄-メソポルフィリンIXはヘムの二重結合を単結合に変えたものです。ここまで構造が似ていればきっとHasAによる錯体の捕捉が起きるだろうと予想して選びました。鉄-サロフェンはちょうど大きさがヘム鉄の半分くらいなので、小さいものも試してみたいと思い、用いました。 ー実験の結果はいかがだったのでしょうか? 先ほど紹介したもののうち、鉄-テトラフェニルポルフィリン以外は結合しました。次に、どのようにHasAが錯体を”噛んで”いるのかを詳細に調べたかったので、人工金属錯体を捕捉したHasAのタンパク質結晶を作成し、結晶構造解析を行いました。すると、天然の金属錯体であるヘム鉄と同じように鉄-メソポルフィリンIXや鉄-サロフェンといった人工金属錯体がHasAによって捕捉されていることがわかったのです。特に着目したのは鉄-サロフェンを取り込んだHasAの構造でした。鉄-サロフェンがHasAの奥側、魚のかたちにたとえると魚の喉側に取り込まれたことから、鉄-サロフェンと同じような構造を持つ大きめの分子である鉄-フタロシアニンもHasAによる捕捉が起きるのではないか、と予想したんです。 ー鉄-フタロシアニンとはどういった錯体なのでしょうか? 鉄-フタロシアニンは道路標識の塗料などに利用されている青い分子で、デバイスへの活用などの応用化のために盛んに研究がなされており、化学者のあいだでは良く知られている分子です。いろいろ工夫しながら鉄-フタロシアニンをHasAと混ぜてみたところ、やはり他の錯体と同じように鉄-フタロシアニンもHasAに捕捉されることがわかったんです。 [caption id="attachment_1214" align="aligncenter" width="300"]鉄フタロシアニン 鉄-フタロシアニンの構造[/caption]   ー予想どおりの結果になったんですね。 人工金属錯体である鉄-フタロシアニンを捕捉したHasAの形を結晶構造解析によって明らかにし、天然の錯体であるヘム鉄を捕捉したHasAの形と比較してみると、ぱっと見では見分けがつかないくらい形状が酷似していました。私達から見ても似ているのだから、緑膿菌にとっても見分けがつかないんじゃないか、と想像したんです。コイツはコレを見分けられるのか!? って。もしかしたら見分けられずに、何かおかしなことが起こるかもしれない。 ー緑膿菌も、ヘム鉄を捕捉した”本物”のHasAと鉄-フタロシアニンを捕捉した”偽物”のHasAを勘違いしてしまうと予想したわけですね。 そこで、鉄イオンを除いた状態で、ヘム鉄を捕捉しているHasAと鉄-フタロシアニンを捕捉しているHasAを同時に緑膿菌に与えて培養するという実験を行ってみたところ、緑膿菌の増殖が抑えられることがわかりました。鉄-メソポルフィリンIXや鉄-サロフェンを捕捉したHasAを与える実験も行ったのですが、鉄-フタロシアニンを捕捉したHasAを用いた場合の阻害効果が最も高いことがわかりました。 ー見事に緑膿菌の増殖を抑えることができたんですね。 この結果だけ見たらそう見えてしまうかもしれないですが、単純に緑膿菌に鉄-フタロシアニンを捕捉したHasAをふりかけても増殖を完全に阻害できるわけではありません。たとえば、同時にタンパク質に結合していない鉄イオンもあるような環境だと、緑膿菌は増殖してしまうんです。ですから、鉄イオンを除去するなどの別の工夫が必要になってきます。そこが今後の課題ですね。ただ、今までの抗生物質とは違うメカニズムで菌に対抗ができるかもしれない可能性を示すことができたので、そこは大きな価値があったかと思います。 どんな風にこのメカニズムを活かしていくか、後続の研究成果を私も楽しみにしています。]]> 1211 0 0 0 都会のリスは過労気味? 加速度センサーでその謎に迫る!- リスの都市適応メカニズムを探る研究 https://academist-cf.com/journal/?p=1249 Tue, 19 Jul 2016 02:00:26 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1249 都会のリスは過労気味? 加速度センサーでその謎に迫る! 今回の挑戦者は、北海道大学環境科学院博士課程の内田健太さんです。内田さんは、野生動物の都市環境への適応メカニズムや都市での生態について研究しておられます。 これまで野生動物に関する研究は、自然環境で暮らす動物を中心に行われてきたため、都市環境で野生動物がどのような生活を送っているのか、また、都市環境と自然環境下では動物の暮らしにどのような違いがあるのかといったことは、実は意外なほどに明らかになっていません。 そんな中、内田さんは森と都市の両方に生息しているエゾリスに着目し、都市環境がエゾリスに与える影響についての調査を始められました。内田さんは生物に直接小型のセンサーを取り付けて生態を調べる「バイオロギング」という手法と直接観察を組み合わせて、森のエゾリスと都市のエゾリスの様々な行動や生活史を比較を行っています。 back3 今回クラウドファンディングで集められた費用は、リスのエサを食べる・毛づくろい・喧嘩といった具体的な行動や、一日に消費するエネルギーの量を調べる上で不可欠な、超小型かつ高性能な加速度計の購入資金に使われます。支援者の方々は、リスの観察マニュアル(1000円)やサイエンスカフェへの参加券(10000円)、内田さんのリス調査に参加する権利(30000円)などのリターンを受け取ることができます。 【募集期間】2016年7月19日〜2016年8月30日 【支援サイト】academist(アカデミスト)]]> 1249 0 0 0 楔形文字を粘土板に刻んでみた – academistチャレンジャー山本孟さんのワークショップ&講演会レポート(前編) https://academist-cf.com/journal/?p=1259 Mon, 08 Aug 2016 01:00:35 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1259 academistにて「「愛」は普遍なのか? ヒッタイトの楔形文字から探る!」というプロジェクトに挑戦し、目標金額を達成しました。今回のレポートでは、2016年7月16日に開催された、山本さんによる一般向けのワークショップと講演会の様子をご紹介いたします。前編では、楔形文字サークショップの様子をお届けします。

竪穴式住居と楔形文字

今回のイベントは、大阪府和泉市にある、大阪府立弥生文化博物館(以下、弥生博)での平成28年度夏季特別展「世界の文字の物語:ユーラシア 文字のかたち」の、楔形文字関連イベント、という形で開催されました。 [caption id="attachment_1260" align="aligncenter" width="500"]image001 弥生博の外観。のどかな場所[/caption]   弥生博は、その名のとおり、国内の弥生文化全般を広く対象とする博物館です。弥生博に隣接するのは、池上曽根史跡公園。南北1.5km、東西0.6kmの範囲に広がる総面積60万m2に達する、弥生時代の大集落遺跡の一部が史跡整備された広い公園です。掘立柱建物や竪穴式住居に後ろ髪を引かれながら、弥生博へと急ぎます。 [caption id="attachment_1261" align="aligncenter" width="500"]image003 奥にある、掘立柱建物の内部は、見学できるらしい[/caption]  

楔形文字にも書き方の癖ってあるのかな?

午前中は、楔形文字ワークショップが開催されました。参加者として、小学生や、古代ローマが専門の学生さん、近所の年配の方など、老若男女が30人程度集まっていました。定員いっぱいの盛況ぶりです。 [caption id="attachment_1262" align="aligncenter" width="500"]image005 粘土の色を選んで着席すると、楔形文字の50音表と割り箸が用意されていました[/caption] まずは、山本さんより、楔形文字の概要や成り立ち、言語システム、書き方などについて、スライドを用いて解説していただきました。 [caption id="attachment_1263" align="aligncenter" width="500"]image007 刻み方紹介動画を真剣に眺める参加者のみなさん[/caption] その後は実際に、粘土板の作成に入りました。自分で選んだ色の粘土をこねて、好きな形に成形します。そして、50音表を見ながら、自分の名前や好きな言葉など 、思い思いの楔形文字を刻んでいきます。今回は、先端が三角形に加工された割り箸を用いて文字を刻みましたが、楔形文字が用いられていた当時は、葦や竹を使って粘土板や金属板に楔形文字を刻んでいたそうです。 [caption id="attachment_1264" align="aligncenter" width="500"]image009 1画1画丁寧に刻んでいきます[/caption] 私も体験させていただきました。久しぶりの粘土細工にワクワク。割り箸を用いて文字を刻むのが難しかったです。 [caption id="attachment_1265" align="aligncenter" width="500"]image011 粘土板マグネットのできあがり! さて、何と書いてあるでしょうか[/caption] 当時の粘土は、泥を水で溶かして作っていたのだろうか? 楔形文字の、個人の書き方の癖ってあるのかな? 葦や竹と割り箸では、どちらが書きやすいのかな? 長い文章を書いたとき、間違ったらどうやって消しているのだろう? などと、自分で粘土をこねて、楔形文字を刻んで初めて考えることがたくさんありました。 [caption id="attachment_1266" align="aligncenter" width="500"]image013 「何を刻まれたのですか?」「自分の名前とね、孫の名前」と来場者同士の会話も弾みます[/caption] ワークショップでは、黙々と作業をされる方、友人同士で相談しながら作業される方など、参加者のみなさんが各々夢中になって作成している様子が見受けられました。 プロジェクトのリターンのひとつである、楔形文字講座と重複するところもあるので、詳細な説明は、省略させていただきましたが、リターンの講座では、もう少しじっくり濃い経験ができるはず。参加される方はご期待ください! [caption id="attachment_1267" align="aligncenter" width="500"]image015 研究者に直接、自分の疑問をぶつけることができるのも、イベントならでは[/caption] (後編に続きます)]]>
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サイエンスカフェ「なぜ世界にはいろいろな言語があるのだろうか?-言語の遺伝子を探る」を開催しました https://academist-cf.com/journal/?p=1274 Wed, 03 Aug 2016 02:00:13 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1274 なぜ世界にはいろいろな言語があるのだろうか?」で目標金額を達成した菊澤律子准教授の主催するサイエンスカフェが、2016年7月23日(土)に大阪、7月30日(土)に東京で開催されました。 [caption id="attachment_1278" align="aligncenter" width="600"] サイエンスカフェ@東京は、高田馬場にある10°cafeで開催しました[/caption] 言語学に興味を持つ方々の集うサイエンスカフェと聞くと、専門家や言語学好きな方々が集うイメージを持ってしまいますが、東京会場には、今回のプロジェクトで言語学に興味を持った理系の方々を含むさまざまな背景をもつ方々が集いました。 当日は、菊澤先生によるプロジェクトの進捗報告からはじまりました。クラウドファンディングの支援金を使って、フィジーを訪問し、現地の地図やフィールドノート、録音データなどをPDFファイルに書き起こす作業を行われたとのことです。今では少数派(?)のソフト「ワードパーフェクト」で残された資料もあるらしく、データを集めるだけでも一苦労だとか……。 [caption id="attachment_1298" align="aligncenter" width="600"]IMG_1176 現地の資料の中には写真のようにフォルダ分けされているものもあるそうです。床に座るのは現地の習慣だとか[/caption] その後、
  1. なぜフィジー語がおもしろいのか?
  2. ことばの遺伝子を追う
  3. 文法構造の史的変遷を解明する
  4. 方言分布と言語系統の悩ましい関係
という流れで、たっぷり2時間お話いただきました。 [caption id="attachment_1280" align="aligncenter" width="600"] 数字の「3」と「5」をさまざまな言語でまとめた資料について解説する菊澤先生。上から順番に音読していただき、参加者全員でこれらの共通点や、相違点について考えました。物理的距離が離れている地域にも関わらず、どこかしら似ている構造を持つはなぜなのでしょうか[/caption]   [caption id="attachment_1287" align="aligncenter" width="600"] 質問も活発に飛び交い、和やかな雰囲気で2時間を過ごしました[/caption] 以前菊澤先生にご寄稿いただいた記事も掲載しておりますので、ご興味のある方は、以下の記事もぜひご覧ください! ことばを調べれば歴史がわかる【前編】ー「歴史言語学」が明らかにすることとは ことばを調べれば歴史がわかる【後編】ー「タロイモ」の伝搬ルートを探る]]>
1274 0 0 0 ことばを調べれば歴史がわかる【前編】 – 「歴史言語学」が明らかにすることとは]]> ことばを調べれば歴史がわかる【後編】 – 「タロイモ」の伝播ルートを探る]]>
楔形文字を粘土板に刻んでみた – academistチャレンジャー山本孟さんのワークショップ&講演会レポート(後編) https://academist-cf.com/journal/?p=1277 Tue, 09 Aug 2016 01:00:16 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1277 前編はこちら) 2016年3月~5月にかけて、京都大学文学部山本孟さんが、academistにて「「愛」は普遍なのか? ヒッタイトの楔形文字から探る!」というプロジェクトに挑戦し、目標金額を達成しました。今回のレポートでは、2016年7月16日に開催された、山本さんによる一般向けのワークショップと講演会の様子をご紹介いたします。後編では、講演会の様子をお届けします。

ヒッタイトのハットゥシャ遺跡

午後からは、講演会が開催されました。ワークショップにも参加された方や弥生博の常連さんをはじめ、今回初めて来館された方も含めて170名もの聴衆を前に、講演会はスタートしました。 [caption id="attachment_1268" align="aligncenter" width="500"]image017 山本さん。こんなに若い方だと思わなかった、と驚いた来館者の方も[/caption] 講演会の前半は、ヒッタイト王国やヒッタイト語の解読に関する話をしていただきました。 [caption id="attachment_1269" align="aligncenter" width="500"]image019 ハットゥシャ遺跡の一部。門の両側には大きなライオンが[/caption] ヒッタイト王国は、紀元前17世紀半ばに成立した、古代アナトリア(現在のトルコ)の王国であったことが知られています。有名な遺跡は、ハットゥシャ遺跡です。ハットゥシャ遺跡は、トルコの首都アンカラから東に約200km、現在の中央アナトリアのボアズキョイ村にあるヒッタイト王国の首都遺跡で、これまでに、30,000個以上の粘土板が出土しているそうです。青く広がる空を背景とした、広大な遺跡の写真に心が踊ります。  

未知のことばの解読 パンは「食べる」もの

ヒッタイト語は1905年、チェコの言語学者フロズニーによって解読が成功したそうです。楔形文字は、ヒッタイト語をはじめ、シュメール語やアッカド語の表記にも用いられたことが知られていますが、当時、ヒッタイト語の解読は進んでいませんでした。 以下の例文が音節文字を表すヒッタイト語の解読となった文章、「あなたたちはパンを食べ、水を飲む」です。 [caption id="attachment_1270" align="aligncenter" width="500"]image021 nu NINDA-an e-ez-za-te-ni wa-a-tar-ma e-ku-ut-te-ni[/caption] 「NINDA」だけは、「パン」を意味するシュメール系の表意文字として知られていました。「パン」の単語があるということは、「パン」を「食べる」という動詞が来るはずだと推定したそうです。さらにパンを食べたら、飲み物が必要だろうと考えたときに、文中のwatarは、英語のwaterなどと似ているため、おそらく、watarはヒッタイト語の「水」の語であろうと考え、少しずつヒッタイト語の解読が進んでいったそうです。

愛ってなんだろう? academistに挑戦した訳

講演会の後半は、山本さん自身の研究の話に入ります。 [caption id="attachment_1271" align="alignnone" width="500"]image023 ヒッタイトの「愛」を研究する理由[/caption] 山本さんは、ヒッタイト人の「愛」を探る、というテーマに取り組む理由をいくつか紹介されていました。 理由のひとつは、ヒッタイトの文化を知るためです。ヒッタイト以前にメソポタミアで発展したシュメールやアッカドの遺跡からは、当時の人々の日常生活が記載された出土品が数多く見られます。しかし、ヒッタイトの遺跡から出土するのは、公文書ばかり。重要な文書は、粘土板などに刻み長期保存できる形としましたが、その他は、木材の上にろうそくのろうなどで記録したと考えられています。そのため、ヒッタイト人の日常生活や内面について知る手がかりが非常に少ないのが現状です。数少なくはありますが、公文書の中に描かれる「愛」を読み取ることでヒッタイト人の内面や文化を知る手がかりとしたいと考えたそうです。 もうひとつの理由は、「天は赤い河のほとり」という漫画のテーマに寄せ、一般の方に研究に興味を持ってもらうためです。「天は赤い河のほとり」は篠原千絵さんによる古代ロマンを描いた漫画で、現代に住む女子中学生の主人公がヒッタイト王国にタイムスリップし、さまざまな経験をするという内容です。主人公とヒッタイト王国の王様が互いに惹かれ合う、という描写もあることから、より古代オリエントの研究に対しても親しみを持ってもらえるのではないか、と考えたそうです。実際に、「天は赤い河のほとり」や他の古代オリエントを題材とした漫画がきっかけで、今回のイベントに参加された方がいらっしゃったのが印象的でした。  

公文書に「愛」が描かれる悲しい理由 −『ハットゥシリ1世の遺言』

なぜ、公文書に、しかも、国王という高い身分の人間の「愛」が描かれるのでしょうか。ひとつの手がかりとなる文章が『ハットゥシリ1世の遺言』です。ハットゥシリ1世は、ハットゥシャに遷都しました。また、周辺国への遠征を行ってヒッタイト王国の支配を固めていきました。そんなハットゥシリ1世が死を前に『ハットゥシリ1世の遺言』を残します。公文書としての遺言、つまり後継者指名や今後の政治のための文章だと言われています。その一節には、以下のような文章が刻まれていることがわかっています。 大王、ラバルナは、ハシュタヤルに「私を見捨てるな!」と繰り返し言う。…(中略)…「これ以上見捨てるな! 常に私にだけ話せ。私はあなたへの言葉を明らかにする。適切に私を洗い清めよ。あなたの胸に私を抱け。あなたの胸で私を地から守れ。 「これ以上、私を見捨てるな! あなたの胸に私を抱け」とハットゥシリ1世は、死を前に愛情を求める悲痛な叫びを残します。一説によると、ハットゥシリ1世は、家族関係がうまくいっておらず、自分の息子から次王を指名するつもりが、息子には反乱を起こされ、娘にさえも反乱を煽動され、反抗されてしまったそうです。そのため、死を前にして家族からの愛情を求めた文章を残したというわけです。 現代でも、死を前にして、仕事ばかりしなければよかった、家族や友人をもっと大切にしておけばよかった……と後悔する方が多いと聞いたことがありますが、今も昔も、そして、身分も関係なく、人は愛情を求める生き物なのかもしれません。  

さまざまな愛の形が見えてきた

山本さんは、今回、academistで得た資金を使って、すでにヒッタイト人の愛に関して研究をスタートされているそうです。 (1)「愛」という言葉が書かれた粘土板文書の読解 山本さんは、数多くの粘土板文書のなかから約50の粘土板に、ヒッタイト語で「愛」を意味する単語の記載を発見しました。しかし、粘土板に残された文章は、公文書がほとんどであり、保管のための複製物が多数あるため、実際に、別々の文章として考えられるものは、12~13個のみだそうです。 (2)結婚や夫婦関係に関する粘土板文書の読解 山本さんは、愛を意味する単語の記載が発見された粘土板文書のなかから、今回は、3つの文章を紹介されていました。『ハットゥシリ3世の弁明』には、夫婦の関係を表すことばとして、『青銅板文書』には、友人や兄弟の関係を表すことばとして、そして『イシュタル神への讃歌』には、女神によって付与されるものを表すことばとして愛を意味する単語が用いられていると分析されていました。 山本さんは当初、この単語について、男性と女性の関係、いわゆる「恋愛感情」を表すことばではないかと考えていたそうですが、男女関係なく、「親しみ」や「慕う気持ち」も表現として含むことがわかってきたそうです。また、人間以外の他の動物や自然に対しての表現は、今のところ発見されていないとのこと。 今後は、残りの粘土板に関しても解読を進め、同時に今回調べた単語以外の、「愛」の同義語と考えられる他の単語についても対象を広げて研究を進めるそうです。 今回のイベントでは、ヒッタイトの歴史に関する研究内容を、丁寧に紹介していただきました。古代人が残した資料を読み解く難しさや、古代人の生活と、現代人の生活との比較することのおもしろさがわかり、私自身、非常に興味深いと感じました。イベントをとおして、現在進行中の研究内容に触れたり、研究者の方に直接話しができることは、一般の方にとっては、非常にためになるでしょうし、また、研究者の方にとっても、ご自身の研究内容に関して、一般の方の反応を直接見ることができることは、貴重な経験になるのではないでしょうか。  

平成28年度夏季特別展「世界の文字の物語:ユーラシア 文字のかたち」

image025 楔型文字から、ギリシャ文字、現代のハングルや漢字まで、新旧問わず30種類以上の文字を扱う展覧会です。展示品も、「目には目を歯には歯を」で有名なハンムラビ法典のレプリカから木簡まで、これほど貴重な資料が一同に集う機会は、滅多にないでしょう。そしてどの展示も日本の博物館・美術館の収蔵品だという驚きです。来館者の理解を促すための仕掛けもたくさんあるので、すっかり文字の魅力に取り憑かれてしまいました。今後も、講演会やワークショップ、ギャラリートーク等イベントが多数開催されるそうです。夏休み期間にぜひ弥生博に足を運んでみてはいかがでしょうか。    ]]>
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academist シンポジウム vol.1 〜科学研究とおカネについて考えよう〜 開催決定! https://academist-cf.com/journal/?p=1293 Tue, 02 Aug 2016 02:00:17 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1293 アカデミストでは先日、現役研究者と学術業界の現状と課題を共有し、具体的な解決策を考え、実践することを目指した「academist シンポジウム」を設立し、第1回の参加者募集を開始しました! Screen Shot 2016-07-31 at 6.40.17 PM 第1回では、気鋭の若手研究者4名をお招きして、科学研究とおカネに関するディスカッションを行います。既存の科学研究費や民間助成の仕組みには、どのようなメリットやデメリットがあるのでしょうか。また、分野ごとの違いはどの程度あるのでしょうか。クラウドファンディングやメルマガ運営など、既存の研究費獲得手法とは異なる方法も視野に入れながら、会場全体で科学研究のおカネの未来について考えます。 イベント詳細
  • 日 時:2016年9月3日(土) 第1部:14:00〜17:00(受付開始 13:30) 第2部:17:00〜20:00
  • 場 所:東京都千代田区三崎町2-4-1 TUG-I ビル 4F カクタスコミュニケーションズ株式会社
  • 対 象:研究者、大学院生、大学生など
  • 参加費:第1部:500円(飲み物、お菓子、カラス肉付き) 第2部:3000円(大学院生、大学生は1,500円)
  • 定 員:50名
  • 申込み:こちらからお申込みください。
第1部(あるいは第2部)のみの参加も可能ですので、ご興味のある方は、ぜひご来場ください。]]>
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サイエンスカフェ「タンパク質の構造と創薬の関係」を開催しました https://academist-cf.com/journal/?p=1317 Wed, 10 Aug 2016 01:00:34 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1317 統合失調症の鍵を握るタンパク質の構造に迫る!」で目標金額を達成した加藤有介准教授の主催するサイエンスカフェが、2016年8月6日(土)に開催されました。 [caption id="attachment_1322" align="aligncenter" width="600"]fig1 加藤先生の研究室のある徳島大学での開催となりました[/caption] クラウドファンディングでは、とあるタンパク質の構造を解明するための研究費を募られたのですが、今回のサイエンスカフェでは、
  1. クラウドファンディングのご報告
  2. タンパク質のかたちと、働きの関係について
  3. タンパク質の構造を、どのように創薬に活かすのか
  4. 構造をどのように明らかにするのか
という流れで、「そもそもタンパク質の構造って、どのように創薬と関係しているの?」ということをテーマに進められました。 薬剤の設計は、症状を引き起こしている標的分子のはたらきをブロックするように行われます。標的分子のほとんどはタンパク質で構成されていることから、タンパク質の構造を調べることは、薬剤設計につながることになります。 加藤先生は、標的分子の活性中心などを狙い撃ちにする分子を設計する手法「Structure-based drug design」に基づき、タンパク質の構造を予測する研究を進めています。 [caption id="attachment_1328" align="aligncenter" width="600"]折りたたみ 糸がほどけたような変性状態から、折りたたみがはじまり、フォールド状態に移るが、このプロセスは充分に理解されていないとのこと[/caption] 現在、クラウドファンディングの挑戦テーマでもあったG72に関する論文を執筆している加藤先生。今後の研究にも、引き続きご注目ください!]]>
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iPS細胞で脊髄損傷が治る? - 再生医療を実現するための三位一体の治療戦略とは https://academist-cf.com/journal/?p=1337 Tue, 30 Aug 2016 01:00:15 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1337 この中では、神経幹細胞移植による脊髄の伝導性や歩行中枢を活性化させる効果、リハによる運動コントロールへの適切な抑制性を回復させる効果がそれぞれ確認されました。さらに特筆すべきは、併用療法群ではこれらの相加的な効果にとどまらず、ニューロン(神経細胞)へ分化する神経幹細胞の割合の増加、腰部脊髄にある歩行中枢での新生線維やシナプスの増加といった相乗的効果が発揮されることが明らかになりました。 図4:シェーマ日本語 他方、損傷中心部への治療効果は限定的なものに止まっていました。ここで注意が必要なのは、併用療法群とリハ単独群を比べた場合に併用群の方が高い運動機能が得られる傾向が観察されたものの、統計学的には有意な差が検出されなかったことです。これは慢性期にリハを頑張っているのと比較して、追加で神経幹細胞移植を行った際の上積み効果は有意なレベルにまで到達しないということですから、残念ながらまだ慢性期脊髄損傷患者さんへの再生医療の実現化には不十分であると判断せざるを得ません。それほど治療の難しい病態なのです。 最後になりますが、リハとの併用だけでは改善効果が不十分であることがわかった損傷中心部をどう治療したら良いかを考えたとき、これは先述の薬物療法の得意とするところですから、薬物療法、リハビリテーション、そして細胞移植を用いて損傷中心部と歩行中枢の両者にアプローチする、三位一体の治療法が、この問題を解決してくれるのではないかと考えています。慢性期脊髄損傷患者さんへの再生医療への実現へ向け、私たちはさらに研究を深めてゆきたいと考えています。 参考文献
  1. Iwanami A, Kaneko S, Nakamura M, Kanemura Y, Mori H, Kobayashi S, Yamasaki M, Momoshima S, Ishii H, Ando K, Tanioka Y, Tamaoki N, Nomura T, Toyama Y, Okano H. Transplantation of human neural stem cells for spinal cord injury in primates. J Neurosci Res. 182-190, 2005
  2. Nori S, Okada Y, Yasuda A, Tsuji O, Takahashi Y, Kobayashi Y, Fujiyoshi K, Koike M, Uchiyama Y, Ikeda E, Toyama Y, Yamanaka S, Nakamura M, Okano H. Grafted human-induced pluripotent stem-cell-derived neurospheres promote motor functional recovery after spinal cord injury in mice. Proc Natl Acad Sci USA. 16825-16830, 2011
  3. Ogawa Y, Sawamoto K, Miyata T, Miyao S, Watanabe M, Nakamura M, Bregman BS, Koike M, Uchiyama Y, Toyama Y, Okano H. Transplantation of in vitro-expanded fetal neural progenitor cells results in neurogenesis and functional recovery after spinal cord contusion injury in adult rats. J Neurosci Res. 2002 Sep 15;69(6):925-33.
  4. Tashiro S, Nishimura S, Iwai H, Sugai K, Zhang L, Shinozaki M, Iwanami A, Toyama Y, Liu M, Okano H, Nakamura M. Functional Recovery from Neural Stem/Progenitor Cell Transplantation Combined with Treadmill Training in Mice with Chronic Spinal Cord Injury.Sci Rep. 2016 Aug 3;6:30898. doi: 10.1038/srep30898.
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パーキンソン病は早期発見できるのか? - バイオマーカー「酸化DJ-1」から切り開く難病治療の未来 https://academist-cf.com/journal/?p=1347 Wed, 31 Aug 2016 02:00:14 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1347 パーキンソン病はなぜ発症するのだろうか?

手足のふるえや姿勢が維持できなくなるパーキンソン病は、アルツハイマー病に次いで、患者数の多い神経変性疾患です。主なリスクファクターは加齢であり、60歳以上では100人に1人が発症することが知られています。これまでの研究では、反応性の高い酸素である「活性酸素」が、ドパミン神経に影響を与えることで、パーキンソン病の発症につながると考えられてきました。しかしながら、その詳細は明らかではなく、活性酸素を除去するパーキンソン病の治療法は確立されていません。

私たちの体内で消費される酸素の内、数%は反応性の高い活性酸素になることが知られており、体内では常に活性酸素が生じています。一方、体には活性酸素を除去する「抗酸化システム」が存在しており、生成する活性酸素を常に除去し、体を活性酸素から防御しています。特に、DJ-1遺伝子は、活性酸素から体を守る重要な働きをしており、もしDJ-1の遺伝子配列に変異が起こり、その機能が低下すると、遺伝性の「家族性パーキンソン病」を発症することが知られています。

また、活性酸素によりDJ-1が酸化されると、「酸化DJ-1」が生じることが知られています。酸化DJ-1レベルの増加は、活性酸素の増加を意味すると考えられており、これまでの私たちの研究から、パーキンソン病患者の脳内でも酸化DJ-1レベルが増加することが明らかとなっています(文献:Saito, Y. et al. J. Neuropath. Exp. Neurol. 73, 714–728, 2014より)。

パーキンソン病患者の血液中では酸化DJ-1が増加する

私たちの研究グループは、パーキンソン病と活性酸素、酸化DJ-1の関連性に着目し、酸化DJ-1に特異的に結合するモノクローナル抗体を作成して、酸化DJ-1の測定方法を開発しました。150名のパーキンソン病患者および33名の健常人について、血液中の酸化DJ-1レベルを測定した結果、治療を開始する前の早期パーキンソン病患者(未治療パーキンソン病患者)の赤血球中で、酸化DJ-1レベルが増加することを発見しました。

[caption id="attachment_1352" align="aligncenter" width="500"]図3 未治療パーキンソン病患者の血液中酸化DJ-1レベルの増加[/caption]

発症してからの年数と酸化DJ-1レベルをみると、酸化DJ-1高値の患者が発症してからの年数が短い時期に見られることがわかります。

[caption id="attachment_1354" align="aligncenter" width="500"]血液中酸化DJ-1レベルと発症年数の関係 血液中酸化DJ-1レベルと発症年数の関係[/caption]

さらに、赤血球中の酸化DJ-1レベルの増加は、パーキンソン病モデル動物として用いられる神経毒MPTPを投与したカニクイザルでも見られました。

[caption id="attachment_1355" align="aligncenter" width="500"]パーキンソン病モデル動物における赤血球中酸化DJ-1レベルの増加 パーキンソン病モデル動物における赤血球中酸化DJ-1レベルの増加[/caption]

以上の結果から、赤血球中の酸化DJ-1レベルがパーキンソン病の早期に増加することが明らかとなりました。

酸化DJ-1と20Sプロテアソームが相互作用する

さらに、赤血球中に検出された酸化DJ-1の分子量の大きさを測定しました。その結果、未治療パーキンソン病患者の赤血球中に、特徴的な高分子型の酸化DJ-1を発見しました。

[caption id="attachment_1356" align="aligncenter" width="500"]未治療パーキンソン病における高分子酸化DJ-1の生成 未治療パーキンソン病における高分子酸化DJ-1の生成[/caption]

高分子酸化DJ-1をさらに分離して、含まれているタンパク質を質量分析法により解析しました。その結果、タンパク質を分解する20Sプロテアソームが検出されました。この結果から、パーキンソン病患者の赤血球で生成した酸化DJ-1が20Sプロテアソームと相互作用していると考えられました。

最近、DJ-1が20Sプロテアソームと相互作用し、タンパク質分解反応を抑制することが報告されました(Nat. Commun. 6, 6609, 2015)。また、パーキンソン病患者の赤血球には、異常タンパク質が蓄積することが報告されています(Neurobiol. Dis. 33,429–435, 2009)。今回の私たちの発見と考え合わせると、赤血球中で生じた酸化DJ-1が20Sプロテアソームと相互作用し、タンパク質分解を抑制して異常タンパク質の蓄積に関与する可能性が考えられました。

パーキンソン病の早期診断・早期治療に向けた今後の展開

本研究により、早期パーキンソン病にあたる未治療パーキンソン病患者の赤血球中において、酸化DJ-1レベルが増加することが明らかとなりました。この結果から、パーキンソン病の早期において、活性酸素による生体分子の酸化が亢進していると考えられます。今回の結果から、酸化DJ-1レベルを指標(バイオマーカー)とした早期診断、さらに積極的に活性酸素を除去する抗酸化治療への発展が期待されます。

論文はこちら “Oxidation and interaction of DJ-1 with 20S proteasome in the erythrocytes of early stage Parkinson’s disease patients”(早期パーキンソン病患者の赤血球中におけるDJ-1の酸化および20Sプロテアソームとの相互作用)

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グリーンランド氷床を溶かしている微生物の塊「クリオコナイト粒」の謎に迫る! https://academist-cf.com/journal/?p=1383 Thu, 25 Aug 2016 08:00:45 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1383 グリーンランド氷床の融解と微生物 グリーンランド氷床は、南極氷床に次いで世界で二番目に大きい氷の塊です。近年、この氷床は融解による氷の減少が顕著になり、海水面の上昇などに影響を与えることが危惧されています。この原因のひとつとして、氷床表面が黒っぽくなり、太陽光の反射率が低下することで引き起こされる表面融解が挙げられています。氷床表面のこの暗色化には、氷床外から飛ばされてくるススや鉱物なども影響しているのですが、それ以上に、赤茶色の色素を持った微生物や、「クリオコナイト粒」と呼ばれる黒い塊の増加が関係しています。

クリオコナイト粒とは

クリオコナイト粒(cryoconite granules)とは、氷河上に生息する好冷性の微生物と細かい鉱物が集まったできた直径1mmほどの小さな粒です。 [caption id="attachment_1386" align="aligncenter" width="500"]fig1 クリオコナイト粒[/caption] 主にユレモ科に属する糸状性のシアノバクテリアが毛糸玉のように絡まり合って骨格ができ、これらが粘着性の物質を作り、その中に他の微生物や鉱物を取り込んでいます。クリオコナイト粒は、微生物の分解によって作られる腐食物質で黒っぽい色をしているため、氷河上で増えると太陽光の吸収が高まり、氷河の融解を促進します。 図2  

鉱物粒子がクリオコナイト粒を増やす?

クリオコナイト粒は、色素を持つ微生物よりも効率良く氷河を融かすことがわかってきています。暗色化を理解するためには、粒を構成する微生物の種類などを調べることで、増加を促進する要因を明らかにする必要があるのですが、これまで明らかにされていませんでした。 今回私たちは、衛星写真から暗色化の進行が確認されているグリーンランド北西部にあるカナック氷河を訪問し、クリオコナイト粒を採取して、顕微鏡観察、DNA分析、栄養塩の分析などさまざまな分析手法を複合的に取り入れて、その生態に迫りました。 [caption id="attachment_1388" align="aligncenter" width="500"]fig3 今回分析を行った5地点[/caption] 氷河上の標高の異なる5地点で分析をしたところ、氷河の中流域(上図のQA4)でクリオコナイト粒が顕著に発達し、粒の骨格をつくる糸状のシアノバクテリアの量も特に多くなっていました。 [caption id="attachment_1387" align="aligncenter" width="500"]fig4 各地点におけるクリオコナイト量の比較[/caption] クリオコナイト粒の増加に関連すると考えられる標高や傾斜、氷中の栄養塩濃度、鉱物の量や組成などの環境要因のうち、鉱物の量だけが、シアノバクテリアの分布とよく関連していました。このことから、鉱物の供給が特に多い場所でシアノバクテリアがよく増殖し、粒が形成されやすくなっていることが明らかとなりました。

クリオコナイト粒は多様な微生物の集合体

クリオコナイト粒に生息するバクテリアの16SリボソームRNA遺伝子を分析したところ、粒を構成する糸状のシアノバクテリアの大部分が、南極湖沼からも報告されているPhormidesmis priestleyiの1種類のみであることがわかりました。また、P. priestleyiの増殖で粒の直径が大きく(250μm以上)なると、その他の微生物の種構成が急激に変化し、種の多様性や生物量が大きくなることも明らかとなりました。 [caption id="attachment_1389" align="aligncenter" width="500"]fig5 粒の粒径が大きく(250μm)なると、微生物の種構成が急激に変化する[/caption]

グリーンランド全域で起きている表面融解現象を包括的に理解したい

今年発表された海外の研究者のクリオコナイト粒の培養実験の結果、クリオコナイト粒内の物質循環は、シアノバクテリアによる光合成が起こらないと、ほとんどストップしてしまうことが示されました(Musilova et al.2016)。このことは本研究サイトにおいて、たった1種類の糸状性シアノバクテリアPhormidesmis priestleyiの増殖が氷河上の微生物生態系をコントロールしていることを意味しており、その結果として、氷河の融解を促進させていることになります。 現在私たちは、カナック氷河のPhormidesmis priestleyiの単離培養に成功し、光合成活性、栄養塩の要求性や凍結、乾燥耐性など様々な生理活性を測定しているところです。現地の鉱物を添加した培養実験では、鉱物を加えたサンプルの増殖が顕著に促進されていることから、本研究で示されたシアノバクテリアの増殖と鉱物粒子の関係性が支持されています。今後は、鉱物粒子の何がシアノバクテリアにとって重要であるかを突き詰めていく予定です。 クリオコナイト粒による氷河の暗色化はグリーンランド全域で起きている現象です。研究グループは、本研究及び派生した研究から得られた知見をもとに、グリーンランド全域で起きている表面融解現象を包括的に理解していきたいと考えています。 引用文献 Musilova M, Tranter M, Bamber JL, Takeuchi N, Anesio AM. 2016. Experimental evidence that microbial activity lowers the albedo of glaciers. Geochemical Perspect. Lett, 2, 106-116 著書紹介 雪と氷の世界を旅して:氷河の微生物から環境変動を探る]]>
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【連載】あなたの研究必須アイテムを教えてください! -[第2回]生態学研究者の場合 https://academist-cf.com/journal/?p=1407 Tue, 23 Aug 2016 06:00:48 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1407 都会のリスは過労気味? 加速度センサーでその謎に迫る!」に挑戦中の内田健太さんが選ぶ研究必須アイテムをご紹介します! 1. 体力と気力 まず野外調査に最も必要なものは、何よりも体力と気力です。私は野外でのフィールドをベースに研究調査を行っています。1年の約3か月は、自宅のある札幌を離れて北海道十勝地方を中心にフィールドワークをしています。そのため、自宅のようにふかふかな布団があるわけでもないので、3か月寝袋に包まって夜を過ごします。さらに、エゾリスは日の出後数時間が最も活動する時間に当たるため、日の出とともに調査を開始しなくてはいけません。夜遅くまでデータ打ち込みやデスクワークをこなして、翌日は日の出前に起床する生活です。特に春の北海道の日の出時間は3:30ととても早いため3:00前には起きる必要があるため、あまり眠れません。そのため、日数が経つにつれて疲労が積もり、肉体が悲鳴を上げ始めます。さらに、いくら事前準備を綿密に行っていても、自然は予測不可能であるため、データサンプリングが上手くいかないこともしばしば起こります。そうなると、今度は精神的苦痛とも戦わなくてはいけなくなります。こうした肉体・精神的苦痛に耐えながら、最後まで集中して確実にデータを採取するためには、何よりも体力と気力(時に根性も)が必須です。ただ、最後の方にはフィールドワーカーハイになりあまり何も感じなくなることもあります。 2. 双眼鏡 エゾリスは、暗い森林に生息しかつ小動物であるため、彼らを見失わずに追跡して観察することは容易ではありません。特に、自然下のリスは非常に警戒心が強く逃避距離が長いため遠くから観察しなくてはいけません。そんな中でも、微小な行動や雌雄差といった外部の特徴を確実に観察するために一役買うのが高倍率の双眼鏡です。あまり軽いものではありませんが、野外調査には必ず携帯していきます。最近では、手振れ補正が付いているものまであります(私の双眼鏡は機能しない手振れ補正付きです!)。ただし、町の公園で熱心に双眼鏡を覗いていると、あらぬ疑いをかけられ職務質問をされる可能性があるので注意が必要です。端から見ると不審者に見えるそうです。 [caption id="attachment_1511" align="aligncenter" width="500"]canon 先輩から頂いた双眼鏡.手をぶらさなければ手ぶれ機能もいりません![/caption] 3. 野帳とシャープペンシル 体力と気力、そして双眼鏡を駆使して観察して得られたデータは、全てシャープペンを用いて耐水性の野帳(手帳)に書き込みます。また観察結果だけでなく、観察中の発見や疑問といった些細なことも忘れないように書き記しておきます。朝の森の調査では、朝露をかぶってしまうことも多いので濡れても大丈夫なように耐水性の野帳とシャープペンを用いています。また、もし林内で落としてしまっても簡単に見つけられるよう、明るい色の野帳を使用します。そしてフィールドから帰ってきたら、いち早く野帳のデータをエクセルなどにデータ化します。なぜなら、これを怠ると後に重大な問題につながる可能性があるからです。野外ではゆっくりと丁寧に記帳することができず、野帳にはしばしば解読が難しい暗号が並びます。また、にわかには信じがたい数値が並んでいたりする場合もあります。記憶が新鮮なうちに、野帳の数値と記憶を照らし合わせながら正確なデータを残しておく必要があります。 [caption id="attachment_1408" align="aligncenter" width="500"]14045491_1104693852951375_1255744284_o 野帳の1ページ。キレイとは言えません[/caption]   4. 捕獲調査キット 現在私たちの研究チームでは、野外のエゾリスを捕獲して標識を着けることで個体識別をしています。これまでに累計50匹以上のエゾリスに耳標と首輪用いて識別してきました(照度計と加速度計はこの首輪に装着します)。標識を着けることで、外部形態では個体識別ができないリスたちを継続的に追跡調査することができます。また、捕獲の過程でイヤーパンチを用いてDNAの採取を行うことで、都会と自然下のエゾリス集団の遺伝構造や移動分散も調べています。一連の手順や用いる機器は、海外のリス研究グループを参考にしながらメンバーで試行錯誤を重ねながら最良の形を模索しています。また、野外で不手際の無いように、そして保定時のリスへの負担を減らすために機器のメンテナンスと管理を徹底しています。最初は機器の使い方に慣れだったメンバーも、今では早い時で一連の操作を10分以内に済ませられるようになってきました。 [caption id="attachment_1409" align="aligncenter" width="500"]14060246_1104693856284708_2112585117_o 捕獲調査キット。左上からバネ測り、耳標装着器、ピンセット、イヤーパンチ、ピンセット、ニッパー、ハサミ、接着剤、首輪[/caption]  ]]> 1407 0 0 0 サイエンスカフェ「肺移植の現状と課題 -現在の研究内容と位置づけ」が開催されました! https://academist-cf.com/journal/?p=1414 Wed, 24 Aug 2016 02:00:35 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1414 肺移植後の慢性拒絶反応をなくしたい!」で目標金額を達成した、Hannover医科大学の中桐研究員によるサイエンスカフェが、8月19日(金)、20日(土)に大阪にて開催されました! [caption id="attachment_1415" align="aligncenter" width="600"]IMG_1396 肺移植の基本的な説明をする中桐先生[/caption] 当日は、「肺移植の現状と課題 ー現在の研究内容と位置づけ」というタイトルで、1時間近くに渡る講演が行われました。 講演は、 1.世界の肺移植と日本の肺移植の現状比較 ・日本では片肺移植が、日本以外では両肺移植が多いこと ・日本では脳死ドナー1人辺りの移植臓器数が5〜6個と日本以外と比較して多いこと 2.日本における肺移植の課題 ・社会・医療サイド:ドナー不足、医師不足、システムの問題 ・患者サイド:感染対策、急性拒絶、慢性拒絶 また、自己免疫と獲得免疫の違いについても詳しくお話いただきました。私たちは「免疫」という言葉をよく聞くのですが、20年前くらいから構築されてきた新しい学問分野であるとのことです。 3.肺移植後慢性拒絶モデル ・慢性拒絶:線維芽細胞の増殖による細気管支の閉塞であること ・慢性拒絶の症状の定義が難しいこと ・慢性拒絶になる原因が免疫関連/非免疫関連の両面から考えられること [caption id="attachment_1418" align="aligncenter" width="600"]Screen Shot 2016-08-21 at 3.39.26 PM 細気管支が線維芽細胞により埋められている様子[/caption] 4.肺移植後の研究 ・汎用性があり安定した慢性拒絶モデルがないこと ・現在、マウス肺移植後の慢性拒絶モデルを作るために奮闘していること という流れで、肺移植研究の概要について、中桐先生の研究と絡めてわかりやすくお話していただきました。 [caption id="attachment_1416" align="aligncenter" width="600"] 自己免疫と獲得免疫の違いの説明する中桐先生[/caption] 講演の後には、実際にご支援いただいたサポーターの方々(大学の先生や経営者、会社員など)による活発な質疑応答が行われました。 今回日本のお盆の時期に合わせて一時帰国されていた中桐先生ですが、今週からはドイツに戻り、研究活動を再開されるようです。今後の研究にも、引き続きご注目ください!  ]]> 1414 0 0 0 遺伝子組み換えカイコで「リソソーム病」の治療薬を作りたい!- 新蚕業革命の実現を目指して https://academist-cf.com/journal/?p=1420 Mon, 22 Aug 2016 08:00:14 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1420 アカデミスト株式会社は、学術系クラウドファンディングサイト「academist(アカデミスト)」にて、新規プロジェクトを開始しました。

組み換えカイコで「リソソーム病」の治療薬を作りたい!

今回の挑戦者は、徳島大学大学院医歯薬学研究部の伊藤孝司教授です。伊藤教授は、組み換えカイコを用いた遺伝病の治療薬開発を目指して研究を進めています。

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遺伝病のひとつである「リソソーム病」には、有効な治療法がほとんどなく、1990年以前は不治の病とされてきました。最近ではバイオ医薬品の発展に伴い、組換えヒトリソソーム酵素製剤を点滴する治療法が一部の疾患に適用され、一定の成果を上げてきました。しかしながら、この酵素補充療法では、1人の患者さんを1年間治療するのに必要な医療費が、年間3000〜4000万円と高コストになってしまいます。組換えヒトリソソーム酵素製剤を、できるだけ低コストで、安全に、大量製造することはできないのでしょうか。

そこで伊藤教授は、カイコに注目しました。平成22年度~26年度の農水省プロジェクトにおいて、ヒトリソソーム酵素を大量発現する組み換えカイコの作製に成功しました。現在は、日本人に多い遺伝病である「カテプシンA欠損症」の治療薬開発を目指されており、これまでに、正常なヒトカテプシンAを絹糸腺でつくる組み換えカイコを作製し、患者さんの皮膚由来の線維芽細胞を用いた実験において、カイコ由来のヒトリソソーム酵素に治療効果があることを見出してきました。

次なるステップとして、組み換えカイコの繭からヒトリソソーム酵素を精製して、患者さんとよく似た症状を示す「カテプシンA欠損症モデルマウス」に対する治療効果を調べていきたいと考えているのですが、組み換えカイコの繭(1,000個程度)やヒトリソソーム酵素精製のための試薬を購入する資金が不足しており、研究を進めていくことが困難です。そこで今回、クラウドファンディングに挑戦することを決意されました。

支援者の方々は、研究報告レポート(1000円)やacademist 限定のカイコポロシャツ(5000円)、カラフルな空の切り繭(10000円)、論文の謝辞の氏名掲載(50000円)などのお礼を受け取ることができます。ぜひ、ご支援のご検討を宜しくお願いいたします。

[caption id="attachment_1422" align="aligncenter" width="600"]10000 カラフルな空の切り繭[/caption]

【募集期間】2016年8月22日〜2016年10月25日 【支援サイト】academist(アカデミスト)

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文学のなかの〈恐竜〉を求めて(前編) https://academist-cf.com/journal/?p=1349 Mon, 03 Oct 2016 01:00:47 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1349 私の研究は英語圏文学で、包括的な関心としては、19世紀中盤から20世紀初頭において動物、技術、宗教の領域と人間社会の関係に興味があります。現在はその問題意識をもとに、『ユリシーズ』(Ulysses)などの著作で知られるアイルランドの作家ジェイムズ・ジョイス(James Joyce 1882-1941)を中心に研究を進めています。今回、研究内容の一部を紹介する上では複数の対象を思いつきますが、昨年の『ジュラシック・ワールド』と今年の『シン・ゴジラ』の記録的な大ヒットのこともあり、動物のなかでも最も遅く人類知に触れた「恐竜」あるいは古生物を選びたいと思います。そしてジョイスがある古生物に言及しているたった一行の糸口から、膨大な記憶や歴史、文化、言説の一部を引き出すことで、この文学研究という学問の魅力を伝えられればと思います。

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ジョイスは決して恐竜や古生物に数多く言及する作家ではありません。だからこそ不思議なのですが、1904年から1906年にかけて彼が執筆していた自伝的小説『スティーヴン・ヒアロー』のなかに、大型海棲爬虫類の「プレシオサウルス」の名がかなり唐突に登場します(*「恐竜」ではありません)。この作品は世紀転換期のダブリンの街を舞台に、主人公スティーヴン・ディーダラスの日常や芸術観が縷々つづられる物語で、小説自体は未完に終わり(完成版が『若き日の芸術家の肖像』です)、現在ではその断片だけが残っています。プレシオサウルスが現れるのは、次の引用部です。

彼[スティーヴン]は青年にありがちな愛好家的な精神から芸術に関わったわけではなく、森羅万象の核心部へと突入を試みたのであった。彼は汚泥の海からプレシオサウルスが姿を現わすのを見る人のように、人類の過去をじっと覗きこみ、生まれ出んとする芸術を垣間見たのだった。(Stephen Hero 33;以下、強調はすべて筆者)

スティーヴンは人類が芸術を発明した始原的な過去を想像しているようですが、その荒々しく力強いイメージを伴った記述には疑問が残ります。つまり、なぜここで、生きた首長竜のイメージが突然現われるのか、という問題です。「プレシオサウルスが姿を現わすのを見る人のように」といっても、その首長竜を実際に見たことのある人は存在しません。また数ある古生物のなかでも、なぜよりにもよって「プレシオサウルス」が選ばれたのか。同作品に関する最新の注釈にも一切の記載がなく (Mamigonian and Turner 2003)、未だに研究上の注釈が与えられていませんので、以下その謎を一部解明してみようと思います。

まず、上記の引用には二つの前提事項があります。一つには、ジョイスあるいは語り手が「プレシオサウルス」という古生物に関する知識をいくらかもっていて、彼らが骨格標本、もしくは、その全身復元図を実際に見ていること。また一つには、その記述を読む当時の読者が「プレシオサウルス」という文字列からそれなりの姿を想像できるという前提です。プレシオサウルスの記載がなされ、文献に初めて姿を現わすのは1821年以降ですが(Plesiosaurus De la Beche & Conybeare 1821)、果たしてそれはどのような通路を通って、この20世紀初頭の小説内に姿を現わしたのでしょうか。

[caption id="attachment_1836" align="alignright" width="287"]%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-18-16-18-36 ダブリン動物園でのプレシオサウルスの化石展示を伝える新聞紙面("At the Garden of the Royal Zoological Society." Freeman's Journal. Jul 16. 1853)[/caption]

それこそ発掘作業になるわけですが、まずはアイルランドで刊行された40種以上の新聞記事を閲覧できるIrish Newspaper Archivesや19世紀に広く読まれていた新聞紙の一つIrish Timesといったデジタルアーカイヴ・サービスを利用して、ありったけの“plesiosaurus”に関する情報を収集していきます。すると興味深い事実が判明します。ちょうど19世紀の中頃にアイルランドの動物園に、プレシオサウルスの化石が寄贈されているのです。

このプレシオサウルスに関する情報はまさしく化石のように断片的に散らばっているため、全容を整理して、再構成する必要があります。複数の文献が教えてくれるところでは、このプレシオサウルスの化石は1848年に英国のヨークシャー州で発掘されたものです。化石はアイルランド王立動物学協会の創設に寄与し、同協会の会長を務めていたアイルランド人外科医・解剖学者フィリップ・クランプトン(Philip Crampton 1777-1858)の手に渡ったあとで、1853年にフェニックス公園内のダブリン動物園(Dublin Zoological Garden)へ寄贈されました。記事にある表現を使えば、その「古代世界の巨大な海竜」の化石は全長23フィート(約7m)もあったために、全長36フィート(約11メートル)の展示小屋が園内に別途建築される必要がありました(注1)。別の文献からは、その展示小屋がテント型の形をした構造物であったことも判明します(Courcy 31)。他にも"till dusk"という味わいのある閉園時間や、児童用の入場料や日曜料金などの「小さな事実」の積み重ねから、当時のダブリン市民たちが珍しいプレシオサウルスの化石を見にやってくる様子が浮かびあがってきます。

[caption id="attachment_1350" align="alignright" width="303"]Screen Shot 2016-08-16 at 2.22.29 PM 三つの街灯に囲まれたクランプトン記念碑。老朽化して1959年に撤去されるまでダブリンの街に存在していた。(Bennett, 46)[/caption]

ついでながら言えば、プレシオサウルスの化石の寄贈者クランプトンは死後にその功績を讃えられ、1862年にはダブリンの街に彼の胸像を嵌めこんだ噴水の記念碑が建てられました。そしてジョイスはまさしくこの名前と記念碑を、1904年を舞台設定年とする『ユリシーズ』のなかで登場させているのです。以下の引用は主人公レオポルド・ブルームが馬車のなかからダブリンの街を眺めているときの、彼の頭のなかに流れていることばです。

プラスト帽子店。フィリップ・クランプトンの噴水記念碑の胸像。誰だったっけ?(“Plato’s. Sir Philip Crampton’s memorial fountain bust. Who was he?” )(U 6. 191)

ジョイスが口にしたとされる有名な言葉に「ある日突然ダブリンがこの地上から消滅してしまったとしても、この本(『ユリシーズ』)から再現できるくらい完璧にその都市の光景を描きたいんだ」というものがありますが(Budgen 69)、上記の引用はそれを例証する箇所かもしれません。とはいえ、ブルームがそれが誰だか忘れてしまっているように、不朽の記憶を残そうとしてむしろ当該の人物を忘れさせてしまうという記念碑の宿命も面白いところです(注2)。

さて、1859年の『フリーマンズ・ジャーナル』紙の記事にはアイルランド王立動物学協会の年次会議の報告があり(注3)、クランプトンの偉業を讃えると同時に、ダブリン動物園に遺贈された同化石を「遠い過去の時代のすばらしい標本」(“this wonderful specimen of a long past age”)と讃える表現が見つかります。それはジョイスが作品のなかで書いていた「過去」とも親和的で、古生物の化石が遥かなる過去を想わせる遺物であったことが分かります。ただし前者の「過去」は何千万年や何億年という単位ではないことに注意しなければなりません。19世紀は言うに及ばず、20世紀初頭の時点でも中生代は数百万年前と考えられていたからです(化石から遥か遠い過去に想いを馳せる空想的時間については、例えばHitchcock, 1848, 250-51を参照のこと)。

ではジョイスが化石の寄贈を受けたダブリン動物園でプレシオサウルスの化石を見て、それが小説の描写のモデルになったのかというと、そうではないようです。ダブリン動物園が資料提供をしている研究書Dublin Zoo: An Illustrated HistoryCollins Press, 2009)によると、クランプトンのプレシオサウルスの化石は1853年に同園に寄贈されたあと、1861年にダブリン王立協会(Royal Dublin Society)に一時的に預けられ、その後(同館のコレクションの所有権が政府に移譲された)1877年にダブリンの自然史博物館のコレクションへと売却されています(Courcy 67-68)。

化石の保管場所が移動してしまいましたので、今度は自然史博物館の歴史を記述した本でプレシオサウルスに関するページを紐解きます(O’Riordan 27)。するとここでプレシオサウルス類に分類されていたその化石の、寄贈者フィリップ・クランプトンが献名された当時の学名Thaumatosaurus cramptoni"が判明します(注4)。このとき、先ほど引いた新聞記事の引用句の訳を「遠い過去の時代のすばらしい驚異に満ちた標本」(“this wonderful specimen of a long past age”)と修正してもよいかもしれません。なぜならThaumatosaurusとは、“wonder reptile”=「驚異の爬虫類」を意味するからです。年次会議の報告記事を書いた人物が学名を知っていた可能性は充分にあるでしょう。

その後、プレシオサウルスの化石標本は1890年に同館の「化石ホール」へと移動されたようですが(注5)、ジョイスが1882年生まれであることを考えると、彼は少年期から青年期のいつかの段階で、この「驚異の爬虫類」の化石展示を見たのでしょう(現物の頭部の写真はこちらから)。そして、その化石経験がインスピレーションとなり、絶滅したプレシオサウルスが一つの比喩となって、1904年から1906年にかけて執筆されていた作品に姿を現わした、という想定に立ったとき、今度は「プレシオサウルス」が物語のなかで一つの表現として描き出される意味を考える必要が出てきます。

後編に続く)

注1 “Zoological Gardens, PhŒnix Park.” Freeman’s Journal. 2 Sep 1853, p.1および Kerry Evening Post. 11 May 1853, p.1を参照。 注2 このアイロニカルな特性についてはムージルの「記念碑」を参照(ローベルト・ムージル『ムージル著作集第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』円子修平・斎藤末三郎訳、松籟社、50-53頁 ) 注3 “Zoological Society.” Freemans Journal. 4 May 1859, p.3. 注4 現在は同館にRhomaleosaurus cramptoniとしてその頭部が保存されている。同標本の複数のシノニムについてはCatalogue of Fossil Reptiles in the National Museum of Ireland、学名の混乱については"Whatever happened to ‘Thaumatosaurus’ – the wonder reptile?" plesiosauria.com. を参照のこと。 注5 “The Complicated History of Rhomaleosaurus cramptoni.” The Plesiosaur Directory.

引用・参考文献 Bennet, Douglas. Encyclopaedia of Dublin. Dubin: Gill and Macmillan, 1994. Courcy, Catherine. Dublin Zoo: An illustrated History. Cork: Collins Press, 2009. Hitchcock, Edward. “An Attempt to Discriminate and Describe the Animals That Made the Fossil Footmarks of the United States, and Especially of New England" Memoirs of the American Academy of Arts and Sciences, New Series 3 (1848): 129-256 Mamigonian, Marc A. and John Noel Turner. "Annotations for Stephen Hero." JJQ 40 (2003): 347-518 O’Riordan, C.E. The Natural History Museum Dublin. Dublin: Stationery Office, 1983. Joyce, James. Stephen Hero. New York: New direction ,1963. —Ulysses. Ed. Hans Walter Gabler. New York: Garland, 1984.

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賢いひとは脳にシワが多いの? - フェレットを用いて脳のシワ形成の謎に迫る https://academist-cf.com/journal/?p=1361 Thu, 01 Sep 2016 01:00:22 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1361 脳とシワの関係性 ヒトの脳の表面がシワだらけであることは、たぶんほとんどの人がご存じかと思います。また「賢いひとは脳にシワが多いの?」と聞かれることが多いように、脳のシワに興味がある人は多いのではないでしょうか? しかし、興味を持つ人が多いわりには、このシワについては意外にもわかっていないことが多いのです。 「脳」と言うと、専門的には脳の中でも「大脳」を指すことが多いようです。大脳は、脳の中でも特に大きく、重要な働きをしています。大脳の表面部分には神経細胞が多く集まっており、この部分は「大脳皮質」と呼ばれます。神経細胞が多く集まっていることから想像できるように、大脳皮質は高度な脳の機能にとても重要です。 この大脳の表面に、シワが見られます。シワがあると大脳の表面(=大脳皮質)の面積が大きくなります。ヒトの頭の大きさは限られているので、その中に大脳皮質の神経細胞を多く詰め込もうとすると、シワを作り大脳の表面積を大きくする必要がでてきます。すなわち、大脳の表面にシワができたことにより、大脳皮質の神経細胞をたくさん持つことができ、高度な脳活動を行うことが可能になったと考えられています。ちなみにシワのなかで、飛び出している膨らみの部分は「脳回」、凹んでいる溝の部分は「脳溝」と呼ばれます。 脳のシワに関する病気もあります。滑脳症はシワができなくなり、大脳の表面がスベスベになる病気です。またシワが異常に増えてしまう多小脳回症もあります。滑脳症や多小脳回症では、精神発達遅滞やてんかんなどの症状があると言われます。また自閉症や統合失調症の患者さんではシワの形が正常とは違いがあるという報告もあります。

なぜ、脳にシワができる仕組みは解明されていないのか?

このように、脳のシワは重要な働きを持つと考えられていますが、シワが脳表面にできあがる仕組みや、滑脳症や多小脳回症などでシワに異常が生じる仕組みは、まだ驚くほどわかっていません。 「がんを起こす遺伝子を発見」などの見出しを新聞で見ることもあるかと思います。がんの仕組みを理解するためには、原因となる遺伝子を見つけることが重要なのです。同じように、脳にシワができる仕組みを解き明かすためには、脳にシワをつくる遺伝子を見つけることが重要になってきます。 たとえば、注目する遺伝子Xを人為的に働かなくした場合にシワがなくなれば、遺伝子Xは脳のシワをつくるために必要な遺伝子であると言えます。逆に、遺伝子Xを人為的に増やした場合にシワが増えれば、その遺伝子Xはシワを新たに作る能力を持つ遺伝子と言えます。このように、注目する遺伝子を人為的に増やしたり減らしたりする技術が、身体の仕組みを解明するためには必要です。医学や生物学の研究にマウスが多く用いられているのは、マウスではこの技術が使用可能であるためです。 ところが、マウスには問題がありました。ヒトの脳に比べてマウスの脳は発達が悪く、大脳にはシワがありません。そのため、マウスを使ってシワができる仕組みを研究することは難しくなります。では、マウス以外の動物はどうでしょうか? マウス以外の動物で脳にシワを持つ動物はいろいろいるのですが、これらの動物では、遺伝子を人為的に増やしたり減らしたり操作する技術が整備されていませんでした。これが、シワができる仕組みやシワに異常がある病気の仕組みがあまりわかっていない理由です。

フェレットを利用して、シワ形成の仕組みに迫る

私たちは、i)脳にシワがある動物で、ii)人為的に遺伝子を操作できる、という二つの条件が満たされれば、脳のシワに関する研究を進めることが可能になると考えました。そこで私たちが着目した動物が、フェレットです[1]。フェレットは、イタチ科の動物でマウスに比べて脳が発達しており、大脳にはシワも見られます。欧米を中心として研究にも使われていることから、研究の基礎となるデータもそろっていました。ところがフェレットにはii)の人為的に遺伝子を操作する良い技術がなかったため、私たちはこの技術開発から始めました。試行錯誤の結果、マウスで用いられていた「子宮内エレクトロポレーション法」という方法をフェレット用に改変することで、フェレットの大脳での遺伝子の人為的操作ができるようになりました [2, 3]。 [caption id="attachment_1370" align="aligncenter" width="500"]図.pptx マウス脳(左)とフェレット脳(右)[/caption] 上で述べた二つの条件がクリアできたので、シワをつくる遺伝子Xを探し始めました。大脳皮質のなかで脳回(シワの膨らみ部分)が作られる場所に集積している遺伝子を探したところ、「Tbr2」という遺伝子が候補に挙がってきました。Tbr2は脳回が作られる場所に多く集積していたので、脳回を作るために重要な遺伝子ではないかと考えたのです。この考えを検証するため、フェレットの大脳でTbr2の働きを抑制し、シワに影響があるか調べてみたところ、Tbr2が働かないと脳のシワがうまく作れないことがわかりました! この結果は、Tbr2がシワを作るための重要な遺伝子であることを意味しています [4]。現在、Tbr2の働きを抑制したフェレットを用いて、シワができるための仕組みを詳細に調べています。 また、これまで解析が難しかった病気の成り立ちも調べています。上で述べたように、多小脳回症は脳のシワが異常に多くなる病気です。患者さんから脳をいただくわけにはいかないため、病気の成り立ちを調べるときには、この病気を持つ動物を作成し、調べることが不可欠です。ところが上で述べたように、マウスには大脳にシワが見られないことから、多小脳回症をもつマウスの作成が困難でした。過去に他のグループの研究から、多小脳回症をもつ患者さんでは「FGFR3」という遺伝子に異常があり、FGFR3の働きが過剰になっているとの報告がされていました。そこで私たちは、FGFR3を活性化するFGF8遺伝子をフェレットの大脳に導入してみました。すると、フェレットのシワが異常に増え、多小脳回症を再現できることがわかりました![5]。この動物の脳を詳しく調べてみると、おもしろいことにTbr2が増えていることがわかりました。やはり、Tbr2はシワをつくるための重要な遺伝子だと思われます。 [caption id="attachment_1371" align="aligncenter" width="500"]図.pptx 右大脳に多小脳回を作成[/caption]

おわりに

私たちは、発達した脳を持つフェレットに着目して、遺伝子を操作する技術を確立してきました。そして、この技術により、これまで研究が難しかった大脳のシワができる仕組みや、シワに異常がみられる病気の成り立ちについて、研究することが可能になってきたのです。これまでに、Tbr2がシワに重要であることや多小脳回症の成り立ちがわかってきましたが、まだまだシワにはおもしろい謎がたくさんあります。「賢いひとは脳にシワが多いの?」という問いに対して、シワに異常がみられるとどのような症状が見られるのか、動物レベルでの研究をしていきたいと思います。また、多小脳回症以外のさまざまなシワの病気についても、詳細に調べていきたいと思います。 私たちは、このような研究を一緒にする大学院生や研究員の仲間を探しています。もし興味のある人がいらっしゃれば気軽に私までご連絡ください。なお研究室のホームページもしくは私のFacebookから研究室の様子はご覧頂けますので、興味があればぜひ! 参考文献 1. Kawasaki H, Crowley JC, Livesey FJ, et al. Molecular organization of the ferret visual thalamus. J Neurosci. 2004;24:9962-70. 2. Kawasaki H, Iwai L, Tanno K. Rapid and efficient genetic manipulation of gyrencephalic carnivores using in utero electroporation. Mol Brain. 2012;5:24. 3. Kawasaki H, Toda T, Tanno K. In vivo genetic manipulation of cortical progenitors in gyrencephalic carnivores using in utero electroporation. Biol Open. 2013;2:95-100. 4. Toda T, Shinmyo Y, Dinh Duong TA, et al. An essential role of SVZ progenitors in cortical folding in gyrencephalic mammals. Sci Rep. 2016;6:29578. 5. Masuda K, Toda T, Shinmyo Y, et al. Pathophysiological analyses of cortical malformation using gyrencephalic mammals. Sci Rep. 2015;5:15370.]]>
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極限高温高圧のマグマをレーザーで再現? - 惑星科学研究の新領域に迫る https://academist-cf.com/journal/?p=1394 Fri, 02 Sep 2016 01:00:49 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1394 地球を作ったマグマの正体は? 地球上でマグマが冷えて固化すると、岩石になります。海中の場合には、新しい島が形成されます。地球上には、地殻を構成する酸性の花崗岩や流紋岩から、マントルを構成する超塩基性のペリドタイトまで、多種多様の岩石が存在しています。このような岩石たちは、主に岩石に含まれる二酸化ケイ素の量で分類され、たとえば、ペリドタイトの部分溶融から玄武岩ができ、その分別結晶化作用で、安山岩や流紋岩ができると考えられます。それでは、最初の地球を作ったマグマはどのようなマグマだったのでしょうか。

巨大衝突時のマグマを再現したい

現在の惑星形成モデルによれば、惑星の原材料物質と考えられている始原的隕石「炭素質コンドライト」が衝突合体を繰り返し、しばらくした後に、現在の火星サイズほどの微惑星が衝突溶融し、そのマグマが冷却する過程でコアとマントルが分離され、地球型惑星が形成されたと考えられています。 [caption id="attachment_1395" align="aligncenter" width="600"]巨大衝突時のマグマの発生モデル図(NASA ホームページから引用) 巨大衝突時のマグマの発生モデル図(NASA ホームページから引用)[/caption] 今回、始原的隕石の主成分である鉱物「フォルステライト(組成はMg2SiO4)」を利用して、衝突時のマグマを再現を試みました。衝突時の極限高温高圧を実現させるべく、高強度レーザーを有する大阪大学レーザーエネルギー研究センターで共同研究の申請を行い、大阪大学大学院工学研究科のレーザー衝撃実験に詳しい兒玉研究室の協力を得て、実験を行いました。

約300万気圧で見せたマグマの異常な振る舞い

まず、フォルステライトの単結晶を微小片(2 mm x 2 mm x 0.05mm)に切断研磨し、その微小片と測定の標準物質になる石英小片に、レーザーパルス(レーザー強度:1012—1013 W/cm2程度)を照射します。このレーザーの照射により、数100万気圧の衝撃圧力が試料に加わることになります。瞬間的に強く圧縮すると、結晶が融解したり、気化したり、プラズマ化したりなど、さまざまな化学反応が起きます。今回、慣性で停止した時間内での超高速測定において、衝撃圧縮中の微小試料の圧力、密度、及び温度を決定することに成功しました。 [caption id="attachment_1398" align="aligncenter" width="390"]図2 (上)実際のターゲットを測定する裏側から見た写真。アブレータ(A)の有機膜はアルミ箔の下で見えない。透明体のCとDはフォルステライトと基準となる石英。(下)ターゲットを横から見たレーザー照射時、速度と温度の測定中の概念図[/caption] 一般的には、衝撃圧力が上がると温度も上がることが知られているのですが、今回の実験の結果、約300万気圧の衝撃圧力を与えると、温度が異常に上下することが確認されました。フォルステライト結晶は約200万気圧くらいでマグマになり、衝突が激しくなると気化やプラズマ化が起きると思われていたため、今回の結果は、フォルステライトマグマに何か未知の現象が起きていると考えられます。私たちは、この異常な温度変化を密度変化などとともに熱力学的に詳細に検討した結果、ファルステライトマグマ中で化学反応が起きていることを突き止めました。 [caption id="attachment_1403" align="aligncenter" width="663"]図3 マグマの温度と圧力が変化した時のマグマ中の反応と温度の急激な変化に対応する反応[/caption] 具体的には、フォルステライトマグマ中に結晶の晶出を想定し、どのような結晶がどれだけ晶出するかということを、測定した温度変化をもとに計算しました。その結果、高融点の酸化マグネシウム結晶が全体の約1/3〜1/4だけ晶出すると考えると、今回の実験結果が上手く説明できることががわかりました。すなわち、結晶晶出による発熱反応によって、急激に温度が上昇していると考えられるのです。また、温度の異常な低下については、晶出した酸化マグネシウムの構造変化に伴う吸熱反応に対応することも明らかになりました。これらの反応時には、密度変化はほとんどなかったのですが、400万気圧位まで圧力を上げると、急激な密度増が観測されました。これは、ファルステライトマグマ中の酸化マグネシウム成分の液体中での構造変化に対応すると考えられます。

地球型惑星形成時のマグマの挙動を予測する

このような実験結果に基づき、地球型惑星形成時のマグマの詳細な挙動を再現実験で明らかにしました。このようなことが起きる衝突条件を見積もると、フォルステライトを主成分とする隕石の正面衝突で300万気圧は毎秒13 km/sで、400万気圧は毎秒17km/sに相当します。このような衝突速度は、地球の脱出速度(11km/s)に比べて速いのですが、惑星科学的には普遍的に起きる速度の範囲内です。実験で模擬した温度圧力は、最近続々と発見されている系外惑星のスーパーアース(地球の10倍程度までの地球型惑星)の内部で実現されることになれば、そのマントル内部のダイナミクスに影響します。特に、金属鉄に富むコアの形成時に酸化マグメシウムが取り込みやすいと初期のコアには酸化マグメシウム成分が多かったことになり、このことが初期ダイナモの起動の要因にもなったかもしれません。現在の地球コア中に存在している軽元素の種類や量の見積もりにも影響が出ます。また、まだ明らかにされていませんが、始原隕石のもう一つの代表的成分であるエンスタタイトに関しても類似の衝突条件で同様なことが起きると考えられます。 今後、さらなる研究が必要ではありますが、本実験結果が示すフォルステライトマグマからの極限環境下での部分結晶化という挙動は、今後の惑星形成過程を考える上で、重要な役割を担うことが予想されます。今後は、考えられる他成分の影響や効果を調べながら、衝突時に発生するマグマの冷却過程や冷却過程での元素の分配、軽元素の役割などを検討することで、コアとマントルの分離過程や進化過程を実験惑星科学的に明らかにしていきます。新しい高圧技術としてのレーザー高圧実験で、従来は不可能であった実験惑星科学が、今後進展することを期待します。]]>
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サイエンスカフェ「宇宙における星形成歴史を辿ってみたい!(第1回@清里清泉寮)」が開催されました! https://academist-cf.com/journal/?p=1465 Thu, 01 Sep 2016 09:00:17 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1465 宇宙における星形成史を辿ってみたい!」のリターンのひとつであるサイエンスカフェ(第1回)が清里清泉寮にて開催されました。 [caption id="attachment_1472" align="aligncenter" width="500"]風景 清泉寮からの景色。子どもたちはポケモンGOに勤しんでいます[/caption] 当日は、
  1. 研究テーマの天文学における位置づけ
  2. 研究テーマの星形成分野における位置づけ
  3. BISTROプロジェクト
  4. BISTROの次に向けて
という流れで、2時間(講演90分+質疑応答30分)に渡り星形成の話題で盛り上がりました。 [caption id="attachment_1473" align="aligncenter" width="500"]表紙 大学院時代に会場付近にあるノベヤマ(野辺山天文台)で研究をしていた古屋先生。新しい技術を持ちこむことで誰も観ていない宇宙の姿に迫ることができた経験が、研究動機のひとつになっているそうです[/caption] 前半は、「星形成のプロセスは四国を1cmのビー玉にするプロセスである」という例えからはじまり、星形成に関する基礎知識と研究の課題について詳しくお話しいただきました。以前の一般公開セミナーでもお話されていましたが、可視光線では暗くて見えない空間にも、電波で観測すればそこに分子雲があることを確認できます。分子雲を構成する分子や化合物の種類を明らかにするには、分光化学の技術が必要になるため、その際には分光化学者と一緒に研究を進めているようです。 [caption id="attachment_1476" align="aligncenter" width="500"]H2H2H2 分子雲はほとんどが水素分子から構成されているが、ごくまれに一酸化炭素などの分子が存在する[/caption] 後半では、BISTROプロジェクトの目的と現状についてご説明いただきました。1990年代にサブミリ波天文学の基盤形成をした James Clerk Maxwell TelescopeCaltech Submillimeter Observatory、2000年代にパラボラアンテナ6台を結合してひとつの望遠鏡として利用した Smithsonian Astrophysical Observatory、そして2010年代に64台を結合させたAtacama Large Millimeter/submillimeter Array (ALMA)の歴史を整理するなかで、どうしてBISTROプロジェクトではJCMTを使うのか?ということについて、明快に解説いただきました。 BISTROプロジェクトのサイエンスカフェですが、第2回は11月6日(日)に東京で、第3回は2017年冬(詳細調整中)に徳島で開催予定です。 これからのBISTROの活動に、ぜひご注目ください。 参考記事天文学者が明らかにしたい究極の問いとは? – 徳島大学・古屋准教授の一般公開セミナー潜入レポート」]]>
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糖尿病はなぜ発症するのか? - マウスを用いた新たな発症メカニズムの解明 https://academist-cf.com/journal/?p=1478 Tue, 06 Sep 2016 01:00:19 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1478 糖尿病とは

糖尿病は主に、1型糖尿病と2型糖尿病に大きく分けられます。1型糖尿病は、インスリンを分泌する膵ランゲルハンス島のb細胞が破壊され、インスリン分泌不足になり、血糖が上昇することにより発症します。一方、2型糖尿病は、肥満をはじめとした生活習慣、加齢、何らかの遺伝的素因により、インスリンの効きが悪くなり、血糖が上昇することにより発症する糖尿病であり、現在の糖尿病患者数の約9割を占めています。

2型糖尿病は、患者数が2000万人にのぼる国民の5人に1人は罹患する成人病で、網膜症や腎症といった合併症を引き起こし失明や透析の原因となるだけでなく、高血圧症、脂質異常症と共に動脈硬化性疾患(心筋梗塞や脳梗塞)を誘発し、健康寿命を短縮させる病気です。さらに、我が国の糖尿病における国民医療費は8兆円になるとも言われています。したがって、2型糖尿病の病態生理を理解することは、国の医療費を削減する上でも重要な課題であるとも言えるのです。

2型糖尿病の原因 - インスリン抵抗性とは

2型糖尿病の主な原因は、インスリンの効きが悪くなる「インスリン抵抗性」です。インスリンが細胞表面のインスリン受容体に結合すると、受容体が活性化し、その後、細胞内のさまざまな蛋白が活性化されます。この一連の流れ(=インスリンシグナル)が遮断されることをインスリン抵抗性と呼んでいます。その主な発生原因は、肥満です。現在、世界の肥満人口は約6億4千万人と言われ、10年後には5人に1人が肥満になると言われています。近年、我が国において食生活の欧米化による肥満に伴い、2型糖尿病患者数およびその予備軍が急増しています。

肥満は、脂肪組織を形成する脂肪細胞自体が大きくなること(肥大化)、または脂肪細胞の大きさには変化ないが、脂肪細胞の数が多くなること(増殖)のいずれかにより起こります。脂肪細胞は、体内の脂肪分を中性脂肪の形で貯蔵するのみではなく、ホルモンを分泌する内分泌臓器であることが知られています。肥満により脂肪細胞が肥大化すると、これらのホルモンの分泌が低下し、インスリン抵抗性の発症に関与します。

近年、肥満によるインスリン抵抗性の発症に、脂肪組織、肝臓、骨格筋などのインスリンが作用する臓器の慢性炎症の関与が重要であることが明らかにされました。これらの慢性炎症には、マクロファージ、樹状細胞、T細胞、B細胞、好酸球、NK細胞、innate lymphoid cellなど、さまざまな免疫細胞が関与しています。これらの慢性炎症では、炎症性サイトカインという液性因子が放出されます。炎症性サイトカインには、先に述べたインスリンシグナルを遮断する作用があり、インスリン抵抗性が発症すると考えられています。しかし、各インスリン感受性臓器をはじめとした標的臓器に、これらの免疫細胞がどのようにリクルートされていくかなどの時系列を追った分子メカニズムに関しては、不明な点が多くありました。

高脂肪食で腸の長さが変わる?

最近、全身の肥満、インスリン感受性に、腸内細菌をはじめとした腸内環境が大きな影響を及ぼすことが報告されています。腸管は、外界の異物と最初に接する臓器であり、免疫機構のみならず、様々な防御機構を有しており、腸管内においては、宿主側と腸内細菌叢がバランスを保ちながら、腸内環境を形成しています。

[caption id="attachment_1480" align="aligncenter" width="500"]fig1 腸内細菌叢、腸管粘膜、腸内免疫系で構成される 腸内環境[/caption]

これまで、腸内細菌叢が全身のインスリン感受性に影響を与える報告が多いなか、腸管免疫細胞の糖・エネルギー代謝調節に関しては、あまり知られていませんでした。しかし、その中でマクロファージ・樹状細胞といった単核貪食細胞は、腸管内の抗原を取り込み、T細胞へ提示する役割を有しており、腸管の慢性炎症・全身のインスリン感受性への影響・2型糖尿病の発症といった観点から、なんらかの役割を担っていることが推測されます。実際、腸管マクロファージは、哺乳動物の腸管の中で最も多い白血球の一つであり、体内の中での単核貪食細胞群としては最大です。

マウスに、脂肪分のうち約70%に飽和脂肪酸を含む「高脂肪食」を与えたところ、4週間で大腸の長さが短縮し、マウスの盲腸が小さくなります。

[caption id="attachment_1481" align="aligncenter" width="500"]高脂肪食負荷では大腸の短縮と、盲腸の縮小が認められる 高脂肪食負荷では大腸の短縮と、盲腸の縮小が認められる[/caption]

大腸の長さの短縮は、炎症の特徴であり、盲腸の大きさの変化は腸内細菌叢の変化を物語っています。したがって、飽和脂肪酸を多く含む食事により、大腸に炎症が起きることが推測されます。私たちは、同じ食事を与えて、どのくらいの期間で体の各臓器で炎症が起きるかを、大腸、小腸、内臓脂肪組織、肝臓の臓器別に検討しました。すると、これまでインスリン抵抗性の発症に大きく関与していると言われていた脂肪組織、肝臓よりも早く大腸で炎症性のマクロファージに関係している遺伝子の発現の上昇が認められ、実際に炎症性マクロファージの数も増加していることがわかりました。以上のことは、これまで言われていたこととは異なり、高脂肪食負荷では大腸で最も早く慢性炎症が起きることを示唆しています。

炎症性腸管マクロファージの数を減らすとどうなるか?

大腸の炎症性マクロファージの増加がマウスにどのような影響を与えるのか?ということを明らかにするためには、その増加を抑えて影響を見ることが常道です。一般に、炎症性マクロファージの数を制御するのは「ケモカイン」と「ケモカイン受容体」です。

ケモカインとは、炎症性の免疫細胞(マクロファージを含む)を炎症の場に引き寄せる液性因子であり、さまざまな細胞から分泌され、さまざまな種類があります。ケモカイン受容体とは、それらケモカインが結合する受容体で、免疫細胞の膜表面にあり、それぞれのケモカインに呼応する種類の受容体が存在します。マクロファージの場合、局所のケモカイン産生に呼応して、骨髄および末梢血液中にあるそのケモカインが結合するケモカイン受容体を持つ単核球がその局所に移動して、炎症性マクロファージになると考えられています。

私たちの検討によると、マウス大腸では高脂肪食負荷によりCcl2というケモカインが大腸の腸管上皮から分泌され、Ccr2というケモカイン受容体を持つ炎症性マクロファージが集まってくることが明らかになりました。そこで、マクロファージのCcr2を欠損させたマウス(M-Ccr2KO)と腸管上皮でCcl2を欠損させたマウス(Vil-Ccl2KO)を作製し、高脂肪食を食べさせて影響を検討しました。どちらのマウスも予想通り、高脂肪食を食べさせても大腸の炎症性マクロファージは増加せず、目的のマウスを作製できたことを確認しました。両マウスとも対照群のマウスと同様に肥満を呈したにも 関わらず、ブドウ糖負荷による血糖の上昇は抑えられ、インスリンの効きも良くなりました。

[caption id="attachment_1482" align="aligncenter" width="500"]腸管上皮細胞特異的Cc/2 欠損マウスでは高脂肪食負荷による血統上昇が30%程度抑制された 腸管上皮細胞特異的Cc/2 欠損マウスでは高脂肪食負荷による血統上昇が30%程度抑制された[/caption]

さらに、興味深いことに、Vil-Ccl2KOでは、大腸だけではなく脂肪組織でも脂肪細胞が肥大化しているにも関わらず、慢性炎症が低下しました。

[caption id="attachment_1483" align="aligncenter" width="500"]腸管上皮細胞特異的Cc/2 欠損マウスでは脂肪組織における炎症性マクロファージの浸潤が抑えられた 腸管上皮細胞特異的Cc/2 欠損マウスでは脂肪組織における炎症性マクロファージの浸潤が抑えられた[/caption]

以上のことは、大腸の慢性炎症、すなわち炎症性マクロファージを制御すれば、インスリン作用に重要な末梢の臓器のインスリン感受性をコントロールできることを証明したことになります。

高脂肪食負荷がインスリン抵抗性を引き起こすメカニズム

それでは、高脂肪食負荷による大腸の炎症性マクロファージによる慢性炎症がどのようにインスリン抵抗性を起こし、糖尿病につながるのでしょうか。大きく二つの可能性が考えられます。

ひとつは、大腸の腸管バリアー機能の低下です。前述したように、腸管腔には食物抗原、腸内細菌をはじめとしたさまざまな生体外の異物が存在し、それらが、循環血中に入らないように防御する隔たりが必要であり、それが腸管バリアー機能です。腸管バリア機能は、それに関わる特殊なタンパク質が関係しており、高脂肪食負荷での大腸ではそのうちの一つClaudin1というタンパク質が低下し、腸管腔から物質が循環血中に漏れやすいことがわかりました。特徴的なのは、細菌構成成分の一つであり炎症性サイトカインとともにインスリン抵抗性を引き起こすことが知られているlipopolysaccharide(LPS)の門脈中の濃度が、高脂肪食負荷した対照群マウスでは普通食群に比べ有意に増加し、作製したふたつの遺伝子改変マウスでは、正常化していたことです。

もうひとつは、高脂肪食負荷により大腸のインフラマゾームの活性化が起こることです。近年、高脂肪食による慢性炎症の誘導機序において、炎症誘導シグナルを感知し炎症のシグナルを伝達するために必要なアダプター蛋白としてインフラマゾームが重要であることが認識されるようになりました。高脂肪食負荷4週の大腸においてinflammasomeの活性化を示唆するspeckled patternを呈するASC活性細胞の有意な増加を認めましたが、M-Ccr2KOVil-Ccl2KOマウス大腸においては、それらが有意に抑制されています。また、インフラマゾームに制御される代表的な炎症性サイトカインとしてIL1βとIL18が知られていますが、M-Ccr2KOVil-Ccl2KO大腸では、コントロールと比較してそれらの炎症性サイトカインの発現が低下しており、それに伴い門脈内IL-18濃度が有意に低下し、インスリン抵抗性改善の一因になっている可能性が考えられました。以上の結果から、高脂肪食負荷大腸においては、inflammasomeの活性化が大腸の腸管上皮Ccl2-マクロファージCcr2経路に制御を受ける事が示唆されました。

今後の展望

本研究の結果から、高脂肪食負荷誘導性の肥満マウスにおいて、腸管のマクロファージが脂肪組織の慢性炎症を”リモートコントロール”し、全身のインスリン抵抗性を調節することが明らかになりました。

また、ケモカインの産生を抑制することが、肥満による2型糖尿病発症を抑える戦略になりうると考えられました高脂肪食負荷モデルマウスにおいては、腸管上皮Ccl2が重要になることが分かったのですが、他にも高脂肪食負荷した腸管上皮細胞で発現が増加するケモカインは存在しており、今後のさらなる検討が必要です。また、腸管マクロファージには骨髄単球由来の炎症性マクロファージだけでなく、元々組織に存在して腸管の免疫寛容に寄与している常在性マクロファージがあり、他にも、腸管樹状細胞、自然リンパ球、抗体産生細胞などさまざまな種類の腸管免疫細胞が存在しており、高脂肪食や腸内細菌叢の変化を受けて、どのように抗原情報が獲得免疫を伝達し、インスリン抵抗性に寄与しうるのかも興味深いです。さらに、ヒト特に肥満症患者や糖尿病患者の大腸におけるケモカインの同定、および具体的なケモカイン産生の分子メカニズムは全く解明されておらず、腸管上皮からのケモカイン産生・活性を抑制する化合物の同定を行っていく事は、今後の重要な課題です。

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超巨大ブラックホールの起源に迫る! - 最新電波観測から導かれた仮説とは https://academist-cf.com/journal/?p=1498 Mon, 05 Sep 2016 01:00:39 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1498 超巨大ブラックホール形成の謎 今も昔も、「ブラックホール」は多くの人を惹きつける天体です。基礎物理を探究する立場からは、一般相対性理論のような基本則の妥当性を調査する格好の「実験場」であると言えます。その一方、宇宙の古今にわたる天体の進化(歴史)を紐解く天文学者にとっては、その形成過程や、他の天体現象に及ぼす影響が重要な研究テーマとなります。 近年の観測から、大質量銀河の中心には超巨大ブラックホールが普遍的に存在することが分かってきました。しかし、その形成過程は謎に包まれており、現代天文学が解決すべき重要課題となっています。基本シナリオとしては、種となる小さいブラックホールに、周囲の宇宙空間を漂う「星間ガス」が降り積もる(天文学では「ガス降着」と呼ぶ)ことで太るのだと考えられるため、要するにその「ガス降着を引き起こす機構」がよく分かっていないわけです。 「ブラックホールは強力な重力源なのだから、放っておけばガスは勝手に落ちるのでは?」と思われるかもしれませんが、話はそう簡単ではありません。一般に、天体を周回するガスには遠心力がかかるため、それが中心天体の重力と釣り合うとガスは安定な軌道に落ち着き、さらに内側へはほとんど流れこめなくなるのです。これを念頭に置くと、「ガスの安定な運動」を無理やりにでも妨げてやれば(より専門的に言うと、角運動量を引き抜いてやれば)、そのガスはブラックホールへ大人しく落ちると期待できます。

銀河中心数百光年 - ガス降着のミッシングリンク

では、そのようなガスの安定運動を妨げる現象としては何が考えられるでしょうか。たとえば、銀河同士の衝突合体は理論的にも観測的にも支持される有力機構です。また、銀河の星々自体が作り出す重力の影響も唱えられています。いずれにせよ、これらの機構は、銀河規模に広がったガスを中心の数百光年程度まで降着させる際に威力を発揮します。他方、超巨大ブラックホールのごく近傍、わずか1光年以下の領域については、小さすぎて写真を撮ることがほぼ不可能な代わりに、膨大な数の観測データからその性質を統計的に探るという研究が活発になされています。 ところが、両者をつなぐ「銀河中心数百光年から1光年程度の領域」に関しては、高品質・高解像度の天体観測の技術的難しさと観測に適した天体の少なさが相まって、なかなか理解が進んでいないのが現状です。つまり、ブラックホール成長の研究におけるミッシングリンクなのです。

最新電波観測で挑戦!

このミッシングリンクをあばくため、我々のグループでは、南米チリに設置された最新電波望遠鏡であるアルマ望遠鏡などで得た観測データを用いて、超巨大ブラックホールの周囲数百光年に存在する高密度分子ガスの性質を調べました。銀河中心部のガスの主な存在形態たる「分子ガス」の性質を調べて、何かしらガス降着に関する知見を得ようという魂胆です。 [caption id="attachment_1499" align="aligncenter" width="500"]fig1 南米チリのアルマ望遠鏡。国際共同で運営されている最先端の電波望遠鏡群です[/caption] 観測した天体の一例を示します。これは、NGC 7469という名前の銀河で、中心に超巨大ブラックホールがあります。アルマ望遠鏡による高密度分子ガス観測から、その中心部には直径数百光年程度の円盤状の構造があることが分かりました。同様の円盤構造は、他の天体でも観測されています。これは、先述の通り、重力と遠心力が釣り合い、落ち込むガスが安定軌道を描く(言い換えれば、ある半径付近にガスが溜まる)ことで形成された円盤だと理解できます。 [caption id="attachment_1500" align="aligncenter" width="500"]観測の一例。近傍銀河 NGC 7469の可視光画像(左)と、アルマ望遠鏡で取得したその中心部の電波画像。高密度分子ガスの分布を描いており、中心部に円盤構造が見えます(赤くなっている箇所) 観測の一例。近傍銀河 NGC 7469の可視光画像(左)と、アルマ望遠鏡で取得したその中心部の電波画像。高密度分子ガスの分布を描いており、中心部に円盤構造が見えます(赤くなっている箇所)[/caption] この円盤からさらに内側への降着機構を考察する前に、まずはこの円盤構造自体の重要性を確認しておきましょう。実は今回の研究で、こうした銀河中心分子ガス円盤の質量と、超巨大ブラックホールへのガス降着率(1年間に落ち込むガス質量のことで、ブラックホール近傍のX線観測から推定可能)には正の相関関係があることが分かりました。その一方、銀河全体で測定した分子ガスの総質量については、そのような関係は見られません。つまり、ブラックホール付近のガスの多寡が、ブラックホール成長をコントロールする一つの鍵になっているのです。これは、具体的なガス降着機構を考えるための重要なヒントになりそうです。 [caption id="attachment_1501" align="aligncenter" width="500"]高密度分子ガス円盤の質量と、超巨大ブラックホールへのガス降着率の相関図。銀河中心部の高密度円盤(青)については相関関係が存在する一方、銀河全体のガス総量(黒)には全く見られないことが分かりました 高密度分子ガス円盤の質量と、超巨大ブラックホールへのガス降着率の相関図。銀河中心部の高密度円盤(青)については相関関係が存在する一方、銀河全体のガス総量(黒)には全く見られないことが分かりました[/caption]

鍵は超新星爆発にあり!?

では、最後に銀河中心数百光年の領域で働くガス降着機構を推測します。ここで、もう一つの鍵となる重要な観測事実を紹介しておきます。実は、超巨大ブラックホールへのガス降着率と、銀河中心部での星形成率(1年にどれくらい星が作られているか)とはほぼ比例しているのです。つまり、ガンガン星を作っている銀河ほど、ハイペースで成長中の超巨大ブラックホールを抱えているのです。 これは一体何を意味するのでしょうか?この解釈は研究者間でも意見が割れるのですが、我々のチームは、これは「因果的な関係」だと考えました。つまり、星形成活動に起因する何らかの物理機構によって、超巨大ブラックホールへのガス降着が直接駆動されると考えたのです。 それでは、星形成活動に起因し、かつ、ガスの安定な軌道運動を妨げる現象とは、一体どのようなものがあるのでしょう。おそらく、もっとも劇的な現象として超新星爆発が挙げられます。大質量星の一生の最後を飾るこの現象は、強烈な衝撃波を引き起こします。それにより、ガスはめちゃくちゃにかき乱され、安定運動をやめてブラックホールに落ち込んでいくと考えられるのです。このシナリオでは、衝撃波の影響を受けるガスが多ければ多いほどブラックホールに落ち込むガスも当然増えるので、先述の高密度分子ガス円盤質量とブラックホール降着率の関係も説明できます。 そこで、我々は研究チームのメンバーがこのシナリオに即して構築した理論モデルを、実際の電波観測データに当てはめてみました。具体的には、観測+理論の合わせ技で、銀河中心の高密度分子ガス円盤からさらに内側へ流入するガス量を予測しています。結果を見て正直驚きました。まだまだ検討できた天体数は少ないものの、この予測値と、超巨大ブラックホール近傍で消費されるガスの総量が見事一致したのです!ちなみに、「総量」というのは、超巨大ブラックホールへ落ちるガス降着だけでなく、超巨大ブラックホールの影響を受けて逆に吹き飛ばされるガスの量も考慮に入れた値です(超巨大ブラックホール環境では、実はモノは吸いこまれるだけではないのです)。 [caption id="attachment_1502" align="aligncenter" width="500"]理論モデルを駆使して計算した高密度分子ガス円盤から内側の超巨大ブラックホールへのガス降着率と、超巨大ブラックホール近傍で消費されるガスの総量との比較 理論モデルを駆使して計算した高密度分子ガス円盤から内側の超巨大ブラックホールへのガス降着率と、超巨大ブラックホール近傍で消費されるガスの総量との比較。誤差の範囲で両者が100%一致していることが分かります[/caption]

今後の展望

本研究成果は、なにぶん天体数も少なく、まだまだ精密検証が必要ではありますが、銀河中心部で観測されたガスの流入・流出を初めて整合性を持って説明できた点が画期的だと自負しています。ブラックホールと星という華々しい現象たちが実は違いに結びついているというのも、天文学らしい、なんとも壮大でロマンチックな話です。これからは多天体の観測から本説の裏付けを強めつつ、より遠く(すなわち過去)の天体を観測することで宇宙の古今にわたったブラックホール成長の歴史を解き明かせるよう頑張っていきたいと思います! [caption id="attachment_1503" align="aligncenter" width="500"]超新星爆発で駆動される超巨大ブラックホールへのガス降着の想像図 超新星爆発で駆動される超巨大ブラックホールへのガス降着の想像図[/caption]]]>
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サカナのヒレが人間の指に進化した? - ゲノム編集から判明した意外な事実 https://academist-cf.com/journal/?p=1519 Wed, 07 Sep 2016 01:00:20 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1519 魚のヒレが手になった 日本人の大好物である魚、みなさん毎日のように食卓で目にするでしょう。でも、その身を食べることばかりに気をとられていませんか? エラの後ろについている小さなヒレの形や構造をじっくり観察したことのある人はどのくらいいるでしょう。実は、みなさんが全く気にも留めないこのぴらぴらしたヒレこそが、進化学の研究者の間で長い間大論争が続いている一大テーマであり、一生をこのヒレに捧げる人たちがたくさんいるのです(!)。 [caption id="attachment_1520" align="aligncenter" width="500"]ゼブラフィッシュ;エラの後方についているヒレが胸ビレ — 私達の手に相当する ゼブラフィッシュ;エラの後方についているヒレが胸ビレ — 私達の手に相当する[/caption] 魚の胸ビレと腹ビレ(上図)は、だんだん進化し、やがて陸上生活をする動物の手と足になります。現在も生きているシーラカンスや肺魚、また化石でしか見つからないティクターリクなどは、魚のヒレが徐々に手足に変わる過程を反映していると考えられています。以下のイラストを見ると、魚のヒレが手になったことは間違いなさそうです。うん、確かに段々手に変わってきたように見えます。 [caption id="attachment_1521" align="aligncenter" width="500"]魚の胸ビレからヒトの手への進化 (Schneider and Shubin, 2013) 魚の胸ビレからヒトの手への進化 (Schneider and Shubin, 2013)[/caption] では、もうすこし詳しく見てみる事にしましょう。人の手の青色で塗られた部分、つまり指と手首の部分をだんだん魚へと遡って見ていくと、ティクターリクやエウステノプテロンでは、まだなんとなくどこを青色に塗ればいいのかわかります。指に似た形を見つけることができますよね。でも、もっと遡るとだんだん怪しくなり、ゼブラフィッシュなどの硬骨魚(私たちが普段目にする魚はほとんどがこのグループです)では、骨の形が随分違うために、どこが青色の部分なのかわかりません。 硬骨魚のヒレの構造は、私たちの手とは大きく違います。私たちの手足の骨は、軟骨内性骨といって、まず軟骨が作られた後に硬い骨に置き換わります。魚のヒレも、私たちと同じ軟骨内性骨をヒレの根元に持っているのですが、図の黒色部分が示すようにすごく小さく、ヒレの大部分(図の灰色部分)は構造の違う鰭条(きじょう)という柔らかい骨でできています。進化の過程を順番に見てみると、だんだん鰭条がなくなり、根元にあった軟骨内性骨の部分が伸びてきたように見えます。では、軟骨内性骨がぐんぐん伸びて、指になる部分が新たに獲得されたのでしょうか。指はいったい、魚のヒレのどこから生まれたのでしょうか?

魚の“指”はどこにある?

さあ、では魚のヒレの中で指に相当する部分を見つける方法を考えましょう。マウスを使った実験では、指を作るのに重要な遺伝子が多数同定されています。私たちは、その中でもHoxという遺伝子群 (ホメオボックス遺伝子群)に着目しました。Hox遺伝子群はHox1からHox13までの遺伝子がDNA上にタンデムに並んでいるのですが、それぞれのHox遺伝子が体の発生においてとても重要な働きをしています。特にHox13は指を作るのに重要な遺伝子であることが知られています。マウスでは、Hox13遺伝子を発現した細胞を蛍光でマークすると、指と手首になることが知られていました。そこで、私たちは魚でHox13をコントロールするDNA領域を見つけ、蛍光蛋白質をコントロールするように遺伝子を組換えたゼブラフィッシュを作ってみました。すると予想外のことに、鰭条がピカピカ光りました、、、、、うん? もしかして、この鰭条と指が同じ細胞群で作られるのか?? 骨の種類が違うのに、、、、?? [caption id="attachment_1522" align="aligncenter" width="500"]マウスの手でHoxA13が発現した細胞(上:緑色)と魚の胸ビレでHox発現を制御する領域でラベルした細胞(下:緑色) マウスの手でHoxA13が発現した細胞(上:緑色)と魚の胸ビレでHox発現を制御する領域でラベルした細胞(下:緑色)[/caption] 本当に鰭条が私たちの指の起源なのでしょうか? この仮説を検証するために、次はマウスで指をつくるために重要なHox13遺伝子を魚で壊してみました。今回は、魚でHox13の機能を壊すために、比較的新しい技術であるCrispr/Cas9というものを使用しました。Crispr/Cas9とは、細菌が外から入ってきたDNAを分解するために使うシステムを改変した事で、動物の卵や細胞に注入し、DNAの狙った配列を削ったり書き換えたりできる技術です。Hox13という遺伝子は、機能がよく似た遺伝子がゼブラフィッシュの中には3つあるのですが、これらを同時に壊すとなんと、鰭条がほとんどなくなりました(下図右)。マウスでは、Hox13を壊すと指と手首がなくなります(下図左)。つまり、鰭条も指も同じ遺伝子を使って作られていることがわかったわけです。 [caption id="attachment_1523" align="aligncenter" width="500"]マウスとゼブラフィッシュそれぞれでHox13を壊した結果 (マウスの結果は、Fromental-Ramain et al.1999 より改変) マウスとゼブラフィッシュそれぞれでHox13を壊した結果 (マウスの結果は、Fromental-Ramain et al.1999 より改変)[/caption]

指の進化はまだわからないことがたくさんある

今回の研究では、魚のヒレの鰭条と私たちの指の骨が、種類が違うにも関わらず同じような細胞群から発生し、また同じ遺伝子を使って作られていることがわかりました。鰭条がどうやってだんだんその構造を変えて指に進化してきたのか、そのメカニズムを解明することが次のチャレンジになります。魚のDNAを操作し、形を作り変え、化石にしか残されていない魚の進化を明らかにしていく研究は始まったばかりです。 参考文献 Digits and fin rays share common developmental histories. Nakamura T, Gehrke AR, Lemberg J, Szymaszek J, Shubin NH. Nature. 2016 Aug 17. doi: 10.1038/nature19322.]]>
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「第2の地球」の発見はもう間近?– 興奮が渦巻く系外惑星の世界へご招待 https://academist-cf.com/journal/?p=1532 Tue, 13 Sep 2016 01:00:53 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1532 世界を揺るがした大ニュース 2014年4月17日、NASAのケプラー宇宙望遠鏡が「Earth 2.0」の発見を報告します。これは、人類が初めて見つけた、生命を宿す可能性のある太陽系外地球型惑星でした。そして、翌年の2015年7月23日には、再び NASAのケプラー宇宙望遠鏡により、太陽と同じタイプの星の周りで「地球の従兄弟」の発見が報告されました。 これらの発見は、我々人類がついに「地球外生命」について真面目に科学的な議論ができる時代に突入したのだ、ということを示す大ニュースであり、新しい時代の幕開けを告げる記念すべき出来事でした。 本記事では、系外惑星の発見の歴史を振り返りながら、「Earth 2.0」や「地球の従兄弟」が一体何者であるのかについて、簡単に解説をしていきます。そして最後に、私たちが開発した系外惑星データベース「ExoKyoto」について紹介させていただきます。 我々の世界観の大変革を巻き起こす可能性のある系外惑星の世界を、どうぞたっぷりとお楽しみください。

多様な系外惑星の発見

そもそも「系外惑星」というのは、太陽以外の星の周りを回っている惑星のことを指します。初めて系外惑星が見つかったのは、今からわずか20年ほど前、1995年10月のことでした。 その後、世界中で系外惑星探しが精力的に行われていきます。最初は年にせいぜい数個の発見だったものが、わずか10年後には年に数十個、トータルで200個近くの系外惑星が発見されることになりました。我々研究者にとっても、本当に驚くべきペースでした。 さらに、驚くべきはその数だけではありませんでした。発見された惑星のほとんどが、この太陽系の惑星とは全く異なるタイプの惑星だったのです。星のすぐ近く(1年が数日!)を回る木星のようなガス惑星「ホットジュピター」や、とんでもない楕円軌道で星の近く(灼熱)と遠く(極寒)を行ったり来たりしている惑星「エキセントリックプラネット」、はたまた、太陽系には存在しない地球の数倍程度のサイズの惑星「スーパーアース」など、次々と「異形の惑星」たちが発見されていきました。 こうした発見により、太陽系以外にも惑星は普遍的に存在している、ということがわかった一方、系外惑星は非常に多様な姿をしており太陽系もその多様性の中のひとつにすぎない、ということも明らかになってきました。

Kepler宇宙望遠鏡の衝撃

その後も系外惑星の発見数は伸び続けますが、残念ながら発見される惑星のほとんどは、木星や土星のような巨大ガス惑星ばかりでした。しかしこれは、宇宙にはガス惑星ばかりが存在している、ということを意味しているわけではありません。惑星を探す際、大きい惑星ほど見つけやすい、逆に言うと地球のような小さい惑星を見つけるのは非常に困難なため、巨大ガス惑星ばかりが選択的に見つかってしまったのです。 しかし、ほとんどの人にとって系外惑星探査における最大の関心事は「地球のような惑星は他にもあるのか?」でしょう。そこで登場したのが、2009年にNASAによって打ち上げられたKepler宇宙望遠鏡です。 地球上では大気の影響でデータに誤差が乗ってしまいますが、宇宙に出てしまえばほぼ真空の世界なので、より精度の高いデータを得ることができます。Kepler宇宙望遠鏡はこの利点を活かし、地球上の望遠鏡では成し得なかった、より小さな惑星の探索を行いました。 そして打ち上げからわずか数年、Kepler宇宙望遠鏡によって衝撃的な結果が次々と報告されることになります。 まず驚くべきは、その発見数です。あっという間に数千個におよぶ惑星候補天体が発見され、2014年には700個あまりの惑星、2016年には1,300個あまりの惑星が、新たに系外惑星として追加されることになりました。それまで発見できなかった小さなサイズの惑星も、Kepler宇宙望遠鏡により大量に発見されていきます。ミニ海王星サイズ、スーパーアースサイズ、地球サイズ、いずれも発見数は数百個にのぼりました。 そしてさらに驚きだったのは、小さな惑星の方が発見数が多い、ということでした。データをもとに見積もってみたところ、なんと全惑星のうち1/3〜半分ほどが「地球型惑星」だということがわかったのです。

「Earth 2.0」と「地球の従兄弟」

そしてついに「その日」がやってきました。Kepler宇宙望遠鏡が、ハビタブルゾーンに地球型惑星を発見したのです。 「ハビタブルゾーン」(日本語では「生命居住可能領域」とよびます)とは、液体の水が惑星表面に存在できる領域のことを指します。すなわち、ハビタブルゾーンに位置する惑星では、生命の発生や進化が起きる可能性があります。こうした惑星のことを「ハビタブルプラネット」とよびます。 最初に発見された地球サイズのハビタブルプラネットは、Kepler-186fという名前の系外惑星でした。この惑星はサイズが地球とほぼ同じでしたが、中心星が太陽よりも暗い「M型矮星」という別のタイプの星でした。そこで、地球と似てはいるがヴァージョンが異なる、という意味を込めて「Earth 2.0」という名付けがされたようです。 [caption id="attachment_1533" align="aligncenter" width="500"]「Earth 2.0」こと Kepler-186f に生息する植物の想像図(クレジット:滋賀県立守山高校 下崎紗綾) 「Earth 2.0」こと Kepler-186f に生息する植物の想像図 (c) 滋賀県立守山高校 下崎紗綾[/caption] M型矮星は太陽よりも波長の長い赤色光で光っているため、この惑星上にもし植物が存在していたとすると、そうした光を吸収しやすい黒色の光合成色素を持っているかもしれません。 そして次に見つかったのが、Kepler-452bという名前の系外惑星です。今度は中心星は太陽と同じタイプの星でしたが、惑星自体が地球よりもやや大きい、いわゆるスーパーアースとよばれる惑星だったため、太陽系の親戚なんだけどもちょっと大きなお兄ちゃん、ということで「地球の従兄弟」という名付けがされたようです。 [caption id="attachment_1534" align="aligncenter" width="500"]「地球の従兄弟」こと Kepler-452b の想像図(クレジット:滋賀県立守山高校 藤田汐音) 「地球の従兄弟」こと Kepler-452b の想像図 (c) 滋賀県立守山高校 藤田汐音[/caption] スーパーアースは、強い重力で分厚い大気を保持する一方、深い海がほぼ全球を占めている「オーシャンプラネット」になる可能性が高いと予想されます。この場合、陸地はハワイのような列島の形で点在することになるでしょう。

「第2の地球」の発見へ向けて

これまで見てきたとおり、系外惑星についての研究・発見は、わずか20年あまりの間にすさまじい勢いで進展してきました。地球と瓜二つの惑星はまだ見つかっていませんが、この勢いを考えると、「第2の地球」の発見はもう間近だと言っても過言ではないでしょう。 これほどホットで刺激的な系外惑星の世界を、一部の研究者だけのものにしておくのはもったいない。もっと多くの人と、この興奮や感動を共有したい。そうした思いを込めて、私たちは京都大学のメンバーを中心に、系外惑星データベース「ExoKyoto」の開発を行いました。このデータベースは、一般の方向けの記事や解説と共にホームページにて公開していますので、ぜひご覧になってみてください。 「第2の地球」が発見された日、そして「地球外生命」が発見された日、我々人類の世界観・生命観は大きく揺さぶられることになるでしょう。 “その発見は単に全てを変えるのではなく、全てを一度に変えることになるだろう”(Jill Tarter, SETI) その素晴らしい瞬間を迎える日を、どうぞお楽しみに! 参考文献等
  1. E. V. Quintana et al., An Earth-Sized Planet in the Habitable Zone of a Cool Star, Science 344, 277 (2014)
  2. J. M. Jenkins et al., Discovery and Validation of Kepler-452b: A 1.6 R+ Super Earth Exoplanet in the Habitable Zone of a G2 Star, The Astrophysical journal 150:56 (2015)
  3. M. Mayor & D. Queloz, A Jupiter-mass companion to a solar-type star, Nature 378, 355 (1995)
  4. Jill Tarter, “Join the SETI search”, TED2009 (2009)
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文学のなかの〈恐竜〉を求めて(後編) https://academist-cf.com/journal/?p=1542 Tue, 04 Oct 2016 01:00:58 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1542 前編の記事では、ジェイムズ・ジョイスの作品で言及された「プレシオサウルス」のモデルと想定できる化石を追いました。後編ではその首長竜が「表現」として描き出される意味を、〈恐竜〉表象の系譜のなかで観察してみます。一つ断っておくと、プレシオサウルスは大型海棲爬虫類であり、「恐竜」(dinosaur)ではありません。ただ当時において、巨大な古生物を創造的に描き出す言説のなかでは、中生代に棲息していた恐竜や海棲爬虫類、翼竜は――19世紀中頃と比較的新しく造られた「先史時代の」という形容詞を伴って――"prehistoric monsters"という大枠で捉えられていました。"dino-fiction" (Allen A. Debus)という言葉もありますが、この記事では便宜的に、フィクションのなかに描かれた絶滅した古生物を総称して〈恐竜〉と表記します。

あらためてジョイスの小説の文章を引用しておくと、プレシオサウルスは以下のように描かれていました。"as one might have a vision of the plesiosauros[sic] emerging from his ocean of slime."とある箇所と、"emergent art"に注目します。

彼[スティーヴン]は青年にありがちな愛好家的な精神から芸術に関わったわけではなく、森羅万象の核心部へと突入を試みたのであった。彼は汚泥の海からプレシオサウルスが姿を現わす(emerging)のを見る人のように、人類の過去をじっと覗きこみ、生まれ出んとする芸術(emergent art)を垣間見たのだった。(Stephen Hero 33;強調は筆者)

19世紀後半から20世紀初頭の〈恐竜〉を登場させる物語のいくつかに特徴的なのは、〈恐竜〉がフィクションの空間内に出現する、テクストの表面に文字となって現われ出る瞬間への関心であり、これは特に比喩表現のなかで顕在的な傾向となります。一例として、ロンドン万博が開催された翌年の1852年から連載が開始されたチャールズ・ディケンズ(Charles Dickens)の『荒涼館』(Bleak House)の冒頭に出てくる獣脚類メガロサウルス(Megalosaurus)の描写を見てみます。ジョイスの蔵書目録にも見つかるとても有名な小説です(Ellmann 106)。『荒涼館』は〈恐竜〉文学ではまったくありませんが、英語圏の小説で最も早く恐竜に言及した例として頻繁に取り上げられます。重要なことに、文学史上において記念すべき〈恐竜〉は現われ出るだけの存在なのです。

ロンドン。ミクルマス開廷期もようやく終わり、大法官はリンカーン法曹院の大法官裁判所にいる。十一月の容赦のない天候。街の通りは、洪水がつい今しがた地球の表面から退いたかのように泥に覆われており、仮に体長四十フィートほどもあるメガロサウルスが、とてつもなく巨大なトカゲ(elephantine lizard)のようにしてそのホウボーン・ヒルをのしのしと登ってくるのに出会っても不思議(wonder)ではあるまい。(ディケンズ『荒涼館』)

メガロサウルスの出番はこれだけで、そのあとにふたたび言及されるわけではありません。また実際にその現場に現われ出るのではなく、想像された「ヴィジョン」のなかに現われ出るだけです。ジョイスのプレシオサウルスも同様に「生まれ出んとする芸術」(emergent art)の比喩として、ヴィジョンのなかの汚泥の海から「現われ出て」(emerging)きます。両者とも、死んで乾いた化石ではなく、生きて濡れた身体を与えられ、形定まらぬ泥のなかから出てくるのです。繰り返せば、ディケンズのメガロサウルスとジョイスのプレシオサウルスは現われ出るだけの存在ですが、つまりその描写には「生身の身体を実際に見ることの驚異」が前提とされています。

〈恐竜〉が現われ出ることを描き出すという問題は、フィクションにおける彼らの生息地の問題と合わせて検討する必要があります。〈恐竜〉を主要な関心事項として登場させる初期の物語は、頻繁に地球空洞説と恐竜生き残り説をもとにしながら、inaccesibleやforbidding と形容される洞窟や湖の底、人里離れた未開の地など、文明社会による接近が困難な場所を活用し、登場人物にとって想定外の領域に、異形の身体をもった絶滅したはずの古生物を放ちました。しかしタイムマシン技術によって中生代の時空への移動が可能になり、遺伝子編集技術によって専用の恐竜パークが用意されると、〈恐竜〉が棲息していることはもはや想定済みとなり、想像を絶する未知の身体がぬっと現われる「よもやの空間」は雲散霧消していくことになります。初期の物語に登場する〈恐竜〉は、爬虫類のイメージや、その身体が濡れていたり、湿っていたりすることが強調されますが、それは彼らが棲むフィクションの空間が、文明の手が及んでいない、濡れた未踏の地である舞台設定とも関連しています。

〈恐竜〉表象の研究で『荒涼館』の次によく引き合いに出される作品が――厳密な意味での「恐竜」は登場しませんが――ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)の『地底旅行』(1864年)です。『地底旅行』に対して指摘されるさまざまな影響源の一つには、直前の1863年に出版されたルイ・フィギュエ(Louis Figuier)の『大洪水以前の地球』があります。同書には画家エドゥアール・リウー(Édouard Riou)が寄せた、イクチオサウルスとプレシオサウルスが相まみえる場面を描いた挿絵があり(図1)、『地底旅行』の(同画家によって最初に挿絵が加えられた)1867年版にも、筏を後景にしながら、前景部でやはりその両怪物が互いの首を噛むイメージが提供されています。

[caption id="attachment_1543" align="alignleft" width="363"]001 図1 大海原で相まみえるイクチオサウルス[左]とプレシオサウルス[右]の構図(Édouard Riou, “Ideal landscape of the Liasic Period.” Figuier, 1866, Plate XV)[/caption]

イクチオサウルスに対してプレシオサウルスを比較する分析や構図自体はすでに命名の時点である1820年代から存在していますが、空想科学小説に分類されうる文学作品のなかでは、『地底旅行』における両怪物の描写は先史時代の動物同士の戦闘を描いた最初の例とされます。この対決の構図に関して、アラン・デビュース(Allan Debus)が、19世紀の古生物表象を蒐集したマーティン・J・S・ルートヴィック(Martin J. S. Rudwick)の『ディープタイムの景色――先史世界に関する初期の絵画表象』の研究成果を借りながら述べた指摘は、ジョイスのプレシオサウルス表象を考える上でも重要なものとなるでしょう――

「ちょうど【著名な古生物画家】チャールズ・ナイト(Charles Knight)が1906年の画期的な復元図に描いたティラノサウルスとトリケラトプスの対決構図のように、1860年代までにはプレシオサウルスと戦うイクチオサウルスの描写はすでに視覚的なクリッシェになっていたようである」(30; リンクによる補足は筆者)

ここまで、1860年代にはプレシオサウルスの視覚像が絵画的表象の世界で浸透していたこと、また1870年代にはダブリンの自然史博物館で、1890年代には同館の「化石ホール」でその化石を見ることができたことを確認してきました。すると今や、20世紀初頭に描かれた「彼は汚泥の海からプレシオサウルスが姿を現わすのを見る人のように」という一文は、決して気まぐれな表現ではなく、先行する〈恐竜〉表象の系譜のなかにありつつ、当時のジョイスを取り囲む「現在」を反映した重厚な歴史の鱗をまとった一行だと見えてきます。ジョイス研究の枠内では引き続き、「プレシオサウルス」が主人公の生のあり方や芸術観とどのように関連しているかを検証し、さらにはジョイスの古生物への関心を考察する必要があるでしょう(『ユリシーズ』ではマンモスやマストドン、ディプロドクスやイクチオサウルスへの言及があります)。

文学のなかの〈恐竜〉については例えば、図説・絵画・映画における視覚的表象、小説や詩作品におけるヴァーバルな〈恐竜〉、実証科学とは相容れない特別創造説や地球空洞説との関連、未確認動物学(Cryptozoology)への関心、崇高の美学と巨大なものへの傾倒、米国における化石戦争、博物館と展示文化、西欧植民地主義における知と地のフロンティア、19世紀以降の洞窟探査熱と洞窟学(speleology)の誕生、近代兵器による殺戮の方法....等々、多元的な観点からの研究が可能です(そしておそらく最も難しいアプローチには、当時の/最新の地質学的・古生物学的観点からの乖離の考察が挙げられるでしょう)。プレシオサウルスについては、大型海棲爬虫類の物語の枠組みでその言説を論じることができます。例えば『スティーヴン・ヒアロー』の執筆がはじまる直前の1903年に、エドウィン・J・ウェブスターという作家によって「プレシオサウルスの討伐」という、現代からすれば些か奇妙な短篇が描かれています。やはり地球空洞説と〈恐竜〉生き残り説を利用しながら、中央アフリカ奥地を踏破する植民地探検隊の一行が遭遇した「湖の悪魔」たるプレシオサウルスを、人間の狡知とダイナマイトの力で殺戮するプロットをもつ物語です。そのプレシオサウルスは象を水中に引きずりこんだり、人間を巨大な顎で食い殺したりと、現在のポピュラーカルチャーで与えられている比較的穏やかなイメージとは対照的な「凶悪な」性格をもつ動物として描かれているのです。『ユリシーズ』に登場するAEことジョージ・W・ラッセル(George W. Russell)も1907年にある雑誌のなかで、プレシオサウルスを「かつて原始の時代の汚泥に身を潜めていた獰猛な人食い動物」("the ferocious man-devouring creatures which once wallowed in the primordial slime")(強調は筆者)と呼んでいますが、これらは文学のなかの〈恐竜〉を考えるという意味では絶好の素材ですから、ぜひ近いうちにそれぞれを翻訳をしてみたいと考えています。

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上記はあくまで私の方法論であり、プレシオサウルスを論じる上では、別の方法論が数多くあるでしょう。しかしいずれのアプローチにせよ、文学研究には、たった一行を、あるいはたった一語を精察するだけで、洞窟のような穴がテクストの表面に無数に現われて、それらが互いに、不意に、奇妙につながっていき、やがて広大な地下空間に遭遇するかのような、圧倒的な知的興奮を味わえる体験が存在します。決して事寄せた比喩ではなく、その洞窟には膨大な記憶や歴史、文化、言説が今も誰にも発見されず眠っています。まだまだ分からないことがたくさんあるのです。だからこそ今後文学研究を志す方や、大学において文学科の選択や院進に悩んでいる方に一つだけメッセージを向けます。ぜひ「やり尽くされた」ということばを信じないでください。現在は昔と違って数多くの一次資料や希少文献が利用でき、その可能性は無尽蔵です。一次資料だからといって信頼できるわけではなく、反対に論証すべきことが増殖するわけですが、これまで埋もれていたもの、大きな何かに抑圧されていたものがようやく発掘可能になったのです。瑣末にみえる事物や何でもない片言に、想像を絶するほど膨大なリアリティが、どうにもわからないことが、未知のものが、理解不能なものが、あるいは〈驚異に満ちた恐竜〉が未だ発掘されずに残っています。今、文学研究は最も面白い時代に突入しようとしています。

最後になりますが、2014年から現在まで専修大学で全学部を対象とした「英語圏文学への招待」という講義科目を担当しています。同講義では恐竜も含め、文学と動物をめぐる内容を扱ってきましたが、現在の私の研究は受講者たちが授業時に示した熱意と強い関心によって一部支えられています。この記事を執筆する上で、受講者全員にあらためて感謝を申し上げたいと思います。

引用・参考文献 藤子不二雄『ドラえもん』第6巻〈てんとう虫コミックス〉小学館、1966年 Budgen, Frank. James Joyce and the Making of Ulysses, and Other Writings. Oxford: Oxford UP,1972. Debus, Allan. Dinosaurs in Fantastic Fiction: A Thematic Survey. Jefferson: McFarland, 2006. Dickens, Charles. Bleak House. Eds. George Ford and Sylvère Monod. New York: W. W. Norton,1977. Figuier, Louis. The World before the Deluge. New York: D. Appleton & CO, 1866. Ellmann, Richard. The Consciousness of Joyce. New York: Oxford UP, 1977. Rudwick, Martin J. S. Scenes from Deep Time: Early Pictorial Representations of the Prehistoric World.Chicago: Chicago UP, 1992.

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古代魚「ポリプテルス」で遺伝子と細胞の進化の謎に迫る! - 遺伝子重複はサカナのカタチに影響を与えるのだろうか? https://academist-cf.com/journal/?p=1557 Thu, 08 Sep 2016 01:00:15 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1557 古代魚「ポリプテルス」で遺伝子と細胞の進化の謎に迫る! 今回の挑戦者は、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻の神田真司准教授です。神田准教授は、遺伝子重複がサカナのカタチに与える影響を明らかにするべく、研究を進めています。 [caption id="attachment_1558" align="aligncenter" width="500"] 神田准教授の研究対象である「ポリプテルス」[/caption] 私たちヒトを含んだ脊椎動物は、全遺伝情報が2倍になる「全ゲノム重複」を3回経験したと言われています。それぞれの全ゲノム重複は、1R、2R、3Rと呼ばれ、1R、2Rは無顎類の出現以前に、3Rは食卓にのぼる「サカナ」の大半を占める真骨魚類に起きたと考えられています。 重複した遺伝子では、片方の遺伝子がその機能を失う確率が高く、遺伝子数そのものは時間とともに重複前と同程度に落ち着きます。しかし、一度は遺伝子が二倍に増えることになるため、進化の自由度と許容度は上がり、結果的にゲノム配列に大きな変化が生じたのではないかと考えられています。それでは、遺伝子の進化速度が増加することで、サカナのシステムやカタチはどのような影響を受けるのでしょうか。 神田准教授は、この疑問を明らかにするため、3Rが起きる前に分岐した古代魚「ポリプテルス」と、起きた後に出現した「バタフライフィッシュ」の持つ2つのホルモン「濾胞刺激ホルモン(FSH)」と「黄体形成ホルモン(LH)」に着目しました。これらのホルモンは、祖先型の脊椎動物では同じ細胞から作られているのですが、真骨魚類では別々の細胞から作られていることが知られています。そこで今回、FSHとLHを別の細胞が発現するようになるタイミングが(1)条鰭類と肉鰭類の分岐の影響なのか(2)3Rの影響なのかを調べようと考えました。 fig2 今回のクラウドファンディングでは、遺伝子配列を決めるための試薬代等を募るとともに、現段階では全く役に立たなくても、100年後には何の役に立つのかわからないような基礎科学の魅力を幅広く発信することを目指します。 支援者の方々は、研究報告レポート(1000円)や、academist限定・3Rを表現したTシャツ(5000円)、サイエンスカフェ参加権(10000円)などのお礼を受け取ることができます。 【募集期間】2016年9月08日〜2016年10月28日 【支援サイト】academist(アカデミスト)]]> 1557 0 0 0 ナノサイズの職人技で強い有機ナノチューブをつくる!- 有機分子を自由自在に操る手法とは https://academist-cf.com/journal/?p=1574 Thu, 15 Sep 2016 01:00:12 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1574  

ナノチューブって?

「チューブ」と言われて真っ先に思い浮かぶものは何でしょうか? 身近な例だとストロー、ホース、パイプ、水道管、Youtubeなど沢山あります。チューブとは、中が空洞の「筒」や「管」のことであり、血管やテレビのブラウン管、地下鉄のトンネルなども立派なチューブです。いずれも、中に何かを入れて保存したり、液体やガス・電気を流したり、運んだりすることで、生活を豊かにするために古来より使われています。そしてこのチューブを目に見えないくらい小さいナノメートルサイズ(1ナノメートル=0.000000001メートル)まで小さくしたものが、「ナノチューブ」です。ナノチューブと言えば、次世代炭素材料として世界中の研究者を魅了しているカーボンナノチューブが有名かと思います。

[caption id="attachment_1575" align="aligncenter" width="500"]fig1 いろいろな大きさの身近なチューブ[/caption]

一方、カーボンナノチューブの親戚とも言える分子に「有機ナノチューブ」があります。有機ナノチューブはその名のとおり、有機分子でできたナノメートルサイズのチューブです。

有機ナノチューブの魅力は、構成している有機分子の設計次第で、チューブの大きさや機能を自由自在に調節できるところです。たとえば、ある特定の分子やイオンだけを選択的に取り込むことが可能であったり、チューブ自身が電気を流す性質を帯びていたり、蛍光を発したり……と、有機ナノチューブはさまざまな特徴を持ちます。これらの性質を利用することで、有機ナノチューブは細胞膜のイオンチャンネンルやドラッグデリバリー材料、導電性材料、太陽電池の材料などに応用できるのではないかと期待されています。身近なメートルサイズ~マイクロメートルサイズのチューブと違い、これらナノチューブの性質・機能が生まれる理由は、分子自身の相互作用や電子の及ぼす影響がチューブの性質・機能に如実に現れてきた結果であると言えます。

[caption id="attachment_1576" align="aligncenter" width="500"]有機ナノチューブとその応用例 有機ナノチューブとその応用例[/caption]

有機ナノチューブの合成

では、どうすれば有機ナノチューブを合成できるでしょうか? ホースやトンネルのように、人の手で直接さわってチューブを作ることはできません。そこで、有機分子を扱う有機化学の力を使います。有機分子自体は、比較的簡単に設計・合成できるので、あとは合成した分子をいかにしてチューブ状に組みあげるかが鍵となります。もちろん分子を直接つかんだりすることはできませんので、分子が勝手に集まってチューブ状に組みあがるように仕組んでおきます。このように、分子がさまざまな相互作用によって集まり、ある規則的な構造になることを自己組織化と呼びます。

以下の図では、有機ナノチューブのいくつかの合成方法を示しています。水にも有機溶媒にも解ける両親媒性分子が自己組織化してできるもの、リング状の分子が縦に自己組織化してできるもの、扇形の分子が自己組織化してできるものなどさまざまです。これらの分子同士には、水素結合や疎水性相互作用、π―π相互作用などの力が働いています。いずれも弱い相互作用であるため、できる有機ナノチューブは「弱く」つながっている状態です。これらの弱い結合は、溶媒や温度、pHといった外部環境によって容易に切れてしまうので、当然有機ナノチューブ自体はもろくなってしまいます。

[caption id="attachment_1577" align="aligncenter" width="500"]有機ナノチューブの合成方法。有機分子が勝手に集まる性質(自己組織化)を利用してチューブ構造を作るが「弱く」つながっているため構造的に弱い。 有機ナノチューブの合成方法。有機分子が勝手に集まる性質(自己組織化)を利用してチューブ構造を作るが「弱く」つながっているため構造的に弱い[/caption]

有機ナノチューブのさまざまな材料への応用を考えたとき、より強い構造の方がより都合が良いと考えられます。たとえば、軌道エレベーターのワイヤーにも使えるのではとささやかれているほど強靭さが有名なカーボンナノチューブを例にとると、すべての炭素原子同士が共有結合でつながっていることに気づきます。単純に考えれば、有機ナノチューブを構成している有機分子同士についても、水素結合や疎水性相互作用などよりはるかに強い「共有結合」で繋げることができれば理想的です。しかしこれまでは、有機ナノチューブ内で都合よく共有結合を作る方法はありませんでした。

[caption id="attachment_1578" align="aligncenter" width="500"]より“強い”共有結合で固められた有機ナノチューブ より“強い”共有結合で固められた有機ナノチューブ[/caption]

 

らせんからチューブへ:helix-to-tube法の開発

ここで今一度、私たちの身のまわりの生活における「チューブ・筒・管」の作り方を考えてみたいと思います。

  1. 型に材料を流し込んで固める・押し出す:ホース、鉄パイプ、ストロー、マカロニ
  2. 中をくり抜く・穴をあける:トンネル、竹筒、
  3. 平たいシート状のものを丸めてつなげる:お茶筒、ストーブの金属性煙突
  4. らせん状に丸めて固める:トイレットペーパーの芯、陶芸(ひも作り)

たしかに! と思うものばかりで、いずれもチューブの壁はきちんと繋がった強い構造をしていますよね。これら身近なチューブの作り方をナノメートルの分子の世界に当てはめるとどうなるでしょうか?

  1. 例はあるが、そもそもそのような都合のいいナノメートルサイズの型が少ない・分子構造を精密に制御できない。
  2. 土を掘るような感覚の分子技術は未発達。ゴミも大量にでるので問題。
  3. ナノメールサイズのシート(例えばグラフェン)は丸まるよりシート同士が重なる方が有利。この手法も非現実的。
  4. らせん状の高分子は比較的簡単に合成が可能。あとはらせんを共有結合でつないで固めることができれば……

ということで、あくまで私たちの意見ですが、4の方法が一番可能性があるのではないかと考えられます。そこで私たちは、4のらせん状の高分子から有機ナノチューブを作る方法をその名の通り“helix-to-tube”法と名付けました。上記に述べたように、トイレットペーパーや絨毯などを巻きつけておく芯、陶芸におけるひも状の粘土を巻いて作るコップや容器など、日常生活ではあらゆるところでhelix-to-tube法が使われています。また、らせんとチューブは切っても切れない縁で、作るのが簡単、チューブの強度の増強ができるなどの利点があります。しかし、分子の世界ではhelix-to-tube法で有機ナノチューブを作ったという例はこれまでにありませんでした。

[caption id="attachment_1579" align="aligncenter" width="500"]fig5 Helix-to-tube法の概念図とこの方法を利用した「チューブ合成」の身近な例。左下から、らせんからできているトイレットペーパーの芯、筆者が以前に陶芸でひも状の粘土を巻いて作ったカーボンナノチューブ型陶器、らせん状のワイヤーが仕込まれているホース、シンガポールにあるらせん型アーチの橋[/caption]

そこで私たちは、分子の世界でのhelix-to-tube法の開発に乗り出しました。まず、ベンゼン環とアルキン(炭素ー炭素三重結合をもった分子)を適切な位置に組み込んだ高分子poly-PDEを設計しました。また、このpoly-PDEが有機溶媒に溶けやすくなるように、エチレングリコールと呼ばれる側鎖とらせんを形成させるためにアミド基とよばれる置換基をつけています。このアミド基は、縦方向に隣り合うアミド基同士で水素結合を形成しており、らせんを安定化する「仮止めテープ」の役割を果たしています。

[caption id="attachment_1580" align="aligncenter" width="500"]らせん高分子poly-PDEの構造式と分子設計(Hideto Ito & Kenichiro Itami et al. J. Am. Chem. Soc. 2016, 138, 11001より改変) らせん高分子poly-PDEの構造式と分子設計(Hideto Ito & Kenichiro Itami et al. J. Am. Chem. Soc. 2016, 138, 11001より改変)[/caption]

実際にpoly-PDEは、固体状態でもクロロホルムなどの有機溶媒に溶かした状態でもらせん状になっていることがわかりました。これらは、紫外可視吸収スペクトル測定、円二色性スペクトル測定、X線回折、原子間力顕微鏡などを用いて確かめています。

あとは最大の難関である、共有結合をつくって「らせんを固める」を行うことです。共有結合をつくる反応は沢山ありますが、今回は光を照射してアルキン同士をつなげる反応「トポケミカル重合」を行いました。これはアルキン同士が適切な距離と角度で存在するときに光を当てるだけで進行する固相重合反応の一種です。特別な試薬などは必要とせずに光照射だけで共有結合が作れるので、helix-to-tube法にはとてもうってつけでした。実際に、クロロホルム溶媒に溶かしたpoly-PDEや固体状態のpoly-PDEに光を照射するだけで、共有結合性で固定化された希望の有機ナノチューブができあがりました。

目に見えない世界ですので、「本当にできているの?」と思うかもしれません。これらはさまざまな分光学的手法で明らかにしていますが、透過型電子顕微鏡(TEM)という装置を使うと、下図(右)のように、実際にナノメートルサイズの有機ナノチューブができていることがわかりました。Helix-to-tube法が現実のものとなったことで、理論上ではさまざまな大きさや機能をもった一連の有機ナノチューブ群網羅的に合成できる可能性があります。将来的には、本手法で作られた有機ナノチューブが導電性材料や分子認識材料などで活躍する日がくるかもしれません。

[caption id="attachment_1581" align="aligncenter" width="500"]fig7 poly-PDEに光を当てて共有結合を形成して有機ナノチューブを合成。右下はTEM観察によるチューブの画像(Hideto Ito & Kenichiro Itami et al. J. Am. Chem. Soc. 2016, 138, 11001より改変)[/caption]

 

おわりに

今回、目に見えないナノメートルの分子の世界で「チューブ」を作る新しい方法「helix-to-tube法」を紹介しました。この研究結果は最近アメリカ化学会の最高峰であるJournal of American Chemical Society誌に掲載され、雑誌の表紙を飾るなど幸いなことに大きな反響呼んでいます。

[caption id="attachment_1582" align="aligncenter" width="500"]fig8 J. Am. Chem. Soc.誌の表紙を飾った筆者らの”helix-to-tube法”の論文[/caption]

“Construction of Covalent Organic Nanotubes by Light-Induced Cross-Linking of Diacetylene-Based Helical Polymers”  

Hideto Ito & Kenichiro Itami et al. J. Am. Chem. Soc. 2016, 138, 11001. DOI: 10.1021/jacs.6b05582

細かい化学の知識などはさておき、helix-to-tube法による作り方は私たちの身の回りのチューブの作り方とよく似ていることがわかります。あたかも実際に手で触って望みの分子の形を自由自在に作る、そんな科学技術がこれからも発展していくことを期待しています。

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学術研究とおカネの関係について考える「academist シンポジウム Vol.1」を開催しました! https://academist-cf.com/journal/?p=1595 Wed, 14 Sep 2016 01:00:22 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1595 academist シンポジウム Vol.1 」をカクタスコミュニケーションズ社にて開催しました! 以下の4名の若手研究者と一緒に、学術研究とおカネの関係について考えました。 ・榎戸 輝揚 氏:京都大学白眉センター/宇宙物理学教室 特定准教授 ・岡西 政典 氏:茨城大学理学部 助教 ・塚原 直樹 氏:総合研究大学院大学学融合推進センター 助教 ・堀川 大樹 氏:慶應義塾大学先端生命科学研究所特任 講師 当日のリアルタイムの様子は、Togetterにまとめられているので、コチラをご覧ください!ちなみにハッシュタグは、#academist_sym です。 [caption id="attachment_1599" align="aligncenter" width="500"]%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%88%e3%83%ad 第1回はカクタスコミュニケーション社さんに会場を提供していただきました[/caption] 第1部の前半では、4名の研究者のプレゼンテーションが行われました。榎戸さん、岡西さん、塚原さんからは、天文学、分類学、動物行動学に関するクラウドファンディング(CF)体験談と進捗状況について、堀川さんからは、ブログクマムシ研究所で研究費を募る取り組みについてご紹介いただきました。 また休憩時間には、「カラスと対話するドローンを作りたい!」でCFに挑戦された塚原さんの研究の一環として、カラス肉がふるまわれました。当日のツイッターのタイムラインが最も盛り上がった瞬間でもあります(笑)。 [caption id="attachment_1600" align="aligncenter" width="500"]試食会でふるまわれたカラス肉 試食会でふるまわれたカラス肉。みなさん、お味はいかがでしたでしょうか?[/caption] 第1部の後半では、研究者たちとパネルディスカッションを行いました。それぞれの研究分野における科研費や民間助成金のメリット/デメリットや、CFやブログで資金を募ることの特徴について、詳しくお話いただきました。 50分間の意見交換を通じて、インターネットを用いた研究推進のキーワードは「コミュニティ形成」ではないかという話に落ち着きました。CFで支援していただいた方々や、クマムシ研究所のような近い興味を持つ方々と継続的に情報交換できれば、新しいアイデアが誕生する機会が増え、それらを形にできる可能性も広がります。コミュニティができれば、CFのような資金だけではなく、特定の技能を持つ異分野の研究者や、研究内容に興味を持つ一般の方々からのサポートを募ることもできるはずです。現段階ではそこまで規模は大きくありませんが、5年後、10年後には、それぞれのコミュニティを基盤とした「オンライン研究所」が当たり前のような存在になるのかもしれません。 [caption id="attachment_1602" align="aligncenter" width="500"]4名の登壇者の方々に体験談をお話いただきました 4名の登壇者の方々にこれまでの体験についてお話いただきました[/caption] パネルディスカッション後は、第2部の懇親会が行われました。振り返ってみると、合計6時間という長丁場でしたが、最後の最後まで分野や立場を超えた交流が活発に行われていました。 [caption id="attachment_1601" align="aligncenter" width="500"]%e9%9b%86%e5%90%88%e5%86%99%e7%9c%9f 第1部終了時の集合写真[/caption] academist シンポジウム、次回も開催予定です。お楽しみに!]]> 1595 0 0 0 細胞分裂で色が変わる大腸菌を作りたい! - 東大の学生チームによる研究費クラウドファンディングの挑戦 https://academist-cf.com/journal/?p=1609 Mon, 12 Sep 2016 09:00:24 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1609 細胞分裂で色が変わる大腸菌を作りたい! iGEMとは、世界中から200弱ものチームが参加する、合成生物学の国際大会です。遺伝子パーツを新たに作成したり組み合わせたりすることで、細胞に新たな機能や性質を導入し、その独自性、 工業的有用性、科学的価値などを競います。今回、iGEM UT-Tokyoは、今年の秋にボストンで開催されるiGEM 2016年大会に向けて、「細胞周期が一周するごとに遺伝子の発現が変わるような大腸菌」を作成することで、金メダルの獲得を目指しています。 2016%e9%9b%86%e5%90%88%e5%86%99%e7%9c%9f1 企業や大学からは、研究に使う試薬等の支援を得ることはできるのですが、チーム登録費や渡航費などの金銭的支援を受けることはできません。これまでは、チームのメンバーがアルバイトなどをしてこれらの費用を捻出してきたのですが、その時間をできれば研究に費やしたい!とメンバーたちは考えました。そこで今回、研究費や登録費、渡航費を募るためクラウドファンディングの挑戦を決めました。 支援者の方々は、研究報告レポート(1000円)や、iGEM UT 2016 オリジナルTシャツ(5000円)、サイエンスカフェ参加権(10000円)などのお礼を受け取ることができます。 [caption id="attachment_1611" align="aligncenter" width="500"]1000 光る大腸菌が写っている画像[/caption] 【募集期間】2016年9月09日〜2016年10月29日 【支援サイト】academist(アカデミスト)]]> 1609 0 0 0 「分子を世界で一番"ぶっ壊せる"人になりたい」 - 早稲田大・山口潤一郎准教授 https://academist-cf.com/journal/?p=1892 Fri, 23 Sep 2016 01:00:07 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1892 Chem-Station」を運営されている今とてもホットな有機合成化学者が、この春より早稲田大学で研究室を主宰する、山口潤一郎准教授です。

合成化学者としての山口准教授

 —山口先生の有機合成研究といえば、2015年にNature Chemistry誌で発表されていた「6置換ベンゼン」の研究がとても印象的でした。 [caption id="attachment_1898" align="aligncenter" width="500"]001 ベンゼンは6つの炭素がπ結合でつながった六角形の分子で、それぞれの炭素に「置換基」と呼ばれるさまざまな分子を結合させることができる。異なる置換基をベンゼンに結合させることで、多様な分子が生み出される[/caption]   dsc05748私は最初、医薬品や生物活性物質を作るために、硫黄原子や酸素原子を含んだ「ヘテロ芳香環」と呼ばれる環状分子を使った有機合成を行っていました。昨年まで名古屋大学で研究をしていたのですが、そこでお世話になっていた伊丹健一郎先生が、「ベンゼンにいろいろなアリール基(置換基のひとつで、ベンゼン環の構造を持つものも含まれる)をそのままくっつけられたら面白い」という案を持っていて、私もそういうカッコいい分子を作ってみたいと考えていました。6つの異なるアリール基を持つベンゼン、すなわち「6置換アリールベンゼン」は、これまでにない化合物であるうえに、構造のバリエーションも無尽蔵でおもしろいと思ったからです。 じゃあ、どうやって作ろうかと考えたときに、これまで私が医薬品開発への応用に向けて研究していたヘテロ芳香環にさまざまなアリール基を結合する合成法と、大学の有機化学で習うとてもベーシックな付加環化反応である「Diels-Alder反応」を組み合わせるというアイディアを思いつきました。実際に合成してみたらとんとん拍子にうまくいったんです。 [caption id="attachment_1896" align="aligncenter" width="500"]002 一般的なDiels-Alder反応[/caption] —置換基を結合したベンゼンは非常に種類が多く、非対称な6置換アリールベンゼンを狙ったとおりに作り分ける合成法は、山口先生たちの成果が世界初だということですが、研究を進めるうえで何がポイントになっていたのでしょうか。 [caption id="attachment_1895" align="alignright" width="123"]003 チオフェンの構造[/caption] 私にしかできなかったと思うことは、6置換アリールベンゼンを合成する過程で、五角形の分子である「チオフェン」の構造をいったん壊し、これを材料にして六角形のベンゼン分子を作ったというところです。みんな、「チオフェンを壊すなんてありえない!」って言うんですよ、壊したらチオフェンがなくなっちゃうじゃないですか。チオフェンは機能性分子で、チオフェンはチオフェンとして役に立たせたいっていう考え方が一般的なんですよね。 [caption id="attachment_1894" align="aligncenter" width="500"]004 6置換アリールベンゼン合成のイメージ図[/caption] でも私はチオフェンを、硫黄原子を含むチオフェンとしてではなく、4つの炭素原子のユニットだと捉えているんです。これって、有機合成化学者の考え方……「ものをつくる人」の考え方だと思うんです。分子を解析する人も含め「分子をつかう人」だったら、分子を壊そうとは考えないですよね。チオフェンをぶっ壊そうなんて、誰も考えていなかった。私は化合物を炭素の数で考えて、骨格を「ガシャ」っと組み立てていくことが得意なので、チオフェンを”ぶっ壊す”ことを考えました。コロンブスの卵的な発想だったと思います。ここが一番のポイントだったのではないでしょうか。 研究室のWebサイトでも、「分子をぶっ壊す」ことを掲げていらっしゃいますよね。 [caption id="attachment_1899" align="aligncenter" width="500"]005 山口准教授のラボの目標(研究室Webサイトより)[/caption] 今までは、頑張ってつなげるというところ……自由自在に分子を組み立てることを目的にやってきたのですが、化合物が反応するためには、一度結合を切って、それから分子をつなげる必要がある。つなげるところばかりをやっていてもダメで、切らなければならないんです。そして、どうせだったら何でも切りたい、何でもぶっ壊したいな、と。こういう考えがラボの目標である「分子をぶっ壊す」につながっています。 —研究者としての目標を教えてください。 私は、分子を世界で一番"ぶっ壊せる"人になりたいです。今まで人が切れなかったような結合を切って、何か面白いことをしたいと考えています。「あいつ、壊してる人でしょ」って言われたい……「破壊王」みたいな(笑)。もちろん分子をつなげるところもやりたいけど、それはほかの人たちもやっていることなので。「頭おかしいだろう」って思われるような研究もしていきたい。今すぐ役に立つようなものでなくても、いろんな意味で面白い分子を作っていきたいですね。

日本最大級の化学ポータルサイト運営者としての山口准教授

—山口先生は研究の傍ら、日本最大級の化学系ポータルサイト「Chem-Station」の運営もされていますよね。Chem-Stationを立ち上げられたきっかけについて教えていただけますか。 実は私、大学3年生のときに留年していて、時間を持て余していた時期があったんです。さすがに自分の身が危ういと感じて、勉強をしたり、英語を学んだり、資格をとったりしていたのですが、そのなかで一番面白かったのが有機化学でした。化学の勉強って、大学3年生くらいから面白くなってくるんですよね。 大学3年の後期に、当時の先生(現・東北大の林雄二郎教授)が有機化学のゼミを開いてくださり、そこで人名反応と呼ばれる化学反応が取り上げられていたのですが、それがとても面白かったんです。ゼミの復習をするために、その化学反応式を「Chem Draw」というソフトを買ってきれいに描いていたんですけど、せっかくなので、公開してみんなに見てもらおうと思ったのがChem-Stationを作ったきっかけです。 —当初は人名反応のデータベースのような形だったということですね。 当時はそういうものがまったくなかったので、「これは皆の役に立つのでは」と考えました。しかし、構想を練ったりWebの勉強をしたりするうちに、「せっかくだから、化学を知りたい人や、やってみたい人の玄関になるようなサイトにしたい」と思うようになり、総合化学サイトという方向にシフトしていき、今に至ります。 —現在、Chem-Stationの運営に関わっていらっしゃるのはどういう方々なのですか。 今は大学院生以上の人が多いです。アカデミックで研究しているメンバーもいますし、企業の研究者のメンバーもいます。一方で、若い学生が少なくなってしまっているのが悩みです。最近、「簡単な内容の記事をChem-Stationに掲載するなんて恐れ多い」というような声もでてきているようなのですが、「大学で化学科に入学して、こんなことをやっている」といった簡単な内容でも、私は全然かまわないと考えています。大学の研究室に入った時点で、世の中においてはすごくマイノリティです。そんなマイノリティな人が何かを書けば、それは物凄くユニークで、世の中にほとんどない、貴重なものになるはずです。 —Chem-Stationの運営をとおして、目指していらっしゃるのはどんなことでしょうか。 たくさんの人に化学を楽しんでもらえたらと思います。サイエンスは全部好きだけど、私はやっぱり化学が好きなので。特に、分子がでてくるような化学が……分子の構造が好きなんです。読者にとってそういうものがひとつでも出てくればどんな分野の化学でもいいので、そういった化学の楽しさをほかの人にも伝えていきたいですね。 dsc05746  
研究者プロフィール:山口潤一郎 早稲田大学理工学院准教授 2007年東京理科大学大学院博士課修了。博士(工学)。米国スクリプス研究所博士研究員を経て、2008年名古屋大学理学研究科助教となる。2012年同大学院准教授となり、2016年より現職。趣味はラーメン、マラソン、ダイビング、ウェブサイト運営など。化学の「面白さ」と「可能性」を伝えるために、今後の「可能性」のある学生達に,難解な話でも最後には笑って、「化学って面白いよね!」といえる研究者を目指している。化学ポータルサイトChem-Station代表兼任。  
6置換アリールベンゼン合成の論文 Nature Chemistry 2015, 7, 227-233. DOI: 10.1038/nchem.2174 花粉管活性化分子AMORの論文 Current Biology 2016, 8, 1091-1097. DOI: 10.1016/j.cub.2016.02.040  ]]>
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カイコで遺伝病は治療できるか - 徳島大・伊藤孝司教授が語るカイコ研究の最先端 https://academist-cf.com/journal/?p=2055 Mon, 03 Oct 2016 02:00:42 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2055 現在、「遺伝子組み換えカイコで「リソソーム病」の治療薬を作りたい!」でクラウドファンディングに挑戦中の徳島大学・伊藤孝司教授。最近、光るシルクなどで話題を呼んでいるカイコですが、いったいどのようにしてカイコから薬を創製していくのでしょうか。今回、academist Journalでは、伊藤教授の研究の現状と課題、最新の研究成果、創薬の実現へ向けたビジョンについて、インタビューを行いました。

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ーまずはじめに、「リソソーム病」について教えてください。

私たちの身体を構成する細胞の内部には、細胞内外から取り込まれた生体分子を分解する小器官「リソソーム」が存在しています。リソソームの内部には、70種類くらいの加水分解酵素が含まれており、各々の酵素はそれぞれ遺伝子からコードされてできています。もし、遺伝子に突然変異が起こってしまうと、酵素の活性が欠損してしまい、本来リソソーム内部で分解されるはずの生体分子が分解されなくなってしまいます。その結果、たとえば肝臓や脾臓が大きく腫れたり、心臓の心筋細胞に生体分子が溜まり心不全を起こしたりなど、さまざまな全身性の症状が現れてしまうのです。このような一群の病気を、リソソーム病と呼んでいます。

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ーということは、突然変異を起こした遺伝子を元に戻すことができれば、リソソーム病は根治できるというわけですよね。

そうですね。受精卵の段階で変異を持つ遺伝子を発見し、それを正常な遺伝子と入れ替えることができれば、原理的にはリソソーム病は根治できるはずです。先日、徳島大学でもブタのゲノム編集に成功するなど、遺伝子組み換え技術は日々進歩していますので、将来的には根本的に治癒が可能になるかもしれません。もちろんゲノム編集には、技術面や倫理面における課題もまだまだありますので、それだけに頼ることはできないのですが。

ー現在はリソソーム病はどのように治療されているのでしょうか?

これまでリソソーム病は不治の病とも言われてきたのですが、1990年代に入り「ヒトリソソーム酵素」を補充する酵素補充療法が臨床応用されるようになり、それが一定の実績を残しています。ただし、現在の酵素製造法では、1人の患者さんを1年間治療するのに3000万円程度かかってしまうため、すべての方が治療を受けられるわけではありません。そこで酵素を安く大量に、安全に作る方法はないかと考え、カイコに注目しました。

ーカイコに注目した理由を教えてください。

まず、日本にはカイコを大量飼育できる技術があるからです。カイコが2万頭程度あれば、1人の患者さんを1年間治療するのに必要な酵素をまかなうことができます。2万頭と聞くと、多いと思いますよね(笑) でも、昔はひとつの養蚕農家で50万頭ほどのカイコを飼育していた経緯があるので、実はそれほど多いわけではありません。カイコは飛ばないので逃げられることもなく、家畜化された昆虫として大量飼育しやすいんですよね。養蚕業は残念ながら低迷しているのですが、新しい高機能シルク(絹糸)、医療用タンパク質などを大量生産できる点は、生物として大変優れているように思います。

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次に、安全性の面からも、カイコが適しているのではないかと考えています。カイコには、ヒトに感染するウイルスやバクテリアなどの病原体が報告されていません。また、酵素には「糖鎖」が付加されているのですが、遺伝子組み換えカイコから精製した酵素には、昆虫の持つ特異的な糖鎖や糖残基が含まれていないため、患者さんに投与しても免疫応答が起こりにくいと予想できます。哺乳類の培養細胞にリソソーム酵素を大量に作らせるのはなかなか難しくて、コストもかかってしまうんですよね。

ー付加されている「糖鎖」には、何か役割はあるのでしょうか?

先ほどご紹介した酵素補充療法は、糖鎖の働きなしには実現しません。なぜなら、酵素に付加される糖鎖の末端に付加された「マンノース6-リン酸」というタグが患者さんの細胞表面で認識されることで、酵素が細胞内部に取り込まれ、リソソームまで運ばれていくからです。ただ、マンノース6-リン酸は、哺乳類の細胞で作られた酵素の糖鎖の末端には付加されているのですが、カイコを含めた昆虫の細胞由来の酵素には付加されていないんですよね。ですので、何かしらの技術で、糖鎖の末端にマンノース6-リン酸を付加してやることが必要です。最も単純な方法は、マンノース6-リン酸が付加された糖鎖を持つ酵素を発現する遺伝子組み換えカイコを作ることなのですが、昔からチャレンジしているものの、これがなかなか上手くいきませんでした。

しかし最近、「エンドグリコシダーゼM」という酵素を使う別の方法により、この問題を解決しました。この酵素は、糖鎖とタンパク質の結合部付近の構造を認識して切断したり、もともと付加している糖鎖と外から加えた糖鎖を挿げ替えたりする機能を持ちます。今回の場合で言えば、遺伝子組み換えカイコから精製したマンノース6-リン酸を持たない糖鎖が付加された酵素と、マンノース6-リン酸を持つ糖鎖、そしてエンドグリコシダーゼMの3者を混ぜ合わせることで、マンノース6-リン酸が付加された糖鎖を持つ酵素ができる、という理屈になります。そして先日、無事に糖鎖の挿げ替えに成功しまして、2016年9月の日本糖質学会で発表してきました。

プロジェクトページには、遺伝子組み換えカイコから精製したヒトリソソーム酵素が患者さんの皮膚の線維芽細胞で治療成果をあげたため、次なるステップとしてマウスを用いた実験を行うと書かれていましたが、両者の実験の違いはどのようなところにあるのでしょうか。

線維芽細胞を用いた実験では、患者さんの皮膚由来の線維芽細胞を実験室で培養し、投与した酵素が本当に生体分子を分解するのかということを調べました。ただ、あくまでも細胞の代謝機能などは人工的に維持しているものですから、それ以上のことはなかなかわからないんですよね。線維芽細胞の実験で、酵素の有効性を確認することはできたので、次のステップとしてマウスの実験を行うことになります。マウスの臓器に取り込まれた酵素が実際に生体分子を分解することができるのか? というようなことを調べていく予定です。

ーマウスを用いた実験が成功した場合、どのような流れで実用化につながっていくのでしょうか。

実はまだ、遺伝子組み換えカイコ由来の酵素が医薬品として使われている実例はありません。実際に医薬品として認められるには、薬として安全に使えることを保証するGMPグレードという基準を満たさなければならないのですが、それは大学だけでできることではないんですよね。ですので、たとえばベンチャー企業を作り、そこでGMPグレードを満たす薬を作って、実際に使えるようになった段階で大手製薬企業がその企業を買収し、実用化を目指していくという流れになるかと思います。最近では、アイデアから臨床試験までをシームレスにつなぐ仕組みを国が整備しており、まさにオールジャパンで進められている研究だと私は思っています。

ー実用化に向けて、まずはクラウドファンディングを成功に導きたいですね。

そうですね。日本の伝統である養蚕技術と、日本発の遺伝子組み換えと糖鎖工学技術、そして国のシステムを最大限に活かせるようにするためにも、まずはクラウドファンディングに成功して前進したいと思います。

伊藤先生のクラウドファンディング・チャレンジ、現在支援総額883,140円、達成率88%です。ぜひみなさんのご支援をお待ちしています!

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細胞内ではとっくに自動運転が達成されていた? - 線虫を用いた軸索輸送の研究 https://academist-cf.com/journal/?p=2063 Wed, 28 Sep 2016 02:00:39 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2063 神経細胞の軸索輸送とは? 私たちは神経細胞でものを考え、痛みなどの外の世界の刺激を感じ、身体を動かしています。この神経細胞は「細胞体」「樹状突起」そして「軸索」と呼ばれる3つの部分から成り立っています。神経細胞は、軸索の末端にあるシナプス小胞と呼ばれる袋に詰まった神経伝達物質を放出することで、他の神経細胞や筋肉に指令を出します。細胞体は、いわば工場のような役割を持っています。我々の社会で、工場で作られた製品が高速道路や鉄道で消費地まで運ばれるのと同様に、細胞体で作られたミトコンドリアやシナプス小胞のようなオルガネラは、軸索末端まで運ばれていきます。この現象は、軸索輸送と呼ばれます。このように、神経細胞の中には我々の社会と同じような仕組みがあると言えます。

細胞内の運び屋キネシンによる軸索輸送は自動運転

私たちの社会では、高速道路ではトラックが、鉄道では貨物列車が走り回って製品を輸送しています。このトラックや列車の役割を果たすのが、キネシンと呼ばれる生体分子モータータンパク質です。キネシンは、軸索の中にある微小管というタンパク質のチューブをレールにして、軸索の中を末端に向かって動きます。エネルギー源は細胞内にあるATPです。キネシンが動くのに必要な領域を、モータードメインと呼びます。キネシンは、モータードメインを使って微小管上を動き、尾部に荷物を載せることで軸索輸送をしているのです。キネシンは、1985年にイカを使って軸索輸送の研究をしていた研究者が発見しました。イカは軸索が太いので軸索輸送の研究に都合が良かったのです。1992年には、東京大学医学部の廣川信隆教授のグループが、ヒトを含む哺乳類には多数のキネシン遺伝子があることを発見し、キネシンスーパーファミリー(Kinesin superfamily:KIF)と名付けました。それぞれのキネシンの遺伝子にはKIF1A, KIF1B, KIF1C, KIF2A, KIF2B, KIF2C, KIF3A ・・・という具合に順番に名前がついています。今回主役となる上図のKIF1Aは、シナプス小胞の軸索輸送のためのキネシンです。 荷物を積んでいないKIF1Aが軸索内を走り回ってエネルギーを浪費することや、必要もないのに軸索末端に向かって大量のシナプス小胞を輸送することは、エコではありません。KIF1Aにはブレーキが備わっていて、このようなムダが起こらないように制御されています。しかしよく考えてみると、これはとても不思議なことです。人間社会ならば運転手が荷物がきちんと積まれたことを確認して出発します。「製品が足りないから大至急で輸送して欲しい」と依頼を受けた運転手が荷物を運ぶこともあるでしょう。しかし神経細胞内には運転手はいません。人間社会では21世紀になってようやく自動運転の実験が始まっていますが、細胞の中ではとっくの昔に自動運転が達成されていたのです。一体どのような仕組みになっているのでしょう?

線虫が軸索輸送の仕組みを教えてくれる

私はもともとマウスを使ってKIF1Aの研究をしてきました。しかし、シナプス小胞の軸索輸送に異常が起こったマウスは、呼吸のための筋肉を動かす指令がうまく出せず、呼吸困難が原因で生まれてすぐに死んでしまいます。このため、マウスを使ってKIF1Aによる軸索輸送の研究を進めるのは困難でした。そこで私は少し視点を変えて、線虫(C.elegans)という生き物を使って研究することにしました。 %e5%9b%b32 線虫は人間とほとんど変わらない神経細胞を持っていて、遺伝子組み換え実験を容易に行うことができます。そのため、線虫は神経細胞を研究するモデル生物として世界中で用いられています。線虫の軸索でもKIF1Aがシナプス小胞を軸索輸送しています。KIF1Aの機能が低下した線虫は、軸索末端のシナプス小胞が不足して動くことができなくなり、丸まったままになります(上図:中央)。しかし、この線虫は死ぬことはないので、解析が可能です。ちなみに、このKIF1Aの遺伝子が欠損した線虫に遺伝子組み換えで人間のKIF1A遺伝子を入れると、線虫は野生型と同じように運動できるようになります(上図:右)。このことから線虫も人間も軸索輸送の仕組みは同じであると言うことができます。

荷物の上にキーが搭載されていてKIF1Aのブレーキが解除される

私たちは毎日、2000匹くらいの線虫を顕微鏡で観察し、軸索輸送が低下している線虫や、逆に活発化している線虫の変異体を探しました。そして狙い通り、KIF1Aのブレーキ機能が壊れている線虫やKIF1Aのブレーキがうまく解除されない線虫を見つけることに成功しました。それらの変異体線虫で起こっている遺伝子の変異や軸索輸送の変化を解析した結果、シナプス小胞の上に載っているARL8という分子がKIF1Aのブレーキを解除することがわかりました。 %e5%9b%b33 ARL8自体はKIF1Aがシナプス小胞に結合するのに直接必要ありませんが、車のキーのような働きを持っていると言えます。これで荷物を載せていないKIF1Aがムダに走り回らない仕組みは説明できそうです。荷物となるシナプス小胞の上にKIF1Aのブレーキを解除するARL8というキーが搭載されているため、KIF1Aは荷物を載せない限りは走り出すことがないのです。 シナプス小胞が足りなくなったときに輸送が活発化する仕組みや、KIF1Aがシナプスでシナプス小胞を降ろす仕組みについては今まさに研究中です。これらの謎についても線虫が教えてくれそうです。

軸索輸送の交通渋滞と神経疾患

「KIF1Aが働かないと線虫は運動できなくなる」と書きましたが、人間で同じことが起こると先天性の神経疾患となります。KIF1Aのモータードメインに異常が起こるとシナプス小胞の軸索輸送が滞ってしまい、軸索末端のシナプス小胞が不足します。このため、四肢の麻痺、精神遅滞、感覚神経障害といった病気になります。KIF1Aがノロノロ運転になってしまうことで交通渋滞を引き起こし、正常な軸索輸送まで邪魔するケースもあります。 一方で、KIF1Aのブレーキが壊れた線虫では軸索輸送が過剰になってしまい、シナプス小胞の数やシナプスの位置、大きさなどに異常が起こっていました。今までに見つかっている人間の神経疾患の原因となるKIF1A遺伝子の異常の大部分は、上に述べたようにKIF1Aのモーター機能の低下です。しかし変異型KIF1Aの動き自体は正常にも関わらず、なぜか神経の異常が引き起こされているというケースがあります。「もしかしたら、そういう患者さんのKIF1Aはブレーキに何か異常が起こっているのではないか? KIF1Aが暴走を起こすことで問題を引き起こしているケースがあるのではないか?」と考え、現在解析を進めているところです。 参考文献 :Autoinhibition of a Neuronal Kinesin UNC-104/KIF1A Regulates the Size and Density of Synapses]]>
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葉のギザギザはどうしてできるの? - 近年注目される植物ペプチドEPFLから探る https://academist-cf.com/journal/?p=2069 Thu, 29 Sep 2016 02:00:32 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2069 葉のギザギザはどうしてできるの?

植物の「葉」と聞いて思い浮かべる物は、人それぞれだと思います。多くの人は、サクラ、カエデ、シソなど観賞用や食用の葉を思い浮かべるかもしれません。そしてその縁をよく見てみると、ギザギザになってはいないでしょうか。もちろん中には、ギザギザでない形の植物もあります。しかし、この鋸歯(きょし)と呼ばれる葉の縁のギザギザは、実に広範な植物種に見られます。タンポポの葉にも、コナラなどの木の葉にも、鋸歯があります。ヒイラギやアザミの鋸歯は固いトゲとなっていて、触ると痛い様子から魔除けの装飾に用いられたり、悲しみや痛みの象徴として神話に登場したりと、古来より人の関心を引いてきました。

この鋸歯が「どうして」存在するのかという疑問は、些細な疑問かも知れませんが、私には気になって仕方がない疑問のひとつです。この疑問には、二つの観点から答える必要があります。ひとつは鋸歯が存在することのメリット、もうひとつは鋸歯の形を生み出すしくみです。この両方とも、研究の前例はありますが、実は現在まで科学的に解明されてない点が多いのです。今回私の研究から、後者の鋸歯を生み出すしくみの一端がわかってきました。

EPFL2という物質がギザギザを作る

私と研究室の仲間たちは、EPFL(正式名称:EPIDERMAL PATTERNING FACTOR-LIKE)という物質の働きを知るための研究を続けてきました。EPFLとは、植物が持つペプチドの一グループで、最近見つかった物質ですが、非常に多くの植物にさまざまなEPFLが内在しています。シロイヌナズナという実験によく使われる植物では、互いに少しずつ異なる11種類のEPFLが内在することがわかっていました。しかし、存在はわかっていても、どんな働きをしているのかは一部のものを除いてあまりわかっていませんでした。

今回、シロイヌナズナのEPFLのうちのひとつであるEPFL2という物質の機能を知るため、EPFL2を作れない株(変異株)を作製して、普通の株(野生株)との違いが何か見られないか、詳しく観察しました。その結果、野生株の葉には鋸歯があるのに、変異株の葉は鋸歯の無い滑らかな形をしていることに気づきました。つまり、EPFL2はギザギザした形を生み出す働きがあるとわかりました。

[caption id="attachment_2089" align="aligncenter" width="500"]シロイヌナズナ野生株の葉(上)とEPFL2を作れない変異株の葉(下)。それぞれ右側に緑の拡大像を示してある。スケールバーは1mm シロイヌナズナ野生株の葉(上)とEPFL2を作れない変異株の葉(下)それぞれ右側に縁の拡大像を示してある。スケールバーは1mm[/caption]

EPFL2を受け取る分子(受容体)の発見

生物になんらかの影響を及ぼす物質は、ホルモンでも何でも、一般に「受容体」と呼ばれる分子によって受け取られて作用します。特定の物質には特定の受容体があり、必ずセットで働くので、その関係は言わば鍵と鍵孔です。EPFL2の受容体はわかっていませんでしたが、今回の研究でERf(正式名称:ERECTA family)という分子がEPFL2を受け取る受容体であることがわかりました。

このERfという受容体は、実は以前から知られていて、茎の背丈の成長や、ガス交換をする気孔の数を決める物質の受容体としても働くことがわかっていました。こうしたさまざまな効果のある異なる物質たちを、同じ受容体が受け取って、どうやって異なる現象を調節しているのか、現時点では不明です。もし今後、その仕組みを解明できれば大きな発見となるでしょう。

植物ホルモン・オーキシンとEPFL2の関係

生まれたばかりの1ミリメートルに満たない小さな葉は、楕円形に近い単純な形をしているので、縁の一部が大きく出っ張るように成長しなければ、縁のギザギザは作られません。このとき、出っ張りの先端にだけオーキシンという植物ホルモンが蓄積して、先端部以外(裾野部分)ではオーキシンが蓄積しないという濃淡が生じます。このオーキシンの濃淡がなければ出っ張らないことが知られていたのですが、濃淡がどういう仕組みで生まれているのかは、完全には解明されていませんでした。

今回、EPFL2とオーキシンの関係性を調べたところ、EPFL2はオーキシンの蓄積を抑える働きがあることがわかりました。EPFL2は鋸歯の先端部では作られず、鋸歯の裾野部分でのみ作られるため、そこでのオーキシンの蓄積を抑えていたのです。つまりEPFL2を作れない変異株では、オーキシンが裾野まで広く蓄積するために、鋸歯が出っ張れないことになります。

[caption id="attachment_2071" align="aligncenter" width="500"] オーキシンと鋸歯の成長の関係[/caption]

オーキシンとEPFL2の相互の抑制

ここまでの話を聞いて、では、EPFL2はどうして鋸歯の先端部では作られず、裾野部分でだけ作られるのか、と問いたくなるのが人情かもしれません。実際にこの疑問を追究したところ、面白いことにオーキシンがEPFL2の作られる場所を決めていることがわかりました。オーキシンが蓄積すると、そこではEPFL2が作られないという仕組みになっていたのです。このため、オーキシンが蓄積している場所とEPFL2を作っている場所は、丁度写真のポジとネガのように反対の関係になります。

[caption id="attachment_2072" align="aligncenter" width="500"] オーキシンの蓄積場所(左)とEPFL2が作られる場所(右)をそれぞれ青く染色(GUS染色)したもの。どちらも長さ約0.5 mmの小さな葉[/caption]

このように考えると、オーキシンの蓄積する場所を決める仕組みと、EPFL2を作る場所を決める仕組みは、「卵が先かニワトリが先か」という問題のようになっていて、どちらが先に決まるとも言い切れない関係にあります。しかし、このように二つの物質が互いの働きを抑え合うような関係性は、「フィードバック制御」と呼ばれるしくみの一種で、生き物の形作りや体内時計などさまざまな場面で働くしくみであることがわかっています。

葉のギザギザを作る仕組みを解明することの意味

今回発見したEPFL2が鋸歯のギザギザした形を作り出すしくみは、実験植物のシロイヌナズナを用いてわかったことです。また、EPFL2の受容体も今回ERfであると明らかになりました。この鋸歯を作り出すしくみがほかの植物でも同様に働いているかどうかは、今後さらに調べる必要があります。少なくとも、EPFL2と同様の物質や、受容体ERfと同様の物質は、シロイヌナズナだけでなく、トマト、マメ、イネなど食用の植物や、ポプラなどの樹木、シダ植物にも存在することがわかっています。ひょっとすると、シロイヌナズナよりももっとギザギザした複雑な葉の形や、触ると痛いトゲトゲの葉もEPFL2によって作られているのではないかと、私は期待しています。

EPFL2のさらに興味深い点は、ほかの植物ホルモンのように、人工的に合成して投与できると期待される点です。たとえば、盆栽や他の観葉植物など、見て楽しむ植物や、レタスや水菜などの葉野菜にEPFL2を投与して形を変えることができるかもしれないと思うと、夢が膨らみます。

今回のEPFL2の研究の話を見聞きした人が、ふと道端の葉を目にしたとき、「きっとEPFL2とオーキシンが働いてこんな形が出来たのかな」と想像してみたり、「将来、もっと違う形の葉っぱを人工的に作れたらキレイだな」と想像したりできれば、その人の暮らしを少しだけ豊かにできたのではないかと私は思います。この記事を機に、多くの人に私の研究を知ってもらえれば嬉しいです。

参考文献

A Secreted Peptide and Its Receptors Shape the Auxin Response Pattern and Leaf Margin Morphogenesis. Tameshige T, Okamoto S, Lee JS, Aida M, Tasaka M, Torii KU, Uchida N. Curr Biol. 2016 Aug 31. pii: S0960-9822(16)30765-5. doi: 10.1016/j.cub.2016.07.014.

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緑内障による失明を食い止めたい - 個別化医療への挑戦 https://academist-cf.com/journal/?p=2115 Wed, 05 Oct 2016 02:00:15 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2115 緑内障とは

緑内障は目と脳を繋ぐ視神経が障害を受け、視野が少しずつ見えなくなっていく病気です。40 歳以上の約 5%、70 歳以上では 10%以上が罹患し、現在失明原因の第一位の眼疾患となっています。人口の高齢化に伴い、本邦では緑内障による失明患者数が毎年増加しています。

[caption id="attachment_2116" align="aligncenter" width="500"] 緑内障は失明原因の第1位[/caption]

緑内障は、自覚症状で気づきづらい病気です。そのために、患者自身が病気を疑って眼科に来院することはほとんどありません。主には、検診やコンタクトレンズやメガネを作成する際に、偶然見つかることが大半であり、早期発見のためには検診を受けることが重要です。緑内障は眼底検査で視神経乳頭陥凹という特徴的な所見を契機に緑内障を疑われ、視神経乳頭の神経障害部位と視野欠損部位が一致し、脳や目の別の病気を認めていないときに診断されます。検診では、主には眼底写真により視神経乳頭陥凹の拡大所見がみられる場合に、緑内障疑いとして、精密検査に回っていただくことになっております。

[caption id="attachment_2117" align="aligncenter" width="500"]fig2 緑内障では視神経乳頭に陥凹が出来る[/caption]

緑内障の治療としては、眼圧下降が唯一証明されている有効な治療法です。現在では、20種類を超える眼圧下降点眼薬の中からまず一剤を使用し、目標値まで眼圧を下降させます。日本人の正常者の平均眼圧は14 mmHgであり、緑内障の視野障害の程度に従って、一般的には、初期緑内障では19 mmHg、中期では16 mmHg、後期では14 mmHgを目指します。緑内障と聞くと、眼圧が高いイメージがあるかもしれませんが、本邦では、眼圧が正常範囲内の正常眼圧緑内障が大半で、無治療時の眼圧を複数回測定して平均値を求め、治療によりその値の20~30%の眼圧下降を目標とします。点眼後まもなく眼圧下降が得られるので、目標の眼圧が得られるまで、複数の点眼薬を併用しながら対応します。しかし、点眼薬で目標の眼圧にまで眼圧下降を得られない場合には、レーザー治療や外科的治療を行って眼圧下降を行います。視野障害が進行しているか否かを評価するには、定期的に3〜6ヶ月おきに視野検査を行い、複数回の測定結果から視野障害の進行を判定します。進行と判定される場合には、さらに追加の点眼を行い、手術を計画することもあります。

緑内障による失明患者の増加

先に述べました通り、緑内障による失明患者数は毎年増加しています。その原因には、(1) 高齢者人口の増加、(2) 一度失われた神経は回復しない不可逆性、(3) 現在の治療の限界などが考えられています。

(1) 加齢が緑内障の危険因子であり、高齢者人口が増えると緑内障患者は増加します。

(2) 緑内障の不可逆性障害については、早期発見・早期治療が奏功します。最近我々の施設では、前視野緑内障という病期に注目しています。緑内障では、まず視神経乳頭陥凹の拡大が見られ、同時に網膜神経線維の欠損が見られます。これらの障害はゆっくりと進行するために、障害が軽度の場合には、まだ視野障害が検出されない時期があります。これが前視野緑内障です。視神経や網膜神経線維の障害部位と視野異常の部位が一致すること、また視野異常が慢性に進行することが緑内障の定義です。前視野緑内障は視野異常がないため、緑内障として治療にあたるのかコンセンサスがありませんでした。我々は前視野緑内障患者の前向き研究を行っており、視野進行の危険因子の検討を行っております。16ヶ月の経過で約13%が緑内障に移行することが判明しました。緑内障による視野障害のスピードは非常にゆっくりではありますが、緑内障で障害される網膜神経節細胞は加齢現象でも減少します。つまり、現状の治療が奏功していても、徐々に視野障害が悪化することが多くあります。寿命を全うするまでに日常困らない視覚を保持することが、緑内障治療の最終的な目標ですので、早期発見・早期治療の意味から、前視野緑内障とどう向き合うのかが重要です。しかし、前視野緑内障の診断は施設によって発見率が異なります。今後は眼底写真や光干渉断層計(Optical coherence tomography; OCT)検査による自動診断による診断の標準化が行われる必要があります。

(3) 続いて、現状の治療法の限界に関してまとめます。緑内障では、古くから眼圧による視神経の障害が重要な病因のひとつとされ、主に眼圧下降治療が行われています。現状、薬剤、手術などはすべて眼圧下降を目的とした治療です。しかし、我々の後ろ向き研究では、眼圧下降治療に反応しない患者が約4割も存在していました。緑内障は多因子疾患で、眼圧以外の要素が緑内障の進行に悪影響を与えているからです。眼圧に終始した現在の治療体系も、緑内障失明患者が増加している一因と考えられます。こうして、緑内障による失明が増加しているのは、治療開始時期が遅く、その治療自体も有効でない症例が未だ多く存在することが問題と考えられます。実際に、東北大学の眼科外来では、「眼圧が低いのに進行する緑内障患者」が全国から紹介されてきます。その多くは循環障害や酸化ストレスが異常な高値を示しており、眼圧以外にも明らかな危険因子を有していることが多いのが現状です。

[caption id="attachment_2118" align="aligncenter" width="500"]fig3 低眼圧でも進行する緑内障患者[/caption]

緑内障の危険因子

緑内障の原因は、視神経乳頭の深い位置にある篩状板と呼ばれる篩の目の構造組織の部位において異常が出ることが病態と考えられています。この篩の目(篩状板孔)の一つひとつに網膜神経節細胞の軸索が束になって通過しており、視神経乳頭の陥凹拡大により、篩状板の変形や菲薄化、部分的な欠損などが起こり、軸索が絞扼障害され、網膜神経節細胞の細胞死が起こします。

[caption id="attachment_2225" align="aligncenter" width="500"]fig4_rev 緑内障病態の首座は篩状板変化[/caption]

この緑内障進行に影響を与えるのが、緑内障危険因子です。緑内障危険因子として最もエビデンスがあるのが高眼圧です。本邦では、前述のように正常眼圧緑内障が大半ですが、正常域の眼圧であっても、その一日の変動幅が緑内障進行に悪影響を与えるという報告もあります。次いで、眼の血流不全があります。緑内障眼では、視神経乳頭の毛細血管が退縮しており、最近我々のグループから視野異常を呈するより以前の前視野緑内障でも、循環不全が起きていることが証明されています。さらには全身の循環障害や低酸素、酸化ストレスが高値になる状態が緑内障を進行させます。この点は、全国的にも未だあまり注目されておらず、低血圧や高血圧の過剰治療による低血圧、血管攣縮、心臓の病気、貧血や慢性閉塞性肺疾患(COPD)のような肺の疾患、更に頻度が多いのは睡眠時無呼吸症候群などに注意が必要です。全身の血液循環が悪い状態は、当然眼でも循環状態が悪くなり緑内障が悪化します。こうして、眼圧は容易に測定できるため治療開発が進み、現在も点眼液や手術などすべて眼圧下降が治療の中心となっています。しかし、眼圧以外の循環障害や酸化ストレスといった危険因子については、現在、測定方法やその治療意義を調査している最中であり、緑内障の進行を止める方法としては限られているのが現状です。

緑内障個別化医療の足掛かり

ここまでご紹介しましたように、多因子疾患である緑内障を余すところなく治療するためには、各患者さんの病態に基づいた治療が理想的です。眼圧以外の危険因子が緑内障に与える悪影響が大きい場合、現状の眼圧下降治療だけでは緑内障の進行を食い止めることが困難です。カナダのNicolela らの研究グループは、臨床背景を異にする4つの視神経乳頭形状の分類方法を提案しました。

[caption id="attachment_2226" align="aligncenter" width="500"]緑内障病態の多様性と乳頭形状分類 緑内障病態の多様性と乳頭形状分類[/caption]

スパスム(血管の攣縮)、近視、血流障害、高眼圧を反映した 4つのグループに緑内障を分類することで、緑内障病態の細分化の足掛かりになり、治療の効率化が図れます。我々の研究グループもこの分類方法に着目して、緑内障診療での有用性について検討を重ねてきました。その結果、眼圧下降治療の効果が弱く進行の早いグループや、緑内障により視力低下する患者の頻度が多いグループ、日常生活の質を維持するのに重要な下方の視野が障害されやすいグループなど、グループ間に診療上注意するポイントに特徴があることが分かったのです。緑内障は多因子疾患であるが故に、病態ごとの細分化により、診療の質が上がってきます。しかし、この分類方法は、眼底写真による肉眼的な画像判定で行われていることから、検者の熟練を要し、一般の診療所では分類が難しいことが問題でした。

今後の展望

眼底を3次元撮影可能なスウェプトソースOCTは高速・高進達性で優れており、日本が世界をリードしています。我々はトプコン社のOCT装置で計測された視神経乳頭部の断層画像を定量化し、自動で緑内障の危険因子の4分類を行うソフトウエアを開発しました。多様な緑内障診療において、病態の細分化や治療の個別化につながる重要な研究です。すべてが自動で緑内障の細分化が可能となれば、将来的には検診センターを含め、全国どこの病院でも標準化された緑内障病態の細分化や治療の個別化につながることが期待できます。現在は眼科医が減少し、地方では眼科医が不在の地域が増えてきています。今後はネットワーク環境を応用した遠隔診療や人工知能による自動診断の補助を受けながら、病態に即した適切な治療体系を組み上げていく必要があります。社会的な重要性の高い緑内障に対しては、眼科医全体としてビックデータを集めることにより、初診時の画像データやゲノム・メタボローム・自己抗体などの最先端バイオマーカーを駆使して、予後を予測し先制医療を行うのに適した眼疾患と考えており、我々の施設では着々と準備を進めています。

参考文献:OCT-Based Quantification and Classification of Optic Disc Structure in Glaucoma Patients. Takada N, Omodaka K, Nakazawa T et al. PLoS One. 2016 Aug 24;11(8):e0160226.  ]]>
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「満月の頃に出産数が増える」のは迷信か? - ウシの調査で明らかになったこと https://academist-cf.com/journal/?p=2169 Thu, 06 Oct 2016 02:00:43 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2169 「満月の頃に出産数が増える」という言い伝え 出産を控えて期待と不安でいっぱいの新しいママ・パパにとって、おなかの赤ちゃんがいつ生まれてくるかはとても気になるものです。そんな彼らに、産婦人科の先生や助産師さんたちは「満月の頃に出産数が増える」という昔からの言い伝えをよく口にします。筆者も自分の子供が生まれようとしているときに、病院でこの話を聞きました。「30年にわたる私の看護人生を振り返って、満月の頃に子供が多く産まれるのは間違いない」と老練な看護師さんに豪語され、半信半疑になったものでした。あいにく、筆者の息子は満月に合わせて生まれるということはなかったのですが、その入院中にいつもより分娩が多くて病院が賑わっている日があり、あとで暦を調べてみたところ、たしかに満月の晩だったので驚きました。 [caption id="attachment_2170" align="aligncenter" width="500"]fig1 臨月を迎えた妻[/caption]  

これまでの研究では否定的だった

そんな出来事があって、この伝承が本当なのか気になった筆者は、関連する学術論文を調べてみました。すると、アメリカ、ドイツ、ブラジルなど、世界中のさまざまな場所で同様の言い伝えが存在すること、1000~2万例の分娩を対象にした大規模な調査が散発的に行われてきたが、月齢周期と出産数との関連は決着がついておらず、今も多くの議論があることが分かりました。むしろ学界では、この伝承に対して懐疑的な意見が主流で、「忙しい日に空を見上げて何もなければ何も感じないが、月が出ていれば印象に残る。これが繰り返されて生まれた迷信なのではないだろうか」という言葉で締めくくられている報告もありました。 しかし、人は栄養状態や社会的環境、遺伝的背景などによるばらつきが大きい生き物です。母親は自分の意思による自由な摂食が可能であるし、複雑な社会的要因によって出産までの間にさまざまなストレスがかかります。周産期の管理方法や分娩誘発剤の使用についても、病院によってまちまちです。ある文献では、「1週間のうち土日の出産数が少なく、金曜日と月曜日の出産数が有意に多い」ことが報告されていますが、これは社会的な影響で出産時期が変動しやすいことを端的に示しており、人のデータを用いた疫学的な研究がいかに難しいかを物語っていると思います。 [caption id="attachment_2171" align="aligncenter" width="500"]分娩後すぐのウシの親子 分娩後すぐのウシの親子[/caption]

牛をモデル動物として着目

そこで筆者は、人より均一なデータの得られやすい牛をモデル動物として用いることを思いつきました。家畜である牛は一様に飼育管理されており、栄養状態や社会的環境に大きなばらつきが生じにくいと考えられます。また、100%人工授精による繁殖管理であるので、遺伝的多様性も人に比べて均一です。人工授精実施日と出産日が記録されているので、妊娠期間を正確に求めることもできます。農家によっては、月光をさえぎる壁や夜間照明のない環境でウシを出産させるため、より自然な状態で分娩したデータを集めることもできます。さらに、後で知ったのですが、実は酪農農家の間にも「満月の頃に牛の出産数が増える」という言い伝えがあるそうです。 本研究では、北海道石狩地区の夜間照明のないフリーバーン(ウシを細かく仕切られた区画に収容して管理するのではなく、比較的自由に歩き回れるスペースに放し飼いにして管理する牛舎の形態のこと)で一様に飼育管理されたホルスタインを対象に、出産日と月齢周期の関係を調べました。2011年から2013年までの36回の月齢周期を調査期間とし、出産日の月齢は気象庁の発表した同日夜の月齢を利用しました。 のべ428頭のホルスタインの出産日と月齢の関係を調べた結果、新月から満月にかけて出産数は徐々に増加し、特に満月の前から満月にかけての3日間は有意な増加がみられました。満月以降は下弦の月3日後まで出産数の低下が認められました。この変化は、初産牛に比べて経産牛で顕著に認められました。人工授精日から算出された分娩予定日が、新月から三日月にあたる出産の妊娠期間は有意に延長し、満月から下弦の月にあたる出産の妊娠期間は有意に短縮していました。以上の結果より、月齢周期と牛の出産との間に関連性があることが統計学的に初めて示されました。 [caption id="attachment_2172" align="aligncenter" width="500"] 月齢周期と出産数の関係を示したヒストグラム(論文より引用)[/caption]

次はメカニズムを明らかにしたい

本研究では、この現象のメカニズムまでは明らかになっていません。仮説としては、月による重力、潮の干満、月光による影響などが考えられます。たしかに月齢による重力変化は、潮の干満のような地球規模の質量のものに関して影響をもたらすことが知られています。しかし、月によって変化する重力は地球の重力の30万分の1程度であり、天文学的視野からすれば、極めて質量の小さい人や牛がこの重力変化に反応できるかは疑問が残ります。一方、光の暴露時間が動物の生殖内分泌に影響を与えることは複数の報告があります。なかでもメラトニンというホルモンは、満月が近づくと血中濃度が低下すること、メラトニンの分泌量は妊娠中に増加し、分娩時には激減することが報告されています。現在、筆者は月光によるメラトニンの分泌低下が満月の出産数増加に関与していると仮説を立て、さらなる研究を計画しています。 [caption id="attachment_2173" align="aligncenter" width="500"]14日ごろの月 14日ごろの月[/caption]

さいごに

冒頭に述べたように、本研究は「満月の近づく頃に出産数が増える」という言い伝えをたまたま聞いたことから始まりました。まだ現段階ではロマンチックな「現象論」の域を脱していませんが、研究が進めば、出産メカニズムの深い理解につながり、出産計画の補助や難産治療に役立つ可能性があると考えています。 引用文献 Yonezawa T, Uchida M, Tomioka M, Matsuki N.Lunar Cycle Influences Spontaneous Delivery in Cows. PLoS One. 2016 Aug 31;11(8):e0161735. doi: 10.1371/journal.pone.0161735.]]>
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アリに学べ!ロボットの集団行動最適化プロジェクト - 歩行軌跡記録装置「ANTAM(アンタム)」を用いた分野横断型の研究 https://academist-cf.com/journal/?p=2207 Fri, 30 Sep 2016 03:00:38 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2207 アリに学べ!ロボットの集団行動最適化プロジェクト アリやシロアリなどは、統制のとれた集団行動をとったり、協働して巨大で複雑な建造物を作ったりすることから「社会性昆虫」と呼ばれています。八戸工業大学の藤澤博士は、社会性昆虫の行動をロボットに実装し、単体では難しい仕事を集団で解決するというような「群ロボット」の研究を進めています。 群ロボットの性能を向上させるためには、社会性昆虫たちの実際の行動や認知機能を知る必要がでてきたのですが、先行研究を調べても、これらを明らかにするために必要な歩行軌跡などのデータは得ることができませんでした。 そこで今回、歩行軌跡記録装置「ANTAM(アンタム)」を用いて社会性昆虫たちの歩行軌跡を獲得して、群ロボットの性能向上を目指すべく、クラウドファンディングの挑戦を決めました。 [caption id="attachment_2220" align="aligncenter" width="999"]50000 藤澤研究室のようす[/caption] 今回の研究プロジェクトでは、京都産業大学・永谷直久博士は昆虫の知覚の研究を行うために、共同研究者である京都大学・土畑重人博士と国立情報学研究所・阿部真人博士は、生物が元来持つ内在的な動きを明らかにするために、それぞれの研究者がANTAMを利用して研究を進め、各々で得られたデータを藤澤博士に提供する形で研究が進められます。 クラウドファンディングで集められた資金は、ANTAMの増産のために使われます。支援者へのリターンとして、ANTAMで記録したアリの行動軌跡をデザインしたオリジナルTシャツ(5,000円)やサイエンスカフェへの参加券(10,000円)などが用意されています。 [caption id="attachment_2219" align="aligncenter" width="1024"]5000 リターンのTシャツ[/caption] 【募集期間】2016年9月28日〜2016年11月28日 【支援サイト】academist(アカデミスト)]]> 2207 0 0 0 水素化アルミニウム化合物の生成に成功! - 希少元素からユビキタス元素への転換を目指して https://academist-cf.com/journal/?p=1905 Tue, 11 Oct 2016 01:00:17 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=1905 水素は何の役に立つ?

水素分子は最も単純な多原子分子で、無色・無臭で地球上では最も軽いガスです。天然にはほとんど存在しませんが、天然ガスや石油を分解することで大量生産されています。理科の実験で水素を燃やした経験がある人もいるでしょうし、最近は水素自動車などのエネルギー源としても注目されているため、水素に関心を持っている人も多いでしょう。

こういった一部の例を除くと水素を使う機会は少ないですが、水素は私たちの生活を支えるとても大切な物質なのです。たとえば、水素と窒素からアンモニアを作るハーバー・ボッシュ法や、不飽和油脂に水素を加えてマーガリンを作る改質など、化学工業のさまざまなプロセスで大量の水素が使用されています。また、医薬品や化粧品などの原料製造でも水素を有機化合物に加える反応が良く用いられています。このように、水素を他の物質に導入する反応(=水素化、水素添加)の技術開発は、化学における重要なトピックであると言えます。

水素-水素結合を切断したい!

水素分子は単純な分子なのですが、その水素−水素結合を切断するのは簡単ではありません。水素−水素結合を切断するのに必要なエネルギーは432 kJ/molで、これは有機物の骨格を作る炭素−炭素間のエネルギーである346 kJ/molを上まわり、共有結合の中でも安定で反応しにくいものに含まれます。水素分子の結合を切断し、反応に使える活性化された状態に変換することを、水素の活性化と呼びます。

現在、水素の活性化反応のほとんどで、白金、パラジウム、ロジウム、イリジウムといった重金属を含む触媒が用いられています。これらの重金属触媒は、とても性能が良く、少量の触媒を加えるだけでさまざまなタイプの水素化反応を実施できます。しかし、これらの重金属は非常に高価ですし、地球に存在する量も限られています。もしこれらの触媒金属が枯渇するような事態になれば、水素を使った化学反応ができなくなってしまうかもしれません。

ユビキタス元素を使った水素の活性化を

そこで、高価・稀少な金属元素の代わりに地球に豊富に存在する安い元素を使った代替技術を開発しようという機運が世界中で盛り上がっています。日本でも「元素戦略」というキーワードのもとに、豊富で環境に優しい元素を「ユビキタス元素」と名付けて、希少元素を代替する研究が活発に行われています。

私たちの研究グループでは、地殻に豊富に存在する典型元素であるケイ素やホウ素、アルミニウムなどの元素を含む有機化合物に関する研究を行っていました。具体的には、これまでになかった化学結合や構造を持った典型元素化合物を作ることと、それらの示す新しい反応や機能の探求です。

たとえば、普通のアルミニウム化合物では、3つ以上の原子がアルミニウムに結合していますが、分子構造を工夫すると、アルミニウムに2個以下の原子しか結合していない「低配位アルミニウム」を作ることができます。私たちは、低配位アルミニウムの中でも、アルミニウムとアルミニウムが二重結合しているジアルメンと呼ばれる化合物の研究をしていました。この化合物は極めて不安定であるため、実際に手に取ることはできませんが、私たちは溶液中でジアルメンを発生させる方法を開発し、ジアルメンと他の分子との反応を調べていました。研究を進めるうちに、ジアルメンを使えば水素分子の活性化ができるのではないか、また、この反応がうまく進行すれば、アルミニウムに水素が結合した「水素化アルミニウム」ができるのではないかと予想しました。水素化アルミニウム化合物は、有機化合物の還元反応などに使えますから、ジアルメンによって活性化された水素を化学反応に利用できると考えたのです。

水素化アルミニウム化合物ができた!

思いたったが吉日ではないですが、早速、ジアルメンと水素との反応を試してみました。幸い研究室には、1気圧の水素ガスを手軽に使える環境があり、高圧水素ボンベを使わずに済んだのも助かりました。ジアルメン自体は手に取ることはできないので、室温でジアルメンを発生させる化合物(「マスクされたジアルメン」と呼んでいます)を、グローブボックスの中でヘキサンに溶かし、ここに水素ガスを風船から吹き込むと、室温で原料の暗赤色が消えて無色の溶液になりました。

[caption id="attachment_1906" align="aligncenter" width="500"] ジアルメンを用いた水素分子活性化反応。アルミニウム化合物の安定化のために、非常に大きな置換基(図のAr)が付いている[/caption]

核磁気共鳴スペクトルや赤外吸収スペクトルといった機器分析法で生成物を調べると、予想した水素化アルミニウム化合物が定量的に生じたことが分かりました。さらに、生成物を結晶化させ、単結晶X線構造解析を行うことで、分子構造を決定することができました。

[caption id="attachment_2242" align="aligncenter" width="500"]crystalstructure 単結晶のX線結晶構造解析で決定された、ジ水素化アルミニウム化合物の分子構造。アルミニウムに結合した水素以外の水素原子は示していない[/caption]

水素が2つのアルミニウムの間を橋架けした二量体になっていますが、このような二量体構造はアルミニウムやホウ素など13族元素の水素化物にはよく見られます。また、アルミニウムに付いている置換基が非常に大きいことが分かりますが、ジアルメンの高すぎる反応性をコントロールして望みの反応のみを起こすためには、このようなナノメートルサイズの置換基を使ってアルミニウム周りを保護する必要があるのです。このような巨大なカバーが付いていると、せっかく得られた水素化アルミニウム化合物が他の分子と反応できないのでは? と危惧しましたが、カルボニル化合物を反応させると室温でC=O二重結合の還元が起こり、水素化アルミニウム化合物に一般的な反応性を持つことが分かりました。

アルミニウムを用いた水素化触媒の開発を目指して

今回の成果は、アルミニウム化合物が水素分子の活性化に有効であることを実証した重要なものと考えていますが、究極の目標である「アルミニウムを用いた水素化触媒の実現」には、多くの課題が残っています。一番難しいのは、水素との反応で消費されたジアルメンを再生することで、水素化触媒サイクルを達成する方法の開発です。その他にも、ジアルメンに代表される取り扱いにくいアルミニウム化合物の安定性を高めて長寿命化させることも必要ですし、現状では数時間程度かかっている水素活性化の反応速度を高めないといけません。こうした課題に対し、私たちの典型元素化学に関する知識・スキルをフル動員することで立ち向かっているところです。

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分野横断型の研究を進めるための◯◯力とは? - お茶の水女子大・郡宏准教授 https://academist-cf.com/journal/?p=2044 Fri, 07 Oct 2016 01:00:56 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2044 葉脈や河川の形成、魚の集団運動など、身のまわりの複雑な現象を数値シミュレーションで記述し、自然界の普遍的な構造を探ろうとする研究分野がある。しかしそのような研究では、物理学や生物学、工学など、分野を問わない網羅的な知識や技術が問われるはずだ。分野横断型の研究を進めるには、何か秘訣があるのだろうか? 今回、お茶の水女子大学情報科学科で、幅広い分野の研究者と連携して研究を進めている郡宏(こおり・ひろし)准教授に、そのヒントについて伺ってきた。

ー郡先生の専門分野を教えてください。

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専門……何なんでしょうね(笑)。あえて言うのであれば、「1+1=2」にはならないような現象を扱う「非線形物理学」です。たとえば、りんごを1日1つ食べると健康になるといいますが、それを2つ食べたら2倍の効果が見込めるかというと、そうではないと想像できます。得られる効果は2倍より少ないかもしれませんし、ひょっとすると多いかもしれません。因果関係は単純な足し算では説明できないことが普通で、これは「非線形性」と呼ばれます。株価や気象の予測が難しいのも、この非線形性に根本的な原因があります。非線形現象と聞くと、めずらしい現象を扱っているように聞こえるかもしれませんが、私たちの身のまわりの現象のほとんどは非線形現象なんです。

ー非線形現象のなかでは、どのような現象に興味があるのでしょうか。

私は特に、振動現象に興味があります。振動といっても、震えるという意味での振動ではなくて、メトロノームのように周期的なリズムを持つ振動です。このような振動を数理的にモデル化してシミュレーションをすることで、振動現象に潜む謎を明らかにする研究をしています。日常生活でおもしろいと感じたことや、ほかの研究者の研究内容を知る過程で浮かんできたアイデアを研究テーマにすることが多いですね。

ーそもそも、非線形現象に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか。

もともと大学では物理学を専攻していたのですが、物理学を学ぶなかで、どんなに突き詰めても物理学はこの世界から遠いのではないかと感じるようになりました。たとえば、私たちの日常生活と物理学のあいだには何かギャップを感じませんか? 素粒子に関する大発見があったとしたら、それはもちろんとてもすごいことなのですが、私たちの生活にどう関係するのかはなかなかピンときません。また、宇宙はとても美しくて夢がありますが、ロマンだけで自分は満足できるのかと、ふと思ってしまうことがありました。生活とかけ離れたところが物理学の美しい点でもあるのですが、寂しさを感じる部分でもあるのかな。

そんなことを考えていた学部生のときに、生物のリズムを物理学を使って研究する研究室があることを知って、非線形現象について学び始めようと考えました。当時在籍していた研究室では、化学や生物学、工学などほかの分野とも関わりが深かったので、自然と分野を超えた研究をするようになりました。

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ー最近では、魚の集団運動を研究されていると伺いました。まさに分野を超えた研究のように思うのですが、なぜこのような研究をはじめたのでしょうか。

使っている方法論が振動現象と似ているからです。たとえば、振動現象で現れる現象として、同期というものがあります。同期とは、バラバラに振動するメトロノームをお互いの振動が伝わるような板上にのせると、そのうちペースを合わせるような現象のことを指しています。

この現象は、固有のリズムを持つもの同士が位相を合わせることで生じるのですが、メトロノームがそろうまでの過程と、魚が集団で泳ぐようになるまでの過程が似ているんですよね。群れをなして泳いでいる魚の集団運動では、先頭を泳ぐリーダーがいるわけではないため、みんなで進行方向を合わせることが重要になります。この過程は実は、位相を合わせる同期現象と同じで、使う理論モデルがほとんど一緒なんですよ。位相の形成という見えない秩序形成と、魚の集団運動という目で見える秩序形成。この両者が絡んでいるなかなか興味深い題材ということもあり、興味を持って研究をしています。

ーシミュレーションで得られた結果は、実験によって検証していくのでしょうか。

そうですね。シミュレーションがいつも正しいかというとそうではありませんから、できるのであれば実証実験をすることが大切です。たとえば、過去の研究の中では、化学反応において実証実験をし、シミュレーションの正しさを確かめたことがあります。数理モデルから得られた結果に予言能力があるかどうかということは、研究の正しさを判断する上で強力な基準になるので、観察や実験と相補的な形で研究を進めることは重要だと思いますね。

ー観察や実験と比べて、シミュレーションにはどういった良い点があるのでしょうか。

たとえば、生物の実験で得られた結果がどの遺伝子に由来するのかということを特定するのは、なかなか骨が折れる作業です。モデル生物を使って遺伝子を働かなくさせたりすることはありますが、何が原因でこういう実験結果が得られたのかという因果関係をはっきり示すことはなかなか難しい。働かなくさせた遺伝子が間接的に作用していることもあるからです。 一方で、シミュレーションに用いるような数式上では、ファクターをすごく簡単に、消しゴムのように消して、実験を繰り返し行うことができます。不要なものをそぎ落として実験系を理想化することで、何が本当の原因で、何が結果で、何が予言できるのかという本質を能率的に調べることができる道具となることが、シミュレーションの良いところです。シミュレーションによって得られた新たなアプローチや方法論を実験屋さんに提供していくことができれば、より深く研究を推し進めることができるのではないかと考えています。

ーシミュレーションを用いた研究は、今後どのように応用されていくとお考えでしょうか。

野心的な人は、医学への応用を考えていますね。たとえば、流体シミュレーションの分野の人が、心臓内の血流をモデル化して、どのようにして静脈瘤などの病気がおこるのか、またどこに病気の予兆が現れるのかということを、臨床データと比較しながら検証していく研究があります。なかなか骨の折れる研究ですが、現状から将来を客観的に予測できるという点で、今後医療に貢献していく可能性があるのではと考えています。

私はここ数年間、長距離移動に伴う時差ボケやシフトワークによる体内時計の不調のメカニズムについて研究を行っています。体内時計は実は体中の細胞が持っています。つまり、とんでもない量のメトロームで我々の体はできているようなものです。これらがうまく組織だっているときはいいのですが、時差やシフトワークはこれを乱すことが知られており、かなり複雑な現象が起こることが想像できると思います。そんな複雑な現象に対しては、理論モデルとシミュレーションが活躍できると信じ、生物の実験研究者と協働して、少しずつ成果をだすことができてきました。将来的には、体に負担の少ないシフトワークのスケジュール作成手法や、強度の時差ボケの回避方法を提案したいと思っています。

ー最後に、分野融合の研究をしていくなかで、今まで学んでおいてよかったと思うスキルがあれば教えてください。

数学ですね。理系の分野に進むすべての人には、数学をしっかりと学んでほしいと考えています。数学といっても、微分積分の基礎など理数系の大学1年生が学ぶ内容でたいていは十分です。その程度の基礎的な数学力があれば,あとで必要になったときには、より高度な数学も使えるようになると思います。数学以上の強力な武器はなかなかありません。数学を学んだうえで、情報学や物理学や生物学の知識を吸収すれば良いんです。数学の知識をベースとして複雑な現象を読み解きながら、理論屋と実験屋が協力していくことが、分野を越えて研究を進めていくひとつのポイントになるのではないでしょうか。

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研究者プロフィール:郡宏 准教授 お茶の水女子大学基幹研究院情報科学コース 1998年東北大学理学部物理学科卒業。京都大学理学研究科理学研究科物理学・宇宙物理学専攻修了(2003年)。2003年からドイツのフリツ・ハーバー研究所(物理化学部門)にてマックスプランク研究所研究員、フンボルト財団奨励研究員を経て、2006年から北海道大学理学研究院(数学)のCOE研究員となる。2008年からお茶の水女子大学にてテニュアトラック助教となり、2012年より現職。

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日本食は長寿食? - 食文化の科学的評価に挑戦! https://academist-cf.com/journal/?p=2250 Mon, 24 Oct 2016 01:00:34 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2250 なぜ日本人は健康寿命が長いのか? 日本人の平均寿命は伸び続け、世界有数の長寿国として知られています。また、日本人は寿命が長いだけでなく、自立して生活できる期間を示す健康寿命も長いことが認められています。日本人が健康長寿である理由は、欧米人と異なる特徴的な食生活に起因すると考えられています。日本人の食事「日本食」は、米を主食とし、魚、野菜、大豆などの食素材、味噌や醤油といった調味料が伝統的に使われ、近年では、肉、牛乳、油脂、果実も加わり、多様な食素材を使用し、健康維持に有効な成分を数多く含んでいると考えられています。本コラムでは、日本食の健康有益性について、私たちの知見を中心に紹介します。

日本食と米国食との比較

これまでにも、日本食の特徴的な食品に含まれる個々の成分が生体に与える影響を検討した試験は数多くありましたが、食事のメニューまるごとを総合して検討した研究はありませんでした。日本食の健康有益性は、健康維持に有効な食素材を数多く摂取していることによると考えられています。そこで我々は、現在の日本食と米国食を再現し、ラットに一定期間これらの食事を与えた後、食事内容の違いによる生体への影響の差異を調べ、日本食はストレス性が低く、エネルギー消費を促進し、健康維持に有益であることを示しました [1]。

年代ごとの日本食の比較

現在の日本食は欧米の影響を受け「食の欧米化」が進行し、また、生活習慣病の罹患率が増加しています。よって、どの時代の日本食が健康維持に有益かを詳細に検討しました。さまざまな年代の食事献立を作成し、それらをマウスに4週間摂食させたところ、1975年の日本食摂取により、内臓脂肪が減少し、エネルギー消費が亢進することを明らかにしました [2]。長期摂食させた試験でも、1975年日本食は、肥満抑制効果を有し、さらには老化による脂質・糖質代謝調節機能の低下を防いで脂肪肝や糖尿病の発症リスクを低減し、認知症のリスクを軽減し、寿命も延伸することが認められ、1975年頃の日本食は、高い健康有益性を持つことが明らかとなりました [3, 4, 5]。

健康的日本食の特徴

1975年の日本食の健康有益性の要因を探るべくさまざまな検討を行ったところ、何かひとつの成分の効果で良い効果を得るのは難しく、複数成分の相互作用が重要であることが示唆されました。1975年の日本食は他の年代の日本食と比較して豆類、野菜類、果実類、藻類、魚介類、卵類、発酵調味料の使用量が多く、使用している食材の種類が豊富でした。そこで、1975年の日本食の特徴を、過去の研究結果をもとに明確にしました。その特徴は、下図のように5つの要素に分類されました。 第1として、「多様性」で、いろいろな食材を少しずつ摂取していました(主菜と副菜を合わせて3品以上)。第2として、「調理法」で、「煮る」、「蒸す」、「生」を優先し、次いで、「茹でる」、「焼く」を、「揚げる」、「炒める」は控えめでした。第3として、「食材」で、大豆製品や魚介類、野菜(漬物を含む)、果物、海藻、きのこ、緑茶を積極的に摂取し、卵、乳製品、肉も適度に(食べ過ぎにならないように)摂取していました。第4として、「調味料」で、出汁や発酵系調味料(醤油、味噌、酢、みりん、お酒)を上手く使用し、砂糖や塩の摂取量を抑えていました。第5として、「形式」で、一汁三菜 [主食(米)、汁物、主菜、副菜×2] を基本として、いろいろなものを摂取していました [6, 7]。 %e5%9b%b3%ef%bc%93

健康的日本食のヒトでの証明

上記の特徴を有した食事を1975年型日本食とし、ヒトにおいても有益な効果を発揮するかを証明するために、健常人や軽度肥満者に与える影響を現代食と比較・検討しました。実験1として軽度肥満者に、実験2として健常人に与える影響を現代食(日本人の食事摂取基準に準じた食事)と比較しました。 実験1として、被験者(BMIが24以上30以下の軽度肥満者:年齢20~70歳)を現代食群(30名)と1975年型日本食群(30名)に割り当て、それぞれの食事を1日3食、28日間摂取してもらいました。試験期間前後に、各種パラメーターの測定を行った結果、現代食群と比べて、1975年型日本食群において、BMI(体格指数)や体重が有意に減少し、血清LDLコレステロールや血清ヘモグロビンA1c、腹囲周囲長が減少傾向、血清HDLコレステロールが増加傾向を示しました。 実験2として、被験者(BMIが18.5以上25未満の健常者:年齢20~30歳)を現代食群(16名)と1975年型日本食群(16名)に割り当て、それぞれの食事を1日3食、28日間摂取してもらいました。試験期間中に週3回、1日1時間以上の中程度の運動を負荷し、試験期間前後に、各種パラメーターの測定を行った結果、現代食群と比べて、1975年型日本食群において、ストレスの有意な軽減、運動能力の有意な増加が見られました。 以上より、1975年型日本食はヒトの健康維持に有効であることが示されました。1975年の日本食の特徴を取り入れて食習慣を見直せば、健康長寿に役立つことが示唆されました。また、この時代の日本食の特徴を社会に発信することにより、現在の食生活を見直す食育の一助となることが期待できます。さらに高齢社会にあって、患者数が増加している老化性疾患の予防に役立つ「日本食」として、世界へアピールすることが期待できます。 参考文献 [1] 都築毅ら、日本栄養・食糧学会誌, 2008; 61: 255-264. [2] Y. Kitano, T. Tsuduki, et al., J. Jpn. Soc. Nutr. Sci., 2014; 2: 73-85. [3] 本間太郎,都築 毅ら,日本食品科学工学会誌. 2013; 60: 541-553. [4] K. Yamamoto, T. Tsuduki, et al. Nutrition. 2016; 32: 122-128. [5] 都築毅、昭和50年の食事でその腹は引っ込む、+α新書、講談社(2015) [6] 都築毅、渡邊智子、和食と健康、思文閣出版(2016) [7] 都築毅、スーパー和食 昭和50年の献立60、宝島社(2016)]]>
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物質と生命の違いは何か - 水中を自在に泳ぐ微小な油滴を発見 https://academist-cf.com/journal/?p=2257 Fri, 14 Oct 2016 02:00:04 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2257 「生命」を理解するためのアプローチ 「生命とは何か?」と聞かれたときに、皆さんは何を想像するでしょうか? 分裂、融合といったダイナミックに動くものと答える方もいれば、DNAやRNA、タンパク質といった生体物質、さては核、ゴルジ体、ミトコンドリアなどの細胞を構成する組織を真っ先に思い浮かべる方もいるかも知れません。しかし、これら生命を連想させるキーワードだけでは、非生命と生命の境界を明らかにすることはできません。 上のような問いにひとつの解答を得るために、さまざまな方面からのアプローチが試みられており、最近では特に、新しい生命システムをデザインして組み立てる研究が盛んになってきています。このような潮流は、生命の本質を理解するためにはそれを構成している要素の詳細を解明するだけでは十分といえず、それら要素の結び付きで全体がどのように成り立っているのかを眺める構成的視点が必要であるという考えに基づいています。 生命体を構成するものは基本的に有機分子であり、それらがどのようにして40億年前の原始地球において生成されたのかを検証する実験はこれまでに多数なされています。しかし、アミノ酸や脂質、RNA/DNAなどの物質と生命の間にはいまだミッシングリンクが存在しており、物質がどの段階で「生命らしく」なり、そして生命へと進化していったのかは、自然科学が発達した現代においても謎のままです。 [caption id="attachment_2258" align="aligncenter" width="500"] 物質と生命の間のミッシングリンク[/caption] 私たちは、物質のみの世界からいかにして生命らしさが生まれるのか、さらに、原始生命体がいかに誕生したのかを、素性のよく知られた分子を用いて実験モデルを構築し、構成的に明らかにすることを目的に研究を行っています。 具体的には、生命の特徴のひとつである「動き」に着目し、比較的柔らかい物質群であるソフトマターを用いて生命らしい動きをつくり、その挙動を解明することで、原始生命体と運動の関係性を明らかにしようとしています。今回、原始地球上にも存在し得た有機分子からなるマイクロメートルサイズ(1マイクロメートル=0.000001 メートル)の油の粒(油滴)が、アメーバのように変形しながら水中を勝手に泳ぎまわるという、生命体に近い動きを作り出すことに成功しました。

水中を泳ぎまわる油滴

これまでにも、外部から何も力を加えずに勝手に液体の粒が動く現象は報告されています。たとえば、特殊な加工を施したガラス板の上に置かれた油滴が動く現象や、水にも少し溶解するようなアルコールを水面に浮かべた際には、動くだけでなく分裂もするという現象が知られています。一方で、私たちは、石鹸に代表される界面活性剤水溶液に少量の油を添加して混合したエマルション系において、マイクロメートルサイズの油滴が水中を泳ぐ現象を発見しました。 このメカニズムは、以下のように推定されています。油滴の界面において、比較的界面活性剤が吸着している(界面張力が低い)領域とそれがほとんど吸着していない(界面張力が高い)領域が生じると、両者の間には界面張力差が生まれます。すると、界面張力の低い領域から高い領域に向けて、界面張力差に基づいた流れが生じます。この流れによって、油滴内部の物質流動が引き起こされ、内部と外部で運動量の交換が起こることで、油滴が一定の方向に少しだけ移動します。このとき、移動する前面において、界面活性剤分子が油滴界面に多く吸着できるようになり、油滴内外で流動が誘起され続ける機構がはたらくことで、油滴が泳ぐものと考えられます。油滴が平泳ぎをするように水をかいて進むイメージをしていただければ、わかりやすいかも知れません。 [caption id="attachment_2259" align="aligncenter" width="500"]水中を泳ぎ回る油滴の推定メカニズム。4つ目の図では界面活性剤分子を省略している。 水中を泳ぎ回る油滴の推定メカニズム。4つ目の図では界面活性剤分子を省略している[/caption]

アメーバのように変形しながら泳ぎ回る油滴

私たちは、上記の油滴が泳ぎまわる推定メカニズムをもとに、油滴の界面張力変化と内部の状態変化を引き起こすことができれば、油滴は単純に泳ぐだけでなく、分裂や融合などの複雑な生命らしい動きをつくりだせるものと考えました。実際に、新たな界面活性剤が生成される反応や、二種類の油成分が反応することで新たな油成分が生成される反応を組み込むことで、一方向に泳ぐ油滴や泳ぎながら分裂する油滴などをつくりだすことにこれまでに成功しています。しかし、それらは球形のまま変形することはなく、アメーバのように変形しながら泳ぎまわる油滴については、これまでに開発されていませんでした。 今回の研究では、カチオン性界面活性剤(水中で親水基部分が正電荷となる界面活性剤)であるC16TAB水溶液中でのウンデカナールとデカノールを6対4のモル比で混合したマイクロメートルサイズの油滴の挙動を光学顕微鏡により観察しました。その結果、水溶液に塩酸や塩化ナトリウムなどの電解質を少量混合した条件において、数十マイクロメートルの油滴が1秒に数回という高頻度で変形しながら方向転換して泳ぎまわるという,アメーバのような動きをすることを見出しました。 [caption id="attachment_2261" align="aligncenter" width="500"] アメーバのように変形しながら泳ぎまわる油滴の連続写真(Taisuke Banno et al, Sci. Rep. 2016, 6, 31292より改変)[/caption] 変形する油滴周囲では、泳ぐ方向に対して前方よりも後方において著しく強い流れが生じていました。また、ウンデカナールおよびデカノールは顕微鏡観察を行った室温下(約25 度)で液体でしたが、それらを6対4のモル比で混合したものは、混合直後は液体であったものの、数分後には完全に固化しました。このことは、ウンデカナールとデカノールの間に比較的強い分子間相互作用がはたらくことを示しています。分子間相互作用は共有結合と違い、その周囲の環境によって強さが変化します。油滴内部および界面では流れ場が生じているために、油分子どうし、あるいは油分子と界面活性剤分子の間にはたらく分子間相互作用が時間的、空間的に変化して、あるタイミングで前方では結晶のように固くなり、後方では液体のままやわらかいために、相対的に後方において流れが強くなるものと考えられます。その結果として特異な対流構造が形成されるために、油滴はアメーバのように変形しながら泳ぐものと推定しています。 [caption id="attachment_2262" align="aligncenter" width="500"]アメーバ様に水中を動く油滴の推定機構。四角内は油滴が泳ぐ方向に対して後方の様子を示している。本現象は油滴の後方に形成される急峻な界面張力勾配により生じる強い流れにもとづく特異な対流構造によるものと推定される。 アメーバ様に水中を動く油滴の推定機構。四角内は油滴が泳ぐ方向に対して後方の様子を示している。本現象は油滴の後方に形成される急峻な界面張力勾配により生じる強い流れにもとづく特異な対流構造によるものと推定される。[/caption]

おわりに

私たちが今回発見した油滴は、水中を泳ぎながら外部から物質を取り込んで、内部で化学反応を進行させて新たな物質をつくりだすこともできます。そのような化学反応を通じて油滴が新たな機能を獲得したり、自らを複製したりするといった、より生命らしいシステムをつくりだすことができれば、非生命と生命の間のミッシングリンクを埋める新たな可能性を提案できると考えています。 また、水中を動きまわるマイクロメートルサイズの微小物体は、自然環境を改善したり、生体内を探索,治療したりするための機能材料としての応用可能性を有していることから注目を集めています。なかでも、水中を動きまわる液滴には、有用物質を含ませて目的の場所まで到達させたり、対象物質を環境中から吸収して回収できるといった高次機能をもたせたりすることができます。したがって、今回発見した油滴の挙動を光照射や化合物の濃度勾配といった外部刺激を用いて制御することができれば、水中で障害物が多く狭い領域でも移動できる化学型探査ロボットとして非常に有用であると考えられます。]]>
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致死温度に近い温泉に生息するオタマジャクシの発見 https://academist-cf.com/journal/?p=2267 Mon, 17 Oct 2016 01:00:14 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2267 温泉に生息するオタマジャクシ 周囲の温度に影響を受けやすい外温動物にとって、外気温や水温は生息可能性を決める重要な要素のひとつです。両生類とて例外ではなく、特にオタマジャクシの生存には、水温が大きな影響をもっていることが知られています。また、オタマジャクシは極端に高いあるいは低い水温を避けることも報告されています。 一方で、僅かではありますが、オタマジャクシが温泉地帯の温かい水の中に生息していることも報告されています。そのなかでも有名な例が、台湾のリュウキュウカジカガエルで、 40度近くの温泉水中での生息が確認されています。また実験下では、40度以上の温水にも耐えられることが示されており、この優れた温度耐性が温泉中での生存を可能にしていると考えられています。

トカラ列島のリュウキュウカジカガエル

リュウキュウカジカガエルは、鹿児島県トカラ列島の口之島から台湾にかけての広域に分布しており、とくにトカラ列島に自然分布する唯一の両生類として知られています。 [caption id="attachment_2330" align="aligncenter" width="500"] 抱接中のリュウキュウカジカガエル。下がメス、上がオス。トカラ列島中之島にて撮影[/caption] 我々は、本種がどのようにしてトカラ列島に分布を広げたのか、その過程に興味を持ち研究を進めているのですが、それと同時に、トカラ列島の小さな島々で本種がどのように生き延びてきたのかということにも興味を持っていました。トカラ列島の島はいずれも火山活動によって形成されたもので、面積は小さく、地形は急峻であることが多いです。そのため、リュウキュウカジカガエルの繁殖やオタマジャクシの生存に必須な、安定した淡水環境が発達しにくいと考えられます。そのような条件下で、なぜリュウキュウカジカガエルは個体群を維持することができたのでしょうか。これを明らかにできれば、本種だけがトカラ列島の小さな島々で生息できている理由も明らかになるかもしれません。そこで私たちは、リュウキュウカジカガエルの優れた温度耐性と、トカラ列島の各島に存在する温泉との関わりについて調べました。 トカラ列島は、屋久島と奄美大島の間に位置し、鹿児島県十島村に属しています。有人・無人あわせて12の島があり、そのうち5つの島にリュウキュウカジカガエルが自然分布しています。これらの島のうち少なくとも4つの有人島には 温泉があり、公衆浴場となっています。多くの島では露出した温泉を見つけることは難しいのですが、分布最北端の口之島にあるセランマ温泉では温水が小川のように流れており、容易に近づくことができます。そこで、トカラ列島におけるリュウキュウカジカガエル幼生の温泉利用の有無やその状況を確認すべく、2015年9月、我々は週2便のフェリーで口之島に上陸し、宿の軽トラを借りてセランマ温泉へと赴きました。

セランマ温泉でくつろぐオタマジャクシ?

セランマ温泉にも温泉施設が建っており、その裏手に温泉が流れる小川がありました。 [caption id="attachment_2269" align="aligncenter" width="500"]%e5%86%99%e7%9c%9f%ef%bc%92 調査地(セランマ温泉)。写真右上から左下に温泉が流れている[/caption] その小川は浅く、落ち葉や小石によってせき止められた水たまりが連続的に形成されていました。上流に向かって左側に源泉があるらしく、左岸側の水たまりは水温50度を超える高温でしたが、右岸側は水温が下がり、低いものでは35度前後でした。その35度前後の水たまりでは無数のオタマジャクシが泳いでいる姿を確認できました。このことから、リュウキュウカジカガエル幼生は口之島においても温泉を生息地として利用していることが明らかになりました。 [caption id="attachment_2270" align="aligncenter" width="500"]%e5%86%99%e7%9c%9f%ef%bc%93 セランマ温泉で発見されたリュウキュウカジカガエルの幼生[/caption] では、彼らは何度までの水温に生息しているのでしょうか。多くのオタマジャクシは、水底の落ち葉の下に姿を隠していたため、我々は落ち葉を一枚ずつめくり、オタマジャクシのいるポイントの水温計測を行いました。その結果、34.6度から46.1度までの間でオタマジャクシが確認されました。ただし、水温46.1度のポイントで見つかったのは1個体のみで、34.6度から37.2度の水温で最も高密度にオタマジャクシが見られました。 46.1度の水温では1個体しか見つからなかったため、この個体は偶然46度の水域に入り込み 、一時的に潜んでいた可能性があります。類似のケースとして、一時的に温度の高い水域に入り込み、すぐに出ていった例がアメリカのSpea bombifronsで報告されており、その水温が45度だったと記述されています。これが生きた両生類の幼生が発見された最高水温と考えられます。今回は46.1度の水中でオタマジャクシが観察されたため、その記録を更新することになりました。 また、今回の調査で複数の個体がまとまって観察された水温として最高の温度は41.5度でした。この観察結果は、口之島のリュウキュウカジカガエル幼生が能動的に41.5度の水域に生息している可能性を示しています。先述のSpea bombifronsの例を除けば、両生類の幼生が見つかった水域のこれまでの最高温度はイエローストーンのRana pretiosaで華氏106度(摂氏41.1度)だと思われます 。今回のリュウキュウカジカガエルのセランマ温泉における生息温度41.5度は、その記録を僅かに上回ります。 以上のことから、両生類の幼生はどれほどの水温まで生息できるのか?という問いの答えとしては、現在のところ41.5度、もしかすると46.1度まで、と言えるでしょう。

死と隣合わせの生息地

さらに我々は、口之島の民宿にて簡単な温度耐性実験を行いました。セランマ温泉で採集したオタマジャクシを水槽に入れ、ヒーターで加熱し、何度まで耐えられるかを調べるものです。その結果、およそ46度で正常な行動(姿勢を保つ、まっすぐ泳ぐなど)ができなくなるか、死んでしまうことが明らかになりました。加熱速度は先行研究を参考に0.16度/分を採用しました。この加熱速度は、自然界で生じる水温上昇よりも速いでしょうから、46度で死ぬという実験結果と、野外での温度耐性を直接リンクさせることはできません。しかし、口之島のリュウキュウカジカガエル幼生の温度耐性は極端に高いわけではなく、セランマ温泉における生息温度の41.5度は致死温度に近いことが示唆されています。 また、水温40度を超える水たまりは、水温50度以上の高温の水たまりの近傍にあったことから、オタマジャクシは空間的にもギリギリの水域まで進出していることがわかりました。いずれの水たまりも同一の小川の一部で、35度前後の水たまりにもつながっているにもかかわらず、一部のオタマジャクシが致死温度に近い高温の水たまりにまで生息していることには何らかの意義があるのでしょうか。それを明らかにすることは容易ではありませんが、温度の高い水中では、成長速度が早くなったり、外敵を避けられたりするメリットが指摘されています。

温泉が重要な繁殖場所だった?

今回の発見のなかでも、とくに我々が興味を持っているのは、両生類の生息温度の記録を更新したことよりも、口之島でオタマジャクシが温泉を利用していたことです。口之島をはじめトカラ列島の島々は小さく、淡水資源に乏しいはずです。一方、これらの島は火山島であり、温泉が各地で湧いています。そんなトカラ列島の島々で子孫を残し個体群を維持するうえで、リュウキュウカジカガエルの温泉を利用する特異な能力は大きく貢献していたかもしれません。 参考文献
  1. Brues CT (1927) Animal life in hot springs. The Quarterly Review of Biolog. 2: 181-203.
  2. Brues CT (1932) Further studies on the fauna of North American hot springs. Proceedings of the American Academy of Arts and Sciences. 67: 185-303.
  3. Chen TC, Kam YC, Lin YS (2001) Thermal physiology and reproductive phenology of Buergeria japonica (Rhacophoridae) breeding in a stream and a geothermal hotspring in Taiwan. Zoological Science. 18: 591-596.
  4. Komaki S, Lau Q, Igawa T (2016) Living in a Japanese onsen: field observations and physiological measurements of hot spring amphibian tadpoles, Buergeria japonica. Amphibia-Reptilia. 37: 311-314.
  5. Licht LE (1971) Breeding habits and embryonic thermal requirements of the frogs, Rana aurora aurora and Rana pretiosa pretiosa, in the Pacific Northwest. Ecology. 52: 116-124.
  6. 前之園唯史,戸田守(2007)琉球列島における両生類および陸生爬虫類の分布.Akamata. 18: 28-46.
  7. Mason IL (1939) Studies on the fauna of an Algerian hot spring. Journal of Experimental Biology. 16: 487-498.
  8. Scott NJ, Jennings RD (1985) The tadpoles of five species of New Mexican leopard frogs. Occasional Papers the Museum of Southwestern Biology. 3: 1-21.
  9. Wells KD (2007) The Ecology and Behavior of Amphibians. The University of Chicago Press, Chicago and London.
  10. Wu CS, Kam YC (2005) Thermal tolerance and thermoregulation by Taiwanese rhacophorid tadpoles (Buergeria japonica) living in geothermal hot springs and streams. Herpetologica. 61: 35-46.
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クマムシ研究のこれまでとこれから - クマムシ博士・堀川大樹さんに聞いてみた https://academist-cf.com/journal/?p=2284 Tue, 18 Oct 2016 01:00:30 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2284 先日、横綱のように強い耐性を持つことで知られる「ヨコヅナクマムシ」のゲノムが解読されて、その放射線耐性メカニズムの一端が解明されたという研究発表があった。ヨコヅナクマムシが命名された10年前は、クマムシ研究のことを「研究というより、趣味ではないか」などと言われていたそうだ。しかし現在では、クマムシの知名度も向上し、研究者の人口も増えてきている。今回、クマムシ博士・堀川大樹さんに、研究がスタートしたときの状況や、新しい研究分野を開拓することの難しさ、それを乗り越えてきた研究へのモチベーションについて、詳しくお話を伺った。

ーヨコヅナクマムシとの出会いは、いつ頃だったのでしょうか。

[caption id="attachment_2285" align="alignright" width="300"] 「クマムシ博士」こと堀川大樹さん[/caption]

博士課程の2年目だった2005年頃から、それまで研究してきたオニクマムシの研究が限界に達してきたんですよね。オニクマムシの飼育のパイオニアである鈴木忠さんからも、これ以上オニクマムシの研究を進めていくのは難しいよと言われていたため、今後どうしていこうかと悩んでいた時期でもありました。

当時は、いろいろな場所でクマムシを採取してきては、アクエリアスや牛乳、金魚のエサなどを与えながら、飼育可能なクマムシを探していました。ただ、飼育するのはなかなか難しく、何をやってもダメだったんですよね。そこで試しに、オニクマムシのエサとして飼育していたワムシの水槽にあった、緑っぽいもやもやしたものを与えてみたんです。すると、2002年にすでに北海道で見つけていたクマムシがそれを食べて、卵を産み、しばらくすると卵が孵化して、それがまた卵を産むという流れで、3世代周ったため、飼育できるのではないかということがわかりました。そのときは名前は付けていなかったのですが、これが「ヨコヅナクマムシ」です。

ーなかなか「緑っぽいもやもやしたもの」をエサとして与えようとは思わない気がするのですが……。

できることは何でもやってやろうとは思っていましたね(笑)。知り合いのイタリアの研究者がかつて藻を使ってクマムシの飼育にトライしたことや、鈴木さんから肉食ではなく、食植生のエサが良いのではないかというアドバイスが頭の片隅にあったので、やってみようという気になったのかもしれません。

ー飼育可能になるということは、研究を進める基盤ができたということを意味すると思うのですが、何をゴールに掲げて研究を進めていたのでしょうか。

当時、ゲノム情報を明らかにして生命現象を解明しようという潮流が出てきていました。1990年代の終わり頃から、線虫の一種であるC.elegansなどの主要なモデル生物のゲノムが決定されてきたので、次は変わった生き物のゲノムを読もうというように生物学者の視点が移ってきていたんですよね。

私はその頃、乾燥しても死なない昆虫で有名なネムリユスリカを研究する研究室に在籍していました。研究室内にはどうにかしてネムリユスリカのゲノムを読みたいという雰囲気があったので、現在はそういう流れなのかということは肌で感じていましたね。ただ、ネムリユスリカの研究は10数名で取り組んでいたのに対して、クマムシをやっていたのは私ひとりだけだったんですよ(笑)。規模も全然違えば、向こうはプロ集団、こっちは学生じゃないですか。ネムリユスリカに追いつくためには、飼育系を完成させて、ゲノム解析を行わないといけないなと思っていました。ですので、ゲノム解読はひとつのゴールであると言えます。

ー研究室どころか、日本全国を探してもクマムシ研究者は少なそうですよね。

当時アクティブに研究していた方は、私の知る限りでは4人です。2006年に鈴木忠さんがクマムシの書籍を出版されたんですけど、出版前後のタイミングで、クマムシ関係者みんなで飲みましょうという話になったんですよね。ちなみにその飲み会のことを、「クマ飲み(クマムシ飲み会)」と呼んでいました。クマ飲みを進めていくうちに、バイオインフォマティクス、分子生物学、ゲノム解析、飼育系に立ち上げのそれぞれに強みを持つ研究者で大きな方向性が決まって、実際に研究を進める流れを作ることができました。

ー最初はどのような研究をしていたのですか。

博士課程3年の2006年5月くらいからは、今回の論文の責任著者でもある國枝さんが所属されていた研究室に居候していたんですよ。ただ、研究室全体で20人以上いて、もちろん席なんて空いていません。そもそも、そのタイミングで研究室に来るなんて、普通ありえないですよね。相当問題のあるやつなんじゃないかって噂もあったみたいです(笑)。そこでヨコヅナクマムシの耐性に関する基礎データを集めつつ、ゲノム解析を行うためにヨコヅナクマムシの標準系統を作り、1000匹単位で育ててはDNA抽出を行うということをひたすら進めていました。

ー1000匹単位となると、かなり時間がかかりそうですね。

ヨコヅナクマムシを1000匹集めるのにも結構な時間がかかりましたね。ポスドク職のない2007年は、非常勤講師をしながら引き続き居候させていただき、ひたすらヨコヅナクマムシのゲノム抽出をしていました。もちろん、ただ働きです(笑)。そういえば、2007年どころか2008年もやっていましたね……。全部で2年半くらいかかりました。

ー2年半も飼育とDNA抽出とは……。今の堀川さんなら、ブログで研究仲間を募集してそうですが。

当時はそれは全く考えていなかったですね。今では、こんなもの(注:クマムシ特性ベレー帽)も被っていますけど、もともと人前に出るのは得意ではなかったし、ブログを公開するのも気が進みませんでした。実は2005年くらいにもブログをやっていたんですけど、完全にクローズドで、友達2人くらいしか見ていませんでしたね(笑)。

[caption id="attachment_2351" align="aligncenter" width="500"] 取材は渋谷のFabCafe MTRLにて。堀川さんの活動拠点のひとつ[/caption] ーもし今の状態で、2005年に戻れたらどうされますか。

生物部でクマムシを研究している中学校や高校に行って、飼育方法を伝授したり研究を見てあげたりする替わりに、飼育で増えたクマムシの何割かを送ってもらうという仕組みを作りたいです。拠点が何箇所かできれば、かなり助かりますので。また、現在使わせていただいているFabCafe MTRLのような場所や、私の運営しているオンラインサロン「クマムシ博士のクマムシ研究所」を活用して、何かしら考えるかもしれませんね。

ー中学生や高校生がいきなりクマムシを飼育できるものなのでしょうか。

なかなか難しいのですが、埼玉県の高校では、実際に3000匹くらい飼っているみたいですよ。私がそんなに教えたわけではないのですが、独自にノウハウを積み上げてきたみたいです。こういう高校が3箇所できてしまえば、合計1万匹になりますので、そこから何割か研究に使わせていただけると大変助かります。

ーところで、堀川さんは当時クマムシ研究で科研費は出されていましたか。

詳しくは覚えていないんですけど、当時は資格がなくて書けなかったんですよね。他大学の非常勤講師で、客員研究員のような立ち位置だったので。私の知る限りでは、クマムシの耐性につながる分野で科研費がついたのは、2008年に國枝さんが代表で獲得したプロジェクトがはじめてです。

ー2005年に興味を持たれてから、3年弱で科研費がついたということですね。

そうですね。2005年の段階では考えられなかった話なんですけど、クマムシの研究をどうしてもしたいというこだわりがあったことが、重要だったように思います。ニッチなテーマでも本当にやりたいのであれば、他人の目を気にして研究を辞めたり諦めたりせずに、初心を貫き通せば良いと思います。絶対後悔はしませんから。また、周りの人たちは、人と違うことにチャレンジしている若手を押さえつけたり、それは無理だよというような空気を作らないようにすることが重要なのかなと思います。

ーニッチな研究を進めていくために、若手研究者へのメッセージをお願いします。

理解のある研究室に行く、ということです。特定の研究室や環境でなければダメだと決めつけるのではなく、相性が合わなければ逃げて、居心地の良い環境をもう一度探せば良いと思います。実際、そういう視点で研究室を度々選んできたうえで、そう思います。ほとんどの研究室は、あなたはこれをやりましょうという縛りがあると思うんですけれども、私は放任主義だろうというところを狙っていきました。それでもさらに、居候で二箇所変わっていますからね(笑)。それで迷惑をかけてしまうこともあるんですけれども、許してもらえるのであればそれで良いのではないかということは伝えたいです。

ー最後に、堀川さんの今後の目標について教えてください。

ヨコヅナクマムシの乾燥耐性についての研究を進めていきたいです。世界を見渡せば、哺乳類の細胞を完全に乾燥させて、水分を与えるとちゃんと蘇るという実験を行うベンチャー企業があるんですけど、まだまだ実験の信ぴょう性が高いとは言えないんですよね。受精卵を乾燥させて、水を与えたら元に戻って発生していくというレベルに達するような研究をやりたいです。研究費という面では、アカデミストもありますからね。自分で手を動かしながら、あらゆる手段を見据えつつ、これからも研究を進めていきたいと思います。

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研究者プロフィール:堀川大樹 クマムシ博士。2001年からクマムシの研究を始める。2007年、北海道大学大学院地球環境科学研究科にて博士号取得。その後、NASA宇宙生物学研究所、パリ第5大学などを経て現在、慶應義塾大学先端生命科学研究所特任講師。『クマムシ博士の「最強生物」学講座』(新潮社)、『クマムシ研究日誌』(東海大学出版部)の著書がある。クマムシキャラクター「クマムシさん」のプロデュース、人気ブログ「クマムシ博士のむしブロ」と人気メルマガ「むしマガ」、およびオンライン研究所「クマムシ研究所」を運営。

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重力波、ブラックホール、そして初期宇宙へ - 最新の重力波観測で宇宙の始まりに迫る https://academist-cf.com/journal/?p=2307 Thu, 20 Oct 2016 01:00:39 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2307 2016年2月に発表された「重力波初検出」のニュースは世界中の物理学者を興奮の渦に巻き込みました。さらにその重力波の起源は「連星ブラックホール」であることが分かりました。本記事では、初検出された重力波の起源が宇宙初期に生成された「原始ブラックホール」であるという説を提唱した、最新の研究について紹介いたします。

We did it.

2016年2月11日(米国時間)、とてもエキサイティングなニュースが世界中を駆け巡りました。米国を中心としたLIGO-Virgoチームが、ついに重力波を捉えた、と発表したのです。"We did it.” LIGOチームの責任者であるライツ氏のこの言葉をあのアインシュタインも聞きたかったことでしょう。

実験の詳細は省略いたしますが、宇宙から届く重力波の信号は極めて小さく、検出することは容易ではありません。今回、米国にある2台の巨大な重力波検出器が同時に小さな信号を2015年9月14日(米国時間)に捉え、数多くの研究者により詳細な解析が行なわれた結果、99.99995%の信頼度レベルでその信号が重力波であることが確かめられました。

重力波の起源は? ― 連星ブラックホール ―

そもそも重力波とは、簡単に言うと、「時空のさざ波」です。アインシュタインの一般相対性理論に基づけば、質量を持った物質が運動すると時空が波立ち、それが空間の伸び縮みとして伝わっていきます。舟が通った後、水面を波が伝わっていくようなイメージです。しかし、我々の身近にあるような物質が運動しても非常に微小な波しか生成されません。そこで重力波を実験で捉えるために、非常に重くコンパクトなものを源としてターゲットにする必要があります。それが、中性子星やブラックホールといった宇宙空間に存在する「天体」です。さらに、水面をやさしく叩くより、激しく叩いた方がより振幅の大きい波が立つように、天体の激しい運動の際により大きな重力波が放出されます。そのような激しい天体の運動のひとつとして、「天体同士の合体」が考えられます。

そして今回検出された重力波は、下図のように、ブラックホール同士の合体の際に放出されたものだと分かったのです。さらに、合体する2つのブラックホールが互いの重力によって引き合い、互いの周りを回転運動(スパイラル運動)しながら近づいていったことも重力波の詳しい解析により分かりました。このような回転運動をしながら近づいていってやがて合体するような天体を「連星」と呼びます。宇宙空間には、もちろん太陽のような天体同士の連星もありますし、中性子星同士の連星、中性子星とブラックホールの連星、そして今回発見された連星ブラックホールなどがあります。

[caption id="attachment_2308" align="aligncenter" width="500"]fig_1 © LIGO Scientific Collaboration[/caption]

さて、ひとつ言っておきたいのは、もちろん今回の重力波と連星ブラックホールの発見は実験に携わった研究者の方々の努力の賜物であることは言うまでもありませんが、「どのような重力波が連星から放出されるのか」を詳細に計算してきた理論研究者の方々の存在も忘れてはいけません。彼らによって詳細に計算された重力波のパターンに関する理論予測があったからこそ、今回検出された重力波が連星ブラックホール起源であることが分かったのです。

重いブラックホールの存在?

そもそも、今回重力波検出を通じて発見されたブラックホールは、どのように形成されたのでしょうか? もちろん一般的によく知られているブラックホール形成のシナリオは、「星が一生を終えた後に残ったもの」かと思います。星は核融合反応を起こすエネルギー源を使い果たすと、もともとの星の質量によって、白色矮星、さらに中性子星やブラックホールという最終形態をとることになります。だいたい元々の星が太陽質量の約30倍以上だとブラックホールになると考えられています。ただ、星の進化の段階で恒星風と呼ばれる、星が放出する「風」によって質量の大部分を失うことで、ブラックホール自体の典型的な質量は太陽質量の10倍程度になると考えられています。これまで、ブラックホールはX線の観測によってもその存在が示唆されており、この観測で発見されたブラックホールもだいたい太陽質量の10倍程度でした。

ところが、今回発見された連星ブラックホールは、太陽質量のなんと約30倍の質量をもったブラックホールであることが分かりました。前述のとおり、通常の星の一生の最終形態として考えるには、重すぎるのです。このような「重い」ブラックホールを星起源で説明するひとつの可能性として、重元素が標準的なものに比べて少ない星「低金属星」があります。このような低金属星では、質量損失の大きな要因であった恒星風が抑制されることで、もともとの星の質量を保ったまま重いブラックホールになることができます。重元素は、星の内部で作られ超新星爆発などによって宇宙空間にばらまかれるので、宇宙の進化とともに重元素の量は増えていくと考えられます。つまり最近できた星はもともと重元素を含むことになり、一方で宇宙の初期にできた星は重元素をほとんど含んでおらず低金属星であると考えられ、今回の重力波は宇宙初期の星形成に重要な情報を与えると考えている研究者もいます。

原始ブラックホール

では、我々が提唱した「原始ブラックホールシナリオ」の話に移ります。実は前述の「宇宙初期にできた星」は、宇宙初期と言っても誕生から数億年経った宇宙で形成されたと考えられています。しかし「原始ブラックホール」は宇宙誕生後、数秒のうちに形成されたブラックホールです。

現在の宇宙は膨張しているということはどこかで耳にしたことがあるかと思いますが、膨張しているということは、時間を遡れば宇宙は初期に向かってどんどん収縮していきます。よって誕生後数秒の宇宙は高温高密度状態にあり、星や銀河といった現在の宇宙で見られる豊かな構造は存在せず、言ってみればドロドロのスープ状態にあったと考えられます。そのような時期に、密度の濃淡(ムラ)がありその中でも周囲に比べて特に濃い領域は、その領域が重力で縮もうとする力が宇宙の膨張に勝り、一気に重力収縮(重力崩壊)を起こします。こうして形成されたブラックホールが「原始ブラックホール」です。

このように前述の星起源のブラックホールとは大きく形成過程が異なり、ひとつの特徴としてさまざまな質量を持ったブラックホールが形成される可能性があるということが挙げられます。簡単にいうと、密度の特に濃い領域の大きさとその時の宇宙の大きさとの関係でブラックホールができるかどうかが決まるので、形成した時期と質量(=密度×大きさの3乗)に対応関係があり、太陽質量の30倍程度の原始ブラックホールとなると、宇宙誕生後約1万分の1秒の時期に形成されたと考えられます。

標準的な宇宙モデルでは、このような原始ブラックホールが数多く生成される程度の大きな密度の濃淡は生まれませんが、誕生後1秒未満の宇宙を記述する理論モデルはいまだ確立しておらず、原始ブラックホールの存在を予言する理論モデルも少なからずあります。こういった意味でも、宇宙論研究者にとって原始ブラックホールは初期宇宙を解明する鍵として重要な研究対象となっています。さらに、後でも述べるように、このような原始ブラックホールは重力的相互作用のみをする「物質」として現在まで残存している可能性もあり、いまだ分かっていない、いわゆる「暗黒物質」の候補としても考えられています。

連星原始ブラックホールと検出された重力波

今回の研究では、具体的な初期宇宙モデルについては言及せず、太陽質量の30倍の原始ブラックホールが初期の宇宙で形成され、それらが空間的にランダムに点在していたという仮定を出発点としています。ブラックホール同士の平均的な距離はその存在量で決まりますが、ランダムに点在していたとすると確率的に平均距離よりも十分近くで隣接するブラックホールのペアが存在します。そのようなペアは、宇宙膨張によって引き離される効果よりも互いの重力によって引き合う力が勝り、重力で束縛された状態になります。このときこのブラックホールのペア以外に重力を及ぼすものがないとすると、双方が引き合う重力のみが働くので、やがて正面衝突し、いわゆる連星の形成には至りません。しかし、ランダムに原始ブラックホールが点在していたという仮定に基づけば、このペアから少し離れたところに第3の原始ブラックホールが存在し、そこからの重力によりいわゆる潮汐力を受けることになります。その潮汐力により、ペアとなったブラックホールは正面衝突ではなく離心率が1に近い楕円運動を持つ連星となる、というのが我々の連星形成シナリオです。

fig3

さて、このコラムの始めの方で、質量を持った物体の運動により重力波が発生する、と言いましたが楕円運動をする連星からも重力波は放出されます。また離心率が1に近いとその放出はより効果的で、重力波放出によりこの連星系はエネルギーを次第に失っていきます。すると宇宙の進化とともに楕円軌道は次第に縮まっていき、最終的に合体へと至ることになるのです。

我々は、こうして形成された原始ブラックホール連星が現在の宇宙でどの程度の頻度で合体するかを一般相対性理論に基づき理論的に計算しました。一方でLIGO-Virgoチームは、太陽の30倍程度の質量を持つブラックホール連星が合体する頻度を今回の重力波検出をもとに実験的に見積もっています。両者を比較したものが下図です。

fig_4

この図において縦軸は合体頻度を表し、横軸は宇宙における原始ブラックホールの存在量を表します。暗黒物質の存在量に対する相対的な割合として表しています。実線が我々の理論予測で、色のついた帯がLIGO-Virgoチームによって見積もられた合体頻度の範囲です。この図から太陽質量の30倍程度の原始ブラックホールが暗黒物質のうち千分の1程度を占めているとするとLIGO-Virgoチームによる結果と無矛盾であることがわかります。つまり、今回検出された重力波が原始ブラックホール連星起源である可能性が十分考えられるわけです。

今後の展開

今後の展開としてまず考えるべきなのは、本当に原始ブラックホール起源なのかどうかを観測的に確かめることです。そのような観測的検証として以下のような手法が考えられます。

ひとつは、別の将来の宇宙論的観測による検証です。原始ブラックホールが存在すると、それはつまり、宇宙の初期段階からブラックホールが存在したということです。先に述べたX線によるブラックホール観測では、ブラックホールに物質が落ち込むことによって起こる膨大なエネルギー放出をX線で観測しています。宇宙初期からこのようなエネルギー放出が原始ブラックホールの周辺で起きていたとすると、標準的な宇宙モデルとは異なる状態となると考えられ、それは将来の宇宙論的観測で十分検証可能であると考えられています。宇宙マイクロ波背景輻射の黒体分布からのズレなどが考えられます。

もうひとつは、今後の重力波観測による検証です。今後数多くの連星ブラックホールが重力波を通じて発見されると期待され、統計的な議論が可能となります。具体的に言うと、たとえばどのくらいの質量を持ったブラックホールがどのくらいの頻度で合体するのかを実験的に見積もることができれば、連星ブラックホール形成シナリオが検証可能となります。さらに実験技術が進歩していけば、過去に合体した連星ブラックホールからの重力波も捉えることができると期待されており、宇宙におけるブラックホールの合体史が明らかになればこれも当然ブラックホールの起源の解明につながることでしょう。

このように、重力波検出を通じて原始ブラックホールの存在を明らかにし初期宇宙を探る、というのは非常に興味深く、まだまだ理論的にも発展していくと期待される研究分野であると考えています。

最後に、本記事を書くにあたって元となった研究の共同研究者である佐々木節氏、田中貴浩氏、須山輝明氏に感謝申し上げます。また、原稿に目を通し助言していただいた小川潤氏にも感謝申し上げます。

参考文献

B. P. Abbott et al., [LIGO Scientific and Virgo Collaborations],  "Observation of Gravitational Waves from a Binary Black Hole Merger,'' Physical Review Letters  116, no. 6, 061102 (2016)

M. Sasaki, T. Suyama, T. Tanaka and S. Yokoyama,  "Primordial Black Hole Scenario for the Gravitational-Wave Event GW150914,'' Physical Review Letters  117, no. 6, 061101 (2016)

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発展途上国における原虫病の撲滅を目指して - 媾疫トリパノソーマの培養順化株の確立 https://academist-cf.com/journal/?p=2315 Wed, 19 Oct 2016 01:00:39 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2315 はじめに 皆さんは「原虫」という生物グループをご存知でしょうか? 原虫は、単細胞真核生物の寄生虫であり、その仲間には主に熱帯地方で蚊によって媒介される「マラリア原虫」や、ネコからヒトに感染する可能性のある「トキソプラズマ」などがいます。私は、帯広畜産大学の原虫病研究センターで、原虫と原虫の感染によって引き起こされる家畜の原虫病について研究を行っています。 今回は、私が研究している「トリパノソーマ」という原虫の一種であり、ウマ属(ウマ、ロバ等)に寄生し媾疫(こうえき)という病気を引き起こす「媾疫トリパノソーマ(Trypanosoma equiperdum)」を紹介させていただきたいと思います。 [caption id="attachment_2384" align="aligncenter" width="500"]fig1 媾疫トリパノソーマの顕微鏡画像。核とキネトプラストを矢印で示している。キネトプラストとは、トリパノソーマの仲間に特徴的な細胞小器官。 キネトプラストから細胞の前方に伸びる鞭毛が特徴的[/caption]

媾疫トリパノソーマについて

媾疫は、媾疫トリパノソーマの感染によって引き起こされる病気です。寄生性のトリパノソーマの多くは、感染哺乳類の血流中に寄生し、吸血昆虫の吸血を介して非感染哺乳類に感染します。一方、媾疫トリパノソーマはウマの生殖器粘膜に寄生し、交尾によって感染ウマから非感染ウマに感染します。そのため、媾疫に特徴的な症状としては生殖器の腫脹や流産などの繁殖障害が知られています。 媾疫流行国の多くが農業を経済基盤にしている発展途上国であり、それらの国々の家畜生産性を上げ経済発展の礎にするために媾疫対策が望まれています。さらに先進国においても、オリンピック馬術競技や競馬などで生体ウマ輸出入が年々増加していることから、媾疫は家畜防疫上重要な疾患です。そのため、媾疫は国際獣疫事務局(動物版WHO)により「国際的に重要な家畜疾患」に認定され、媾疫に関する研究の推進と媾疫対策が求められています。 媾疫に自然感染したウマを用いて媾疫の研究を行うことは、お金・時間もかかりさまざまな条件を統一して実験することが非常に困難なので、なかなか研究を進展させることができません。そのため、媾疫に限らず一般的に病原体の研究を進めるためには、研究室で取り扱うことのできる「培養順化(研究室で継続的に病原体を培養・維持できるようにすること)株」が必要です。しかし、媾疫トリパノソーマの確たる培養順化株が存在しなかったため、重要家畜疾患であるにもかかわらず媾疫の研究は立ち遅れていました。そこで私たちは、媾疫流行国であるモンゴル国で媾疫感染ウマを見つけ、そこから媾疫トリパノソーマを分離・培養順化株を確立することを目的として実験を行いました。

媾疫トリパノソーマの分離・培養にチャレンジ

地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)で、私たちはモンゴル全土における家畜原虫病の疫学調査を行っています。 [caption id="attachment_2385" align="aligncenter" width="500"] モンゴルでの疫学調査での一コマ[/caption] この疫学調査を通じて、媾疫感染ウマを見つけ出し媾疫トリパノソーマを分離することとしました。 [caption id="attachment_2386" align="aligncenter" width="500"] 媾疫感染オスウマ。外陰部の腫脹が媾疫の特徴[/caption] 上図はこの調査を通じて見つけた典型的な媾疫の症状を示すオスウマで、外陰部が著しく腫脹しています。このオスウマの尿道に綿棒を突っ込み、尿道粘膜上皮細胞を掻き取りました。掻き取ったサンプルを顕微鏡で観察すると……いました。媾疫トリパノソーマが動いているのが確認できました! 急いで採取した媾疫トリパノソーマを培養順化するために、 1)液体培地(トリパノソーマの培養で一般的に用いられる方法) 2)実験動物感染(トリパノソーマの野外株分離で一般的に用いられる方法)に加え、 3)私たちが開発した軟寒天培地(液体培地を低融点アガロースで固めた固形培地) の3つの方法を試しました。その結果、軟寒天培地でのみ媾疫トリパノソーマが増殖し、分離培養に成功しました。その後モンゴル獣医学研究所・帯広畜産大学原虫病研究センターで媾疫トリパノソーマの培養を継続し、実験室で安定して取り扱うことのできる「媾疫トリパノソーマの培養順化株(T. equiperdum IVM-t1)」として報告しました(Suganuma et al., 2016)。以下の動画は、媾疫トリパノソーマの培養順化株のものです。

まとめと今後の展望

今回、媾疫トリパノソーマを分離し培養に順化させることに成功しました。本研究で開発した軟寒天培地は持ち運び・取り扱いが容易であり、媾疫トリパノソーマの増殖速度も速いため、野外での効率的な媾疫トリパノソーマ分離・培養順化に適していると考えられます。今後は、本研究で確立した媾疫トリパノソーマ培養順化株を用いて治療薬の探索・開発や、実験動物(マウスやウサギ)に媾疫トリパノソーマを感染させ、媾疫の病態を解析していきたいと考えています。 なお、本研究は国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)と独立行政法人国際協力機構(JICA)が連携して実施する、地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)の一環として、モンゴル国立獣医学研究所Battsetseg Badgar所長らと共同で行いました。]]>
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【連載】脳望遠鏡:Biology 5.0で脳に挑む(1) https://academist-cf.com/journal/?p=2363 Fri, 21 Oct 2016 01:00:30 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2363 * 連載目次はこちら 「コネクトーム」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。コネクトームというのは、脳神経系のニューロンが作っている神経回路の「まとめてすべて」を意味する概念です。最近、神経科学の分野では、コネクトームということを念頭においた研究が盛んになっています。そして、コネクトームを研究する方法のことを、コネクトミクスと言います。これらについては、後でもう少し詳しく説明します。 [caption id="attachment_2378" align="aligncenter" width="500"] 宇宙とハッブル宇宙望遠鏡[/caption] 夜空には、多数の星が輝いています。宇宙には、遠すぎて暗い天体やブラックホールのように肉眼で見えないものも多数あるでしょう。そして、宇宙について知るには、すべての銀河や星の情報をいろいろな観点から収集する必要があります。コネクトームのデータ収集というのは、ハッブル宇宙望遠鏡で、宇宙を撮影していく姿と重なります。そのためには、ハッブル宇宙望遠鏡みたいなものを組み立てる必要もあるでしょう。そして、撮影した写真を分析する必要もあります。今、神経科学の分野では、こういう方向の研究が始まっています。そして、その牽引力となるのが、私が「Biology5.0」と名付けた新しい生物学研究の方向性です。

Biology 5.0

ノーベル賞受賞者であり、沖縄の沖縄科学技術大学院大学(OIST)の設立も関わったシドニー・ブレナー博士は、かつて、このように言いました。
「科学の進歩は、新しい技術、新しい発見、そして新しいアイデアに左右される。おそらく、この順であるが。」(引用元
つまり、発見やアイデアが生まれる前には、新しい技術の登場が大切である。逆にいえば、発見や概念というのは、技術の進歩が律速段階であるということです。こういう立場から生物学の歴史を振り返ると、生物学史の発展は5段階に分けられると私は考えており、現在が5段階目である「Biology5.0」の始まりの時期になるのです。 [caption id="attachment_2379" align="aligncenter" width="500"]fig2-biohistory Biologyの歴史(各図は、Wikipedia等のCreative Commonsから。)[/caption] メンデル、ダーウィンなどによって切り開かれた近代生物学の始まりが、Biology 1.0です。この時代には、研究者自身の「目を使っての観察とシンプルな実証的実験」が中心でした。カハールは、顕微鏡を用いて、神経系が細胞(ニューロン)のつながりからできていることを見つけました。シュペーマンは、実験発生学の手法でオルガナイザーを発見しました。 Biology 2.0は、20世紀中頃から始まりました。研究者の目にはほとんど見えない分子や細胞の「構造を想像」するということがその根本にあったと思います。たとえば、遺伝子の実体であるDNA構造の決定や、それを扱う遺伝子工学というような技術が出現しました。目に見えない細菌やファージなどの研究が進んだのもこの段階です。 一方、Biology 2.0の知見をもとに、タンパク質などの生化学、細胞生物学、発生生物学などの分野においてウェットな実験技術が確立されたのがBiology 3.0でした。Biology 3.0では、個々の遺伝子やタンパク質などに名前がつけられて、そういう「役者」のそれぞれがどういう働きをするのか、という研究が中心でした。 21世紀に入り、ヒトのゲノム解明を含めて、ゲノム、プロテオーム、システム生物学など、まとまった規模の大きな情報を扱うBiology 4.0の時代になりました。20世紀に発展したBiology 3.0では、個々の役者がどういう働きをするのかという研究が中心でしたが、この時代になると、そういう役者が集まって作られる「ドラマ」に関心が持たれるようになってきたのです。そして今、Biology 5.0の時代が始まろうとしていると思います。 [caption id="attachment_2380" align="aligncenter" width="500"]fig3-bio5 Biology 5.0のポンチ絵[/caption] 私の言うBiology 5.0というのは、ICTを最大限に活用し、サイバー空間と現実の生物とを融合させることで、生物学研究の方法を変えてしまうような革命が起こりつつあるということです(上図)。Biology 4.0の時代のラボでは、生物や細胞を扱ったり、遠心機を回したり、ピペットを使ったりすることが主でした。しかしBiology 5.0では、そういうウェットなものが姿を消し始めます。また、Biology 4.0の時代では、ゲノムやその情報というのは、情報が断片的であり強固なもので取り扱うのに、大掛かりな仕事でしたが、Biology5.0の時代では、ICTやゲノム編集などの力も借りて、それを自在に替えてみる、これまでなかったような生物情報を創り出すというようなことも行われます。 生物学では、観察が大切であると言われてきました。しかし、Biology 5.0では、「観察」という言葉から想像されるような伝統的な観察の重要性が著しく小さくなっていくのではないかと思います。Biology5.0では、情報科学、ビッグデータ、オープンサイエンス、合成生物学、人工知能などが重要になってきます。こういうのは、既にバイオインフォマティクスとして、たとえばゲノムやトランスクリプトームなどの分野では、一部では実際に行われているわけです。つまり、研究者自身がウェットな実験をやらずに、ゲノムなどのようなオープンな情報をデータベースから取り出して、それを分析して論文を執筆するというやりかたです。ところが、Biology 5.0では、これがさらに進展し、オープンデータになっている細胞の画像、電子顕微鏡画像、さらには脳活動の画像というものを取り出し、それを分析して、論文を執筆するということも日常的になっていくでしょう。こういう場合、論文を書く研究者が必要とするのは、コンピュータというツールを利用した「観察」ということになります。 Biology5.0で一番大切なのは何なのかというと、実は「データ」なのだと思います。つまり、「どんなデータでも収集してしまう」ということが大切です。「IoT(Internet of Things)」という概念がありますが、生体分子やその複合体、細胞、細胞の微細構造、細胞集団、組織、器官、個体、集団、すべての階層のパーツに回線を接続して、動きなどの全部のデータを集めるという仕掛けやシステムの開発が始まっていると思います。 生物学の研究がこのような形になってくると、伝統的な生物学の教育を受けた研究者だけでは対処できなくなります。生物学者は、数学や情報関係分野に強い人と共同研究をする必要がでてきそうです。これまでの生物学の共同研究の多くは、同じ分野にいる研究者の場合が多かったのです。これからは、お互いに自分のフィールドの知識や技術だけではできないような研究が大切になってくるでしょう。研究の方向が、分野融合型(Interdisciplinary)、さらには分野障壁の破壊型(anti-disciplinary)になっていくということです。

私のコネクトーム

脳神経系のニューロンが作っている回路のまとめてすべてを意味する「コネクトーム」については、私が、最近、脳科学辞典(日本神経科学学会の事業)に1項目を執筆しましたので、コネクトームの課題を含めて、詳しくはそちらの方を参考にしていただければと思います。 不思議なことなのですが、神経科学の現状では、「コネクトーム」という概念の捉えかたが研究者によって大きく違うということがあるのです。たとえば、Human Connectome ProjectをやっているDavid van Essen博士やOlaf Sporns博士などは、脳の大雑把な像であちこちの部域が活動している様子が思い浮かぶ一方で、Jeff Lichtman博士やSebastian Seung博士なら、たくさんのニューロンの突起がつながったような像が思い浮かぶのではないかと思います。また、Rafael Yuste博士であれば、一緒に活動しているニューロンみたいなものの集団が思い浮かぶはずです。これを、巨視的だ、微視的だ、構造的だ、機能的だというわけです。最終的には同じものになるはずですが、現状では、研究者それぞれの頭の中で異なるイメージを持つという奇妙なことになっているわけです。 私にとっては、コネクトーム、つまりニューロン同士のつながりというのは、ニューロン同士をつなぎあげる分子の発現と特異性の問題です。私がやろうとしているのは、私のイメージしているコネクトームというものを、Biology5.0でアプローチするということになります。次回から、もう少しこの点を説明しつつ、最近発表した論文をいくつか紹介していきたいと思います。 第2回へ続く    参考文献 脳科学辞典(日本神経科学学会)「コネクトーム」山形方人(2016年)]]>
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孔雀の羽を人工的に作る! - コロイド粒子を用いた構造色による次世代インクの開発 https://academist-cf.com/journal/?p=2400 Tue, 25 Oct 2016 01:00:51 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2400

孔雀の羽の発色機構

雄の孔雀の羽を見たことはありますか? 非常に鮮やかな色の羽を持つことで有名な孔雀ですが、実はこの色は、色素由来ではなく構造由来の色、すなわち構造色であることがわかっています。 構造色とは、微細構造に光が当たった際の光の干渉や回折、散乱によって発現する色のことで、身近な例だと、シャボン玉やCD、貝殻の裏側の色などが挙げられます。孔雀の羽には、メラニン顆粒という私たちの髪やイカ墨中に含まれる黒褐色の粒子が規則的に配列しています。その配列に光が当たると構造色が発現するのですが、孔雀の羽の場合には、メラニン顆粒の黒色が余分な散乱光を吸収するため、非常に鮮やかな構造色となります。 しかし、メラニン顆粒は生体内で複雑な酵素反応を経て合成されているため、人工的に作るのは困難です。もし、メラニン顆粒を模倣したコロイド粒子を人工的に合成することができれば、孔雀の羽のような鮮やかで視認性の高い構造色が発現することができるかもしれません。 [caption id="attachment_2401" align="aligncenter" width="500"] 雄の孔雀の羽[/caption]

メラニン顆粒を模倣したコロイド粒子の作製

当研究グループではこれまでに、メラニンの前駆体であるドーパの模倣物質「ドーパミン」を重合して、サイズの均一な「ポリドーパミン黒色粒子」の作製に成功しました。この粒子は、メラニン顆粒とほぼ同じ組成の材料で、ポリドーパミン黒色粒子のみを用いて構造色を発現できることを見出しました。しかし、構成成分すべてを黒色のポリドーパミンで作製したコロイド粒子は、黒色度が高すぎるため固体状態での発色が暗くなってしまうといった課題がありました。そこで私たちは、この課題を解決するために、「単一材料」かつ「黒色度が制御可能」なコロイド粒子の作製を目指しました。 本研究では、汎用高分子であるポリスチレン粒子をコアとし、その粒子にポリドーパミンを被覆したポリスチレン@ポリドーパミンコア-シェル粒子を作製しました。ポリドーパミンシェルの膜厚は、モノマーであるドーパミンの仕込み濃度に依存するため、膜厚を制御することで、黒色度を容易に制御することができました。 %e5%9b%b32

黒色度を制御したコロイド粒子を用いた構造発色

コアのサイズやシェルの膜厚を変化させたコア-シェル粒子を用いて、下図のような構造色ペレットを作製しました。一番左端の列に示した、ポリスチレン粒子のみで作製したペレットは光の散乱が大きすぎるため、乳白色を発現したのに対し、わずか数ナノメートルのポリドーパミンを被覆しただけで、黒色のポリドーパミンが余分な散乱光を吸収してくれるため、視認性が劇的に向上しました。また、コア粒子のサイズとポリドーパミンシェルの膜厚を変えることで、現在使われているほぼ全ての色を再現することに成功しました。 %e5%9b%b33

虹色構造色と単色構造色

コア-シェル粒子のシェルの膜厚を変化させることで、粒子表面の粗さを制御することができます。コア-シェル粒子は、ポリスチレンコア粒子の周りにポリドーパミンが堆積していくことで作製されますが、モノマーの濃度が高くなると、堆積量が増え、粒子表面の凹凸が大きくなります。 ポリドーパミンシェルの膜厚が薄いとき、つまり粒子表面の凹凸が小さく滑らかなとき、粒子は規則正しく周期的に配列します。それに対して、膜厚が厚いとき、粒子表面は粗くなるので、規則正しく配列することが物理的に困難になり、アモルファスに配列します。この配列の違いによって、構造色の見えかたに違いが出てきます。周期的な配列に光が当たると、見る角度により色が可変な角度依存性のある「虹色構造色」を発現するのに対して、アモルファスな配列に光が当たると、どの角度から見ても色の変わらない「単色構造色」を発現します。この違いはシェルの膜厚により生じるため、角度依存性の有無は容易に作り分けることができます。 %e5%9b%b34

今後の展望

今回、黒色度が制御可能なコア-シェル粒子を作製し、視認性の高い鮮やかな構造色材料を紹介しました。構造色とは、構造由来の色であるため、構造が崩れない限り変色や褪色しません。本研究で作製したコア-シェル粒子を用いることで、色褪せせず、角度依存性など構造色独特の光沢を有するインク色材への応用を目指していきたいと考えています。 参考文献
  • S. Yoshioka, and S. Kinoshita, Forma, 2002, 17, 169
  • J. Zi, X. Yu, Y. Li, X. Hu, C. Xu, X. Wang, X. Liu, and R. Fu, PNAS., 2003, 100, 12576
  • M. Kohri, Y. Nannichi, T. Taniguchi, and K. Kishikawa, J. Mater. Chem. C, 2015, 3, 720
  • A. Kawamura, M. Kohri, G. Morimoto, Y. Nannichi, T. Taniguchi, and K. Kishikawa, Sci. Rep., 2016, 33984.
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【連載】脳望遠鏡:Biology 5.0で脳に挑む(2) https://academist-cf.com/journal/?p=2417 Fri, 04 Nov 2016 01:00:24 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2417 * 連載目次はこちら ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)は、初めて望遠鏡を使った天体観測をし、顕微鏡を使って昆虫の複眼を観察しました。ガリレオは、ピサの斜塔の有名な落下実験で知られるように、実験物理学の創始者とされています。ガリレオの父であるヴィンチェンツォ・ガリレイ(1520-1591)は、歴史に残る音楽家として知られていますが、音楽理論に数学的な方法を導入し、息子の志向にも多大な影響を与えたと言われています。顕微鏡で植物を観察することで 「Cell(細胞)」という概念を提唱したロバート・フック(1635-1703)は、弾性に関する法則でも有名です。この時代は、数学、物理学、天文学、化学、バイオ、工学、医学、そして音楽も芸術も密接に「融合」していたのです。 ところがその後、それぞれの分野が分離していきました。20世紀後半の科学研究は、このような分野別の研究が科学研究の典型となってしまいました。そこで近年、分野融合、分野横断(Interdisciplinary)、さらには分野障壁の破壊型(Anti-Disciplinary)ということが、さまざまな場面で強調されるようになってきているのは多くの方が感じていることでしょう。前回説明したBiology5.0では、このマインドセットが決定的に大切になってくると思います。 [caption id="attachment_2506" align="aligncenter" width="500"]figrue1-my ディシプリンの壁を壊そう[/caption] 科学研究の現状では、依然として分野の枠にこだわった研究が盛んであると感じます。これは、研究室、講座、学科、部門、学部、大学、研究所、学会など、いろいろな組織が壁を作っていて、そういう「ディシプリンの壁」を壊せないような仕組みになっているからなのかもしれません。言うまでもありませんが、「Interdisciplinary」とか、「Anti-disciplinary」というのは、そういう壁をなくそうということです。特に、日本の科学研究の現場では、この組織の存在による「ディシプリンの壁」が堅固であるという印象を受けます。さらに、最近のアカデミアの厳しい競争的な環境では、個々の研究者を埋没させるようなタイプの共同研究を阻害しやすくなっているのではないか、という懸念があると思います。 バイオ系でも共同研究というのは、しばしば行われています。ところが実際、分野融合型の共同研究というのはそれほど多くないのです。ほとんどの共同研究というのは、人手が多い方が速く研究が進むという種類のものです。仕事を頑張れば、自分一人でもできるのかもしれないが、他の人にやってもらうという感じです。こういうのは、分野融合ということではありません。 今回は、私が最近体験したひとつの分野融合型の研究について紹介したいと思います。

コネクトームと化学親和説

前回説明したように、コネクトームというのは、 脳神経系のニューロンが作っている神経回路の「まとめてすべて」を意味する概念です。ニューロン同士が接続しているのは、「シナプス」という構造です。シナプスは、神経伝達物質(グルタミン酸、アセチルコリンなど)を放出する顆粒を持つシナプス前部の細胞膜と、神経伝達物質の受容体を持つシナプス後部の細胞膜が接着した構造をしています。接着構造ですから、それをつないでいる接着分子というのが存在していると考えられるわけです。 神経回路では、ニューロン同士の接続の関係が、ちょうど鍵と鍵穴のようになっているために、きちんと神経回路ができあがり、維持されているという説があります。これは半世紀ほど前、ロジャー・スペーリ(1913-1994、1991年ノーベル生理学・医学賞)によって唱えられた説で「化学親和説 Chemoaffinity theory」といいます。直観的にはとてもシンプルで、それぞれのニューロンの表面に鍵、それに接続する別のニューロンに鍵穴があり、両者の形がぴったり同じなので、正しくつながるというアイデアです。この20年ほどの間に、鍵と鍵穴の役割をする分子というのが実際にわかってきています。 [caption id="attachment_2419" align="aligncenter" width="500"] 化学親和説:ニューロン同士が正しくつながる時の鍵と鍵穴(Sanes & Yamagata, 2009より)。[/caption]

神経回路の相棒をつなぐSidekick

鍵と鍵穴のような化学親和を担う分子に、Sidekick1(Sdk1)およびSidekick2(Sdk2)というよく似た2種類の細胞表面分子があります。Sidekickは「相棒」を意味します。私たちは2002年に、ニワトリの網膜で、異なる種類のニューロンで特異的に発現し、鍵と鍵穴の役割をする細胞表面分子を発見しました(詳細はこちら)。 この分子の性質である鍵と鍵穴の化学親和の関係は明確で、Sdk1はSdk1と、Sdk2はSdk2とのみ結合し、Sdk1とSdk2とは結合しないホモフィリックな性質を持ちます。つまり、鍵と鍵穴が同じ分子になっているということです。したがって、2つのニューロンが同じSdkを発現していれば,神経突起どうしがホモフィリックな結合を起こし、回路の接続にいたると考えられます。 [caption id="attachment_2507" align="aligncenter" width="500"] Sdk1はSdk1と、Sdk2はSdk2と親和力を持つ[/caption] 私たちは2015年に、マウスの網膜で、網膜のニューロン「W3B」とその神経結合のパートナーであるニューロン「VG3」において、Sdk2が発現していることを報告しました。Sdk2がこの2種類のニューロンが作っている神経回路を規定しているということになります。さらに、Sdk2遺伝子を発現できなくなるようにしたマウスでは、2種類のニューロン間の結合に障害が起こることを、光遺伝学の手法などにより示しました。この分子の研究については、私たちも未だBiology3.0の世界を徘徊していますが、将来的にはBiology5.0の世界になるようにしたいと考え、現在も研究を続けております。

分野融合アプローチでわかった化学親和力を高める新しいメカニズム

最近、ニューヨークのコロンビア大学の構造生物学者との共同研究で、細胞表面分子の頭側にある「馬蹄(うまのひづめ)」の形をした部分の立体構造を報告しました。上図で番号を付けた6つの楕円形の構造が丸まることで、馬蹄形になります。馬蹄形の部分は、血液中にある抗体分子である免疫グロブリンと構造がよく似ているので、免疫グロブリンドメイン(Immunoglobulin, Ig)ドメインと呼ばれています。 私たちは、その部分のSdk1とSdk2の結晶構造を解くことに成功し、その構造からホモフィリックな結合がどのように生じるのかということを推測しました。この研究は、共同研究者であるコロンビア大学の構造生物学者(Kerry Goodman博士、Barry Honig博士、Larry Shapiro博士)がX線結晶構造解析を、私が細胞を使った実験を担当しました。私自身、学部生時代に生化学の研究をやっていましたので、タンパク質の結晶作製にも少し馴染みはありましたが、X線結晶構造解析の経験は全くありませんので、本研究は全く異なる分野が融合した研究の典型であると思います。 ホモフィリックな結合をするIgドメインを持った認識分子は数多く知られていますが、驚いたことに、Sdkの構造から推定されたホモフィリックな分子間相互作用は、これまで解明されてきた類似分子の様相とかなり違っていました。また、タンパク質の構造の中で、どのアミノ酸残基がこのホモフィリックな親和性に大切かというのもわかりました。その特定のアミノ酸残基を別のアミノ酸に変異すると、分子全体を細胞に発現させた時に観察される細胞接着活性も消失しました。興味深いことに、この活性を失った変異分子は、異なる細胞間での細胞接着をしなくなるだけでなく、ひとつの細胞に発現させた場合も、正常なものとは違う挙動を示すことがわかりました。つまり、下図のように、本来、細胞接着や認識のために異なる細胞表面に発現した場合に起こる分子間相互作用(trans相互作用=細胞接着)が、同じ細胞表面上でも起っているということです(cis相互作用)。 [caption id="attachment_2421" align="aligncenter" width="500"]fig4-sdkmodel 細胞表面上のSdk分子のよる化学親和の特異性を高める新モデル(Goodman et al, 2016)[/caption] つまり、Sdk1の場合、cis相互作用とtrans相互作用を同じ構造を使って行っているようです。その結果、trans相互作用(細胞接着)が起っていない時には、同じ細胞表面上でcis相互作用していることで、かすかに見られるSdk2との結合を防止していると考えられます。このようにして、cisとtransの相互作用が細胞表面上で競合的な関係になっていることで、シナプスができる時の鍵と鍵穴の特異性を更に強めているのではないか、という新しいモデルを提唱しています。 第3回へ続く   参考文献 ]]>
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現代版”ホムンクルス”を作成し、生殖細胞の謎に迫る https://academist-cf.com/journal/?p=2440 Tue, 08 Nov 2016 01:00:58 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2440 謎に包まれた"ホムンクルス"の正体 生殖細胞は、次の世代の個体を作り出す不思議な能力を持っている細胞です。生き物を個体のレベルでみると、体を作っている体細胞が主役で、生殖細胞はなくても一生を全うできます。その一方で、生き物を種のレベルで見ると、生殖細胞があるからこそ、さまざまな生き物が時間を超えて命をつなぎ、進化することができたわけで、生殖細胞が生き物の主役であるようにすら思えます。それでは、生殖細胞のどのような仕掛けによって、個体を作り出せているのでしょうか。 中世のヨーロッパでは、錬金術が盛んに行われました。錬金術とは、価値の低い物質に操作を加え、より価値の高い物質を造りだす試みです。残念ながら、その本来の目的を達成することはできませんでしたが、そこで行われたさまざまな試行が、その後の近代科学の発展に寄与したとされています。この時代を生きた医師のパラケルススは、精子に操作を加えて人間を創成したとされ、その結果できあがった人間をホムンクルスと呼びました。その後、200年以上にわたり、一部の生物学者は精子や卵子の中にはホムンクルスが入っていると考えたようです。20世紀になると、ホムンクルスの存在を信じている人はいなくなりましたが、細胞の性質をさまざまな手法で解析し、分子のレベルでかなりのことが説明できるようになった現在でもなお、生殖細胞の性質を担っている”ホムンクルス”の正体は明らかになっていません。 [caption id="attachment_2447" align="aligncenter" width="110"] 精子のなかのホムンクルス[/caption]

生殖細胞を遺伝子レベルで見てみると……

生殖細胞が他の体細胞とは異なる特徴を持っていることは、遺伝子のレベルでもわかってきています。DNA鎖はヒストンというタンパク質と結合し、コンパクトに折りたたまれて細胞の核内に収納されています。ただ、この折りたたまれかたは一様ではなく、DNA鎖の部位によって異なっています。一般にこの折りたたみが緩いと、その部分の遺伝子では活発に転写が起こりますが、強く折りたたまれた部分の遺伝子では、あまり転写は起こりません。この折りたたまれかたは、DNAやヒストンタンパク質のメチル化などの化学修飾によって制御されていて、エピジェネティック制御と呼ばれています。 最近の研究から、胎仔期の未分化な生殖細胞である始原生殖細胞では、このエピジェネティックな状態が普通の細胞とはかなり異なっていることがわかってきました。たとえば、DNAのメチル化や特定のヒストンタンパク質のメチル化が非常に低い状態になっていて、そのことが生殖細胞の次世代個体をつくる性質に関係していると予想されます。

現代版ホムンクルスをつくる!

私は、生殖細胞の仕掛けを解き明かすためのひとつのやりかたとして、現代版ホムンクルスをつくるということを考えました。体細胞に、遺伝子の導入や化合物を作用させて、生殖細胞のエピジェネティックな状態や遺伝子発現を再構成し、精子や卵子に分化する細胞を作ることができれば、生殖細胞の性質を中心的に担う構成要素が何かを言うことはできそうです。突拍子もないと思うかも知れませんが、iPS細胞ができる前は、皮膚細胞にたった4つの遺伝子を導入しただけで、それができるとは多くの人は考えなかったに違いありません。 私たちはまず、マウス胎仔の線維芽細胞を、生殖細胞のエピジェネティック状態に近づけるための操作を培養下で試みました。実際に行ったことは、DNAの脱メチル化を誘導するために、RNA干渉という方法でDNAメチル化酵素遺伝子の発現を阻害することと、いくつかのヒストンメチル化酵素に対する阻害剤を作用させることです。その結果、全体の3割程度の遺伝子が選択的に発現変動をおこし、そのうち発現が上昇した遺伝子のなかに、生殖細胞で特異的に発現する遺伝子が含まれていることがわかりました。一方で、神経系や免疫系遺伝子の一部も発現上昇し、また、生殖細胞特異的遺伝子でも発現しないものもありました(Scientific Reports 6:32932, 2016)。 この研究から、生殖細胞の性質を線維芽細胞に再構成するには、今回試みた条件では不十分であるものの、一部の生殖細胞特異的遺伝子の発現が選択的に誘導されたことから、さらに操作を加えることによって、精子や卵子に分化する細胞に変化させることも可能なのではないかと考えています。 [caption id="attachment_2449" align="aligncenter" width="500"] マウス胎仔線維芽細胞に処理を加えた結果、生殖細胞で特異的に発現するタンパク質(赤)が検出できるようになった[/caption]

その向こうには、何があるんだろう?

現代版ホムンクルスができたら、その次には何が見えて来るのでしょうか? 生殖細胞とは何かという学術的な問いかけに対して、ある程度の答えが得られるかもしれません。また、生殖細胞が上手くできないために起こる不妊の原因をつきとめることに役立つかも知れません。さらに、正常な個体ができることがはっきりし、またヒトの皮膚の細胞から精子や卵子を人工的に作るとことに対する社会のコンセンサスができるなど、倫理的な問題点がクリアされれば、不妊症に対する究極の解決策になるかも知れません。 もし、生殖細胞をつくる仕掛けがわかったとしても、受精卵がどうやって個体を作り出すのかというもうひとつの疑問が残ります。ES細胞やiPS細胞は、どんな細胞にも分化できる分化万能性を持っていますが、この細胞のみから個体ができることはありません。植物を見てみると、分化したひとつの組織細胞を特定のホルモンの存在下で培養してできるカルスという未分化細胞の塊は、分化しながら最終的には植物の個体をつくることができます。動物でも、無性生殖をするホヤなどは、成体の一部から出芽してできる20個程度の未分化細胞集団から個体全体ができます。カルスも出芽も、生殖細胞ではなく、未分化細胞の集まりです。こういった生き物では、未分化細胞の集団が、受精卵と同様に分化万能性に加えて個体形成能も持っていると言うことができます。高等動物の受精卵は大きなサイズで、発生の最初では卵割という、細胞の大きさが分裂ごとに小さくなっていく、秩序だった特別な細胞分裂をおこし、さらに受精卵の細胞質にはさまざまなタンパク質などが蓄積されていて、そういったことが個体を作るためには必要であると思われます。しかし、体細胞やES 細胞に"錬金術"を施すことにより、受精卵とは異なったやり方で、個体形成を始めることはないのだろうかなどと、あらぬ妄想が思い浮かんだりもします。 [caption id="attachment_2450" align="aligncenter" width="500"] マウスのiPS細胞[/caption]  ]]>
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メスに関連する3つのはたらきを持つ遺伝子「Nrk」 – 乳がん発症抑制メカニズムの解明へ https://academist-cf.com/journal/?p=2454 Mon, 14 Nov 2016 01:00:38 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2454 はじめに 哺乳動物の性染色体にはX染色体とY染色体があり、オスはそれぞれを1本ずつ、メスはX染色体を2本もっています。Nrk(Nik-related kinase)は、X染色体にコードされた遺伝子ですが、その分子機能はほとんどわかっていません。 しかしながら、その発現パターンは特徴的であり、Nrk遺伝子がマウスでクローニングされた1999〜2000年当時、その発現は胚発生の中期〜後期にのみ検出され、調べられた限りのすべての成体組織で検出されませんでした。このことからNrkは胚発生過程に関与する遺伝子であることが示唆されていました。 そこで私たちは、その働きを知るためにNrkのノックアウト・マウスを作製して解析を行いました。この結果、発現パターンからの予想に反し、Nrk欠損マウスは正常に生まれ天寿を全うしました。したがってNrkは胚発生には寄与しないことがわかったのですが、今回の研究結果から成体のメスマウスにおいては「胎盤における細胞増殖の制御」「分娩誘発」「乳がんの抑制」という、いずれもメスに関連する3つの機能に不可欠な役割を担う興味深い遺伝子であることが明らかとなりました。

Nrkは胎盤における細胞の過増殖を抑制する

Nrk欠損によるひとつめの異常として、妊娠中に母体と胎仔をつなぐ組織である胎盤が肥大化することがわかりました。重量を計ると、野生型の胎盤の2倍以上になります(A)。胎盤は、母体由来の細胞層である脱落膜、胎仔由来の細胞層であるスポンジオトロホブラスト層、そして同じく胎仔由来の細胞層であるラビリンス層の3層から構成されますが、Nrk欠損胎盤の切片を組織学的に調べてみると、スポンジオトロホブラスト層が肥大化してラビリンス層に侵入している様子が観察されました(B)。

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細胞増殖のマーカーであるKi67タンパク質の免疫染色を行うと、特にラビリンス層に食い込んでいる部分のスポンジオトロホブラスト細胞が旺盛に増殖し続けていることがわかります(C)。また、野生型の胎盤切片に対してin situ hybridizationでNrk mRNAの発現を、免疫染色でNrkタンパク質の発現を調べると、いずれもスポンジオトロホブラストに特異的に発現していました(D)。

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したがって、Nrkはスポンジオトロホブラストにおいてその過増殖を抑制する働きをもつことがわかりました。しかし、Nrkがどのようにしてその増殖を抑えるのか、分子メカニズムはまだ未解明です。

Nrkは胎仔/胎盤から母体に向けた分娩誘発シグナルの発信に必要である

Nrk欠損マウスの繁殖用ケージの中から、2つめの異常が見つかりました。Nrk欠損のメスマウスを野生型のオスマウスと交配したときには正常に分娩が誘発されるのですが、Nrk欠損のメスマウスをNrk欠損のオスマウスと交配すると分娩がおきなくなり、予定日より1〜3日遅れて死産となることがわかりました。この2つのケースのNrk欠損メスマウスの違いは何かというと、前者の場合には母体の子宮内の胎仔/胎盤はNrk欠損でないのに対し、後者の場合は胎仔/胎盤がすべてNrk欠損になるという点です。このことは、胎仔あるいは胎盤におけるNrkが母体における分娩の誘発に必要であることを示唆していました。そこで、野生型のメスマウスを用いて実験をしてみました。Nrk欠損のオスマウスと交配したNrk欠損のメスマウスからNrk欠損の初期胚を取り出し、偽妊娠させた野生型のメスマウスの子宮に移植したのです。すると、野生型のメスマウスでも子宮内の胎仔/胎盤がすべてNrk欠損であると分娩不全になることがわかりました。

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妊娠中の母体において、適切なタイミングで分娩を誘発することはとても重要です。タイミングが早すぎると早産、遅すぎると過期産となり、いずれの場合も母体や胎児/新生児の命に関わります。しかし、分娩を誘発するシグナルが何なのか、そのシグナルが母体、胎仔、胎盤のいずれから発信されるのか、まだわかっていないのです。私たちの実験結果は、そのシグナルが胎仔あるいは胎盤から発信されること、そしてその発信にNrkが必要であることを示しています。Nrk欠損マウスは今後、分娩誘発シグナルの実体解明のための格好の研究材料になると期待されます。

Nrkは乳がんの発症を抑制する

Nrk欠損マウスの繁殖用ケージの中から、さらに3つめの異常が見つかってきました。Nrk欠損のメスマウスの乳腺にコブ(腫瘤)が発症したのです。この乳腺腫瘤はオスのNrk欠損マウスでは発症せず、メスでも妊娠・出産の経験のないマウスでは決して発症しません。 しかし一方で、オスと交配させながら飼育して妊娠・出産を繰り返したメスでは90%という非常に高い頻度で発症することがわかりました(A)。  病理組織像を見てみると、この腫瘤には周囲の正常組織への浸潤や転移は観察されず、非浸潤性のがんであることがわかりました(B)。免疫組織学的な検討の結果、このがん細胞は性ホルモンであるエストロゲンの受容体が陽性、細胞増殖のマーカーであるKi67タンパク質が陽性、増殖因子受容体HER2/ErbB2が陰性であり、ヒト乳がんのサブタイプの中で“ルミナルB型(HER2陰性)”というタイプに近いことが示唆されました(C)。%e5%9b%b33

先に、Nrkの発現は調べられた限りのすべての成体組織で検出されなかったと書きましたが、妊娠期における発現は調べられていませんでした。調べてみると、Nrkは非妊娠期の乳腺では発現していませんでしたが、妊娠後期の乳腺で発現誘導されてくることが明らかとなりました。妊娠期にはエストロゲンの作用により乳腺上皮細胞が増殖し、出産後の授乳に備えて乳腺が発達します。しかし、乳腺が十分に発達した後、乳腺上皮細胞はその増殖を停止しなければなりません。私たちの研究結果は、妊娠後期の乳腺においてNrkの発現が誘導されて乳腺上皮細胞の過増殖を止めるために働いていること、そしてその破綻が乳がんにつながることを示唆するものです。今後、その細胞増殖抑制の分子メカニズムを解明することが、ヒト乳がんの発症機構を理解するうえでも大変重要であると考えられます。

おわりに

以上により、X染色体上の遺伝子Nrkがマウスにおいて「胎盤における細胞増殖の制御」「分娩誘発」「乳がんの抑制」という、いずれもメスに関連する3つの機能に不可欠な役割を担っていることがわかってきました。しかし、Nrkがどのような分子メカニズムでこれらに関わっているのかはまだ不明です。これらを一つひとつ明らかにしていくことで、この興味深いタンパク質をより深く理解することができ、ひいてはそれが私たちヒトを含む哺乳動物のより高度な理解につながると考えています。

参考文献

  1. Nrk, an X-linked protein kinase in the germinal center kinase family, is required for placental development and fetoplacental induction of labor. Denda K, Nakao-Wakabayashi K, Okamoto N, Kitamura N, Ryu JY, Tagawa Y, Ichisaka T, Yamanaka S, Komada M. J. Biol. Chem. 286, 28802-28810 (2011)
  2. Deficiency of X-linked protein kinase Nrk during pregnancy triggers breast tumor in mice.Yanagawa T, Denda K, Inatani T, Fukushima T, Tanaka T, Kumaki N, Inagaki Y, Komada M. Am. J. Pathol. 186, 2751-2760 (2016)
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新奇体験が記憶力を増強させる - 記憶保持を司る分子メカニズムの解明を目指して https://academist-cf.com/journal/?p=2493 Wed, 09 Nov 2016 01:00:44 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2493 「思いがけない出来事」が記憶の保持を強化する

「晩ごはんにどこで何を食べたか」といったささいな日常の記憶は、「海馬」と呼ばれる脳の領域に形成され、その多くは1日のあいだに忘れられることが知られています。一方で、「晩ごはんに行く途中に学生時代の旧友に偶然出会った」といった新奇で思いがけない出来事を直前あるいは直後にともなう場合、ささいな日常の記憶が長期にわたり保持される現象が知られています。その脳内のメカニズムを調べるため、最近、新奇な環境を体験することによって、ささいな記憶が長期にわたり保持される動物をモデルとした行動試験が開発されました。薬を脳内に投与する薬理学的な実験から、この新奇体験による記憶の保持の強化には、海馬における神経修飾物質「ドーパミン」が重要であることが明らかにされました。しかし、どの脳の領域が新奇体験により海馬にドーパミンを放出し、記憶の保持の増強を担っているかは不明でした。

私たちの研究グループは、モデル動物であるマウスを使って、日常の記憶を調べる行動試験として「日常記憶課題」を開発しました。そして、海馬にドーパミンを放出する可能性が示唆されている「腹側被蓋野」と「青斑核」と呼ばれる脳の領域に着目して、新奇体験による記憶の保持の強化を担う脳の領域の同定を試みました。

マウスを用いた日常記憶課題

まず、マウスを使って、新奇体験が日常の記憶を向上させる効果を調べる日常記憶課題を確立しました。この日常記憶課題では、イベントアリーナ装置とよばれるオープンフィールド内で、マウスに報酬の餌が底に隠されている砂つぼの場所を記憶させます(下図 a, b)。報酬を含む砂つぼの場所は毎日変わるため、マウスはその日その日の特定の砂つぼの場所を記憶する必要があります。報酬量の少ない「弱い訓練」を行ったマウスは、24時間のちには報酬の砂つぼの場所を忘れていました。一方、弱い訓練の30分後に、新奇な素材を床に敷きつめた新奇体験ボックス(下図 c)を5分間にわたり探索させると、報酬の砂つぼの場所の記憶は24時間のちにも保持されていました(下図 d, e)。薬理学的な実験から、この新奇体験による日常記憶の保持の強化にも、海馬の神経細胞に発現しているドーパミン受容体の活性化が重要であることがわかりました

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青斑核の神経細胞が活性化

次に、腹側被蓋野あるいは青斑核の神経細胞が、なじみのある環境あるいは新奇の環境を体験しているあいだ、どのような活動のパターンを示すかを調べました。その結果、マウスが新奇環境を体験しているあいだ、腹側被蓋野と青斑核の神経細胞の活動は上昇しました。マウスを飼育しているホームケージで記録した神経活動を用いて標準化することで、2つの脳領域を比較したところ、新奇体験による神経活動の上昇の度合いは、青斑核のほうが腹側被蓋野よりも大きいことがわかりました。さらに、新奇体験に対する青斑核の応答は時間の経過とともに減少する「馴化」がみられました。以上のことから、青斑核の神経細胞は新奇体験に対しとくに感受性が高いことがわかりました

光遺伝学的な活性化による記憶の保持の強化

青斑核の神経細胞が新奇体験をすることによって活性化することがわかったので、マウスが新奇な環境を体験する代わりに、青斑核の神経細胞を人工的に活性化させても記憶の増強効果がみられるかどうかを調べました。青斑核の神経細胞を人工的に活性化させるために、「光遺伝学」と呼ばれる光で神経細胞の活動を操作する技術を使いました。まず、マウスの青斑核の神経細胞に、ウイルスを使って光感受性イオンチャネルであるチャネルロドプシンを発現させます(下図 a)。その後、マウスの脳に光ファイバーを埋め込みます。この埋め込んだ光ファイバーを介して、チャネルロドプシンを発現している青斑核の神経細胞に光を照射すると、神経細胞は活性化します(下図 b)。

日常記憶課題を使って、マウスに弱い訓練を行い、その30分後に青斑核の神経細胞を5分間にわたり光遺伝学的に活性化しました(下図 c)。その結果、ふだんは数時間で忘れてしまう報酬を含む砂つぼの場所の記憶が24時間のちにも保持されていました(下図 d、青斑核の活性化 )。

一方、弱い訓練の後に、腹側被蓋野の神経細胞を活性化した場合には、24時間後には報酬を含む砂つぼの場所は忘れられていました。さらに薬理学的な実験から、青斑核の光遺伝学的な活性化による記憶の強化には、海馬の神経細胞に発現しているドーパミン受容体が関与していることがわかりました(下図 d、青斑核の活性化 + DA-R阻害薬)

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腹側被蓋野の不活性化は記憶保持に影響しない

最後に、新奇体験の最中に青斑核の神経細胞を不活性化することにより、新奇体験による記憶の保持の強化が消失するかどうか検討しました。日常記憶課題を用いて弱い訓練を行い、薬理学的な手法を用いて新奇体験の最中に青斑核の神経細胞を不活性化したところ、新奇な体験による記憶の増強の効果が消失しました。

一方、新奇体験の最中の腹側被蓋野の神経細胞の不活性化は、新奇な体験による記憶の保持の強化に影響しませんでした。以上の結果から、新奇な体験による記憶の保持の強化には、新奇な体験の際の青斑核の神経細胞の活動が必要であることが強く示唆されました

記憶保持を司る分子メカニズムの解明に向けて

今回、私たちの研究グループは、新奇な体験による記憶の保持の強化を担う脳の領域の同定を試み、青斑核の神経細胞から海馬へのドーパミンの出力が新奇な体験による記憶の保持の強化に関与することを強く示唆する結果を得ました。その主要な意義のひとつは、青斑核の神経細胞から海馬への入力が新奇な体験の情報を伝達しているという点です。このことから、「海馬-腹側被蓋野ループモデル」というこれまでの有力な仮説とは異なる、新奇体験の情報を伝達する経路の存在が示唆されます(下図 a)。もうひとつは、青斑核の神経細胞の出力としてドーパミンが重要であるという点です。このことから、青斑核の神経細胞がノルアドレナリンを放出して神経活動を修飾するという教科書的な基本概念の修正が必要となってきます(下図 b)。

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今回の私たちの研究グループの研究により、日常の記憶が直前あるいは直後の新奇な体験により修飾され、その保持が強化される神経機構の一端が明らかにされました。今後、この分子メカニズムを明らかにすることを通じて、日常の記憶に障害がみられる健忘症を予防または改善する新たな創薬への貢献が期待されます。

参考文献

  1. Wang, S. H., Redondo, R. L. & Morris, R. G. M.: Relevance of synaptic tagging and capture to the persistence of long-term potentiation and everyday spatial memory. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 107, 1953719542 (2010)
  2. Takeuchi, T., Duszkiewicz, A. J. & Morris, R. G. M.: The synaptic plasticity and memory hypothesis: encoding, storage and persistence. Philos. Trans. R. Soc. Lond. B Biol. Sci., 369, 20130288 (2014)
  3. Lisman, J. E. & Grace, A. A.: The hippocampal-VTA loop: controlling the entry of information into long-term memory. Neuron, 46, 703713 (2005)
  4. Smith, C. C. & Greene, R. W.: CNS dopamine transmission mediated by noradrenergic innervation. J. Neurosci., 32, 60726080 (2012)
  5. Takeuchi, T., Duszkiewicz, A. J., Sonneborn, A., Spooner, P. A., Yamasaki, M., Watanabe, M., Smith, C. C., Fernández, G., Deisseroth, K., Greene, R. W. & Morris, R. G. M.: Locus coeruleus and dopaminergic consolidation of everyday memory. Nature, 537, 357–362 (2016)
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アルマ望遠鏡で175光年先の星を観る - 惑星形成のメカニズム解明を目指して https://academist-cf.com/journal/?p=2503 Fri, 11 Nov 2016 01:00:54 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2503 惑星形成の土台:若い星を取り巻く原始惑星系円盤 現在考えられている標準的な理論によると、若い星の周りを取り巻く「原始惑星系円盤」の中で惑星が産まれると考えられています。この円盤構造は、およそマイナス260度という極めて低温のガスや塵から構成されており、太陽系の大きさほどに広がり、中心の若い恒星の周りを回っています。これまでの研究から、円盤が若い恒星の周りに偏在していることは良く知られているのですが、円盤内でどのように惑星が形成されるかについては、いまだ良くわかっていません。よって、円盤構造を詳しく観測し、多様な惑星系がどのように生まれてくるのかを調べることが必要となります。 今回、我々の研究グループが着目したのは、うみへび座TW星という星で、水素融合反応を起こす前の段階にある、年齢およそ1000万年という若い恒星です。地球からの距離は175光年程で、原始惑星系円盤を持つ若い恒星の中では、最も地球に近い位置にあります。恒星の質量は太陽とほぼ同程度であり、我々の太陽系がどのようにして形成したのかを調べる良い観測ターゲットです。それゆえ、以前から多くの研究が行われてきた天体でもあります。

巨大電波望遠鏡「アルマ望遠鏡」による2波長観測

円盤を構成する低温物質は、人間の目では見ることはできませんが、電波を放射しています。つまり、天体が放射する電波を捉えることで、惑星の元となる冷たい物質を直接「見る」ことができるため、電波望遠鏡を用いた観測を行うことが重要となります。 アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計(Atacama Large Millimeter/submillimeter Array: ALMA)、略して「アルマ望遠鏡」は、日米欧が中心となり、チリ共和国の協力の元建設した、世界最高性能の巨大電波望遠鏡です。アルマ望遠鏡では、ミリ波やサブミリ波といった波長の電波を、これまでにない高い解像度で観測することが可能です。 [caption id="attachment_2587" align="aligncenter" width="500"]2014_alma_0020 今回の観測で使用したアルマ望遠鏡の外観©国立天文台[/caption] 今回の研究では、2.1ミリおよび1.3ミリの波長を持つ電波を観測するべくチューニングをし、円盤内の塵が放射する電波強度の分布を詳しく調べました。電波強度は塵の大きさに関係しているため、複数の波長の電波強度を調べることで、円盤内の塵の大きさの分布を調べることができるようになります。この塵の大きさ分布の情報は、惑星が形成されているかどうかを探る重要な証拠のひとつです。今回の観測研究の革新的なポイントも、この円盤内の塵の大きさ分布を詳しく調べたところにあります。

惑星が円盤に作り出す模様:隙間構造

実際に円盤内で形成されている惑星を見出せば、円盤が惑星の母胎である直接的証拠となりますが、惑星からの電波は極めて弱く、とても検出できません。なので、惑星が存在することによって作り出される、円盤に現れる「模様」を観測することになります。以下の図が、本研究で明らかになったうみへび座TW星の周りにある円盤の電波放射分布です。うみへび座TW星は、これまでの観測研究により、円盤内に複数の隙間構造があることが分かっていますが、本研究で行った観測でも、同様の隙間構造を確かめることが出来ました。 [caption id="attachment_2686" align="aligncenter" width="500"]band4_mod アルマ望遠鏡による観測で得られたうみへび座TW星に付随する原始惑星系円盤の様子。比較のため、太陽系の木星と海王星の軌道を右下に示す。またアルマ望遠鏡の解像度(最小可視サイズ)を左下に示している [© ALMA (ESO/NAOJ/NRAO), Tsukagoshi et al.][/caption]

惑星の存在を暗示する塵の大きさ分布

円盤に見られた隙間構造は、形成中の惑星が軌道上の物質を取り込んだことによる模様だと考えられています。つまり、この隙間の中には惑星が形成されているのかもしれません。今回の研究では、22天文単位(1天文単位:太陽から地球の距離)の位置にある隙間に着目し、隙間周辺での塵の大きさ分布を調べる解析を行っています。 塵が放つ電波は、塵の大きさに関係して強度が変わります。塵の大きさと同程度の波長を持つ電波を強く出すため、波長が短い電波が強ければ塵が小さい、波長が長い電波が強ければ塵が大きい、ということがわかります。つまり、2波長の電波で観測し、その強度比を調べることで、塵の大きさ分布に制限をつけることが出来ます。 下図が、実際に今回の観測で測定した電波強度比です。着目した22天文単位では、隙間の周囲に比べると電波強度比が大きくなっています。塵が小さいほど電波強度の比は大きくなるため、この隙間では周囲に比べて、大きい塵が少なく小さい塵が多く存在していることを意味します。塵の具体的な大きさを決めることは難しいのですが、大きい塵は数ミリメートル程度、小さい塵は数マイクロメートル程度の大きさだと考えられています。 このような大きい塵が減少した隙間は、円盤内で惑星が形成される理論モデルの予言とよく一致しています。円盤中の惑星が隙間を作っている時、隙間の両端におけるガス圧の効果により、ガスと塵の間に相互作用(摩擦力)が働きます。この効果は、ミリメートルサイズの塵に対して大きく働くため、このような塵は隙間からはじき出され、マイクロメートルサイズの小さい塵のみが隙間に残ります。今回見出された電波強度比も、ちょうどそれと同じ傾向を示していることがわかります。 [caption id="attachment_2524" align="aligncenter" width="500"]fig2 アルマ望遠鏡で測定した、恒星からの距離に対する2波長間の電波強度比の分布。22天文単位の位置において、電波強度比が大きくなっていることがわかる [© ALMA (ESO/NAOJ/NRAO), Tsukagoshi et al.] (改編)[/caption] 

隙間にはどのような惑星があるか?

隙間が惑星によって作られた模様ということが分かったので、次は「どういう惑星があるのか?」という疑問が浮かびます。近年の理論研究によると、惑星によって作られる隙間の幅と深さは、惑星の質量と関連があることが予想されています。この関係を用いることで、観測で測定できる隙間の幅と深さから、隙間を作っている惑星の重さを見積もることが可能です。 観測から見積もられる、隙間の幅は5天文単位程度、深さの度合いは0.5程度です。この結果を理論計算と比較したものが以下の図になります。観測から見積もられた値は、理論予想線(図中赤線)上にあり、そこから見積もられる質量は、海王星より少し重い程度ということが分かります。中心星から22天文単位という距離は、太陽系では天王星と海王星の軌道の間に相当します。うみへび座TW星が太陽とほぼ同じ重さの若い星であることを考えると、ここで誕生している惑星は天王星や海王星とよく似た巨大氷惑星である可能性が高いと考えています。 [caption id="attachment_2526" align="aligncenter" width="498"] 金川ら(2015,2016年)の理論計算に基づいた、隙間の深さおよび幅と、隙間を作り出す惑星質量の関係の予想線[/caption]  

さらなる研究の発展へ

今回の研究により、うみへび座TW星の周りを取り巻く原始惑星系円盤において、中心から22天文単位にある隙間では、その中で惑星が形成されている可能性が高いことがわかりました。測定にはさまざまな仮定も用いているので、今後、さまざまな観点での研究を行い、確度を上げることが重要となります。我々の研究グループでは、今回の研究結果を受けて、アルマ望遠鏡の次期観測に繋げています。 ひとつは電波偏光を捉える観測です。近年の理論研究によると、電波偏光度には強い波長依存性があり、またそれらは塵の大きさとよく対応するため、さまざまな波長で電波偏光を調べることで、塵の大きさに強い制限をつけれる可能性が示されています。したがって、電波偏光が観測できれば、今回の研究とは異なる手法で塵の大きさを調べることができます。もうひとつは、円盤のガス成分を捉える観測です。今回の研究では、円盤の塵の成分に着目しましたが、円盤成分のほとんどはガスで構成されており、形成される惑星の性質もガスの量に依存します。ガス成分の隙間構造を見出し、その構造を調べることで、より正確に惑星質量を見積もることが可能となります。 これらの観測もまもなく実行されますので、新しい結果がお目見えする日も近いでしょう。ご期待ください。 [caption id="attachment_2527" align="aligncenter" width="500"]fig4 今回の研究で得られた、うみへび座TW星の原始惑星系円盤と、形成中の惑星の想像図 [© 国立天文台][/caption]参考文献
  1. “Planetary Candidates Observed by Kepler. III. Analysis of the First 16 Months of Data”, Batalha, N.M. et al. 2013, Astrophysical Journal Supplement, 204, 24
  2. “Structure of the Solar Nebula, Growth and Decay of Magnetic Fields and Effects of Magnetic and Turbulent Viscosities on the Nebula”, Hayashi, C. 2013, Progress of Theoretical Physics Supplement, 70, 35
  3. “ALMA Observations of a Gap and a Ring in the Protoplanetary Disk around TW Hya”, Nomura, H., Tsukagoshi, T. et al. 2016, Astrophysical Journal Letters, 819, 7
  4. “Ringed Substructure and a Gap at 1 au in the Nearest Protoplanetary Disk”, Andrews, S. et al. 2016, Astrophysical Journal Letters, 820, 40
  5. “Dust Filtration by Planet-induced Gap Edges: Implications for Transitional Disks”, Zhu, Z. et al. 2012, Astrophysical Journal, 755, 18
  6. “Mass Estimates of a Giant Planet in a Protoplanetary Disk from the Gap Structures ”, Kanagawa, K. D. et al. 2015, Astrophysical Journal, 806, 15
  7. “Mass constraint for a planet in a protoplanetary disk from the gap width”, Kanagawa, K. D. et al. 2016, Publications of the Astronomical Society of Japan, 68, 43
  8. “Millimeter-wave Polarization of Protoplanetary Disks due to Dust Scattering”, Kataoka, A., Muto, T., Momose, M., Tsukagoshi, T. et al. 2015, Astrophysical Journal, 809, 78
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霊長類の脳が大きいのはヘビのせい? - 「ヘビ検出理論」の真偽に迫る https://academist-cf.com/journal/?p=2510 Thu, 10 Nov 2016 01:00:58 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2510 霊長類の大きな脳 ほ乳類は、ほかの脊椎動物よりも身体のわりに大きな脳を持っています。なかでも多くの霊長類は、ほかのほ乳類よりも大きな脳を持っています。霊長類が脳(とくに視覚系)を発達させた要因として、かつては果実食への移行が有力視されていましたが、20年ほど前からは、霊長類の複雑な社会構造で必要なコミュニケーションのためとの説が唱えられていました。しかし近年では、毒ヘビのいない地域での霊長類の視覚が劣ることや、ヘビを見たことのないサルでもヘビをすばやく見つけることなどから、霊長類はヘビを検出するために脳(とくに視覚システム)を大きくしたとの「ヘビ検出理論」(Isbell, 2009)が提唱されています。にわかには信じられない学説ですが、いまでは多くの実験結果によって支持されています。

ヒトやサルはヘビをすばやく見つける

ヒトの祖先の霊長類は、およそ6500万年前ころから樹上で放散適応を始めました。樹上で暮らす霊長類を補食できたのは、猛禽類と大型のネコ科の動物、ヘビだけでしたが、30 mを超える枝の生い茂ったところで暮らす霊長類まで近づけるのは、ヘビくらいしかいなかったと考えられています。そのため、霊長類の祖先は主たる補食動物であるヘビを、すばやく効率的に見つける必要があったと考えられています。 これまでにわたしたちは、3歳の子どもでも多くの花の写真から1枚だけあるヘビの写真を、その逆の組み合わせ(多くのヘビから1枚の花を見つける)よりも早く見つけることや(Masataka, Hayakawa, & Kawai, 2010; Hayakawa, Kawai, & Masataka, 2011)、生まれてから一度もヘビを見たことのないサルが同じようにヘビの写真を素早く見つけることを示し(Shibasaki & Kawai, 2009; Kawai & Koda, 2016)、ヒトやサルにはヘビを素早く見つける視覚システムが備わっていることを明らかにしてきました。 これは、ヒトの祖先であった霊長類が樹上で暮らしているときに、唯一の補食動物がヘビであったために、脳内でヘビに対して敏感に反応する領域(視床枕)が発達し、恐怖を感じる領域の扁桃体に大脳皮質を経由せずに直接情報を伝えるために、すばやく反応できるようになったと考えられています。 しかし、ヘビはネコ科の動物のように獲物を追いかけるのではなく、身を隠して獲物が近づくまで待ちます。多くのヘビは身体を背景と見分けにくくするカモフラージュを使っています。そのためヘビの体色は、葉や石にカモフラージュしやすいような模様になっています。ヒトは、はたして見分けにくい状況で、ほかの動物よりも効率的にヘビを発見できるかは不明でした。

ヒトは隠れたヘビを見つけるのが得意

わたしたちはヒトを対象とした実験を行い、自然な背景で写っているヘビ、ネコ、トリ、サカナの写真のうちどれがもっとも見えにくい状況で認識できるかをテストしました。それぞれ4種類ずつ用意した4種類の動物の写真を、平均の輝度やコントラスト、空間周波数といった物理的な情報をほとんど変えずにノイズをまぜる技術を使い、95%から0%まで5%きざみでノイズを含ませた写真のセットを用意し、見やすさの段階が異なる一連の写真を作成しました。 snakes それらのセットをノイズの多いほうから少ないほうに順に提示し、そのたびにどの動物(ヘビ、ネコ、トリ、サカナ)だと思うかを判断させました。その結果、ヘビはほかの動物に比べてよりノイズの多い条件でも正しく見分けられました。上図のStep8では、かなりの正確さで認識されました。このことは、ヒトの視覚システムが、見分けにくい状況においても効率的にヘビを見分けられることを示しています。 fig2 ヒトの祖先はヘビをすばやく見つけるだけでなく、ヘビのカモフラージュを見破る必要があると考えられていましたが、今回の実験で初めてヒトの視覚システムは背景から見分けにくい(カモフラージュされた)ヘビを効率的に見分けられることを示しました。このことから、ヒトの祖先は主な補食動物であったヘビに対抗するために視覚システムを進化させた可能性が考えられます。

今後の展開

この研究の成果は、ヒトの視覚システムの進化を解明する一助となり得るものです。ヒトの祖先であった霊長類とヘビは、それぞれ互いに進化し合って来たと考えられていますが(たとえば、ヘビが毒を進化させたり、待ち伏せ戦略を採用したり)、ヒトの祖先の視覚システムに対してヘビを見分ける淘汰圧(必要性)があったことが考えられます。 今後は、ヘビのどのような身体特徴に対してヒトやサルはヘビを見つけているのかを調べる研究や、サルでもこのように見分けにくい状況のヘビを効率的に見分けられるかを検討する研究が想定されます。神経科学の研究と連携して、ヘビを見分けるためのより詳細な神経機構が解明されることが期待されます。 参考文献 Kawai, N. & He, H. (2016). Breaking snake camouflage: Humans detect snakes more accurately than other animals under less discernible visual conditions. PLoS ONE, 11(10): e0164342.doi:10.1371/journal.pone.0164342]]>
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土星の輪はどのように誕生したのだろうか? - 400年の謎にコンピュータシミュレーションで迫る https://academist-cf.com/journal/?p=2540 Fri, 18 Nov 2016 01:00:32 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2540 美しい土星の輪 1610年に、ガリレオ・ガリレイによって発見されてから、土星の輪の姿形の美しさは人々を魅了してきました。現在では、数千円の手頃な市販の望遠鏡でも土星の輪を観測することができるので、一般の人たちにも身近な存在になっています。 土星の輪は、特徴の異なる複数の輪から形成されています。輪の幅は、100kmから数万kmとさまざまで、大きさがμmからmの無数の小さな粒子から形成されています。さらに、土星の輪を構成している粒子の95%程度が、水氷で形成されています。このように観測によって、現在の土星の輪の正体が次々に明らかになってきた一方で、「土星の輪はそもそもどのように形成されたのか?」という問いに対しては、惑星科学者たちは頭を悩ませていました。 [caption id="attachment_2543" align="aligncenter" width="500"]fig1 探査機カッシーニによる土星リングの観測画像(NASA提供)[/caption]

輪の外側には数々の衛星が?

土星の輪のすぐ外側には、多数の小さな衛星も存在しています。最新の研究結果によると、輪は数十億年をかけて、土星から遠ざかる方向にゆっくりと広がることがわかりました。そして、輪の端が土星から十分に離れると、輪を形成していた小さな粒子たちが、自身の重力によって集まり、衛星になることがわかりました。つまり、土星の輪が形成された当時は、周囲の衛星質量を足し合わせた現在よりも”巨大な輪”であったと考えられます。

天王星や海王星にも輪は存在する

「輪をもっている惑星は?」と聞かれたら、「土星!」と言う答えがまず返ってくると思いますが、実は天王星や海王星にも輪があります。さらに天王星や海王星にも、土星の輪の周囲にあるような小さな衛星群があります。しかしながら、天王星や海王星の輪は非常に暗い色をしており、土星の輪と異なり、水氷だけでなく、岩石も多く含んでいると考えられています。つまり、惑星周りには多様な輪が存在していると言えます。 [caption id="attachment_2544" align="aligncenter" width="500"]fig2 ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した天王星リングの観測画像(NASA提供)[/caption]

輪の起源に迫る

約40億年前の太陽系において、”後期重爆撃期”と呼ばれる特別な時期が存在したと考えられています。このとき、現在のカイパーベルトを形成している微惑星が無数に太陽系全体を飛び交いました。ほとんどの月のクレータが形成されたのも、この時期だと言われています。最新の太陽系形成モデルによると、この時期に巨大惑星は、冥王星サイズの巨大な微惑星(またはカイパーベルト天体)との近接遭遇を、少なくとも一度は経験することがわかりました。 我々は、コンピュータシミュレーションを用いて、このような近接遭遇過程を詳細に調べてみました。すると、巨大惑星の十分近傍を通過した冥王星サイズのカイパーベルト天体は、巨大惑星の重力によって破壊され、その破片の一部が巨大惑星まわりに捕獲されることがわかりました。さらに、捕獲された質量は観測される輪の質量および衛星質量を十分説明できうるものになることがわかりました。 しかし、捕獲直後の破片は観測される輪の構成粒子に比べると、遥かに大きいことがわかりました。そこで我々は、捕獲破片の長期的な進化を調べる新たなコンピュータシミュレーションを行いました。すると、捕獲された破片は長期的な進化で互いに高速衝突を経験して、最終的には観測されるサイズの破片となり輪が形成されうることがわかりました。 [caption id="attachment_2696" align="aligncenter" width="500"]ring リングの形成過程の概念図。点線は、巨大惑星の重力が強く働き潮汐破壊が起こる臨界距離。(a)カイパーベルト天体が巨大惑星に近接遭遇をする際に、巨大惑星の潮汐力によって破壊される。(b)潮汐破壊によって破片の一部が巨大惑星まわりに捕獲される。(c)破片同士の衝突によって捕獲された破片は破砕され、軌道も徐々に円軌道に近づき、現在のリングが形成される(Hyodo, Charnoz, Ohtsuki, Genda 2016, Icarusの図を一部改変)[/caption] さらに、我々のコンピュータシミュレーションの結果から、土星と天王星(または海王星)の輪の組成の違いを説明できることがわかりました。近接遭遇する冥王星サイズのカイパーベルト天体は、層構造(内部に岩石コア、外側に氷マントル)をしていることが期待されます。そして、土星と天王星(または海王星)を比べると、土星の密度は天王星や海王星に比べると小さくなります。つまり、同じ質量を仮定した場合、天王星や海王星より土星の半径は大きくなります。 一方、近接遭遇過程でカイパーベルト天体は、巨大惑星により近づくほと、より強い重力を経験することで、より程度の大きい破壊を経験します。しかし、土星では半径が大きいため近づきすぎると土星にぶつかってしまいます。その結果、土星でおこる近接遭遇過程での破壊とその破片の捕獲は、層構造をなしているカイパーベルト天体の氷マントルだけに限られます。一方で、天王星や海王星では、巨大惑星にぶつからずに、より近くを通過できるので、氷マントルだけでなく、岩石コアも破壊・捕獲されるような近接遭遇が起こることがわかりました。それゆえに、土星では観測に矛盾しない水氷からなる輪となり、天王星や海王星では、岩石成分も多く含む輪になると言えます。

系外惑星の輪

我々のコンピュータシミュレーションによる結果は、太陽系のみでなく、近年続々と発見される系外惑星にも適用可能です。現在のところ、観測技術の限界によって輪は系外惑星ではひとつしか発見されていませんが、我々の結果は、多くの系外巨大惑星が多様な輪をもつ可能性を示唆しています。近い将来、多様な輪が観測されていくでしょう。 参考文献
  1. Hyodo, R. & Ohtsuki, K., 2015. "Saturn's F ring and shepherd satellites a natural outcome of satellite system formation", Nature Geoscience, 8, 686-689
  2. Hyodo, R., Charnoz, S., Ohtsuki, K. & Genda, H. 2017. "Ring formation around giant planets by a single encounter of Kuiper belt object", Icarus, 282, 195-213
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染色体の太さはなぜ一定なのか - 染色体凝縮の謎に、物理学から挑む https://academist-cf.com/journal/?p=2569 Tue, 15 Nov 2016 01:00:56 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2569 染色体凝縮とは? 私たち生命の遺伝子DNAは、細胞核の中に染色体として納められています。たとえば、ヒトの染色体は46本あり、染色体に含まれるDNAを足し合わせた全長は、2メートルにもなります。非常に細長いDNAが直径わずか数マイクロメートル(1/1000000000メートル)の球状の細胞核の中に納められており、細胞核の中は非常に混み合った状態にあります。このように、混み合った状態にありながら、染色体は正確に複製され、娘細胞に正確に分配されるのは驚きです。この染色体が複製され、娘細胞に分配される過程を細胞周期と言いますが、細胞周期の中で最も顕著な現象として、染色体凝縮があります。 間期(複製期)において染色体は、糸状のクロマチン繊維といわれる状態で細胞核内に広がり、互いに絡まり合った状態にあります。それが分裂期に入ると、クロマチン繊維は凝縮して固有の棒状になることで、絡まりがほどけて互いに分離します。この染色体凝縮という細胞内で起こるダイナミックな現象は、130年以上前に観察されて以来、人々の興味を引きつけてきました。しかしながら、この過程にどのようなダイナミクスが働いているかは長年不明なままでした。最近になり、染色体凝縮に関わるタンパク質複合体「コンデンシン」が発見され、さまざまな実験を通してコンデンシンがどのように染色体凝縮に関わっているかが徐々にわかりつつあります。

凝縮した染色体の形と分離には関係があるか?

凝縮した染色体の写真を見たことはありますか。以下の図は、間期、分裂期、それぞれにおける染色体の写真です。間期において、球状の細胞核内に広がっていた染色体が、分裂期になると細長い棒のような凝縮体を形成します。一般に、一個の細胞核に複数本の染色体がありますが、染色体に含まれるDNAの長さはさまざまです。そのため凝縮した染色体の長さもさまざまになります。それにもかかわらず、凝縮したすべての染色体において太さが一定に保たれているのは、大変驚きです。なぜ、染色体は一定の太さを保つ必要があるのでしょうか。太さを一定に保つことで、何か利点があるのでしょうか。 [caption id="attachment_2572" align="aligncenter" width="500"]screen-shot-2016-11-07-at-3-16-59-pm 間期(左)と分裂期(右)における染色体の様子。間期において細胞核内に広がっていた染色体は、分裂期になると棒状に凝縮する。バーは10マイクロメートル(染色体凝縮(wikipedia)より引用)[/caption] さらに、染色体の形に関する面白いこととして、受精後の胚発生初期から成体になるにつれ、凝縮した染色体の形が変化することがあります。細胞分裂が活発な発生初期は分裂速度が速く、染色体は成体の染色体に比べてより細長い形をしています。また、人工的に太くした染色体は、分裂に長い時間が必要だという報告もあります。これらのことから、凝縮した染色体の形と分離には何か関係があるのではないかと思い、本研究をスタートさせました。

染色体分離をシミュレーションする

染色体の形と分離の関係を解析するためには、さまざまな形の染色体を用意し、それが分離する過程を追えばいいのですが、実験的にさまざまな形状の染色体を準備するのは困難です。一方で、染色体は高分子であり、高分子が互いに密に絡み合った状態から互いの絡みがほどけて分離した状態に変化するダイナミクスは、高分子物理学の観点からも長年研究されてきました。そこで私たちは、染色体の凝縮と分離のダイナミクスについて、高分子物理学の観点からの解明に挑みました。 さまざまな形に凝縮した糸状高分子が互いに絡まり合った状態から、それがほどけて互いに分離するまでの様子をシミュレーションしました。染色体分離のダイナミクスの物理的側面を捉えるために、簡単なモデルを作りました。染色体同士の絡まり合いをほどく分子トポイソメラーゼと染色体を凝縮させ形作る分子コンデンシンを考え、この2分子の機能を近似的にモデルに組み込んで計算しました。下図はシミュレーション結果の一例です。 [caption id="attachment_2573" align="aligncenter" width="500"]screen-shot-2016-11-07-at-3-19-32-pm 分子動力学シミュレーションを用いた高分子分離の例。2本の糸状高分子(赤と青)が棒状に凝縮し、互いに絡まり合っている状態を初期状態とした。時間が経つにつれて、分離していく様子がわかる。最終的に2本の高分子は、もつれ合いがほどけて分離が完了する。Dは太さ方向、Lは長さ方向を表す[/caption] その結果、棒状高分子の分離時間はその太さDに大きく依存し、下図のように、Dの約3乗に比例することが分かりました。一方で、分離時間は棒状高分子の長さLには全く依存しないことが分かりました。この依存性は、分離のダイナミクスが棒状高分子の長軸に垂直な面で起こるため、長軸に沿った長さの影響は受けないためだと考えられます。また、これらシミュレーションの結果を理論的に説明し、「凝縮した高分子の形と分離時間を関係付ける方程式」を導き出しました。 [caption id="attachment_2629" align="aligncenter" width="500"]棒状高分子の太さと分離時間の関係。分子動力学シミュレーション(赤と青)では、棒状高分子の太さDが大きいほど分離時間が長くなることが示された。つまり、分離時間は太さに大きく依存する。理論計算(破線)では、分離時間は太さの3乗に比例して大きくなることが予想された 棒状高分子の太さと分離時間の関係。分子動力学シミュレーション(赤と青)では、棒状高分子の太さDが大きいほど分離時間が長くなることが示された。つまり、分離時間は太さに大きく依存する。理論計算(破線)では、分離時間は太さの3乗に比例して大きくなることが予想された[/caption] その結果から、棒状の各染色体の長さがさまざまなのに対して太さが一定であるのは、“分離時間を一定に保つため”だと考えられます。また、細胞分裂が活発な発生初期の染色体が細長い形なのは、“太さを小さくすることで分離時間を短くしている”のだと考えられます。

今後の展望

凝縮した高分子の形と分離の関係を明らかにした本研究は、染色体の凝縮と分離という生命現象には互いに関係があり、それらは物理学の視点から捉えられる可能性があることを示しています。 最近、染色体凝縮に関わるタンパク質複合体コンデンシンの機能については、実験により明らかになりつつあります。また、凝縮した棒状の染色体の形と分離のダイナミクスに関する謎も、コンデンシンを用いた実験によりわかりはじめています。長さ数メートルのDNAがわずか数マイクロメートルの棒状染色体に100億倍凝縮する染色体凝縮は非常に複雑な現象であるため、実験を通した分子機構の解明とともに、シミュレーションなど理論的手法を用いた解析が現象を理解するうえで必要になります。 現在、コンデンシンを発見した平野達也さんの実験グループと共同研究でコンデンシンのダイナミクスを取り入れた染色体凝縮のシミュレーションの研究を行っています。近い将来、染色体凝縮の生物学的分子機構が明らかにされ、染色体分離のダイナミクスを物理的視点でより正確に解明することが可能になるかもしれません。 参考文献
  1. Controlling segregation speed of entangled polymers by the shapes: A simple model for eukaryotic chromosome segregation, Y. Sakai、M. Tachikawa、A. Mochizuki、Physical Review E 94、2016
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中国雲南省でSSFの進化の謎に迫る - 東工大ELSI佐藤研究員による研究進捗報告 https://academist-cf.com/journal/?p=2592 Mon, 21 Nov 2016 01:00:30 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2592 5億年前の化石「small shelly fossils」の謎を解明したい!」で目標金額を達成した佐藤友彦研究員に、中国雲南省での調査研究の様子についてご寄稿いただきました。クラウドファンディングで獲得した研究費で、どのような調査をされてきたのでしょうか。以前本誌でも取り上げた佐藤研究員のインタビュー記事とあわせてご覧ください。 * * * 地球史のなかで最も急激に生物が進化・多様化したことで知られるカンブリア紀は、アノマロカリスをはじめとする奇妙奇天烈化石で有名ですが、それよりも早くに出現したのが「small shelly fossils(通称SSF:約5億4100万年前~)」と呼ばれる化石たちです。「カンブリア爆発」の進化の第一段階として、SSFが多様化した要因を明らかにしたい、というのが私の研究目的です。 カンブリア紀のバージェス頁岩型化石の出現時期は、カナダ・ブリティッシュコロンビア(約5億800万年前)や、グリーンランド・シリウスパセット(約5億1800万年前)よりも、中国・澄江(約5億2000万年前)が最も古いことが知られています。それと同様に、SSFも最古のグループは中国で多く見つかっています。そのため、SSF進化の研究を行うためには、「カンブリア紀の進化のホットスポット」と言うべき中国での調査が欠かせません。 私は、2009~2014年の間、中国雲南省で毎年野外調査を行ってきました。雲南省には、約40億トンという世界最大の埋蔵量を誇るカンブリア紀のリン酸塩岩が分布し、生物にとって必須な栄養であるリンと生物進化との関係が議論されてきました。私はこれまでの調査・研究で、カンブリア紀当時に昆明地域に存在した「リンに富む閉鎖的な浅い海」でSSFの多様化が起きたということを明らかにしました。SSF進化の起きた場所・タイミングをさらに絞り込むため、また、大量のリンを供給したのが火山活動なのではないかという仮説を検証するため、academistでのクラウドファンディング(2014年12月~2015年1月)を通じて獲得した研究費により、今回2年ぶりの野外調査を敢行しました。 [caption id="attachment_2593" align="aligncenter" width="500"]fig1 中国雲南省の田舎の風景。道沿いにカンブリア紀初期の地層が露出しています[/caption] 2016年8月、中国雲南省昆明地域および会澤地域で野外調査を行いました。地域による環境の差がSSFの進化にどう影響を与えてきたのかを念頭に、各調査地で地層の観察・記載をし、岩石サンプルを採取しました。今回の調査では、学生時代の師匠と2名の後輩、そして中国西北大学の共同研究者の劉さん、地元ドライバーの張さんにご協力いただきました。 私は、過去の調査の結果、他の研究者が報告していたよりも古い地層(リン酸塩岩層中部)から、多様化したSSFを発見しました。今回、各調査地でリン酸塩岩層の下部~中部を重点的にサンプリングしました。採取したリン酸塩岩からSSFを抽出し、多様化のタイミングがさらに古くまで遡れるか否か検討します。また、火山活動の証拠でもある、火山灰層のサンプルを採取しました。この火山灰層に含まれる鉱物(ジルコン)を使って年代測定を行うことで、火山灰が噴出≒堆積した年代を測る事ができます。その結果を用いて、SSF多様化を細かい時間スケールで解き明かそうと考えています。 [caption id="attachment_2594" align="aligncenter" width="500"] カンブリア紀初期のリン酸塩岩層。縞々に見えるのはリン酸塩岩と炭酸塩岩が交互に堆積しているから。矢印の部分に厚さ5 cmの火山灰層があります[/caption] また、昆明地域のあるリン鉱山では、SSFと同じリン酸塩岩層の中から、生痕化石や、大きなミミズのような生物化石を発見しました。この発見によって、カンブリア紀初期の生態系が、mmスケールのSSFだけでなく、cmスケールの軟体生物が共存する豊かなものだった、という新たな描像が得られそうです。思わぬ発見に、私も時間を忘れて、リン酸塩岩の層理面に這いつくばって化石を探しました。 [caption id="attachment_2595" align="aligncenter" width="500"] リン酸塩岩から抽出したSSF(左)と、同じ層から見つかった生痕化石(右)。カンブリア紀の生態系は、思ったより早い段階から豊かだった可能性が出てきました[/caption] academistでのクラウドファンディングのおかげで(当初の予定より遅れてしまいましたが)、目的の層序記載・岩石採取だけでなく新たな発見もある、実り多い調査をすることができました。また、サポーターの皆さんから温かい応援のメッセージをいただき、そのほかにもいろいろな所でお声かけいただく機会を得ることができ、なにより自分自身の研究への強いモチベーションになりました。あらためて、皆さんに御礼申し上げます。ありがとうございます。 現在、これまでの雲南省でのSSF研究の成果をまとめた論文の執筆を進めつつ、前期原生代(約21億年前)のアフリカ・ガボンの大型化石という新たな研究テーマに向けて始動しています。「生物進化」という大きな謎に、時代を越えて挑んで行きたいと考えています。どうか、今後の研究成果にご期待ください。 fig4]]> 2592 0 0 0 ペルー初の電波望遠鏡を稼働させ、星の成り立ちに迫る!- 衛星通信用アンテナを望遠鏡へと改造し、ペルー天文学の発展を目指す https://academist-cf.com/journal/?p=2618 Mon, 14 Nov 2016 08:00:27 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2618 アカデミストは、学術系クラウドファンディングサイト「academist(アカデミスト)」にて、新規プロジェクトを開始しました。今回の挑戦者は、ペルー地球物理研究所天文学部の責任者をつとめるイシツカ・ホセ博士です。
[caption id="attachment_2620" align="aligncenter" width="500"]500000 イシツカ・ホセ博士と現地の研究者の方々[/caption]
宇宙空間でどのように恒星がつくられているのか、という謎にせまる研究が、今、世界中でつづけられています。しかし、南半球にはまだ望遠鏡が少なく、さらなる設備の充実が望まれています。イシツカ・ホセ博士は現在、使われなくなった衛星通信用アンテナを改造することで、ペルー初となる電波望遠鏡を稼動させ、恒星の成り立ちにせまろうとしています。
ペルー初となる電波望遠鏡を稼働させ、星の成り立ちに迫る!
ペルーにて電波望遠鏡を立ち上げ、世界の天文学に貢献するためには資金が必要となります。 第1目標(150万円)を達成した場合、アンテナを設置した技術者を日本から招き、電波望遠鏡を立ち上げる資金に利用する予定です。さらに、第2目標として500万円を設定いたします。第2目標を達成した場合、この資金を電気代などの稼働費として用いることで、電波望遠鏡を継続的に稼働することができるようになります。そして、この継続的な観測によって星形成の謎に迫ることで、論文化を目指します。
支援者の方々は、ペルー地球物理研究所 オリジナルTシャツ(5千円)、サイエンスカフェ参加権(3万円)、天文台に名前を刻む(10万円)などのお礼を受け取ることができます。
[caption id="attachment_2619" align="aligncenter" width="500"]5000 リターンのオリジナルTシャツ[/caption]
【募集期間】2016年11月11日〜2017年2月2日
【支援サイト】academist(アカデミスト)
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集団を絶滅させる"裏切りアリ"の謎に挑む - 京大・土畑重人博士 https://academist-cf.com/journal/?p=2425 Mon, 21 Nov 2016 06:00:15 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2425

現在、クラウドファンディングに挑戦中の「アリに学べ!ロボットの集団行動最適化プロジェクト」は、ロボット工学や情報工学、数理生態学など、さまざまな分野を専門とする研究者で取り組む異分野連携型のプロジェクトである。しかし、異分野連携型と言っても、実際どのような連携が行われているかをイメージすることは難しい。今回、プロジェクトのメンバーであり、進化生物学を専門とする京都大学・土畑重人博士に、ご自身の研究内容と異分野連携のメリットについて、詳しくご紹介いただいた。

ーはじめに、土畑先生の専門分野についてご紹介ください。

私の専門は、進化生物学です。たとえば、丸い形をしていたほうが、四角い形をしているよりも生き残る確率の高い生物がいるとしましょう。するとその生物では、世代交代のたびに丸い形が増えることになるので、最終的にはみんな丸い形をするようになるはずです。このように、環境に最も上手く適応できた生物の性質が引き継がれていく考えかたのことを、「適応進化」と呼んでいます。進化生物学は、多様な生物のありかたを、適応進化という言葉で普遍的に捉えることを追求する学問であると言えます。

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ー土畑先生は、どの生物の適応進化に注目されているのでしょうか。

私は、アリに注目しています。アリの世界では、女王アリがたくさんの卵を産んで子どもを作り、働きアリが子どもを育てています。働きアリのなかでも、たとえば、若いアリは巣のメンテナンスや子育てを行い、高齢のアリは外から餌を持ってくるなど、各々が自分の役割を果たしながら生活しており、人間に似た社会性を持っています。アリでは、この社会性が適応進化してきたと考えられるのですが、働きアリは自分自身で卵を産むことはできません。そうすると、働きアリの性質がどのように次世代に受け継がれていくかよくわからないという問題が生じます。

ーたしかに、女王アリから働きアリの性質を持つ子が生まれてくるのは、不思議に思えますね。

この問題には、適応進化の考えかたを150年前に提唱したダーウィン自身も悩まされたそうです。それから100年経った今から50年ほど前に、ひとつの答えが示されました。働きアリは、自分では子孫は残さないのですが、働きアリと女王アリは血縁関係にあります。つまり、両者は同じ遺伝子を共有しているため、女王が子供を作ることで、働きアリは間接的に自分自身の遺伝子を残すことになっているといえるのです。自分では子供を作らないけれども、女王アリから産まれた自分の弟や妹を育てることで働きアリの性質を継承する。この考えかたは、進化生物学の研究を前進させるブレイクスルーになりました。

ー現在土畑先生は、研究でどの種のアリを取り扱われているのでしょうか。

私が大学院時代から研究してきたのは、アミメアリです。日本で行列を作って歩くアリの多くは、アミメアリです。そう聞くと、メジャーなアリであるかのように思われるかもしれませんが、実はアミメアリって、大きくふたつの理由から、一般の社会性昆虫という枠組みが当てはまらないんですよね。

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まず、アミメアリには女王がいません。逆にいうと、アミメアリ全てが女王として振る舞うと言っても良いのですが。アミメアリの社会は、巣に住んでいるみんなで卵を産み、それをみんなで育てるという仕組みを持っています。みんなが働きアリで、みんなが女王アリというように、分業していないアリなんですよね。

ーもうひとつは何なのでしょうか。

もうひとつは、オスがいないことです。アミメアリは、単為生殖で子供を作ります。厳密には、オスも少しはいるんですけれども、全く機能はしていません。こういうふたつの性質をあわせ持つアリはかなり特殊で、全部で1万数千種いるアリのうちでも、2種類だけなんです。

ーとすると、将来的にアミメアリのオスは淘汰されてしまうのでしょうか。

もしかすると、アミメアリがオスを作る性質はなくなるかもしれません。ただ、それば難しいところで、そもそもなぜ「性」が存在するのかということも、進化生態学の大きな問題なんですよね。サイズの大きな動物は、基本的にオスとメスの両方がいるんですけれども、オスがいなくなると、その種全体の寿命は短くなると考えられています。つまり、オスがいなくなることで、その生物種自体が絶滅するかもしれないということです。もしかすると、アミメアリはオスではなくて、アミメアリ自体がいなくなるほうが早いのかもしれませんね。

[caption id="attachment_2435" align="aligncenter" width="500"]amime ガラス管の内部で生息するアミメアリたち[/caption]

ー現在土畑先生は、アミメアリのどのような特徴について調べられているのでしょうか。

みんなで産んでみんなで育てるアミメアリの社会は、一見平等社会であるように見えます。それではこの平等社会に、卵はたくさん産むけど仕事はしない突然変異体が発生すると、どうなると思いますか? 変異体が卵をたくさん産むことを考えると、次世代にはもともとのアミメアリが持つ遺伝子よりも、突然変異の遺伝子の割合が増えてきそうですよね。すると、巣で働く個体が少なくなり、巣の維持が難しくなると予想できます。この予想は先行研究でされていたのですが、実は私、卵をたくさん産み仕事をしない突然変異体を野外で発見したんですよ。

ーなんと、実際にその個体がいたのですね。やはり巣はダメになってしまうのでしょうか。

それを実際に、飼育実験で確かめました。人間の事例で例えると、税金を払わない人がいると、その人は得をするけれども、社会としては損をすることになり、公共の利益が先細ることなりますよね。同じようなことが、アミメアリで起こっているんです。もし、巣の中に働くアリがいなくなれば、働きアリの系統を道づれにして、巣が滅んでしまうと考えられます。さらに、働かない「裏切り系統」のアリはほかの巣に移ることもあるのですが、アミメアリ全体に裏切り系統の遺伝子が残されることになるので、アミメアリ自体が絶滅することも考えられます。

ーこの裏切り系統は、いつごろからアミメアリと共存しているのでしょうか。

遺伝子を見てみると、実はこの裏切り系統は働きアリ系統と1万年くらい同じ場所にいるということがわかってきたんですよね。そんなに長い期間一緒にいると、アミメアリ自身が滅んでいてもおかしくないのですが……。その理由については、まだ答えを出し切れていないため、これから取り組んでいきたいと思っています。

ー実は裏切り系統が、何かしらの良い影響を巣に与えていたとか……?

もしかすると、裏切り系統がコロニーの巣の役に立っているという性質を見逃している可能性もあります。今のところ、見逃しているとは思えないんですけれども(笑)。裏切り系統はとにかく働かずに卵だけを産んでいるということは、間違いありません。

ー土畑先生の研究のモチベーションについて教えてください。

私は普段、アミメアリや社会性昆虫の研究ではなく、進化生態学を研究していると言っているんですよね。なぜかと言いますと、研究対象の生き物そのものよりも、その裏にある適応進化や巣が維持される仕組みに興味があるからです。先ほどお話しした、税金を支払わない人と裏切り系統のアリの対応もそうですが、違う生き物で見られる全く異なる現象が、実は同じ枠組みで説明できるということがあれば、とても楽しいと思うんですよね。たとえば、孔雀のオスが派手になるという現象と、カブト虫のオスのツノが伸びるという現象があるとします。現象としては全く違うものですが、つがいになる相手のメスがそれらの極端な性質を好むということから適応進化した、という意味では同じ枠組みのなかで理解できるわけです。見ている対象(もの)は違っていても、背後にある進化には何かしら共通する枠組み(こと)があると思っていて、私はそのような「ことの共通性」を見つけていきたいなと考えています。そういう意味では、研究材料はアリに限る必要はないんですよね。

ー「ことの共通性」を見つけるために、今クラウドファンディングで開発資金を募っている昆虫の歩行記録装置「ANTAM」は役に立ちそうですね。

そうですね。ANTAMが使えるようになったら、まずはアリの動きの普遍性を追求していきたいと思います。アミメアリの働く系統と裏切り系統を、それぞれANTAMの上で歩かせてみたいです。働きアリは餌を探すなど歩きまわる必要があるのですが、裏切り系統はあまり動く必要はないわけですよね。ただ、ほかの巣に侵入するときには、がんばってほかの巣を探さなければならないと。動くことに対する目的の違いが、歩行軌跡にどう反映されるのかは興味深いと思います。社会性とどう絡めるかは、これからの課題ではあるのですが。

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ー進化生物学の領域だけの視点では、ANTAMを使おうという発想には至らないと思うのですが、もともとANTAM開発者の方とはどのように出会われたのでしょうか。

ANTAM開発者の藤澤さんとは、研究集会で一度面識があった程度で、はじめは特に何か一緒にやろうということはありませんでした。最初に会ってから数ヶ月後、研究の材料を買いに東急ハンズに行って、帰りぎわに喫煙所に寄ったところ、藤澤さんに偶然遭遇しまして(笑)。そこで、研究について少しお話ししたところ、ANTAMのことをご紹介いただき、密に連絡を取り合うことになりました。

ー工学の研究者と議論をする中で、新しい発見はあったりしますか。

工学研究者の方の考えるシステムは、人間の合理的な思考の結晶なのだなあということをよく思います。たとえば、藤澤さんはアリが道しるべをたどって餌を探す行動を模倣した「群ロボット」を開発されているのですが、このシステムでは、2体のロボットが道しるべ上でぶつかったときに、巣から餌に向かうロボットが餌から巣に戻るロボットに道を譲るという「優先ルール」が組み込まれているんですよね。これは、「このほうが効率的だろう」という藤澤さんの直感で作られたのですが、私は社会性昆虫ではそのような行動が知られていないという知識を持っているので、驚きました。

ー工学的な視点が、生物学の研究テーマに広がりを持たせたということでしょうか。

そうですね。生物学の研究者として私がやるべきことは、実際のアリでも「優先ルール」が存在するのかどうかを調べることで、現在、そのような検証を計画しているところです。工学では、生物の形や暮らしぶりの合理性を工学的に応用しようとする、バイオミメティクスという分野があるのですが、私は逆に、工学研究者が考えたいろいろな合理的なシステムが、生物界にも発見できるのではないか、という興味を持ちながら研究を進めています。

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【連載】脳望遠鏡:Biology 5.0で脳に挑む(3) https://academist-cf.com/journal/?p=2631 Tue, 22 Nov 2016 01:00:34 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2631 * 連載目次はこちら 近代科学の父と言われるガリレオが使った望遠鏡は、星の光を肉眼で見る(検出する)というものでした。当時は写真撮影もなかったので、スケッチで記録されていました。一方、 最近チリに建設された電波望遠鏡「アルマ望遠鏡」では、肉眼では観察できないようなものを検出して記録します。 生物学の場合、Biology1.0(メンデル、ダーウィン、カハールの時代)では、肉眼や顕微鏡を使って個体や細胞を検出しました。最近の生物学では、特殊なツール(道具)や検出方法(センサー)を開発・利用することで、現象を記録することが多くなっていますが、Biology5.0ではこれがさらに本格的になるでしょう。 [caption id="attachment_2632" align="aligncenter" width="473"] 「検出する」「記録する」「ツールの開発」[/caption] 「検出する」「記録する」というのは、データ作りの基本です。現在の生物学で使われる検出ツールとして代表的なものが、蛍光タンパク質GFPや共焦点蛍光顕微鏡でしょうか。脳科学の分野では、fMRIというような方法が、脳の活動場所の検出に使われています。また、現代生物学に重大な影響を与えた事柄のひとつに、大容量の記録媒体の出現があったことは、あまり気づかれていないかもしれません。 前回は、私にとっての「コネクトーム」、つまり、ニューロン同士のつながりの問題は、神経回路をつなぎあげる分子の発現と特異性の問題であり、そこではSidekickという細胞表面の接着分子が関係することについて紹介しました。今回は、このようなシナプスでの接着に関わる細胞表面分子をツールとして使うことで、ニューロン同士が繫がっているということの「検出」に使えるということを紹介したいと思います。

神経細胞同士のつながりを可視化する

神経細胞同士がつながっているシナプスというのは、2つの細胞膜、つまり神経伝達物質を放出するシナプス前部の細胞膜と、その神経伝達物質の受容体を持つシナプス後部の細胞膜が接着したものです。つながっているかを判断するには、この接着の有無を検出すればよいわけです。接着は、シナプス前部とシナプス後部をつなぐ接着分子によって生じます。 [caption id="attachment_2633" align="aligncenter" width="500"]figure2-my3 GRASPと分割HRP法の原理[/caption] 接着の有無を検出する方法として利用されてきているのが、蛍光タンパク質GFPを2つに分割して、それを再構成させる「分割GFP」という方法です。つまり、GFPを2つに分割して、それぞれをシナプス前部とシナプス後部に配置するわけです。分割したGFPは、蛍光タンパク質として光りません。ところがシナプスでは、シナプス前部と後部が接着していますので、分割したフラグメントが再び一緒になって、GFPとして光るようになります。 この方法は、GRASP(GFP Reconstitution Across Synaptic Partners)と名付けられて、センチュウやハエではしばしば用いられています。もともとは最近、Chan Zuckerbergイニシアティブのもとで行われる巨額なバイオ系プロジェクトの責任者になったCori Bargmann博士(ロックフェラー大学)のラボで開発された方法です。 私たちは2012年に、哺乳類であるマウスでもGRASPが使えることをはじめて示しました(別のグループも同時期に発表していますが、その方法には再現性がありません)。 しかしこの方法は、相互作用の影響により再構成されるGFPの分子数が少なくなるなどの理由から、感度が不十分となり、実際にマウスの脳のシナプスで利用することが非常に難しいという問題を抱えていました。 今年になって、細胞外でも働く高感度な酵素として広く利用されてきたヘム結合糖タンパク質である西洋ワサビ・ペルオキシダーゼ(HRP)を2つに分割する「分割HRP」という方法論を発表しました。Alice Ting教授(当時、マサチューセッツ工科大学(MIT)化学教室、現在、スタンフォード大学)の研究室との共同研究で、中心になって研究を行ったのは、MITの大学院生だったJeff Martellさんです。 HRPを2つのフラグメントに分割できるアミノ酸の箇所を見出し、さらに分割した2つのフラグメントを酵母内で活性が強まるアミノ酸配列を持つものを選択的に選び出すDirected evolution(進化分子工学)によるスクリーニングをすることで、高活性を有する再構成に有利な新たな配列を創りだしました。この再構成を利用して観察できるタンパク質間の相互作用は、HRPの蛍光検出あるいはDAB等を利用することで電子顕微鏡で観察できます。GFPを使ったGRASPを真似て、お互いに結合するシナプス接着分子であるニューレキシンとニューロリギンにそれぞれのフラグメントを融合させることで、2つのニューロンがシナプス結合を作ったときのみに再構成できるようにしました。このシステムは、in vitroの神経細胞培養系さらにマウス視覚系で使用することができることを示しました。分割HRP法は、このほかにもさまざまな細胞間の相互作用メカニズムの研究に有用であろうと予想されます。

神経科学研究イノベーションの鍵:生物多様性と合成生物学

上で説明したHRPは、西洋ワサビという植物から単離されたタンパク質でした。GFPも、下村脩博士らがオワンクラゲという生物で発見し、ノーベル賞の対象にもなりました。神経科学の分野では、オプトジェネティクス(光遺伝学)という技術が日常的に用いられています。この方法に使われるタンパク質は、もともと古細菌で見つかったものでした。また、最近話題になっているCRISPR/CAS9というゲノム編集に使われるシステムも、細菌の免疫システムとして研究されてきたもので、神経科学研究にも役立っています。このように、多様な生物での基本的なメカニズムの研究が、広く生物学 、さらに医学にも使用されるツールの開発に発展しました。つまり、神経科学研究のイノベーションを支えてきているのは、多様な生物に見られる興味深い生命現象の研究であったということを見逃してはいけません。 [caption id="attachment_2634" align="aligncenter" width="611"]figure3-my3 神経科学研究に革命を起こした生物[/caption] こうした新しい分子ツール作りのもうひとつのポイントは、今回説明した分割HRPの例のように、新しい特性を持ったタンパク質を創り出す進化分子工学、既存のタンパク質の構造の理解から新しい性質を持ったタンパク質をデザインする方法、さらには違ったタンパク質との「キメラ」を人工的に作製するといった方法の利用です 。合成生物学というと、遺伝子編集などによって新しい生物を作るというイメージもありますが、このような新しいタンパク質を作るのも、また合成生物学の可能性なのです。 第4回へ続く   参考文献
  • Yamagata M and Sanes JR (2012) Transgenic strategy for identifying synaptic connections in mice by fluorescence complementation (GRASP). Front. Mol. Neurosci. 5:18. doi: 10.3389/fnmol.2012.00018
  • Martell JD, Yamagata M, Deerinck TJ, Phan S, Kwa CG, Ellisman MH, Sanes JR, Ting AY. (2016) Nature Biotechnol. 34: 774-780.
  • A split horseradish peroxidase for the detection of intercellular protein-protein interactions and sensitive visualization of synapses.
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安価で豊富なケイ素を使いこなしたい! - 砂や灰から直接化学原料を作る新たな可能性 https://academist-cf.com/journal/?p=2642 Thu, 01 Dec 2016 01:00:36 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2642 さまざまな分野で活躍するケイ素を含む材料 ケイ素(Si)は、地球の表層を構成する成分のうち、酸素に次いで豊富に存在する元素です。自然界では、岩石や砂の中に酸素と結合したシリカ(SiO2)の状態として存在します。ケイ素を含む材料は、私たちの身の回りで非常に多く利用されています。シリコーンと呼ばれる有機ケイ素材料は、耐熱性、絶縁性、撥水性などの観点で優れた性質を持っていて、オイルやゴムなどの形で、日用品から自動車などの移動体、航空・宇宙分野、化粧品、医療までさまざまな産業分野で活用されています。また、テトラアルコキシシランと呼ばれる化合物は、主に無機ケイ素材料の原料として幅広く利用されていて、機能性セラミックス、ガラス、合成石英などの光学材料、電子デバイス用の保護膜などを作る際に欠かせない物質となっています。 [caption id="attachment_2646" align="aligncenter" width="500"]fig1 さまざまな分野で利用されるケイ素を含む材料[/caption]

ケイ素化学品の現行製造プロセスと課題

では、これらシリコーンやテトラアルコキシシランは、工業的にどのように製造されているのでしょうか? 実は、ケイ素を含む化学材料の製造はすべて、その第一段階でシリカ(SiO2)を主成分とした鉱物であるケイ石を大量の電気エネルギーによって高温で炭素と反応させ、金属ケイ素を作る工程を通る必要があるのです。 [caption id="attachment_2647" align="aligncenter" width="500"]fig2 ケイ素化学品の現行製造プロセス[/caption] これは多くのエネルギーを消費し、同時に二酸化炭素(CO2)も大量に排出されます。このことが、ケイ素自体は豊富に存在する資源であるにもかかわらず、ケイ素を含む化学材料が比較的高価格な製品となっていることの主要因です。また、電気エネルギーコストの高い日本で金属ケイ素を生産することは、経済合理性の観点から難しく、我が国のケイ素化学産業は、出発原料である金属ケイ素のほぼ全量を外国からの輸入に依存しています。したがって、金属ケイ素を経由せずシリカから直接合成できる技術の開発が望まれていますが、技術的な難易度が高く、半世紀以上にわたって金属ケイ素経由の工業的な生産が行われているのが現状です。

砂や灰から直接化学原料を―新たな可能性

私は、金属ケイ素を経由しない新たな有機ケイ素化学品製造方法の開発を目指して、シリカ(SiO2)から直接テトラアルコキシシランを合成する技術の研究を行っています。 シリカとアルコールを原料として、テトラアルコキシシランを合成する理想的な化学反応式は、以下の式のように表す事ができます。 [caption id="attachment_2692" align="aligncenter" width="500"]eq1 理想的な化学反応式[/caption] しかし実際には、シリカは非常に安定な酸化物であるため、生成したテトラアルコキシシランは副生する水と速やかに反応して、シリカとアルコールに戻る逆方向の反応が進行しやすいのです。そこで私たちは、反応システムの中に水を除去できるユニットを組み込み、反応中に継続的に水を除去してやることによって逆反応を防止し、収率良く目的物であるテトラアルコキシシランを合成できる反応システムの開発を試みました。具体的には、モレキュラーシーブと呼ばれる規則正しい大きさの細孔を持つ固体状の無機脱水剤を、反応容器に組み込んで、反応で副生する水を除去することを検討しました。モレキュラーシーブは、細孔の内に水分子を吸着することができるため、有機溶剤やガスなどの乾燥に汎用されている材料です。 シリカ(SiO2)を含有する出発原料に、エタノール、触媒として水酸化カリウムを加え、モレキュラーシーブの存在下で加熱して、3時間反応させました。出発原料として、砂(珪質頁岩を粉砕して得られたもの)、灰(農業副産物であるもみ殻や稲わらを燃焼させた後に残ったもの)、産業副産物(合成石英を製造した際にでる副生シリカ)などを原料として利用した反応結果を、以下に示します。 [caption id="attachment_2648" align="aligncenter" width="500"]%e8%a1%a81 さまざまな天然原料からテトラエトキシシランを直接合成した結果[/caption] 砂からは、含有するシリカ基準で51%の収率でテトラエトキシシランが生成しました。また、農業副産物として未活用の資源とも言えるもみ殻や稲わらを燃焼させた後に残った灰は、比較的高いシリカ純度を有しており、これらを原料として反応を行うと、72~78%の高い収率でテトラアルコキシシランを得ることができました。合成石英を製造する際に出来る産業副生成物を回収して原料として利用すると、72%の収率でテトラエトキシシランが得られました。 この反応の中で、触媒として加えた水酸化カリウムは、シリカ(SiO2)の分解すなわちケイ素-酸素結合のネットワークの切断を促進する役割を担っています。また、無機脱水剤であるモレキュラーシーブは、すでに述べたように、反応によって生成した水を吸着して反応系から取り除いて、反応が逆方向に戻ってしまうことを防いでいます。シリカ原料に含まれる不純物の影響も受けにくいため、砂や灰などの反応性が低く、シリカ純度の高くない天然原料を用いても高収率にテトラアルコキシシランを合成することが可能となりました。さらに、モレキュラーシーブは固体状であるため、反応後には容易に回収して、加熱や減圧で再生して繰り返し使用できるため、製造コスト低減にもメリットがあります。 [caption id="attachment_2649" align="aligncenter" width="573"]fig3 実際に反応に使用した砂や灰などの天然原料[/caption]

今後の展望

今回の技術により金属ケイ素を経由せず、日本国内にも安価で豊富に存在するシリカをケイ素化学品の原料として直接利用できる新たな道を拓く事ができたと考えています。今後は、反応条件や触媒の改良とともに、より低コストな製造方法を目指して、化学工学的な視点から反応プロセスを最適化して、開発技術の実用化につなげたいと考えています。]]>
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重力波検出を30年以上支えた「ノイズハンティング」技術とは - 東大宇宙線研・川村静児教授 https://academist-cf.com/journal/?p=2652 Thu, 24 Nov 2016 02:00:55 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2652 ーまずは、重力波について教えてください。 重力波とは、質量を持つ物体が動くときに発生する波のことです。たとえば、みなさんが持っているスマホにも質量はあるので、スマホを動かすたびに重力波が発生しているということになります。このように聞くと、重力波なんて簡単に検出できるのではないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。なぜかというと、重力波による影響はきわめて小さいので、検出するのが非常に難しいからです。重力波を検出するためには、重い物体が速く動いている状況を見つけなくてはなりません。実際、昨年LIGOで世界で初めて観測された重力波も、太陽質量の30倍程度のブラックホール連星が、0.1秒間に数回程度、お互いのまわりをくるくるまわる状況で発生したものでした。 [caption id="attachment_2655" align="alignright" width="300"] 東京大学宇宙線研究所・川村静児教授[/caption] ー川村先生は、どのような経緯で重力波の研究をはじめられたのでしょうか。 1980年代半ば頃、東大の宇宙プラズマ物理の研究室に修士課程の学生として在籍していたのですが、何か新しい分野の研究をしようということで、研究室の先生といろいろ調べていたんですよね。そこで、重力波に関するテーマが候補のひとつになりました。そのころは、重力波を検出するために「共振型」と呼ばれるタイプの装置が使われていたのですが、共振型は原理が簡単で作りやすいメリットがある一方、検出可能な重力波の周波数帯が限られてしまうデメリットもありました。そのような背景のなかで、世界的に共振型からより広範囲の周波数帯を検知できる「レーザー干渉計型」への移行が行われていたのですが、日本では誰もやっていなかったこともあり、それではやってみようということになりました。 ー世界的には、もっと前から移行が行われていたのでしょうか。 1970年代からですかね。マックスプランク研究所(ドイツ)やグラスゴー大学(スコットランド)、カリフォルニア工科大学(アメリカ)など、いくつかの研究機関がレーザー干渉計型のプロトタイプの開発を進めていました。アメリカではその後、新しいポストがドンドン増えて、他分野から研究者が流れ込んでいました。日本では、研究者が研究テーマを途中で変える文化はないですし、新しい分野にポストができるということもあまりないですよね。今回重力波が検出されて、ようやくその流れが出来るかどうかという状況のように思います。 ー川村先生の大学院時代の取り組みについて教えてください。 レーザー干渉計型の10mのプロトタイプを作り、検出感度を高めるという仕事をしていました。10mというのは、検出器を構成するビーム・スプリッターから鏡までの距離で、この距離が長ければ長いほど、重力波を検出しやすくなります。 [caption id="attachment_2708" align="aligncenter" width="500"]%e5%ae%87%e5%ae%99%e7%a0%9410m 宇宙研で10mプロトタイプの説明をする大学院生時代の川村教授(画像提供:川村静児教授)[/caption] 重力波を検出するには、あらゆるものを制御しなければなりません。検出器は、制御の塊なんです。それなのに、制御の理論も何も知らない状態で、手探りで進めていましたね。でも最終的に、10mのプロトタイプを動かすことに成功して、当時最も感度の高かったマックスプランク研究所の30mのプロトタイプの感度(鏡の変位感度)に、あとひと桁というところまで近付くことができました。 ー川村先生が作られたプロトタイプからは、重力波の存在を示唆するデータは検出されたのでしょうか。 10mプロトタイプの感度がよくなった1989年頃、1987年に起きた超新星爆発の残骸から、パルサーが発見されたという報告がありました。パルサーからは重力波が出るので、その観測をしようということになり、120時間くらい観測を行いました。装置と観測の詳細を博士論文にまとめて提出し、ポスドクとしてカリフォルニア工科大学(=カルテク)に移ったのですが、その何ヶ月か後になって、パルサーだと思っていたものが、テレビのノイズだったということがわかったんです(笑)。 ー感度を高めるためには、検出器の大きさだけではなく、ノイズを除去することも重要なのですね。 そうですね。カルテクでの私の最初の仕事は、検出器を構成する鏡の角度が揺れる問題を解決することでした。最初は、鏡の角度が少し揺れてもノイズにはそこまで影響しないと思われていたのですが、研究を進めていくうちに、鏡の角度の揺れが大きなノイズになっていることがわかってきたんです。私は、角度の揺れを制御するシステムを変えることで、検出感度を3桁ほど上げることに成功しました。その後も、ノイズをどんどん探しては感度を上げるという仕事を進め、最終的に、当時「奇跡の感度」と呼ばれる感度を達成することができました。ノイズ探しは私の性に合っていたのかもしれませんね。 ーノイズの除去作業と聞くと、地味で難しい作業のように思えるのですが……、性に合っているとはいえ、嫌になるときもあるのではないでしょうか。 それが、全くないんですよね(笑)。わからなければわからないほど、おもしろいんですよ。簡単なノイズの場合には、3時間も考えれば原因が見つかるのですが、難しいノイズの場合だと3日くらいかかります。なかには3ヶ月くらいかかるときもありますね。また、ノイズ対策をしている間に原因がわからないまま消えるノイズもあったりなど、いろいろな種類のノイズを狩り続ける、"ノイズハンティング" をする日々を過ごしていました。 ーノイズハンティングの過程で、最も嬉しい瞬間はどのようなときですか。 失敗するときです。研究室にいるときはもちろん、寝転がったり、ジョギングしたりなど、さまざまな状況で思いついたノイズ除去のアイデアを試して、失敗する。この瞬間が、一番楽しいんです。ノイズには必ず起源があるので、どのようなメカニズムでノイズが現れるかを理解すれば、取り除いてやることはできるわけですからね。このノイズはなかなかやるな! と楽しみながら、試行錯誤を繰り返すわけです。 ー重力波の観測により、今後どのようなことが明らかになってくるのでしょうか。 今回の実験では、太陽質量の30倍のブラックホール連星の合体から生じた重力波を検出したわけですが、この結果は、ほとんどの人が想定していなかったんですよね。なぜかと言うと、現在の理論モデルではこれほど重いブラックホール連星が、そこまでたくさん存在しているとは言えなかったからです。今回の観測結果から、太陽質量の30倍程度のブラックホール連星は、予想よりもたくさん存在しているのではないかということが言えるので、今後これまで提唱されてきた理論モデルが選別され、どういう質量を持つ星がどれくらいの頻度で観測されるのかということが、より正確に予測できるようになるのではないかと思います。 ー今後、重力波検出に関する研究はどのように進んでいくのでしょうか。 検出の感度を向上させる取り組みが、世界的に進んでいくように思います。LIGOや日本の重力波検出器「KAGRA(カグラ)」の感度をさらに上げようという取り組みももちろんありますが、ヨーロッパでは、10kmの腕を持つ「Einstein Telescoop(アインシュタイン・テレスコープ)」という巨大干渉計を、地下で動かそうという計画も進んでいるんですよね。レーザー干渉計は大型化すれば感度が上がるので、予算と土地があれば性能を向上させることができます。ただ、巨大な検出器を置ける土地も限られているじゃないですか。そこで、1,000km近いサイズの検出器を宇宙に持っていくという日本の将来計画「DECIGO(ディサイゴ)」も検討されています。宇宙空間では地面振動がなく、地上よりもノイズを減らすことができるので、高い感度で重力波をとらえることができるはずです。 ー最後に、川村先生の研究者としての目標についてお聞かせください。 宇宙がどうやってできたのかをとにかく知りたいです。DECIGOを実現することができれば、ブラックホール連星の合体よりももっとずっと前の世界、つまり、宇宙のはじまりと言われているインフレーションの動かぬ証拠を突き止められる可能性も出てきます。私が現役の間に解明できる問題ではないかもしれませんが、自分の仕事をできるだけ早く進めていくことで、次世代の研究者たちにバトンをつないでいきたいですね。 kawamurat2 *** 重力波のことや川村先生の取り組みについてより詳しく知りたいかたは、ぜひ川村先生の著書「重力波とは何か」をご覧ください! [amazonjs asin="B01M03ISCF" locale="JP" tmpl="Small" title="重力波とは何か アインシュタインが奏でる宇宙からのメロディー (幻冬舎新書)"]]]> 2652 0 0 0 アリと共生する好蟻性生物を探して in アフリカ - 九州大・小松研究員による研究進捗報告 https://academist-cf.com/journal/?p=2701 Mon, 28 Nov 2016 02:00:56 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2701 謎多きアリの「居候」の多様性を調べたい!」で目標金額を達成した九州大学熱帯農学研究センターの小松貴研究員に、カメルーンやケニアでの調査研究の様子についてご寄稿いただきました。クラウドファンディングで獲得した研究費で、どのような調査をされてきたのでしょうか。 *** 昨年度、「謎多きアリの「居候」の多様性を調べたい!」を通じて皆さまからご支援いただいた研究費を用いて、2015年5月9日~5月26日にカメルーン、2016年5月24日~6月12日にケニアに、それぞれサスライアリを中心とするアフリカのアリと共生する好蟻性生物の撮影および調査に行ってまいりました。 [caption id="attachment_2703" align="aligncenter" width="500"]intro サスライアリ[/caption] カメルーンは、狭い国土内にサバナ、ステップ、ジャングルなど、多彩な環境を有していますが、我々はジャングル環境のある場所を調査地としました。カメルーン周辺は、アフリカ大陸のなかでもサスライアリの種多様性、そして生息密度がとても高いエリアで、珍奇な好蟻性生物の発見が大いに期待される場所です。とはいえ、何しろ相手はさすらいの遊牧民。ここに行けばいつでも見られるという生き物ではなく、現地到着後最初の3~4日はアリの行列を求めて、広大なジャングルを無意味に何kmも歩くだけに終わりました。 [caption id="attachment_2702" align="aligncenter" width="500"]fig1 カメルーンのジャングル[/caption] その後、数回にわたり獲物を求めるアリの捕食行軍にぶつかることができ、カブトガニのように平たい体でアリに咬まれないようにするハネカクシ、棒のような体形でアリに気づかれないようにするハネカクシ、さらにアリそっくりな体形でアリになり済まし行列を行くハネカクシといった甲虫類を発見しました。行列の周囲では、アリに追われて逃げる小動物を便乗して襲う、珍しいハエを確認しました。いくつかの行列では、アリが野営地として使っている一時的な巣まで辿ることができ、巣のそばにあるアリたちのゴミ捨て場からアリの死骸を餌とするハネカクシ、エンマムシなどの甲虫を発見しました。サスライアリ以外のアリ種からは、好蟻性生物はほとんど見つかりませんでしたが、林縁の植物上でアリに守られるツノゼミ類は豊富で、10数種を確認できました。一方、シロアリに関しては、大型の塚を造るキノコシロアリの巣からシロアリの姿に似せた珍奇な形態のハエ、ハネカクシなどを得ることができました。 [caption id="attachment_2705" align="aligncenter" width="500"]シロアリノミバエ シロアリノミバエ[/caption] ケニアでは大きく2つの環境、すなわち多湿なジャングルと乾燥したサバナという相反するエリアを調査地に選びました。サスライアリの生息密度はかなり低く、発見される好蟻性生物もわずかなものでしたが、カメルーンでは撮影できなかったタイプの微小ハネカクシを数種撮影できました。ケニアでは、奇妙な形態の触角をもつ好蟻性の甲虫ヒゲブトオサムシの多様性がすさまじく、現地滞在中に5種程をアリの巣から得ました。東南アジアにもこの仲間はいますが、とにかく数が少なくて発見は容易でなく、1ヶ月滞在して1匹採れるか否かという程です。2週間ほどの滞在で、これほどの種数が見つかるとは思いもしませんでした。ツノゼミも多く、特にサバナではアカシアの木につき、アリとの関係が強い特殊な種群のものを多数得ました。ケニアは、高さ2mを超す巨大な塚を造るオオキノコシロアリの巣が多く、これらの巣内からはシロアリに似せたハネカクシ、ハエのほか、シロアリを捕食するという大型のゴミムシ、コガネムシなども見つかりました。いずれも、これまで生きた姿が撮影されたことのない、非常に珍しいものでした。 [caption id="attachment_2704" align="aligncenter" width="500"]ケニアのサバナ ケニアのサバナ[/caption] 今回集まった研究費のうち、約半分をカメルーン遠征に、残りをケニア遠征にそれぞれ充てるような使いかたをしました。かねてから噂に聞いていたとおり、アフリカは物価がかなり高く、2~3週間滞在するだけでも日本で同期間生活するのと同等か、それ以上の費用が掛かります。さらに、これらの国において外国人の野外研究者は、調査に当たり治安などの理由から現地にてガイド・用心棒を雇う決まりとなっており、1日に付き高額の報酬(日本円に換算して1万円程度)を彼らに支払う必要があります。このほか、現地にてアリの巣の掘削や探索、私有地への立ち入りなど、現地の住民達に多大な協力を頂き、その謝礼も支払わねばなりません。今回のクラウドファンディングで集めた研究費により、これら多大なる出費をすべてカバーすることが出来ました。ご支援いただきました皆さま、誠にありがとうございました。 これで「アリの巣の生きもの図鑑世界編」を作成するに当たり、重要なピースのひとつひとつが揃いました。このほか、僅かに残っている未調査地域での調査の末、再来年度初頭をめどに、図鑑の出版を目指しています。皆さま、今しばらくお待ちいただければ幸いです。]]> 2701 0 0 0 日本のトリュフを知り、栽培に挑戦!- 初の国産トリュフ誕生を目指して https://academist-cf.com/journal/?p=2717 Wed, 07 Dec 2016 01:00:24 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2717 トリュフの多様性 トリュフは菌類で、子嚢菌門・チャワンタケ目・セイヨウショウロ科・セイヨウショウロ属(学名は塊茎を意味するTuber)に分類されます。2008年の菌類図鑑をめくると、世界で86種と書かれていますが、その後、新種報告が相次ぎ、現在では100種以上が記載され、少なくとも世界で180種は存在すると推定されています。北半球の亜寒帯から温帯にかけて分布していて、その気候帯に位置する日本列島では、さまざまな種類のトリュフが発生します。日本では1976年に鳥取県の大山で採取されたトリュフが最初の記録です。発見当初は、アメリカで発生する種類と同じと考えられ、Tuber californicumという学名があてられていました。その後も、国内でのトリュフの発見が続きましたが、いずれも中国や欧米産の既知種の名前があてられ、図鑑で紹介されてきました。当時は形態に基づく分類が主流だったため、特徴の乏しいトリュフを見分けることが非常に難しかったのですが、その後、菌類の分類に遺伝子情報に基づく判定技術が導入され、分類や多様性の把握が飛躍的に進み、トリュフに地域固有性が非常に強いことなどわかってきたのです。 私たちは、1999年から2008年までに、日本各地の愛好家によって集められた186個のトリュフの遺伝子情報を解析し、20系統のトリュフが存在することを明らかにしました。この中には、従来から知られていた種もありました。そのなかで2種のトリュフが、日本でしか発生せず、しかも欧米産やアジア産の既知の種類と比べて系統的、形態的に特徴のある種であることがわかりました。 [caption id="attachment_2769" align="aligncenter" width="500"]rDNA ITS領域の塩基配列に基づくセイヨウショウロ属(トリュフ)の分子系統樹(左図:赤フォントが日本の種)と日本のトリュフの写真(右図)。 Kinoshita et al. 2011, Mycologia 103:779-794を改変 rDNA ITS領域の塩基配列に基づくセイヨウショウロ属(トリュフ)の分子系統樹(左図:赤フォントが日本の種)と日本のトリュフの写真(右図)。 Kinoshita et al. 2011, Mycologia 103:779-794を改変[/caption]  

日本固有のトリュフ:ホンセイヨウショウロとウスキセイヨウショウロ

トリュフはジャガイモのような形をしているため、それだけでは種の判別が難しく、キノコの内部でつくられる胞子を調べます。トリュフの胞子は子嚢(しのう)とよばれる袋に入っていて、その胞子の数、形および色などが種によって異なります。それでもわからない場合には、特定の遺伝子の塩基配列を解読し、既知種と比較します。今回新種として発表した2種の場合、ひとつの子囊内に形成される胞子の数は通常1〜2個で、胞子は薄黄色で網目構造を持つという、他のトリュフの種にはない特徴をしているため、形態的特徴だけで十分に判断できることがわかりました。さらに分子系統解析の結果、この2種は中国の近縁種とともにセイヨウショウロ属の中でも固有の系統群を形成することがわかりました。私たちは、最初に日本で発見されたことに因み、1種をホンセイヨウショウロ(Tuber japonicum)と名付け、もう1種は胞子の色の特徴からウスキセイヨウショウロ(Tuber flavidosporum)と命名しました。日本で初めて新種として記載されたトリュフです。 [caption id="attachment_2770" align="aligncenter" width="500"]今回新種記載したホンセイヨウショウロのキノコ(A)と胞子(B, C)、ウスキセイヨウショウロのキノコ(D)と胞子(E, F)。C, Fは胞子のSEM画像。各写真のバーは、A, Dは1cm、B, C, E, Fは30µmを示す 今回新種記載したホンセイヨウショウロのキノコ(A)と胞子(B, C)、ウスキセイヨウショウロのキノコ(D)と胞子(E, F)。C, Fは胞子のSEM画像。各写真のバーは、A, Dは1cm、B, C, E, Fは30µmを示す(Kinoshita et al. 2016より)[/caption]

トリュフは植物と共生している

トリュフもほかのキノコと同じように植物と関わって生活しています。しかしその相手は枯れた木や落ち葉ではなく、生きた植物です。ここにトリュフの生活環の面白さ、奥深さ、ひいては栽培するためのヒントが隠されているのです。 一般にトリュフとして食用にされる部分(キノコ)は、胞子をつくる器官で、植物でいえば花や果実に該当します。一方でトリュフの菌糸は幅数μm(1 mmの1000分の1)をして土壌中を拡がり、水分や養分を吸収しています。その菌糸は樹木の根(直径2mm以下の細い根)に侵入し、菌根という構造物をつくります。トリュフは、菌根を介して、樹木の光合成産物をもらうことで生活をし、その代わりに土壌中から集めた水分や養分を樹木へ供給しています。このような関係を菌根共生と呼び、トリュフが共生できる樹木は、日本ではマツ科やブナ科、カバノキ科といった樹種です。これらの樹種との安定した共生関係が維持されることによって、トリュフは一生を全うできるのです。

トリュフの一生

トリュフの生活史をキノコを始まりとしてみていきましょう。トリュフは地中や土の表面近くにキノコを形成する地下生菌です。マツタケなど一般的なキノコは、地上に傘の形をしたキノコを作り、傘の下側のヒダに胞子を作ります。この胞子が自然落下し、風などにより散布されます。地下生菌であるトリュフの場合、老熟して溶けだすことや動物に食べられることで胞子が散布します。トリュフに強い香りがあるのは、動物に食べてもらうためで、この特徴は進化の過程で獲得したのでしょう。土壌中に散布された胞子は発芽し、菌糸をのばして樹木の根に菌根を形成します。樹木からの栄養を十分に受けながら菌根から菌糸を伸ばし、やがてトリュフはキノコを作ります。私たちが動物や植物を飼育する際、その生き物の本来の生活場所や特性を知り、再現することを心がけます。トリュフなど菌類も同じで、ヒトの手で栽培するうえでは日本のトリュフの生活史の把握が必要なのです。 [caption id="attachment_2834" align="aligncenter" width="500"]fig3 トリュフの生活史[/caption]

国産トリュフの栽培化へ向けて

栽培されるトリュフとして最も有名なのがヨーロッパの黒トリュフのT. melanosporumで、このほかにもさまざまな種類が栽培されています。しかし最近になって、ヨーロッパ以外でも食用価値の高い種が続々と報告されるようになってきました。アメリカで発生するT. gibbosum, T. oregonenseは、アメリカ国内で高値で取引されていますし、中国で発生するT. indicumは、ヨーロッパや日本にも輸出されています。これらは自生地で採集されたものが市場へ出回っていますが、それぞれの国での栽培化に向けた取り組みも行われています。日本のホンセイヨウショウロは、「ニンニク臭」や「発酵チーズ」など人によって感じ方が違いますが、海外産種にも匹敵する香りをもち、食用として通用すると感じています。現在、私たちは日本のトリュフのうち、ホンセイヨウショウロをはじめ、他の食用可能性のあるトリュフの栽培化をめざし、共生する樹種や土壌環境、気象など、発生条件を探っているところです。読者の皆さんの食卓に日本のトリュフを届けられるよう、研究を進めていきます。 引用文献
  1. Kinoshita A, Sasaki H, Nara K (2011) Phylogeny and diversity of Japanese truffles (Tuber spp.) inferred from four nuclear loci. Mycologia 103: 779-794.
  2. Kinoshita A, Sasaki H, Nara K (2016) Two new truffle species, Tuber japonicum and Tuber flavidosporum spp. nov. found from Japan. Mycoscience 57: 366-373.
  3. Zambonelli A, Bonito G (2013) Edible ectomycorrhizal mushrooms: current knowledge and future prospects. Soil Biology series: 34, Springer.
  4. Zambonelli A, Lotti N, Murat C (2016) True truffle (Tuber spp.) in the world: soil ecology, systematics and biochemistry. Soil Biology series: 47, Springer.
  5. 佐々木廣海、木下晃彦、奈良一秀(2016)地下生菌識別図鑑:日本のトリュフ。地下で進化したキノコの仲間たち.誠文堂新光社
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細胞内のタンパク質合成を、光でコントロールする! https://academist-cf.com/journal/?p=2723 Mon, 05 Dec 2016 01:00:21 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2723 生物におけるタンパク質合成 どの生物も、非常に多くの種類のタンパク質の遺伝子をもっています。たとえばヒトには、2万種類以上のタンパク質の遺伝子がありますが、全ての細胞内で、全てのタンパク質が常に合成されているわけではありません。もし全て合成されたら、細胞は不要なタンパク質で一杯になってしまい、生きていけないだろうと思います。多細胞生物のなかで、個々の細胞がそれぞれの役割も果たすためには、それぞれのタンパク質が適切なタイミングで適切な場所において合成されることが必要です。 特定のタンパク質が特定の時と場所に現れる例は、受精卵から成体に至るまでの動物の発生過程において、多数知られています。また、局所的なタンパク質合成が神経細胞の機能に関係していることなども注目されています。このような特定の時期に局所的に現れるタンパク質と、生体内のイベントとの関係を知ろうとするのであれば、たとえば生体内のタンパク質の時空間的な分布を調べたら分かると思います。タンパク質の時空間分布が分かったとすると、次の疑問が生まれます。そのタンパク質を天然とは違うタイミングや違う位置に分布をさせたら、どうなるのでしょう? [caption id="attachment_2724" align="aligncenter" width="610"]screen-shot-2016-11-23-at-10-47-54-am 動物の胚(受精後まもない状態)における時空間特異的なタンパク質合成[/caption]

タンパク質の合成を時空間的に制御する

この疑問に答えるためには、「標的タンパク質の合成を生体内の特定の時と場所で起こす方法」または「標的タンパク質の合成を特定の時と場所で抑制する方法」を開発することが必要です。たとえば、光、超音波、熱、放射線などの外部刺激に応じてタンパク質合成を誘導または抑制する方法があれば,外部刺激により時と場所を指定できます。私たちは、そのような方法を作ってきましたので、ここで紹介します。

光でタンパク質合成を抑制する

標的タンパク質の合成の抑制(=標的遺伝子の発現抑制)を行う手法として、RNAi (RNA interference) は、近年、生命科学研究者の間で広く普及しています。RNAi技術は、標的遺伝子の配列が分かれば容易に適用可能で、狙ったタンパク質の合成を抑制することができます。RNAi技術の疾患治療への応用に関する研究も盛んに行われています。このようなRNAiを、時空間特異的に起こす方法(CLIP-RNAi法)を、私たちは開発しました。 この方法では、狙った時期および狙った位置に光を当ててタンパク質合成を抑制することができます。これはRNAiを引き起こすRNA(shRNA)の細胞質内導入を光により制御する手法で、光増感剤という化合物の光応答性を利用した方法です。この方法では、可視光または近赤外光を使うことができます。開発当初は緑色、赤色などの可視光の利用が中心でしたが、最近、波長750 nm程度の近赤外光も使えるようになりました。この付近の波長域の近赤外光は、生体組織透過性が良いため、生体深部に適用するうえでは可視光より優れています。

光でタンパク質合成を誘導する

上で紹介したのは、特定のタンパク質に狙いをつけてその合成を抑制する方法ですが、自在にタンパク質の出現時期と場所を制御するためには、逆の方法(合成を誘導する方法)も必要です。最近私たちは、光を当てると活性化する物質「ケージドアミノアシルtRNA」を用いて、タンパク質合成を光で誘導する新技術を開発しました。今回作ったケージドアミノアシルtRNAは、青色の光を当てると分解して「アミノアシルtRNA」という物質を生じます。特定のタンパク質の合成のうえで、このアミノアシルtRNAが必要になるように仕組んでおけば、ケージドアミノアシルtRNAを用いて光に依存的にタンパク質合成を進めることが可能です。今回、リポソーム内、ゲル内、生細胞内などにおいて、光依存的なタンパク質合成を行うことに成功しました。このことは、狙ったタイミングで、狙った位置において、特定のタンパク質の合成を制御可能ということを示しています。 [caption id="attachment_2725" align="aligncenter" width="599"]screen-shot-2016-11-23-at-10-50-44-am ゲル内、リポソーム内、細胞内におけるタンパク質合成の光誘導の例。光を照射した領域(リポソーム内やゲルのマスクされていない部分)のみで、緑色蛍光タンパク質(GFP)の合成を誘導することができました。リポソーム膜は赤い蛍光色素で可視化されています。細胞内においては、赤色蛍光タンパク質(DsRed)の合成を誘導できました[/caption]

さいごに

以上のような技術により、光による「時空間的なタンパク質合成の制御」が可能になりました。本稿では、あまり説明が複雑にならないよう技術の原理や詳細は省きましたが、その点は以下の文献を参照していただければと思います。 生物において、時空間的なタンパク質合成の制御は絶えず起こっており、重要な役割をしています。たとえば動物が生まれてから体が形成される発生過程には、必要なタイミングで局所的に合成されるタンパク質が多数関わっています。本稿で紹介したタンパク質合成を光で制御する技術は、発生過程や神経伝達など「タンパク質合成の時空間的制御」に関連する生命現象の解明につながることが期待されます。 参考文献
  1. Endoh, T., Sisido M. and Ohtsuki, T., Spatial regulation of specific gene expression through photoactivation of RNAi. J. Control. Release, 137, 241–245 (2009)
  2. Matsushita-Ishiodori, Y., Morinaga, M., Watanabe, K., Ohtsuki, T., Near-infrared light-directed RNAi using a photosensitive carrier molecule. Bioconjug. Chem. 24, 1669–1673 (2013)
  3. Ohtsuki, T., Miki, S., Kobayashi, S., Haraguchi, T., Nakata, E., Hirakawa, K., Sumita, K., Watanabe, K., Okazaki, S. The molecular mechanism of photochemical internalization of cell penetrating peptide-cargo-photosensitizer conjugates. Scientific Reports, 5, 18577 (2015)
  4. Akahoshi, A., Doi, Y., Sisido, M., Watanabe, K., Ohtsuki, T., Photo-dependent protein biosynthesis using a caged aminoacyl-tRNA. Bioorg. Med. Chem. Lett., 24, 5369–5372 (2014)
  5. Ohtsuki, T., Kanzaki, S., Nishimura, S., Kunihiro, Y., Sisido, M., Watanabe, K., Phototriggered protein syntheses by using (7-diethylaminocoumarin-4-yl)methoxycarbonyl-caged aminoacyl tRNAs. Nature Communications, 7, 12501 (2016)
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腫瘍内に形成される血管 - 「がん幹細胞」の片鱗を見る https://academist-cf.com/journal/?p=2728 Tue, 06 Dec 2016 01:00:50 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2728 「がん幹細胞」を作る iPS細胞はその万能性から、あらゆる細胞へ分化させて、その細胞を再生医療へ応用することに大きな期待が寄せられています。その中で懸念されるのは、予期しない「がん化」とも言われています。しかし、その万能性から「がん化」のみを否定することはかなり難しいことです。なぜなら、細胞の分化を人為的にコントロールすることは、まだまだ大変難しい技術だからです。 この一方で、iPS細胞をマウスに移植すると腫瘍ができることが知られていますが、この腫瘍は奇形腫と呼ばれ、良性であることが知られています。この奇形腫の中にあるのは正常に分化した細胞で、さまざまな組織形態に分化した像が観察できますが、ただひとつがん組織は見つからないのです。したがって、悪性のいわゆる「がん細胞」を作り出すのはそれほど容易でないと想像できます。 そこで私が目をつけたのが、各種のがん細胞株です。がん由来の細胞を培養したその上清には種々の因子が存在することが知られていますが、このような培養上清を用いてiPS細胞を培養すると、がん細胞ができるのではないかという考えに至ったのです。 果たして、肺がん由来の細胞株を培養した培養上清を用いて、iPS細胞を培養すると、未分化なまま増殖を続ける細胞が得られ、これをマウスに移植すると悪性の腫瘍ができたのです。この悪性の腫瘍を形成する細胞は、自己増殖する能力と分化する能力を持っていたので、がん幹細胞ができたと結論しました。外来遺伝子の導入や発がん性物質などによる遺伝子の変異を与えない条件で、人為的にがん細胞ができること、これまでのがん研究の流れからすると、想像できない新しい発見と言えます。 [caption id="attachment_2752" align="aligncenter" width="500"] iPS細胞由来がん幹細胞[/caption]

「がん幹細胞」の分化

がん幹細胞の定義として、「自己複製」「分化能」「悪性腫瘍形成」の3点が挙げられます。これらを満たす細胞は、がん幹細胞の必要かつ十分条件です。しかし、この「分化能」とは一体何でしょうか。 iPS細胞が分化する場合には、神経細胞や筋肉細胞などと言われると理解しやすいと思いますが、がん幹細胞が分化するというのは、理解することが難しいかもしれません。がんの分類から、扁平上皮癌、腺癌、肉腫、血液がん(いわゆる白血病)と聞けば、理解できる方も多いと思います。たしかに、ひとつの個体はひとつの受精卵から細胞分裂と分化を繰り返して、個々の臓器組織を構成する細胞になっていきます。その数、約37兆個と言われます。 しかし、これらの細胞は全て同じ遺伝子を持っているのです。がんに罹ってしまっても、そのがん細胞はやはり同じ遺伝子を持っています。がん細胞も、がん幹細胞から分化した細胞で、さらにはがん幹細胞も同じ体のどこかの幹細胞が誤って分化した細胞なのです。したがって、このがん幹細胞が多種多様であることも理解できますし、がん幹細胞がどのような分化をすることができるかによって、がん組織の中での細胞が不均一になることも理解できると思います。実際に、がん組織の中を観察すると、上皮細胞や間質細胞が存在しています。この間質は正常な組織でも存在して、線維芽細胞や免疫細胞、血管内皮細胞、平滑筋細胞および未分化な細胞など種々の細胞を含んでいて、組織を維持するために重要な役割を果たしていますが、がん組織の場合にはがん幹細胞もこの中に存在すると考えられます。

腫瘍内の血管

血管は血管内皮細胞から構成されており、酸素と栄養を供給するためにさまざまな臓器組織で必要です。腫瘍も例外ではなく、酸素と栄養を得るために、血管を組織内へ引き込みます。この現象を、血管新生と呼んでいます。これまで、悪性腫瘍の血管新生は、がん細胞が細胞成長因子を分泌し、腫瘍組織へ向かって血管内皮細胞の増殖を誘導することによって、腫瘍内の血管を形成すると考えられてきました。しかし、この血管系は複雑で、宿主の血管が単純に腫瘍へ向かって成長するということだけでは、説明がつきません。最近では、脳腫瘍のがん幹細胞が血管内皮細胞へ分化していると報告されました。その一方で、疑似血管もまた、幹細胞性マーカーを発現する細胞から構成されていることが皮膚がん細胞で報告されています。しかしながら、がん幹細胞の腫瘍内血管系の構成への関与は明らかにされてきませんでした。 [caption id="attachment_2754" align="aligncenter" width="500"]腫瘍内の血管系 腫瘍内の血管系[/caption] マウスiPS細胞からはじめて作ったがん幹細胞も、マウスの皮下に移植すると血管に富む腫瘍が形成され、血管新生が旺盛であることが観察できました。このことから、このがん幹細胞をIV型コラーゲン存在下で培養してみました。この培養方法は、血管内皮細胞の血管形成能力を調べるもので、ある種の細胞成長因子を添加して、培養すると血管内皮細胞が管腔を形成することで確認できます。ところがこの方法で、がん幹細胞自身が管腔形成能を示したのです。血管内皮細胞のマーカーを調べるとがん幹細胞は陽性を示し、このがん幹細胞は自ら細胞成長因子を分泌しながら血管内皮細胞へ分化することがわかりました。 さらに、このがん幹細胞に赤い蛍光を出すタンパク質の遺伝子を組み込んで、マウスに移植し、この細胞が形成する腫瘍組織を解析してみると、血管内皮細胞と疑似血管細胞の両方に、移植したがん幹細胞が分化して分布していることがわかりました。がん幹細胞から形成された腫瘍が作り出す血管のネットワークが、宿主側とがん組織側の両方から作り出されていていることが、明らかになったのです。 [caption id="attachment_2755" align="aligncenter" width="500"]分化経路 分化経路[/caption] 今回の研究成果では、間質の中でがん幹細胞に由来している血管系が存在することがわかった訳ですが、間質の中の種々の細胞が、がん幹細胞に由来している可能性も出てきた訳です。間質の細胞は少なくともがん幹細胞の維持に重要な微小環境を作り出しています。がん幹細胞が、その分化能で、どのような細胞に分化しているのか、あるいはがん組織の中で構成される細胞社会とはどのようなヒエラルキーになっているのか、今後の研究の展開に大きな期待がかかります。

がん研究の新しい方向

iPS細胞からがん幹細胞を作製することには、大きく二つの利点があります。一つ目は、遺伝子導入・変異を行わずに作成できる点です。最近がん研究の多くが、遺伝子の変異を前提に進められていますが、これでは変異が入るまでの過程を追跡する術がありません。たしかに、いきなり変異が入ってがんになるケースもありますが、多くの場合変異を獲得するまでの経緯があるのです。私たちが作製するがん幹細胞には、顕著ながん化を示す遺伝子上の変化が認められないので、がんの自然発生的なメカニズムを解析するには適した実験系と言えます。二つ目に、iPS細胞を利用することで、がんを患っておられる方から、必ずしも細胞をいただく必要がない点です。現在は、がん組織からがん幹細胞を分離して実験を行う場合がほとんどで、これでは研究の範囲が限定的になってしまいます。 iPS細胞から得られるがん幹細胞は、転移、浸潤、血中循環腫瘍細胞(CTC)、がん幹細胞マーカーやがんの微小環境など、がん研究における重要な課題に取り組むためのこれまでに無かった新しい材料や手段を提供してくれます。将来、iPS細胞から調製されるがん幹細胞を標準品として用い、患者さんのがん組織内に存在する細胞との関連を明らかにしていくことで、これまでに無い診断方法が生まれ、それを応用して画期的な治療方法「個の医療」につながる可能性も期待できるのです。 参考文献
  1. Chen, L. e al. (2102) A model of cancer stem cells derived from mouse induced pluripotent stem cells. PLoS One, 7(4): e33544.
  2. Matsuda, S. et al. (2014) Cancer stem cells maintain a hierarchy of differentiation by creating their niche. Int. J. Cancer, 135(1): 27-36.
  3. Yan, T. et al. (2014) Characterization of Cancer Stem-Like 1 Cells Derived from Mouse Induced Pluripotent Stem Cells Transformed by Tumor-Derived Extracellular Vesicles. J. Cancer, 5(7): 572-584.
  4. Prieto-Vila M. et al. (2016) iPSC-derived cancer stem cells provide a model of tumor vasculature. Am. J. Cancer Res. 6(9): 1906-1921.
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ゲノム編集技術で、生きたままの植物のクロマチンを見る https://academist-cf.com/journal/?p=2731 Fri, 02 Dec 2016 01:00:20 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2731 細胞核内のクロマチン配置 真核細胞では、遺伝情報を持つDNAが塩基性タンパク質であるヒストン八量体に巻き付き、ヌクレオソーム構造を取っています。さらにヌクレオソームは凝縮し、クロマチンと呼ばれる高次構造を形成して、核内にコンパクトに折りたたまっています。核内でクロマチンは、ただランダムに収納されているわけではなく、特定の配置を取ることがわかっています。クロマチンの配置の変化としては、細胞分裂時における凝縮、娘染色体分離、脱凝縮に伴う大きな動きがありますが、さらに最近では、環境ストレスによる遺伝子の発現制御とクロマチン配置変化も関連しているらしい、といったことが明らかになりつつあります。植物においても遺伝子発現量やDNA損傷ストレスとクロマチンの配置の関係や、低温や光に応答したそれぞれ関連する遺伝子領域の核内の配置の変化が明らかにされてきました。 このような核内のクロマチン配置を解析するために、これまで主に蛍光in situハイブリダイゼーション(FISH)法が使われてきました。FISH法は、ラベルした核酸プローブを用い、ターゲットDNAを相補的な配列と接合させること(ハイブリダイゼーション)でゲノム中の任意の配列を可視化することができる強力な方法です。しかしながら、細胞の固定、プローブとのハイブリダイゼーションのための高温による変性等の処理が必要なため、生細胞での観察に向いておらず、経時的な解析が難しいなどの問題がありました。さらに植物では、固い細胞壁の存在のために酵素処理により細胞をバラバラにする、あるいは核を単離するなど強力な処理が必要で、組織の構造を保ったままでの解析が困難でした。 [caption id="attachment_2733" align="aligncenter" width="500"]%e5%9b%b3%ef%bc%91 FISH法による核内クロマチン配置の解析。(左)FISH法の原理。(右)シロイヌナズナのクロマチン配置。緑色はセントロメア、赤色はテロメア、青色は核を示す[/caption]

植物のクロマチンの動きを見てみたい

私たちは、ゲノム編集技術を利用した方法で、モデル植物であるシロイヌナズナのクロマチンの生細胞可視化を試みました。ゲノム編集とは、任意の標的DNA配列を編集する技術で、DNA二重鎖を核酸分解酵素というハサミで切ってやり、細胞内のDNA修復能を利用して、その部分に変異を入れたり、あるいは他の遺伝子を導入したりする技術です。 [caption id="attachment_2734" align="aligncenter" width="500"]%e5%9b%b3%ef%bc%92 TALE-FPによるクロマチン可視化の原理(上)TALENとTALE-FPの原理[/caption] ハサミを蛍光タンパク質というランプに変えて植物中で発現させてやれば、任意の標的DNAの場所を知ることができるだろうと私たちは考えました。動物培養細胞ではこのような技術を用いて、既にクロマチンの可視化が可能となってきました。今回私たちが利用した方法は、TALENというシステムです。 TALENとは、人工DNA結合タンパク質であるTALエフェクターと核酸分解酵素を融合して作られた人工核酸分解酵素です。TALエフェクターとは、植物病原細菌キサントモナス属が有するタンパク質で、宿主の植物細胞内に輸送され宿主植物ゲノム上の特定のDNA配列に結合し、感染した植物の遺伝子発現方法を変えて植物病原細菌自らの感染に有利な環境を作り出します。TALエフェクターのDNA結合部位は、約34アミノ酸からなる繰り返し配列がタンデムに並んだドメインからなっており、ひとつの繰り返し配列でひとつの塩基対を認識することができます。この繰り返し配列を組み合わせることで、任意のDNA配列に結合するタンパク質を作り出すことができます。 [caption id="attachment_2735" align="aligncenter" width="500"]%e5%9b%b3%ef%bc%93 TALE-FPによる可視化。(上)根細胞におけるTALE-FPによるセントロメア、テロメア、18S rDNA配列の可視化。黄色は細胞核を示す。(中)葉肉細胞におけるTALE-FPによるセントロメアの可視化。黄色は細胞核を示す。(下)根毛細胞におけるTALE-FPによるテロメアシグナルの追跡。白色は細胞核を示す(参考文献より改変)[/caption] ただ、ゲノム編集を行う場合、TALENタンパク質が標的部位に一対あればDNA二重鎖を切断することができますが、蛍光タンパク質をつなげたTALエフェクター(TALE-FP)で可視化する場合、同じ位置に複数のランプがないと、結合していないTALE-FPあるいは植物由来の自家蛍光のノイズに埋もれてしまい、シグナルの検出が困難です。そこでシロイヌナズナに含まれるいくつかの高度な反復配列をターゲットに用いました。 そうしますと、シロイヌナズナの細胞核内において蛍光顕微鏡下で蛍光シグナルが観察されました。染色体のほぼ中心に位置し、長腕と短腕が交差する部分であるセントロメアの蛍光シグナルは核の周辺部、核膜付近に、染色体の末端部分に位置するテロメアは核の中心部にある核小体の周りへの局在が観察され、それはFISHによる局在パターンとよく一致しました。 私たちの方法では、TALE-FPは植物体の至る組織で発現しています。ひとことで細胞核といっても、組織、細胞毎にその姿形が異なります。顕微鏡下で経時観察をするとラベルされた領域は核内の特定の位置で留まっているのではなく、細かく動き回っている、さらに細胞ごとにその動きにどうやら差異があることがわかってきました。現在のところ、クロマチンの動きの違いがどのような細胞生理と関係があるのかまだわかっていません。

今後の展望

まだ高度な反復配列に対してしか可視化に成功していませんが、今後はもう少し短い領域をラベルする工夫を加えて、最終的に任意の一遺伝子領域での可視化することで、さらにクロマチン配置及び動きと、細胞機能との関連を見出していけたら、と考えています。 参考文献 Fujimoto, S., Sugano, S. S., Kuwata, K., Osakabe, K. and Matsunaga, S. (2016) Visualization of specific repetitive genomic sequences with fluorescent TALEs in Arabidopsis thaliana. Journal of Experimental Botany 67, 6101-6110.]]>
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情けはハチの為ならず? - 花色変化に込められた植物のしたたかな戦略 https://academist-cf.com/journal/?p=2791 Sat, 10 Dec 2016 01:00:17 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2791 花粉を運んでもらうかわりに蜜をあたえる花と虫の関係。そう聞くと、絵本にあるような牧歌的な光景を思い浮かべるかもしれません。ところが、蜜ほしさに花を訪れる虫と、とにかく花粉を運んでもらいたい植物、両者のあいだには虚々実々の駆け引きが展開されています。このコラムでは、そうした駆け引きの産物のひとつと考えられる「花色変化」という現象について紹介します。

蜜のない花を教える花色変化の謎:どうして親切にしているの?

植物が咲かせる花の色は、咲いてから閉じるまで、一定に保たれることがほとんどですが、なかには写真のように、花の色を途中で変えるものが存在します。そしてこの「花色変化」は、しばしば、花粉を運ぶハチやチョウなどの動物(送粉者)の餌となる、蜜や花粉の生産を終えた花で起こることがわかっています。送粉者は色を手がかりに効率良く餌をあつめることができるため、花色変化は、送粉者にしてみればたいへん親切なおもてなしと言えます。 [caption id="attachment_2800" align="aligncenter" width="550"]1-colorchangers 花の色を変える植物たち[/caption] 色の変わった花は多くの場合、送受粉を終えていることも知られています。送受粉を終えているということは、言うなれば用済みの花です。花を咲かせ続けるにはエネルギーが要りますし、色を変えるには色素を作るか、分解する必要があります。用済みの花は余計なことをせず、ただちに落とすのが植物にとっては「お得」に思えます。なぜ彼らは用済みの花を咲かせ続け、さらには色まで変えているのでしょう? 先行研究では、古い花の維持は全体を大きく目立たせ、より多くの送粉者の獲得に役立つことが示されています。そして送粉者は色変化前の新しい花をえらぶため、植物は送粉者を未受粉の花に効率良く誘導することができます。花色変化は植物にとって都合がよさそうです。 [caption id="attachment_2801" align="aligncenter" width="550"]先行研究で示されていること 先行研究で示されていること[/caption]

新たな仮説:送粉者に嫌われないための花色変化?

この説明を聞くと「謎は全て解けた!めでたしめでたし。」という気分になります。私もそのひとりだったのですが、あるとき、花色変化にさらなる役割が隠されていそうなことに気づきました。花が作る蜜や花粉などの餌は、いちど送粉者に取られてしまっても、時間とともに徐々に回復することが一般的です。そのため、ハチドリやマルハナバチといった送粉者のなかには、個体ごとにお気に入りのエリアを定め、そこで花を咲かせる植物個体(株)を巡回し、回復した餌をあつめるものがいます。しかも彼らは、株の位置をしだいに覚え、蜜の少ない株を巡回ルートから外します。そんな彼らが、色を変えずに餌のない花を維持する「嘘つきな株」に出会った場合を考えましょう。餌のある花・ない花の区別がつかない嘘つきな株では、餌あつめに手間がかかります。 [caption id="attachment_2802" align="aligncenter" width="550"]嘘つきな株・正直な株で起こりそうなこと 嘘つきな株・正直な株で起こりそうなこと[/caption] こうした手間のかかる株を賢い送粉者は避けるかもしれません。嘘つきな株は、何も知らない「新参者」を大きな見た目で誘引することはできるでしょう。しかし色を変えなかったばっかりに嘘つきの烙印を押され、最終的にはさけられてしまいそうです。一方で親切に花の色を変えれば、彼らを何度も戻ってくる「常連」として囲い込むことができそうです。つまり「目立つうえに嫌われない」状態を作り出せるわけです。はたしてそんなにうまい話があるのでしょうか? [caption id="attachment_2803" align="aligncenter" width="500"]仮説のまとめ:色を変える正直型が一番多く訪問される? 仮説のまとめ:色を変える正直型が一番多く訪問される?[/caption] その検証のため、室内に設置したビニール製のケージの中でクロマルハナバチと人工花を用いた実験を行いました。クロマルハナバチは社会性の昆虫で、働きバチが女王のために仕事をこなします。実験では3タイプの株(古い花を維持しない「地味型」・蜜を出さない古い花を、色を変えずに維持する「嘘つき型」・蜜を出さない古い花の色を変える「正直型」)を8株ずつ並べ、ハチを1匹だけ放して、各タイプへの訪問回数を約4時間にわたって記録しました。なお、変化前・変化後の花の色には白・黄・紫を用い、計6通りの組み合わせを試しています。 [caption id="attachment_2804" align="aligncenter" width="550"]人工花から蜜を集めるクロマルハナバチ(左)と室内ケージ(右) 人工花から蜜を集めるクロマルハナバチ(左)と室内ケージ(右)[/caption]

実験の結果:やはり嫌われた嘘つきタイプ

その結果、全ての組み合わせでハチは嘘つき型を避けるようになりました。反対に、正直型を避けることはありませんでした。そして、嘘つき型を避けるようになったハチは、途中で嘘つき型と正直型の位置を入れ換えると、過去に正直型があった(現在は嘘つき型の)場所に戻ってきました。彼らは嘘つき型の見た目ではなく、場所をたよりに嘘つき型をさけていたのです。また、嘘つき型では蜜のある花を見つけにくいことも確認しました。ハチは蜜をあつめにくい嘘つき型の場所をおぼえ、避けるようになったのです。実験では、色の組み合わせによっては新参者の誘引に失敗することもわかりました。新参者をうまく誘引できた色の組み合わせでは、予想通り正直型が一番多く訪問されていました。「嫌われないための花色変化」という解釈はどうやら正しそうです。 [caption id="attachment_2805" align="aligncenter" width="460"]6-result ある色の組み合わせでの結果[/caption]

「嫌われないための花色変化」が意味すること

新参者も常連も誘引できる花色変化はとても優れたアイデアです。ところが周りを見渡せばわかるように、花色変化を示す植物は珍しい存在です。本研究の結果は「いったいどんな植物で花色変化が進化しやすいのか?」という問題のヒントになりそうです。そのひとつが、花粉をはこんでもらう相手の賢さです。花色変化は、都合の悪い場所をおぼえて避けるハチドリやハナバチを相手にするときには効果的ですが、たいして賢くない(とされる)ハエや甲虫を相手にするときには色を変えなくても結果は変わらないかもしれません。またたとえ相手が賢くても、新参者をとっかえひっかえできるほどに個体数が多ければ、色を変えなくても十分に送受粉できそうです。花色変化が進化するのは「少数の、賢い送粉者個体と長くつきあうことが大事な状況」なのかもしれません。 今回、マルハナバチのように賢い生き物に花粉をはこんでもらう植物にとって、彼らに親切にすることが最善の策となりうることがわかりました。もしかすると植物は花色だけではなく、たとえば香りなど、私たちが気づかないところで送粉者に親切にしているのかもしれません。そうした視点で花を見直すと、また新たな発見があるのではと期待しています。 [caption id="attachment_2824" align="aligncenter" width="500"]研究成果まとめ 研究成果まとめ[/caption] 参考文献 1.Makino TT & Ohashi K. Honest signals to maintain a long-lasting relationship: floral colour change prevents plant-level avoidance by experienced pollinators. Functional Ecology. doi: 10.1111/1365-2435.12802 2.Makino TT & Sakai S (2007) Experience changes pollinator responses to floral display size: From size-based to reward-based foraging. Functional Ecology 21: 854–863 3.鈴木美季・大橋一晴・牧野崇司 (2011) 生物間相互作用がもたらす形質進化を理解するために:「花色変化」をモデルとした統合的アプローチのすすめ. 日本生態学会誌 61: 259-274]]>
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【連載】脳望遠鏡:Biology 5.0で脳に挑む(4) https://academist-cf.com/journal/?p=2838 Mon, 12 Dec 2016 01:00:49 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2838 * 連載目次はこちら 動物は、目という「望遠鏡」を持っています。特に、ヒトが外界から受け取っている情報の9割は、目からであると言われています。つまり、ヒトは 視覚を多用している動物と言えるでしょう。視覚系というのは、神経科学の分野でも研究者人口が多い分野です。また、眼鏡やコンタクトレンズなどの医療機器にはじまり、遺伝子治療や再生医療の対象として、先端科学の成果がいち早く適用されるのも、眼科の領域であることが多いのです。 [caption id="attachment_2839" align="aligncenter" width="500"]my4-figure1 視覚系(図は、WikipediaなどのCreative Commonsより)[/caption] 視覚系では、目のレンズから入った光を受け取る網膜、そして網膜の出力ニューロンである網膜神経節細胞から出た視神経が脳(外側膝状体、上丘など)に接続して、最終的に大脳(視覚野など)で 視覚情報が処理されます。目にある網膜は神経組織ですので、ニューロンが集まってできています。しばしば、目はカメラと比較されたりしてきました。ところが、より現代的な捉えかたをすると、目から脳につながった神経回路と、カメラを接続したコンピュータという比較をするほうが適切ではないかと私は思います。視覚系というのは、目だけのシステムではないからです。 最近のカメラやコンピュータは高性能です。しかし依然として、ヒトの視覚系が優れているということがあります。たとえば、違ったヒトの顔を見分けたり、同じヒトの表情を理解したりするのは、ヒトは得意です。一瞬のうちに見分けることができます。ところが、なぜ即座に判別できるのか、その違いを言葉で説明しようとしても、容易ではないと思います。そして、これが認知科学と人工知能研究の対象になっているわけです。 さらに、錯視として知られている現象でわかるように、ヒトが見ていると思っているものは網膜に映っている像ではないということがわかります。このように、「見る」ことを研究するというのは、単純に、目(カメラ)のなかに映る画像を見ることを研究するということではないということです。こういうことを研究していくと、たとえば車の運転をするドライバーの視覚の弱点を補うことで事故を防ぐというような、日常生活の技術にも役立つかもしれません。そして、これがまさに神経科学と人工知能の研究の接点であると思います。こう考えていくと、「神経回路がどうなっていて、どう働くか」、つまり、コネクトームの研究がとても大切だというのが理解できると思います。神経科学では、まだまだこの「コンピュータ」に相当する部分がブラックボックスになっているということです。 ビッグデータの典型とも言われるコネクトーム研究では、脳組織の多くの電子顕微鏡写真を撮影して、それをつなぎ合わせて、ひとつのニューロンの形を3次元で辿っていって再構築(リコンストラクション)するということが必要です。ところがここでも、こういう作業を機械で行うより、ヒトがヒトの目を使って作業した方が正確にできるのです。つまり、人手を使った人海戦術でリコンストラクションの作業をやるわけですが、頭脳労働に忙しい多くの研究者が、退屈な作業を延々とやるというのはやはりモチベーションが上がらない。そこで、学生のアルバイトを雇ったりして、単純作業をやってもらうブラックラボにしたりしている。あるいは、プリンストン大学のSebastian Seung教授のグループは、網膜のニューロンの研究のために、Eyewire というWeb上のゲームを考案して、市井の人たちにそういう作業をやってもらおう、というようなことをやっています。 このように、神経回路のシナプス結合性のパターンまでのリコンストラクションの作業、つまりコネクトームを完成させるには、莫大な時間や経費、労力を要します。今回は、最近私たちが開発した特定ニューロンのリコンストラクションをするのに簡便な方法を紹介したいと思います。

特定ニューロンをターゲットにした超微形態観察法

神経系研究の動物実験では、2つあるいは複数の条件で飼育した動物を比較するということが、頻繁に行われます。たとえば、薬剤を投与した動物と投与しなかった対照動物、 KOマウスと正常マウス、疾患モデル動物と正常動物の神経回路を比較することで、薬剤の影響、遺伝子機能、病態の理解ができるわけです。もちろん、それぞれの動物の神経系をすべて調べてもよいわけですが、すべてのニューロンのコネクトームを観察する必要性は必ずしもないわけです 。 今回紹介したいのは、最近eLifeに発表した論文で、すべてのニューロンのコネクトーム構築ではなくて、ある特定のニューロンだけをターゲットにして電顕レベルで短時間でリコンストラクションする方法(ARTEMIS法)です。 [caption id="attachment_2840" align="aligncenter" width="500"]my4-figure2 特定ニューロンの超微形態をリコンストラクションする ARTEMIS法[/caption] このために、まず電顕で観察が可能な遺伝的なレポーター遺伝子を、特定の神経細胞で発現させる必要があります。私たちが利用したのは、植物由来の酵素ペルオキシダーゼのcDNAのアデノ随伴ウィルスベクターAAVによる強制発現です。つまり、ペルオキシダーゼをCre/loxPという遺伝子組換えシステムを利用して、Creという遺伝子組換え酵素を発現している細胞だけで発現させるということです。植物由来のペルオキシダーゼは、2つのタイプを用いました。ひとつは、前回も紹介した西洋ワサビ由来のペルオキシダーゼHRP、もうひとつは、アスコルビン酸オキシダーゼ(APEX)です。これらのペルオキシダーゼcDNAを、Creレコンビナーゼが特定の神経細胞で発現するマウスの神経系で発現させ、それをペルオキシダーゼの基質であるジアミノベンジジン(DAB)で染色後、電子顕微鏡で観察するわけです。一見、このアイデアは簡単そうなのですが、実際はかなり困難であって改良が必要でした。 具体的には、ペルオキシダーゼの活性が弱いと、固定後の試料内で酵素反応を長時間行わせるために、電顕で観察できる超微形態が失われてしまいます(酵素は強い固定液の中では反応しないし、過酸化水素が組織にダメージを与える)。さらに、昔から使われてきているペルオキシダーゼの基質であるDAB反応産物の沈着(電子密度が高い)の検出感度が、電顕下では期待したほど良好ではないということでした(通常の試料作製法ではうまく見えなくなってしまう)。 まず、これらの酵素の活性を高め検出感度を良くするために、HRPとAPEXの配列を改良しました。APEXは、Alice Ting教授(当時:MIT化学教室、現在:スタンフォード大学)のグループで開発されたAPEX2を使いました。そしてHRPは私が哺乳動物で活性を強めるように配列を改良したものです。なかんづく重要なのは、電顕試料を作製する際、試料を「還元」するという単純なステップを加えることで、 ペルオキシダーゼによるDAB沈着を超微形態を失うことなく感度よく観察できることがわかりました。そして、具体的に、この方法が、哺乳動物マウスの視覚系と無脊椎動物ショウジョウバエの神経系で利用できることを示しました。

ロボティックスとITを使ったBiology5.0へ

このようにして特定のニューロンを標識した薄い連続切片を、ハーバード大のJeff Lichtman教授の研究室で、コネクトーム構築の目的で開発してきたATUMという方法で作製し電顕撮影します。ATUMというのは、超薄切片を一枚ずつ連続して、失うことなく長いテープの上に載せて、それを電顕で撮影する方法です。この方法は、汎用性が高く、コネクトームの構築作業に必須なものとなっていますが、一言でいえば、切片を作製と並べる作業と電顕撮影を自動化したロボティックスです。私たちの場合、ペルオキシダーゼを発現しているニューロンが染色標識されているので、低解像度の電顕写真が利用できることがわかりました。更に、それぞれの切片で標識されたニューロンを自動的にトレースすることができるコンピューターアルゴリズムを開発しました。これはノートルダム大学の研究者との共同研究です。 つまり、植物由来遺伝子の分子生物学を用いた神経細胞の標識、 ATUMというロボッティックス、そしてコンピュータプログラムの開発という一連のマルチディシプリナリーな方法を組み合わせることで、短時間のうちに、特定ニューロンの超微形態のリコンストラクションが可能になったわけです。また、この研究で作製したベクターなどは、発表と同時にAddgene から頒布可能にすることで、多くの研究者が即座に利用できるようにしました。 ここで説明したような生物学、合成生物学的手法、化学、工学、情報科学、オープンサイエンスというキーワードから、私が第一回目の寄稿で説明した 「Biology5.0」ということの萌芽的な雰囲気を感じていただければ幸いです。 * 連載目次はこちら 参考文献
  1. 脳科学辞典(日本神経科学学会)「コネクトーム」山形方人 (2016年) DOI:10.14931/bsd.7096
  2. Reconstruction of genetically identified neurons imaged by serial-section electron microscopy, eLife (2016) Maximilian Joesch , David Mankus , Masahito Yamagata , Ali Shahbazi , Richard Shalek , Adi Suissa-Peleg , Markus Meister , Jeff W. Lichtman , Walter J. Scheirer, Joshua R. Sanes
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遺伝子改変ブタの作成に成功! - そのポイントは「電気」の力に https://academist-cf.com/journal/?p=2843 Wed, 14 Dec 2016 01:00:02 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2843 ブタはヒトに似ている? ブタと聞くと、どのようなイメージを持ちますか? 豚丼、とんかつ、豚汁など、美味しい食材というイメージでしょうか。家畜のイメージがどうしても先行してしまうブタですが、実は医療分野においても、注目を集めている動物です。ブタは生理学的、解剖学的にヒトに近いとされています。さらに、臓器の大きさがヒトに近いことから、医師の手術手技トレーニングのためにも活用されています。遺伝子操作によって、ヒトの病態モデルとなるようなブタを作製できれば、治療方法の研究や創薬研究、手術トレーニングにも活用することができ、医学研究の大幅な発展が期待されることになります。

遺伝子改変ブタの作りかた

ブタのES細胞は未だ樹立されていないため、遺伝子改変ブタは「体細胞クローン法」で作製されてきました。体細胞クローン法ではまず、ブタの体細胞(皮膚の細胞など)で目的の遺伝子を組換えます(STEP.1)。しかし、ブタから体細胞を取り出して長期培養するのは大変で、体細胞では遺伝子組換えの効率が悪いため、うまく目的遺伝子を操作した細胞を得ることが困難です。目的の遺伝子組換えができた後は、遺伝子組換えをした体細胞と、核をあらかじめ除いた卵細胞を融合させる(STEP.2)のですが、この操作は、わずか0.1mmの卵細胞のなかにある核を取り出すという技術が必要な上に、融合させたあとの発生率が非常に低いという問題点がありました。 2013年に報告された「CRISPR/Cas9システム」は、画期的なゲノム編集技術です。遺伝情報であるゲノムDNAを切断する酵素Cas9と、どの遺伝情報を切断するかを決定するガイドRNAを細胞内に供給することで、目的遺伝子の破壊や、遺伝子配列の任意な置換、外来の遺伝情報を挿入した細胞を作り出すことができます。この技術を利用して、遺伝子操作をしたさまざまな培養細胞や動物がつくられてきました。 遺伝子改変ブタの作製においても、ゲノム編集技術は積極的に利用されてきました。しかしその利用は、ブタ体細胞での遺伝子操作の局面に限定されていました。もちろんゲノム編集の利用により、STEP.1 の体細胞での遺伝子操作の効率は格段に向上したのですが、基本的には体細胞クローン技術と同じプロセスを経て、遺伝子改変ブタが作製されてきたのです。 [caption id="attachment_2918" align="aligncenter" width="500"]fig1 受精卵エレクトロポレーション法(上図)と体細胞クローン法(下図)との比較[/caption]

マウスでの遺伝子改変操作

マウスでは、受精卵に直接CRISPR/Cas9システムを導入することで、遺伝子改変マウスが作製されていました。具体的には、受精卵にガラスキャピラリーを挿し、Cas9とガイドRNAの溶液を導入する方法が使われています。これは極めて直接的な方法ですが、顕微鏡下で大きさ約0.1mmの受精卵にガラスキャピラリーを挿すという技術が必要になるため、決して簡単ではありません。たとえ熟練した技術を習得したとしても、受精卵ひとつひとつにガラスキャピラリーを挿さなければならないので、長時間の操作が必要となります。 もっと簡単にできないものかと考えた私たちは、エレクトロポレーションに着目しました。エレクトロポレーションは、電気パルスにより細胞表面に穴を開け、その穴を通して核酸やタンパク質などの分子を細胞内に導入する方法です。培養細胞などでは古くから遺伝子導入法として活用されていましたが、受精卵への導入にはほとんど活用されていませんでした。 実験を行った結果、受精卵にもエレクトロポレーションで核酸やタンパクが導入できることを見いだし、エレクトロポレーションによる遺伝子改変マウスの作製に成功しました(受精卵エレクトロポレーション法)。

簡単なゲノム編集ブタのつくりかた

マウスで成功した私たちは、この方法は他のほ乳類でも成功するに違いないと確信しました。そこで、遺伝子改変を行うには大変な作業が必要とされてきたブタのゲノム編集に取りかかりました。ブタの受精卵は、マウス受精卵と大きさはほとんど変わらないにも関わらず、マウスの条件でエレクトロポレーションを行うと、ブタ受精卵は全て死んでしまいました。そこで、上図のように、ブタ受精卵のために条件の最適化を行いました。 私たちが標的としたのはマイオスタチンという遺伝子です。マイオスタチンは、筋肉の増殖を抑える役割を担っています。この抑制をなくすと、筋肉の過増殖がおこることが報告されています。私たちはブタ受精卵に、Cas9とマイオスタチン遺伝子を働かなくするようなガイドRNAを、エレクトロポレーション法で導入しました。得られた10匹のブタのうち、9匹でマイオスタチン遺伝子が改変されていることが分かりました。このうち数匹では、通常のブタより筋肉が過剰に作られていました。 [caption id="attachment_2846" align="aligncenter" width="500"]fig2 受精卵エレクトロポレーション法によるマイオスタチン遺伝子改変ブタ:上段が一般的なブタ、下段がマイオスタチン遺伝子改変ブタを示す[/caption] 受精卵エレクトロポレーション法により、マイオスタチン遺伝子改変ブタが効率的に作製できたことで、今後、医学研究に有用なさまざまな遺伝子改変ブタが、簡便かつ短期間で作製されることが期待されます。また、本技術は医学研究への応用だけでなく、畜産・農学分野での研究にも寄与できると考えています。ブタは家畜の中でも特に病気(伝染病)に弱いといわれており、一昨年には仔豚にかかる伝染病の流行により多くの仔豚が死に、莫大な経済的損失が生まれました。本技術により様々な病気に強いブタを簡単かつ高効率で作製できるようになれば、畜産・農学分野の発展に大きく貢献することができると考えています。 参考文献
  1. Tanihara F, Takemoto T, Kitagawa E, Rao S, Do L, Onishi A, Yamashita Y, Kosugi C, Suzuki H, Sembon S, Suzuki S, Nakai M, Hashimoto M, Yasue A, Matsuhisa M, Noji N, Fujimura T, Fuchimoto Di, Otoi T.  Somatic cell reprogramming-free generation of genetically modified pigs Science Advances 2 (9) e1600803 (2016)
  2. Hashimoto M, Yamashita Y, Takemoto T. Electroporation of Cas9 protein/sgRNA into early pronuclear zygotes generates non-mosaic mutants in the mouse. Developmental Biology 418 (1): 1-9 (2016)
  3. Hashimoto M, Takemoto T. Electroporation enables the efficient mRNA delivery into the mouse zygotes and facilitates CRISPR/Cas9-based genome editing. Scientific Reports 5: 11315 (2015)
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ひとつの量子的なシャッターで、2つのスリットを同時に閉じる - 量子力学の不思議さの本質に迫る https://academist-cf.com/journal/?p=2849 Tue, 13 Dec 2016 01:00:16 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2849 光は波なのか? 粒子なのか? 1805年頃、トーマス・ヤングは、2つのスリットに光を通してその先のスクリーンにできる干渉縞を見るという実験を行いました。当時、光が「粒子」なのか、それとも「波」なのかわかっておらず、盛んに議論されていました。そのようななか、ヤングの実験は、光が波であることを示す決定打となりました。以下の図に、ヤングの二重スリット実験の概念図を示しています。それぞれのスリットからの光の波がスクリーン上で強め合ったり弱め合ったりすることで、干渉縞が形成されます。ここで、このような干渉縞が形成されるには、2つのスリット両方からの(光の)波の成分が必要だということが重要です。 [caption id="attachment_2864" align="aligncenter" width="500"]fig1a ヤングの二重スリット実験[/caption] このように、ヤングの二重スリット実験によって、光は波だということで決着がついたかに見えました。ところが、1900年頃、アインシュタインやプランクらの活躍により、光が粒子だとすると、光電効果や黒体輻射といった現象が、すっきりと説明ができることがわかってきました。そしてその後、量子力学が確立し、光は波でもあり、粒子でもあるということが明らかになりました。つまり、波のようにふるまっている光も、弱めていくと、1個、2個と数えられる光の素粒子「光子」に到達することになります。

ヤングの二重スリット実験に見る光子の不思議

では、ヤングの二重スリット実験で、光を弱めていき、スリットを光子が1個ずつ通るようにしたらどうなるでしょうか? 光子が1個入ると、スクリーンには対応する1個の輝点が記録されます。光子をさらに2個、3個と続けて入射していくと、スクリーンにはその数の輝点が記録されます。光子が少ないうちはただランダムに輝点が現れているように見えますが、光子が多くなってくるとぼんやりと、そして最終的にははっきりとした干渉縞があらわれます。 [caption id="attachment_2865" align="aligncenter" width="500"]fig1b 光子によるヤングの二重スリット実験[/caption] 上記で述べたように、干渉縞は、2つのスリットからの波が強め合ったり、弱め合ったりしなければ発生しません。したがって、1個の光子が、2つのスリットを同時に通り干渉したと考えなければ、説明がつきません。このように1個の粒子が複数の場所に存在する状態を、量子力学では「重ね合わせ状態」と呼びます。ちなみに、あくまで光子は「1個」ですので、スリット部分で光子がどちらに来ているかを「見る(観測する)」と、どちらかでしか光子は見つかりません。そして、このように光子がどちらのスリットを通ったか知ってしまうと、干渉縞は消えてしまいます。この光子の二重スリット実験の不思議さは、光子を被告人に見立てた裁判を描いた、朝永振一郎博士の「光子の裁判」で、非常に生き生きとした描写でわかりやすく説明されています。もし、ご興味があれば読んでみてください。

たった1個のシャッターで2つのスリットを同時に閉じる?

本研究は、光子の二重スリット実験に、「シャッター」という新たな役者を加えた話になります。今、光子を跳ね返す「シャッター」が1個だけあるとします。 [caption id="attachment_2866" align="aligncenter" width="500"]fig2 通常の(古典的な)シャッターを置いたとき[/caption] シャッターは、ちょうどスリットひとつぶんの幅で、2つあるスリットの片側だけを閉じることは確実にできるものとします。では、このたった1個だけのシャッターを使って、両方のスリットを同時に閉じることができるでしょうか? 私たちの日常的な感覚では、シャッターは1個しかないので、2つのスリットを同時にふさぐことは、不可能なことのように思われます。 驚くべきことに、2003年米国とイスラエルの研究者らは、特定の重ね合わせ状態にある量子的なシャッター(量子シャッター)を用いることで、たった1個のシャッターで複数のスリットを完全に閉じることが可能なことを示しました。(ただし、量子シャッターが光子と相互作用したのち、別の重ね合わせ状態に変化した場合という条件が必要です。) [caption id="attachment_2868" align="aligncenter" width="500"]fig2b 重ね合わせ状態のシャッター1個で、2つのスリットを閉じるイメージ。半透明にすることで、重ね合わせ状態のシャッターを表現している[/caption] しかし、必要な性質を満たす量子シャッターの実現が難しかったため、実験的に実証されていませんでした。私たちは、光量子スイッチを用いた量子シャッターを提案、実現することで、上記の理論提案を初めて実験で実証しました。

量子的なシャッターをどう実現するか?

上記の理論提案の実現には、重ね合わせ状態をとることができる、量子的なシャッターをどう実現するかが問題でした。スリットをふさぐ「シャッター」というと、光を遮断する板のようなものを想像されるかもしれません。しかし、そのようなマクロな物体の位置の重ね合わせ状態を自在に制御する技術は、私の知る限り、まだ確立されていません。たとえば、サッカーボールのように炭素原子が組み合わされたC60と呼ばれる比較的大きな分子の重ね合わせ状態は、観測されています。しかし、光子を完全に遮断するには、まだ小さすぎますし、重ね合わせ状態を自在に制御することもできていません。 そこで、重ね合わせ状態をとることができる量子的なシャッターをどのようにしたら実現できるか考えました。光子の重ね合わせ状態は、高い精度で生成と制御が可能です。そこで、シャッターも光子で実現することを考えました。しかし、光子と光子をぶつけても、ほとんど相互作用がないため、何も起きません。したがって、そのままでは、光子を弾き返すというシャッターの機能を実現することができません。シャッターとしての機能を実現するためには、一方の光子でもう一方の光子の量子状態を(破壊せずに)制御する量子デバイスが必要です。そこで私は、一方の光子の有無で、もう一方の光子の光路を制御する光量子スイッチを考案、用いることにしました。この光量子スイッチは、量子コンピュータに用いる基本ゲートを応用したものです。

2つのスリットが同時に閉じていることを確認!

本実験では、2つの方法で、両方のスリットが閉じていることを確認しました。ひとつ目は、スリットを透過した光子と、シャッターではじき返された光子の数を比較する方法です。シャッターが古典的な(重ね合わせ状態をとることができない)場合、光子を跳ね返すことができる確率は、最大で50%です(光子が、2つのスリットに等分な重ね合わせ状態になっていることを仮定しています)。したがって、シャッターで弾き返された光子の割合が、50%を超えている場合、シャッターが量子的なものであったことを意味します。実験の結果、61±3%という古典的な限界を有意に超える割合で光子が弾き返されていることが確認できました。 2つ目は、干渉縞を見るという方法です。シャッターが本当に同時に2つのスリットを閉じている場合、シャッターで跳ね返ってきた光子で干渉縞を見ることができるはずです。そこで、それぞれのスリットでシャッターから跳ね返ってきた光子を干渉させたところ、下図のようにはっきりとした干渉縞を得ることができました。以上の2つの実験結果から、シャッターが2つのスリットを同時に閉じていることが確認できました。 [caption id="attachment_2924" align="aligncenter" width="500"]シャッターで弾き返された光子による干渉縞の測定結果 シャッターで弾き返された光子による干渉縞の測定結果[/caption]

今後の展開

本研究では、たった1個のシャッターで複数のスリットを閉じるという、2003年の理論提案を初めて実験的に実証しました。これは、量子力学の重ね合わせ状態の新たな側面を浮き彫りにするもので、その本質のより深い理解につながるものです。また、重ね合わせ状態を、重ね合わせ状態で制御する新たな方法が可能なことを示唆しており、将来、量子シミュレーションや量子コンピュータの実現に役立つものと期待しています。 最後に、共同研究者である、京都大学、竹内繁樹 教授をはじめとする、本研究を行う上でお世話になった全ての方々に深く御礼申し上げます。ありがとうございました。また、この記事の原稿を読んで有益なコメントを下さった研究室の野原紗季氏に感謝致します。 参考文献
  • 「鏡の中の物理学」(講談社学術文庫)や、「量子力学と私」(岩波文庫)内に収録されています。
  • Y. Aharonov, and L. Vaidman, “How one shutter can close N slits.”, Physical Review A, 67, 042107 (2003).
  • R. Okamoto, and S. Takeuchi, “Experimental demonstration of a quantum shutter closing two slits simultaneously.”, Scientific Reports, 6, 35161 (2016).
  • M. Arndt, O. Nairz, J. Vos-Andreae, C. Keller, G. van der Zouw, and A. Zeilinger, “Wave-particle duality of C(60) molecules.”, Nature, 401, 680 (1999).
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東京スカイツリー®上空458mに浮遊する微生物を探れ!- 空気中にはどのような微生物がいるのだろうか? https://academist-cf.com/journal/?p=2878 Mon, 05 Dec 2016 09:00:43 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2878 東京スカイツリー®上空458mに浮遊する微生物を探れ! back3 ご支援していただいた方へのリターンとして、植竹研究員がこれまで訪問したフィールドでの写真ポストカードや最近出版した著書をはじめ、特別なリターンとして、支援者の方々のご自宅にただよう微生物の中身を、本プロジェクトで使用する方法で分析し、評価する予定です。 10000 【募集期間】2016年12月05日〜2017年01月30日 【支援サイト】academist(アカデミスト)]]> 2878 0 0 0 天敵が生き物の多様化を促す? - カタツムリとオサムシの攻防をめぐる進化の謎に迫る https://academist-cf.com/journal/?p=2898 Fri, 16 Dec 2016 01:00:44 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2898 生き物の多様化をめぐる冒険 地球上には、人類の想像の及ばないほどに多種多様な生き物が生息しています。生き物の多様な色や姿、またその生き様に、私たちは興味を掻き立てられ、驚きと感動に満ちた世界に飽きることがありません。熱帯の海に潜れば色とりどりの魚が、サンゴ礁に戯れる姿を見ることができます。山岳域の渓流の底には、驚くほどたくさんの水生昆虫が人知れず生きていることに気づくでしょう。早春の森を歩けば、小さな昆虫たちが可憐な花々を忙しく飛び回っている様子を観察することができるはずです。 しかし、どうして地球上にはこれほど多種多様な生き物がいるのでしょうか。この問題は、ダーウィン以来150年以上も問われ続けている進化生態学上の重要課題ですが、未だに解明されていない謎が多く存在するのが現状です。たとえば、「食う食われるの関係(捕食者・被食者間相互作用)」が、食われる側(被食者)の進化にどのような影響を与えるのか、という問題もそのひとつです。果たして食う側(捕食者)は、被食者の種や表現型の多様化を促進させるのでしょうか、あるいは抑制させるのでしょうか。またもし促進させるとするなら、それはなぜでしょうか。これらの疑問は依然として解決していません。

おかしなカタツムリを冒険の相棒に

研究対象には、北海道に固有のカタツムリであるヒメマイマイとエゾマイマイを選びました。なぜなら、別属として記載されるほどに姿かたちの異なるこれら2種が実は遺伝的に近縁な種間関係にあるのではないかという示唆が、DNAを用いた近年の研究によって得られていたからです。とはいえ、当時わかっていたことと言えば、ヒメマイマイに非常に大きな地域変異があることと、それとは似ても似つかないエゾマイマイのDNAを試しにちょっとだけ調べてみたら、どうもヒメマイマイと近縁であるらしい、ということだけでした。そこでヒメマイマイとエゾマイマイ、さらに北海道に生息する同じナンバンマイマイ科の3種を北海道中からかき集め、それらの種間・個体群間の関係性を精査しました。 すると、特にヒメマイマイとエゾマイマイの2種が中立なDNAマーカーでは区別できないほどに近縁であるということが判明し、さらに近過去に種間交雑を起こした痕跡も発見されました。つまり、見た目の全く異なるヒメマイマイとエゾマイマイは、ごく最近になって急速な表現型分化と種分化によって誕生したということが明らかになったのです。2種の表現型の間には明らかなギャップがあり、中間型は野外で確認されません。このあまりに大きな表現型の違いは、急速な表現型分化や種分化の典型例として知られている他の生き物と比べても、常軌を逸していました。

冒険の始まりは偶然の発見から

生き物の表現型分化や種分化を促す生物間相互作用として、「資源をめぐる競争」が重要であると一般に考えられてきました。つまり、異なる資源への適応が、表現型の分化を引き起こし、ひいては生殖隔離に伴う種の分化を促すのだろうという考えが、進化生態学の中で近年主流になりつつあります(生態的種分化)。すなわち、生物間相互作用によってごく最近に種分化が生じた種間では、生息場所や餌資源の利用(生態的ニッチ)に差異が見られるはずで、それこそが分化の引き金になった可能性が高いと考えられているわけです。 しかし、不思議なことに、ヒメマイマイとエゾマイマイは北海道の広い地域で同所的に生息することがわかっていました。さらに細かいスケールでの資源利用を調べてみても、2種の間には生息場所や餌資源に有意な差異が見出されませんでした。それどころか同じ植物の一枚の葉の上に、2種の成貝が寄り添っている姿さえ観察されました。北海道の固有種で、DNAでは区別できないほどに近縁であり、なおかつ利用している資源まで同じというような2種が、あまりにかけ離れた姿かたちを獲得し、別種として共存しているという事実に、私は愕然としました。既存の事例にも理論にも、類似したものがまるで見当たりません。 ヒメマイマイとエゾマイマイの刺激に対する行動の違いを発見したのは、あまりに矛盾の多い複数の事実に頭を抱えていたころでした。飼育していたエゾマイマイのDNAを解析するために、足の先をわずかばかりカミソリを使って切り落としたところ、なんとそのエゾマイマイは殻を大きく振り回してカミソリを弾き飛ばしたのです。これには肝を冷やしました。殻を武器として使用するカタツムリなど、見たことも聞いたこともありません。一方、エゾマイマイに近縁なヒメマイマイでは、刺激を与えると殻の中に引っ込むというカタツムリ全般に見られる行動を示しました。この発見を得てようやく、ヒメマイマイとエゾマイマイは外敵からの防御に異なる戦略を採用したのではないかという考えに至りました。そして、カタツムリを専門に捕食するオサムシに対峙したとき、非常に敏感にそれぞれに特有の防御行動を示すということを発見したのです。種間で行動が違うということに気づいたこの発見が、研究の転機になりました。

ロシアへ、文字通り冒険の旅へ

幸運なことに、偶然の発見はもうひとつ重なりました。最初に扱った北海道のカタツムリの近縁種群が生息するロシア極東域へ調査に赴いたときのことです。案内された森の中にはなんと、ヒメマイマイとエゾマイマイにそっくりなカタツムリの姿がありました。しかしそれらは別種、Karaftohelix middendorffiKaraftohelix selskiiと呼ばれる2種でした。私はそれを見た瞬間に、エゾマイマイ型の種である K. selskii も、殻を振るに違いないと直感しました。そして実際に、外部の刺激に対して殻を振り回す姿を動画に収めることに成功しました。

おかしなカタツムリの驚くべき進化と、本当の冒険の始まり

ロシア科学アカデミーの共同研究者の協力を得て、日本に標本を持ち帰った私は、いよいよ北海道だけでなくロシア極東域の種群をも含んだカタツムリ種群の種間・個体群間の関係性の解明に取り組みました。合計9種165個体のカタツムリの殻の写真を撮影し、殻幅や殻高、殻口の面積、巻き数などの形質を測り、総合的に評価したところ、殻を振り回す「攻撃型」防御戦略をとる2種と、殻に引きこもる「籠城型」防御戦略をとる他7種との間には、殻の形態的特徴に大きな違いがあることが示されました。 Figure1_Shells_Chap6 それらの違いは主に、相対的な殻口のサイズによって決まっており、「攻撃型」の方が相対的な殻口が大きい一方で、「籠城型」の方が巻き数が明らかに多いことが示されました。また、体のサイズも「攻撃型」の方が大きい傾向にありました。それらの殻の特徴は、それぞれの防御行動と非常によく合致していました。「攻撃型」の殻を振り回す行動を取るためには、相応の筋力が必要であり、それを確保するためにも殻口が大きく内容積の大きな殻形態が必然的に必要であると考えられます。一方、「籠城型」についても、相対的な殻口が小さく巻き数が多いという殻の特徴は、殻口から頭部を突っ込んで捕食するオサムシに対し、できるだけ奥まで身体を引っ込めて身を守るために、非常に効果的に作用するはずです。すなわち、行動と形態の双方が互いに関連して、相容れない2つの防御戦略として機能していると考えられました。 fig2 驚くべきは、それら2つの防御戦略が、北海道とロシア極東域において独立に分化したことが、核とミトコンドリアの合計4領域を用いた系統推定によって明らかにされたことです。すなわち、北海道とロシア極東域の種群はそれぞれ、地域ごとに近縁な種群であり、各地域で多様化を遂げたことが示されたのです。このような収斂進化の背景には、地域間に同様の選択圧の存在が示唆されます。すなわち、捕食者に対する二者択一的な戦略のいずれを選択するかによって、被食者であるカタツムリの表現型と種が分化したことが強く示唆されました。 この研究は、地球上の生き物はどのようにして多様な種や表現型をもつに至ったのかという問題に対し、「食う食われるの関係」の重要性を示すものです。「資源をめぐる競争」の重要性が強調されている現在の通説に再考を迫るものであると言えます。生物の種や表現型の多様化メカニズムの総合的な理解に、極めて重要な実例となると期待されます。しかし、実際にオサムシがカタツムリの多様化を促したメカニズムは未だ謎に包まれており、私は現在も今回の成果に続く研究を進めているところです。本当の冒険はまだこれから、旅は始まったばかりです。 参考文献
  • Morii, Y., Prozorova, L. & Chiba, S. (2016). Parallel evolution of passive and active defence in land snails. Scientific Reports, 6: 35600. doi: 10.1038.
  • Morii, Y., Yokoyama, J., Kawata, M., Davison A. and & Chiba, S. (2015). Evidence of introgressive hybridization between the morphologically divergent land snails Ainohelix and Ezohelix. Biological Journal of the Linnean Society, 115: 77–95.
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アクアポリンが発現している細胞は、なぜ極寒環境で生存できるのだろうか? - 北京大学・加藤研究員による研究進捗報告 https://academist-cf.com/journal/?p=2906 Thu, 15 Dec 2016 01:00:50 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2906 "水の通り道"のしくみを再生医療に応用したい!」で目標金額を達成した北京大学医学部(当時:慶應義塾大学医学部薬理学教室)の加藤靖浩研究員に、クラウドファンディング終了後の研究進捗状況についてご寄稿いただきました。 *** こんにちは。「"水の通り道"のしくみを再生医療に応用したい!」でご支援いただいた加藤靖浩です。 早いもので、クラウドファンディングのプロジェクトが終了してから、1年半が経ちました。皆さまからのご支援によって、耐凍性を示す水の通り道「アクアポリン(AQP)」が、iPS細胞から使える神経幹細胞に分化した時のみに発現していることを発見し、さらに急速凍結により癌化の原因となる未分化なiPS細胞を除去できることを実証しました。現在、これらの知見をまとめた論文を執筆しているところです。今回の研究成果のポイントは、「普通の細胞が生きることのできない極寒の液体窒素環境において、アクアポリンが発現している細胞がなぜ生存できるのか?」ということです。私は新しい手法を取り入れて、その謎の一端を解明しました。 [caption id="attachment_2907" align="aligncenter" width="500"]fig1 急速凍結融解後アストロサイトに分化誘導された細胞[/caption] 果物を購入するとき、糖度センサーとか光センサーという表示を見たことはありませんか? この手法は、近赤外分光器(高性能なTVリモコンの光)と多変量解析(統計学)を組み合わせた方法です。この手法を用いると、非破壊で果物の糖分(甘さ)や水分量などを測定することができます。 今回の研究では、この方法を活用して、アクアポリンが発現している細胞溶液と発現していない細胞溶液を比較しました。その結果、アクアポリンが発現している溶液のほうが、氷をつくりにくい水の状態であることを発見しました。つまり、氷をつくりにくい細胞溶液に囲まれた細胞は、液体窒素環境下でも生存できることが出来たのではないのかと予想されます。詳細については、論文が発表されるまでもう少しお待ちください。皆さんにも読んでいただけるように、オープンジャーナルへの掲載を予定しています。 今回のご支援を通じて、研究に対する熱意に共感していただけたことは、研究を進めて行くうえで大変心強いものでした。特に、リターンのひとつであった「サイエンスカフェ&ラボツアー」で、応援してくださった方々と直接語り合えたことは、大変有意義な機会となったように思います。何よりも、未来を担う子供たちが、ラボツアーで体験したことを家でも何度も語り、さらに絵に表現してくれたことは、地道な基礎研究に花を持たせてくれました。 [caption id="attachment_2908" align="aligncenter" width="500"]fig2 ラボツアー後の物語[/caption] 一方、せっかく皆さまと巡り会った機会が得られたのにも関わらず、一緒にデータの取得や解析を行う「共創」が実現出来なかった事への思いも募っていました。そこで、今回の研究で使用した高性能なリモコンの光を用いて、皆さんと一緒に実験データの取得・解析に参加していただけるような、オープンサイエンス型の研究プロジェクトを企画中です。 私は昨年から、北京大学医学部に移動して、摂取される水が生体に与える影響について研究しています。特に糖尿病患者さんは、多飲多尿の特徴がみられ、摂取される水の影響が懸念されるからです。そして、我々生命にとって水の摂取は無くてはならない行為にも関わらず、この摂取を司るメカニズムについては、まだ不明な点も多いのです。このような「水」に関わる様々な疑問を一歩一歩解明しながら、身近な社会問題の解決の糸口に応用させる研究活動を進めていきたいと思います。引き続き、よろしくお願いいたします。]]> 2906 0 0 0 ウミガメはどこで青春時代を過ごすのか? 追跡調査で解明したい! - 継続的なモニタリング調査の実現に向けて https://academist-cf.com/journal/?p=2910 Wed, 07 Dec 2016 09:00:23 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2910 ウミガメはどこで青春時代を過ごすのか?追跡調査で解明したい! back2 ご支援していただいた方へのリターンとして、木下さんがデザインした「オリジナルTシャツ(5,000円)」や「ウミガメ命名権(10,000円)」など、さまざまなアイテムが用意されています。 10000 【募集期間】2016年12月07日〜2017年02月07日 【支援サイト】academist(アカデミスト)]]> 2910 0 0 0 エサが変われば形も変わる - 葉潜り虫の変身物語 https://academist-cf.com/journal/?p=2929 Mon, 19 Dec 2016 01:00:52 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2929 葉に字を描く虫 植物の葉に字を書く虫がいることをご存知ですか?
 草木の葉をよく見てみると、一筆書きした文字のような跡が見つかることがあります。 [caption id="attachment_2930" align="aligncenter" width="500"]fig1 アルファベットのSにみえる潜葉痕[/caption] これは植物の葉の内部にトンネルを掘るように食べ進む、「葉潜り虫」の仕業です。この食べ跡を辿れば、葉潜り虫が卵から孵化してから、植物の葉のなかで成長し脱出するまでの過程を読み取ることができます。葉潜り虫の食痕は、いわば彼らの履歴書です。葉潜りという習性は、ガ、ハエ、ハバチ、一部の甲虫などで進化しました。本稿では、コケに葉潜りするアブの進化についてご紹介します。

コケに潜る「シトネアブ」の発見

大学生の頃、コケを食べる昆虫を集めるために、日本各地からジャゴケなどの苔類(コケは苔類、蘚類、ツノゴケ類の3つのグループから構成されます)を採取して、プラスチック容器に入れて育てていました。翌年の春になると、そこから小さなアブがいっせいに羽化してきました。これが、私が大学院で研究することになったアブです。 その正体は「シギアブ科」で、幼虫はコケの葉状体(葉のような器官)の中に潜っていました。コケ食のアブの成虫の標本を並べて観察していると、食草の種やコケを採取してきた地域によって異なる種がおり、その大部分が新種であるということに気づきました。コケの中で暮らすこれらのアブの幼虫は柔らかい布団で寝ているように見えることから、コケを褥(敷物の意味)になぞらえて「シトネアブ」と名付け、6種の新種を記載しました(Imada & Kato 2016a)。 [caption id="attachment_2931" align="aligncenter" width="500"]plate1 Spania sp.の生活環[/caption] シトネアブ類は、それぞれの種が特定の種のコケに依存した生活を送っています。メス成虫は幼虫が食草とするコケの表面に卵を産みつけ、そこから孵化した幼虫はコケに潜り込んで10ヶ月近くかけて成長し、コケの内部で蛹になります。成虫は年に1回羽化しますが、その出現期間は各地で5日程度と非常に短く、またコケの上を歩き回るばかりであまり飛ばないため、成虫の姿が人目に触れることは稀です。そのため成虫の採集は難しく、未だほとんどのシトネアブ類には名前が付いていません。 シトネアブ類はアブ類としては異端的な存在です。なぜなら、初期に出現したアブ類は昆虫捕食性の傾向が強く、植物食は2つの科でしか知られていないためです。シギアブ科の幼虫は、昆虫捕食、植物の遺骸食、朽木食、コケ食などと種によって多様な食性を示す、生態的に興味深いグループです。したがってシギアブ科の中では食性の変化が何度か起こったと考えられますが、とりわけコケ食がどのような食性から生じ、それに伴って幼虫の体にどのような変化が起きたのだろうかという疑問が湧いてきました。 昆虫捕食性のシギアブの幼虫の形態についてはすでに研究されていましたが、シトネアブ類の幼虫の観察例は皆無でした。そこで、走査型電子顕微鏡(SEM)を用いて幼虫の形態を観察しました。すると、シトネアブ類は他のシギアブ科やそれに近縁なアブ群とはまったく異なる口器を持っていたのです。 Plate2 この口器の形にどのような機能があるかを知るために、幼虫がコケを食べる行動を観察し、他のシギアブ類の形態・行動と比較することにしました。

虫を襲う者とコケに潜る者の口器の比較

捕食性のシギアブは湿った土の中に棲んでおり、小さな昆虫やミミズを襲って食べると考えられています。捕食の際、先が鋭くとがった1対の大顎を獲物の体に突き刺して、その体液を吸い取ります。その仕組みはきわめて単純です。吸汁行動の鍵となるのは、左右の大顎の内側にある「溝」です。左右の溝が互いに合わさると水路となり、これをストローのように用いて吸汁できるのです。同じ形状の大顎は植物の遺骸を食べる種でも知られています。 pressreleace 一方、シトネアブ類はどのようにコケを食べているのでしょうか。幼虫の入ったコケに下から光を当てて顕微鏡で覗くだけで、幼虫がコケを摂食する様子を観察できます。幼虫は、大顎を上下に盛んに動かしながら、大顎の下部に突き出した歯のような構造でコケの組織を噛み砕きます。周囲のコケを一通り噛み砕くと、口を大きく広げて、コケの組織を満たす大量の液体とともに植物の組織片を吸い取って食べるということがわかりました。大顎背面にある穴の由来について確かなことはまだわかりませんが、水路を形成するという点では捕食者のもつ溝によく似た機能を持っているといえます。このように、シトネアブ類は独特の口の形を生かすことで、咀嚼と吸汁の両方を行っていることが示唆されました(Imada & Kato 2016b)。

食性の進化に伴って幼虫の形は変化してきた

では、そもそもコケ食はどのような食性から進化したのでしょうか。シギアブ科の中でとくにシトネアブ類を含んでいるSpaniinaeと呼ばれる亜科の系統間の類縁関係をDNA情報から推定しました。すると、この亜科内では、植物の遺骸食からコケ食が、さらにその中でも蘚類食から苔類食への転換が起こったという結果が得られました。 以上の結果から、シギアブにおいて、コケ食が進化した際に大顎の内側の溝が失われ、さらに苔類への潜葉が進化するのに伴って、陸上で匍匐運動するのに適した体表構造を失い、一方で大顎の穴を獲得したというように、段階的に形を変えていったと推定されました。一連の形態変化は、土の中や表層を這い回ってエサを探す生活からコケに潜葉する生活へ転じるという、生態の劇的な変化に付随して起こったと考えられます。

おわりに

日本各地に生息していながら長らく見逃されてきたシトネアブは、白亜紀の地層から化石種が見つかっている非常に起源の古いグループです。したがって、現生の陸上植物のなかで最初に出現したコケがいかに動物と関わりながら進化してきたかを知る上でも興味深い存在です。今後の研究でも、およそ4.8億年という長い時間のなかで紡がれてきた昆虫の進化の歴史や、多様な生態の背景にある適応を明らかにしていきたいと考えています。 参考文献
  • Yume Imada & Makoto Kato. 2016a Bryophyte-feeding of Litoleptis (Diptera: Rhagionidae) with descriptions of new species from Japan. Zootaxa, 4097(1):41–58.
  • Yume Imada & Makoto Kato. 2016b Bryophyte-feeders in a basal brachyceran lineage (Diptera: Rhagionidae: Spaniinae) adult oviposition behavior and changes in the larval mouthpart morphology accompanied with the diet shifts. PLoS ONE, 11(11): e0165808.
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ヒトは無意識に情報を取捨選択している? - 心理学的アプローチで解明する https://academist-cf.com/journal/?p=2938 Tue, 20 Dec 2016 01:00:23 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2938 潜在学習とは ヒトは何かを学習しようという意図がないときにも、気がつかないうちに視覚場面の情報を学習しています。わたしたちが日常生活で感じる「勘」のようなものや、なぜかわからないけれど上手になった技能、なんとなくやり方がわかるという感覚には、多かれ少なかれ無意識の学習が関わっています。 たとえば、毎日同じ本棚を見ていると、どの本がどこにあるのか正確に覚えていないのに、特定の本を探すときになんとなく場所がわかるというようなことがあるかもしれません。あるいは、スポーツやゲームをしているときに、「ここはこうすればうまくいくだろう」という勘が働くこともあると思います。これは、ヒトが視覚場面の情報や行動のタイミングなどを知らず知らずのうちに学習しているためであると考えられます。このような無意識の学習を潜在学習とよびます。 心理学の研究では、私たちがいろいろなパターンを潜在的に学習するということが解明されてきました。研究対象は無意識の学習ですから、研究では「実験参加者に気がつかれないようにパターンを繰り返し見せる」、「さらに参加者に気がつかれないように学習の効果を調べる」ということが大事なポイントです。実験室で潜在学習を研究する手法はいくつかあるのですが、今回は「文脈手がかり」という手法を紹介したいと思います。

潜在学習を研究する方法

文脈手がかり法では、参加者は複数の物体の中から特定のターゲットを見つけることを求められます。たとえば、たくさんあるL文字のなかにひとつだけあるT文字を探して、見つけしだいキーを押すというような課題を行います。 [caption id="attachment_2943" align="aligncenter" width="500"]fig1 参加者は通常、うんざりするほどたくさんこの課題を行います(だいたい500〜1000試行くらいです)。この課題のときに、同じパターンの画面をまぜて繰り返し呈示すると、参加者はパターンの繰り返しには気がつきません[/caption] [caption id="attachment_2944" align="aligncenter" width="500"]fig2 参加者はパターンの繰り返しには意識的には気がつきませんが、ターゲットのTを見つけるまでのスピードが、パターンを繰り返し見るたびにだんだん速くなっていきます[/caption]

膨大な視覚情報からの取捨選択

このように、何かを探すことを手助けするということは潜在学習の効果のひとつです。これまでの研究では、ヒトがレイアウトや物体の情報、シーンなど、さまざまなパターンを無意識に学習できることが明らかにされてきました。しかし、私たちの周りにある情報は膨大ですから、視覚場面のすべてのパターンを同じように学習できるわけではないと考えられます。人間がたくさんの情報の中からなにを優先的に学習するのか、なにが私たちの潜在学習を左右するのかということは、明らかにするべき問題であるにも関わらずよくわかっていませんでした。 私たちの研究グループでは、「文脈手がかり法」を用いて、ヒトが現在行っている「課題」が、潜在学習を左右する可能性を検討しました。そして、課題に関係している情報が優先的に学習されていることの明確な証拠を提出することを研究の目的としました。実験では、顔の写真でできた系列パターンを、106人の大学生に繰り返し観察してもらいました。そして、「性別の違う顔を探す」課題と「位置の違う顔を探す」課題を行ってもらいました。どちらの課題を行うときも、参加者が見ているパターンは同じものでした。 fig4その結果、「性別の違う顔を探す」課題では、顔のパターンが繰り返されたときに顔を見つけることが速くなりました。一方、「位置の違う顔を探す」課題では、位置のパターンが繰り返されたときに顔を見つけることが速くなりました。これは、「性別の違う顔を探す」ときには顔のパターンがよく学習され、「位置の違う顔を探す」ときには位置のパターンがよく学習されたということを意味します。また、実験に参加した人たちは、実験で使ったパターンを覚えていなかったことから、顔を見つけるスピードが速くなったのは潜在学習の効果であると考えられます。これらの結果から、同じパターンを繰り返し見ていたとしても、行っている課題によって、潜在学習が左右されるということが明らかになりました。 Print

ヒトは無意識に情報を取捨選択している

「潜在学習が課題に左右される」ことを示した本研究は、ヒトの潜在学習過程が私たちの行動やその目的の影響を受けていることを示唆します。無意識であるにもかかわらず、ヒトは意外と情報を取捨選択しているということにこの実験結果の驚きがあり、この発見は無意識下における視覚情報処理過程の解明に貢献します。漫然と情報に触れるのではなく、情報に注意をむけるような課題を行うことによって、より効率的な潜在学習が生じると考えられます。今後は潜在学習を可能にする神経基盤や、学習のメカニズムにより注目して研究していく予定です。 参考文献
  1. Chun, M. M., & Jiang, Y. (1998). Contextual cueing: Implicit learning and memory of visual context guides spatial attention. Cognitive psychology, 36, 28-71.
  2. Higuchi, Y., Ueda, Y., Ogawa, H., & Saiki, J. (2016). Task-relevant information is prioritized in spatiotemporal contextual cueing. Attention, Perception, & Psychophysics, 78, 2397-2410.
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がん遺伝子「GRWD1」の発見 - 新たな抗がん剤の開発を目指して https://academist-cf.com/journal/?p=2996 Wed, 21 Dec 2016 01:00:04 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2996 「がん」とは? 私たちの体は、多くの細胞から出来ています。これらは、厳密なコントロールのもとで、必要なときに必要なだけ増えるように制御されています。たとえば、体の表面の皮膚組織では、細胞が一定の速度で常に増殖しており、それらは最終的には細胞死を迎え「アカ」となって捨てられることで、皮膚の正常な状態が維持されています。一方で、もし傷を負ったときは、普段より早いスピードで皮膚の細胞が増殖する必要があります。実際に出血したときには、血液中の血小板が集まり止血が進むのですが、このときは血小板由来増殖因子といわれるタンパク質が結晶板から放出され、これが周囲の皮膚細胞に「増殖しなさい」という指令を与え、傷の修復が起きます。 では、指令を受けた細胞はどのように増殖するのでしょうか? これは「自動車」と同じようなイメージを持ってもらえば良いかと思います。つまり、エンジンに当たるタンパク質があり、それを駆動するアクセルに当たるタンパク質があります。また、ギアや車輪などのように、エンジンのもとで実際に細胞増殖を駆動させる多くのタンパク質があります。そして、これも車と同じで、ブレーキに当たるタンパク質も複数存在しています。先ほどの「増殖しなさい」という指令により、アクセルを踏み込むタンパク質が働きだすというわけです。 さて、そのうえで「がん」とは何かを考えてみます。上記の例を用いると、「アクセル系統」に当たるタンパク質が変異により異常を来たし、まわりからの指令がないのに、常にアクセルを踏み込んだ形になっていると理解できます。しかしそれだけでは、がん化には不十分なのです。アクセル系統だけではなく、「ブレーキ」に当たるタンパク質が変異により働かなくなっていることも必須になります。そして、ブレーキに当たるタンパク質うち、最も重要なものが「p53」という因子です。すなわち、がん細胞においては、p53の異常が頻繁に起こっていることが知られています。しかし一方で、p53に異常のないがん患者さんも多く存在しています。

タンパク質に異常が生じる理由

先ほど、「タンパク質が異常を来たす」と書きましたが、それはどういうことなのでしょうか? 私たちの細胞のタンパク質は、すべてその設計図である遺伝子DNAの情報をもとに作られています。この設計図である遺伝子DNAは、細胞が増殖する際にはコピーを作製して、増えた2個の細胞に渡さなくてはなりません(=DNA複製)。この過程は、正確なコピーができるように厳密にコントロールされているのですが、それでもときどきミスを起こしてしまいます。あるいは、紫外線や放射線で傷つき、それを正確に修復できずにミスが残ることもあります。これらが運悪く、アクセルやブレーキに当たるタンパク質の重要な部品の部分の設計図の間違いにつながると、上に書いたようなことが起こってしまうわけです。

新たながん遺伝子の発見

今回私たちは、がん遺伝子(細胞のがん化を促進する遺伝子)GRWD1を新たに発見しました(Kayama et al., EMBO reports, e201642444)。GRWD1遺伝子が作り出すタンパク質GRWD1は、RPL11というタンパク質との結合を介してp53タンパク質量を減少させ、細胞のがん化を促進させます。 [caption id="attachment_3049" align="aligncenter" width="500"]fig1 今回の研究成果の概略図:p53タンパク質は細胞増殖のブレーキなので、正常に増えている細胞中では、MDM2というタンパク質の働きで分解されている(左上)。細胞が、異常な増殖刺激やDNAダメージなどのストレスに晒された場合、RPL11というタンパク質がMDM2に結合しその機能を抑える。その結果p53量が増加し、細胞の増殖を止めて異常を修復したり、修復しきれない場合は細胞を自殺させ、がん化を防いでいる(右上)。GRWD1タンパク質量が増加した場合、そのGRWD1がRPL11に結合し働きを邪魔してしまう。その結果、細胞のがん化が促進される(下)。[/caption] 詳細は省きますが、ここでは「GRWD1タンパク質量が増えると、p53タンパク質量が減る」と、まずは単純に理解してもらえればいいかと思います。さらに重要なことに、上述した知見と一致して、がん患者のデータベースの解析から、いくつかのがんの種類においてはGRWD1タンパク質量の増加はがんの悪性度を上昇させ、予後不良の予測因子となり得ることを発見しました。 [caption id="attachment_3067" align="aligncenter" width="500"]fig2 脳グリオーマ患者において、p53が異常な(変異している)場合はGRWD1の発現量の高低は予後(がん悪性度)に相関しないが、p53が正常な場合はGRWD1の高発現によりがんの悪性度が上昇し予後不良となる。つまり、p53が正常でGRWD1発現量が高い場合はより強い治療を行うなど、治療方針決定の精度向上につながる可能性が考えられる[/caption] 今後の研究が発展すれば、患者さんのがん細胞におけるGRWD1発現量検査によるがん治療方針のより適切な決定や、GRWD1を標的とする新たな抗がん剤開発につながることが期待できると考えています。]]>
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タンパク質の形を迅速に決定する手法で拓く、タンパク質構造ダイナミクス研究の新時代 https://academist-cf.com/journal/?p=2958 Fri, 23 Dec 2016 01:00:04 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2958

研究の背景

生物の体の7割は水分ですが、残りの3割はタンパク質などから出来ています。人体には形の異なる2万5000種ものタンパク質があって、それぞれの形に応じて機能を発揮する分子機械として生命活動を支えています。タンパク質のはたらきを理解するには、その形を知ることが必要ですが、形がわかっているタンパク質は今日でもまだ一部に過ぎません。 みなさんは小さいものを見るときに何を使うでしょうか? 虫メガネや顕微鏡を利用すると思います。タンパク質は、100万分の1ミリメートル程度のサイズであまりに小さいため、レンズを使って観察することはできません。分子や原子レベルの極小の世界を分析する特別な技術、X線結晶構造解析が必要になります(図1)。 [caption id="attachment_3098" align="aligncenter" width="500"]図1 原子レベルで形を見るX線結晶構造解析 図1 原子レベルで形を見るX線結晶構造解析[/caption] ミラーボールは可視光を反射して室内にカラフルな斑点状の模様を映し出します。同様に、結晶はX線の光を反射して検出器のスクリーンに模様を映し出します。X線結晶学者はその模様の形状をコンピュータにインプットし、レンズの替わりに物理の数式を駆使して、結晶を構成する分子や原子の形を描き出すことが出来ます。つまり、タンパク質の結晶を作ることができれば、タンパク質の形を見ることができるのです。しかし、タンパク質の結晶をつくる作業はとても大変です。たとえば結晶のひとつである宝石も大きい宝石ほど美しく輝き、希少価値がありますが、結晶の成長過程で形が歪んだり不純物が混入して成長が止まってしまうため、大きな結晶はなかなか得られません。タンパク質で大きな結晶をつくることは、宝石を手に入れるよりずっとコストがかかります。そこで小さな結晶でも明瞭な光の反射模様を映し出すために、強力なX線を照射する必要が出てきます。

夢の光、X線自由電子レーザー

わが国では2011年、国家基幹技術として、X線自由電子レーザー(XFEL)を生み出す最先端施設SACLAが兵庫県播磨科学公園都市に建設されました(図2)。SACLAは、加速器の中で電子の集まりを正確な制御の下で一斉に振動させることで、SPring-8などの従来の放射光施設がつくるX線の10億倍もの明るさをもつXFELの光を生み出します。私たちはこの5年間、その強力なXFELを利用して、数十ミクロンもない微結晶からタンパク質の構造を解明する技術を開発する研究に取り組んで来ました(理化学研究所、高輝度光科学研究センター、大阪大学、京都大学、東京大学、高エネルギー加速器研究機構などからの研究者で組織されたチームによる国家プロジェクト)。そして、多数の微結晶をインジェクターから噴出しながら、XFELを連続的に照射して結晶構造を解析する、“連続フェムト秒解析システム”をSACLAで構築しました。これにより、従来の大型結晶を調製する手間を省くことができるとともに、もともと微結晶しか出来ないような難しいタンパク質の形を見ることができるようになりました。 [caption id="attachment_3234" align="aligncenter" width="585"] 図2 SACLAのXFELを使った構造解析システム[/caption] SACLAのXFELは、1秒間に30発発射される光の弾丸として、微結晶の流れに向けて機関銃のように照射されます。XFELの軌道上にタイミングよく入った1つの微結晶にヒットした1発のXFELは、10フェムト秒(100兆分の1秒)かけて結晶を貫通し、その衝撃で結晶は一瞬で崩壊してしまいます。ですが、その崩壊が起こる前に、まさに光の速さで結晶から反射したXFEL光の模様がスクリーンに記録され形を見ることできるため、結晶が損傷しても問題ありません。数万から数十万個の微結晶についてのデータを数時間かけて測定し、常温で放射線損傷のないタンパク質の真の構造を解明できます。XFELの登場により、従来の放射光X線で問題となっていた、測定中の結晶の凍結や放射線損傷がもたらすタンパク質が歪んで見えてしまう現象が克服されました。

タンパク質構造情報の宝庫を開く鍵

XFEL光の反射模様からコンピュータでタンパク質の形を描き出す際には“位相情報”という暗号を必ず解読しなくてはなりません。私たちは、タンパク質の中にある金属原子や硫黄原子にXFELが当たったときに起こる異常散乱を利用して位相情報を解読し、タンパク質の形を解明することに成功しました。特に、異常散乱を起こしやすいヨウ素原子を含む界面活性剤(洗剤の主成分で膜タンパク質にくっつき易い性質をもつ)を新たに合成して、これを微結晶と混ぜるだけで、効率よく膜タンパク質の位相情報を解読して構造決定できるシステムを開発したことは重要です(図3)。 [caption id="attachment_3100" align="aligncenter" width="500"]図3 膜タンパク質の位相決定法の開発 図3 膜タンパク質の位相決定法の開発[/caption] 膜タンパク質は、生体膜に組み込まれて存在しており、物質の輸送、情報伝達、エネルギー合成といった重要な機能を担っています。油となじみやすく水に溶けにくいため、生体膜の外に存在する水溶性タンパク質と比べて取扱いが難しく、立体構造の決定に多くの時間・費用・労力がかかるという問題がありました。膜タンパク質は、がん・生活習慣病・神経変性疾患・アレルギー等の多様な疾病に関与するため、創薬ターゲットとして注目されており、その機能を阻害または促進する化合物が薬の候補として盛んに探索されています。私たちの連続フェムト秒解析システムにより、膜タンパク質の構造解明が効率化され、その形を基礎にした新薬の設計・開発が進むことが期待されます。

静止構造から動的構造へ:タンパク質構造ダイナミクス研究の新時代

連続フェムト秒解析を応用すると、タンパク質がはたらく際にその構造が変化し動いてゆく様子をムービーのように見ることが出来ます(時分割解析)。すでに私たちは、バクテリオロドプシンなどの膜タンパク質でもその技術を実証する事に成功しており、理論的には、ピコ秒(1兆分の1秒)の短さで済んでしまうような極めて速い反応も高解像度で捉えることが可能です。将来、数多くのタンパク質の構造と機能を空前の視点で理解できるようになり、その知見が医療分野やデバイス開発への応用へと展開されるようになるでしょう。 参考文献 1.Nakane T et al & Mizohata E (2016). Membrane protein structure determination by SAD, SIR, or SIRAS phasing in serial femtosecond crystallography using an iododetergent. PNAS 113(46), 13039-13044. doi: 10.1073/pnas.1602531113 2.Fukuda Y et al & Mizohata E (2016). Redox-coupled proton transfer mechanism in nitrite reductase revealed by femtosecond crystallography. PNAS 113(11), 2928-2933. doi: 10.1073/pnas.1517770113 3.Nango E et al & Iwata S (2016). A Three Dimensional Movie of Structural Changes in Bacteriorhodopsin. Science 354(6319), 1552-1557. doi: 10.1126/science.aah3497]]>
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ニホンアマガエル、実は日本国内東西で別種か https://academist-cf.com/journal/?p=2970 Sat, 24 Dec 2016 01:00:29 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2970

東西日本でちがうニホンアマガエル

古くから日本人に親しまれてきたカエルのひとつがアマガエルです(図1)。春から夏に掛けて繁殖地の水田に出掛けると、華やかな大合唱が聞こえてきます。夏の終わりから秋に掛けては、繁殖地を離れて拡散し、雨の降りそうな日には人家の庭などから大きな鳴き声が聞こえています。北は北海道・利尻島から南は九州・屋久島まで日本の至る所に生息する、ごくごく普通のカエルです。このアマガエルすなわちニホンアマガエルが、実は日本の東西で遺伝的に大きく異なることがわかりました。今後の研究の展開によっては、東西で別々の種名がつけられる可能性があります。本稿ではその発見の経緯と意義、そしてこれからの調査についてお話しいたします。 [caption id="attachment_3237" align="aligncenter" width="500"] ニホンアマガエル (西日本:東広島市)[/caption]

先入観と外圧

2011年秋、一通のメールがドイツの研究者から届きました。ヨーロッパのアマガエルやヒキガエルを使って性決定や進化の研究をしている、ライプニッツ研究所のマシアス・ストック博士です。私はスイスの学会で一度お目にかかったことがあり、お互いの研究内容はよく知っています。そのメールには、中国、韓国、ロシアの地域集団と日本の2つの地点(札幌と東広島)に関する、ニホンアマガエルの遺伝子解析の結果が添付されていました。これをどう思うかということでしたが、私はその結果を思わず二度見してしまいました。なぜならば、日本からサンプリングされた2つの集団が相互に大きく異なっていたからです。ニホンアマガエルというのは、日本中どこにでも生息していて、しかも手足に吸盤があるのでいろんなものにくっつくことができます。当然、車や物と一緒に移動することも予想されますから、地域集団の違いは有っても極めて少ないであろう、ということ。それから北海道と九州のカエルの姿を比べてみても、アマガエルはアマガエルであり、遺伝的な違いはさほど期待できない、という強い先入観がありました。おそらく国内すべての両生類の研究者がそう思っていたはずです。ですから今までニホンアマガエルの遺伝的な地域差については誰も調べていませんでした。その先入観が一瞬にして国外の研究者によって打ち砕かれたのです。まさに外圧による先入観の崩壊でした。

東西の違い

外圧によって先入観を払拭できた、というのはある意味情けない話ではあります。しかしこれは珍しいことではありません。研究者というのは、無意識のうちに常識に捕われて研究していますから、常日頃の先入観をいつ、どこで突破できるかということが研究成果を大きく左右します。ですから人と違う見方ができる、いわば、少しへそ曲がりの人、あるいはおへそが横についているような人が研究には向いていると思います。ストック博士達の研究は終盤に差し掛かっていたので、私は急いで知り合いや共同研究者に頼んで、東北から九州にかけてアマガエルを集めてもらいました。秋田、新潟、滋賀、高知、大分と、とにかく、最低でも東西の違いをある程度把握できる地域です。すぐにドイツへこれらの組織を送り解析を依頼しました。そして、その結果が2016年11月23日、英国の雑誌に論文として掲載されたわけです。滋賀県甲賀市と広島県東広島市のあいだを境に大きく2つに分かれました。とても大雑把ですが、境界の目安はつきました。

生物学的な意義

注目すべきは、2つのグループの境界が日本国内にあるという点です。ひとつは、西日本、九州から韓国、中国、沿海州までのグループ、もうひとつは東日本、北日本、樺太と国後島までのグループです(図2)。 [caption id="attachment_3238" align="aligncenter" width="500"] 図2 ニホンアマガエルの2つのグループ(Dufresnes et al.2016を改変)[/caption] 日本国内で二分されるカエルは、他にもヒキガエル、カジカガエル、ニホンアカガエル、ダルマガエル、ツチガエルなどが知られています。ただし国外の集団がこの2つの系統の中にすっぽり納まってしまうのは、アマガエルがはじめてとなります。つまり国内で分かれた2つのグループが2つの経路を北上して国外へ拡散したという仮説が成り立ちます。これは今までの両生類では見られない分化経路です。ただし、この仮説には欧州の研究者が異論を唱えていて、その全く逆、つまり国外から日本国内へ集団が移動してきたという解釈もあり得るのでは、ということですので、まだ見解の一致を見ていません。さらなるデータの積み重ねが必要です。もうひとつ注目すべきは、北上にしろ、南下にしろ、アマガエルが津軽海峡を渡ったという点です。北海道固有のカエルはただ一種、エゾアカガエルであり、このカエルは北方由来です。まだ、津軽海峡を渡って本州に到達していません。一方、北海道には現在、ヒキガエル、ツチガエル、トノサマガエルの生息が確認されていますが、いずれも本州から人が持ち込んだ移入種であると考えられています。アマガエルは今回の調査で、ほぼまちがいなく北海道で自然分布しているカエルということがわかりました。以上のように、これまでの両生類進化の常識を覆す可能性を秘めているのがアマガエルです。ここにアマガエル研究の大きな意義があります。

これからの展開

最も興味深い点は、この2つのグループが果たして別種と言えるほどに分化しているのかどうかです。遺伝子の違いに基づけば、東西のグループはおよそ500万年前に分かれたと推測されます。ただし遺伝子配列(塩基)の違いというのは、相互が分かれてから経過した時間を示しているだけであって、種としてどうなのかは全く別問題になります。そのための詳細な研究が必要です。まず、東西のグループ間でどこに境界線があるのか、境界付近では両者が同所的に生息しているのか(交配しているのか)、分かれているのか、外部形態の違いはどうか、鳴き声はどうか。そして、両者間で人為的に交配した場合、子供(雑種)はできるのか、その雑種に妊性があるのかどうか、など生殖隔離機構を調べる必要があります。“種とは、交配可能な個体群の集まりであり、種が異なると相互交配はできない”というのが、エルンスト・メイヤーによる種の概念です。この種の概念に沿って種を定義できる結果が得られれば、それはすばらしい成果になると思います。今年から、広島大学の学生がこの課題に取り組んでいます。彼を中心にこの研究は展開していくでしょうから、今後を期待したいと思います。

未知への扉

私は長い間、ツチガエルを研究してきました。とても地味なカエルのひとつですが、性決定や性染色体の進化に関して世界で最もユニークな特徴を備えています。大学時代の同門・菊池宏明氏が調べ始めたのが発端です。誰も調べてくれず最後に残った種なのでかわいそう、というのがそのきっかけだったと記憶しています。それが思いもかけない発見の始まりでした。今回のアマガエルは外圧がきっかけでした。このように、案外身近で、ありきたりな生物の中に、むしろびっくりするような現象が隠されていることがあります。結局いつも障害になっているのは、常識にとらわれた自分自身の先入観ではないかと思います。そこを突破すれば全く想像したことのない新しい世界が目の前に開けて来ます。未知への扉を開く鍵というのは、つまるところ、自分自身の中に隠されているということになりましょうか。]]>
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ヒトは冬眠できるのか? - 冬眠が基礎代謝を下げるメカニズムを解明し、臨床応用を目指す https://academist-cf.com/journal/?p=2998 Thu, 22 Dec 2016 01:00:10 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2998 基礎代謝の維持は生命の土台 基礎代謝とは、動物が生命維持に必要な最低限のエネルギーのことを指します。動物を構成するすべての細胞に、それぞれの基礎代謝が存在し、それらを維持するために私たちの体は呼吸を行い酸素を取り込み、心臓を用いて酸素を含んだ血液を体中に循環させています。つまり、基礎代謝の維持は生命の土台なのです。このため、致死的な疾患では重要な臓器の基礎代謝が維持できなくなることが多いです。 metabolism1 たとえば、心筋梗塞や脳梗塞は特定の臓器に血液が循環しなくなったために酸素不足が生じ、結果的に基礎代謝が保てなくなり臓器が損傷します。あるいは、出血や脱水によって十分な循環血液量が保てなくなると、末梢まで酸素を運搬できなくなり、多くの臓器・組織で基礎代謝を保てなくなり、多臓器不全となります。また、重症な肺炎になると肺で十分な酸素を取り込めなくなるために、体中の組織が酸素不足となり基礎代謝が保てなくなり、多臓器不全に陥ります。このような基礎代謝が保てない状態に対して、今日の医療では通常よりも高濃度の酸素で呼吸を行わせたり、補液によって循環血液量を増やしたり、心臓をより強く働かせたりなど、基礎代謝を維持することを目指して治療を行うことが一般的です。 metabolism2

基礎代謝を自ら下げてしまう現象: 能動的低代謝

このように、動物にとっては基礎代謝の維持は命綱です。基礎代謝は動物の酸素消費量で測定できますが、驚くべきことに、この酸素消費量を通常の2-3%程度にまで下げても生きている哺乳類が存在します。前述したとおり、酸素消費量が低下すると一般的には全身の基礎代謝が保てなくなり、生命の危機に瀕するわけですが、これらの動物は、酸素消費量だけではなく、基礎代謝そのものを低下させることで、少なくなった酸素消費量でも生き延びてしまいます。 この驚くべき現象は能動的低代謝と呼ばれており、よく知られているのは冬期にみられる冬眠現象です。冬眠といえばリスやクマを想像される方が多いと思いますが、実は哺乳類に広く見られる現象です。2005年に国立成育医療センターの集中治療部でレジデントとして働いていた私は、偶然に冬眠するサルの論文に遭遇しました。そして、人間でも冬眠を誘導できれば、基礎代謝を維持するのではなく基礎代謝を下げることでさまざまな病気を治療あるいは管理できるのではないかと、その瞬間から考えるようになりました。この論文との邂逅で、私は研究者の道を歩み始めました。冬眠の臨床応用による低代謝療法が実現すれば、今では助からない人々が一人でも多く助かるようになるのではないかという思いで、研究の世界に飛び込みました。 metabolism3

人間に冬眠を実現するためには

冬眠が基礎代謝を下げるメカニズムについては、まったくと言ってよいほどわかっていません。冬眠を知るには冬眠動物を用いるのが筋ですが、そもそも動物の入手が困難であったり、冬眠は季節性の現象なので効率よく冬眠実験ができるわけでもなく、研究対象として扱いにくい部類の動物と言わざるを得ません。さらに、冬眠動物のゲノム情報が不足していることもあり、この10年間で大きく進歩した遺伝子工学や分子生物学、ゲノムリソースに基づく解析などの最新の研究ツールを用いることがとても難しいのが現実です。 そこで、そのような最新の科学技術を縦横無尽に駆使できる動物でありながら、能動的低代謝を呈する動物としてマウス(ハツカネズミ)に目をつけました。マウスは冬眠はしませんが、休眠と言われる短い能動的低代謝を行うことが古くから知られていました。マウスの休眠は冬眠と比べると、数十分から数時間と期間が短く、基礎代謝の低下率も正常時の30%程度という軽い特性ではあるものの、実験室で比較的効率的に低代謝を誘導できることや、哺乳類のなかでは飛び抜けて豊富なゲノムリソースが揃っており哺乳類のモデル生物として最も慣れ親しんだ実験動物であることなどに魅力を感じたのです。 DSC_0145

休眠と冬眠の共通点

冬眠動物は低代謝に入ると、2週間程度代謝が下がったままになります。このあいだにさまざまな実験を行うことができるため、冬眠動物の体温制御機構は古くから調べられています。一方で、マウスの休眠は低代謝期間が短いことや、対象動物が小さいこと、個体間のバラツキが大きいことから、休眠中の体温制御機構はよくわかっていませんでした。 そこで私たちは、まずマウスの休眠を安定的に評価できる系を整備し、さらにマウスの休眠を効率よく誘導できる条件を探索しました。最終的に、外気温が12〜24度の条件だと、エサを24時間抜くだけで休眠を100%誘導できることがわかりました。さらに、この系を用いて休眠中の温度制御機構を調べたところ、驚くべきことに熱産生の感度(外気温と設定温度の差に対してどれほど積極的に埋めようとするか)は、冬眠動物と遜色ない程度に低下していることがわかりました。 metabolism5 一方で、設定温度は冬眠動物と異なり、ほとんど低下していないこともわかりました。マウスは設定温度を下げるのではなく、主に熱産生の感度を下げることで代謝を低下させていたのです。この冬眠動物との違いはさまざまな理由が考えられますが、ひとつは動物が目標温度を変化させるために一定の時間を要するのではないかという考察ができます。冬眠動物でも目標温度が数日かけて徐々に下がっていくことが報告されており、マウスの休眠くらいの短期間な能動的低代謝であると、目標温度を下げるているあいだに低代謝の期間が終わってしまうという可能性です。この違いは興味深いですが、注目すべきは数分単位で変化しているであろう熱産生感度の低下がマウスでも冬眠動物と同様にみられる点です。今回の研究成果により、冬眠動物を研究対象としなくても、マウスの休眠メカニズムを調べることで、能動的低代謝に重要である「熱産生感度の低下」の原理を明らかにできる可能性が出てきたと言えます。

休眠のメカニズムから臨床応用までの遠い道のり

私は博士課程で哺乳類の睡眠制御機構の研究を行っていました。外面上は睡眠と冬眠は似ていますが、原理から考えると大きく異なる点があります。それは、睡眠は脳という「臓器」が主たる舞台の現象であるのに対して、冬眠は一つ一つの臓器の「細胞」が主たる舞台の現象であることです。今の科学では睡眠は脳がないと再構成(あるいは合成)できませんが、代謝という観点から考えると、冬眠は細胞レベルで再構成できる可能性があると考えています。 私たちはマウスの休眠を自由に誘導できる系を手にしたので、次は試験管の中で細胞レベルの休眠を誘導し、生理学・バイオインフォマティクス・遺伝子工学を総動員して休眠現象のメカニズムに迫る研究をしたいと考えています。ただし、たとえ試験管の中で細胞レベルの休眠メカニズムがわかったとしても、臨床への道のりは遠く険しいと考えています。細胞から個体へのスケールの壁がありますし、マウスから人間への種の壁も存在します。それでも、能動的低代謝というとても不思議な現象の理解ができるのではないかという科学者としての期待感と、人間の安全な低代謝が実現した際にどれほどの人名を救命できるのだろうかという臨床家としての期待感とを胸に、研究を推し進めていきたいと考えています。最後になりましたが、能動的低代謝の臨床応用や原理解明に興味がある方はぜひともお声掛けください。冬眠という自然が作り出した神秘的な現象を解明しながら、人間に能動的低代謝を応用してこれからの社会を変えてみませんか?]]>
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"怖さ"をコントロールする脳活動 - 過剰な恐怖記憶を防ぐ脳内ブレーキメカニズムとは https://academist-cf.com/journal/?p=3000 Tue, 24 Jan 2017 01:00:48 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3000 嫌な記憶 - 過ぎたるは猶及ばざるが如し 日常生活において、不快感や恐怖をもたらす出来事は私たちにとってストレスとなりますが、このような嫌な体験を記憶することによって、私たちは事前に危険を予想し、身を守ることができます。しかし、この恐怖記憶は私たちにとって常にプラスに働くわけではありません。強い恐怖体験に関連した過度の恐怖記憶はそれ自体が強いストレスとなるばかりでなく、不安障害などの精神疾患の発症の一因となる場合があります。さらにそのような疾患に罹ってしまうと、ストレスに過敏になったり、新たに別の強い恐怖記憶が形成されやすくなってしまうこともあります。 恐怖記憶が私たちにとって有益に働くためには、実際の体験に見合った適切な強さの恐怖記憶を形成する必要があります。言い換えると、「怖い or 怖くない」ではなく、「何が、どのくらい怖いのか」を学習する必要があるのです。このためには、恐怖を感じるための脳の働きに加えて、過剰な恐怖を抑制するための脳の働きも必要であると仮定されてきました。しかし、そのメカニズムはほとんど明らかになっていませんでした。そこで私たちは、恐怖記憶の中枢である扁桃体とその出力先である中脳水道周囲灰白質、さらにその出力先である吻側(ふんそく)延髄腹内側部という一連の脳領域の役割に着目し、実験動物モデルのラットを用いてそのメカニズムの解明を試みました。

少しだけ怖いものは何度起こっても少しだけ怖いまま

ラットに何の反応も誘発しない音を提示した後に、恐怖体験として弱い電気ショックを与える訓練を行うと、ラットは音によって電気ショックの到来を予測することを学習し、音に対してすくみ反応という恐怖反応を示すようになります(図1A)。 この「恐怖条件づけ」では、音に対する恐怖反応の強さは訓練を繰り返すたびに増加します。しかし、訓練を十分に行うと恐怖反応は恐怖体験の強さに応じた一定の値「漸近(ぜんきん)値」で頭打ちになり、それ以上訓練しても恐怖反応は増加しないことが知られています。この「恐怖学習の漸近現象」は、魚類、ラット、ヒトといった多くの生物種で認められる普遍的な現象です(図1B)。 [caption id="attachment_3024" align="aligncenter" width="500"]プリント 図1[/caption] 私たちは、この恐怖学習の漸近現象を、「恐怖体験の事前予測による過剰な恐怖学習の抑制」を調べるのに適したモデルであると考え、この現象を詳細に観察しました(図1C)。微弱な電気ショックを用いてラットに対して恐怖条件づけを十分に訓練した後(訓練1)、同じ音と電気ショックで訓練をさらに行っても(訓練2、過剰訓練)、音のみを提示した時に起こる恐怖反応の強さは過剰訓練の前後で変化しないことが確認されました(テスト1、2)。この結果は、最初の訓練の後に恐怖学習が漸近していること、その後の過剰訓練が恐怖学習の促進効果を持たないことを示しています。また、恐怖反応をさらに上昇させるためには、より強い電気ショックを使った過剰訓練が必要であることがわかりました。

恐怖中枢の働きを抑制する脳活動の発見

続いて私たちは、恐怖学習が一定のレベルで頭打ちになったとき、脳内でどのような活動が起こっているか調べました。恐怖記憶の形成には、恐怖体験が恐怖記憶の中枢である扁桃体の外側核という脳領域を活性化させることが必要です。そこで、ラットに恐怖条件づけを十分に行った後に、「予測なし条件」(電気ショック単独提示)および「予測あり条件」(音+電気ショック提示)を行った際の扁桃体外側核の活動を電気生理学的に測定しました(図2A)。すると、扁桃体外側核の神経細胞の中には、予測なし条件よりも予測あり条件の場合に、電気ショックに対する応答が減少する細胞があることがわかりました(図2B)。 [caption id="attachment_3025" align="aligncenter" width="500"]Academist_Fig3 図2[/caption] 私たちは、「光遺伝学」と呼ばれる最先端の神経操作技術を用いて、脳機能メカニズムの研究を行いました。まずウイルスベクターを用いて、扁桃体の主要な出力領域である中心核の神経細胞とその軸索末端に、光感受性の抑制性ポンプであるアーキロドプシンンを発現させました。次に中心核の出力先のひとつである中脳水道周囲灰白質にレーザー照射を行うことで、中心核からそこへ伸びる軸索末端を特異的に抑制しました(図2A)。 この方法を用いて、電気ショックの到来を予測する音の提示中に扁桃体中心核と中脳水道周囲灰白質を結ぶ神経回路を不活性化させたところ、予測あり条件においても、予測なし条件と同程度の強さの電気ショックに対する神経応答が認められました(図2B)。このことは、恐怖体験の予測によって「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質」回路が働き、恐怖体験による扁桃体外側核の活性化を抑制していることを示しています。

過剰な恐怖学習にブレーキをかける「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質→吻側延髄腹内側部」回路

次に私たちは、「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質」回路が恐怖学習というラットの行動を実際に制御しているかを調べるため、通常は恐怖学習を引き起こさない恐怖条件づけの過剰訓練中に、光遺伝学を使ってこの回路を不活性化しました(図2C)。実験の結果、過剰訓練の音提示の後に回路を抑制したオフセット統制群では恐怖学習が頭打ちになっていましたが、音提示中に回路を抑制した群(回路抑制群)では、電気ショックの強さを変えていないにも関わらず、過剰訓練の前後でラットの音に対する恐怖反応が増加することがわかりました(図2D)。これは、回路の不活性化によって恐怖記憶が過剰に形成されること、つまり、通常は恐怖の予測によりこの回路が働くことによって恐怖学習の漸近が起こることを示しています。また、この回路の抑制によって起こる過剰な恐怖学習は、扁桃体外側核を薬理学的に抑制すると起こらなくなることから、上述した電気生理学的実験で示された、扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質による扁桃体外側核の活動抑制(図2B)が恐怖学習という行動の制御にも重要であることを示唆しています。 次に私たちは、光感受性の興奮性イオンチャンネルであるチャネルロドプシンを扁桃体外側核に発現させました。そして、通常は電気ショックに対する外側核の神経応答が低下している過剰訓練中の、電気ショックの瞬間に扁桃体外側核を人工的に活性化しました。すると、扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質回路を操作しなくても過剰な恐怖学習が引き起こされることがわかりました。以上、一連の結果は、恐怖体験の予測によって「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質」回路が働き、恐怖体験による扁桃体外側核の活性化を防ぐことによって、実際に過剰な恐怖学習が抑制されていることを示しています。 では、「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質」回路の下流にはどのような脳領域が活動しているのでしょうか?私たちは、脊髄における痛み情報の制御に関与している吻側延髄腹内側部の役割に着目してさらに研究を進めたところ、①「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質」回路は、中脳水道周囲灰白質領域内の、吻側延髄腹内側部へ投射している神経細胞を活性化させていること、②「中脳水道周囲灰白質回路→吻側延髄腹内側部」回路抑制は「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質」回路の抑制と同様に、過剰な恐怖学習の引き金となることも見出しました(図2A、C)。

恐怖に対する脳内ブレーキメカニズムが私たちの生活に果たす役割

本研究の結果は、恐怖体験を事前に予測することで活性化される「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質→吻側延髄腹内側部」回路という一連の脳領域の活動が(図3青矢印)、後の恐怖体験が引き起こす神経信号を抑制することで(図3赤矢印)、過剰な恐怖記憶の形成を防いでいることを示しています。 [caption id="attachment_3026" align="aligncenter" width="500"]プリント 図3[/caption] 恐怖記憶は危険の予知・回避に必要な能力です。しかし、私たちの実際の日常生活においては、事前に予測されたストレスを回避できない場合も多々あります。私たちの発見した“恐怖に対する脳内ブレーキメカニズム”は、現代社会を生きるためのストレスコントロールに重要であると考えられます。また、多くの研究において、ストレスへの鋭敏化や過剰な恐怖記憶の形成といった症状に象徴される不安障害などの精神疾患は、「恐怖を感じるメカニズムの異常」として研究されてきました。私たちの結果は、これらの精神疾患が「恐怖を抑制するメカニズムの異常でもある」、という可能性を示唆しています。このように、私たちは今回の研究成果が不安障害などの疾患に関するより深い理解と治療法の発展にも貢献すると考えています。 参考文献 A feedback neural circuit for calibrating aversive memory strength. Takaaki Ozawa, Edgar A. Ycu, Ashwani Kumar, Li-Feng Yeh, Touqeer Ahmed, Jenny Koivumaa, Joshua P. Johansen., Nature Neuroscience, DOI: 10.1038/nn.4439]]>
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受精しなくても胚珠は発達する? - 植物界の常識を覆す新たな現象、POEMに迫る! https://academist-cf.com/journal/?p=3054 Tue, 27 Dec 2016 01:00:51 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3054 上図のとおり、被子植物の生殖器官は花です。この花の中にはめしべとおしべがあります。めしべの中には胚珠とよばれる種子の元になる部分が存在します。さらに、胚珠の中には先ほど少しご紹介した胚のうがあります。この胚のうは卵細胞、中央細胞、助細胞、反足細胞の4種類の細胞からできていますが、受精する細胞は、この4つのうち卵細胞と中央細胞の2つです。一方、おしべの中には花粉があり、花粉の中には動物の精子に相当する2つの精細胞が含まれています。この花粉がめしべの先に受粉した際に、花粉は花粉管を伸ばし、ついに胚珠の入り口にたどり着きます。この入り口から進入した花粉管は胚のうの卵細胞付近で破裂し、花粉管内容物と精細胞を放出します。ここで放出された2つの精細胞は卵細胞と中央細胞にそれぞれ受精します。この重複した2つの受精を重複受精といいます。受精した卵細胞は次世代の植物体となる胚へ、また中央細胞は胚の栄養となる胚乳になります。そうです、まさにみなさんがお召し上がりなのは植物のこの胚乳の部分なのです。ご飯やパンのおいしい部分はこのようにして受精によって作られていたのですね。そう、これまで人類が生き延びて来られたのも、本来は植物の赤ちゃんのために作られたお乳を人類が頂いて来たからなのです。こうして考えると、植物の受精やそれによって作られた胚乳がいかに偉大なものであるかよくわかりますね。 さて、ここまでで、植物がどのように受精をしているのか大まかに理解されたことと思います。先ほど申し上げたとおり、植物は受精する際に花粉管内容物を胚のうの中に放出し、2つの精細胞を受精させます。この際に精細胞以外の液体部分である花粉管内容物も胚のう内に放出します。この内容物ですが、つい最近までどのような働きをもっているのかまったくわかっていませんでした。というよりもむしろ、花粉管内容物には機能などないと考えられていて、その機能を明らかにすること自体ナンセンスでした。しかしながら、今回私たちはこの花粉管内容物に目をつけ、その機能の解析に取り組むことになりました。まず初めに、花粉管内容物の機能を知るために、 ①花粉管を受け入れていない胚珠、 ②野生型の花粉管を受け入れた胚珠、 ③受精はしていないけれども花粉管内容物を放出した胚珠 の3種類を用意しました。この3種類の胚珠から発現している遺伝子群を調査した結果、興味深いことに、③の細胞肥大、細胞分裂、種皮形成に関する遺伝子が発現していました。この遺伝子発現解析の結果は受精せずに胚珠が肥大していることを示唆していたため、③の表現型を調べました。その結果、①に比べて、③は平均で2.5倍肥大していることが明らかになりました。 [caption id="attachment_3057" align="aligncenter" width="500"]AJ図2 受精なしに肥大するシロイヌナズナの胚珠。 ① 花粉管を受け入れていない胚珠。胚珠は肥大せず、小さなままであることがわかります。 ② 花粉管を受け入れ、普通に受精が起こっている胚珠。胚珠は大きく肥大し、胚と胚乳を形成しています。 ③花粉管内容物は放出するが、受精をしない変異体の花粉を受け入れた胚珠。①と比較すると、受精していないにもかかわらず、胚珠が肥大していることがよくわかります[/caption] 次に、この胚珠肥大を引き起こしているのが、花粉管内容物であることを確認しました。花粉管がある一定の割合で破裂し内容物を放出する変異体を用いて、受精してはいないものの肥大している胚珠の割合と、花粉管が破裂して内容物が放出された胚珠の割合を比較しました。 その結果、胚珠が肥大する割合と花粉管内容物が放出された胚珠の割合とが完全に一致し、胚珠を肥大させているのは紛れもなく花粉管内容物であることが明らかになりました。この結果は、「胚珠は受精しなければ肥大、発達することはない。」との植物界の常識を覆す発見となりました。また、花粉管内容物には受精することなしに種皮を形成できることも確認できました。私は、この現象を花粉管依存的胚珠肥大(POEM: Pollen tube dependent Ovule Enlargement Morphology)と名付けました。 また、この花粉管内容物の他の機能に関しても探索しました。私が目につけたのは、受粉していないにもかかわらず胚乳が発達する胚乳自動発生の変異体でした。本当にこの時はランダムな試行で、かけてみたらどうなるかな? という好奇心により、この胚乳自動発生変異体に花粉管内容物をかけてみることにしました。そうすると、普段は未受粉の段階で各胚珠の胚乳形成率が3%以下であるその変異体に受精に失敗する変異体の花粉をかけたところ、何と約50%の胚珠が胚乳発生を始めたのです。 [caption id="attachment_3056" align="aligncenter" width="500"]Fig.4kasaharaM 受精なしに発達する胚珠や胚乳および果実。A. 受精非依存的な胚乳形成:上段のめしべは未受粉の胚乳自動発生変異体であり、ほとんど胚乳を形成していないのがわかります。通常は3%以下の確率で胚乳を発生します。下段は花粉管内容物を放出するものの受精しない変異体の花粉を掛け合わせたもの。全体が赤く染まった胚珠には胚乳が形成されていました。胚乳形成確率は平均で50%になっていました。B. 受精非依存的な果実形成:上段のめしべは未受粉の胚乳自動発生変異体の果実です。下段はA同様に受精しない変異体の花粉を掛け合わせたもの。胚珠だけではなく、果実全体も大きく膨らんでいることがよくわかります。[/caption] この胚珠の中を調べてみると、たしかに受精しておらず、胚も出来ていませんでした。しかしながら、花粉管内容物の放出のみで胚乳形成率が上昇していることが明らかになったわけです。このことはつまり、種子の中に赤ちゃんはいないけれども、栄養となるお乳は形成されていたということです。これがもしイネやコムギに応用できるとすれば、胚乳だけ、つまり人間が食べるところだけを狙って増やせるということになるのです。これで少しは植物に対して後ろめたさがなくなるのかな? また、違った視点でこの現象を見てみると、その応用範囲は非常に広範であると言えます。たとえば、受精に頼らない食料生産です。植物というものは天変地異に晒されると受精ができなくなります。たとえば、著しい高温や低温といった場合にはまず受精できません。しかしながら、受精に頼らずに胚乳が形成できるようになれば、このような天変地異に関係なく可食部分が収穫できるわけですから、人間にとってはありがたい話となるわけです。今後は、花粉管内容物のどのような物質がこのPOEM現象を引き起こしているのかを調査していく予定です。このPOEMファクターがわかれば、今後間違いなく人類にやってくる食料危機問題の対策に一役買ってくれることと期待しています。 原本文献 Ryushiro D. Kasahara, Michitaka Notaguchi, Shiori Nagahara, Takamasa Suzuki, Daichi Susaki, Yujiro Honma, Daisuke Maruyama and Tetsuya Higashiyama. Pollen tube contents initiate ovule enlargement and enhance seed coat development without fertilization. Science Advances 2 e1600554 (2016)]]> 3054 0 0 0 氷の表面はなぜ濡れるのか? - 氷の表面を覆う秘密のヴェールをはぐ https://academist-cf.com/journal/?p=3060 Tue, 10 Jan 2017 01:00:32 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3060 マイケル=ファラデー以来の謎 雪国に住む人でなくとも、一度はスキーやスケートを楽しんだり、雪だるまを作って遊んだりしたことがあると思います。なかには凍った道で滑って、尻もちをついたことがある人もいるかもしれません。私たちはこのような経験を通して、「氷点下でも氷の表面は濡れている」ことを何気なく実感しています。ちなみに、私たちが雪玉を握れるのは、氷の表面が濡れていることによる毛管接着と、それに伴う再結晶化が起こるためです。 氷の表面融解として知られるこの現象の研究の歴史は思いのほか古く、電磁気学の祖であるマイケル=ファラデーのイギリス王立協会での講演にまで遡るといわれています。以来、多くの研究者がこの現象の解明に力を注いできましたが、氷上で凍らない水膜-普通の水と区別して擬似液体層と呼びます-が発生するメカニズムは今もなおわかっていません。この層の厚さは、数ナノメートル程度と極めて薄く、擬似液体層を直接捉え、かつ精度よく測定することが極めて困難であるためです。実はその存在をはじめて実証できたのでさえ1987年、ファラデーによる考察から一世紀以上経た後のことでした。 では、一口に氷上に擬似液体層が存在するといっても、どのような温度と水蒸気圧で存在するのでしょうか? 常に存在するのか、はたまた存在しないこともあるのでしょうか? この問いは、氷の表面融解の起源そのものにリンクしています。以下では、この問題に対する私たちのアプローチを紹介します。

百聞は一見に如かず:その場観察によるアプローチ

これまでも氷の表面融解の謎を解き明かすべく、さまざまな実験的アプローチが試みられてきました。しかし、意外にも「見る」というアプローチはなされていませんでした。もちろん、ナノメートルオーダーという極薄の擬似液体層を視覚的に捉えることは容易ではありません。そこで、私たちの研究グループは、オリンパス株式会社と共同で、レーザー共焦点微分干渉顕微鏡と呼ばれる独自の光学顕微鏡を開発しました。一般に微分干渉顕微鏡は、試料表面の高さ変化を光の干渉を利用して明暗のコントラストに変換しています。またレーザー共焦点顕微鏡は、ピンホールと共にレーザーを光源として用いることで焦点面におけるノイズ光を大幅に除去し、観察像を鮮明にします。私たちのレーザー共焦点微分干渉顕微鏡は、この2つの顕微鏡法を組み合わせ、さらにさまざまな改良を加えた光学顕微鏡で、一分子レベルの段差を可視化する非常に高い分解能を実現します。私たちはこの顕微鏡を駆使して、世界で初めて擬似液体層の「その場観察」に成功しました。 [caption id="attachment_3061" align="aligncenter" width="500"]figure1 図1:A. レーザー共焦点微分干渉顕微鏡で可視化された擬似液体層の様子とその2つの濡れ形態(B, C)。スケールバーは共に20 μmである。青矢印は氷表面を走る単位(一分子高さ)ステップである[/caption]

自分自身の液膜を濡らさない擬似液体層

図1のB、Cに、擬似液体層の氷の上での特徴的な濡れかたを示しました。図1Bは、擬似液体層が液滴状になっている、いわゆる部分濡れと呼ばれる状態で、キッチンやお風呂でお馴染の濡れ形態です。興味を引くのは図1Cの濡れ状態で、液膜と液滴が共存し、まるで目玉焼きの様に濡れています。このように自分自身の液膜を濡らすことができない濡れ形態を準不完全濡れと呼びます。これは、氷・水・空気間に働くファンデルワールス力に起因する濡れであり、擬似液体層の厚みにより氷への濡れ性が変化する特殊な濡れ形態です。 私たちは、擬似液体層が温度・水蒸気圧に応じて、この2つの濡れ状態のあいだを行き来することを突き止めました。これは濡れ転移といわれる現象で、表面自由エネルギーに支配された相転移現象です。また、温度と水蒸気圧を調節し氷表面を平衡状態に近づけると、図2に示されるように、擬似液体層がこの濡れ転移を経て自発的に撥水することもわかりました。平衡状態、及びその近傍では氷の親水性が低下し、 擬似液体層は薄膜として氷を完全には濡らすことができずに結露のごとく液滴状になるのです。 [caption id="attachment_3062" align="aligncenter" width="500"]figure2 図2:薄膜化した擬似液体層の撥水過程(スピノーダル型)。スタート時(0 秒)の氷表面は擬似液体層で完全に覆われているが、撥水によりおよそ 6 秒後には液滴に変化している(単位は秒、スケールバーは 10 μm)[/caption] このように、その場観察により明らかになった擬似液体層の姿は、「氷の上を均一、かつ完全に覆っている」という従来の描像とはかけ離れたものでした。

擬似液体「層」は安定「相」か?

この氷上での撥水は何を意味しているのでしょうか? ここで、観察表面のように擬似液体層が氷表面で液滴状に濡れた場合を考えてみましょう。氷表面上には、氷-空気、擬似液体層-空気、氷-擬似液体層という 三種類の界面が露出します。実はこのような氷表面では、擬似液体層が存在しない乾いた氷表面よりも表面自由エネルギーが大きくなります。一般に自然は表面を好みません。表面はその物質の原子、分子が結合する相手を失った不安定な高エネルギー状態にあるためです。それゆえに、擬似液体層は不安定な表面状態を解消すべく徐々に蒸発してしまい、最終的にエネルギーの低い裸の氷表面が現れることになります。 これは、空気中のシャボン玉や雨滴がその表面積、正確には表面自由エネルギー、を小さくしようと自ずと丸くなるのと同じ理屈です。この「擬似液体層は平衡状態では存在できない」という結果は、熱平衡下では同一物質の三相共存状態は三重点以外に許されない、という熱力学の基本ルール「ギブスの相律」に則ったものであり、擬似液体層で濡れた氷の表面と乾いた裸の表面の表面自由エネルギーの比較から導かれる自然な帰結です。 では仮に、擬似液体層が薄膜となり完全に氷を濡したらどうなるか? この場合は先ほどとは逆に、濡れた氷表面の方が裸の氷表面より表面自由エネルギーが下がり、熱平衡下-三重点近傍に限られますが-で擬似液体層が安定に存在し、三相が共存することになります。つまり、表面自由エネルギーの低下によりギブスの相律を破るのです。実はこの掟破りのシナリオこそが、「水と氷は同一物質の液体と固体であり、水は氷表面を完全に濡らすであろう」という仮説のもと、氷の表面融解の定説として長いあいだ受け入れられてきたのです。 [caption id="attachment_3063" align="aligncenter" width="500"]figure3 図3:擬似液体層の新しい生成ルートの模式図。QLLは擬似液体層(quasi-liquid layer)を、ESは氷表面の単位ステップ(elementary step)を指す[/caption]   それでは、擬似液体層はどのように生成するのでしょうか? 図3で示したように、私たちは平衡状態ではなく氷表面がある一定以上の氷の成長条件(過飽和水蒸気圧下)、もしくは昇華条件(未飽和水蒸気圧下)に置かれたときに、擬似液体層が生成することを突き止めました。この結果は、擬似液体層が水蒸気から氷へと相変化する過程(もしくはその逆)で過渡的に生成する準安定相であることを強く示唆します。この非平衡領域(氷の成長・昇華領域)における擬似液体層の生成ルートの発見は、他の結晶表面における擬似液体層の探索・理解におおいに役立つと考えられます。

最後に残された疑問

光学顕微鏡というと私たちにとって馴染のあるぶん、古典的な実験手法と思われるかもしれません。しかし、本研究が示すように、時として分光法や構造解析などの微視的アプローチでは得られない見通しの良い視座を与えてくれます。さらに、直接「見る」という強みを生かし、擬似液体層の濡れダイナミクスを非接触・非侵襲で観察することで、従来は困難であった擬似液体層そのものの物性、特にその流動特性(表面張力と粘性係数の比)を直接読み取ることもできます。 一方で、私たちの研究は「なぜ水は氷を完全に濡らさないのか?」という根本的な疑問に答えられていません。過冷却水と氷の構造的類似性を考えると、これはやはり不思議なことに思えます。その答えを得るためには、水-空気界面、水-氷界面における分子レベルでの動的構造・相互作用を理解する必要があるでしょう。したがって、今後は和周波分光法などの先進的な分光法やX線、中性子散乱による構造解析、数値シミュレーションとのコラボレーションが鍵になると考えられます。 氷は水と共に地球上にあまねく存在しており、氷が主役となる自然現象は枚挙に暇がありません。 特に氷の表面融解は、雪玉作りや氷上の潤滑以外にも、凍結によって地面が隆起する凍上現象、雪の形態変化、氷河の流動、オゾンホールの生成プロセス、雷雲での電気の発生機構など、様々な自然現象に深く関与しているといわれています。 今回の研究により氷の表面融解のメカニズムが明らかになったことで、これらの自然現象の基礎的理解がより深まるものと期待されます。 参考文献
  • M. Faraday, Experimental Research in Physics and Chemistry, Taylor and Francis, London (1859)
  • R. Rosenberg, Why is ice slippery? Phys Today 12, 50-55 (2005).
  • Y. Furukawa, M. Yamamoto and T. Kuroda, Ellipsometric Study of the transition layer at the surface of an ice crystal, J. Cryst Growth, 82, 665-677(1987)
  • G. Sazaki et al., Quasi-liquid layers on ice crystal surfaces are made up of two different phases, Proc. Natl Acad. Sci. USA 109, 1052-1055 (2012)
  • K. Murata et al., Thermodynamic origin of surface melting on ice crystals, Proc. Natl Acad. Sci. USA 113, E6741-E6748 (2016)
  • K. Murata et al., In situ determination of surface tension-to-shear viscosity ratio for quasiliquid layers on ice crystal surfaces, Phys. Rev. Lett. 115, 256103 (2015)
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「ゲノム編集」で世界は変わるのか? - 広島大・山本卓教授に聞く https://academist-cf.com/journal/?p=3091 Mon, 26 Dec 2016 01:00:21 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3091 ーここ数年で「ゲノム編集」という言葉をよく聞くようになりましたが、どのような技術なのでしょうか。 ひとことで言うと、狙った遺伝子を改変する技術のことです。これまでにも、遺伝子組み換え技術は使われてきたのですが、これまでの手法では限られた生物種でしか使えなかったり、改変の精度が低かったりしたんですよね。ゲノム編集がこれだけ強いインパクトを与えている背景には、さまざまな生物種の遺伝子を、高い精度で改変できることがあります。従来の遺伝子組み換え技術では、どの遺伝子を組み換えるかというところまではコントロールが難しかったのですが、ゲノム編集では、一塩基レベルまでを狙って正確に改変することができます。 ー遺伝子組換えとゲノム編集の違いは、他にはあるのでしょうか。 ゲノム編集では、ハサミのような役割を持ったタンパク質が、改変したいゲノムDNAの部分をチョキンと切ります。でも切れたままでは有毒なので、必ず切れた部分を自らつなぎなおそうとするんですよね。つなぎなおすときに、そのゲノムDNAに導入したい遺伝子を入れると、遺伝子が組み替わります。これが、ゲノム編集による遺伝子組換えです。一方、遺伝子を入れないときには何が起きるかというと、放射線が身体に当たって細胞核内のゲノムDNAが切れるのと全く同じこと、つまり自然突然変異が起きているということになります。ゲノム編集では、遺伝子組換えと自然突然変異のどちらかを選んでできるということになります。 ーゲノム編集の魅力について教えてください。 基礎研究の立場から言うと、遺伝子の機能解析を効率的に行えることが、大きな魅力です。ゲノム編集を使えば、特定の遺伝子を狙って壊すことができるので、ひとつ1つの遺伝子の機能を個別に調べることができます。特定の遺伝子を破壊した「ノックアウトマウス」のような遺伝子破壊動物を作るのに、従来はES細胞を使って半年から1年ぐらいかかっていたのですが、ゲノム編集を使えば、1ヶ月から数ヶ月でできてしまいます。マウスだけではなくあらゆる生物における遺伝子の機能を解析しやすくなることからも、基礎分野の研究者にとってはこれ以上ない研究ツールです。特にゲノム編集のツールのなかでも、2012年に開発された「CRISPR-Cas9」を使うことで、複数の遺伝子を同時に破壊することもできるようになりました。これもまた大きなブレイクスルーであると言えます。 ー応用研究ではどうでしょうか。 まずは、品種改良ですかね。たとえば、油を作る微細藻類に対してゲノム編集を行うことで、油の生産量を増やすことができるようになります。これはいろいろな企業が考えていることで、ガソリンに代わるエネルギー源を作ろうと、世界規模で競争が進んでいます。一方で、医療への応用も大切です。ゲノム編集を使うことで、難病患者さんを治療することはもちろん、治療前に特定の病気に関係する遺伝子の研究もできるようになりました。また、iPS細胞とゲノム編集は相性がとても良く、その方向性の研究も行われています。 ーiPS細胞との相性が良いというのはどういうことでしょうか。 分化した状態の細胞と未分化状態の細胞は、細胞核内にあるDNAのパッキング状態が違います。たとえば筋肉の細胞では、筋肉に必要な遺伝子がどんどん発現する一方で、不必要な遺伝子はギュっとパッキングされています。筋肉細胞から未分化状態のiPS細胞を作ると、パッキングされた状態からパッキングされていない状態になるため、ゲノム編集ツールが遺伝子に近付きやすくなります。つまり、ES細胞やiPS細胞では、いろいろな遺伝子を破壊しやすいという意味で、ゲノム編集との相性が良いということになります。こうなればもう、アイデア次第でなんでもできてしまうんですよね。 ーアイデア次第でなんでもできるというのは、諸刃の剣になり得ますよね。 そうですね。たとえば、難病を受精卵の状態で治すことができれば、病気自体を根絶できることになるので、ゲノム編集が人類を救い得る技術であることは間違いありません。安全面や倫理面を考えると、残念ながらまだ使えるレベルではないのですが……。一方で、世界中のアスリートの遺伝子を調べあげて、運動能力に秀でたヒトを作りましょうとなれば、SFの世界で考えられている「デザイナー・ベイビー」ができないとは限りません。ゲノム編集がそのような側面を持つ技術であるということは、認識しておく必要があります。 ー安全に使うためには、どれくらいの実験データが蓄積されれば良いのでしょうか。 うーん、それはなかなか難しいんですよね。まず、CRISPR-Cas9には切断したい部位と似た部位を誤って切断してしまうオフターゲット効果というものがあるので、そのような類似の配列に関しては、体系的に調べる必要があるように思います。 ただ、網羅的に調べることができたとしても、やはり課題は残ります。というのも、私たちの体を構成する細胞内のDNAは、刺激を受けて日々変化しています。ゲノム編集をしたとはいえ、それが自然に起きた変化なのか、ゲノム編集による変化なのかは、統計的な有意差を見るしかなく、言い切ることはできないんですよ。実験データを蓄積していくと同時に、その辺りの曖昧さをどのように解釈するのか、考えていかなくてはなりませんね。 ー日本のゲノム編集は、世界的に見てどのような位置にいるのでしょうか。 ゲノム編集を行う際には、特定のタンパク質がハサミの役割を果たしているのですが、第一世代のZFN、第二世代のTALEN、そしてCas9の特許はすべて海外にあります。海外に抑えられているとなると、商業利用の際には高い使用料を払わなくてはなりません。それは何とか避けたいということで、現在Cas9に代わるハサミのタンパク質を発見するために、内閣府や経済産業省がプロジェクトを立てており、国を挙げた研究開発が進められています。 一方で、CRISPR-Cas9があまりにも使いやすいため、世の中がCRISPR-Cas9で動いているのも現実です。最近では、がんの発症に関わる遺伝子を探索しようという流れがあるのですが、そこでCRISPR-Cas9を使わない手はないんですよね。このツールは本当に特殊で、2012年の夏に論文が出て、よしこれは使えるぞ! と世界中の研究者たちが使って、2013年のはじめに論文が一気に出ました。それからわずか3年半のあいだに、これだけの広がりを見せて、毎週のように新しい論文が出る技術って、これまでのバイオテクノロジーではおそらくないと思うんです。 そうなると、Cas9に代わるハサミを見つけることと並行して、応用特許に関連する技術開発を進めることも戦略のひとつです。たとえば、ゲノム編集で狙った位置の遺伝子を正確に組み換えるノックイン技術は、私たちを含めた国内のいくつかのグループが特許を取っていますし、世界的に見ても強い領域だと思います。 ーCRISPR-Cas9に代わる日本初のツールを開発すると同時に、既存のツールを用いた技術開発を進めていく必要があるということですね。最後に、山本先生がゲノム編集で実現したいことがあれば教えてください。 創薬に使える細胞作りや、ゲノム編集の派生技術の開発でしょうか。ハサミで切るということだけではなくて、遺伝子がパックされた状態をゆるめたりとか、がん細胞の増殖をおさえたりなど、疾患に関連する技術開発を進めていくつもりです。その際、CRISPR-Cas9でできることはCRISPR-Cas9で行いますし、産業利用させるときは、ZFNやTALENも使います。各種のツールを目的に合わせて使い分けていくつもりです。 また、今年からスタートした「日本ゲノム編集学会」で、産業界と学術界をつなげていければと考えています。微生物から植物、動物まで、ゲノム編集を使っている研究者が集まって、同じ技術で融合できる機会を生み出すと同時に、企業との連携が効果的に図れて出口戦略まで考えられるようなイメージです。アカデミック色の強い学会というよりは、大学人と企業人が半々になるような、産学連携を図るための学会にしたいと思っています。]]> 3091 0 0 0 ゆりかごから墓場まで - 生物考古学が明らかにする江戸時代のあるおばあさんの一生 https://academist-cf.com/journal/?p=3129 Wed, 04 Jan 2017 01:00:21 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3129 生物考古学の発展 縄文時代や江戸時代など、過去の人びとの暮らしや生死を明らかにする研究分野というと、多くの方々は考古学や歴史学を思い浮かべるのではないでしょうか。そうした分野に加えて、生物考古学 (bioarchaeology)という研究分野があります。遺跡から出土した人骨や動物骨の形態を調べたり、DNAを分析したり、化学分析を実施したりなど、生物学や地球化学の手法を主に利用して、当時の人びとの生死、食性、健康状態、集団構造など、考古学や歴史学上の研究課題に答えようとする分野です。 生物考古学の特徴のひとつは、そのアプローチの多様さです。ほかの分野の最先端の分析手法によって得られた知見を、考古学や文献史学の情報と組み合わせることで、従来の研究よりずっと鮮やかに、多方面から、過去の人びとの生き様を復元できるようになります。 今回、私たちは、同位体分析という手法を適用することにより、江戸時代のあるひとりのおばあさんの一生を詳細に調べました。従来の生物考古学では、人類集団全体をまるっと対象にした研究が主でしたが、分析技術の発展により、ひとりの一生を詳細に復元する研究も可能になってきています。

明石藩家老のおばあさんST61

今回、私たちが対象としたのは、明石藩の家老のおばあさんであったST61という個体です(本名も明らかになっていますが、倫理的な配慮から、本稿では、発掘調査時につけられた「ST61」というIDを使用しています)。兵庫県明石市にある雲晴寺の境内に埋葬されており、一緒に出土した板牌の情報から、1732年に77歳で亡くなった女性であることがわかりました。文献の調査により、ST61は、明石藩の家老職を務めていた織田左衛門平常壽の祖母であり、越前大野に生まれ、23歳までには結婚し、すくなくとも3人の子をもうけたことがわかりました。棺桶のなかにはお米の籾殻が大量に入っており、人骨に加えて、この籾殻も今回の分析の対象としました。なお、子孫の方のご高配によって今回の研究の機会をいただき、研究後にST61の本人骨は改葬されました。 人骨の形態についてはすでに研究結果が報告されており、関節炎などの症状があちこちの骨に見られたものの、歯は丈夫で、骨から推定した年齢や性別の結果は「高齢の女性」という歴史学的な情報と一致していました。 今回私たちは、ST61の肋骨、歯、棺桶内の籾殻に対して、さまざまな同位体分析を適用することで、以下の点を明らかにしようと試みました。
  • 幼少期の食性(特に離乳年齢)
  • 老年期の食性(特に海産物の摂取割合)
  • 当時の農作物の施肥について
  • 埋葬後に撹乱があったかどうか

さまざまな同位体分析

同位体分析は、生物の暮らした環境や食性を復元するのに用いられる手法です。自然界には、質量数の異なる元素(同位体)が存在しますが、それがある物質にどれだけ存在するかが同位体比という指標で表されます。生物の体は食物などから摂取した元素で構成されますので、食資源ごとに同位体比が異なっていた場合、体組織と食資源の同位体比を比較することで、それぞれの食資源の摂取割合を推定できます。 [caption id="attachment_3132" align="aligncenter" width="500"]fig1 安定炭素・窒素同位体比の分布によって、食資源(特にタンパク質源)の摂取割合がわかる。江戸町人は、C3陸上資源と海産物の組み合わせまたは淡水魚主なタンパク質源とし、ST61はそれより窒素同位体比が高めである。[/caption] たとえば、炭素の同位体からは全体的な食物の構成、窒素は母乳の摂取割合、硫黄は海産物の摂取割合などと、注目する元素によって得られる情報に違いがあります。また、どの体組織を分析するかによっても結果が異なり、子供のときに形成される歯では出生から幼少期までの情報、大人になってからも置換しつづける骨では死亡前10年間程度の情報がわかります。また、植物についても同じことが言えて、栄養塩をどのような資源から得ているかで、植物の同位体比は変化します。

ゆりかごから墓場まで

分析の結果、以下のことがわかりました。 図に示されているように、ST61の離乳は急速に進み、1歳–1歳半くらいまでには、母乳の寄与はほとんどなくなっていました。江戸時代の育児書などには、離乳の終わりは3歳くらいと記述されており、生物考古学的な手法で復元された江戸の町人の離乳の終わりも3歳くらいでした。そうした結果と比べると、ST61の離乳の終わりは早めです。こうした違いが、高い社会的地位のためなのか、母親や乳母の死亡などのような個人的な理由のためなのかは、将来的な研究が必要です。 また、離乳後の幼少期の同位体比と、老年期の同位体比のあいだに、大きな違いが見られました。古文書の調査によって、ST61は27歳で越前(現在の福井県のあたり)から明石に住居を移したことがわかっています。住居の移動にともなって食性が変化したことで、幼少期と老年期で、同位体比に違いが現れたと考えられます。 [caption id="attachment_3133" align="aligncenter" width="500"]fig2 ST61永久歯の象牙質を成長線に沿って連続分析した結果。肋骨の同位体比との比較によって生涯の食性変化も明らかになる[/caption] ST61の老年期の食性について、同位体の結果から計算したところ、海産物のタンパク質寄与割合は約17%と意外に低い値でした。江戸時代の食性は、社会階層によらず、米や野菜がメインで、たまに魚が加わる程度であることが、当時の文献から明らかになっています。そうした知見も参考にすると、海に面した明石という街の家老という家柄であるにもかかわらず海産物の寄与が意外に少なかったという結果にも、うなずけるものがあるかもしれません。 籾殻の同位体比は、海産物の範囲に非常に近い値を示しました。このことは、当時の水田で、海産物由来の肥料が使われていた可能性を示唆します(ただし、考古遺物は、土の中に埋まっているあいだに外部由来の元素によって汚染されてしまうことがあります。特に植物の同位体比については、汚れの有無を検出する基準が確立されていないため、今回の結果は、そうした汚れに影響されている可能性もあります)。実際、江戸時代の農書には、干鰯などの魚を利用した肥料の利用が記されています。 [caption id="attachment_3134" align="aligncenter" width="500"]fig3 ST61の肋骨と籾殻の硫黄同位体比の比較[/caption] 籾殻の年代を測定した結果、ST61人骨の死亡年1732年より80–120年ほど古いものでした。お墓は、埋められた後も二次埋葬などで撹乱を受ける可能性がありますが、籾殻は当時のものがそのまま残ったと考えられます。また、江戸時代の農書には、籾殻はなにかと役に立つので大事にとっておくべしといった記述もあり、大事にとっておかれた古い籾殻が、ST61の埋葬の際に用いられたのかもしれません。

まとめ

生物考古学は、遺跡に残らない生き様の痕跡を、骨や遺物から読み解く研究分野です。今回の研究では、自然科学の手法として発展した同位体分析、骨の形を調べる形質人類学、古文書や遺跡を読み解く文献史学や考古学など、さまざまな分野の手法や視点を利用することで、江戸時代に暮らしたひとりの人間の生涯を詳しく調べることができました。現代に暮らす私たちが当たり前のものとしている生活が、過去にはどうだったのか、推論でなく実証的に調べていくことで、現代にあって常識と考えられているような価値観や規範に新たな側面から光を当てることができるかもしれないと考えています。 参考文献
  • 長岡朋人, 安部みき子, 蔦谷匠, 川久保善智, 坂上和弘, 森田航, 米田穣, 宅間仁美, 八尋亮介, 平田和明, 稲原昭嘉. 2013. 明石市雲晴寺近世墓地から出土した明石藩家老親族の人骨. Anthropological Science (Japanese Series) 121: 31–48. DOI: 10.1537/asj.121211.
  • Tsutaya T, Nagaoka T, Sawada J, Hirata K, Yoneda M. 2014. Stable isotopic reconstructions of adult diets and infant feeding practices during urbanization of the city of Edo in 17th century Japan. American Journal of Physical Anthropology 153: 559–569. DOI: 10.1002/ajpa.22454.
  • Tsutaya T, Miyamoto H, Uno H, Omori T, Gakuhari T, Inahara A, Nagaoka, T, Abe M, Yoneda M. 2016. From cradle to grave: multi-isotopic investigations on the life history of a higher-status female in the Edo period Japan. Anthropological Science 124: 185−197. DOI:10.1537/ase.161029.
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シカン遺跡で行われた発掘調査の結果は? - 松本剛研究員による研究進捗報告 https://academist-cf.com/journal/?p=3139 Thu, 05 Jan 2017 01:00:09 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3139 南米先史社会「シカン」の発展と衰退の謎を解明したい」で目標金額を達成した松本剛研究員に、シカン遺跡での調査研究の様子についてご寄稿いただきました。クラウドファンディングで獲得した研究費で、どのような調査をされてきたのでしょうか。 * * * 私はこれまで、南米ペルーの海岸地方を中心に考古学調査を行ってきました。現在の私の関心は、今から約1000年前に北海岸北部で栄えた先史国家シカンにあります。シカンは宗教的指導者を中心に栄えたと考えられており、社会の複雑化や階層化において宗教信仰や儀礼が果たした役割に関心がある私にとって、最適な題材でした。

クラウドファンディング挑戦に至った経緯

シカンの首都であるシカン遺跡の中心部は、「大広場」と呼ばれる大きな公共空間と、それを取り囲む神殿郡や貴族用の住居からなります。 これまでの発掘の結果、シカンは支配層であるシカン人貴族と、被支配層であるモチェ人の、少なくとも2つの異なる民族からなることがわかりました。シカンの上流貴族たちを中心とした祖先崇拝と、「シカン神」と呼ばれる神への信仰が社会統合のためのイデオロギーとして機能し、この多民族国家を支えていたようです。シカン神を模した仮面を被せることで祖先は神格化されました。首都の神殿群は貴族家系ごとに祖先を埋葬し、祀るためのもので、その周囲では追悼儀礼が盛んに行われました。個々の祖先神殿が巡礼地として機能していた可能性があります。こうしたシカン社会の多元性についての理解を深めるためには、貴族家系間の関係性を明らかにしなければなりません。主要な祖先神殿が取り囲む大広場で発掘を行うことによって、その手がかりが得られるのではないかと考えました。 このような背景のもと、さらなる発掘を行うべく、クラウドファンディングに挑戦しました。また、一般の方々にも発掘現場での楽しみを知っていただくために、高額支援者の方にはリターンギフトとして、発掘調査にご参加いただけるようにしました。有り難いことに、2015年3月11日から5月10日までの60日間で、総額153万5455円ものご支援を頂きました。当初の予定では資金獲得後すぐに調査を行う予定でしたが、十数年ぶりの大きなエルニーニョにより、普段はほとんど雨の降らない調査地で大雨が降り、遺跡に隣接する川が氾濫寸前になり、1年の延期を余儀なくされました。最終的に発掘調査は、翌年に予定されていた別の調査(ワカ・アレーナ)と合わせて、2016年7月4日から9月10日まで10週間に渡って実施されました。

発掘調査の成果

大広場内、ロロ神殿とベンタナス神殿の間に四つの発掘区を設けました。時間的な制約により、4つのうち3つしか(発掘区2~4)掘れませんでしたが、いくつかの重要な発見がありました。 [caption id="attachment_3250" align="aligncenter" width="500"] 図2[/caption] まず、広場のベンタナス神殿寄りの発掘区で幅2メートル、高さも視界を遮るほどの大きな壁が見つかりました。南北に走る、日干し煉瓦製のこの大きな壁は、神殿間を区切っていただけでなく、ベンタナス神殿を取り囲んでいた可能性があります。壁の神殿側(内側)は儀礼空間として使われていたようで、低い祭壇のようなものが見つかりました。 何層も張り替えられた床はその都度綺麗に保たれ、遺物はほとんど出土しませんでした。壁に沿って床を掘り込んだ穴の中に数体のリャマの遺体が生贄として埋葬されていました。 さらにベンタナス神殿に近い発掘区では、ふいごの先に付ける羽口など、冶金活動を示唆する遺物も見つかっています。 一方、壁の外側では大規模な饗宴が行われた痕跡が見つかりました。たくさんの大きな炉と、その周りで大量の魚介類やリャマ、犬などの遺骸が土器片とともに出土しました。 興味深いことに、これらの遺物に混じって人骨(たとえば下顎)や、瓶や鍋に施された動物や人物をかたどったアップリケの首の部分だけを切り取ったものが大量に出土しました。 また、これまで墓からしか出土していない特殊な土器群やその他の遺物が供物として小さな石柱を取り囲むようにして配置されているのが見つかったため、単に飲み食いをしただけではなさそうです。 供物の中にはこれまでに見つかっていない様式の土器も含まれており、現地の研究者たちの注目を大いに集めました。今後は、出土した遺物を多角的に分析することによって、壁の外側のこのエリアで何が行われていたのかを解明していきたいと思います。 ベンタナス神殿の近くで出土した土器は、同じシカン文化に属しつつも、ロロ神殿の周囲で出土する土器とは少々様式が異なります。それぞれの貴族家系が独自の生産システムを持っていた可能性があり、胎土分析などによってこれを検証する必要があります(現在、分析資金を獲得するための準備を進めています)。大きな壁で仕切られた祖先神殿が巡礼地として機能したのであれば、貴族家系間は競争関係にあったのかもしれません。シカン神への信仰に基づく宗教信仰を共有しながらも固有の経済システムに依存していた可能性があります。それぞれの家系は新しい信者を求めて競い合っていたのかもしれません。 これまで、紀元後1050年から1100年の間に起こったとされる大規模なエルニーニョをきっかけにシカン社会は一度衰退し、首都に暮らしていた貴族たちは祖先神殿に火を放たれ、近隣のトゥクメ遺跡に追われたと考えられてきました。シカンの歴史はこのトゥクメへの遷都を境に中期シカン期と後期シカン期という2時期に区分されています。これは土器様式の変化にも呼応しています。今回の発掘で見つかった饗宴跡は、土器様式から判断して、中期シカン期ではなく、後期シカン期のものでした。これは後期シカンに入っても遺跡が放棄されずに、大規模な饗宴が継続して催されていたことを示唆しています。これにより、中期から後期シカン期への移行期の社会動態に関する従来説を見直す必要が生じました。今後の研究に、新たなテーマを提供することとなりました。 また、ロロ神殿とベンタナス神殿のちょうど間くらいの位置に大きな窪地があったことも分かりました。確かに現在の地表面を見ても、このあたりは周囲に比べて少し低くなっており、洪水のたびに大きな湖が出来ます。2つの神殿の間では貴族家系間の関係性を示すデータが得られることを期待していましたから、これはちょっとした驚きでした。現在の地表から3メートルほど下で見つかった斜面には日干し煉瓦が敷かれていました。 これは窪地が意図的に作られたことを示唆しています。窪地内には水が溜まったような痕跡も見つかったため、貴族たちが共同利用した貯水池であった可能性もありますし、ロロ神殿側の貴族家系が水に関連した儀礼の場として使用した可能性もあります。この窪地の全貌を明らかにすべく、先日新たな発掘のための研究資金を申請しました。

今後の予定

現在は発掘成果をまとめたペルー文科省向けの報告書を作成中です。同成果は来夏にペルー・リマ市で開催される研究会議にて発表することが義務付けられていますが、この他にも国内外の学会や学術誌などで積極的に発表していく予定です(※発表する予定だった十二月初旬の国内学会には間に合いませんでした)。これらと並行してリターンギフト(拓本のしおり、ビデオ、遺物図版など)の制作も進めています。一日も早く皆様のお手元に届けられるよう努めてまいりますので、もうしばらくお待ち下さい。 皆様のご支援のおかげで、研究を続け、重要なデータを集めることができました。改めて深くお礼申し上げます。]]>
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赤ちゃんは静止画から「動き」を理解できるのだろうか? https://academist-cf.com/journal/?p=3147 Wed, 28 Dec 2016 01:00:04 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3147 静止画から「動き」を感じ取る マンガは、日本を代表する文化のひとつとして認知されつつあります。今や、老若男女の別を問わず大勢の方々に親しまれているメディアです。特に、ダイナミックなアクション満載の冒険物や格闘物が好きという人も多いかと思いますが、ここでちょっと考えてみてください。マンガはあくまでも「絵」ですから、本当に動いているわけではありません。それにもかかわらず、私たちはマンガの絵から登場人物のアクションのような迫力ある「動き」を、労せずして感じることができます。よく考えてみると、これはとても不思議な能力です。 現代社会を生きる私たちの日常は、マンガに限らずさまざまな静止画に溢れていて、私たちは静止画による動きの表現に、よく慣れ親しんでいます。とはいえ、静止画から動きを認識する能力は、社会が近代化してはじめて身についたものではなさそうです。たとえば、世界各地に洞窟壁画と呼ばれる数万年以上前の人類が描いた絵がたくさん残されています。こうした壁画には、走りまわる動物や、それを追って狩りをする人々の様子などのダイナミックな情景が描かれています。そのような絵画表現の存在は、近現代の文明が成立する遥か前から、私たちヒトが静止画を用いて動きを表現可能であったこと、翻って静止画中の動きを理解する能力を持っていたことを示します。静止画から動きを感じ取る能力は、私たちヒトにとって普遍的で根源的な能力なのです。

赤ちゃんを対象とした実験

それでは、そのような能力は成長過程においていつごろ発達するのでしょうか? 今回、生後4、5ヶ月の赤ちゃんを対象に実験を実施して調べてみました。 実験には、左あるいは右方向へ走っている男性モデルの写真を用いました。赤ちゃんがこうした写真から「人が走っている」という「動き」を感じ取ることができるかを調べたのです。 実験では、まず、お母さんかお父さんに目をつぶった状態で赤ちゃんを膝の上に抱いてもらい、そのままパソコンの画面の前に座ってもらいます。 その状態で、画面の中央にアニメキャラクターを呈示して赤ちゃんの注意を画面の方にひき、赤ちゃんがキャラクターを注視したら、キャラクターと入れ違いで、男性の写真が映し出されます。0.6秒経つと男性の写真が自動的に消え、それと入れ替わりで画面の左右にまったく同じ黒い円が2つ同時に現れます。 このとき、赤ちゃんが左右どちらの円を先に見たか、視線の動きを測定します。こうした手順を、1人の赤ちゃんにつき、男性が右向きになっている写真と左向きになっている写真を用いてそれぞれ10回ずつ、計20回、ランダムな順番で繰り返しました。 大人では、静止画から動きを感じとると、無意識のうちに動きの方向へ注意や視線が引きつけられる傾向があります。したがって、もし赤ちゃんも静止画から動きを感じとることができるなら、男性の走っている方向へ注意が向きやすくなり、結果としてモデルの走っている方向に出現した円をもう一方の円よりも偏って注視すると予測できます。逆に、赤ちゃんが写真から動きを感じなければ、男性の走っている方向に注意が偏ることはなく、だいたい五分五分の割合で2つの円を見るはずです。

5ヶ月の赤ちゃんでも、写真から動きを認識できる

生後4ヶ月児と生後5ヶ月児、それぞれ20名を対象とした実験の結果、5ヶ月児では偶然(50%)を統計学的に有意に上回る割合で、モデルの走っている方向と一致した円を偏って注視しました。一方4ヶ月児では、モデルの走っている方向と一致した円を注視した割合は統計学的には偶然の水準と変わりませんでした。「走る」というダイナミックな状況を写真から認識する能力が、生後5ヶ月頃発達する可能性が示されたのです。 こうした可能性をより確実なものにするため、別の写真を使った実験も同時に実施しました。先の実験と手続きは一緒ですが、2つの円に先立って呈示される写真を、男性が単に右か左のいずれかを向いて直立不動の体勢で佇んでいるものに変更しました。 大人にとって、このような写真はダイナミックな印象を生じず、モデルの向いている方向へ注意が引きつけられたりもしません。実験の結果、4、5ヶ月児ともに、直立したモデルの向きと一致した円を注視する割合は統計学的に偶然とみなしうる水準でした。 つまり、ただ顔や体が左右どちらかを向いているだけでダイナミックな動きを表現しない写真は、赤ちゃんの注視に偏りを生じなかったのです。さらに別の5ヶ月児20名が参加した追加実験では、走っているモデルの写真を上下逆さまにすると、注視の偏りが消えることが示されました。 運動する人物の写真を上下逆さまにすると、大人では喚起される動作の大きさや速さが著しく低下することが知られています。それと類似の特徴が、静止画から人物のダイナミックな動作を認識する機能と関連して、すでに生後5ヶ月の時点で生じていると考えられます。

脳の発達との関連

生後4〜5ヶ月にかけて、静止画から動きを感じとる能力が発達することがわかりましたが、何がそのような発達を後押ししているのでしょうか? ひとつの可能性として、視覚と関連する脳部位の成熟があげられます。 私たちの脳には、視覚と関連する主な領域として2つの神経経路が存在します。ひとつは、後頭葉から頭頂葉へと向かう背側系と呼ばれる経路で、動きの認識と関係します。もうひとつは、後頭葉から側頭葉へと向かう腹側系と呼ばれる経路で、形や色の認識を担っています。背側系と腹側系の働きは普段はある程度独立していて、たとえば私たちの視界に「動き」が生じれば背側系が、「形」の識別をするときには腹側系がそれぞれ活発に活動します。それが、私たち大人が静止画から動きを感じているときには、両者が同時に協調して働くことが知られています。背側系の基本的な機能(例:動きを認識する)はおよそ生後3ヶ月までに、腹側系の基本的な機能(例:形を認識する)は生後4、5ヶ月頃に、それぞれ発達します。したがって、それら2つの神経経路の間で協調的な働きが可能になるのは、両者の基本的な機能が出揃う生後5ヶ月頃であると考えられます。これらの状況から、生後5ヶ月までに背側系と腹側系の機能が成熟し、互いに協調して働くことができるようになることで「静止画から動きを感じとる能力」の発達が生じると考えられます。

おわりに

静止画による動きの認識という視点から、赤ちゃんの視覚世界について少しだけ紹介しました。赤ちゃんの視覚発達については、これまでに多くの研究がなされてきましたが、わからないことがまだまだたくさんあります。さまざまな実験を通して赤ちゃんの視覚世界を明らかにすることで、将来的にはその知見を臨床的なケアに応用したり、あるいは赤ちゃんが喜ぶおもちゃを開発したりして役立てることもできるかもしれません。また何よりも、赤ちゃんの視覚世界についての科学的知見を提供することで、自身の経験を語ることのない赤ちゃんという不思議な存在への社会一般の理解、関心が深まると良いなと思います。 参考文献 Shirai, N.& Imura, T. (2016). Emergence of the ability to perceive dynamic events from still pictures in human infants. Scientific Reports, 6, 37206, doi:10.1038/srep37206 ]]>
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植物は病原菌からどう身を守るのか? - 新たな免疫応答メカニズムの解明 https://academist-cf.com/journal/?p=3212 Wed, 18 Jan 2017 01:00:58 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3212 植物の持つ自然免疫 免疫と聞くと、抗体などを思い浮かべる人もいると思うのですが、植物は抗体を作ることはできません。ではどのような免疫システムを持つかといいますと、細胞表面に病原菌を感知するセンサーを設置しており、このセンサーが病原菌を認識すると、免疫応答が発動します。この免疫システムは、哺乳類を含め他の生物にも幅広く保存されており、自然免疫と呼ばれています。

病原菌も「衣食住」を求めている?

病原菌は宿主に感染し、増殖します。しかしなぜ病原菌は、宿主に感染する必要があるのでしょうか。理由はたくさんあると思いますが、病原菌も生活に必要とされる「衣食住」を求めているのではないかと私たちは考えました。衣に関しては、細菌やカビは細胞膜や細胞壁を自前で有しているので、特に「食と住」を求めていると考えると、病原菌にとって宿主というのは、まさにヘンゼルとグレーテルに出てくるお菓子の家と言ったところかもしれません。 お菓子とは違いますが、病原菌は宿主から糖を摂取しています。植物は光合成により、空気中の二酸化炭素から糖を合成することができます。炭素というのは生命活動を営むうえで非常に重要な元素ですが、植物以外の生物は、他の生き物を食べることでしか炭素を獲得できません。そして植物に感染する病原菌も、炭素を得るために植物から糖を摂取しています。その摂取方法は戦略的に練られていて、たとえば病原細菌のイネ白葉枯病菌は、イネの細胞を操作し、細胞内に蓄えられている糖を強制的に細胞外へ排出させることで糖を摂取するというおもしろい例も報告されています。

糖を隠し、病原菌から身を守る

このように病原菌が植物から糖を盗んでいる一方で、植物はその暴漢を黙って見ているだけなのでしょうか。私たちは植物も何かしら対抗策を持っているのではないだろうかと考え、研究をスタートしました。 病原細菌の多くは、葉の表面に空気の出し入れを行うために空いている穴である気孔から葉の内部に侵入し、植物細胞の隙間で増殖します。そこで植物は、糖を細胞内へ回収することで、病原菌に糖を見つかりにくくしているのではないかと仮説を立てました。 [caption id="attachment_3213" align="aligncenter" width="500"] 植物病原細菌の多くは気孔から葉に侵入して植物細胞の隙間で増殖する[/caption] 細胞は膜に囲まれているため、そのままでは糖は細胞内には入りません。糖を細胞内へ運ぶには、膜に埋め込まれている糖輸送体と呼ばれるタンパク質が働く必要があります。以前私たちは、植物細胞の糖の取り込みには、STP1とSTP13という2つの糖輸送体が主に関与していることを報告しました。そこでまずはじめにSTP1とSTP13の遺伝子を破壊した植物に細菌を感染させ観察すると、STP1とSTP13のない植物では、ある植物に比べて細菌の感染がより広がることがわかりました。 [caption id="attachment_3214" align="aligncenter" width="500"] STP1とSTP13遺伝子を破壊した植物では病原細菌の感染が促進した[/caption] このことは、細胞外部の糖を取り込む糖輸送体の働きが、病原細菌の増殖を抑えることに大事であることを示しています。私たちの仮説を支持する結果が得られたため、次に、植物の免疫応答と糖輸送体の関係性についての解析を進めることにしました。 実験では、植物の免疫応答を活性化させ、糖の取り込み活性の測定を行いました。その結果、免疫応答が活性化すると、糖の取り込み活性が増加することがわかりました。これは、植物は病原菌が来た際に、細胞外部の糖を積極的に回収していることを意味します。またその糖の取り込み活性の増加は、糖輸送体STP13の働きによるものであることもわかりました。 さらに、STP13は植物細胞表面に設置されている病原菌センサーと結合し、リン酸化という修飾を受けることを見出しました。そしてそのリン酸化によって、STP13の糖の取り込み活性が増加するという結果も得られました。以上より、病原菌が侵入してきた際にはセンサーが活性化し、リン酸化によりSTP13の糖の取り込み活性を増加させることで細胞外の糖を回収して細胞の中へ隠していることがわかりました。 [caption id="attachment_3215" align="aligncenter" width="500"] 病原菌が侵入してきた際には病原菌認識センサーが活性化し、リン酸化により糖輸送体STP13の糖の取り込み活性を増加させることで細胞外の糖を回収して細胞の中へ隠している[/caption]

なぜ糖が減ると、病原菌の感染力が弱まるのか?

糖は病原菌の栄養となるため、糖がない状況では、病原菌は増殖しにくくなります。しかし糖の役割は栄養としてのみではなく、細胞のスイッチとしての働きもあることが知られています。病原菌は、宿主の免疫応答を抑える病原性因子を分泌しています。病原性因子は通常は分泌せず、宿主に感染した際にのみ分泌します。植物に感染する細菌の場合は、糖がスイッチとなり病原性因子を分泌するということが知られていました。そこで植物細胞が細胞外の糖を回収することは、細菌の病原性因子の分泌の抑制に繋がっているのではないかと考えました。そして実際に、糖輸送体STP13がリン酸化されて糖の取り込み活性が上昇することで細菌の病原性因子の分泌が抑えられるということがわかりました。 以上の結果より、植物は細胞外の糖を隠して病原菌が糖を摂取しにくい状況を作ることで、病原菌に栄養を与えないようにして、さらには病原性因子の分泌を抑えることで、病原菌の感染力を弱めているということがわかりました。

おわりに

今回は、植物が病原菌に糖を渡さないようにしていることがわかりました。しかし共生菌には、植物は糖を渡していることが知られています。それでは、植物はどのように病原菌と共生菌を区別して、糖を渡したり渡さなかったりの制御をしているのでしょうか? このような点も大変興味深く、今後の研究で明らかにされていくことが期待できます。 参考文献
  • Yamada K, Saijo Y, Nakagami H, Takano Y. Regulation of sugar transporter activity for antibacterial defense in Arabidopsis. Science 354(6318): 1427-1430. (2016)
  • Yamada K, Kanai M, Osakabe Y, Ohiraki H, Shinozaki K, Yamaguchi-Shinozaki K. Monosaccharide absorption activity of Arabidopsis roots depends on expression profiles of transporter genes under high salinity conditions. J. Biol. Chem. 286(50):43577-43586. (2011)
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自然界にある分子モジュールを組み合わせ、人工的な生物分子モーターを創出! https://academist-cf.com/journal/?p=3222 Mon, 16 Jan 2017 01:00:47 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3222 分子マシンとは? 20xx年、とあるメーカーの生産現場では、半導体部品ではなく、大腸菌に作らせたタンパク質部品を試験管の中で混ぜ合わせ、新しい超小型コンピューターの製造を開始ーー。そう遠くない未来に、このような場面が当たり前のように見られるかもしれません。 2016年のノーベル化学賞を受賞した分子マシンの開発は、化学合成技術を駆使して有機分子にナノメートルスケールのスイッチやベアリングを実装し、きわめて小さな分子を操作することで動きや力を作り出すもので、大きな人工機械のミニチュア版を作るという従来の考え方とは一線を画した発想に基づいています。このような技術はまだ基礎研究の段階ですが、将来的には、全く新しい原理に基づいたコンピューターや、生体内で狙った部位にだけ働きかけて治療を行う分子ロボットなど、多様な応用を生むと期待されています。

生物は既に超高性能な分子マシンを持っている

一方で、私たち自身の体をよく見直してみると、ヒトをはじめとした生物自体が未解明の原理に基づいて動くマシンであり、驚くほどの数と種類の分子マシンで出来ていることに気づきます。なかでも、生物分子モーターは、生体内の通貨と呼ばれる ATP(アデノシン三リン酸)を加水分解することで一方向に動く分子マシンで、筋肉の動きや細胞分裂など、生物のほとんどの動きを担っています.実際には、生物分子モーターには、回転モーターと並進モーターの二種類がありますが、ここでは並進モーターについてお話します。 生物分子モーターの大きさは、だいたい数十ナノメートル、つまり、人間の髪の毛の太さがだいたい50-80マイクロメートルですから、そのさらに千分の一という驚異的な小ささです。間違いなく世界で一番小さな自律型マシンでしょう。ここで自律型と言ったのは、生物分子モーターが、自分で周りの環境からエネルギー源である ATP を取り込んで前に進むことが出来るからです。その意味で、これは言わば物凄く小さな自動車です。このような自動車が確実に前に進むことは、実は簡単なことではありません。生物分子モーターが動いているのはナノメートルスケールの世界ですから、水分子が熱運動で激しく動くことによって1秒間に1兆回も衝突してくるような激しく揺れ動く世界であり、言ってみれば竜巻だらけの嵐の中で目的地に向かって運転するようなものです。

生物分子モーターが動く仕組み

生物の教科書を読むと、分子モーターの動作原理が既にだいたいわかっているかのように書いてあります。これまでの研究では、生物分子モーターは、細胞内に張り巡らされた、言わばレールとなる細胞骨格フィラメント構造に結合し、ATPを加水分解する前とした後で、大きく構造を変えるように設計されていて、この構造変化が、テコのような構造によって大きく増幅され、この動きとフィラメントとの結合が巧妙に共役することで、うまく一方向に動いていると説明されてきました。 そうだとすると、私たちは新しい生物分子モーターをデザインして創ることができるはずですが、実際にはこのような精密な動きをタンパク質の中にプログラムすることは困難です。技術的な困難もありますが、それ以上に、どのようにデザインすればよいかというもっとも基本的な指針すら立てられていません。人工機械の設計の考え方からは、ランダムな熱運動のようなものは”ノイズ”であり、大きなエネルギーを投入して抑え込むべきものでしたが、分子マシンのスケールでは、個々の分子に投入できるエネルギーの大きさに対して、熱運動が決して無視できない大きさを持っているのです。

新しい生物分子マシンを創ることで、その設計原理を理解したい

これまでのように、たった1回の進化の歴史の産物である既存の生物分子モーターを分析する研究だけでは、個別の生命活動に適した構造や機能を理解することはできても、ナノメートルスケールにおける一方向性運動の本質に迫ることは容易ではありませんでした。この原理を明らかにするためには、既存の生物分子モーターの分析に加えて、単純な機能を持つ要素を組み合わせることによって、目的とする機能を創り出すような構成的な研究手法が効果的です。 そこで私たちは、もう一度基本に立ち返り、生物分子モーターの主な動作を便宜的に3つに分けて考えてみました。ひとつ目は、レールとなるフィラメントとの立体特異的な結合を行うこと、2つ目は、ATP加水分解により適切なタイムスケールで結合・解離を繰り返すこと、3つ目は、この結合・解離のプロセスのどこかでフィラメントの一方へ動きのバイアスを持つことです。 このような動作をすべて持つ分子マシンを人為的に設計して作りたいのですが、現状では、所望の機能をもつタンパク質モジュールを一から設計して作る技術はありません。そこでまず、これらの3つの要素をもつ機能モジュールを自然界から選び、これを組み合わせることによって生物分子モーターになり得るか、という問いを立てました.

単純な一方向運動には精密なタイミング合わせは必要なかった

私たちは、上記の3つの要素のうち、フィラメントとの立体特異的な結合以外の機能を、生物分子モーターの一種、ダイニンを用いて実現することにしました.具体的には、ダイニンが本来レールとしている微小管との結合部位を、ダイニンとは無関係なアクチンと結合するタンパク質モジュールに置き換えました。 もし、微小管との結合部位がATPを加水分解する本体部分と密接に共役する必要があるならば、まったく無関係なアクチン結合部位に置き換えたときに簡単に運動能を失うであろうと予想されました。ところが、予想に反して、この新規分子モーターはアクチン繊維を滑らかに一方向に動かすことができた、つまり、新しい分子モーターとして十分に機能できたのです。 この結果からは、生物分子モーターの作動原理として従来想像されていたものよりもシンプルな原理の存在をうかがわせます。 さらに私たちは、これらの機能モジュールの立体的な組み合わせ方を変えるだけで、運動方向が逆転したモーターを簡単に作製できることを発見しました。 得られた知見をもとに運動モデルを検討した結果、私たちが作製した新規分子モーターは、熱運動の嵐を乗り越えるためにATP加水分解や結合・解離機能などのタイミングを精密に合わせることで対応しているのではなく、むしろ比較的単純なメカニズムによって、熱運動によるランダムな動きを一方向に整流することで運動を実現しているという可能性を提案しました。

今後の展望

所望の機能を持った新たな分子マシンを設計しようとすると、従来提案されてきたモデルでは難易度が高過ぎます。このようなマシンは数十億年の進化を経なければ不可能だ、と半ば諦めの気持ちも出てきます。しかし、熱運動を一方向にバイアスするだけであれば何とか設計が可能だと考えます。今後も、生物を動かしている分子マシンを真似て新しい生物分子マシンを創ることで、その設計原理を理解したいと考えています。 たとえば、今でこそスマートフォンやGPSナビのような技術が日常的に使われていますが、これは数十年前には誰も真面目に予想していなかったと思います。同様に、今はまだアイディアとして人々の頭にないけれども、数十年もすれば当たり前のように使われる技術の中核に、このような新しく設計された生物分子マシンが存在するかもしれません。
  • 参考文献 A. Furuta, M. Amino, M. Yoshio, K. Oiwa, H. Kojima, and K. Furuta, “Creating biomolecular motors based on dynein and actin-binding proteins.”, Nature Nanotechnology, doi:10.1038/nnano.2016.238 (2016).
  • T. Torisawa, M. Ichikawa, A. Furuta, K. Saito, K. Oiwa, H. Kojima, Y. Y. Toyoshima, K. Furuta, "Autoinhibition and cooperative activation mechanisms of cytoplasmic dynein.", Nature Cell Biology 16(11): 1118-1124 (2014).
  • M. Peplow, "The tiniest Lego: a tale of nanoscale motors, rotors, switches and pumps." , Nature 525(7567): 18-21 (2015).
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【2016年版】世界の学術系クラウドファンディングサイトTOP5! https://academist-cf.com/journal/?p=3262 Fri, 30 Dec 2016 05:08:09 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3262 昨年に引き続き、今年も世界の学術系クラウドファンディングサイトTOP5をご紹介します。(プロジェクト公開数などを指標として、独自の視点で順位付けいたしました。) 第1位:Experiment@アメリカ(1644プロジェクト) 昨年からプロジェクトが800件以上増えているなど、Experimentは今年も絶好調だったようです。ブッチギリの1位です。今年から各種数値を公開しているようですので、そちらも掲載しておきます。 資金調達に成功した案件数は全体の47.1%、プロジェクトサイズが$4,325(約50万円)とのことですので、2016年でだいたい2億円近くのの研究費が研究者に届けられたことになります。これでも科研費の0.1%です。 第2位:Pozible@オーストラリア(約130プロジェクト) Pozibleは学術系に特化したクラウドファンディングではないのですが、そのなかのResearchカテゴリで約130件の研究プロジェクトが掲載されています。昨年末に立ち上げられていたオーストラリア発の「Fund Science」は、残念ながら閉鎖されてしまったようです。 第3位:Science starter@ドイツ(90プロジェクト) ドイツ初の学術系クラウドファンディングサイトです。今年からStartnextというサイトの内部でサービスを展開するようになりました。これまではドイツ語のみだったのですが、現在では英語/ドイツ語の二ヶ国語対応しています。 第4位:academist@日本(37プロジェクト) 昨年からひとつ順位を上げて、academistは今年は第4位です。資金調達に成功した案件数は全体の約80%、プロジェクトサイズも80万円程度と、着実に研究者のみなさんに研究費をお渡しできています。来年末までには、Science starterを抜いて第3位に浮上したいところです。 第5位……といきたいところではあるのですが、学術系クラウドファンディングサイトを運営する団体が他に見当たりませんでした。オーストラリアの「Fund Science」をはじめ、スペインの「I LOVE SCIENCE」、イギリスの「WALACEA」の復帰もあるかなと思っていたのですが、未だサイトは閉鎖中。見逃しているサイトもあると思うので、もしあればぜひご連絡ください!]]> 3262 0 0 0 衛星通信用アンテナを改造し、ペルー初の電波望遠鏡を稼働へ - イシツカホセ博士の挑戦 https://academist-cf.com/journal/?p=3271 Fri, 06 Jan 2017 01:00:14 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3271 「ペルー初となる電波望遠鏡を稼働させ、星の成り立ちに迫る!」において150万円を達成し、セカンドゴールの500万円達成に向けて挑戦中だ。クラウドファンディングで集めた研究費は、一体どのように利用されるのだろうか。またペルーで電波望遠鏡を稼働させる意義とはなんなのだろう。長年、ペルーで天文学の発展に貢献してきたイシツカ博士にお話を伺った。 ーはじめに、イシツカ先生の専門分野について教えてください。 私は天文学のなかでも、電波天文学を専門としています。電波天文学は、電波を利用して天体を観測する学問です。普通の望遠鏡では光(可視光)で天体をみますが、電波望遠鏡を使って、天体が放射する電波を受けとるのが電波天文学です。 たとえば、生まれたばかりの星が存在する星形成領域の場合、チリやガスなどさまざまなものが宇宙空間には漂っていて、星はそのなかで光っています。これを光の望遠鏡でみようとしても、星自体を見ることはできません。地球では、霧があるときにはその中の光がぼやけて見えますよね。それと同じことが宇宙でも起こっているためです。電波は幸いにも、そういった環境を通り抜けます。 特に新しく星が誕生しつつある原始惑星系円盤では、中心の原始星からちょうど、太陽と木星間の距離のあたりで水蒸気やメタノールなどいろんな種類の分子雲があり、この分子雲が星の光を受けて「メーザー現象」を起こします。メーザーは非常に強い電波を放射するので、これを観測できればその星の付近で何が起こっているのかということが間接的にわかってきます。逆にいえば、電波望遠鏡でないとその領域を観測することは難しいといえます。 [caption id="attachment_3328" align="aligncenter" width="500"] イシツカ先生と、ワンカイヨ観測所の電波望遠鏡[/caption] ーイシツカ先生が現在挑戦中のクラウドファンディングプロジェクトでは、電話会社から使用しなくなった通信衛星用のパラボラアンテナを譲り受け、これを改造することで、ペルー初となる電波望遠鏡を稼動させ、恒星の成り立ちにせまろうとされています。どういったきっかけで、ペルーで電波望遠鏡を立ち上げようと思われたのですか。 衛星通信用のパラボラアンテナがペルーのシカヤにできたのは1990年代前半なのですが、2000年ごろに光ファイバーの時代へ移行したため、使われなくなってしまったんです。この衛星通信局は、現在私が所属するワンカイヨ観測所から2キロほど離れたところにあるのですが、当時、この通信局でアルパカを飼っていたらしく、通信局が機能しなくなったためにアルパカをワンカイヨ観測所に譲ろうとしたらしいんです。そのときに、アンテナがもう使われないということがわかって、当時ペルーの首都・リマで仕事をしていた父親から連絡がきました。 私は当時、日本の茨城県鹿嶋にある直径34mの電波望遠鏡を使って研究をしており、ペルーにもそういう電波望遠鏡はないだろうかと考えていたところだったので、父からの連絡を受け、さっそくワンカイヨまで見にいったのがきっかけでした。 ー日本にいらっしゃるときから「ペルーに電波望遠鏡を」と考えておられたのはどのような理由があるのですか。 ワンカイヨは標高が3300mと高く、電波にとっては大気という邪魔なものが少ないため、観測に有利な環境となります。また、電波望遠鏡は、複数を組み合わせて電波干渉計としても利用することができるため、世界の電波天文学にも貢献できるわけです。理由はほかにもあるのですが、この2つのメリットがあるだけでも、ペルーに電波望遠鏡を置くことには十分意味があると思います。 ー衛星通信用のパラボラアンテナを譲り受け、電波望遠鏡へと改造するにあたって、どのような課題がありましたか。 一番大変なのはもちろん資金の問題なのですが、予想外だったのは、電話会社が衛星局の運営を停止し、電気代がかからないよう電源を落とした際に、配線が盗まれてしまったことです。配電線には高価な銅線を使っていたので……。なのでまず、電気を持ってくるというのが大変な仕事のひとつでしたね。 また、電話会社との交渉期間中に、ワンカイヨ観測所の電気の配線や水道の蛇口など、いろんなものが盗まれてしまったんです。すべてがなくなってしまいました。8年間かけて、これらを元に戻すという作業を行い、今年(2016年)の3月ごろに、ようやく衛星通信で使っていたころと同じように、アンテナを動かすことができました。ただし、水道はまだ元どおりではなく、また観測所の近くに置いた変圧器が40日もしないうちに盗まれるなど、厳しい状況は続いています。 [caption id="attachment_3357" align="aligncenter" width="500"] つい先日も、変圧器のある場所の柵が切られ泥棒に侵入された(2016年11月18日撮影)[/caption] ーこうした状況を乗り越えるため、今まさにクラウドファンディングで資金を集め、電波望遠鏡の本格稼動に向けて活動を進められていると思うのですが、ペルーで電波望遠鏡を稼働させる一番の意義は何なのでしょうか。 ペルーの科学は本当にお粗末なもので、そもそも政府がまったく科学の重要性を認識していないんです。ペルーは鉱物をはじめとする自然資源が豊富な国で、今は非常に景気が良いのですが、お金があっても文化や学問がなければ、国として少し悲しいですよね。 なので、自分ができるところでは、天文学の発展に寄与していきたいと考えています。大学や、いろんな学校の天文教育のレベルは今、無いに等しいといえます。子供たちに天文学への興味を持たせて、大学レベルの正しい科学を教えなくてはなりません。 そういった面で天文学は、幅広い範囲で科学の分野をカバーすることができます。宇宙物理学の知識が中心になりますが、それに付随する電波望遠鏡、受信機など装置の技術に関する知識も必要ですし、電子工学にも関係してきます。また、データが取れれば、それを解析するソフトウェアやツールが必要になってきます。中途半端なことをやっていると、世界には勝てません。したがって、装置も科学もソフトウェアも、最先端のものを使わなくてはなりません。研究を行っていくことで、ペルーという国を良くしていきたいのです。 ーイシツカ先生のお父様も、ワンカイヨ観測所でお仕事をされていたと伺いました。 ワンカイヨ観測所は、1922年にワシントンのカーネギー研究所によって設立された、もともとは地球の磁気を測るために作られた観測所でした。地球の磁気は太陽にかなり影響を受けるため、ワンカイヨ観測所には太陽を観測する望遠鏡があったんです。父は当時、そういう装置の面倒を見ながら装置の数を増やし、同時に観測所を作る場所を探すということをしていました。 そうして父は長年かけて太陽観測所を作ったのですが、最終的にはテロによって壊されてしまいました。そう考えると、自分も父とまったく同じことをやっているんだなぁ、と最近よく思うようになりました。父も本当に苦労したんだなぁ、と。 今、ペルーの状況はかなり良くなってはいますが、地道に父と同じようなことをやっていかないと形にはならないと感じています。自分で水道工事などを手伝ったり、意見を言ったりしていかなければ、ことは進まないんですよね。 ーそう考えると、後継者の育成も必要になってくると思います。 そうですね。これから一番重要なのは、若い人たちを育てていくことです。もちろん、電波天文学者がこれから生まれてくるはずなんですが、それと同時に、技術者も育てていかなければなりません。ワンカイヨの人は、頭が上がらないほど、本当によく働きます。彼らをうまく指導していけば、きっと良い結果につながると思っています。 [caption id="attachment_3358" align="aligncenter" width="500"] 電波望遠鏡の追尾システム作製の手伝いを行ってくれている方々。ジェシカさん(左)、ジョシュア君(中央)、スサンさん(右)[/caption] ークラウドファンディングのプロジェクトでは、先日150万円の第一目標をクリアされました。150万円が得られたことで、どのような研究が進展するのでしょうか。 大きなパラボラアンテナを使って衛星通信を行う時代がすぎてしまったことで、世界中に何百と存在しているパラボラアンテナを扱える技術者がいなくなっているんですよね。たとえば私たちが利用しているのは、NECの日本製パラボラなんですが、電波望遠鏡として使っていくうえで、修理やメンテナンスをする人たちは現在、ほとんど存在していないのです。 そこで150万円を使って、アンテナのことをよく知っている方にペルーへ来ていただき、メンテナンスの仕方を教えてもらおうと考えています。私たちは今、パラボラアンテナを電波望遠鏡として機能させるために、パソコンからアンテナに指示を出してさまざまな星の方向に向ける追尾システムを導入しているところです。このインターフェイスを開発していくなかで、アンテナについてわからないことがいくつか出てきているので、日本の技術者に細かいところを指示してもらって、電波望遠鏡を完成させたいのです。 ー現在はセカンドゴールといった形で、500万円の達成を目指されています。追加の350万円はどのような用途に利用される予定ですか? 電波望遠鏡を動かすのには電気代がかかります。しかしながら、ペルー地球物理学研究所の天文部は予算が非常に限られており、今の状況では1日2時間くらいしか観測ができない可能性があります。すると、せっかく立ち上げた電波望遠鏡が使えないということになってしまうので、残りの350万円で不足している電気代を補うということを考えています。良い装置を持っていても、やはり観測できなければ意味はありません。できれば、24時間観測して結果を出して、最終的には論文を書くというところが目標ですね。 * * * イシツカ先生のクラウドファンディング・チャレンジ、現在支援総額1,536,920円、達成率102%です。みなさんのご支援をお待ちしています! (取材・構成:宮内諭、柴藤亮介/文:周藤瞳美)]]> 3271 0 0 0 【2016年版】academist Journal PV数ランキングTOP10! https://academist-cf.com/journal/?p=3302 Sat, 31 Dec 2016 02:00:04 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3302 1位 カラスは食べられるのか!? – 私がカラス食を研究する理由 https://academist-cf.com/journal/?p=394 年間第1位に輝いたのは、総合研究大学院大学 塚原直樹先生による寄稿記事です。昨年公開された記事なのですが、圧倒的な強さ……! カラス食に興味のある方は、意外と多いということなのでしょうか?

2位 集団を絶滅させる”裏切りアリ”の謎に挑む – 京大・土畑重人博士

https://academist-cf.com/journal/?p=2425 「アミメアリ」というアリには、働かずに卵だけを産んでいる"裏切りアリ"がいるようです。アリに着目して進化生態学を研究している京都大学・土畑重人博士へインタビューを行いました。

3位 霊長類の脳が大きいのはヘビのせい? – 「ヘビ検出理論」の真偽に迫る

https://academist-cf.com/journal/?p=2510 ヘビを見たことのないサルでもヘビをすばやく見つけることなどから、霊長類はヘビを検出するために脳を大きくしたとの「ヘビ検出理論」が提唱されています。にわかには信じられない学説にも思えますが……。

4位 賢いひとは脳にシワが多いの? – フェレットを用いて脳のシワ形成の謎に迫る

https://academist-cf.com/journal/?p=1361 「賢いひとは脳にシワが多い」という話を聞いたことはありませんか? しかし、このシワについては意外にもわかっていないことが多いのです。フェレットを用いて脳にシワができるメカニズムについて研究されている金沢大学医学系脳神経医学研究分野の河崎洋志教授からご寄稿いただきました。

5位 「分子を世界で一番”ぶっ壊せる”人になりたい」 – 早稲田大・山口潤一郎准教授

https://academist-cf.com/journal/?p=1892 世界的な研究成果を次々と発表しつつ、化学系ポータルサイト「Chem-Station」の代表としても活動されている有機合成化学者 早稲田大学・山口潤一郎准教授のインタビュー記事です。分子を"ぶっ壊す"とは一体どういうことなのでしょうか。

6位 iPS細胞で脊髄損傷が治る? – 再生医療を実現するための三位一体の治療戦略とは

https://academist-cf.com/journal/?p=1337 慢性期脊髄損傷患者さんへの再生医療の実現化を目指している、慶應義塾大学医学部リハ医学教室の田代祥一先生。薬物療法、リハビリテーション、細胞移植を用いた三位一体の治療法を目指されているその背景には、実用化に向けた厳しい現実があるようです。

7位 絶滅の危機にある希少種がなぜか大量発生! – 生態系に改変をもたらす動物とは

https://academist-cf.com/journal/?p=187 火入れや草刈り、放牧などといった人間活動によって、常に草原が維持されている「半自然草原」は現在、危機的な状況にあるといわれています。しかし、半自然草原には秋の七草として有名なキキョウ、オミナエシ、カワラナデシコなどといった美しい花々が咲きます。これらの半自然草原植物を保全していくための研究を進める中浜直之さんからご寄稿いただきました。

8位 今、うんちの化石がアツい?! − 名古屋市科学館の「恐竜・化石研究所」でティラノのうんちとご対面してきた

https://academist-cf.com/journal/?p=782 今年3月から6月に名古屋市科学館で開催された特別展「恐竜・化石研究所」では、世界最大のティラノサウルスのうんち化石が展示されていました。この特別展の企画者である西本昌司学芸員にお話をきいてきました。

9位 文学のなかの〈恐竜〉を求めて(前編)

https://academist-cf.com/journal/?p=1349 20世紀初頭のアイルランドの作家、ジェイムズ・ジョイスの自伝的小説『スティーヴン・ヒアロー』の中に突如として登場する大型海棲爬虫類『プレシオサウルス』。どうしてジョイスは当時誰も見たことがないと思われる首長竜を描写することができたのでしょうか? 南谷奉良さんより、無数の一次資料や希少文献からある歴史的事実や表現の系譜を発掘する手法をご紹介いただきました。

10位 オープンサイエンスとは何か?多様な視点からその正体に迫るイベントが京都で開催

https://academist-cf.com/journal/?p=673 「オープンサイエンス」とは理論物理学者マイケル・ニールセン氏が書籍『オープンサイエンス革命(紀伊國屋書店)』にて提唱したもので、インターネットを活用し研究データを一般の人に公開することで、科学研究を効率的に発展させる動きのことをいいます。今年1月に、オープンサイエンスをすでに実践、これから実践しようとしている研究者、大学、民間企業が勢揃いし、それぞれの視点からその正体に迫るワークショップが京都にて開催されました。 * * * 来年もみなさんに読んでいただける記事を掲載していきたいと思います。ひきつづき、academist Jounalをどうぞよろしくお願いいたします。]]>
3302 0 0 0 カラスは食べられるのか!? – 私がカラス食を研究する理由]]> 集団を絶滅させる”裏切りアリ”の謎に挑む – 京大・土畑重人博士]]> 「分子を世界で一番”ぶっ壊せる”人になりたい」 – 早稲田大・山口潤一郎准教授]]> 賢いひとは脳にシワが多いの? – フェレットを用いて脳のシワ形成の謎に迫る]]> 霊長類の脳が大きいのはヘビのせい? – 「ヘビ検出理論」の真偽に迫る]]> iPS細胞で脊髄損傷が治る? – 再生医療を実現するための三位一体の治療戦略とは]]> 絶滅の危機にある希少種がなぜか大量発生! – 生態系に改変をもたらす動物とは]]> 今、うんちの化石がアツい?! − 名古屋市科学館の「恐竜・化石研究所」でティラノのうんちとご対面してきた]]> 文学のなかの〈恐竜〉を求めて(前編)]]> オープンサイエンスとは何か?多様な視点からその正体に迫るイベントが京都で開催]]>
【2017年編集長挨拶】あけましておめでとうございます https://academist-cf.com/journal/?p=3310 Sun, 01 Jan 2017 02:00:49 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3310 あけましておめでとうございます。 2017年の門出にあたり、読者や研究者のみなさまをはじめ、関係各位より賜わりました 旧年中のご支援、ご厚情への深い感謝と共に、新年のご挨拶を申し上げます。 academist Journalは2015月10月、学術系クラウドファンディングサイト「academist」のオウンドメディアとして創刊し、第一線で活躍されている研究者の方々の寄稿記事やインタビューを中心に、最先端の研究や、研究者の方々の魅力を伝えてきました。 2016年は、研究者のみなさんからの寄稿記事や協力してくれるスタッフが増えてきたこともあり、academist Journalにとって飛躍の年になりました。徐々に記事本数も増え、さらにその中から数々のヒット作も生まれてきています。 academist Journalが目指しているのは、「研究者が主役となるメディア」です。編集者と研究者がタッグを組むことで、あくまで主役は研究者となるような一般向けの科学メディアがあってもいいんじゃないか、という思いで立ち上げました。研究者のみなさまのご協力のもと、ようやく形になってきたと感じています。今後のacademist Journalにもぜひご期待ください。 本年も、より一層のご高配を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 academist Journal 編集長 周藤瞳美 ]]> 3310 0 0 0 「痛み」をなくすことはできるのか? - 疼痛関連因子 "ネトリン4" の発見 https://academist-cf.com/journal/?p=3319 Wed, 11 Jan 2017 01:00:35 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3319 慢性の痛みと創薬 ケガや病気のあとに1~3か月以上続く「慢性の痛み」をもつ患者さんは、近年の国内調査では人口の14~23%、約2000万人近くにのぼるとされ、世界規模では15億人以上もの人々が慢性疼痛に苦しむとの推計もあります。また米国では、慢性疼痛による経済的損失が約9兆円と推測されるなど、大きな社会問題となっています。一方で、現在の治療に満足する患者さんは1/4程度に過ぎず、効果があり副作用の少ない治療薬の開発が待ち望まれています。 神経の痛みである「神経障害性疼痛」とは、何らかの原因により神経が障害され、神経が異常な興奮をすることで起こる痛みです。神経損傷、糖尿病、脳卒中などの病気が原因で、慢性的な痛みを引き起こし、重症かつ難治となります。 皮膚や内臓からの感覚情報は、末梢神経を伝って脊髄に到達します。感覚情報は、脊髄の後角という部位において統合され、二次痛覚神経を伝って脳に至り、痛みとして感じます。神経障害性疼痛は、主にこの脊髄後角の神経が異常に興奮することで起こると考えられています。 慢性疼痛の病態機構はいまだ多くが未解明ですが、実際にはさまざまな機序が複雑に絡み合っているのではないかと考えられています。これまでに新規の疼痛治療薬を目指した研究開発が行われてきたものの、成功した例は少なく、克服困難な課題と考えられてきました。その原因のひとつとして、標的とされてきた疼痛の機序が、実際の患者さんが経験している疼痛に対して部分的にしか寄与していなかった可能性があります。 一方で、現在使われている中枢神経に作用する薬剤に関して得られた知見から、中枢神経系での痛み伝達の遮断や減弱が、有効な鎮痛方法であると考えられてきました。しかしながら、このような薬剤には、めまいや眠気、依存などの副作用が認められます。これらを回避するとともに鎮痛効果を発揮する優れた新規創薬コンセプトは、未だ新薬として実現していません。

痛み分子ネトリン4の発見

今回、私たちの研究グループは、痛み情報の伝達や中継に重要な部位でありながら、その機能が良くわかっていなかった脊髄後角に注目しました。上図で示したように、この部位には痛み情報を末梢神経から二次痛覚神経に伝達する「介在ニューロン」があります。先述のように、介在ニューロンは、感覚情報を統合する役割を担っています。私たちは、この介在ニューロンによる痛みの増幅に関わる分子や、そのメカニズムを明らかにしました。 私たちは、ラットやヒトの脊髄後角の介在ニューロンだけに発現している因子を探索していたところ、ネトリン4(Netrin-4)という分子を見つけました。 さまざまな種類の介在ニューロンのうち、Central cellsというタイプのニューロンに特異的にネトリン4が発現していました。ネトリン4は、細胞外に分泌されるたんぱく質で、介在ニューロンから分泌されて、他の神経細胞に影響を及ぼすと考えられました。ではネトリン4は、どのような機能を持っているのでしょうか? この疑問に答えるために、「脊髄後角におけるネトリン4がなかったらどうなるか?」という実験を行いました。具体的には、ネトリン4遺伝子を欠損するラットを用いて痛みの反応を観察しました。通常のラットでは、末梢神経を障害すると、普通では痛みを引き起こさない刺激によって痛みを生じる痛覚過敏といわれる症状が起こりますが、ネトリン4を欠損したラットではその症状が起こりませんでした。また、末梢神経が障害され痛覚過敏の症状があるラットに、ネトリン4の機能を抑制する抗体やネトリン4の発現を抑える核酸(siRNA)を投与すると、持続的かつ強力な鎮痛効果が見られました。 これとは逆に、ネトリン4を脊髄内に投与すると、痛覚過敏が起こりました。また、神経障害性疼痛のみならず、炎症により引き起こされる疼痛を引き起こしたラットにおいても、同様の鎮痛効果が観察されました。以上より、ネトリン4は痛みの発症の原因となる物質であることが分かりました。 さらに、脊髄後角の介在ニューロンから分泌されるネトリン4は、痛みを伝える二次痛覚神経に発現するUnc5B受容体に結合することで、この神経に神経興奮を引き起こし、上図のように、神経障害性疼痛を発症させることが分かりました。これによりネトリン4によって痛みが増幅されるメカニズムが明らかになりました。

治療薬の開発へ

これまでの研究で、新規の疼痛関連因子であるNetrin4が脊髄介在ニューロンに特異的に発現し、痛みを惹起する役割を担うことを突き止めました。Netrin4を欠損した動物は、神経障害性疼痛や炎症性疼痛を発現せず、複数のラット疼痛病態モデルにおいて、抗体や核酸を用いてNetrin4を一過性に阻害しても、持続的で強力な鎮痛効果を示しました。また一方で、中枢性副作用などを認めませんでした。これはNetrin4阻害剤が、既存薬では治療しきれない多くの慢性疼痛患者さんにおいて、高い有効性と安全性を両立させた画期的な疼痛治療薬になる可能性を示しています。 参考文献
  • Hayano, Y., Takasu, K., Koyama, Y., Ogawa, K., Minami, K., Asaki, T., Kitada, K., Kuwabara, S. and Yamashita, T. (2016) Dorsal horn interneuron-derived Netrin-4 contributes to spinal sensitization in chronic pain via Unc5B. J. Exp. Med. 213, 2949-2966.
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世界最小の人工バネで、タンパク質の動きを捉える! - 生命科学研究を促進する新しいツールが誕生 https://academist-cf.com/journal/?p=3344 Fri, 13 Jan 2017 01:00:10 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3344 ナノの世界の動きを観て操作する ナノメートル(1ナノメートル=1億分の1メートル)の世界は、私たち人間の世界とどのくらいのサイズの違いがあるか想像できますか? たとえるならば、地球とテニスボールくらいの大きさの違いがあります。ですので、ナノの世界を人間が観たり触ったりすることは、自分が地球の大きさになって、地球上で行われているテニスの試合を観戦し、テニスボールを掴むようなことをしていると言えます。 私たちの体の中のナノの世界は、水中で多種多様なタンパク質がうごめいています。このタンパク質1個1個の動きを観る、もしくは、1個を捕まえて力を加え、その反応を観ることは生命の研究にとても大事なことで、先人たちの努力により、特殊な顕微鏡、レーザー、超高感度カメラや画像解析技術などを用いて実現されています。しかしながら、タンパク質の動きを観ながら力を加え(触る)、その応答を観るという一連の操作を同時にこなすことは、現在の最先端技術を用いても難しく、できたとしても、非常に限られた条件、極端に低い実験成功率になってしまい、ナノの世界の理解をおおきく阻んでいます。そこで私たちは、タンパク質に力を加えるためのナノスケールデバイス、「ナノスプリング」を開発し、力が加えられたタンパク質の動きを詳細に観察する技術を生みだしました。

世界最小の人工バネ「ナノスプリング」の開発

タンパク質1個の動きを観ながら力を加えるという実験のこれまでの問題点は、「観るための装置」と「力を加えるための装置」がタンパク質よりも格段に大きく、たとえるならば、地球サイズの「観る装置」と「力を加える装置」を同時に使って、テニスボールの動きを観て操作しようとしているところにあります。すると、装置の物理的干渉や、実験条件の厳しい制約、実験の複雑化などが起こります。そこで私たちは、「力を加えるための装置」をタンパク質サイズにまで微細化したシンプルなツールを作成することにしました。 私たちが開発した装置は、世界最小のコイル状人工バネであり、ナノスプリングと名付けました。生体分子であるデオキシリボ核酸(DNA)を材料としています。DNAは4種類の塩基からなるポリマーであり、二重らせんの丈夫な構造をとることができます。この二重らせん構造を1本の紐に見立て、編み物を織るように二重らせんを束ねてさまざまな形状のナノ構造物を作成する技術「DNAオリガミ」が、2006年にRothemundによって開発されました。私たちはこの技術を応用して、図1(a)に示したような、3次元的なコイル形状を持つナノ構造物の作成に成功しました。ポイントのひとつは、DNAの二重らせんを束ねるときに、複数か所に微小な構造歪みを持たせて空間的に均一に曲げる設計をすることであり、DNAオリガミ技術を用いてこれまでに作成されたナノ構造物にはなかったコイル形状を生みだすことができました。基本的なサイズとしては、コイル直径が30ナノメートル、長さが100~1000ナノメートルですが、コイル直径、長さや巻き数は設計次第で、ある程度変更することができます。 [caption id="attachment_3347" align="aligncenter" width="500"] 図1:ナノスプリングの概要とバネ定数の測定。(a) フォトリソグラフィーや集束イオンビームなどを用いた微細加工技術の限界を超えた、タンパク質サイズのコイル状人工バネをデザインした (b)光ピンセット法を用いたナノスプリングの引っ張り実験の模式図。ナノスプリングの一端をガラス固定して、もう一端を蛍光ビーズラベルし、高出力近赤外レーザーで捕捉した[/caption]

ナノスプリングはバネとして機能するのか?

実際にバネとして機能するかどうかを、図1(b)のように、高出力レーザーで微粒子を捕捉・操作する技術「光ピンセット法」を用いて物性評価を行いました。自然長が300ナノメートルのバネを1000ナノメートルまで伸び縮みさせて力を計測すると、数ピコニュートン(1ピコニュートン=1兆分の1ニュートン)の範囲で、伸びと力が比例関係をもつ線形バネに近い性質を示しました。私たちの最初の目的は、細胞内のタンパク質が生理的に感知する力である数ピコニュートンの力に対する分子応答を観察することでしたので、設計どおりの物性を持たせることができたと言えます。 ナノスプリングの最大の利点は、バネ定数を自在に変更できるプログラム能力です。バネとして機能し得る弾性体分子は多く存在しますが、対象に合わせて形状やバネ定数をチューニングするのは困難でした。また、コイル形状を持たせることで、線形バネに近い物性を持たせることできました。加えて、ナノスプリングの材料となるDNAは化学修飾が容易ですので、さまざまな生体分子や無機分子と連結が可能であり、広い応用範囲を持つと考えられます。

モーター分子にナノスプリングを引っ張らせる

生体における“機械的な力”の役割と仕組みを解明して、発生やがん、再生医療などの臨床的課題の解決を目指す分野をメカノバイオロジーと呼んでいます。その中心課題のひとつが、メカノセンサータンパク質と呼ばれる、力に応答して機能変調する分子の仕組みを調べることです。私たちは、メカノセンサータンパク質の一種であるミオシンVIという分子とナノスプリングを連結して、ミオシンVIの動きを観察しました。ミオシンVIは、動くタンパク質(モーター分子)として知られており、アクチンフィラメントと呼ばれる数珠上のタンパク質上を一方向に運動します。観察の結果、図2のようにミオシンVIの動きによりナノスプリングが引き伸ばされて、徐々に大きな力がかかるのが蛍光観察できました。 [caption id="attachment_3348" align="aligncenter" width="500"] 図2:ナノスプリングを蛍光ラベルし、ミオシンVI分子1個に引っ張らせてバネの伸び縮みを蛍光顕微鏡観察した。ミオシンVIが結合していないほうのバネの一端はアクチンフィラメントに結合するタンパク質がラベルしてある。ミオシンVIがバネを引き伸ばし、アクチンフィラメントからはずれるとバネが縮む(赤矢印)のが繰り返し観察された[/caption] その後、ミオシンVIの生み出す最大力とバネの力が釣り合うと停止し、ミオシンがアクチンから解離することでバネが縮むのも観察できました。観察方法の詳細やミオシンVIの力に対する応答機構および生理的意義は参考文献に譲りますが、ミオシンVIの動きと機能が力に応答して変化していく様子が、図3のように、初めて直接観察されました。 [caption id="attachment_3349" align="aligncenter" width="500"] 図3:ナノスプリングが連結されたミオシンVIに2色の蛍光の目印をつけて、その動きを1ナノメートルの精度で超解像蛍光イメージングした。ミオシンVIが歩くような動きをしながらバネを伸ばし(点線四角内の「歩行運動」)、最大力付近で歩幅を狭めてアクチンにアンカーする(点線四角内の「アンカー結合状態」)のが観察された[/caption] このように、ナノスプリングは単なる極小のおもちゃではなく、生命科学研究において有用なツールとなることが示されました。

おわりに

今回のナノスプリングの応用としての出口は生命科学分野であり、生命科学分野でよく使われる超解像蛍光顕微鏡・電子顕微鏡や原子間力顕微鏡との併用によって、メカノバイオロジーに必須のツールになると期待しています。今後、光などの外部刺激によって、ナノスプリングを伸展させたり短縮させたりできるようになると、能動的に力の調節をすることが可能となります。さらには、細胞内や細胞間にナノスプリングを組み込むことで、生命の発生過程における細胞集団や組織の形態形成の力場イメージングや力学制御が可能となるため、現在研究を進めています。生命科学分野以外でも、DNAにさまざまな化学修飾を施すことで、生体分子以外にも、化学合成された機能性分子(ナノマシンとも呼ばれ、2016年のノーベル化学賞の受賞対象)との連結によって極微細な動力システムへの利用、金ナノ粒子をナノスプリングに沿ってコイル状に配置させることによって、極小のコイル状金属配線などへの応用も考えられます。 参考文献
  • P.W. Rothemund: Nature, 440, 297-302 (2006)
  • 岩城光宏、ポリヌクレオチドを用いたコイル及びその製造方法(特許第6041306号)
  • M. Iwaki, S.F. Wickham, K. Ikezaki, T. Yanagida, W.M. Shih: Nat. Commun., 7, 13715 (2016)
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スカイツリーと氷河はつながっている? その答えは「微生物」に - 国立極地研究所・植竹淳研究員 https://academist-cf.com/journal/?p=3373 Tue, 17 Jan 2017 03:00:55 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3373 現在クラウドファンディングに挑戦中の国立極地研究所・植竹淳研究員は、氷河微生物生態学を専門としており、世界各国の氷河を訪問し、現地の微生物の調査研究を行っている。一方で、今回の研究プロジェクトは、東京スカイツリーの地上高458m地点で微生物を集めてそれらの種類を明らかにするという、氷河とは一見関係のなさそうな研究である。スカイツリーと氷河の接点は、どのようなところにあるのだろうか。

[caption id="attachment_3374" align="aligncenter" width="500"] 国立極地研究所・植竹研究員[/caption]

ー国立極地研究所に「極地」という言葉が含まれているのですが、そもそも「極地」とは何を指しているのでしょうか。

一般的には、北極と南極を指すことが多いです。ただ、広義の意味では、第三の極地として「高山」が含まれることもありますね。

ー実際、どのような国の極地に訪問されたのでしょうか。

ロシア、中国、アメリカ、ブータン、チリ、コロンビア、ケニア、ウガンダ、ノルウェー、デンマーク(グリーンランド)……くらいですかね。インドネシアにはまだ行けていないので、そのうち行きたいとは思っています。

ー極地での作業内容について、教えてください。

研究をはじめたころは、アイスコアという筒状の昔の氷を掘削していました。アイスコア中の微生物に注目して、100年から1000年スケールの気候変動を復元しようとする研究を進めていたのですが、さまざまな微生物を見ているうちに、実際に生きている微生物に興味が湧いてきたんです。氷河表面には、たくさんの微生物がいることに気付いたので、アイスコアの研究と並行しながら氷河の微生物の観察を進めていました。

ー氷河に微生物がいるかどうかって、肉眼でわからないような気がするのですが……。

それが、わかるんですよ。微生物のいる場所って、黒っぽくなっているんです。この色は、微生物が作った有機物を、他の微生物が分解することでできた腐植の色です。私は微生物の生息するところがすごく気になってしまい、一般的に美しいと言われている氷河の写真を見ても、汚いところばかりに目がいってしまうんですよ(笑)。

ー植竹先生の専門とする「氷河微生物生態学」は、何を明らかにする分野なのでしょうか。

たとえば、微生物活動で氷河に黒っぽい部分が増えると、太陽光の反射率が低下するので、氷の減少が顕著になると考えられています。このように微生物が引き起こす氷河の環境変化を調べる研究もあれば、微生物群集構造そのものの変化や、微生物どうしのコミュニケーションに注目する研究も考えられています。また、光の届かない氷河の内部には、酸素のない状態で生きられる微生物がいて、氷河内部の岩を風化させたりしています。氷河表面と氷河内部において、微生物の振る舞いや微生物が生態系に及ぼす影響を研究する分野が「氷河微生物生態学」であると私は考えています。

ーその分野が、スカイツリーでの研究と結びつくということなのでしょうか。

そうですね。氷河は年々移動していき、氷がなくなった場所はやがて土壌になります。その土壌が乾燥すると、土壌を構成していた微生物たちは風に乗って別の場所に移動し、雨や雪と一緒に地面に落ちるはずです。つまり氷河は、その周辺だけではなく、遠くの微生物生態系に何かしらの影響を与えたり、または与えられたりしているのではないかと考えられるんですよね。

これを検証するためには、氷河の上でも大気を捕集し続ける必要があるのですが、極地の大気に含まれる微生物量は少ないため、十分な微生物が捕集できない可能性があります。また僻地ということもあり、電源の確保が難しいという問題も生じてしまいます。将来的にはそういう研究も進めていきたいのですが、そもそも私たちの住む街の大気に含まれている微生物についてすら、あまり研究が進んでいないのが現状です。そこでまずは人の集まる都会でやってみようと考え、スカイツリーでの研究を始めました。

ースカイツリーのような高い場所の空気を集める理由について教えてください。

スカイツリー上空458m地点には、長距離輸送されてくる微生物が多いのではないかと予想しているからです。長距離輸送された微生物と、海や山から飛んできた微生物が混ざったものを確保できる場所が、スカイツリーだと考えています。

ー微生物をどのように捕まえ、分析するのでしょうか。

1分間に15リットルの空気を、72時間継続して引っ張ります。そこで吸引した微生物の全てが、設置したフィルターの上に乗っているということになります。その後、フィルターごと溶液に入れて、物理的に壊します。まず、小さなガラス玉が入ったチューブに、フィルターを入れます。チューブを振ると、玉がボコボコと試料に当たって、細胞やフィルターが破砕されます。そして溶液中に出てきたDNAを抽出して、遺伝子を増幅し、増幅した遺伝子を次世代シーケンサーという装置で読んで、微生物種の割合を予想していきます。

ー微生物種の割合がわかったとすると、どのようなことが言えるのでしょうか。

それは、出たとこ勝負です(笑)。得られた情報から、何に価値があるのかを見つける必要があります。たとえば、捕獲された微生物種の時間変動や、温度、風向きなどのような環境データを利用して、特定の微生物種が春に多いのか、冬に多いのか、あるいは両方なのか、というようなタイプ分けをすることができたりします。それを評価するための準備も同時に進めていきます。

ー今回、植竹先生と一緒に研究体験できるリターンがありますが、どこまで一緒に進められるのでしょうか。

遺伝子を抽出し、増幅するところまでは試していただけるかなと思います。次世代シーケンサーで遺伝子を読むところも一緒にできれば良いのですが、この作業は一発勝負なんです。試薬をひとつ買ったら、一回で終わるハイリスクな作業になるので、そこは私たちが担当します。

ー研究者と一緒に研究ができる点が面白いですよね。

研究で解明されたことを伝えるよりも、一般の方々からのフィードバックをもらいながら進めていきたいです。たとえば、個々の家庭からのアンケートをとることで、どのような条件で家庭内の微生物叢が決定されるのかわかるようになるかもしれません。そのためには、世帯に何人住んでいるのか、男女比はどうか、ペットはいるか、部屋の掃除は何日置きにしているのか、掃除機は何を使っているのか、空気清浄機は使っているか、換気扇はどの頻度で使っているか、窓は一日どれくらいの頻度で開けているのか……、細かいところまで聞く必要があります。

ーたしかに、そこまでデータを取らないと意味がなさそうです。

逆にその辺りの情報が集まれば、窓を頻繁に開ける人のところには実は外から微生物が入ってきていますよとか、空気清浄機はあまり意味ないですよとか、そういうことがわかるようになります。また、部屋の中にいる微生物の半分は居住者由来で、残りは外から入ってきているのではないかと思うので、日本の南から北まで満遍なく調べることができたら、外から入った微生物の地理的分布を見ることができます。実験量は膨大になるので、今のところはただの妄想ですが、インパクトがあり意義のある研究になると思います。まずは第一歩となる実験を、クラウドファンディングを通じて成功させたいですね。

ー今後、実現していきたいことがあれば、教えてください。

氷河と大気の両分野で研究しているので、両者をつなぐ全球的な研究を行いたいです。グリーンランドのような極地であろうとアフリカのような熱帯であろうと、氷河は温度が低く保たれ、栄養も少ないなど、共通した特徴を持ちます。地球全体をふわふわと舞っていた微生物たちが、落ちた先の氷河のタイプでセレクションされて、たとえばある国ではこの種の微生物が増えるけど、こちらの国では増えないというようなことを調べることができるので、氷河は研究を進めるうえで理想的な環境であると考えています。このような大気の研究は、まだまだ発展途上なのですが、方向性としてはズレていないと思うので、今の課題を拡大させてもっと大人数で取り組んでいきたいです。

ーテクノロジーの進化も、研究を後押ししそうですよね。

そうですね。今使っている次世代シーケンサーを用いる研究スタイルは、5年前にはなかったものです。これから5年後には、今時間をかけていることがすぐ実現できる可能性は大いにあり得ます。ただひとつ変わらないのは、微生物を採取するという行為です。たとえば、ロボットが微生物を1000件の家で採取するということは、まだなかなか考えにくいですよね。スカイツリーでの実験にしても、24時間連続で大気を集めることは、効率化で時間の短縮などできませんし。

となると、どこでどのようなサンプルをどの程度捕獲するのかというような、サンプリング戦略の立て方が、これからのフィールド研究で重要となると考えています。違いが出るところで実験を行う必要があるんです。もしかすると今回の私の研究も、「極地研なのにスカイツリーで研究やってるよ……」と思われているのかもしれませんが、自分の頭のなかでは、氷河と大気のつながりは間違いなくあるので、これをちゃんと可視化をして、データで示していきたいと思っています。

研究者プロフィール:国立極地研究所、国際北極研究センターで特任研究員として勤務しております。南極、北極及び世界各地の高山をフィールドに、氷河に生息する微生物たちとそれらが引きを越す環境への影響などをメインの研究テーマとしています。最近、熱帯から極域まで様々な地域を旅して、見つけてきた微生物に関するエピソードを著書にまとめました。

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細胞の運命を巻き戻す遺伝子を発見! - 生命と生命をつなぐ仕組みの一端が明らかに https://academist-cf.com/journal/?p=3406 Mon, 23 Jan 2017 01:00:26 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3406 生命の連続性を担う唯一の細胞、生殖細胞 私たちの生はたったひとつの卵にひとつの精子が受精した瞬間に始まりますが、不可逆的な時間経過により恒常性を保つことが困難となった個体は最終的には必ず死へと向かいます。受精卵から生み出される約37兆個、200種類以上の細胞のほとんどは死へ向かう運命にあり、そのなかで唯一、卵・精子の元となる始原生殖細胞へ変化した細胞のみが次世代を再生産することができます。一世代限りの儚い運命の「体細胞」、そして世代を超えて永続的に存在し、種の連続性を維持する「生殖細胞」。なぜ生殖細胞だけにこのような特殊な能力が備わっているのでしょうか? 生殖細胞は、「すべての細胞へ変化できる能力」、「遺伝情報の多様化」、「ゲノム情報の安定性」など体細胞にはない特殊な能力を持っていますが、私たちはそのなかでも「すべての細胞へ変化できる能力」、専門用語で多能性と呼ばれる能力に着目して研究を行っています。

始原生殖細胞によるエピゲノム情報の初期化と全能性

ヒトを含む哺乳動物において、受精卵は生殖細胞を含む体を構成するすべての細胞の供給源である内部細胞塊と胎盤の起源である栄養外胚葉へと分化します。その後マウスの場合、内部細胞塊はエピブラストと呼ばれる細胞へと分化しますが、体軸に沿って前方に存在するエピブラストと後方へ存在するエピブラストでは、分化できる細胞系譜が異なっているため、この時点でエピブラストはすでにすべての細胞へ変化できる能力、いわゆる多能性は消失しているといえます。始原生殖細胞は、後方のエピブラストのなかでも栄養外胚葉から分化して生じた胚体外外胚葉と接する特殊な環境で作られ始め、その後原腸陥入に伴った細胞移動により形成の場を胚体外中胚葉と呼ばれる胚体外領域へ移します。このように特殊な環境に”偶然”位置した数個から数十個のエピブラストのみが次世代を再生産する権利を獲得し、残りのエピブラストは最終的には死んでいく体細胞へと分化するわけです。 [caption id="attachment_3407" align="aligncenter" width="600"] マウス初期胚における生殖細胞形成様式[/caption] この運命の分かれ道の瞬間から、始原生殖細胞では次世代を再生するために必要な「初期化」と呼ばれる現象が始まることを博士課程の頃に見つけました。生殖細胞研究を始めた当時、遺伝子の付箋紙のような役割を担う、DNAのメチル化やヒストン修飾に関する研究が爆発的に進みつつありました。次世代においてすべての細胞へ分化するためには、少なくともすべての遺伝子を活用できる仕組みが必要です。そこで、始原生殖細胞では遺伝子発現を封じこめる安定的なゲノム修飾が体細胞とは決定的に異なる挙動を示すのではないかと考え、始原生殖細胞のエピゲノム状態やエピゲノム制御因子の発現を調べ続けました。その過程で、安定的な遺伝子発現の抑制に関わるDNAのメチル化とヒストンH3K9(N末端から数えて9番目のリシン残基)のジメチル化が始原生殖細胞だけで消失していき、その直後により柔軟で可塑的な抑制修飾であるH3K27のトリメチル化が上昇することを発見しました。このような現象に基づいて始原生殖細胞による初期化の正体は「遺伝子発現の安定的な抑制修飾から可塑的な抑制修飾への変換(エピゲノムリプログラミング)」であると提唱し、近年次世代シーケンサーを用いた全エピゲノム解析によって、その正しさが裏付けられつつあります。 [caption id="attachment_3408" align="aligncenter" width="600"] 始原生殖細胞によるエピゲノム情報の初期化[/caption]

始原生殖細胞の形成に重要な因子、PRDM14

では、なぜ始原生殖細胞のみでこのような大規模なエピゲノム情報の再編集が起こるのでしょうか? 私は、始原生殖細胞のみで発現するエピゲノム制御因子のスクリーニングを行い、PRDM14と呼ばれる分子がES細胞の起源である内部細胞塊と始原生殖細胞のみに発現することを発見しました。当初この分子は始原生殖細胞で起こるH3K27のトリメチル化の促進に関与していると考えており、遺伝子欠損マウスでは始原生殖細胞は形成されるが、エピゲノムリプログラミングが破綻し、減数分裂の開始や次世代で異常が起きると想定していました。ところが、蓋を開けてみると始原生殖細胞の初期分化の異常により、雌雄ともに不妊になることがわかりました。始原生殖細胞は体のなかでは卵と精子のみに分化できますが、体外に取り出し3種類のサイトカイン(bFGF, LIF, SCF)の存在下で培養するとES細胞とほぼ同じ性質を持つ胚性生殖細胞(EG細胞)へ脱分化することが知られています。Prdm14を欠損した始原生殖細胞ではiPS細胞の作製にも用いられるSox2及びKlf2の発現が低いことを突き止めていたので、EG細胞への脱分化能を検証しました。その結果、野生型始原生殖細胞はEG細胞へと脱分化しましたが、Prdm14を欠損した始原生殖細胞はEG細胞への脱分化能を消失していました。予想外なことにPRDM14はエピゲノムの初期化の直前に起こる潜在的多能性の獲得に極めて重要な因子ということが明らかになったわけです。

PRDM14による細胞運命の巻き戻し

遺伝子欠損マウスの解析は、どのような現象にどのような分子が関与しているのか? その問いに対しては明確な答えを出すことができますが、直接的な関与なのか、それとも間接的な関与なのか、またどのような動作原理で制御しているのか、その問いに対しては答えることができません。そこで、ES細胞から分化誘導して作製したエピブラスト様細胞(Epilblast-like cell: EpiLC)にPRDM14を誘導的に発現させることでin vivoの状態を再現し、PRDM14が直接制御する生命現象および分子基盤の解明を試みました。この実験では、PRDM14の「直接的」な下流を探索することが目的でしたので、細胞間相互作用による「間接的」な効果を排除するためにEpiLCにPRDM14を誘導的に発現させ、敢えて「接着」培養を行いました。「どんな細胞へ変化するのだろう?」とワクワクしながら顕微鏡を覗いてみると、偏平状のEpiLCがみるみるES細胞のような形態に変化していきました。 [caption id="attachment_3409" align="aligncenter" width="600"] 左:ES細胞、中央:ES細胞から分化誘導したEpiLC 、右:EpiLCにPRDM14を発現して2日後[/caption] 驚くべきことに、ES細胞の未分化性維持に必要なサイトカインであるLIFすらこの培養系には入っていません。ES細胞はin vivoの3.5日胚の内部細胞塊に相当する性質を持ち、一方でEpiLCは5.5日胚のエピブラストに近い性質を持っています。したがって、PRDM14は単独で細胞の運命を約2日間巻き戻す活性を持っているわけです。マウス胚での発現やノックアウトマウスの表現系からPRDM14は始原生殖細胞の分化に必要なマスター遺伝子であると考えてきましたが、この解析結果から始原生殖細胞の分化よりも、むしろ多能性細胞の成立に重要な因子であることがわかりました。

生理的初期化を利用した高品質iPS細胞作製の可能性

今回私たちの研究により、PRDM14が体細胞への分化準備を始めたエピブラストを再び多能性細胞へ巻き戻す働きを持っていることを突き止めました。今回の実験はマウスを用いた解析ですが、同様の現象はヒトでも起きている可能性が高いと考えております。また、ヒトのiPS細胞はドナー細胞のエピゲノム情報を完全に消去できないため、分化しづらかったり、また分化の方向性に偏りがあることが問題となっております。PRDM14にはOCT4、SOX2、KLFにはないDNAの脱メチル化誘導活性というユニークな機能があるため、PRDM14を利用してiPS細胞を作製することで、より品質の高いiPS細胞の樹立につながるのではないかと期待しています。 参考文献
  • Seki, Y., Hayashi, K., Itoh, K., Mizugaki, M., Saitou, M., and Matsui, Y. (2005). Extensive and orderly reprogramming of genome-wide chromatin modifications associated with specification and early development of germ cells in mice. Developmental biology 278, 440-458.
  • Yamaji, M., Seki, Y., Kurimoto, K., Yabuta, Y., Yuasa, M., Shigeta, M., Yamanaka, K., Ohinata, Y., and Saitou, M. (2008). Critical function of Prdm14 for the establishment of the germ cell lineage in mice. Nature genetics 40, 1016-1022.
  • Okashita, N., Suwa Y., Nishimura O., Sakashita N., Kadota M., Nagamatsu G., Kawaguchi M., Kashida H., Nakajima A., Tachibana M., Seki Y. (2016). PRDM14 drives OCT3/4 recruitment via active demethylation in the transition from primed to naïve pluripotency., Stem Cell Reports 7 (6), 1072-1086
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朝と夜では記憶力が変化する? - マウス実験で解明された記憶のメカニズムとは https://academist-cf.com/journal/?p=2994 Thu, 02 Mar 2017 01:00:56 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=2994 長期記憶効率の日周変化 マウスに2つの積み木を5分間呈示して探索させます(=学習)。一定時間後に、最初に呈示した積み木のひとつと、新しい形の積み木ひとつを呈示します(=テスト)。マウスは新しい物に興味があるので、はじめに呈示した積み木の形を覚えていれば、新しい方を探索する時間が長くなります。これはマウスの好奇心を利用した一般的な記憶効率の測定法で、新奇物体認識課題といいます。 fig1 学習からテストまでの時間を24時間にした長期記憶の課題を、一日のうちのさまざまな時刻に行うと、マウスの活動期の前半(マウスは夜行性なので夜の前半にあたる)に、長期記憶効率が最高に達しました。このような長期記憶効率の変化は、24時間の明暗周期環境下でも、環境の光条件を一定にしたときでも見られます。また、学習とテストのどちらのタイミングが長期記憶のしやすさに重要であるかを調べたところ、学習のタイミングを夜の前半にすることが長期記憶には重要であり、テストのタイミングはどの時刻であっても影響を受けないことがわかりました。

何が長期記憶の日周変化を生み出すのか

記憶は脳の海馬が司ることはよく知られていますが、海馬から遠く離れた場所に位置する「視交叉上核(しこうさじょうかく)」という脳内の神経核を破壊すると、このような長期記憶の時刻変化は消失し、どの時刻にも学習できなくなりました。視交叉上核は体内時計の中枢であるため、この実験から、中枢時計が学習効率の時刻変化を生み出す事がわかります。時計は海馬にも存在しますが、この海馬時計は中枢時計の支配下にあることが知られています。遺伝子工学的な実験手法を使って海馬時計だけを破壊すると、やはり長期記憶が保持できなくなりました。 fig2 これらのことから、長期記憶効率の時刻変化は、海馬時計を介して視交叉上核の中枢時計によって支配されていることがわかりました。一方、学習からテストまでの間を8分にした短期記憶は、一日を通して一定の記憶効率を示し、さらに視床下部の中枢時計や海馬の末梢時計を破壊しても、何ら影響を受けませんでした。つまり、短期記憶から長期記憶にするための固定化する過程が、体内時計の制御下にあるため、時刻によって長期記憶効率だけが変化することがわかりました。

体内時計と長期記憶を繋ぐ分子メカニズム

海馬での長期記憶形成には、SCOPという分子が関わっている事がわかっていました。海馬でのSCOPの役割をまとめると、以下のようになります。 (i)学習刺激が海馬に入ると、神経細胞内のCaイオン濃度が上昇し、タンパク質分解酵素であるカルパインが活性化する。 (ii)活性化したカルパインはSCOP を分解し、それまでSCOPに結合して抑制されていたK-Ras が活性化する。 (iii)K-RasはERK カスケードの活性化を介して、記憶を固定化して長期記憶形成に導くCRE依存的な遺伝子を転写活性化する。 fig4 このようにSCOPは、海馬の長期記憶システムの上流に位置し、記憶の固定化に関わるタンパク質であるK-Rasを抱き込むことで、長期記憶を形成するためのポテンシャルを蓄えます。体内時計が長期記憶の効率を制御するためには、SCOP が関わる記憶固定化のシグナル伝達機構を制御することが重要です。海馬神経細胞の膜ラフトという細胞膜内のマイクロドメインにおいて、海馬時計の制御によって海馬のSCOP 量が時刻変化し、これにより、抱き込む K-Ras の量が変化し、長期記憶形成のポテンシャルを一日の活動期の前半だけに蓄えます。同じ学習シグナルが海馬に到達しても、これを固定化する過程で働く分子の量が日周変動しているので、長期記憶に時刻変化が生み出されていることがわかりました。

おわりに

ヒトでも記憶しやすさには時刻変化がありそうだと言われています。今回発見した仕組みに関わるすべての分子はヒトにも存在するので、この仕組みはヒトにもあてはまるかもしれません。ただし、長期記憶のピークが活動期の前半だとすれば、夜行性のマウスに対して昼行性のヒトでは、長期記憶の学習効果のピークは昼の前半(午前中)にあたります。このような記憶の固定化の時刻変化を利用して、より効率よく学習効果を上げることも可能かもしれません。 参考文献 K. Shimizu et al. (2016) Nature Communications 7, 12926 K. Shimizu et al. (2007) Cell 128, 1219-1229]]>
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ウミガメって、どんな一生を送っているの? - 東京大学大学院・木下千尋さんに聞く https://academist-cf.com/journal/?p=3399 Wed, 01 Feb 2017 02:00:55 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3399 クラウドファンディングで研究費を募っている東京大学大学院・木下千尋さんにお話を伺った。 ーそもそも、ウミガメは陸生のカメと何が違うのでしょうか。 大きな違いは、居場所です。ウミガメは海に、その祖先となるカメは陸に住んでいます。もともと陸に住んでいたカメが、居場所を少しずつ海に移していき、ウミガメに進化したと言われています。ウミガメはカメとは異なり、泳ぐためのヒレを持っていたり、水圧に応じて変形する甲羅を持っていたりなど、海洋で生きるのに適した体をしています。 ーウミガメは一般的にどのような一生を送るのでしょうか。 まず、大人のメスが砂浜で卵を産みます。私の研究対象であるアカウミガメやアオウミガメと呼ばれる種類では、1年で平均100個前後の卵を、3回から4回に分けて産むんです。1シーズン中に、2〜3週間の間隔でたびたび同じ砂浜を訪れ、産卵を繰り返します。 ー孵化したウミガメたちは、どのように過ごすのでしょうか。 生まれたばかりのウミガメたちは、一斉に沖を目指して動き出します。これはフレンジーと呼ばれている行動で、「とりあえず動いて沖の方に行かなきゃ!」というような興奮状態になり、2〜3日間休むことなく沖に向けて泳ぎ続けるんです。 [caption id="attachment_3482" align="aligncenter" width="600"] Photo by Tomoko Narazaki[/caption] ー生まれた直後から大変ですね……。なぜ、このような行動を? 沿岸域にいると、カモメや大型の魚に食べられちゃうんです。ウミガメの死亡率はこの時期が最も高くなっています。捕食者の少ない沖に逃れることができれば、ウミガメはクラゲなどの浮遊生物を食べて大きくなって、再び沿岸域に戻ってきます。そして卵を産める状態のメスは、産卵のために上陸します。 ー大きくなれば、カモメや大型の魚には食べられないというわけですね。 そういうことです。ウミガメは自分自身の成長率を最大化するように、本能的に動いていると考えられます。沿岸域ではカロリーの高いエサを食べられるけれども敵が多く、沖合域では敵は少ないもののカロリーの少ない餌しか食べることができません。体の大きさに応じて、2つの海域を行き来しているということになります。 ー沿岸域に残り続けるハイリスク・ハイリターン狙いのウミガメもいそうですね(笑)。 オーストラリアにいるヒラタウミガメは、沖合には出ずに、沿岸で過ごしているようですよ。生まれた子供のサイズがほかのウミガメよりも比較的大きいみたいです。おそらく沿岸にいても大丈夫だと判断しているのだと思いますが……、明確な答えは出ていません。 ー生まれてから数日間と産卵上陸時は、ウミガメを直接観察できるということですね。 そうですね。一方で、ウミガメが子供から大人になるまでのプロセスについては、観察が難しいため調べるのが大変で、全然わかっていないんです。私がクラウドファンディングで実現したい研究は、まさにここの部分です。今回の研究では、識別するための番号が書かれ胸ビレにつける「識別タグ」と体内に挿入する「PITタグ」、そして海中のウミガメの様子を記録する「ビデオカメラ」を用いることで、ウミガメが何年かけて大人になるのか? 何をしに三陸に来ているのか? ということを明らかにしたいと思っています。 ーこの研究テーマは、いつ頃から進めているのでしょうか。 三陸にウミガメがきていることに気づいたのは、実は2005年からで、指導教官の先生と先輩方が地元の漁師さんたちと一緒にウミガメの調査フィールドを開拓してくださいました。最初はウミガメの形態計測モニタリング調査にはじまり、「いつ、どんなウミガメが三陸にくるか?」を明らかにし、私が調査に参加した2015年あたりからは、食性を1ヶ月以上遡って調べたり、水温が低い三陸沿岸域での消費エネルギーを調べるなど「なぜウミガメが三陸にくるか?」の部分に焦点をあてて調べています。おそらく三陸沿岸域は、太平洋におけるアカウミガメとアオウミガメの生息域の北限です。「なぜ三陸にくるか?」の部分が解明されれば、ウミガメが1億1000万年もの間生きてこられた環境適応能力を明らかにするのに、大きなヒントになると考えられます。そのためには、長期のモニタリング調査が重要です。 ーウミガメに付ける装置を見せていただけますか。 ウミガメの活動度が数値化できる加速度計、泳ぐ速さが取得できるプロペラ、水温計、深度計と、12時間録画できる水中カメラをこの赤い浮力体にとりつけます。ウミガメの頭全体がしっかりと映るように角度を整えます。この模型のカメは小さいですが、本番はもっと大きいウミガメにとりつけて、装置によって行動が妨げられないように配慮しています。 ただし、ウミガメは放した場所に戻ってきてくれるわけではないので、装置を回収するためにひと工夫が必要です。この浮力体には切り離しタイマーも一緒にとりつけており、たとえば、1週間後に切り離すという形で設定できるんです。1週間経ったら、浮力体がウミガメから離れて、浮力によって上昇し、海面を漂う。すると、カメラと逆サイドについている発信機から電波が発信され、船で回収することができます。ちょっとアナログな方法かもしれませんが、回収率は100%なんですよ。 ーこの装置全体でどれくらいの費用がかかるのですか。

加速度計や水温計、ビデオカメラなどをすべて合わせると300万円くらいします。ウミガメは400m近くまで潜るため、水圧に耐えれるようにする必要があり、どうしても高価になってしまいますが、回収できれば繰り返し使うことができます。最近は、装置の性能がどんどんよくなって、軽くて安くて記録時間の長いものが開発されてきています。

ーウミガメの行動を記録することで、どのようなことがわかってきたのでしょうか。 たとえば、いままでアカウミガメは冬に冬眠すると言われていたのですが、太平洋のアカウミガメは冬眠せずに活動的であることがわかりました。現在は、代謝速度や体温を調べることで、なぜ同じ種類なのに冬の行動様式が違うのかを調べています。このように、行動を記録する「バイオロギング」の研究手法は、今まで人間が観察できなかった動物の行動を調べるのに非常に良いツールだと思いました。 ー動物全体だと、たくさんのバイオロギング研究がありそうですよね。 そうですね。ウミガメのほかにも、海鳥や魚、クジラなどがあります。滑空している海鳥の飛行経路から海上の風を推定したり、マンボウが海面と海中を行き来する理由を解明したり、動物の行動にはちゃんと理由があるんだなあと感心します。バイオロギングの研究はもともと、動物の動きを追うことがメインだったのですが、最近では、異分野融合を視野に入れたテーマも考えられています。たとえば、ウミガメが50から300mまで潜る時に、深度に応じた水温を記録することができます。つまり、ウミガメを用いて海中の鉛直方向の水温分布を知ることができるのですが、気象学の知見と組み合わせると、気象予測に役立つ可能性もあるのではないかと言われています。 ー海中の水温分布って、測定されていないんですか。 現在は、アルゴフロートという観測機器を使って測定しているのですが、測定間隔が10日間とすこし間が空いてしまうようです。でもそうすると、2~3日で急激に発達する爆弾低気圧などに対応することはできません。ウミガメだと1日毎のデータがとれるので、アルゴフロートの欠点を補える可能性があります。 ー動物のリアルタイムの行動を追うために発達したノウハウが、ほかの分野の弱点を補う可能性があるということですね。

そうですね。気象学の専門家の欲しいデータと、動物が記録できるデータは重複する部分も多いかと思います。うまく分野が融合できれば、動物の行動データが社会実社会に役立つようになるかもしれません。

ー海外の「CHIMP&SEE」というサイトでは、一般の人たちがアフリカの森に仕掛けられた数千台のビデオカメラに映る映像をリアルタイムで分析することができます。分析といっても実際に行う作業はシンプルなのですが、将来的にはウミガメの研究も似た形で進められるように感じました。 衛星でウミガメの動きをリアルタイムで捉えられるようになれば、そのようなことも可能になるかもしれませんね。今はどうしても、甲羅に取り付けた装置にデータを溜め込むタイプしかないので。一度仕組みができてしまえば、私たち生態学のコミュニティにも、気象学のコミュニティにも、民間企業にもメリットが出ると思いますので、新しい研究の形が一気に発達していくのではないでしょうか。 *** 木下千尋さんのクラウドファンディング・チャレンジ、現在の支援総額は577,820円、達成率96%です。ぜひ応援をお願いします!
研究者プロフィール:東京大学大学院大気海洋研究所の博士課程前期2年で、岩手県沿岸域を中心にウミガメの研究をしています。ウミガメは温暖な海域に生息するイメージの強い動物ですが、水温15℃以下の低水温でも生き延びることができ、北は北海道まで目撃例があります。外温動物であるにもかかわらず、さまざまな環境に適応できるウミガメの不思議さとタフさに魅了されました。その仕組みを解き明かそうと、漁師さんから引き取ったウミガメの計測や実験を日々行っています。どうぞ、よろしくお願いいたします。
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日本で見つかった首長竜「フタバスズキリュウ」の研究秘話 - 東京学芸大・佐藤たまき准教授に聞く https://academist-cf.com/journal/?p=3434 Fri, 03 Feb 2017 01:00:56 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3434 東京学芸大学・佐藤たまき准教授[/caption] ――研究は、いったいどういったところから取り掛かられたのでしょうか。 私が標本を見た時点では、骨の化石が周囲の岩から外されて、1つひとつバラバラになっている状態でした。でも、この状態になるまでにはとても長い時間がかかっています。 1968年に鈴木さんが、崖に埋まっている骨の化石の断面を見つけ、それを当時の国立科学博物館の研究者に相談したのが始まりです。どうも首長竜の化石のようだということで、崖を崩して掘り出すことになりました。ものすごい大きさで、人間の手作業ではとても掘れないので、地元の方の協力で重機で崖を崩して化石をある程度露出させてから、上野の国立科学博物館に持ち帰って研究するために骨の周辺部が切り出されました。 1つひとつの骨が地層の中でどういう位置関係にあったのかということは、この「切り出した状態」でないとわかりません。骨を岩から外してしまうと、個々の骨の形は見えますが、たとえば、ある骨が右側の骨か左側の骨かはわからなくなってしまいます。それを防ぐために、この「骨の化石を地層ごと切り出した状態」の模型(産状模型)が作られました。今も国立科学博物館に展示されているのは、この産状模型です。 産状模型が作られた後で骨が岩から外されたのですが、私が初めて標本を見たときには、骨は全部きれいに外されたバラバラの状態になっていました。 ――そのバラバラの骨を1つひとつ確かめていかれたんですね。 はい。私が研究するときには、骨の輪郭を確認して、大きさを測定したり、形状をほかの標本と比較したりしていきます。 ――フタバスズキリュウを新種だとするポイントになった部分を教えていただけますか。 まず、フタバスズキリュウは、エラスモサウルス科に分類される首長竜です。首長竜にも、首が短いもの、首があまり長くないもの、そこそこの長さのもの、首が長いもの……と、いろいろな首の長さのものがいるのですが、そのなかでも極端に首が長いのがエラスモサウルス科の首長竜です。ひとつの特徴だけで分けているわけではないですし、見つかる骨の部分によっても見分け方が違うので、全部説明するとものすごいことになってしまうのですが、ほかにも、脳幹と呼ばれる脳みそが入っている骨の形などにはエラスモサウルス科とわかる特徴があります。 そんなエラスモサウルス科の首長竜のなかで、フタバスズキリュウが新種となったポイントは大きく3つありました。ひとつ目は、目と鼻の距離がほかのエラスモサウルス類に比べ離れているということです。2つ目は、骨の形です。首長竜は、人間でいう鎖骨の間に「間鎖骨」という人間にはない別の骨があります。これらの骨は癒合していて、種によっていろいろな形をしているのですが、フタバスズキリュウはこの癒合した骨が亜五角形でほかのエラスモサウルス類には見られない形をしていました。3つ目は、足のプロポーションですね。上腕骨の大腿骨に対する長さの比や、人間でいうスネの骨(脛骨)とふくらはぎの骨(腓骨)の大腿骨に対する長さの比が、既知の種とは異なっていました。 ――研究者として見たときに、フタバスズキリュウ研究の学術的な意味は、どんなところにあるのでしょうか。 首長竜の専門家から見てフタバスズキリュウが重要なのは、白亜紀のサンクトニアンという時代の地層から見つかっており、「北太平洋岸エリアのなかで一番古い」という点です。 フタバスズキリュウが含まれるグループであるエラスモサウルス科の首長竜は、白亜紀には世界中どこにでもいた生き物なのですが、化石がバラバラの状態で見つかることが多いんです。バラバラの状態では種や属の同定ができないことが多いため、フタバスズキリュウは、北半球側の環太平洋域において、まともに骨格が見つかっているエラスモサウルス類で一番古いものであるといえます。そして、北アメリカやオーストラリアで見つかっているほかの首長竜と形を比較して属や種の同定ができる、北太平洋岸産出の唯一のエラスモサウルス類標本です。 ――そんなにバラバラになってしまっている化石ばかりが出るんですね。 日本でも首長竜の化石自体はたくさん見つかっているのですが、残念ながら保存状態が良くないので、化石をほかの首長竜と比較できないことが多いのです。たとえば、種を同定するには骨の輪郭が必要になりますが、骨がボロボロになっていて輪郭がわからなかったり、そもそも背骨のみしかなかったりといったような状態です。 フタバスズキリュウの化石は一部がちょっと見えた状態から一気に掘り出したのできれいに残っているのですが、たいていの首長竜化石は、がけ崩れで落ちたものを拾ってくるとか、長期間雨風にさらされて風化したものを拾ってくるケースが多いので、ボロボロになってしまっているんです。 ――フタバスズキリュウは、この1個体のほかにも見つかっているんですか。 今のところ、この1個体のみです。1匹だけしかいなかったはずはないので、ほかに出てきてもおかしくないのですが、やはりほかの化石は保存状態が悪く、フタバスズキリュウかどうか確認できないのです。 ――発掘なども含め、いろいろな方が関わられて新種記載に至ったフタバスズキリュウですが、やはり佐藤先生がさまざまな場所の首長竜と比較して、最後にきちんと結論を出されたのがポイントになったと思います。こういうことをできる方は、ほかになかなかいらっしゃらないのではないでしょうか。 大型脊椎動物化石の研究の難しさは、データが定量化できないことが多いというところにあります。たとえば、今生きている生物であれば、DNAの配列を調べて電子化できますし、葉っぱの形の比較であれば「ここからここまで測ったときに、何が何個ある」というような定量化がしやすいですよね。だけど、1つひとつの骨の形は定量化ができないうえに、3次元のものなので写真では判断できません。大きいため、CTスキャンも不可能です。 そのため、実物の標本を見に行く必要があるのです。プロになるためには、とにかく自分の足で博物館に行って標本を見て、形を頭に入れなければなりません。このプロセスには時間が掛かるということもあり、そこまでできる人はあまりいません。 私は博士論文の研究で、主にカナダのエラスモサウルス類を記載するためにあちこちの博物館をまわってデータを持っていたので、この研究ができました。この分野には、経験主義のようなところがあって……たとえば、化石は地層の中で歪んでいることも多く、見慣れていないとそれが歪んだ形なのか、生きているうちからこの形なのかがわからない。経験から目を慣らすことで理解が進むという側面は、この分野にはどうしてもあると思います。 ――フタバスズキリュウの論文は2006年のものでしたが、近年はどんな研究をされていますか。 私は分類屋さんなので、骨の形を見て「これはなんとかサウルスだ!」というように種を決めるということをしています。ここ10年くらいは日本と中国とカナダの標本を研究していますね。 中国の標本は、三畳紀に生息していた、首長竜に近縁な爬虫類です。首長竜は基本的にはジュラ紀と白亜紀に生きていた生物ですが、ジュラ紀のひとつ前の時代である三畳紀の地層から出た首長竜に近い動物の標本について中国やカナダの研究者の人たちとチームを組んで研究し、記載論文にしています。またカナダでは、日本で見つかる首長竜と同じくらいの時代の地層から首長竜が見つかるので、それらについても研究しています。 日本のものは、北海道の首長竜たちですね。北海道では首長竜の化石がたくさん出て、小さな博物館がそれらをコレクションとして所有しているんです。私は、そういった地方の小さな博物館に行った際に、とにかく首長竜と名のつく標本を全部見せてもらっています。ときどき、首長竜ではなく実は恐竜の化石でした、ってこともあるんですけど(笑)。でも逆に「よくわからない骨なんですけど……」と紹介されたものが、「あ、首長竜の骨だ、研究に価するな」ということもあって、場合によっては卒研生のプロジェクトとして取り組ませていただいたり……そんな“宝探し”をずっとやっています。
佐藤たまき准教授プロフィール 東京大学理学部地学科、シンシナティ大学大学院修士課程を経て、カルガリー大学大学院博士課程修了、Ph. D.授与。カナダ・王立ティレル古生物学博物館、北海道大学、カナダ自然博物館、国立科学博物館での博士研究員を経て、2007年に東京学芸大学に着任、2008年より現職。物心ついたころにはすでに恐竜などの化石動物が大好きで、そのまま大人になってしまった。趣味は読書で、好きな作家は芥川龍之介、アントワーヌ・サンテグジュペリ、ジャック・ロンドンなど。
  フタバスズキリュウ記載論文(オープンアクセス) A NEW ELASMOSAURID PLESIOSAUR FROM THE UPPER CRETACEOUS OF FUKUSHIMA, JAPAN Tamaki Sato, Yoshikazu Hasegawa and Makoto Manabe Palaeontology 2006, 49, 467-484. DOI: 10.1111/j.1475-4983.2006.00554.x ]]>
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和歌山県・白浜沖に秘められた生物多様性 - 未知の種が10種以上見つかる https://academist-cf.com/journal/?p=3441 Mon, 06 Feb 2017 01:00:36 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3441 生物多様性とは? 生物多様性とは、砕いていえば、「この地球上にどのような生物がいて、それぞれがどのように関係しているか」ということを表す用語です。生物多様性には、遺伝子(種内)の多様性、種(種間)の多様性、生態系の多様性という3つの階層が知られており、このなかで最もわかりやすいものは、おそらく種の多様性でしょう。ある地域にどれだけの種の生物が存在しているのかということです。たとえば山ひとつをとってみても、そこには目に見える植物や昆虫だけでなく、土の中の微小なダニ類、川の中の魚や水棲昆虫、苔・シダ類などが生息しています。さらに微小な細菌などに目を向ければ、その数は膨大になり、とても簡単には把握できないことが想像できるでしょう。横浜国立大学の青木淳一名誉教授が研究仲間と共に東京で行った調査によれば、明治神宮で私たちの靴の下に生息する生物の数は、ダニだけをとっても3000匹以上にのぼると推定されています。このような調査は1970年代に入ってから行われたもので、都会の中心部に近い森ですら、その多様性がごく最近になってやっと解明され始めた状態です。アクセスの難しい海はなおさらです。全生物の半分以上の種数を誇り、ほぼ陸にしか生息しない昆虫を除けば、海の生物の多様性は、陸をしのぐはずです。しかし、陸と比べると調査が困難な場所が多く、私たちに身近な砂浜や磯ですら、その生物の多様性が明らかになっている場所は非常に少ないのが現状です。

海洋生物調査に挑む

我々は、そんな海洋生物の多様性の一部を解明するため、和歌山県白浜町にある京都大学瀬戸臨海実験所の調査船「ヤンチナ」を用いて、延べ3年半にわたるドレッジ(底生生物採集具)調査を行いました。白浜沖は台風の影響に海況が大きく左右されるので、当日になるまで調査決行の判断が難しい日もあるのですが、台風がなるべく少ない初夏~初秋に調査日を設定することで、計50地点での調査を行いました。 [caption id="attachment_3506" align="aligncenter" width="600"] ヤンチナによるドレッジ調査の様子(撮影:京都大学・河村真理子氏)[/caption] 天候が微妙なときでも、当日の判断で出港を決められる調査が行えることは、臨海実験所ならではの強みかもしれません。ときには10人以上の調査チームを組み、泥などと共に上がってきたサンプルのなかから生物を選り分けました。採れる生物はヒトデ、ウニ、カニ、エビ、から、砂の隙間の小さなクマムシまでさまざまでした。ごくたまに、イカや魚などの、素早く動いて迫りくる網から逃れることができるはずの生物が入る事もありました。 はじめは実験所にもともとあった「神谷式ドレッジ」を使っていましたが、さらに量が採れる網を自分たちで制作し、サンプルをより多く得られるようにするなどの工夫を凝らしました。こうして採りためた生物について、それぞれの専門家と協力して種のリストを作ってみたところ、秘められた白浜沖の生物多様性が明らかになりました。 [caption id="attachment_3443" align="aligncenter" width="600"] 本研究で用いた神谷式ドレッジ[/caption]  

白浜沖に隠されていた生物多様性

計50地点のうち、35地点(水深5~295m)で採集されたゴカイやサンゴ、貝、魚類などの動物は、少なくとも132種にのぼることがわかりました。さらにそのなかには24種の白浜初記録種、2種の日本初記録種、6種の未記載種、5種の未記載種候補が含まれていました。未記載種とはまだ発表されていない新種のことで、これらの種は、今後、専門家によって報告がなされる予定です。つまり、白浜周辺の海域から10種以上の未知の種が見つかったのです。白浜町周辺は、瀬戸臨海実験所を中心として、何十年に渡って海洋生物の調査が行われてきました。その白浜において、これだけの知られざる生物がいたということは驚きでした。 また、本研究では、目に見えるサイズの生物だけでなく、泥や砂の中に潜んでいる体長数ミリ以下の小さな生物の採集も試みました。これらの生物を採集するためには、採れた泥と水を混ぜて優しくかき混ぜ、攪乱によって水の中に浮かんできたものを目の細かい網で受け、そこから生物を顕微鏡で少しずつピックアップしていく必要があります。このような作業によって得られた生物のなかには、少なくとも3種のクマムシが含まれており、しかもそのうち2種は未記載種である可能性が高いということがわかりました。これまでは捨てられがちだった泥や砂の中にも、貴重な生物が含まれていたのです。 さらに驚くべきことは、白浜の北東部に浮かぶ畠島の周辺、水深5mの砂の中から、潜行性のウニ類の未記載種も発見されたことです。畠島は生物の多様性が非常に高いことが知られており、瀬戸臨海実験所が1960年代の半ばに買い取っています。京大の所有となってから現在に至るまで(中断された時期はありましたが)5年ごとに、主に磯での生物多様性の調査が行われてきています。このウニの発見は、このような長期的な調査が行われている島でも、潜水によってアクセスできる砂や泥の中はまだ未踏査であった可能性を示唆します。 私が専門とするクモヒトデ類に関してはそのほとんどが白浜初記録種で、未記載種と思しき種も1種含まれていました。この未記載種は水深約200mから採取され、スウェーデンの専門家に相談したところ、おそらく未記載種だろうという答えが返ってきました。しかし残念ながら、ダメージを受けた1個体しか採集する事ができなかったので、より正確な記載を行うために、更なるサンプルの収集を行いたいと思っています。 [caption id="attachment_3444" align="aligncenter" width="600"] 未記載と思われるクモヒトデ[/caption]  

生物多様性調査の今後

本研究では、その結果を今後の自然環境調査に役立ててもらうことも目的としていました。今回扱った生物にはまだまだ研究が進んでいないものも多く、簡便に種が調べられる図鑑などがないものばかりです。生物の多様性変動の評価は、現在と過去の生物の構成の比較によって行われるため、どこかの時点でいったん生物の種構成がまとめられる必要があります。今回の研究では、88種の写真を掲載しました。もちろん、それだけでは種の名前を調べるには不十分な写真もありますが、種の名前、採集地点情報、写真が1セットになった研究例が、今後の白浜沖調査のひとつの基準になればと期待しています。また、今回扱った生物は、全サンプルのごく一部にとどまっています。たとえばエビやカニを含む甲殻類などは含まれていませんし、砂の隙間の小さな者たちについても、クマムシ以外の生物も得られています。これらの生物も視野に入れることで、さらに詳細に白浜の多様性が解明できると期待されます。 引用文献 Okanishi, M, Sentoku, A, Fujimoto, S, Jimi, N, Nakayama, R, Yamana, Y, Yamauchi, H, Tanaka, H, Kato, T, Kashio, S, Uyeno, D, Yamamoto, K, Miyazaki, K and Asakura, A. 2016. Marine benthic community in Shirahama, southwestern Kii Peninsula, central Japan. Publications of the Seto Marine Biological Laboratory. 44:7—52.  ]]>
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南極産の菌類で酒造り!? - 極限環境を生き抜く菌類の魅力 https://academist-cf.com/journal/?p=3458 Thu, 02 Feb 2017 01:00:28 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3458 南極にも菌類が住んでいる 「南極」と聞くと、年中、氷と雪に覆われた白銀の世界と想像する人も多いでしょう。私自身も南極の菌類を研究する前までは、そのように考えていました。実際に南極大陸の約98%は氷や雪に覆われているのですが、残りの2%はオアシスと呼ばれる夏のあいだ、雪が溶けて地表が現れる露岩域という地域になります。南極大陸に生息している生物の大半は、この露岩域という地域に生息していると考えられています。日本の南極観測の拠点である昭和基地は東オングル島にあり、この周辺も夏のあいだは最高気温がプラスになることから土壌が露出する露岩域となります。昭和基地周辺は、冬季には最低気温が−40℃を下回り、極度の乾燥と低温に晒される非常に厳しい環境だといわれており、人が生活するには過酷な環境ですが、南極以外の地域と比べると濃度は低いながらも、菌類は生息しています。 [caption id="attachment_3459" align="aligncenter" width="600"] 東オングル島の夏の様子(画像提供:国立極地研究所 辻本惠特任研究員)[/caption] 菌類は大きく分けて子のう菌類(いわゆるカビ)と担子菌類(いわゆるキノコ)に分けられます。南極のような極限環境に生息している菌類では、担子菌類のなかでも生活環の一部もしくは、そのほとんどが単細胞で過ごす担子菌酵母の占める割合が多くなります。現在のところ昭和基地周辺からは、およそ30種類の菌類が発見・報告されています。このような環境に生息している菌類は低温でも成長できることから土壌の形成や物質循環に重要な役割を果たしていると考えられています。

南極の菌類はどうやって氷点下で生き抜いているのか?

生物にとって0℃以下の温度による低温ストレスは、生命維持に深刻な影響を及ぼします。南極のような極限環境に生息している菌類は、細胞外多糖や不凍タンパク質などを分泌し、凍結防止剤として利用することで、細胞やコロニーが凍らないように工夫しながら生存していることが知られています。しかし、南極に生息している菌類が氷点下という低温ストレスに対して、代謝全体としてどのような応答をしながら成長しているのかは不明のままだったことから、私は昭和基地から約60km離れたスカルブスネス露岩域から分離した、低温での成長能が異なる2株の担子菌酵母 Mrakia blollopisを用いて低温ストレス下での代謝応答の解析を行ってみました。 低温での成長能に優れたMrakia blollopisのSK-4株と、低温で効率的に成長できないTKG1-2株を、氷点下(-3℃)と至適増殖温度の10℃で培養し、細胞内の代謝産物の濃度を測定した結果、SK-4株は、氷点下では低温ストレスにより代謝経路を変更していることがわかりました。 [caption id="attachment_3460" align="aligncenter" width="600"] Mrakia blollopisのSK-4[/caption] またSK-4株は、細胞分裂や細胞壁合成などの代謝経路が活発になるほか、低温下での成長に関与し、生合成するのに大量のATPを消費する物質として知られているトリプトファンなどの芳香族アミノ酸を多く蓄積していました。しかし、TKG1-2株では、低温ストレスによるはっきりとした代謝反応の変更や、このような代謝産物の顕著な蓄積は認められませんでした。これらのことから、低温での成長能に優れた南極産のMrakia blollopisは、氷点下での低温ストレスに対抗するため、多大なエネルギー的コストを支払いながら成長していることが示唆されました。南極の菌類といえども、氷点下の環境を生き抜くために苦労していることの一端が伺えるのではないでしょうか?

乳脂肪を分解する南極産菌類

酪農施設から排出される排水には大量の乳脂肪が含まれています。乳脂肪は低温下ではバターのように凝固することから微生物による処理が最も難しい物質のひとつであり、河川や地下水の汚染原因となっています。そこで私たちは、南極で採集した菌類のなかから低温でも高い乳脂肪分解能を持つ菌株の探索を行いました。 その結果、低温での成長能に優れた担子菌酵母のMrakia blollopis SK-4が低温でも高い乳脂肪を持っていることを見出しました。 SK-4株を活性汚泥に添加することにより、酪農排水中に含まれる乳脂肪を効率良く分解できると考え、SK-4株入りの活性汚泥と通常の活性汚泥を使用して低温下での乳脂肪分解能の比較を行ってみたところ、SK-4株を活性汚泥に添加することによって、乳脂肪分解率が約2割向上することがわかりました。さらに北海道の酪農排水の水温は、冬季には3℃、夏季には25℃前後まで上昇することがあります。このため水温を3〜25℃まで変化させて30週間以上排水処理を行ったところ、SK-4株は増殖上限温度より高い25℃で約14週間培養しても死滅することはありませんでした。 [caption id="attachment_3461" align="aligncenter" width="600"] 排水処理前後の様子[/caption] これらの結果をもとに国立極地研究所と産業技術総合研究所により乳脂肪分解能を持つ南極産菌類の利用方法として特許(特許第5867954号)が登録され、特許のライセンス契約を受けた北海道の企業により市販されました。南極産微生物に関する特許の実用化は、本研究が国内初となります。

南極の菌類でお酒を作りたい!

担子菌酵母のMrakia blollopisの種小名は、ビールにちなんで名付けられており、この菌を含む多くのMrakia属菌はエタノール発酵する能力を持っていることが知られています。Mrakia属菌は低温性の菌類であるため、至適発酵温度は10℃以下であり、低温での発酵能に優れています。そこで、スカルブスネス露岩域から分離した27株のMrakia属菌のエタノール発酵能について調べた結果、低温での成長に優れたMrakia blollopis SK-4株が最大で6% (v/v)以上のエタノールを生産する能力を持っていることがわかりました。 しかし私は、SK-4株の6%(v/v)のエタノールを生産する能力では酒類を醸造するには心許ないと感じており、この株を使った酒類の生産には、清酒酵母など既知の系統の酵母と共培養する必要があると考えています。SK-4株は実際に清酒酵母と共発酵しても味や風味などに大きな影響を与えないことがわかっています。また、SK-4株はすでに簡易な安全性試験、ゲノム解析やエタノール発酵時に分泌する物質の解析が行なわれており、動物に対して明らかな毒素の生産は認められていません。そこで私は、この南極産の菌類で日本酒やワイン、ビールなど酒類を作ってみたいと強く考えています。もし、南極産菌類を使った酒造りに興味のある事業者の方は、私までご連絡をお願いします。]]>
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好きなものに目が向くのか、目を向けたものを好きになるのか - サッカー好きな人で検証 https://academist-cf.com/journal/?p=3522 Fri, 17 Feb 2017 01:00:42 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3522 好きなものにはつい目が向く? 目を向けたものを好きになる? 我々はしばしば「好きなものにはつい目が向く」と言います。しかしながら逆に、「目を向けたものを好きになる」こともあると過去の心理学研究は示しています。たとえば、コンピュータディスプレイの左右に代わる代わる表示される顔写真を目で追って見比べるとします。このとき、一方を少しだけ長く、たとえば一方を0.9秒、他方を0.3秒表示しても、多くの人はこの時間差に気づきません。気づかなくても、我々は長く表示された顔のほうを「好き」と判断しやすいのです。視線の誘導による選好の誘導は、好みに選択肢間で甲乙つけがたいときに特に観察されます。好みの判断が難しいとき、見つめた行為が「好き」と判断する手がかりになっているためと考えられます。つまり、「こんなにこれを見つめたということは、私はこれが好きなのに違いない」と錯覚するのです。 2010年、早稲田大学スポーツ科学学術院の内田直研究室と高知工科大学総合研究所の宮崎真研究室(現・静岡大学情報学部)とが共同研究を行なうことになり、内田研から齊藤佳之さんが高知を訪ねてきました。齊藤さんはスポーツに関連した行動経済学に興味があり、また、プライベートではサッカーを楽しむ修士課程の学生さんでした。一方、宮崎研に所属していた私は「目を向けたものを好きになる」現象に関心をもっていました。両者の関心が結びついた結果、今回の研究テーマが生まれました。

サッカー好きな人がユニフォームを選ぶとき、選好の誘導はできるか

「視線の誘導による選好の誘導は、選択肢間で好みに甲乙つけがたいときに特に生じる」のであれば……。選択肢が全般的に好ましく感じられる人においては、視線の誘導によって選好を誘導されやすいという予想が成り立ちます。たとえば、サッカーが好きな人がサッカーユニフォームを選ぶ場合、どのユニフォームも全体的に好ましく感じられやすいため、視線の誘導による選好の誘導の効果は上昇するかもしれません。 逆の予想も成り立ちます。サッカーが好きな人はユニフォームに見慣れているため、素早くユニフォームの特徴を抽出できるはず。その場合、「好き」と判断する手がかりを豊富に得られるので、繰り返し目を向けるまでもなく早い段階で好みを判断するかもしれません。 ともあれ、「サッカーが好き」と言っても、観戦が好きな人、プレーするのが好きな人、いろいろです。サッカーなど好きなアクティビティに関わる用品を選ぶ場合、どのような要素が視線の誘導による選好の誘導の効果にどう影響するでしょうか。我々は視線の誘導による選好の誘導が生じる個人差を検証することにしました。

ヨーロッパリーグのサッカーユニフォーム2着を比較する実験

本研究の実験は2つの部分で構成されています。ひとつ目は視線移動の誘導による選好への効果の測定です。各試行ではヨーロッパリーグのサッカーユニフォーム2着をコンピュータディスプレイの左右に代わる代わる、一方は0.9秒、他方は0.3秒、6回表示しました。実験条件では参加者は表示の切り替えに合わせて目を動かしながら左右のユニフォームを比較し、各試行の最後にどちらが好きか回答しました。統制条件では参加者は目を動かさずに両者を比較し、各試行の最後にどちらが好きか回答しました。長く見た方を好きと回答した割合を実験条件と統制条件とで求め差分をとることで、目を動かしたことの効果が算出されます。 この実験は「心理物理学」の典型的な手法に基づいています。「心理物理学」は心理学の一分野です。単純化された刺激に対する人間の応答(今回の場合、好みの判断)を測定し、条件間で結果を比較することによって、心をまるで物理的実体のあるもののように測定しよう、という発想で100年ほど前に生まれました。 2つ目は、質問紙調査です。どのような仕方で対象を愛好すると視線誘導による効果がみられるのかを明らかにするため、観戦への興味、服飾に関する興味、ヨーロッパリーグに関する知識、サッカーチーム所属歴有無等について質問紙調査を実施しました。

結果は……?

実験には24人の大学生が参加しました。参加者全体については、視線誘導による選好誘導効果はみられませんでした。そこで、質問紙調査から得られた観戦への興味・服飾への興味・ヨーロッパリーグの知識の豊富さについて平均値をとり、各項に関しこの平均値を境に参加者を2群に分けました。そして、視線誘導による選好誘導効果を群間で比較しましたが、視線誘導による選好誘導効果は見られませんでした。 最後に、質問紙調査から得られたサッカーチーム所属歴について、所属歴有無で参加者を2群に分けました。すると、経験者のみで視線誘導による選好誘導効果が有意に示されました。 [caption id="attachment_3523" align="aligncenter" width="600"] 左:実験参加者全体(24人)では、視線誘導による有意な効果は認められなかった
右:実験参加者をサッカー経験者(8人)と未経験者(16人)に分けて解析したところ、サッカー経験者では視線誘導による有意な効果が認められた[/caption] すなわち、サッカー経験者に好きなサッカーユニフォームを選んでもらう際、どちらかを長めに見るよう視線を誘導すると、繰り返し長めに見たユニフォームを好きになっていたのです。本研究が示唆するのは、プレーを見ているだけではなく自分で体を動かして競技した経験が、競技中の判断のみならずフィールド外での好みの判断に関わってくる可能性です。 また、ユニフォームに見慣れている人は、繰り返し目を向けるまでもなく早い段階で好みを判断するかも、という予想は否定されました。素早い特徴抽出は優劣の判断を助けるかもしれないものの、それは選好の判断とは別なことのようです。もっとも、身に着けるものがパフォーマンスに影響するスポーツでは、異なる結果になるかもしれません。たとえば剣道の防具やサーフィンのウェットスーツなどを経験者・非経験者に提示して好みを聞いた場合、経験者は一目で優劣を見抜き、好みを決めてしまうかもしれません。

今後の展望

この現象がさらに明らかになれば、スポーツ用品などの宣伝映像でどのように商品を見せれば効果的かが示されると考えられます。たとえば、特定のスポーツの経験者にそのスポーツに用いる器具をアピールする際、新商品と旧来の商品とを交互に提示し、新商品への好感度を上げることが可能でしょう。 実験から得られた個人差を説明するには、さらに大規模な調査を実施する必要があります。また、本研究ではサッカーユニフォーム選好課題を用いましたが、チーム球技以外のスポーツ(マラソンや駅伝、ボクシングなど)や、視聴が可能なスポーツ以外の趣味(囲碁や音楽演奏など)で同様の効果が出るかを検証し、現象のメカニズムに迫る必要があります。今回の研究で示された実験系は、今後の研究の土台となることでしょう。   参考文献
  • Saito, Y., Uchida, S., Yabe, Y., Miyazaki, M. (2017). The Effect of Gaze Manipulation on Preference Decisions: A Study of Football Shirt Evaluation. Int J Sport Health Sci. , Advance Publication
  • Shimojo, S., Simion, C., Shimojo, E. and Sheier, C. (2003). Gaze bias both reflects and influences preference. Nat. Neurosci., 6: 1317—1322.
  • Armel, K.C., Beaumel, A. & Rangel, A. (2008). Biasing simple choices by manipulating relative visual attention. Judgm. Decis. Mak., 3: 396—403.
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謎多き稀少動物「キューバソレノドン」の研究最前線 - 従来の説を覆す! https://academist-cf.com/journal/?p=3538 Fri, 10 Feb 2017 01:00:57 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3538 キューバソレノドンとは? キューバソレノドンは、真無盲腸目のソレノドン科に属している頭胴長30cm、体重500〜800グラム程度の哺乳動物です。真無盲腸目とは聞き慣れない言葉かもしれません。この分類群の設定と有効性には論議がありましたが、我々の最新の研究発表により真無盲腸目が有効であることがほぼ確実となり、そこには、モグラ科、トガリネズミ科、ハリネズミ科とソレノドン科が含まれています。ソレノドン科には、キューバに生息している今回の話題のキューバソレノドンと東隣のイスパニョーラ島にいるハイチソレノドンの2種しか現存しませんが、第4期の地層からはソレノドン属の別の2種が両島より出土しています。ソレノドン類は2種しか現存していないだけでなく、生息数も少なく絶滅危惧種です。ソレノドン類は唾液に毒を持ち、また原始的な形態や特異な形状から生きた化石や珍獣などと称されています。 [caption id="attachment_3539" align="aligncenter" width="600"] キューバソレノドン(日本・キューバ合同調査隊撮影)[/caption] キューバソレノドンは現地ではアルミキと呼ばれ、キューバの切手や記念コインになるなどキューバを象徴する希少動物です。1970年代には一度絶滅したとされていましたが、2003年に1頭が生体捕獲されました。しかしその後はまったく生息状況がわからず、まさに幻の動物でした。このため生きた個体どころか標本さえも見ることがまれな動物で、学術的な調査はほとんどなされていませんでした。

生体捕獲に成功!

このような生存しているのかさえわからない状況のなか、2011年に私が呼びかけ人となり、筑波大の北将樹さん、宮城教育大のラザロ・エチェニケさんやキューバの国立公園などの諸機関の研究者を結集した日本キューバ合同アルミキ調査隊が組織されました。そして2012年3月にキューバ東部のアレハンドロ・デ・フンボルト国立公園内において、一挙に7頭の生きたソレノドンを捕獲する事に成功しました。絶滅したのではとの危惧のあとだっただけに、奇跡的とも言える捕獲でした。キューバソレノドンは厳重に保護されているので、もちろん捕殺することはできず、データや必要最低限のサンプルを取ったのちは生きたまま自然に帰しました。そして、現在に至るまで調査を継続し、キューバソレノドンの痕跡の発見や捕獲などに成功しています。これは世界的にほかのだれも成しえていない我々のグループの誇るべき成果です。

本格的研究の始動

キューバソレノドンは1861年に分類の記載報告がされて以来、学術的な報告はほとんど皆無でした。我々は、進化や生態や行動について手探りの状態で研究を進めました。2015年に福山大の佐藤淳さんに調査団に加わってもらい、系統進化についての分析を行いました。それまでは、ソレノドンは白亜紀つまり恐竜が地球上に跋扈していた時代から存在している「生きた化石」と言われていました。ところが核遺伝子の塩基配列に基づく系統解析と分子時計の原理による分岐年代の推定を行ったところ、ソレノドン科は恐竜が滅んだ約5900万年前に出現したことが判明しました。従来の説のように恐竜とは共存していなかったのです。さらに、今までの説では、キューバソレノドンとハイチソレノドンの種分化はキューバ島とイスパニョーラ島が分離した約1600万年前に種分化したと考えられていましたが、我々はそれよりもかなり新しい約400万年前に分化したことを突き止めました。つまり2つの島が分離したあとに、浮島や倒木などに乗って海流で運ばれた個体が漂着して種分化したということになります。今までの通説が我々の研究により覆されたのは、この動物を幸運にも何頭も捕獲できたためです。研究は頭を動かすと同時に体も動かさないとならないとつくづくと思いました。 [caption id="attachment_3540" align="aligncenter" width="600"] 真無盲腸目におけるソレノドン科の系統的位置と分岐時期の推定(Sato et al., 2016より改変)[/caption] 現在は、唾液に含まれる毒の化学成分や糞分析による食性、音声などの分析を進め、論文として発表する準備をしています。キューバソレノドンについての学術報告はほとんどないので、とにかく些細な情報でも報告していくことが私たちの義務だと思い、努力をしています。

ソレノドン研究の問題

順調のように見える調査ですが、現在、キューバソレノドンの研究は2つの面で岐路にたたされています。ひとつは調査自体の存続の問題。キューバソレノドンは希少動物でキューバ政府により厳重に保護されており、調査の許可はキューバ政府によって裁可されます。一方、昨今の不安定な国際情勢、特にアメリカとキューバの微妙な関係によって日本の研究者への現地調査の許可が不安定になっています。とりわけソレノドンが生息する国立公園は軍事上の重要な場所でもあるので、国際情勢によって調査の許可がおりないことも考えられます。逆にアメリカとの関係が劇的に修繕されれば、豊富な資金や優秀な人材に恵まれたアメリカの研究機関が優先的に調査を行い、我々が結果的に閉め出される可能性も皆無ではありません。いずれにせよ、国際情勢が安定しないことには調査もままなりません。これは一研究者が解決できる問題ではなく、平和で安定した世界情勢が訪れる日を、我々は心から願っております。2つ目の問題は、大量捕獲された2012年以来、年ごとに捕獲されるソレノドンが少なくなっており、ソレノドンの生息数が激減している可能性があることです。さらに今年度の調査の結果、調査を始めた当時はいなかった外来捕食性哺乳類(具体的名前はまだ明らかにできません)が国立公園付近で確認されました。キューバ島にはネコ科やイヌ科などの捕食性の哺乳類が元々いなかったので、キューバソレノドンは存続してきたと考えられています。今までも野生化した猫による捕食も問題視されていましたが、昨年からは、さらに別の侵略的な捕食者が入ってきたのです。つまり元々の希薄な個体数密度に加えて、外来種の到来によって、今回こそ絶滅へ大きく近づいている可能性があり、我々は危機観を募らせています。

今後の研究

以上のように、今後はキューバソレノドンの基礎研究だけでなく、保全のための研究と具体的な策が早急に求められています。このため我々は、カメラトラップ法などによってソレノドンと外来捕食者の密度を推測しようと計画をしています。行動調査も本来ならテレメトリー法によって正確に調べるべきですが、キューバでは電波を使った調査は許可されないので、これもカメラトラップにより推測できないか検討する予定です。さらに糞の中に残っているDNAから、次世代シーケンサーを用いてどんな餌メニューを利用しているのかを定量的に分析することも計画しています。キューバソレノドンの調査にはさまざまな制約がありますが、このとても魅力的で貴重な動物のことを知るという知的好奇心に加えて、私たちの調査グループは、この種を存在させるという社会的使命をもって調査を継続、発展させて行きたいと思っています。   参考文献 大舘智志ほか(2013). キューバソレノドン(アルミキ)の多数捕獲の成功と調査顛末 : 「珍獣」でなくなる日を目指して. どうぶつと動物園 65: 24-29. Sato J. J. et al. (2016). Molecular phylogenetic analysis of nuclear genes suggests a Cenozoic over-water dispersal origin for the Cuban solenodon. Scientific Reports 6: 10.1038/srep31173]]>
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最速プレゼン王は誰の手に? 「academist シンポジウム Vol.2」開催レポート https://academist-cf.com/journal/?p=3546 Mon, 13 Feb 2017 01:00:15 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3546 2017年1月28日(土)、「academistシンポジウムvol.2」が開催されました。休日の午後開催にも関わらず、30名余りの研究に興味のある方々が集まりました。 今回のacademistシンポジウムのテーマは「最速プレゼン王決定戦」。その名のとおり、登壇者(研究者)の方々は、まずはじめに60秒という短い時間で研究プレゼンを行います。その後、会場内に張り出されたパネルの前でポスター発表を行い、プレゼンの内容についてさらに詳しく解説します。それを聞いた来場者は、1人当たり10枚持っているコインを、支援したいと思った登壇者の方々の貯金箱に入れていきます。このコイン数に応じた賞金が、登壇者の方々に当日渡されます。賞金は来場者からの参加費がもとになっており、まさに"リアル・クラウドファンディング"という趣向になっています。 [caption id="attachment_3549" align="aligncenter" width="600"] コインを受け取る貯金箱。来場者の方々全員が、1人当たり10枚のコインを持っています[/caption]  

最速プレゼン王は誰だ!? 60秒研究プレゼン

まずは60秒プレゼンの時間です。登壇者はあらかじめWebサイトからプロポーザルを送り、審査を通過した7名の研究者。始まる前の皆さんはド緊張の様子でした。研究内容を1分でまとめることは難しく、登壇者の方はとても大変だっただろうと思いますが、皆さんしっかり準備されていたので、充実した内容でした。   最初の登壇者は網藏和晃さん。普段はタンパク質合成の研究をされているとのことですが、今回発表されたのはバラのトゲのある箇所に法則があるのではないかという研究です。こういうふとした個人的な興味の研究こそ、研究魂の本質という感じがしますね!     次の登壇者はソフトロボティクスの触覚学を研究されている安藤潤人さん。櫛の歯のように、固い棒状のものを剣山のように貼り付けたデバイスを通して物を触ると、そのテクスチャーの変化が増幅されるとのこと。こういった柔らかい素材のものを使用してロボットを作る研究を進めているのだそうです。     次の登壇者は大内遙河さん。専門は天文学で、電磁波で天体を見るシステムの開発資金を募りたいとのこと。非常に魅力的な話し方で天文学の進歩の過程から最新の問題までを1分ジャストで解説してくださり、圧巻でした。     次の登壇者は木下貴裕さん。地質の研究をされています。地質に対する情熱が素晴らしく、ポスターセッションでもっと話を聞いてみたいと思わせる、熱の込もったプレゼンでした。     次の登壇者は車兪澈さん。人工細胞の研究をされています。試験管のなかで作成した自分で成長し自分で増える「人工細胞」は、果たして生命と呼べるのか否か。何が物質と生命を分けるのか……。哲学的ですね!     次の登壇者は三橋利晴さん。「オタクの皆さん、元気ですか!?」から始まったプレゼン。会場の笑いを誘っていました。フォーカスしているのは人と人とのコミュニケーションだそうです。確かにコミュニケーションがなくなると健康状態が悪くなる(心身を病むなど)というのは、関係がありそうですよね。     次の登壇者は和田有希さん。雷雲は天然の加速器なんだそうです。ガンマ線検出器を搭載したドローンを雷雲の中まで飛ばすことで、その性質を研究したいのだとか。   あっという間の60秒プレゼン。登壇者の方々はさぞ大変だったことでしょう。来場者の方々にとっては、パフォーマンスとしても楽しく、研究内容の凝縮版も聞けて満足度が高かったのではないかと思います。

ポスターセッションでコインの投入先を決定

さて、プレゼンの後はポスターセッションです。来場者の皆さんは、適度に散らばって思い思いに登壇者の方のポスターを聞きに行っていました。   皆さん熱心。登壇者の方にとっても、興味を持ってもらえたりフィードバックがもらえたりするのは励みになるでしょうね。 ポスターセッションの1時間はあっという間に過ぎていきました。どの研究も話し込んでしまえるだけの内容があるので、7つすべての発表をゆっくりは見られなかった方もいたかもしれません。司会のアナウンスに従って、慌ただしく自分のコインを貯金箱に入れておられる方もいらっしゃいました。 ポスターセッションが終了し、運営がコインを集計している間に30分程の歓談タイム。登壇者の方々も少しホッとした様子でお菓子など手に談笑されていました。登壇者の方同士の交流も生まれていたようです。

最速プレゼン王は……?

いよいよ結果発表! 今回は賞が3つ用意されていました。 ひとつ目は、本イベントのスポンサーである「知恵の流通の最適化のインフラづくり」を目指すアカリク様より、ソフトロボティクスの安藤さんに「アカリク賞」が送られました。熟練工の知恵を汎用性のあるものにしようという産業界への波及を捉えたプレゼンが、まさにアカリク様の目指すところとリンクしていた点が評価されました。   2つ目は、もっとも60秒プレゼンが良かった人に贈られる「アカデミスト賞」です。受賞者は天文学を研究されている大内さんでした。時間ジャストでポイントを漏らさず言い切ったプレゼンは素晴らしかったです!   そして3つ目は、本イベントでもっとも多くのコインを獲得された方に送られる「最優秀賞」。ドローンで雷雲に突撃の和田さんが受賞しました。具体的な物を作っているところが来場者の方々の心に刺さったのかも知れませんね。   最後に、登壇者の方々全員にコインの獲得数に応じた賞金が授与されました。また、サプライズでacademistのTシャツもプレゼント。ぜひ研究室で着てくださいね * * * 研究者の皆さんはどの方も、突けば突くだけ知らなかった知識を教えてくださいました。やっぱり研究って、研究者って、面白いですね! 研究者と直接会って話す機会はめったにないという人もたくさんいらっしゃると思います。そう考えると、研究者と、研究に直接携わってはいないけれども興味がある方との接点として、とても良い場になったのではないかと感じました。研究者の方々も、普段は同じ分野の方々を相手に研究内容の発表やディスカッションなどをされているなかでは、一般の方へ向けてのプレゼンは新鮮で、モチベーションアップにもなったのではないでしょうか。 以上、盛況に終わった「アカデミストシンポジウムvol.2」の当日の様子をお伝えしました。ぜひ次回もお楽しみに!]]>
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プレート境界からの「水漏れ」が深部低周波地震を抑制? - 西南日本の高精度地震波解析で明らかになったこと https://academist-cf.com/journal/?p=3583 Tue, 14 Feb 2017 01:00:46 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3583 西南日本の深部低周波地震 西南日本は、その下にフィリピン海プレートが沈み込み、1944年東南海地震や1946年南海地震のようなプレート境界巨大地震が過去に何度も発生し、大きな被害を受けてきました。これら巨大地震の震源域(すなわち固着域)に隣接して、その深部側の深さ30km付近のプレート境界では、東海地方から豊後水道に至る長さ約700kmにわたって、低周波の卓越した小さな地震、深部低周波地震が、約3か月ないし6か月間隔で繰り返し発生しています。 [caption id="attachment_3584" align="aligncenter" width="600"] 図1 西南日本の深部低周波地震の分布(赤点)と1944年東南海地震、1946年南海地震の震源域(緑領域)[/caption] 図を詳しく見ると、多数発生し帯状に分布するこれら深部低周波地震は、伊勢湾(図中のC)と紀伊水道付近(図中のD)で途切れています。さらに、その東および西に隣接する関東および九州では、同じようにフィリピン海プレートが沈み込んでいるにも拘わらず、深部低周波地震は発生していません。何故そのような違いが生じるのでしょうか? その原因を探ることを考えてみました。

ゆっくり滑りと低周波地震

沈み込み帯のプレート境界では、その滑り方に2種類あると、これまで考えられていました。温度の低い浅部では、プレート境界は普段固着していて、固着により蓄積した応力が強度の限界に達すると急激に滑ります。プレート境界地震です。一方、深部では温度が高くなり、もはや固着は生じないで定常的にずるずるとゆっくり滑っています。 ところが最近になって、上記2種類の滑り方とは異なる滑り方をする領域もあることがわかってきました。普段は固着していて応力が強度に達すると滑るという点では通常の地震と同じですが、地震のように急激に滑るのではなく、ゆっくりと滑るのです。このような領域があることが、地殻変動データを丹念に解析することにより、西南日本とカナダ太平洋岸のプレート境界で、ほぼ同時に発見されました。その後、このように間欠的に起きる「ゆっくり滑り」が世界の沈み込み帯で相次いで報告されるようになりました。現在までに見出されたゆっくり滑りの継続時間は数日~数年と極めて幅が広く、ゆっくりと滑るので地震波を励起せず、したがって通常は地震計では観測できません。ただし、数日~数週間程度と継続時間の短いゆっくり滑り(短期的ゆっくり滑りと呼ばれる)のなかには、それに伴って低周波の地震波を励起するものもあります。地震計で検出されるこれらの地震は「低周波地震」と呼ばれ、固着の不均質に起因してところどころで滑りの加速や減速が生じ、その結果生成された低周波の地震波をみているのだと考えられています。西南日本の深部低周波地震もそのひとつです。

深部低周波地震と巨大地震震源域

ゆっくり滑りは、大地震の震源域すなわち普段固着している領域の周囲で発生します。したがって、それに伴って生じる低周波地震も大地震震源域の周囲で発生します。プレート境界は海溝から陸に向かって傾斜しているので、そのうち深部側で起きている低周波地震(すなわち深部低周波地震)は陸域の観測網に近く、そのため最初に発見されました。西南日本の深部低周波地震がそれです。深部低周波地震については、これまで多くの研究が行われてきました。地震計で観測できるので、GPSや傾斜計などで観測されるゆっくり滑りより検知しやすいからです。地球潮汐による応力変化や大振幅の地震波の通過による応力変化など、小さな応力変化にも敏感に反応して誘発されることもわかっています。これは、深部低周波地震の発生している領域が「強度が非常に弱い断層」であることを示唆しています。プレート境界の強度を弱くする原因としてはそこでの高い流体圧が考えられますが、流体圧を上昇させるメカニズムはよくわかっていませんでした。 また、これらの周期的に繰り返す深部低周波地震/短期的ゆっくり滑りは、隣接する巨大地震震源域にその破壊を促進する方向に応力を加えます。その量は小さいですが大地震発生との関わりが指摘されています。このように、深部低周波地震の発生場の理解はプレート境界での滑り過程を解明するために重要です。 そこで我々は、深部低周波地震(と短期的ゆっくり滑り)を引き起こす原因を探ることを目的に、世界で最も稠密な地震観測網が構築されている西南日本を対象に、地震波速度構造を高精度に推定することを試みました。深部低周波地震が発生するか否かは、プレート境界での水の挙動が決めていると推測し、地震波速度の情報から、それを確かめることができるのではないかと考えたのです。

地震波速度異常域

西南日本で発生している地震のデータに地震波トモグラフィを適用して、深部低周波地震発生域周辺の詳細な地震波速度構造を求めました。地震波トモグラフィは、医学で使われるCTスキャンと同じ原理であり、地震の震源から放射されたP波(縦波)およびS波(横波)が観測点に到達する時刻のデータを用いて、地下のP波およびS波速度構造を求めることができます。このとき、多数の地震と観測点のデータを使うと、得られる地震波速度構造の解像度が上がります。 P波446,805個、S波392,404個の到達時刻データを用いることにより、関東から九州まで約1000kmにわたる帯状の領域周辺における地震波速度の空間変化を明らかにすることができました。その結果、深部低周波地震が発生している領域では、プレート境界直上の上盤プレートの岩石が平均的な地震波速度を示すこと、一方、深部低周波地震が発生していない関東、伊勢湾、紀伊水道、九州では、プレート境界直上の岩石の地震波速度が平均よりも4%以上遅く、かつP波速度とS波速度の比(Vp/Vs比)は1.80以上か1.70以下という異常な値を示すことがわかりました。 [caption id="attachment_3585" align="aligncenter" width="600"] 図2 図1の青枠で囲まれた領域(長さ1000km)におけるP波速度分布(上図)とVp/Vs比の分布(下図)。フィリピン海プレート境界から1~4km上方の上盤プレート内の値を示す。深部低周波地震の非発生域ではP波速度が遅く、Vp/Vs比が1.80以上か1.70以下となっている[/caption] 関東、伊勢湾、紀伊水道、九州で見出された、このような異常な地震波速度の値は、プレート境界直上の岩石が水による変成作用を受けていることで説明できます。プレートは沈み込みに伴う温度と圧力の上昇により保持していた水を吐き出すので、プレート境界には大量の水が溜まっていると推定されますが、このことは、その水が漏れて直上の上盤プレートの岩石を変成させていることを示唆します。水漏れしていれば、流体圧が低下するのでプレート境界の強度は大きくなります。さらに、プレート境界から漏れた水は上盤プレート内で発生する地震の原因にもなります。 [caption id="attachment_3586" align="aligncenter" width="600"] 図3 深部低周波地震の発生域(a)と非発生域(b)における水の挙動の模式図[/caption] 一方、水漏れがなければ、流体圧が高くなりプレート境界は「弱い断層」になります。さきに深部低周波地震の発生している領域ではプレート境界の強度が弱いと推定されると書きましたが、その推定と良く一致します。どうやら深部低周波地震(と短期的ゆっくり滑り)の発生には、プレート境界で水漏れがなく高い流体圧になっていることが必要なようです。 地下深部の巨大地震発生域で、プレート境界の流体圧を直接測定することは不可能です。しかし、今回の研究結果は、プレート境界付近の地震波速度構造を丹念に調べれば、流体圧の空間変化を知ることができる可能性を示しています。プレート境界の強度の空間変化や沈み込み帯の水循環の理解が進むと期待されます。 参考文献 Nakajima, J. & Hasegawa, A., 2016, “Tremor activity inhibited by well-drained conditions above a megathrust”, Nature Communications, 7, doi:10.1038/ncomms13863]]>
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君も憧れのスーパードラマーになれる? - eラーニングは音楽の世界へ https://academist-cf.com/journal/?p=3591 Fri, 03 Mar 2017 01:00:51 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3591 モーションキャプチャー技術の活用 モーションキャプチャーというのは、人間の体の動きを計測する機器のことです。スポーツの分野では昔から利用されていますが、とても高額な特別な機器をつける必要がありました。私たちは、eラーニングの普及には、特別な機器ではなく、安価なものを利用することが不可欠だと考えています。近年、安価なモーションキャプチャー機器が普及しており、Microsoft Kinectはそのひとつです。Kinectはもともとゲーム用の機器で、数万円で購入できます。あくまでゲーム用ですので、精度については高価な機器にはかないませんが、それでも実用性は十分です。

ドラム演奏動作を真似て学ぶ

私たちは、Kinectでドラムを対象とした学習支援に着目しました。楽器演奏というのは、譜面を覚えるだけではなく、楽器を思ったとおりに操作するスキルが必要です。ドラム演奏の場合は、リズム感が重要とされますが、スティックなどで叩いて音を鳴らす場所は複数存在し、両手、両足を動かすことになります。つまり、リズムよくドラムを演奏するためには、適切な動かし方(演奏動作)が必要になるわけです。しかし、ドラム演奏の譜面にはどの腕で叩くべきかといったことは書いてありません。ミュージシャンによって、ドラムの叩き方は異なってきます。 正解のない動きに対してどのように学習支援につなげていくのか? この課題に対して私たちは、「真似て学ぶ」という考え方に着目し、お手本となる特定の演奏を真似させることで、演奏動作を学ばせる方法を取り入れました。では、お手本の教材の動きに似ているか似ていないかをコンピュータで把握させるにはどうすればよいでしょうか。そこでKinectの登場です。私たちは、ドラム演奏における演奏者の左右の手・腕の動きをKinectで検出し、各関節の3次元的な位置関係から、手首・肘・肩の関節の開き具合を数値化し、それをお手本の教材と比較できるようにしました。写真はお手本の骨格と演奏者の骨格を重ね合わせています。

類似度を可視化する

eラーニングシステムとしてうまく機能するためには、どこがどう良いのか(悪いのか)を教えてもらう必要があります。Kinectから得られる関節の動きを数値化するだけでは、それを演奏のスキルに反映させることは困難です。また、両腕の手首・肘・肩の計6箇所から3次元(x,y,z)の数値が得られるため、全部で18箇所の数値を比較する必要があります。さらに、ドラム演奏は楽曲を対象としたものなので、譜面上のリズムパターンによって、得意・不得意なところは異なります。私たちは、これらを直感的に捉えられるように、類似度の度合いを4段階のレベルで簡略化することにしました。そして、どのリズムパターンに対して得意・不得意なのかがわかるように、比較結果を譜面上の色で表現することにしました。

さらなる学びのサポートへ

現在は、加速度センサーなども小型化し、安価に手軽に利用できるようになりました。モーションキャプチャーやセンサーを利用することで、eラーニングで学べる対象は、従来の座学的なものではなく、スポーツや音楽、芸術の世界へ広がる可能性があります。私たちは、支援対象を広げていきながら、スキル(技能)とそれを学ぶ仕組みの研究を続けています。]]>
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細胞カウンターのコストダウンと高速化を実現したい! - 生命科学分野の生産性向上を目指して https://academist-cf.com/journal/?p=3608 Wed, 15 Feb 2017 09:00:13 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3608 細胞カウンターのコストダウンと高速化を実現したい! [caption id="attachment_3609" align="aligncenter" width="600"] 談さんが作成した細胞カウンター[/caption] ご支援していただいた方へのリターンとして、談さんがデザインした「ナイロン製キーホルダー(5,000円)」や、実際に談さんが作成した「オリジナル細胞カウンター(70,000円)」が用意されています。 【募集期間】2017年02月10日〜2017年04月30日 【支援サイト】academist(アカデミスト) 【お問い合わせ】info@academist-cf.com]]> 3608 0 0 0 生分解性プラスチックを用いた打ち上げ花火を作りたい! - 「持続的な美」の実現を目指して https://academist-cf.com/journal/?p=3615 Thu, 16 Feb 2017 09:00:45 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3615 生分解性プラスチックを用いた打ち上げ花火を作りたい! ご支援していただいた方へのリターンとして、「花火オリジナル画像(1,000円)」や「オリジナル花火Tシャツ(5,000円)」、「オリジナル花火玉模型(50,000円)」が用意されています。 【募集期間】2016年02月13日〜2017年03月28日 【支援サイト】academist(アカデミスト)https://academist-cf.com/projects/?id=38 【お問い合わせ】info@academist-cf.com]]> 3615 0 0 0 「教え」、「気遣う」赤ちゃん - 1歳半児は相手の知識や注意状態を踏まえてコミュニケーションする https://academist-cf.com/journal/?p=3626 Mon, 20 Feb 2017 01:00:30 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3626 コミュニケーションと他者の「こころ」 わたしたちは、他者との関わりのなかで生きています。周囲の人の知覚状態(どこを見ているか)や知識状態(何を知っているか)を適切に認識したうえで、その人(たち)の行動を理解したり、その人(たち)とコミュニケーションを行ったり、その延長上に規範や社会を捉えることができます。もちろんコミュニケーションはヒトという生物の専売特許ではありませんが、「ヒトらしい」コミュニケーションやそれを支えるこころのメカニズムは、どのように成立するのでしょう。 乳児を対象とした研究はこの謎に答える手段のひとつです。研究者たちは、生物学的な基盤と出生後(あるいは出生前から)の経験との相互作用を通して、さまざまな行動や認知の様式が出現する発達過程を具体的に明らかにすることで、(大人で見られるような)ヒトのこころの成立過程に迫ろうとしてきました。これまでの研究からも、困った表情を見せたり、助けを求めてきた大人からのコミュニケーションに応える際に、1歳半児でもその他者の知識状態を推測したうえで振る舞っていることが明らかになっています。たとえば、3つの異なるボールがあるなかで「ボールちょうだい」という曖昧な要求を大人から受けた場合、1歳半児は「その大人と一緒に遊んだことのあるボール」を取って渡す、つまり、相手とのこれまでの言語的・物理的な共有経験を考慮して応答しているようなのです。 とはいえこれまでの研究の多くは、乳児が自分に向けられたコミュニケーションに対してどのように応答するか、に着目したものでした。コミュニケーションは、他者の行為に応答する側面と自分から行為を始発する側面とから成り立つ相互的なプロセスと見なす必要がありますが、どうしても「周囲の大人が教える/赤ちゃん、子どもが学ぶ」という教育観の影響が強いためか(それ自体は真実の一面ですが)、赤ちゃん側からの自発的な行動や、関心については、あまりよく分かっていませんでした。

他者の「知らないもの」を乳児が自発的に指差す

2014年に我々の研究グループは、1歳半児が、大人との対面場面において、相手の知識・注意の状況を踏まえた上で自発的に指さして「教えたがる」傾向があることを示す論文を発表しました。具体的には、まず、おもちゃAを使用して赤ちゃんがひとりで(あるいは背後にいる母親と)遊ぶ条件と、おもちゃBを使用して実験者と赤ちゃんとが遊ぶ条件を設定しました(各遊びは1分、条件の施行順序はカウンターバランス)。その後おもちゃは片づけられ、赤ちゃんが実験者と対面して遊んでいると、実験者の背後にある2つの窓からおもちゃAとBが出現しますが、実験者はそれに気づきません。この状況下での赤ちゃんの反応を記録しました。その結果、乳児は、(実験者が経験していないであろう)おもちゃAをより高頻度に指さしました。視線や表情の分析から、そのおもちゃが欲しくて指さしている訳ではないようです。どちらのおもちゃも経験していない新たな実験者と対面する統制実験では、選択的指さしは見られないことも明らかになりました。つまり、「ひとりで遊んでいたおもちゃをより多く指さしている」訳ではなく、目の前に誰がいるかによって指さしの方略を変更していることになります。これらを踏まえて、乳児は実験者と共有した経験に基づいて、「新しいもの」を自発的に指さして「教えている」と結論付けられました。 [caption id="attachment_3627" align="aligncenter" width="600"] 実験場面における乳児の自発的な指差し[/caption]

「気づいていない」方の他者に関心を向ける1歳半児

しかし一方で、日常的に経験する社会的な関わりにおいては、赤ちゃんは自他間だけでなく、他者間(たとえば親どうし)のやりとりの観察も手掛かりにして能動的に情報を抽出し、言語学習を行っていることがすでにわかっています(「私」、「あなた」といった代名詞の学習など)。では、目の前のふたりのうち「ひとりは知っていてもうひとりは知らない」状況に、赤ちゃんはどのような反応を見せてくれるでしょう。生後9ヶ月、1歳、1歳半の赤ちゃん(各24名)と保護者の方に参加していただき、実験を行いました。具体的には、保護者の膝に座った乳児に、2人の成人女性が並んで登場する動画を見てもらい、視線計測装置(Tobii TX300)を用いて赤ちゃんが画面のどの部分をどんな順番で見たか測定しました。実験刺激としては2種類の動画を用意しました。ひとつは、ふたりが互いに顔を見合わせてから、一方(行為者)が、前にある2つのおもちゃのうちひとつに視線を向けるもの(顔合わせ条件)、もうひとつは、ふたりが互いに顔をそむけた後に一方がおもちゃに視線を向けるものでした(顔そむけ条件)。 画面内の人物やおもちゃを赤ちゃんがどのくらい・どんな順番で見たかを解析したうえで、月齢ごとに結果をまとめ分析をおこなったところ、9ヶ月・1歳児はどちらの条件においても「行為者が見たおもちゃ」に視線を向けていました。つまり、行為者の視線を追っていたのです。しかし、1歳半児の反応は異なっていました。顔合わせ条件では9ヶ月・1歳児と同じ結果でしたが、顔そむけ条件では、行為者の視線を追うのでなく、行為者の隣にいる大人により視線を向けていたのです。 顔合わせ条件では画面内の2人の注意は共有されていると考えられますし、行為者の注視によって、もうひとりとの間に注意や知識のギャップが生じることはなさそうです。しかし 顔そむけ条件では、もうひとりは、行為者の注視に気づいていないかもしれないし、他のことに注意を向けているかもしれません(そして赤ちゃん自身は、行為者の行為を知っています。もうひとりの人物だけが「知らない」可能性があるのです)。1歳半の赤ちゃんは、このような自他間および他者間の認識論的な差異を踏まえ、「気づいていない」他者に自発的な関心を寄せたと解釈することができました。 [caption id="attachment_3628" align="aligncenter" width="600"] 動画刺激の例および主な結果[/caption]

研究から考えられること

これらの研究結果は、1歳半の赤ちゃんが、コミュニケーション場面において、相手の気づいていない・知らないものを自発的に指さすような「教えたがり」の傾向を持つばかりか、他者同士のやりとりにおける心的状態の共有に対する感受性まで備えていることをはじめて示唆したものです。彼らは、従来論じられてきたように「有能な教わり手」であるだけでなく、他者の状況を踏まえた上での自発的で柔軟な「教え手」でもあり、また、他者間の知識状態の違いを「気遣う」反応さえ示すのです。このような赤ちゃん研究の成果は、発達心理学にとどまらず、コミュニケーションそのものや「教えること」の起源を理解する上でも新たな視点を提供してくれます。なお、こういった能力・傾向が9ヶ月や1歳児で見られなかったことは、神経基盤の成熟が関与している可能性も考えられますが、反応の発現に至るまでの成熟過程においては、養育環境における経験が大きな手掛かりとなっている可能性を無視することはできません。「9ヶ月や1歳児は”気遣わない”」訳ではないことは申し添えておかなくてはいけませんし、行動発達の背景になる要因がどのようなものかについては、今後検討していきたいと考えています。   引用文献
  • Meng, X., & Hashiya, K. (2014). Pointing behavior in infants reflects the communication partner’s attentional and knowledge states: a possible case of spontaneous informing. PLoS ONE, 9(9), e107579.
  • Meng, X., Uto, Y., & Hashiya, K. (2017). Observing Third-Party Attentional Relationships Affects Infants' Gaze Following: An Eye-Tracking Study. Front. Psychol. 7:2065.
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認知症の一種「前頭側頭葉変性症」の発症メカニズム - なぜ神経変性疾患の治療は困難なのか https://academist-cf.com/journal/?p=3636 Tue, 21 Feb 2017 01:00:21 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3636 前頭側頭葉変性症(FTLD)とは FTLDは前頭側頭型認知症(FTD)とほぼ同義と考えられており、アルツハイマー病などと比べると少ないですが、若年性認知症の約2割を占めると考えられています。人格の変化や情動の障害が前景に生じることが特徴で、万引きや痴漢など反社会的行為を起こしてしまうことがあることから、社会的にも問題になってきています。2014年には大阪高裁で窃盗累犯(万引き常習)を問われた女性がこの疾患であることがわかったために猶予認定されたという事例があり、司法関係のほうでも注目をされるようになってきています。しかし残念なことにFTLDの疾患概念そのものがわかりにくいことなどから、一般の人々にはもちろん医療関係者にさえ、しっかりとは認知されていない状況です。このため相当数の患者さんがFTLDだと気づかれないまま、家族や周囲を巻き込んで苦境に陥っている可能性があります。 FTLDはアルツハイマー病やパーキンソン病をはじめとする神経変性疾患のひとつであり、病名の由来のとおり前頭葉と側頭葉での神経脱落を病理学的な特徴とします。アルツハイマー病では病理学的にアミロイドβとタウタンパク質の蓄積が大きな特徴ですが、FTLDにおいてもタウタンパク質の蓄積が認められる症例があり、タウオパチー(異常タウタンパク質が蓄積する特徴を持つ疾患の総称)のひとつと考えられています。一方でFTLDの一部には、運動ニューロン病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)と遺伝的、臨床的、病理的な共通性を持つ症例が存在し、ALSと同一の疾患スペクトラムを形成しているとも考えられています。少しわかりにくいかと思いますが、これはほとんどの孤発性(家族歴のない)の神経変性疾患の分類には明確な境界が実際には存在せず、それぞれが下の図のようにグラデーションを形成しているというように考えるとわかりやすいかと思います。 タウオパチーとしてのFTLDではリン酸化タウの蓄積が、ALSに近いFTLDではTDP-43、FUSをはじめとするRNA結合タンパク質の蓄積が病理学的な特徴です。これらの異常蓄積を特徴とする分子の生理的な機能については不明な点が多く、たとえばタウは神経細胞内で微小管に結合することは知られていますが、実際にどのような神経機能を私たちの神経組織で生理的に有しているのかはわかっていません。同じように、RNA結合タンパク質であるTDP-43やFUSが核内で転写や選択的スプライシングに関与していることは明らかになっていますが、神経機能に具体的に関与している詳細についてはほとんどわかっていません。

FTLDの発症メカニズム

私たちは、FUSが神経細胞の核内で別のRNA結合タンパク質であるSFPQと結合して、複合体を形成することで選択的スプライシングを制御し、結果としてタウタンパク質の種類(アイソフォーム)のバランスを担っていることを明らかにしました。さらに、FUSやSFPQの機能喪失マウスモデルでは、このタウタンパク質の種類(アイソフォーム)のバランスが崩れることで、情動の異常などFTLDに類似する高次機能の障害が起きることを明らかにしました。 このバランスを元に戻すことで高次機能障害が回復したことから、タウタンパク質の種類(アイソフォーム)のバランス異常がFTLDをはじめとする4R タウ優位の病理像を特徴とする進行性核上性麻痺(PSP)、大脳皮質変性症(CBD)などタウオパチーと呼ばれる認知症の早期病態を引き起こしている可能性が示唆され、この早期の病態をターゲットにした根本治療の開発を今後行っていきたいと考えています。

なぜ神経変性疾患の治療は困難を極めているのか

ただ、もしかすると「それって、よくある研究者の希望的観測なのでは?」と思われるかもしれません。実際のところFTLDはもちろん、アルツハイマー病やALSなどの根本治療薬は未だに開発されていません。それどころか近年の臨床試験は95%以上が失敗に終わっています。ですから、なぜ神経変性疾患の治療は困難を極めているのかを考えていく必要があります。下の図のように神経変性疾患を含めた慢性疾患では実際に症状が表れる以前より水面下で病気は進行してきており、シグモイド曲線のような経過をたどるものと考えられています。   図の中にあるバイオマーカーというのは臨床症状が未発症の時期に検査などによって疾患を診断することができる指標のことです。たとえば糖尿病(2型)における血糖値、高血圧における血圧値はバイオマーカーに相当します。バイオマーカーが鋭敏で有用であればあるほど、その疾患は臨床症状が出る前にコントロールできて症状を押さえ込むことができます。では、認知症などの神経変性疾患ではどうかというと、残念ながら今のところバイオマーカーという便利な指標は存在していません。神経変性疾患に有効な治療法がほとんど存在しないのは、バイオマーカーがないことが理由と言ってもいいでしょう。今回の私たちの研究から、疾患関連タンパク質の本来の生理的な機能が、病気のメカニズムを考えるうえで重要な役割を担っているのではないかと推測されました。こうした生理的な機能を明らかにしていくことは根本治療法の開発だけでなく、バイオマーカーを見つけるという観点からも重要であり、疾患研究における基礎的な研究がとても大切であることを再認識する必要があるかと思います。   引用文献 Ishigaki S, Fujioka Y, Okada Y, Riku Y, Udagawa T, Honda D, Yokoi S, Endo K, Ikenaka K, Takagi S, Iguchi Y,Sahara N, Takashima A, Okano H, Yoshida M, Warita H, Aoki M, Watanabe H, Okado H, Katsuno M, Sobue G.(2017). Altered tau isoform ratio caused by loss of FUS and SFPQ function leads to FTLD-like phenotypes.,Cell Reports 18(5),1118–1131.]]>
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北大博物館に100万分の1スケールの地球断面図を作りたい! - 6.4mの巨大展示パネルで地球の大きさを体感 https://academist-cf.com/journal/?p=3647 Mon, 20 Feb 2017 09:00:52 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3647 北大博物館に100万分の1スケールの地球断面図を作りたい! ご支援していただいた方へのリターンとして、「北大博物館オリジナル栞(3,000円)」や、「内覧会の参加券(10,000円)」などが用意されています。 【募集期間】2017年02月17日〜2017年04月21日 【支援サイト】academist(アカデミスト) 【お問い合わせ】info@academist-cf.com]]> 3647 0 0 0 「生体内合成化学治療」 - 体内の狙った部位で薬を現地合成して治療する https://academist-cf.com/journal/?p=3664 Thu, 23 Feb 2017 01:00:34 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3664 有機合成化学の新しい可能性:薬を現地合成する? 有機合成化学の分野では、日々、効率的な反応が開発されています。一方、最先端の反応を体内で使用して、生体機能を操ったり、病気を治療しようとする試みは現状ではほとんど行われていません。私たちは、「生体内合成化学治療」と名付けた方法で、体内で直接金属触媒反応を行ったり、あるいは病気の部分で過剰に発生している分子を有機反応の試薬として活用することで、生きている動物内の狙った臓器や病気の部分で、ある時間枠にピンポイントで薬などの生理活性分子を直接合成して治療しようと考えています。このために、糖鎖が生体内で行っている複雑な「パターン認識」を解析して、これを生きている動物内の狙った部分に分子を送り込むために利用しています。また、生体内で起こっている未知の反応や、生体内でも使える反応を探索しています。本稿では、まず糖鎖の「パターン認識」による体内の特定部位を厳密に見分ける方法を解説した後、実際に私たちが行っている2つの代表的な「生体内合成化学治療」を紹介します。

糖鎖の「パターン認識」を使って、体内の臓器や疾患を厳密に見分ける

私たちの体の中では、無数の生体物質が存在するなかから、特定の生体分子や細胞、あるいは臓器を厳密に見分けるために、「糖鎖」という分子を使っています。重要なことは、1分子の糖鎖で狙った物質を見分けているのではありません。これでは無数の生体物質のなかから、狙った物質を見つけるための糖鎖分子の数が限られてしまいます。実は体内では、複数の糖鎖がクラスターを形成して、狙った物質を糖鎖のクラスター全体(複数の糖鎖分子の集まり)で「がばっと」見分けているのです。これは私たちが知り合いの顔を認識する時に、口や目、鼻などを単独で見分けているというよりも、むしろ顔全体で「パターン認識」しているのと同じです。私たちは、この生体内での「パターン認識」を実現できるさまざまな糖鎖のクラスターを合成して、糖鎖を使い分けることにより、体内の狙った臓器やがんなどの疾患を厳密に、そして非常に素早く見分けるだけではなく、体内からの排出も完璧に制御できることを明らかにしています。 [caption id="attachment_3665" align="aligncenter" width="600"] 糖鎖クラスターのパターン認識を利用することで、体内の狙った臓器やがんなどの疾患を高度に見分けることができる[/caption]

体内の狙った部位で金属触媒反応を実施して治療する「生体内合成化学治療」

上記で解説した糖鎖のクラスターを使うことで、生きている動物内の狙った臓器や疾患部位でも金属触媒反応を選択的に行うことが可能となります。たとえば、がんを認識できる糖鎖クラスターに対して、ある特定の反応を起こすことのできる金属触媒を持たせておきます。この糖鎖クラスターを静脈注射しますと、がんに金属触媒を素早く埋め込むことができます。次いで、活性も毒性もない原料や試薬を静脈注射しますと、これらは体内を循環しますが、がんに近づいたときに金属触媒に出会いますので、目的とした反応が進行し、がんの近傍で位置選択的に抗がん剤などの生理活性分子を「現地合成」することができるのです。この考え方により、薬剤の副作用やペプチド薬剤の安定性を根本から解決することができるのです。これまでに優れた活性を持っているものの、生体内での安定性や副作用のためにドロップアウトした分子が、この考え方によって見直される可能性が出てきます。この方法では、迅速で効率的な「金属触媒の運び屋」として糖鎖クラスターを使うことが大きな鍵となっています。すでに私たちは、体内の狙った臓器で金属触媒反応を実施することに成功しています。 [caption id="attachment_3666" align="aligncenter" width="600"] 体内の狙った部位で金属触媒反応を実現して治療する「生体内合成化学治療」[/caption]

疾患部位で過剰に発生する毒性分子を体内でそのまま生理活性分子に変換して治療する「生体内合成化学治療」

体内の疾患部分で過剰に発生している分子を有機反応の「試薬」として利用して、これを疾患を治療する薬理活性分子へと変換します。そのひとつの例として、最近私たちは、がんなどの酸化ストレス条件下で過剰発現するアクロレインが、ある種の生体内アミンと選択的に反応して、効率良く8員環化合物を与えることを見出しました。さらにこれらの8員環化合物は、実際に生体内の酸化ストレス条件下でも生成しており、驚くことに、アミロイド凝集を抑えたり、エピジェネティクスを制御しているなど、さまざまな生理活性を示すことを発見しました。これまで悪いものとばかり考えられていた酸化ストレスは、実はそうとばかりは言えないのです。わざと酸化ストレス条件下で細胞からアクロレインを放出し、近傍の生体内アミンと8員環化合物を与えることによって生体の機能を制御しているのです。逆の観点から見ますと、この現象を生体内における合成化学の技術として適応できます。すなわち、体内にアミン化合物を導入することで、疾患で生産する毒性物質のアクロレインをその場でさまざまな生理活性8員環化合物へと変換することが可能となり、疾患を効果的に治療することができるのです。 [caption id="attachment_3667" align="aligncenter" width="600"] 疾患部位で過剰に発生する毒性分子を体内でそのまま生理活性分子に変換して治療する「生体内合成化学治療」[/caption] 代表的な生体内合成化学治療について紹介いたしましたが、糖鎖クラスターについてはロシア、および理研で企業と共同して、診断と治療のために臨床展開しています。また、生体内では、上記に述べた8員環形成反応以外にも多くの反応が存在することを突き止めています。生体内で進行する反応を見つけることによって、これらの反応や生成物が制御する生体機能を有機合成化学の分野から突き止めることができると思っています。同時に、これらの反応を「生体内合成化学治療」に代表される治療や診断に有用な戦略へと開拓できると考えています。実際に、私たちの見つけた一部の反応は、国内外の病院で診断反応として臨床応用が進められています。このように、学術的に新規な有機合成化学を開拓する一方で、「創薬」のために使用されてきた従来の合成技術とは別に、臨床や社会に貢献できる体内での合成反応技術を開拓したいと思っています。   参考文献
  • L. Latypova, R. Sibgatullina, A. Ogura, K. Fujiki, A. Khabibrakhmanova, T. Tahara, S. Nozaki, S. Urano, K, Tsubokura, H. Onoe, Y. Watanabe, A. Kurbangalieva, K. Tanaka: Adv. Sci., 3, 1600394 (2016).
  • K. Tsubokura, K. K. H. Vong, A. R. Pradipta, A. Ogura, S. Urano, T. Tahara, S. Nozaki, H. Onoe, Y. Nakao, R. Sibgatullina, A. Kurbangalieva, Y. Watanabe, K. Tanaka: Angew. Chem. Int. Ed., 56, DOI: 10.1002/anie.201610273 (2017).
  • A. Tsutsui, T. Zako, T. Bu, Y. Yamaguchi, M. Maeda, K. Tanaka: Adv. Sci., 3, 1600082 (2016).
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イモリの性フェロモンとは - "惚れ薬"の正体に迫る https://academist-cf.com/journal/?p=3674 Wed, 01 Mar 2017 01:00:20 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3674 Cynops pyrrhogaster)で、オスがメスを誘引するフェロモン物質が発見されました。さらに最近メスがオスを惹き付けるフェロモンの正体もあきらかになりました。今回はそれらイモリが持つフェロモンについてこれまで明らかになったことを紹介したいと思います。

イモリと惚れ薬

そのフェロモンはイモリの種内でのみ活性を持ち、当然ヒトを含む他種にはおそらく効果がないわけですが、「イモリの黒焼き」といえば、以前は有名な媚薬として知られる存在でしたし、それ以前にも「イモリのしるし」という、言い交わした男女がすりつぶしたイモリを皮膚に塗っておく風習があり、会わない間にどちらかが不貞を働けば塗った部分が赤くなるとされていたそうです。このように、イモリと男女の恋愛は昔から関連付けられて考えられてきました。日本初の動物図鑑ともいえる『和漢三才図会』ではイモリについて、「性淫能交(性淫らにして、よく交尾(つる)む)」と紹介しています。すなわち、田植えや稲刈りの時期に水田や水路のあちらこちらで求愛行動を繰り返すイモリは、とても性行動の観察しやすい動物であり、そのことが、イモリの体内には恋愛や性に関する薬効をもつ成分があるという俗説となったと考えられます。

イモリの生殖行動

そういった性行動を発現しやすいイモリの特性は、生殖行動を研究する我々にとっては大変有益な性質です。
繁殖期のオスイモリは、水中で他個体に出会うと、近づいていって鼻先を相手の総排出口などに触れさせて雌雄を鑑別します(下図A)。ついでオスは相手が成熟したメスであればメスの前に立ちふさがりメスの進路をさえぎります。オスは自分の頸でメスの吻部をおさえながら尾を付け根から折り曲げて、その先端を左右にふるわせます(下図B)。この行動のあいだ、オスの総排出口には多数の毛様突起が観察されます(下図D)。これは肛門腺(外分泌腺)のうち腹腺と呼ばれる部分から伸びる管状の構造体で、オスは尾を振ることによって生じた水流にのせてその分泌物をメスに送ります。メスがオスの求愛を受け入れる場合、メスはオスの頸部を軽く小突いて応答し、やがてオスは尾を振る行動をやめてメスの先に立って尾をくねらせながら前進します(下図C)。メスは吻をオスの尾の一部に接触させながらオスに追従して歩き、その行進の途中でオスの総排出口より精子塊が放出され、追従するメスの総排出口に付着し、精子がメスの体内へ取り込まれます。

雌雄のフェロモン活性の測定

先にButenandtらがカイコガからbombykolを精製したことを述べましたが、彼らが初めて性フェロモンの精製に成功したひとつの要因は、性フェロモンを含む精製画分を特定するために生物自身を用いる、いわゆるバイオアッセイ系が大変優れていたことが挙げられます。彼らはメスが分泌する性フェロモンを単離していく過程で得られる精製画分のどれに目的の物質が存在しているかを調べるために、生きたオスの蛾の羽ばたき反応を見ることにしました。つまり自然界でそのフェロモンを感知しているオスに「訊ねて」みることにしたわけです。多くの脊椎動物では性行動が発現するための条件は昆虫に比べると複雑で、こういった測定系を構築することは非常に困難でした。ところが、生殖行動を発現しやすいイモリの特性はカイコガ同様、異性がみせる嗜好性(異性への誘引活性)を手がかりに性フェロモンを検出するバイオアッセイ系を構築するのに大変適していたのです。具体的には、底面を3区画に等分した樹脂製の円筒槽に水を入れ、テストするイモリメスオスどちらかをステンレス製の網に入れて中央部で順化させます。次に試したい物質を含むスポンジ3つをそれぞれの区画の中央壁側に配置してから、ステンレス網を取り除き、イモリの好むスポンジを区画ごとの滞在時間によって記録します。この滞在時間を8回ほど毎回動物や水、スポンジ等を交換して計測、統計処理をして、どのスポンジに惹かれるかを判定するという方法を考えました。

オスのフェロモン:sodefrin

メスイモリの嗜好性を元にオスイモリの肛門腺抽出物から、メス誘引物質を単離・精製する試みがなされました。オスが分泌しメスを引きつける性フェロモンは、ゲル濾過による分子ふるいにかけた結果、分子量5,000以下の物質であり、またタンパク質分解酵素の処理によって活性が失われることから、ペプチドであることがわかりました。その後、高速液体クロマトグラフィーによって有効成分の分離精製を繰り返して得られたメス誘引活性物質はアミノ酸10残基からなるペプチド(Ser-Ile-Pro-Ser-Lys-Asp-Ala-Leu-Leu-Lys)でそれまでに知られていない天然物であることがわかりました。 このペプチドは、万葉集に納められた額田王の和歌、「あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや 君が袖ふる」のうち、大海人皇子が額田王の気を惹くために用いた所作である「袖ふる」に因んでsodefrin(ソデフリン)と命名されました。このペプチドは成熟したメスのみを誘引し、未成熟のメスや成熟度に関わらずオスや他種のイモリには有効でないことかが明らかになっています。

メスの性フェロモン:imorin

一方でメスのフェロモンの構造解析は、ごく最近になって成功しました。メスの性的魅力を発信するフェロモンの化学構造はたった3つのアミノ酸残基のからなるペプチド(Ala-Glu-Phe)であり、生殖期にのみ、総排出腔に近い卵管の内壁を縁どる繊毛細胞でつくられ、総排出腔から水中に随時放出され、生殖期のオスでのみ、その鋤鼻(じょび)器官 (多くの脊椎動物でフェロモンを受容する部位)で感覚信号が受けとられることが示されました。また、この物質はsodefrinと同様に、これまでに知られていない天然物であるとともに、脊椎動物で初めて同定されたメスの性的魅力をオスに伝えるペプチド性のフェロモンであることがわかりました。
sodefrinの由来の額田王の歌には、大海人皇子の以下のような返歌があります。「紫の にほへる妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆへに 吾(あれ)恋ひめやも」。このうち、古語の妹("imo")は「恋人・妻」をさしますので、これとsodefrinに因んで、新たに見つかったオス誘引活性物質はimorin(先頭のiはアイと読まれ、アイモリン)と命名されました。

これからの研究

繁殖期に交配可能なメスの放出するimorinを感受したオスは、鋤鼻器官を経て中枢に伝わるそのフェロモン信号によって、今度は自分の求愛行動が誘発されて、総排出腔からメスをつなぎ止めておくフェロモンであるsodefrinを放出すること、すなわち雌雄双方フェロモン信号を出し合うことが、最終的にイモリの生殖を成立させる上で重要であると考えられます。このような生殖活動に重要な役割をもち、繁殖相手の性行動に影響を与える性フェロモンが雌雄両方に備わっていることがわかったことで、今後それぞれのフェロモンがそれを受け取った側の動物に性行動を引き起こすまでの過程を脳内で調べることが可能となりました。性フェロモンの作用機序や性行動が起きるまでの脳内での過程を深く理解することによって、単にイモリの生殖のメカニズムを明らかにするだけでなく、水産・畜産動物や希少動物などさまざまな動物種での生殖や性行動に関する問題の解決に寄与する研究の基盤となることを期待しています。   参考文献 ]]>
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自食作用「オートファジー」の新たな役割 - 壊れた葉緑体は細胞内のリサイクル工場へ https://academist-cf.com/journal/?p=3681 Fri, 24 Feb 2017 01:00:40 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3681 植物の光合成装置「葉緑体」 道端で、花壇で、あるいは田んぼや畑で、私たちが日常的に目にする植物ですが、彼らがどのように生き育っているかご存知でしょうか。大半の植物は、土壌に張った根から栄養分を吸収し、大気から二酸化炭素を取り込み、太陽光エネルギーを利用した光合成によってそれらをデンプンやアミノ酸などの有機物に変換、利用することで成長します。光合成を植物の体内で実際に担っているのが「葉緑体」と呼ばれる小器官です。緑色の植物の葉では、ひとつの細胞に数十個の葉緑体が存在し、日光の下で光合成を行っているのです。 [caption id="attachment_3706" align="aligncenter" width="600"] 光学顕微鏡で観察したシロイヌナズナの葉の細胞。外周にある緑色の球体が葉緑体、中心は不要物の分解や物質の貯蔵を担う液胞[/caption]

光合成生物が抱えるジレンマ:光エネルギーによる成長とダメージ

したがって「光」は植物になくてはならないものですが、太陽光の強いエネルギーは生物に悪影響を及ぼすことも知られています。私たちに身近なのは、紫外線による「日焼け」でしょうか。紫外線は光合成には使えない光で、実は植物も紫外線によるダメージを常に受けていることがわかっています。また葉緑体は目に見える光(可視光)を光合成に利用しますが、可視光の過剰なエネルギーは葉緑体にダメージを与えます。多くの植物にとって、晴天時の昼間の太陽光でも過剰であり、葉緑体にダメージを生じさせることが知られています。このような傷が放置されれば、光合成の能力が下がってしまうだけなく、活性酸素が次々と作られ、細胞や植物体自身の枯死にもつながりかねません。ゆえに光を利用して育つ植物は、常に光によるダメージに対応しなければならない、ジレンマを抱えて生きているのです。過去のさまざまな研究成果から、植物は光によるダメージを軽減、除去、修復するために、複数の高度な仕組みを獲得、発達させてきたことがわかっています。しかしながら、深刻なダメージを受け、壊れてしまった葉緑体がどのように処理されているか、という疑問には明確な答えが示されていませんでした。

光によるダメージが生じた際の自食作用「オートファジー」の役割は?

話は少し変わって、植物や動物、酵母といった「真核生物」に分類される生き物が広く有している「オートファジー」という機構があります。その名は、現東京工業大学教授の大隅良典博士が、酵母を用いてその基本原理の解明を牽引してきた成果が認められ、2016年にノーベル医学・生理学賞を受賞したことで一躍有名になりました。オートファジーは、細胞内の一部を膜で取り囲み、細胞のごみ処理・リサイクル工場ともいうべき場(植物の場合は液胞)に運び、分解する仕組みです。分解で生じたアミノ酸などの栄養分は再利用されることから、生物体内の栄養素リサイクルを回している機構であるとも言え、事実オートファジーは栄養が不足する飢餓時に特に活性化します。 私たちの研究グループは、過去の研究で、植物が飢餓に陥った際に、植物の体内でオートファジーによって葉緑体が分解されることを世界に先駆けて明らかにしてきました。このときには、葉緑体の一部分だけがちぎり取られ、オートファジーによって液胞に運ばれ分解、再利用されることがわかりました。私たちはこの経路をRCB経路と呼んでいます。私は、「光でダメージを受けた葉緑体の除去にもオートファジーが関与するのではないか?」というアイデアを持ち、今回の研究をスタートさせました。 まず私は、モデル研究植物であるシロイヌナズナを用いて、オートファジーが行えない変異体に紫外線による障害を与えてみることにしました。すると興味深いことに、オートファジーが行えないと紫外線で葉が枯れやすくなることがわかりました。つまり紫外線でダメージを受けた葉ではオートファジーが何らかの重要な役割を担っていることがわかったのです。 [caption id="attachment_3683" align="aligncenter" width="600"] オートファジーが行えない植物は紫外線障害で枯れやすくなる[/caption] そこで私は、上述したRCB経路が活性化しているのではないかと考え、緑色蛍光タンパク質(GFP)などで葉緑体の中身を観察できるようにした植物体を用いて、紫外線を当てた葉を、「共焦点レーザー顕微鏡」という顕微鏡を用いて詳細に観察してみることにしました。

壊れた葉緑体を丸ごと取り除くオートファジー経路「クロロファジー」の発見

しかしながら期待に反して、紫外線を与えた葉でRCB経路が飢餓時のように活発化している様子は見られませんでした。予想が外れてしまった訳ですが、葉の細胞の観察を続けているうちに、面白いことに気が付きました。紫外線を当てた葉では、葉緑体の数が少なくなっているように見えるのです。一方オートファジー機能が欠損した植物では、紫外線を当てた葉でも葉緑体は健康な葉と同じようにぎっしりつまっているように見えました。そこで私は、「紫外線でダメージを受けると、葉緑体が部分的にオートファジーで壊されるのではなく、丸ごと運ばれて分解されているのではないか?」という考えを抱きました。 結果的にこの予測が当たっていました。顕微鏡でさらなる観察を行った結果、紫外線が当たった葉で葉緑体が液胞内を浮遊している様子が観察されたのです。その後、さまざまな視点から専門的な解析を行い、間違いなく、光でダメージを受けた葉ではオートファジーによって壊れた葉緑体が丸ごと液胞に運ばれることを証明することができました。この経路は、葉緑体の英語名である「chloroplast(クロロプラスト)」のautophagy(オートファジー)であることから、chlorophagy(クロロファジー)と呼んでいます。 [caption id="attachment_3684" align="aligncenter" width="600"] 共焦点レーザー顕微鏡で観察したクロロファジーの画像。左が無処理の葉、右が紫外線を当てた葉で、赤い球体がクロロファジーで液胞に運ばれた後の葉緑体[/caption]

これからの研究の可能性、新たに生じた疑問

植物の体内で主にエネルギー生産を担うのが葉緑体なら、動物の体内で主にエネルギーを作っているのはミトコンドリアです。酵母や哺乳類細胞では、機能不全となったミトコンドリアを除去するオートファジー経路として「マイトファジー」が機能することが知られています。マイトファジーでは、異常なミトコンドリアだけに「目印」をつけることで、健全なミトコンドリアと区別し、不良ミトコンドリアだけを取り除く仕組みが存在することがわかっています。また、マイトファジーは、ヒトのパーキンソン病などの神経疾患の原因となる神経変性を防ぐ役割を担っていることが提唱されています。 今回私たちは、光で壊れた葉緑体を取り除くクロロファジーを新たに発見することができました。同時にこの発見は、いくつもの疑問を生み出すことになります。クロロファジーでもマイトファジーと同様、壊れた葉緑体だけがきちんと見分けられているのか? どのような仕組みで不良葉緑体に目印をつけるのか? 植物の一生のなかでどのような役割を担っているのか? 解明すべき謎はいくつもあります。私たちの身近で生きる植物にも、そのような謎がまだたくさんあるのです。 最後に、葉緑体が壊される分解機構は、作物生産とも密接に関わる現象であることを付け加えておきたいと思います。たとえば、夏は青々としていた水田も、収穫期にかけて次第に緑が失われていき、最後には黄金色の稲穂をつけます。これは植物における老化現象のひとつです。このとき、緑色の素である葉緑体が分解され、その栄養成分が私たちの食糧ともなる穂を作るために再利用されているのです。私たちは過去の研究で、イネの葉が老化する際にもオートファジーが働くことを明らかにしています。葉緑体が壊される仕組みの全体像を詳細に解明すれば、作物の老化をコントロールすることが可能になり、より農業に適した作物を創ることを実現できる可能性があります。私たちは、そのような研究の発展も目指しながら日々研究を行っています。
引用文献 Izumi M., Ishida H., Nakamura S., Hidema J. (2017) Entire Photodamaged Chloroplasts Are Transported to the Central Vacuole by Autophagy. The Plant Cell. DOI: http:/​/​dx.​doi.​org/​10.​1105/​tpc.​16.​00637]]>
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クワガタムシの発達した大顎を形作る遺伝子とは? https://academist-cf.com/journal/?p=3689 Tue, 28 Feb 2017 01:00:44 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3689 形態の多様性≒体サイズと部位サイズ比率の多様性 動物の形態は非常に多様です。ところが一口に「多様」とは言っているものの、動物の多くの分類群を見てみるとグループ内で共通のボディプラン(基本的な体の設計)を持っています。昆虫を例に挙げてみましょう。トンボ、チョウ、ハチ、カブトムシ、セミ、ハエ、バッタ、カマキリ、ゴキブリ……と思い浮かぶ昆虫の姿はさまざまですが、どの昆虫も頭・胸・腹・3対の脚・2対の翅・1対の触角といった同じ基本パーツを持っています。つまり昆虫の多様性の多くは、「各パーツ(部位)のサイズと形状の変化」により説明が可能であり、「形態の多様性」とは「体サイズと部位サイズの比率の多様性」と言い換えても過言ではありません。

クワガタムシは「口」の一部を武器にしている

「各パーツのサイズと形状の変化」が多様性をもたらしている好例として昆虫の「口器」が挙げられます。昆虫の口は「大顎(おおあご)」「小顎(こあご)」「下唇(かしん)」という複数の異なるパーツから成り立ち、その基本的な構成要素は昆虫全体で共通しています。しかしながら、バッタのようにすべてのパーツが原始的な基本形態を留めている種類も数多く存在している一方で、異なる食物やその他の用途に適応してそれぞれのパーツが特殊な形態へと進化した例もさまざまな種類で見られます。 たとえば花の蜜を吸うことに適応し、ストロー状に変化したチョウの口は私たちにはなじみ深いですし、吸汁に適応した口はアブラムシやカでも見られます。少しマニアックなものだと、ヤゴが獲物を捕らえるための把握器も口の一部が変形したものです。このように昆虫では口器の形態・機能的改変により、さまざまな食物の利用が可能になったことのみならず、さまざまな用途への転用も可能としてきました。このことは現在の昆虫の繁栄と放散の一因と考えられており、古くから生物学者に注目されてきました。 私が主な研究材料としているクワガタムシ(以下クワガタ)では、口のパーツのなかでも「大顎」と呼ばれる部分が極端に発達しています。この大顎の発達はオスだけで見られるもので、メスや餌場を巡ったオス同士の闘争に用いられることが広く知られています。つまり、クワガタは大顎のサイズを改変することで、本来食物を食べる「口」の一部を闘争用の「武器」へと転用していると言えます。大顎の発達とそれに伴う武器への転用はクワガタ以外でも多くの昆虫で見られる現象で、進化の過程で何度も独立に進化しています。

クワガタムシの発達した大顎を形作る遺伝子とは?

私たちの研究グループではこれまでに、クワガタの大顎に関して、大顎発達を引き起こす内分泌メカニズムや、オスとメスの大顎のサイズ差を生み出す性決定遺伝子の機能等を研究してきました。しかし一方で、大顎形成やその発達に関わる遺伝子に関しては、依然として謎のままでした。そこで今回我々のグループは、昆虫に見られる「口器形態の改変機構」の一端を明らかにするため、大顎の形成とそのサイズ増大に関与する遺伝子群の同定を目指しました。 研究材料に用いているメタリフェルホソアカクワガタ(Cyclommatus metallifer)はインドネシア原産のクワガタで、世界で最も長い大顎を持つ昆虫でもあります。この種類は、私が10年以上研究材料に使っているクワガタで、研究室での飼育が容易で世代時間も短いなど、他のクワガタ種に比べて実験材料としてのアドバンテージを有しています。 [caption id="attachment_3690" align="aligncenter" width="600"] 本研究で用いたメタリフェルホソアカクワガタ Cyclommatus metallifer 左から大型オス、小型オス、メス(Gotoh et al. 2017より引用)[/caption] 昆虫の大顎は解剖学的には肢が変化した器官と考えられています。そのため、大顎の形態形成と発達には、肢形成に関わる遺伝子群が関与している可能性が考えられました。そこで私たちは、昆虫一般で肢形成に関わることが知られる遺伝子群をリストアップし、これらの遺伝子群についてRNA干渉(RNAi)という遺伝子の機能を一時的に失わせることができる手法を用いて解析を行いました。 実験の結果、dachshund遺伝子の機能を失わせたオス個体では、本来大きく発達するはずの大顎が小さく歪な形態となりました。これはdachshund遺伝子が正常な大顎の形成と発達に必要であることを示唆しています。また大型のオスでは大顎の中央に「内歯(ないし)」と呼ばれる構造を有しますが、この構造もdachshund遺伝子の機能を失わせた個体では消失しました。 [caption id="attachment_3691" align="aligncenter" width="600"] dachshund遺伝子の機能阻害による表現型。左が対照実験個体で、右がdachshund遺伝子をRNAi により機能阻害した個体。全身を見ると、dachshund遺伝子の機能阻害により、大顎、肢、触角などが短くなる異常な表現型を示す。一方、大顎に注目すると、機能阻害個体では、大顎全体が短縮し、歪な形態になっている。また、通常の大顎で見られる鋸歯(*)や内歯(▼)といった構造も失われている(Gotoh et al. 2017中の図を改変して引用)[/caption] この大型オスに特徴的な構造である内歯は、dachshund遺伝子のほかにも、aristalessまたはhomothoraxという遺伝子の機能を失わせると消失してしまうことがわかりました。一方でこれらの遺伝子の機能を阻害しても大顎の長さや全体の形に大きな影響は見られませんでした。つまりこれら2つの遺伝子は大顎の中でも内歯特異的にその形成に関わっていると考えられます。 今回の研究で、大顎形成への関与が明らかとなった3つの遺伝子は、いずれも昆虫で一般的に肢の形成に関わることが明らかになっており、aristalessは肢の先端部、dachshundは中間部、homothoraxは基部の形成に必要です。実際肢におけるこれらの遺伝子の働きは、クワガタにおいても保存されており、他の昆虫とほぼ同じでした。つまりクワガタではこれらの遺伝子の肢における機能は変えないまま、発達した大顎の形成や、内歯の形成にも「使い回している」可能性が考えられます。

今後への期待

クワガタの大顎は種類ごとにさまざまな形態をしており、ごく近縁な種間でも大きな違いがあることも稀ではありません。また、同種内でも大型個体と小型個体でまったく異なる形の大顎を持つ種も見られます。そのような種間・種内の多様な大顎形態を形作るメカニズムはわかっていませんでしたが、今回見つかった遺伝子に着目することで解明の糸口にすることができるかもしれません。   引用文献
  • Gotoh H, Zinna RA, Ishikawa Y, Miyakawa H, Ishikawa A, Sugime Y, Emlen DJ, Lavine LC, Miura T. (2017) The function of appendage patterning genes in mandible development of the sexually dimorphic stag beetle. Developmental Biology, 422: 24-32
  • Gotoh H, Miyakawa H, Ishikawa A, Ishikawa Y, Sugime Y, Emlen DJ, Lavine LC, Miura T. (2014) Developmental link between sex and nutrition; doublesex regulates sex-specific mandible growth via juvenile hormone signaling in stag beetles. PLoS Genetics, 10(1): e1004098
  • Gotoh H, Cornette R, Koshikawa S, Okada Y, Lavine LC, Emlen DJ, Miura T. (2011) Juvenile hormone regulates extreme mandible growth in male stag beetles. PLoS ONE, 2011 6(6): e21139
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新たな溶液化学実験手法で超重元素ラザホージウムの化学平衡を観測 https://academist-cf.com/journal/?p=3697 Mon, 27 Feb 2017 01:00:50 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3697 原子番号の大きな“重い”元素 2016年11月、113番元素合成に関して、理化学研究所の森田浩介先生を代表とする日本のグループによる初の新元素合成が認められ、その元素名として「ニホニウム」、元素記号として「Nh」が正式に認定されたというニュースが日本を駆け巡りました。筆者もニホニウム研究の共同研究者の一員であり、今回日本に関係する名前が付けられた元素が周期表上に載ったことは化学者として非常に感慨深く感じます。このとき、新たに認定された4元素、113Nh、 115Mc(モスコビウム)、117Ts(テネシン)、118Og(オガネソン)を含めた現在の周期表を下に示します。 [caption id="attachment_3698" align="aligncenter" width="600"] 2017年1月現在の周期表[/caption] 現在の周期表上では、人類にとって新しい元素というのは既知の元素よりも原子番号の大きな(重い)元素であり、特に104番元素以降の超アクチノイド元素を超重元素と呼びます。そして、化学の立場からこのような原子番号の大きな比較的新しい元素を見たとき、これらの元素の化学的性質がどのようなものであるか、ということに大きな興味が持たれます。

超重元素の化学研究

周期表というのは、各元素の化学的性質(電子の状態)がある周期性を持つことに着目して並べられたものです。同じ族の元素は基本的に似た性質を持つといえます。しかし、超重元素の領域では、原子(元素)の中心に存在する原子核の正電荷が大きくなり過ぎることにより、電子構造が特異な性質を示す(相対論効果)可能性が示されており、その化学的性質を調べることは非常に興味深いと考えられています。ただし、これら超重元素はすべて放射性元素であるうえに、加速器を利用した重イオン核融合反応により非常に低生成率でしか生成できず、また、寿命も短いため、一度に1原子という状態でしか扱えないという実験上の厳しい制約があります(単一原子化学)。そのため、その化学挙動を観測することは困難です。 実際に化学実験を実施するためには、核反応生成物を生成しながら同時にそして常に生成物だけを迅速に化学室に搬送し、それに対して迅速な化学分析とその後の放射線検出を実施し続ける必要があります。これを加速器オンライン実験と呼び、このための専用の自動装置を開発することで、特に二相分配(吸着や抽出など)のような簡易な実験系での化学研究が進められてきました。これまでに化学分離挙動などは次々と調べられてきましたが、通常のよく研究されている軽い元素に対して行われるようなさまざまな化学研究を超重元素に対して実施するのは困難でした。今回、筆者らは錯体形成の性質を調べるために、重要な固液抽出における分配係数を超重元素に対して得るべく、短寿命の超重元素のひとつである104番元素Rf(ラザホージウム)に対して固液抽出挙動の時間依存性を観測し、化学平衡到達下の分配係数を得ることに成功しました。

Rfの固液抽出実験

104番元素である261Rf(半減期68秒)の合成および化学実験は、理化学研究所、仁科加速器研究センターの大強度加速器を利用して行いました。キュリウム(248Cm)という放射性の重元素標的に、加速した酸素(18O)ビームを照射することで261Rfを合成しました。標的にはガドリニウム(Gd)を混ぜることでハフニウム(Hf)というRfと同族(4族)の元素を同時に合成しました。Hfの化学挙動は前もって調べておき、実験中は常にHfの挙動を確認することで、装置や実験条件に問題が起きていないことを確認しながら実験を進めました。核反応生成物は薄く作成した標的表面からビームの運動エネルギーによって飛び出してくるので、これをKClエアロゾルを含んだヘリウム(He)ガスジェットの流れに乗せ、化学室へ向けて常に流すことで迅速搬送を行いました。ガスジェットラインのチューブは、筆者らが開発した自動固液抽出装置(AMBER)に接続し、さらに理化学研究所の自動迅速α線測定装置に連結することで加速器オンラインでの連続固液抽出実験を実現しました。生成物はAMBERによって溶液化され、樹脂と混合することで抽出を行いました。その後、溶液だけをタンタル皿上に捕集し、迅速に蒸発乾固し、ロボットアームによってα線の測定装置に移して測定を行いました。樹脂は、Aliquat 336という陰イオンを抽出する抽出剤を吸着させたものを用い(濃度は28wt%)、水溶液としては7.9Mと9.0Mの塩酸を用いました。固液抽出において、樹脂と溶液の混合(振とう)時間を10、30、60秒と変化させることで時間依存性を調べました。 [caption id="attachment_3699" align="aligncenter" width="600"] AMBERを用いた261Rfの加速器オンライン抽出実験の概要図[/caption] 結果として、超重元素に対して初めて抽出反応の時間依存性を調べることに成功し、7.9M塩酸中でRfが同族元素のジルコニウム(Zr)やHfと同様に10秒で平衡に到達している様子を観測することができました。これによりRfの分配係数を取得することができました。さらに、9.0M塩酸系では分配係数が明らかに高くなったことから、Rfは擬同族元素のトリウム(Th)とは異なり、ZrやHfと同様に陰イオンの塩化物錯体を形成することがわかりました。また、この分配係数が9.0M塩酸系ではZrやHfよりも明らかに大きくなり、より樹脂層に抽出されやすいというRfの性質が明らかになりました。 [caption id="attachment_3700" align="aligncenter" width="600"] 7.9M塩酸から28wt% Aliquat 336樹脂への抽出における261Rfの分配係数の振とう時間依存性 [Dalton Trans. 45, 18827 (2016)][/caption]

今後期待される展開

本研究により確立された新しい溶液化学実験手法および装置は、今後その他さまざまな反応系への適用が期待できます。これまでは化学反応の速度が遅く、短寿命の超重元素に対して定量的なデータを得ることが難しかった化学反応に対してもRfの化学的性質を知ることが可能となります。また、加速器性能の向上や、より長寿命な超重元素の合成技術の確立により、本手法はRfよりも重い元素への適用も可能となり、超重元素のさまざまな化学的性質を明らかにできると期待できます。そして、このような研究の積み重ねが超重元素の化学的性質の解明につながると考えられます。超重元素の未知の化学的性質を解き明かすことは、科学の根本的な研究課題であり、周期表のあらゆる元素の本質的理解につながるでしょう。 参考文献
  • プレスリリース
  • T. Yokokita, Y. Kasamatsu, A. Kino, H. Haba, Y. Shigekawa, Y. Yasuda, K. Nakamura, K. Toyomura, Y. Komori, M. Murakami, T. Yoshimura, N. Takahashi, K. Morita, A. Shinohara, Dalton Trans. 45, 18827 (2016).
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「出口は目指すが、やるのは基礎研究」 - 有機ELの先駆者、九大・安達千波矢教授 https://academist-cf.com/journal/?p=3622 Wed, 15 Mar 2017 01:00:46 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3622 ーーまずはじめに、安達先生の研究されている「有機EL」について教えてください。 通常、電気素子を作るときには、シリコンのような無機物を使うのですが、私たちは無機物ではなく有機物を使っています。身近なところでは、プラスチックをイメージされるとわかりやすいのではないでしょうか。プラスチックのような有機化合物に電気を流し、その有機化合物を光らせる現象のことを「有機EL(Electroluminescence)」と呼んでいます。プラスチックは絶縁体として知られていますが、髪の毛の200分の1程度まで薄くすることで電気を流すことができるんですね。これが有機EL研究のスタート地点です。 ーー有機ELはどのようなメカニズムで光るのでしょうか。 電極の間に有機ELを挟み込むと、陽極付近には有機化合物から電子が奪われてできたホール(正孔)が、陰極付近には電子が現れます。それらが互いに逆の電極に向かって動き、有機ELの内部で再結合することで、有機化合物がエネルギー的に安定した基底状態からエネルギーの高い不安定な励起状態に移ります。励起状態は不安定ですので、瞬時に再び基底状態に戻るのですが、その際に光が発生します。ただし、流した電気が無駄なく光に変えられるかと言うと、そうではありません。 ーーどれくらいの効率で光に変わるのでしょうか。 有機ELの第一世代である蛍光材料では、内部変換効率が25%に留まることが計算から予測されていて、これはどうやっても覆すことはできませんでした。しかし2000年頃に、その限界を覆す材料が開発されました。それが、有機ELの第二世代となるりん光材料です。りん光材料は極低温でないと光らないと言われていたのですが、当時私が所属していたアメリカの研究グループで、室温でもりん光を出す材料の開発に成功し、内部変換効率100%を達成しました。 ーー100%ですか? 一気に進展したんですね。 ただし、りん光材料を作るためには、イリジウムや白金のようなレアメタルを使わないといけないという欠点を抱えていました。将来的に有機ELが普及したとしても、レアメタルが必要となれば、それだけでコストを上げてしまいます。第一世代の蛍光材料では、コストは抑えられるのですが効率が悪いため、どちらにしても一長一短なんですね。 ーー両者の強みを合わせた材料が必要だということでしょうか。 そうですね。私が2001年に日本に戻ってきたとき、引き続きりん光材料を研究しようとも考えたのですが、そもそもりん光材料はアメリカで誕生したものです。私は当時から、日本初の技術を開発したいという思いを持っていたので、それまで進めてきた研究は中断し、新しいテーマに挑戦することにしました。両者の強みを兼ねそろえた、第三世代の有機EL「熱活性化遅延蛍光(TADF)材料」の開発です。 ーーTADF材料について、詳しく教えていただけますか。 ホールと電子が再結合する際に励起状態ができるのですが、ホールと電子は各々スピンという物理量を持っているので、スピンの状態に応じて異なる励起状態に行き着くことになります。スピンには、上向きスピンと下向きスピンの2つの状態があり、基本的な計算から4通りの組み合わせを考えることができます。そのうちの1つは一重項励起状態で、3つは三重項励起状態という状態になるので、結果的に一重項と三重項の2種類の励起状態が生成します。 先ほど、第一世代の蛍光材料は内部変換効率が25%という話をしましたが、それは蛍光材料では一重項励起状態を利用して発光しているためです。一方で、第二世代のりん光材料は三重項励起状態を利用しているため、75%を発光に使うことができます。アメリカの研究グループがりん光材料で達成した100%というのは、一重項状態を三重項状態に移すことにより、100%を光として取り出すという研究成果によるものです。ここでのポイントは、一重項状態のほうが常に高いエネルギーレベルにいるため、一重項状態から三重項状態には、割と簡単に移動できるということです。 私たちは、一重項から三重項状態にエネルギーを移動させるのではなく、両者のエネルギーギャップをゼロに近づけてしまおうというアイデアを思い付きました。そのアイデアを具現化した材料が、TADF材料です。 ーーそのアイデアは、どのようにして浮かんできたのでしょうか。 量子化学の理論式を眺めているうちに、分子を上手く設計することでエネルギーギャップを人工的に制御できるということに気がついたんです。実際にいろいろな分子を合成していくうちにエネルギーギャップがゼロになる有機化合物を発見し、内部変換効率100%を達成できました。 私はもともと物理学科だったのですが、学部時代に物理は難しいと思い、大学院から応用化学の専攻に移りました。応用化学の分野では、レゴブロックのようにさまざまな有機化合物を作ることができるのですが、その過程で気づいたことは、物理学の考え方が大事になるということです。「材料にこんな機能が欲しい」と思ったときに、それを実現できるよう設計するには、物理が必要です。私は物理学のプロフェッショナルではありませんが、物理学的な考え方が土台にあるというのは、とてもラッキーなことでした。 ーー第三世代が効率100%を実現するまでに、どれくらいの時間がかかったのでしょうか。 第三世代の研究は2003年頃から進めていたのですが、最初はほとんど形になりませんでした。2009年にようやく、レアメタルを使わずに内部変換効率100%を実現できる材料を理論的に発見したという論文を発表したのですが、論文を読んだほとんどの人に、所詮大学の研究だろうと思われていた気がします。理論的には100%を達成できるかもしれないけれども、本当に実現できるのかと。実際にその時点でできていた材料の内部変換効率は0.1%程度でしたからね。 ただ、私たちはできると確信していたので、その成果をもとにさまざまなプロジェクトに応募しました。内閣府のFIRSTのプロジェクトでは、私たちのアイディアに興味を持ってくれた方がいたこともあって、本格的に研究を進めることができました。そこからは、速かったですよ。2010年からプロジェクトを始めて、2012年には100%を実現しました。 ーーこれまでにかけた時間と比べると、すごい速さですね。 そうなんです。この2年間は、本当に面白かったですよ。ここで感じたことは、できないかもしれないと思いながら研究するのと、できると信じて研究するのとでは、大きく違うということです。絶対にできると思ってプロジェクトを組んだら、あれもやろうこれもやろうとなるので、それをこなしていくうちに、できてしまう。気が付いたら「100個電気を流したら、100個の光子が出てくる」という内部変換効率100%の有機ELが、レアメタルを含まないごく普通の化合物で実現できていました。 ーー安達先生が有機ELの研究を開始した大学院生時代から、30年近く経つわけですね。当時はどのようなモチベーションで研究されていたのでしょうか。 私が大学院生だった1980年代後半は、有機物に電気を流すなんてナンセンスではないかという雰囲気もあり、有機ELに取り組む研究者は世界でも5人くらいしかいませんでした。でも私は、有機化合物が半導体の材料に使えるかもしれないということが、研究課題として大変魅力的に思えていたんです。私の研究は応用研究だと言われることが多いのですが、私は1を10にするところよりは、0を1にするというところを進めてきたという意味で、”超”がつくほどの基礎研究者だと思っています。そもそも大学は、できるかどうかわからない研究領域にチャレンジすべきですからね。ただ、研究が完成したときにはこんなすごいことにつながりますよ、というようなビジョンはきちんと持つ必要があって、私はそれをモチベーションに研究を進めてきました。 ーー安達先生は、有機ELの研究成果をもとに九州大学発ベンチャー「Kyulux(キューラックス)」を立ち上げられました。Kyuluxは、1から10、あるいは100にする役割を担っていると思うのですが、もともとベンチャーを作ることに興味を持たれていたのでしょうか。 第二世代の有機ELが出来たときに、そのりん光材料に関連したベンチャー企業が立ち上がりました。正直なところ、私はたいした技術ではないなと思っていて(笑)、これからどうなるのだろうと思いながら見ていたのですが、ベンチャーが立ち上がると、ニューヨークの一流法律事務所から弁理士が入ってきたり、有名な銀行からファイナンスの担当者が入ってきたりしたんです。なんでこの会社に一流の人たちが集まるんだろうと、驚きました。でも一流の人が集まると、たいしたことない技術がどんどんブラッシュアップされて、ものすごい技術に変わっていくんです。その様子を間近で見ていたこともあり、日本独自の技術を生んでアメリカに負けないベンチャーを作りたいと、ずっと思っていました。Kyuluxでは、私たちの研究成果から生まれた材料を企業向けに販売していく形で、ビジネスを進めていきたいと思っています。 ーー材料の分野では、基礎研究から製品化まで最低10年はかかる「材料10年説」というものがあると聞きました。これを覆すことはできないのでしょうか。 ロボットやAI技術を徹底的に使えば、できると思いますよ。たとえば、有機ELの素子を作る作業は、ロボットに任せることができます。素子を作るときには、ナノメートル以下の薄い膜を4〜5層積み上げる作業を行うのですが、人間よりもロボットが行うほうが効率は良いはずです。また、新たな分子を予測するときにはAI技術が役立ちます。たとえば、10万個の分子をコンピュータ上で設計し、それぞれの分子のエネルギーレベルを調べて、実現可能な分子を絞り込んでいくということは実際に行われています。コンピュータが10万個から100個まで絞り、そこからは人間がセレクトするという役割分担です。 ーー研究アイデアを出すところにも、ひと工夫必要になりそうですね。 そこに関しては、メンバー構成が重要です。私は常に、いかに自分より優秀な変人を集めるかということを意識しています(笑)。現在は、半分が化学者、半分が物理学者なのですが、40%は外国人ですし、物理のなかでもコンピュータ好きの人を積極的にメンバーにいれています。私ができないことを得意とするメンバーを集めて、多種多様な相互作用を生み出していくことによって、私が数式を眺めてTADFの着想を得たようなことを、組織的に実行していけるのではないかと思います。 ーーもし今、安達先生が大学院生のころに戻れたとすると、何を研究されますか? 新しい研究テーマを探索することに時間を割くと思います。今振り返ると、大学院生って、研究をするのに理想的な状況だなと思います。成果が出なくても頑張れば卒業できますし、何より研究に対する先入観がないというのは大きな強みです。私が学生さんに、このアイデアは実現できるよ! と言うと、できるかどうかの先入観を持たずに進めてくれて、実際にできてしまうという成功パターンもあったりしますからね。本当の研究の醍醐味って、研究テーマを見つけることにあると思うんですよ。研究テーマを見つけることが研究で、それ以降は作業なんです。 ーー安達先生が研究者としてこれから実現したいことについて教えてください。 現在は、有機ELの次を担うデバイスを作っています。ようやく光が見えてきたかなという段階ですが、本当にエキサイティングです。1〜2年後には突破口を開けると良いなと思っています。その後は、脳や生体の複雑な機能を有機物で模倣して、その理解を深めていけるような「バイオエレクトロニクス」の分野を目指していくことが大きな方向性ではないかと考えているので、その一角に貢献できるような研究を今後とも進めていきたいと思います。
研究者プロフィール:安達千波矢教授 1991年九州大学大学院博士課修了。工学博士。(株)リコー、信州大学、米国プリンストン大学、千歳科学技術大学を経て、2005年九州大学に教授として戻る。2010年より現職。趣味はジョギング、読書、テニス、旅行、英語、車など。大学の使命は”Zero to One”の研究に取り組むこと。これを信念に福岡に世界中から優秀な研究者を集積し、基礎研究から実用化開発までの研究開発拠点の形成を目指している。
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私たちの世界の複雑性はどのように説明されるのか? - 物質の根源「クォーク」に潜むカオス https://academist-cf.com/journal/?p=3654 Thu, 09 Mar 2017 01:00:56 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3654 私たち人間の体や身のまわりにあるものすべて、そして宇宙に浮かぶ星々さえもクォークと呼ばれる素粒子で構成されています。このクォークは発見から数十年経ちます。その運動を記述する方程式もわかっています。静的なクォークの結合状態については、スーパーコンピュータ「京」などの大規模数値計算で明らかにされつつありますが、クォークの運動の力学は未だ理解されていません。それは、このクォークの運動の背後に潜む複雑性、カオスが原因になっています。ここでは、クォークの運動のカオスを測る指標の定式化に向けた最新の研究成果について、ご紹介したいと思います。

運動の複雑さって何?

高校の物理の授業で、物体の運動を記述する運動方程式を習います。授業での演習問題では、設定が理想化されており、必ず解が求まります。つまり、初期値としてある時刻における位置と速度を与えれば、物体の運動は完全に決定されます。この運動のどこが複雑なのでしょう? 現実の物理をより正確に記述しようとして構築された運動方程式は、一般には厳密に解けません。そして、その運動は「カオス」と呼ばれる振る舞いを示します。皆さん、自宅の中がぐちゃぐちゃ、やることがいっぱいあってパニック、そんなときに「カオス」という言葉を一度は口にしたことがあるのではないでしょうか。その言葉に表されるように、一般に運動は複雑なのです。特に、運動方程式を解く際に用いる初期値をほんの少し変えるだけで最終結果が大きく変わってしまい、予測不可能になります。この現象を初期値鋭敏性と言います。ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきが、テキサスで竜巻を引き起こし得るか? そんな例えもあって、バタフライ効果とも呼ばれます。天気予報を正確におこなうことができないのも、この初期値鋭敏性のためです。なので、運動を厳密に追跡することはとても難しいのですが、その運動の複雑さそのものを議論する理論が存在して、それはカオス理論と呼ばれます。

[caption id="attachment_3656" align="aligncenter" width="600"] 初期値鋭敏性。ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきが、テキサスで竜巻を引き起こすか?(Wikipedia「バタフライ効果」より)[/caption]

物質の構成要素

私たちの世界を構成している究極の構成要素は何か? この質問に答えるために、日々研究をしているのが、我々素粒子理論と呼ばれる分野の研究者です。物質は分子から構成され、分子は原子から、原子は原子核と電子で構成される。そして、原子核は陽子と中性子で構成される。ここまでは高校の物理で学習します。この先にさらに細分化する構成要素は存在しないのでしょうか? 実は、陽子と中性子はクォークと呼ばれる基本粒子から構成されることが知られています。現在のところ、このクォークと電子をさらに細分化する要素は知られていません。クォークは6種類存在することがわかっています。電子にはそれと同様の性質をもつ仲間が2つ存在します。この電子の仲間たちに、3種類のニュートリノを合わせて、レプトンと呼ばれています。現在、このクォークとレプトンは物質を構成する粒子(フェルミオン)であり、その間の力は4種類のゲージ粒子(ボソン)によって媒介されると理解されています。このクォークとレプトン、ゲージ粒子に、質量に関与するヒッグス粒子を加えて、これらの粒子の運動を記述する理論は、「素粒子標準模型」として、理論的にも実験的にも確立されています。

[caption id="attachment_3657" align="aligncenter" width="600"] 素粒子標準模型に含まれる粒子 (Wikipedia「素粒子」より)[/caption]

素粒子の運動の複雑性

この素粒子標準模型に対して、カオス理論を適用することは困難です。さまざまな理由がありますが、その最たる理由は物質を構成する粒子がフェルミオンであることです。一般にカオス理論は、ボソン的な自由度でしか明確な解釈が得られません。我々の最新の研究[1]では、素粒子理論で近年発展した「ホログラフィー原理※1」という新たな手法を用いることで、この困難を解決する手法を確立しました(ホログラフィー原理に関する一般向けの解説は[2]を参照)。

この手法を用いると、フェルミオンの運動を仮想的なボソンの運動に等価変形して書き換えることができます。この書き換えにより、カオスの強さを測る指標であるリャプノフ指数※2を物質素粒子に対して計算することに成功し、フェルミオンの運動にカオスが存在することを示しました。下図は、そのカオスを示すポアンカレ切断の計算例です。本研究は、素粒子標準模型におけるクォークの複雑性を計算する道を開いたことに相当します(より専門的な解説については[3]を参照)。

[caption id="attachment_3658" align="aligncenter" width="600"] ポアンカレ切断の具体例。運動の規則性を表す「ポアンカレ断面」を、さまざまなエネルギーについて計算した。エネルギー E が小さいときは規則的な線を描いているが、エネルギーが大きくなると細かな点で埋め尽くされる。この出現がカオスを表す[/caption]

素粒子の根源に迫る

私たちの世界の複雑性は、根源的にはどのように説明されるのか? 世界を構成する素粒子を司る「素粒子標準理論」は、その数式はすでに知られていても、そこからどのように複雑性が現れるのかは未知です。複雑性を計算できるカオス理論の適用範囲が、量子力学的に解析することの大変困難な物質素粒子クォークにまで広がることは、素粒子の標準理論の複雑性を解明するためのひとつのステップと言えます。本研究を契機として、素粒子の標準理論をなぜ自然が選んでいるのか、についてのより深い理解への発展が期待されます。

引用文献

  1. K. Hashimoto, K. Murata and K. Yoshida, Phys. Rev. Lett. 117 (2016) no.23, 231602.
  2. 橋本幸士 「超ひも理論をパパに習ってみた」講談社
  3. 吉田健太郎 「カオスと超弦理論」 パリティ 2017年1月号 Vol. 32 No. 01

脚注

※1ホログラフィー原理:強く量子力学的に振る舞う素粒子の理論が、ある極限操作をとることにより、仮想的な高次元空間の重力理論と同じになってしまうこと。超弦理論の発展のなかで発見された。 ※2 リャプノフ指数:カオス理論において、初期値の微小なズレが時間発展で増幅される度合いを示す数。

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単一ナノチューブではじめて超伝導特性を観測! - 前例のない特異な超伝導状態が実現 https://academist-cf.com/journal/?p=3718 Mon, 06 Mar 2017 01:00:06 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3718 ナノチューブ - 10億分の1メートルスケールの円筒構造体 ナノチューブとは直径がナノ(10億分の1)メートルスケールの円筒形状の物質のことで、低次元ナノ構造体の一種です。有機物質からなる有機ナノチューブや無機材料から構成される無機ナノチューブなど、さまざまな物質が知られており、特に、炭素原子の二次元シートであるグラフェンあるいはグラフェンが複数層積み重なってできたグラファイトが円筒状に丸まった構造体と見なせるカーボンナノチューブは、強度・弾性・導電性に優れ、従来の材料にはない電気輸送・光学特性を有することから、燃料電池や光学機器など、実用化に向けた研究が盛んに行われています。 二硫化タングステン(WS2)と呼ばれる物質も、グラフェンと類似の層状化合物で、ナノチューブが存在することが知られています。WS2ナノチューブは、金属と絶縁体の中間的な電気伝導性を示す半導体に分類され、今までは固体ゲート絶縁体材料を用いた電気伝導性の制御や力学特性の研究が行われてきましたが、「超伝導」という電気抵抗がある有限温度以下でゼロになる現象を含めた電気伝導性の大幅な制御は未報告でした。

単一ナノチューブで超伝導が発現!

私たちは、下図左の透過型電子顕微写真に示したような多層WS2ナノチューブを基板上に分散させて、下図右のような単一ナノチューブのデバイスを作製しました。 [caption id="attachment_3719" align="aligncenter" width="600"] WS2ナノチューブの透過型電子顕微写真とデバイスの模式図。試料は直径100ナノメートル程度の多層ナノチューブ。正のゲート電圧を印加することで、WS2ナノチューブの表面および層間に正イオンが集積し、試料中に電子が蓄積される[/caption] その後、ゲート絶縁体材料として電解質(KClO4)を用いることで電気伝導性の制御を試みました。ゲート絶縁体材料である電解質に電圧を印加すると、電解質中の電荷を帯びたイオンが物質表面や層状物質の層間に集積して、物質界面や物質中に逆符号の電荷が蓄積されることで、従来の固体ゲート絶縁材料を用いた方法に比べて大幅なキャリア(電気伝導を担う粒子)数の制御が可能となります。この電解質デートという手法を用いてキャリア数制御を行った結果、半導体であったWS2ナノチューブに電子(マイナスの電荷を持つ粒子)やホール(プラスの電荷を持つ粒子)が多量に蓄積し、金属的な電気伝導特性を実現することに成功しました。 [caption id="attachment_3720" align="aligncenter" width="600"] WS2ナノチューブのトランジスタ動作と超伝導の発現。ゲート印加電圧が正負どちらの領域でも金属的挙動を実現でき、電子を多量に蓄積した領域では5.8ケルビン(−267.4℃)以下で超伝導が発現している[/caption] 上図左はトランジスタの伝達曲線と呼ばれるもので、ゲート電圧をプラス・マイナスどちらに印加した場合にもソース・ドレイン間を流れる電流値が増加しており、物質中にそれぞれ電子・ホールが蓄積されて電気伝導性が発現したことを表しています。このような電子とホール両側でのキャリア蓄積と電気伝導性を実現した両極性動作は、従来の固体ゲート絶縁体材料を用いた方法では未報告で、ゲート絶縁体材料として電解質を用いることで可能となりました。私たちは、さらに電子を極めて多量に蓄積した領域で、上図右に示したように5.8ケルビン(−267.4℃)以下で超伝導が発現することを発見しました。ナノチューブにおける超伝導は、すでにカーボンナノチューブで報告されていますが、先行研究はカーボンナノチューブの集合体試料を使用したもので、単一ナノチューブにおいて超伝導特性を観測したのは本研究が初めてです。

カイラルチューブ構造に由来するエキゾチックな超伝導特性

単一ナノチューブにおいて超伝導が発現したことから、円筒構造、巻き方の自由度など、今まで研究されてこなかったナノチューブの特徴的な形状を反映した超伝導特性の探索が可能となりました。まず、ナノチューブは特徴的な円筒構造を有しています。固体中の電気伝導を担っている電子は、粒子であると同時に、波としての性質を持つことが知られていますが、私たちが日常目にする大きさの金属パイプなどとは異なり、ナノメートルスケールではこの電子の波としての性質に起因する干渉効果が起こると期待されます。 また、グラフェンやWS2といった原子層物質が丸まってナノチューブを形成する際には、原子層をどのように巻いて円筒構造を形成するかの自由度があります。グラフェンもWS2も原子層一層は六角形の格子で形成されていますが、原子層を六角形の辺方向あるいは頂点方向に沿って真っすぐに丸めて円筒構造をつくると、出来上がった構造体は高い対称性を保っています。一方で、六角形が少しずつずれるようにして斜めに丸めたナノチューブは、真っすぐに丸めたナノチューブが持っていた鏡像反転対称性が破れており、より対称性の低い構造体となります。このように、物体がその鏡像と重ね合わすことができない性質をカイラリティーと呼びますが、カイラリティーが超伝導に及ぼす影響は今まで報告例がありませんでした。 本研究では、特に磁場下での電気伝導性の振る舞いを詳細に測定することにより、電気抵抗がチューブ軸と磁場の角度に大きく依存する異方的な振る舞いを示すことや、磁場がチューブ軸に平行な場合に、前述した干渉効果によって円筒を貫く磁場に電気抵抗が影響を受けること、さらにカイラリティーの影響を受けて電流電圧特性が磁場と電流が平行か反平行かで異なる振る舞いを示すことを明らかにしました。 [caption id="attachment_3721" align="aligncenter" width="600"] カイラルナノチューブにおける特異な超伝導物性の模式図[/caption] これら新しい超伝導特性は単一カイラルナノチューブに特有のものであり、前例のない特異な超伝導状態が実現されていることを示していると言えます。

今後の展望

本研究により、単独のナノチューブで実現した超伝導状態は今までにない特異な超伝導特性を有することが明らかになりました。この成果は、対称性が破れた低次元電子系における新奇超伝導という新たな学術分野を切り開く礎となるだけでなく、省エネルギーナノエレクトロニクスに新たな指針を与えることが期待されます。今後、私たちは観測された特異な超伝導物性が、空間反転対称性の破れた超伝導体に普遍的な性質であることの検証とその微視的機構の解明に取り組んでいく予定です。   引用文献 F. Qin, W. Shi, T. Ideue, M. Yoshida, A. Zak, R. Tenne, T. Kikitsu, D. Inoue, D.Hashizume, Y. Iwasa, Superconductivity in a chiral nanotube. Nature Communications, 8, 14465 (2017)]]>
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クォークの織りなす新奇な世界 - 新粒子候補テトラクォークZc(3900)の正体に迫る https://academist-cf.com/journal/?p=3729 Tue, 07 Mar 2017 01:00:19 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3729 新粒子候補Zc(3900)とは そもそも科学者たちは、なぜこの新粒子の“発見”に興奮したのでしょうか? それを説明するには、「ハドロン」と呼ばれる粒子について最初に解説しなくてはいけません。私たちの身近にある物質を原子→原子核→陽子・中性子とどんどん小さくしていくと、クォークにたどり着きます。つまり、クォークは物質を構成する最も基本的な素粒子であり、軽い方からアップ u、ダウン d、ストレンジ s、チャーム c、ボトム b、トップ tの6種類が存在することが知られています。さらに、これら6種類のクォークにはそれぞれ反クォークが存在し、軽い方から反アップ u、反ダウン d、反ストレンジ s、反チャーム c、反ボトム b、反トップ tと呼ばれています。これらのクォークは単独では存在せず、必ずいくつか集まり複合体をつくります。このクォークの複合体の総称がハドロンです。たとえば陽子や中性子はクォーク3個からなり、湯川秀樹博士が予言したπ中間子は、クォークと反クォーク1個ずつの複合体です。現在では、約400種類ものハドロンが知られています。 ハドロンの大きな謎は、ほとんどクォークが2個あるいは3個の構成で説明が付くことでした。なぜか、クォーク4個のテトラクォーク(クォーク2個と反クォーク2個)や5個のペンタクォーク(クォーク4個と反クォーク1個)といった風変わりなハドロンの存在が確立していなかったのです。ところが2003年以降、テトラクォークの候補が実験によって続々と報告され、なかでもZc(3900)は、その構成要素(ucdc)から、クォーク4個の状態の本命候補として大いに注目を浴びたのです。

どうやってテトラクォークを調べる?

Zc(3900)の正体は何なのでしょうか? 世界中で理論物理学者たちの競争が始まり、Zc(3900)を説明するさまざまな理論模型が提案されました。Zc(3900)に関わる4個のクォーク(ucdc)は、さまざまな離合集散の挙動を示す可能性があります。残念ながら、上記のBelleグループとBESIIIグループの実験データだけからは、どのようにクォークが離合集散するのか、その情報を引き出すことは出来ません。理論物理学者たちは、この離合集散に想像力をはたらかせました。その結果、Zc(3900)の内部構造として特に有力と思われた候補は次の3つです。 1. 4個のクォークがコンパクトにまとまったテトラクォーク状態(ucdc) 2. 重いJ/ψ中間子(cc)の周りを軽いπ中間子(ud)が回る原子のような状態 3. 同程度の質量をもつ反D中間子(uc)とD*中間子(cd)が分子のように結合した状態 [caption id="attachment_3734" align="aligncenter" width="600"] Zc(3900)が新粒子である場合に推定される3種類の内部構造[/caption] しかし、本当にZc(3900)の正体を知るには、やはりクォークの基本法則からきちんと計算をする必要があります。クォークの振る舞いを支配する基本法則は、量子色力学と呼ばれる理論です。量子色力学を解くことは非常に難しいのですが、ここで鍵となる方法が「格子量子色力学」です。この方法では、格子状に分割した四次元時空(縦・横・高さの空間軸に時間軸を加えた空間)上で定式化された量子色力学を、スーパーコンピュータを用いた大規模数値シミュレーションにより、近似を用いることなく数値的に解くことができます。しかし、テトラクォークなど新奇なクォーク多体系を正確に計算するには、上述したクォークの離合集散を正しく取り扱うことが必要ですが、従来の格子量子色力学ではその扱いは困難であり、新しい理論的枠組みが必要となりました。 私たちのアプローチの第一点が、格子量子色力学を用いてハドロン間に働く力を求める方法の一般化です。2007年に石井・青木・初田が開発した手法を、クォークがさまざまな離合集散を起こしている場合でも使えるように拡張しました。しかし、ハドロン間に働く力が解っても、実際にどのような離合集散が起こるのかを調べるのは容易ではありません。この問題に対する私たちのアイデアは、「散乱理論」との融合でした。散乱理論というのは、たとえば光や電子などのミクロな粒子を物質に照射し、散乱された粒子を観測することで物質の内部構造を決定する理論的枠組みを与えてくれる理論です。今回のケースでは、ハドロン間の力を基に、仮想的な散乱現象を散乱理論の枠組みで解析することで、実際にどのような内部構造があり得るのか、またそれはどのようなクォークの離合集散によるものなのか、などが手に取るように解ることになります。 格子量子色力学によるハドロン間の力の計算と、その散乱理論との融合、この私たち独自のアプローチにより、ついにZc(3900)の正体を明かす準備ができました。さあ、いよいよ結果を見てみましょう!

数値シミュレーションが示した意外な結果

最初はスーパーコンピュータを用いた格子量子色力学の大規模数値シミュレーションです。4個のクォークの離合集散(ucdc)により生み出されるJ/ψ中間子とπ中間子に働く力、反D中間子とD*中間子に働く力をそれぞれ求めました。この結果、これらの力は非常に弱く、2.と3.は安定して存在せず、その可能性が否定されました。さらに、J/ψ中間子とπ中間子の中間子ペアと、反D中間子とD*中間子の中間子ペアは頻繁に入れ替わることがわかりました。 [caption id="attachment_3732" align="aligncenter" width="600"] ハドロンの間に働く力と結合を大規模数値シミュレーションから導出する方法:格子量子色力学を用いた大規模数値シミュレーションにより、4個のクォークの離合集散を測定することで、J/ψ中間子とπ中間子の間に働く力、反D中間子とD*中間子の間に働く力、およびこれらの中間子ペア間の結合を計算する[/caption] この入れ替わりは遷移と呼ばれ、重いチャームクォーク、または反チャームクォークを交換する過程です。実はこの結果は驚きでした。というのは、チャームクォークというのは陽子の約1.4倍もある非常に重いクォークであり、その入れ替わりが必要な遷移は起こりにくいと考えられてきたからです。今回の私たちの計算により初めて、従来の予想を覆し、頻繁に遷移することが発見されたのです。最後に、この遷移が1.のようなコンパクトな状態を生み出すかどうかを調べました。散乱理論に基づき中間子ペアの遷移を正確に取り入れて計算したというのがポイントです。その結果、1.のようなテトラクォーク状態は極めて短寿命で中間子ペアに崩壊してしまうことがわかりました。つまり、1.の可能性も否定されてしまいました。 それでは実験で報告されたZc(3900)の“シグナル”は一体何だったのでしょう? 私たちのアプローチでは、どのようなクォークの離合集散がその“シグナル”を産み出したのかまで明らかにすることができます。その結果は、J/ψ中間子とπ中間子の中間子ペアと、反D中間子とD*中間子の中間子ペアが頻繁に遷移するために、特定のエネルギーで崩壊確率が増大する「しきい値効果」であることが解りました。しきい値効果というのは、異種のハドロン間の遷移に起因する効果であり、“新粒子”が存在することによる効果とは別物です。つまり、“Zc(3900)は新粒子とは呼べない”ということが結論されました。

今後に向けて

クォークの基本原理である量子色力学に基づいた大規模数値シミュレーションと散乱理論を組み合わせることで、従来の散乱実験とは独立に、基礎理論に基づく理想的な数値散乱実験が可能になったと言えます。これにより、さまざまな新奇なハドロンの候補の正体を理論的に解明する道筋がつきました。そのような候補はZc(3900)以外にもさまざまあり、代表的なものとしては、テトラクォーク候補とされるX(3872)、Zc(4430)や、ペンタクォークの候補とされるPc(4450)などがあります。私たちの開発した手法は、一般的かつ汎用性が高いため、このような系への適応が可能です。もしかしたら、あるものはZc(3900)と同じようにしきい値効果かもしれません。あるものは真に新奇なハドロンの状態であり、量子色力学の新たな側面を見せてくれるのかもしれません。新奇なクォーク多体系の候補は、これまで想像もしていなかった現象を、我々物理学者に語りかけてくれる宝物のような存在です。今後は、この宝の地図を完成させていきたいと思います。ぜひ、進展にご期待ください!
[1] HAL QCD Collaboration:大阪大学、理化学研究所、京都大学、日本大学、筑波大学の研究者による共同研究グループ。Hadrons to Atomic nuclei from Lattice QCD Collaborationの略。2007年、石井・青木・初田らにより、陽子や中性子間に働く核力を、クォークの基本法則を解くことが可能な格子量子色力学から求めることに成功し、さまざまなハドロン間に働く力を求めるため発足した共同研究グループ。今回、格子量子色力学の計算結果を散乱理論で総合的に解析することで、従来の散乱実験とは独立に、基礎理論に基づく理想的な数値散乱実験が可能になった。
参考文献 Yoichi Ikeda, Sinya Aoki, Takumi Doi, Shinya Gongyo, Tetsuo Hatsuda, Takashi Inoue, Takumi Iritani, Noriyoshi Ishii, Keiko Murano, and Kenji Sasaki, "Fate of the Tetraquark Candidate Zc(3900) from Lattice QCD", Physical Review Letters 117, 242001 (2016).]]>
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世界で最も小さいものが見える顕微鏡 - 「水のチェーン」の構造が明らかに https://academist-cf.com/journal/?p=3749 Wed, 08 Mar 2017 01:00:04 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3749 SPMの概念図(上段)および銅表面のSTM像(下段左)とAFM像(下段右)。STM、AFMいずれにおいても、1つひとつの銅原子の配列を画像化することができる[/caption] SPMを代表する手法として、探針—試料間に流れるトンネル電流(トンネル効果によって探針—試料間を移動する電子)を検出する走査トンネル顕微鏡(STM)と、探針—試料間に働く引力あるいは斥力を検出する原子間力顕微鏡(AFM)があります。原子を可視化する手法としてはほかに透過型電子顕微鏡(TEM)などもありますが、STMやAFMを用いる利点として、原子や分子を観察するだけでなく、原子・分子を探針によって移動させることで任意の構造体を組み立てたり化学反応を誘起したりできることが挙げられます。 今回私たちは、AFMを用いて金属表面上に吸着した1つひとつの水分子を画像化することに初めて成功しました。ここではその顕微鏡画像とともに、SPMがもたらす新しい知見についてご紹介します。

固体表面上の水の単分子層は「濡れの第一段階」

SPMで観察できるのは、固体表面や、その表面上に吸着した原子・分子です。そのためSPMは、表面・界面の構造や物性を調べる「表面科学」という研究分野の発展に大きく貢献しています。なかでも、金属表面上に水分子が直接吸着した「水単分子層」はまさに「濡れの第一段階」といえる構造であり、重要な研究対象です。表面の「濡れ方」は、触媒や電池電極反応、腐食などの化学現象や、摩擦や潤滑などの物理現象などに密接に関わっています。水分子同士は水素結合という比較的弱い力で連結しあい、さまざまなネットワークを構成することができます。そのネットワーク構造はあまりにも多彩であり、表面の種類や温度によって変化しうるため、未だ解明しきれていません。 表面がどのようにして水に濡れていくか、つまり、水単分子層において水分子がどのような水素結合によるネットワークを形成するかを知るための実験手法として、水分子の位置を知ることができるSPMは最適といえます。AFMに比べて1分子スケールの観察が容易であるため、金属表面上の水単分子層のナノスケール観察はSTMを用いて行われてきました。それにより、これまでに国内外の研究者によってさまざまな表面の水単分子膜の構造が解明され、「濡れ」のメカニズムが調べられています。

STMだけでは限界がある

しかし、1粒1粒を見分けるSTMの分解能にも限界があります。STMは原子よりも大きく広がった「電子雲」を観察することになるので、水分子のネットワークのようにさまざまな配向の分子が密集していると、個々の分子の位置を識別することが難しくなります。その一例が、銅の表面上に形成した「水のチェーン」です。このチェーンは、5個の水分子が水素結合によって5員環を形成し、それが構成単位となって1次元的に配列した構造です。この構造モデルは分光実験や理論計算によって提唱されていましたが、STM像だけではチェーン内部の水分子がどのように並んでいるかを知ることができませんでした。 そこで私たちは、このようなSTMでは構造がわからない水単分子層を、AFMによって明らかにすることを試みました。AFMそのものは表面の粗さを調べるために企業などでも使われている一般的な手法なのですが、1原子が見えるほどの高分解能を得るためには複雑な制御回路や精密な力センサーが必要になります。しかし、その測定の難しささえ克服すれば、STMと同程度、あるいはそれより優れた分解能が得られます。実際に、固体表面上に吸着した有機分子をAFMで測定することで、その分子内部のベンゼン環の六角形をも可視化できることが明らかになっています。

AFMで1つひとつの水分子を見分ける

私たちは、STMとAFMを切り替えて測定できる装置を用いて、銅表面上の「水のチェーン」の観察を行いました。STMで観察した「水のチェーン」は、ジグザグ状に並んだ輝点の列として観察されており、その水分子の位置はわかりません。しかし、このチェーンをAFMによって観察すると、1つひとつの水分子が鮮明に可視化され、このチェーンは間違いなく5員環によって構成されていることを実証することができました。精密な力測定を行うことで、水分子内の酸素原子と、探針先端の原子とが接近したときに生じる斥力が、AFMによる1分子イメージングに重要であることがわかりました。 もちろん、AFMを使えば必ずいつでも水分子が見えるというわけではありません。先述のとおり最先端の制御回路や力センサーが必要であることに加え、観察に用いる探針も重要です。今回私たちは、金属製の探針の先端に、一酸化炭素(CO)分子を付着させたものを用いました。 [caption id="attachment_3751" align="aligncenter" width="600"] AFMによる銅表面上の「水のチェーン」の測定の模式図[/caption] そうすることによる利点は複数あるのですが、最もわかりやすいのは、COが「保護キャップ」の役割を果たすということです。AFMでは、探針先端が金属の状態で観察しようとすると、相互作用が強すぎてチェーンが壊れてしまいます。そこで、化学的に不活性なCOを探針につけることで、チェーンを壊すことなくAFM像を得ることができました。このように、SPMでは探針の構造が極めて重要であるということが、測定の難しいところであると同時に、工夫の余地がある点でもあります。

AFMは"マイナー"な構造を調べるための究極のツールになりえる!

SPMの利点は、広い表面上に少数しか(あるいは、特定の領域にしか)存在しない局所構造も調べられることにあります。図に示すように「水のチェーン」には、一直線に伸びたチェーンが途中で折れ曲がったところや、チェーンが切れたところ(末端)が存在しています。 [caption id="attachment_3752" align="aligncenter" width="600"] 実際に得られた「水のチェーン」のSTM像(左)とAFM像(中央)、およびそのAFM像から明らかになった構造の模式図(右)。白、赤、茶色の球はそれぞれ水素、酸素、銅原子を表す[/caption] これらをAFMによって観察することで、どこに水分子が存在していて、どのように隣の水分子と連結しているかを知ることができました。このような規則正しく並んでいない水分子は、全体でみるとごくわずかです。しかし、そのような特殊な構造こそが、新しい水分子が吸着しやすい、または化学反応が起こりやすい「活性点」となることが知られています。極めて高い分解能によるAFM観察によって、さまざまな局所構造を明らかにすることができれば、表面の濡れ方の完全解明に一歩近づくかもしれません。

おわりに

今回、AFMを用いることで水単分子層内部の個々の水分子が見分けられることを明らかにしました。しかし、これはまだ、AFMによる水の研究における最初の一歩でしかありません。今回は水素結合によるネットワークを形成して完全に静止した水分子を観察しましたが、ばらばらだった水分子が動いてネットワークを形成していく様子をAFMによって観察することも可能であるはずです。あるいは、トンネル電流が流れないためにSTMでは測れない厚い氷の表面構造も、AFMでは明らかにすることができるでしょう。水をはじめとする私たちの身近にあふれた物質による化学・物理現象も、原子・分子スケールではそのメカニズムがわかっていないものがたくさんあります。そのような分子の性質を、文字どおり「1つひとつ」解明していくことが可能になりつつあるのです。 参考文献 A. Shiotari and Y. Sugimoto, “Ultrahigh-resolution imaging of water networks by atomic force microscopy,” Nature Communications 8, 14313 (2017). S. Maier and M. Salmeron, “How Does Water Wet a Surface?” Accounts of Chemical Research 48, 2783 (2015). N. Pavliček and L. Gross, “Generation, manipulation and characterization of molecules by atomic force microscopy,” Nature Reviews Chemistry 1, 0005 (2017).]]>
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細胞に生えている『毛』の先っぽがちぎれて飛んでいく!- 繊毛から放出される小胞のはたらきとは https://academist-cf.com/journal/?p=3760 Mon, 13 Mar 2017 01:00:10 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3760 からだの中は毛だらけ! 私たちヒトのからだはいろんな形やはたらきを持った細胞が集まってできています。そんな多様な細胞には、ほんの少しの例外を除いて小さな『毛』が1本生えています。この毛は『繊毛(より正確には、一次繊毛)』と呼ばれています。繊毛は自動車のアンテナのように、細胞の表面からニョキっと突き出ており、その見た目どおり、細胞の外からさまざまな情報を受け取るアンテナとしてのはたらきを持っています。たとえば繊毛には、成長因子やホルモンの受容体が集中しており、それらを受容して細胞にシグナルを送っています。他にも血管などからだの中の管に生えている繊毛は、管の中の水流により折れ曲がることで繊毛の表面にあるイオンチャネルが開き、細胞内にイオンを流入させて細胞にシグナルを送っています。このような繊毛のアンテナとしてのはたらきは、私たちのからだの形作りに非常に重要で、繊毛を作ることができないと、からだが正しく作られないため、生まれてくることができません。また繊毛の形やはたらきに異常があると、生まれてくることはできても、指の数が多かったり、目が見えなかったり、腎臓のはたらきが悪かったりと、からだの機能にいろんな異常が出てしまいます。最近はこのような繊毛の異常を原因とする病気を『繊毛病』と呼び、世界中の多くの研究者が病気の詳しいメカニズムを明らかにしようと頑張って研究しています。 [caption id="attachment_3764" align="aligncenter" width="500"] 一次繊毛の写真(左) アンテナとしてのはたらき(真ん中・右)繊毛はシグナルを受容したり(ケモセンス)、水流を感知したりする(メカノセンス)。[/caption]

繊毛から小さな小胞が放出される

『アンテナ』としてのはたらきを持つ繊毛の研究で、最近とても興味深い発見がありました。緑藻類のクラミドモナスという単細胞生物を用いた研究で、繊毛から小さな小胞が放出される現象が発見されたのです。わたしたちは、似たような現象がヒトなど哺乳類の細胞でも起こるはずと考え、繊毛を生きたまま観察するタイムラプスイメージングを行いました。繊毛は非常に細く普通の顕微鏡では観察するのが難しいため、繊毛に集まるタンパク質を蛍光タンパク質で標識することで繊毛を観察しやすくしました。繊毛の形の変化や動きを観察すると、繊毛の先端がちぎれて細胞から離れていく現象をとらえることに成功しました。私たちは顕微鏡観察だけでなく、細胞を培養している培地から小さな小胞(『細胞外小胞』と呼びます)を集めてきて、繊毛の成分が小胞として細胞の外に放出されていることを生化学的に証明しました。 [caption id="attachment_3765" align="aligncenter" width="500"] 繊毛の先端がちぎれて放出される様子[/caption]
[embed]https://www.youtube.com/watch?v=O5hUgezyHyw&feature=youtu.be[/embed]

繊毛から放出された小胞の中身は何か?

繊毛から放出された小胞にはいったい何が含まれているのでしょうか。クラミドモナスの繊毛から放出された小胞にはタンパク質分解酵素が含まれていました。クラミドモナスを用いた研究では、繊毛から培養液中に放出された小胞を集めてきて、その中身を調べるだけでよいのですが、哺乳類の細胞の場合はこの方法が使えません。哺乳類の細胞は、繊毛から放出される小胞以外にも、エクソソームと呼ばれる別の細胞外小胞を放出しているからです。細胞を培養している培地から細胞外小胞を集めてその中身を調べても、それが繊毛から放出された小胞に入っているものなのか、エクソソームに含まれているものなのか区別できません。そこで私たちはゲノム編集という技術を用いて、繊毛を持たない細胞を作りました。その後、繊毛を持つ細胞と持たない細胞、それぞれを培養した培地から細胞外小胞を集めてきて、プロテオミクスで小胞の内容物を比較しました。この結果、繊毛から放出された小胞の内容物の候補として、タンパク質分解酵素、病原体の感染を防御するはたらきをもつタンパク質、RNAに結合するタンパク質などが見つかりました。 [caption id="attachment_3766" align="aligncenter" width="427"] 繊毛から放出された小胞の中身の調べ方[/caption]

繊毛から放出された小胞は細胞の外で何をする?

クラミドモナスを用いた研究や私たちの研究から、繊毛から小胞が放出されると繊毛が短くなることが分かりました。これは、繊毛からの小胞放出が、繊毛の短縮を促すきっかけになっていることを示しています。では、繊毛から放出された小胞はどんな役割を持っているのでしょうか。クラミドモナスを用いた研究では、小胞に含まれるタンパク質分解酵素は、次の世代(『娘細胞』と呼びます)が殻を破って外に出るために使われているそうです。タンパク質分解酵素が、殻に到達する前に、娘細胞を傷つけないように、小胞はいわば『カプセル』の役割を担っているわけです。哺乳類の細胞の繊毛から放出された小胞の役割は、まだ明らかにはなっていませんが、小胞に含まれていたタンパク質分解酵素や感染防御に関わるタンパク質などは、もしかすると細胞の外にある病原体を攻撃し、感染から細胞を守るために使われるのかもしれません。クラミドモナスの例と同じように、小胞は病原体を攻撃するための“爆薬”が途中で暴発したり、細胞の外で拡散したりしてしまうのを防ぐためのカプセルとしての機能を担っている可能性があります。 [caption id="attachment_3767" align="aligncenter" width="500"] 繊毛から放出された小胞の中身[/caption]

おわりに

繊毛病は、繊毛のアンテナとしてのはたらきの異常により起こると考えられています。しかし、もしかすると一部の繊毛病は、繊毛からの小胞放出に異常があることや、放出された小胞がうまくはたらかないことが原因かもしれません。今後、繊毛から放出された小胞の役割が明らかになれば、繊毛病のメカニズムを違った視点から理解できるようになるかもしれません。さらに、病気のメカニズムの解明が進むことで、人工的に小胞を大量に作るなど、繊毛病の治療にこの小胞を用いることが可能になる日が来る可能性もあります。また繊毛から放出される小胞を、薬など好みの物質を入れたナノカプセルとして利用し、さまざまな病気の治療に用いるといった応用も今後期待できます。 参考文献 1. Phua SC, Chiba S, Suzuki M, Su E, Roberson EC, Pusapati GV, Setou M, Rohatgi R, Reiter JF, Ikegami K, Inoue T. Dynamic Remodeling of Membrane Composition Drives Cell Cycle through Primary Cilia Excision. Cell 168: 264-279, 2017. 2. Long H, Zhang F, Xu N, Liu G, Diener DR, Rosenbaum JL, Huang K. Comparative Analysis of Ciliary Membranes and Ectosomes. Curr Biol 26: 3327-3335, 2016. 3. Wood CR, Huang K, Diener DR, Rosenbaum JL. The cilium secretes bioactive ectosomes. Curr Biol 23: 906-911, 2013.]]>
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無人探査ロボットで東京ドーム1万個分の海底地図を描きたい! - 地球最後のフロンティア”深海”に挑む - https://academist-cf.com/journal/?p=3782 Tue, 07 Mar 2017 09:00:02 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3782 無人探査ロボットで東京ドーム1万個分の海底地図を描きたい! ご支援していただいた方へのリターンとして、「KUROSHIOオリジナルグッズ(5,000円)」や、「JASMTEC特別ツアー参加権(50,000円)」などが用意されています。 【募集期間】2017年02月27日〜2017年05月26日 【支援サイト】academist(アカデミスト) 【お問い合わせ】info@academist-cf.com]]> 3782 0 0 0 最強生物クマムシの耐性の謎をゲノム編集で解明する!-水がなくても生きられる?クマムシの極限環境耐性のメカニズムとは- https://academist-cf.com/journal/?p=3796 Wed, 08 Mar 2017 09:00:51 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3796 最強生物クマムシの耐性の謎をゲノム編集で解明する! ご支援していただいた方へのリターンとして、「クマムシさんオリジナルぬいぐるみ(かんみんシロクマムシちゃんSサイズ)とオリジナルステッカー(5,000円)」や、「クマムシさんオリジナルグッズとオンラインサロン「クマムシ博士のクマムシ研究所」への参加券(1年間)(30,000円)」などが用意されています。 【募集期間】2017年03月02日〜2017年05月19日 【支援サイト】academist(アカデミスト) 【お問い合わせ】info@academist-cf.com]]> 3796 0 0 0 植物が緑になるか否かはどう決まる? - 根で葉緑体の発達をコントロールするしくみ https://academist-cf.com/journal/?p=3812 Tue, 14 Mar 2017 01:00:07 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3812 動物と植物の違いは? 動物と植物の違いはなんでしょうか? 小さな子どもに説明するなら、動き回ってなにか食べるのが動物、じっとしていて食べないのが植物、ということになるでしょう。ただ、サンゴのように動かない動物もいれば、ハエトリグサのように虫を食べる植物もいるので、例外もたくさん存在します。そこで、より詳しく説明するなら、基本的な細胞のつくりが違う、と答えることができます。動物と植物の細胞には細胞壁の有無などさまざまな相違点がありますが、なかでも特徴的なのが、色素体とよばれる細胞内小器官を持つ(植物)か、持たない(動物)か、という違いです。色素体は藻類を含む植物に特有の細胞内小器官の総称で、光合成を行う葉緑体も色素体の一形態です。色素体を持つか否かが植物と動物の生き方を決定的に違えており、色素体(葉緑体)を持つ植物は光合成によりエネルギーを確保できるので、動き回って食べ物を探す必要がないのです。 では、この違い“色素体を持つか否か”はどのように生じたのでしょうか? さまざまな証拠から、遥か昔に植物細胞の祖先が光合成を行う細菌(シアノバクテリア)を取り込み、色素体として使うようになった、と考えられています(細胞内共生説)。共生した細菌に光合成を行う能力があった、というのが最も重要な点で、それにより植物細胞は光と水という非常にありふれた材料からエネルギーを取り出すことが可能になり、地球の環境を変えるほどの発展を遂げたのです。 [caption id="attachment_3813" align="aligncenter" width="600"] 植物の進化に伴った色素体の分化。色素体は太古の昔にシアノバクテリアが細胞内共生することで植物細胞にもたらされ、葉緑体として光合成を担ってきたと考えられる。しかし、植物が多細胞化し多様な役割を持つ細胞が生まれた過程で、色素体も葉緑体だけでなく、それぞれの細胞の役割に応じた形態をとるようになった[/caption]

色素体は細胞の機能に応じてさまざまに形を変える

このような進化的な背景を考えると、色素体の原型は光合成能力を持つ葉緑体であるといえます。実際、単細胞藻類などでは、色素体はもっぱら葉緑体として存在し、盛んに光合成を行うことで細胞の増殖を助けます。一方、多細胞の高等植物では、色素体は葉緑体以外にも、細胞の役割に応じてさまざまな機能を持った形態をとります。たとえば、大根の根の細胞では無色の白色体が、トマトの果実の細胞ではカロテノイドを持つ有色体が、ジャガイモの塊茎の細胞ではデンプン粒を貯め込んだアミロプラストが発達します。葉緑体も含め、これらの多様な色素体は原色素体とよばれる未分化な色素体から分化するほか、発達過程や生育環境に応じて相互に変換することも知られています。トマトの例でいうと、果実が熟すにつれて緑色から赤色に変わるのは、緑色の葉緑体が赤いリコペンを含んだ有色体に変身するからです。植物は多様な環境に適応するために、進化の過程で葉緑体をさまざまな機能を持つ色素体へと分化させるようになったのでしょう。

色素体の分化を制御するしくみは?

このように、色素体の分化が植物の生き方を決めていると言っても過言ではありませんが、色素体の分化を調節するしくみについては、実のところまだよくわかっていません。特に、葉緑体が担う光合成は諸刃の剣で、吸収した光エネルギーを反応にうまく使えないと、生じた活性酸素により細胞がダメージを受けます。そのため、植物は組織や環境に応じて葉緑体の発達を厳密にコントロールする必要がありますが、葉緑体の分化が細胞ごとにどのように決められるのかについては、ほとんど明らかになっていません。これまでの葉緑体分化の研究は、光合成組織でどのように葉緑体が発達するのか、という「正の制御」に関するものがほとんどで、非光合成組織ではなぜ葉緑体が発達しないのか、という「負の制御」に関してはあまり注目されていませんでした。しかし、葉緑体が色素体の原型であると考えると、非光合成組織ではむやみに葉緑体が分化しないように強く抑制しているともいえます。そこで私は、非光合成組織で葉緑体の発達を抑制するしくみを明らかにできれば、色素体の分化制御機構の解明に近づけると考え、モデル植物であるシロイヌナズナの根を材料に研究を開始しました。 [caption id="attachment_3814" align="aligncenter" width="600"] 植物組織に応じた葉緑体の分化制御。光合成組織では葉緑体の分化が促進され、光合成による物質生産が盛んに行われる。一方で、光合成反応は余剰な光エネルギーによる傷害を引き起こす危険性をはらむ。そのため、エネルギー源を光合成組織に頼る非光合成組織では葉緑体の発達は抑制され、色素体は白色体や有色体などの別のタイプの形態に分化し、組織の役割に応じた機能を担う[/caption]

植物ホルモンのバランスが葉緑体の分化を左右する

一般に、植物の根は成長に必要な炭素源を光合成器官である葉に依存しています。自らは光合成をする必要はないので、根は葉緑体をほとんど発達させません。実際、シロイヌナズナの根に光を当てても、葉緑体の緑色の色素であるクロロフィル(葉緑素)はほとんど作られません。しかし、光合成組織である地上部(葉や茎)を切り取ると、根でクロロフィルの合成が活性化し、葉緑体も増えることに気づきました。このことは、通常は光合成を行わない根の細胞も、環境に応じて葉緑体を発達させる能力を持つことを意味します。そこで、この現象を詳しく解析した結果、植物ホルモンのオーキシンが根における葉緑体の発達を抑制することを突き止めました。地上部から切り離した根をオーキシンを含む培地で生育させたところ、クロロフィルの蓄積が抑えられました。反対に、地上部から根へのオーキシン輸送やオーキシンの情報伝達が弱くなった変異体では、地上部を切らずとも根が緑色になりました。これらの結果から、通常は、根の葉緑体発達は地上部から輸送されるオーキシンの作用によって抑制されていますが、地上部を失ったときにはオーキシンによる抑制がなくなり、根で葉緑体が発達しやすくなることが明らかとなりました。 さらに、サイトカイニンという別の植物ホルモンが、オーキシンとは反対に根での葉緑体の発達を促進することを見出しました。サイトカイニンを与えると根のクロロフィル量が増加するのに加え、地上部を切り離した根ではサイトカイニンに対する応答が強くなることもわかりました。このサイトカイニン応答は根の緑化に必須であり、サイトカイニン応答因子(BタイプARR)の変異体では、地上部を切除した際の根の緑化応答がまったく見られなくなりました。また、一連の反応には傷害応答因子WIND1が深く関与しており、WIND1の機能を抑制した植物体ではサイトカイニン応答が弱くなるとともに、葉緑体の発達も抑制されることがわかりました。以上の結果から、通常、根の細胞ではオーキシンの作用により葉緑体の発達が抑制されていますが、地上部を失った際にはオーキシンによる抑制が解除され、それと同時にWIND1を介してサイトカイニン応答が活性化され、根での葉緑体の発達が促進されることが明らかになりました。 [caption id="attachment_3815" align="aligncenter" width="600"] オーキシンとサイトカイニンによる根の緑化を調節するしくみ。通常、根では地上部から輸送されるオーキシンによって葉緑体の発達(緑化)が抑制されている。しかし、エネルギーの供給源である地上部を失った際には、オーキシンによる抑制がなくなるとともに、傷害によってサイトカイニンに対する応答が強まることで、根の緑化や光合成能力の向上が引き起こされる[/caption]

転写因子の活性化で根が緑に

最後に、植物ホルモンの下流で働く因子にも簡単に言及したいと思います。私は一連の研究から、オーキシンとサイトカイニンによる葉緑体の分化制御には複数の転写因子(DNAに結合し遺伝子の転写を調節するタンパク質)が関わっていることを突き止めました。実際、そのような因子を人工的に過剰に作らせると、葉緑体の発達が誘導されることで白い根が緑になり、光合成能力も向上することが確認できました。つまり、転写因子を人為的にコントロールすることで、本来光合成をしない根でも葉緑体を作らせることができたのです。この技術をさらに発展させれば、将来的には植物の葉緑体の分化を人工的にコントロールできるようになるかもしれません。

おわりに

エネルギーの供給源である地上部を失うことは、植物にとって最大のピンチです。そのような危機に対し、植物は残った根で葉緑体を発達させ光合成を行うことで、生き残る可能性を少しでも高めていると考えられます。草むしりで根を残してしまうと、そこからまた葉が出てくることがありますが、以上のような葉緑体分化のしくみが働いているのかもしれません。今後さらに研究を進めて、色素体の分化を制御するしくみと、それに基づく植物の多様な生き方を明らかにしたいと考えています。
参考文献 Kobayashi, K., Ohnishi, A., Sasaki, D., Fujii, S., Iwase, A., Sugimoto, K., Masuda, T. and Wada, H. (2017) Shoot removal induces chloroplast development in roots via cytokinin signaling. Plant Physiol. doi: 10.1104/pp.16.01368. Kobayashi, K., Sasaki, D., Noguchi, K., Fujinuma, D., Komatsum, H., Kobayashi, M., Sato, M., Toyooka, K., Sugimoto, K., Niyogi, K. K., Wada, H. and Masuda, T. (2013) Photosynthesis of root chloroplasts developed in Arabidopsis lines overexpressing GOLDEN2-LIKE transcription factors. Plant Cell Physiol. 54: 1365-1377. Kobayashi, K., Baba, S., Obayashi, T., Keränen, M., Aro, E.M., Fukaki, H., Ohta, H., Sugimoto, K. and Masuda, T. (2012) Regulation of root greening by light and auxin/cytokinin signaling in Arabidopsis. Plant Cell 24: 1081-1095.

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受精障害はなぜおこるのか? - オスだけが持つY染色体の遺伝子の役割に迫る https://academist-cf.com/journal/?p=3826 Thu, 23 Mar 2017 01:00:01 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3826 Y染色体とゲノム編集 Y染色体はオスにしか存在しません。それゆえ体の大きさや生殖機能など、オスのさまざまな特徴にY染色体が関与していることが考えられます。Y染色体はX染色体に比べ非常に小さく、染色体にのっている遺伝子数も少ないのですが、実は個々の遺伝子の機能はあまりわかっていません。これは、遺伝子の機能を調べるときのゴールデンスタンダードはノックアウトマウスを作製することですが、ES細胞を使用して相同組み換えを用いる従来の方法では、Y染色体遺伝子のノックアウトマウスの作製が困難であったことが理由のひとつであると言えます。その原因は、Y染色体が反復配列を多く含むなど、特徴的な構造を取っていることなどが考えられます。それを克服したのが、近年話題になっているゲノム編集技術であるTALENやCRISPR/Cas9システムです。特にCRISPR/Cas9システムは、2012年にゲノム編集技術として報告されましたが、その簡便性から今では世界中で広く使われるようになっています。私たちの研究グループはこのゲノム編集技術をいち早く取り入れ、Y染色体上の遺伝子の機能解析を行ってきました。

Y染色体の遺伝子 Zfy1,Zfy2とは?

私たちが注目した遺伝子は、Y染色体短腕上にあるZfy1とZfy2です。この遺伝子は1980年代に性決定遺伝子として注目を集めましたが、その後Sryという遺伝子が真の性決定遺伝子であることが判明したため、しばらくのあいだ忘れ去られてしまい、その機能は長年不明でした。近年、この遺伝子が、精子形成(特に精子頭部や尾部の形態形成)に関与する報告が複数なされ、再び注目を集め始めましたが、過去の報告はいずれもマウスにZfy1やZfy2を導入する方法を取っており、ノックアウトマウスでの報告はありませんでした。そこで私たちは、CRISPR/Cas9システムを用いて、このZfy1ノックアウトマウス(Zfy1KO)、Zfy2KO、Zfy1/2ダブルノックアウトマウス(Zfy1/2DKO)を作製し、その解析を行いました。

ノックアウトマウスの解析

Zfy1とZfy2はY染色体上に存在し、生殖機能に関与している可能性が高いため、まずノックアウトマウスをメスと交配させその妊孕性を調べました。するとZfy1KOと交配させたメスのマウスは、問題なく妊娠することができるのに対し、Zfy2KOと交配させたメスのマウスは妊娠しにくく、Zfy1/2DKOでは不妊となりました。この原因を調べていくと、Zfy2KOやZfy1/2DKOが持つ精子は、下図のように頭部や尾部に奇形があり、運動性も落ちていることがわかりました。またその程度は、Zfy2KOよりもZfy1/2DKOのほうが重度であり、Zfy1とZfy2では、Zfy2のほうが役割としては重要ですが、互いに機能を補い合っていることが考えられました。 [caption id="attachment_3828" align="aligncenter" width="500"] 精子頭部の奇形がZfy2KO,Zfy1/2DKOで観察される[/caption] Zfy1/2DKOの精子は、卵子に精子を直接ふりかける体外受精でも受精できませんでした。そもそも精巣上体に貯留している精子は、そのままでは受精することができません。メスの生殖器官を通過する過程で受精能を獲得し、卵周囲の顆粒膜細胞に反応して先体反応が起こり、最終的に精子と卵子の細胞膜が癒合し受精が起こります。Zfy1/2DKOの精子では、受精能獲得や先体反応が起こらないことがわかりました。 こんなだめだめなZfy1/2DKO精子ですが、精子を卵子に直接注入する顕微授精を行って、はじめて受精することができました。しかし、その受精効率は非常に低く、また受精しても多くの胚が早い段階で発生を停止してしまいました。この顕微授精における受精効率の低さを調べていくと、卵子の活性化が起こっていないことがわかりました。通常、第二減数分裂中期で減数分裂が止まっている卵子は、受精時に精子由来の卵活性化因子により、減数分裂が再開します。つまり、Zfy1/2DKO精子は卵の活性化に障害があり、顕微授精でも受精効率が低下していると考えました。また、わずかに受精しても発生が早い時期に止まる原因を調べていくと、精子由来の染色体の断片化が起きていることがわかりました。 [caption id="attachment_3829" align="aligncenter" width="500"] Zfy1/2DKO精子由来の染色体。染色体の断片化(→)が観察される[/caption]

Zfy, Zfy2の役割を明らかに

では、Zfy1, Zfy2はどのような役割を持っているのでしょうか? Zfy1, Zfy2は、Zinc fingerというDNAに結合することができるモチーフを複数持っており、その構造から転写因子と考えられています。転写因子とは、ほかの遺伝子の発現の制御に関わる遺伝子のことです。しかし、Zfy1とZfy2が制御している遺伝子に関しては、全くわかっていません。それゆえZfy1/2DKOの精子では、さまざまな異常が観察されましたが、これらの異常はZfy1, Zfy2が直接関与しているのではなく、ほかの遺伝子の発現が上昇または低下しているために起こっているものと考えました。そこで野生型(正常)マウスとZfy1/2DKOの精子を用いて、タンパク質を網羅的に調べる質量分析を行いました。その結果、Zfy1/2DKOの精子は多くのタンパク質の発現が、野生型の精子と比べて低下していることがわかりました。そしてそのなかにZfy1/2DKOの表現型を説明しうるタンパク質が複数含まれていました。それは卵活性因子であるPlcz1、先体反応に関わるPrss21, Plcd4、精子頭部の形態形成に関わるHttです。つまりZfy1/2DKOで観察されたさまざまな異常の少なくとも一部は、これらの遺伝子の発現が低下していることで起こっている可能性があります。

最後に

今日不妊治療の現場において体外受精や顕微授精は広く行われていますが、顕微授精を用いたとしても受精できない、または受精したとしてもその後の発生があまり良くない、という患者さんは少なからず存在し、治療に難渋します。このZfy1,Zfy2のさらなる機能解明が、そのような方への治療の一助となることを期待し、今後も研究を続けていきたいと思います。 参考文献 Nakasuji, T., et al., Complementary Critical Functions of Zfy1 and Zfy2 in Mouse Spermatogenesis and Reproduction. PLoS Genet, 2017. 13(1): p. e1006578.]]>
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地球の磁場はいつからあるのか? - 実験室で地球コアの歴史をひもとく https://academist-cf.com/journal/?p=3854 Thu, 16 Mar 2017 01:00:09 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3854 地球の深部の環境を実験室で実現 地球の中心は表面から6400km。およそ50億km離れた冥王星へ探査機が飛ぶ時代になっても、われわれの足元についてはまだまだわからないことだらけです。地球内部へ探査機を送ることはできないので、その観測は地震波などに頼るしかありません。しかし、地震波が教えてくれることは限られています。縦波や横波速度がいくらと言われても、それだけで地球内部の物質を特定することはできないからです。 代わりに、地球内部の高い圧力と高い温度を実験室で実現し、深部の物質を人工的に合成する実験が1950年代から盛んに行われてきました。私たちの研究室では、ダイヤモンドという最も硬い物質で試料を超高圧へ加圧し、さらにダイヤモンドを通してレーザーを照射することによって、試料を高圧高温状態にするという実験を行っています。私たちは2004年にマントル最下部層の主要鉱物「ポストペロフスカイト」を発見、2010年には地球中心の超高圧高温環境を作り出すことに成功しました。それ以来、地球内部のあらゆる環境下で実験ができるようになっています。 [caption id="attachment_3855" align="aligncenter" width="600"] ダイヤモンドアンビル超高圧発生装置。試料を2つのダイヤの間に挟んで超高圧にし、さらにレーザーを照射することにより超高温を発生させる[/caption]

地球磁場と金属コアの関係とは

地球の深部で起こっていることは表層の環境にも影響があります。その一例が磁場です。地球はS極とN極が数万年から数十万年おきに入れ替わる電磁石です。電磁石では、電流が通っているときにだけ磁力が発生します。地球においては、コアの中での自由電子を持った金属の流れが電流にあたります。つまり、地球磁場を作るにはコアが対流している必要があります。 私たちの超高圧実験によって、コアの主成分である金属鉄の熱伝導率をコアの高圧高温下で初めて測ったところ、以前の見積もりより3倍も熱伝導性が高いことがわかりました。このことは、コアでは伝導で熱が伝わりやすいので、対流が起きにくいことを意味しています。空気の熱伝導率は低いので、部屋の中ですぐに対流が始まるのと好対照です。ここでいう対流を熱対流と呼びます。コアを熱対流させるには、コアから多くの熱を奪う、つまり勢いよくコアを冷やす必要があるのです。実際、地球にはプレート運動があり、海で冷やされた冷たい岩石がコアの直上まで沈み込んでいるので、コアの冷却は比較的速いはずです。それでも、熱対流に必要な、10億年で500度という冷却速度は難しいように見えます。なお、プレート運動のない火星や金星に磁場はありません。

コアで二酸化ケイ素が結晶化

コアを対流させる、熱対流以外のメカニズムが組成対流です。現在は地球中心に内核と呼ばれる固体のコアが結晶化しています。液体の外核には鉄とニッケル以外に、もっと軽い元素が不純物として含まれています。液体金属から固体が結晶化する際、これらの不純物は固体にあまり含まれないので、固体にならなかった液体には不純物がより多く残ります。食塩水から氷が出来て、残りが濃い食塩水になるのと同じです。不純物に富む液体は軽いので、浮き上がる、つまり対流するというわけです。内核が誕生した後は、この組成対流というメカニズムでコアに対流が起きたと考えられます。ところが、45億年の地球の歴史のなかで、内核ができたのはおそらく10億年よりも最近のことです。それ以前に、地球には磁場がなかったのでしょうか? 最近、私たちの超高圧実験によって、内核が生まれる前から、コアでは二酸化ケイ素(表層では石英)が結晶化し、それがコアの対流を生んでいたことが明らかになりました。もともとマントルの岩石とコアの金属は混ざりあっていたのですが、地球が大規模に溶融した際に分離し、重たい金属が中心に集まってコアを作ったと考えられています。この金属は中心へと移動する際に周囲の融けたマントルと化学反応を起こすため、マントルの主成分であるケイ素と酸素を金属が取り込んだはずです。私たちが、そのようなケイ素と酸素を含む液体鉄をコアの超高圧下で徐々に結晶化させると、二酸化ケイ素が出てきました。軽い二酸化ケイ素がコア最上部で結晶化した後に残る液体は、重いので下へ沈み、コアを対流させるというわけです。 [caption id="attachment_3856" align="aligncenter" width="600"] 133万気圧下での液体Fe-Si-O合金の結晶化実験。液体金属から二酸化ケイ素の結晶化が観察される[/caption]

地球の初期から磁場が存在

では、地球の磁場はいつからあるのでしょう? それを知るには、地質記録を調べる方法があります。少なくとも35億年前には磁場があったようですが、さらに古い時代の岩石を調べることは容易ではありません。一方、コア中での二酸化ケイ素の結晶化は、地球の誕生間もない頃から始まった可能性があります。すなわち、地球の磁場も40億年以上前からあっただろうと考えられます。 地球に磁場があるおかげで、私たちは太陽風や宇宙線といった高エネルギーの放射線から守られています。そればかりでなく、磁場は太陽風による地球大気の散逸を防いでいると考える研究者が多いのです。もし磁場がなければ、大気中の水蒸気が失われ、その結果、海の蒸発が進みます。火星の大気がとても薄く、また大昔に海が消滅したのは、火星の重力が小さいことに加え、磁場が初期に失われたことと関係があるでしょう。地球の場合、その誕生後からコア中で二酸化ケイ素が結晶化し続けたことにより、現在まで豊かな海が維持されてきたと言えます。 二酸化ケイ素の結晶化は、もともと含まれていたケイ素と酸素の大部分がコアから失われたということを意味します。上に述べたように、現在の外核にはなんらかの軽元素が不純物として含まれ、その密度は鉄やニッケルより10%も小さいことがわかっています。この軽元素はケイ素や酸素ではないはずです。コアの軽元素については、1952年から議論が続いていますが、未だに解明されていない大問題です。私は、地球の形成時に大量の水が運ばれ、そのうちの水素がコアへ、酸素は金属鉄を酸化させてマントルへ残ったと考えています。このような研究から、地球の成り立ちに関する理解が大きく進むと期待しています。 [caption id="attachment_3857" align="aligncenter" width="600"] コアの対流と地球磁場の形成。磁場は地球の初期から存在し、大気の散逸や海の蒸発を防いできたと考えられる[/caption]   参考文献 Hirose, K., Morard, G., Sinmyo, R., Umemoto, K., Hernlund, J., Helffrich, G. & Labrosse, S.(2017) Crystallization of silicon dioxide and compositional evolution of the Earth’s core. Nature 543, 99–102 Ohta, K., Kuwayama, Y., Hirose, K., Shimizu, K. & Ohishi, Y. (2016) Experimental determination of the electrical resistivity of iron at Earth’s core conditions. Nature 534, 95–98]]>
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「血液のがん」の発症メカニズム解明に挑む! - 異分野連携チームで目指す、創薬までの道のり https://academist-cf.com/journal/?p=3867 Fri, 17 Mar 2017 10:00:45 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3867 「血液のがん」の発症メカニズム解明に挑む! ご支援していただいた方へのリターンとして、「サイエンスカフェ参加券(10,000円)」や、「研究室見学ツアー(30,000円)」、「論文謝辞にお名前掲載(50,000円)」など、さまざまの特典が用意されています。 【募集期間】2017年03月15日〜2017年05月14日 【支援サイト】academist(アカデミスト) 【お問い合わせ】info@academist-cf.com]]> 3867 0 0 0 組織の再生には"ほどほど"の炎症が大切! - ゼブラフィッシュを使った研究で明らかに https://academist-cf.com/journal/?p=3874 Wed, 22 Mar 2017 01:00:28 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3874 多細胞の生き物は再生することが基本 地球上に生命が誕生してから長いこと、生命は単細胞のままでした。ところが、10億年近く前のあるとき、多細胞の生命が誕生しました。通常1個の細胞の寿命は短いのですが、たくさんの細胞が集まり、傷害を受けたパーツ=細胞をどんどん新しく取り替えることによって、多細胞の生き物は個体として長い寿命を入手できたわけです。多かれ少なかれ、多細胞の生命は古くなった細胞や傷ついた部分を再生するということを基本として生命を維持しています。これを組織恒常性(ホメオスタシス)と呼びます。 無脊椎動物のなかには、プラナリアやヒドラなどのように、体のごく小さい組織片から全身を再生できる全身再生という特殊能力を持つ生き物もいますが、脊椎動物はこれほどの能力は持っていません。しかし脊椎動物でも、進化の初期に出現した硬骨魚類や、有尾(しっぽのある)両生類であるイモリやウーパールーパー(メキシコサラマンダー)などは、鰭(ひれ)や手足を失っても、元と同じ器官が再び生えてきます。この現象は、近代生物学以前から知られ、長いこと生物学者を魅了してきました。 知ってのとおり、私たち哺乳類は事故や病気で手足を失うと二度と元には戻りません。また手足だけでなく、心筋梗塞で壊死した心臓の組織も、脊椎損傷で傷ついた脊髄神経も、目のレンズや網膜、多くの内臓器官など、ある程度以上に損傷した組織を元どおりに治すことはできません。ところが魚類などは、鰭や手足だけでなく、心臓、脊椎、レンズ、網膜、さらに多くの内臓器官や、果ては脳の一部を切除しても修復できる奇跡のような再生能力を持つことがわかってきました。いまではヒトも魚も驚くほど遺伝子の数やDNA配列が似通っていることがわかっています。魚にできて私たちにできないということがあるでしょうか? もしも私たちがこのような能力を手にいれることができれば、これまで想像もできなかったような医療や未来が開けてくるかもしれません。いま、生き物が元々持っている再生する能力の仕組みを解明しようと、世界中で多くの研究者が知恵を絞って研究をしています。

ゼブラフィッシュモデルを使った再生研究

ゼブラフィッシュは有用なモデル生物として、20年くらい前から、発生や器官の形成、病気の発症メカニズムなど、あらゆる方向から世界中の研究者が研究しています。最近は組織再生研究にも使われはじめ、これまで100年以上も研究の方法がなかった組織再生の仕組みも次第に解明が進み始めています。私たちは、ゼブラフィッシュを使って組織再生の研究を行っていますが、特に発生直後の個体を使った独自の系で研究を進めてきました。この方法は、組織が再生する過程を分子遺伝学的な手法で調べることや、ある遺伝子が機能を失った致死性のミュータント(変異体)でも、個体が死亡する前に再生の過程を調べることができるなどの利点があります。ゼブラフィッシュでは、膨大な数のミュータントが作製、保存されており、これらを利用して再生に影響するような遺伝子を調べることもできます。 [caption id="attachment_3876" align="aligncenter" width="600"] 発生直後の個体を使った再生過程の解析[/caption]

過度の炎症が再生を妨げる

私たちは、ある種のミュータントでは再生するはずの細胞が細胞死を起こして再生できないことを発見しました。それらのミュータントは、血液や免疫細胞(造血系細胞)がほとんど分化しないミュータントでした。つまり、変異した遺伝子の機能が再生に必要なわけではなく、造血系細胞が再生に必要なことがわかってきました。特に造血系細胞のなかでもどの細胞が大事なのか調べると、マクロファージという、死んだ細胞や侵入した細菌などの異物を捕食して消化する白血球の一種の細胞が再生で大切な役割をすることがわかってきました。 [caption id="attachment_3877" align="aligncenter" width="300"] マクロファージを欠損するミュータントでは傷害組織で細胞死が起こり再生しない[/caption] ではなぜマクロファージがないと、再生する細胞が細胞死を起こしやすいのでしょうか? ミュータントで発現が変動する遺伝子を調べてみると、インターロイキン(IL)1βなどの炎症分子の発現が傷害組織で増えていることが明らかになりました。IL1βは、サイトカインと呼ばれる生理活性タンパク質の一種で、炎症反応に深く関与し、炎症性サトカインと呼ばれます。これまでは、マクロファージが壊れた細胞の破片や細菌を取り除くとともに、IL1βを産生して傷口で炎症を起こすと考えられてきました。しかし今回の私たちの研究で、IL1βは主に傷を受けた部分の表皮細胞が作り、マクロファージがいないときには強い炎症が持続して起こることがわかりました。つまり、マクロファージは、いままで考えられてきたように炎症を促進するのではなく、逆に炎症を短時間で収束させる役割を果たすことが示されました。通常はマクロファージによって炎症が短時間で抑制され、細胞が細胞死を免れて再生が進んでいきますが、マクロファージのいないミュータントではIL1βによる炎症が過剰に起こり、再生する予定の細胞が死んでしまって再生できなかったわけです。 [caption id="attachment_3878" align="aligncenter" width="300"] ミュータントの傷害組織でのIL1βの発現(トランスジェニックゼブラフィッシュで細胞を可視化、緑)と、これにより細胞死を起こした細胞(赤)[/caption]

炎症は悪いことではない!

一般に炎症と聞くとあまりいいイメージがしないことが多く、実際に私たちが示したように、過度の炎症は細胞死を誘導して再生を妨げます。では、炎症なんて不要でそもそもないほうがいいのでしょうか? ところが、IL1βの作用や炎症を最初から抑えてみると、再生とともに活性化される遺伝子の発現が起こらなくなってしまい、やはり組織の再生は正常には進まないことがわかりました。つまり、IL1βの作用や炎症は再生にとって必要のないもの、悪いものではなく、傷害によって起こる一過的な炎症自体は、組織再生を開始するスイッチとしても働いていたわけです。私たちがこの数年かかって調べてきた再生できないゼブラフィッシュミュータントの研究から、組織再生において炎症が果たす諸刃の剣と言うべき役割が見えてきました。 [caption id="attachment_3879" align="aligncenter" width="640"] 組織の再生におけるIL1βの働き[/caption]

おわりに

魚類はさまざまな組織を再生できる驚異的な能力を持ちます。この再生の過程を解き明かすことによって、私たち人間のように、あまり再生が得意でない生物でも驚異的な再生能力を発揮できる可能性があります。今回の研究により、傷害を受けた組織がIL1βを産生して炎症を起こすこと、これをマクロファージが抑制して「ほどほど」のレベルに制御することが、組織再生が起こるために重要なことがわかってきました。今後、哺乳類など再生できない組織における炎症応答を調べることや、マクロファージの産生する抗炎症因子の解明などによって、ヒトの組織再生能力を増進する方法や薬の開発に繋がることも期待されます。   参考文献 Hasegawa T, Hall CJ, Crosier PS, Abe G, Kawakami K, Kudo A, Kawakami A. Transient inflammatory response mediated by interleukin-1β is required for proper regeneration in zebrafish fin fold. eLife 10.7554/eLife.22716. 2017. Shibata E, Yokota Y, Horita N, Kudo A, Abe G, Kawakami K and Kawakami A. Fgf signalling controls diverse aspects of fin regeneration. Development 143, 2920-2929. 2016. Hasegawa T, Nakajima T, Ishida T, Kudo A and Kawakami A. A diffusible signal derived from hematopoietic cells supports the survival and proliferation of regenerative cells during zebrafish fin fold regeneration. Developmental Biology 399, 80–90. 2015.]]>
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三角形の中心で、数学を学ぶ https://academist-cf.com/journal/?p=3885 Mon, 03 Apr 2017 01:00:32 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3885 三角形の重心・内心・Chebyshev心 頂点とその対辺の中点を結ぶ線分を中線とよびます。中線たちは1点で交わることが知られています。中線たちの交点を重心とよびます。 [caption id="attachment_3890" align="aligncenter" width="600"] 赤い点が重心[/caption] 3つの角の二等分線たちは1点で交わることが知られています。角の二等分線たちの交点を内心とよびます。内心は三角形に含まれる最大の円(内接円)の中心になります。 [caption id="attachment_3891" align="aligncenter" width="600"] 緑色の点が内心[/caption] 3つの辺の垂直二等分線たちは1点で交わることが知られています。辺の垂直二等分線たちの交点を外心とよびます。外心は三角形の3つの頂点が乗る円(外接円)の中心になります。 [caption id="attachment_3892" align="aligncenter" width="600"] 青色の点が外心[/caption] 外心には注意が必要です。鈍角三角形を含む最小の円は外接円ではありません。鈍角三角形を含む最小の円は最大辺を直径とする円です。三角形を含む最小の円の中心はChebyshev心とよばれます。 [caption id="attachment_3893" align="aligncenter" width="600"] 青色の点がChebyshev心[/caption] 鈍角でない三角形の外心とChebyshev心は一致します。以下、外心ではなくChebyshev心を話に出すことにします。

三角形の公園を明るく照らす点

重心・内心・Chebyshev心以外の三角形の中心を2つ紹介します。まずは、省エネが叫ばれている現代社会に役立ちそうなものを紹介します。 「三角形の公園に街灯を1本立てるとき、どこに街灯を立てたら公園全体の明るさを最大にするか」という問題を考えます。この問題の答えは灯心とよばれています。公園を明るくするには、公園の「真ん中」に街灯を立てた方がよいと思われるので、灯心は三角形の中心と思えます。 灯心の問題を数式で記述する方法について、少しだけ考えます。初めに、公園の「明るさ」とは何かを決めます。ここでは、点の「明るさ」をその点を通る「光の束の密度」としましょう。「点の明るさは光源からの距離の2乗に反比例する」という物理法則を用いると、公園の各点の明るさを式にできます。今は公園全体の明るさを考えたいので、公園の各点の明るさをすべての点で計算して、それらを足し合わせます。これで、公園全体の明るさを式にできました。 公園全体の明るさの式は複雑な形をしているので、灯心を重心・内心・Chebyshev心のようにシンプルに記述することは難しく、未解決です。しかし、どんな三角形の公園にも灯心は1個だけ存在することは証明されています。

三角形の鉄板の一番熱い点

もうひとつ三角形の中心を紹介します。ここでは、熱の伝導と関連するものを紹介します。 三角形の鉄板を熱し、鉄板のどこを触っても温度が100℃になっている状況を考えます。鉄板を熱している熱源のスイッチを切ると、段々と鉄板は冷めていきますが、場所によって冷める速さが異なることを想像できるでしょうか? 実際にやってみてください、と言いたいところですが、火傷の恐れがあるので止めてください。熱源のスイッチを切った後、鉄板の温度は場所によって異なることがわかります。一番熱い点はホットスポットとよばれています。鉄板の「真ん中」ほど熱いと思われるので、ホットスポットは三角形の中心と思えます。 ホットスポットは時間経過とともに動くことが知られています。鉄板の熱は鉄板の乗る平面全体に一様に逃げて行くと仮定すると、ホットスポットは鉄板の内心から重心に向かってひとつの滑らかな曲線を描くことが知られています。しかし、鉄板の熱の逃げ方を別の仮定にすると、ホットスポットの動きを追うことは途端に難しくなり、未解決の問題として残っています。

三角形の心臓

重心・内心・Chebyshev心・灯心・ホットスポットと5つの三角形の中心を紹介しました。灯心は重心・内心・Chebyshev心のようにシンプルに記述できていないと述べました。ホットスポットも同様です。しかし、数学者は諦めの悪い性格をしていて、「ここにある」と言い切れなくても、「この辺りにはある」ということは主張しようとします。そこで、導入されたのが三角形の心臓です。 鈍角でない三角形の心臓は3つの角の二等分線と各辺の垂直二等分線で囲まれた四角形です(下図左)。鋭角でない三角形の心臓は3つの角の二等分線と最大辺の垂直二等分線で囲まれた四角形です(下図右)。 [caption id="attachment_3901" align="aligncenter" width="600"] 三角形の心臓[/caption] 重心・内心・Chebyshev心・灯心・ホットスポットはすべて心臓に含まれることが知られています。特に、内心とChebyshev心は心臓の頂点になっています。 三角形の心臓の大きさがわかれば、中心たちの位置をある程度限定できます。たとえば、二等辺三角形の心臓は頂角の二等分線上に潰れます。よって、正三角形の心臓は1点に潰れて、重心・内心・Chebyshev心・灯心・ホットスポットはすべて一致します。

中心の位置から三角形は決まるか?

三角形が与えられたとき、その中心はどの辺りにあるだろうか? という疑問には、心臓というひとつの答えが出ました。今度は問題を逆さまにしてみましょう。すなわち、中心の位置がわかっているとき、その三角形はどんな形をしているだろうか? という問題を考えます。たとえば、「(*)重心・内心・Chebyshev心の少なくとも2つが一致する三角形は正三角形に限る」という定理はこの問題のひとつの答えといえます。 ホットスポットは時間経過とともに動くと述べました。灯心も街灯の高さを変えるに応じて動きます。高さ0の灯心を説明することは難しいですが、高さ無限大の灯心は重心です。 灯心とホットスポットに対して、(*)に似た定理として、「街灯の高さを変えても灯心が動かない三角形は正三角形に限る」と「時間経過してもホットスポットが動かない三角形は正三角形に限る」が知られています。ここで、高さと時刻は実数ですから、街灯の高さを変えることは無限本の街灯を立てること、時間経過を追うことは無限回の観測を行うことに注意します。次に気になるのは、有限本の街灯または有限回の観測で三角形の形状を決定できるか? ということですが、これは未解決です。

おわりに

三角形は誰もが知る基本的な図形ですが、その中心を見ると興味深い問題が多くあります。それらを理解するには、幾何学だけでなく、解析学も学ぶ必要があり、三角形の中心で数学の世界の広さを知ることができます。 この記事を読んで、数学を勉強したいと思ってくれた人が少しでもいたら幸いです。また、研究のネタを探している大学院生のために入門的参考文献を挙げておきます。   参考文献 Rolando Magnanini, An introduction to the study of critical points of solutions of elliptic and parabolic equations, Rend. Instit. Mat. Univ. Trieste 48 (2016), 121--166. Maria Moszyn'ska, Selected Topics in Convex Geometry, Birkhäuser, Boston, 2006. Jun O'Hara, Renormalization of potentials and generalized centers, Adv. Appl. Math. 48 (2012), 365--392.]]>
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国際大会に挑戦! 日本の海底探査チーム「Team KUROSHIO」に勝算はあるか - 代表・中谷武志博士に聞く https://academist-cf.com/journal/?p=3905 Thu, 30 Mar 2017 01:00:57 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3905 【academist挑戦中】無人探査ロボットで東京ドーム1万個分の海底地図を描きたい! 地球表面の2/3を覆う海だが、そのうち海底の地形が明らかになっている範囲はたったの1割程度であると言われている。残りの9割については、分解能の低い地図しかないというのが現状だ。これは、月面や火星表面の調査結果と比較しても荒いものである。この状況を打破すべく、ロボットを利用した無人海底マッピング技術の性能を競う国際大会「Shell Ocean Discovery XPRIZE」が開催されることとなった。ここに日本の若手研究者からなるチーム 「Team KUROSHIO」が挑む。Team KUROSHIOは現在、同大会への出場に向けて クラウドファンディングに挑戦中だ。チームの代表を務める海洋開発研究機構(JAMSTEC) 技術研究員 中谷武志博士に、お話を伺った。

海中ロボット研究の魅力とは

−−これまでの中谷さんの研究の内容を教えてください。 「じんべい」「ゆめいるか」「おとひめ」という、私たちが”探査三兄弟”と呼んでいる自律型海中ロボット(AUV)の開発に携わってきました。2011年にJAMSTECに入所して以来、設計の段階から運用にまわっていくまで、このロボットたちと一緒に育ってきたと言えますね。 −−海中ロボットに興味を持たれたきっかけはなんだったのでしょうか。 大学の授業で、私の師匠である浦環(うらたまき)先生に出会って海中ロボットの世界を知り、浦研究室に入りました。研究室では、先輩が作ったロボットを後輩が引き継ぐというのが基本的な流れだったのですが、私はたまたま新しいロボットを作れるタイミングで研究室に入ることができたので、8年間「ツナサンド(TUNA-SAND)」というロボットを開発していました。浦先生のイニシャルである「TU」と、中谷の「NA」で「TUNA」です。ツナサンドは2010年7月に、日本海上越沖の水深900〜1000mにて、ベニズワイガニの大群集の海底撮影に成功してメディアでも大きく取り上げていただきました。 −−「ツナサンド」も設計の段階から研究されていたのですね。 ハードウェアは、CADを使って中小企業の技術者とともに設計し、東京大学にある試作工場で図面を見せていろいろと教えてもらいながら開発していきました。とはいえ、私はどちらかというとソフトウェア側の開発のほうが好きなので、自分でプログラムを作って、ロボットを水中に潜らせるということにワクワクを感じていました。研究では、陸に上がってきたロボットのデータをその日中に解析して、次の日までにプログラムを修正してまた潜らせるということを繰り返していました。 −−海中ロボットの研究の難しさはどこにありますか。 海中の自律型ロボットって、浮力と重量を合わせないとダメなんです。重すぎると沈んじゃうし、軽すぎると浮いてしまう。そのためにネジ1本の重さまで重量計算表に載せなければなりません。1つひとつ細部までこだわって作る必要があるため、途方もない労力と緻密さが必要です。今となっては笑い話ですが、駆け出しのころ、ツナサンドの進水式のときに、浸水したんですよ。水にロボットを入れる式だったのに、水がロボットに入ってしまって「浸水式」になっちゃって(笑)。ひとつのネジの締め忘れが一大事になることを思い知りました。 [caption id="attachment_3943" align="aligncenter" width="600"] 海中ロボットの一例「じんべい」[/caption] −−自律型ロボットには地上で動くものもたくさんあります。浮力と重量のお話もありましたが、海ならではの難しさってほかにあるんでしょうか。 太陽光が届かない場所に潜るため、太陽光発電を利用できません。ですので、電池を持っていかなければならないという制限があるのがひとつです。カメラで観れる範囲が狭かったり、とんでもない水圧がかかってしまったりなどという問題もあります。また、水の比重は空気の約1000倍あるので機敏な動きができない。プールの中で歩くとなかなか前に進まないですよね。それゆえ少しの距離の移動にも時間がかかるというところですね。 −−逆に、海ならではの魅力ってどこにあるとお考えですか。 私はスキューバダイビングをやっているのですが、その際もっと深く潜ってみたいという気持ちになっても、人間が潜れる水深はせいぜい30m程度です。飽和潜水という特殊な方法を使っても、数百mしか潜れない。海のもっと深いところにロボットが代わりに行ってくれて、調査をしてくれるっていうところでしょうかね。 −−自分の分身というような感覚なんでしょうか。 分身というよりは、我が子のような感覚です。ロボットは自分がプログラムしたとおりにしか動かないので、あらかじめ教え込んでおく必要があります。"初めてのおつかい"のような感じですね。おつかいは、「踏切があったら止まってね」「このお店で何々を買ってきてね」と、子どもへ上手に伝えなければうまくいきませんよね。プログラミングもきっちり的確にやらないとうまく動かないという点で似ているかもしれません。

日本の海底探査チーム「Team KUROSHIO」に勝算はあるか

−−中谷さんが共同代表を務められている日本の研究チーム「Team KUROSHIO」は、海中ロボットを用いて海底を高精度・高速でマッピングする国際大会「Shell Ocean Discovery XPRIZE」に出場されることが決まっています。これに向けてクラウドファンディングにも挑戦されていますよね。この大会の概要を教えてください。 石油業界大手であるShellがメインスポンサーとなって、無人ロボットによる海底の超高速・広域マッピングをテーマに行われるものです。技術提案書試験、Round1、Round2という3つの関門を突破しなければなりません。 私たちはすでに技術提案書試験を通過しており、今後行われるRound1では、40フィートコンテナ1個分に収まるロボットシステムを利用し、16時間以内に海底2000m・広さ500km2の海底地図を作り、さらに海底の写真を撮影するという課題を競います。これをクリアした上位10チームには、同じ課題を24時間かけて深海4000mで行うファイナルラウンドが待ち受けています。 [caption id="attachment_3948" align="aligncenter" width="600"] Team KUROSHIOのメンバー[/caption] −−いろいろな条件が付いていますが、一番の課題になってきそうなのはどの部分ですか。 やはり面積が一番大きな課題だと思っています。航行型のAUV1機で1日に調査できる範囲は、現状ではせいぜい10km2です。今回のRound1の必要最低条件である100km2をクリアするためには、ロボットを長時間航行できるようにして、なおかつスワス幅という一度に調査できる幅を広げ、さらにスピードを上げていく必要があります。 −−ロボットそのものの性能アップが求められるわけですね。ほかにはどうですか。 私たちのシステムでは、3機のAUVを同時に展開し、1隻の洋上中継機で管制しなければなりません。トラブルが起きた際の対処も含め、トータルのシステムをブラッシュアップしていくのも非常に大変です。また調査は、洋上中継機がAUVを岸壁から調査エリアまで連れて行き、AUVを切り離して潜行させ、調査が終わったらまたAUVを連結して岸壁まで帰ってくるという流れになるのですが、切り離しや連結といったところも含め、すべて無人で行わなければなりません。これは今回はじめてやることなので、試行錯誤が必要になってきますね。 −−そのシステムを、40フィートコンテナ1個分に収まるようにしなければならないというルールもあります。 それもめちゃくちゃ大変です。40フィートは約12mなので、ぱっと聞くと大きいように感じますが、長さが4mのAUV3機と、5mの洋上中継器をそこに置こうと思うと、二段ベットを作るなどパッケージングを工夫する必要があります。準備期間が3年~5年あってかつ潤沢な資金があれば、ロボットを含めてすべていちから設計したかったのですが……。 [caption id="attachment_3966" align="aligncenter" width="600"] 大会で使う予定のAUV。東京大学生産技術研究所 AE2000a(手前)とAE2000f(奥)[/caption] −−Team KUROSHIO以外のチームで、ここは強そうだなというところはありますか。 今のところは、ドイツの「ARGGONAUTS」というチームが強いと思っています。彼らのWebサイトをみると、すでにビークルが完成している様子が示されています。また、今回の大会の大きなポイントは、洋上中継器が調査エリアまでAUVを連れて行くというところになりますが、そこに対する案が、想像図を見る限りでは非常にできあがっているように見えるんですよね。網を使ってAUVを洋上中継機のお腹に抱えていくような形になっています。 −−ほかにもいろんな強豪がいると思います。Team KUROSHIOの強みはどこにありますか。 私たちのチームの強みは、画像です。大会では全体の配点を100%とすると、33%が海底の画像撮影に当てられています。海底地図を作成するところが残りの66%。私たちは、海底地形図でそれなりの点を取って、強みである画像の部分で勝負をしようという戦略を考えています。海底の画像撮影システムは、大学時代8年間同じ研究室で研究していた共同代表、ソーントン・ブレア先生が中心となって開発しています。 −−今回のShell Ocean Discovery XPRIZEへの挑戦はあくまで通過点であり、最終的な目標は、海底の広域高速マッピングシステムの実現だと思います。今回の大会は、マッピングシステムを開発するなかでタイミングよく開催されるという流れだったのですか。 大会をきっかけに、前々から考えていたプランを前倒しして実際にやってみることになったというのが本当のところですね。現状の海底探査に対しての問題意識はありましたし、それに対して洋上中継器がAUVを現場まで連れて行って調査するという案も元々あったものです。ただし、現在の研究のペースでは、10年後〜20年後に実現するものだろうなと考えていました。そこに今回の大会を主宰するXPRIZE財団が「いや、あと1年でやってくれ!」といったような無茶振りをしてくれたことで、挑戦を決意したということになります。人間って無茶振りされたときに伸びることもあると思うんです(笑)。

無人海底マッピングで世界はどう変わるのか

−−そもそもなぜ、海底マッピングが必要なのでしょうか。 地図は開発や管理などさまざまなものの基盤になる情報ですが、海底地形図の分解能は500m〜1kmと、とても荒いです。実は、月や火星など、ほかの惑星のほうが探査は進んでいます。海底地図作成の際は通常、人工衛星が測定した重力値のばらつきによって海面下の地形を推測するため、精度が悪いのです。現状の探査でも海底大地溝帯などが見えているので、それなりにわかっているような気になるのですが、実際に行ってみてきちんと測量すると、水深が大きく異なるということはよくあるんですよ。 世界中の全海洋の地形を明らかにしたいというのは、人間の欲望や本能でもあると思います。全海洋はまだまだ先だとしても、まずは日本のEEZ(排他的経済水域)内をカバーできるようになりたいですね。 −−海底マッピングシステムが実用化に至ったら、どういったことができるようになりますか。 海底の熱水地帯が今どんどん見つかっていますよね。しかし実はそれはほんの一部で、もっとたくさんあるかもしれないということを、まず明らかにできます。海底資源泥の分布もはっきりしてくるだろうし、定期的に調査を行うことで地殻変動がどう起きているのかも調べられるかもしれません。海底ケーブルをどこに敷設するのが地形上いちばん安全で効率的なのかといったことなど、現状の人間の活動においても有用なデータが取れるのではないかと思っています。また、地形図だけでなく海底の鮮明な写真が撮れるようになれば、さまざまな生物の分布も明らかになります。  

日本の海中ロボットを世界へ!

−−中谷さんの研究者としてのビジョンを教えてください。 やはり世界のマーケットに自分たちの技術をどんどん出していきたいですね。日本の海中ロボット業界はかなり良い線をいっていますが、それを世界にうまく発信できていません。今は日本の車や産業ロボットが海外に出ているところですが、海中ロボットもそこに続きたいという気持ちがあります。日本国内のマーケットは限られるため、海外へビジネスとして展開していきたいですね。そういう意味で、今回のShell Ocean Discovery XPRIZEは非常にいい機会だと思います。 −−最後に、Shell Ocean Discovery XPRIZEにむけた意気込みをお願いします! 私としては結果にこだわっていきたいと思っています。プロセスが重要という人もいますが、やはり結果がすべてだと思うので。少なくともRound1は突破して、Round2に向かっていきたいですね。 * * * Team KUROSHIOのクラウドファンディングチャレンジは、3月30日現在達成率40%、期間は5月26日までです。みなさんのご支援をお待ちしています! 中谷武志氏プロフィール 海洋研究開発機構(JAMSTEC) 海洋工学センター 技術研究員 2009年、東京大学大学院工学系研究科環境海洋工学専攻にて博士号(工学)を取得。東京大学生産技術研究所特任研究員などを経て現職。遊び心を持った研究精神と妥協を許さない厳しい姿勢で、"未知なる深海"に挑戦している。手塩にかけて育てたロボットに、危険を承知で冒険させるドキドキ・ワクワク感が研究開発の原動力。 Team KUROSHIO関連記事 ・国際大会に挑戦! 日本の海底探査チーム「Team KUROSHIO」に勝算はあるか – 代表・中谷武志博士に聞く ・「未知の世界をロボットで解き明かしたい」 – 日本の海底探査チーム「Team KUROSHIO」共同代表・大木健博士 ・「月面 VS 深海! 探査が難しいのはどっち? – HAKUTOとKUROSHIOによる徹底討論」レポート]]>
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アミノ酸はいつ必要? – ショウジョウバエのメスは交尾後の夜にアミノ酸を多く摂取する https://academist-cf.com/journal/?p=3970 Wed, 29 Mar 2017 01:00:14 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3970 ショウジョウバエは栄養を考えて適切な食事を摂ることができる 生物は食事によって生命活動に必要な栄養素を摂取しなければなりません。しかし、必要以上の栄養を摂取したり、不規則な時間に食事をとることで、ヒトでは生活習慣病やその他の疾患を引き起こすことが知られています。私たちの研究グループの最近の研究成果によって、昆虫のモデル生物であるキイロショウジョウバエは栄養のことまでよく考えて食事を行うことがわかってきました。たとえば、ソルビトールと呼ばれる糖はショウジョウバエにとって栄養になりますが無味で甘く感じられません。しかし、ショウジョウバエはソルビトールの栄養価を体内で評価し、学習することができます。また、タンパク源として重要なアミノ酸を不足したハエは、アミノ酸を選んで摂取するように食の好みを変化させることもできます。

昼夜でアミノ酸の摂取量に違いがあるか?

では、ショウジョウバエは必要な栄養素を適切なタイミングで摂取することもできるのでしょうか? そのことを確かめるために、まず私たちは昼間と夜間でアミノ酸の摂取量に違いがあるのかをオスとメスのハエに分けて調べました。その結果、オスのハエでは昼夜のアミノ酸摂取量に違いがありませんでしたが、メスのハエは夜間により多くのアミノ酸を摂取することがわかりました。 これまでの研究から、睡眠や代謝など時間によって変化する行動や生理機能は体内時計によって調節されていることが知られています。そこで、メスのハエが夜に多くのアミノ酸を摂取する行動もまた体内時計によって調節されているのかを調べました。体内時計を持たない突然変異体(per0)のメスで昼夜のアミノ酸摂取量を測定すると、夜間のアミノ酸摂取量の増加が見られませんでした。つまり、メスのハエがアミノ酸を摂取する時間は体内時計によって決められていることがわかりました。

交尾後のメスではアミノ酸が必要不可欠

アミノ酸の摂取は、交尾後のメスのハエが卵を産生する上で必要不可欠であることが知られています。ショウジョウバエでは、ヒトの必須アミノ酸9種にアルギニンを加えた10種類が生体内で合成できない必須アミノ酸で、1種類でも欠くとメスのハエは卵を産生できなくなります。つまり、メスのハエは交尾前後でアミノ酸への要求度が変化していると考えられます。そこで、未交尾のメスと交尾後のメスに分けて昼夜のアミノ酸摂取量を比較したところ、未交尾のメスでは昼夜のアミノ酸摂取量は変化せず、交尾後のメスでのみ夜間のアミノ酸摂取量が上昇することがわかりました。 交尾後のメスが行動パターンを変化させることはこれまでにも知られています。たとえば、産卵の開始や、オスからの求愛を拒否するようになります。このような交尾後のメスの行動の変化は、精液に含まれる性ペプチド(SP)がオスからメスへと受け渡されることで引き起こされます。SPを産生できないオスと交尾したメス、SPの受容体を持たないメスでそれぞれ昼夜のアミノ酸摂取量を測定したところ、どちらのメスも昼間に比べ夜間にアミノ酸を多く摂取しましたが、夜間のアミノ酸摂取量の増加はわずかでした。これらの結果から、交尾のときオスからメスへ受け渡されるSPの情報が体内時計の調節を受けることで、夜間にだけアミノ酸の摂取量を上昇させると考えられます。

産卵とアミノ酸摂取のタイミングには関連があるのか?

卵の産生にアミノ酸が必要であることを踏まえると、産卵のタイミングとアミノ酸の摂取のタイミングには関連があるように思えます。そこでまず、昼と夜の12時間でそれぞれメスの産卵数を調べたところ、メスのハエは昼間により多くの卵を産んでいることがわかりました。昼間により多くの卵を産むことで体内のアミノ酸が不足し、夜間により多くのアミノ酸を摂取するようになるのでしょうか? それを知るために、卵を作ることができないメスのハエで、昼夜のアミノ酸の摂取量を調べました。しかし、卵を作れないメスのハエでも、交尾後の夜にアミノ酸を多く摂取しました。つまり、交尾を経験すること自体が引き金となって、夜にアミノ酸を摂取するようになると考えられます。

おわりに

ヒトでは妊娠などの体内の状態に応じて味覚が変化することが知られていますが、そのメカニズムはよくわかっていません。交尾を経験したメスのハエでだけ観察されるアミノ酸摂取量の昼夜変化がどのような仕組みで制御されているのかを研究することによって、体内の状態に応じた味覚変化のメカニズムを明らかにできるかもしれません。そもそも、交尾後のメスのハエはなぜ夜にアミノ酸を摂取するのでしょうか? もしかすると、ヒトでも体内の状況に応じて、適切なアミノ酸摂取のタイミングがあるのかもしれません。今後の研究により、これらの疑問を解決していきたいと考えています。   参考文献 Fujita M, Tanimura T. (2011) Drosophila evaluates and learns the nutritional value of sugars. Current Biology, 21(9): 751–755 Toshima N, Tanimura T. (2012) Taste preference for amino acids is dependent on internal nutritional state in Drosophila melanogaster. The Journal of Experimental Biology, 215(16): 2827–2832 Uchizono S, Tabuki Y, Kawaguchi N, Tanimura T, Itoh TQ. (2017) Mated Drosophila melanogaster females consume more amino acids during the dark phase. PLOS ONE, 12(2): e0172886]]>
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お茶の旨み成分テアニンの濃度を測るバイオセンサーを作りたい! - iGEMに神戸大学から初参戦 https://academist-cf.com/journal/?p=3979 Mon, 27 Mar 2017 09:00:45 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3979 お茶の旨み成分テアニンの濃度を測るバイオセンサーを作りたい!
iGEMとは、遺伝子回路をデザインして生物に新たな機能を持たせ、その独自性や有用性を競い合う、合成生物学の世界的な大会です。日本からもこれまでに多くの大学チームが出場していますが、iGEM Kobeは神戸大学からiGEMに初参戦を目指すチームです。 iGEM Kobeが着目しているのは、お茶の旨み成分である「テアニン」です。テアニンは、お茶の葉の原料であるチャノキに大量に含まれているアミノ酸の一種で、玉露などの高級なお茶ほど多く含まれることが知られており、緑茶の良し悪しをはかる客観的な評価基準になっています。iGEM Kobeは、テアニンの濃度を測定するバイオセンサーを作ることで大会へ挑戦する予定です。 クラウドファンディングでは、大会参加費や研究費、渡航費の一部となる20万円の支援を呼びかけます。ご支援していただいた方へのリターンとして、オリジナル円形コドン表コースター(5,000円)や、サイエンスカフェへの参加権(10,000円)、発表スライドへの謝辞掲載(30,000円)が用意されています。
【募集期間】2017年03月27日〜2017年05月27日 【支援サイト】academist(アカデミスト) 【お問い合わせ】info@academist-cf.com]]>
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茨城大岡西助教、academistで獲得した資金での研究論文を発表 - 日本初の"クラウドファンディング論文" https://academist-cf.com/journal/?p=3986 Tue, 28 Mar 2017 05:29:51 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3986 研究で観察したキヌガサモヅル(盤径5.8mm)のCT立体構築画像[/caption] 今回の成果について岡西助教は、「マイナーな研究分野で競争的資金の申請幅が狭いためクラウドファンディングの挑戦を考えた。蓋を開けてみると支援者はほとんど知らない人ばかりで、多くの方々が私の研究に興味を持ってくれているという実感が得られた反面、確実に成果にしなくてはという使命感も生まれた。ご支援を頂いた方々に深くお礼を申し上げたい」と語っています。また、アカデミスト株式会社代表取締役の柴藤亮介は、「岡西助教のテヅルモヅルに対する情熱が日本全国に伝わった結果、目標金額を大幅に超える支援が得られた。研究者にとって研究費獲得の自由度が増え、支援者にとって研究者との接点が増える環境を構築することで、これからの学術研究の発展に貢献していきたい」と話しています。 関連リンク プレスリリース acadesmitプロジェクトページ「深海生物テヅルモヅルの分類学的研究」 キヌガサモヅルの分類はどこまで進んだのか? – academistの第一弾プロジェクトは今 岡西助教インタビュー「academist第1弾プロジェクト「深海生物テヅルモヅルの研究」挑戦者に聞く! – 研究費クラウドファンディングって実際やってみてどうでしたか?」]]> 3986 0 0 0 有機合成化学で新しい変換を発見する瞬間 - 短寿命の合成中間体「アライン」の新しい発生法 https://academist-cf.com/journal/?p=3995 Fri, 31 Mar 2017 01:00:03 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3995 「アライン」化学種を経る有機合成化学 有機合成化学を専門とする研究者は、パズルゲームのようなルールのもと、望む分子、これまでは入手できなかった分子を合成するための新手法を、日夜、探索しています。東京医科歯科大学 生体材料工学研究所 生命有機化学分野 細谷研究室においても、医歯薬学系のライフサイエンス研究に役立つ化合物群を、思いもよらぬ手法で合成できるような有機化学の研究に明け暮れています。とくに、ベンゼン環の一部が三重結合になった「アライン」が、安定なベンゼン類とは異なり、きわめて高い反応性を示す短寿命化学種であることに注目し、その反応性を制御し、利用する手法開発に取り組んできました。本稿では、アラインの魅力にとりつかれた一人である博士課程学生の内田さんが、新しい変換反応を見つけた瞬間について紹介します。

新しい変換を発見する瞬間

私たちは以前に、三重結合に隣接する位置である3位にトリフリルオキシ(OTf = OSO2CF3)基を有するアラインの発生・変換に成功しました。この生成物中のOTf基はパラジウム触媒などを用いるクロスカップリングに利用できることに加え、その電子求引性のために発生したアラインが興味深い反応性を示すことも報告しました。こういった背景のもと、当初私たちは、アルコール2を用いる変換反応について検討していました。 このとき、類似の化合物の合成法を参考に、ケトン1とフェニルリチウムとの反応を行い、アルコール2の合成を試みました。そうしますと、なぜか、目的とするアルコール2を得ることはできず、複雑な混合物となってしましました。アルコール2自体は、用いる有機金属反応剤をフェニルGrignard反応剤とすることで合成できたのですが、ここでふと足を止め、「なぜ、フェニルリチウムを用いた場合にはアルコール2が得られなかったのか」を内田さんが考えたことが、今回の発見のきっかけでした。 矢印を使った有機化学における変換の考え方を駆使し、ああでもない、こうでもない、と思案しているうちに、内田さんが思いついたのは、「炭素-炭素結合の切断を伴って、アラインが生じ、これが複雑な混合物を与えた原因ではないか」というアイディアです。もちろん、炭素-炭素結合は一般的には強い結合ですし、類似のアルコールの合成例も知られていることもあり、はじめは半信半疑。ただ、今回はOTf基を有していることもあり、既報の例からだけでは推し量れないと考えて、内田さんは、アラインを捕捉できるフラン存在下でのケトンとフェニルリチウムとの反応を計画し、早速その実験を実行、とフットワーク軽く動きました。 反応の途中経過を、早速、薄層クロマトグラフィー(TLC)で調べてみると、新しいスポットがキレイに現れ、α-アリールケトン3が生成していることがわかりました。予想が見事に当たったわけです。実験を仕込んで間もない内田さんが、興奮して報告しに駆け込んできてくれたときの様子を鮮明に覚えています。こういった発見の瞬間が、私たちを研究に病みつきにさせるわけです。その後、詳細に反応条件や基質適用範囲を検討し、多彩なα-アリールケトン類を高収率で合成できるようになりました。

巧みの技でその機構を明らかに

次の課題は、今回見つけた反応の詳細な反応機構です。とくに、一般的には、生成したα-アリールケトン類の反応性は高く、アルキルリチウム類と容易に反応してしまうことから、「なぜ高収率でα-アリールケトン類を得ることができたのか?」が興味深い点です。この問いに対する答えを、内田さんの巧みな実験操作によって得られた結果が教えてくれました。すなわち、ケトン1とフランの混合物に–78℃でフェニルリチウムを注意深く加え、1分間攪拌後、あらかじめ–78℃に冷やしておいた含水THFを加える、という実験操作で反応開始直後に反応を停止してみました。 このとき、反応停止時の水で系内の温度が上がらないように工夫する必要がありました。そうすると、ケトン1へのフェニルリチウムの付加反応はこの時点でほとんど完結しており、主にアルコール2が得られてきました。しかも、ごくわずかな量(1%)のアラインとフランとの環化付加体3に加え、炭素-炭素結合が切れてからプロトン化された生成物4が得られたのです。 さらに、同様の実験を、10分間、1時間と反応時間を変更し、その結果を並べてみました。そうすると、この炭素-炭素結合が切れてからプロトン化された生成物4の量が時間経過に従って増えていくこともわかりました。こういった反応機構に関する実験結果から、今回見つけた変換が、低温において速やかにケトン1に有機リチウム反応剤が付加した後、昇温するなか、炭素-炭素結合の切断によるカルボアニオンの生成、引き続く、OTf基の脱離によるアラインの発生、フランとの環化付加反応、という機構で進行することを明らかにできました。この明らかにできた機構をもとに、シリルアセタールにフッ化物イオンを作用させることでも、類似のアラインが発生することも突き止め、α-アリール酢酸エステル類の簡便合成法の開発にも成功しました。

さらに、もう一波乱

このように、うまくいかなかった反応からヒントを得て、新しい変換反応を見つけることができました。さらに、丁寧な実験により、その機構解明にも至り、新しい変換の開発へと研究を展開するにも成功しました。 このような一連の実験に、内田さんが1年以上かけて取り組み、得られてきた成果を論文にまとめるなか、2017年のはじめにもう一波乱ありました。お正月に論文チェックをしていた、この4月から博士課程に進む中村さんから、「内田さんの系と同じような変換が報告されてます!!」という一報が入ったのです。アメリカ化学会誌(J.Am.Chem.Soc.)のJust Acceptedという新着の校正前原稿に、内田さんが見つけた変換と類似の変換が報告されている、と言うのです。急いで内容をチェックし、類似ではあるものの新規性が失われてはいないことを確認しました。その後、お正月休み明けの内田さんと3人で打ち合わせをし、超特急で論文を仕上げ、投稿、とドタバタで進んでいきました。とても面白い成果に気を良くしていた時期に、その慢心を諌められたような、そんな展開で2017年が始まったわけです。 その後、審査結果が返ってきて、いくつかの追加実験の結果を加えて再投稿と進み、無事に成果を公開する段階にまで到達しました。紆余曲折あり、実際に論文を読んでくださった方々の目には私たちの見つけた変換がどう映るのか、よくわかりませんが、いろいろな思い出の詰まった論文になりました。この変換で得られた貴重な知見は、多彩な展開につながっていくはずですので、今後の私たちの化学に期待してくださる方がおりましたら幸いです。
参考文献 S. Yoshida, K. Uchida, K. Igawa, K. Tomooka, T. Hosoya: Chem. Commun., 50, 15059 (2014). K. Uchida, S. Yoshida, T. Hosoya: Synthesis, 48, 4099 (2016). K. Uchida, S. Yoshida, T. Hosoya: Org. Lett., 19, 1184 (2017).]]>
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タンパク質結晶を細胞内で操る! - カイコがウイルスに感染したときにできる「多角体」を利用 https://academist-cf.com/journal/?p=4044 Tue, 04 Apr 2017 01:00:23 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4044 細胞の中でタンパク質の結晶!? タンパク質は生体内でケージ状や繊維状、2次元シートなどさまざまな集合構造を形成することにより、生命活動に必要な機能を果たしています。これらのタンパク質集合体は、幅広いサイズや形状の単一空間を与えるため、合成分子では構築することができない空間構造が形成されます。したがって、これまでタンパク質集合体を利用した機能性材料の構築が行われてきました。 また、固体のタンパク質集合体であるタンパク質結晶は、タンパク質の構造を決定するために用いられてきました。タンパク質結晶は、タンパク質分子が規則正しく並んでおり、1次元チャネルを形成するタンパク質があります。そのため、これらのタンパク質結晶は、タンパク質の構造を決定するだけでなく、金属錯体や機能性分子を固定化する固体材料としても魅力的なタンパク質集合体です。 しかしながら、タンパク質結晶を作成するには、タンパク質を高度に精製する必要があり、その結晶化は困難なものとなります。また、タンパク質の結晶は一般的に脆く、結晶を作成する条件以外では、溶解してしまいます。したがって、タンパク質結晶を固体材料として利用するには、まだまだ課題が残されています。 そこで、私たちは細胞内で結晶化するタンパク質に着目しました。その特徴はなんといっても結晶化が不要なことです。一般的なタンパク質は、きれいに精製したタンパク質を用いて結晶化を行いますが、一度にたくさんの結晶を得られるわけではなく、しかもタンパク質によっては、結晶ができるまで長い時間を要します。「細胞内タンパク質結晶化」を利用することにより、細胞内で自発的に短期間にタンパク質結晶が作成されます。また、細胞内でタンパク質の結晶が形成されるので、タンパク質結晶の機能化を細胞内で行うことが可能になります。

細胞内タンパク質結晶「多角体」

私たちは、細胞内で結晶化するタンパク質として「多角体」と呼ばれるタンパク質結晶に着目しました。「多角体」は、細胞質多角体病ウイルスが昆虫(カイコ)に感染したときに細胞内でできるタンパク質の結晶です。ウイルスに感染するとカイコの細胞内では、ウイルスが複製されると同時に多角体タンパク質が発現されます。興味深いことにその多角体タンパク質が細胞内で結晶化されるときに、ウイルス粒子を閉じ込めながら結晶化します。多角体結晶は、非常に高い安定性を持っているため、内包されたウイルス粒子はその感染力を維持したまま長期にわたって保存されます。ここでは、私たちが開発してきた結晶エンジニアリングによる多角体結晶の機能化について紹介します。 [caption id="attachment_4045" align="aligncenter" width="600"] (a)細胞内で形成される多角体結晶と(b)電子顕微鏡写真、(c) 天然での多角体結晶へのウイルス内包[/caption]

タンパク質結晶の鎧をまとう酵素

酵素は、生体内でさまざまな化学反応を温和な条件で高選択、高効率で行うタンパク質であり、工業的にも注目を集めています。しかしながら、多くの酵素はpH変化や環境に活性が大きく影響され、活性を維持したまま長期保存することは困難です。私たちは、細胞の中で目的とする酵素を合成すると同時に、多角体の内部に包み込むことにより、これまでの酵素の産業利用における課題の解決をめざしました。 多角体結晶への内包を促進するためにタグペプチドを融合した目的酵素を多角体と同時に産生する細胞では、目的酵素を内包した酵素が多数合成されます。さらに多角体のアミノ酸置換によって、酵素の活性を保持したまま、結晶から放出することに成功しました。一連の反応は、ひとつの細胞内で完結されるため、タンパク質精製など煩雑な操作は完全に不要となり、熱やpH変化に弱い酵素や低収量の酵素合成に利用できるだけでなく、結晶からの放出制御を利用した経口薬やワクチンへの応用が期待されます。 [caption id="attachment_4046" align="aligncenter" width="600"] (a) 酵素内包多角体の細胞内合成と(b)放出による酵素活性化[/caption]

細胞内で機能する分子フィルター

次に、私たちは多角体結晶のエンジニアリングにより細胞内で分子フィルターの役目をする結晶性材料を開発しました。多孔性の結晶材料は、ゲスト分子の貯蔵や分離などさまざまな応用が可能な固体材料として利用が注目されています。しかしながら、細胞内などの生体環境下で利用可能な多孔性材料の開発は、安定性や設計性の問題から未だに困難です。そこで、多角体の利用を考えました。 まず、分子を吸着させるために多角体の変異体設計を行いました。多角体タンパク質のアミノ酸側鎖を欠損した結晶を作成することにより、細胞内で選択的に分子を吸着するフィルターのような結晶材料が構築できると考えました。そこで、多角体タンパク質の分子界面に位置するアミノ酸側鎖を3つ欠損させることにより、本来の結晶パッキングを維持したまま結晶内部の細孔を拡大した多角体を作成しました。設計した変異体は、野生型と同様に昆虫細胞内で結晶化し、その結晶構造から、欠損させた領域以外は、野生型と比べ構造が変化していないことがわかりました。詳細に構造解析を行った結果、変異をかけた分子界面の分子間、分子内の相互作用が弱くなっていることがわかりました。作成した変異体結晶は、細胞内において野生型ではみられない蛍光色素の吸着が変異体結晶において観察され、細胞内で分子吸着するフィルターの作成に成功しました。 [caption id="attachment_4047" align="aligncenter" width="600"] (a) 細胞内での結晶化と蛍光色素の結晶内吸着、(b) 共焦点顕微鏡観察による細胞内で合成した野生型、変異体結晶への蛍光色素の吸着[/caption]

さいごに

以上のような技術により、細胞内での選択的な分子認識や吸着、貯蔵が可能となるため、細胞内解毒などに威力を発揮すると考えています。また、タンパク質結晶は、分子の構造解析に用いられることから、細胞内で特定の分子を集積させることにより、これまで困難とされてきた細胞内分子の構造解析や細胞内反応による構造変化を追跡する分子のカゴとしての利用につながると期待されます。
参考文献 1. S. Abe, B. Maity, T. Ueno, “Design of a Confined Environment using a Protein Cage and Crystals in Development of Biohybrid Materials”, Chem. Commun. 2016, 52, 6496-6512. 2. S. Abe, H. Ijiri, H. Negishi, H. Yamanaka, K. Sasaki, K. Hirata, H. Mori, and T. Ueno, “Design of Enzyme-Encapsulated Protein Containers by in Vivo Crystal Engineering”, Adv. Mater. 2015, 27, 7951-7956. 3. S. Abe, H. Tabe, H. Ijiri, K. Yamashita, K. Hirata, K. Atsumi, T. Shimoi, M. Akai, H. Mori, S. Kitagawa and T. Ueno, ”Crystal Engineering of Self-Assembled Porous Protein Materials in Living Cells”, ACS Nano 2017, 11, 2410-2419.]]>
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シロイヌナズナで高効率のゲノム編集を実現! - 植物科学を加速するカマイタチ・ベクターとは https://academist-cf.com/journal/?p=3864 Wed, 26 Apr 2017 01:00:25 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=3864 これまで植物ではゲノム編集を効率よくできなかったの? 「植物で高い効率でゲノム編集を行うことに成功しました」というと、このような疑問を持つ方々もいるのではないかと思います。いいえ、決してそのようなことはありません。イネのように、十分な効率でゲノム編集を行うことができる植物はあります。意外なことに、最も多くの研究者が使い、最も研究の進んでいるシロイヌナズナにおいて、ゲノム編集には苦戦していたのです。それはなぜでしょうか? 実はシロイヌナズナの遺伝子導入法が、とてもユニークだからです。 [caption id="attachment_4182" align="aligncenter" width="600"] モデル植物のシロイヌナズナ。提供:金岡雅浩博士(名古屋大学)[/caption] 植物細胞への遺伝子導入には、多くの場合「アグロバクテリア」という細菌を使います。この細菌は、植物細胞に細いくだを突き刺してDNA断片を注入します。注入されたDNA断片は核ゲノムに挿入され、娘細胞にも伝わることになります。しかし、このような現象が起こる頻度は決して高くはありません。そのため、遺伝子が導入された数少ない細胞から、いかに植物体を作るかが問題となります。植物では多くの場合、無秩序に増殖するがん細胞のような細胞「カルス」に対して遺伝子を導入し、まず薬剤耐性を目印にして、その細胞だけを選抜します。そして植物の高い個体再生能力により組換え植物を得ます。この方法は効率は良いのですが、時間や手間がかかるデメリットも抱えています。 一方シロイヌナズナでは、つぼみを多数つけた茎を、アグロバクテリアの懸濁液に浸します。すると、アグロバクテリアが発生途中の雌しべに入り込み、中で増殖しながら雌しべの細胞に遺伝子を導入します。そして外来のDNAを持った卵細胞が受精することで、遺伝子導入された種子を簡便かつ短期間に得ることができます。これは、カルスを用いずに個体発生を担う生殖細胞に直接的に遺伝子を導入することができる画期的な方法と言えます。しかしこの方法が、カルスで効率よくゲノム編集を行える他の植物とは異なり、ゲノム編集の際には大きな問題となっていたのです。

カマイタチ・ベクターの誕生

私たちは、卵細胞に組み込まれたゲノム編集用の遺伝子を、受精卵やその発生過程で効率的に働かせるためのDNA配列(遺伝子プロモーター)を探索しました。具体的には、DNAを切断するためのCas9という酵素の遺伝子発現をオンにするプロモーターを探し、RPS5Aというプロモーター(リボソームタンパク質をコードする遺伝子のプロモーター)を見出しました。これにより、受精卵やその直後と考えられる発生初期に、父母由来の対立遺伝子の両方がともにゲノム編集される例が見られました。また、受精卵の時期を逃した場合も、その後の発生過程でも効率よくゲノム編集が行われました。ゲノム編集用の遺伝子が導入された当代の植物ほぼすべてで、そのすべての花を八重咲にすることもできました。 [caption id="attachment_4183" align="aligncenter" width="600"] すべての花が八重咲に変化し(A)、花から花が現れるシロイヌナズナ(B)。スケールは5 cm(A)と1 mm(B)。参考文献より転載[/caption] 葉緑素をつくるための遺伝子を標的にした場合、これまで一般的に用いられてきた35Sプロモーターを用いた場合よりも、葉緑素は100分の1にまで減少しました。 [caption id="attachment_4184" align="aligncenter" width="600"] 全身がアルビノに変化したシロイヌナズナ。提供:筒井大貴博士(名古屋大学)[/caption] さらに、肝心の次世代がどのくらいノックアウト個体になるかを調べたところ、調べた24株のうち5株の次世代(自家受粉により得られた種子)において、ノックアウト種子の割合が100%(平均71%)に達しました。過去の報告例では高々平均15%程度だったことを考えますと、大幅な効率の上昇です。その他、さまざまな工夫を施すことで、簡便かつ高効率にシロイヌナズナでゲノム編集を行うベクター、カマイタチ(pKAMA-ITACHI)が誕生しました。カマイタチ・ベクターを用いると、標的配列の選定から一度もPCRを用いることなく、ノックアウト種子を取得できます。しかもゲノム編集用の遺伝子が、分離により除かれた種子だけを回収できます。 [caption id="attachment_4186" align="aligncenter" width="600"] pKAMA-ITACHI (pKIR)ベクターを用いたゲノム編集の流れ[/caption] カマイタチは、爪が鎌になっている、イタチのような日本の妖怪です。中部地方に伝わるカマイタチは、三匹が一緒に働きます。人を転ばせ(一匹目)、切りつけ(二匹目)、薬をつけて治す(三匹目)という一連の流れが、CRISPR/Cas9を連想させるため、カマイタチ・ベクターと名付けました。

カマイタチ・ベクターで何ができるの?

モデル植物シロイヌナズナで高効率な方法が開発されたため、まず植物科学が大きく進展すると期待されます。たとえば、植物で細胞間のシグナル伝達に重要な働きをすることが次々に明らかになっている小さなタンパク質(ペプチド)をコードする遺伝子の機能解析が進みます。遺伝子としても小さく、多重遺伝子で、ゲノム上の近い位置に似た遺伝子が並んでいる例も多く、シロイヌナズナにおいて効率のよいゲノム編集技術がなければ進展しない分野のひとつです。 そして、カマイタチ・ベクターの開発は、生殖細胞への遺伝子導入による高効率なゲノム編集を可能にします。RPS5Aプロモーターは他植物の生殖細胞でも働きます。まだ生殖細胞へ安定して外来遺伝子を導入できるのはシロイヌナズナや、近縁の西洋アブラナという作物だけですが、生殖細胞への遺伝子導入法の開発に至れば、他の植物でもカマイタチ・ベクターは大きな威力を発揮するものと期待します。動物と違って、植物ではまだ一般に生殖細胞の自在な操作はできません。植物における生殖科学のさらなる発展を、カマイタチは虎視眈々と待ちわびています。 本研究は当研究室の筒井大貴氏を中心に進められました。 参考文献 Tsutsui H, Higashiyama T. pKAMA-ITACHI Vectors for Highly Efficient CRISPR/Cas9-Mediated Gene Knockout inArabidopsis thaliana. Plant Cell Physiol (2017) 58: 46–56.]]>
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「生きているからこそ感じられる魅力を伝えたい」- 日本で唯一の深海生物に特化した「沼津港深海水族館」 https://academist-cf.com/journal/?p=4019 Wed, 12 Apr 2017 01:00:51 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4019 沼津港深海水族館[/caption] −−海の生物のうち、深海生物だけが持っている特徴はありますか? ぶよぶよで、水っぽいものが多いのが特徴です。これは深海の生物にかかる水圧にうまく適応するためです。生物の身体のなかで水圧に大きく影響を受けるのは気体の部分ーーたとえば人間でいうと空気が満たされている肺の部分、魚だと浮き袋です。一方、液体は水圧の変化を受けにくい。強力なプラスチックでつくられた容器でも、空の状態では水深1000mの水圧には耐え切れずに壊れてしまいます。しかし普段みなさんが飲んでいる、水が入っているペットボトルだとつぶれません。それくらい気体と液体では水圧の影響が異なります。このような理由から深海生物は、水圧に対する適応のひとつとして液体に満たされているような体のつくりを持つものが多いですね。生きた化石として有名なシーラカンスの浮き袋も、油脂で満たされています。 −−そのほかにも深海生物ならではの特徴ってあるのでしょうか。 深海生物の体色は、だいたい黒、グレー、半透明、赤の4つのパターンに分けられます。黒、グレー、半透明は保護色で、深海でも天敵などから見つかりにくい色です。赤というのは意外かもしれませんが、水深20m程度で、赤色の光は吸収されてしまいます。ダイビングで水中に潜ると水深の深いところでは、赤い魚は影のようにしか見えません。深い海では、赤色の身体が敵から身を隠すのに役立つ色となるのです。沼津水族館の展示でも、水槽に赤い魚を入れ、ライトの色を変化させて、水深によって赤い魚がどう見えるのかというコーナーを設けています。 [caption id="attachment_4026" align="aligncenter" width="600"] 深海のサメ「ラブカ」のグッズを持つ石垣館長。自らグッズの企画を行うこともあるという[/caption] −−深海生物というと、光を発する生物が思い浮かびますが、海の中で光ることにはどんな意味があるのでしょうか? 仲間同士のコミュニケーションや、餌のおびき寄せ、捕食者への威嚇など、さまざまです。深海で光る生物には大きく2つのタイプがあります。ひとつは自家発光型で、ルシフェラーゼの酵素反応で自分の身体を光らせるタイプ。もうひとつは、発光するバクテリアを体内に持ち、培養しているタイプです。 沼津水族館で人気のヒカリキンメダイは後者で、目の下の器官で発光するバクテリアを培養しています。食べた餌の一部をその発光器官に送りこんで、ご飯もあげていますよ。片方の発光器官だけでも1億程度のバクテリアが住んでいるといわれていますが、この発光器官を筋肉組織を使って能動的に反転させることで、光ったり、消えたりを繰り返し、ほかの個体とコミュニケーションをとっています。たとえば危険を察知すると、発光器の反転数をあげ、光の点滅を高速で繰り返します。するとほかの個体が徐々に集合して、1000匹程度の塊をつくります。その明るさは、真夜中の海の中で本が読めるくらいです。ヒカリキンメダイの体長は約15cmと小さいので、複数の個体が集まって大きな生物に見えるようにしていると考えられています。また餌となるエビなどを集めるのにも、発光を利用しています。 [caption id="attachment_4074" align="aligncenter" width="600"] ヒカリキンメダイ。目の下に発光器がある (撮影:沼津港深海水族館)[/caption] −−深海生物のおもしろい生態があれば教えてください。 深海性のカニやヤドカリといった甲殻類では、オスだけがとても巨大化している種が多いんです。深海では、オスメスの生物の出会いがとても少ないというのがその理由です。オーストラリアに生息するキングクラブというカニは、水深200~300mにメス、500mにオスが生息しています。オスはときどき水深の浅いところまで移動するのですが、そのときにパートナーとなるメスを探します。そして一度メスを見つけたら必ず確保し、何ヶ月も餌も食べずにホールドし続けます。深海という環境では、パートナーに出会う機会がなかなかないためです。オスは、しっかりとメスを押さえられるよう、長い足と大きなはさみを持っています。ヤドカリやほかのカニにもこういった習性を持つものがいます。 [caption id="attachment_4038" align="aligncenter" width="600"] イバラガニモドキ。オスがメスをしっかりとホールドしている。オスとメスが同時に捕獲されることから、夫婦(めおと)ガニとも呼ばれる[/caption] −−ほかにもおもしろい習性をもつ生物はいますか。 ヒメコンニャクウオと、エゾイバラガニです。深海は、砂や泥、岩があるだけの殺風景なので、産卵にちょうど良い場所があまりありません。一体どんなところに産卵しているのだろうという疑問を感じていたときに、これらが一緒になって深海から捕獲されました。魚とカニが一緒に生活しているのは不思議だなと思ったのですが、カニが死んでしまった際に中身を解剖してみたら、驚くべきことにカニの甲羅の内側からヒメコンニャクウオの卵が見つかったんです。ヒメコンニャクウオは、卵を守るために卵をカニの甲羅に産み付けるという習性をもっているのかもしれません。水族館の展示のなかでも、ヒメコンニャクウオとエゾエバラガニを一緒に展示し、本当に卵をカニの甲羅の中に産み付けるのかという実験をしています。 [caption id="attachment_4036" align="aligncenter" width="600"] 深海では常に餌にありつくことができないため、ダイオウグソクムシのように絶食に強い生物も多い。沼津港深海水族館で水槽に餌を与えるのはひと月に1回。食べた量を記録し、少しでも生態を知ろうとしているのだという[/caption] −−そんな不思議な特徴を持つ深海生物にはファンも多いです。石垣館長は、深海生物のどんなところに惹かれていますか? わかっていないことが多いところに惹かれます。ここ17年間、地元駿河湾で毎週、底引き網漁を行い生物を採集していますが、毎回見たことのない生物に出会います。過去の記録と照らし合せても、この生息域では見つかっていない生物が次々に見つかります。分類が進んでいない、世界でもわかっていないという種が、毎週のように出てくるのが非常におもしろいです。 また、どうやって泳ぐのか、どうやって繁殖するのか、何を食べるのか……といった生態が一切わかっていない生物もたくさんいます。過去の文献を調べても、実際に検証してみると事実が記載と異なることもあります。なぜならば過去の文献などでは、標本や打ち上がった個体などの体の構造からその生態を予測していることが多いからです。この水族館では、生きた深海生物がいるので、過去の文献の検証や、観察によって日々新しい発見をしています。大学などの研究者からも共同研究の誘いがありますね。本当の生態に迫るには、やはり生きた生物を観察するのが一番です。水族館では深海の条件すべてをそのまま再現することはできませんが、生きた深海生物を飼育、展示することで、より真実に迫ることができると考えています。 [caption id="attachment_4075" align="aligncenter" width="600"] オオムガイ(撮影:沼津港深海水族館)[/caption] −−日本で唯一の深海水族館を運営するうえで、苦労したことはなにかありますか? 深海生物を長期的に飼育する際、どんなことに気をつけているのでしょうか。 一般的に、深海のサメは飼育が困難です。なかでも肝臓が大きいタイプのサメが難しい。サメには浮き袋がなく、肝臓が体の70%を占める種もいます。肝臓の中には肝油が溜め込んであり、サメは、水よりも浮きやすいという肝油の性質を利用し、深海という水圧が高い環境でも浮いていられます。しかしこの肝油が、水族館での飼育が難しい原因となっています。 沼津水族館ではコスト的にも技術的にも難しいことから、展示するほとんどの水槽には圧力をかけていません。浮き袋が膨らむ魚は、注射器でその袋から空気を抜き、水圧の低い通常の水槽でも飼育できるようにしています。ところが、肝油があると、通常の水槽では必要以上に浮いてしまいます。サメの体内から肝臓の一部をとったり、肝臓を良くするはたらきの薬を飲ませてみたり、通常の水槽で飼育できる方法をいろいろと検討していますが、まだこれだという正解はわかっていません。 −−サメ以外にも飼育が難しい深海生物はいますか? メンダコですね。今では飼育日数52日を記録し、この水族館のなかでもとても人気者なのですが、飼うのはとても大変です。そもそもメンダコが何歳まで生きるのか、何を食べるのかなどという基本的な生態もわからない状態からスタートしているため、水温や光など飼育条件の検討がとても難しかったですね。 またメンダコは、リラックスしているときには身体を平たく伸ばしているんです。でもそれでは、横から見る通常の水族館の水槽に入れてもだれも見てくれませんよね。水族館では単に飼育すればよいわけではなく、どうやって生物の特色を伝えられる展示ができるかということも考える必要があります。深海水族館として、まだどこも実現したことがないメンダコの長期的な飼育と、メンダコを見てもらううえでの展示的な工夫を両立させるのにはなかなか苦労しました。今後は、メンダコの繁殖などについても水族館のなかで研究していくことができればと試行錯誤しているところです。 [caption id="attachment_4076" align="aligncenter" width="600"] メンダコ(撮影:沼津港深海水族館)[/caption] −−深海生物がメインの水族館を運営することを通して、どんなことを伝えたいと考えていますか? 単純に深海生物それぞれの魅力を知ってもらいたいですね。生きているからこそ、動いているからこそ感じられる生き物の良さがある思います。本に掲載された標本や絵、地元では塩焼きで食べられていたような深海生物が、生きてるときには、実は色が違ったり、変わった泳ぎ方をしたりなど、たくさんのおもしろい特徴を持っているんです。「深海魚っておもしろい、かっこいいじゃん」ということを、”生きた図鑑”をたくさんの人に見てもらうことで伝えていきたいですね。生きた生物を観察することで明らかになった生態など、新しい発見もどんどん共有していきたいです。 [caption id="attachment_4022" align="aligncenter" width="600"] 沼津水族館には、”深海生物グルメ”コーナーもある。深海生物の剥製をつかって、深海生物を使った架空のメニューを考案し、水族館のスタッフがサンプルを手作りしている[/caption]
石垣幸二 プロフィール 沼津港深海水族館 シーラカンス・ミュージアム館長 日本大学国際関係学部を卒業後、10年間のサラリーマン時代を経て、2000年有限会社ブルーコーナーを設立。世界30ケ国、200を超える水族館・博物館に依頼された海洋生物を生きた状態で納入する専門業者となる。「情熱大陸」や「ガイヤの夜明け」など多くのドキュメンタリー番組に取り上げられ、「海の手配師」と命名される。2011年沼津港深海水族館の館長に就任。以来、深海生物の捕獲から展示に至るまで日々奔走している。   取材協力 沼津港深海水族館シーラカンス・ミュージアム 〒410-0845 静岡県沼津市千本港町83番地 年中無休(保守点検のため臨時休業の場合あり) 通常営業時間 10:00〜18:00(最終入館は閉館30分前まで) 詳細は公式Webサイトをご覧ください
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「細胞質流動」の再現に成功! - 人工細胞を作って、細胞の仕組みを解明する https://academist-cf.com/journal/?p=4063 Thu, 06 Apr 2017 01:00:21 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4063 細胞質流動とは? 細胞質流動(cytoplasmic streaming)とは「細胞の内部を占めている液体や細胞小器官(これらを総称して細胞質(cytoplasm)と呼びます)が、細胞内で流れる現象」のことを言います。細胞質流動の研究の歴史は古く、200年以上も前に植物細胞で初めて発見されました。その後、動物細胞でも発見が相次ぎましたがその役割は長らく不明でした。しかし近年の研究によって、細胞質流動は生物の発生過程(受精卵が分裂を繰り返し、成体になるまでの過程)や細胞の成長に重要であることが明らかになりつつあり、現在では「細胞全体に栄養素を行き渡らせるための物質輸送システム」と考えられています。 細胞質流動はどのような仕組みで生じているのでしょうか? これまでの研究によって、細胞質流動には細胞骨格(cytoskeleton)と呼ばれる、主に極性線維と分子モーターから構成されるネットワーク構造が関与していることが明らかにされてきました。極性線維にはアクチン線維と微小管の2種類があります。主に植物細胞で観察されるアクチン線維が引き起こす細胞質流動の仕組みは徐々に明らかになってきましたが、その一方で動物細胞に特徴的な微小管駆動の細胞質流動は未解明な部分が多く残されています。 動物細胞の場合、たとえばウニの受精卵やショウジョウバエの卵母細胞では微小管が細胞の中央を中心として渦状に配列したネットワーク構造が形成され、細胞内のほぼ全域にわたって回転流動が生じること知られています。しかし、どのようにして微小管の渦構造が形成され、細胞質流動が駆動されるのか、その仕組みは明らかになっていませんでした。

新しい方法論の提案:人工細胞をつくって細胞の仕組みを解明する

私たちの研究チームは、細胞骨格が細胞機能を制御している仕組みを解明するために、細胞の中身を一旦取り出し、さらに必要に応じてパーツごとに分離した後、それらをもう一度混ぜ合わせて、細胞を模したカプセルに封入する技術を構築してきました。今回の研究も、この技術で作製した人工細胞を用いて細胞質流動が発生する仕組みの解明に挑みました。 なぜ実際の細胞ではなく、わざわざ人工細胞を用いることにしたのでしょうか? 実際の細胞では細胞の性質を変えずに、大きさのみを変化させることは不可能です。一方で、細胞の中身を一旦取り出して、もう一度カプセルに封入して人工細胞をつくるという方法では、カプセル、つまり“細胞”の大きさを自在に変えることが可能です。また、細胞の中身を一旦取り出しているので、細胞質にいろいろな薬剤を簡単に、しかも精確な濃度で加えることができます。つまり細胞の大きさとは独立に、細胞内の生化学的環境を制御することが可能となります。これらの2つの利点を最大限活用することで、微小管の渦構造形成における細胞膜の壁としての役割と、細胞質流動の駆動力を定量的に調べることが初めて可能になりました。

人工細胞のつくり方

私たちは細胞質のモデル系としてカエルの卵を選びました。なぜならカエルの卵は細胞サイズが大きくて扱いやすい、細胞膜を取り除いた状態でも染色体分配など多くの細胞機能が再現されるなどの点で優れているからです。まずアフリカツメガエル(Xenopus laevis)のメスにホルモンを注射して産卵させ、卵を遠心分離機にかけることによって細胞質と、卵の殻などのほかの部分を分離し、細胞質だけを取り出しました。この細胞質抽出液を、細胞膜の基本構成要素であるリン脂質で包まれた油中水滴に封入することで人工細胞を構築しました。油中水滴は、リン脂質を溶かした油の中へ少量の細胞質抽出液を滴らし、ドレッシングをつくるように軽く振り混ぜることで簡単に作製できます。なお、ダイニン分子モーターの機能抑制が細胞質流動の発生に関与していることが細胞を用いた研究で明らかにされていたため、ダイニンの阻害剤を細胞質抽出液に添加することで細胞と同様の条件をつくりました。

細胞質流動の再現に成功!

今回の研究で特に着目したのが、細胞膜の物理的な“壁”としての役割です。棒の片端を持って、もう一方の端を壁に押し当てれば、棒は曲がったり、傾いたりします。私たちはこのようなことが微小管と細胞膜との間でも起こることで微小管の渦構造形成を促進しているのではと予想しました。壁の影響を調べるには、微小管にとって狭い空間と、壁がないとみなせるほど広い空間で形成されるネットワーク構造や流動の様子を観察し、それらを比較すれば良いと考えました。 まず細胞質抽出液を人工細胞に封入しないで観察した場合、微小管どうしが束になり、さらにその束どうしがランダムに架橋された無秩序な網目構造が形成され、細胞質全域で乱流のような不規則で不安定な流れが生じました。続いて、細胞質抽出液を細胞質流動が観察されている細胞と同程度の人工細胞(直径100〜700μm)に封入したところ、微小管束が自発的に渦状に配列し、人工細胞内全域の細胞質が右方向あるいは左方向に回転する大域的な流れが発生しました。この流れは数十分から数時間にわたって持続する安定的な流動でした。

細胞膜を"壁"として利用することで細胞質流動が生じていた!

私たちは細胞質流動の再現に成功した人工細胞系を用いて、個々の微小管束の動態、人工細胞の大きさと流速の関係、キネシン分子モーターの阻害効果などを定量的に調べ、渦構造の形成と回転流動のメカニズムを明らかにしました。そのメカニズムは以下のとおりです。 Phase 1:まず、キネシンによって微小管どうしが架橋された微小管束がさまざまな箇所で形成されます。 Phase 2:キネシンは微小管の滑り運動を駆動する分子モーターで、南京玉すだれのように微小管どうしを滑らせることで微小管束が伸びていきつつ、束どうしがさらにキネシンなどで架橋され、微小管束の網目構造が形成されます。 Phase 3:微小管束がさらに伸びて片端が液滴界面にぶつかると、“壁”を押す力を出すようになります。 Phase 4:微小管束は、初めはさまざまな方向を向いているため、境界で発生する力の方向もさまざまであり、それらの間で力のつり合いが保たれますが、微小管束の伸長とともに歪みが溜まっていき、右回転と左回転の力のつり合いがひとたび崩れると、微小管束が壁を押す力の反作用で、網目構造全体が右、あるいは左にゆっくりと回転し始めます。 Phase 5:構造の回転によって生じた流れにより、回転方向に傾く微小管束が増加し、らせん状に配列します。らせん状に配列した微小管束が“壁”を押す力が、さらに構造全体の回転を促進し、回転流動が加速されます。 つまり微小管細胞骨格の自発的対称性の破れと、細胞質の流れと微小管配向の間の正のフィードバックループによって、長時間持続する大域的な回転流動が発生したと考えられます。 棒で壁を押すには、棒そのものがある程度硬くなければなりません。このような物理学的事実から、渦構造の回転には微小管そのものの剛性が重要であると考えられます。私たちの結果は、実際の細胞が細胞膜の物理的な壁としての機能と微小管の剛性を利用することで、長時間持続する大規模な流動を引き起こしていることを示唆しています。

展望:細胞骨格が細胞機能を制御する仕組みの包括的理解

私たちは人工細胞で細胞質流動が再現される物理的および生化学的条件を探ることで、微小管細胞骨格が細胞質流動を引き起こす仕組みを明らかにしました。実は細胞骨格は細胞質流動を駆動するだけでなく、細胞の形態維持から運動・分裂など、生命活動に必須であるさまざまな細胞機能を制御していることが明らかになっています。しかし、細胞骨格がどのようにして多様な細胞機能を制御しているのか、その仕組みは未だにほとんど明らかになっていません。私たちは「細胞を一旦ばらばらに分解してからパーツをもう一度組み合わせ、細胞機能が再構築される条件を探る」という構成的手法を用いることで、細胞骨格が司る多種多様な細胞機能が発現する仕組みの解明に挑戦していきたいと思っています。   参考文献 Kazuya Suzuki, Makito Miyazaki, Jun Takagi, Takeshi Itabashi, and Shin’ichi Ishiwata, “Spatial confinement of active microtubule networks induces large-scale rotational cytoplasmic flow”, Proc. Natl Acad. Sci. USA 114, 2922–2927 (2017). Makito Miyazaki, Masataka Chiba, Hiroki Eguchi, Takashi Ohki, and Shin’ichi Ishiwata, “Cell-sized spherical confinement induces the spontaneous formation of contractile actomyosin rings in vitro”, Nat. Cell Biol. 17, 480–489 (2015). Masataka Chiba, Makito Miyazaki, and Shin’ichi Ishiwata “Quantitative analysis of the lamellarity of giant liposomes prepared by the inverted emulsion method”, Biophys. J. 107, 346–354 (2014).]]>
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海水だけで、そこに生息する多様な生物種を明らかにする −環境DNAメタバーコーディング法の威力 https://academist-cf.com/journal/?p=4084 Mon, 17 Apr 2017 01:00:42 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4084 DNAバーコーディングと環境DNA DNAは皆さんご存知のとおり、生物が細胞内にもっている遺伝物質のことです。DNAはA・C・G・Tの4種類の塩基を含む物質が長く結合したもので、この塩基の並びには生物の特徴を作り出すための情報が詰め込まれています。DNAの配列には、さまざまな生物で共通して同じ配列と、生物の種類ごとに異なる部分があります。もし生物種ごとに異なる部分の塩基配列を読むことができれば、その塩基配列だけで生物の種類を判断することができます。そのように塩基配列をもとに生物情報を得ることをDNAバーコーディングと呼びます。DNAバーコーディングは、原型を失ってしまった生物の破片、たとえば生物標本のごく一部や、糞などの排泄物からでも生物情報を取り出すことができます。 近年、河川水や海水にはそこに生息する魚類や両生類など大型の水生生物のDNAが含まれることが明らかになり、このDNAをバーコーディング解析することによって、そこに生息する魚類などを明らかにできることがわかってきました。「環境DNA」は環境中に存在するDNAを総称する言葉で、通常は微生物のDNAなども含めてすべてのDNAを指します。しかし、大型生物のDNAが野外の水に含まれている事が明らかになってからは、「水に含まれる大型生物のDNA」に限定して環境DNAと呼ぶこともあります。この記事の中でも大型生物に限定して環境DNAと呼ぶことにします。

環境DNAメタバーコーディング法の威力が知りたい

2015年、私たちの研究チームで千葉県立中央博物館の宮正樹博士が多種の魚類を同時に環境DNAによって検出できる方法を開発しました。この方法は「環境DNAメタバーコーディング法」と呼ばれる方法です。単なるDNAバーコーディングではなく、多種のDNAを同時並列でバーコーディングするので「メタ」が付きます。2015年の開発時には、この方法は日本最大の水槽を持つ沖縄の美ら海水族館でテストを行い、バケツ1杯の水から飼育している魚類の9割以上を検出しています。しかし、巨大な水槽といえども、水族館は野外とは状況が異なります。たとえば、水族館の水槽では、魚類の密度は野外よりも大幅に高いでしょうし、潮流などの影響を受けることはないでしょう。私たちはこの環境DNAメタバーコーディング法が野外の水域でどれほどの能力を発揮するかをテストしたいと考えていました。しかし話はそれほど簡単ではありません。テストをするには「正解」を予め知っておく必要があります。水族館とは違って野外水域の魚類相を徹底的に調査した研究はほとんどありません。 そこで、私たちは京都府北部の舞鶴湾に目をつけました。なぜなら舞鶴湾では、京都大学舞鶴水産実験所の益田玲爾准教授によって、2002年から長期にわたって潜水による魚類調査が行われているからです。益田准教授は10年以上ものあいだ、2週間に1度の潜水調査を休むことなく継続しており、そのデータは環境DNAと比較できる非常に貴重なものです。また、私達は2014年に一度舞鶴湾で大規模な採水作業を行っていました。そこで、私達は2014年のサンプルを使って環境DNAメタバーコーディングを行い、長期目視調査の結果と比較することにしたのです。 [caption id="attachment_4089" align="aligncenter" width="600"] 京都府の舞鶴湾[/caption] [caption id="attachment_4086" align="aligncenter" width="600"] 目視での潜水調査の様子[/caption]

舞鶴湾西湾の47地点で合計128種の魚類DNAを検出!

2014年の調査では、約11km2の舞鶴湾西湾をカバーするのに、400m間隔の格子状に配置された47の観測点で、表層水と海底付近の水を1Lずつ採取しました。この採水作業で得た94のサンプル(47地点×表層・底層サンプル)をメタバーコーディング解析した結果、少なくとも128種の魚類のDNAが検出されました。 [caption id="attachment_4090" align="aligncenter" width="600"] 採水作業の様子[/caption] この結果は驚きでした。なぜならば、2002年から2015年の14年間の目視調査で観察されていたのは80種で、それよりも50種近く多かったからです。詳しく調べてみると、環境DNAのデータには河川に生息する魚や漁港へ水揚げされる魚のDNAデータも含まれていることがわかりました。これは環境DNA解析法の検出力が非常に高く、河口域や排水から流入している環境DNAまで検出できることを意味します。こういったノイズのような魚種のデータを除くと、環境DNA解析によって約70種の魚類を検出できました。 [caption id="attachment_4087" align="aligncenter" width="600"] 京都府北部の舞鶴湾の西湾における、環境DNAタバーコーディング解析の結果[/caption] 結果、目視で観察されていた80種のうち、環境DNA法で検出したのは半数の40種でしたが、詳細に比較するとこれは高い検出率であることがわかります。まず、目視調査の80種のうち塩基配列がすでに解明されているものは65種のみであり、配列が判明している種だけで考えるとわずか1日の調査で14年の目視調査で観察した魚種の62.5%を検出できたのです。14年間で10個体以下しか観察されなかったレアな種も除くと、環境DNA解析はたった1日の調査だったにも関わらず、目視調査の実に80%近くの魚種を検出していたのです。さらに、目視調査で観察されず、環境DNA法だけで検出できた魚類も20種以上います。たとえばヒイラギという魚は夜行性ということもあり、昼間の目視調査では観察できません。また非常に小さな仔稚魚も目視での観察は困難です。一方、環境DNAメタバーコーディング法ではそういった魚まで検出できていました。こういった結果から、私達は環境DNAメタバーコーディング法が高い検出力を発揮することを確認しました。 [caption id="attachment_4088" align="aligncenter" width="600"] 目視調査との比較[/caption]

環境DNAの使い方とは?

環境DNAを用いた魚類群集の解析はいくつもの利点があります。最大の利点は野外調査のコストが著しく低い点です。たとえば、時間的なコストを抑えられるために今回の研究のように広域かつ高密度の調査を実施することができます。また作業が簡単なので継続的調査にも向いています。また生物や生息地への影響を低く抑えることができます。漁網などを用いる調査では捕獲した魚を傷つけることもありますが、環境DNAを検出する手法では魚そのものに触れることなく調査することができるのです。したがって、保全対象となっている生物や生息地でも調査することが可能となるでしょう。さらに採水さえできればどんな水域でも調査できるため、深海や深刻な汚染があるような水域の魚類相調査も可能となります。また、生物種の同定が困難な場合でも塩基配列から生物情報を得られるため、種同定の専門家でなくとも調査をすることができます。 このように環境DNA解析による調査はとても簡単で便利ですが、他のすべての調査方法にとってかわることはないと考えています。どんな調査方法にも長所と短所があります。環境DNAを用いた調査においては、検出された環境DNAが遠い場所にすむ生物から放出され、流されてきた可能性もあり、その魚が本当にその水域に生息していると言い切ることが難しいという短所があります。そのため、調査の目的次第では、目視観察や漁具を用いた捕獲など他の手法と組み合わせた調査を実施しなければなりません。しかし高い検出力や、広域・高密度・高頻度でおこなえる野外調査の簡便さは、環境DNA解析法の強い武器です。目視や捕獲による調査はコストがかかりますが、環境DNA解析法によってあらかじめ調査すべき範囲や時期を特定できれば、調査を効率的に進めることができます。環境DNAメタバーコーディング法による魚類群集の検出力の高さは革命的ともいえます。そのような利点と他調査法との組み合わせは、今後、水域生態系の研究を大きく進展させる原動力となると考えています。 [caption id="attachment_4091" align="aligncenter" width="600"] 舞鶴湾の魚類[/caption] 参考文献 1.Yamamoto S, Masuda R, Sato Y, Sado T, Araki H, Kondoh M, Minamoto T, Miya M. 2017. Environmental DNA metabarcoding reveals local fish communities in a species-rich coastal sea. Sci. Rep. 7: 40368. doi: 10.1038/srep40368. 2.Miya M, Sato Y, Fukunaga T, Sado T, Poulsen JY, Sato K, Minamoto T, Yamamoto S, Yamanaka H, Araki H, Kondoh M, Iwasaki W. 2015. MiFish, a set of universal PCR primers for metabarcoding environmental DNA from fishes: detection of more than 230 subtropical marine species. Roy. Soc. Open Sci. 2: 150088. doi: 10.1098/rsos.150088.]]>
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ミクロの世界での泳ぎ方 - 数理の目で見る精子の旅 https://academist-cf.com/journal/?p=4094 Fri, 07 Apr 2017 01:00:51 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4094 ミクロの世界で泳いでみる バクテリアやプランクトン、精子といったミクロの生き物たちのなかには水中を泳ぐものがたくさんいます。彼らの運動を理解するために、周りの水の運動の式を考えてみます。ミクロの世界では液体の粘性の効果がずっと大きくなり、そのため、微小生物の泳ぎはしばしば「ハチミツの中を泳ぐようだ」と例えられます。このような微小世界の流れを表す式はストークス方程式と呼ばれます。

ミクロのホタテは泳げない

さて、液体の粘性の効果が大きいと、少し直感に反することが起こります。それを端的に表しているのが帆立貝定理(scallop theorem)とよばれる、生物運動に対するまわりの液からの制限です。帆立貝は貝殻を開閉することで泳ぐことができますが、このような行きと帰りのカタチが同じ泳ぎ方(往復運動とよばれる)を考えてみましょう。実は、ミクロの世界では往復運動で泳ごうとしても前にも後ろにも進むことができません。もし、ミクロサイズの帆立貝がいたとして、その貝殼を開閉しても泳げないのです。 これは先のストークス方程式が、数式のレベルで、時間反転対称性とよばれる性質を持っていることが原因です。実際の微生物の泳ぎはこの定理が成り立たないように、往復運動でない泳ぎ方をしています。たとえば、精子の尻尾(べん毛)の波が、ウナギの泳ぎのように、頭から後ろの方に一方向に進んでいるのも往復運動でない泳ぎ方です。 ゾウリムシなどに見られる多数の毛(せん毛)を使った波も、往復運動でない泳ぎ方

精子の泳ぎを解いてみる

このように数式を解くことで生き物の運動を理解することができそうです。では、数式を解いた結果と実際の実験観測結果はどれくらい合っているのでしょうか。我々はヒト精子を高速カメラで撮影した顕微鏡映像を使用してその検証を行ってみました。 まず、実際の顕微鏡映像から画像解析を用いてべん毛の形状を取得し、コンピュータ内でべん毛の波形を再構築します。この情報をもとに先のストークス方程式をコンピュータで解いて、コンピュータ内で精子を泳がせてみます。この計算で求まった精子の運動と、実際の顕微鏡の映像を比較したところ、実験的に測定できない部分を考慮すれば、実際の複雑な精子の遊泳軌跡をよく再現していることがわかりました。 [caption id="attachment_4095" align="aligncenter" width="600"] 方程式を解くことで得られた精子まわりの流れの様子[/caption] 次に同じ方程式から、精子まわりの流れを計算しました。時間的に変化する複雑な流れのなかから、主成分分析とよばれる統計解析を用いることで、中心となっているパターンを抽出してみました。これまで精子まわりには尻尾から押し出されるような流れがあると考えられてきましたが、流れのパターンを抽出すると、実際には単純に押し出しているのではなく、ひねりながら押したり引っ張ったりを繰り返すリズミカルな流れが生じていることがわかりました。 さらに、方程式の性質に注目すると、これらの流れのパターンは、精子が泳ぐ際の力の分布のパターンで表すことが可能であることがわかりました。得られた力の分布は精子の運動を「粗視化」したことに対応し、これにより、精子の運動を比較的単純な数式で表現することができました。 また、今回の研究で得られた「粗視化」された精子の数理モデルを使うことで、卵管内などの狭く複雑な形状内での精子の運動や、多数の精子がいる場合の集団的な運動など、より生体内に近い環境に対しても、数理的アプローチで運動を調べることができると考えています。

精子の旅を覗いてみる

これまで、多くの研究者によって遺伝子やたんぱく質などの分子レベルで受精のメカニズムの研究が行われてきており、毎年新しい発見が報告されています。これらの新しい知見を踏まえ、力学的な視点からの研究が必要なプロセスがまだまだ残っています。 たとえば、顕微鏡下で流れのなかにいる精子が、まるでシャケのように上流にさかのぼって泳ぐ現象(走流性)は100年以上も前から知られていましたが、このメカニズムが、精子の泳ぎと顕微鏡のスライドガラス壁面、そして流れの間の力学的な相互作用によるものだとわかったのは、ほんの最近のことです。精子が卵管内の流れに乗ることで、精子が卵の位置まで誘導されているのではないか、という仮説が注目を集めています。
卵に突入しようとする精子の数値シミュレーション
また、卵管内部で精子が泳ぎ方を変化させることが知られており(超活性化とよばれる)、精子が受精能をもつために必要であると考えられています。この超活性化によって、卵に突入する際の精子が生み出す力が2〜3倍に増加することも、数値シミュレーションによってわかってきました。 数理の目で精子の旅を見直すことで、実験観測が難しく理解が進んでいない精子の運動の様子を明らかにできるのではないかと期待しています。また、受精に必要な精子の力学的機能を理解することで、不妊治療の発展に貢献したいと考えています。 参考文献 Ishimoto K, Yamada M. A coordinate-proof of the scallop theorem. SIAM J Appl Math (2012) 72: 1686-1694. Ishimoto K, Gadêlha, H, Gaffney E A, Smith D J, Kirkman-Brown J. Coarse-graining the flow around a human sperm. Phys Rev Lett (2017) 118: 124501. Ishimoto K, Gaffney, E A. Fluid flow and sperm guidance: a simulation study of hydrodynamic sperm rheotaxis. J R Soc Interface (2015) 12: 20150172.]]>
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地球を"感じられる"展示室新設へ - 北海道大学総合博物館・山本順司准教授の挑戦 https://academist-cf.com/journal/?p=4108 Mon, 10 Apr 2017 01:00:42 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4108

【academist挑戦中】北大博物館に100万分の1スケールの地球断面図を作りたい!

北海道大学総合博物館(以下、北大博物館)の山本順司准教授は現在、環境の時空間スケールを感じられる「地球展示室」を北大博物館に新設するための活動を進めている。その一環として現在、academistのクラウドファンディング・チャレンジ 「北大博物館に100万分の1スケールの地球断面図を作りたい!」 において目標金額の80万円を達成し、セカンドゴールの140万円達成に向けて挑戦中だ。セカンドゴールに向けた支援金は「4.6mの地球史カレンダー」の設置費用に当てられる予定となっている。新設される「地球展示室」のコンセプトや、地球断面図・地球史カレンダーのアイディアなどについて山本准教授にお話をうかがった。 ーー100万分の1スケールの地球断面図パネルが展示されるそうですが、展示室のコンセプトについて教えてください。 地球を感じていただきたいです。地球内部は、非常に高温だったり高圧だったり、日常では体感が難しいことがいっぱいあります。文字情報だけではなく、「五感を使って地球をなんとなく感じられる展示」がコンセプトです。 ーー地球の半径(およそ6400km)の100万分の1サイズ「6.4m」も地球を感じるためのサイズということなのでしょうか。 6.4mは、実際の大きさの100万分の1のスケールです。これは、地図の縮尺で馴染みのあるスケールだと思います。64cmまで小さくすると小さすぎる、64mだと長すぎる……6.4mならば歩いて地球の大きさを実感できるスケールでもあると考えています。 ーーお話を伺うと、"感じる"展示を大切にしていらっしゃいますが、その理由を教えてください。 いろいろな感覚を使って展示を"感じる"ことができれば、展示室に来た皆さまが、それぞれの角度で展示を楽しみ、理解することができます。地球のスケール感は文字ではなかなか理解しにくいです。「何万気圧」「何千度」と言ってもピンとこないことが普通だと思います。そこで、直感的につかめる工夫をどんどんしていきたいと考えています。地球のスケールを直感的に理解して、体が覚えていれば、今後もし地球規模の災害が及んだときに自分で判断をする助けにもなると思うのです。 ーー以前から"感じる"教材を作っていらっしゃったとのことですが、"感じる"教材の作成で大切にしていることはありますか。 教材を使う人たちにとって身近な"本物"を使用することです。大分県にある京都大学の施設にいたときに、小学校の先生から相談を受け、グラウンドの石を七輪で熱してマグマを作るという実験を行いました。これは、それぞれの土地がどのようにできたかを学ぶ「土地の作り」という小学校6年生で行う単元のなかで行ったものです。大分県は火山が多いところなので、火山がどうやってできるのかを知っていたほうが良いと考えたのです。 私は、展示や実験の際には「身近・安価・本物・安全」という4つのルールを大切にしています。チョコレートパウダーなどを使って似たような実験をすることはできるのですが、やはり、熱くてねばねばしている本物を見せたいーーそんな気持ちから、身近なもので、安くて、安全にできる、なるべく本物に近いもので実験しました。子どもでも理解ができるような、直感的なものを作っていきたいと思っています。 ーー今回の展示でも"本物"にこだわっているのでしょうか。 こだわっています。展示標本もできる限り"本物"を出したいと考えています。嘘はつかないという信念が底流にあるのかもしれません。地球内部の100万気圧を実際の展示で作ることは不可能ですが、自分の身近なものから地球規模まで、スケールを徐々に上げて行くイメージです。 ーー展示室の楽しみ方があれば教えてください。 答えのない展示室なので、「こういうふうに見てください」というルールはありません。それぞれの人に、それぞれの考え方、感覚で感じてもらいたいです。展示室に入ったときと出るときで地球に対する見方がガラッと変わっているような展示にしたいと思っています。 ーー展示室の準備はいかがですか。 クラウドファンディングの目標金額を達成したことで、地球の断面図パネルの設置を前提としてプランが立てられるようになりました。今は、第二弾の目標である「地球史カレンダー」の制作まで実施できるどうかを考えているところです。地球断面図(空間、3次元)と地球史(時間、1次元)を組み合わせて設置することで、4次元的に地球を捉えることができるようになります。鉱物のセレクトや配置により深みが増すことで、より良い展示室が完成すると考えています。 [caption id="attachment_3648" align="aligncenter" width="600"] 新設展示室のイメージ図[/caption] ーー最後に、展示室完成までの意気込みを一言でお願いいたします。 博物館好きな方も、ふらっと来た方も、誰でも楽しめるユニバーサルミュージアムを目指しています。クラウドファンディングの支援者のみなさんや、ボランティアの方のご協力のおかげで、みんなで作っているという感覚を持つことができ、大変嬉しく思っています。完成の際にはぜひ、「私のパネル」と言っていただきたい。8月のオープンまで全力を尽くします! ぜひ、ご期待ください。 * * * 山本先生は、よく北大博物館内をうろうろされているようです。作業着を来たおっちゃんを展示室で見かけたときは、話しかけてみてください。山本先生かもしれません。
山本順司准教授プロフィール 北海道大学総合博物館准教授。地学を専門とする准教授として務めています。地球形成時に存在したはずの隕石成分が地球深部に残っているのではないかとその名残を探し続け、国内外の研究機関を渡り歩いてきました。しかし、東日本大震災を機に地球内部の潜在的な影響力を社会に伝える必要性を強く感じ、2012年から現職に移りました。言葉では伝えにくい地球のスケール感を理解していただくため、体感型の展示活動や教材開発を進めています。

山本先生のクラウドファンディングチャレンジには4月10日現在、約110万円が集まっています。セカンドゴールの達成まであと30万円。期間は4月21日までとなっています。みなさんのご支援をお待ちしております!

【academist挑戦中】北大博物館に100万分の1スケールの地球断面図を作りたい!

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有機分子のなかを伝わる「粒子」と「波動」の中間的な電荷 - その性質が明らかに https://academist-cf.com/journal/?p=4140 Tue, 11 Apr 2017 01:00:57 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4140 「粒子」と「波動」? 「粒子」と「波動」の中間、と聞くと、学生時代に量子論を学んだ懐かしい(忌まわしい?)記憶がよみがえる方もいるかもしれません。それまでは電磁波という「波動」だと考えられていた光が、振動数×プランク定数で表されるエネルギーをもった「粒子」としての性質を示し、一般には「粒子」だと認識されている電子が、運動量をプランク定数で割った長さの波長をもつ「波動」として振舞うーーこのアインシュタイン・ドブロイの関係は、この世のすべての物質にあてはまる量子力学の基本なので、有機分子のなかの電荷が「粒子」と「波動」の中間だとしても、至って当たり前のように思われるかもしれません。 しかし、我々の身体が「波動」性を示すことがまずないように、ほとんどのものは「粒子」か「波動」どちらかの性質しか表に現しません。たとえば、物質内部を流れる電流の基本単位を電荷といいますが、電池のなかを流れる電荷である正負のイオンは専ら「粒子」として振舞う一方で、シリコンのような半導体の内部にある電荷は「波動」として取り扱ったほうが伝導現象をよく説明できることが知られています。両者の中間的な性質がひとつの物質に同時に現れることは多くなく、だからこそ量子論が我々にとって実感しにくい難解なものであるとも言えるのです。

有機半導体のなかの電荷

有機ELが薄型テレビやスマートフォンのディスプレイとして社会的に浸透していることに代表されるように、有機エレクトロニクスはすでに我々にも身近な“技術”になっています。しかし、この技術の根底にある“科学”には未解明な点が残されています。エレクトロニクスは、文字どおり電子(エレクトロン)の動きを操る技術ですが、有機エレクトロニクス素子のなかで電子がどのようなメカニズムで流れるのか、という点についても、完全には解明されていません。そもそも有機材料の多くは電子を流しにくい絶縁体です。電気を流す有機分子の存在が発見されたのは今から70年ほど前のことです。電気伝導の特徴にシリコンのような無機物の半導体と共通する点があることに着目し、こうした有機分子をはじめて“organic semi-conductor (有機半導体)”と名付けたのは日本人研究者でした。 シリコンのなかで電荷が流れる原理は科学的にもよく解明されており、シリコン結晶の全体に拡がった「波動」的な性質の電荷が連続的に伝播していくと考えれば電気伝導の特徴は上手く説明できます。 シリコンのなかで電荷が拡がった状態でいられるのは、結晶を構成する原子が共有結合で緊密に結びついているからであり、こうした「波動」状態の電荷は物質のなかを速く移動することが可能です。反面、有機半導体については、分子それ自体は共有結合で出来上がっていますが、分子と分子とを結びつけているのはそれより遙かに弱い分子間力です。このため、標準的な有機半導体物質のなかでは、電荷は充分に拡がることができず、「粒子」として振舞います。こうした「粒子」的な電荷の移動は途切れ途切れであるため遅くなりますが、これはエレクトロニクスに用いるには不利な特性です。 一方で、ある種の有機半導体分子においては、分子と分子の間に拡がった「波動」的で比較的速く移動できる電荷が存在することが実験的にも知られています。高速応答が可能で省エネな有機エレクトロニクス素子の開発には、有機半導体のなかで「波動」的に拡がる電荷が不可欠ですが、そのためには電荷が「粒子」的から「波動」的に移り変わる原理を解明することが求められていました。

有機分子から電子を取り出してエネルギーと運動量を調べる

今回の研究で用いたペンタセンという分子は、フレキシブルなフルカラー有機ELディスプレイを駆動する有機トランジスタ材料として最初に用いられたことでも知られる代表的な有機半導体です。この分子の単結晶で作ったトランジスタが示す特性から、ペンタセンのなかでは伝導電荷が「粒子」と「波動」の中間的な状態になっているのではないか、ということは、大阪大学(現 東京大学)の竹谷純一教授の研究グループによって以前から提案されていました。このことを確認するためには、この物質のなかにある電子を実際に取り出して調べてみることが最も直接的な証拠になります。 試料から電子を取り出すのには、最初に説明した光の「粒子」性を利用します。試料に含まれる電子が紫外線「粒子」と衝突すると、跳ね飛ばされて外に飛び出します。このとき、衝突させた紫外線のエネルギーが既知であれば、飛び出した電子(光電子)の運動エネルギーを調べることで、電子がもともと試料内部で持っていたエネルギーがわかります。一方、電子の横方向の運動量(速度)は外に飛び出す前後で変化しないことを利用すると、電子を検出する角度によって運動エネルギーがどのように変わるかを調べることで、電子の速度とエネルギーの関係が実測でき、その試料のなかで電荷がどのくらい加速されにくいか、すなわち電荷の実効的な“重さ”を見積もることができます。 この手法の問題点は、試料から電子を取り出すことができる深さが、通常の測定条件では10億分の1メートル以下と、非常に薄いことです。これはペンタセン分子1個の大きさより短い距離ですが、ペンタセンの結晶表面では分子の並び方が乱れている可能性が指摘されており、このままでは電荷の“重さ”を正確に測定することができません。 今回の研究では、通常用いられるより波長が2倍程度長い紫外線を利用することで、より内側にある電子を取り出して調べることに成功し、ペンタセン単結晶内部を流れる電荷の“重さ”が自由電子の3.5倍程度であることを明らかにしました。さらに、この電荷が「粒子」的・「波動」的それぞれの場合について、測定された“重さ”から伝導電荷の速さを理論的に計算し、実際のトランジスタデバイスについて報告されている電荷の移動速度と比較した結果、ペンタセン単結晶内部における伝導電荷が両者の中間的な状態であることが示されました。

「波動」的な電荷を速く流すことができる有機半導体物質を実現するためには?

有機半導体のなかの電荷を“重く”加速されにくい「粒子」的な性質にしてしまう要因のひとつに、分子の熱振動が挙げられます。熱の実体は物質を構成する原子や分子の動きです。つまり、温度が高くなるほど熱振動は激しくなりますが、分子の振動は有機半導体のなかの電荷を動きにくくしてしまいます。 実際、ペンタセン単結晶の温度を室温から-150°Cまで冷却すると、電荷が2割ほど“軽く”なる、つまり「波動」的に動きやすくなることを、今回の研究により確認することができました。 分子の構造によって熱振動の度合いは変化し、同じ温度でも、激しく振動する分子もあれば、振動が穏やかなものもあります。本稿で紹介した電荷の“重さ”を量る手法を用いることで、どのような分子が“軽く”「波動」的な電荷をもち、温度を上げても「粒子」的になりにくいか、ということが解明されれば、高温環境におかれても電荷を速く動かすことができる高速・省エネな半導体資源を、炭素と水素のような膨大に存在する元素を主原料として化学合成のちからで創造できる可能性が拓かれるでしょう。
参考文献 Y. Nakayama, et al., “Single crystal pentacene valence band dispersion and its temperature dependence”, The Journal of Physical Chemistry Letters, 8 (2017) 1259-1264. T. Uemura, et al., “Temperature dependence of the Hall effect in pentacene field-effect transistors: Possibility of charge decoherence induced by molecular fluctuations”, Physical Review B, 85 (2012) 035313. 中山泰生, 石井久夫, 「有機半導体単結晶の価電子バンドの実測」表面科学, 35 (2014) 215-220.(本文はhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jsssj/35/4/35_215/_article/-char/ja/から無償で閲覧可能)]]>
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スイマー・マイクロレオロジー:ソフトマター中のマイクロマシンの新しい遊泳機構 https://academist-cf.com/journal/?p=4162 Fri, 14 Apr 2017 01:00:32 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4162 微生物の遊泳原理:「ホタテ貝の定理」 遊泳するマイクロマシン(スイマー)の研究は、バクテリアや精子などの微生物の流体内運動との関連で注目を集めています。一般的にスイマーは、自身が持つ可動部位を周期的に形状変形させることで前進します。水のような粘性流体中のスイマーの運動に関しては、Purcellによって提唱された「ホタテ貝の定理」と呼ばれる力学的な制約があることが知られています。この定理によると、慣性が無視できる微小な物体は、その形状変形の時間反転対称性が保たれている(すなわち往復的な形状変形である)限り、変形によって移動をしても一周期後には再び元の位置に戻ってしまいます。たとえば、水中のホタテ貝が2枚の貝を開閉させるだけでは、同じ場所を中心に前後に振動するだけで、遠くへ移動できません。 そのため、粘性流体中でスイマーが移動するためには、何らかの時間反転対称性を破る形状変形が必要となります。いくつか提唱されている遊泳モデルの中で、NajafiとGolestanianによって考案された「三つ玉スイマー」は、粘性流体中で並進運動を獲得するミニマムモデルになっています。三つ玉スイマーは2つの可動アームを持っており、アーム運動の時間反転対称性を破ることによって一方向に遊泳することができます。 [caption id="attachment_4163" align="aligncenter" width="600"] 高分子やゲルなどのソフトマター中を遊泳する三つ玉スイマー[/caption]

細胞の粘弾性を測定:マイクロレオロジー

一方、マイクロレオロジーとは、コロイド粒子などの微粒子のブラウン運動や外力に対する応答を検出することによって、高分子溶液やゲルなどのねばねばとしたソフトマターの粘弾性を調べる最先端の実験手法です。ここでレオロジーとは、物質の変形や流動を扱う学問であり、粘弾性とは、物質が変形の周波数に応じて粘性的(液体的)や弾性的(固体的)に振る舞う性質を意味しています。 最近では、マイクロレオロジーの手法を使って、生きている細胞1個の力学応答や粘弾性的な性質も測定できるようになっています。また微粒子のブラウン運動を観察するパッシブ・マイクロレオロジーと、光ピンセット法(集光したレーザー光を用いて微小物体を操る方法)で微粒子に外力を加えるアクティブ・マイクロレオロジーを組み合わせることで、細胞や生体系の非平衡性を定量的に調べることが可能になりつつあります。

ソフトマター中のスイマー:「ホタテ貝の定理」の破れ

我々の研究グループは、水のようなさらさらとした粘性流体中ではなく、ソフトマターのようなねばねばとした粘弾性体中を遊泳するマイクロマシンの動作機構について理論的に考察しました。具体的には、アクティブ・マイクロレオロジーで使われている基本式を三つ玉スイマーに適用することで、スイマーの遊泳速度とソフトマターの複素粘性率を結びつける関係式を導出しました。この複素粘性率は周波数に依存しており、その実部と虚部がそれぞれ粘弾性体の粘性率と弾性率の情報を含んでいます。 この関係式によると、スイマーが粘弾性体中を遊泳する場合、必ずしも「ホタテ貝の定理」が成り立たないことがわかりました。すなわち、粘弾性体中のスイマーは、たとえその形状変形の時間反転対称性が保たれていても、スイマー自身の構造対称性が破れていれば、有限の速度で移動可能であることが理論的に示されました。三つ玉スイマーの場合、2つの可動アームの振幅を異なる長さに設定することによって、スイマーの構造対称性を破ることができます。

新しい測定手法:スイマー・マイクロレオロジー

得られた遊泳速度について、媒質が水のような粘性流体である極限を考えると、Golestanianらによって得られた以前の関係式に帰着します。また、スイマーの構造対称性を保持すると、粘弾性体の粘性率のみの情報が得られます。そのため、このたび三つ玉スイマーで得られた表式は、ソフトマター中のスイマーの運動に関する「一般化されたホタテ貝の定理」を示唆する結果になっています。すなわち、三つ玉スイマーがソフトマター中を遊泳するには2通りの可能性があり、一方は形状変形の時間反転対称性を破ることであり、他方はスイマーの構造対称性を破ることです。前者の機構はソフトマターの複素粘性率の実部(粘性率)を、後者の機構はその虚部(弾性率)をそれぞれ反映するため、両方の機構を独立に測定することにより、媒質としてのソフトマターの粘弾性的性質が明らかになります。 [caption id="attachment_4164" align="aligncenter" width="600"] スイマーの遊泳速度と形状変形の周波数の関係[/caption] このように、スイマーの平均遊泳速度からソフトマターのレオロジー的性質がわかるため、本論文で提唱された測定手法は「スイマー・マイクロレオロジー」と命名されました。この研究成果は、ソフトマター中のマイクロマシンの遊泳機構を与えるとともに、新しいタイプのアクティブ・マイクロレオロジーの基本原理となることが期待されます。 本研究は、これまでほぼ独立に行われてきたマイクロスイマーの研究とマイクロレオロジーの研究を融合するものになっています。具体的な予測のひとつとして、特徴的な緩和時間をもつ典型的なソフトマター中では、スイマーの形状変形の周波数を大きくすればするほど(もがけばもがくほど)遊泳速度は却って遅くなる場合があり、これは我々の日常感覚とも一致します。今後は三つ玉スイマー以外のより一般的なモデルでの理論的な取り扱いや、構造非対称性を有するマイクロスイマーを実際に構築することが望まれます。

将来の夢:非平衡系のマイクロマシン

一般に微生物が遊泳する環境は単なる粘性流体ではなく、ソフトマターのように粘弾性的な振る舞いを示す場合が多いことが知られています。今回三つ玉スイマーの遊泳で得られた知見は、ソフトマター中のバクテリアの運動や、細胞の鞭毛運動、繊毛の波打ち運動などを理解するための重要な指針となるでしょう。逆に微生物の運動様式を調べることによって、微生物が住む環境の粘弾性の情報を得ることも可能となります。 微生物よりもさらに小さなスケールに注目すると、たとえば細胞内のように多数の生体分子で混み合った環境も粘弾性的性質を示し、細胞中の物質輸送に大きな影響を及ぼします。近年では、細胞内における非平衡性と粘弾性に起因する異常な拡散現象が実験的に報告されており、細胞内のゆらぎや物質移動の違いから正常細胞とがん細胞を識別する新しい医療診断法にも期待が高まっています。スイマー・マイクロレオロジーの概念は、粘弾性的な細胞内の様々な動的現象や非平衡現象の理解の一助となると考えられます。 一方、分子マシンは2016年のノーベル化学賞の受賞対象となりましたが、真に機能するマシンを構築するためには、環境の粘弾性を考慮することが重要であり、さらに分子構造として導入すべき非対称性を精密に設計する必要があることが、本研究より明らかになりました。新たに提唱されたスイマー・マイクロレオロジーのアイディアをきっかけとして、将来的にはマイクロマシンやナノマシンの実現に向けた基礎と応用の両面にまたがる新しい研究の展開が期待されます。   参考文献 E. M. Purcell, Am. J. Phys. 45, 3 (1977). A. Najafi and R. Golestanian, Phys. Rev. E 69, 062901 (2004). K. Yasuda, R. Okamoto, and S. Komura, J. Phys. Soc. Jpn. 86, 043801 (2017).]]>
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食べられる再帰性反射材を作ってみた! - 意外な食材が鍵に https://academist-cf.com/journal/?p=4169 Thu, 13 Apr 2017 01:00:50 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4169 きっかけは学生の課題 画像の撮影にはレンズが使われているのですが、そのフォーカスやズームなどを高速に変えられると、ぐっとできることが増えます。そこで、これを可能にするために液体を利用した光学デバイスについても研究してきました。ご存知のとおり水や多くの油は透明で、ガラスなどと同様に光を透過したり屈折したりします。そのため、液体でもその形状を適切に制御できればレンズやプリズムとして機能するはずです。ただし、レンズやプリズムとして機能するためには精密に液体の形を制御しなくてはいけません。これは容易ではないのですが、適切な容器を設計すれば可能です。そこで、液体を利用して、焦点距離を2/1000秒で制御可能な可変焦点レンズなどを研究・開発してきました。 この研究を進める傍らで、大学の授業で液体光学デバイスを紹介し、課題として受講生に身のまわりの液体で何らかの光学デバイスを作成して発表してもらいました。すると、少なくない受講生が、ゼリーや氷などの食べられる素材でレンズなどを作成してきてくれました。これを見たときに、食品と光学素子は相性がよいことに気が付き、はっとしました。確かに多くの食品は液体で、透明なものも多い。ということは光学素子の形成に適しているということになります。 とはいうものの、食品で作ることでメリットがある光学素子をすぐには思いつきませんでした。レンズなどを作ることはできそうでしたが、食べられて面白い、以外のメリットがなかなか見当たりません。面白いというのは重要な要素ではありますが、それだけだと学術的なインパクトに欠けてしまいます。また、飴などでレンズを作って光学教育に利用しようという取り組みがアメリカなどですでに行われており、単にレンズを作ってもこれの後追い研究になってしまい、独自性が弱くなることもわかりました。そのため、このアイデアは頭の片隅にしまっておきながら、しばらく寝かせることになりました。

プロジェクションマッピングから再帰性反射材へ

その後、動きまわる対象に映像をピッタリと重なるように投影する、新しいタイプのプロジェクションマッピングの研究に取り組み始めました。これができると日常生活のなかのいろいろな物体に映像を重ねて提示できるので、身のまわりのすべての物体をディスプレイとして利用できるようになります。いろいろと工夫を重ねた結果、リフティングしている卓球の球に可愛い顔のアニメーションを投影するなどのデモンストレーションができるようになりました。この技術は「ルミペン」と名付けて発表され、複数の賞を受賞するなど好評を博しました。 [caption id="attachment_4207" align="aligncenter" width="600"] ルミペンの例。リフティングしている卓球に表情をプロジェクションマッピングしている[/caption] この研究を行いながら、料理にプロジェクションマッピングができたら面白いかもしれないと思い始めました。皆さんもご存知のように、料理では見た目もすごく重要です。これまでは料理人がその見た目にこだわっていろいろな工夫を凝らしてきたわけですが、料理は物体なので、その見せ方には限界がありました。ところが、プロジェクターを利用すれば動画による演出も可能になるので、これまでとはまったく異なる見せ方が可能になります。たとえば結婚披露宴で、ケーキに入刀するとケーキの上に星がきらめくような演出ができたら多くの人が喜んでくれそうです。 しかしその一方で、難しい点があることにも気が付きました。ルミペンでは対象の位置や姿勢を計算機が画像から認識しているのですが、料理は非常に複雑な形状であることが多く、画像から認識させることが難しい対象です。このような場合には、再帰性反射材と呼ばれるカメラから明るく見える物体を目印として対象に付与して計算機にわかりやすくすることが多いのですが、通常の再帰性反射材はプラスチックやガラスなどの食べられない素材でできていますので、料理の上に載せるのは誤食・誤飲の危険もあり好ましくありません。 ここで、昔寝かせておいたアイデアに思い至ります。実は再帰性反射材は光学素子の一種で、透明なプラスチックなどを特殊な形状に成型することで、入ってきた光をその方向に反射する物なのです。これを食べられる素材で作ることができれば、食べられる再帰性反射材ができそうです。食べられるものであれば料理の上に載せても人間に害はありませんし、プロジェクションマッピングによる料理の演出も可能になりそうです。

寒天が肝心

さて、研究の論理は立ったのであとは作るだけです。ちょうど卒業論文のテーマとして選択してくれた学生さんがいたので、彼と2人で勇んで試作を始めました。ところが予想以上に難しく、失敗を繰り返すことになりました。素材として透明な食材で、成型ができそうな飴やゼリーの素、こんにゃくなどを試していったのですが、なかなかうまくいきません。既製品の再帰性反射材を型として、そこでいろいろな素材を成型するのですが、ぱっと見は同じような外見でも、光をあててみると全く反射しないのです。どうやら再帰性反射材としての形状を精度よく再現できないことが原因のようでした。 かれこれ半年以上失敗し続けて、最後に寒天を試しました。寒天は透明度があまりよくなかったので試さずに候補から外していたのです。しかし、素材には適度な硬さがあったのでもしやと思い試してもらったところ、強い光を反射する試作品ができました。さらに、その試作品を目印としてケーキにプロジェクションマッピングをしてもらったところ、すごく安定してプロジェクションマッピングができることがわかりました。 [caption id="attachment_4171" align="aligncenter" width="600"] 寒天製の⾷べられる再帰性反射材[/caption]

おわりに

現時点で寒天を利用して再帰性反射材ができることがわかりましたが、まだその性能には改善の余地があり、また応用方法もほとんど未開拓です。ここまでは主に料理への応用を紹介しましたが、他にも医療用のデバイスとしても利用できる可能性があります。たとえば胃や腸の内壁に置いてあげると目印として使え、そのまま放置しておけば勝手に消化されてなくなるはずです。このような性質は検査や手術で利用できるのではないかと考えています。このように、いろいろな応用の広がりが期待できるデバイスですので、今後も積極的に研究を進めて行く予定です。 [caption id="attachment_4170" align="aligncenter" width="600"] ⾷べられる再帰性反射材をマーカーとしてケーキに⽂字を投影した様⼦。表⾯が銀⾊の直⽅体が試作品をチョコレートと組み合わせたマーカー[/caption]]]>
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蚕業革命の実現を目指して - 徳島大・伊藤教授のサイエンスカフェ開催レポート https://academist-cf.com/journal/?p=4197 Mon, 17 Apr 2017 09:00:47 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4197 組換えカイコで「リソソーム病」の治療薬を作りたい!」で目標金額を達成した、徳島大学・伊藤孝司教授の主催するサイエンスカフェが2017年4月1日(土)に東京で開催されました。 今回のサイエンスカフェには、伊藤先生と共同研究者の瀬筒秀樹先生(農研機構 カイコ機能改変技術開発ユニット ユニット長)が登壇し、二部構成で講演が行われました。約1時間30分という短い時間ではありましたが、サポーターの皆さまと先生方のあいだで活発に質疑応答が行われました。今回、その様子を一部お届けいたします。

組換えカイコの利用と蚕業革命(瀬筒先生)

[caption id="attachment_4198" align="aligncenter" width="600"] 瀬筒秀樹先生(右)[/caption]

瀬筒先生の講演では、伊藤先生の研究を理解するのにも役立つ、 1. そもそもカイコとは何か 2. 今までのカイコの利用法 3. 今後の革新的カイコ利用法 というお話がメインで紹介されていました。

今まで絹糸を生産するために養蚕業で利用してきたカイコですが、近年遺伝子改変をすることにより、有用なタンパク質や新繊維を生産することができるようになりました。これは、今まで主に衣料分野に用いられてきたカイコを「医療」や「工業」にも利用できるようになることを意味します。瀬筒先生はこれを「蚕業革命」と呼び、新産業(新蚕業)を創り出すべく現在研究を行っています。

なぜ他の昆虫ではなく「カイコ」がこのような可能性を秘めているのでしょうか。その理由はカイコが紡ぐ絹糸の性質にあります。

[caption id="attachment_4199" align="aligncenter" width="600"] 絹糸は「セリシン」と「フィブロイン」という性質の異なる2つのタンパク質から構成される[/caption] 水溶性であるセリシン部に有用タンパク質を含めるようカイコに遺伝子改変を行えば、繭を水に浸すだけで比較的夾雑物が少ない目的タンパク質を得ることができます。また、セリシンに包まれて存在しているフィブロイン部に改変を行うと、繊維としての特性を変化させることができます。たとえば、2008年頃から話題になっている「光る絹糸」は、フィブロイン部に蛍光タンパク質GFPを含むようカイコに遺伝子改変を行って得られたものです。セリシンとフィブロイン、このそれぞれの性質により、繭(絹糸)を利用した医療や工業への応用が可能になっているのです。 また、カイコ一頭を育てて0.5 gの繭を得るのに必要なエサ(桑の葉)は約20gとされており、お金でいうと約2円に相当します。他の製薬技術で用いられる哺乳類細胞の培養よりもはるかに安いコストで運用ができるという点で、遺伝子組換えカイコによる有用タンパク質生産が注目されています。

カイコにリソソーム病の治療薬を作らせる研究の途中経過(伊藤先生)

[caption id="attachment_4226" align="aligncenter" width="600"] 伊藤先生[/caption] 酵素の変異が原因となり、リソソーム内で分解されるべき生体物質が蓄積され異常をきたすのがリソソーム病です。今回伊藤先生は、このなかでも「ガラクトシアリドーシス」と 「ムコ多糖症1型」という2種類の病気の治療薬に関する研究成果を紹介しました。 まずこれらの病気の治療には、以下のような欠損している酵素の補充が有効と考えられています。 ガラクトシアリドーシス:「カテプシンA」が有効。蓄積した糖の分解に関わるβ-ガラクトシダーゼの安定化とノイラミニダーゼの活性化をする役割 ムコ多糖症1型:「α-L-イズロニダーゼ」が有効。ムコ多糖を分解する役割 しかし治療には、ただこれらの酵素を投与すればよいだけではなく、酵素表面の糖鎖に気を配る必要があります。酵素をリソソーム内に輸送するには、酵素表面に結合している糖鎖とリソソームの膜に存在するレセプターを結合させなければいけないからです。 今回伊藤先生は、 ・これらの病気で欠損している酵素を遺伝子組換えカイコの絹糸腺で発現させ、精製 ・得られた酵素の糖鎖を分析 ・得られた酵素がリソソーム上のレセプターに結合するよう糖鎖修飾 ・リソソーム内への酵素輸送の有無と酵素活性の有無の分析 を行い、各酵素がリソソーム内に輸送され酵素活性を示したことを確認しました。 今後は繭由来ヒトリソソーム酵素の分子特性や品質の評価、付加されている糖鎖の詳細解析などの研究を進めていく予定だそうです。 [caption id="attachment_4200" align="aligncenter" width="527"] 今回の遺伝子組換えカイコ由来のヒトリソソーム酵素研究のポスター[/caption] 質疑応答では「何頭ぐらいのカイコがいれば着物が作れるのか?」「どのような環境でカイコを飼うのか?」などのカイコ自体に対する質問から、「昆虫ウイルスが遺伝子組換えカイコに感染する可能性は?」「カイコで生産できないタンパク質はあるのか?」「マウスによる生体実験ではどのように結果の評価を行うのか」などのカイコ応用に関する質問まで幅広く話題にあがり、大変盛り上がっていました。 欧米ではあまり養蚕が行われないため、現在日本でのカイコ研究は世界的に見ても比較的進んでいる状態と言えます。もし、カイコによる薬生産技術が確立したら……。もし、その薬生産技術を日本全国の養蚕農家さんが実行できるようになったら……。日本がカイコ創薬の分野で最先端を走る日は、案外近いかもしれません。 伊藤先生はサイエンスカフェの終わりに「ご支援と応援ありがとうございます。皆さまからのご支援は確実に研究成果に繋がってきています」と、今後とも研究に励む旨を語っていました。カイコ創薬の未来を背負う伊藤先生の今後の研究に、引き続きご注目ください!]]>
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チンパンジーは「三にして立つ?」- 行動研究から示唆されるチンパンジーの栄養的自立の時期 https://academist-cf.com/journal/?p=4203 Fri, 21 Apr 2017 01:00:59 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4203 調査の一場面。現地の調査アシスタントと共に、チンパンジーを追いかける[/caption]

ヒトの離乳時期は「早い」

ヒトの進化の過程を考えるうえで、特に、ヒトとその他の霊長類の「生活史(性成熟する年齢、初産の年齢、寿命など)」を比較することは、重要な方法のひとつです。先行研究により、「離乳時期の早期化」がヒトの生活史の特徴として挙げられます。狩猟採集などを生業としているヒトの集団を網羅的に調査した研究によれば、赤ちゃんがおよそ2.5〜3歳になった時期に、母親は授乳をやめるとされています。ヒトに遺伝的に最も近いチンパンジーの離乳時期は、お乳をくわえるのをやめる時期や、母親が次の子を妊娠する時期を基準に4〜5歳とされてきました。 赤ちゃんが早く離乳すると、母親はより短い間隔で次の子を妊娠することができます。つまり、「離乳時期の早期化」は、ヒトが多産になったことと関連付けられます。ヒトの祖先は、森で暮らし続けた類人猿の祖先とは対照的に、捕食者による危険が大きい開けた環境で暮らしていたと考えられており、ヒトの「離乳時期の早期化」は、こうした環境への適応と関係していると考えられています。

赤ちゃんにとっての離乳=栄養的自立の時期

一方、ヒトとチンパンジーでは、離乳時期を調べる方法が両者で異なっていることが問題点として挙げられます。ヒトは「母親からの聞き取り」のデータに基づいているのに対し、チンパンジーは「お乳をくわえなくなる時期」や「母親が次の子を妊娠する時期」など、主にフィールドでの観察から得られたデータに基づいてきました。こうしたデータでは、乳首をくわえているだけで実際にお乳を飲んでいない「甘え吸い」や、夜間に授乳している可能性を確かめることができず、赤ちゃんにとっての離乳時期、つまり「母乳への依存度を下げ、他の食物で栄養をまかなうことができる時期」を調べることができません。 しかし近年、長期にわたるフィールド調査の結果から、孤児が生き残ることができる境界の年齢が3歳前後であることがわかってきました。つまり、3歳以上の赤ちゃんは、母乳がなくとも生きていける可能性があります。また、多くの霊長類で離乳時期との一致がみられる第一大臼歯の萌出年齢が、野生チンパンジーでは3歳前後であることが明らかになりました。つまり、これらの最近の研究成果から、これまで考えられてきた「4〜5歳」より、チンパンジーの赤ちゃんは早期に栄養的に自立している可能性が示唆されます。 [caption id="attachment_4220" align="aligncenter" width="600"] 3歳近いチンパンジーの赤ちゃんが、操作の難しい食べ物を自力で食べている様子。お母さんが赤ちゃんの食べる様子を覗き込んでいる。その他の個体は毛づくろいしている[/caption]

赤ちゃんの食べ方は3歳前後で大きく変化

そこで本研究では、タンザニアのマハレ山塊国立公園(以下、マハレ)でフィールドワークを行い、野生チンパンジーの赤ちゃんの食生活の発達変化を調べました。マハレは、京都大学を中心とした研究チームが、50年近くにわたって野生チンパンジーの観察を続けているフィールドです。野生のチンパンジーはオスが比較的人に慣れやすいのに対し、メスは人を警戒しやすいため、観察が難しいとされてきました。マハレは長期調査のおかげでチンパンジーが人によく慣れており、特に赤ちゃんの詳細な観察が可能であるという点で、世界でも有数のフィールドであると言えます。マハレでの2年近い観察の結果、チンパンジーの赤ちゃんは3歳前後において以下の3つの傾向を示すことがわかりました。 ・より長い時間を採食に費やす ・消化の難しい「葉」をより長い時間採食する ・他個体からの分配なしに、自力で「物理的に処理の難しい食べ物」を採食する [caption id="attachment_4221" align="aligncenter" width="600"] 横軸は月齢。点線は3歳を示している。 [A] 乳首接触時間割合の発達変化。従来の離乳の定義と同じ、4〜5歳で大きく減少する。 [B-1] 採食時間割合の発達変化。3歳前後で大きく増加し始める。 [B-2] 葉の採食時間割合の発達変化。3歳前後で大きく増加する。 [B-3] 操作の難しい食べ物を、他個体からの食物移動に依存する時間割合の発達変化。3歳前後で大きく減少する[/caption]

食生活の変化は、赤ちゃん特有の問題の解決?

赤ちゃんは大人と違って消化器官や身体機能が未発達なので、赤ちゃんならではの食べ難さがあると言えます。植物の葉は一般的にタンパク質含有量が高く、野生チンパンジーにとって重要な食物です。しかし、葉はタンニンなど2次代謝物を多く含むため、消化器官が未発達な赤ちゃんにとっては多く食べられないものであると言えます。本研究結果から、3歳前後のチンパンジーの赤ちゃんは、葉を長時間食べることができるようになる、ということがわかりました。また、赤ちゃんは咀嚼器官などが未発達のため、たとえば硬い殻に覆われた果実など、自力で採食が困難な食物が存在します。本研究結果から、3歳前後の赤ちゃんは、そういった「物理的に処理の難しい食物」を、他個体からの食物分配を受けずに、自力で採食する時間割合が高くなる、ということがわかりました。 これらの結果をまとめると、チンパンジーの赤ちゃんは3歳前後において、赤ちゃんならではの食べ難さが緩和し、大人と同様の食べ方ができるようになる、と言えます。つまり、本研究は、「野生チンパンジーの赤ちゃんが、これまで考えられていた離乳時期よりもかなり早い段階で、母乳への依存度を大きく下げている」という予想を、行動学的見地から初めて支持したものと言えます。

人類進化への洞察:離乳という現象を捉え直す

これまで、「お乳をくわえなくなる時期は、赤ちゃんが栄養的に自立する時期と一致している」と、当たり前に考えられていました。しかし本研究は、この「当たり前」を見直す必要があることを示しています。そこで、この観点から先行研究を調べ直してみました。離乳時期について調べられている類人猿(チンンパンジー・ゴリラ・オランウータン)以外の霊長類では、「お乳をくわえなくなる時期」「赤ちゃんが栄養的に自立する時期」「母親が次の子を妊娠する時期」が概ね一致していました。しかし、類人猿においては、「お乳をくわえなくなる時期」と「母親が次の子を妊娠する時期」は一致するものの、「赤ちゃんが栄養的に自立する時期」がかなり前である可能性があります。本研究は、これまで「離乳」という言葉でひとくくりにされてきた、これらの時期のずれの存在を、行動から初めて示唆した研究と言えます。 翻ってヒトの特徴を考えると、ヒトは「赤ちゃんが栄養的に自立する時期」よりも前に、「母親が次の子を妊娠する時期」がくることが可能です。この特徴は、類人猿と比較すると、より特殊なものであるということがわかります。このヒトの特徴的な離乳方法について重要な役割を果たしているのは、やわらかく調理され、なおかつ母親以外の誰かが赤ちゃんに与えることができる「離乳食」の存在かもしれません。本研究成果は、ヒトの進化の過程を考えるうえで、赤ちゃんにどのような影響があり、また、赤ちゃんがどのような役割を果たしたかを考察するための足がかりになると考えています。 参考文献 Matsumoto, T. Developmental changes in feeding behaviors of infant chimpanzees at Mahale, Tanzania: Implications for nutritional independence long before cessation of nipple contact. American Journal of Physical Anthropology, 2017. Tsutaya, T., Shimomi, A., Fujisawa, S., Katayama, K., & Yoneda, M. (2016). Isotopic evidence of breastfeeding and weaning practices in a hunter–gatherer population during the Late/Final Jomon period in eastern Japan. Journal of Archaeological Science, 76, 70−78. Matsumoto, T., Itoh, N., Inoue, S., & Nakamura, M. (2016). An observation of a severely disabled infant chimpanzee in the wild and her interactions with her mother. Primates, 57, 3−7.]]>
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深海に眠る海底鉱物資源を、人工熱水孔で「養殖」する! https://academist-cf.com/journal/?p=4210 Thu, 20 Apr 2017 01:00:20 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4210 深海底に眠る4種の海底鉱物資源 私たちの普段の暮らしは、さまざまな金属資源によって支えられています。鉄・アルミ・銅などの毎日のように目にする身近な金属だけでなく、たとえば合金材料に使われるコバルト、クロム、モリブデン、タングステン、強磁性磁石に必須のレアアースなど多様な金属資源を活用しています(磁石はモーターに必須の部品なので、ハイブリッドカー、風力発電機、携帯電話、ハードディスクなど多様な用途があります)。しかし、日本はその金属資源の多くを海外からの輸入に頼っているのが現状です。 一方で、四方を海に囲まれている日本は、世界第6位の排他的経済水域 (EEZ)を有しています。その深海底には、「マンガン団塊」、「熱水鉱床」、「コバルトリッチクラスト」、「レアアース泥」の4種類の海底鉱物資源が分布しており、将来の新たな金属資源の供給元として脚光を浴びています。今回の記事では、これらのうち海底熱水鉱床に注目していきたいと思います。

深海底に存在する高温の温泉≒海底熱水鉱床

水の沸点は圧力に応じて変化する、というお話はときどき耳にすることがあると思います。水の沸点は圧力が高いほど高くなるため、たとえば気圧の低い富士山の頂上では約88度ですが、水深1000メートルを超える深海底では300度を超える温度まで達することができます。海底の断層やひび割れを通じて海水が地層深くに染み込み、それが火山活動に伴うマグマの熱で温められて上昇するシステムを「海底熱水循環系」と言います。 この循環系によって、熱水は地層中のさまざまな元素を溶かし込み、熱水が海底面上に噴出して冷たい海水と触れることで、金属元素が沈殿します。これらの沈殿物には主に「銅・鉛・亜鉛 (±金・±銀)」が濃集します。このような、いわば深海底の温泉活動によって形成される金属資源が海底熱水鉱床であり、日本近海のEEZでは「伊豆-小笠原海域」と「沖縄トラフ」の2つの海域に分布しています。

人工熱水孔の形成とチムニー急成長

2010年9月~10月にかけて、地球深部探査船「ちきゅう」を用いた掘削調査航海(統合国際深海掘削計画第331次航海)が沖縄トラフで実施されました。本航海は、海底面下の極限環境に生息する微生物調査を主目的としていましたが、現在も活動的に熱水が噴出している沖縄トラフ伊平屋北海丘で掘削調査を実施したことにより、掘削孔から熱水が噴出する「人工熱水孔」が4つ形成されました 。 [caption id="attachment_4212" align="aligncenter" width="600"] 裸孔の人工熱水孔上で観察された急成長するチムニー[/caption] その後、海洋調査船「なつしま」・「かいよう」、無人探査機「ハイパードルフィン」を用いて、定期的な人工熱水孔の観察や、熱水・岩石・生物試料を採取する潜航調査航海が実施されました。 4つの人工熱水孔のうち、伊平屋北海丘オリジナルサイトの熱水活動の中心に位置するNorth Big Chimneyマウンドの人工熱水孔(Hole C0016A)上には、私たちの予期せぬ現象が観察されました。掘削5ヶ月後、人工熱水孔上に高さ4メートルのチムニーが成長していたのです。さらにこのチムニーは、熱水試料採取のために途中で折ったにも関わらず、掘削11ヶ月後には高さ7メートルまで急成長している様子が観察されました。 チムニーとは、海底の熱水活動によって供給された金属元素が、海底面上で硫化鉱物、酸化鉱物、珪酸塩鉱物、硫酸塩鉱物などとして沈殿し、熱水噴出孔の周囲に形成される煙突状の岩石を指します。このようなチムニーの急成長は、海底火山活動や地震活動に伴って観察された例はありますが、大変に珍しい現象です。

チムニーの中身や成分は?

採取されたチムニー試料を用いて、研磨片による顕微鏡観察やさまざまな化学分析が実施されました。人工熱水孔上に急成長したチムニーは、海水と触れる最外部は硬石膏 (CaSO4)、石膏 (CaSO4・2H2O)の硫酸塩鉱物が卓越しています。一方、チムニーの内側は閃亜鉛鉱(ZnS)と黄銅鉱(CuFeS2)の樹枝状組織が卓越し、その間を方鉛鉱(PbS)が埋める組織を呈します (a)。下図に示した画像は、チムニー研磨片の後方電子散乱画像と呼ばれる画像で、白色ほど密度が大きく、黒色ほど密度が小さい物質でできていることを示しています。このような樹枝状組織以外にも、硫酸塩鉱物の一部が溶解したことに由来する骸晶組織 (b)や、化学組成累帯構造を示す球状黄鉄鉱(c)、未同定の針状亜鉛硫酸塩鉱物(d) など、陸上の黒鉱鉱床ではあまり観察されない初生的な鉱物組織が普遍的に観察されます。 黒鉱鉱床は、島弧 ・背弧型の海底熱水鉱床が陸上に露出したものです。日本列島にも日本海拡大に伴うグリーンタフベルト広く分布しており、銅-鉛-亜鉛鉱床として盛んに採掘されて日本の高度経済成長期を支えました。沖縄トラフの海底熱水鉱床は、陸上黒鉱鉱床の「現代版」といえるでしょう。 [caption id="attachment_4213" align="aligncenter" width="600"] 人工熱水孔上に生成したチムニー研磨片の後方散乱電子画像[/caption] 次にチムニーがどのような元素で構成されているかに着目すると、人工熱水孔上に生成したチムニーは、最外部の硫酸塩鉱物に富む部分を除くと、平均で銅4.5%、鉛6.9%、亜鉛30.3%、321ppmの銀および1.35ppmの金が含まれています。これらの有用金属元素濃度は、陸上の高品位黒鉱鉱石に匹敵するかそれよりも高い値です。したがって、人工熱水孔上のチムニー急成長とその有金属元素濃度の高さから、海底熱水鉱床を養殖しようというユニークなプロジェクトが2012年にスタートしました。

黒鉱養殖装置の開発と設置・回収

人工熱水孔を用いた海底熱水鉱床養殖プロジェクトを開始するにあたって、私たちがいまだによくわかっていない基礎的データが、熱水の「流量」です。流量がわかれば、熱水中の溶存金属濃度と掛け合わせることで、各元素のフラックス (流束)を求めることができ、ひとつの人工熱水孔から沈殿させることが可能な金属量の見積もりを行うことができます。また、無人探査機が扱える機器には重量制限があることから、まずは下図のような小型の黒鉱養殖装置を開発しました。本装置には鉱物を沈殿させるセル部に加えて、熱水の温度・圧力、流量、セル部沈殿物の重量変化を測定するロードセルおよびそれらのセンサーロガーが装着されています。 [caption id="attachment_4214" align="aligncenter" width="600"] KR16-17航海における黒鉱養殖装置回収の様子[/caption] これらの装置を2016年2月~3月および2016年11月~12月にかけて行われた地球深部探査船「ちきゅう」の二度の航海(CK16-01航海,CK16-05航海)において、沖縄トラフ伊平屋海丘オリジナルサイトと伊平屋小海嶺南麓野甫サイトに、合計3基設置しました。 そして、2016年12月~2017年1月の深海調査研究船「かいれい」および無人探査機「かいこうMk-IV」を用いて行われたKR16-17航海において、約10ヶ月間にわたって人工熱水孔上に設置された2基の小型養殖装置の回収に成功しました。本装置が小型とはいえ、空中重量300 kgを超える機器であり、このような重量物の回収オペレーションは、「かいれい」「かいこうMk-IV」にとって初めての経験であり、さまざまな困難がありましたが、研究者・技術者・乗組員の英知が結集されて、課題がひとつずつクリアされていきました。本航海によって、10ヶ月という長期間にわたって熱水の物理計測に成功しただけでなく、セル部には鉱床の元となる鉱物がぎっしりと詰まっていました。 今後、これらのセンサーデータや沈殿物の詳細な解析を行い、より効率的な養殖方法を模索する予定です。まだまだ発展途上のプロジェクトですが、今後の研究にご期待ください! 参考文献 1. Kawagucci, S., Miyazaki, J., Nakajima, R., Nozaki, T., Takaya, Y., Kato, Y., Shibuya, T., Konno, U., Nakaguchi, Y., Hatada, K., Hirayama. H., Fujikura, K., Furushima, Y., Yamamoto, H., Watsuji, T., Ishibashi, J. and Takai, K. (2013) Post-drilling changes in fluid discharge, mineral deposition patterns and fluid chemistry for the seafloor hydrothermal activity in the Iheya-North hydrothermal field, Okinawa Trough. Geochemistry, Geophysics, Geosystems, 14, 4774-4990. 2. Nozaki, T., Ishibashi, J.-I., Shimada, K., Nagase, T., Takaya, Y., Kato, Y., Kawagucci, S., Watsuji, T., Shibuya, T., Yamada, R., Saruhashi, T., Kyo, M. and Takai, K. (2016) Rapid growth of mineral deposits at artificial seafloor hydrothermal vents. Scientific Reports, 6, 22163. 3. Takai, K., Mottl, M. J., Nielsen, S. H. H. and the IODP Expedition 331 Scientists (2012) IODP Expedition 331: Strong and expansive subseafloor hydrothermal activities in the Okinawa Trough. Scientific Drilling, 13, 19-27.]]>
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月、地球、太陽が一直線に並ぶとき…月面に到達する地球起源酸素の観測に成功! https://academist-cf.com/journal/?p=4243 Tue, 18 Apr 2017 01:00:55 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4243 太陽風と地球磁気圏 私たちの母なる星「太陽」。実は非常に活動的であることが知られています。太陽の表面では、フレアと呼ばれる巨大な爆発が活発に起こり、可視光や紫外線やX線などの電磁波以外に、電気を帯びた陽子や電子、微量のヘリウム、炭素、酸素などの荷電粒子が秒速300~900km(平均約500km)の高速で放出されています。この荷電粒子の流れのことを「太陽風」と呼びます。太陽風は1億5千万km離れた地球まで到達しますが、地球は磁気を帯びており、その磁力線によって太陽風から守られています。 [caption id="attachment_4244" align="aligncenter" width="600"] 図1:太陽と地球磁気圏と月の位置関係の概念図(地球軌道を真横から見たところ)[/caption] 北極域から南極域へと繋がる磁力線は対称な形ではなく、太陽方向(昼側)では太陽風の圧力で圧縮され、太陽と反対方向(夜側)では彗星の尾のように引き延ばされ、吹き流しのような形をした空間(地球磁気圏)ができていることがわかっています。通常、磁気圏内の荷電粒子(プラズマ)の密度は低いのですが、この中央部には荷電粒子が沈降して密度や温度が高くなったシート状の吹きだまりがあり、「プラズマシート」と呼ばれています(図1は地球軌道を真横から見たところ、図2は地球軌道を真上から見たところ)。月は約28日かけて地球の周りを一周しますが、そのうち約5日間はこの磁気圏の中を通過し、さらに数時間〜半日のあいだ、プラズマシートを横切ります。 [caption id="attachment_4260" align="aligncenter" width="600"] 図2:今回、プラズマ観測した時の地球磁気圏と月の位置関係(地球軌道を真上から見たところ)[/caption]

月周回衛星「かぐや」が観測した地球起源の酸素イオン

月周回衛星「かぐや」は、2007年9月に打ち上げられた探査機です。「かぐや」には、地形カメラや高度計、γ線やX線の測定器、プラズマ観測装置など、14種類の観測装置が搭載され、2009年6月に月面に計画衝突するまで、月の起源と進化に関する有益なデータを取得しました。今回、2008年に取得した月面上空約100kmのプラズマデータに着目し再解析したところ、「かぐや」が月とともにプラズマシート(図2のシャドー部分)を横切る場合にのみ、高エネルギーの酸素イオン(O+)が現れることを発見しました (図3のスペクトルの赤線部分 約104count/cm2/secに相当)。 [caption id="attachment_4246" align="aligncenter" width="600"] 図3:「かぐや」が観測した酸素イオンのエネルギースペクトル。プラズマシート通過時(図中の赤線(b))に、103〜104eVの有意な酸素イオンを検出[/caption] これまで、地球の極域から酸素イオンが宇宙空間に漏れ出ていることは知られていましたが、本研究により、「地球風」として38万km離れた月面にまで運ばれていることが、世界で初めて明らかになりました。

月表土の複雑な酸素同位体組成

特筆すべきは、検出したO+イオンが1〜10keVという高いエネルギーをもっていたことです。このようなエネルギーの酸素イオンは、金属粒子に衝突すると深さ数10nmまで貫入することが可能です。これまで、アポロ計画で採取された月表土の表面から数10〜数100nmの深さの酸素同位体は非常にユニークで、月本来の酸素同位体組成を示す成分以外に、16O-rich成分と16O-poor成分の3成分の存在が指摘されていました。この16O-rich成分は太陽風起源であることが2011年のアメリカ宇宙航空局NASAのGENESISミッションによって明らかにされましたが、16O-poorの起源についてよくわかっていませんでした。一方、地球のオゾン層(O3)の酸素同位体比は16O-poorであることが知られていました。今回の「かぐや」による観測は、地球のオゾン層起源の16O-poor成分と、月表土に見られる16O-poor成分を結びつける観測的な証拠として非常に重要な知見となります。

本研究の意義/面白さ

今回の発見は、月-地球システムが数十億年にわたって「力学的」だけでなく「化学的」にも影響を及ぼしあって共進化してきたことを初めて明らかにした点で学術的に重要です。また、地上数十kmのオゾン層と月表土の化学組成を観測的に関連づける今回の発見は、従来の学協会の枠を超えた学際的な知見として、多方面にインパクトを与えています。さらに、月の砂の表面層の同位体比から地球太古の大気組成が復元できる可能性を示しており、今後の進展に注目が集まっています。 終わりに
 「お月見」、「かぐや姫」、「潮の満ち引き」など、私たちの暮らしにとても馴染み深い「月」。惑星科学的に見ると、衛星/惑星比の非常に大きい特異な衛星であることがわかっています。このような大きな月が地球の周りを公転することにより、地球の地軸の傾きが安定し、生命を育む地球環境が安定に維持されていることは知られていましたが、そうした生命活動(光合成)で作られた酸素がオゾン層(O3)を形成し、そして「地球風」として38万km離れた月に到達し、月の表層環境に影響を与えているという知見が得られたことは、私自身驚きでした。以来、満月を見あげ地球の酸素が今ごろ月面に届いているのかなぁと思うたびに、「人智を超えた自然の営み」にロマンを感じワクワクしています。この記事を読んでくださったみなさんが、月を眺めたときに「月と地球のビミョーな関係」に想いを馳せてくださると大変嬉しく思います。]]>
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アスパラガスのよもやま話 – 性決定遺伝子の候補を中心に https://academist-cf.com/journal/?p=4251 Thu, 27 Apr 2017 01:00:21 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4251 アスパラガスの生態・雌雄性 食用アスパラガス(Asparagus officinalis)は寒冷地でも春先に収穫できる貴重な野菜です。食用アスパラガスは多年生作物であり、露地栽培においては、春に萌芽し、それから初冬にかけて大きく成長して生殖と光合成を行い、根系に栄養分を移動させて地上部を枯死させ越冬し、翌年春に根から再び萌芽する、というサイクルを繰り返します。私たちが食べるのは萌芽してきた若茎ですが、商品価値のある太い若茎は、3年以上かけて栄養を蓄え太った根系からのみ、得られます。 食用アスパラガスの株には雌雄の別があります。雌株には雌花だけが着き、雄株には雄花だけが着きます。雌花においては雌しべが発達するものの雄しべは退化し、雄花においては雄しべが発達するものの雌しべは発達を停止します(下図)。アスパラガスの雌雄は、通常、このような花の形態の違いにより判別されます。露地栽培において食用アスパラガスは、発芽後1年目は花を着けないため、花の形態による雌雄の判別には長い時間を要します。 食用アスパラガスの圃場では、マルハナバチなどが受粉を媒介します。受粉が起こると、雌花の雌しべには種子が生じます。種子から生じた幼い株が、土壌中の養分をめぐって高齢な株と競合するため、種子は生産管理上疎まれます。このため、生産には雌株よりも雄株が好んで用いられます。とはいえ、雌株を圃場から排除するのは困難であり、市場に出回る若茎にも雌株由来のものが多く含まれているようです。花の性質に加えて、若茎の性状・収量や耐病性についても雌株と雄株との間で差があるという報告がありますが、これらについては未だに議論がなされています。ともあれ、食用アスパラガスの性決定の分子メカニズムを明らかにすることは、農業生産や育種の上でも重要です。 ヒトの性は性染色体XとYの組み合わせにより決定され、女性はXX、男性はXYの組み合わせを持ちます。アスパラガスの性決定様式もこれと同様であり、雌株はXX、雄株はXYの組み合わせの性染色体を持ちます。ヒトなどのX染色体とY染色体は、その長さや構造が互いに大きく異なりますが、食用アスパラガスのX染色体とY染色体は、長さや構造が殆ど同一です。ヒトなどのY染色体は全体として雄性化の機能を発揮する一方、食用アスパラガスのY染色体については、その一部のみが雄性化の機能を担っていると考えられます。すなわち、食用アスパラガスの性は比較的少数の遺伝子により決定される、ということです。雌花と雄花における雌しべと雄しべの発達の仕方を鑑みると、それらの遺伝子は、雌しべの発達を抑制し、雄しべの発達を促進するものであると推定できます。しかし、それら遺伝子の実体は長らく不明でした。

食用アスパラガスの性決定遺伝子の候補・AoMYB35の発見

モデル植物・シロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)においてはAtMYB35という遺伝子が失われると雄しべの発達が不全となります。先行研究において、食用アスパラガスの雌花と雄花における遺伝子産物が網羅的に解析されており、性決定遺伝子の手がかりを求めて私たちはそのデータを再解析しました。これにおいては、興味深いことに、AtMYB35に似た遺伝子の産物は、食用アスパラガスの雄花において見られるものの、雌花において全く見られませんでした。この遺伝子(AoMYB35)について解析を進めたところ、さらに興味深いことが明らかになりました。食用アスパラガスの雌株は、AoMYB35の産物だけでなく、その基となるAoMYB35の遺伝子そのものを欠いていたのです。 [caption id="attachment_4256" align="aligncenter" width="600"] AoAMSは雌雄両者に存在するが、AoMYB35は雄株にのみ存在する。バンドはその遺伝子が存在することを示す[/caption] さらに解析を進めると、雄花の中でも特に発達初期の雄しべにおいて多量のAoMYB35の産物が蓄積することが明らかになりました。食用アスパラガスの雌花における雄しべの退化は、AoMYB35の欠損に起因する可能性があります。AoMYB35は食用アスパラガスの性決定遺伝子の候補として有力なものであると考えています。

今後の展望

通常、花の形態による雌雄判別は株の発芽から1年以上を要しますが、AoMYB35を遺伝子診断・DNA鑑定のような形で利用することにより、雌雄判別に要する期間を大幅に短縮することができます。このような技術は、食用アスパラガスの育種を省力化するのに役立つと考えられます。 現段階では、「AoMYB35が食用アスパラガスの性決定遺伝子である」とは言い切れません。雄花においてAoMYB35の産物は雄しべには蓄積しますが、雌しべには蓄積しません。これが雄花の雌しべの発達を抑制するということはあり得るのか? また、AtMYB35を欠損したシロイヌナズナ変異体の花においては、正常な花粉粒が作られませんが、雄しべは退化しません。これは食用アスパラガスの雌花の形態とは合致しないが、それについてはどう考えるのか? これらの問いに答えるためには、人為的に食用アスパラガス雌株にAoMYB35を導入したり、雄株のAoMYB35の機能を破壊したりする必要があると考えており、そのような実験を実際に行うべく試行錯誤しています。さらに、AoMYB35に加えて複数の遺伝子が性を決定するという可能性もあります。AoMYB35の近傍に存在する遺伝子はそのような遺伝子の候補であると考えており、それらを同定する試みも行おうとしています。これらが成功すれば、食用アスパラガスの性を転換させることが可能になるかもしれません。そのような技術も、食用アスパラガスの育種を効率化・省力化するのに貢献すると考えられます。

おまけ – 植物の雌雄性について思うこと

夏になると、食用アスパラガスの圃場にはたくさんのマルハナバチがやってきて受粉を助けます。そのような様を見ていると、AoMYB35を失うということは大した問題ではないのだろうという気にさせられます。メロン、キュウリ、マメガキなども雌雄性を持ち、それらについては性決定遺伝子が同定されていますが、それら遺伝子はすべて異なり、MYB35とも異なります。ヒロハノマンテマなど一部のマンテマ属植物も雌雄性を持ちますが、それらは形態の相異なる性染色体を有しています。交配が起こりやすい環境下では、雌しべ・雄しべの機能損失はさまざまな形で案外容易に起こり、保存され、進化するのかもしれません。雌雄性は、個体間での遺伝子の交換を促します。細胞質雄性不稔や自家不和合性(詳しくは述べません)も植物遺伝子の交換を促進する現象・性質ですが、これらと比べても雌雄性の発現パターン・メカニズムは多種多様であるように思われます。「みんなちがって みんないい」のは間違いありませんが(動物などの雌雄性もそうですが)、そこにどれほどの共通原理があるのか? 生産に活かすことはできるのか? 植物の雌雄性研究の面白さと難しさを感じつつ、その発展に僅かばかりでも貢献できればと思う今日このごろです。 参考文献 Tsugama D, Matsuyama K, Ide M, Hayashi M, Fujino K, Masuda K. (2017) A putative MYB35 ortholog is a candidate for the sex-determining genes in Asparagus officinalis. Scientific Reports 7: 41497.]]>
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なぜ、誰に、投票するのか? - 地方選挙における選挙運動と有権者の心理との関係 https://academist-cf.com/journal/?p=4265 Wed, 19 Apr 2017 01:00:10 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4265 候補者に密着! この研究では、ある地方都市の市長選立候補者の了解を得て、研究者が選挙運動に「密着」して、スマートフォンのGPSアプリで選挙期間中の移動・位置情報を捕捉し、どのような選挙運動を行ったか(選挙カーでの連呼、街頭演説、練り歩きなど)を逐一記録しました。 [caption id="attachment_4266" align="aligncenter" width="500"] GPSで捕捉した候補者の空間位置情報[/caption] 具体的には、2015年1月に実施された兵庫県赤穂市の市長選挙に立候補した矢野英樹さんです。第3著者の関西学院大学文学研究科・中村早希さんが、随行者として参与観察を行い、スマートフォンのGPSアプリで候補者の現在地を10秒間隔で記録し、また、ある選挙運動(たとえば、選挙カーでの候補者名連呼、街頭演説、練り歩きなど)の開始時刻と終了時間を分単位で記録して、GPSデータと対応づけました。

有権者の声を集める

候補者の運動は有権者にどう響いたのでしょうか。これを知るために、選挙人名簿からのランダムサンプリングによるアンケート調査を投票日直後に実施して、政治行動や政治的態度、政治に対する意識などの市民の心理に関するデータを収集しました。具体的には、赤穂市の選挙人名簿から2段無作為抽出法で抽出した20歳~75歳の2000名に調査票を送付し、908名から回答を得ました。質問項目は、投票の有無と投票した場合は投票した候補者、各候補者への好感度、さまざまな選挙運動への接触の有無、候補者との関係、地域に対する考え方、政治に関する考え方、個人属性(居住年数、自治会など組織参加の程度)などです。下図は、回答者の居住地に応じて候補者3名のうち誰に投票したかの回答をプロットしたものです。 [caption id="attachment_4267" align="aligncenter" width="500"] 投票行動に関する社会調査結果[/caption]

候補者の選挙運動と有権者の声を結びつけて分析する

こうして収集した2つのデータを結びつけるために、社会調査の回答者の住所を手がかりにしました。まず、候補者の選挙運動の移動経路データと回答者の住所との距離を算出して、「回答者と候補者の選挙運動との近接性」の指標を作成しました。次に、回答者の居住地間の距離を算出して、ある回答者の回答と「ご近所さん」の回答を紐づけることができるようにしました。 分析の結果、次のようなことがわかりました。まず、候補者への好感度には、社会調査で回答を求めた選挙運動への接触数は正の効果(接触が多いほど好感度が高い)をもちましたが、候補者の選挙運動の移動経路データに基づいて算出した近接性は好感度と関連しませんでした。一方で、投票行動には、選挙運動への接触数と候補者との近接性の高さの両方が関連し、その候補者への投票に向かわせていることが示されました。選挙運動の実施者たちは、選挙カーによる候補者名の連呼が、有権者の候補者に対する好意を増すといういわゆる単純接触効果を経て、集票効果を持つことを期待していますが、少なくとも本研究のデータにおいては、選挙運動が投票に影響するメカニズムは、「有権者に候補者を近しく接触させさえすれば好意を増すことができ、その結果として投票に向かわせる」といったものであるとは言えないことがわかりました。また、「ご近所さん」の回答と紐づけた分析の結果からは、ある回答者の候補者への好感度は、回答者自身の選挙運動への接触の程度のみならず、「ご近所さん」によるそれも一定の影響を与えていたことが示されました。

選挙運動が有権者の心理に及ぼす効果

本研究によって、地方選挙における一般有権者の政治行動には、選挙運動との接触や対人コミュニケーションが重要な意味をもつことが示されました。空間位置情報データを用いてこうした知見を実証的に示した研究は、おそらく日本で他に例がありません。空間位置情報データを用いた研究は社会心理学ではまだごく少ないですが、政治行動に限らず、人間の心理や行動に日々暮らしている環境が一定の影響をもつことは明らかです。スマートフォンを用いてごく簡便な方法で収集できることからも、今後の研究の発展が期待できます。 参考文献 三浦麻子・稲増一憲・中村早希・福沢愛 (2017). 地方選挙における有権者の政治行動に関連する近接性の効果:空間統計を活用した兵庫県赤穂市長選挙の事例研究. 社会心理学研究, 32(3). 174-186]]>
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「基礎研究の裾野を広げなければ、応用研究への発展性はない」 - 順天堂大学医学部・小松則夫教授 https://academist-cf.com/journal/?p=4274 Thu, 20 Apr 2017 04:00:47 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4274 血液のがんの発症メカニズム解明に挑む!」でクラウドファンディングに挑戦中の小松教授に、詳しくお話を伺った。 ーー血液のがんが発症する原因について教えてください。 一般的には、遺伝子の異常によって発症します。なぜ遺伝子に異常が起きるのかということは完全には明らかにされていないのですが、遺伝子の異常が起きることでがんになるということはわかっています。たとえば、私たちの身体を構成する細胞の核内には染色体があり、染色体上にはさまざまな遺伝子が存在しているのですが、稀に染色体の一部が別の染色体の一部と入れ替わってしまうことがあります。このような「相互転座」と呼ばれる現象が起きると、正常な状態では存在しないような遺伝子ができてしまい、細胞が増え続けてしまうことがあります。 ーー細胞の増加をどうにかして止めなくてはいけないわけですね。現在は、どのような治療法で対応されているのでしょうか。 これまでのがん治療薬は、がんではないところにも影響を与えてしまうようなものだったのですが、最近では、がんの原因となる分子病態を理解することによって、がんをピンポイントで治す方法に変わってきています。たとえば慢性骨髄性白血病では、これまでは骨髄移植でしか患者さんを救うことができなかったのですが、がんをピンポイントで攻撃する分子標的薬を使うことにより、約9割の患者さんが10年間生きられるようになりました。これはとても画期的なことです。病気を引き起こしている分子病態を解明することが、創薬に直接つながっていくのです。 ーー小松先生はこれまでにどのような研究をされてきたのでしょうか。 私は20年以上にわたり、基礎研究を進めてきました。最も重要な成果は、「UT-7」という細胞株を作ったことです。細胞株というのは、身体の外でも永遠に生き続ける細胞を指します。たとえば白血病では、血液中の造血細胞が増殖し続けているのですが、患者さんの造血細胞を身体の外に出して培養しようとすると、だいたい2週間くらいで死んでしまいます。ところが運が良ければ、一部の細胞は試験管の中で生き続けることができるんですね。私はそれを人工的に作ることに成功しました。 ーーUT-7 の特徴について教えてください。 UT-7やそれに由来する細胞株は、サイトカインがないと死んでしまうところが大きな特徴です。サイトカインというのは、免疫システムの細胞から分泌されるタンパク質で、さまざまな種類があることが知られているのですが、血液を作るためには、サイトカインのひとつである造血因子が必要です。造血因子には、赤血球の産生を促進する「エリスロポエチン(EPO)」や、血小板を増やす因子である「トロンボポエチン(TPO)」などがあります。私は前者がないと死んでしまう細胞株「UT-7/EPO」と、後者がないと死んでしまう「UT-7/TPO」を作りました。これらはUT-7をもとにした「亜株」と呼ばれているのですが、このような特徴を持った細胞株は非常に珍しく、世界一の性質を持っていると自負しています。 ーーこれらの細胞株を利用すると、どのような研究ができるのでしょうか。 たとえば、UT-7/EPOを使うと、EPOを加えたときに細胞内でどのようなことが起きるのかを調べることができます。EPOのない状況でUT-7/EPOを培養しておいて、そこにEPOを加えると、細胞が息を吹き返したかのようにブルブル震えるんですよ。この現象から、EPOがその受容体と結合した後に、細胞表面から核内にどのようにシグナルを取り入れていくのかということを調べることができます。 ーー現在クラウドファンディングで研究費を募られているプロジェクトにも、UT-7が関係してきているのでしょうか。 関係しています。先行研究で、血小板が増える本態性血小板血症などの疾患では、カールレティクリン(CALR)遺伝子変異というものが見つかってきました。この遺伝子変異が腫瘍化に関係していると考えられていたのですが、なぜ腫瘍化が起きるのかという分子病態は明らかにされていませんでした。私たちは腫瘍化の原因を明らかにするために、変異型のCALR遺伝子をUT-7/TPOとUT-7/EPOのそれぞれの細胞に導入しました。ここからがポイントです。これらをTPOやEPOがない状況で培養するという実験を行ったところ、UT-7/TPOは増殖したんです。TPOがない状況なので死んでしまうと思っていたのですが、なぜかどんどん増えていくんですね。これはつまり、通常はTPOが存在しているときのみに活性化するTPO受容体が、変異型のCALR遺伝子から発現したタンパク質により異常な活性化を受けることで、細胞が腫瘍化したと考えることができます。 ーーこの研究成果は、昨年論文発表されたと伺いました。 はい。嬉しいことに今回の論文が、2016年の『Blood』誌のトップ10に選ばれたんです。Bloodは、血液関係の国際専門誌では最高峰の雑誌と言われていて、年間1000報以上の論文が掲載されます。私の作ったUT-7とその亜株をもとに、研究室のスタッフが腫瘍化のメカニズムの分子病態を明らかにしたということが、国際的に評価されたのではないかと思います。基礎の基礎となるUT-7を発見してから長い時間が経ちましたが、ようやく創薬への光明が見えてきたように思います。 ーーところで、UT-7 は小松先生が狙って発見されたものなのでしょうか。 もともとある細胞株を処理する過程で、サイトカインと思われるタンパク質を発見しました。どんな物質だろうと思い1年間かけて純化したのですが、それが既に知られている「GM-CSF」という造血因子だったんです。未知のタンパク質であれば、そこからさらに研究を進めることができたのですが、既知のタンパク質を必死に純化していたということになりますので、その結果を知ってからは半分死んだような気持ちでした。 そんなある日、患者さんの骨髄を研究に使えることになりました。研究を進めるために骨髄を培養していたところ、ほとんどが1ヶ月くらいで死んでしまったんです。どうしたものかとアレコレ考えていたその時、冷蔵庫の中に私が純化したGM-CSFがたくさん残っていることに気付きまして、どうせ使う予定もないしもったいないからこの細胞にかけてみようと思ったんですね。そしたら、ほとんど死んでいた細胞たちが元気になって、増え出したんです。これがUT-7の誕生のきっかけになりました。 ーーもし捨てていたら、この発見はなかったということですね。 ラッキーな発見でしたね。当時は私もGM-CSFの件で落ち込んでいましたし、細胞たちもほとんど死にかけていたのですが、GM-CSFをかけたことでいろいろな意味で「起死回生」しました。起死回生といえば、ウルトラセブンじゃないですか。最初はその細胞株にウルトラセブンという名前をつけたのですが、当時のボスに品がないからやめなさいと言われまして(笑)。でもどこかにウルトラセブンを残したいと思い、UT-7と命名しました。30歳前後の出来事でしたが、研究人生の一番のターニングポイントでしたね。 ーーUT-7 のような基礎研究のなかで生まれた発見があったからこそ、現在創薬に向けて研究を進めることができているわけですよね。 医学分野の基礎研究の成果は、最終的には患者さんに還元されるべきものです。でもどのように還元できるかなんて、研究している段階ではわかりません。創薬の場合では、薬の候補となる分子をたくさんスクリーニングしていくなかで、ほんの一部だけが実際の薬になります。確実にデータになることや、目先の結果が見える研究だけをやっているだけでは、研究に発展性はありませんよ。研究アイデアが結果に結びつくかどうかなんて、やってみなければわからないこともありますから。基礎研究では常に裾野を広げ、いろいろな可能性が育つ土壌を作ることによって、良い研究が生まれてくるのではないかと私は信じています。 ーークラウドファンディングは可能性を広げるひとつの方法かもしれませんよね。 今回クラウドファンディングに挑戦して良かったと思ったことは、研究費の部分はもちろんなのですが、患者さんから「私も支援しましたよ!」「研究に参加している意識を持てました。」というようなコメントをいただけたことです。患者さんと一緒に研究を進めていこうという一体感を覚えることができて、気が引き締まると同時に、とても嬉しく思いました。 ーーこれからの目標について、教えてください。 基礎研究をもとに薬を作って、薬を患者さんに届けて、患者さんたちを笑顔にしていくことです。これは医者としての最高の喜びです。実現のために全力で研究に取り組んでいきたいと思います。
研究者プロフィール:小松則夫教授 順天堂大学大学院医学研究科血液内科学主任教授。1981年、新潟大学医学部を卒業。自治医科大学医学部血液科に23年間在籍。2004年、山梨大学医学部血液内科(現血液・腫瘍内科)の初代教授に就任。2009年から現職。日本血液学会の機関誌である「臨床血液」編集長。骨髄増殖性腫瘍患者・家族会(MPN-JAPAN)医学顧問代表。自ら樹立した白血病細胞株「UT-7」やその亜株を用いたサイトカイン細胞シグナル伝達機構の研究に取り組み、2016年にはこれらの細胞株を用いて変異型calreticulinによる骨髄増殖性腫瘍の発症メカニズムを世界に先駆けて解明した。「人材こそ宝」をモットーに、Physician-Scientistの育成に努めている。
小松先生を中心とした研究チームが挑むクラウドファンディング、現在セカンドゴールの150万円を目指して挑戦中です。残り期間は24日。ぜひ、プロジェクトページをご覧のうえ、応援をよろしくお願いいたします。]]>
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細胞膜内に存在する機能領域「ラフト」の正体に迫る https://academist-cf.com/journal/?p=4325 Tue, 25 Apr 2017 01:00:26 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4325 ラフトモデルの描像。ラフト領域は特定の脂質やタンパク質が集合することで形成する。近年では、さまざまな生体機能がラフトで発現することが示唆されているが、一方で、ラフトの実態はよくわかっていない。緑の丸は脂質に結合した蛍光物質を表す(実際の生体膜には存在しない)[/caption] 比喩的には、不飽和脂肪酸の多いオリーブオイルの海の上を、コレステロールや飽和脂肪酸に富んだバターの筏が漂っている、といったところです。近年、細胞膜上での信号伝達や細胞分裂、ウイルス感染などさまざまな生体現象に、ラフトが必要であることが示唆されるようになり、ラフトは幅広い分野で注目を集めています。一方、実際のデータは、「何か変わったことが起こっているらしい」ことを示すばかりで、ラフトは、「予想外の結果を解釈するためのひとつの仮定」でしかありませんでした。すなわち、ラフトは、多くの研究者の努力にかかわらず、生きた細胞の細胞膜では検出できていません。

なぜラフトの検出は難しいのか

では、なぜラフトの検出が難しいのでしょうか? 2つの問題がありました。ひとつは、ラフトを構成する脂質分子の振る舞いを観察する方法がなかったことです。脂質がラフトを作る様子を観察するには、ラフトに集まりそうな脂質に蛍光物質で目印を付け、その脂質の動きを顕微鏡で観察することが最も直接的です。しかし、巨大な蛍光性分子を脂質に結合させることで、脂質の性質や細胞膜の構造も変わってしまいます。 もうひとつの原因は、今回我々が報告したように、ラフトが極めて小さく、また、短寿命であることが挙げられます。本研究では、ラフトの形成に重要だと考えられているスフィンゴミエリンというリン脂質の一種に注目し、以下の3つを目的として、検討を行いました。 (1) スフィンゴミエリンや対照となるホスファチジルコリンを、生細胞の細胞膜中で分子1個ずつの単位で、可視化する方法を開発する。 (2) スフィンゴミエリンと同様に、ラフトに集まることが知られているGPIアンカー型受容体(CD59)の相互作用(どのように結合、解離するか)を明らかにし、さらにラフト形成に必須であると過程されているコレステロールの関与を解明する。 (3) (1)と(2)の研究によって、生細胞の細胞膜中でラフトを検出し、物性と機能を解明する。

蛍光標識されたスフィンゴミエリン、ホスファチジルコリンの合成

まず、我々は、スフィンゴミエリンなどのリン脂質本来の性質を変えることなく蛍光分子を結合させた蛍光脂質アナログを開発しました。この研究は大阪大学JST-ERATO脂質活性構造プロジェクトにおいて行われたものです。下図に示したのは、従来のスフィンゴミエリンの蛍光アナログ分子と新たに合成した蛍光アナログ分子の違いです。従来型とは違い、新規アナログでは、親水性の蛍光分子(目印にする部分)を用い、蛍光分子とスフィンゴミエリン分子の間に長い親水性の鎖(リンカー)をはさみ、さらに、元の分子が持つ電荷を維持することで、目印の蛍光分子が細胞膜に近づくことができないように設計してあります。この設計により、スフィンゴミエリンや細胞膜に対する蛍光分子の影響を小さくすることができます。 [caption id="attachment_4321" align="aligncenter" width="600"] 従来型の蛍光脂質アナログと新規合成した蛍光脂質アナログの違い。蛍光脂質アナログとは、脂質に蛍光物質を結合させた分子のこと。従来型とは異なり、新規蛍光脂質アナログでは、脂質と親水的な蛍光物質の間にリンカーをはさむことで、蛍光物質が膜に接触しない分子設計になっている[/caption] 実際、我々はスフィンゴミエリンと、ラフト外に多く存在する対照分子のリン脂質ホスファチジルコリンに蛍光化合物を同じ方法で結合させ、人工的に作製したラフト様領域を含む膜で分布を観察してみました。その結果、膜中で両者は互いに隔てた異なる場所に分布することがわかりました。 [caption id="attachment_4361" align="aligncenter" width="600"] 人工的に作製したラフト様領域を含む脂質膜での蛍光顕微鏡観察。緑色蛍光標識したスフィンゴミエリンと赤色蛍光標識したホスファチジルコリン(ラフト外にありそうな対照分子)の分布を示す。生きた細胞とは違い、人工膜では大きな相分離が観察できることが利点。スフィンゴミエリン・アナログとホスファチジルコリン・アナログは相補的な分布を示している[/caption]

スフィンゴミエリンはCD59やコレステロールとどのように相互作用しているか

以前、京都大学iCeMSの楠見明弘教授、鈴木健一准教授らは、1分子観察によって、ラフトに親和性があるとされているGPIアンカー型受容体と呼ばれる一群の特殊な構造を持つ受容体(CD59)は、コレステロールと結合することによって、寿命が約0.2秒の二量体(CD59が2つ集まった構造)を形成することを明らかにしました。また、受容体に細胞外からの刺激分子(補体複合体やC9という分子)がCD59に結合すると、今度は、安定な四量体(コレステロールを含む)を形成することも示しました。それまで、ラフトは直径が1μm(= 1/1,000mm)もあるような、非常に大きな構造であると思っている人も多くいました(細胞の大きさは、直径が数十μm)。しかし、楠見教授らの2012年の発表では、CD59の二量体+コレステロールの大きさは数nmしかないことや、ラフトの寿命は1秒未満であることを明らかにしました。 そこで、今回の実験では、楠見教授らとの共同で、もうひとつのラフト形成の主役であるスフィンゴミエリンがCD59やコレステロールとどのように相互作用しているかを調べました。本研究の場合、CD59は、上記のように、単量体、二量体、四量体と、さまざまな形態をとります。それらとスフィンゴミエリンとの結合を調べた結果、結合時間は、それぞれ、16ミリ秒、33ミリ秒、50ミリ秒であることがわかりました。つまり、スフィンゴミエリンは、複数の分子が次々と交替でCD59に結合してきて、各分子は、非常に短時間しかCD59には結合していないことがわかりました。 [caption id="attachment_4323" align="aligncenter" width="600"] 超高速蛍光一分子追跡顕微鏡像とスフィンゴミエリンのラフトへの取り込みの模式図。スフィンゴミエリンは、コレステロールがあるときにだけ、CD59単量体、二量体、そして安定化された四量体へ16~50ミリ秒間という短いあいだ、リクルートされることがわかった[/caption] 今回の実験で、ラフトを作ると思われていた分子同士(スフィンゴミエリンとCD59)が結合すること、それにはコレステロールが必要であることがわかりました。すなわち、ラフトを作る3役者がそろい踏みで集合体を作ることがわかりました。これが探していたラフトの正体であると考えられます。今までは、生細胞の細胞膜中で、安定で大きなラフト領域を探していたので見つからなかったのです。本研究によって、ラフトの大きさはせいぜい数ナノメートル、さらに、長くとも0.2秒程度で崩壊し、スフィンゴミエリンは、10〜50ミリ秒程度で入れ替わるような、極めて過渡的な分子集合体であることがわかりました。

細胞膜中にある超過渡的ラフトナノドメインの物性と機能

今回行った新たな研究結果と、以前の研究結果を合わせると、ラフトの正体は以下のようであることがわかりました。 (1) 細胞外からCD59へのシグナルが来る前;CD59は単量体(単量体が関わるラフト領域)と二量体を中心とするラフト領域という2つの状態間で、常に転換していました。また、二量体ラフトの寿命は200ミリ秒程度でした。このようなラフトができるにはコレステロールが必要で、コレステロールはCD59が集まるための必須アイテムです(これは、京都大学楠見教授らのグループが2012年に報告したことです)。 (2) (1) の刺激前の細胞膜;CD59の単量体と二量体が関わるラフトに、スフィンゴミエリンは過渡的にやってきました。また、滞在時間はそれぞれ16ミリ秒と33ミリ秒であり、CD59とスフィンゴミエリンの集合にはコレステロールが必要でした。したがって、CD59+スフィンゴミエリン+コレステロールでラフトができます。スフィンゴミエリンの滞在時間は短く、複数のスフィンゴミエリンが次々にCD59ラフトドメインにやってきては、すぐに、ラフト外にいる分子と入れ替わることがわかりました。 (3) 細胞外からCD59に刺激が入ったあと;CD59は主に四量体を中心とするラフトを形成しました。そこにスフィンゴミエリンがリクルートされて来ました。滞在時間は50ミリ秒と、やはりとても短いものでした。 (4) すなわち、本研究で、初めてラフトが生細胞中の細胞膜で観察できたといえます。大きさは数nmであり、スフィンゴミエリンはきわめて動的に出入りします。滞在時間は10~48ミリ秒。すなわち、ラフトドメインは極めて動的な構造であることがわかりました。

今後の期待

生体内にはおよそ数千種類もの脂質が存在しており、それぞれの脂質が異なる役割を担っています。それゆえ、脂質は生命科学最後のフロンティアといわれ、生体内における脂質の分布や挙動の可視化技術は幅広い分野で期待されています。本研究では、とくにスフィンゴミエリンとホスファチジルコリンの可視化に注目しました。スフィンゴミエリンは、細胞膜の主要な構成成分であり、代表的なラフト脂質ですが、その局在や機能はわからない点が多いです。 今回、本研究グループが開発したスフィンゴミエリン蛍光アナログによって、ラフトドメイン形成機構が明らかになると期待されます。さらには、スフィンゴミエリンは、その蓄積により発症するニーマン・ピック病や無βリポタンパク質血症など、その代謝異常が多くの疾病の原因になるとされています。本研究で開発された蛍光標識スフィンゴミエリンは、疾病の発症解明のための大きな一歩であるばかりでなく、疾病を阻止する薬剤開発にも寄与するもので、今後解明が進むことが期待されます。 参考文献 Kinoshita and Suzuki et al., 2017. J. Cell Biol. 216, 1183-1204. Suzuki et al., 2012. Nat. Chem. Biol. 8, 774-783. 特許; 新規蛍光標識スフィンゴミエリンとその利用 (国内)2015-052518, (国際) PCT/JP2016/58079]]>
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科学史の研究って、どんなことをしているの? - 国立科学博物館・有賀暢迪研究員に聞く https://academist-cf.com/journal/?p=4329 Mon, 01 May 2017 01:00:15 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4329 ーー科学史とは、何を明らかにするための学問なのでしょうか。 読んで字のごとく、科学の歴史を明らかにすることを目的としています。ただ、「科学」という言葉で何を指すかは、人によって違うのではないでしょうか。たとえば、教科書や論文に書かれているような知識そのものを「科学」と捉えることができます。この場合、科学的知見が得られて定着するまでのプロセスが研究対象になります。また、少し違う方向から考えてみると、研究手法の変遷を追うことも科学史で取り扱うテーマのひとつです。さらに視点を広げると、研究者や研究機関の歴史というのもありますし、科学が私たちの社会や生活にどのような影響を与えてきたのかということも、研究テーマになり得ます。 ーー幅広い研究テーマが考えられそうですね。研究領域を整理するのも大変そうです。 一番わかりやすいのは、各学問の歴史をたどる見方です。物理学の歴史なのか、生物学の歴史なのかということで、研究領域を分類することができます。また、各々の研究者の着目する時代や地域で分類することもあります。日本の明治時代についての研究なのか、あるいはルネサンス期のヨーロッパについての研究なのかといった分けかたですね。科学と歴史が掛け合わされることになるので、科学史の研究領域は恐ろしく広いのですが、広い割には学問分野としてマイナーなのが残念です。科学史に触れる機会があまりないというのが、理由のひとつではないかと思います。 ーー有賀さんが科学史に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか。 大学時代に、科学史の講義を運良く聴けたことが直接のきっかけです。ただ、思い返してみると、高校時代から教科書に書かれている内容がどんな経緯で分かったのだろうかということは不思議に感じていました。もともと科学史研究に向いている疑問の持ち方をしていたのかもしれません。私自身の研究としては、科学の理論や概念に関するものが多いです。 ーー具体的に取り組んだ研究テーマについて教えてください。 大学院時代は、古典力学の歴史を研究していました。たとえば、18世紀のヨーロッパで登場した「最小作用の原理」がどのように提唱されたかというプロセスを追った研究です。原理の説明は省きますが、先行研究ではモーペルテュイという人物が原理のアイデアを最初に述べて、オイラーという有名な数学者が定式化をしたと言われていました。ですが、よくよく調べてみると、最小作用の原理を二人で作ったのではなくて、二つの最小作用の原理が別々に考えられたという解釈のほうが正しいのではないかということが見えてきました。 ーーそれはどのような資料から判断されているのでしょうか。 二人の書いた本・論文や、二人がやり取りした手紙です。オイラーの場合は、幸いなことに全集というのがあって、そこに全て公開されているんですよ。事実関係を一つひとつ確認していくうちに、先行研究で見落とされている点があることに気が付きました。それは、二人の手紙のやり取りの中で、彼らの話が噛み合っていないということです。それで私は、モーペルテュイのアイデアを基にオイラーが定式化をしたとは言えないだろうと考えるようになりました。 ーー噛み合っていないというのは……? 具体的には、二人が「作用」と呼んでいたものが違いました。二人とも、「ある種の量が最小になる」という言い方をしているのですが、この量の理解あるいは定義が違っていました。二人は最初、お互いの使っている言葉の意味が違うことに気付いておらず、またそれに気付いた後も自分に都合の良いように相手を解釈していたというのが、私の主張です。 ーーなるほど。そういった手紙や論文は何語で書かれているのでしょうか。 この研究の例だと、基本的にはフランス語です。ラテン語も少しありますね。あとは、その当時の数学というのも、言語の一種に数えてよいかもしれません。どの言語を読めるかということが、研究テーマの選択には非常に影響します。 ーーそれだけのものを読めるようになるのは、かなり大変ですね。 大学院の指導教員のおかげで、この時代の力学文献を読む訓練を受けていたので、原文で読むことができています。科学史を研究するとなると、翻訳されたものだけで済ませるわけにいきませんからね。原文が、自然科学でいうところの「生データ」に当たるわけです。 ーー「生データ」が実験で得られたデータではなく、文献になるということですね。 そうです。ちなみに、科学史では参考文献に2種類あって、データとなるその時代の文献を一次文献、それに基づいて書かれた専門書や研究論文を二次文献と呼んだりしています。一次文献は、私の場合は印刷・出版されたテクストであることが多いですが、一般には手書きのものも含まれます。そういう史料を読むには、また別のスキルが必要ですね。 ーー研究者人口も少なく、研究テーマもスキルも多様となると、論文を審査できる人は限られるのではないでしょうか。 細かい内容までは立ち入るのが難しいというのが正直なところです。私見ですが、論文の審査基準としては、著者の主張が史料をもとに論理の飛躍なく説明できているかどうかという点が一番重要になると思います。もちろん、分野の近いレフェリーの場合には、この文献も参照するべきだというコメントが付くこともあります。「研究」と言うからには、単に一次文献を読んだというだけではやはり駄目で、先行研究と比べてどんな新しい知見が得られたのか、どんな新しい解釈を提示しているのかということが言えないといけません。 ーー最小作用の原理に関する研究成果は、原理が得られた過程を追うものだと思うのですが、研究手法の変遷を追うようなテーマがあれば教えてください。 今の職場に来てから取り組んでいるテーマのひとつに、研究現場に数値シミュレーションが導入された過程に関するものがあります。先ほどの話では、私の関心は研究者の頭の中にあったわけですが、こちらでは研究手法、あるいは研究スタイルを問題にしています。事例として取り上げたのは、台風の進路を予測する手法が日本国内で計算機導入前後にどのように発展したかという問題です。 ーーそれは面白そうですね。この研究はどのように進められたのでしょうか。 主に国内で出版された論文や総説を探して、一つずつ読みました。さすがにオイラー全集のような資料はありませんので。関連文献を10年分くらい集めて、それらを時系列に並べて整理し、分析するという作業を行いました。 ーーいつごろの出来事に着目されたのでしょうか。 1950年代です。コンピューター(電子計算機)を用いた気象予測はアメリカで1950年に始まったのですが、その方法そのままでは台風の進路予測にうまく使えなかったので、日本の気象学者がいろいろな手法を考えました。最初の頃はまだコンピューターが導入されていなかったので、研究者たちが理論的なモデルを作り、紙とペンによる計算で予測を行います。そうして得られた結果を、実際の台風の進路データと照らし合わせつつ、モデルや計算法を改良していくというプロセスが繰り返されました。 ーーコンピューターを使わずに予測しようとしたということですか。 いずれ日本でもコンピューターが導入されるだろうから、その時に使えるような手法を開発しようということですね。実際、この開発と並行して、コンピューターの利用も少しずつ始まってきます。そして1959年になると、気象庁にコンピューターが設置されて、計算機が本格的に使われる時代となりました。 ーーそこで一気に研究が進展することになるのですね。 それは間違いないですし、計算速度も信じられないほど向上しました。ただ、それによって科学の方法が根本的に変わったとまで言ってよいかは考える余地があると思っています。案外、やっていることは1950年代から変わっていないようにも見えるので……。もうひとつ大事だと思うのは、研究手法の変化を促すのは、あくまでも研究者たちの持つ問題意識だということです。実際に手を動かしている研究者たちが、日々試行錯誤をするなかでモデルや計算法が進化して、結果的に手法が変わっていく。台風の進路予測の話でもそうですが、コンピューターで計算速度を上げることはできても、研究そのものが自動的に進むわけではない。それが、この事例研究を通じて感じたことです。 ーー有賀さんが今後研究で成し遂げたいことについて、教えてください。 今日は18世紀のヨーロッパと戦後の日本の話をしたわけですが、この2つのあいだにはものすごく大きな距離を感じています。同じ「科学」とは言いつつ、雰囲気がまるで違うんですよね。18世紀から現代までに科学がどう展開して、人々の生活に大きな影響を及ぼすまでになったのかを理解していくことが、大きな目標です。そういう意味もあって、最近は特に日本の明治時代(19世紀後半)に関心があります。 ーー最後に、いまの自然科学研究者に対して何かメッセージがあれば。 現在からすると、昔の研究成果なんてたいしたことないと感じるかもしれませんが、その当時の環境を知らずして、一概にそう決めてしまうのも違うと思うんですよ。100年後の科学者たちに、100年前の科学は全然たいしたことなかったと言われたら悲しいじゃないですか(笑)。そういう意味でも、過去の違う時代や環境で過ごしていた研究者たちがどのように物事を考え、研究を進めていたのかに興味を持ってもらえたら嬉しいですね。
研究者プロフィール:有賀暢迪研究員 国立科学博物館理工学研究部研究員。京都大学博士(文学)。京都大学総合人間学部で物理学の基礎を学んだあと、大学院文学研究科に進んで科学史を専攻。大学の非常勤講師などを経て、2013年より現職。大学院では、18世紀のヨーロッパにおける力学の歴史とその時代背景を主に研究していた。3.11を機に、近現代の日本における科学/技術の歴史に強い関心を持つようになり、科学博物館では主に後者の領域で、調査研究・資料整理・展示制作を行っている。近年の著作としては、ヘリガ・カーオ著、有賀暢迪・稲葉肇ほか訳『20世紀物理学史:理論・実験・社会』(名古屋大学出版会、2015年)や、池田嘉郎ほか編『名著で読む世界史120』(山川出版社、2016年)におけるニュートン『プリンキピア』の紹介記事などがある。
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卵を守るオス - タガメの父親による卵保護行動はアリに対しても有効か? https://academist-cf.com/journal/?p=4334 Mon, 24 Apr 2017 01:00:14 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4334 昆虫の親による子の保護 私たちヒトを含む動物のなかには、子供を天敵から守ったり、餌を与えたりするような保護行動を示すものがいます。昆虫では、アリやハチのような真社会性に加え、一時的に卵や幼虫のみを保護する種(亜社会性)が知られています。親による子の保護行動がどのような過程で進化したのかを解き明かすことに、行動生態学や進化生態学を専門とする研究者は興味を抱いています。 よく考えてみてください。昆虫って卵を産んだ後に親がどこかへいなくなってしまう種が多いような気がしませんか? 献身的に親が子供の保護をすることは珍しい現象であり、なぜこのような行動が進化するのでしょうか? 親が子供の保護をするという行動は、社会性進化への第一歩です。ヒトを含む動物が社会性を発達させた背景を類推するうえで、たとえ昆虫であっても同じ地球上に誕生した生物について、親が子供の保護をする意義を知ることは重要なのです。

なかなか出会えなかったタガメの生態

タガメは日本最大のカメムシ目の昆虫で、水生昆虫としても日本最大です。鎌状の前脚で魚類や両生類、ときには爬虫類までも捕まえて食べてしまいます。農薬や環境の改変、人工照明の増加、大食漢ゆえに餌生物の減少が本種の個体数の減少につながり、現在は環境省の絶滅危惧種に指定されています。私の幼少期にはすでに身近な存在ではなく、憧れの昆虫でした。そのタガメの生態に興味を持ち、大学3年生からこれまでに採餌生態を中心に他種との種間関係について調べてきました。 タガメはオスが卵と孵化直後の幼虫をしばらく守ることが知られています。卵は70個ほどの塊で水上に産卵され、水分の補給が不可欠で、オスが卵に水をかけて世話をすることで卵の発育が進みます。さらに驚くべきことに、メスがオスの守っている卵を壊すことがしばしばあります。これは、メスによる“子殺し”行動であり、これによりメスは卵を守っていないフリーなオスを探す時間を節約していると考えられています。もちろん、オスは子殺しメスに抵抗し、卵を守り抜くこともあるようです。以上のように先行研究から、タガメの父親による卵保護の機能は、給水とメスからの防衛の2つが考えられていました。

父親は天敵から卵を守れるのか?

野外で観察をしていると面白いことに気づきました。タガメの卵が孵化するより前に、卵からオスがいなくなってしまうことがしばしば観察され、そういった卵はアリに襲われてしまうのです。水田やため池で調査をすると、岸辺近くの植物や水田の畔草に産卵された場合に、アリからの襲撃が頻発するようです。オスがいるとアリがやって来ないようなので、オスがアリの襲撃から卵を守っているのかもしれません。 このような仮説を検証するため、先行研究では、野外条件で実験的な親の取り除きが行われています。親が卵を守るカメムシ類やハムシ類で、“親を除去する処理区”と“親を除去しない処理区(対照区)”を作り、孵化率を比較するのです。 対照区に比べて“親を除去する処理区”の孵化率が低下すれば、親は天敵からの防衛に一役買っていると結論付けることができます。 タガメでもこの実験をしようと思いましたが、ひとつ問題が生じました。それは給水です。上で述べたように他の昆虫と違って、タガメの父親が卵に給水をすることが不可欠で、もし、父親がいなくなってしまうと卵が干からびて死んでしまうのです。そこで、屋内で実験を行うことにしました。屋内だと定期的に卵への給水(毎日決まった量の水を霧吹きでかける)が可能です。また、アリの飼育も可能なので、実験的にタガメの卵塊にアリが近づけるようなセットが組めます。

父親の防衛能力を検証する

私と学生の前田愛理さんと一緒に、以下の4つの処理区を作りました。“親あり+アリ接近”、“親なし+アリ接近”、“親あり+アリ接近なし”、“親なし+アリ接近なし”。“○○+アリ接近”の処理では、アリが卵に歩いて近づけるように、アリの巣とタガメの卵付きの棒をストローで連結するようにしました。 “親なし+アリ接近なし”処理区は、人工的な給水を行った場合の孵化率を比較するための処理です。もし、この処理区で著しく孵化率が悪いとすれば、たとえ“親なし+アリ接近”処理区の孵化率が下がった場合でも、単に「実験者の給水の仕方が悪いだけではないか!」、という批判に反論することができません。 さて、実験の結果はどうだったでしょうか。“親なし+アリ接近”処理区で卵の孵化率が平均で45.3%であったのに対し、他の3処理区ではおおよそ80%の孵化率で、これら3処理間で統計学的な違いはありませんでした。 この結果から、「タガメの父親がアリから卵を守り抜く」ことが証明されました。また、細かく観察していると次のようなこともわかりました。(1)“親あり+アリ接近”と“親なし+アリ接近”の処理区間で、アリの卵への接近率を比較すると、“親あり+アリ接近”よりも“親なし+アリ接近”の方が高い。(2)“親あり+アリ接近”処理区内でアリの接近を朝、昼、夕方、晩に観察すると、父親が卵に覆いかぶさるときよりも、父親が水中に戻っているとき(タガメの父親は定期的に水中に戻り自身への水分補給や採餌を行う)に、より多くのアリが卵に接近しやすい。以上の(1)と(2)を併せて考えると、アリは父親の存在自体を苦手としているようです。

驚きのアリ撃退法

実験を行うまで、体が大きなタガメに小さなアリが集団で襲ってくると、タガメは太刀打ちできずに、卵保護を放棄してしまい、その結果として「父親がいなくなった卵はアリに襲われる」となるのではないかと考えていました。ところが、今回の実験で確認されたこととして、アリが卵に近づいてきた際に父親が前脚でアリを払いのけることに加え、稀に青臭いバナナのような臭いを発することを確認しました。 実は陸生の亜社会性のカメムシ類でもアリなどの天敵の接近時に“カメムシ臭”で追い払うことが確認されており、まさにそれと同じようなことをタガメもしていたのです。陸生カメムシの臭い攻撃について文献を読んで知っていたので、臭いを嗅いだ瞬間に「アリを撃退するためだ!」と直感しました。一方、アリの接近がない、つまり“親あり+アリ接近なし”処理区では、父親は臭いを一切出しませんでした。さらに別の実験で、この臭いにはアリを寄せ付けない効果があることを確かめました。野外で父親不在の卵がアリに襲われる現象は、父親による育児放棄ではなく、何らかの理由で父親が不在となってしまった後に起こった悲劇だったようです。 タガメには中脚の付け根に臭腺があり、特にオスで大きいことが知られています。オスの方で大きい理由として、性フェロモンを放出する、卵の場所を見失わないように臭いの目印をつけるためとする説が提唱されていました。これに加え、私たちの研究でアリを撃退する際にも使われることがわかったのです。タガメを含む水生のカメムシ目は、もともと陸上で生活していたようですが、生活圏を求めて水生生活をする進化が起こったと考えられています。水生生活を始めるずっと前から、アリを撃退する術を持っていたのでしょうか。アリを臭いで撃退する習性は水中生活に進化したタガメも失うことなく、今も受け継がれた形質なのです。
参考文献
  • Ohba S, Maeda A (2017) Paternal care behaviour of the giant water bug Kirkaldyia deyrolli (Heteroptera: Belostomatidae) against ants. Ecological Entomology in press
  • Ohba S, Hidaka K, Sasaki M (2006) Notes on paternal care and sibling cannibalism in the giant water bug Lethocerus deyrolli (Heteroptera: Belostomatidae). Entomological Science 9: 1-5.
  • 大庭伸也 (2002) タガメの卵塊における一斉孵化メカニズムとその意義.昆蟲ニューシリーズ 5: 157-164.
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流氷の海に住む魚はなぜ凍死しない? - 宇宙実験で解き明かす https://academist-cf.com/journal/?p=4410 Fri, 28 Apr 2017 01:00:29 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4410 生体の凍結を抑制する特殊なタンパク質 流氷の下に住む魚の血液には、凍結を防ぐ機能を持つ特殊なタンパク質(凍結抑制タンパク質)が含まれています。このタンパク質は、氷の表面に吸着することで氷結晶の成長を抑制し、魚の凍結を防ぐと考えられています。しかし、実際に氷の結晶成長をどのように制御しているのかは、未だ多くの謎が残されています。近年、このタンパク質の持つ機能が医療や食品の分野での活用が期待されるようになり、この謎の解明が待望されています。 [caption id="attachment_4405" align="aligncenter" width="640"] 氷点下の海水中に生じた氷の中に住む極地魚。南極マクマード基地において撮影。多くの魚はこのような厳しい寒冷環境では直ちに凍結してしまうが、極地魚は体内に氷の結晶の成長を停止する凍結抑制タンパク質を持つため、凍死することなく生き延びることができる (Credit:Dr. Paul A. Cziko, University of Oregon)[/caption]

実験の場としての宇宙空間

このタンパク質が氷の結晶成長を制御する謎を解明する第一歩は、氷の結晶成長速度を精密に測定することです。これは結晶成長の基本ともいうべき測定ですが意外と難しく、特に地上で実験を行うと簡単にはいきません。そのわけは、成長する結晶の周囲には重力による熱対流などの流れが発生するため、その影響で成長速度も変動してしまうからです。これを避けるためには、ISSの内部で実現する無重力環境を利用することが最も効果的です。今回の実験では、不純物としてごく微量の凍結抑制タンパク質を加えた水中で、氷のベーサル面(底面)の成長速度を測定しました。 ISSのなかで実験を行うためには宇宙実験装置の開発が必要です。この実験のために北海道大学とJAXA(宇宙航空研究開発機構)が協力し、光の干渉を使うことで氷の成長速度を精密に測定できるIce Crystal 2と呼ばれる装置を完成させました。この装置は2013年夏に種子島宇宙センターから打ち上げられ、ISSの日本実験棟「きぼう」に設置されました。実験は地上から送信する信号による遠隔操作だけで行うことができます。宇宙飛行士の活動に伴う重力のわずかな変動も避けるため、実験は宇宙飛行士が寝静まった深夜に行いました。こうして、約6ヶ月間にわたり全部で124回の結晶成長実験を繰り返し、このうち22回で氷の成長速度の精密測定に成功しました。宇宙にある装置を地上から遠隔制御する困難さを考えると、この成功確率は十分に高いものと言えます。 [caption id="attachment_4406" align="aligncenter" width="600"] 若田宇宙飛行士が宇宙実験装置(若田飛行士の手前)を「きぼう」に設置している (C) JAXA/NASA[/caption]

宇宙実験ならでは……

宇宙実験では、不純物として加えた凍結抑制タンパク質の効果で、氷のベーサル面の成長速度が純水中に較べて3~5倍も速くなること、さらにはその成長速度が周期的に変動することがわかりました。不純物は氷の表面に吸着して成長を抑制すると考えるのが普通ですが、宇宙実験の結果は完全にこれに反しています。さらに、成長速度の周期変動もこれまでに報告されたことがありません。宇宙実験では重力による熱対流などの乱れはありませんので、これは氷の成長に対する凍結抑制タンパク質の本質的な効果が現れた結果であり、まさに宇宙実験ならではと言える成果です。 [caption id="attachment_4407" align="aligncenter" width="640"] (a)宇宙実験で得られた干渉縞画像の一例。(b)観察された結晶の外形。(c)氷のベーサル面の成長速度の時間変動[/caption]

凍死を避けるしくみは驚くほど巧妙

凍結抑制タンパク質は、成長速度が速い結晶面に吸着してその成長を抑制するために、全体として氷の結晶成長が抑えられると考えられてきました。一方、宇宙実験で明らかになった氷のベーサル面の成長促進は、凍結抑制機能とは一見矛盾するように見えます。しかし、このタンパク質を含む魚は、私たちの想像を超えるもっと複雑なしくみでその凍結を抑制していることを、この結果は教えてくれます。 それは、「多面体の結晶が成長するときに、結晶外形は最終的に最も成長の遅い面で囲まれる」という、結晶成長のよく知られた基本原理に関連します。氷点下にある魚の血液を採取して顕微鏡で観察すると、12個の三角形の形をした結晶面(ピラミッド面)で囲まれた氷の微結晶を多数見つけることができます。しかし、この微結晶はただ存在するだけで、それ以上には成長しないため血液全体が凍ることはありません。血液の中で氷結晶が生成された直後では、結晶の外形はもっとさまざまな結晶面で囲まれているはずです。ところが、氷のベーサル面は成長が促進されるため、だんだん小さくなりやがて消失してしまいます。これに対して、ピラミッド面とプリズム面では凍結抑制タンパク質が吸着しやすく、ベーサル面とは逆に成長が抑制されます。特に、ピラミッド面には成長を完全に停止させるほど、タンパク質が最も強く吸着することが知られています。こうして、氷微結晶が成長速度の最も遅いピラミッド面のみで囲まれ、最終的に12面体の結晶外形に達するとそれ以上の成長が停止するのです。宇宙実験で観察された氷のベーサル面の成長促進は、このタンパク質の凍結抑制機能を発現するための必然なのです。流氷下に住む魚は、結晶成長の基本原理と矛盾することなく、巧妙な戦略で凍結の危機を逃れているのです。 [caption id="attachment_4408" align="aligncenter" width="600"] 凍結抑制タンパク質を含む水が完全に凍結する温度は水の融点0℃よりも低くなる。完全凍結温度より高い温度でもピラミッド面で囲まれた12面体の氷結晶はあるが、成長は停止しているため全体が凍ることはない。この12面体結晶が生成されるためには、氷ベーサル面の成長速度がピラミッド面よりも速い必要がある。宇宙実験では、この底面の成長速度の促進が初めて実証された[/caption]

機能を活用する

凍結抑制タンパク質は、氷結晶の成長を抑制して水を不凍状態に保つことができる機能を持つため、生体臓器の移植、食品の冷凍保存、熱エネルギーの蓄積などに活用が期待されています。これらのタンパク質が単に成長抑制だけではなく、成長促進や周期変動を起こす機能も持つことが明らかになり、新たな応用の展開も期待されます。また、生体内で起きるさまざまな結晶成長の原理を理解して、新材料の創製に結びつけることを目指すバイオ・クリスタリゼーションと密接に関連することも大いに期待されます。
参考文献 Oscillations and accelerations of ice crystal growth rates in microgravity in presence of antifreeze glycoprotein impurity in supercooled water, Y. Furukawa, K. Nagashima, S. Nakatsubo, I. Yoshizaki, H. Tamaru, T. Shimaoka, T. Sone, E. Yokoyama, S. Zepeda, T. Terasawa, H. Asakawa, K. Murata, G. Sazaki, Scientific Reports, 7: 43157 (2017). doi:10.1038/srep43157]]>
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「未知の世界をロボットで解き明かしたい」 - 日本の海底探査チーム「Team KUROSHIO」共同代表・大木健博士 https://academist-cf.com/journal/?p=4285 Tue, 02 May 2017 03:00:13 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4285 【academist挑戦中】無人探査ロボットで東京ドーム1万個分の海底地図を描きたい! 「未知の世界をロボットで解き明かすことに興味がある」と話す海洋開発研究機構(JAMSTEC) 技術研究員 大木健博士はこれまでに、宇宙や地上、海底といった人が行くことが難しい極限環境を探査するロボットの研究開発を行ってきた。さらに、現在はロボットを利用した無人海底マッピング技術の性能を競う国際大会「Shell Ocean Discovery XPRIZE」に出場する日本の若手研究者からなるチーム「Team KUROSHIO」の共同代表を務めている。探査ロボットの魅力はどこにあるのだろう。大木博士に、地震・津波の観測監視システム「DONET」の開発やTeam KUROSHIOの現状もあわせて、お話をうかがった。

地震・津波の観測監視をするシステム「DONET」

ーー大木さんのこれまでの研究内容を教えてください。 私が大学院生時代に在籍していた研究室では、移動探査ロボットの研究をしていました。移動探査ロボットが活躍する分野はいろいろありますが、なかでも私がテーマにしていたのは、火山です。人間が活動するには危険な極限環境である火山を、人間の代わりに調査する車輪移動型の探査ロボットを開発していました。 移動探査ロボットが未知環境で調査活動を行うためには、自らの位置を正しくわかっていなければなりません。しかしながら、ロボットの車輪が滑ってしまうため、車輪の回転のみから正確な位置を知ることは難しいです。たとえば、アスファルトや砂利道、さらさらな砂の上など、環境によって車輪の滑り方は大きく異なります。私は、ロボットが車輪の滑りやすさを自分で計算して自己位置を正確に推定するための技術について研究していました。 ーーJAMSTECに入られてからはどんなお仕事をされていますか。 「DONET(Dense Oceanfloor Network system for Earthquakes and Tsunamis)」という地震と津波の観測・監視を目的としたケーブル式観測システムの開発プロジェクトに関わっていました。DONETは、陸上から海底の観測点までのすべてがケーブルで繋がっている、大規模なケーブル式センサネットワークです。2011年より稼働している和歌山県沖の「DONET1」と、2015年から運用開始された紀伊水道沖の「DONET2」があり、紀伊半島から四国沖の南海トラフに展開されています。DONET1は総延長約250kmのケーブルがループ状に敷設され、途中5箇所のノード(拡張用分岐装置)と呼ばれる装置にそれぞれ複数の地震・津波観測点が接続されています。DONET2も同様に、総延長350km程度の基幹ケーブルに7箇所のノードが入っています。DONET1と2を合わせると、海底の観測点は全部で51箇所あります。一番深いところでは水深4500mまでケーブルが伸びていますね。 [caption id="attachment_4531" align="aligncenter" width="600"] DONETの展開図。●印が観測点、★印がノードの位置(C)JAMSTEC[/caption] ーーとても広大なシステムですが、どうやって作っていくのでしょうか。 DONET1、2それぞれ、まずは計画を立て、海底地形や底質の調査を行い、海底システムやケーブルの製造を行い、最後の2年間くらいで海の中に展開していくという5ヵ年計画になっています。私はちょうどDONET2の海底ケーブルを敷設する段階でJAMSTECに入所したので、ちょうど敷設工事が本格化した時期でもあり、多いときで年間90日ほど、乗船して業務を行っていました。 DONETには、大きく2種類の海底ケーブルが使われています。ケーブル敷設船で敷設される太いメインケーブル(基幹ケーブル)と、海中作業ロボット(Remotely Operated Vehicle: ROV)を使って敷設される細径ケーブルです。ケーブルの中には、光ファイバーと電源線が通っています。 基幹ケーブルは、日本にも数隻しかないケーブル敷設船を使って24時間ひたすら海の中に下ろしていきます。その後、ノードや観測点をケーブルに繋げていくのですが、地震計・津波計やノードを設置するのも、ケーブル同士を繋ぐのも、全部ROVを使って行います。こういった精密な作業を水深4000mという海底で行うのは非常に困難です。そこで、遠隔操作式のパワーのあるROVが活躍します。 ーーここでロボットが登場するわけですね。 まず地震計を入れるための筒を海底に設置するという作業を行います。船上から筒を降ろしていき、海底付近で落下させて海底に突き刺すか、それでも刺さらないほど地盤が硬いときにはROVにハンマーを搭載して筒を海底に埋め込みます。その後、ROVに掃除機を装備させて、筒の中の泥を掃除機を使って掻き出します。続いて、ROVに地震計などの観測装置を装備させて、筒の中に地震計を設置します。最後に、ROVに後埋設装置を装備させて、地震計と筒の上から砂を被せて筒と地震計の隙間を埋め、地震計を安定させるのです。 こうしてできた観測点をノードと接続していきます。ノードには、水深4000m以深でも抜き差し可能な8つの水中着脱ポートが付いています。そこに、ROVを使って通信ケーブルや電源ケーブルのコネクタを刺していくのです。この作業は熟練したROVパイロットの方が行うのですが、まるで職人芸のようです。 ノードと観測点のあいだは、10kmほどの光・電気複合の細径ケーブルで繋いでいます。細径ケーブルを巻きつけたケーブルボビンをロボットに装備させ、それを繰り出しながら、平均1ノット弱くらいのゆっくりした速度で海底を舐めるようにして引っ張っていく必要があります。細径ケーブルは直径1cm以下の細さですから、細径ケーブル展張は、非常に繊細なオペレーションが長時間に渡って求められる難易度の高い作業です。 [caption id="attachment_4532" align="aligncenter" width="300"] 海中作業を行うROV「ハイパードルフィン」(C)JAMSTEC[/caption] ーー地震計・津波計を置く場所やケーブルを設置するルートも、DONETでは重要なポイントになってきますよね。 そうですね。第一に、海底の地形が明らかになっている必要があります。海底地形の大まかな全体像はわかっているのですが、設置する場所のより詳細な地形を調べなければ、このようなケーブルシステムを構築することはできません。そのために、船の上からソナーの音波を使って地形図を作ります。こうしてできあがった25m〜50m程度の解像度の地図を見ながら、ケーブルを通すルートなどを検討していきます。海底にはごつごつした岩や崖があるため、繊細なケーブルを敷設できるルートは限られてきます。ただし、手がかりは地形図しかありませんし、その解像度も本当はもっと必要です。私は、その限られた地形情報からどこにケーブルを設置すべきかを考えるという研究も過去に行っていました。 ーーDONETによってこれまで明らかになっていることにはどういうことがありますか。 そもそもこれまでは、海底がどのように振動して、どうやって津波が起こっているのかという情報を知る手立てがほぼありませんでした。このデータを取れるようになったということが、まず非常に重要だと思います。特に、世界的に見ても地殻変動が活発な南海トラフの様子をリアルタイムで把握できるようになったということ自体が、DONETの成果の第一歩です。またリアルタイムのデータが取れるようなったことで、普段と様子が違うという異常な状態も把握できるようになります。大きな地震が起こるなどした場合に、その前兆現象として何が起こっていたのかということが明らかになってくるのです。 情報を瞬時にリアルタイムに伝えることができるDONETのデータは、緊急地震速報や津波警報にも既に利用されています。 ※DONETは、2016年4月に防災科学技術研究所へ移管・運用されています。

7者の連携で世界にチャレンジ!

ーーDONETの設置には、海底の地形が明らかになっている必要があるというお話がありましたが、現在クラウドファンディングにチャレンジしている「Team KUROSHIO」の無人海底高速マッピング技術は、まさに今後DONETのようなシステムの構築や運用の際にも重要になってくると思います。大木さんはTeam KUROSHIOの共同代表を務められていますよね。現在の開発の状況を教えてください。 今年の3月に、無人海底高速マッピングの国際大会「Shell Ocean Discovery XPRIZE」のRound1を想定した海域試験を駿河湾で行いました。この大会では、地図作成のための自律型海中ロボット(Autonomous Underwater Vehicle:AUV)2台と、画像撮影用のAUV1台の3台体制のロボットシステムを使います。実際のシステムでは、これらを洋上中継機(Autonomous Surface Vehicle:ASV)で管制しますが、今回の海域試験では漁船を使っているため、部分的な予行演習ということになります。 ーー海域試験は今後も繰り返し行っていくのですか。 はい、その予定です。試験の結果をレポートにまとめてレビューを行って、それをもとにまたスケジュールを組み直して開発を進めて……という流れで進めていきます。次回の試験は、5月末を予定しています。 [caption id="attachment_4306" align="aligncenter" width="600"] 試験参加メンバーの集合写真(画像提供:Team KUROSHIO)[/caption] ーーTeam KUROSHIOのなかで大木さんはどういった立ち位置ですか。 現在は、7者の企業・研究所・大学がTeam KUROSHIOに関わっているのですが、ロボットはその所有機関で改造やメンテナンス、運用を行っています。たとえばASVを所有する三井造船は三井造船のなかでASVを改造、AUVを所有する東京大学は東京大学のなかでAUVの改修を行っています。しかしそれだけでは、無人海底高速マッピングのシステムとしては機能しないので、それぞれのロボットを連携させたひとつのロボットシステムを作る必要があります。私は、7者の機関の方々をチームとして機能させてシステムを完成させるためのプロジェクトマネジメントを行っています。海域試験も、チームとしての試験ということになりますね。 ーー大木さんのなかで、Shell Ocean Discovery XPRIZEに向けたいちばんの課題はどこにあるとお考えですか。 Team KUROSHIOには、これまで一緒に研究開発をしたことがない人たちが集まっているので、お互いの文化が違うんですよね。それぞれの文化の良いところを取り入れて一緒に開発を進めていくということは、なかなか難しいです。しかし、7つの機関が持っている力は相当なものがあります。それをうまく引き出すために、それぞれの機関が今抱えている課題を明確にして、開発全体のスケジュールに落とし込んでいくという作業が必要です。地味ではありますが、私たちJAMSTECの重要な役割であると考えています。 ーーTeam KUROSHIOのなかでの大木さんのお仕事は、マネジメントの要素が大きいかと思いますが、ロボットを対象にしているということはこれまでの研究生活の中でずっと変わらない部分だと思います。どういうところにロボット研究の魅力やおもしろさを感じられていますか。 ロボット研究っていうのは、とても学際的な分野だと思うんです。機械のことも、電気のことも理解している必要があるし、プログラミングもできないといけない。人間型ロボットの場合は人文学や、社会学の視点も必要になります。たとえば、自分にそっくりなロボットを開発しようと思ったら「人間の存在感とはいったいどこにあるのか」という哲学的な問いにまで話が膨らみますよね。一方で、我々が開発しているような海中調査のための実用的な働くロボットもあります。間口が広く、どんな研究にも繋がっていくというところが、研究者としてすごく良いところだと感じています。私は火星探査ロボットから興味が始まって、レスキューロボットや火山探査ロボット、海中ロボット……とロボットの調査フィールドを変えてきていますが、「移動探査ロボット」というキーワードを一貫して持ちながら研究を行っています。これができているのは、こういったロボット研究の懐の広さのおかげだと思っています。 ーー大木さんの研究者としてのビジョンを教えてください。 自分がロボットの世界に足を踏み入れたきっかけのひとつは、探査です。もちろんロボットそのものも好きなのですが、ロボットを使った「探査」はずっと続けていきたいキーワードですね。ロボットを使うことで、人間がいままでできなかったことを行い、知らなかったことを解き明かして、役に立つと同時に、世界中の人たちに知的な感動を与えられるような研究をしたいと思っています。 ーー最後に、Shell Ocean Discovery XPRIZEにむけた意気込みをお願いします! 世界中の研究者・技術者が挑戦するShell Ocean Discovery XPRIZEは、次世代の海中探査ロボットのコミュニティそのものだと思っています。そういう大会に積極的に出ていくということ自体が、まずとても重要です。もちろん、結果を出すことも大切ですが、その人たちとしっかり戦えるものを作るということは、結果的に世界中の人たちと海中探査のコミュニティを盛り上げていくことに繋がります。新たな技術が開発されることで、これまでリーチされてこなかった海底という世界の活用が、一気に広がるきっかけになると考えています。私は、Shell Ocean Discovery XPRIZEはそのトリガーとしての始まりのステップだと考えています。この"お祭り"を楽しむと同時に、お祭りの後に世界が良くなったことを実感できるよう、長期的な視点を持ちながらプロジェクトを進めていきたいです。 * * * Team KUROSHIOのクラウドファンディングチャレンジは、5月2日現在達成率70%、期間は5月26日までです。みなさんのご支援をお待ちしています!   大木健氏プロフィール 海洋研究開発機構(JAMSTEC) 地震津波海域観測研究開発センター 技術研究員。2013年、東北大学大学院工学研究科航空宇宙工学専攻にて博士(工学)を取得。東北大学の博士研究員等を経て2014年より現職。専門は移動ロボティクス、海底ケーブルシステム。未知の環境を移動探査ロボットで解き明かすことに興味を持つ。2016年より、Shell Ocean Discovery XPRIZEに挑戦する日本チーム”Team KUROSHIO”立ち上げに関わり、現在はチームの共同代表を務める。 Team KUROSHIO関連記事 ・国際大会に挑戦! 日本の海底探査チーム「Team KUROSHIO」に勝算はあるか – 代表・中谷武志博士に聞く ・「未知の世界をロボットで解き明かしたい」 – 日本の海底探査チーム「Team KUROSHIO」共同代表・大木健博士 ・「月面 VS 深海! 探査が難しいのはどっち? – HAKUTOとKUROSHIOによる徹底討論」レポート]]>
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深海に住む悪魔のサメ「ミツクリザメ」- その驚きの捕食方法「パチンコ式摂餌」とは? https://academist-cf.com/journal/?p=4418 Thu, 04 May 2017 01:00:06 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4418 ミツクリザメとはどんなサメ? ミツクリザメは、19世紀に横浜で発見され、大変奇妙な姿形から新科新属新種のサメとして報告されました。その後、深海調査が進むにつれ、世界に広く分布していることが明らかになってきました。 [caption id="attachment_4419" align="aligncenter" width="550"] ミツクリザメ
a:Jordan(1898)の原図 b:両顎を収納した状態 c:両顎が突出した状態[/caption] このミツクリザメは、顎が前方に飛び出し、歯がむき出しになった恐ろしげな容貌と色素を欠いた桃色の体から、欧米では「goblin shark(悪魔のサメ)」の呼称で知られています。日本では、長い鼻先(吻)からテングザメなどと呼ばれることもあります。しかし発見から一世紀以上経っても、その生態はほとんど明らかになっておらず、特にミツクリザメの最大の特徴ともいえる、前方に大きく突出する顎が捕食時にどのように使われるのかは大きな謎でした。しかし、近年NHKが海中での捕食シーンを撮影し、謎の解明に歩み出すことができました。

ミツクリザメの捕食行動に迫る!

NHKが撮影した映像には、顎を突出させ噛み付くミツクリザメの様子が、側方・下方・前方・斜めなどから撮影された生体映像も含まれており、その映像を下図cのように3.3〜13.2ミリ秒の分解写真にして、その捕食行動を解析しました。 その結果、想像でしかなかったミツクリザメの捕食行動の実態がはじめて明らかになりました。サメの摂餌過程は、一般的に、Resting(休止状態)、 Expansive(開口行動)、 Compressive(閉口行動)、 Recovery(復元行動)の4つのフェーズに分ける事ができます。ミツクリザメの場合もこの4フェーズに分けることができますが、閉口行動と復元行動には意味の異なる動作が含まれ、閉口行動を新たに3つのステージ(shooting射出動作、grasping把握動作、holding確保動作)に、復元行動を2つのステージ(re-opening再開口動作、re-closing再閉口動作)に細分しました。 下図のbは1回の捕食行動における顎の動きです。aに示したように、眼の前縁を原点(0, 0)とし、上顎前端ut(青点)と下顎前端lt(赤点)の動きを表しています。bの青点ループは上顎の、下の赤点ループは下顎の挙動を示し、数値は捕食行動の開始からの経過時間を示します。上下顎ともに、”0”ミリ秒が捕食行動の開始位置、そして捕食行動の終わりが”1397”ミリ秒になります。cと比較をしながらご覧ください。 [caption id="attachment_4420" align="aligncenter" width="550"] 両顎の動き
a:頭部の模式図 b:座標(原点は眼の前縁)上での上顎先端(青、ut)と下顎先端(赤、lt)の軌跡と所要時間(ミリ秒) c:両顎の動きを示す分解写真[/caption]

猛烈な速度で、遠方まで突出する顎

それでは時間経過とともにミツクリザメの捕食行動をフェーズごとに詳しく見ていきます。 1)開口行動(0~146ミリ秒) まず餌を発見すると、ミツクリザメは休止状態(0ミリ秒)から開口行動を開始します。下顎が後下方に高速で下ろされ、最大角度が111度にもなるほど口が大きく開かれます。このとき上顎はほとんど動きません。 2)閉口行動(146〜785ミリ秒) 次は閉口行動で、顎を閉じ、餌に噛み付く行動になります。ほとんど動いていなかった上顎は前下方に、そして大きく開いていた下顎は前上方に飛び出します。この間に口は閉じられていきますが、この行動の最初の部分(146〜239ミリ秒)は顎の先端部が垂直方向(Y軸方向)よりも水平方向(X軸方向)により大きく動いているので、顎を前方に送り出す動作(射出)になります。射出動作で顎が前方に移動する距離(射出距離)は、上顎で全長の8.6%、下顎で同9.4%でした。他のサメ類の射出距離は全長の0.9〜4.0%なので、ミツクリザメの射出距離は他のサメ類の2.1~9.5倍にもなり、他のサメ類と比べて、極めて大きく顎を突出させる事が判明しました。 また、射出動作の瞬間最大速度は、上顎が秒速1.60m(時速5.76km)、下顎が秒速3.14m(時速11.30km)でした。サメやエイの仲間が含まれる板鰓類における顎の射出速度のデータはあまりないのですが、吸引索餌をするために瞬間的に口を突出させることが知られているブラジルシビレエイは秒速0.87m、硬骨魚類の中で最速と言われているギチベラでも瞬間最大速度は秒速2.31mですので、ミツクリザメの顎がいかに速く突出するか理解できます。 次に把握動作(239〜319ミリ秒)が始まります。この間は顎の前端の垂直方向の動き(Y軸方向)が水平方向の動き(X軸方向)を上回るために、上下顎を合わせる(口を閉じる)動作になります。これで獲物がしっかりと捕えられます。捕食行動開始から把握動作の完了までにたったの0.319秒しかかかりません。ミツクリザメがいかに一瞬で餌を捕らえてしまうのかがよくわかります。その後は獲物をしっかりと確保し、両顎を元に戻す準備をします(確保動作:319~785ミリ秒)。この時間は獲物の大きさや種類などで大きく変わることが予想されます。 3)復元行動(785〜1077ミリ秒) 最後は顎を元の位置に引き戻す復元行動になります。この行動は単純だろうと想像をしていましたが、思いもよらぬ現象が観察されました。785〜1077ミリ秒の上下顎の動きをみると、上顎の位置は一定ですが、下顎が下側に大きく動いている事がわかります。なんと両顎を元に戻す途中で、再び口を開いているのです(再開口動作)。復元行動の開始時には開口角度が10度程度でしたが、その後1077ミリ秒時点で口を大きく開け、48度にもなりました。口を開けると捕らえた獲物を逃すおそれがあるため、この行動は不思議な現象ですが、他のビデオ映像を見ても同じ動作が確認されました。他のサメ類では知られていない動作ですので、この行動はミツクリザメ特有の現象と考えられます。再開口の理由やその仕組みは現在研究中です。その後は下顎が上昇し、再び口が閉じられて休止状態(1397ミリ秒)に戻ります。これで、一回の捕食行動が終了します。 [caption id="attachment_4421" align="aligncenter" width="382"] 顎の速度(メートル/秒)と開口度の変化
a:上顎の瞬間速度 b:下顎の瞬間速度 c:開口度[/caption]

ミツクリザメの“パチンコ式摂餌法”と進化

獲物を捕らえる時に顎を突出させる行動は、サメ類に一般的に見られますが、ミツクリザメはその能力を顕著に発達させ、他のサメ類とは比較にならないほどの高速ではるか前方まで顎を突出させることができることが明らかになりました。この様子は、解剖学的な特徴も考慮すると、著者らに遊具のパチンコ(ゴムを引っ張り、石を遠くに飛ばす道具)を連想させ、ミツクリザメの摂餌方法を「パチンコ式摂餌(slingshot feeding)」と命名しました。 [caption id="attachment_4422" align="aligncenter" width="550"] ミツクリザメのパチンコ式摂餌法
a:開口行動 bc:閉口行動(射出動作) d:閉口行動(把握動作) e:閉口行動(確保動作)[/caption] では、パチンコ式摂餌がどのように獲得されたのでしょうか。ミツクリザメはネズミザメ目に属する深海性のサメです。しかし、ネズミザメ目の祖先が浅海に生息していたこと、現生ネズミザメ目や近縁なサメ類が浅海に生息しているという事実から、ミツクリザメは浅海から深海生活に適応進化し、この過程でこの特殊な捕食能力を獲得したと考えられます。 ミツクリザメは主に魚類を捕食しますが、体は細長くて柔軟、そして筋肉は水っぽく、高速で獲物を追いかける能力を欠いています。事実、尾部の蛇行運動でゆっくりと泳ぐ様子が観察されています。このようなことから、ミツクリザメは餌生物の少ない深海で、泳ぐ魚をより確実に捕らえるために、顎を高速に、遠くまで投げ出す新たな手段を獲得した、と考えています。このような食餌法は、動きの鈍いカメレオンが餌を捕らえる方法とも通じるものがあります。 ミツクリザメの歌 ミツクリザメの生態を紹介する「歌」を作りました。お聴きください。 (https://www.youtube.com/watch?v=h0mF600pYqg参考論文 1.Nakaya, K., T. Tomita, K. Suda, K. Sato, K. Ogimoto, A. Chappell, T. Sato, K. Takano and T. Yuki. 2016. Slingshot biting of the goblin shark Mitsukurina owstoni (Pisces: Lamniformes: Mitsukurinidae) Scientific Reports, 6, 27786; doi: 10.1038/srep27786 2.Ebert, D.A., S. Fowler and L. Compagno. 2013. Sharks of the world. Wild Nature Press, England, 528 pp. 3.仲谷一宏 2016. サメ-海の王者たち. ブックマン社、東京、248 pp.]]>
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地球外生命体を探れ! 惑星探査とクマムシ研究から見るアストロバイオロジー https://academist-cf.com/journal/?p=4440 Wed, 03 May 2017 01:00:50 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4440 土星の衛星「エンケラドス」に生命はいるか [caption id="attachment_4441" align="aligncenter" width="600"] 藤島晧介氏。約38億年前の火星予想について説明している[/caption] 藤島氏はまず、アストロバイオロジーについて、その研究の意義や現在進めている研究内容もふまえて説明しました。 アストロバイオロジーとは、1990年代にNASAで研究され始めた比較的新しい学問です。これは言葉のイメージどおり、地球以外で生命が存在する可能性を探る学問ですが、その情報をもとに地球生命の起源、そして今後人類の生命圏をどこまで広げられるかを探る学問でもあります。 地球の生命体はすべて共通祖先から進化しており、共通の生命システムを持っています。「では宇宙の生命はどうだろうか? 地球の生命と同様なのか、はたまた異なるシステムなのか?」このような疑問のもと宇宙の生命体を探ることで、私たち地球生命体の起源や本質の解明に繋がると藤島氏は語ります。 [caption id="attachment_4442" align="aligncenter" width="600"] 太陽系内で生命が存在する可能性があるとされる星々[/caption] 現在、NASAや各研究機関によって太陽系における生命や生命の痕跡を探す試みが行われているそうです。藤島氏は土星の衛星「エンケラドス」に着目して研究を行っています。 土星の衛星エンケラドスの表面には氷が存在していますが、土星の重力の影響(潮汐摩擦)により氷が解けて熱されるため、地下には海、そして間欠泉が存在することがカッシーニ土星探査機での調査によりわかっています。ここには生命存在の可能性があるため、藤島氏はエンケラドスの海水の調査や、惑星内でのペプチド捕獲実験などを行っているそうです。 (このイベントの2日後、NASAがエンケラドスで地下の熱水由来と思われる水素を発見したという発表を『Science』誌」上で行いました。水素を代謝に利用しエネルギーを得る微生物は地球にもいるため、このような生物が存在する可能性が示唆され注目されています。) また調査は太陽系内に留まらず、ケプラー宇宙望遠鏡をはじめとする精度の高い望遠鏡などを用いて系外惑星を調査する試みも行われており、今後は太陽系外の探索がより活発になっていくようです。

クマムシが惑星間輸送を実現する!?

堀川氏は最強生物との呼び声も高い動物「クマムシ」に注目して研究を行っています。講演では、その極限環境耐性が私たちの宇宙進出へのヒントになるということまで話題を広げ、クマムシと宇宙の関係について説明しました。 [caption id="attachment_4443" align="aligncenter" width="600"] 堀川大樹氏。横には自身がデザインしたヨコヅナクマムシのぬいぐるみも[/caption] クマムシは緩歩動物門の多細胞生物であり、高温、低温、高圧、高放射線といった極限環境下でも死滅しない生物として知られています。クマムシはなぜこのような環境も生きていられるのでしょうか? その理由は「乾眠」です。 クマムシはストレスを受けると自ら脱水を行い、乾眠という仮死状態になることで極限の環境でも存在できるのです。乾眠状態のクマムシはDNAに傷が入りにくくなるため、放射線や紫外線にも耐えられることがわかっています。 こういったクマムシの「最強」である特徴に着目し、堀川氏は舞台を地球から宇宙に広げます。 クマムシが宇宙でも生存できるかどうか、過去にいくつか検証されています。疑似的に火星の環境を作り出す装置を用いた実験では、乾眠状態で41日間生き延びることができ、また衛星に乗せて宇宙空間に連れ出す実験においても、クマムシは生還したという結果があるそうです。 「“地球外生命体“というと、多くの人が細菌、もしくは人間に近い知的生命体という両極端な2つだけを想像する。しかし自分はその中間にある、クマムシのような多細胞生物にこそ焦点を当てている」と堀川氏。 神経や消化器官などを持つ多細胞生物が宇宙空間でも存在できることがわかり、その生態を解明、応用できれば、人間も宇宙に適応できるようになるかもしれません。細菌などの単細胞生物よりも多細胞生物に注目するのはこのためです。 また、宇宙には乾眠状態のクマムシのような「不活性生命」がいる可能性もあるといいます。堀川氏は、生命が誕生・生存できるとされる領域「ハビタブルゾーン」に対抗し、生命が不活性化などにより存在できる領域のことを「イグジスタブルゾーン」と命名しています。不活性生命、そしてイグジスタブルゾーンの研究が進めば、地球外に生命の起源があるとする「パンスペルミア説」の検証、また生物の惑星間輸送のヒントが得られるかもしれません。

アストロバイオロジーで叶えたい夢

トークセッションでは藤島氏、堀川氏がアストロバイオロジーへの思いを語りました。 [caption id="attachment_4445" align="aligncenter" width="600"] トークセッションの様子[/caption] アストロバイオロジーとは、最終的に何を目標にした学問なのでしょうか。また2人が叶えたい夢は何でしょう。藤島氏は、「まずは、人類が火星に降り立つところを見ること。そして、生命が生命として地球外の惑星で生きられる世界をつくることを目標にしている。そして最終的には生命とは何かということを知りたい」と、生命の本質に迫ることであると話します。 これに対して堀川氏は、「いろいろな生物に乾眠の性質などを与えて“クマムシ化“してみたい。将来的には人間を乾眠状態にして遠方の星まで惑星間輸送することができるようになるかもしれない。それはとても面白いし、役立つものだと思う」と、その応用可能性についても説明します。 一方、アストロバイオロジーには課題もあります。藤島氏は、「NASAが過去に何度か火星探査に行っているが、その際に火星でも生存可能な枯草菌などを地球から持ち込み、火星を汚染している可能性がある。もしそうだった場合は、倫理的に問題がある」と指摘します。 また倫理面の問題として堀川氏は、最近発見された系外惑星について、「大気組成すらまだ判明していないのに、海などを描いた”地球風”のイメージアートが発表されている。人々の宇宙への興味関心を過度に煽るため意図的に作られている」ことを挙げます。宇宙は未知の部分が多いため、アストロバイオロジーでは多少の空想が許されてしまう側面があるのかもしれません。 NASAでは、2030年までに火星有人探査を実現させる計画もあり、これからますます宇宙、そして宇宙の生命への関心が高まっていくことが考えられます。これから盛り上がっていく分野だからこそ、私たちもアストロバイオロジーについてよく理解し、批判的な見方も身に付けなければいけないと実感したイベントでした。 * * * 堀川氏は、現在academistで「最強生物クマムシの耐性の謎をゲノム編集で解明する!」のテーマでクラウドファンディングに挑戦中です。ぜひご支援をお願いいたします。]]>
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釣り人の写真は貴重な資料! - Web上の写真をもとに川魚ウグイの繁殖生態を明らかにする https://academist-cf.com/journal/?p=4492 Wed, 17 May 2017 01:00:44 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4492 ウグイってどんな魚? ウグイは、沖縄県を除く日本全国、そしてロシア、朝鮮半島に分布する、最大で体長が50㎝になる魚です。川の中流域に多く住んでいてとてもよく釣れるので、釣り人には良い意味でも悪い意味でもよく知られた魚です。ウグイには、とても面白い特徴が3つあります。 1. 海と川を行き来できる コイの仲間はほぼすべてが川魚ですが、ウグイは海と川を行き来できるというとても珍しい能力を持っています。 2. 違う種類とも繁殖する ウグイの近い仲間としてエゾウグイ、マルタという種類がいますが、ウグイはとくにマルタとハイブリッドを作ることが知られています。 ただし、これらの特徴は今回の研究とは直接は関係ありません。今回注目するのは、次の特徴です。 3. オスもメスも婚姻色を出す 多くの生きものでは、メスに自分の繁殖相手としての質をアピールするため、オスが派手な見た目をしています。これに対しウグイは、産卵期にはオスもメスも同じような婚姻色を見せるとされています。 どうしてウグイがこのような特徴をもつのか、僕は興味を持っています。そのためにも、婚姻色にはどのようなバリエーションがあるのか、それは場所によって違うのか、全国スケールで明らかにしたいと考えました。しかし僕は昨年度新しく研究室に入ってきた学生。お金も人手もありません。どうしたものか……。

Web情報を生物学に利用する

そこで、指導教官である小泉准教授が提案したのは「写真ググればええよな」ということでした。当然、僕は「うそお!?」と思ったのですが、確かに、釣り人のブログを中心に、Web上ではとても多くのウグイ写真が見つけられます。さらに最近では、Web上の画像を使った生物学の研究がちらほらと出てきています。 そこで、Google画像検索やTwitterを通じて本格的に写真を探してみました。すると、撮影場所がわかる鮮明なウグイ写真を、日本の42都道府県から401枚見つけることができました。写真探しに使った時間は多く見積もっても5日間。費用はインターネットプロバイダ代のみ。もちろん自分の足で稼ぐデータに比べれば信頼性は低いのですが、たったこれだけのコストで日本全国から情報を集められるのはやはり魅力です。

未知の婚姻色パターンを発見!

Web上の写真は撮影条件がばらばらなので、直接色を分析することができません。そのため、下図のように、ウグイの体の7部位を決め、その部位の色を黒、灰色、黄色、オレンジの4つに分類しました。 とても主観的な分類ではあるのですが、分類の客観性を評価するため、他の方にも分類をお願いして僕の結果と照らし合わせたところ、一致率が8割を超えることを確かめました。そして婚姻色のパターンを精査すると、下図のe、fのようなこれまでに知られていなかったパターンを見つけることができました。 その一方で、ひとつの川のなかでもさまざまな色パターンが見られ、地域による違いはほとんど見つけられませんでした。 [caption id="attachment_4495" align="aligncenter" width="600"] Web上の写真から明らかになった、ウグイ婚姻色パターンの変異。図中の矢印は体の各部位での色の変異で、塗りつぶし部分は各河川で見られた変異の範囲[/caption] 多くの魚で、婚姻色は個体のコンディションによって変わります。写真によって個体のコンディションは違うでしょうから、今回の結果にどれくらいその個体のコンディションが影響していて、どれくらいその個体の安定した特徴が反映されているのかはわかりません。しかし、これまで黒帯2本、赤帯3本という簡単な記述しかなかったウグイの婚姻色について、より詳しく知ることができたのは間違いありません。

婚姻色のある/ない写真の撮影時期から産卵期を見積もる

写真のほとんどは釣り人のブログで見つかったため、写真の日付けが多くの写真で明記されています。また、ウグイの婚姻色は繁殖期にのみ現れるとされていますので、婚姻色があるウグイ/ないウグイが撮影された日付から、ウグイの繁殖期を見積もることができるのではないかと考えました。 写真は特定の地域で多く撮られており、東京都・神奈川県の多摩川では98枚、長野県の千曲川では33枚、北海道の千歳川では72枚もの、日付のわかる写真が見つかりました。そして、婚姻色があるウグイ/ないウグイ写真の日付と、昔調べられた各川でのウグイの産卵期を照らし合わせると、千曲川と多摩川では、婚姻色のある写真が撮影された時期は昔のウグイの産卵期(多摩川は1969年、千曲川は1955年)とよく一致することがわかりました。一方で、千曲川での婚姻色写真の撮影時期は、1935年に報告された産卵時期よりも1か月以上前にずれています。それでもなお、見積もった産卵期は 多摩川→千曲川→千歳川と、北に行くにつれて約2か月遅くなっていました。 [caption id="attachment_4496" align="aligncenter" width="600"] Web上の写真を使った繁殖期の推定。横軸は写真の日付で、オレンジ色の範囲が実際の繁殖期[/caption] 実際には、「婚姻色を出している時期」と「産卵が始まって終わるまでの時期」が完全に一致するとは限りません。ですが、婚姻色の有無というわかりやすい指標を使って繁殖期を見積もるこのアプローチはとても便利で、他の生きものにも応用可能です。 たとえば植物では、花の有無を使って繁殖期を調べられます。Web上の情報がより一層たまっていくであろう今後は、年ごとに産卵期を見積もって、産卵期の年ごとの変化を簡単に調べられるようになるでしょう。気候変化による生きもののタイムスケジュールの変化が懸念される昨今、このようなWeb写真の研究利用は重要になってくるかもしれません。   引用文献 Atsumi K, Koizumi I (2017) Web image search revealed large-scale variations in breeding season and nuptial coloration in a mutually ornamented fish, Tribolodon hakonensis. Ecological Research  DOI: 10.1007/s11284-017-1466-z]]>
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セレン原子が切り開く、インスリン化学合成と機能の向上を目指した新しい道筋 https://academist-cf.com/journal/?p=4501 Tue, 02 May 2017 01:00:07 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4501 インスリン製剤の現状 糖尿病患者の数は世界で4億人を超えるといわれています。インスリン製剤は患者の命をつなぐ唯一の薬剤である一方で、高頻度での製剤の皮下投与は患者の肉体的、精神的、そして経済的な負担が大きいものです。したがって、インスリンのより安価な市場供給を可能にする新しい製造法を確立することや、投与頻度を抑えることができるような新規製剤の開発が、創薬分野における喫緊の課題となっています。 インスリンはA鎖とB鎖の2本のペプチド鎖からなるタンパク質で、鎖間はシステイン(Cys;C)残基間で形成される2組のジスルフィド(S-S)結合によってリンクされた構造をとっています。一般的に広く認知されるインスリンですが、そのユニークな構造から、人工調製は実は容易ではありません。 現在では酵母や大腸菌による発現系を基盤とした遺伝子工学技術が応用されており、A鎖とB鎖がリンカー(C-ペプチド)で繋がったプロインスリンを発現し(Step 1)、S-S結合を架橋後(Step 2)、C-ペプチドを酵素によって切除(Step 3)する多段階な工程を踏む必要があります。 この手法では、(1)Step 1が生物の力に依存するため非天然アミノ酸を導入することが困難で、新規製剤の分子設計を大きく制約する、(2)Step 2においてでたらめにS-S架橋した種が生じる、(3)Step 3において目的部位以外でのペプチドの切断が起こる、など多くの問題を孕んでいるのが現状です。

温故知新 - 最古の手法から学ぶインスリン合成の新手法

「このような多段階的なインスリンの調製方法をもっと簡便にできないだろうか?」インスリンを構成するA鎖とB鎖を合成し、溶液内で混ぜるだけで目的のインスリンを得ることができればこれほど簡単な方法はありません。このような手法はすでに、60年も前に考案され、さまざまな研究グループが試行錯誤を繰り返しましたが、結局はA鎖とB鎖の分子内でS-S結合が優先的に架橋されてしまうため、目的のインスリンはほとんど得られない(収率は約1~5%ほど)と結論付けられました。 しかし、我々はあえて原点回帰し、この歴史に埋もれたコンセプトを採用しました。この古典的な手法を現代の効率的なインスリン合成法へと昇華させるため、反応性に富むセレン(Se)原子に着目しました。つまり鎖間架橋を作る硫黄(S)をSeに置き換えたA鎖とB鎖を用いれば、鎖間でジセレニド(Se-Se)結合が迅速に形成され、両ペプチド鎖の会合反応を効率的に行えると予想しました。 実際、Cys残基のSをSe原子に置換したセレノシステイン(Sec;U)を組み込んだA鎖とB鎖を合成し、各ペプチド鎖を最適な条件下で混合させることで、目的のセレン含有インスリン、名付けて「セレノインスリン」が最大27%の単離収率で得られました。セレンを導入する戦略は、予想どおり、二本鎖のインスリン構成鎖を用いた古典的な手法を改善しました。

「セレノインスリン」の特徴

セレン原子導入という人工的な改良を施している以上、セレノインスリンの特徴を構造と生理活性の両面から把握する必要があります。はじめに、X線結晶構造解析によってセレノインスリンの3次元構造の解明に取り組みました。分析の結果、セレノインスリンは天然のインスリン同様の立体構造を有していることがわかりました。 [caption id="attachment_4503" align="aligncenter" width="300"] セレノインスリンのX線結晶構造[/caption] さらに、セレノインスリンによる細胞刺激応答を観測し、その生理活性を評価しました。インスリンによる細胞刺激では、細胞表面のインスリンレセプターからリン酸化シグナル伝達を引き起こすことが知られています。天然のインスリンとセレノインスリンを用いて細胞刺激を行い、AktとGSK3bというタンパク質のリン酸化状態を比較することで、セレノインスリンの生理活性を評価することができます。結果として、セレノインスリンは“インスリン”としての生理機能を保持していることを確認することができました。 一方で、セレノインスリンは天然インスリンよりもインスリン分解酵素(IDE)に対して高い耐性を持つことが、試験管内でのIDEによる分解実験から明らかになりました。これはSe-Se結合自身の強固な安定性に加えて、IDEが認識しているインスリンの局所構造がセレノインスリンではごくわずかに変形していることに起因しているものと考えられます。 [caption id="attachment_4504" align="aligncenter" width="300"] in vitroにおけるIDEによるインスリンとセレノインスリンの分解速度の比較[/caption]

次世代インスリン製剤の開発を目指して

皮下注射されたインスリン製剤は、血流によって循環した後、最終的に腎臓内のIDEによって分解され体外に排出されます。腎不全を併発した糖尿病患者は一般的にインスリン製剤の投与量・回数が減少しますが、これは皮肉にも腎臓内でのインスリン分解が滞り、血中のインスリン濃度が低下しにくくなるためであると考えられます。 もしIDEに対して分解耐性を示すインスリンができれば、長時間にわたって体内を循環し、投与頻度を抑えることができる新しいタイプの薬効持続型(持効型)インスリン製剤の開発につながるかもしれません。我々の研究グループでは上記で述べたようにセレノインスリンが顕著なIDE耐性を示すことを見出しており、化学合成を基盤とした新しいインスリン製剤開発の扉を開きつつあると考えています。 セレン原子は我々の体の中にも存在する必須微量元素で、それを含むセレノシステイン(Sec)はさまざまな酵素(特に抗酸化酵素)の構成アミノ酸として存在しています。しかし、インスリンにSecを導入した際の毒性や、IDE分解耐性が動物においてどのような影響を与えるか慎重に検討する必要があると考えています。動物実験と分子構造の最適化を行い、将来的にはセレノインスリンが糖尿病患者の投薬負担を軽減する新規製剤として利用されることに期待したいです。
参考文献 Kjeldsen, T. Yeast secretory expression of insulin precursors. Appl. Microbiol. Biotechnol. 54, 277–286 (2000) E. Liu, et al., Chemical synthesis of peptides within the insulin superfamily. J. Pept. Sci. 22, 260–270 (2016). K. Arai, et al., Preparation of Selenoinsulin as a Long-Lasting Insulin Analogue, Angew. Chem. Int. Ed., 56, (2017), in press.]]>
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ミセルの会合数の不連続性を発見 - 高校化学の教科書の記載が変わるかも? https://academist-cf.com/journal/?p=4551 Tue, 09 May 2017 01:00:44 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4551 従来のミセルの概念 ミセルは洗剤や、化粧品の材料、薬物の送達など多くの分野に使われている、きわめて身近な存在です。また、生命現象の根幹である細胞膜や細胞内の物質の移動もミセルの一種であるベシクルが重要な役割を果たしています。ミセルを作る化合物は、水に溶けやすい親水部と水に溶けにくい疎水部からなっており、その化合物が形成するミセル形態、特に球状ミセルは、多くの化合物がとる形状で、古くから研究が行われてきました。 1913年にイギリスの化学者マックベインによってミセルの概念が提唱された後、そのモデルの精密化と理論の構築やミセルの実験的な観測はデバイやタンフォードらによって開始され、現代までさまざまな研究が行われています。しかし、マックベインによる球状ミセルの概念そのものは、一貫して確立された完全に正しい事実として扱われてきました。これによると、球状ミセルは数十から百数十の分子が集まって形成され、その会合数は、疎水性の部分と、親水性の部分のバランスによって決まり、溶媒や濃度、ミセルの化学構造が変われば、連続的に変化するとされています。また、マックベインによって提唱された球状ミセルのモデルは高校の化学の教科書に必ず解説図付きで載っている高校化学の必須事項です。

ミセルのプラトニック性

我々の研究グループは、カリクサレン系の両親媒性化合物が水の中で球状ミセルを形成することを見出し、構造精密解析を行った結果、そのミセルの会合数が6であり、かつそれ以外の会合数は存在しないこと(単分散性)を見出しました。このような会合数にまったく分布のないミセルは、従来のミセルの概念では説明できません。さらに他の類似化合物や天然系の脂質に関しても同様の単分散性が確認され、会合数が30以下の場合には、その会合数が、2、4、6、8、12、20から選ばれる数字のどれかになることを発見しました。本研究グループが見つけた会合数のほとんどは、プラトンの正多面体(4面体、6面体、8面体、12面体、20面体)の面の数と一致します。このことから、この不思議なミセルを「プラトニックミセル」と名付けました。 以上のことから、セッケン分子や脂質などの両親媒性化合物が水中で球状ミセルを形成し、その会合数が30以下になると、今までの研究者が気づかなかっただけで、すべての化合物で、2、4、6、8、12、20から選ばれる数字のどれかから選ばれる会合数を取っていると考えるに至りました。すなわち、プラトニック性:「不連続な会合数」&「プラトンの正多面体の面数と一致」は、ミセル一般に適用できる一般法則であり、球状ミセルが発見されて104年間、誰も気が付かなかった事実であります。

ミセル会合数と疎水コアの被覆率の関係

水の中でミセルを作る分子は、水に溶けやすい親水性部分と、水に溶けないで水との接触を嫌う疎水性部分からなっています。球状ミセルを作る分子の大雑把な形状は円錐状と考えることができます。下図に示すように、円錐の尖った部分が疎水性で底面の部分が親水性です。 水は疎水性の部分との接触を嫌うため、このような円錐形の分子は疎水性の部分(図の緑の部分)がお互いに寄り集まって、親水性の部分で疎水性の部分を覆い隠すように球状の集合体を作ると考えられています。従来は会合数が十分に大きいとして理論的な考察がされていました。これによると、分子の数が多くなるほど疎水性の部分の露出が少なくなる、すなわち、被覆率が高くなるのですが、分子の数が多いと混みあってきて反発が大きくなります。会合数はこの被覆率と分子間反発力という2つの因子のバランスで決まるとされてきました(タンフォードの理論:パッキングパラメーター理論)。

プラトニックミセルの理論的な裏付け

会合数が少ない場合でも、特定の数のときには被覆率は高くなります。たとえば、下図では、会合数12と3の場合を示しています。会合数12の場合は、被覆率は90%となり、会合数3の場合は、被覆率は75%となります。このように、円錐の数が少ないときは、円錐の数によって最大となる被覆率が大きく異なります。 球の表面を同じ大きさの球帽で覆うときの配置の問題はテーマス問題と呼ばれ、現在でも完全な解答が見つかっていない数学上の未解決問題のひとつです。計算機を使った被覆率の近似的な値と球帽の数の関係を下図に示します。 2の場合は先に述べたように2つの極に半球を配置すれば被覆率が100%となります。被覆率が高いのは4、6、12、20、24で40を超えると48のとき以外はほぼ一定の被覆率となります。ここに、本研究グループが発見した系(会合数4、20)とすでに発表した系(会合数2、6、8、12、32)を載せてみたところ、被覆率が高いところで実際のミセルが出現していることがわかります。従来のミセルの会合数は30以上であり、このような会合数の大きなミセルでは、被覆率はほぼ一定として扱われてきました。しかし、興味深いことに、会合数32や48でもピークがあり、セッケンのような会合数の大きなミセルでもプラトニックミセルの現象がおきているかもしれません。

今後の展開

ミセルはナノテクノロジーの基盤技術です。たとえば、医薬品を効率良く患部へ運搬する技術において、ミセルは薬物輸送用のナノキャリアとして不可欠です。臓器や細胞は、極めて正確にナノ粒子の大きさや形状を識別していることが最近明らかになりつつあります。つまり、標的とする細胞が好む形や大きさに厳密に制御・設計した単分散なナノキャリアが求められています。このような粒子は、巡航ミサイルのように生体の異物排除機能を回避して、目的の臓器、さらには細胞、細胞内の特定の器官に到達する能力を持つものと思われます。これは、副作用が強くて実用化されなかった既存の低分子医薬の復活、遺伝子導入効率が本物のウイルスに迫るような遺伝子ベクターや、癌免疫療法に利用する抗原デリバリーなど、次世代の薬物送達システムの基盤技術となると考えます。 また、分子鋳型法では、ミセルを鋳型にしてメソポーラスシリカなどの多孔質のシリカ粒子や膜、触媒が作られます。このような場面においても、本研究グループが見つけたプラトニックミセルの技術を利用すれば、均一な粒子を鋳型にした、真に均一な孔の大きさを自由に制御できるナノ多孔体が実現できると考えられます。 参考文献 S. Fujii et al., “Platonic Micelles: Monodisperse Micelles with Discrete Aggregation Numbers Corresponding to Regular Polyhedra”, Scientific Reports, 2017; 7: 44494 S. Fujii et al., “A stimulus-responsive shape-persistent micelle bearing a calix[4]arene building block: Reversible pH-dependent transition between spherical and cylindrical forms”, Langmuir, 2012, 28, pp 3092–3101]]>
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緑藻の体内時計をリセットするメカニズム - 赤や紫の光情報を伝える因子CSLを発見 https://academist-cf.com/journal/?p=4564 Mon, 08 May 2017 01:00:17 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4564 緑藻は植物? 動物? 池の水は緑色をしています。これは、緑藻と呼ばれる生物がたくさんいるからです。緑藻の多くは単細胞生物で、光合成をして生きています。その点では植物と言えます。しかし、多くの緑藻は鞭毛を持ち、水中を自由自在に泳いで生活しています。 緑藻のなかで最も良く研究されている種がクラミドモナスです。最新のゲノム研究から、クラミドモナスは植物と動物の特徴を併せ持つ生物であることが明らかになっています。
[embed]https://youtu.be/PB2rVmDxUd4[/embed]  
たとえば、細胞が光を感じるためには光受容体が必要ですが、クラミドモナスはチャネルロドプシンと呼ばれるロドプシン型の光受容体を持っています。ロドプシンは動物の目で使われている光受容体です。一方で、クラミドモナスはフォトトロピンも持っています。フォトトロピンは植物で気孔開口や光屈性に関与することが知られている光受容体です。また、動物も植物もクリプトクロムという光受容体を持っていますが、クラミドモナスは動物型クリプトクロムと植物型クリプトクロムの両方を持っています。 [caption id="attachment_4575" align="aligncenter" width="600"] クラミドモナスの写真と模式図[/caption]

クラミドモナスの一日

クラミドモナスは行き当たりばったりに泳ぎ回って生きているわけではありません。効率的なスケジュールの生活リズムで生きています。朝、太陽が昇り始める少し前から、クラミドモナスの体のなかでは一日の活動の準備が始まります。夜のあいだ休んでいた光合成に必要なたくさんの遺伝子が活発に働き始めます。池の水面に日が当たると、クラミドモナスは光に向かって泳ぎ始めます。これは“走光性”と呼ばれますが、クラミドモナスの目(眼点)にあるチャネルロドプシンが、光の来る方向を認識しています。 日中は水面近くで光を十分に浴びて光合成をします。それによりたくさんのデンプンをピレノイドという細胞内小器官に蓄えます。日が沈むと、そのデンプンを少しずつ使いながら必要なエネルギーを得ます。 夜は生きていくうえで必要な窒素化合物を得る時間です。夜になると“走化性”を示し、窒素化合物の豊富な水底に移動します。ちょうどその時間帯には細胞の表面の粘着性が高まり水底の石や水草の表面に付着します。その状態で水中から窒素化合物を取り込みながら、朝が来るのを待ちます。 このような規則正しい生活が出来るのは、クラミドモナスのような単純に見える生きものでも、体内時計を持っているからです。

クラミドモナスの体内時計に光情報を伝える遺伝子CSLの発見

クラミドモナスの体内時計を構成するパーツは、動物とは異なります。植物と似たパーツと緑藻独自のパーツからなる時計を持っています。しかし、いずれの生物でも時計としての性質は同じです。たとえば、どの生物の体内時計も、朝日を浴びることでリセットされます。 以前、私たちの研究グループは、クラミドモナスが光を浴びると体内時計のパーツのひとつであるROC15というタンパク質が急速に分解され、それがリセットの引き金となることを明らかにしました。リセットには可視光域のほぼすべての波長の光が有効ですが、注目すべき点は、とりわけ赤色光が良く効くことです。なぜなら、クラミドモナスでは赤色光受容体が見つかっていないためです。前述したクラミドモナスの持ついくつかの光受容体は、いずれも赤色光を受容することが出来ません。つまり、この現象には未知の光受容体が関わっている可能性が高いのです。 そこで今回、私たちは光情報をROC15に伝えるために必要な遺伝子を明らかにしようと試みました。クラミドモナスの遺伝子をランダムに破壊し、光を浴びたときにROC15の分解が起こらなくなる変異体を探索しました。1万以上の変異体を探索して、そのような変異体をいくつか見つけました。 興味深いことに、そのうちのひとつは赤色光と紫色光に対して反応出来なくなっていました。つまり、この変異体では赤/紫色光の情報をROC15へ伝えることができなくなっていると考えられます。この変異体で破壊された遺伝子を突き止めた結果、動物や菌類がもつSHOC2というタンパク質と似たタンパク質をコードする遺伝子が壊れていたことがわかりました。そこで私たちは、このクラミドモナスの遺伝子をCSL(Chlamydomonas SHOC2-like Leucine rich repeat protein)と命名しました。 [caption id="attachment_4566" align="aligncenter" width="600"] 概略図:クラミドモナスの体内時計リセットのメカニズム[/caption]

CSLの発見から見えてくること

クラミドモナスが赤(および紫)の光を関知するメカニズムは謎に包まれていました。CSLの発見によりその謎のメカニズムの一端が見えてきました。今後、CSLが謎を解く鍵となることは間違いありません。CSLの作るタンパク質自体が光を受容するかどうかは、まだわかりません。アミノ酸配列の解析からは、おそらく細胞内で情報を伝える役割を担っており、光受容体そのものは他にあると推測されます。CSLの解析をさらに進めることで、光受容体に辿り着けるはずです。動物も植物も菌類もバクテリアも赤色光受容体を持っています。緑藻のクラミドモナスで新たに赤色光受容体が見つかると、生物が進化の過程でどのようにして赤い光を感知できるようになってきたのかという謎が解明されると期待されます。

緑藻の応用の可能性

緑藻やその他の単細胞光合成生物をまとめて藻類といいます。近年、藻類は大変注目されています。なぜなら藻類は、バイオ燃料、医薬品、機能性食品などの有用物質生産において非常に高い能力を持っていることが明らかになってきたためです。前述のクラミドモナスの例ように、藻類の1日の活動は体内時計の影響を強く受けます。利用したい有用物質の種類によって、生産に最適な時刻は異なります。体内時計を自在にコントロール出来れば、バイオ燃料に適した時間、機能性食品に適した時間などを任意に選べるようになり、藻類の潜在能力を最大限に活用することが可能になります。CSLは体内時計をリセットするメカニズムの一部です。CSLをコントロールすることで、体内時計の時刻を自在に調節することが次の目標のひとつです。   参考文献 Matsuo T, Ishiura M. New insights into the circadian clock in Chlamydomonas. Int. Rev. Cell Mol. Biol. 2010; 280: 281-314 Niwa Y, Matsuo T, Onai K, Kato D, Tachikawa M, Ishiura M. Phase-resetting mechanism of the circadian clock in Chlamydomonas reinhardtii. Proc Natl Acad Sci U S A. 2013;110: 13666–71. Kinoshita A, Niwa Y, Onai K, Yamano T, Fukuzawa H, Ishiura M, Matsuo T. CSL encodes a leucine-rich-repeat protein implicated in red/violet light signaling to the circadian clock in Chlamydomonas. PLOS Genet. 2017;13: e1006645.]]>
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ゾウリムシで細胞内共生の仕組みを解明する!- 山口大学・藤島政博教授の挑戦 https://academist-cf.com/journal/?p=4588 Fri, 05 May 2017 04:00:24 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4588 細胞内共生の模式図[/caption] これまでに藤島教授の研究チームは、ミドリゾウリムシの細胞から共生生物であるクロレラを除去した細胞と、ミドリゾウリムシから単離したクロレラとを混合し、細胞内共生の再成立を誘導することに成功しました。今回のプロジェクトでは、クロレラの共生によって発現が変化するミドリゾウリムシの主なタンパク質の抗体を作成し、ミドリゾウリムシ細胞内での抗原の存在場所と消長のタイミングを顕微鏡で調べ、抗原の機能を解明することを目指します。 だれもが一度は聞いたことのあるだろうゾウリムシの活躍に、ぜひご注目ください! [caption id="attachment_4590" align="aligncenter" width="600"] リターンには藤島先生による研究室ツアーも。[/caption] 山口大学の公式プレスリリースはこちら。]]> 4588 0 0 0 顕微鏡のなかのミクロな世界を3Dプリンタで出力する!- 深層学習で3Dデータを作る https://academist-cf.com/journal/?p=4596 Sat, 06 May 2017 01:00:45 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4596 顕微鏡から得られた3Dデータをそのまま出力したい!と考えた慶應義塾大学のガリポン・ジョゼフィーヌさんは、ミクロトームという技術で作られた2Dの切片からディープラーニングを用いて3Dデータを作り、それをそのまま3Dプリンタで出力することを目指した研究を進めます。 [caption id="attachment_4597" align="aligncenter" width="600"] ミクロトームで切片を作成する[/caption] 支援された方々には、ガリポンさんの研究内容を直接聞くことのできるサイエンス・カフェの参加チケットや、実際のクマムシの3Dデータをもとに作られたオリジナル模型(製作時間36時間!)など、さまざまなリターンをご用意しておりますので、ぜひプロジェクトページをご覧ください! [caption id="attachment_4598" align="aligncenter" width="600"] 3Dプリンタでクマムシのオリジナル模型を製作する[/caption]]]> 4596 0 0 0 「月面 VS 深海! 探査が難しいのはどっち? - HAKUTOとKUROSHIOによる徹底討論」レポート https://academist-cf.com/journal/?p=4602 Sat, 06 May 2017 04:00:37 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4602 「月の砂」の上を走るのは、予想外に難しい イベントはまず、月面探査の国際大会「Google Lunar XPRIZE」に挑戦する「HAKUTO」の技術責任者である東北大学の吉田和哉教授の講演からはじまりました。「Google Lunar XPRIZE」が提示したミッションは、「月面に探査機を着陸させること」、「着陸地点から500m以上移動させること」、そして、「高解像度の動画や静止画データを地球に送信すること」です。そしてHAKUTOは、この難問に取り組む日本唯一のチームです。 はたして、月面探査は何が難しいのでしょうか。吉田教授は、特に「月を覆う柔らかい砂の上を走る」ことの困難さについて語ります。当初、吉田教授は、月の表面を覆うふかふかの砂を進むことは、火星を覆うガタガタした岩石を乗り越えることよりも簡単だと思っていたといいます。しかし実際に探査車をつくり、砂の上を走らせてみたところ、ふかふかの砂の上では車輪が空転し、もがけばもがくほど沈んでいくことに気づいたのです。これでは、月面探査を行うことはできません。吉田教授は、さまざまな形状をした車輪を作成し、試行錯誤することで、月面でも探査できると考えられる探査車をつくりあげたのです。 HAKUTOは今後、今年の夏までに探査車の最終調整を行い、2017年12月28日、ついにインドから探査車を打ち上げる予定だといいます。無事、月までたどりつき、月面を優雅に走る探査車の姿を見てみたいですね。 [caption id="attachment_4668" align="aligncenter" width="600"] 月探査の難しさについて語る吉田和哉教授[/caption]

1100気圧というとてつもない圧力に耐える

つづいて、深海探査の国際大会「Shell Ocean Discovery XPRIZE」に挑戦する「Team KUROSHIO」の技術責任者であるJAMSTECの中谷武志研究員が、深海探査の難しさについて熱く語りました。 Team KUROSHIOは、「有人支援母船なしに、探査ロボットだけで広大な海域の海底地形図を作成し、海底画像を撮影する」ミッションに挑戦するグループです。まずは、2017年7月までに、水深 2000mで 16時間以内に最低100km2以上の海底マップを構築し、海底ターゲットの写真撮影を行う無人探査機をつくるために、研究を進めています。 中谷博士は講演の冒頭で、「これまで月面に着陸した人類は12人います。しかし、地球最深部であるマリアナ海溝のチャレンジャー海淵に到達した人類は、まだ3人しかいないのです」と話すことで、月面探査に比べて深海探査がまだまだ行われていないことを紹介しました。 [caption id="attachment_4669" align="aligncenter" width="600"] 深海探査の難しさについて語る中谷武志研究員[/caption] 深海探査は何が難しいのでしょうか。中谷博士は、特に水中での通信の困難さを強調しました。宇宙探査をはじめとして、一般的に通信の際は「電波」を用います。しかし、水中では電波が通じないため、超音波を用いて情報の伝達を行います。超音波は、電波にくらべて分解能が非常に低いため、無人探査機の位置を把握することが非常に難しいというのです。また、深海の圧力も困難さを際立たせます。水深が10m深くなるごとに、圧力は1気圧ずつ高くなっていきます。そのため、水深約11kmである地球最深部では、探査機は1100気圧というとてつもない圧力に耐えないといけなくなるのです。 このような極限環境のなか、今回のチャレンジでは、山手線内側の8倍にもおよぶ面積(500km2)をたった16時間で探査しないといけません。「これはとてつもなく難しい挑戦なのです」と、中谷博士は深海探査の困難さを語りました。 現在、東京大学生産技術研究所や九州工業大学と協力し、探査機を作成しているところだといいます。まだまだ謎に満ちた深海に光があたるとき、何が見つかるのでしょうか。楽しみに待ちたいと思います。 [caption id="attachment_4670" align="aligncenter" width="600"] 東京大学生産技術研究所が所有する自律型海中ロボット(AUV)「 AE2000a」の模型[/caption]

宇宙も深海も、重量コントロールが重要

第二部では、吉田教授および中谷博士に加え、JAMSTECの大木健研究員とアカデミストの柴藤亮介代表を交えてトークセッションが行われました。 まず吉田教授は、小惑星探査機「はやぶさ」の例を挙げながら、宇宙では探査機の通信が途絶えると、もう一度通信を復旧させることが非常にむずかしいことを解説しました。また、地球上ではGPSが使えますが、月面ではGPSは使えません。そのため、ロボット自身が周りの景色を撮影したり、「慣性航法技術」を利用したりすることで、自分の場所を把握する必要がある、と遠く離れた場所で探査機をコントロールする困難さを強調しました。 一方で、ロボット設計における「重量コントロール」の困難さについての比較も行われました。大木博士によると、宇宙探査機の軽量化がよく話題になるが、実は深海探査機の設計においても、重量が非常に重要だといいます。というのも、重量と浮力が釣り合わないと、潜ることも浮上することもできないためです。「深海探査機設計の際は、ネジ一個の重さにまで気を配っているのです」と、探査機開発の困難さについて解説を加えました。 [caption id="attachment_4671" align="aligncenter" width="600"] トークセッションの様子[/caption] トークセッションの締めでは、それぞれの研究に対する熱意が語られました。 中谷博士「空の探検にも海の探検にもロマンがあります。世界初のチャレンジャー海淵に潜った潜水艇(トリエステ)を設計した探検家であるオーギュスト・ピカールは、気球による最高到達度も記録しています。探検、冒険という気持ちを共有してこれからも研究を進めていきたいと思います。」 吉田教授「ケネディ大統領も言ったように『困難だからこそ挑戦しがいがある』と思います。アポロは複数回、月に行きましたが、まだまだわからないことがたくさんあります。たとえば、月の極域には、水の氷があると考えられていますが、どの程度の量が存在するかいまだ不明です。月面探査によって、この量を正確に見積もることができれば、将来の月面開発において非常に重要となるでしょう。ぜひ、月面探査を成功させたいと思います。」 大木博士「知りたい、という気持ちが科学を発展させます。そして、その姿を見た子どもたちが、次世代の科学者になっていきます。次の世代につなげるためにも、面白い研究を進めていきたいと思います。」

月面 vs. 深海。どちらのほうが難しい?

[caption id="attachment_4672" align="aligncenter" width="600"] リアルクラウドファンディングの開票作業の様子[/caption] 第三部では、「リアルクラウドファンディング」が行われました。リアルクラウドファンディングでは、これまでの講演およびトークセッションをふまえたうえで、どちらの探査が難しいか、観客一人ひとりに投票してもらいます。そして、その投票数に応じてアカデミスト柴藤代表がそれぞれのチームに研究費を支援する、というのです。 観客の全員が真剣に悩み、投票を行いました。そしてついに、結果発表の時です。はたして、より多くの投票数を獲得したのはどちらのチームでしょうか……。接戦の末、勝利を収めたのは、Team KUROSHIOでした! *** HAKUTOは今年末に、Team KUROSHIOは今年秋に、国際大会の本番を迎えます。両者とも、ぜひ素晴らしい結果を残してほしいと思います。現在、Team KUROSHIOは、academistにてクラウドファンディングに挑戦中です。ぜひ、ご支援をお願いいたします。 Team KUROSHIO関連記事 ・国際大会に挑戦! 日本の海底探査チーム「Team KUROSHIO」に勝算はあるか – 代表・中谷武志博士に聞く ・「未知の世界をロボットで解き明かしたい」 – 日本の海底探査チーム「Team KUROSHIO」共同代表・大木健博士 ・「月面 VS 深海! 探査が難しいのはどっち? – HAKUTOとKUROSHIOによる徹底討論」レポート]]>
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木登りカタツムリ「サッポロマイマイ」はなぜ木に登るのか? https://academist-cf.com/journal/?p=4606 Thu, 11 May 2017 01:00:45 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4606 出会い 「で〜んで〜んむ〜しむ〜しか〜たつ~むり~♪」でおなじみのカタツムリですが、みなさんは木の上に棲むカタツムリがいるのをご存じでしょうか? わたしは恥ずかしながら、そんなカタツムリがいることを少し前まで知りませんでした。そのカタツムリに出会ったのは、数年前、北海道大学苫小牧研究林という森林研究フィールド施設に勤めていたときです。この研究林の売りのひとつに、森林の上のほう、すなわち「林冠(りんかん)」と呼ばれる部分を細かく研究できるという点があります。たとえば、ここには高さ20mを超えるクレーンが設置されており、ゴンドラに乗ると、大木の枝先を直接手に取って観察することができます。 当時、勤めて間もなかったわたしは、このクレーンの操作を樹上でせっせと練習していました。するとあれ、何か丸っこいボタンのようなものが、葉の先についているではないですか。よく見るとそれはカタツムリでした。 [caption id="attachment_4617" align="aligncenter" width="600"] サッポロマイマイ[/caption] カタツムリといえば、梅雨どき、じめじめしたところでコンクリート塀やアジサイの葉の上などにいるのが連想されます。それがさわやかな青空の下、高さ20mを超える樹木の先端で風に吹かれている光景に、わたしは大変驚きました。さらにジャングルジムという、これまた施設の売りになっている観測タワーに登ってみました。すると樹上にはたくさんのカタツムリがくっついていました。 [caption id="attachment_4618" align="aligncenter" width="600"] サッポロマイマイの樹上での分布(左:〇印内)、および林冠クレーン(右)[/caption]

木登りカタツムリの行動を探る

このカタツムリは「サッポロマイマイ」という種類でした。実は、国内外には大変多くの樹上性カタツムリがいるそうです。まさか身近に、こんな意外な生態をもつ生きものがいたとは……。そこで研究林の研究者たちにも声をかけ、サッポロマイマイについていろいろ調べてみることにしました。 まず、木に登っているのはいつ頃なのでしょうか。前述のジャングルジムに約1か月に1回の頻度で登り、樹上でのサッポロマイマイの数を数えました。 [caption id="attachment_4608" align="aligncenter" width="600"] ジャングルジム(左)とサッポロマイマイの調査の様子(右)[/caption] するとサッポロマイマイは、冬季は林床の落葉の中で冬眠し、5月中旬になると一斉に樹上に移動し、その後しばらく木の上で生活した後、10月中旬ごろに越冬のため再び地上に降りてくることがわかりました。サッポロマイマイの寿命は少なくとも3年以上はあります。生きているあいだ、彼らは季節に応じて登ったり降りたりを繰り返していることがわかりました。 [caption id="attachment_4609" align="aligncenter" width="600"] サッポロマイマイとオサムシ類の活動性・生息場所の季節変化[/caption] このとき幸運だったのは、研究林に丹羽慈さんという甲虫を専門に研究されている方がいらしたことです。丹羽さんはジャングルジムの横にピットフォールトラップという落とし穴式のワナを設置し、同じ期間、地表を徘徊するオサムシ類の活動を記録してくださいました。オサムシの仲間は、カタツムリを食べることで知られています。比較の結果、春の登り始めの時期は、地表性オサムシ類が活動を開始する少し前でした。一方、サッポロマイマイが樹上から降りてくる時期は、オサムシ類がほぼ活動を停止する時期と一致していました。このことから、サッポロマイマイが木に登ることには、地表に生息する捕食者を回避する効果があるのではないかと推察されました。

木に登らないとどうなるのか?

では、木に登らなかったらサッポロマイマイは捕食者に食べられてしまうのでしょうか? この問いに答えるため、樹上と地表での生存率を比較するための野外操作実験を行いました。 [caption id="attachment_4610" align="aligncenter" width="600"] 野外操作実験の模式図[/caption] これは、サッポロマイマイに糸をくくりつけ、(1)樹上に固定するグループ(樹上グループ)、(2)木に登れないよう地表に固定するグループ(地表グループ)、(3)地表に固定するが、地表から2センチ程度の隙間があくようザルをかぶせて大型の動物が捕食できないようにしたグループ(地表+ザルグループ)の3つの実験システムを自然林内に設置しました。そしてセンサーカメラをとりつけ、夏季に約2週間、観察しました。 すると地表グループは、樹上グループに比べて著しく生存率が低い結果となりました。地表グループの主な死因は、タヌキ、ネズミ、オサムシ類などによる捕食と衰弱死でした。一方、ザルをかぶせた地表グループは、タヌキなどの大型動物による捕食圧が軽減されるため、地表グループよりもやや生存率が高い傾向にありました。しかし、樹上グループよりは生存率が低いという結果でした。 [caption id="attachment_4611" align="aligncenter" width="600"] 野外操作実験(図4参照)におけるサッポロマイマイの生存率の比較[/caption] さらに同じ実験を、サッポロマイマイが樹上から降りてくる秋にも実施しました。すると、樹上グループと地表グループとの生存率の差が夏の実験よりも小さくなっていました。この理由としては、サッポロマイマイの捕食者であるオサムシ類の活動が気温低下にともなって弱まっていたこと、さらには捕食者であるタヌキの主食がカタツムリや昆虫などの小動物から熟した果実へと季節変化したことなどが考えられました。以上の結果から、サッポロマイマイが木から降りてくる時期は、夏に比べて安全な時期にあたることが明らかとなりました。

木の上に食べものはあるのか?

実験により、サッポロマイマイにとって、樹上は生存率を高めるうえで重要な場所であることがわかりました。しかし、木の上には、サッポロマイマイが生きていくための食物はあるのでしょうか? 安定同位体分析という手法を用いて調べてみると、サッポロマイマイは地衣類やコケ類を食物資源として利用していることがわかりました。サッポロマイマイが多く生息する自然性の高い森林の樹上には、地衣・コケ類が幹や枝にたくさんついています。こうしたものを食べ物として利用することで、サッポロマイマイは樹上で生活することが可能となっているようです。

木登りカタツムリから考える森林の環境

以上の結果から、サッポロマイマイは、地表にいるさまざまな捕食者を回避し、生存率を高めるために木に登っていると推察されました。また食物資源として利用している地衣・コケ類が樹上にあることも樹上で生存していく助けとなっていると考えられました。樹上性動物の生態については観察が難しく、そもそもなぜ樹上で生活しているのか、といった基本的な問題を検証しづらいという側面があります。そんな中、サッポロマイマイという超スローライフな生物とめぐりあい、さまざまなアイデアとスキルをもった共同研究者にも恵まれて、樹上を生活場所とすることの適応的意義を明らかにできた点が良かったと思っています。 サッポロマイマイの樹上生活性の進化は、樹上に強力な捕食者がいなかったことによります。しかし最近では、外来生物のアライグマが侵入し、サッポロマイマイを捕食していることがわかりました。アライグマは手先が器用で木登りが上手なため、木の上にいるサッポロマイマイを簡単に捕まえることができます。長い時間をかけて樹上生活性を進化させてきた生物にとって、こうした移入種は大きな脅威となります。またサッポロマイマイは、原生的な森林環境を好みます。樹上性生物にとっては、樹高が高く、枝ぶりの複雑に発達した森林が大切な棲みかです。しかし森林の開発や人工林化などにより、そうした自然林は減少しつつあります。サッポロマイマイのような、樹上と地表とをいったりきたりする生物は、わたしたちの目に触れる機会の少ない、木の上の生態系について考えさせてくれる存在です。 参考文献 Saeki, I., S. Niwa, N. Osada, F. Hyodo, T. Ohta, Y. Oishi, and T. Hiura. 2017. Adaptive significance of arboreality: field evidence from a tree-climbing land snail. Animal Behaviour 127:53-66.]]>
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導電性プラスチックでインフルエンザウイルスを計る - 将来、マスクをつけるだけで診断可能に!? https://academist-cf.com/journal/?p=4621 Wed, 10 May 2017 01:00:25 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4621 インフルエンザの診断 インフルエンザは、古くから人々にとって最も身近に存在するウイルス感染症のひとつでした。世界中で、毎年300万〜500万人が感染し、25万〜50万人が死亡するといわれています。家畜なども含めて、季節性インフルエンザの流行による経済的損失も甚大です。人々の安全・安心を確保する社会を実現するために、効果的なインフルエンザ対策が求められています。 体内でのウイルスの増殖を防ぐには、早期にウイルスを発見して薬を処方するのが有効です。そのためには、微量のウイルスを迅速・簡便に検出する技術が必要です。しかし、病院やクリニックに行かなければ診断が受けられないというインフラの問題があります。また、近年、強毒性のトリインフルエンザなど、新型インフルエンザの流行が危惧されており、インフルエンザウイルスの型を高精度かつ素早く判別する必要があります。これらの課題に対して、従来の検査法は感度・時間・費用の観点から問題があり、インフルエンザの感染拡大を十分に防止することは困難です。そこで、我々は、高感度・高精度・いつでも・どこでも診断が可能な小型・持ち運び可能なインフルエンザウイルス検出器の開発に取り組んでいます。 [caption id="attachment_4622" align="aligncenter" width="600"] 左:検出感度の向上により早期診断が実現すれば、有効な期間内に薬の処方をおこなう機会が増え、インフルエンザの感染拡大を防止することに繋がる
右:インフルエンザ流行の変遷。近年、強毒性のトリインフルエンザなど、新型インフルエンザの流行が頻発しており、ウイルスの型の違いを高精度かつ素早く判別する必要がある[/caption]

インフルエンザウイルスの細胞侵入機構をヒントに

高感度・高精度なインフルエンザウイルス検出を実現するために、我々はウイルスの宿主細胞への感染メカニズムに着目しました。インフルエンザウイルスは直径およそ100ナノメートルの非常に小さい球状物質です。中身はウイルスの遺伝情報が納められており、表面には「ヘマグルチニン(H)」と「ノイラミダーゼ(N)」と呼ばれる2種類のタンパク質が殻に刺さったような状態で存在します。ヒトインフルエンザウイルスには、主にA型とB型があり、A型はさらに「H1N1」のように、ヘマグルチニンとノイラミダーゼの型で細分化されます。ヒトインフルエンザウイルスに存在するのは H1、H2、H3の3種類です。 ウイルスは、単独では自己複製能力がなく、宿主となる動物の細胞に感染して増殖します。飛沫感染などによって体内に侵入したインフルエンザウイルスは、ヘマグルチニンによって細胞表面に存在する特定の糖鎖配列と結合し、やがて細胞内に取り込まれます。ヘマグルチニンと糖鎖の結合は、ちょうど「鍵」と「鍵穴」のような関係で、特異的であると言えます。通常、トリインフルエンザウイルスが人に感染しないのは、動物種によって細胞表面の糖鎖配列が異なり、鍵と鍵穴が合わないためです。ウイルスは感染した細胞内で増殖を続け、その後、ノイラミダーゼの働きにより、細胞との結合を断ち切って細胞外に放出されます。これを繰り返すことでウイルスは体内で増殖します。一般的な抗インフルエンザ薬はノイラミダーゼの働きを阻害することでウイルスを細胞内に封じ込めます。 [caption id="attachment_4623" align="aligncenter" width="600"] インフルエンザウイルス上に存在するヘマグルチニンは、細胞膜上の特定の糖鎖に結合して細胞内に侵入し、増殖する[/caption]

インフルエンザウイルスにのみ結合する導電性プラスチックの開発

我々は、ヘマグルチニンによる糖鎖認識システムをうまく利用し、目的のインフルエンザウイルスだけを認識する材料を開発しようと考えました。糖鎖は比較的安定であり、工業的にも合成できます。また、ウイルスが結合したというイベントを、何らかの信号として検知する必要があります。そこで、電流・電圧・抵抗の変化をとらえる電気的な計測法に着目しました。半導体チップや電子デバイスに代表されるように、電気系は装置の小型化に適しています。 さらに、塗布や成型加工が容易で、さまざまな材料と組み合わせられる導電性プラスチックと呼ばれる機能性材料に着目しました。導電性プラスチックは、分子が数珠のように繋がった高分子(ポリマー)に電気が流れるというもので、1970年代に白川英樹博士(2000年ノーベル化学賞受賞)らによって発見された材料です。我々は、有機太陽電池や静電気防止フィルムなどに用いられている「PEDOT」と呼ばれる導電性プラスチックを用いて、目的の型のインフルエンザウイルスだけを認識する糖鎖配列を組み込んだ新しい分子を開発しました。そして、ヒトインフルエンザウイルスを電圧変化として、従来法の100倍の感度で検出することに成功しました。 [caption id="attachment_4624" align="aligncenter" width="600"] 左:インフルエンザウイルスを認識する糖鎖を組み込んだ導電性プラスチック
右:インフルエンザウイルスの結合を電気的に計測することで、従来法の100倍の感度を実現[/caption]

マスクをつけるだけでインフルエンザ診断!?

糖鎖を組み込んだ導電性高分子はこれまでにない新しい材料です。インフルエンザウイルスの感染機構に倣った分子認識は汎用性が高く、糖鎖の種類を変えれば異なるウイルスの検出にも対応できます。将来的に、開発された導電性プラスチックを用いて、さまざまな材料と複合化し、いつでもどこでも診断を可能にする小型・低コスト・省エネ電気的センサーの開発が期待されます。 特にマスクと一体になったウエアラブルセンサーが開発できれば、早期診断が実現し、抗インフルエンザ薬の処方が効果的となり、感染の拡大防止に繋がります。尿検査薬や妊娠検査薬のように患者が自宅で検査できれば、他人との接触頻度が減り二次感染も防げると考えられます。病院やクリニックといったインフラ施設が不要となれば、過疎地域、或いはアジア・アフリカ等の新興国での検査という新しいニーズを発掘することが期待できます。将来的には、GPSの位置情報と融合させたビックデータとして、国内でインフルエンザがどのように流行しているかリアルタイムに表示し、疫学的な知見を得ることも可能になると予想されます。 参考文献 Biosens. Bioelectron., 2017, 92, 234-240. ACS Appl. Mater. Interfaces, 2017, 9, 14162-14170.]]>
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なぜ昆虫は飛べるのか? - 蚊の特殊な飛行メカニズムが明らかに https://academist-cf.com/journal/?p=4632 Fri, 12 May 2017 01:00:55 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4632 マルハナバチのパラドックス 昆虫をはじめとして、生物の飛行は、時に美しく、巧みで、非常に魅了されることがあります。我々の生活に身近な、航空機のような人工の飛行物については、いろいろなことがわかっていますが、対して、昆虫のような特に小型の生物の飛行については、彼らが小さいこと、そして動きが非常に早いことが主な理由で、実はわかっていないことが非常に多いです。その難しさを示す例としてよく挙げられるのが、マルハナバチのパラドックスです。これは、マルハナバチは実際に空気中で飛行しているにも関わらず、「翅の形状・運動を正確に再現したとしても、航空機の理論上は、マルハナバチは自重を支えるだけの空気力を発生することができない」というものです。

前縁渦

昆虫の翅の運動は、ほぼ定常な運動をする航空機の翼と比較して、非常に複雑です。昆虫の翅は、翅の根元の周りをヘリコプターのプロペラのように回転します。さらに、翅はその長手方向の周りにも時々刻々回転し、これによって、打ち上げと打ち下ろしでほぼ対称な運動を実現できます。例として、下図にスズメガの翼運動を示しました。我々がよく知っている航空機の翼の運動とは大きく異なるにも関わらず、航空機の理論を昆虫に応用したことから、上記のパラドックスが生まれました。 [caption id="attachment_4628" align="aligncenter" width="512"] 高速度カメラを用いて、毎秒1000フレームで撮影したスズメガ(千葉大学野田龍介博士提供)。翅には、トラッキングのためにドットパターンが塗布してある[/caption] このパラドックスは、“前縁渦”が発見されたことで、ほぼ解決されました。それまで航空力学の分野の常識であった、流線型の翼の周りのスムーズな流れとは大きく異なり、昆虫の翅の上では、翅の前側で流れがはく離して形成される前縁渦と、それに伴う大きな負圧によって、翅が吸い上げられ、大きな力を発生することが可能になります。その発見以来、この前縁渦は、生物の飛翔において非常に普遍的であることがわかってきました。スズメガ、ショウジョウバエ、チョウ、トンボ、ミツバチ等のさまざまな飛行形態の昆虫から、ハチドリやコウモリ、さらにはカエデの翼果のような植物に至るまで、自然界でのさまざまな飛行において、重力に逆らうために、この前縁渦が大きな役割を果たしていることが明らかになっています。 [caption id="attachment_4629" align="aligncenter" width="600"] シミュレーション(千葉大学劉浩教授が開発したシミュレータによる)によって得られたスズメガとショウジョウバエの前縁渦。緑色の線がある時点での流れ場に沿った流線。サイズが大きく異なるどちらの昆虫でも、大きな前縁渦が生じていることがわかる[/caption]

蚊の特殊な運動

我々の生活に身近な昆虫である蚊は、上に挙げた昆虫と比較して,その飛行方法が非常に特殊なことが知られています。我々の研究グループでは、毎秒1万枚の画像を取得できる高速度カメラを8台使って、蚊の翅の3次元的運動を詳細に測定しました。その結果、蚊の羽ばたき運動は1秒間に約600〜800回と、同程度のサイズの昆虫、たとえばショウジョウバエの約200回と比較して、非常に高速であることがわかりました。あの蚊の特殊な音は、この高速な羽ばたき運動によるものです。おそらくこのような高速な翅の運動を実現するために、彼らの翅の運動の振幅(翅のストロークの角度)は約40度と非常に小さく、これまで測定されてきた昆虫の中でも最小の振幅であるミツバチの約90度と比較して、その振幅は半分以下です。

蚊の特殊な飛行メカニズム

高速度カメラによる測定で得られた蚊の3次元的な翅の運動を元に、シミュレーションを用いて、蚊の周りの空気の流れをコンピュータ上で再現した結果、蚊は、非常に特殊な空気力学的メカニズムを利用していることわかりました。ストロークが短いにもかかわらず、時事刻々翅周りの気流が変わるので、翅の運動に沿って見ていきましょう。 [caption id="attachment_4630" align="aligncenter" width="600"] 蚊の羽ばたき運動(打ち下ろし)と、翅の周りの流れ。翅の断面を黒い直線で、前縁を黒丸で示している。シミュレーションによって得られた圧力分布(赤が正圧、青が負圧)も同時に示している[/caption] 打ち下ろしを始める際に、翅の周りの空気は静止しているわけではなく、前の羽ばたき周期によって生じた気流が残っています。蚊の場合、周波数が高く、羽ばたき振幅が小さいため、この、前の運動による気流の影響を非常に受けやすくなります。この気流のリサイクルによって大きな力を発生することを後流捕獲といいます。翅が前の運動による気流に向かって進んでいくため、羽ばたきのごく初期の段階で、翅の後側に、後縁渦が形成されます。ちょうどひっくり返すと前縁渦と非常によく似た構造です。この後縁渦にともなう負圧によって、まず大きな空気力を発生します。 その後、翅が加速し、ごく短い時間ではあるものの、翅がヘリコプターのように回転を始めます。このタイミングでは、他の昆虫と同様に前縁渦が生じ、結果として非常に大きな空気力が生じます。蚊においても、前縁渦が主要な力発生メカニズムであるということに変わりはありません。 その後、次の打ち上げ運動に備えるために、翅が長手方向周りに回転を始めます。翅の前側を中心として回転するので、再度翅の後側付近で、回転抗力と呼ばれる力が生じます。ただし、この回転をそのまま続けると、今度は下向きの力が発生してしまうので、回転軸の位置を、非常に巧みに、翅の後側に移動させ、打ち上げ運動が始まるころには、この回転抗力はほぼなくなります。 この後縁渦→前縁渦→回転抗力という3つのメカニズムによって、蚊は自重を支えるための空気力を発生しています。このうち、後縁渦と回転抗力というメカニズムは、他の昆虫では見られていません。我々の研究では、どうして蚊が翅を高速で運動させ、このような特殊な空気力発生メカニズムを利用するようになったかは、明らかになっていません。音によるコミュニケーションなどの、他の機能を進化させるための対価である可能性があると、我々のグループは考えています。

生物の飛行とドローン

前縁渦をはじめとして、さまざまな昆虫が重力に逆らって飛行するための空気力発生メカニズムが、高速度カメラやシミュレーション等の技術の進歩で明らかになってきました。これらの昆虫飛行に関する理解が急速に進んだのは、昆虫の飛行が、生物学的・機械工学的に魅力的であることとともに、近年のドローンのような小型無人機に注目が集まってきたことも大きな理由のひとつです。 昆虫などの生物は、過酷な自然界において、自らの姿勢などの情報を絶えず集め、それに応じて翅の運動を制御し、姿勢を安定化・調整することで、巧みな飛行を実現しています。昆虫の翅や筋骨格が柔軟であるということも、人工物と大きく異なる点としてあげられます。彼らが、情報をいかに得て、それをどのように統合し、また、それをどのように利用しているか、また、柔軟性をどのように活かしているかということが解明できれば、ドローンの安定性・信頼性の向上に大きく役立ちます。今回の我々のグループによる発見も、そこに向けた第一歩であり、昆虫飛行には、まだまだ謎が残っています。昆虫飛行の巧みさの秘密を解明し、その魅力を伝えられるように研究を進めていきたいと思います。 参考文献 Ellington, C.P., van den Berg, C., Willmott, A.P. & Thomas, A.L.R. 1996 Leading-edge vortices in insect flight. Nature 384, 626-630. Dickinson, M.H., Lehmann, F.-O. & Sane, S.P. 1999 Wing rotation and the aerodynamic basis of insect flight. Science 284, 1954-1960. Bomphrey, R.J., Nakata, T., Phillips, N. & Walker, S.M. 2017 Smart wing rotation and trailing-edge vortices enable high frequency mosquito flight. Nature 544, 92-95.]]>
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人と生物多様性が共存するには - 幼少期の自然体験と不快生物に対する受容性の関係 https://academist-cf.com/journal/?p=4688 Mon, 15 May 2017 01:00:22 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4688 都会の人々は生きものが苦手? 皆さんは生きものが好きでしょうか、それとも苦手でしょうか? 近年、「生物多様性」は自然豊かな地域のみならず、都市においても野生動植物の保護や人々の生活の質の向上という観点から注目されています。チョウが飛び交い、鳥のさえずりが聞こえる街は、生きものの気配のない街よりも、人々に日々の安らぎや楽しさを与えてくれるイメージがあります。 しかし一方で、「生物多様性」とは多様な生物が存在することであり、そこには人間にとって有害・不快な生物も含まれます。都市に不快な生物も増えた場合、人々は受け入れられるのでしょうか。皆さんも教室や職場にハチが飛び込んできて、大騒ぎになった経験があるかと思います。また、私の住む団地の掲示板ではスズメバチやヘビなどに対する「注意」の貼り紙をたびたび目にします。 ある程度緑のある環境で、これらの生物が見かけられるのはごく自然なことのはずですが、このような注意喚起がなされるのは住民側の要望があるからでしょう。実際に、都市部におけるハチやヘビなどの不快な生物に関する行政への相談件数は近年増加傾向であり、それらの生物に対する都市住民の受容性の低下が原因のひとつと考えられています。 では、なぜ都市住民の受容性は低下しているのでしょうか。よく、「最近の人は自然のなかで遊んだ経験が少ないから生きものが苦手な人が多い」と言われたりしますが、それは本当なのでしょうか。もし本当であるならば、都市住民の自然との触れ合いを増やせば、「生物多様性」に対する受容性を高められるかもしれません。私たちは首都圏住民を対象としたアンケートによって、幼少期の自然体験と不快生物に対する受容性の関係を調べました。

アンケートの方法

私たちの研究グループは、20~69歳の首都圏在住の男女1,030人に対してアンケート調査を行いました(各年代、性別について人数は均等)。アンケートでは、近所にスズメバチやイノシシが生息していると仮定し、それぞれについて3つのレベルの被害シナリオ(被害のない場合から人的被害がある場合まで)を設定し、各シナリオに対して6段階の行政対応(「何もしない」から「駆除する」まで)を示し、それらの対応に対してどれくらい受け入れられるかを尋ねました。そして、各被害シナリオについて、行政がスズメバチやイノシシを駆除しない場合(「何もしない」、「状況観察のみ行う」、「注意喚起のみ行う」)の受容レベルの平均値を、受容性スコアとしました。 また、それぞれの動物に対する回答者の好感度は受容性に大きく影響する可能性があるので、好き嫌いの程度も尋ねました。スズメバチとイノシシの2種類について尋ねたのは、異なるタイプの生き物(昆虫と哺乳類)で人々の反応に違いがあるかを見るためです。幼少期の自然体験量としては、回答者が12歳以下のころに、森林、田畑、川海、公園などの自然環境をどのくらい利用したのか、また虫捕り、魚とり、草花遊び、木登り、海・川遊びなどの自然遊びをどのくらい行ったのかについて、おおよその頻度を尋ねました。そして、これらの変数間の関係を統計解析によって検証しました。

幼少期の自然体験量の多い人ほど受容性が高い!

アンケートの結果、近所の公園や緑地に生息するスズメバチやイノシシに対して、被害が生じていない場合であっても、行政が駆除しないことは70%以上の住民が「受け容れられない」と回答し、「受け容れられる」と回答した人はわずか10%ほどでした。 [caption id="attachment_4691" align="aligncenter" width="600"] 「スズメバチが公園に飛来した」場合や「イノシシが緑地に生息している」場合に、行政がこれらの生物の駆除を行わないことに対する首都圏住民の反応[/caption] これは、これらの生物に対する人々の受容性の低さと行政依存度の高さを示しています(先に挙げた「注意」の貼り紙だけでは多くの人は満足できないようです)。一方、どのような要因が受容性と関係しているのかを分析したところ、幼少期の自然体験量は直接的・間接的(好感度を介して)に生物に対する受容性を増大させる効果があることがわかりました。 [caption id="attachment_4692" align="aligncenter" width="600"] 各シナリオ(A〜F)において、これらの生物を「駆除しない」ことに対する受容性に影響する要因のパス図。数字の絶対値が大きいほど影響力が大きく、マイナスの値は負の影響を示す[/caption] さらに、自然体験量が同程度であれば、女性よりも男性の方が、また年齢が若い人ほど、受容性が高い傾向が見られました。ただ、被害の深刻度が増すほど、自然体験量の受容性に対する影響は弱くなり、性別や年齢の影響がより強くなりました。これらの傾向に、スズメバチとイノシシのあいだで大きな違いは見られませんでした。

都市における生物多様性との共存に向けて

今回の調査によって、スズメバチやイノシシなど問題を起こす可能性のある野生生物に対する都市住民の受容性は実際の被害の有無にかかわらず低く、行政依存度が高いことが明らかになりました。これはおそらく、多くの住民はこれらの生物への対応の仕方がわからず不安を感じ、被害を未然に防ぐために行政の駆除を要求するためであると考えられます。 しかし、スズメバチなどは都市であってもわずかな緑地があれば生息可能であり、種によっては都心部でもごく普通にみられます。これらをすべて都市から排除し、一方でチョウや鳥など人間の望む生物のみが豊富な環境をつくることは、技術的にもコスト的にも現実的ではないでしょう。したがって、「生物多様性」の高い都市を実現するには、さまざまな生物の存在に対して住民がある程度の受容性をもつことが必要でしょう。 一方で、幼少期の自然体験量が多い人ほどこれらの生物に対する受容性が高い傾向があることも明らかになりました。おそらく自然体験量の多い人は、スズメバチやイノシシに遭遇しても、被害に遭う確率は高くないことや被害を回避する接し方を知っているため、これらの生物が身のまわりにいる状況をある程度受容できるのであろうと考えられます。このことは、人々の自然離れが進むと、ますます多様な生物に対する住民の受容性が低下することを示唆しています。 したがって、都市や郊外の保全プログラムにおいては、希少な動植物の生息地を囲い込んで保護するだけでなく、ふつうに見られる動植物と子どもたちとの触れ合いの機会を増やすことに重点を置く必要があると考えられます。さらに、美的で好まれる生物だけでなく、嫌われがちな生物に関しても、その生態系における役割や被害の回避方法について普及啓発を行い、人々の認識を変えていくことが望まれます。 全世界的に都市への人口集中が進むなか、人々はますます自然や生物との触れ合いに、安らぎや楽しみを求めることでしょう。一方で、生活の快適性を突き詰めた現代人は、自然や生物から生じる不快に対しては不寛容になりがちです。しかし、チョウや鳥が豊かな場所は、ハチや蚊、ヘビ、イノシシなども見られることでしょう。もちろん生物による被害を防ぐことは快適な生活を送るために重要ですが、「生物多様性」が豊かなまちづくりを目指すうえでは、さまざまな生物と隣り合わせで生活することをある程度受け容れる必要があります。人々と生物との付き合い方について改めて考える時期に来ているのかもしれません。 参考文献 Hosaka, T., Sugimoto, K., Numata, S. 2017. Effects of childhood experience with nature on tolerance of urban residents toward hornets and wild boars in Japan. PLOS ONE 12: e0175243. Hosaka, T., Numata, S. 2016. Spatiotemporal dynamics of urban green spaces and human-wildlife conflicts in Tokyo. Scientific Reports 6: 30911.]]>
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隕石から最古の鉱物を新発見 - 新鉱物「ルービナイト」に刻まれた太陽系形成進化史 https://academist-cf.com/journal/?p=4704 Thu, 18 May 2017 01:00:28 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4704 小惑星は初期太陽系の化石 私たちの住む太陽系は、どのような過程を経て現在の姿になったのでしょうか? この謎を解くためには、太陽系初期の情報を記録した物質を調べる必要があります。地球や火星のように大きな天体の岩石は、天体形成時の重力エネルギーの解放や放射性元素の壊変熱などにより、一度天体全体が融けてから固化したものであるため、天体形成前の情報を失ってしまっています。しかし、主に火星と木星のあいだに分布する小惑星という微小天体は、これまで溶融過程を経験していないため、初期太陽系の情報を留めています。小惑星の物質は、コンドライトと呼ばれる始原的な隕石や、はやぶさ探査機により持ち帰られた探査機リターンサンプルとして手に入れることができます。 [caption id="attachment_4700" align="aligncenter" width="600"] 始原的隕石の一種アエンデ隕石(炭素質コンドライト)。白色で不定形の難揮発性包有物、球粒状のコンドルール、それらの間を埋めるマトリックスから構成される。隕石のサイズは2.5cm × 2cm[/caption] コンドライトには、白色で不規則な形をした、直径1mm~1cm程度の鉱物集合体が含まれています。この鉱物集合体は、揮発性の乏しい元素であるカルシウムやアルミニウム、チタンなどに富むため、難揮発性包有物と呼ばれています。難揮発性包有物は、約46億年前に太陽近傍の高温ガスから凝縮して形成したことがわかっており、太陽系最古の固体物質とされています。太陽系誕生直後の情報を記録している難揮発性包有物は、太陽系誕生直後の物質進化過程を理解するうえで非常に重要な研究対象とされてきました。

太陽系最古の鉱物「迷子のざくろ石」を新発見?

今回、筆者らの研究グループは、難揮発性包有物の中から太陽系最古の新種の鉱物を発見しました。この新鉱物の発見から承認に至るまでの道のりを、簡単にご紹介します。 近年の分析技術の進歩のおかげで、10マイクロメートル(十万分の1メートル)以下という以下という微小な領域の分析を行えるようになりました。大学院生の筆者が研究に行き詰まったある日、気分転換としてアエンデ隕石というコンドライト中の難揮発性包有物を走査型電子顕微鏡で観察していたところ、直径5〜10µmほどの微小な鉱物が10粒ほど含まれているのを発見しました。難揮発性包有物中の鉱物は、その種類ごとに大きさや形状などの「産状」が大まかに決まっています。しかし、今回発見した鉱物の産状は、筆者がこれまで見たことのないものでした。 [caption id="attachment_4701" align="aligncenter" width="600"] 新鉱物ルービナイト(薄灰)を含む難揮発性包有物の走査型電子顕微鏡写真。ペロブスカイト(白)、メリライト(濃灰)はいずれも難揮発性包有物に普遍的に含まれる鉱物[/caption] この鉱物の化学組成や結晶構造を詳しく分析してみたところ、Ca3Ti3+2Si3O12という化学式を持つ、ざくろ石の一種であることが明らかになりました。ざくろ石は、英語ではガーネットと呼ばれる鉱物であり、宝石としてご存知の方も多いでしょう。このような化学式を持つざくろ石は天然試料から見つかっておらず、「迷子のざくろ石」と呼ばれていました。もし筆者の見つけた鉱物が本当に迷子のざくろ石であるならば、新たな発見です。そして、この鉱物は難揮発性包有物中から見つかったため、新種の鉱物であると同時に、太陽系最古の鉱物である可能性もあります。隕石中鉱物学の第一人者であるカリフォルニア工科大のChi Ma博士も、同時期に別な難揮発性包有物から似た鉱物を発見していたため、共同で研究を行い、新鉱物認定を目指すことになりました。

新鉱物として承認

新鉱物は、天然試料中から新たな化学組成や結晶構造、またはその両方を持つ鉱物が発見された際に、国際鉱物学連合の新鉱物認定委員会に申請を行い、審査を通過することで承認されます。新鉱物申請のためには、その鉱物の産状、化学組成や理想化学式、結晶構造などを詳細に分析し、名称案と共に申請書にまとめ提出する必要があります。提出された申請書は、2か月程かけて、世界中の鉱物学者40名ほどから構成される新鉱物認定委員会の厳しい審査にかけられます。最終的に、半数以上の委員が参加した投票で2/3以上から賛成を得ることで、新鉱物として認定されます。 筆者は東北大で、Ma博士はカリフォルニア工科大で、それぞれの試料の詳細な分析を行いました。いずれの試料も直径が10µm以下と非常に微小であったため、周囲の鉱物の情報が混入するのを防ぐことが難しかったものの、最新型の電子プローブマイクロアナライザーや、近年実用化された後方散乱電子回折法を用いて、鉱物の化学組成や結晶構造を決定しました。そして、互いのデータが一致したことを確認したうえで、共同で申請書を提出しました。 新鉱物の命名権は、発見者に与えられます。多くの場合、新鉱物には著名な鉱物学者にちなんだ名前がつけられます。筆者らは、今回発見した新鉱物を、宇宙化学・隕石学分野で著名なカリフォルニア大学ロサンゼルス校のAlan E. Rubin博士にちなみ、ルービナイトと命名することを申請書中で提案しました。 2016年12月に提出した申請書は、新鉱物認定委員会の審査にかけられ、2017年3月にルービナイトが新鉱物として承認されました。ついに迷子のざくろ石が見つかったということもあり、審査に関わった鉱物学者達からは驚きのコメントが届けられました。

新鉱物ルービナイトに刻まれた初期太陽系進化の痕跡

「太陽系最古」の「新種」の鉱物であるルービナイトには、太陽系誕生直後の物質進化の歴史が刻まれていました。その一部をご紹介しましょう。 筆者らはこれまでに、複数のコンドライト中の難揮発性包有物から多様な産状や微量元素組成を示すルービナイトを発見してきました。ルービナイトの産状からは、ルービナイトには星雲ガスから凝縮したものだけでなく、星雲ガス中で再加熱を受け部分溶融した難揮発性包有物中で結晶化したものもあることがわかりました。地球の岩石に含まれるチタンの価数は4+であるのに対し、いずれのルービナイトにも多量のTi3+が含まれていました。ルービナイトを形成した凝縮過程や溶融・再結晶過程は、いずれも現在の地球表層に比べ酸素の少ない、非常に還元的な星雲ガス内で起こったことが明らかになりました。 難揮発性包有物中の鉱物の微量元素組成は、星雲ガス中での形成温度や、難揮発性包有物が小惑星に取り込まれた後に経験した熱水との反応の程度を反映します。ルービナイトには、比較的低温で形成し小惑星上で熱水と強く反応したもの(産状1)や、高温で形成し小惑星上ではほとんど熱水と反応しなかったもの(産状2, 3)など、多様な形成進化歴を持つものがあることがわかりました。 [caption id="attachment_4702" align="aligncenter" width="600"] 異なる産状を示すルービナイトの微量化学組成[/caption] ルービナイトは、太陽系誕生直後から小惑星形成後の水熱変成過程に至るまでの、長い期間の物質進化過程の歴史を留めていました。このような初期太陽系の長い期間の情報を保持している鉱物は珍しく、太陽系形成進化史を解明するうえで非常に重要な研究対象であるといえます。今後予定している、ルービナイトの同位体組成分析、形成年代測定、微細組織分析などにより、太陽系誕生直前に起こった超新星爆発や、地球生命の起源解明の鍵とされる小惑星上での水の挙動などを詳細に解明できる可能性があります。小さな新鉱物が今後語ってくれる太陽系形成進化史に、どうぞご期待ください。 参考文献 Ma C., Yoshizaki T., Nakamura T. and Muto J. (2017) Rubinite, IMA 2016-110. CNMNC Newsletter No. 36, April 2017, 408; Mineralogical Magazine, 81, 403–409.]]>
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省エネ泳法で湖も川もスイスイ - 流れに応じて浮力と泳ぎ方を変える外来魚アメリカナマズ https://academist-cf.com/journal/?p=4713 Tue, 16 May 2017 01:00:12 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4713 魚の泳ぎと浮力の関係 水中を泳ぎまわる多くの魚類は、鰾(うきぶくろ)に空気をためて浮力を得ることで自らの体重を支えています。魚が水中で十分な浮力をもつ場合、体にかかる重力が相殺されて、浮きも沈みもしない「中性浮力」の状態にあります。このとき、尾びれを振って得られる推進力はすべて、前に進むのに使われます。いっぽう、十分な浮力をもたない場合は、体にかかる重力を相殺しきれず、放っておくと体が沈んでいってしまう「負の浮力」状態になります。このとき、同じ深度に留まるためには、やや上向きに泳ぎ続ける必要があります。つまり、尾びれを振って得られる推進力の一部を、体を持ち上げるために使わなければならず、中性浮力の状態と比べてロスが生じてしまいます。ですから、一定の深度で長距離を移動する際には、中性浮力をもつ方がエネルギーの消費を低く抑えられます。 このように、魚はうきぶくろをもつことで効率よい泳ぎを可能にしていますが、うきぶくろにためられた気体は、周囲の圧力に応じてその体積が変化するため、深く潜ったときなどには十分な浮力を確保できるとは限りません。このような状況下では、体を下向きに引く重力を活用して、尾びれを振らずに斜め下向きに進む「グライド遊泳」を活用することで、移動コストを低減できる可能性が理論的に示唆されています。 [caption id="attachment_4708" align="aligncenter" width="600"] 魚の泳ぎと浮力の関係[/caption]

アメリカナマズとは

日本国内で近年定着しつつある外来種のアメリカナマズ(チャネルキャットフィッシュ)は、北米原産のナマズの仲間です。 [caption id="attachment_4709" align="aligncenter" width="600"] 2013年に愛知県矢作川で捕獲されたアメリカナマズ[/caption] 本種は湖沼から河川まで幅広い環境に生息し、利根川水系をはじめとする複数の水系で分布を広げつつあります。かれらの分布拡大の要因として、移入先でそのとき利用可能な食物を柔軟に餌として利用する雑食性、オス親が卵を孵化まで保護する習性や、稚魚のうちからヒレに鋭いトゲをもち、他の生物に捕食されにくい防御力などが挙げられていますが、以下で説明する行動面の特徴も、ひとつの要因として考えられます。 アメリカナマズは、コイ科やサケ科、他のナマズ科魚類と同じく、気道とつながった鰾をもつ開鰾魚(かいひょうぎょ)で、口から空気を飲み込んだり吐き出したりすることで、鰾内の気体量を速やかに変化させて自身の浮力を調節する能力を持っています。過去に行なわれた研究から、アメリカナマズは、負の浮力状態でグライド遊泳を活用することで、長距離を移動する際のコストを最大で43%も削減できると予測されていました。私たちは、かれらがこの効率的な遊泳方法をもつことでエネルギー消費を減らし、エサから得るエネルギーを成長や繁殖により多く使えることも、かれらの繁栄に一役買っているだろうと考え、浮力に着目してその行動を調べることにしました。

野外で泳ぐ魚の浮力を測る

私たちは、湖および河川にすむアメリカナマズの行動をそれぞれ、動物装着型の行動記録計(データロガー)を用いて調べました。 [caption id="attachment_4710" align="aligncenter" width="600"] 行動記録計を装着したアメリカナマズ[/caption] 行動記録計を装着したアメリカナマズを、野外の河川および湖沼に放流し、回収した記録計から、その期間中のかれらの滞在深度、経験水温、遊泳速度および3軸方向の加速度の情報を取得します。それらの行動データを解析することで、かれらがどのような浮力状態を選択し、どの程度の頻度でグライド遊泳を活用したかを読み取るのです。たとえば、左右方向の加速度から尾びれをどの程度強く振ったかがわかるので、尾びれを振らずに潜っていれば「グライド遊泳をしているな」とわかります。 [caption id="attachment_4711" align="aligncenter" width="600"] 行動データからグライド遊泳と浮力を読み取る[/caption] 浮力についても同様です。負の浮力をもつ魚は下向きの重力を受けているため、浮上する際には潜降時よりも激しく尾びれを動かさないと同じ速度に達しませんが、中性浮力の場合、体は浮きも沈みもしないので、浮上する時も潜降するときも、同じだけ尾びれを動かせば同じ速度に達すると考えられます。このように、潜降時と浮上時の遊泳強度の違いを検出することで、魚の浮力状態も推定することができます。 国内の湖(霞ヶ浦)および2つの河川(利根川、矢作川)で得られたアメリカナマズの行動データをみると、湖のアメリカナマズは負の浮力をもち、積極的にグライド遊泳を活用していた一方、河川にすむアメリカナマズは、中性浮力をもち、グライド遊泳はほとんどしていませんでした。流れがある河川では、同じ場所に留まるだけでも、流れに逆らって尾びれを振り続けなければなりません。負の浮力では、尾びれを振って体を持ち上げるエネルギーが余分に必要となり、また流れがあるために、尾びれを振らずに受動的に進むグライド遊泳が困難でもあります。そのため、流れのある川では、中性浮力の方がエネルギー消費を抑えられるのです。

浮力にまつわる定説を覆す

従来、止水にすむ魚は中性浮力で体を支えて遊泳コストを下げる一方、流水中で暮らす魚は体を水より重くして川底にじっと留まり、流れに逆らうコストを下げると考えられてきました。これは、流水にすむ魚では、止水にすむ近縁の種と比べて鰾が小さいという観察事実に基づいています。しかし、今回野外でみられたアメリカナマズの行動は、この定説とは正反対のように見えます。私は、かれらの遊泳時のエネルギー消費だけでなく、かれらのエネルギー獲得、すなわち採餌方法の違いが、この結果を説明するカギだと考えています。 今回実験を行なった霞ヶ浦のアメリカナマズは、湖底付近にすむ底生動物を主なエサとしていることが知られています。そのためかれらは中性浮力で水中に留まる必要がなく、負の浮力で沈みがちな体でグライド遊泳を活用し、水底中心の生活を送っていると考えられます。いっぽう河川では、水の流れに乗って上流から流れてくる水生昆虫や、水中を泳ぎまわる小型の魚類などを捕食しているとの報告があります。水面から川底まで鉛直方向に広く泳ぎまわってエサをとる際には、先に述べたとおり、体を支えるのに余分な力を必要としない中性浮力の方が適しているのでしょう。つまり、かれらの浮力状態は単に「流れを避けるかどうか」で決まるのではなく、流れの有無で異なるエサ環境に応じて、エネルギー消費を抑えられる適切な浮力状態および遊泳方法を選択していると考えられます。

おわりに

近年、小型の行動記録計を利用するバイオロギング手法によって、野外で暮らす動物たちが、環境条件の管理された飼育下とは異なる振る舞いをすることが明らかになりつつあります。外来魚であるアメリカナマズが、日本の湖や川でいかに振る舞っているかという知見は、かれらの行動特性を考慮した、より効果的な駆除方法の開発につながる実用的な側面をもちます。 他方、外来種であるかれらがどれだけ「省エネな」暮らしを送っているかを理解することは、原産地と比べてはるかに流れの速い日本の河川への適応の様子を探る試みと捉えることもできます。生物が進化の過程で物理的な制約をいかに乗り越え、形態や行動を最適化してきたかに迫る、という観点も合わせ持ちつつ、今後も研究を進めていきたいと考えています。 参考論文 1) Yoshida MA, Yamamoto D, Sato K (2017) Physostomous channel catfish, Ictalurus punctatus, modify buoyancy and swimming mode according to flow conditons. J. Exp. Biol. 220: 597-606. 2) 山本大輔, 酒井博嗣, 阿部夏丸, 新見克也, 吉田誠(2014)矢作川におけるチャネルキャットフィッシュの生息状況と採集方法. 矢作川研究 18: 25-31. 3) Saunders RL (1965) Adjustment of buoyancy in young Atlantic salmon and brook trout by changes in swimbladder volume. J. Fish. Res. Board Can. 22: 335-352.]]>
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機械学習とビッグデータで、太陽フレアと宇宙天気を予測する! https://academist-cf.com/journal/?p=4717 Fri, 19 May 2017 01:00:20 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4717 宇宙の天気予報!? 太陽フレアが地球を襲ったらどうなるか? 今や天気予報は、世界の天気予報にとどまらず、宇宙の天気予報も毎日配信されているのをご存じでしょうか。地上と同じ晴れや曇りではありませんが、宇宙にも雨や風や嵐が存在します。その源は太陽活動です。太陽面爆発フレアが起こると宇宙嵐が起こり、私たち社会にも影響することがあります。太陽フレアは、黒点周辺に蓄えられた歪みエネルギーがもととなって起こり、大量の放射線や有害な粒子が地球に降り注ぎます。宇宙飛行士や衛星運用に影響があるだけでなく、地上の通信や航空機運用への影響、広域停電といったさまざまな社会現象を引き起こします。 [caption id="attachment_4718" align="aligncenter" width="600"] 宇宙天気現象の発生と社会への影響[/caption] 史上最大の太陽フレアと宇宙嵐は1859年9月に地球を襲いました。当時は電話もない時代でしたが、電報の鉄塔から火花が散り、電信機の傍の用紙が燃え上がったなどの記録があります。また非常に明るいオーロラが発生し、夜でも明かりを使わずに新聞が読めたそうです。実は恐ろしいことに、2012年に同規模のフレアが発生していました。ただ幸いにも黒点が地球と別方向を向いていたため影響がありませんでした。もし地球を襲っていたとしたら、電子・情報通信機器であふれた現代社会は大混乱に陥ったでしょう。

私たちの生活を守るための宇宙天気予報

宇宙天気によるさまざまな被害やリスクを減らすために、太陽フレアや宇宙嵐がいつ起こるかを知って対策しよう、というのが宇宙天気予報の目的です。グローバルな現象のため、国際協力によって宇宙天気予報は行われています。日本では情報通信研究機構(NICT)が毎日午後3時に予報配信しています。 [caption id="attachment_4719" align="aligncenter" width="600"] NICTでの宇宙天気予報会議の様子(毎日午後2時半から)[/caption] 近年、地上天文台や「ひので」「あらせ」などの衛星観測によって太陽活動や宇宙環境の監視体制が整ってきています。これらをもとに現況を把握し予測を行います。 一般的には観測データが増えるほど、予測精度は上がります。しかし一方で、膨大な観測データの解析はもはや人手では困難です。そのため、従来の人手による宇宙天気予報の精度は長いあいだ上がらず、新しいアプローチによる精度向上が喫緊の課題となっていました。最近、社会では機械学習やビッグデータ解析の技術が進歩してさまざまな成果を上げています。今回我々研究チームは、複数の機械学習の手法を太陽観測データに適用することで、人手では処理しきれない大量観測データによって統計的な予測を行う新技術を開発しました。

太陽観測画像30万枚のビッグデータ

機械学習とは、さまざまな事象に関するデータからデータの統計的性質を学習し、かつその学習結果を用いて新たに得られるデータを分類・予測する技術の総称です。この機械学習の学習データとして、NASAの太陽観測衛星SDOによって取得された、2010年~2015年の1時間間隔6年分の高空間分解能観測データ30万枚のビッグデータを用いました。 今回開発した太陽フレア予測モデルの概要を示します。 [caption id="attachment_4796" align="aligncenter" width="600"] 太陽フレア発生の予測モデルのフローチャート(概要図)[/caption] まず各観測画像から黒点を自動検出し、黒点周りの約60項目の特徴を計算しました。この特徴は、長年の宇宙天気予報の経験や過去の論文をもとに選びました。次に、過去のどの黒点から、どのクラスの太陽フレアが発生したかのリストを作成しました。このリストから大きなフレアが起こったときの黒点の特徴を機械学習で見つけ出す作業を行いました。そして、同じ特徴を持つ黒点を太陽フレアの発生確率が高いと認定して、予測を行います。今回、一般的な機械学習手法であるサポートベクターマシン(SVM)、k近傍法(kNN)、アンサンブル学習(ERT)という複数の手法を用いました。

AI技術を用いて太陽フレアの発生を予測できる!? 予測精度が8割に上がった

その結果、最大規模フレア(Xクラス)も中規模フレア(Mクラス)も同様に、従来5割弱程度だった予測精度から、8割を超える世界トップクラスの予測精度を達成しました。また、太陽フレア発生前に現れる黒点の約60項目の特徴について、機械学習によるデータ分析から重要度のランキングを統合的に明らかにしました。 下図には選んだ黒点の特徴の例として、磁気中性線や磁場の歪み、彩層低部の発光を示します。 [caption id="attachment_4721" align="aligncenter" width="600"] 太陽黒点の磁場と彩層低部画像(SDO衛星HMI望遠鏡、AIA望遠鏡)[/caption] すると、従来重要だと思われていた黒点の特徴のほかに、磁気中性線の長さと本数、今回新たに選んだ彩層低部の発光の特徴も重要であるということが新たに明らかになりました。

黒点の特徴の重要度ランキング(概要) 1. 太陽フレアの発生実績 2. 磁気中性線の長さ・本数 3. 磁場の強さ・磁束量 4. 彩層低部の発光 5. 磁場の歪み具合 6. 時間変化の度合い

太陽フレア直前の特徴は、地震発生メカニズムに類似しています。磁気中性線の長さや本数は、太陽黒点に蓄積された歪みエネルギー、フレアを起こすトリガーのメカニズムの一候補と考えられる小規模磁場の出現と関連が強いと考えられます。また、彩層低部の発光も、小規模磁場の太陽大気下層からの出現と関連があると解釈され、いまだに解明されていない太陽フレアの発生メカニズムを知る手がかりを示す貴重な結果です。 *磁気中性線: 太陽黒点は、磁石でいうN極とS極の対からできています。この太陽表面上の黒点のN極とS極の境目を磁気中性線と呼びます。この領域には、黒点磁場の歪みが蓄積されたり、太陽フレア発生をトリガーする小規模な磁力線が出現したりするため、太陽フレアの予測には重要な領域です。 *彩層低部の発光: 太陽表面の光球と、その上空にある「コロナ」との間に存在するのが彩層です。黒点を形成する磁力線は、太陽内部から彩層を通ってコロナに出現します。この彩層を通る時に微小なフレアが起こると、彩層低部で発光が観測されると考えられています。

宇宙天気予報の今後の発展

現在、国際民間航空機関(ICAO)では2020年代を目標に、海洋上・極域航路での通信、宇宙放射線被ばく、さらにGPSを利用した測位などに影響を与える宇宙天気の情報を、通常業務で利用しようという計画が進められています。また海外では、電力会社や保険会社などの民間企業も宇宙天気予報の取り組みに参加し始めています。このような状況において、今回開発した太陽フレアの予測モデルが、リアルタイムで、より精度の高い予測情報として活用されるよう、今後、検証しながら実用化を進めていきます。 宇宙はもはや、切り離された夢の世界ではありません。宇宙天気も含めて、身近なところでつながっています。私たち社会の宇宙時代はもう始まっています。 参考文献 N. Nishizuka, K. Sugiura, Y. Kubo, M. Den, S. Watari, and M. Ishii, Solar Flare Prediction Model with Three Machine-Learning Algorithms using Ultraviolet Brightening and Vector Magnetograms, The Astrophysical Journal, Vol.835, Issue 2, 156, (2017).]]>
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不屈の精神で電波望遠鏡を立ち上げる – イシツカ・ホセ博士のサイエンスカフェレポート https://academist-cf.com/journal/?p=4768 Mon, 22 May 2017 01:00:32 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4768 「ペルー初となる電波望遠鏡を稼働させ、星の成り立ちに迫る!」プロジェクトで目標金額を達成した、ペルー地球物理研究所 ワンカイヨ観測所のイシツカ・ホセ博士によるサイエンスカフェが、2017年5月6日(土)に東京で開催されました。 今回のサイエンスカフェには、イシツカ博士とともに長年研究を行う国立天文台の三好真博士および、国立天文台天文部情報センターの根本しおみ氏が登壇し、二部構成で講演が行われました。約2時間という短い時間ではありましたが、三好博士からふるまわれたペルー・アチャマル村のコーヒーやインカコーラを片手に、活発な意見交換が行われました。今回、その様子を一部お届けいたします。

ペルーに3Dで楽しめるプラネタリウムを展開!

[caption id="attachment_4770" align="aligncenter" width="599"] 根本しおみ氏による「ペルー・不屈の天文学」[/caption] サイエンスカフェではまず、根本しおみ氏が「ペルー・不屈の天文学」というタイトルで、ペルー天文学の発展の歴史について解説しました。 根本氏は、JICA(国際協力機構)のシニア海外ボランティアとして、2011年から3年間、ペルーに滞在しました。彼女の活動は主に、立体視できる天文シミュレーションプラネタリウム「Mitaka  3D」をペルー各地の天文台や博物館に展開することでした。ペルーにはプラネタリウム施設がほとんどありません。そのため天文イベントは非常にめずらしく、「astronomica 2013」という60cm望遠鏡のお披露目イベントの際には、 1000人を超える方が参加し、子どもから大人までプラネタリウムを楽しんだといいます。

“ペルー天文学の父”とよばれる石塚睦博士

[caption id="attachment_4773" align="aligncenter" width="600"] 「ペルー天文学の父」- 石塚睦 博士[/caption] 根本氏はつづいて、イシツカ博士の研究の歴史についての解説を行いました。このたび、academistにてクラウドファンディングを行ったイシツカ・ホセ博士の父親である石塚睦(むつみ)博士も天文学者です。石塚博士は1957年、大気の澄んだアンデス山脈で太陽のコロナを観測するため、単身ペルーに渡りました。当初は3年で研究所を立ち上げ、観測を開始するという予定だったといいます。しかし当時、ペルー政府はまったく天文学への理解がなかったため、観測所の建設は遅々として進みませんでした。 石塚博士の孤軍奮闘により太陽コロナ観測所が完成したのは、なんと彼がペルーに渡ってから31年後の1988年のことでした。さらに、観測をはじめてわずか2ヶ月後、望遠鏡はテロリストによって爆破されてしまったのです。しかし彼は、このような状況でも諦めることなく、天体観測活動とペルーに天文学を根付かせる活動に尽力しました。このことから石塚睦博士は、「ペルー天文学の父」とよばれています。

どんな苦難が待ち受けようとも、電波望遠鏡を完成させたい!

[caption id="attachment_4774" align="aligncenter" width="600"] ペルーからSkypeで参加するイシツカ・ホセ博士[/caption] この父親の背を見て育ったのが、イシツカ・ホセ博士です。サイエンスカフェ第二部では、Skypeにてペルーから参加したイシツカ・ホセ博士によって、研究開発の現状が報告されました。 イシツカ・ホセ博士は2002年に、ペルーの電話会社で不要になったパラポラアンテナを譲り受け、電波望遠鏡として再利用する計画を2002年にスタートさせました。国立天文台などの協力を得て2008年に観測所を開所、そして2011年にはファーストウェーブの受信に成功しました。現在、衛星通信用アンテナから電波望遠鏡への改造は最終段階にあります。24時間観測を行うためのインターフェースが完成すれば、ついに電波望遠鏡を継続的に稼働することができるようになるのです。 しかし、ここで問題が発生しました。昨年12月にペルー地球物理研究所の所長が変わり研究方針が変化したことで、完成まであと一歩まで来たというのに、電波観測所が閉鎖されるかもしれないというのです。現在、事態は流動的で、今後、電波望遠鏡をどのように立ち上げていくのか、また改めて計画を練らないといけないといいます。 イシツカ博士はこのような困難にも屈せず、電波望遠鏡を立ち上げる方針を変えることなくこれからも開発を進めていきたい、と強く決意を述べました。「現在は、電波観測所の存続と電波望遠鏡の立ち上げに理解を得るために、関連する方面にいろいろとお願いしている段階です。今後も暖かく見守ってください」(イシツカ博士)。 [caption id="attachment_4775" align="aligncenter" width="600"] 電波観測所を立ち上げる意義を語るイシツカ博士[/caption] 質疑応答では、「通信衛星用アンテナから電波望遠鏡に改造するためには、どのような作業が必要となるのでしょうか」、「ペルー以外にも、通信衛星用アンテナを電波望遠鏡へと改造しようとするプロジェクトはあるのでしょうか」、「電波望遠鏡が取得する画像は、どのようにスキャンされているのでしょうか」など、電波天文学に関する質問が多数あがり、活発に議論が行われました。 どんな困難にもくじけることなく、不屈の精神でペルー天文学を発展させていく石塚親子。電波望遠鏡の立ち上げに奮闘するイシツカ博士の挑戦に引き続きご注目ください!]]>
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【特別寄稿】乾いても死なないクマムシの謎。その鍵を握るのは……? https://academist-cf.com/journal/?p=4780 Wed, 17 May 2017 23:00:33 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4780 Richtersius coronifer)でも、乾眠移行に伴ってトレハロース蓄積量が20倍以上になることから、やはりクマムシの乾眠にもトレハロースが重要な働きをもつものと思われた(4)。 だが、カザリヅメクマムシでは乾眠時のトレハロース蓄積量が体重の2%ほどと比較的少ない。さらに、トレハロースを全く蓄積しないクマムシの種類も見つかり(5)、「トレハロース説」はクマムシの乾眠メカニズムをうまく説明できないことがわかってきた。 時が経ち2010年代に入ると、我々が飼育実験系を確立したヨコヅナクマムシ(Ramazzottius varieornatus)(6)をはじめとした数種のクマムシのゲノム解析が進み、クマムシの乾眠メカニズムを解析するための分子基盤が整備されてきた。そして2012年、クマムシに特異的なタンパク質であるCAHS(Cytoplasmic Abundant Heat Soluble)タンパク質とSAHS(Secretory Abundant Heat Soluble)タンパク質が、ヨコヅナクマムシから見つかった(7)。 通常、タンパク質は熱すると凝集してしまうが、CAHSタンパク質とSAHSタンパク質は高温でも凝集しない。水に溶ける能力(親水性)がきわめて高い特徴がある。これらのタンパク質は水に溶けている時は決まった立体構造をとらないが、乾燥するとコイル状の構造(αヘリックス構造)をとり、細胞内外の生体分子と相互作用することで乾燥した細胞を保護しているのではないかと考えられた。 さらに、ヨコヅナクマムシには細胞のミトコンドリアに局在するLEAMタンパク質とMAHSタンパク質も確認された(8)。これらもクマムシ以外の生物では見つかっていなかったタンパク質であり、乾燥した際にミトコンドリアの構造を保つ働きがあると推測される。 [caption id="attachment_4781" align="aligncenter" width="600"] ヨコヅナクマムシの乾眠に関わると考えられているクマムシ固有タンパク質[/caption] クマムシ特異的に見られるこれらのタンパク質は、乾眠に重要な働きをもつと思われるが、「確実にそうだ」とは断言できない。クマムシの遺伝子の働きを抑えるなどしてこれらのタンパク質の合成を抑えたときに、クマムシが乾眠に入れなくなったときにようやく、これらのタンパク質がクマムシの乾眠メカニズムにかかわっていることを主張できるからである。また、この主張をするためには、クマムシのこれらのタンパク質をコードする遺伝子を他の生物や細胞に入れたとき、乾燥耐性の向上を確認するのも一つの手だ。 クマムシの遺伝子操作は長い間確立されてこなかったが、2013年にノースカロライナ大学の研究グループがドゥジャルダンヤマクマムシ(Hypsibius dujardini)にRNA干渉法を適用できることを示した(9)。RNA干渉法は、短い二本鎖RNAを細胞内に送り込み、遺伝子の転写産物であるmRNAに干渉し、目的のタンパク質を作らせなくする技術であり、発見者のFire博士とMello博士は 2006年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。 2017年、ノースカロライナ大学のグループは、ドゥジャルダンヤマクマムシの2つのCAHSタンパク質遺伝子と1つのSAHSタンパク質遺伝子の発現を抑制すると、乾燥耐性が有意に低下することを報告した(10)。さらにこのグループは、複数あるCAHSタンパク質遺伝子のうちのいくつかを大腸菌や酵母に入れ、乾燥耐性を向上させることにも成功した。 これら実験結果から、これらのタンパク質が、ドゥジャルダンヤマクマムシの乾燥耐性獲得に関わっていることが示されたのである。ただし、この研究報告ではRNA干渉法によりクマムシの遺伝子発現が実際に抑えられているかを確認していなかったりと、データの妥当性に不十分な点もある。 今後、CAHSタンパク質やSAHSタンパク質をはじめとしたクマムシの乾眠関連候補因子の働きを知るために、私はクマムシでのゲノム編集技術CRISPR/Cas9法を確立し、解析を進めていく予定だ。RNA干渉法ではターゲットの遺伝子の発現を完全には抑制できないし、その抑制も一過性のものだ。その一方で、ゲノム編集技術では標的の遺伝子を破壊できるため、遺伝子の働きを完全に失わせることができると期待される。 クマムシにおけるゲノム編集技術応用の報告はまだないため、この技術の確立は一から進めていかなければならないが、クラウドファンディング(※)支援を生かしてぜひとも確立させ、「乾いても死なない」クマムシの強さの謎を少しでも解明していきたい。 ※クラウドファンディング「最強生物クマムシの耐性の謎をゲノム編集で解明する!」は5月19日19:00まで支援を受け付けています。 参考文献
  1. Watanabe M (2006) Anhydrobiosis in invertebrates. Applied Entomology and Zoology 41: 15-31.
  2. Crowe JH, Carpenter JF, Crowe LM (1998) The role of vitrification in anhydrobiosis. Annual Review of Physiology 60: 73-103.
  3. Sakurai M, Furuki T, Akao KI, Tanaka D, Nakahara Y, Kikawada T, Watanabe M, Okuda T. (2008) Vitrification is essential for anhydrobiosis in an African chironomid, Polypedilum vanderplanki. 105: 5093–5098.
  4. Westh P, Ramløv H (1991) Trehalose accumulation in the tardigrade Adorybiotus coronifer during anhydrobiosis. Journal of Experimental Zoology 258: 303-311.
  5. Hengherr S, Heyer AG, Koehler HR, Schill RO (2008) Trehalose and anhydrobiosis in tardigrades — evidence for divergence in responses to dehydration. FEBS Journal 275:281-288.
  6. Horikawa DD, Kunieda T, Abe W, Watanabe M, Nakahara Y, Yukuhiro F, SakashitaT, Hamada N, Wada S, Funayama T, Katagiri C, Kobayashi Y, Higashi S, Okuda T (2008) Establishment of a rearing system of the extremotolerant tardigrade Ramazzottius varieornatus: a new model animal of astrobiology. Astrobiology 8: 549-556.
  7. Yamaguchi A, Tanaka S, Yamaguchi S, Kuwahara H, Takamura C, Imajoh-Ohmi S, Horikawa DD, Toyoda A, Katayama T, Arakawa K, Fujiyama A, Kubo T, Kunieda T (2012) Two novel heat-soluble protein families abundantly expressed in an anhydrobiotic tardigrade. PLoS One 7: e44209.
  8. Tanaka S, Tanaka J, Miwa Y, Horikawa DD, Katayama T, Arakawa K, Toyoda A, Kubo T, Kunieda T (2015) Novel mitochondria-targeted heat-soluble proteins identified in the anhydrobiotic tardigrade improve osmotic tolerance of human cells. PLoS One 10: e0118272.
  9. Tenlen JR, McCaskill S, Goldstein B (2013) RNA interference can be used to disrupt gene function in tardigrades. Development Genes and Evolution 223: 171-181.
  10. Boothby T, Tapia H, Brozena AH, Piszkiewicz S, Smith AE, Giovannini I, Rebecchi L, Pielak GJ, Koshland D, Goldstein B (2017) Tardigrades use intrinsically disordered proteins to survive desiccation. Molecular Cell 65:975-984.
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原子間力顕微鏡で原子1個の電気陰性度を測定する! https://academist-cf.com/journal/?p=4801 Tue, 23 May 2017 01:00:38 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4801 電気陰性度とは? 2つの原子が化学結合を形成するとき、電子が互いに等しく共有される場合は「共有結合」、片方の原子からもう片方の原子へ完全に電子が移行する場合は「イオン結合」となります。一般的には、酸化物などのほとんどの物質内部ではこれらの中間である「極性共有結合」を形成します。このような極性共有結合において、どの元素がどれだけ電子を引き寄せるかの強さの相対的な尺度は「電気陰性度」で表されています。 電気陰性度は1932年にライナス・ポーリングによって初めて具体的な式が与えらました。これまで、電気陰性度は主にガスの反応熱のデータをもとに周期表の各元素に対してひとつの値が定められてきました。高校化学の教科書に登場する電気陰性度もこの値です。しかし、これら反応熱のデータは多数の原子の集団平均的な量であり、また、ガス状の軽い分子など熱化学的手法が適用できる試料しか取り扱いができませんでした。 [caption id="attachment_4802" align="aligncenter" width="600"] 化学結合の分類。2つの元素間の電気陰性度差が大きくなるほどイオン性は大きくなる[/caption]

原子間力顕微鏡による電気陰性度測定

今回、私たちは物質表面の原子を1つひとつ観察することが可能な原子間力顕微鏡(AFM)を用いることで、単原子の電気陰性度を評価することに成功しました。AFMは原子スケールで尖った探針を観察対象に近づけて、探針先端の原子と表面の原子との間に働く化学結合力や化学結合エネルギーを測定できます(AFMについてはぜひ下記の動画をご覧ください)。 測定対象として、まずは酸素原子を選びました。酸素を吸着させたシリコン表面で測定を行った結果、対象原子のうち酸素原子上では大きな結合エネルギーが働くことがわかりました。探針の材質はシリコンであるため、針先端のシリコン原子と表面の酸素原子のあいだにシリコン-酸素間の極性共有結合が形成されたことが示唆されます。同様の測定を表面のシリコン原子上で行うと、シリコン-シリコン間の共有結合エネルギーを見積もることができました。 このような2種類の結合エネルギーの関係を系統的に調べた結果、これらはポーリングの式によって関係付けられていることが判明し、シリコン-酸素間結合内のイオン性に起因するエネルギーを見積もることができました。このイオン性エネルギーは原子間の電気陰性度差と結び付けられているため、個々の原子の電気陰性度を見積もることが可能です。このようにして、本研究では単一の酸素原子の電気陰性度を決定することができました。その他にもゲルマニウム、スズ、アルミニウムの電気陰性度も決定しています。単原子の状態で各元素の電気陰性度を評価したのは本研究が世界で初めてです。 [caption id="attachment_4803" align="aligncenter" width="600"] AFMにより観察した酸素吸着後のシリコン表面と、各原子上で測定した結合エネルギーの針-試料間距離に対するカーブ。各元素の電気陰性度を示した周期表では、上段がポーリングの値、下段が本研究で測定した値を表している[/caption]

グループ電気陰性度

これまでは周期表の各元素に対してひとつの固有の電気陰性度が割り振られていました。しかし、本来、同一の元素であったとしても、周囲の化学環境(どの元素とどのように結合しているか)が異なる場合はその元素の電気陰性度は変化するべきです。つまり、ある原子が固体表面上にいる場合と、有機分子内にいる場合では異なる電気陰性度を持つことがあります。これを「グループ電気陰性度」といいます。 これを検証するために、表面のシリコン原子の下に酸素原子が2個潜り込んだ局所的なシリコン酸化物を本手法によって調べました。その結果、未反応のシリコン原子に比べて、酸化後のシリコン原子の方が電気陰性度はより大きくなることが明らかとなりました。すなわち、酸化物上のシリコンは、特定の反応物に対してより化学的に活性になったといえます。このような情報に従来の方法でアクセスすることは非常に困難であるため、AFMによる電気陰性度測定は固体表面の化学活性度を調べるうえで非常に強力な手法となります。 [caption id="attachment_4804" align="aligncenter" width="600"] 矢印で示されたシリコン原子の電気陰性度(χ)が周囲の化学環境によって値が変わることを示した図。シリコン酸化物上のシリコン原子の方がより大きな電気陰性度を示すことが本研究でわかった[/caption]

単原子の電気陰性度測定の応用

はじめに述べたように、私たちの身のまわりの物質は酸化物や窒化物、または、炭化物などから構成されており、極性共有結合を持つのが一般的です。さらに、昨今は、ありふれた元素からなる材料に高い機能性を持たせるための研究が活発となっています。たとえば、触媒研究では遷移金属(チタンや鉄など)のセラミックス(酸化物や窒化物など)がよく調べられており、このような材料表面上では同一の元素であっても表面の場所(原子サイト)ごとに異なる化学活性度を持つことが知られています。もし、私たちの開発した手法をさまざまな材料の表面に応用できれば、原子サイトごとに反応物とどのような電子のやり取りをするのかの予測ができるようになります。また、本手法は、量子化学計算では取り扱いが難しい、複雑で分子量の大きな有機分子に対しても、特定の官能基の化学活性度を調べられる可能性があります。将来、AFMによる単原子の電気陰性度測定が、化学や材料化学の分野で大きく役立っていくことを期待しています。 参考文献 J. Onoda, M. Ondráček, P. Jelínek & Y. Sugimoto, Electronegativity determination of individual surface atoms by atomic force microscopy, Nature Communications 8, 15155 (2017).]]>
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理論物理学者でギャンブラー? - 慶應大・村田助教がポーカー必勝法を語る https://academist-cf.com/journal/?p=4363 Wed, 07 Jun 2017 01:00:18 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4363 ポーカー対決をする村田先生(右)とアカデミスト代表・柴藤(左)[/caption]

地球上でブラックホールを作る?!

柴藤:はじめに、村田先生の専門であるブラックホール物理学について教えてください。     村田:ブラックホールとは、重い星が一生を終えるときに起きる超新星爆発の後にできる天体で、光すら飲み込んでしまう特徴を持ちます。地球から数千万光年という位置に存在しているので、なかなか研究が進みにくいように思えるかもしれませんが、宇宙に存在する4次元ブラックホールの性質については、理解が進んできています。   柴藤:4次元ということは、さらに高い次元のブラックホールがあるのでしょうか。     村田:はい。同じブラックホールでも、高次元ブラックホールに関しては未知なる部分が多いんです。高次元というのは、私たちが日頃認識する空間3次元と時間1次元を合わせた4次元時空ではなく、空間が4次元以上になるような5次元以上の次元を指します。   柴藤:想像するのが難しい世界ですね……。高次元ブラックホールはどのような状況で誕生するのでしょうか。     村田:ここ数年、研究者たちはどの状況で高次元ブラックホールが出現し、安定して存在できるのかということについて予測を行いました。私もその一人で、高次元ブラックホールの存在を裏付けるために、その安定性を理論的に調べてきました。   柴藤:実験ではなく、理論的に調べられているのですね。     村田:世界最大の衝突型円型加速器であるLHCで高エネルギーの粒子同士を衝突させると、小さな高次元ブラックホールができるという仮説があったのですが、残念ながら現段階では実験で確認することはできていません。ただ、この結果は高次元ブラックホールの存在を否定するものではありません。現在でも、理論構築の際の仮定を再検証することで、高次元ブラックホールを見つけようとする研究が進められています。  

一般相対性理論をよりよく理解したい

柴藤:村田先生も引き続き高次元ブラックホールの研究をされているのでしょうか。     村田:最近では、高次元ブラックホールの存在を予言するというよりは、その研究の基盤となる「一般相対性理論」の理解を深めることをモチベーションに研究をしています。通常4次元で使われる一般相対性理論をD次元に拡張すると、4次元をより広い視点から見ることができます。一般化されたD次元の世界の理解を深めることができれば、私たちが日常生活で認識する4次元がどれくらい特殊な世界なのかということも見えてくるはずなんです。 柴藤:ひとつの研究テーマに没頭するというよりは、一般相対性理論を柱にさまざまな研究テーマに取り組まれているということですね。高次元ブラックホールの研究は、一般相対性理論の正しさを確認するという意味でも重要であると。   村田:はい。以前 academist Journal に寄稿した「私たちの世界の複雑性はどのように説明されるのか? – 物質の根源「クォーク」に潜むカオス」も、最近の研究成果のひとつです。  

ポーカーは努力が実るギャンブル?

柴藤:ところで、村田先生は研究の傍らプロギャンブラーとしても活躍しているという噂を聞いたのですが……。     村田:プロではありません(笑)。まあでも、ギャンブルには興味ありますね。学生時代から、ポーカーやブラックジャック、麻雀、スロットなどをやってきました。     柴藤:特に好きなギャンブルはありますか?     村田:最近は、ポーカーをやることが多いです。そもそも努力しても勝てないギャンブルには興味はありません(笑)。ルーレットなんてまさに「カオス」で、物理的にどうすることもできないですからね……。   柴藤:ポーカーというと、はじめに5枚のカードが配られて、手持ちのカードを1枚ずつ変えながら「フラッシュ」や「ツーペア」のような役を作って、誰が最も強い役を作れたかを競うというゲームですよね。   村田:最終的に5枚のカードで勝負をするのは同じなのですが、本場のポーカーでは、役を作るまでのプロセスが大きく異なっているんですよ。実践しながら、説明していきましょうか。   柴藤:お願いします。    

いざ、ポーカー対決!

村田:さて、今日はお試しということで、参加者が僕と柴藤さんの2人、各々が1000点のチップを持っている前提で進めましょう。チップはないので、今日はエアチップということで(笑)。カードを配る前に、場にチップを出すことになります。どれくらい出すかはレートによって変わるのですが、今日はディーラーの僕が25点、柴藤さんが50点出すという設定で進めていきます。 柴藤:はい。     村田:まず、参加者に2枚ずつカードが配られます。このカードを確認した段階で、各プレイヤーはプレイを続けるか降りるかを選択します。勝てそうなカードであれば続ける、勝てなさそうなカードであれば降りるというのが基本です。ただし、勝てなさそうな場合でも、相手を降ろすことができれば場にあるチップをすべて獲得できますので、続けるという選択もありです。 柴藤:まずは、5枚のうちの2枚を見て、勝てるかどうかを判断するわけですね。     村田:はい。たとえば私が、150点ベッドするとしましょう。もし、柴藤さんの手持ちの2枚が弱くて勝負できないと判断した場合には、ここで降りることもできます。     柴藤:でも、降りたらチップは取られてしまうんですよね?     村田:はい。その場合には、最初に出した合計75点のチップはすべて私のものになります。     柴藤:なるほど。     村田:勝負を続ける場合には、「コール」か「レイズ」を選びます。柴藤さんが僕と同じ150点をベットする場合は、2人の賭け額がそろうことになり、これを「コール」と呼びます。コールすると、場に3枚のカードが出ます。このとき、はじめに配られた手持ちの2枚と場に出た3枚の合計5枚が、各プレイヤーのハンド(持ち札)です。   [caption id="attachment_4367" align="aligncenter" width="600"] コミュニティカードが3枚出ている状態。なぜか都合の良いカードが並んでいる[/caption] 柴藤:残りの3枚は、参加者全員が共通して使うカードなんですね。     村田:新しく出た3枚は、みんなで共有して保有する「コミュニティカード」です。場に3枚出た段階で、自分のカードが弱くなる場合あるいは強くなる場合があるわけですが、先ほどと同様に、弱くても相手を降ろせば勝ちですので、ここからはテクニック勝負になります。   柴藤:ここで僕が150点出してコールをせずに、村田先生の倍の300点出した場合はどうなるのでしょうか。     村田:その場合、柴藤さんが「レイズ」したことになります。そのときには、僕がさらに150点を上乗せしてコールしない限り、コミュニティカードは出てきません。ただ、僕が上乗せするかは手元のカード次第ですが。   柴藤:とすると、自分の手持ちが弱くてもあえてレイズするのもありですね。     村田:その辺りは、テクニックです。さて、合計5枚の段階でもお互い降りずに再びコールされた場合には、場にもう1枚カードが出てきます。手持ちの2枚とコミュニティカード4枚のうち、最強の5枚の組み合わせが自分のハンドです。   [caption id="attachment_4368" align="aligncenter" width="600"] 4枚目のコミュニティカード登場。トランプが全然シャッフルできていないことに気づく[/caption] 村田:というのを繰り返していくのですが、場に出せるコミュニティカードは5枚が上限です。最終的には、7枚のカードから最強の組み合わせを決めます。ここで賭け額がそろった場合には、カードを公開して、役の強いほうがチップを獲得できるということです。   柴藤:最後までくると、これまでレイズした分もあるので降りにくいですね(笑)。     村田:ポーカーの面白いところは、最後のフェーズまで行かない限りカードが非公開であることです。ですので、相手のプレイの様子を観察し、どのようなハンドであるかを絞りながらプレイすることが重要になります。たとえば、私がゴミみたいなハンドだとしても、相手のハンドも弱いと予想できた場合には、ベッドして降ろすというようなこともします。   柴藤:相手のハンドはどのように予想するのでしょうか。     村田:すべての物事に基本があるように、ポーカーにも基本があります。その基本ルールからのズレを測ることで判断することが多いです。よくベッドする癖のある人であれば、その人の過去の行動を参考に、そのベッドに意味があるかどうかを予測します。また、上手い人は基本に忠実にプレイするので、相手の立場になることでハンドレンジを予測したりもします。対戦相手の過去の行動やポーカーの基本、自分の持つハンドの情報を総合的に考えたうえで相手のハンドレンジを予測し、最適な行動を決めるというのがポーカーの本質です。

研究者はギャンブルに向いている!?

柴藤:ポーカーで最も規模の大きな大会は、どのような大会なのでしょうか。     村田:ワールド・シリーズ・オブ・ポーカーと呼ばれる大会です。参加費は1人100万円かかります。数千人が参加して、上位にランクインしたプレイヤーが賞金を受け取ることができる仕組みです。1テーブルに9名程度が集まり勝負を進め、手持ちのチップがなくなると脱落です。適当なタイミングでテーブルがつなげて人数調整しながら、最後の1人になるまで勝負は続きます。優勝者は、数億円の賞金を受け取ることができるんですね。 柴藤:村田先生もこの大会に参加されたことはありますか?     村田:ありません。さすがに趣味で100万円は出せません(笑)。もっと小規模の大会にはいくつか出場していて、ラスベガスで日々開催されているトーナメントでは優勝したこともありますよ。ただ、僕は残念ながらポーカーのセンスはないので……、地道に勝率を上げる努力をしています。   柴藤:ポーカーのセンスというのは、どういうところに現れるのでしょうか。     村田:センスのある人は、直感的に取るべき行動がわかるんでしょうね。相手がレイズしたときに、さらにレイズしたほうが良いのか、コールするべきなのか、降りたほうが無難なのかということを、あまり考えずにできてしまうんですよ。相手が無限回試行していれば、勝つための行動を数学的に決められるのですが、普通無理ですよね。適当に決めた行動が最適な行動に近い人。それがセンスがある人ではないかと思います。 柴藤:ズバリ、理論物理学とポーカーにつながりはありますか?     村田:ポーカーの基礎理論は誰でも学べるので、研究者ならではのアドバンテージはありません。実際にプレイ中に使う確率計算も、算数ですからね。そういう意味では、理論物理学とのつながりはないと思います。ただ、日頃から感情的にならずに客観的な根拠をもとに議論をしている習慣は、強みになっているのかもしれません。お金がかかっていて精神的に不安定な時に、データをもとに論理的に判断を下すというのは、意外と難しいので。 柴藤:なるほど。それが村田先生の強さの秘訣なのかもしれませんね。今年も大会に参加されるのでしょうか。     村田:今年も夏に大会に出る予定です。自分であらかじめ決めた限度額を守りながら、楽しんでプレイしたいと思います。いくらギャンブルで熱くなったとしても上限金額以上は使わない、という論理的な行動の積み重ねも、勝ちを生み出すポイントかもしれません。  
研究者プロフィール:村田 佳樹(むらたけいじゅ)助教 慶應義塾大学 日吉物理学教室助教。1982年東京都生まれ。2010年京都大学大学院理学研究科修了。理学博士(京都大学)。ケンブリッジ大学、京都大学基礎物理学研究所を経て2013年より現職。専門は一般相対論。特に高次元時空のダイナミクスに興味を持っている。最近は、相対論の専門家の観点からゲージ・重力対応の研究を行っている。
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僕、メスになります - 性転換する牡蠣たちの事情 https://academist-cf.com/journal/?p=4741 Wed, 24 May 2017 01:00:29 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4741 牡蠣の生態を調べたい みなさんは、牡蠣と聞くとどんなイメージを持ちますか? 私が牡蠣を研究していることを友人たちに伝えるといつも、「研究が終わったら食べるの?」と聞かれるので、食べ物としてのイメージが強いのかなと思っています。日本では現在、マガキとイワガキが主に食用とされており、それぞれ各地で養殖されています。マガキは秋から春にかけて、イワガキは夏に食べることができます。昔は、イタボガキという種類も食用とされていましたが、現在は絶滅危惧種に指定され、野外で見つけることはほとんどできません。一部の地域では、オハグロガキやコケゴロモガキと呼ばれる種類も食用とされているようですが、市場に流通することはないようです。 [caption id="attachment_4742" align="aligncenter" width="600"] 美味しそうな牡蠣[/caption] 私は食べることよりも、牡蠣の生態、特に繁殖に興味があり、マガキを対象に性転換の研究を進めています。牡蠣を養殖する際には、ロープで牡蠣を垂下することが一般的です。一方でマガキは、干潟のような少し泥っぽいところに生息しており、カキ礁を形成しています。 [caption id="attachment_4743" align="aligncenter" width="600"] 垂下飼育のようす[/caption] [caption id="attachment_4744" align="aligncenter" width="600"] マガキが生息する調査地の風景[/caption]

食べている牡蠣はオス?メス?

牡蠣は見た目では、オスかメスかを判別することはできません。性を判別するには牡蠣の精子や卵を調べる必要があるのですが、私たちが普段食べているマガキは、精子や卵を作らない時期のものなので、オスかメスかの区別がつきません。判別したいときには、繁殖期である夏の牡蠣を使います。 そんな牡蠣たちですが、実はいくつかの種で「性転換」することが報告されています。実際にマガキは、海水中の受精卵が幼生になり、2週間ほど浮遊生活をします。幼生が定着し、翌年には性成熟するのですが、その際に7割ほどの個体がオスとして成熟します。しかしその後、オスとしての繁殖期が終わると、再度繁殖期を迎えた際にメスになるといった性転換をするのです。

野外調査からわかったこと

なぜ牡蠣は性転換するのでしょうか? この疑問を明らかにするには、どういった状況で性転換が起こるのか、もしくは起こらないのかを調べる必要があります。しかし、牡蠣のように見た目では性がわからない生き物の性転換を観察するのは、そう簡単にはいきません。 私たちはまず、野外でマガキの採集を行い、どういった大きさや状況の個体がどのような性を持つのかというデータを集めました。 [caption id="attachment_4746" align="aligncenter" width="600"] 野外データ[/caption] その結果、体のサイズが大きくなるにつれて、メスの割合が増加していることがわかりました。どうやら成長に伴って性転換が起こっていると言えそうです。これは、大きな個体は比較的たくさんの卵を作ることができるので、オスとして繁殖するよりもメスとして繁殖したほうが有利になるため、メスに性転換すると考えられます。また、マガキが他の個体に付着しているほうが、1個体でいるときよりもオスが多いということもわかりました。

野外実験から分かったこと

マガキは本当に性転換しているのでしょうか。そこで私たちは、麻酔をかけたマガキに注射針を刺し、精子や卵を取り出して性を調べました。そしてマガキを野外に設置し、設置から1年後にもう一度性を調べました。すると、大部分のマガキがオスからメスへ性転換していることが明らかになりました。 次に、他の個体の存在が性転換に与える影響について調べてました。先ほどと同様の方法で性を調べ、下図のようにマガキ1個体あるいは複数個体を設置しました。そして設置から1年後にもう一度性を調べ、性転換の起こりやすさを比べました。 [caption id="attachment_4749" align="aligncenter" width="600"] 実験の様子[/caption] すると、複数個体を設置した場合は、1個体で設置するよりもメスへの性転換が起こりにくいことがわかりました。 [caption id="attachment_4750" align="aligncenter" width="600"] 実験データ[/caption] 野外での調査と実験から、マガキは成長に伴って基本的にはオスからメスに性転換するが、他の個体がいると性転換が起こりにくいということが明らかになりました。なぜマガキは、他の個体の存在により性転換が起こりにくくなるのでしょうか。これは、オスにとっては、メスが近くにいることでメスの出す卵を授精させやすくなるということが考えられます。また、メスにとっては、近くにオスが多いほうが受精卵の遺伝的多様性(=父親の数)が増加するメリットがあると考えられます。 マガキが他の個体の存在をどのようなメカニズムで検知しているかはわかりませんが、他の個体が性転換のタイミングに影響することは、巻貝類でも知られています。マガキは固着性で自ら動くことはできないので、他の個体に影響を受けることが適応的だと考えられます。

なぜ牡蠣で性転換研究をするのか?

性転換という現象自体は海洋動物では珍しいものではなく、ディズニー映画で有名になったカクレクマノミや、食用とされるホッカイエビ、ツキヒガイ(ホタテの仲間)などでも知られています。陸上植物でも、カエデやテンナンショウで報告があり、研究が進められています。 いろいろな生物で性転換が知られるなかで、研究対象を牡蠣とするメリットはたくさんあります。まず、動かないことです。マガキは特に潮間帯に生息するので、潮が引いているときであれば、簡単に採集することができます。また、ここでは紹介しませんでしたが、マガキでメスからオスへ性転換する個体や、精子と卵の両方とも同時に作る個体(同時的雌雄同体)がいることも、生物として面白い点です。私の研究では、3か月という短期間で性転換する個体もいることもわかったのですが、なぜそのような短期間に性転換するのかということも疑問です。 牡蠣は食べ物として歴史が長い生き物ですが、実は面白い生態を持ち、まだまだわかっていないことがたくさんあります。現在はマガキ以外にもいろいろな牡蠣の研究を進めているため、今後とも新たな知見が得られるよう、研究を進めていきたいと思います。 参考文献:Yasuoka N, Yusa Y (2016) Effects of size and gregariousness on individual sex in a natural population of the Pacific oyster Crassostrea gigas, Journal of Molluscan Studies, Oxford University Press, 82 (4):485-491.]]>
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生物にとって「温度」とは何なのか - 細胞1個の"アツい"熱の研究最前線 https://academist-cf.com/journal/?p=4813 Thu, 25 May 2017 01:00:08 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4813 熱産生し「恒温」動物のようにふるまう魚 小中学校で、哺乳類や鳥類は自分の周りの環境によらず体温を一定に保つ恒温動物、魚類や両性類は周りの環境の温度によって体温が左右される変温動物、と習った人も多いのではないでしょうか。しかし、細かいことですが、「恒温動物」であるはずの私たちヒトも風邪をひけば体温が40℃近くまで上がることもあるので、体温は必ずしも一定(恒温)ではありませんし、1日の中でさえ体温のリズムがあり「変温」します。 一方、変温動物と分類される魚類のなかにも、赤マンボウのように、深海の冷たい空間での捕食に備えて自らの体を温め、外の水温よりも体温を高く保ち、「恒温」動物のようにふるまう種がいることもわかってきました。また、中生代の恐竜は、変温動物と恒温動物の中間くらいの性質だったという説も最近有力になりつつあります。これらの知見は、生物にとって温度とは何なのか、その本質を今一度考えさせるきっかけを与えてくれているように思われます。私たちがいま知っている以上に、生物は、熱産生を積極的に使い、その生命活動を維持したり、時にはダイナミックに生命の機能を発揮しているのかもしれません。

細胞の温度を"見る"

私たちの研究グループは、今までに、さまざまな生物の積極的な熱産生に着目し、これが細胞レベルでどのように始まるのかに関心をもって研究を進めてきました。細胞1個は、1ミリの幅に100個も並べられるほど小さなものですが、どのようにしたらそんな小さな空間の温度を測れるのでしょうか。市販の体温計のサイズをどれだけ小さくしても、細胞の温度を測るのは至難の業です。また、赤外カメラを使う手法も、現在の技術では、細胞ひとつの温度分布を測ることはできません。 そこで、私たちは、細胞の大きさよりも遥かに小さいサイズの「蛍光温度計」を開発してきました。このセンサーを細胞に入れてから光学(蛍光)顕微鏡で観察すると、たとえば細胞の温度が上がると細胞が暗くなる、といったように蛍光シグナルの変化を通して温度変化を見ることができます。この技術を用いて生物の熱産生の温度分布を見た具体的な事例を2つ、ここでは紹介します。

1. 褐色脂肪細胞の熱産生を1細胞レベルで見る

哺乳類の熱産生は、冬に寒空の下で、私たちが体をふるわせる「ふるえ熱産生」のほかに、「ふるえ」に頼らない方法もあります。「ふるえ」だけに長時間頼ると筋肉が痛んでしまうことから、筋肉や褐色脂肪といった細胞が「ふるえ」ずに、特別なしくみを利用して効率的に熱を生み出すことで、熱産生に加勢します(非ふるえ熱産生)。私たちは食事から得た栄養を、体の中で化学的なエネルギーに変換します。褐色脂肪細胞は、その獲得したエネルギーを熱に効率よく変換できるヒーターの役割を果たしています。外からのシグナル(ホルモンなど)が引き金となり、いくつかの反応を経て熱を生み出すことが知られています。 私たちのグループはヒトやマウス由来の褐色脂肪細胞に、シンガポール国立大学のChang教授らと共同開発した蛍光温度計を入れて、生きた細胞の応答を光学顕微鏡で観察しました。その結果、実際に細胞が熱を生み出す瞬間を1細胞レベルの解像度で動画として記録することに成功しました。興味深いのは、顕微鏡で見えている細胞には刺激をほぼ同時に加えているにも関わらず、熱産生のタイミングに大きな時差があるなど細胞ごとに挙動が異なるということです。こうした熱産生の個性は、今回の蛍光温度計の技術によって初めて明らかになりました。 肥満の治療には、摂取カロリーを抑えるアプローチ、つまり食事制限が今までの主流でした。しかし、人類の歴史は飢餓との戦いであり、そもそもカロリーを溜め込みやすい体質であることから、摂取カロリーを抑える方法の有効性については疑問視されていました。これに対して、最近、消費カロリーを増やす、つまり、カロリーを積極的に燃焼させる薬の開発が新たに注目されています。私たちの進めている研究は、褐色脂肪細胞の熱産生を促進する治療薬の開発にも大きく貢献できるものと期待しています。

2. ハナムグリが震えて熱を出す様子を高い解像度で見る

もうひとつの例は、甲虫(ハナムグリ)の熱産生です。前段で述べたように、変温動物のなかにも、生命活動に熱を積極的に使う種がいます。なかでもこの種の甲虫は、飛翔筋で熱産生することが知られていました。そこで、蛍光温度計を使い、生きた甲虫で細胞レベルの温度分布の観察に挑戦しました。 動物は生きているので、動くことで蛍光温度計からの光のシグナルがブレてしまい、測定に影響を与えます。そこで温度計として機能する色素(EuDT)とともに、動きを補正する目的で、温度にほとんど応答しない色素(Rhod800)も封入した粒子型の蛍光温度計を開発し、これを飛翔筋の部分にふりかけて温度分布の変化を観察しました。得られた動画を赤外カメラと比べると、蛍光温度計と顕微鏡を用いる方法では、飛翔筋のより細かい温度分布まで見えるようになってきています。

今後の課題

一連の技術開発によって、今までにない解像度で、生体試料の温度分布が見えるようになってきました。同時に、「いったい細胞の中の温度は何℃くらいの変化が起きるのか?」という定量性に関して、今、大きな議論が始まっています。日本を含むいくつかのグループが、細胞の中で温度は1~2℃上がりうる、と主張しているのに対し、そこまで大きな変化が起きることはありえない、と反論しているグループがあります。 「たった1℃」上がるかどうか、というのはそんなに重大な議論すべき課題なのか、ピンと来ない方もあるかもしれません。でも日常的には、風邪をひいて平熱からたった1℃上がるだけで、とても不快に感じると思います。また細胞を用いた研究で、37℃の保温器具の中で培養を行っていたとしても、仮に細胞の中では局所的に温度が異なるとなった場合、今までの生物学で積み重ねてきたことをどう議論すればよいのか、極めて複雑化するでしょう。細胞の中では、温度の影響を受けて化学反応の平衡が変わることもあります。DNAやタンパク質の構造も大きな影響を受けるはずです。 したがって私たちのグループでは、「たった1℃」ではなく、「1℃も変わる」と、その主張の重大さをよく承知して、慎重に議論を進めていかねばならないと考えています。この定量性の問題を解決するために、さらなるセンサー技術の革新を目指し、議論に一番乗りで終止符を打つのが私たちのグループの今後の大きな目標です。 最後に、少し変わった試みを紹介します。今までの話は、生理的な熱産生を捉える、という内容でした。逆に、熱的なストレスで、生命活動を制御しようという試みにも挑戦しています。これは、イタリアのチーム(Italian Institute of Technology)との共同で行った研究です。 光をあてることで熱を生み出すことのできる粒子を筋肉の細胞に導入したところ、発生した熱により、筋肉の収縮に関わるタンパク質の活性が変化し、収縮を誘導できました。このとき細胞内で温度変化がいくつであったかは、同時に入れておいた蛍光温度計で測りました。1細胞の温度を測る研究は、こうした医療応用を見据えた実践的な研究へも展開することができます。 参考文献 1) R. Kriszt, et al., Sci. Rep., 7, 1383 (2017). 2) Ferdinandus, et al., ACS Sens., 1, 1222-1227 (2016) 3) A. Marino et al., ACS Nano 11, 2494–2508 (2017).]]>
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表と裏で別の顔をもつ「ヤヌス型分子」を創る! - 新しいへんてこ化合物の行く末 https://academist-cf.com/journal/?p=4823 Fri, 26 May 2017 01:00:20 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4823 2つの顔をもつ分子って? 「ヤヌス」という神様をご存知でしょうか。ローマ神話の出入り口と扉の神、すべての行動の初めを司る神なのだそうで、前後に2つの顔をもつのが特徴です。いきなり「神」と言われても少々とっつきにくいかもしれませんが、表と裏で2つの顔(性質)をもつものというのは、私たちの身のまわりでもしばしば見かけます。たとえば、「実家のオカンが電話出るときの声のトーンの変貌ぶり」——これはまさしく“ヤヌス”的振る舞いだと言えます。 冗談はさておき、このヤヌスの神のように、表と裏で異なった性質をもつ物質を創り出そうという挑戦が、私たちの肉眼では見えないとても小さな世界、ナノメートル(0.000000001メートル)オーダーの分子の世界で行われています。これまでに合成されているヤヌス型分子にはさまざまなものがありますが、ここでは平面型のπ共役化合物についてご紹介します。その他のヤヌス型分子に関しては、サイエンスライターの佐藤健太郎さんが有機化学美術館・分館でご紹介しているコラムをご参照ください。 π共役化合物は、ディスプレイ材料、電極材料、繊維、香料、医薬品、農薬などなど、ありとあらゆるところに利用されていて、多種多様な機能発現を担うキーマテリアルとなっています。このようなさまざまな機能は、有機化合物がもつ柔軟性に富んだ分子デザイン性が可能にしていることです。 ところが、π共役化合物にも苦手なことがあります。π共役分子の代表格であるベンゼンを例に挙げると、ベンゼンは六角形の平面型分子で、平面のどちら側から見ても幾何学的・電子的な偏り(異方性)がないため、表面・裏面を区別することができません。また、ベンゼンは炭素骨格のまわりの水素原子が他の元素(赤/青の元素)と置き換わる反応性を示すため、これらの元素の電子的な偏りによって、平面と並行方向の異方性(面内異方性)をもつことが一般的です。ヤヌスのように平面の表と裏で二面性をもたせるためには、炭素骨格に対して垂直方向に電子構造の偏りを誘起する元素を導入する必要がありますが、そのような手法はこれまで限られてきました。このような背景から、「新たなヤヌス型分子を如何に創り出すか」が合成化学者にとって挑戦的な課題となっていました。

ヤヌス型分子って何がいいの?

π共役化合物がいろいろな材料として利用されていることは先に述べたとおりですが、では、π共役化合物に二面性をもたせると何が良いのでしょうか。これまでに合成されている代表的なヤヌス型分子に、チタニルフタロシアニンという化合物があります。分子の骨格平面から垂直に酸素原子が突き出ることで、この分子の二面性が発現しています。このような分子を金属基板の上に整列させると、分子自身がもつ電子的な偏り(双極子モーメント)によって金属表面上に電界が生じます。この電界は、金属が固有にもつ仕事関数(物質表面から1個の電子を取り出すのに必要な最小エネルギー)を変化させ、電位の観点ではあたかも他の金属のように振舞うようになります。ちょっとした表面処理で劇的に性質を変え、「授業参観日のオカンの化粧」的な変貌を遂げます。つまり、ヤヌス型π共役化合物は、高価な金属が固有でもつ仕事関数を、より安価な金属で実現できたり、不安定な金属を安定な金属で置き換えられたりすることを可能にするキーマテリアルなのです。

ヤヌス型分子を創る:分子デザインと合成戦略

ヤヌス型分子を作るには、分子の平面骨格に直交した垂直方向に何らかの異方性を導入する必要があります。今回の研究では、異方性ユニットとしてホスフィンスルフィド(R3P=S; Rは炭素置換基)に着目し、これをスマネンと呼ばれるπ共役骨格に3つ導入した「トリホスファスマネントリスルフィド」という(早口言葉のような名前の)分子を設計しました。この分子では、分子面上部に電子豊富な3つの硫黄原子(S)が位置し、分子面下部に比較的電子不足な3つのフェニル基(Ph)が位置することになります。この分子平面に垂直な電子的偏りが3点で加算されることで、高い面外異方性が発現すると期待しました。 では、設計した分子を如何にして合成するのか——合成化学者にとって難所であり、最大の醍醐味でもあります。今回の研究では、私たちが独自に開発した鍵反応「トリフェニレンのヘキサリチオ化」を活用することで、目的分子をワンポットで合成することに成功しました。具体的には、ヘキサエトキシトリフェニレンに過剰量のブチルリチウムを作用させることで、一挙に6箇所リチオ化された中間体(ヘキサリチオ体)を高転換率で調製することができます。この反応中間体にリン試剤および硫黄を段階的に作用させると、簡便に目的分子を得ることができます。 トリホスファスマネントリスルフィドの高い二面性は、π共役骨格に垂直方向の大きな双極子モーメントから伺い知ることが出来ます。理論化学的手法で本分子の双極子モーメントを求めたところ、12.0D(デバイ)と極めて大きく、従来までの代表的なヤヌス型分子であるチタニルフタロシアニンの値(3.73D)の3倍以上であることが明らかとなりました。また、表・裏の各面の電子状態を見てみると、硫黄原子が位置している面(表面)は電子豊富な状態(図中の赤色が電子豊富を意味する)である一方、フェニル基側(裏面)は電子不足な状態(図中の青色)をとり、表裏面で異なる電子状態をもつことがわかりました。この特異な二面性は、本分子の金属表面への付着の仕方にも現れます。たとえば、金(111)面にこのヤヌス型分子を塗付すると、電子豊富面にある硫黄原子と金原子との相互作用が実験的に観測されます。この相互作用による吸着エネルギーは、分子をひっくり返した裏面と金を相互作用させた吸着状態より93.5kcal mol–1大きく、分子の二面性を反映した結果であると言えます。

新しい「へんてこ分子」の行く末

今回ご紹介したヤヌス型分子の研究結果は、2017年4月7日にアメリカ化学会の雑誌Journal of the American Chemical Society誌(インパクトファクター: 13.038)に掲載されました。これまでの検討で、高い面外異方性をもつヤヌス型分子の新たな構築手法と、その分子がもつ二面性について明らかにしました。 今、私たちの研究グループでは、このヤヌス型分子と金属との界面で発現する新たな現象について日夜研究を続けています。前半の内容で触れた「金属の仕事関数制御」もそのフォーカスのうちのひとつです。しかし、このような新たな枠組みのへんてこ化合物を生み出す意義は、もっと別のところにもあると考えています。これまでに存在しなかったモノを創り出すことは、科学者でさえ想像し得ない、ヒトの発想を越えた新しい現象と出会える可能性を飛躍的に高めることに繋がるのだと思います。そして私たちは、その一期一会に出会うための好奇心と、見逃さない洞察力をもって研究に取り組んでいきます。 参考文献 “Triphosphasumanene Trisulfides: High Out-of-Plane Anisotropy and Janus-Type π-Surfaces” Shunsuke Furukawa, Yuki Suda, Junji Kobayashi, Takayuki Kawashima, Tomofumi Tada, Shintaro Fujii, Manabu Kibuchi, and Masaichi Saito, J. Am. Chem. Soc. 2017, 139, 5787–5792. DOI: 10.1021/jacs.6b12119]]>
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ノンコーディングRNAの研究から3Dプリンタの世界へ - 慶大先端生命科学研究所 ガリポン・ジョゼフィーヌ特任助教 https://academist-cf.com/journal/?p=4837 Thu, 01 Jun 2017 01:00:48 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4837 【academist挑戦中】「顕微鏡のなかのミクロな世界を3Dプリンタで出力する!」 現在、academistのクラウドファンディングプロジェクト「顕微鏡のなかのミクロな世界を3Dプリンタで出力する!」に挑戦中の慶應義塾大学先端生命科学研究所 ガリポン・ジョゼフィーヌ特任助教。2次元の切片データから、ディープラーニングを用いて3Dデータを作成することでこれを実現しようとしている。 しかし、ガリポン特任助教はもともと、RNAに関する「ウェット」な研究を行っていたという。RNAの実験とディープラーニングを活用した3Dプリンタの研究は、一見つながりがないようにも思えるが、ガリポン特任助教はいつ、そしてなぜ、3Dプリンタに興味を持ったのだろうか。そして、3Dプリンタで実現したい世界とは、一体どのようなものなのだろう。

RNAの研究者が3Dプリンタに興味をもったきっかけは?

——現在3Dプリンタの研究でクラウドファンディングをされていますが、もともとはRNAに関する研究をされていたそうですね。これまでの研究経歴を教えてください。 博士号を取得するために私が日本に来た当時はちょうど、RNAの研究がホットになりかけていた時期だったんですよ。タンパク質へ翻訳されない、それまでゴミだと思われていたような物質「ノンコーディングRNA」が、どうもたくさんの遺伝子の制御に関わっているらしいということがわかりつつありました。今では当たり前の話になりましたが、当時は非常に興味深いトピックだと思い、私はドクター時代に所属していた研究室でRNAの研究テーマを立ち上げ、ストレス耐性に関わるようなノンコーディングRNAについて研究をしていました。 ——そこから3Dプリンタに興味を持たれたきっかけはなんだったのでしょうか。RNAと3Dプリンタって、あまり関係がないように思えるのですが……。 関係なさそうですよね、私も気になっています(笑)。ドクターを取った後、別の研究室へポスドクとして移ったときにも、RNAの研究を行っていました。それまで私はずっと「ウェット」な実験をやってきたので、プログラミングやバイオインフォマティクスができる隣の席の子を見て、「コーヒーを飲みながらサーバーにジョブを投げてるの、かっこいいなぁ……」と思っているような人でした。 私と同世代の人たちって、まだあまりプログラミングの授業がなかったんですよね。でも今から大学に入る子って、私とそこまで年齢の差がないのに、みんなやっているんです。そういう背景もあり、プログラミングができるようにならなきゃいけないと思って、バイオインフォマティクスの研究室に移ったんです。 ——「ウェット」だけでなく「ドライ」な実験もできるようになったということですね。 その後、東京大学の新しいリーディング大学院プログラムの特任助教として採用され、文系の学生に最先端の生物学のおもしろさを理解してもらえるような授業を作る仕事をしました。いろいろな授業を開発していくなかで、東京大学総合文化研究科の渡邊雄一郎先生と一緒に3Dデータが取れる顕微鏡の画像を見ていたときのことです。なにげなく「これ、せっかくの3Dだから、3Dプリンタで出したらおもしろくない?」っていう話をしたんですよ。ただ、渡邊先生はそこまで期待してなかったと思うんですよね。でも私、なんだかミッションを与えられたような気持ちになって盛り上がってしまって……それで、1か月でこっそり開発してみて、できてしまったんですよ。 ——1か月でですか!? すごいスピード感ですね……。 で、それをでっかく印刷して、渡邊先生がいないあいだに、机の上に「できました」というメッセージと一緒に置いておいたら、ものすごいびっくりされたんですね。 ——それはびっくりしますよ(笑)。でも、これが3Dプリンタとの出会いだったわけですね。 現在所属している慶應義塾大学先端生命科学研究所に移ってからは、細胞で印刷できたらおもしろいのではと考え、3Dバイオプリンタにも興味を持ちはじめました。3Dバイオプリンタはすでに市販されていますが、高価なうえにブラックボックスなところがあります。でも、もともと3Dプリンタって、オープンソースのムーブメントから生まれたものなので、私は3Dプリンタのルーツに戻って、そのバイオプリンタバージョンを作りたいと思ったんです。 3Dバイオプリンタは魔法の技術ではないので、何をどこに塗ればいいかをプリンタに教えるための3Dデータが必要です。その次に必要なのは、細胞やハイドロゲルといった材料。もちろん、機械がないと印刷できません。つまり、3Dデータ、材料、機械という3つの技術が必要になります。今はまず、3Dデータに着目して研究を進めているところです。 [caption id="attachment_4850" align="aligncenter" width="600"] クマムシの3Dデータと3Dプリンタ[/caption]

顕微鏡で見えたそのままの世界をプリントする

——クラウドファンディングのプロジェクトページを見ると、これまでに共焦点レーザー蛍光顕微鏡、電子顕微鏡、ミクロCTという3種類の異なる顕微鏡データを3Dプリンタで出すことに成功されたとあります。顕微鏡で見たものを3Dプリンタで出力するまでには、具体的にどういう作業が発生するのでしょうか。 顕微鏡はその種類によって得られるデータの形式が違いますが、最終的には3Dプリンタが読めるようなSTL形式のデータに転換する必要があります。たとえば共焦点レーザー蛍光顕微鏡では、レーザーをサンプルの上から下まで通すことによって、光学切片という画像ファイルが500枚程度得られます。この画像は、人にとってはとてもわかりやすいのですが、機械にとってはわかりづらいものなんです。3Dプリンタで出力するためには、塗るか塗らないか、0か1の情報が必要です。しかし、この画像を白黒に置き換えて表示すると、ノイズの入った汚い画像になってしまいます。 [caption id="attachment_4937" align="aligncenter" width="600"] シロイヌナズナの葉の蛍光顕微鏡画像(左)と、これを白黒に置き換えて表示した画像(右)。ノイズが入っていてどれが大事な部分なのかがわかりづらくなってしまう
Image credit: Carrie Metzinger Northover, Bergmann Lab, Stanford University.(カリー・メツィンガー・ノーソーバー博士、ベルグマン研究室、スタンフォード大学より)[/caption] 人間はぱっと見ただけで、それが何であるのかわからなくても、どの部分が大事だとか、どれがノイズだとかいうことをなんとなく判断できるのですが、3Dプリンタのデータとして利用するには、どこが欲しくてどこがいらない情報なのかをすべてコンピュータに学ばせる必要があります。現状では、500枚の画像のノイズを全部手作業で削らなければなりませんが、機械学習でそれを自動化することができれば、さまざまなデータがすぐに出力できるようになるので、いろんな人が喜ぶと思っています。 ——今回、クラウドファンディングで着目されている光学顕微鏡ではどうでしょうか。 共焦点レーザー蛍光顕微鏡などは最先端の機器なので、高価で使える人が限られるんですよね。しかし、東急ハンズでも売っているような一般的な光学顕微鏡でも3Dデータが得られる技術があります。それがミクロトームです。ミクロトームを使って物理的に標本を切ると、数ミクロンの薄い切片が何枚もできます。それをガラスプレパラートの上に乗せて光学顕微鏡で観察します。こうすると、標本の中身の構造まですべてわかります。18世紀からある技術なので、世界中の博物館にミクロトームの標本がたくさんあるのですが、今は展示をする以外に使い道がないんです。ですが、ミクロトームの標本の切片データが500枚あれば、元の標本の3Dモデルをコンピュータで計算できるはずなんですよね。 [caption id="attachment_4849" align="aligncenter" width="600"] ミクロトームで薄い切片を作っている様子[/caption] ——ディープラーニングの技術は、ミクロトームの標本から3Dデータを作成するまでの作業のうち、どの部分に使われるのですか。 切片は、人の手作業によってそれぞれ得られるわけですから、ガラスプレパラートに乗せた際に、それぞれ少しずつ回転していたり形が変わっていたりします。そこで私は、ディープラーニングを使って、人間の手作業で発生した切片ごとの回転度や変形を自動で直せるようにしたいと考えています。 ——クラウドファンディングで集まった研究費の使い道を教えてください。 ディープラーニングを行うには、まず正しい答えのデータセットを用意する必要があります。現在は、MRIスキャンのデータを利用して、ランダムに角度を回転させたトレーニングデータを作っています。このトレーニングデータは、何度回転させたのかという「正解」がわかっているデータなので、これをコンピュータに学ばせることで、回転を自動で直せるようにできています。しかし、正解がわかる(元の回転度が記録されている)ミクロトームのデータセットはまだ少ないので、まず、MRIスキャンではなくミクロトームのデータを取る必要があります。ミクロトームという装置自体を買うと高いので、薄切片を取る作業を外注する予定です。さらに、このプロジェクトを実現するためには、かなりのコンピューティングパワーが必要です。予備データで結果は出せているので、処理能力の高いマシンを手に入れることができれば、もっと発展させていけると期待しています。これができれば、正解がわからない18世紀〜現在までのミクロトームデータからも正確な3次元モデルを計算することが可能になります。 ——ミクロトームの標本から3Dプリンタでデータを出力できるようにするためには、このほかにどういった技術が必要になりますか。 まずは、それぞれのガラスプレパラートを顕微鏡の中に入れて自動スキャンをかけ、標本をデータ化するという作業が必要です。また、そうして得られるデータは、大きな画像に切片がいくつか入っているようなものになるので、どこに画像があるのかを機械学習で認識させるステップが必要になるかもしれません。現在開発している回転度を直すというステップは、すでに標本がデータ化されていることが前提ですね。なので、これからいろいろなステップの技術を開発していかなければなりません。でも、まずは2次元の切片データから3Dモデルを正確に計算できるようにならなければ、何もはじまりません。 ——ガリポンさんは、3Dプリンタを利用することで、どういう世界を実現できたらよいと考えていますか。 3Dプリンタを使っている人たちは、自由に好きなものをデザインできる楽しさを感じていることが多いと思いますが、私はどちらかというと顕微鏡データそのものをそのまま出すということに興味を持っています。そこには芸術的な面もあると考えています。たとえば、建物と同じサイズでプリントして、自分が細胞の中に入れるような作品を作ってみたい。あるいは、お菓子の付録についてくるようなおもちゃで、少年が母親に恥ずかしい思いをさせるような「超リアル微生物シリーズ」として超キモい作品も作ってみたいです(笑)。サイエンティフィックじゃないかもしれないですが、そういったところにも興味があるんですよ。さらに先のことを言うと、普通のPCと普通のプリンタをUSBでつないで印刷できるように、顕微鏡と3Dプリンタを直接つないで、バイオプリンティング(再生医療、科学教育、アートなど)・バイオミメティクス(生物模倣)の分野に応用できればと考えています。 ——とてもわくわくするお話です! 研究の発展が楽しみです。ありがとうございました。
研究者プロフィール 慶應義塾大学先端生命科学研究所 ガリポン・ジョゼフィーヌ特任助教 2002年 公立ラエンネック高等学校卒業(フランス) 2006年 パリ第5大学薬学生物学部生物科学科卒業(フランス) 2008年 パリ第5大学大学院医学部細胞生物学専攻細胞学専修修士課程修了(フランス) 2013年3月 東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻博士課程修了 学位取得 博士(理学) 2013年9月 パリ第6大学大学院複雑系科学専攻博士課程修了(ジョイント学位) 2013年6月〜2014年4月 東京大学大学院理学系研究科 特任研究員 2014年4月〜2015年9月 東京大学大学院総合文化研究科・IHSプログラム 特任助教 2015年10月より 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科/先端生命科学研究所 特任助教 文武両道主義ということで、格闘技の履歴も紹介します。 2009年 ヨンソンテコンドー千葉オープン大会 一般女子バンタム以上級第1位 2010年 全韓国大学サークルテコンドー選手権大会 一般女子ライト級第2位 2016年 極真空手田畑道場入部、これから実戦空手のオープン大会で頑張ります。

【academist挑戦中】「顕微鏡のなかのミクロな世界を3Dプリンタで出力する!」

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「細胞内共生は、非常にすぐれた『進化の原動力』である」 - 山口大学創成科学研究科 ・藤島政博教授 https://academist-cf.com/journal/?p=4858 Mon, 29 May 2017 01:00:01 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4858 【academist挑戦中】ゾウリムシで細胞内共生の仕組みを解明する! 私たちが生きるために必須のエネルギーをつくるミトコンドリアも、光合成を行う葉緑体も、はるか昔に「細胞内共生」というしくみによって細胞内に入り込んだのではないかと考えられている。山口大学の藤島政博特命教授は、この細胞内共生がどのようにして成立したのか、そのメカニズムを解明するために、ゾウリムシ属の一種である「ミドリゾウリムシ」を用いて研究を進めている。細胞内共生の魅力とは何なのだろうか。現在,「ゾウリムシで細胞内共生の仕組みを解明する!」でクラウドファンディングに挑戦中の藤島教授に、共生がもつ奥深さと魅力について、余すところなく語ってもらった。

真核生物どうしの細胞内共生を研究できる唯一の実験生物

——藤島教授は今、どのような研究を行っているのでしょうか。 私は今、「細胞内共生」のメカニズムを解明しようと研究しています。私たちヒトの細胞の中には、ミトコンドリアがあります。また、植物細胞の中には葉緑体もあります。これらの細胞内小器官は、細胞内共生によってつくられたと考えられています。さらに、その後も細胞内共生が繰り返されてできた生物が多数みつかっています。このことからわかるように、細胞内共生は生物進化の原動力となっているのです。 しかし、なぜ細胞内共生がおきるのかは、ほとんどわかっていません。なぜなら、たとえばミトコンドリアの元となる生物が細胞内共生をおこしたのは、化石研究から約20億年前と考えられています。このように、ほとんどの生物では、宿主細胞と共生細胞の相互依存性が深く進行してしまっているため、両者を一時的に分離して、その後に再び混合して細胞内共生の再誘導を行わせることが困難なのです。 ——では、どのようにすれば細胞内共生のメカニズムを調べられるのでしょうか。 現在、私は「ミドリゾウリムシ」というゾウリムシ属の一種を使って研究を進めています。ミドリゾウリムシは、「クロレラ」という単細胞の藻類を細胞口から飲み込み、細胞内共生をしています。この共生が成り立ったのはつい最近のことと予測されています。なぜなら、ミドリゾウリムシとクロレラはそれぞれが単独でも増殖する能力をまだ維持しているためです。そして、クロレラを除去した白色のミドリゾウリムシと緑色のミドリゾウリムシから単離したクロレラを混合すると、クロレラは大きな細胞口から食胞内に飲み込まれて、再び細胞内共生を成立させます。つまり、細胞内共生している状況と共生していない状況の比較や、細胞内共生の成立過程の細胞を作って比較することができるのです。 ミドリゾウリムシがすぐれている点はそれだけではありません。ミドリゾウリムシには、真核生物であるクロレラだけでなく、原核生物である「ホロスポラ」という細菌が共生している場合があります。このホロスポラは、クロレラとは異なり、もう宿主外では増殖はできません。しかし、数日は宿主外で生存できますので、ミドリゾウリムシと混合すると細胞口から食胞に取り込まれて細胞内共生を再び成立させることができます。つまり、ミドリゾウリムシを研究材料として使うことで、真核生物と原核生物の細胞内共生も、真核生物と真核生物の共生も、混合前と混合後の時間経過を追いながら研究することができるのです。しかもミドリゾウリムシの細胞表層は透明なため、顕微鏡で細胞内を隅々まで観察することができる、という点でもすぐれています。 ——ミドリゾウリムシを研究材料とされたのは藤島教授が始めてなのでしょうか。 いえ、ミドリゾウリムシとその共生クロレラを使うと、実験室で細胞内共生を誘導できるということは、約50年前には知られていました。しかし、クロレラを除去した白色のミドリゾウリムシとクロレラを混合すると、クロレラは宿主の細胞口から食胞内に連続的に取り込まれて、あっという間に宿主は緑色になってしまい、何がいつ行われたのかを解明できないという問題がありました。これでは、細胞内共生が成立する瞬間をくわしく観察解析することができません。細胞内共生の成立機構を追跡することができないのです。約50年もの間、この問題を研究者は解決できないでいました。 しかしあるとき、私の研究室に所属したばかりの新4年生の一人(現、島根大学生物資源科学部生物科学科の児玉有紀准教授)が、細胞密度を調整したミドリゾウリムシとクロレラを混合した1.5分後に穴径15ミクロンのナイロンメッシュで混合液を濾過することで、ミドリゾウリムシの外液のクロレラを瞬時に除去することに成功したのです。この方法を用いることで、1.5分間に食胞内に取り込まれたクロレラの運命を時間経過にしたがって追跡することが可能になったのです。この手法が確立したことで、細胞内共生のまったく違う世界がみえてきました。 その後は、毎日が発見につぐ発見です。今までの通説をくつがえす実験結果を多数得ることができました。そのため、我々のミドリゾウリムシの最初の論文は多数の雑誌からリジェクトされるということが起こりました。最初は信用してもらえなかったのです。我々自身も、自分たちの実験結果に自信をもつためには、20回以上もの再現性を確認しなければ納得できないほどの実験結果でした。 [caption id="attachment_4886" align="aligncenter" width="600"] 大量のクロレラを細胞内で“飼う”ミドリゾウリムシ[/caption]

ミドリゾウリムシの細胞内で消化されないクロレラの巧妙なしくみ

——クロレラと共生しているミドリゾウリムシと、していないミドリゾウリムシとでは、行動が変わったりするのでしょうか。 そうですね。たとえば、容器内を完全に水で満たして、ガス交換できないようにした密閉環境を2つつくります。そして蛍光灯の光をあて、一方ではクロレラが共生していない白いミドリゾウリムシを、もう一方では共生しているミドリゾウリムシを飼います。すると、クロレラと共生していない白いミドリゾウリムシは1週間程度で死んでしまいます。これは、酸欠と栄養不足が原因です。しかし、クロレラと共生しているミドリゾウリムシは、クロレラが行う光合成によって酸素と糖が供給されます。さらに、ミドリゾウリムシが呼吸で排出した二酸化炭素はクロレラの光合成で使用されます。その結果、このミドリゾウリムシは、1か月以上生きられることを確認しました。つまり、完全なリサイクル環境がつくられるのです。このように、クロレラと共生したミドリゾウリムシは、飢餓と酸欠のストレスに強くなります。 同じように、もし私たちも葉緑体と細胞内共生することができれば、あまりご飯を食べなくても生活できるようになるかもしれません。こういうことを言うと、夢物語のように思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。というのも2010年に、あるサンショウウオが、藻類と共生していることがわかったのです。サンショウウオは、ヒトと同じく脊椎動物です。ヒトが藻類と共生し、葉緑体を獲得できる日も案外近いのかもしれませんね。 ——それは、とても夢のあるお話ですね! しかし、ミドリゾウリムシの中のクロレラはなぜ消化されずにすむのでしょうか? それは非常に面白い問題です。クロレラは、ミドリゾウリムシの中で「Perialgal vacuole (PV) 膜」とよばれる宿主の食胞膜由来の膜に包まれています。そして、このPV膜は食胞膜とは異なって宿主のリソソームが融合しないので、内部に存在するクロレラは消化を免れています。しかし、ミドリゾウリムシを飢餓状態におくと、共生クロレラの一部は消化されることも観察されています。つまり、クロレラは非常食としても利用されているのです。 ——逆に、クロレラは、ミドリゾウリムシの中で増殖しすぎることはないのでしょうか。 はい。クロレラは、ミドリゾウリムシ内で増えすぎることもなく、減りすぎることもなく、ほぼ一定数に保たれています。つまり、非常に高度に制御されているのですが、その制御のしくみは未だわかっていないのです。先ほども述べたように、クロレラはPV膜に包まれています。このPV膜がミドリゾウリムシの細胞表層の直下に接着しているので、宿主が二分裂で増殖するときには、娘細胞に分配されることが保証されるようになっています。そのため、ミドリゾウリムシが細胞分裂をする時には、間違いなくクロレラも両者に分配されるのです。 現在、クロレラは20種類以上知られていますが、ミドリゾウリムシと共生できる種は3種類しかなく、他の種は共生できません。細胞内共生ができないこれらの種類のクロレラは、宿主の細胞表層直下に接着することができないことが原因のようです。 ——藤島教授は、クロレラが共生していないミドリゾウリムシと、共生しているミドリゾウリムシとの遺伝子発現の比較をトランスクリプトーム解析で行っておられますね。今後、どのような研究を進めていこうと考えられていますか? クロレラが共生する前と共生後のミドリゾウリムシで、その遺伝子発現が変化する遺伝子のなかには、細胞内共生の成立に必須の遺伝子が含まれていると予測されます。そのため、その遺伝子からつくられるタンパク質の存在場所や、量的な変化が生じるタイミングを調べたいと考えています。さらに、RNAiで特定のmRNAを破壊することで、そのタンパク質の機能を推測する予定です。 たとえば、クロレラは光合成によって酸素をつくります。この酸素からつくられる「活性酸素」は、細胞にとっては猛毒です。そのため、ミドリゾウリムシは活性酸素を無毒化する必要があります。もしかしたら、クロレラと共生したミドリゾウリムシの中では、活性酸素を還元して無毒化するためのタンパク質の量が増えているのでは、という可能性があります。 現在、共生によって発現が変化する遺伝子のタンパク質のはたらきを調べるために、合成ペプチドを抗原にして作成した抗体をつくり、研究を行なっているところですが、まだ抗体の種類が足りません。今回、クラウドファンディングを成功させることでさらに多くの抗体を作成し、さまざまなタンパク質のはたらきを解明したいと考えています。 ——宿主のミドリゾウリムシだけでなく、クロレラ側の遺伝子発現の比較も行うのでしょうか? そちらの研究もトランスクリプトーム解析ではじめています。クロレラは、ミドリゾウリムシだけでなく、アメーバやツリガネムシ、ヒドラ、イソギンチャク、サンゴなど様々な生物に細胞内共生しています。そのため、これらの生物でも同じ遺伝子が細胞内共生の維持に関与しているかどうかを生物横断的に調べることで、共生機構における重要な遺伝子がわかるのではないかと考えています。

ロシアの無人島で生死の境をさまよう……

[caption id="attachment_4861" align="aligncenter" width="600"] 電気・水道・ガス・売店なしの北極圏でゾウリムシの野外採集を行う[/caption] ——藤島教授は、実験室での研究に加え、無人島やツンドラでの野外採集も行っていらっしゃいますね。その意義は何なのでしょうか。 ホロスポラが共生したゾウリムシは寒さに強くなり、また、塩濃度の高い水の中でも生きていけるようになります。そのため、寒冷な地域の汽水域(河口付近)でゾウリムシを採集すると、ホロスポラが共生したゾウリムシが得られる可能性が高まると考えられます。それを狙って、だいぶ昔になりますが、ほぼ北極圏の無人島まで出かけたのです。 悪環境では自然淘汰が強く働きますので、その環境で生き延びているゾウリムシを調べることで、生物進化の謎にせまれるのではないかと考えています。現在、ゾウリムシ属のほとんどの種は淡水でしか生息できませんが、そのうち、細胞内共生を成功させて海に生息範囲を広げるゾウリムシもあらわれるのではないか、と踏んでいます(笑)。 ——極地でのフィールドワークにおいて大変なことはありましたか? そうですね、ロシアの無人島で研究を行う際は、食料を現地で調達する必要がありました。魚や山菜をとって食べるのですが、あるとき、毒キノコを食べて苦しんだことがあります。三日三晩、生死の境をさまよったのですが、何とか4日目に回復することができました。また、生魚を食べて、アニサキスと思われる症状になったこともあります。 ——藤島教授が最も好きなゾウリムシは何ですか? またそれは何故でしょうか? 種によって特徴的な形と大きさがありますが、私はParamecium caudatum(和名:ゾウリムシ)の細胞の形が一番スマートで美しいと思います。何時間見ていても飽きませんね。比較すると、ミドリゾウリムシはずんぐりしています。皆さんの好きなゾウリムシも聞いてみたいですね。 [caption id="attachment_4873" align="aligncenter" width="600"] 美しいゾウリムシは何時間でも観察できる[/caption] ——最後に、今後の研究の抱負をお聞かせください! 今、細胞内共生は、特定の種の組み合わせで行われています。今後、さらに研究を発展させることで、細胞内共生における共通のしくみを分子レベルで明らかにすることができれば、細胞内共生を行う能力をもっていない細胞どうしでも共生を誘導できるかもしれません。そうすれば、私たちの役に立つような特殊能力をもった生物をつくることができるかもしれません。 応用面においては倫理的な問題など、クリアすべき壁は多くありますが、真核細胞の進化の原動力となった細胞内共生成立の調節機構の解明を目指していきたいと考えています。 * * * 藤島教授によるクラウドファンディングの期間は6月27日までです。みなさんのご支援をお待ちしています!
研究者プロフィール:藤島政博教授(特命) 山口大学大学院創成科学研究科理学系学域生物学分野教授(特命)。1978年東北大学大学院理学研究科博士課程修了。山口大学理学部助手を6年 (1979〜1984)、同准教授を9年 (1984〜1992)、同教授を25年 (1992〜2016)、2016年3月に定年退職、同年4月から現職。この間に、東京大学大学院理学系研究科教授(併任)を8年 (1995〜2002)、日本原生動物学会長を6年 (2006〜2012)。ゾウリムシで初の細胞内共生の専門書「Endosymbionts in Paramecium」を編集 (2009, Springer)。現在の専門は進化生物学。2012年からは、文科省によるナショナルバイオリソースプロジェクトにおいて「ゾウリムシの収集・保存・提供」の課題管理者もつとめる。

【academist挑戦中】ゾウリムシで細胞内共生の仕組みを解明する!

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光エネルギー変換の新常識! - 光駆動2価多原子アニオン輸送体の発見とその分光特性 https://academist-cf.com/journal/?p=4902 Wed, 31 May 2017 01:00:39 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4902 生物と光 地球上の生物は、直接あるいは間接的に太陽光エネルギーを利用して生命活動を営んでいます。たとえば、植物は光合成システムにより光エネルギーから有機物や酸素を産生し、自身の成長に利用するとともに、他の生物の活動に必須の物質を供給しています。また、ヒトや微生物は光情報伝達システムを発達させ、外界からの情報の多くを光情報として得ています。このような光応答において、光受容を一義的に担うのが「光受容タンパク質」と呼ばれる分子です。 私たちの研究室では、光受容タンパク質のなかで巨大なグループを形成するロドプシン(レチナールタンパク質とも呼ばれる)と呼ばれる膜タンパク質に着目し、研究を行っています。ロドプシンは、ヒトなどの哺乳類から、細菌などの微生物に至るまで、幅広い生物種に存在することが知られており、さまざまな生物種の光応答に重要な役割を果たしていると考えられています。

ロドプシン - 光を感じるタンパク質

ロドプシンは、およそ300個のアミノ酸からなる比較的小型のタンパク質で、細胞膜を7回貫いたαヘリックス構造を有しています。一般的にタンパク質は透明であることが示すように、タンパク質が可視光を吸収するためには発色団と呼ばれる補助色素を必要とします。ロドプシンの場合にはビタミンAのアルデヒド型であるレチナールが補助色素であり、タンパク質部分(オプシン)の特定のリジン残基との共有結合により取り込まれています。 オプシンとレチナールの相互作用は、オプシンの種類により変化することから、ロドプシンは青色、紫色、赤色、黄色などの多彩な色を呈します。 このように、ロドプシンは小型かつ色で活性を判別できるという特徴から、光受容タンパク質のみならず膜タンパク質のモデルとして、古く(1870年代)から盛んに研究が行われています。 ロドプシンが光を受けると、発色団レチナールは数百フェムト秒(1フェムト秒 = 10-15秒)でトランスーシス異性化反応を起こし、これにより大きな正の自由エネルギー:ΔGを獲得します。このエネルギー変化が緩和する(ΔG < 0)過程で、タンパク質の構造変化が引き起こされ、ロドプシンの機能が発現します。このような性質はすべてのロドプシンで共通であるにも関わらず、ロドプシンが示す生理機能は、視覚応答、概日リズムの調整、イオン輸送、転写調節など極めて多様であることが、2000年以降のゲノム科学の進展に伴い明らかになってきました。2005年には、ロドプシンが示すイオン輸送能に着目し、神経活動を司る膜電位を光で操作する手法(オプトジェネティクス)が開発され、脳神経回路の解明や制御など、応用的な研究でも注目されています。 [caption id="attachment_4931" align="aligncenter" width="600"] ロドプシンの構造・色彩とイオン輸送能[/caption]

硫酸イオンを運ぶロドプシンの発見

イオン(H+, Na+, Mg2+, Ca2+, Cl-, SO42-など)は、正電荷を持ったカチオンと負電荷を持ったアニオンに分類され、それぞれ生物にとって必須の物質です。たとえば、カルシウムイオン(Ca2+)がないと骨はできませんし、血液中のカリウムイオン(K+)濃度が2倍になっただけで、心臓は停止してしまいます。また、医薬品の約16%がイオン輸送体をターゲットとしており、医薬品開発においても重要なターゲットです。 微生物界には、万を越えるロドプシンが分布しており、その代表的な機能は光エネルギーを使って細胞の内と外のイオンのやり取りを行うイオン輸送です。輸送の基質となるイオンは、1価のものかつ単原子のもの(H+, Na+, Cl-など)であるというのがこれまでの常識でした。これは、イオンが細胞膜という疎水的な環境を移動することを考えると理にかなっているように思われます。 科学研究では、“無い”ことの証明はほとんど不可能ですが、“ある”ことの証明は容易です。私たちは、ロドプシンの多様性を信じ、2価かつ多原子イオンである硫酸イオン(SO42-)を運ぶロドプシンを探索することにしました。そこで注目したのが、スイスの岩場に生息する真正細菌Synechocystis sp. PCC 7509です。この細菌は、硫酸イオンの豊富な環境中(推定数百mM程度)に生息しており、解読されたゲノムのなかにはロドプシンをコードすると推定される遺伝子がひとつ存在していました。そこで、この推定ロドプシン(Synechocystis Halorhodopsin, SyHRと命名)の遺伝子を化学的に全合成し、大腸菌に組み換え体として発現させました。さまざまなイオン条件下や化学試薬存在下で、この大腸菌に光を照射すると、溶液に硫酸イオンが含まれている場合に大きなイオン輸送能が観測されました。このことから、SyHRは光により細胞外から細胞内へ硫酸イオンを輸送するタンパク質であると結論付けました。つまり、これまでの常識を覆し、2価かつ多原子イオンを基質としうるロドプシンを見出すことに成功しました。 [caption id="attachment_4897" align="aligncenter" width="600"] SyHRが示す光依存的な硫酸イオン輸送能[/caption]

硫酸イオンの輸送メカニズム

次に、さまざまな分光学的解析を行い光反応に伴うイオン輸送メカニズムを調べました。はじめに、硫酸イオンの濃度依存的なSyHRの色変化に着目し、硫酸イオンの結合力を見積もりました。すなわち、色変化量を硫酸イオン濃度に対してプロットし、それを1成分のヘンダーソン・ハッセルバルヒの式で回帰することで、解離定数Kdを求めました。その結果、硫酸イオンのKdは5.81mMと見積もられました。 この値はSyHRを持つ細菌が生息する生理環境よりも2桁程度小さな値であり、生理環境中のSyHRには硫酸イオンが結合していることが推測されました。次に光照射後の硫酸イオン輸送過程を調べるために、フェムト秒〜秒の時間スケールで光反応解析を行いました。その結果、光照射後にいくつかの中間体を経て、約1秒かけてもとの状態に戻る光サイクル反応を示すこと、硫酸イオンは光反応の後半で出入りすること、などが明らかとなりました。 これらの結果に基づき、私たちはSyHRの硫酸イオン輸送メカニズムを提案しました。現段階では光により硫酸イオンを細胞内に取り込む生理的意義は不明ですが、SyHRを持つ細菌が硫酸イオンの豊富な環境に生息していることから、何らかの意味があるものと考えています。 [caption id="attachment_4932" align="aligncenter" width="600"] 硫酸イオン輸送メカニズム。(a) 硫酸イオンによる色変化。(b) 光反応サイクルと硫酸イオン輸送[/caption]

今後の展開

SyHRは硫酸イオンを輸送するという、これまでに類をみないまったく新しい性質を示しました。今後は、SyHRの2価アニオンの輸送メカニズムのさらなる解明に取り組み、将来的には、その性質を活かした応用研究にもつなげていきたいと考えています。具体的には、硫酸イオンは生体内において薬物代謝などに利用される主要なイオンのひとつでありながら、その役割は未だ詳細がわかっていません。生体内の硫酸イオンを光によって人為的に制御することができれば、その役割を解明するための一役を担うことができるかもしれません。また、SyHRには、基質イオンの結合の有無を色の変化でとらえることができ、かつ低濃度でも検出できるという特徴があります。その性質を活かし、環境中における硫酸イオン濃度を測定するバイオマーカーとして活用できるのではないかと考えています。 参考文献 Niho A, Yoshizawa S, Tsukamoto T, Kurihara M, Tahara S, Nakajima Y, Mizuno M, Kuramochi H, Tahara T, Mizutani Y, & *Sudo Y. “Demonstration of a light-driven SO42- transporter and its spectroscopic characteristics” (2017) Journal of the American Chemical Society, 139, 4376-4389. Inoue K, Tsukamoto T, Shimono K, Suzuki Y, Miyauchi S, Hayashi S, Kandori H, & *Sudo Y. “Converting a light-driven proton pump into a light-gated proton channel” (2015) Journal of the American Chemical Society, 137, 3291-3299. Kanehara K, Yoshizawa S, Tsukamoto T, & *Sudo Y. “A phylogenetically distinctive and extremely heat stable light-driven proton pump from the eubacterium Rubrobacter xylanophilus DSM 9941T” (2017) Scientific Reports, 7, 44427.]]>
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富士山頂の大気中二酸化炭素濃度を7年間測定して明らかになったこと https://academist-cf.com/journal/?p=4907 Wed, 21 Jun 2017 01:00:31 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4907 2)濃度の長期的な変動を理解するためには、人為的に排出されるCO2(工場や自動車から排出されるCO2)や、植生の呼吸によるCO2排出・光合成によるCO2吸収の影響をほとんど受けない地点(たとえば太平洋・インド洋・大西洋の中央に位置する小さな島や南極など)での大気中CO2濃度観測が必須です。他方、大気中CO2濃度の増加あるいは低下に寄与する要因(たとえば大都市が集合する地域あるいは森林が広範囲に分布する地域など)の近くでの大気中CO2濃度観測は、それらの要因の変動を検証できるため、今後の大気中CO2濃度の予測に重要です。 日本や中国を含む東アジア中緯度は、人為的に排出されるCO2量が世界で最も多い地域のひとつで、かつ夏期における植生によるCO2吸収が盛んな地域です。そのため、この地域のCO2の排出および吸収は、全球の炭素循環に強い影響を与えていると考えられています。 したがって、この地域のCO2の排出および吸収を解明するために大気中のCO2濃度を観測することが必要ですが、この地域の地上は人為的および植生によるCO2の放出と吸収の影響が強いため、大気中CO2濃度の観測がほとんど行われていません。 [caption id="attachment_4908" align="aligncenter" width="600"] 現在の日本周辺のCO2濃度観測点の位置[/caption] 東北大学と気象研究所が、その地域に位置する富士山頂でそれぞれ1980〜1981年と2002〜2004年に大気中CO2濃度の観測を行いました。それらの観測結果から富士山頂の大気は、年間を通して富士山周辺の都市や植生の呼吸からのCO2放出および植生の光合成によるCO2吸収の影響を受けていない大気であり、その大気中CO2濃度は東アジア中緯度の広範囲の平均的なCO2濃度であることが示唆されました。しかしながら2004年に観測で使用された富士山頂にある旧富士山測候所は無人化され、電力の供給が停止されたのに伴い富士山頂での大気中CO2濃度の観測は中断されました。 そこで私たちは東アジアの平均的なCO2濃度を把握すると共に、当地域が全球の炭素循環に与える影響を検証するために富士山頂での大気中CO2濃度の観測を2009年から実施しました。 [caption id="attachment_4909" align="aligncenter" width="600"] 測候所からの富士山南西部の展望[/caption]

富士山頂での大気中CO2濃度の観測

現在の旧富士山測候所は、管理者が常駐する7〜8月のみ電気が供給されます。そして測候所自体もその期間のみ開所されます。さらに測候所は空調設備が稼働しないため冬期の室温は、-30℃程度まで低下します。 したがって、富士山頂における大気中CO2濃度の観測は10か月間電気の供給が為されない、またメンテナンスが行えない、かつ室温が-30℃程度まで低下する環境下で安定的に精度良くCO2濃度の測定が行える手法が求められます。また観測を長期間継続させるためには観測の維持管理にかかる作業量を最小限にする必要があります。そこで私たちは特別なCO2濃度測定システムの製作と長期運用体制の構築を行いました。 具体的には、100個の鉛蓄電池を測候所に運び入れ、測候所に電力が供給される7〜8月の期間にそれらをすべて満充電し、その蓄電された電気で1年間CO2濃度測定システムを稼働させました。また、システムのCO2濃度計測部で発生した熱を逃がさないように計測部を断熱材で3重に覆いました。さらに、測候所滞在時に高山病特有の頭痛と吐き気を発症する身体的条件下での作業によるミスを回避するため、測候所でのメンテナンス作業時間の短縮に努めました。たとえば、あらかじめポンプ・電磁弁・CO2検出部などが内蔵されたCO2濃度計測部を2台用意し、1台を測候所に設置し、もう1台を研究所に保管する体制をとりました。 夏期のメンテナンス期間に、研究所に保管され計測部内の各部材の動作確認が行われたCO2濃度計測部を測候所に運び、測候所に設置され1年間稼働したCO2濃度計測部と交換しました。これにより計測部に内蔵された各部材の動作確認を測候所で行うことを省き、測候所の滞在時間を約24時間に短縮しました。 [caption id="attachment_4910" align="aligncenter" width="600"] (a)蓄電池100個を含むCO2濃度測定システム (b)毎夏交換するCO2濃度計測部[/caption]

富士山頂の大気中CO2濃度

下図に2009年7月〜2017年4月の富士山頂のCO2濃度と北半球中緯度の平均的な値を示すハワイのマウナロア観測所(標高:3396m)のCO2濃度およびその年平均濃度とCO2濃度の増加率(1年間に増加するCO2濃度)を示しました。 [caption id="attachment_4911" align="aligncenter" width="600"] (a) 2009〜2017年の富士山頂とマウナロアのCO2濃度とその年平均CO2濃度および増加率
(b)2009〜2017年の富士山頂と航空機観測のCO2濃度[/caption] 富士山頂のCO2濃度はマウナロアより夏期では2〜10ppm低く、冬期では2〜12ppm高かったです。これは富士山頂の大気中CO2濃度が、夏期ではシベリヤや中国大陸に分布する植生の光合成によるCO2吸収、冬期は中国大陸での植生および都市からのCO2放出の影響を強く受けているためです。富士山頂のCO2濃度の増加率の変動はマウナロアの変動と同じでした。これは富士山頂の大気が、マウナロアの大気と同様に観測点の周辺地域のCO2の吸収と放出の影響を受けないバックグラウンドの大気であるためです。また富士山頂の増加率の変動幅がマウナロアより大きい要因は前述したCO2の吸収源と放出源が富士山に対して地理的に近いためです。富士山の年平均CO2濃度は、マウナロアより1〜2ppm高く推移していました。これは富士山頂の大気中CO2が、マウナロアに比べて東アジアから排出されるCO2をより含んでいるためだと考えられます。 私たちが観測している富士山頂の大気中CO2濃度は、年間を通して山体周辺のCO2吸収および放出の影響をほとんど受けていないこと、東アジア域の広範囲のCO2の吸収と放出を反映していること、さらに北半球中緯度の平均CO2濃度を示すマウナロアのデータとの長期的な比較から、東アジア域の炭素循環の変移が検証できることを明らかにしました。 今年度から、富士山頂での観測強化を目的にCO2以外の温室効果ガスの濃度を調べるべく、現在、山頂に設置しているCO2濃度測定システムに毎月1度の山頂大気の採取を自動で行うシステムを加え、そのシステムにより採取された大気中のメタン(CH4)や一酸化二窒素(N2O)の濃度を調査する予定でいます。そして価値あるデータを取得できる富士山頂での観測を長期間継続できる仕組みをさらに構築していきたいと考えています。 参考文献 Nomura, S., Mukai, H., Terao, Y., Machida, T. and Nojiri, Y. Six years of atmospheric CO2 observations at Mt. Fuji recorded with a battery-powered measurement system. Atmos. Meas. Tech. 10, 667-680, doi:10.5194/amt-10-667-2017 (2017).]]>
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素粒子実験の未来を担う研究者を育てたい!-高校生育成プログラム”Belle Plus”存続のために https://academist-cf.com/journal/?p=4915 Thu, 01 Jun 2017 01:00:02 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4915 しかし素粒子実験には膨大な時間がかかってしまうため、その探究の道筋を途絶えさせないための次世代の育成が不可欠になります。宇宙の謎の解明には、若い力が必要なのです。 そこでBelle IIグループは、科学を志す高校生に最先端の素粒子研究を体験してもらうサイエンスキャンプ「Belle Plus」を2006年からほぼ毎年開催してきました。Belle Plusでは大学院生レベルの高度な実験を行い、高校生自身で実験結果をまとめて発表するという大変野心的なプログラムが組まれています。過去には研究者でも見つけることが珍しい粒子を高校生が発見したという例もあり好評です。 しかしこのプログラムに割ける予算が去年から削減されてしまい、このままでは遠方に住んでいる参加希望者の経費をサポートすることができないという状況です。 「住んでいる場所や、家庭の経済状況によらず、科学を志す高校生にはチャンスを与えてあげたい」というメンバーの思いから、Belle Plusは今後も高校生の旅費や滞在費を全額サポートしたいと考えています。 そこで、宇宙研究や基礎研究の未来を担う高校生たちの旅費や滞在費をサポートするための支援を募ります。リターンにはBelle Plusの報告書や非売品のオリジナルTシャツなどをご用意しております。 プロジェクトページをご覧の上、応援をよろしくお願いいたします!   [caption id="attachment_4920" align="aligncenter" width="600"] 2016年に開催されたBelle Plusに参加した高校生たち[/caption]  ]]> 4915 0 0 0 海底に突き刺さった潜水艦は伊58か? - 海中ロボットの第一人者、海底に眠る潜水艦調査に挑む https://academist-cf.com/journal/?p=4925 Mon, 29 May 2017 03:00:39 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4925 日本の海中ロボット研究の第一人者である東京大学の浦環(うら・たまき)名誉教授は、30年にわたり自律型海中ロボットの研究開発を行い、約20台の先鋭的なロボットを世に送り出してきました。浦先生は現在、五島列島沖に沈む潜水艦を特定し、その現在の姿を明らかにするプロジェクトを進めています。 先日、このプロジェクトの調査において、巨大な潜水艦が海底に突き刺さっていることが明らかになりました。海底に突き刺さった潜水艦は、その大きさから「伊58」またはその同形艦であると推測されますが、今後のさらなる調査が必要です。そこで浦先生は、2017年8月に遠隔操縦式の無人潜水機(ROV:Remotely Operated Vehicle)を使ったより詳細な調査を行おうとしています。 この調査を行うためには、支援母船の用船費やROVの利用料、画像処理費などの費用が必要になります。しかし、現在ボランティアのスタッフによって活動しており、資金が不足しているのが現状です。そこで今回、クラウドファンディングに挑戦することを決めました。 ご支援いただいた方々へのリターンとして、「伊58・呂50オリジナルTシャツ(5,000円)」や「潜水艦の高解像度写真(解説付き)(10,000円)」、「撮影された水中動画集(DVD)(100,000円)」など、さまざまな特典が用意されています。 【募集期間】2017年05月26日〜2017年08月11日 【支援サイト】academist(アカデミスト) 【お問い合わせ】info@academist-cf.com]]> 4925 0 0 0 アルツハイマー病の初期病態の回復可能性 - 実験モデルから推察できること https://academist-cf.com/journal/?p=4954 Tue, 06 Jun 2017 01:00:52 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4954 アルツハイマー病の脳に溜る異常タンパク質 アルツハイマー病(アルツハイマー型認知症)は認知症の原因疾患のなかで、最も患者数の多い疾患です。この病気の脳には細胞の外部(細胞間隙)に、アミロイドβタンパク質(Aβ)が線維化し、沈着しており、これは老人斑と呼ばれています。また、神経細胞の中では、細胞骨格を形造るタンパク質のひとつであるタウタンパク質(タウ)が異常に凝集、線維化して、神経原線維変化という異常構造物を形成します。これらはアルツハイマー病を特徴づける病変としてよく知られています。 Aβは、40~43個のアミノ酸からなる疎水性のペプチドです。約30年前に、Aβは、膜タンパク質であるアミロイド前駆体タンパク質から、タンパク分解酵素による切断によって産生されることがわかりました。そして、家族性アルツハイマー病の家系では、アミロイド前駆体タンパク質の遺伝子変異が発見されました。それ以降の研究の発展によって、Aβの蓄積がアルツハイマー病の発端になって、その後にタウの異常凝集、シナプスの異常、神経細胞死が起こり、病気が徐々に進行していくと考えられるようになりました。特に、タウやシナプスの異常変化は、神経細胞内の物質輸送、神経細胞間の情報伝達機構を障害することから、記憶障害などの認知機能異常が発現すると考えられます。 アルツハイマー病の病理変化は、発病のかなり前から始まっていると考えられています。最近では、脳内に溜っているAβを可視化する特殊な脳画像検査によって、Aβの蓄積はアルツハイマー病の発症の10年以上前から始まっていることが明らかになってきました。

アルツハイマー病の最近の研究から - 発症の鍵を握るAβオリゴマー

最近の研究から、Aβは線維化する前段階においては、オリゴマーという集合体を形成していて、このAβオリゴマーが神経細胞を障害する作用を持っていることがわかってきました。 Aβオリゴマーには、集合している分子数によって、分子量の小さなものから大きなものまでさまざまなものが含まれています。また、アルツハイマー病患者の脳の中にも、これら種々のAβオリゴマーが存在していることがわかっていますが、このうち病気に特に関係するものがどれであるかなどははっきりしていません。 Aβオリゴマーは神経細胞にさまざまな悪影響ーータウの異常変化、シナプスの異常、細胞死の誘導などーーを及ぼします。タウが異常化すると、分子内の複数個所でリン酸化が亢進し、分子内切断も起こりますが、これらの変化によって神経原線維変化の形成が促進されると考えられています。このように、Aβオリゴマーによってアルツハイマー病の特徴的な病態が誘導されることから、Aβオリゴマーはアルツハイマー病の発症の引金として注目されるようになりました。

神経細胞の実験モデル

このAβオリゴマーの神経障害作用を詳しく研究するため、私たちは次のような実験モデルを作製しました。ラットの脳から分離した神経細胞を9日間培養したものに、調整したAβオリゴマーを添加すると、2日後には、細胞に異常が現れます。 この細胞の異常変化を、ウエスタンブロット法による解析や、特異的な抗体による免疫細胞染色などによって、詳しく調べました。その結果、1)アポトーシス(細胞死)誘導性の変化(カスパーゼ3の活性化など)、2)タウタンパク質の異常変化(リン酸化、分子内切断の増加など)、3)シナプスの形成・維持などに重要な役割を持つβカテニンの異常変化(タンパク質レベル低下、および局在異常)が見出されました。これらの変化はアルツハイマー病の脳で観察される病的変化の特徴と共通点があり、この実験モデルは、アルツハイマー病の病態を反映したものといえます。  

Aβオリゴマーの神経毒性変化には可逆的性質がある

Aβオリゴマーの神経毒性については多数の研究が行われてきていますが、その毒性作用による細胞の障害性変化が可逆的なものなのかについてはよくわかっていませんでした。この問題を明らかにするため、図2のようにAβオリゴマーで2日間の処理を行った細胞を2群に分け、一方はAβオリゴマーを含まない培養液でさらに2日間培養し、もう一方はAβオリゴマー処理を2日間継続しました。 その結果、Aβオリゴマー処理を継続した細胞では、細胞死誘導性変化は増悪し、タウタンパク質、βカテニンの異常が持続しました。しかし、Aβオリゴマーを除去した細胞では、細胞死誘導性変化、タウタンパク質の異常が無処理の対照と同程度まで回復し、βカテニンの異常も部分的に回復しました。また、このβカテニンの異常にはシナプス構造の破綻が関連していることが示唆されました。 これらの実験結果は、Aβオリゴマーが主に細胞外から毒性作用を発揮していて、その結果生じる細胞内の障害性変化は可逆的なものであり、Aβオリゴマーを除くことにより回復可能なことを示唆しています。すなわち、神経細胞のモデル系において、Aβオリゴマーが神経細胞に引き起こすタウ異常などの様々な異常変化は、Aβオリゴマーの作用が除かれることで、回復しうることが初めて明らかとなりました。

アルツハイマー病の初期病態の回復可能性

以上の研究結果は、細胞モデルで得られたものではありますが、脳内の初期病態を間接的に反映していると考えられます。すなわち、病初期に何らかの手段によりAβオリゴマーを除くことができれば、病態が回復する可能性が推察されます。 現在、実用化に向けて、Aβオリゴマーの蓄積に対する抑制作用を持つ薬剤の開発が進められています。たとえば、Aβオリゴマーに対する抗体療法や、Aβ産生酵素BACE1の阻害薬などがあげられます。アルツハイマー病では、タウの異常が顕在化してからでは治療が困難であると言われています。アルツハイマー型認知症の予備状態である軽度認知障害のような、できるだけ早期の段階で治療介入を行うことにより、アルツハイマー病態の進行を防ぐとともに、認知機能障害の回復を図ることができる可能性があると考えられます。 私たちは、Aβオリゴマーの蓄積を抑制する以外にも、Aβオリゴマーの毒性を低減することも治療につながると考えています。このAβオリゴマーの毒性作用メカニズムについては、細胞表面の何らかの受容体に作用し、異常シグナルを伝達するという仮説があるものの、いまだ明確ではありません。そこで、このAβオリゴマーに対する神経細胞の応答機序を解明するとともに、Aβオリゴマーの毒性作用を軽減するような新規薬剤を開発することを目指して、研究を進めています。   参考文献 1.Tanokashira D, Mamada N, Yamamoto F, Taniguchi K, Tamaoka A, Lakshmana MK, Araki W: The neurotoxicity of amyloid β-protein oligomers is reversible in a primary neuron model. Mol Brain 10:4, 2017 2.Mamada N, Tanokashira D, Hosaka A, Kametani F, Tamaoka A, Araki W: Amyloid β-protein oligomers upregulate the β-secretase, BACE1, through a post-translational mechanism involving its altered subcellular distribution in neurons. Mol Brain 8: 73, 2015]]>
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「病は気から」は本当か? アレルギー界の大きな謎に挑む! - ポジティブな感情で花粉症が改善する? https://academist-cf.com/journal/?p=4966 Mon, 05 Jun 2017 01:00:46 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4966 謎の解明に向け、中嶋助教らは、マウスの「脳内報酬系」を人為的に活性化できるシステムを利用しようと考えています。脳内報酬系には、ドーパミンという物質が関与しています。興奮や感動、心地良いことが起きたときにドーパミンが脳の中で放出されることで、脳内報酬系が活性化します。 この仕組みを利用し、マウスの脳内報酬系を人工的に活性化させたあと、I型アレルギーの代表的疾患である花粉症を誘導して実験を行います。花粉症を誘導したマウスは、くしゃみや鼻掻き行動を頻繁に起こすようになりますが、脳内の報酬系を活性化させることで、こういったアレルギーの症状が緩和するのか検討していきます。 上記のような実験を行うには、まず実際に脳内報酬系が活性化されているのかどうかを蛍光顕微鏡を使って確認する必要があります。今回のクラウドファンディングで集まった資金は、蛍光顕微鏡の購入費の一部に当てられる予定です。 ご支援いただいた方々へのリターンとして、「研究室オリジナルTシャツ(5,000円)」や「サイエンスカフェ参加券(10,000円)」「研究室見学ツアー(30,000円)」「論文謝辞掲載(50,000円)など、さまざまな特典が用意されています。 【募集期間】2017年06月5日〜2017年08月5日 【支援サイト】academist(アカデミスト) 【お問い合わせ】info@academist-cf.com]]> 4966 0 0 0 「よーい、どん」のタイミングは反応時間に影響を与える https://academist-cf.com/journal/?p=4992 Tue, 13 Jun 2017 01:00:29 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4992 「よーい、どん」のタイミング 陸上競技の短距離走種目でのスタートでは、「よーい、どん」の合図の後にスプリンターが全力疾走をします。現在のルールでは、このときのピストル音からスプリンターが動き始めるまでの反応時間が100ミリ秒以下であれば、スプリンターは予測スタートをしたとして、フライング失格となります。 刺激の提示から反応の生起までの「単純反応時間」に関する心理学の研究では、この「よーい」は警告刺激、「どん」は反応刺激と呼ばれており、警告刺激から反応刺激までの時間間隔は先行期間と呼ばれています。この先行期間の長さは、その後の反応時間に影響を与えることがこれまでの研究で明らかにされています。 [caption id="attachment_4988" align="aligncenter" width="600"] 短距離走における「よーい、どん」のタイミングと反応時間。横軸は時間を示し、縦軸は地面反力の水平成分の合計値を示す。本研究では、両手、両足の下に地面反力計を設置し、その水平分力の合計値が変化する瞬間を反応した瞬間と定義した[/caption] 今回の研究では、まずオリンピックや世界陸上競技選手権大会といった国際大会88レースでの先行期間の分布を調査しました。その結果、国際大会での先行期間の長さは、1.780±0.158秒(平均値±標準偏差)であることが明らかになりました。次に、この値をもとに、5つの先行期間の長さ(1.465秒:SS条件;1.622秒:S条件;1.780秒:N条件;1.938秒:L条件;2.096秒:LL条件)の条件下で実験を行いました。

「よーい、どん」のタイミングが長いと反応時間は短くなる

実験は、世界陸上競技選手権大会やユニバーシアード大会等の国際大会経験者7名を含むスプリンター20名を対象に、室内にある実験用走路を使って先述した5条件下でのスタートダッシュを行うというものです。被験者には、事前に5条件の音声情報を知らせ、ウォーミングアップでは、それらの条件下で練習試技を行ってもらいました。 この際、スターティングブロックと被験者全身に60か所の反射マーカーを貼り付け、その三次元変位データを光学式ハイスピードカメラ16台にて取得しました。また、クラウチング姿勢時の両手、両足それぞれの地面反力をフォースプレート4枚で測定しました。そして、地面反力の水平成分の合計値、関節トルクに変化がみられた瞬間から全身反応時間と両肢12関節(両腕の肩・肘・手関節、両脚の股・膝・足関節)の関節反応時間を求めました。 その結果、SS、S、N、L、LL条件下での全身反応時間は156±8、133±6、125±4、129±5、117±5ミリ秒(平均値±標準誤差)となりました。つまり、先行期間が長いときほど、全身反応時間は短くなることがわかりました。このSS条件の全身反応時間とLL条件での全身反応時間の差は、39±7ミリ秒であり、この差は、スプリンターにとっては大きなフィニッシュタイムの差になります。現在の競技ルールでは、「セット」の掛け声の後のピストル音に反応してスタートをすることが決まっています。しかしながら、ピストル音のタイミングは最終的にスターターの主観により決定されています。そのため、レースによっては選手にとって反応時間が長くなる可能性があり、現行のルールでは公平性が保てない場合があることが示唆されました。 [caption id="attachment_4989" align="aligncenter" width="600"] 5つの先行期間下でのスプリンターの全身反応時間[/caption]

多関節運動により全身反応時間は生ずる

全身反応時間は、4枚のフォースプレートで測定された地面反力の水平成分の合計値で求めました。全身反応時間は全身の多関節運動によって生じます。今回の研究では、各条件下において12関節個々の関節反応時間を求めました。その結果、ほとんどの関節においては、先行期間が長くなれば関節反応時間は短くなるものの、前脚膝関節と前方スウィング腕手関節の関節反応時間は、先行期間の長さに影響を受けないことが明らかになりました。先行期間のあいだは、中枢では次に起こす動作の事前プログラミングを行っています。つまり、先行期間の長さは、動作の事前プログラミングに影響を与え、その結果、スプリンターの関節コーディネーション・パターンに影響を与えることが示唆されました。 [caption id="attachment_4990" align="aligncenter" width="600"] 5つの先行期間下でのスプリンターの関節反応時間[/caption] 肩関節は、他の関節と比較して、物理的に中枢に最も近位にあります。そのため、肩関節の関節反応時間は、LL条件下では100ミリ秒を下回って(前方スウィング腕:99±7ミリ秒;後方スウィング腕:98±9ミリ秒)、他の関節と比較して最も早く反応したと考えられます。このLL条件での肩関節反応時間は、全身反応時間の117±5ミリ秒よりも短いことから、今回の研究からは、肩関節の動きが、直接、全身反応時間に貢献したと判断することはできません。しかし、すでに全身反応時間よりも早く肩関節が反応していたという事実は、今後の陸上競技短距離走のスタートにおける反応時間の計測方法を再考する機会になるといえるでしょう。   参考文献 Otsuka, M., Kurihara, T., Isaka, T. (2017). Gun fire influences sprinters’ multiple joint reaction times of whole body in block start. Front. Psychol., 8: 810. doi: 10.3389/fpsyg.2017.00810 Telford, C. W. (1931). The refractory phase of voluntary and associative response. J. Exp. Psychol. 14, 1–36. doi: 10.1037/h0073262]]>
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受精卵のエピゲノム編集に成功 - ゲノムに記された「付箋」を書き替える新手法 https://academist-cf.com/journal/?p=4997 Tue, 20 Jun 2017 01:00:36 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=4997 ひとつのゲノムから多彩な細胞がつくられるしくみ 私たちの身体はさまざまな種類の細胞や組織から構成されていますが、これらのほとんどの細胞が同じ遺伝情報(ゲノム)を核内にもっています。同じ遺伝情報をもつにも関わらず、どのようにさまざまな種類の組織や細胞がつくられるのでしょうか? これは細胞内において、「必要な遺伝子が読み出されること」「不必要な遺伝子の読み出しを制限すること」によって成し遂げられています。言い換えれば一冊の設計図(遺伝情報)を読み出す付箋の組み合わせによって、さまざまな細胞がつくられているのです。 この付箋の役割を果たすのがエピゲノムと呼ばれるDNAやヒストンなどに生じる化学修飾です。なかでもDNAメチル化は4つのDNA塩基、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)のうち、シトシンが受ける化学修飾であり、遺伝子発現の抑制、刷り込み遺伝子の発現制御(ゲノムインプリンティング)、X染色体の不活性化、レトロトランスポゾンなど動く遺伝子の転移抑制など、正常な個体発生において重要な役割を果たしていることが知られています。また、癌やさまざまな疾患においてもDNAメチル化情報の乱れが報告されており、細胞が正常な機能を発揮するためには正常なDNAメチル化パターンの形成が重要であることがわかっています。

付箋の意味を知る

細胞内でエピゲノムが形成・維持される過程においては、化学修飾を書き込む分子、消去する分子、認識する分子が協調して動くことが重要ですが、これらエピゲノムの形成に関わる分子はゲノムの広範囲に渡って機能しているため、ノックアウトの解析手法では特定ゲノム部位のDNAメチル化状態を操作することや、その部位におけるDNAメチル化が果たす生物学的な役割を解析することは難しいという問題も抱えていました。 実際、マウスにおいてはDnmtと呼ばれるDNAメチル化を書き込む分子、Tetと呼ばれるDNAメチル化を消去させる分子が存在していますが、いずれの分子の遺伝子破壊動物においても胎生致死や出生後の死亡あるいは生体に何かしらの異常をもって生まれることが知られています。このような課題をクリアするため、私たちはまずDNAメチル化をゲノムの部位特異的に書き込む手法の開発に取り組むことにしました。

受精卵でのDNAメチル化誘導

私たちは、任意の塩基配列に対するDNA結合モジュールを設計することが可能なゲノム編集と呼ばれる技術に着目しました。ゲノム編集で用いられているTALENおよびCRISPR/Cas9のDNA結合モジュールと、スピロプラズマと呼ばれる細菌が保有するDNAメチル化酵素のひとつであるSssIとの融合遺伝子を作製し、この人工遺伝子を細胞内に導入することでマウスのペリセントロメアに存在するDNA配列であるメジャーサテライトに対してDNAメチル化導入が可能か検討しました。 [caption id="attachment_4998" align="aligncenter" width="600"] 本研究におけるエピゲノム編集の概要[/caption] その結果、ペリセントロメアDNAが低メチル化を示すマウス受精卵や、DNAメチル化酵素を欠損したゲノムワイドにDNA低メチル化状態を示すES細胞のメジャーサテライトに、DNAメチル化を効率的に導入することが可能であることを示しました。このDNAメチル化の亢進はバイサルファイトシーケンスによる1塩基レベルの解像度だけでなく、DNAメチル化の生細胞レポータープローブ(mCherry-MBD-NLS)を用いた蛍光顕微鏡レベルでも検出可能なものであり、大規模にDNAメチル化が導入される様子をライブセルイメージングによって追跡することが可能でした。 [caption id="attachment_4999" align="aligncenter" width="600"] 受精卵の分割期におけるペリセントロメアへのDNAメチル化導入

受精卵における分裂後期の染色体のスナップショット。「メチル化導入有り」の受精卵において分配方向の染色体末端近くにDNAメチル化の亢進が認められる。「メチル化導入無し」の染色体においても末端部分にメチル化DNAのシグナルが認められるが、これは元々細胞が持っているDNAメチル化状態を示している。矢印:染色体分配方向、スケールバー:20μm[/caption] [caption id="attachment_5000" align="aligncenter" width="600"] DNAメチル化酵素欠損マウスES細胞内でのペリセントロメアへのDNAメチル化導入

「メチル化導入有り」の細胞では核内のセントロメア近傍においてメチル化DNAのシグナルの亢進が認められる(矢印)。一方で、「メチル化導入無し」の細胞ではメチル化DNAのシグナルは核内でほぼ均一のシグナルとなる(核小体にシグナルが集積する)。スケールバー:20μm[/caption] さらに、ペリセントロメアにDNAメチル化を導入したマウス受精卵の細胞分裂期における染色体分配異常を調べたところ、DNAメチル化導入した受精卵とDNAメチル化導入していない受精卵において大きな違いは認められず、着床前初期胚発生のキネトコア機能にDNAメチル化は重要ではないことが示されました。従来のエピゲノム編集で使用されてきた哺乳動物由来のDNAメチル化酵素は、協調して働く分子を必要としますが、本研究で作製された細菌由来の人工酵素はそれ単独で機能するため、他の生体作用の影響を受けずに安定したDNAメチル化導入効果が期待されます。

今後の展開

受精卵を含むマウス生殖細胞のセントロメア(細胞分裂に必須な染色体配列)およびペリセントロメアでは、体細胞と比べて大規模なDNA脱メチル化が生じていることが報告されていますがその具体的な意義については明らかにされていません。本研究で開発した手法はこの疑問に答える手段のひとつになると考えています。また、複数のがん細胞においても生殖細胞と同様にセントロメアのDNA脱メチル化が大規模に生じていることが報告されており、がんに特徴的なゲノム不安定性との相関性が指摘されています。本研究によるDNAメチル化操作によって、がん細胞におけるゲノム不安定性とDNA脱メチル化状態との因果関係を研究することが可能となり、新たながん研究の解析ツールとなることが期待されます。 また、本研究で使用したDNA結合モジュールは任意のゲノム領域に設計できることから、ペリセントロメア以外のさまざまなゲノム部位に対してDNAメチル化の導入を行うことが可能だと考えられます。遺伝子破壊を伴わずに遺伝子の発現抑制を行うことによって、がん遺伝子をはじめとする疾患原因遺伝子の発現抑制など、ゲノムを書き換えない遺伝子治療への将来的な応用展開が期待されます。
参考文献 Yamazaki T, Yamagata K, Baba T. (2007). Time-lapse and retrospective analysis of DNA methylation in mouse preimplantation embryos by live cell imaging. Dev Biol. 304, 409-419. Yamagata K, Yamazaki T, Miki H, Ogonuki N, Inoue K, Ogura A, Baba T. (2007). Centromeric DNA hypomethylation as an epigenetic signature discriminates between germ and somatic cell lineages. Dev Biol. 312, 419-426. Yamazaki T, Hatano Y Handa T, Kato S, Hoida K, Yamamura R, Fukuyama T, Uematsu T, Kobayashi N, Kimura H, Yamagata K. (2017). Targeted DNA methylation in pericentromeres with genome editing-based artificial DNA methyltransferase. PLoS One. 12: e0177764.]]>
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脳のなかの色、言葉のなかの色 - 「青々とした緑」という言葉のウラにあるもの https://academist-cf.com/journal/?p=5004 Fri, 16 Jun 2017 01:00:19 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5004 人が色を見るしくみを通して、脳について学ぶ 色は、人間が視覚から得られる情報のなかで最も基本的な要素のひとつです。目を開ければ当たり前のように得られる感覚ですが、実はその詳細な仕組みはまだよく解っていません。色の感覚に関する情報処理の大半は脳で行われています。物の大きさや形、動きは、同じ物体を触って確かめ合うなど、視覚以外の感覚で他者と情報を共有できますが、色は完全に主観的な体験であるという特殊性があります。すなわち、色を見る際の神経情報処理は脳内で閉じており、色覚メカニズムの研究は脳情報処理の研究であるとも言えます。

色カテゴリーの研究

日常、我々は言葉を使って色の感覚を表現し、他者と情報共有をします。人間の目が見分けられる色の違いは数10万色と言われていますが、日常的な言葉で表される色名はせいぜい数十です。微妙な違いを超えて集約した色のグループ「色カテゴリー」に対して「言葉」を当てはめ、色の見え方を表現します。色カテゴリー分類には複数のレベルがあり、赤系/青系という大雑把な分類も、赤/ピンク/オレンジを区別する詳細な分類も可能です。これらの色カテゴリーの形成メカニズムを知ることは、人間が色を感じるメカニズムの解明に迫るひとつの手段となります。 我々は最近、日本語の母語話者における色カテゴリーに関する研究を行いました。国際的に色名の研究で用いられる330枚のマンセル色票を1枚ずつ実験参加者に示し、修飾語(「薄い」「明るい」など)や複合語(「赤紫」「黄緑」など)を使わない単一の色名で回答してもらう実験を、大学院生を中心とした57名の参加者に対して行いました。参加者が用いた色名数の平均は17.7(最小11、最大52)でした。

最近30年で「水色」が青から分離

色カテゴリーを研究するデータを集めるには、実験参加者に色名を報告してもらうしか方法がありません。ただ、データ解析では言葉を用いる必然性は低下します。なぜなら、色名に基づいてデータを解析すると、たとえば同じ色票セット(=色カテゴリー)に対し異なる色名を用いた参加者が存在する(明るい青の色票セットを「水色」「空色」と呼ぶ人が混在するような)場合、2つは異なる色カテゴリーと扱われてしまうためです。我々の研究対象は「どのような色の特徴に基づいた色カテゴリー(≠色名)が存在するか」です。そこで今回の研究では、実験結果から色名の情報を一旦外し、色票セットの情報のみのデータを作り、「330枚の色票を、日本人はどのような色カテゴリーに概ね仕分けたか」という解析を行いました。 データ解析にはk-平均クラスタリングという手法を用いました。このアルゴリズムは、比較的簡単なルールにしたがってデータをk個のクラスター(データの塊)に仕分ける計算を行いますが、計算時に分割数「k」を決めておく必要があります。そこで、2〜25の各々のk値に対し10,000回のk-平均クラスター解析を行い、その結果からGap統計量という指標を導いて最適のクラスター分割数を決める方法を取りました。最終的に、今回の有彩色データに対する最適のkの値は16で、無彩色(白・黒・灰)と合わせて19の色カテゴリーとなることが57名の参加者のデータから導出されました。それらは、国際的な基本色である11の色カテゴリー(赤、緑、青、黄、紫、橙、ピンク、茶、白、黒、灰)に加え、8つの色カテゴリー(水、肌、クリーム、抹茶、黄土、エンジ、紺、山吹:各々、カテゴリーで最も多く使われた色名)でした。 なかでも「水色」は、参加者57名のうち98%が使用し、クラスターは明確に青と分離していました。30年前の同様の研究では、ある参加者が水色と呼んだ色票のうち平均77%が他の参加者により青と呼ばれていたため、青/水色カテゴリーの分離は不完全と結論されていました。しかし今回の研究では、参加者間での水色カテゴリーの一致度と、青/水色カテゴリーの分離度が、いずれも以前の研究より高いことが統計的に示され、日本語の12番目の基本色であるという可能性が示されました。

色カテゴリーの分離はなぜおこる? - 赤ちゃんの視覚の研究から

このような色カテゴリーの分離は古くからたびたび起こっています。日本語では緑色のものを青と呼ぶ習慣があります。たとえば緑の信号灯を青信号、緑色の野菜を青物と呼ぶ等の習慣がありますが、誰も青と緑の区別がついていないわけではありません。今回の研究でも、水色と青より、青と緑の色カテゴリーの分離度の方が高いことが統計的に示されています。古い日本語における色名語は「赤、青、白、黒(いずれも「〜い」と呼べる)」の4つでした。したがって、「古語の青」は現在の緑と青を含む色カテゴリー(専門用語では”grue”:greenとblueの合成語)だったと考えられ、その頃の習慣の名残と思われます。以下では「古語の青 (grue)」を「青G」、現代の(modern)青と緑を「青M, 緑M」と区別して書くことにします。 では、青Gから青Mと緑Mへの分離はなぜ起きたのでしょうか? 我々は昨年、青Mと緑Mのカテゴリー境界の付近にある色を使い、言語獲得前の赤ちゃん(5〜7か月児)の脳活動を調べた研究を発表しましたが、そのなかに答えがありました。赤ちゃんの脳活動を調べる実験では、青M⬄緑Mを1秒おきに交代する図形を見せたときと、異なる2色の緑(緑M1⬄緑M2)を交代に見せたときの脳活動を近赤外分光法(Near InfraRed Spectroscopy: NIRS)で測定しました。解析の結果、いずれも同じ色差のペアであるにもかかわらず、青M⬄緑Mのペアに対してのみ脳活動の上昇が見られ、言語獲得前の赤ちゃんも青Mと緑Mを別の色カテゴリーと認識していることが明らかになりました。 この結果は、言語の獲得と関係なく色のグループを作る「カテゴリー化」が脳内で行われ、かつ大人と同じカテゴリーの境界を持つことを示しています。別の研究では、言語を使わないマカクサルの脳内にも、青Mと緑Mの色カテゴリーに選択的に反応する神経細胞が発見されています。したがって古語の時代でも、人々の脳内の神経レベルでは青Mと緑Mは違うグループの色と区別されていたものの、それらを別の言葉で表現する習慣が浸透しておらず、2つを束ねて青Gという色名を当てていたと推測できます。 以上を整理すると、色カテゴリーが「分離」したのではなく、言葉より先に個別の色カテゴリーに対応する神経細胞が存在していたところへ、まず2つを束ねた色名(青G)が割り当てられ、その後、青Mと緑Mの区別が浸透した結果、異なる色名で呼ぶ習慣が定着したと考えられます。この「grue からblue/greenへの分離」は、多くの言語が成熟過程で必ず経る通過点と考えられています。13世紀の英語にもgrueに対応する色名 “HÆWAN” が存在し、後にgreenとblue (bleu) に分離したことが知られています。したがって、青と緑を分割する境界線は、人類に共通した神経メカニズムに基づいて形成されている可能性が高いと考えられます。 また、「水色/青」のように「明るい青/暗い青」を別の色カテゴリーとする認識は、ロシア語を始めとする複数の言語にも見られます。したがって「青」から「水色と青」への分離についても、青と緑と同様に、人類共通の神経メカニズムとして2つの色カテゴリーに対応した神経表現が脳内に存在すると考えられます。

脳内の信号変換 − 脳の色から言葉の色へ

では、脳内における色カテゴリー(の素)は、どのような神経メカニズムによって構築されているのでしょうか? 我々がfunctional MRIを用いて行った人間の脳活動計測の研究では、多様な色に対して応答する神経メカニズムが、脳内で視覚情報処理を行う部位(視覚野)に広く存在することが示されました。 こうした神経活動の色選択性は、網膜の光センサ(錐体)からの信号が様々に組み合わされて形成されますが、脳内細胞の色選択性から色カテゴリーへの信号変換の方程式が見つかっていないのが現状です。色選択性の神経メカニズムと色カテゴリーに対応した脳活動をより詳細に検討し、錐体応答から色カテゴリーまでの信号変換の過程を解明することは、今後の研究の課題です。その過程で、数十万の感覚情報を少数のカテゴリーに集約する際の情報処理の方略等についても、新たな知見が得られることを期待しています。   参考文献 [1] Kuriki I., Lange R., Muto Y., Fukuda K., Tokunaga R., Lindsey D.T., Brown A.M., Uchikawa K., and Shioiri S. (2017) The modern Japanese color lexicon. Journal of Vision, 17(3), 1. [2] Yang J., Kanazawa S., Yamaguchi M.K., and Kuriki I. (2016) Cortical response to categorical color perception in infants investigated by near-infrared spectroscopy. Proceedings of The National Academy of Sciences of U.S.A. 113(9), 2370-2375. [3] Kuriki I., Sun P., Ueno K., Tanaka K., and Cheng K. (2015) Hue selectivity of neurons in human visual cortex revealed by BOLD fMRI. Cerebral Cortex, 25, 4869-4884.]]>
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平らな面に衝突した滴は、どれだけ表面を濡らすことができるのか - 新しい理論で予測可能に https://academist-cf.com/journal/?p=5014 Thu, 15 Jun 2017 01:00:52 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5014 濡れ性とは? 液体が物体表面をどれだけ濡らすことができるのか? その液体と物体表面間の濡れやすさ(液体の付着しやすさ)を“濡れ性”といいます。一滴の水を物体表面に滴下したときに、べったりと濡れ拡がるのであれば“濡れ性が良い”といいます。このような表面を親水性表面といいます。一方、べったりとは濡れ拡がらず、丸いボールのような状態になる場合、“濡れ性が悪い”といい疎水性表面と表現します。こうした濡れ性の良し悪しは、液体や固体物体を構成する分子の種類や固体表面の粗さにも影響を受けます。特に、空から落ちてくる雨粒のように、運動している物体が静止している固体表面に勢い良く衝突する場合は、その濡れ拡がりの程度は液体内部の流体運動によっても影響を受けます。 [caption id="attachment_5011" align="aligncenter" width="600"] シリコンゴム基板上に衝突する純水液滴:それぞれの落下開始地点の高さは、 (a) z=10 mm, (b) z=100 mm, (c) z=700 mm。高さが高いほど(速度が大きい)最大濡れ拡がり面積は大きくなる[/caption] 何かの現象を科学的に理解するためには、その状態を数学などの手段を用いて数式により表現すると便利です。今、平板の上に液滴が付着している場面を考えます。液体の表面では、その面積をなるだけ小さくしようとする力(表面張力)が働いていますので、固体、気体および液体が接する接触線を起点として、液体表面側に力が働きます(σ1)。固体と気体が接する表面と固体と液体が接する表面側にも表面張力が働くと考えると(厳密ではないのですが)、接触線を中心として、σ2 = σ3 + σ1cosθという関係式を得ます。式中のθは液体表面と固体表面の成す角度を表し、接触角といいます。この式はヤングの式と呼ばれ、1805年にトーマス・ヤングにより提案された接触線での水平方向の力学的なバランス式です。濡れ性の議論をする上では必要不可欠な式として用いられています。 [caption id="attachment_5012" align="aligncenter" width="600"] 液滴接触線における表面張力の釣り合いに関する概念図:ヤングの式に現れる液体の表面張力の水平方向成分だけでなく、従来無視されてきた垂直方向成分を考慮した理論検討を今回実施した[/caption]

接触線での垂直方向の表面張力の検討

界面に関する専門書を見ても(たとえばde Gennesら著)接触線での垂直方向の表面張力(σ1sinθ)に関しては、固体表面が変形しない場合は固体の反力と釣り合っているとし、液体と固体間の濡れ性の議論ではほとんど扱われることはありませんでした(特に、固体の表面が変形するような場面は工学上特殊な場合に限られるため)。しかしながら、固体表面上の液滴は固体表面上に単に乗っているのではなく付着しています。つまり、接触線において固体表面を引っ張る力(もしくは引っ張られている)が働いているのです。そのため、たとえ固体表面が変形しなくても作用・反作用の関係によって液体の形状は変形するはずです。つまり、ヤングの式に現れる接触角θは、垂直方向の力も合わせて決まる値ということを意味します。 平板への液滴の衝突現象に関するごく最近までの理論検討では、接触線での水平方向に関する表面張力の影響しか考慮していませんでした。上述の考えに基づき、我々研究グループは、接触線での水平方向だけでなく垂直方向の表面張力の影響を、力としてではなく接触線が移動することで行う仕事(エネルギー)として評価することで理論検討を行いました。通常、力はベクトルとして考えるため、空間を構成する座標軸の各方向成分で分けて考えますが、エネルギーとして考慮することで方向性がなくなり、すべての成分を考慮することになります。また、ここでは詳細な説明を省略しますが、液滴が平板に衝突したあと、液体内部で発生する渦運動により使われるエネルギーの評価方法も見直しました。そのようにして最終的に導かれた新しい理論式は、純水だけでなくエタノール溶液といった液体の種類が異なる場合や固体の種類が異なる場合、さらに幅広い衝突速度にも適用できることがわかりました。

今後の展開

接触線での垂直方向に関する表面張力の影響はヤングの式が提唱されて以来150年以上にもわたり議論が行なわれてきています。そのため、表面張力の垂直方向成分の検討は挑戦的であり、その影響の考慮の是非に関してはさまざまな意見があります。しかしながら、Fernandez-Toledanoらによる分子レベルの数値計算に関する最近の研究では、ヤングの式の水平方向の表面張力の影響だけでなく垂直方向の影響の重要性も証明されていますので、今後の研究の進展に伴い、表面張力の垂直方向成分が本当に重要なのかそうでないのか、その答えが明らかになっていくと考えられます。一方、平板に衝突する滴に関しては、私たちの理論式によってその現象のすべてが明らかにできたわけではありません。平板に衝突した滴は、衝突速度が大きければ平板上で細かい滴に分裂して飛び散ります。このような現象をスプラッシュ現象といいますが、このスプラッシュ現象がどのような条件で生じるのか? などまだ明確に説明できる理論はありません。このような液滴形状の安定性を解明することが今後の課題です。   参考文献 [1] Yonemoto, Y., Kunugi, T, Analytical consideration of liquid droplet impingement on solid surfaces, Sci. Rep., 7, 2362, doi:10.1038/s41598-017-02450-4 (2017). [2] de Gennes, P. G., Brochard-Wyard, F., Quéré, D., Capillarity and Wetting Phenomena: Drops, Bubbles, Pearls, Waves (Springer-Verlag, New York, 2003). [3] Fernandez-Toledano, J-C., Blake, T. D., De Coninck, J., Young’s equation for a two-liquid system on the nanometer scale, Langmuir, 33, 2929-2938, doi:10.1021/acs.langmuir.7b00267 (2017).]]>
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目に見えない光を放つスマートな有機分子の開発 - すりつぶすと色が変化するメカノクロミズムを利用 https://academist-cf.com/journal/?p=5020 Mon, 19 Jun 2017 01:00:02 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5020 可視光、紫外光、赤外光とは 我々の生活は、太陽の光や蛍光灯・LED、テレビなど「目に見える光」に囲まれています。一般的に光はさまざまな波長を持っており、波長の違いによって色の違いが識別されます。そして、人間の目で認知できる光は特定の波長領域を持つ光のみであり、これを一般に可視光と呼んでいます。 [caption id="attachment_5016" align="aligncenter" width="600"] 紫外光、可視光、赤外光の波長領域の模式図。紫外光や赤外光を応用した製品のイメージ図[/caption] その波長領域は、下限が380nm程度、 上限が750nm程度であり、人によって個人差があります。これよりも波長の短い光(< 380nm)は紫外光、長い光(> 750nm)は赤外光と呼ばれます。いずれも人間の目では認識することができませんが、紫外光や赤外光を発する材料が身のまわりでは数多く応用されています。紫外光を発する製品は、除菌を目的に医療施設や掃除用品などに利用されています。赤外光を発する製品は、リモコンや自動ドアのセンサーなどに利用されています。我々の生活は、目に見えない光とそれを利用する製品にも支えられているといえます。

メカノクロミズムとは

近年、発光性メカノクロミズムを示す分子が盛んに研究されています。発光性メカノクロミズムとは、機械的刺激を与えることで、紫外線照射下での固体や液晶材料の発光の色が切り替わる現象です。 [caption id="attachment_5017" align="aligncenter" width="600"] (上)メカノクロミズムの模式図。機械的刺激で分子の並び方や構造が変わり、発光色が変化する現象をメカノクロミズムと呼ぶ。今回の研究の特長は、機外的刺激の後に赤外発光を示すメカノクロミズム分子を発見したことである
(下)発光性メカノクロミズムを示す材料に、機械的刺激を与えて発光色が変化する前後の写真。左の写真は、緑色発光から橙色発光に変化している。中央の写真では、元々青く発光する微結晶に対して、その中心部を乳棒ですりつぶし、粉末状にしている。中心の粉末の発光色が黄色に変化している。右の写真では、濾紙の上にメカノクロミック分子を薄く塗りつけ、濾紙をスパチュラで引っ掻いている。発光色が変化するため、”Au”という文字を書くことできる[/caption] 機械的刺激とは、乳鉢と乳棒ですりつぶす、ヘラでひっかくなどの刺激を指し、特別な実験器具を用いずに分子の機能のひとつである発光の色を切り替えることのできる点が、特徴のひとつです。メカノクロミック分子は、材料の発光色の変化を目で見ることで力が加わったかどうかを検知できるため、センサーへの応用が期待されています。 タッチパネルなど、指でなぞると色が変わるデバイスが身のまわりに溢れています。その内部では力を検知する部品と光を発する部品がそれぞれ存在し、電極や導線でこれらがつながっています。一方、メカノクロミック分子は、力を検知する能力と発光が切り替わる能力を合わせ持つスマートな材料だといえます。ひとつの材料で2種の働きをするため、うまく応用することができれば、既存の製品の小型化や低コスト化に寄与することが可能になります。これまでのメカノクロミック分子のほぼすべては、可視光領域において発光色の変化が起こっていましたが、今回筆者は赤外領域へ発光がシフトするメカノクロミック分子の開発に初めて成功しました。

アントラセン部位を有する金錯体

筆者は、金錯体のメカノクロミズムに関してこれまで研究を行ってきました。たとえば、ベンゼン環と金が結合した分子1のメカノクロミズムを過去に報告しており、機械的刺激によって発光が変化し、1aの青色発光が 1bの黄色発光に変化することを報告していました。さらに今回、金原子と結合する芳香環を、ベンゼン環からナフタレン環(分子2)、アントラセン環(分子3)へと拡張した新たな分子を合成し、そのメカノクロミズム特性も評価しました。芳香環の拡張は、一般的に発光波長の長波長化につながります。実際、ベンゼン環を有する分子1からナフタレン環を有する分子2へと拡張すると、1とはまったく異なる発光色変化が観測され、機械的刺激を与える前(1a2a)と後(1b2b)の発光波長が、いずれも1より長波長化することが明らかとなりました。 [caption id="attachment_5018" align="aligncenter" width="600"] (上)分子123の構造。(左下)分子123の固体試料の機械的刺激前後の紫外光照射下の写真。(右下)分子123の固体試料の機械的刺激前後の発光スペクトル[/caption] 一方、アントラセン環を有する分子3は、機械的刺激を与える前(3a)は、紫外線照射下で青色発光を示し、発光極大波長(発光強度が最大となる波長)が448nmでした。共役系を拡張したにもかかわらず、1a2aよりも発光極大波長が短波長化しました。また、3aに機械的刺激を加えると3bに変化し、発光は目で観測することができなくなりました。しかし、発光波長を測定すると極めて顕著な長波長シフトが観測され、発光極大波長は赤外領域である900nmとなりました。これまでに、機械的刺激の結果、赤外領域にまで発光が長波長シフトするメカノクロミック分子の前例はありませんでした。

赤外発光のメカニズム

3が赤外発光を示すメカニズムを調査しました。X線回折測定を行うことにより、機械的刺激によって結晶相(3a)からアモルファス相(3b)に変化しており、その結果として赤外発光を示すことが明らかになりました。さらに赤外吸収スペクトル測定を行うことにより、アモルファス相である3bでは、金原子間相互作用と呼ばれる分子間相互作用を形成することが明らかとなりました。金原子間相互作用とは、溶液中や固体中で金錯体分子同士が近づいた際に、ある分子の金原子と別の分子の金原子の間に働く分子間相互作用のことであり、金錯体の発光特性に強く影響を与えることが知られています。3bの場合には、金原子間相互作用に加えて、拡張したπ共役系であるアントラセン環の相互作用も協調的に働き、前例のない赤外発光特性が発現したと考えられます。

最後に

これまで赤外発光が可能なメカノクロミック分子は報告されていませんでした。メカノクロミック分子は、目に見える色の変化を利用して、機械的刺激の検知や記録材料への応用が提案されてきました。一方では、赤外発光を示すメカノクロミック分子は、目に見えない光を発する材料として新たな用途での活用が期待できます。たとえば、ペンで文字を描くように機械的刺激を与えて文字や絵を描くことで、目では視認できない「機密情報」を書き込むことができます(赤外発光を機械で読みとることで情報を読み込むことができます)。その他にも、赤外光が生体構成物質(水やタンパクなど)を透過しやすい性質に着目すると、生体細胞内の運動に伴う力学的刺激を検知する、といった応用にも今後は期待が広がります。   参考文献 Seki T, Tokodai N, Omagari S, Nakanishi T, Hasegawa Y, Iwasa T, Taketsugu T, Ito H, "Luminescent Mechanochromic 9-Anthryl Gold(I) Isocyanide Complex with an Emission Maximum at 900 nm after Mechanical Stimulation", J. Am. Chem. Soc., 2017, 139 (19), pp 6514–6517. DOI: 10.1021/jacs.7b00587]]>
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メダカを絶滅の危機から救え! - 「東京めだか」を超低温保存細胞から復活 https://academist-cf.com/journal/?p=5037 Thu, 22 Jun 2017 01:00:45 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5037 メダカが絶滅危惧種!? 「めだかの学校は川の中 そうっと覗いてみてごらん」という童謡を知らない人はいないでしょう。メダカは田んぼ、小川や池などで普通に見られ、日本人に最も親しまれている魚のひとつです。しかしながら、そのようなメダカが絶滅の危機に瀕していることは、あまり認識されていません。 メダカ飼育の歴史は古く、江戸時代後期に出版された画譜に、野生のクロメダカとともに劣性変異体であるヒメダカやシロメダカが記されており、江戸時代のころから親しまれていたことがわかります。日本の各河川にはその河川特有の遺伝子を持ったメダカ野生地域集団が生息しています。 また、小さな水槽で簡単に飼育でき、次世代を得ることができるため、研究者には実験動物として用いられてきました。メダカ研究の利点のひとつに、兄妹交配を繰り返すことで遺伝情報が同一になっている近交系メダカを得られることが挙げられます。 しかし、近交系メダカは兄妹交配により生殖能力が低下しているため、飼育継代が困難になりつつあります。また、野生メダカは、1999年には環境省レッドデータブックで絶滅危惧種2類に指定されています。その原因は、都市開発による生息地の破壊、外来魚類の持ち込みなどが挙げられます。また、誤った形の保全活動として、地域のメダカを復活させようと他の地域で採集した個体や商業的に繁殖した個体を放流したことによる、遺伝子汚染も要因のひとつかもしれません。実際に、東京動物園協会が東京24か所に生息する野生地域集団のDNAを調べたところ、ほとんどの場所で東京以外の地域のメダカの遺伝子が混じっていることが判明しており、「東京めだか」はまさに絶滅寸前という状況です。

哺乳類よりも難しい魚類の保全

絶滅危惧種を保全するための方法のひとつとして、精子・卵子・受精卵の凍結保存が挙げられます。卵子・受精卵には核内DNA以外にもミトコンドリアDNAが含まれているため、精子だけではなく卵子・受精卵の凍結保存が必要です。しかし、魚類の卵子・受精卵は巨大であるため凍結保存は極めて困難であるのが現状です。目に見えないほど小さい哺乳類の卵子と比較して、イクラやタラコなどを思い浮かべればわかるように魚類の卵子はサイズが大きいため(メダカは直径約1mm、ヒトは0.1mm)、冷却・融解スピードが遅くなることが主な原因です。その結果、細胞の内部で氷の結晶が大きく成長し、細胞が破壊されるのです。

精子・卵子の先祖である生殖幹細胞(精原細胞)を超低温保存する

受精には精子と卵子の両方が必要なため、卵子の凍結保存ができなければ、メダカの保全は達成されません。そこで、我々の研究グループが着目したのが、精巣中にある「生殖幹細胞(具体的には精原細胞)」です。この細胞は0.01mmと十分凍結可能な大きさです。そして、移植すると代理親オスの体内では精子になります。また、環境によって性転換する魚類ならではの特徴と思われますが、驚くべきことに代理親メスの体内に精原細胞を移植すれば、卵子になります。 研究を実施させていただいた東京海洋大学 吉崎悟朗教授の研究室が最初に着目した細胞は「始原生殖細胞」でした。この細胞は精子にも卵子にもなる細胞ですが、この細胞は稚魚にしか存在しないために、適正な日齢の稚魚を見つけ、採取する必要があります。先行研究はニジマスが研究対象でしたが、その1.5cmほどしかないニジマスの稚魚から始原生殖細胞を見つけ出すことも容易ではありませんでした。一方、今回着目した「生殖幹細胞(精原細胞)」は、どの日齢の魚からも採取可能なため、比較的簡単に利用できるメリットがあります。

細胞を壊さない超低温保存法「ガラス化」

メダカの精巣を超低温保存する手法として、細胞の生存率を高めるために「ガラス化」という方法を用いました。細胞内に氷の結晶ができないよう、急速冷却・急速融解することにより、ガラスのような非結晶の構造で保存するという方法です。結晶は原子や分子が規則正しく配列された構造体ですが、非結晶は不規則な構造体です。冷却と融解が急速であれば結晶は形成されません。 そこでまず、メダカの精巣を熱伝導の良い銅メッシュに載せ、0℃の凍結保護溶液に浸してから、-196℃の液体窒素で冷却します。融解する際は、温度の異なるスクロース水溶液に浸すことで、生存している生殖幹細胞を数年後(理論的には数千年後)でも用意することが可能です。 超低温保存の操作は、電気の届かないフィールドでも行えるように、できるだけ簡単・シンプルで、効率の良いことが求められるため、我々の論文を読んだ研究者が、いつでもうまく実施できるような手法を目指しました。精巣を丸ごと超低温保存するためのガラス化の手法開発に向けて、保護溶液の温度や融解の方法で最も効果的な条件を探すといったことは苦労した点です。

代理親への超低温保存精巣細胞の移植により、精子・卵子の生産は可能か?

オスとメスの稚魚(代理親)の腹腔に、緑色蛍光タンパク質(GFP)遺伝子で発光させた精原細胞を移植して観察してみると、数日後には精原細胞が自動的に生殖腺に移動し、その後オスの体内では精子が、メスの体内では卵子が作られていることが確認されました。また、この精子と卵子は、次世代を産み出すのに十分に機能的であることもわかりました。 [caption id="attachment_5038" align="aligncenter" width="600"] 代理親(野生型)が生産した超低温保存精原細胞(GFP系統)由来の胚[/caption] さらに、代理親を三倍体にしておけば、代理親自身の精子卵子を生産することはなく、移植した精原細胞由来の精子卵子のみを生産させることが可能です。

絶滅危惧種である東京めだかを超低温保存細胞から復活!

この技術は、絶滅危惧種である各河川のメダカや研究上有用な近交系を救済するために開発したものです。実際にそれを達成できるかどうかを試みたところ、超低温保存しておいた精原細胞から東京めだかや近交系(Kaga)を復元させることに成功しました。 [caption id="attachment_5039" align="aligncenter" width="600"] 超低温保存精原細胞由来の東京めだかとその代理親(ヒメダカ)[/caption] また、交尾が上手ではないために大量生産が不可能なダルマメダカについても、本手法によって大量生産することに成功しており、不妊系統であっても生殖幹細胞さえ正常であれば、大量生産することが可能だと思われます。 環境保全活動に積極的な人たちのなかには、このようなアプローチに抵抗を感じる人もいるかもしれません。しかし、種が一旦絶滅してしまうと取り返しがつきません。絶滅してしまう前にとりあえずそれぞれの種の精巣を超低温保存しておこう、というのが我々研究グループの提案です。たとえ絶滅したとしても、精原細胞を超低温保存しておくことで、代理親に移植を施せば、絶滅したメダカを復元することが可能です。 [caption id="attachment_5040" align="aligncenter" width="600"] 絶滅危惧種の超低温保存精巣から次世代を復元させるプロセス[/caption]   参考文献 Shinsuke Seki, Kazunari Kusano, Seungki Lee, Yoshiko Iwasaki, Masaru Yagisawa, Mariko Ishida, Tadashi Hiratsuka, Takao Sasado, Kiyoshi Naruse & Goro Yoshizaki, "Production of the medaka derived from vitrified whole testes by germ cell transplantation", Scientific Reports 7, 43185 (2017) doi:10.1038/srep43185]]>
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影に引き寄せられる手 - 「からだ」はどのように自覚されるのか https://academist-cf.com/journal/?p=5051 Fri, 23 Jun 2017 01:00:17 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5051 影が象徴しているもの ここ最近で自分の影を自覚的に確認したのは、いつごろになるでしょうか。仮に、もう思い出せないほどの昔にさかのぼるようであれば、それは確認を怠っているからではなく、もう何年も前から"実際に影を失っている"からかもしれません。 この問いかけには、(そんな荒唐無稽なことがあるはずないとわかりつつも)何かしら不穏な匂いがします。『影の現象学』(河合隼雄)によれば、死者や幽霊には影がないという類のいい伝え、および、影の喪失への不安に起因するであろうタブーが、とりわけ未開社会のなかで広く記録されているといいます。他方、こうした迷信は、高度に情報化している現代においては、なおさら強いリアリティーを持つ可能性を秘めているように思います。なぜなら、影の存在こそが、私が、「この私」の幻想をつくりだしているニューラルネットワーク以上の物質的実体を伴うもの、つまり身体を有していることを裏付けてくれるからです。それでは、人が「自分の影」を見ているとき、その人の身体に対する意識のなかでは、実際にどのようなことが起こっているのでしょうか。

ただひとつの「からだ」が生まれるところ

ここで少しまわりみちをしたいと思います。世界には数十億の人体がありますが、各人にとって、自分自身の身体はただひとつしかありません。複数の「それ」ではなく、固有の「ここ」として立ち現れるような「からだ」は、どのように自覚されるのでしょうか。誰かと握手するときの一連の状況を考えてみましょう。相手の差し出した手の位置まで自分の手を動かそうとし(運動感覚)、そのような自分の手の動きが目に入るか(視覚)、そうでなくても位置の変化としては感じられ(固有感覚)、双方の手がちょうど重なるタイミングで(視覚)、対応する手の部位にさわった感じ・さわられた感じ(触覚)が得られる。こうしてみると、身体に何かしらのイベントが発生するとき、それに関わる複数の感覚が同時多発的に発生してしまうところ、それこそが「からだ」であると言えそうです。 それぞれの感覚は、それ単独でも「からだ」を主張することができるでしょう。しかし、そうした個々の主張も、あらゆる感覚を束ねている同一の肉体に根拠を持っている以上、独りよがりのものであっては困ります。出自の違う「からだ」達から発せられる、複数の声のピッチが揃うことではじめて、特定の感覚の奴隷としてではない、「この私」という同一性と分かち難く結びついた「からだ」が立ち上がるのです。

物質的な身体(肉体)と情報的な身体(身体所有感)

このようなかたちで自覚される「からだ」のことを、実験科学の分野では、身体所有感と呼びます。身体所有感にとっては、感覚の共起性こそが本質的であり、ネットワークの要素が何であるかは二次的なものである、という点は極めて重要です。この原理に忠実に従うならば、視覚的に確認できる肉体が「からだ」と受け止められているのは、それが肉体に由来する特権的な物質性を備えているからではなく、たまたま他の感覚由来の「からだ」と声が揃っているから、ということができます。実際、1998年のラバーハンド・イリュージョンの発見に端を発する、ここ20年の錯覚研究は、見慣れない視覚の声と、固有感覚・触覚・運動感覚の声とを揃える(ようにみせる)ことで、視覚的な「からだ」を、肉体に由来しない各種のイメージ(人形、映像、鏡像など)に投射できることを鮮やかに示してきました。 こうした錯覚研究では、身体所有感(これ自体はアンケートで格付けされるほかありません)の変調を客観的に裏付ける何らかの指標を計測することで、実験の信頼性を高めようとしてきました。このなかには、たとえば、肉体における体温の低下、免疫系の失調、といった驚くべきものもありますが、より簡易に計測できる一般的な指標として、特定の身体部位の位置感覚の変化量(proprioceptive drift)を挙げることができます。この現象は、固有感覚と視覚、双方の「からだ」の声の(空間的な)ずれを合わせようとする、無意識作用の結果であると考えればわかりやすいでしょう。

影を「からだ」に昇格させるための二、三のピース

さて、影の話に戻りましょう。自分の影を見ているときに「からだ」は実際に変調しているのでしょうか。これまでの話でわかるように、影と肉体の動きが一切の時間遅延なく揃っている点は、錯覚の誘発において間違いなく好材料と言えます。他方、率直に言って、日常的なシチュエーションで影を自身の身体そのものと勘違いするようなことはありえません。過去20年の錯覚研究によれば、視覚的に確認できる「からだ」は、肉体から一定の距離内(手であれば、限度はおよそ20cm程度)に方向を揃えて置かれるとともに、肉体そのものは視界からマスクされなければなりません。これらの条件は、動きの同期に優先されるべき、錯覚にとっての基底的な環境を構成するものなのです。頭上に光源があるような状況で、こうした要件を満たすことができないのは明らかです。 [caption id="attachment_5058" align="aligncenter" width="600"] 身体と影の空間的関係。右のように、光源を底面とする装置を用いることで、錯覚のための基底的な要件(手と影との近接性・手の不可視化)が満足される[/caption] 筆者らは、上図右に見られるような、底面の光源(下段)と上段の投影面との間に手(中段)を差し込む、三層構造のレイアウトを適用した投影装置を用いて被験者実験を行い、影に対する身体所有感が実際に高まることを確認しました。このなかで、手の影が直接に投影されたときに限って、隠された手の位置感覚が、影に引き寄せられるように上昇することもわかりました。とりわけ、この上昇が、手を動かす条件でも動かさない条件でも、同等のレベルで生起している点は注目に値します。というのも、静止状態にあっては、触覚や運動感覚が除外されているので、錯覚が誘起されるためには、肉体に根拠を持つ固有感覚の「からだ」と、新しい視覚の「からだ」とのあいだで、強力な相同関係が成立している必要があるからです。実際、本実験でも、幾何学図形や単に手の形をした切り絵を影とした条件では、位置感覚の変調は認められませんでした。"生身の影"(innocent body-shadow)は、そうした親密な相同関係を、ただただ物理法則の結果として演出することができる点で、非常に強力な錯覚因子と言えるのです。 [caption id="attachment_5059" align="aligncenter" width="600"] 影を見ながら、隠された手の高さを問われたときの様子。生身の手の影を見ているときに限って、統計的に有意な水準で、位置感覚の上昇が観測された[/caption]

人の影の部分を炙り出す影

以下に示す映像は、筆者が大学で受け持っている授業のなかで、29人の学生を対象として、影を見る前後で、隠された手の位置感覚の変化を計測したものです。総体的には、論文での報告のとおり、影を見ることによって手の位置感覚が影に引き寄せられる効果が確認できます。一方で、このシンプルな実験映像のなかには、決して少なくない数の人が示している「影に対する無反応」も、しっかりと記録されています。 実は、この実験に限らず、感覚の共起性などの外的条件を満足しながらも、ほとんど錯覚を感じない人たちが一定数います。逆に、共起性などなくても、勝手に他人の身体部位に所有感を感じてしまうタイプの共感覚者も稀にいます。興味深いことに、こうした個人差には、共感や視点取得といった対人反応特性の違いが関係しているという報告もあります。つまり、本装置においては、影の引力の強さが、そのまま"自分と他人の間の引力"に言及している可能性があるのです。このように、身体のカタチのみならず、「この私」のカタチをも炙り出してしまう影は、各人にとって極めて特異的なインタフェースであるといえるでしょう。影が古来よりさまざまな象徴を帯びてしまうのには、影に内在するこうした自己言及性が関係しているのかもしれません。   参考文献 Botvinick, M., & Cohen, J. (1998). Rubber hands “feel” touch that eyes see. Nature, 391(6669), 756. Kodaka, K., & Kanazawa, A. (2017). Innocent Body-Shadow Mimics Physical Body. I-Perception, 8(3). Asai, T., Mao, Z., Sugimori, E., & Tanno, Y. (2011). Rubber hand illusion, empathy, and schizotypal experiences in terms of self-other representations. Consciousness and Cognition, 20(4), 1744–50.]]>
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「ロボットではなく、ロボットが成し遂げたことを見せろ!」- 東大・浦環名誉教授の研究哲学に迫る https://academist-cf.com/journal/?p=5062 Mon, 26 Jun 2017 01:00:18 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5062 【academist挑戦中】「海底に突き刺さった潜水艦は伊58か?」 日本の海中ロボット研究の第一人者である東京大学の浦環(うら・たまき)名誉教授は、30年にわたって自律型海中ロボットの研究開発を行い、約20台の先鋭的なロボットを世に送り出してきました。浦名誉教授はこれまでの経験を生かして、五島列島沖に沈む潜水艦を特定し、その現在の姿を明らかにする「伊58呂50特定プロジェクト」を進めています。「Show your results!」をモットーに、これまでロボットを使ってさまざまな成果を残されてきた浦名誉教授の研究哲学を探るべく、お話を伺いました。

ロボットが「成し遂げたこと」を見せろ!

——浦先生は東京大学生産技術研究所(東大生研)を2013年に定年退職された後も、フィールドロボティクスを専門分野として、現在も精力的にご活動されていますね。フィールドロボティクスとはどういう分野なのですか。 宇宙と原子炉の中と海の中は、人が簡単に行ける場所ではないですよね。そういうところにロボットが行くということ、つまり何かあったときにロボットを助けに行けないところに行くのです。研究室の中で動くロボットは何かあったときにすぐに助けに行けるし、うまくいかなかったところを直しながら開発していくことができるけれど、海の中ではそういうことは絶対にできませんね。海は、原子炉や宇宙よりも身近にあるぶん、やんなきゃならない仕事もたくさんあります。だから自律型ロボットが役に立つ仕事をするべきであると信じて、これまで研究してきました。 ——自律型海中ロボット(AUV:Autonomous Underwater Vehicle)の特徴を教えてください。 海中ロボットの主流は、ケーブルを繋げて操作する遠隔操縦ロボットのROV(Remotely operated vehicle)です。ROVを使うとリアルタイムに物を見ることができるので、いろんなところで活躍して新しい発見をしています。だけどROVは、たとえば3000mの深さに行こうと思ったら、3000mのケーブルを繋げなきゃいけないんです。そうなると広いところは泳げないし、自由がない。だから僕らがやってきた海中ロボットの研究では、思いきってケーブル無し、つまりAUVで行こうというわけです。AUVは、自分でセンシングして、考えて、すべての行動を自分で決めなければなりません。 でも、AUVは海では助けにいけないから、チャレンジングなテクノロジーを試してみようとするのは大変です。チャレンジに失敗はつきものです。失敗すると怒られちゃうから、みんな怖がってやりたがらない。だからいつまでたっても研究が進まない。それを克服して、僕らは30年間ずっとやってきたわけです。 [caption id="attachment_5063" align="aligncenter" width="600"] 浦環研究室で開発された海中ロボットたち (九州工業大学社会ロボット具現化センターWebサイトより)

[/caption] ——特にAUVの研究を始められた当初は、ご苦労も多くあったのではないでしょうか。 最初は大変でした。AUVを乗せる船を借りるためには、実績が求められます。でも船がないと実績はできませんよね? つまり「月に行ったことがないと、月に行かせてあげませんよ」みたいなことを言われるわけですよ(笑)。そこにどうやって風穴をあけるか、最初の15年くらいは苦労しましたね。実際に役に立つような海中ロボットを作っていくためには、まずは自分たちの実績をつくることが重要です。 実績をつくるということは、ダイバーがやっていることをそのまま同じようにロボットにやらせているようじゃダメ。ロボットにしかできないことをさせるんです。実現すると「おぉ、すごいじゃないか!」と言ってもらえるようなものを準備しなくちゃいけない。それができると「うちの船でもっと先のことをやってみない?」とか「一緒に研究しない?」と言ってもらえる流れができてくるんですよね。 ——ロボットを利用することでしか出せない実績をつくる必要があるということですね。 海中ロボットの研究を始めた1984年から延々と構想を語ってきて、実際にロボットをいくつかつくっていたんですけど、みんなが「すごいね」と言ってくれるような成果をあげたのは2000年。静岡県伊東沖にある手石海丘の調査でした。 手石海丘は1989年の海底噴火によってできた海底火山です。これを「アールワン・ロボット」というAUVにサイドスキャンソナーを付けて調査したところ、直径200mほどの火口を捉えることができました。AUVにはケーブルが付いていないから、潜水艦のように安定して走ることができます。そうすると海底がすごく綺麗に見えるんです。ケーブル式のロボットで撮影すると、ケーブルのひっぱり加減によって、ロボットがふらふらしてしまい、海底面がギザギザした画像になってしまいますからね。これは、いろんな人が仰け反って驚くようなとても素晴らしい成果でした。 [caption id="attachment_5066" align="aligncenter" width="600"] 手石海丘のサイドスキャンイメージ (東京大学生産技術研究所浦研究室Webサイトより)[/caption] ——1984年に海中ロボット研究に着手されて、成果が出たのが2000年。16年というのは、なかなか長い道のりです。 フィールドロボットの難しさは、うまくいかなかったときに、ソフトウェアを少しだけ変えてみるとか、ハードウェアを少しだけ直してみるということができないところです。ハードウェアはがっちりしていて、ソフトウェアはきちんと仕事をするものじゃないと、怖くてフィールドには行けません。 僕らは長年の研究でソフトウェアの能力と信頼性を積み重ねてきました。海上テストをしたり、観測に行ったりして、非常にブラッシュアップされています。そうすると、ハードウェアが完成したとたんに、前のロボットのソフトウェアを入れて、パラメータを少し変えただけで、海へ持っていけます。これが重要です。ロボットのハードウェアだけができても、海に持っていくことはできない。なぜなら、ソフトウェアのバグがとれていないからです。ソフトウェアのバグは、最終的には海の中でしかとれないからです。もちろんプールでもテストはできますが、海の中は外乱が多いし、環境が違う。実際の環境では、思いもよらないことがたくさん起きるんです。 ——長年の技術の積み重ねが重要な分野なんですね。 今年6月には、日本海とオホーツク海へズワイガニとキチジの調査へ行っていたんですが、そこでは僕らが開発したAUV「TUNA-SAND」の妹分である「ほばりん」というAUVを使いました。「ほばりん」は、海上技術安全研究所のAUVですが、「TUNA-SAND」のソフトウェアをほぼそのまま移植しているんですよ。「TUNA-SAND」のソフトウェアは2007年から10年間くらいずっと働いていて、いろんなところを改良してデバッグができているから、ハードウェアさえできれば、そのソフトウェアを入れることですぐに海に潜らせることができます。 6月の調査でも4回潜らせました。1回の潜行にだいたい5〜6時間かけますが、すべて全自動で動くんです。海に入れて、海底に着いたときに、ポジションアップデートという位置確認のコマンドを1回送るだけ。あとは全部ロボットが自分で動いてくれる。それを安心してできる技術を持っているのは日本中で僕らのチームだけです。他の人たちにはできない。 ——2000年の手石海丘の調査の後も、2004年の「r2D4」によるロタ海山の熱水プルームの観測、2010年の「TUNA-SAND」によるベニズワイガニの分布の撮影など、さまざまなロボットを使って数多くの成果を残されていますね。 僕はいつも「Show your results!」と言っています。「ロボットを見せるのではなく、お前のロボットが成し遂げたことを見せろ!」と。ロボットがただ歩きまわっただけでは、それはResultsじゃないんですよ。「歩きまわって溝に落っこちていた女の子を見つけて助けました」ということだったら、それはResultsです。「海を1000m潜って、その辺をずっと走り回って写真を撮りました」ということだけでなく、そこにある海底火山やメタンに群がるカニの群れなど、人がこれまで想像もしなかったことを見せるのが、フィールドロボティクスでは大事なんです。

海底に突き刺さる巨大潜水艦

——そういう意味では、現在クラウドファンディングにチャレンジされている「伊58呂50特定プロジェクト」の潜水艦が海底に突き刺さっている画像も、誰も見たことのない衝撃的なものでした。 海底に突き刺さる潜水艦はサイドスキャン調査で見つかったものなので、ロボットの成果ではないのですが、やっぱり迫力がありますね。誰も見たことはないでしょう。これが撮影されたということは、今まで僕が培ってきた海中技術が役に立ったものだと思っています。海中技術と一口に言っても、AUVだけでなく、遠隔操縦のROVもあるし、今回使ったサイドスキャン、「しんかい6500」に代表される有人潜水船など、いろいろあります。このなかのどの技術が、自分のやりたいことにいちばんフィットしているかということを考えなければならないわけです。 たとえば今回、曳航式のサイドスキャンソナーでなく私たちのAUVのひとつである「AE2000a」が行けば、もっときれいな画像が撮れたはずなんです。しかし、少し大きな船が必要なので、お金がかかり、実現するのは難しいです。プロジェクトの予算や欲しいデータを考えて、適材適所なものを選ぶ必要があるんですね。僕らはいろいろと実績を積んできているから、できることとできないことがはっきりわかっています。技術の長短をよくわかっている僕が、必ず成功するように、こうしようというんです。それは30年間、海中ロボット研究をやってきたことの積み重ねの成果かなぁと思っています。 [caption id="attachment_5065" align="aligncenter" width="600"] 海底に突き刺さる巨大潜水艦[/caption] ——「伊58呂50特定プロジェクト」を立ち上げられたのはどうしてですか。 五島列島沖に生き残った旧日本軍の潜水艦が沈んでいるということを知ったのは、日本テレビが僕のところに相談しにきたときです。2015年の調査で海底に沈む24艦が発見されて「伊402」だけはそのどれであるかが明らかになりました。伊58もその24艦のうちのどれかであるということはわかっているけど、特定はできていません。 戦争の歴史と造艦の技術、運用していた人たちの思いをきちんと掘り起こすにはモニュメントが必要です。レプリカではなく、沈没した潜水艦の本物があれば、戦争についてまじめに考える基になるはずです。伊58は、技術的にも、戦争を考えるうえでも重要な艦です。だから、伊402が見つかったときに、なんとか伊58も発見しようと心に決めたのです。 ——そして浦先生は、今年1月に社団法人ラ・プロンジェ深海工学会を立ち上げられ、5月のサイドスキャンソナーを用いた調査で、海底に突き刺さる巨大潜水艦を発見されました。 これは実は、日本テレビのデータには無かったものなんです。日本テレビの調査は船の底に取り付けた音波探知機で上から見下ろすような形で行うもので、垂直に立っていると海底から数十メートル離れた場所のデータが取れてしまいます。それを、魚か何かを捉えたノイズだと思ってしまっていたわけです。 [caption id="attachment_5064" align="aligncenter" width="600"] 日本テレビが撮影した五島列島沖で発見した海没潜水艦24隻の位置。No.16とNo.17のあいだに突き刺さった潜水艦が存在していた。No.23はノイズであることがわかった (c) 日本テレビ[/caption] サイドスキャンソナー調査では、17番を調査し、その先には次の16番がいるはずだから、「まっすぐ進んでそのまま16番も見よう」と言っていました。そのとき、海底に突き刺さる潜水艦がだんだん見えてきて、「え、これ何?」って(笑)。今までこんなところにこんな風にあると思っていなかったものが出てきて、おまけに立ってるんだもん。本当にびっくりしましたよ。 [caption id="attachment_5080" align="aligncenter" width="600"] クラウドファンディングのリターンのひとつ「伊58呂50Tシャツ」を着用した浦先生[/caption]

楽しそうだと思ったら、すぐに食いついてみる

——浦先生はロボットの技術や海を軸に、さまざまな活動をされているように見えます。 僕は、何かがぶら下がっていたときにそれに食いついて、そこからさらに展開していくっていうことが好きなんです。もともと僕の研究テーマは、船舶の安全輸送に関するものでした。45年ほど前に、貨物船「ぼりばあ丸」「かりふぉるにあ丸」の沈没事故が起こりましたが、その原因を究明するため、貨物である鉄鉱石や石炭が悪さをしたのではと考えて研究をしていました。その応用として海底にくい込む錨の研究もやっていました。でも、そういう安全研究って、大切なんだけど、なんか暗いじゃないですか。そんなあるときに、当時の東大生研の先生に、「浦くん、海中ロボットをやろうよ」って言われたので、錨の研究をしていたこともあり、「あぁ、楽しそうですね」と食いついてプロジェクトの提案書を書いたのです。つまり、海中ロボット研究を始めたのも、楽しそうなものに食いついた、というのがきっかけなのです。 ——楽しそうだと思ったら、すぐに食いついてみるということを大事にされているからこそ、さまざまな成果が生まれてくるんですね。 好奇心があっても、食いつかなくちゃダメなんです。でも、ただ食いついただけでは普通の人。自分のポテンシャルやバックグラウンドを生かして、どんどん発展させていくから、誰にもできないことができるようになるのです。でもそれはなかなか難しいことなんですよね。食いつくと失敗するんじゃないかとか、自分はまだビギナーで何も知らないから、専門家に笑われて何もできないんじゃないかとか、いろいろと考えてしまうわけですよ。これがひどく問題なんです。 ——新しいことを始めるには、やはりそういった不安やリスクを感じてしまいます。 何か新しいことをしようとおもったときに、最初から世界一にはなれないんですよ。最初はみんなビギナーなんだから。でもビギナーとして食いつくと、新しいニッチを獲得できるかもしれない。それが僕の主張なんですよね。僕は潜水艦のビギナーだったけど、ビギナーだからといって恥ずかしいことはない。「知らないのに伊58なんてよく探せますよね」って言われるけど、「知らないことばっかりだから教えてよ」って平気で言える。これがすごく大事なことなんですよ。 知らないからこそ、楽しそうなことに食いついていって、その分野の人がいつも考えていることとは違う視点でやっていくことができる。だから僕は今、キチジの専門家にもなっているし、ベニズワイガニの専門家にもなっているし、熱水鉱床の専門家にもなっているんです。そうして世界が広がると、楽しいでしょ? * * * 浦先生のクラウドファンディングチャレンジでは、8月11日までに500万円を集めることを目指しています。ご支援のほど、どうぞよろしくお願いします!
浦環先生プロフィール 一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会 代表理事/東京大学名誉教授/九州工業大学社会ロボット具現化センターセンター長などを兼任 1977年、東京大学大学院工学系研究科船舶工学専攻博士課程修了。工学博士。同大学講師、助教授を経て、1997年に教授へ。2013年に同大学を定年退職。バラ積み貨物の輸送など船舶の安全輸送、アンカーの研究を端緒に、海中をくまなく探査・観測する自律型海中ロボット研究開発へと研究対象を発展、海中ロボット学を創生し、関連する海中海底工学等を包括する総合的「海」研究を推進している。

【academist挑戦中】「海底に突き刺さった潜水艦は伊58か?」

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光を当てるとねじれ曲がる結晶 − 分子の反応を材料の動きへ https://academist-cf.com/journal/?p=5102 Tue, 27 Jun 2017 01:00:51 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5102 光に反応する分子 私たちには、なぜ身のまわりのものの色が見えるのでしょうか。それは、その物質を構成する分子が光を吸収しているからです。分子はその分子に特有の波長の光を吸収します。物質に吸収されなかった光が目に届いて、私たちは色を感じることができるのです。たとえば、草や木の葉は人間には緑色に見えます。これは、葉に含まれるクロロフィルという分子が青色や赤色の波長の光を吸収しているためで、クロロフィルに吸収されなかった緑色の光が目に届いて、私たちは色を感じることができます。 光を吸収すると形や性質が変わる分子も存在します。このような分子のひとつに、アゾベンゼンがあります。このアゾベンゼンという分子は、染料や顔料に広く用いられ、一般に流通している染料の60%はアゾ染料です。私たちが着ている衣服などの染料としても広く用いられています。アゾベンゼンは、紫外光を吸収するとトランス体からシス体に変化します。それに伴って、形が大きく変わります。トランス体は平面構造をしていますが、シス体は平面ではなく、より立体的な構造をしています。シス体はトランス体よりもエネルギー的に不安定なので、放置しておくと元のトランス体に戻ります。シス体に可視光を照射することでも、トランス体に戻すことが可能です。光によって形が変わる分子は、アゾベンゼン以外にもジアリールエテンやフルギド、スピロピランなど、数多く知られています。

光で曲がる結晶とは

光によって分子の形が変わる反応を利用して、光によって変形する材料が開発されてきました。材料としては、高分子やゲルなどの柔らかい材料がよく用いられています。たとえば、アゾベンゼンを含む高分子膜をうまく設計すれば、光によって高分子膜が曲がることが知られています。 一方、結晶は原子または分子が3次元的に周期的に配列した集合体です。身近なところにも、氷や食塩、水晶など数多くありますが、一般的に固い・割れやすいというイメージがあります。そのため、光などの外部刺激で結晶を変形させることは不可能であると考えられていました。しかし、2007年にジアリールエテン結晶が光によって曲がることが初めて報告され、それまでの既成概念を覆しました。その報告以降、さまざまな結晶の光屈曲に関する研究が盛んになり、これまでに数多くの報告がなされています。 このような光で動く材料は、分子の小さな変化(Åオーダー)を材料の目に見える変形(µm~cmオーダー)として増幅できる系であるため、エネルギー変換の観点から興味深いと考えられています。また応用の観点からも、通電のための配線や電極が不要となり、機械の小型化・ 軽量化が可能になると考えられます。これまでの金属部品を組み合わせた機械とは違い、材料自体が変形できるため、フレキシブルデバイスやロボットへの応用にもつながると考えられます。

光で結晶がねじれながら曲がる

このような背景のもと、私たちは、キラルな分子を用いれば、光によって結晶がねじれるように動くのではないかと考えました。「キラル」とは、ある物がそれ自身の鏡像体とは重ならない関係にあることを言います。たとえば、右手と左手は互いに鏡像体ですが、重なることはなく、キラルな関係です。また、らせん(ねじれ)にも右巻きと左巻きがあり、それらは互いに重なりません。分子の場合は、不斉炭素をもっているとキラル分子となり、右手系の分子と左手系の分子が存在します。 この着想をもとに、キラルなアゾベンゼン分子からなる非常に薄い結晶を作製し、ガラス針の先端に固定した結晶に紫外光を照射しました。その結果、結晶がねじれながら光源から遠ざかる方向に曲がることがわかりました。紫外光を照射しつづけている限り曲がったままですが、光照射を止めると、数分後に元のまっすぐな形に戻りました。このねじれ屈曲は、結晶表面でのトランス体からシス体への光反応に基づいて起こり、可逆的に繰り返すことができます。これまでにも光を当てるとねじれる結晶は数例報告されていましたが、キラルな分子を使った系においては初めての報告です。

なぜ、ねじれながら曲がるのか

次に、なぜ結晶がねじれながら曲がるのかを考察しました。そこでまず、トランス体からシス体に変化した場合の分子構造を計算によって求めました。これは、実験的にシス体の構造を決定することが困難であったからです。計算の結果、シス体になるとa軸方向には短くなり、b軸方向には長くなることが推定されました。光の当たった結晶表面でこの分子構造変化が起きると、光の当たった結晶表面では全体として、幅方向(a軸)は短くなり、長さ方向(b軸)は長くなると推測できます。一方、光の当たっていない反対側の面ではこの変化は起きていません。結果として、光の当たった表面において長さ方向に長くなることが結晶の屈曲につながり、幅方向にも短くなることがねじれを誘起したのではないかと考えられます。

今後の展開

方向性としては2つあります。ひとつは、新しい材料探索です。新しい分子設計を通して新たな材料を開発したり、熱などの他の外部刺激も利用してより複雑な動きを創出することが期待されます。もうひとつは、材料特性の評価です。材料力学では、ひずみと応力という物理量で材料の変形を評価します。金属材料のような硬い・変形が小さい材料に関する特性は研究されてきましたが、有機材料のような柔らかい・変形が大きい材料に関する報告はあまりなく、知見を蓄積していく必要があります。このような研究を通して、将来的には、光などの外部刺激で動く材料を利用して、電気が好ましくない環境下での応用や、アクチュエータやスイッチ、ロボットへの応用が期待されます。
参考文献 T. Taniguchi, J. Fujisawa, M. Shiro, H. Koshima, T. Asahi, "Mechanical Motion of Chiral Azobenzene Crystals with Twisting upon Photoirradiation", Chem. Eur. J. 22, 7950-7958 (2016).]]>
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霊長類の色覚進化の道筋を探って - 3色型色覚は顔色を見分けるのに適している? https://academist-cf.com/journal/?p=5127 Wed, 28 Jun 2017 01:00:41 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5127 3色型の色覚を持つ霊長類 ヒトを含む多くの霊長類は、眼球の網膜に3種類の錐体細胞を持っており、それぞれ光に対する波長感度が異なります。感受性が短波長側にある方から、S(short)、M(middle)、L(long)錐体です(図1a)。ほとんどの哺乳類は、S錐体と、長波長側のもうひとつの錐体による2色型色覚です。S、M、L錐体を、青、緑、赤錐体と呼ぶこともありますが、ヒトが純粋な緑と感じる波長は、M錐体が持っている波長感度のピーク(530nm)よりも短波長側、純粋な赤と感じる波長はL錐体の波長感度のピーク(560nm)よりも長波長側にあります。これは、M、L錐体の波長感度が大きくオーバーラップしているため、一方の錐体の反応がより大きくなる波長を緑や赤と感じるためと考えられます。一般に、理想的な錐体の感度分布は、ミツバチや多くのトリにみられるような均等分布で、より多くの波長を区別できると考えられています(図1b,c)。では、霊長類のM、L錐体のオーバーラップには、何か理由があるのでしょうか?

霊長類型3色型色覚の理由とは?

あまり面白くない説明として、M、L錐体が生物進化の歴史においては比較的最近分岐したということが挙げられます。2つの錐体の違いは、有しているオプシンタンパクのわずかな違いに由来します。364個のアミノ酸からなるオプシンのたった3アミノ酸の違いで30nmの波長感度の違いが生じていることがわかっています。よって、もっと大きな波長感度の違いを起こすアミノ酸変化が起こっていないため、感度がよく似ているとも考えられます。 大きな波長感度の変化が起こらないもうひとつの説明として、光のレンズにおける屈折率が波長によって異なるために起こる、色収差と呼ばれる現象を最小にするためだという考えもあります。なぜなら、M錐体とL錐体の応答の合計が明るさ知覚に使われ、物体の輪郭など微細な空間視に関わるため、色収差が起こると輪郭がぼやけてしまうからです。このような系統的または機能的な制約のために、M、L錐体の波長感度は似通っているとも考えられます。 一方で、M、L錐体がオーバーラップしていることで、何か適応的な意義があるのかもしれません。ひとつは、長波長側の微細な波長変化を捉えられる可能性です。M、L錐体の比較により、緑、黄、橙、赤というさまざまな色の知覚を生み出すことができるのです。適応的な意義の第一の候補として、古くから、緑の葉の背景から、果実を見つけやすいことが挙げられていました(果実説)。この説を野生下のサルで検証すべく、長らく果実採食の研究を行ってきました。しかしながら、野生のサルの行動観察では、果実採食場面での3色型色覚の顕著な有効性を示すことができませんでした。むしろ、サルは明るさや嗅覚などの様々な手がかりも使って果実を採取していることがわかりました。ちょうどそのころ、顔色など、露出している肌の色の変化検出こそが3色型色覚進化の理由ではないかとする論文がMark Cangiziらによって出されました(社会的シグナル仮説)。 これらを背景として、果実説を研究していたときからの共同研究者であるAmanda Melinさん、アカゲザルの顔色変化について研究していたJames Highamさんらと今回の研究を計画しました。

顔色変化検出実験

Highamさんの研究室では、アカゲザルのメスの顔色がホルモン動態と一致して繁殖期と非繁殖期で異なることを示していました。また、オスはその変化を見分けているという行動データも示していました。さらに詳しく、霊長類型の3色型色覚が、2色型や、その他の錐体感度を持つ3色型と比較して顔色をよく見分けることができるかを、アカゲザルとほぼ同じ錐体感度分布を持っているヒトを対象として実験的に調べることにしました。Melinさんが開発していた色覚シミュレーションプログラムを使って、デジタル画像から、各色覚型が持つ色空間における色度と彩度を計算し、その色覚型で見えるであろう色の違いを一般的な3色型の人が体験できる画像に変換しました(図2)。 色覚型条件には、以下の6つを用いました。 1) 画像を変換していない3色型(common) 2) L錐体とM錐体のピーク波長の違いが通常の半分になった3色型(LM-half) 3) L、M、S錐体の感度が均等に分布した3色型(LMS-even) 4) L錐体を持っていない2色型(protanopia) 5) M錐体を持っていない2色型(deuteranopia) 6) S錐体を持っていない2色型(tritanopia) 3)以外は、ヒトの中にも多型として存在する色覚です。また2)は、リスザルなど、中米に生息している広鼻猿類と呼ばれるサルによくみられる3色型です。 繁殖期と非繁殖期に撮られたメスの同一個体の顔写真を左右に並べ、24頭のメスから、32枚の顔ペアを作りました。参加者にはどちらが繁殖期の顔であるかをできるだけ素早く答えてもらいました。まず、16の顔ペアを用いて、参加者の回答に応じて、正解、不正解のフィードバックを与える訓練セッションを行いました。左右のどちらが繁殖期かを変えて、合計32試行を行い、呈示する顔ペアの順序はランダムとしました。その後の5つのテストセッションでは、新しい16の顔ペアも用いました。新しい顔ペアには、正解、不正解のフィードバックを与えませんでした。各色覚条件には、それぞれ10名が参加しました。 テストセッションにおける、新しい顔ペアに対する正答率を図3に示します。 1)の通常タイプの3色型が最も正答率が高いと予測していたのですが、2)のLM-halfの3色型も1)と同様に、繁殖期と非繁殖期の顔をよく見分けることができました。3)のLMS-evenの3色型は、4)、5)の2色型と同様に、適当に答えたときの正答率である50%前後にとどまりました。長波長側にひとつの錐体しかない時には、微細な顔色の違いを検出できないためと考えられます。一方で、6)のS錐体を持っていない2色型は、80%程度の成績を示しました。 また、実験後に方略についてインタビューしたところ、正答率が高かった条件では、多くの参加者が「顔の赤さに着目した」と答えましたが、正答率が低かった条件では、目の大きさや毛の状態など、さまざまな部分に着目していたことがわかりました。このことは、色覚が異なることによって同じ画像を見ても異なる部分に着目する行動の多様性を示唆しており、現在主として進めている研究テーマにつながっています。繁殖期のサルにおいては、音声などその他の手がかりも使えるでしょうが、顔色は大きな手掛かりとなることでしょう。 今回の実験によって、霊長類が持つM、L錐体の波長感度が長波長寄りに偏ってオーバーラップしている色覚は、アカゲザルにおいて生物学的に重要と考えられる顔色変化を見分けやすいことが明らかになりました。しかし、このことのみでは、顔色変化を検出できることが3色型色覚の進化や維持にどのように関わっているかはわかりません。3色型色覚の原動力は果実採食ですが、それが進化の段階で顔色検出など、別の場面にも有効に働くようになったのかもしれません。また、果実や社会的シグナルの検出は、3色型色覚が有効である場面の例に過ぎないのかもしれません。今後も、霊長類の行動や生態学的意義と照らし合わせ、幅広く調べていく必要があります。   参考文献 Changizi MA, Zhang Q, Shimojo S. 2006 Bare skin, blood and the evolution of primate colour vision. Biology Letters, 2, 217–221. (doi:10.1098/rsbl.2006.0440) Hiramatsu C, Melin AD, Allen WL, Dubuc C, Higham JP. 2017 Experimental evidence that primate trichromacy is well suited for detecting primate social colour signals. Proceedings of the Royal Society of London B, 20162458. (doi:10.1098/rspb.2016.2458)]]>
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次世代の半導体デバイスを支える新材料「グラフェンナノリボン」とは? - 富士通研究所・佐藤信太郎主管研究員に聞く https://academist-cf.com/journal/?p=5144 Wed, 12 Jul 2017 01:00:40 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5144 ——半導体産業の現状について教えてください。 「半導体の集積密度は1.5年ごとに2倍になるであろう」というムーアの法則に従うかたちで、特に1990年代のはじめから30年弱で、半導体産業は大きく成長しました。しかし、次の30年はどうでしょうか。実は、同じように成長できる技術的根拠がなくなってきたため、これまでほどには発展しないだろうと言われています。微細化が進められてきたことにより、現在は数10nmのサイズの半導体デバイスが実現しているのですが、これ以上進めると微細化の弊害が出てしまうのです。 ——どのような弊害が出るのでしょうか。 たとえば、代表的な半導体デバイスであるトランジスタは、ゲートに電圧をかけることで電気を流すか流さないかのON/OFFを制御するのですが、ON/OFF時には、トランジスタそれぞれに流れる電流の比を4桁以上にしなければなりません。つまり、ONのときに1A流れたとすると、OFFのときには0.1mA以下でなければならないということです。このまま微細化が進むと、さまざまな理由により漏れ電流が発生するため、この比を4桁以上にすることができなくなります。もしこのトランジスタを実装したとすると、動作させていない状態のスマートフォンに電気が流れてしまい、電池がドンドン消耗するというようなことが起きてしまいます。何かしらの技術でこの問題を防げたとしても、半導体デバイスを原子のサイズである0.2nm程度より小さくすることは不可能ですので、現在の方向性ではどこかで行き詰まってしまうのです。技術者たちは、次の一手をどうすべきなのか日々考えています。 ——たとえば、どのような解決方法が試されているのでしょうか。 ひとつは、シリコン以外の材料を使う方法です。これまで主に利用してきたシリコンに比べると、GaAsやInGaAsのように2種以上の原子が結合してできる「化合物半導体」は、同じ電界をかけたときに電子がより速く移動できる、つまり移動度が高いため、それらを用いた半導体デバイスを作ろうとしています。また、私の研究対象でもある「ナノカーボン材料」を使った開発も進められています。 ——ナノカーボン材料には、どのようなものがあるのでしょうか。 たとえば、炭素が六角形の構造を作り平面状に広がったものを「グラフェン」、その構造が三次元的に重なったものを「グラファイト」と言います。また、炭素が正四面体構造で結合したものは「ダイヤモンド」で、まったく電気を通さなくなります。両者ともカーボンからできているのに、一方では電気を通して他方では電気を通しません。同じカーボンなのに構造が違うだけで性質が違うんですね。 ——面白い特性を持つのですね。ナノカーボン材料は、半導体のどの部分に使われるのでしょうか。 たとえば、半導体チップに搭載された配線には、主に銅が使われています。微細化に伴い配線幅は狭くなるのですが、細くなると断線のリスクが高くなってしまいます。その点ナノカーボン材料は、電流密度を銅より3桁増やしても壊れない特性を持つので、銅の代替品として使うことができます。 ——銅よりも丈夫であるということですね。他の特徴があれば教えてください。 移動度も大きく違いますね。移動度が大きければ大きい材料ほどその内部で電子が速く動けるのですが、シリコンと比べるとナノカーボン材料の移動度は100倍程度大きくなるので、そのぶん性能は上がります。また、熱伝導度も銅の10倍くらい高く、熱を溜めにくい特徴も持ちます。材料の特性としては言うことなしなのですが、今の原理の延長で半導体デバイスを作ろうとすると、やはり行き詰まるので、材料だけではなく異なる動作原理も追求していかなければなりません。 ——異なる動作原理というのは、どういう意味でしょうか。 ノーベル物理学賞を受賞された江崎玲於奈さんが、既存のダイオードの動作原理とは異なる「トンネルダイオード」を発見されたように、現在一般的に使われている半導体デバイスとは異なる動作原理のものを探していかなくてはならないということです。まだ結果は出ていないのですが、私は現在、ナノカーボン材料の持つ特性を利用した新しい動作原理を模索しています。 たとえば、グラフェンをぐるりと巻いて作る「カーボンナノチューブ」は、巻き方によって半導体になったり金属になったりします。また、グラフェンを細いリボン状に切り取った「グラフェンナノリボン」は、やはり半導体になりますが、その幅によりバンドギャップが異なるという不思議な特徴を持ちます。このような特徴はナノカーボン材料ならではもので、他の材料にはありません。 ——グラフェンがあれば、さまざまな半導体デバイスを作れるようになるということですね。 そうですね。半導体チップにはシリコンが、超高周波デバイスなどには化合物半導体が、車体にはシリコンカーバイドやガリウムナイトライドのように、バンドギャップの大きな別の材料が使われています。ナノカーボン材料を使えば、その構造や幅を変えるだけで、バンドギャップの大きな材料から小さな材料まで作れてしまうということです。ここがナノカーボン材料のすごいところです。さらにナノカーボン材料の他の特性を使った、新原理デバイスの探求も進めています。 ——逆に、ナノカーボン材料を使うデメリットはあるのでしょうか。 材料としては期待十分なのですが、大量生産のための技術が追いついていないことは課題です。たとえば、グラフェンの厚みはたかだか原子一層分です。ですので、少しでも汚れがついてしまうと、材料の特性に影響が出てしまいます。また、カーボンナノチューブを大量生産できる工場はあるのですが、その巻きかたまでは制御できていません。つまり、大量生産すると金属と半導体が混ざってできてしまうんですね。ただ、シリコンを用いた半導体デバイスがはじめてできたときにも、多くの課題がありました。このような課題は、実用化が進みさまざまな人たちが関わるようになることで、自然と解決されていくように思います。 ——佐藤研究員の研究する「グラフェンナノリボン」について、詳しく教えてください。 ナノリボンを作るには、グラフェンを1nmの幅に切る技術が必要です。これがなかなか難しいんです。はじめ技術者たちは、ナノリボンを通常の半導体製造工程である「トップダウンプロセス」で作ろうとしました。直感的なイメージとしては、グラフェンにプラズマなどを照射して不必要な部分を取り除き、ナノリボンを作るということになります。ただ、この方法では、リボンの側面の原子が欠損するなどの凹凸が生じて、側面が水素で終端する綺麗なナノリボンを作ることはできませんでした。 ——大きなものから小さいものを取り出すような方法では、限界があったということですね。 そこで私たちは、ナノリボンを「ボトムアッププロセス」で作ろうと考えました。最初は海外の研究機関で試みられたのですが、たとえばまず3つの六員環の中央に臭素が結合した化合物を、有機化学合成により作ります。そして、その化合物を真空室で蒸発させて、金の基板に付加します。それを200度近くまで加熱すると臭素が取れて、取れた臭素の部分がつながって、ポリマー化します。このとき、六員環を構成する他の炭素には水素が結合しているため、臭素が外れたところどうしが互いに結合しているということになります。さらに400度近くまで加熱すると、水素が外れて外れた部位同士が結合し、綺麗なナノリボンが完成します。口で言うと簡単なのですが、臭素を付加した適当な前駆体を作ったり、第一原理計算と並行して作成プロセスを考えたりなど、実際には大変な作業ですね。 ——現在ナノリボンの研究は、どれくらい進んでいるのでしょうか。 これまでは、3つの六員環をもとにナノリボンを作ってきたのですが、現在はさらに幅の広いものを作ろうとしています。ナノリボンの幅が変わればバンドギャップも変わるので、さまざまなデバイスを作ることができるんです。ナノチューブよりもバンドギャップを制御しやすい点が、ナノリボンの重要な特徴です。 また、ナノリボンの終端原子を他の元素に変えるという研究も進めています。ナノリボンのエッジに違う元素を接合することができれば、半導体のPN接合のようなものをナノリボンで実現できます。いろいろな特性を持つナノリボンを作り、それらを接合することで、新しいデバイスを作る。ナノリボンを面白さのひとつは、この「エッジの自由度」にあると思うんですよね。 ——最後に、これからの目標について教えてください。 ナノリボンの基礎研究に加えて、ナノカーボン材料を用いて、センサーや高周波デバイスなどの個別デバイスを開発することが、当面の目標です。実際に私たちは、トランジスタのゲート部分をグラフェンに置き換え、グラフェンの仕事関数の変化を調べることで、特定のガスを高精度に測定できるセンサーとして機能するデバイスを開発しました。また、理論的にも水素エッジとフッ素エッジを組み合わせたナノリボンから、特性の良いダイオードができることを予測しました。海外の研究機関においても面白い結果が出てきており、研究は着実に前進しています。半導体チップに個別デバイスを仕込んでいくという話になると、半導体会社の戦略の問題もあるため、なかなか簡単にはいきません。これは、10年規模の計画になるでしょうね。ただ、企業の研究者としては、材料を作って終わりということではなく、常にデバイス化を見据えた研究を進めていきたいと考えています。
佐藤信太郎主管研究員略歴 株式会社富士通研究所デバイス&マテリアル研究所主管研究員。1990年筑波大学大学院理工学研究科修士課程修了。ウシオ電機㈱を経て、2001年米国ミネソタ大学大学院博士課程機械工学研究科修了、博士(工学)。同年富士通㈱入社。2002年より㈱富士通研究所研究員、2007年主任研究員、2014年主管研究員となり現在に至る。2006-2010年㈱半導体先端テクノロジーズ兼務。2010-2014年最先端研究開発支援プログラム参加のため産業技術総合研究所に出向。主な研究分野はナノカーボン・二次元材料の合成・評価とその電子デバイス応用。
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ゲル成分でできた繭を作るカイコ - モンシロチョウが持つタンパク質をカイコの絹糸腺で発現 https://academist-cf.com/journal/?p=5147 Tue, 04 Jul 2017 01:00:36 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5147 カイコとヒトの歴史 カイコ(Bombyx mori)という昆虫は、人類の歴史のなかで、人為淘汰の末にヒトが訓化してきたものであり、ヒトに寄り添って生きてきました。記録に残る時代にはすでに、カイコはヒトが飼わなければ生きられない生物となっていました。古くは、絹は交易において貨幣にも等しい重要なものとなり、数千年の歴史のなかで、絹をいかに多く生産するか、祖先が智恵をしぼってきたのです。また、日本では明治期以降の養蚕振興に伴い、多くの先輩研究者が遺伝学を用いて品種改良を行い、日本種/ヨーロッパ種/中国種の長所をあわせ持つ雑種を作り出した結果、日本ブランドと呼ぶべき高品質なシルクが生み出され、昭和初期には主要輸出品目になっていました。しかし、輸出品としてのシルクは次第にその役割を終え、現在では国内生糸産業はその黄金期に比べるとごくわずかなものとなってきています。

生糸以外で逆転の発想?

カイコの繭糸は、2層構造であり、後部絹糸腺が作るフィブロインの内層と、主として中部絹糸腺が作るセリシンの外層から構成されます。セリシンは高分子の糊状タンパク質であり、糸を繭の中でつなぎ止める役目があります。繭を高温のアルカリ性水溶液で煮ると、外層のセリシンが溶けてのぞかれ、紡ぐことで溶け残ったフィブロインの糸が取り出されます。この製糸と呼ばれる工程でセリシンの高分子構造は破壊されてしまいます。 昨今、生糸のフィブロインではなく、これまで製糸で捨てられていたセリシンにも注目が集まっています。なぜなら、細胞増殖の刺激になる性質や、化粧品材料として有効な保湿性がセリシンには期待されるからです。セリシンだけでできた繭を作るカイコを人工的な遺伝子組換えで作り出すことができないか? という発想に至り、研究を開始しました。しかし、これは、人類が取り組んできたカイコの品種改良の歴史の流れから大きく逸脱する発想でした。 [caption id="attachment_5148" align="aligncenter" width="600"] カイコの繭糸の二層構造(左)とカイコ絹糸腺(右)の模式図 通常、カイコ後部絹糸腺で生糸タンパク質であるフィブロインが産生され、中部絹糸腺でためられる。中部絹糸腺で作られたセリシンとフィブロインが混ざり、前部絹糸腺の細い管を通って吐糸口から吐き出されると、二層構造の繭糸となる。セリシンは繭の中で糸をつなぎ止める糊としての役割がある。カイコ後部絹糸腺の機能不全化とフィブロイン生産の抑制のために、遺伝子組換えカイコを作り、このカイコの後部絹糸腺でピエリシン-1A(P1A)を発現させた。後部絹糸腺の機能が損なわれ、フィブロインを作らず、セリシンのみの糸を吐き出すカイコを作り出すことが狙いである[/caption]

モンシロチョウの細胞障害性タンパク質を利用する

フィブロインを作らないようにする遺伝子操作で、中部絹糸腺で発現するセリシンのみを吐き出すカイコを作れるのでは? と考えたものの、フィブロインの遺伝子発現を抑制する操作が簡単にできるようなゲノム編集技術がカイコではあまり進んでいません。さらに、フィブロインには2つのタンパク質サブユニットがあるので、2つ同時に遺伝子の働きをノックアウトする操作は容易ではありません。 そこで、モンシロチョウのピエリシンファミリーのタンパク質を用いることを考えました。モンシロチョウ(Pieris rapae)の蛹の血液中にピエリシン-1と呼ばれる細胞障害性タンパク質がこれまでに見つかっていました。ピエリシン-1は、ほ乳類細胞に侵入して、DNAにADP-リボースを付加することでアポトーシスを誘導するタンパク質です。ピエリシン-1の生理的な役割は十分調べられたとはいえないわけですが、おそらく、変態によって不要となる幼虫組織をのぞく役割があるのではと推察されています。 ピエリシンファミリーのタンパク質は、その1次構造が微生物の類似酵素に近く、しかもシロチョウの仲間にしか見つからないことから、もしかすると寄生した微生物のピエリシンの先祖型遺伝子をシロチョウの先祖が取り込んで利用するようになったことも考えられます。 このピエリシン-1は、あまりに活性が強すぎて、これまでに生きた生物の細胞で発現に成功した例がありませんでした。これでは到底使えないわけですが、運の良いことに、ピエリシン—1A(P1A)というピエリシン—1よりも活性の強さが約5%程度のホモログがモンシロチョウから見つかりました。このP1A遺伝子に手を加えて、細胞への侵入に関わる領域をのぞいた断片をカイコの染色体へと挿入しました。 [caption id="attachment_5212" align="aligncenter" width="600"] カイコ染色体へのP1A遺伝子の導入(カイコの形質転換) P1A遺伝子を持つ配列をピギーバックトランスポゾンの逆位末端配列が挟むようにプラスミドに挿入する。このプラスミドを、ピギーバックの転移酵素を発現するプラスミドとともにカイコの発生過程の受精卵へとマイクロインジェクションで注入する。マーカー遺伝子の働きで、目や神経でGFPが作られるため、この形質によりカイコを選抜した。P1A遺伝子はフィブロインプロモーターの制御を受けるため、後部絹糸腺特異的にフィブロインと同時に発現する[/caption]

セリシン繭産生カイコ

この遺伝子組換えカイコでは、P1Aが後部絹糸腺で特異的に発現しました。また、後部絹糸腺において肥大化成長に異常をきたしたために生じる凸凹状のいびつな形態が観察されました。しかし、後部絹糸腺は細胞死による消失が見られませんでした。さらに、後部絹糸腺でフィブロインの2つのサブユニットタンパク質の発現は、転写のレベルで阻害を受けていました。 一方、普段から発現している遺伝子の転写にはP1Aはあまり影響しませんでした。絹糸腺における機能の改変のため、この遺伝子組換えカイコはほぼ100%セリシンでできた繭(セリシン繭)を作ることがわかりました。突然変異で生じたセリシン繭産生カイコがこれまでにも見つかっていましたが、これらは5〜20%程度のフィブロインを含む糸をわずかな量しか吐かないという性質を持つものであり、我々が作った遺伝子組換えカイコのようにほとんどフィブロインを含まない繭を安定的に作るカイコは今までいませんでした。 [caption id="attachment_5150" align="aligncenter" width="489"] 通常の繭と遺伝子組換えカイコのセリシン繭 ほぼ100%セリシンでできた繭はうす繭であり、中の蛹が外から透けて見える[/caption] 古典的な研究において、カイコの絹糸腺を幼虫期に手術により取り除くと、成虫にまで成長して子孫を作ることができなくなったという報告があります。この理由として、絹糸昆虫が幼虫期の終わりに糸を吐き出すのは、もともと幼虫期に取りすぎて余剰となった栄養分をタンパク質に変換してそれを体外へと捨てるためだと考えられてきました。絹糸腺を取り除いた場合に、本来ならば糸に組み入れて体外へと吐き出されていたアミノ酸が体内に残ってしまうことは、アミノ酸過剰の状態を招き、このため蛹期以降上手く成長できなくなるというものです。糸成分の約75%がフィブロインであるため、得られた遺伝子組換えカイコは捨てるべきアミノ酸を大量に保持する、すなわちアミノ酸過剰を伴う蛹となるはずですが、得られたカイコの全成長過程で健康上の問題は見られず、何世代もP1A遺伝子ホモの子孫を継代し続けています。このことは、手術で器官を取り除くことと、遺伝子の操作による組織の機能不全は必ずしも等しくはならないことを意味しています。

得られた遺伝子組換えカイコの有用性

得られた遺伝子組換えカイコのセリシン繭から、高濃度の塩を用いることにより高分子のセリシンが得られることがわかりました。しかも、このセリシンはゲル化させることができ、ゲルを加工することでシートやスポンジも作れることがわかりました。すでにさまざまな産業分野でセリシンは用いられているのですが、製糸工程で激しく変性しているためゲル化しません。つまり、高分子セリシンは立体的に配置しつつ水を大量に溜め込むことができるという性質のあることがわかります。この点が、さまざまな日用品や化粧品の材料として応用できないかと期待されます。 また、このセリシンは3次元のバイオマテリアルとして有用ではないかと考えられます。というのも、このセリシンのゲルの上で、ES細胞株を培養することができ、また、細胞増殖因子をゲルから放出して細胞に与える性質があることもわかりました。このように、P1Aを用いることで、既存のゲノム編集とは異なる技術で、特定組織の機能不全化を実現することができ、得られたカイコはセリシン繭をつくるという有益な形質を持つこともわかりました。このP1Aによる組織の機能不全化を他の生物でも利用できるようになれば、たとえば、花粉症対策のための花粉を作らない樹木を作り出すことも夢ではなくなるかもしれません。 参考文献 Otsuki R, Yamamoto M, Matsumoto E, Iwamoto S, Sezutsu H, Suzui M, Takaki K, Wakabayashi K, Mori H Kotani E. 2017. Bioengineered silkworms with butterfly cytotoxin-modified silk glands produce sericin cocoons with a utility for a new biomaterial. Proc. Natl. Acad. Sci. U. S. A. vol.114 (26), 6740-6745. DOI/10.1073/pnas.1703449114. 伊藤智夫.1985.カイコはなぜ繭をつくるか.講談社サイエンティフィック.]]>
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理論と実験の両輪で、究極の理論を探索する - 高エネルギー加速器研究機構・後田裕教授 https://academist-cf.com/journal/?p=5155 Wed, 05 Jul 2017 01:00:47 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5155 ——素粒子物理学は、何を明らかにすることが目的なのでしょうか。 世の中のすべての現象を記述できる究極の理論を見つけることです。現在は「標準模型」と呼ばれる理論があり、この理論を使えばほとんどすべての実験結果を矛盾なく説明できるのですが、宇宙全体の物質エネルギーの大半を占めている暗黒物質や暗黒エネルギーのように、説明できない謎はたくさん残されています。ですので、標準模型を包含したその先の理論を構築していかなければなりません。ただ、標準模型で説明できない実験結果がなかなか出ないので、この理論のどこがダメなのか、はっきりわからないんです。 ——標準模型では説明できない実験結果を出したい、と。 そうですね。最近ではポツポツではありますが、あやしげな実験結果は出ています。ほとんどの結果は、95%~99.7%程度は確からしいです。十分確かそうに思える数字でしょうが、 私たちは99.9999%確からしくないと認めないので、まだ「あやしげな兆候」としか呼びま せん。現在もいくつかの実験に関しては、世界中で追試が行われています。 ——理論的な研究も進められているのでしょうか。 標準模型を超える理論には、いろいろなものがあります。理論グループが新しい理論を打ち出してきた場合は、まずは標準模型自体を再現できるかチェックされることになります。その後、現在追試で行われているような実験結果をすべて説明できるかどうかも問われてきます。 たとえば、巨大な象がいるとしましょう。象の鼻やお尻、尻尾のようなパーツだけを見ていても、それが何かはよくわかりません。全体を俯瞰することで、はじめて象であることがわかるわけですね。現在の素粒子物理学は、実験で象の各々のパーツを確認しながら、理論で全体像を理解しようとしている段階といえます。 ——後田先生の研究テーマで、最も印象的な研究成果があれば教えてください。 私の研究でいうのであれば、博士論文のときの研究テーマでもあった「b → sγ」ですね。B中間子を構成するボトムクォーク(b)が、ストレンジクォーク(s)と光(γ)に崩壊するプロセスでは、標準模型を超えた寄与が入りやすいといわれていました。当時、周りの研究者は小林・益川理論に注目していたのですが、私はひねくれ者ですので、新しい物理を探すことにしたんです。 ——実際には、どのような実験を行なったのでしょうか。 「b → sγ」が発生する確率を実験的に測定しました。標準模型では、ある値が予想されているので、実験結果がその値より大きかったり小さかったりすると、そこに新しい現象が起きているのではないかと考えるわけですね。当時も、標準模型からズレることを期待しながら実験をしたのですが、見事に理論値と誤差の範囲で一致しちゃったんです。標準模型、強いんですよ(笑)。 ーー値が一致したということは、新しい研究成果といえなくなってしまうのでしょうか。 そうではありません。新しい物理は見つからなかったのですが、新しい理論模型を構築する際の強い制限を与えることができました。つまり、私たちが測定した実験データを説明できる理論模型しか許されなくなったわけです。 ——現在KEKで行われている、KEKB加速器とBelle測定器のアップグレードについて教えてください。 KEKB加速器では、電子の塊と陽電子の塊を衝突させているのですが、両者は実はそう簡単には当たらないんですね。今回、KEKB加速器からSuperKEKB加速器にアップグレードさせることで、衝突確率を40倍に上げることができる予定です。加速した粒子の衝突のしやすさを表すルミノシティの値は、世界一です。加速器では、最大約900億個の電子の塊と陽電子の塊が1秒間に約2.5億回交差して、その結果、B中間子と反B中間子が1秒間に約1000対生成されます。それらはすぐに崩壊してしまうので、その様子をBelle II測定器で記録します。 ーーとてつもない回数の反応が起きるのですね……。 加速器の性能が40倍になるとうれしい反面、私たちが観測したい反応だけではなく、観測したくない反応も増えてしまうデメリットがあります。観測したくない粒子まで測定器にかかってしまうんです。ですので、測定器のパワーアップも必要です。今回、測定器を構成している素子を空間的に細かく分けることで、バックグラウンドの粒子と私たちが観測したい粒子の入射データを分離するという工夫を施しました。また、観測時間の間隔を細かくすることによって、より効率的にデータが取れるようにもしています。Belle測定器からBelle II測定器へのアップグレードにより、主に空間的・時間的な微細化が進んだといえます。 ——研究者が観測したくないと考えたデータが、新粒子発見につながるという可能性はないのでしょうか。 必要ではないデータにもいろいろな種類があるのですが、その可能性は否定できません。私が捨てようとしたデータを、別の人が宝の山だと考えることはあります。ただ、そんなに重要なデータはないだろうとほとんどの人が思っているので、そのアプローチは人気がないんですよね(笑)。 ——SuperKEKB/Belle II実験は、これまでの実験とは何が違うのでしょうか。 基本的には、Belle実験と同じです。一番の目的は、電子と陽電子を衝突させることによりB中間子と反B中間子のペアを作ることで、それと同時に、チャームクォークと反チャームクォーク、τプラスとτマイナスなどの組み合わせも観測します。ただ、Belle実験に比べると、べらぼうな量のデータが取れることになります。Belle II実験では、単位時間に取れるデータが40倍になるので、早い話がこれまで40年かかっていた測定が1年で終わるわけですよ。私が苦労して取得した博士論文のデータも、一瞬で取れてしまうということです。 ——後田先生が注目している物理現象があれば、教えてください。 「b → sγ」は大好きですので、注目しています。あとは、B中間子が電子と陽電子などに崩壊する「b → sl+l-」という現象にも、標準模型を超えた新しい物理の寄与があるのではないかと注目されており、私自身も興味を持っています。 実験がスタートすると、実験グループは崩壊現象などを観測して、理論グループが標準模型から導いた値と比較します。測定値が理論値とズレていると「これは新発見だ!」と盛り上がるわけですが、理論グループの再計算の結果、新発見ではないことが明らかになったりもします。この辺りに関しては、「これはどう考えても標準模型とは一致しない結果だ!」と確信が持てるまで、ひとつひとつの結果を積み上げていくしかないですね。 ——Belle II実験は、世界24か国、総勢700名以上が関わるビッグプロジェクトということですが、どのように進められているのでしょうか。 基本的には、加速器の運転はホスト国で、加速器の建設と測定器の建設と運転は各国で分担して行うことになります。Belle II実験の場合では、加速器の資金は日本が出して、測定器に関しては各国と議論しながら決めていく形です。日本としては各国からたくさん資金を集めたいところですが、小さな国から何十億も集めるのは難しいので、そこは臨機応変に対応しています。また、どの国がどの測定器を作るのかということは、各国の得意分野を考慮したうえで決めることがほとんどです。 ——各国で得意分野が違うのですね。ちなみに、外国の加速器実験に日本が参入するうえでの得意分野は、どのようなところにあるのでしょうか。 日本の得意分野は、加速器の建設で必要となる超伝導電磁石です。これまでノウハウを蓄積してきたので、他国よりも強い技術を持っています。 ——継続的に研究を進めていくには、現在クラウドファンディングで資金を募られている高校生対象の研究体験プログラム「Belle Plus」の取り組みも重要になるように思います。最後に、Belle Plus の魅力について教えてください。 一番の魅力は、私たちがいつも使っている装置に触れられることではないでしょうか。私も Belle Plus 立ち上げ時から2年間は、スタッフを担当していたのですが、当時はBelle測定器で一緒に実験をしていましたよ。実験データをもとに、研究者と一緒にあれこれ考える機会はなかなかないので、貴重な経験になるのではないかと思います。結果がわかりきっている実験は、おもしろくありませんからね。今年参加する高校生にも、上手くいく経験と上手くいかない経験をたくさん積んでもらって、自分の力でものごとを考え抜く機会を提供できればと思います。
後田裕(うしろだ・ゆたか)教授プロフィール 1972年広島生まれ。2001年3月京都大学大学院理学研究科 物理学・宇宙物理学専攻 単位取得の上退学、4月高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所 助手、7月博士(理学)取得。素粒子原子核研究所 助教、准教授を経て、2011年より教授。総合研究大学院大学 高エネルギー加速器科学研究科 素粒子原子核専攻 教授。東京大学大学院 理学系研究科 物理学専攻 教授。Belle II実験のプロジェクトマネージャーとして国内外700名を超える研究者をまとめる。
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“忘れ去られたアジリン”から高立体選択的にアジリジンを合成する! https://academist-cf.com/journal/?p=5195 Fri, 07 Jul 2017 01:00:28 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5195 アジリンとの出会い 私たちはこれまでに、ケトンまたはケトン由来のイミンであるケチミンに対する求核付加反応によって生じる不斉炭素の立体制御を目指して、日々研究を行ってきました。また、窒素を含む三員環化合物であるアジリジンへの反応剤の反応による立体選択的開環反応の開発も行っており、この研究の過程で、窒素を含む三員環化合物であり、ケチミン構造も併せ持つアジリンに興味を持ちました。このアジリンに対して、求核剤を立体選択的に付加させてみたいと思ったのが、2010年のことです。 当時は、アジリンへの触媒的立体選択的求核付加反応は、立体選択性の低い例(16%ee)しか報告例がなく、アジリンは立体選択的な有機合成化学の分野においてほとんど忘れられた存在となっていました。しかし、アジリンから高立体選択的にアジリジンが合成できれば、用いる求核剤をいろいろと変え、位置選択的に開環反応を行うことで、さまざまな医薬品の原料となる化合物であるアミン類が合成ができると意気込んで、研究をスタートさせました。 しかしながら、いろいろな触媒や求核剤を検討してもなかなか生成物が得られず、得られた生成物も低収率・低立体選択性であり、この研究テーマをもらう学生は、燦燦たる結果、死屍累々の状態となり、研究室内で“ハズレ研究テーマ”の烙印が押されつつある研究テーマとなっていました。

立体選択的合成への挑戦

この状況を根本から変えてくれたのが、当時、2015年に大学4年生で研究室に配属されてきた羽山君でした。彼が研究をスタートするまでは、このアジリンへの不斉求核付加反応は、手元の屍データとして13%eeほどの立体選択性が得られるのみでしたが、もう一度、研究室で開発していた不斉触媒、金属塩を片っ端からチェックし、用いる求核剤も丁寧に検討してくれました。その結果、4年生の夏すぎぐらいに、アジリンに求核剤として亜リン酸エステルを用いれば、ある程度の収率で生成物が得られること、また、40%ee弱の立体選択性で生成物のアジリジンが得られることを見出してくれました。 そこからは、勢いよく触媒の置換基の調整や反応条件の検討をしてくれましたが、60%eeを超えることはなく、もはやこれまでとあきらめていたところ、彼は用いる触媒の構造を大胆にチェンジしました。 これまで使っていた触媒は、アルコール部位を2つ持つBINOL骨格を有する構造でしたが、アルコール部位はひとつでいいんじゃないか? と少しシンプルな形態の触媒を使い始めたのがブレイクスルーにつながり、この触媒を用いたところ、立体選択性は急上昇し、90%eeを超えるほどの立体選択性とともに高収率で光学活性アジリジンが得られるようになりました。

論文投稿に向けて

その後、さまざまなアジリン化合物を合成し、反応基質の一般性を確認し、当初の計画どおり、合成できた光学活性アジリジンをさまざまな求核剤で開環しようとしたところで、再度、生成物の反応性の高さのために、合成返還の困難にぶち当たったのですが、アジリジンの特性を巧みに利用することで、前述の位置選択的なアジリジンの開環にも成功しました。 論文提出まであと一歩というところまでやってきたときのことです。『Angewandte Chemie International Edition』という雑誌のAccepted articlesに、中国の研究グループが似た反応形態でアジリンに不斉求核付加反応を行っているのを発見しました。類似の反応ではあるものの、我々と近い反応形態の反応条件での結果は、まだまだ立体選択性が低く、我々の研究の新規性は十分残されていることが確認できたため、ここから急ぎ論文を提出することにしました。論文投稿後、審査結果が返ってきて、いくつか追加の実験を行い、再投稿し、無事に成果を発表することができました。 この研究は、ある意味でマニアックな反応であるとも言えますが、我々研究室のこれまでの知識と方向性、将来への展望が見える論文になったと自負しています。また、この論文を読んで、“忘れ去られたアジリン”を用いる研究者も増えるのではないかと思います。我々は、今後、さらに、開発した触媒を用いる研究、アジリンを用いる研究を発展させ、さらなる超高機能性不斉触媒、超高効率不斉合成技術を開発して行きたいと考えています。   参考論文 Shuichi Nakamura, Daiki Hayama, Angew. Chem. Int. Ed. 2017, in press (doi:10.1002/anie.201704133) Masashi Hayashi, Noriyuki Shiomi, Yasuhiro Funahashi, and Shuichi Nakamura, J. Am. Chem. Soc. 2012, 134(47), 19366-19369. Shuichi Nakamura, Masashi Hayashi, Yuichi Hiramatsu, Norio Shibata, Yasuhiro Funahashi, Takeshi Toru, J. Am. Chem. Soc. 2009, 131(51), 18240-18241]]>
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ボルネオ熱帯雨林の塩場(しおば)に集う動物たち https://academist-cf.com/journal/?p=5224 Mon, 10 Jul 2017 01:00:06 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5224 多様性の森「熱帯雨林」 熱帯雨林——。野生動物が好きな人なら、反射的に耳を傾ける言葉でしょう。そこは地球の陸地面積の7%程の場所に過ぎませんが、生きものの50%が生息するといわれるほど、多様性が高い森です。 [caption id="attachment_5218" align="aligncenter" width="600"] ボルネオ島の熱帯雨林(マレーシア・サバ州デラマコット商業林)[/caption] 熱帯雨林にはさまざまな動物が生息しています。しかし、森の中には動物が多い場所、少ない場所があり、その分布は一様ではありません。動物は一体どんな場所をよく利用するのでしょうか。大きく影響するのが食べ物です。たとえば、イチジクやドリアンなどの果実がなった木、倒木によって日光が林床まで差し込み、先駆植物(成長にエネルギーを投資するため毒成分が少ない)が繁茂する林冠ギャップなどがあるでしょう。しかし、果実はいずれ無くなり、先駆植物もあっという間に成長するため、そのような環境は一時的です。それでは恒常的に動物の利用が多い場所はあるでしょうか。そのひとつがタイトルにある「塩場(しおば)」という環境です。 [caption id="attachment_5219" align="aligncenter" width="600"] 塩場(小さな水溜り部分。常に少量の水が滲み出している)[/caption]

塩場と野生動物

ナトリウム(塩)は、動物にとっては細胞内外の浸透圧維持や神経伝達、筋収縮などに必要不可欠ですが、植物にとっては必須栄養素ではないため植物体にはあまり含まれていません。そのため、植食性の動物はナトリウムを食物以外から積極的に摂取する必要があり、塩場はナトリウムをはじめとするミネラル類摂取の場所として重要な環境のひとつです。私は、1997年からボルネオ島北部マレーシア・サバ州の熱帯雨林で野生動物の生態研究を行ってきました。2003年からは同州のデラマコット商業林において、森の中の塩場を把握し、塩場を利用する動物種とその行動を調べました。 まず村人から塩場と思われる動物が集まる場所を聞き取り、その場所の水のミネラル濃度をコントロールと比べて、塩場であることを確認しました。次いで特定した塩場に「センサーカメラ」を設置しました。センサーカメラとは赤外線センサーによって動物を感知すると自動でシャッターを切る優れもので、目視観察に比べて動物に与える影響が少なく、24時間連続記録が可能です。調査の結果、4か所の塩場から調査地で確認されている中大型哺乳類の70%に相当する28種を記録しました。そして、大型のシカ・サンバーとヒゲイノシシに大きく偏りながらも、オランウータンや野生ウシ・バンテン、アジアゾウなどの大型絶滅危惧種が上位に入り、多くの哺乳類にとって塩場が重要な環境であることがわかりました。想定外だったのは、樹上性のオランウータンが、塩場をよく利用することでした。 [caption id="attachment_5220" align="aligncenter" width="600"] 塩場で水を飲むオランウータンの優位オス(塩場に長居するのが特徴)[/caption]

塩場でオランウータンは何をしていたのか?

オランウータンの母子や若い個体の塩場滞在時間は15分以内であるのに対し、体の大きな優位オスは1時間以上も滞在することがあり不思議に思っていました。その後、塩場での交尾写真が撮影され、長い滞在はメスを待っている可能性が出てきました。単独性のオランウータンにとって雌雄の出会いは容易ではありませんが、塩場ならその可能性が高まります。そのため塩場は、ミネラル類摂取の場という生理的な意義に加え、メスとの出会いの場という社会的な意義も有することが示唆されたのです。さらに、ある塩場を18個体が利用していることもわかり、その重要性が再確認されました。 [caption id="attachment_5221" align="aligncenter" width="600"] 塩場で交尾をするオランウータン(コドモがメスの顔を覆っている)[/caption]

塩場の重点保護区化

このような結果を受けて、サバ州森林局は、塩場周辺は伐採せず重点保護区にすることを森林管理に採用するようになりました。塩場を保全することで、野生動物の生息地保全を効率的に進めることができると考えられ、他の地域でも同様の対策が求められます。そのためには、各地域においても塩場が多くの動物に利用されていることを示すことが必要です。しかし、種によって利用する塩場に大きな偏りがあり、センサーカメラでそれを把握するには長期間の調査が必要です。またセンサーカメラは撮影範囲の制限や解像度、高温多湿による故障、コストなどの問題もありました。そこで短期間で塩場利用種を把握する手段として、塩場の環境DNAを調べることで利用種を効率良く把握できるのではないかと考えました。

環境DNAを用いた塩場利用種の把握

近年、魚類を含む水生生物の粘液や糞などの排泄物から放出されるDNAが水中を漂っていることが明らかになり、それらは「環境DNA」と呼ばれています。DNAの塩基配列には生物種を特定できる情報が含まれており、それを次世代シーケンサーで決定すれば、海や川に生息する生物種が短時間で特定できます。この技術は「環境DNAメタバーコーディング」と呼ばれ、環境中に存在する複数の生物由来DNAを同時に検出する方法です。魚類では千葉県立中央博物館の宮正樹部長らの研究グループが開発し「バケツ1杯の水から魚種を特定」と大きな話題を呼んでいます。さらに、宮部長らは本技術を陸生哺乳類に適用しました。すなわち、陸生哺乳類が水を飲む際、水場に口腔細胞を含んだ唾液などが放出されるため、そこから利用種が特定できるというものです。そこで本技術を塩場利用種の検出に応用しようと試みました。 まず複数の塩場から各々コップ1杯ほど(100〜150ml)採水、フィルターろ過しました。次いでフィルターからDNAを抽出し、目的領域を増幅、次世代シーケンサーで解読後、得られたDNA配列が何に由来するのかをコンピュータで解析しました。その結果、オランウータンやバンテン、アジアゾウ、センザンコウを含む6種の絶滅危惧種の検出に成功したのです。また検出種は、これまでのセンサーカメラの結果と同様、各種のおおよその利用特性を反映していました。これらの結果から、高温多湿でDNAが分解されやすい熱帯雨林においても本技術が利用できることがわかりました。現段階では検出可能種はDNA情報が豊富な注目度の高い絶滅危惧種に偏ってしまいますが、遠隔地や早急に調査を行う必要がある地域において、短期間で絶滅危惧種の生息状況を把握することができるので、塩場保全を進めるうえで、非常に有力なツールになることが期待されます。 [caption id="attachment_5222" align="aligncenter" width="600"] センザンコウ(漢方薬として乱獲され絶滅危惧種に)[/caption]

野生動物とその生息環境を理解し、今ある熱帯雨林を残したい

生物多様性の宝庫である熱帯雨林は、大規模な開発によって急激に消失しつつあります。多くの人は、私たちの日常とは関係ない話だと思うかもしれません。しかし、熱帯雨林から切り出された木材は合板やパルプなどに加工されて日本に入ってきます。また、我々が毎日口にしているパーム油は、世界消費量トップの植物油脂であり、日本では植物油消費量の24%を占めています。そんなパーム油主要生産国として、インドネシアとマレーシアの2国が世界シェアの85%を占めています。 熱帯雨林の「保護林」の割合は低く、大部分は木材の商業利用ができる「商業林」です。私の調査地があるボルネオ島北部のマレーシア・サバ州の場合、森林面積の71%が商業林です。野生動物を考慮した熱帯商業林管理ができるか否かが、野生動物の将来を左右すると言えるでしょう。その意味でも、塩場の理解と保全が解決策のひとつであると考えています。   参考文献 Ishige T, Miya M, Ushio M, Sado T, Ushioda M,  Maebashi K, Yonechi R, Lagan P, Matsubayashi H. Tropical-forest mammals as detected by environmental DNA at natural saltlicks in Borneo. Biological Conservation. vol.210. PartA. 281–285. (2017).
Matsubayashi H, Lagan P, Majalap N, Tangah J, Sukor JRA, Kitayama K. Importance of natural licks for the mammals in Bornean inland tropical rain forests. Ecological Research 22 (5): 742-748. (2007).
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素敵な出会いを応援します - オスとメスが効率よく互いをさがす動き方とは? https://academist-cf.com/journal/?p=5234 Thu, 06 Jul 2017 01:00:48 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5234 動きのパターンと探索効率 この問題に対するひとつの答えとして、Lévy walkという移動パターンが研究されてきました。これは頻繁に生じる短い直線移動と、稀に生じる長い直線移動からなる移動パターンで、直線移動の距離の分布が、裾野の広いべき分布に従います。稀に生じる長い距離の移動のおかげで、完全にランダムな動きよりも、効率よく広い範囲を探索すること可能であり、実際にミツバチやアホウドリといったさまざまな動物で観察することができます。 [caption id="attachment_5230" align="aligncenter" width="600"] Lévy walkの例。µの値が異なると、同じ時間内に、最初の地点からどれだけ遠くに離れていくかが、大きく変化することがわかる[/caption] Lévy walkでは、べき分布の傾き(µ)の違いより、上図のようにさまざまな移動パターンを示します。たとえば、µ = 1.1のときには、稀に生じる長い直線移動の長さがとてつもなく長くなるため、動き方はほとんど直進的なものになります。これは、目標物がどこまでも一様に存在しているときには有利な動き方です。一方で、µ = 2.0の時には、長い移動と短い移動がバランスよく生じるため、目標物がモザイク状に分布するときには、効率よく探すことができます。そして、µ = 3.0のときには、ゆっくりその場から離れていくため、目標物が高密度で存在するときに、効率よく多くの目標物と出会うことができます。 これまでのLévy walkの研究は、探索する捕食者が、どれだけ多くの餌を得られるかという、餌探索の状況を想定してきました。一方で、オスがメスを、メスがオスを探索する、配偶者探索においては、オスとメスの両方が探索者であると同時に目標物でもあります。このような相互に探索する時には、オスとメスはどのように動けば効率よくパートナーに出会うことが出来るでしょうか。

相互探索のシミュレーション

そこで、オスとメスがそれぞれの動きのパターンで探索するという、相互探索の状況を考えたシミュレーションモデルを構築しました。動きのパターンには Lévy walk を用いてさまざまなものを用意しました。そして、限られた制限時間内でそれぞれの動きのパターンをしたオスとメスが出会えたかどうかにより、探索効率を計測しました。 最も単純な状況として、1次元空間に1個体のオスとメスがいる状態を考えてシミュレーションを行ったところ、制限時間が短いときには、µの値の小さい拡散的な(直線的に動いた)ペアが最大効率に達し、制限時間が長いときには、µの値の大きい非拡散的な(頻繁に方向転換した)ペアが最大効率を得ました。一方、制限時間が中間的なときには、中間の拡散性を持つペアではなく、拡散的な個体と非拡散的な個体とのペアが最大効率に達しました。 また、2次元空間に複数個体がいる状況に拡張しても、制限時間が中間的な時には、集団内に拡散的な個体と非拡散的な個体がいる場合に、オス、メスともに最大効率を得ることを確認しました。 [caption id="attachment_5231" align="aligncenter" width="600"] 上図: 今回想定した状況。オスとメスが互いを探索し、出会いが生じると、探索をやめその場から消滅する
下図: 相互探索シミュレーションの結果。色が赤い部分が、高い遭遇率を示す。制限時間(tmax)が中間のとき、オスとメスで異なる動き方するペアが、遭遇率を最大化できる。シミュレーション内で、オスとメスは動き以外が同じであるため、µの値がオスの方が大きい時のみの結果を示した[/caption] オスとメスの出会いが一度きりであるため、探索効率は、どれだけ早く出会えるかと、どれだけ正確に出会えるかの2つによって決まります。制限時間の短いときには、発見速度に集中した方がよいため、オスもメスも発見速度を高めるように拡散的な動きをします。一方、制限時間が長いときには、正確性を求められるため、非拡散的な動きが有利になります。そして、探索時間が中間的なときには、この発見速度と正確性の両方のバランスをとる必要が出てきます。このときには、オスとメスが違う動きをすることによって、バランスよく効率性と正確性を得ることで遭遇効率を上げることができることを発見しました。

どのような例に適用できるか?

本研究により、動きのパターン以外のものがすべて同じであると仮定したとしても、オスとメスが異なるように動くことが最適な探索戦略になり得るという新規の理論を確立することができました。この理論が自然界でどのように機能しているかは、動物の動きのパターンをオスとメスで比較し、その個体にとって探索可能な時間を調べることによって実証していこうと考えています。 たとえばシロアリは、本研究で示した状況と非常に近い探索状況を示す生物です。シロアリは数万匹にも及ぶ集団生活をおくっていますが、一番初めは1匹のオスとメスが出会うところから始まります。このオスとメスは、どこにいるかわからない相手を歩いて探索します。そしてパートナーに出会えた後には、オスがメスを追いかける形でタンデム歩行を行い、巣を作ることのできる場所を探します。この歩行による探索行動について、今後調査を進めていく予定です。配偶者探索の他にも、タンパク質の動きから群ロボット、迷い人捜索に至るまであらゆる1対1の出会いの効率化に応用できると考えています。 [caption id="attachment_5232" align="aligncenter" width="600"] 歩行によるシロアリのパートナー探索。出会ったペアはメスがオスを追いかける形でタンデム歩行を行う[/caption] また本研究では、餌探索という探索者のみの利益を考えていた先行研究に対して、オスとメスの両方が、探索者であると同時に目標物でもある配偶者探索を調べました。その結果、どちらか一方の効率のみを考えているだけでは、見つけることができなかった、動きの違いが出会いの最適化につながるという現象の発見に至りました。探している相手に効率よく出会いたいならば、相手の利益もまた考える必要があるといえるでしょう。
参考文献 Mizumoto N., Abe S. M. & Dobata S. (2017) Optimizing mating encounters by sexually dimorphic movements. Journal of the Royal Society Interface 14: 20170086.]]>
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細胞小器官の動きを理解する方法 - ゴルジ体の形成過程を物理で再現する https://academist-cf.com/journal/?p=5242 Tue, 11 Jul 2017 01:00:25 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5242 細胞の中の形 私たち人間を含め動物、植物、カビ、原生生物など目に見えるほとんどの生きものは真核生物に分類されます。真核生物は細胞の中に核を持つ生きものという意味ですが、この細胞(真核細胞)には核以外にもゴルジ体やミトコンドリア、小胞体、オートファゴソームなど、さまざまな形と機能を持った構造物があり、それらは総称して “オルガネラ(細胞小器官)”と呼ばれています。 [caption id="attachment_5244" align="aligncenter" width="600"] 真核細胞の構造(画像:MesserWoland, Szczepan1990)[/caption] このオルガネラたちはそれぞれ異なった機能を担うことで細胞内で分業を行い、結果、全体として複雑で多様な細胞の振舞を実現しています。ミトコンドリアはエネルギー工場、オートファゴソームはごみ処理-リサイクル工場、小胞体は細胞各所や細胞の外で働くタンパク質(分子機械)の工場、ゴルジ体は小胞体で作られたタンパク質の配送センターとして働いています。これらオルガネラは脂質膜(油の膜)で形作られていて、膜で囲まれた内側や膜の表面にそれぞれ違ったタンパク質と化学環境を用意することで、それぞれの機能を実現しています。このようなオルガネラ各々の機能とそれを支える分子の種類や働きは、これまで生化学・細胞生物学・分子生物学の発展により多くのことがわかってきました。 では、オルガネラの形はどうでしょうか? オルガネラは物理空間に“脂質膜で形作られて”存在しているので、形を持ちます(当たり前ですが)。しかも、それぞれがユニークな形を持つため、古くから電子顕微鏡画像などで形に基づいて分類されてきました。また、多くの生きものがよく似た形のオルガネラを(長い進化を経てなお)保っているため、その形は生きものの生存に重要で、オルガネラの持つ機能と深く結びついていると考えられています。しかし、オルガネラがどのような仕組みで形作られているかは、あまり解明されてきていません。 その理由のひとつは、オルガネラがとても小さいからです。オルガネラは小さいため、その形を見るためには電子顕微鏡を用いなくてはいけません。電子顕微鏡で観察するためには、化学固定や急速凍結などで試料を固める必要があり、細胞を生きたまま観察することができません。つまり動いているオルガネラを観察することができないのです。このことは生きものの体の形作り:発生生物学が、ライブ観察技術の進歩によって大きく発展していることと対照的です。 では、オルガネラの動きを理解する方法はないのでしょうか? 上で述べたように、オルガネラはその部分々々を取り出してみると、分子の膜(脂質膜)とタンパク質分子でできています。これら分子の動きは物理学で記述できるはずです。では、この部分々々(ミクロ)の物理法則を積み上げ、電子顕微鏡画像などの断片的な情報と合わせて、オルガネラ全体の動き(マクロ)を理解することはできないか? 筆者はゴルジ体を例に、このミクロからマクロを再現する研究を行いました。

ゴルジ体をモデリングする

ゴルジ体は扁平につぶれた膜の袋(槽)が数枚折り重なった形をしています。哺乳類細胞の細胞分裂のときには、このゴルジ体はばらばらに分解されて形が無くなり、膜でできた小さな球(小胞)の集団になります。この小胞の集団を半分ずつ分裂後の娘細胞に渡すことで、ゴルジ体を受け継いでくのですが、細胞分裂後に小胞たちは集まってもう一度ゴルジ体の形にならないと、ゴルジ体を受け継いだことになりません。この“ゴルジ体再集合過程”により哺乳類細胞の中では細胞分裂ごとに一から新しくゴルジ体の形を作っています。この過程をミクロな物理法則から再現できれば、ゴルジ体形成の有力な仮説となり、形の謎に迫れるのではないかと考えました。 ゴルジ体のミクロな要素は脂質膜で、その形を決める重要な物理法則としてはまず膜の曲げ弾性(曲げたとき元に戻ろうとする性質)があります。また、ゴルジ体の膜には膜同士をくっつけるタンパク質が生えていることもわかっています。さらに、ミクロではないけど物理的に重要な性質として、膜の中と外の浸透圧差がコントロールされています。さて、この3つの物理的性質を取り入れて、まず、完成したゴルジ体の形が安定に保てるか考えてみましょう。ゴルジ体の各槽はディスク状の形をしており、2枚の平らな膜とそれをつなぐ曲がった縁からなっています。もし、すべての膜が同じ材料でできていて平らな膜が物理的に安定であるならば、縁は物理的に不安定ということになります。ゴルジ体の形を安定に保つために、細胞は縁になにか仕掛けをしているに違いありません。こういうとき、細胞は膜の外側からタンパク質をペタペタ貼って曲げたい箇所を安定化させることが知られています。ゴルジ体の縁でどのタンパク質がどう働いているかはわかっていませんが、似た機能を持つタンパク質があるという“モデル”を考えましょう。このモデルを組み込めば、一応、ゴルジ体の形を物理的に安定化させることができそうです。 ゴルジ体再集合過程を考えるうえで、まだ足りない要素があります。小胞たちが集まって融合することにより、はじめてゴルジ体という大きな構造物ができあがるので、膜と膜の融合という物理プロセスが必要です。では膜融合を組み入れて、ふたたび完成したゴルジ体の形が安定に保たれるか考えてみましょう。ゴルジ体には、膜と膜が接している部分がたくさんあります。もしここで膜融合が起こってしまうと、きれいな層構造が壊れていってしまうはずです。そこで小胞は融合するが槽の間では融合がおきないような“モデル”が必要そうです。 一方、完成したゴルジ体でも頻繁に膜融合(と膜分裂)が起こっている場所があります。縁です。そこで、小胞や縁と槽の内側を区別するシンプルな物理モデルとして“曲がった膜は融合するが平らな膜は融合しない”を考えることにしました。生体分子の言葉では“融合を助ける分子は膜の曲がった部分に集合する”となります。この分子の偏りもまだ実際には観測されてはいませんので“モデル”です。 さて、ここまででゴルジ体再集合に必要な物理プロセスを組み込み、かつ完成したゴルジ体を安定に保つようなモデルを考えることができました。一方、目指していたのはゴルジ体再集合過程の再現です。これはできるでしょうか? よく考えると、できあがったものを壊さないように使うことと、そのものを作ることは、まったく別のことで、後者の方がはるかに難しそうです。しかし、答えは「できる」です。これは研究を行った私達にとっても大きな驚きでしたが、たくさんの小胞を上の物理モデルに従って動かすと、自発的にゴルジ体のような形ができあがりました。小さく単純な要素が多数集まって影響し合うことにより、誰に教えられることもなく大きな秩序を作り出すことを「自己組織化」といいますが、ゴルジ体はまさに自己組織化によって作ることができるとこの研究は示しています。

今後の展開

さて、偶然にも思われる方法でゴルジ体を作り出してしまいましたが、この研究はゴルジ体(オルガネラ)の理解にどんな影響を与えることができるでしょうか? まず最初に述べたように、ゴルジ体の運動は目でも顕微鏡でも見ることができませんでした。この研究で作ったゴルジ体の物理モデルは本物ではありませんが、私たちが初めて見る、物理法則に則って動くゴルジ体のオモチャです。動きが見えることは、これまで考え付かなかったイマジネーションを呼ぶ可能性があります。このオモチャの動きを直接検証できないことはもどかしいですが、この動きからわかることで検証できること(現在の技術で観測できること)があるかもしれません。もし検証実験が行われ、結果が物理モデルにフィードバックされれば、物理モデルはより精緻になり、動きはより本物に近くなります。このように製錬したモデルの動きを見ることを、一種の可視化技術と考えることはできないでしょうか。今後私たちはゴルジ体以外にもさまざまなオルガネラや細胞内現象の可視化を目指して物理モデル作りを進めていき、さらに、実験生物学者と協力して新しい細胞の見方を提案していきたいと考えています。 参考文献 Tachikawa M, Mochizuki A, "The Golgi apparatus self-organizes into the characteristic shape via postmitotic reassembly dynamics", Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (PNAS), doi: 10.1073/pnas.1619264114]]>
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恐竜時代の地球軌道が、地球環境を変えた? - 新たな変動メカニズムの提唱 https://academist-cf.com/journal/?p=5267 Thu, 13 Jul 2017 01:00:21 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5267 地球環境はどのように変わってきたか? 近年、地球規模の環境問題が多発し、その原因とされる温室効果ガス、二酸化炭素(CO2)濃度の増加への対策に、国際社会が取り組んでいます。この大気CO2濃度の急増は、これまでに類を見ないものだとされています。 一方、恐竜の繁栄した中生代は、現在(約400ppm)よりも数倍も大気CO2濃度が高く、気候も現在より温暖であったことが知られています。では、大気CO2濃度は、これまでにどのように変わってきたのでしょうか? 過去の大気CO2濃度を調べる方法はいくつか知られています。最も信頼できるのは、南極などの氷の中に泡として残されている空気のCO2濃度を調べる方法です。その結果、大気CO2濃度が10万年周期で約200ppmと300ppmのあいだを繰り返してきたことがわかっています。この10万年周期の要因として、地球の軌道が変わって、地球が受ける日射量やその分布が変わる「ミランコビッチ・サイクル」が挙げられます。 [caption id="attachment_5263" align="aligncenter" width="600"] ミランコビッチ・サイクル。太陽と木星や火星などの惑星の重力相互作用により、地球軌道は変化する[/caption]

地球軌道が少し変わると、地球環境が大きく変わる:ミランコビッチ・サイクル

地球は太陽からの日射で温められているので、日射量が変われば地球の気候も変わります。太陽と木星や火星などの惑星の重力相互作用により、地球の自転軸は、22度から24.5度くらいのあいだを4万年周期で変化します。また自転軸の方向も現在の北極星から、織り姫星として知られる琴座のベガへと約2万年周期で変わります(歳差運動)。そのため、太陽に近い時期/遠い時期の季節が変わり、季節性が変化します。さらに、太陽の周りを地球が回る軌道の形も、10万年、40.5万年、200万年〜数1000万年といった周期で変化します(離心率変動)。これらにともなって、季節性がさらに変化します。これらの地球軌道変化の周期を「ミランコビッチ・サイクル」といいます。 この結果として、北緯65度の夏の日射量が変動し、氷床の拡大-縮小を引き起こした、という理論を、提案者の天文学者の名前にちなんでミランコビッチ理論と呼びます。日射のわずかな変化に氷床量が、大きく変化し、海洋循環や生態系が大きく変わった結果、大気CO2濃度や気温をはじめ、地球環境が大きく変動したと考えられています。

さらに過去の地球環境を復元する

地球軌道は地球の誕生以降、絶え間なく変わってきましたが、氷から復元できる過去の気候は、100万年程度しか遡ることはできません。さらに古い時代を調べるには、地層に残された化石や化学組成から推定する方法があります。その方法のひとつに、大気・海洋・陸域・岩石圏などにおける物質のやり取り、特に岩石の風化を考慮して、過去の大気CO2濃度を算出する数値モデルGEOCARBがあげられます。これは、大気CO2濃度が、数十万年程度の地質学的時間スケールにおいては、風化により大気から除去される速度(特に、ケイ酸塩岩CaSiO3が風化し、石灰岩CaCO3として堆積する速度;下図黄色部)に強く影響されるからです。 [caption id="attachment_5264" align="aligncenter" width="600"] 地質学的時間スケールの炭素循環と、深海チャートに記録されたシリカ循環[/caption] 風化によるCO2の除去は、気候の安定化に重要な役割を担っています。たとえば、何らかの要因で温暖化した場合、気温や降水量等が増加し、風化が進むことで大気CO2濃度を低下させ、地球温暖化を抑制する、という安定化機構、負のフィードバックが働くと考えられています。 このような関係を考慮することで、過去の大気CO2濃度が計算できます。しかし、グローバルな風化速度を、地質記録から直接見積もることは困難で、過去の風化速度やその変化要因については、大きな不確定性がありました。

大陸の風化を、深海から探る

私たちは、日本にも広く分布する、中生代の深海に堆積した地層、チャートが過去の風化速度の指標になるのではないか、と考えました。なぜなら、深海チャートは最近ブラタモリでも話題の、放散虫起源のシリカで構成され、大陸の風化によって海洋へと供給される溶存シリカの主要な除去プロセスだった可能性があるためです(上図青色部)。これが実証できれば、全球的な風化速度を推定する新しい手法を提案できるかもしれません。 しかしながら、どれほどの生物源シリカが深海に堆積したのかは、不明でした。そこで私たちは、日本や世界各地に堆積した生物源シリカの堆積速度を推定しました。その結果、当時の赤道域に堆積した生物源シリカは、現在の全海洋の9割分にも相当することが明らかになりました。さらに、得られた生物源シリカ堆積速度の時系列データは、GEOCARBモデルで計算した大陸風化速度と同じ変動パターンを示しました。これらの結果から、全球的な風化速度変動を深海チャートから推定できる、と提唱しました。 [caption id="attachment_5272" align="aligncenter" width="600"] 2億年前の古地理図。メガ・モンスーン地域は年〜数1000万年スケールで変動する[/caption] 深海チャートは、ミランコビッチ・サイクルに伴う環境変動も記録しています。チャート1層は、化石記録によると平均約2万年で堆積し、歳差運動の周期と一致しています。また、チャートの厚さ(2万年間の生物源シリカの堆積速度≒全球的な風化度)は、10万年、40.5万年、200万年〜数1000万年といった離心率変動の周期が卓越します。特筆すべきは、その振幅が日射量変動に比べて有意に大きい点です。よって、何らかのメカニズムで、日射の影響が増幅された可能性があります。

増幅メカニズムとしての、超大陸パンゲアのメガ・モンスーン

現在より温暖な三畳紀には、氷床の証拠がなく、ミランコビッチ理論をそのまま適応できません。一方、日射が影響を与えるのは、氷床だけでなく、海と陸の暖まりやすさの違いによって引き起こされる、季節的な風向きの変化「モンスーン」が挙げられます。特に夏のモンスーンは、日本の梅雨のような雨期をもたらします。 三畳紀はすべての大陸が合体した超大陸パンゲアが存在し、大規模な「メガ・モンスーン」が発生しました。このメガ・モンスーンの強度が、ミランコビッチ・サイクルによって、さらに大きく変動します。その結果、内陸に広がった乾燥域にも一時的に大雨が降り、一気に風化が促進されることで、非線形的に風化速度が変動し、深海チャートの厚さの変化として記録されている可能性があります。 中生代は、大気CO2濃度が現在の数倍以上に及ぶ高濃度だったと推定されています。特に、三畳紀は恐竜や翼竜、魚竜や首長竜などが進化、繁栄し始めた時代です。この時代の風化の強弱を、一目盛り2万年という「ものさし」で測ることができました。今回の結果を、他地域の古環境記録、化石記録と比較検討することで、大気CO2濃度や地球環境、生態系に、日射量変動が与えた影響を突き詰めて行きたいと考えています。   参考文献 Ikeda, M., Tada, R., & Ozaki, K. (2017) Astronomical pacing of the global silica cycle recorded in Mesozoic bedded cherts. Nature Communications 8, 11532. Ikeda, M., & Tada, R., (2014) A 70 million year astronomical time scale of the deep-sea sequence (Inuyama, Japan): Implication for Triassic-Jurassic geochronology. Earth and Planetary Science Letters, 399, 30-43. 多田隆治, (2013) 気候変動を理学する ― 古気候学が変える地球環境観.みすず書房]]>
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酵素を“1分子ずつ”狙った場所に配置する - 多段階反応を効率的に進行させる分子コンビナートをつくる https://academist-cf.com/journal/?p=5281 Fri, 14 Jul 2017 01:00:07 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5281 概要図:3種類の酵素を配置した分子コンビナート[/caption]

研究の背景

細胞の中では、タンパク質をはじめとしたさまざまな分子が混在しています。しかし、いくつかの酵素は、さながら原料から各種の化成品を効率的に生産するコンビナートのように、整然と並んで化学反応を連続して進めることが知られています。この「分子コンビナート」を細胞の外で構築することができれば、効率のよい物質生産システムとして利用することができるでしょう。分子コンビナートを細胞の外で構築するためには、段階的な反応が効率よく連続して進むように、ナノメートルのサイズの異なった種類の酵素を1分子ずつ、決まった場所に並べることが必要です。これは簡単なことではありませんが、それぞれの酵素を決まった位置に高い精度ではめ込むことができる足場があれば、実現の可能性はぐっと増してきます。私たちはDNAでつくるナノ構造体「DNAオリガミ」を、その足場として利用してきました。DNAオリガミは、さまざまな形のナノ構造体を自在に設計して構築することができるだけでなく、そのナノ構造体上の狙った場所に決まった配列のDNAを導入して番地をふることができます。このDNAの番地を見分けて、酵素を運ぶ案内役があれば、狙った場所に酵素を配置することができるようになります。そのために私たちが開発したのが、DNA結合タンパク質を利用した「アダプター」です。

DNA結合性アダプター - DNAナノ構造体に酵素を1分子ずつ配置する技術

これまでにも酵素をDNAナノ構造体に配置する方法は報告されていましたが、狙った場所に、迅速かつ高い割合で酵素を配置する技術はありませんでした。私たちはすでにDNA結合性アダプターを開発していましたが、その性能をさらに向上させた「モジュール型アダプター」を開発したことで、DNAオリガミ上の決まった番地に、短時間でほぼ100%の割合で酵素を安定に配置できるようになりました。このモジュール型アダプターは、特定の基質とのあいだに共有結合を形成するタグタンパク質とDNA結合性タンパク質を融合したものです。DNA結合性タンパク質が番地のDNA配列を読み取り、タグタンパク質がDNA番地に導入された基質と速やかに共有結合を形成して、高い割合で狙った場所に酵素を安定に配置することができます。しかし、1種類のモジュール型アダプターだけでは、いくつもの種類の酵素を狙った場所に配置することはできません。分子コンビナートの創製のためには、いくつもの種類のモジュール型アダプターを開発する必要がありました。 [caption id="attachment_5285" align="aligncenter" width="600"] モジュール型アダプター(MA)を融合した酵素をDNAオリガミ上に配置する[/caption]

モジュール型アダプターの拡充

モジュール型アダプターを構成するDNA結合性タンパク質とタグタンパク質を、それぞれ3種類ずつ用意し、それらを組み合わせた9種類のモジュール型アダプターを設計しました。それらのなかから、狙った番地だけに、迅速かつ100%近くの収率で安定に配置される3種類のモジュール型アダプターを選びました。実際にDNAナノ構造体上の番地に配置されたモジュール型アダプターを原子間力顕微鏡で観察すると、3種類のモジュール型アダプターは、それぞれ90%以上の収率でDNAナノ構造体の、あらかじめ決められた番地に配置されていました。また、モジュール型アダプターが、どの番地に近づきやすいのか、そして、決められた番地に安定に配置される速度を解析することによって、決められた番地にのみ安定に配置できるモジュール型アダプターの設計原理を見出しました。これにより、今後は、あらかじめ設計して、モジュール型アダプターの種類を増やすことが可能になります。 [caption id="attachment_5286" align="aligncenter" width="600"] DNAオリガミにモジュール型アダプター(MA)融合酵素を配置した際の原子間力顕微鏡(AFM)画像(スケールバーは、200nmをあらわす)[/caption]

分子コンビナートの構築

新たに開発したモジュール型アダプターを利用して、キシロースからキシリトール、キシリトールからキシルロース、そしてキシルロースからキシルロース-5-リン酸への代謝反応を触媒する3種類の酵素を並べた「分子コンビナート」を構築しました。 [caption id="attachment_5287" align="aligncenter" width="600"] DNAオリガミ上に連続する代謝反応を触媒する3種類の酵素(XR, XDH, XK)を配置した「分子コンビナート」(※ZS, G, ACはモジュール型アダプターの名称)[/caption] まず、それぞれの酵素に別々のモジュール型アダプターを融合しました。そして、各モジュール型アダプターに合わせた番地を導入したDNAナノ構造体に3種類の酵素を配置しました。分子コンビナートの3段階の酵素反応による生成物の収率を、同じ濃度の酵素を単に混ぜ合わせた場合と比較しました。その結果、DNAナノ構造体上に3種類の酵素を配置した分子コンビナートでは、単に混ぜ合わせた場合よりも3段階の酵素反応が効率よく進行しました。それぞれの酵素を約10nm間隔に配置すると、約50nm間隔で配置したときに比べて、さらに効率よく3段階酵酵素反応が進行しました。このことから、複雑な3段階の酵素反応においても、反応の効率をあげるためには酵素の空間配置が重要であることがわかりました。 [caption id="attachment_5288" align="aligncenter" width="600"] (左・中) 約10nmと約50nmの間隔で酵素を配置できるDNAオリガミの模式図。(右)3段階目の酵素反応で生成するADP量を比較して、3段階の酵素反応の効率を比較評価した結果[/caption]

今後の展望

モジュール型アダプターの種類を増やすことにより、DNAナノ構造体を足場として、3種類の酵素を1分子ずつナノメートル精度の距離で並べることができるようになりました。本研究の成果を応用して、モジュール型アダプターの種類をさらに増やすことによって、より複雑な多段階反応が効率よく進行する「分子コンビナート」をつくることができます。また、単に複数の酵素を混ぜ合わせただけでは進行しない、不安定な中間体を含む多段階反応も「分子コンビナート」では実現できると期待できます。さらに、細胞内の連続する代謝反応を効率よく細胞の外で再現するだけでなく、生物にはできない反応を組み合わせた人工代謝反応を実現することも可能だと考えています。   参考文献 E. Nakata, F. F. Liew, C. Uwatoko, S. Kiyonaka, Y. Mori, Y. Katsuda, M. Endo, H. Sugiyama, T. Morii Angew. Chem. Int. Ed. 2012, 51, 2421. T. A. Ngo, E. Nakata, M. Saimura, T. Morii J. Am. Chem. Soc. 2016, 138, 3012. T. M. Nguyen, E. Nakata, M. Saimura, H. Dinh, T. Morii J. Am. Chem. Soc. 2017, 139, 8487.]]>
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パーキンソン病の病因に迫る − αシヌクレインの神経伝達に対する毒性とそのメカニズム https://academist-cf.com/journal/?p=5295 Tue, 18 Jul 2017 01:00:04 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5295 パーキンソン病とαシヌクレイン パーキンソン病は世界で約1千万人の人々が罹患している神経疾患で、日本では1000人に1〜1.5人、60歳以上では100人に1人が発症していると言われています。この病気は制御不能なふるえ、姿勢保持障害、動作緩慢などの進行性の運動機能障害を特徴とし、中枢神経細胞、特に中脳の黒質ドーパミン神経細胞の機能障害、次いで神経変性、細胞死が原因で発症します。 しかしその発症原因はまだわかっておらず、根治療法もありません。研究者は長年、病因の解明と治療法の開発に取り組んできましたが、1990年代にαシヌクレインというタンパク質の過剰発現がパーキンソン病の発症に関わっていることが明らかになりました。αシヌクレインは主に脳の神経細胞に発現するタンパク質で、特に神経細胞の軸索終末端に局在する機能不明のタンパク質です。パーキンソン病は神経細胞に過剰に発現したαシヌクレインが凝集・蓄積し、神経変性や細胞死を引き起こすことで発症すると考えられています。

神経伝達と小胞エンドサイトーシス

神経細胞間の情報伝達は、シナプスと呼ばれる神経細胞どうしの接点で行われます(シナプス伝達)。神経細胞の電気信号である活動電位が神経軸索終末端に到達すると、終末端から神経伝達物質が放出されます。隣接する神経細胞(後シナプス細胞)は放出された伝達物質を受容し、電気信号に変換して次の神経細胞へと情報を伝達します。神経伝達物質は軸索終末端内のシナプス小胞と呼ばれる小さな袋に収納されており、この小胞が終末端膜と融合して開口することによってシナプス間隙(終末端と後シナプス細胞との隙間)へと放出されます。開口放出の後、終末端膜に融合したシナプス小胞は末端内に取り込まれ、新たなシナプス小胞として再利用されます。この融合した小胞の取込過程を小胞エンドサイトーシスと呼びます。小胞エンドサイトーシスが阻害されると、消費したシナプス小胞の再生・補充が間に合わなくなり、シナプス小胞が枯渇してシナプス伝達の効率が落ちてしまいます。 [caption id="attachment_5291" align="aligncenter" width="600"] シナプス伝達とシナプス小胞エンドサイトーシス
(右)神経細胞どうしの接合部をシナプスと呼ぶ(点線丸部分)
(左)神経伝達物質放出の模式図。シナプス小胞が軸索終末端膜に融合することで小胞内の伝達物質が放出され、後シナプス細胞の受容体によって検出される。融合したシナプス小胞は末端内に取り込まれ、伝達物質の再充填を経て新たな小胞として再生される[/caption] αシヌクレインは通常、軸索終末端に局在していますが、パーキンソン病の初期にαシヌクレインが過剰発現すると、軸索終末端のシナプス伝達機能に何らかの影響を与えることが考えられます。そこで我々は、αシヌクレインをラット脳切片の軸索終末端に注入して、小胞エンドサイトーシスやシナプス伝達にどのような影響があるのかを検討しました。

過剰なαシヌクレインは神経伝達を阻害する

軸索終末端の機能を測定するためには、ガラス管電極を用いたパッチクランプ記録法を行います。ガラス管の先端を細くのばして作った電極内には、神経細胞の細胞質成分を模した溶液(細胞内液)を充填しておき、導線(塩化銀コートされた銀線)をつなぎます。このガラス電極を軸索終末端に押しつけると、終末端の細胞膜がガラスに密着して、シールします。ここで陰圧をかけて細胞膜を破ることで、ガラス電極と終末端内とを物理的・電気的につなぎ、終末端の電気信号を記録することができます。この電気信号は非常に微弱なため、専用の増幅装置(パッチクランプアンプ)を用いて増幅し、パソコンに記録します。 小胞エンドサイトーシスの観察には、パッチクランプ法を応用した膜容量測定法を用います。細胞膜は電気的には、細胞内外の電解質溶液を仕切る絶縁体のため、コンデンサーとして働きます。コンデンサーは電荷を充放電する特性を持ち、その電気容量は絶縁体の面積に比例します。したがって、細胞膜面積の変化は電気容量(膜容量)の変化として記録されます。膜容量は、実際には、正弦波状の電位変化を細胞膜(軸索末端膜)に与え、測定される電流を専用の測定装置を通すことで記録します。 [caption id="attachment_5292" align="aligncenter" width="600"] 軸索終末端からの電気記録(パッチクランプ法)と膜容量測定法
(右)マウス脳幹スライス上のシナプスからの記録の様子。中央の丸い部分が後シナプス細胞(台形体内側核神経)で、右に見える巨大軸索終末端(calyx of Heldシナプス)からガラス電極を用い電気記録を行っている。αシヌクレインはガラス電極を通して終末端内に注入した
(左)膜容量測定法の模式図。シナプス小胞が終末端膜に融合すると膜表面積が増え、膜容量も増える。融合した小胞が小胞エンドサイトーシスにより取り込まれると、膜表面積が減り膜容量も減る。膜容量測定法により膜容量の変化を測定し、小胞の融合・取込過程をモニターすることができる[/caption] αシヌクレインを数マイクロモル(μM)程度に細胞内液に溶かしてガラス電極に充填し、軸索終末端内に拡散注入すると、小胞エンドサイトーシスの速度が遅くなることがわかりました。小胞エンドサイトーシスの遅延はシナプス小胞の再利用を遅らせます。そのため、シナプス伝達が高頻度で長時間にわたる場合、シナプス伝達の精度が維持されなくなります。実際、αシヌクレインの軸索終末端内注入によってエンドサイトーシスが抑制されると共に、高頻度伝達の精度が損なわれることが明らかになりました。高頻度・高精度のシナプス伝達は知覚認知、記憶形成、運動制御などに関わることから、パーキンソン病の初期に軸索末端内のαシヌクレイン濃度が上昇すると、これらの神経機能が損なわれることが推定されます。

過剰αシヌクレインの毒性メカニズム

軸索末端内で増加したαシヌクレインは、どのように小胞エンドサイトーシスを阻害するのでしょうか。さらなる研究の結果、αシヌクレインが微小管の過剰形成を起こすことがわかりました。微小管は細胞骨格分子のひとつで、細胞の形を維持するだけでなく、細胞内小器官(ミトコンドリア、シナプス小胞など)の輸送路でもあります。我々は軸索末端内に微小管の形成を抑える薬物(ノコダゾールなど)を注入することで、過剰なαシヌクレインの小胞エンドサイトーシスや高頻度シナプス伝達に対する毒性を抑えることに成功しました。したがって、αシヌクレインによって微小管が軸索末端内で過剰に形成されることにより、小胞エンドサイトーシス機構が阻害されると考えられます。 [caption id="attachment_5293" align="aligncenter" width="600"] 過剰αシヌクレインによるシナプス伝達への毒性メカニズム
過剰なαシヌクレインは軸索終末端内での微小管の異常形成を引き起こし、これがシナプス小胞エンドサイトーシスを阻害する。小胞エンドサイトーシスの阻害はシナプス小胞の再生を遅らせ、結果高頻度シナプス伝達の効率が下がる[/caption]

今後の展望

神経細胞内でのαシヌクレインの過剰発現は、パーキンソン病の初期段階に起こっていると考えられています。過剰なαシヌクレインはいずれ神経細胞を死に至らしめ、運動機能障害などの症状を引き起こします。そのため、現在、パーキンソン病の治療方法は、いかに神経細胞死を抑え、変性、死滅した神経細胞の機能をいかに補うかに傾注しています。今回、過剰発現したαシヌクレインは神経変性・細胞死に先立ってシナプス伝達機能に影響を及ぼすことが明らかとなりました。この研究成果を治療法の開発に結びつけるためには、αシヌクレインによる微小管の異常形成が小胞エンドサイトーシスを妨げるメカニズムを明らかにする必要があります。今回の研究で、パーキンソン病における過剰αシヌクレインの第一標的と、毒性メカニズムが明らかになったことは、新たな治療法の開発につながる成果と考えられます。   参考文献 Eguchi K, Taoufiq Z, Thorn-Seshold O, Trauner D, Hasegawa M, Takahashi T. (2017) Wild-type monomeric α-synuclein can impair vesicle endocytosis and synaptic fidelity via tubulin polymerization at the calyx of Held. J Neurosci 37(25): 6043-6052.]]>
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ペットはなぜ飼い主に近づくのか? - 人に近づく性質の遺伝的なしくみ https://academist-cf.com/journal/?p=5300 Wed, 19 Jul 2017 01:00:57 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5300 自ら人に近づくマウスをつくる 私たちが所属する国立遺伝学研究所には、多くの種類のマウスが飼育されています。私たちはこれらのマウスのうち、日本、カナダ、ブルガリア、デンマーク、フランスなど世界8か国から収集された野生マウスに由来するマウス系統を用いました。マウス系統とは、兄妹交配などを経て、遺伝的に近交化されたマウスのことで、同じ系統のなかでは互いに遺伝的に同一です。私たちが選んだマウス系統は、世界各地に起源をもつため、それぞれの地域特有の遺伝子を持っています。それらの8種類のマウスを親系統として交配することで、遺伝的に膨大な多様性を持つマウス集団(野生由来ヘテロジニアスストック)を新たに作りました。こうした大きな遺伝的多様性をもつ集団では、それぞれの個体が異なった遺伝子セットをもっているため、個体ごとに行動が違っています。こうしたマウスの個体間の違いにより、人に近づきやすいマウスとそうでないマウスが生まれてくるのです。 私たちのこれまでの研究で、人に近づく性質は遺伝することがわかっています。そのため、人に近づきやすいマウス同士を交配させ続けると、その子孫は人により近づく傾向になると考えられます。私たちは実際に、野生由来ヘテロジニアスストックを用いて、自ら人に近づきやすいマウスを選び、それらをさらに交配させるという選択交配実験を繰り返し、高い能動的従順性を示すマウスの集団を作ることに成功しました。 能動的従順性についての選択交配実験の過程で、これらのマウスの遺伝子の総体、つまりゲノムは、その選択交配の影響を受けて特定の系統に由来する遺伝子のタイプが選ばれていると考えられます。そのため、これらのマウスのゲノムを詳しく調べることで、能動的従順性に関わるゲノム領域を知ることができるのです。私たちは次に、選択交配実験を行ってきたマウスのゲノム情報を使って解析を行いました。 [caption id="attachment_5302" align="aligncenter" width="600"] 野生由来ヘテロジニアスストックの作製。上図は、それぞれのマウス系統の祖先の由来を示す。右上のMSM系統は、日本の静岡県三島市で捕獲されたマウスに由来するマウス系統である。下図は、作成過程の模式図である。8つのマウス系統の遺伝子組成(ゲノム)が世代を経るに従ってモザイク状に組み合わさっていき、行動や形態に個体差が生まれる[/caption]

ゲノムを調べる

能動的従順性が高いマウスは、そのほかのマウスと比べ、能動的従順性が高くなるような遺伝子のタイプを持っていると考えられます。選択交配実験によって、ある親系統由来の遺伝子のタイプを持つマウスが選ばれ、子孫が残ってきているはずです。そのため、能動的従順性を高める遺伝子のタイプは、ほかの親系統に由来する遺伝子タイプに比べて相対的に多くなっているはずです。そうした遺伝子タイプの偏りがあるゲノム領域を見つけることができれば、そのゲノム領域が、能動的従順性に関わっていると考えられます。 そこで私たちは、集団のもとになった8つの親系統のゲノム情報と、選択交配実験を行った家系図の情報を使って、コンピューターシミュレーションを行いました。このシミュレーションは、それぞれのゲノム上の位置で、遺伝子タイプがひどく偏っているゲノム領域を知るために行いました。このシミュレーションの結果、11番染色体上の一部の領域で遺伝子タイプの顕著な偏りが存在することがわかりました。その領域では、日本産の野生マウスを祖先とするMSM系統に由来する遺伝子タイプが顕著に多くなっていることがわかりました。また、さらなるゲノム解析により、その領域の内側にある2つの領域(ATR1とATR2)が、能動的従順性と関係していることがわかりました。この領域のなかには能動的従順性に影響しうる遺伝子が複数見つかったため、実際にどの遺伝子が能動的従順性に影響するかを示すためには、さらなる実験が必要です。 マウスで能動的従順性に関係するゲノム領域を見つけることができましたが、この領域は他の動物種でも従順性に影響するのでしょうか? そのことを調べるために、高い能動的従順性を示す動物であるイヌを対象として、さらに研究を進めました。

イヌの家畜化との関係

イヌは人類が最初に家畜化した動物とされ、その歴史は1万年以上とも言われています。そのため、おそらくイヌのゲノム上にも、長い家畜化の影響が残っています。これまでに、多くの研究者がイヌの家畜化に関係するゲノム領域を明らかにしてきました。オオカミでは見られない能動的従順性がイヌで見られるという事実は、イヌの家畜化の過程で、高い能動的従順性をもつ個体が選ばれてきた結果だと考えられます。 私たちのマウスを使った研究で発見した2つのATR領域は、イヌの家畜化や従順性にも影響しているのでしょうか? そのことを調べるために、これまでに他の研究者が報告している研究データを用いて、マウスとイヌのゲノムを比較しました。 その結果、マウスのATR領域と相同なイヌのゲノム領域では、イヌの家畜化の過程でも強い選択圧を受けていることが明らかになりました。また、この領域内には、脳内のセロトニン量調節に関わるセロトニントランスポーターをつくる遺伝子Slc6a4が存在しており、この遺伝子の関与が示唆されます。また、別の研究者は、セロトニンがイヌの攻撃行動に影響していることを報告していますが、従順性は攻撃行動とも関係が深いことから、この領域がイヌの従順性に影響している可能性があります。 これらの結果から、私たちが行ったマウスの実験によって明らかになった能動的従順性に関係するゲノム領域は、イヌの家畜化、さらにはイヌの従順性にも影響しうるゲノム領域だと考えています。今後は、まだ家畜化に成功していない動物や、より高い能動的従順性が求められるペットや畜産動物に対して研究を進めることで、新たな家畜や効率的な育種への応用が期待できます。 [caption id="attachment_5303" align="aligncenter" width="600"] マウスの選択交配実験とイヌの家畜化の比較。私たちが選択交配とゲノム解析によって見つけた11番染色体上の領域は、イヌの家畜化で影響を受けてきた領域と相同だった[/caption]   参考文献 Yuki Matsumoto, Tatsuhiko Goto, Jo Nishino, Hirofumi Nakaoka, Akira Tanave, Toshiyuki Takano-Shimizu, Richard F Mott, Tsuyoshi Koide. 2017. Selective breeding and selection mapping using a novel wild-derived heterogeneous stock of mice revealed two closely-linked loci for tameness. Scientific reports. 7, Article number: 4607 後藤達彦、松本悠貴、田邉 彰、小出 剛. 2015. 動物の従順性行動に関する遺伝解析-家畜化に関わる遺伝子座の探索-. 動物遺伝育種研究. 43:3-11. Tatsuhiko Goto, Akira Tanave, Kazuo Moriwaki, Toshihiko Shiroishi, Tsuyoshi Koide. 2013 Selection for reluctance to avoid humans during the domestication of mice. Genes Brain Behavior 12: 760–770.]]>
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ドーナッツ状タンパク質に指揮されるDNA合成反応 https://academist-cf.com/journal/?p=5314 Thu, 20 Jul 2017 01:00:42 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5314 DNA複製装置「レプリソーム」と複製メカニズムに潜む柔軟性 ゲノムDNAはとてつもなく長く連なった塩基対のDNAからなり(ヒト:約35億、酵母:1200万塩基)、それをコピーする作業には精巧なシステムが必要です。「レプリソーム」という多くのタンパク質からなる装置によって、連続的な長い鎖であるDNAをコピーする作業が行われます。レプリソームには2つのエンジンとなる分子があります。ひとつはヘリカーゼ(螺旋を意味するヘリックスに由来)と呼ばれる分子で、ジッパーを開くようにDNAの二重螺旋を2つの1本鎖へと解きほぐし、「複製フォーク」を進行させます。もうひとつは、DNAの1本鎖を鋳型として、新しいDNA鎖を合成するDNAポリメラーゼです。これらの分子が連動して働くことにより、長いDNA鎖の複製が効率的に行われます。 [caption id="attachment_5310" align="aligncenter" width="600"] DNA複製フォークのモデル図。ヘリカーゼによって開かれた一本鎖領域において、一方の鋳型上でDNAポリメラーゼε(イプシロン)がリーディング鎖合成を行う。もう一方では、DNAポリメラーゼα(アルファ)が伸長鎖の元となる短い鎖を合成し、その下流でDNAポリメラーゼδ(デルタ)がラギング鎖合成を行う[/caption] これらの2つの酵素が連動して働くという点では、1点複雑な事情があります。DNAポリメラーゼは新しいDNA鎖の一方の末端(3‘末端)のみを伸ばすことができます。しかし、ヘリカーゼによって解きほぐされた2つの1本鎖DNAは、お互いに逆方向の関係になり、その方向に沿ってDNA鎖が伸長されます。よって、複製フォークの進行に対して、同方向の連続的な合成(リーディング鎖合成)、反対向きの不連続な合成(ラギング鎖合成)の繰り返しが行われます。この不連続な合成で生じる小さなDNA断片は、発見者岡崎令治博士にちなみ「岡崎フラグメント」と呼ばれます。 レプリソームの構造は柔軟なものであり、ヘリカーゼによる複製フォークの進行とDNA合成が乖離してしまうこともあります。特に、DNAの構造が損傷した場合には、DNA合成の反応が停止し、その結果として、DNA損傷の部分を鋳型とする合成を後回しにしつつ、DNA複製が行われることがあります。また、ヒト細胞を含む真核生物のレプリソームは、大腸菌などの細菌のものほど強固なものではないと考えられています。そのような意味で、DNAポリメラーゼによる合成反応がDNA複製フォークの後方で自律的に機能することが必要であり、それを制御するために、「複製クランプ」が重要な役割を果たします。

ドーナツ状分子DNA複製クランプがDNA合成の現場監督として働く

DNA複製に必要なDNAポリメラーゼなどの複製に関わる酵素の多くは、複製クランプという分子を介して、DNAと相互作用をします。複製クランプはドーナッツ状の構造をとり、RFCと呼ばれるクランプローダー分子によって、生体エネルギー依存的にその輪が開かれ、DNA上に載せられます。DNA上のクランプDNAは糸に通した輪のように移動可能であり、複製クランプと共にDNAを合成する酵素(DNAポリメラーゼ)がスライドし、スムーズなDNA合成が行われます。これは、細菌から真核生物までに保存される仕組みです。真核生物の場合は、PCNA(Proliferating Cell Nuclear Antigen)と呼ばれます。もともと、よく増殖する細胞の核に多く存在するタンパク質として発見されたため、このような名前になっています。 PCNAは単にDNAポリメラーゼなどの酵素の働きを助けるだけでなく、DNA合成が滞ったときなどに、必要なタンパク質をその場に呼び込む役割もあります。DNA合成が滞った場合は必然的に、DNAポリメラーゼの前方に鋳型となる短鎖DNAがむき出しになり、それがきっかけで、PCNAがユビキチンという小さな分子の修飾を受けます。ユビキチン化は本来、タンパク質を分解するための指標となる現象ですが、この場合は、ユビキチン化したPCNAがDNAの損傷部位に留まり、DNA損傷を乗り越えて合成を行えるDNAポリメラーゼの足場となります(以下の図中(i))。 我々の研究グループは、DNA損傷に対処する仕組みに加えて、PCNAのユビキチン化が岡崎フラグメントの合成を補助する仕組みであることを提唱しました(以下の図中(ii))。まず、「PCNAのユビキチン化がDNA合成を行っている細胞で自然と起きる現象であり、DNA合成の効率的な完了に関わるファクターであること」を示しました。また、ユビキチン化PCNAのDNA複製システムにおける役割を解析した結果、PCNAがユビキチン化によりDNA鎖上に留まりやすくなることを示し、その結果、PCNAとラギング鎖合成をおこなうポリメラーゼPolδ(デルタ)が複製の場にアクセスしやすくなることを示しました。ラギング鎖合成が滞り短鎖DNAの鋳型が残存している場合に,PCNAユビキチン化を介して Polδの機能を増強していると考えられます。岡崎フラグメントは100塩基ほど短い鎖であり、1回のゲノム複製で酵母の場合は約十万回、ヒトの場合は数千万回、その合成が繰り返されます。その際に起きうるエラーを防ぐために、PCNAの修飾によるDNA合成の現場を自律的に指揮する仕組みが意義を持つのでしょう。

最後に

「DNA複製は間違いなく行われるべき」ということが最重要事項であると考えられがちですが、正確無比なシステムだけではさまざまなトラブルに対応できません。そのような点で、複製クランプの修飾は、システムに変化を与える要素であると考えられます。DNA複製は一度走り出したら最後まで走りぬかなければならない電車のようなものです。走りながらでも自己を補正できる分子メカニズムが今後も、明らかにされるでしょう。ゲノムサイズが大きいヒト細胞では、ひとつの複製装置が長大な領域を合成するため、ゲノム上のさまざまな構造や特徴の影響が大きくなると考えられ、より柔軟なDNA複製機構が存在すると予想されます。今後はDNA複製のモデル生物である出芽酵母、分裂酵母に加えて、ヒト細胞などでの研究が進展し、がん細胞、幹細胞などの活発に増殖する細胞でのDNA複製機構を理解するうえで重要な知見が得られると考えられます。   参考文献 Y. Daigaku, T.J. Etheridge, Y. Nakazawa, M. Nakayama, A.T. Watson, I. Miyabe, T. Ogi, M.A. Osborne, A.M. Carr . PCNA ubiquitylation ensures timely completion of unperturbed DNA replication in fission yeast. PLoS Genet 13(5): e1006789, 2017 Y. Daigaku, Roadworks of DNA Damage Bypass during and after Replication, Genes and Environment. 34, 77-88, 2012 (総説) Y. Daigaku, A. A. Davies and H. D. Ulrich, Ubiquitin-dependent DNA damage bypass is separable from genome replication., Nature. 465, 951-955, 2010  ]]>
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【イベント情報】浦環 博士vs 高井研 博士のトークバトル開催! https://academist-cf.com/journal/?p=5317 Tue, 18 Jul 2017 04:00:01 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5317 【academistプロジェクト】海底に突き刺さった潜水艦は伊58か? [caption id="attachment_5065" align="aligncenter" width="600"] 海底に突き刺さる巨大潜水艦。「伊58」と考えられる[/caption] 「地球最後のフロンティア「深海」に研究者は何を見る?」と題した今回のイベントでは、浦先生と同じく深海探査に携わり、インド洋の深海からウロコフネタマガイ(スケーリーフット)を採取した経験ももつ海洋研究開発機構(JAMSTEC)の高井研博士とともに、深海探査の奥深さ、そして困難さに迫っていきます。ぜひご参加ください! ---------------------- 海の日記念 サイエンストーク:地球最後のフロンティア「深海」に研究者は何を見る?〜魅惑の深海探査の謎にせまる〜 日程:2017年7月26日 13:30~15:30 場所:東京大学生産技術研究所中セミナー室(An棟4階401-402) 料金:無料 定員:100名 登壇者:浦環 博士(一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会 代表理事)、高井研 博士(海洋研究開発機構 深海・地殻内生物圏研究分野 分野長) 詳細・申し込みは下記URLよりお願いいたします。 https://peraichi.com/landing_pages/view/i58 ---------------------- また、本バトルトークはニコニコ生放送で放送する予定です。当日ご参加できない方はぜひこちらをご覧ください。]]> 5317 0 0 0 古文書を翻刻し、新しい江戸時代史像を描き続けたい! - 東海大学の歴史学者がクラウドファンディングに挑戦 https://academist-cf.com/journal/?p=5326 Tue, 18 Jul 2017 08:00:07 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5326 古文書を翻刻し、新しい江戸時代史像を描き続けたい!」がスタートしました。 馬場教授は、江戸時代に小田原城の城主であった大久保家に注目した研究を進めています。小田原藩は、箱根の関所に代表されるように、関東の西の入口を守る役割を担っていた譜代藩で、大久保家は幕府老中を輩出した名門の家柄です。そのため、幕府と藩との関係はもとより、東海道という交通に関わる問題や、幕末維新の動乱といった時代の影響をダイレクトに受けてきました。また、大地震や富士山の噴火といった大災害に見舞われるなど、予期せぬ事態にも巻き込まれました。小田原藩の歴史は、これらに対応するための改革の歴史であるといっても過言ではないのですが、残念ながら小田原藩そのものの史料は、ほとんど残されていません。したがって藩士の家や農村に残った史料などから、復元していくしかないのです。 そこで馬場教授は、「吉岡由緒書」に注目しました。これは、小田原藩の中堅藩士であった吉岡家が、寛永19年に大久保家に仕官して以降、明治4年の廃藩置県に至るまでの230年、9代にわたって書き綴られた小田原藩の一大記録です。これを翻刻して世に問うことができれば、小田原藩だけでなく、幕政史、そして江戸時代史像そのものを問い直すことができるはずです。 今回のクラウドファンディングでは、吉岡由緒書翻刻のための研究資金を募るだけではなく、翻刻のように地味で根気のいる仕事が大切であることを広く伝える機会にすることを目指しています。ご支援いただいた方々へのリターンとして、「研究報告書と古文書ハンドブック(5,000円)」や「特別講演会参加券(10,000円)」、「現物の古文書を読み解こう!研究体験会参加権(30,000円)」など、歴史学ならではのさまざまな特典が用意されています。 【募集期間】2017年07月12日〜2017年09月12日 【支援サイト】academist(アカデミスト) 【お問い合わせ】info@academist-cf.com]]> 5326 0 0 0 「古文書を読める人をもっと育てたい」 - 東海大・馬場弘臣教授が考える歴史研究の意義とは https://academist-cf.com/journal/?p=5330 Fri, 21 Jul 2017 01:00:30 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5330 そんな私が古文書に出会ったのは、大学に入ってからのことでした。1年生の授業で初めて古文書の読解に触れたのですが、本格的に読み出したのは、陶器で有名な栃木県の益子町の益子町史に従事し始めた大学院生からのことでした。古文書を読めるようになったのは、ほぼ独学です。 それからの私は、大学の垣根を超えて、いろんな先生のもとを渡り歩きながら、神奈川県の小田原市史、南足柄市史、大磯町史、横須賀市史、茨城県の龍ケ崎市史など、さまざまな市町村史(自治体史)を担当することで、それこそ長らく古文書だらけ生活を送ってきました。古文書だらけと言っても、どこのお宅が古文書をお持ちか、その所在調査から始まって、史料の搬出・搬入、整理と目録作成、保存のための処置と、使えるようにするための作業はぼうだいです。 これらの地域では、その地域ならではの、また、その地域にしかないような古文書がたくさん残っています。小田原市史や南足柄市史では小田原藩関係、大磯町史では幕末維新期の東海道、寒川町史では相模川の渡船場、横須賀市史では海防問題、龍ケ崎市史では牛久沼の治水と利水、そして益子町史では益子焼のルーツ等々、ただ心の赴くままに古文書を読んでは研究を重ね、その一端は史料編や通史編など、さまざまな形で本にしてきました。 でも、そうやっても後世に残すことのできる古文書は、ほんの一握りにしか過ぎません。古文書を読める人をもっと育てたい。そこから歴史を読み解いていける人を一人でも育てたい。そして私自身が、できる限りの古文書を解読して翻刻して後世のために残していきたい。歴史を研究することの本当の意義は、それがどの時代のものであっても、すべてが現代へのメッセージであるということに尽きると思います。曇りなき眼でそのメッセージを受け取りながら、常に新しい歴史像を提供し続けていきたい。そんな想いで日々研鑽を積み重ねています。 これから2か月間、クラウドファンディングに挑戦します。みなさん応援よろしくお願いします!]]> 5330 0 0 0 体内の生殖器官が観察できる透明な金魚の作出に成功! https://academist-cf.com/journal/?p=5344 Mon, 24 Jul 2017 01:00:31 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5344 透明な実験魚たち 約15年前に国立遺伝学研究所の川上先生の研究室を訪問した際、ゼブラフィッシュのロイ系統を紹介していただきました。サカナに特徴的な銀色がなく、体表の黒い模様がみられるだけでほぼ透明な体をしていました。目の銀色の縁取りがないため真っ黒な大きな目となることから、サングラスをしているロック歌手、ロイ・オービソン(プリティーウーマンが有名)にちなんでロイ系統と名付けられています。卵細胞の研究が専門の私は、このサカナを見て強い衝撃を受けました。「卵が透けて見えている! このサカナを使えば体内の卵の様子が常に確認できる。」この系統を譲り受けた私は、すぐに卵細胞が蛍光発光する遺伝子導入ゼブラフィッシュと交配し、蛍光で卵が観察できる系統の樹立を開始しました。 同じころ、メダカでは4種類もの色素突然変異体の交配により透明メダカ系統が樹立されていました。このsee-through系統では、体色の原因となるメラニン保有細胞、黄色-赤色素胞、虹色素胞と白色素胞が体全体から失われており、完全に透明です。グッピーにおいても透明で卵細胞の観察できる系統が樹立されています。ゼブラフィッシュのロイ系統は銀色の原因である虹色素胞を欠損しているだけですが、卵細胞の観察には十分です。我々もロイ系統とメラニン保有細胞を欠く、アルビノ系統をも掛け合わせた卵巣蛍光発光性の透明ゼブラフィッシュ系統の作出に成功しましたが、発表は随分遅れてしまいました。しかしながらこの系統を用いて、私たちはゼブラフィッシュのメス成魚からの性転換の実験に成功しました。透明系統を用いることで体の中の卵巣の変化をリアルタイムで観察でき、性転換に伴い卵巣が消えてなくなっていく様子を確認しながら実験を進められたことが、成功の秘訣となりました。 [caption id="attachment_5340" align="aligncenter" width="600"] ゼブラフィッシュの野生型(上)とロイ系統(下)[/caption]

キンギョを用いた研究

一方、今回の話題となるキンギョは、博士課程で実験魚として使い始めてから幸運をもたらす手放せない研究材料としてずっと飼育を続けてきました。キンギョの卵巣組織からは、不安定で精製の難しいタンパク質分解酵素複合体である26Sプロテアソームの精製に成功し、キンギョの遺伝子から合成された細胞分裂制御因子であるサイクリンBタンパク質を用いて、独自の分解開始機構を提唱することができました。また、キンギョの卵母細胞を用いた実験では、ジエチルスチルベストロールという人工合成女性ホルモンが、キンギョやゼブラフィッシュの卵の成熟誘導活性を持つことを発見できました。それがきっかけとなり、現在の中心テーマであるステロイド膜受容体の研究に方向転換したことなど、多くの成果をもたらしてくれました。しかしながらゼブラフィッシュのロイ系統を一緒に飼っていると、キンギョでも卵巣が見えてくれたら実験に用いる最適な時期が簡単にわかるのに、という思いが常にありました。

ミューズとの出会い

キンギョはペット動物として長い歴史のあいだにさまざまな品種が生み出されてきました。あるとき、近所の金魚店を訪れた際、そのなかのひとつであるミューズに出会いました。ミューズは、ほとんどの虹色素胞を失っており、半透明な魚体で、目が真っ黒なロイ系統に近い品種でした。この品種を元にすれば、キンギョでも卵細胞の観察可能な透明系統が樹立できるのではないかと思い、直ぐに購入しました。我々は点突然変異を誘発する薬剤であるエチルニトロソウレア(ENU)を用いた変異誘発により、ミューズの透明度を向上させようと試みました。実際には系統樹立できたとしても何年かかるかわからないような話になるので、キンギョの飼育法、採卵法や突然変異誘発法を学生に指導できれば十分という感じで、まったく気軽に行ってきました。

突然変異誘発

一般にこういう変異誘発処理はオス、つまり精子に行います。我々は処理による妊性の低下を考慮して、オスは我々がよく実験に用いている和金を用いることにしました。余談ですが、研究用の和金は金魚すくい用に育てられたものの余りや養殖池に残っていたものが大きく成長したものを安く譲っていただいています。 まず、ENU処理により突然変異を誘発した和金のオスとメスのミューズとをペアリングさせ、採卵しました。稚魚を育ててみると意外なことに育ったのは和金ではなく、まだらなものが多いものの、むしろミューズの姿をしたキンギョでした。銀色のない形質が優性だったのです。そこで成長したキンギョのうち、より透明なキンギョを選ぶことが可能となりました。この選別をその後、2世代に渡って繰り返したところ、3世代目には全身がほぼ透明なキンギョが得られました。これらのキンギョを交配させたところ、すべての稚魚の体全体が透明になりました。稚魚は数か月令まで全身が高度に透明で、体内の器官を観察することができました。成長に伴い体が白くなってきますが、卵巣、精巣が発達し、妊性をもつようになる1年後でもほぼ透明であり、生殖器官を体の外部から観察することができます。 [caption id="attachment_5341" align="aligncenter" width="600"] 透明キンギョ系統の稚魚と成魚[/caption] この兄弟のなかには目がない透明な変異体が複数匹得られました。我々はENUにより実際に遺伝子に変異が起きているかどうか確認していませんが、この目のない変異体が複数匹産まれたことは変異誘発できている証拠であると考えています。 [caption id="attachment_5342" align="aligncenter" width="600"] 著者(左)と透明キンギョ系統の作出を進めた王軍君(右)[/caption]

キンギョと学位

今回の発表まで最初の交配から4年の歳月を費やしましたが、最後の3年間、このテーマを続けてくれた中国人留学生の王軍君の学位論文のひとつのテーマとして達成でき、論文発表が間に合い、3年間での学位取得につながったことは大変幸運でした。上述のように私もキンギョを材料に博士論文をまとめ学位を取得しています。 我々は今回、高度に透明なキンギョ系統の樹立に成功しました。この系統には妊性があることが確認できていますので、今後、繁殖させ実験モデルとして使用可能であると考えられます。   参考文献 Akhter MA, Kumagai R, Roy SR, Ii S, Tokumoto M, Babul MH, Wang J, Klangnurak W, Miyazaki T, Tokumoto T (2016) “Generation of Transparent Zebrafish with Fluorescent Ovaries: a Living Visible Model for Reproductive Biology.” Zebrafish, 13(3), 155-160. Wang J, Klangnurak W, Naser A A, Tokumoto T (2017) “Generation of transparent goldfish.” Aquaculture, Aquarium, Conservation & Legislation - International Journal of the Bioflux Society (AACL Bioflux), 10(3), 615-621. http://www.bioflux.com.ro/docs/2017.615-621.pdf]]>
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トラウマ記憶を弱めるには - マウスの記憶・睡眠研究から考えるPTSDケア https://academist-cf.com/journal/?p=5352 Wed, 26 Jul 2017 01:00:30 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5352 PTSDにおける記憶の「汎化」 PTSDの患者は、通常ではトラウマ記憶とは直接的な関係性の乏しいと考えられる事柄がトラウマ記憶と結びつくことで、日常生活中で経験するさまざまな刺激がトラウマ記憶を再体験するきっかけとなる場合があり、これを「汎化」と言います。たとえば、地下鉄内で酷い暴行を受けたことがきっかけでPTSDを発症した患者さんで、その後、駅に近づくだけでさえも、その記憶が眼前にまざまざと蘇ってしまうため、行動範囲を大きく制限されるような場合があります。

PTSDの動物モデル

PTSDの記憶メカニズムを研究するために、マウスのコンテクスト条件付け恐怖記憶課題が用いられることがあります。この課題では、ある特定の箱(条件)に入れたマウスの足に軽い電気ショックを与えます。この条件付け学習以降、マウスは同じ箱に入れられると電気ショックを受けるかもしれないという恐怖を感じ、すくみ反応(フリージング)を示すようになります。原理としてはノーベル賞を受賞したロシアの科学者であるイワン・ペトローヴィチ・パブロフが犬を用いて開発した古典的条件付け課題と同じものです。パブロフが、犬に餌と結びつけた音を聞かせたとき、犬の唾液の量を計測したのと同様に、私たちの実験ではマウスを特定の環境においた際のフリージングの持続時間を、恐怖記憶の強さの指標としました。

トラウマ直後の環境条件と汎化

私たちは、トラウマ直後の環境条件がその後の恐怖記憶にどのような影響を与えるのかを調べました。まず、「箱A」の中でマウスは電気ショックを与えられます(学習)。その後、箱Aとは似ていて細部の異なる「箱B」にマウスを入れました。そして翌日、マウスを再び箱AとBに入れ、どのくらいフリージングをするかを調べました。マウスが記憶を区別できていれば、箱Bでは電気ショックを受けていないのでフリージングはしないと考えられます。実際、学習の24時間後に箱Bに入れても通常はフリージングしません。ところが、学習から6時間以内に5分間箱Bに入れると、翌日再び箱Bに入れたときに箱Aに入れたときとほぼ同じ時間のフリージングを示すことがわかりました。これとは対照的に、箱Aとはまったく異なる箱Cを用意し、箱AとCで同様の実験をすると、マウスは翌日に箱Cに入れてもフリージングを起こしませんでした。 今回の実験から、まず学習直後には汎化が起こりやすい時間帯があることがわかりました。また汎化が起こる条件として、学習時の状況とどの程度似ているかが汎化を生じる条件となることがわかりました。さらに別の実験から、汎化が起こるにはその箱を学習時に知っていることが重要であることも明らかになりました。

睡眠とPTSDケア

睡眠が記憶の処理に関わっているという多くの研究が世界中でなされています。そこで今回、睡眠中にトラウマ記憶を弱めることができるかを検討しました。よく研究で睡眠中に用いられる刺激としては匂いや音があります。今回はレム睡眠とノンレム睡眠の2種類のタイミングを分けて刺激をすることが容易である音刺激を用いるために、痕跡条件付け音恐怖記憶学習課題を用いました。この課題では箱に入れたマウスに特定の音を聞かせ、しばらく時間を置いた後(痕跡期間)、足に軽い電気ショックを与えます。この学習以降、マウスはこの特定の音を聞くとフリージングを示すようになります。実験では、学習後、マウスが寝ているあいだに、この音を目が覚めない程度の音量で聞かせました。すると、ノンレム睡眠中に音を聞かせたマウスは、翌日に音を聞かせると、レム睡眠中に同じ音量の音を聞かせたり、同じ音量の別の音を聞かせたマウスよりも短時間のフリージングを示しました。またいずれの条件でも睡眠に大きな変化は認められませんでした。

治療への応用は可能か

記憶の汎化における研究成果では、「トラウマを体験した直後に、それを受けたときと似た状況に遭遇するとその状況に対しての汎化が生じやすい」という、トラウマ直後の環境条件の重要性が示唆されました。PTSDの発症の予防には、トラウマ体験後の1か月以内にみられるPTSD様症状を固定化・慢性化させないことが大切だと考えられています。しかし、トラウマ体験直後の介入によってPTSDを予防できる可能性があるとした報告はありませんでした。 実験結果を踏まえると、たとえば、地震などの災害直後に、PTSD様の症状がみられる被災者については、被災を想起させにくく親和性の少ない避難所で過ごすこと、また性暴力被害者は、入院するなど普段はない保護的環境で過ごすことが、なじみのある場所にいるよりもトラウマ体験の汎化を予防できる可能性があります。このように、PTSDの予防あるいは早期介入法として、トラウマ体験直後は日常と異なる保護的環境で過ごすことで汎化を防ぐことができる可能性が示されました。 睡眠中の介入による研究結果は、PEなどの従来の認知行動療法を補助する手段として、意識のない睡眠中に精神的苦痛を与えずに治療効果を上げられる可能性を示しています。研究グループは、今回で明らかになった条件において、どのような脳内メカニズムがトラウマ記憶の汎化や減弱に繋がるかを引き続き調査しています。   参考文献 Mol Brain. 2016 Jan 8;9:2. doi: 10.1186/s13041-015-0184-0. Effect of context exposure after fear learning on memory generalization in mice. Fujinaka A, Li R, Hayashi M, Kumar D, Changarathil G, Naito K, Miki K, Nishiyama T, Lazarus M, Sakurai T, Kee N, Nakajima S, Wang SH, Sakaguchi M. Sci Rep. 2017 Apr 12;7:46247. doi: 10.1038/srep46247. Auditory conditioned stimulus presentation during NREM sleep impairs fear memory in mice. Purple RJ, Sakurai T, Sakaguchi M.]]>
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地球内部の大規模な水循環の解明へ - 理論と実験に基づき新しい結晶構造の水酸化鉄を発見 https://academist-cf.com/journal/?p=5382 Tue, 25 Jul 2017 01:00:38 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5382 地球内部への水の輸送 地球の表層はプレートと呼ばれる厚い岩盤で覆われており、その一部は地球内部へゆっくりと沈み込みます。このような海底の沈み込み帯では、水は岩石と反応して水を含む鉱物(含水鉱物)を形成します。液体の水は岩石と比べて軽いため地球の深くに入り込むことはできませんが、この含水鉱物を含むプレートが沈み込むことで、水の成分が地球深部のマントル(深さ 30〜2,900km)へ運ばれることが知られています。ただし、マントルは高温高圧の環境なので、沈み込みに伴う温度や圧力の上昇によって、ある深さで含水鉱物が脱水分解してしまいます。このような地球内部の水のふるまいを直接見ることは難しいのですが、もし含水鉱物が分解せずに安定して存在できる温度と圧力条件がわかれば、水が地球深部のどの深さまで運ばれるかを理解することができるというわけです。 [caption id="attachment_5378" align="aligncenter" width="600"] プレートの沈み込みによる地球内部への水の輸送[/caption] 今回の研究では、地球内部に多く含まれる成分のひとつである鉄と水との反応により生成される含水鉱物である水酸化鉄(化学式 FeOOH)に着目しました。従来の研究では、水酸化鉄はマントル深部条件下で水素(H2)と酸化鉄(FeO2)に分解することが報告されています。沈み込むプレートを構成する岩体が鉄をどの程度含むかは場所や時代により異なりますが、この先行研究によると、特に鉄を多く含む縞状鉄鉱層はマントル深部に水を運ぶことができないということになります。さらに、この水酸化鉄の分解は、地球全体の酸素濃度にも関わり、それが過去の地球表層環境に影響したとも考えられており、水酸化鉄のマントル深部での挙動は研究者の注目を集めていました。

新しい構造の水酸化鉄の発見 - 理論による予測と実験による実証

私たちの研究グループは、第一原理電子状態計算に基づく数値シミュレーションと、レーザー加熱式ダイヤモンドアンビルセルを用いた実験により、水酸化鉄の高温高圧下でのふるまいを調べました。 スーパーコンピュータ「京」や愛媛大学設置の並列計算機を用いて得られた数値シミュレーションの結果は、地下1,900km付近に対応する80万気圧において、水酸化鉄がパイライト型と呼ばれる構造に変化することを示唆しました。この結果は、水酸化鉄はマントル深部で水素と酸化鉄に分解するという過去の研究結果と異なります。 この結果を受けて、私たちはダイヤモンドアンビルセルによる高圧発生技術と、兵庫県の大型放射光施設 SPring-8の放射光X線を使用し、約140万気圧までの条件で水酸化鉄の結晶構造を調べました。実験結果は、理論予測されたものと同様、80万気圧程度で水酸化鉄の構造がパイライト型へと変化することを示しました。パイライト型水酸化鉄はマントルの底(2,900km)の圧力条件下(約130万気圧)でも観察されました。さらに測定した試料の体積は、パイライト型構造中の水素の含有を強く示唆しました。このように、水酸化鉄が水素を維持しつつパイライト型構造へ変化するという第一原理計算による理論的予想が、複数の証拠を含めた高度な実験により証明されました。 [caption id="attachment_5379" align="aligncenter" width="600"] 理論計算で使用した並列計算機と、ダイヤモンドアンビルセル高圧発生装置の加圧部。先端を平らに研磨した2個のダイヤモンドに試料を挟むことで超高圧を発生し、放射光X線による分析により理論計算で予測された結晶構造を証明した。大(八面体中心の茶)、中(赤)、小(ピンク)の球はそれぞれ鉄原子、酸素原子、水素原子を示す[/caption]

地球内部の大規模な水循環

本研究結果は、水酸化鉄が地球マントル深部環境で水素と酸化鉄に分解するという従来の学説を覆す発見であり、いまだに解明されていない地球深部における水の循環を明らかにするための新たな知見となると期待されます。本研究結果によると、水は地表からマントルと地球中心核の境界付近の 2,900km程度の深さまで運ばれる可能性があります。マントルの底に運ばれたパイライト型の水酸化鉄は超高温のマントルの底で酸化鉄と水に分離します。この領域で発生した液体の水はマントルの岩石を部分的に溶かし、プルームと呼ばれる地球内部の巨大な上昇流を形成する役割を担うと考えられます。また、マントルの底に運ばれた水は金属鉄からなる中心核へ溶け込む可能性があり、水は2,900kmより深く、地球の中心付近まで大規模に循環しているかもしれません。 [caption id="attachment_5380" align="aligncenter" width="600"] 地球内部構造と今回の研究から示唆される地球深部の水の循環
下部マントルに沈み込んだプレート内では、水酸化鉄の構造がパイライト型に変化し、中心核付近まで水を運ぶことが可能であると考えられる (原図は同研究グループの土屋旬准教授提供 )[/caption]   参考文献 Tsuchiya, J. First principles prediction of a new high-pressure phase of dense hydrous magnesium silicates in the lower mantle. Geophysical Research Letters 40, 4570–4573. (2013). Nishi, M., Irifune, T., Tsuchiya, J., Tange, Y., Nishihara, Y., Fujino, K., Higo, Y. Stability of hydrous silicate at high pressures and water transport to the deep lower mantle. Nature Geoscience 7, 224–227. (2014). Nishi, M., Kuwayama, Y., Tsuchiya, J., Tsuchiya, T. The pyrite-type high-pressure form of FeOOH. Nature 547, 205–208. (2017).]]>
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【特別寄稿】深海生物「テヅルモヅル」とは何者か? https://academist-cf.com/journal/?p=5362 Fri, 28 Jul 2017 01:00:37 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5362 テヅルモヅルの分類 テヅルモヅルは、学術上、「棘皮動物門(もん)のクモヒトデ綱(こう)」に分類される。棘皮動物とは、ウニ、ナマコ、ヒトデを含むグループであり、クモヒトデとは、腕が細長いヒトデのような形をした生きものである。 その形や、クモ「ヒトデ」という名前のせいか、よく「クモヒトデはヒトデのいちグループですか?」と聞かれることがあるが、ヒトデとクモヒトデは「綱(門のひとつ下の階級)」のレベルで分けられる別の分類群である。我々に近いところに置き換えてみると、魚綱と両生綱くらいの違いに相当する(2)。 [caption id="attachment_5363" align="aligncenter" width="600"] クモヒトデとヒトデの一般的な体制。メナシクモヒトデ(A)とジュズベリヒトデ(B)の反口側の様子。矢印は自切した腕の切断部[/caption] 星形で、一見するとよく似ているヒトデ綱とクモヒトデ綱だが、実は腕の構造がまったく異なる。海で星形の生物を発見したら、ひっくり返して口側をよく観察してほしい。星形の真んなかに口があるが、そこから腕の正中線上に伸びる溝があればヒトデ、なければクモヒトデである。 [caption id="attachment_5364" align="aligncenter" width="600"] メナシクモヒトデ(A)とジュズベリヒトデ(B)の口側の様子[/caption] 非常に簡単な違いに思えるが、これは、腕の内部の骨格の構造を反映した本質的な違いである(6)。他にも、顕微鏡での観察を要することが多いが、クモヒトデには肛門がなく、ヒトデにはある(肛門がないヒトデもいるが)。多孔体と呼ばれる、海水を体内の水管と呼ばれる管に取り込む入口の骨片板が、クモヒトデでは口側に、ヒトデでは反口側にある、といった違いもある。テヅルモヅルは、腕の口側に溝が無く、肛門を欠き、多孔体が口側にあるので、立派なクモヒトデなのである。ちなみに、クモヒトデは英語では”Brittle star”、和訳すると「脆いヒトデ」と呼ばれている。これは、クモヒトデが刺激に反応して腕を簡単に自切する様子にちなんでいる。 [caption id="attachment_5390" align="aligncenter" width="600"] トゲオキノテヅルモヅルの反口側(A)と口側(B)の様子。矢印は、標本にする際に巻き込まれたトゲクモヒトデ [写真撮影:小川晟人(東京大学)][/caption] テヅルモヅルは、クモヒトデ綱のなかのツルクモヒトデ目(もく、綱のひとつ下の階級)に含まれる。他の目との関係についてはここでは詳しくは語らないが、ツルクモヒトデ目は他の目とは形態的に、「腕針(わんしん)」の配置で見分けることができる。 [caption id="attachment_5365" align="aligncenter" width="600"] クモヒトデ綱の、最新の分子系統解析に基づく系統樹(4および7を改変。テヅルモヅルを含む科は★を付した)[/caption] 腕針とは、クモヒトデの腕に生えている微小な骨片で、ウニの棘が小さくなったようなものや鉤爪状など、形はさまざまである。この腕針の生じる位置が、ツルクモヒトデ目では腕の口側なのに対し、その他のクモヒトデでは腕の側面なのである(7)。ツルクモヒトデ目は、その名のとおり「蔓(つる)」のように腕をサンゴなどに巻き付けて暮らしており、この腕針の配置は、サンゴに絡みやすいように進化したものなのかもしれない。ちなみに、目レベルの違いとは、哺乳類に当てはめてみると、ウサギ目とネズミ目くらいの違いということである(2)。 テヅルモヅルとは、ツルクモヒトデ目のなかの腕が分岐するクモヒトデである。何とも珍妙な形ではあるが、その腕を網状に海中に広げることで、効率よくプランクトンなどを捕らえて食べていると考えられている。 [caption id="attachment_5366" align="aligncenter" width="600"] A. 岩手県大槌湾の水深約70mを無人探査機で調査中に遭遇したAstrodendrum属の1種。右下の黒いパイプの幅が3cm程度であることから、かなり大型の個体であると思われる(2017年7月5日撮影)。ちなみにこの個体は残念ながら腕の一部しか採取できず、岩の隙間に消えていった。B. 大槌湾で採集されたAstrothrombus chrysanthiの口側の様子。腕が分岐しておらず、小型である[/caption] しかし、テヅルモヅルは、進化的にはまとまった分類群ではない。ツルクモヒトデ目は現在5つの科(か、目のひとつ下の階級)に分けられているが(8)、テヅルモヅルはそのうち、系統的に遠縁な2つの科に別々に存在するのである。ツルクモヒトデ目の祖先は、腕が分岐していなかったと考えられているため(5)、そのような祖先から、少なくとも2回、「テヅルモヅル化」が起こったものと考えられる。ちなみに、科レベルの違いといえば、哺乳類でいえば、イヌ科、クマ科、アシカ科くらいの違いに相当する(2)。

テヅルモヅルの生態

紅海でサメハダテヅルモヅル(Astroboa nuda)を観察した研究例によれば、彼らは昼間には特定の岩の隙間などに腕を丸めて潜んでおり、日が暮れるとそこから抜け出し、潮の流れの早い場所(岩やサンゴのてっぺんなど)に移動し、夜間ずっと、その腕を海中に広げて餌をとり続けるらしい。そして朝日と共に、また元いた場所に帰っていくということだ(3)。ちなみに何を食べているかは詳しくはわかっていないが、水族館ではオキアミなどを餌としてあげているらしい。ツルクモヒトデ目は190種近くが知られているが、詳しい経時的な観察例があるのはこのAstroboa nudaや、大西洋産のGorgonocephalus captmedusaeくらいである(10)。その他、腕の動かし方や(1)、発生様式の一部について(9)、ごく限られた種に関する研究がある以外、ほとんどが謎に包まれたままになっている。

なぜこれほどまでに研究が進んでいないのか?

私自身、テヅルモヅル類の研究を始めてみて、その理由を身を持って知ることとなった。第一の理由として、深海性の種が多いことがあげられる。浅瀬でも見られる種はいるが、磯を歩いていて見つけられることはほとんどなく、少なくともスキューバダイビングでないと彼らの元へは到達できない。しかも上記したとおり多くが夜行性のため、昼間に見つけても岩の奥深くに潜んでしまっているので引っ張り出すのは難しく、腕を広げる勇猛な姿には滅多にお目にかかれない。このようなテヅルモヅル類を収集するため、筆者は何度もスキューバダイビングを行ったり、乗船調査に参加してきたが、採集できた例はあまり多くない。20日間船に乗ってボウズということもあった。 第二の理由として、飼育が難しいことがあげられる。流れが速い場所に生息するテヅルモヅルはキレイな水を好むらしく、彼らが好むような海流や水質を飼育条件下で再現するのは、水族館でもなかなか難しいらしい。生殖発生や行動などの飼育がほぼ不可欠な研究は、このような理由で進んでいない。 最後の理由は、彼らが大型であるということである。腕を広げると1m以上になる種もザラにいるため、採集した標本用の容器や、保存用のエタノールの量、そしてそれらを確保しておくスペースの確保がバカにならない。筆者の研究室では大型の密閉性の高いバケツを使ったりしているが、10数リットルのエタノールが入ったバケツは相当な重さであり、観察のたびにそれらのバケツの運搬に結構な労力を払うことになる。このような、他の小型動物にはない苦労を強いられるところも、テヅルモヅル類研究が敬遠される理由のひとつであろう。 しかし、苦労はあるが、「謎=学術的課題」であるわけで、テヅルモヅルこそ研究成果の宝庫といえる。実際、テヅルモヅルの秘密が明らかにできた際の喜びは筆舌に尽くしがたいものがある。この珍妙な動物については、拙著『深海生物テヅルモヅルの謎を追え!―系統分類から進化を探る―』(東海大学出版会)に、これまでの研究史の一部を紹介している。テヅルモヅルにご興味を持たれた方は、参考にしていただければ幸いである。また、テヅルモヅルの研究の現状については、オンラインで筆者による解説がなされている。英語で、購読が必要ではあるが、さらに深く学んでみたい方はそちらも参考にしていただきたい。 引用文献 1. Hendler, G. (1982) Slow flicks show star tricks: Elapsed-time Analysis of bastketstar (Astrophyton muricatum) feeding behavior. Bulletin of Marine Science. 32 (4): 909–918. 2. 増田隆一. (2017) 哺乳類の生物地理学. 東京大学出版会. 183 pp. 3. Tsurnamal, M. & Marder, J. (1966) Observations on the basket star Astroboa nuda (Lyman) on coral reefs at flat (Gulf of Aqaba). Israel Journal of Zoology 15:9–17. 4. O’Hara, T. D., Hugall, A. F., Thuy, B., Stöhr, S. & Martynov, A. V. (2017) Reconstructing higher taxonomy using broad-scale phylogenomics: The living Ophiuroidea. Molecular Phylogenetics and Evolution. 107: 415–430. 5. 岡西政典. (2016) 深海生物テヅルモヅルの謎を追え!-系統分類から進化を探る-. フィールドの生物学シリーズ20. 東海大学出版会. 299 pp. 6. 岡西政典. (2016) 分子系統と形態観察から探る深海性クモヒトデ類(棘皮動物門)の進化. 化石研究会会誌. 49 (1): 26–34. 7. Okanishi, M., O’Hara, T. & Fujita, T. (2011) Molecular phylogeny of the order Euryalida (Echinodermata: Ophiuroidea), based on mitochondrial and nuclear ribosomal genes. Molecular Phylogenetics and Evolution. 61: 392–399. 8. Okanishi, M. & Fujita, T. (2013) Molecular phylogeny based on increased number of species and genes revealed more robust family-level systematics of the order Euryalida (Echinodermata: Ophiuroidea). Molecular Phylogenetics and Evolution. 69: 566–580. 9. Patent, D. H. (1970) Life history of the basket star, Gorgonocephalus eucnemis (Müller & Troschel) (Echinodermata; Ophiuroidea). Ophelia. 8 (1): 145-159 10. Rosenberg, R., Dupont, R., Lundälv, T., Sköld, H.N., Norkko, A., Roth, J., Stach, T. & Thorndyke, M. (2005) Biology of the basket star Gorgonocephalus caputmedusae (L.). Marine Biology. 148: 43–50.]]>
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体内時計は冷やすとブランコになる - 物理学が明らかにする体内時計のとまりかた https://academist-cf.com/journal/?p=5375 Thu, 27 Jul 2017 01:00:46 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5375 リズムがあるのかないのか、それが問題だ 体内時計によって私たちは時計を見なくとも寝起きをすることができ、植物は決まった時間に花を咲かせることができたりします。このように体内時計のおかげでおこる約24時間周期のリズミックな生命現象は、概日リズムとよばれています。 概日リズムは温度に関係する興味深い性質があります。夏でも冬でも体内時計の進行スピードが変わらない「周期の温度補償性」、昼間暑く夜間は寒いという1日周期の温度変化に体内時計の時刻を合わせることができる「温度変化に対する同調現象」がよく知られています。 これらに加えてもうひとつ、20世紀の中頃から実験室で低温環境条件にすると変温動物や植物の概日リズムが観察できなくなることが報告されてきました。環境の温度を下げるだけでリズムがなくなってしまうので、なにかただならぬ変化が起きているはずです。しかし「なぜリズムがなくなるか?」という問いに注目した研究は行われてきませんでした。それは寒くて生物が死にかけているせいなんだから研究する意味がない、と考えられたのかもしれません。または、温度は細胞内で起こる多くの生化学反応に影響を与えるので、どの反応がリズム消失と関係があるのかきっぱり特定することが困難だったためかもしれません。

リズム停止研究の分岐点となった分岐理論

私たちのグループは、単純だけれども答えにくいこの問いに、数学・物理の知識を使って取り組みました。生物を冷やしたとき「概日リズムがある」状態から「リズムがない」状態へ移り変わることは、数学の分野で「分岐」と呼ばれています。日常的に使う分岐とは意味がかけはなれていますが、数学用語としての「分岐」はシステムのパラメーターを変えたときに振る舞いが質的に変わることを示します。 [caption id="attachment_5402" align="aligncenter" width="600"] 「分岐」の身近な例[/caption] 分岐理論によるとリズムがなくなる原因は「リズムの振れ幅が小さくなって0になるホップ分岐」あるいは「リズムの周期が大きくなって無限大に発散するサドルノード分岐」の2つに分類できます。どちらの分岐に当てはまるかは、冷やしていったときのリズムの振れ幅と周期を調べれば見分けることができます。 [caption id="attachment_5403" align="aligncenter" width="600"] リズム消失の2つのタイプ
パラメータの変化により自律的な振動が消失するとき、分岐理論によれば典型的には2つのタイプにわかれる。ひとつは振幅がだんだん小さくなり減衰振動子へ変化するホップ分岐と呼ばれるタイプ。もうひとつは周期がだんだん長くなり興奮性振動子に変化するサドルノードと呼ばれるタイプ。今回の実験ではパラメータである温度を変えていきどちらのタイプでリズムがなくなるのかを調べた[/caption]

概日リズムは低温でホップ分岐によってなくなる

体内時計を持つ最も単純な生物はシアノバクテリアです。シアノバクテリアの体内時計はKaiA、KaiB、KaiCという3つのタンパク質でできています。というのも、この3つのタンパク質を細胞から取り出し試験管内で混ぜたら体内時計として機能することを2005年に名古屋大学近藤孝男教授のグループが発見しました(この世紀の大発見に実は筆者達も立ちあっています)。この試験管内で組み立てた体内時計は「概日リズム試験管内再構成系」とよばれ、まだシアノバクテリア以外の生き物では成功していません。体内時計を自分で組み立てて研究するのは、時計自体の仕組みを理解するのにうってつけの系です。 さてこの試験管内リズムを冷やしたらどうなるでしょうか? 室温でははっきりとしたリズムを示しますが、温度を下げていくとリズムの振れ幅が小さくなっていき、19ºC以下ではリズムが止まってしまうことがわかりました。さきほどの分岐理論の言葉を使うと、ホップ分岐がおこりリズムは停止していることになります。 ホップ分岐はブランコに例えることができます。室温では人がこいでいるブランコのように揺れ続けることができますが、温度を下げていくとブランコをこぐ力が弱くなり、リズムの振れ幅(振幅)が小さくなっていきます。19℃以下ではこぐのをやめた状況に対応し、振幅がゼロになってリズムが消失することがわかりました。またホップ分岐の理論が示すとおり、19℃以下では「リズムがない」のではなく、刺激するとしばらくの間揺れるけれどもそのうち止まってしまうブランコのような「減衰振動である」ことを発見しました。

ブランコの物理学で体内時計をゆらす

ブランコには面白い性質があります。映像をご覧ください。 うまいタイミングでくり返し押してやれば小さな力でも大きく揺らすことができます。一方、下手なタイミングで押してしまうと揺れません。この現象は物理学でよく知られている共鳴現象と呼ばれるものです。 私たちの研究グループは、体内時計とブランコの類似性から次の実験を着想しました。低い温度で止まってしまった体内時計(減衰振動子)にさまざまな周期の16℃/18℃の温度変化を与えました。すると、減衰振動子の周期に近い周期の温度変化を与えたとき、低温では決して現れないような強いリズムが観察されました。すなわちこれまで時計が「ない」と考えられてきた低温でもわずかな温度変化があれば、減衰振動子の共鳴現象を利用して生物は時計を持てることを初めて明らかにしました。 [caption id="attachment_5373" align="aligncenter" width="600"] 体内時計の共鳴現象
試験管内再構成系のリズムは、時計タンパク質 KaiCのリン酸化状態の変化として観察する。(A)減衰振動の発見。試験管を 16.7°Cあるいは 18.7℃一定に保った場合、リズムは観察できない。30℃の高温パルスを与えるとリズムが誘導できるが、しばらくするとリズムがなくなった。(B)リズムの回復。16.7℃ 15時間/18.7℃ 15時間の温度サイクルをかけ続けるとリズムが持続した。(C)共鳴現象の発見。16.7℃/18.7℃の温度サイクルの周期をさまざまに変える実験を行った。回復したリズムの振幅は、30時間周期の温度サイクルがあるときに最も高くなった[/caption] さらに私たちは計算機シミュレーションを行い、ホップ分岐であれば低温下で共鳴がおこるが、サドルノード分岐では起こらないことを確認しています。ホップ分岐と共鳴が結びついているという数理的な結果は、今回の発見がバクテリアの体内時計にとどまらないことを示唆します。将来共鳴を使って、私たちの体内時計の振れ幅を増加させることが可能になるかもしれません。生活リズム障害の方が、共鳴でメリハリのついたリズムをとりもどす、なんて日を夢見ています。

生物学者の新しいツール・分岐理論

生物学では生きる/死ぬ、花が咲く/咲かないのような質的な変化が興味の対象となります。これに対して、ある生体内の物質の量の変化で説明をつけるのが、20世紀から続く現代の生物学の流行です。しかし今回の発見は、分子による説明とは違う方向を志向しています。 質的な変化をあつかう分岐理論は低温によるリズム消失ととても相性の良いものでした。生命現象の質的な変化の背後には分岐理論が関わっていることがまだまだあるだろう、私たちは考えています。   参考文献 Murayama Y, Kori H, Oshima C, Kondo T, Iwasaki H, Ito H Low temperature nullifies the circadian clock in cyanobacteria through Hopf bifurcation Proceedings of National Academy of Sciences 114, 5641–5646 (2017) Nakajima M, Imai K, Ito H, Nishiwaki T, Murayama Y, Iwasaki H, Oyama T, Kondo T. Reconstitution of circadian oscillation of cyanobacterial KaiC phosphorylation in vitro Science 308, 414-5 (2005)]]>
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マクロな「流れ」とミクロな「量子」の関係 - 曲がった空間の幾何学を用いて「流れ」を理解する https://academist-cf.com/journal/?p=5397 Mon, 31 Jul 2017 01:00:05 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5397 マクロな「流れ」とミクロな「量子」のギャップ 私たちの身近にある物質は、一見するとツルツルした表面を持つように見え、連続的な構造を持っているように感じられます。このような「連続的な記述」を用いる物理理論の最たる例が「流れ」を取り扱う流体力学です。流体力学はコップの中のコーヒーの流れや、航空機の周囲に生じる空気の流れなどの振る舞いを精密に記述します。 しかし、20世紀に入ってから現代物理学が進展することで、どのような物質も小さな要素に分解していくと、原子や分子といった不連続な「ツブツブ」でできていることがわかりました。そして、さらに小さな(ミクロな)要素に分解していくと、究極的にはクォークや電子と呼ばれる素粒子で構成されていることがわかってきました。現在実験的に検証されている範囲で、実に10-18mという極微の世界の物理法則までが明らかになってきています。このような極微の世界を記述するための理論は量子論(とくに素粒子理論の場合に使われる理論形式は「場の量子論」) と呼ばれており、日常経験とはかけ離れた不思議な現象を予言します。 しかし、すでに見たように、私たちの身近にあるような(素粒子を多数含む)マクロな物質の「流れ」は、流体力学により記述されるのでした。ここに、同じ物質であってもミクロに見たら「量子論」で記述される一方で、マクロに見たら「流体力学」で記述される、という二重性が現れています。このような2つの記述方法のギャップを埋める方法は、はたしてあるのでしょうか? [caption id="attachment_5428" align="aligncenter" width="600"] 日常的にはコーヒーは連続的な流体と感じられる。しかし、これをミクロな要素に分解していくと、原子・分子、さらには素粒子にまで分解することができる。量子論によるこの素粒子の記述と流体としてのコーヒーの記述はまったく異なるように見えるが、このような記述のギャップはどう埋めることができるだろうか。[/caption]

量子論に基づいて物質の熱的性質を記述する

原子・分子、ひいては素粒子というミクロな記述に基づいて物質のマクロな振る舞いを理解するという、2つの記述の橋渡しを目指す学問(統計力学)は、20世紀初頭にボルツマンという物理学者により始められました。ここで物質のマクロな振る舞いというのは、たとえば「熱を加えたときの物質のあたたまりやすさ」などに代表され、熱的性質と呼ばれます。ボルツマンの研究にとって決定的だったのは、ミクロな記述に基づいて熱的性質を与えるために、「確率的な考え方」を活用するということでした。 さて、ボルツマンの時代にはまだ量子論は構築されていませんでしたが、1950年代の理論の発展により、現在では量子論というミクロな記述に基づいて物質の熱的性質を記述するための方法が明らかになっています。このような理論形式は「虚時間形式の量子論」、あるいはその発展に貢献した日本人(松原 武生博士)の名前をとって「松原形式の量子論」と呼ばれています。詳細の説明は省きますが、この手法では「ある温度の物質を記述するための確率分布」が「量子論において形式的に時間に虚数を代入したときの時間発展」と等価であるということに基づいています。このような理論の発展により、さまざまな物質の熱的性質をミクロな量子論に基づいて理解できるようになったのですが、実はまだ不満な点が残っていたのです。というのも、彼らの理論は「流れ」がすべて止まった後の「静止している流体」に関してしか適用できないのです。つまり、ミルクを入れてかき混ぜている最中のコーヒーや航空機のまわりの空気など、「流れ」が生じている状況は理論の適用範囲外になってしまうのです。

流体力学と重力理論の類似性

さて、これまでに扱えていなかった「流れ」の効果を、量子論に基づいて考慮するためにはどうすればよいのでしょうか。実は大変おもしろいことに、「流れ」の効果は私たちが日常的に感じている重力のアナロジーとして理解することができるので、まずはこのことを見てみましょう。 下図にあるように、流れている川の河岸から、一定速度で対岸方向に進む(ラジコンに乗せた)リンゴを出発させてみましょう。しばらく時間が経った後、リンゴは対岸方向に進んではいますが、川の流れによって下流に流されていきます。このごく当たり前の現象を、リンゴの運動のみに注目して見直してみましょう。このように川の流れを見ず、リンゴの運動のみに注目して見てみると、リンゴにはあたかも下流方向への重力を受けて運動したように見えることでしょう。つまり、「流れの効果」というものは、あたかも重力が働いているかのように理解することができるのです。 [caption id="attachment_5429" align="aligncenter" width="600"] 本文で説明したように、「流体により流される」という効果を、あたかも「重力」という力が働いて運動の方向が変わったと理解することができそうである。[/caption] では、重力とは現代物理学ではどのように理解されているのでしょうか。重力を記述する方法として高校で習うのはニュートンの万有引力の法則ですが、現在ではアインシュタインの一般相対性理論によってより正確に記述されることがわかっています。アインシュタインの一般相対性理論では、重力は「曲がった幾何学の効果」として理解されています。つまり、下図のように物体間に直接引力が働くと見るのではなく、物体が空間の中に置かれることで空間が曲がり、その曲がった空間のくぼみに引かれるように物体が運動することで物体に引力が働いているように見える、と理解されています。 [caption id="attachment_5430" align="aligncenter" width="600"] あらゆる物体間に万有引力が働く結果として「重力」を説明するのがニュートンの万有引力の法則であったが、これを空間が曲がることで生じる「幾何学的効果」だと理解するのがアインシュタインの一般相対性理論である。[/caption]

「流れ」を幾何学の効果として理解する

以上の考えを整理しておきましょう。まず、「流れ」の効果は、あたかも重力が働いているものとして理解することができるのでした。そして、現代物理学において重力とは、曲がった空間の幾何学的効果として理解できるということを見ました。これらを組み合わせると「流れの効果を幾何学の効果として理解できるのではないか」という期待が湧きます。今回の研究で私が示したのは、1950年代に定式化されていた虚時間形式の量子論を拡張することで、この期待が実際に成り立っており、「流れ」は曲がった空間中の量子論を考えることで記述できる、というおもしろい事実です。 具体的にこのことを示すためには、「流れ」がない場合についてボルツマンが明らかにしたように、「流れ」が生じている状態を記述する適切な「確率分布」を導入する必要があります。このような局所的に「流れ」が生じている状態を記述する確率分布のひとつとして、「局所ギブス分布」と呼ばれるものが知られています。今回の研究では、この確率分布によって「流れ」が生じている状況を記述すると、その効果が曲がった空間の幾何学的な効果として自然に理解できることわかりました。別の言い方をすると、「流れによって曲がった空間が現れる(創発する)」とも言えます。 以上により重力理論とのアナロジーが正確に成り立っていることがわかったわけですが、さらに嬉しいことに「流れ」の性質を理論的に計算する際にも利点があることもわかりました。一言に「流れ」と言っても、実はエネルギーの流れから運動量の流れ、電荷の流れといったようにさまざまな「流れ」があり、これらは理論的には別々に扱われがちです。しかし、今回の研究では、これらの「流れ」をすべてまとめて、「幾何学的な効果」として理解することができることがわかったのです。 [caption id="attachment_5431" align="aligncenter" width="600"] 「流体が流れている」という効果を、空間が曲がることで生じる幾何学的効果として理解することができることが今回紹介した研究で明らかになった。[/caption]

今後の展望:摩擦熱を発する「流れ」の理解に向けて

さて、以上の研究により「流れ」が生じている状況を、量子論に基づいて完全に理解できるようになったと言いたくなります。しかしながら、「流れ」の理解は、実はまだ限られたものにとどまっているのです。その理由は、今回の研究では「散逸的な流れ」と呼ばれるものを取り扱えないからです。「散逸的な流れ」とは、たとえば温度が違う物質をくっつけることで生じる熱の流れのことで、「流れ」とともに摩擦熱を発生させる、不可逆的な現象です。今後、この「散逸的な流れ」も幾何学の言葉で理解できるのかといった点について、研究を行なっていきたいと思います。
参考文献 “Path-integral formula for local thermal equilibrium”, M. Hongo, Annals of Physics, 383, 1 (2017) 「場の量子論と流体力学のつながり」 日高義将, 本郷 優, 数理科学 2017年7月号]]>
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前向きな気持ちを持つことで、アレルギー症状は緩和されるか - 「病は気から」を科学する山梨大学・中嶋正太郎助教 https://academist-cf.com/journal/?p=5409 Wed, 26 Jul 2017 04:00:20 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5409 【academist挑戦中】「病は気から」は本当か? アレルギー界の大きな謎に挑む!】 「病は気から」ということわざは、誰もが知っており、また誰もが経験的に正しいと思っているのではないだろうか。この真偽を、科学的に証明する研究がある。前向きな気持ちを持つことによって、アレルギーの症状が緩和されるかどうか、こころの変化とアレルギー症状の治癒・悪化に関連があるかどうかを探っているのが、山梨大学の中嶋正太郎助教だ。現在、academistでクラウドファンディング『「病は気から」は本当か? アレルギー界の大きな謎に挑む!』の挑戦を行っている。クラウドファンディング挑戦後に中嶋助教が行う予定の研究はどのようなものなのか、また研究にかける思いについて詳しくお話を伺った。 ——まず、現在クラウドファンディングにチャレンジされている「病は気から」の研究テーマを行おうと思ったきっかけを教えてください。 私が所属する山梨大学免疫学講座(中尾篤人教授研究室)では、生活習慣の乱れなどが体内時計を崩すことにより、アレルギーの症状を悪化させるということを明らかにしてきました。一方で、ストレスがアレルギー症状悪化の原因になっているということが経験的に知られており、疫学的な研究でも報告がなされています。逆に、気持ちがハイになっているときは症状が良くなるということも感覚的にはわかっていましたが、その科学的根拠は明らかになっていません。そこで、気持ちの変化もアレルギーの症状に影響を与えているのではないかと考え、それを科学的に証明しようとこの研究を始めました。 ——今の時点での研究のゴールはどこにあるのでしょうか。 快感が生じる仕組みである脳内報酬系の活性化により、花粉症などのI型アレルギーの症状が緩和することを証明するのが研究のゴールです。アレルギー疾患に対する新規薬剤の臨床試験では、患者の前向きな感情が薬効と無関係に治療効果を高める「プラセボ効果」が強く出てしまい、薬効の評価が困難なことが多くあるといわれています。実際に過去の研究では、患者の前向きな期待感が、脳の報酬系を活性化することでプラセボ効果が発揮されることが示唆されています。 プラセボ効果は、ドーパミン作動性ニューロン(神経)が活性化し、脳内報酬系が活性化することにより得られる効果なのではないかといわれています。したがって、花粉症のマウスの脳内報酬系を直接人為的に活性化することで、花粉症の症状が抑えられるかどうかをまず確かめようと考えています。 ——クラウドファンディングで得た資金を利用して蛍光顕微鏡を購入する予定だそうですが、これはどのような用途で使うのでしょうか。 マウスの脳内報酬系を活性化させ、アレルギー症状の変化を観察した後、実際にドーパミン受容体が活性化していたかどうか、脳の切片を蛍光顕微鏡で観察して調べます。実験に用いたすべてのマウスでこのチェックを行います。下図の緑色に光っている部分が、ドーパミンを産生する神経に発現しているタンパク質です。赤く光っている部分は、神経を活性化するために必要な受容体タンパク質です。実験では試薬を打ち込むことで、この受容体タンパクを活性化させます。実験後に脳の切片を観察し、この緑色と赤色の蛍光発色を確認することで、脳内報酬系が活性化されていたことを確かめます。 ——マウスの脳内報酬系は、実験でどのように活性化させるのですか。 マウスの頭蓋骨に小さく穴を開けて、そこから針を刺し込んで試薬を注入します。報酬系の一部である腹側被蓋野は脳の奥の方にありますので、かなり奥深くまで針を入れます。マウスにとっては相当つらいでしょうね……。実験では、脳内報酬系を活性化/抑制化させたグループとコントロールのグループの3群を用意します。1グループは、それぞれ6匹から8匹のマウスで組みます。1日に扱えるマウスは6匹から8匹程度が限界なので、3日に分けて手術するという形で進めていきます。 ——その手術後、マウスのアレルギー症状が緩和されたことはどうやって確かめるのでしょうか。 花粉症であれば、鼻掻き行動の回数やくしゃみの回数の変化を調べます。また、I型アレルギーに関しては、個体レベルでアレルギー反応をチェックできる受身皮膚アナフィラキシー(PCA)反応という評価も用いることができます。 ——どういう仕組みでアレルギーが緩和されると考えられていますか。 正直言って、現段階ではまったくわからないですね。アレルギーを引き起こすマスト細胞に対して末梢神経が直接作用してマスト細胞の活性化に影響を与えているかどうかを調べることができたらおもしろいとは思っていますが。 ——それを調べるにはどういった実験をすればいいのでしょうか。 すごく難しいですね。たとえば、その相互作用に関与しているタンパク質の受容体の阻害剤をマウスに投与したり、in vitroでマスト細胞と神経細胞を共培養したりということもできなくはないと思いますが、こういった中枢神経系・脳のはたらきと免疫系の機能との関係性というのはまだあまり着目されていない分野なので、これからだんだん研究されていくようになるのではないでしょうか。 ——将来的に、この研究を医療に活かすということはできるのでしょうか。 たとえば「病は気から」という言葉が科学的に証明されれば、生活の仕方(生活習慣)や気の持ち方を少し前向きに変えていくだけで、アレルギーの症状を緩和できるようになるかもしれません。それにより患者さんに対して抗ヒスタミン薬などの投与量を減らすなどの提案をすることができるかもしれません。薬には副作用や医療費の問題もありますしね。また、学術的な意味でも、これらのことが明らかになれば、かなり大きな発見になると思っています。 ——最後に、クラウドファンディングのセカンドゴール達成へ向けた意気込みをお願いします! クラウドファンディング挑戦当初は、一般の方からはあまりご支援をいただけないのではないかという不安を感じていました。ですが、そういった方々からもご支援をいただけていることを知り、自分たちの研究に興味を持っていただいている、応援してくださる人がいるということが実感できとても嬉しかったです。みなさんの期待に応えられるように、力を入れて研究を進めていきます。 * * * 中嶋先生のクラウドファンディングでは、8月5日までにセカンドゴールの100万円を目指します。ご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします!
研究者プロフィール 山梨大学免疫学講座 中嶋正太郎助教 1985年山梨県富士吉田市生まれ。2013年3月山梨大学大学院医学工学総合教育部人間環境医工学専攻修了(医科学博士)。2013年4月同大学大学院医学工学総合研究部リエゾンアカデミー特任助教。2014年4月シンガポール国立大学がん科学研究所博士研究員。2017年1月山梨大学医学工学総合研究部免疫学講座助教(現職)。
 

【academist挑戦中】「病は気から」は本当か? アレルギー界の大きな謎に挑む!】

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地球のマントルはどのようにしてできたのか? - 最新レーザー装置を使った実験が紐解く地球マントルの歴史 https://academist-cf.com/journal/?p=5437 Thu, 03 Aug 2017 01:00:45 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5437 初期の地球は融けていた 我々人類を始めとする生物を育んできた地球は一体どのようにしてできたでしょうか? 約138億年前に宇宙が創成したとされるビッグバン理論が確立された現在でも、46億年の地球の歴史についてはまだまだわからないことが多く残されています。これまでの研究から、初期の地球は微惑星が集まって形成されたと考えられており、地球はそれらの衝突エネルギーによる発熱で融けていたといわれています。 [caption id="attachment_5433" align="aligncenter" width="600"] 初期と現在の地球の内部構造[/caption] このマグマオーシャンと呼ばれる溶融状態から鉄、ニッケルのような重い金属が地球の中心に向かって沈降して核が形成されました。そして後に残ったマグマは冷却して固結し、現在のマントルができました。しかし、マントルがどのように固まって今の状態になったのか、その詳細なプロセスは明らかになっておらず、現在も初期の地球の融け残りのマグマがマントルの底に残っているといわれていますが、その成分もわかっていません。 マントル固化のプロセスはマントル鉱物の融解挙動によって紐解かれます。地球の約7割の体積を占める下部マントルは主にブリッジマナイト(MgSiO3)、ペリクレース(MgO)、カルシウムペロフスカイト(CaSiO3)と呼ばれる3つの鉱物で構成されています。これまで、マントルの進化過程を理解するために高圧力下におけるマントル鉱物の融点が数多く調べられてきましたが、下部マントルで2番目に多く含まれるペリクレースの融点のみ、未解決であったためマントル物質の融解関係は解明されませんでした。

両側レーザー加熱装置を使った超高温度発生

高圧力下の物質の融点はこれまでどのようにして調べられたのでしょう? ひとつはコンピュータを使って高い温度と高い圧力の環境下で物質の固体と液体のエネルギーを比較する理論計算の手法が挙げられます。コンピュータの計算処理能力の向上に伴って、現在では融点だけでなく、形(構造)、硬さや熱伝導性といった物性もこの手法によって調べられています。もうひとつは地球内部の高温高圧条件を実験室で実現し、融解を観察して決定する手法が挙げられます。最も硬い物質で知られるダイヤモンドを使って試料を圧縮し、さらにダイヤモンドを通してレーザーを試料に照射することで高温高圧状態を作り出すのです。 これまでの実験では高い圧力と同時に高い温度を発生することが難しく、4000℃を超えるような高温度の融点を計測した結果は、高圧力下におけるマントル鉱物においてはほとんどありませんでした。ダイヤモンドというのは硬いうえにレーザー光を透過するので高温高圧実験に適した材質ではありますが、一方で熱伝導性が高いため熱を奪いやすく、5000℃を超えるような、超高温度の発生が困難になるのです。マントル鉱物の加熱のためによく用いられるCO2レーザーを使った実験では、これまでレーザーを一方から照射する片側加熱方式が採用されてきましたが、私たちはより高い温度を生成するために高い出力のレーザーを2台配備し、試料の両側から同時にレーザーを照射する、両側加熱装置を新しく開発しました。このことによってこれまでよりも高い5000℃を超える高温度発生を達成し、より確かな融点計測の実現に成功しました。 [caption id="attachment_5488" align="aligncenter" width="435"] ダイヤモンドアンビルセル(DAC)および愛媛大学の両側CO2レーザー加熱装置の概観 (a)とこの装置を用いた加熱実験の様子(b)[/caption]

最も融けにくいペリクレースの融点決定に成功

私たちは開発した両側レーザー加熱装置を使って、ペリクレース試料に高温高圧条件を生成しました。さらに、間違いなく融解を判断するために、極限環境を経験した試料を大気圧まで戻して回収し、ナノメートルに至る微細な試料断面の結晶組織を電子顕微鏡で観察しました。この手法によって過去最高の圧力である約50万気圧までの融点決定に成功し、その融点はこれまでに計測された値よりも1500℃も高い約5600℃であることがわかりました。 [caption id="attachment_5435" align="aligncenter" width="600"] ペリクレース(MgO)の融点計測結果[/caption] これはペリクレースがマントル鉱物のなかで最も高い融点を持つことを意味します。また、今回の結果と食い違っていた過去の低い融点では、融解ではなく高温度下にさらされることで起こる試料部の塑性変形に伴う現象を見誤っていた可能性を明らかにしました。さらに、得られた融点の結果はこれまでの理論計算の予想と非常によく一致していたことから、これまで未解決だったペリクレースの融解挙動は明らかになりました。

マントルの固化はペリクレースから始まった

ペリクレースが高い融点を持つことから、初期の地球のマントルがどのように固まって現在の地球になったのか、その成り立ちがわかってきました。地球のマントルがマグマだった頃から徐々に冷えてくると、マントル中で最も高い融点を持つペリクレースから固まり始めます。するとマグマからはペリクレースが少なくなっていきます。そして結果的に、現存するマントル最下部のマグマの成分は、ペリクレース(MgO)の成分であるマグネシウムに乏しいことがわかりました。この研究から主なマントル鉱物の融解挙動が明らかになったため、今後、マントルの冷却速度や構成物質の分布とその変化などについて、マントルが固まるプロセスの詳細が明らかになるでしょう。 融解が起こって固体から液体になるということは、物の硬さの指標である粘性率が急激に下がることを意味します。つまり、融点が高いということは粘性率がこれまで考えられてきた値より高いことになり、本研究で決定した高い融点から見積もられるペリクレースの粘性率は従来の1000倍も大きくなることがわかりました。これは、地球表面のプレートがマントルに沈み込んだ後の行く先や、マントルの対流活動を理解するうえで必要不可欠であり、今後、この粘性率の結果に基づいて、地球内部のダイナミクスの理解が進むことが期待されます。 このように、超高圧力下で記録的な高温度の融点計測を可能にする、新たな実験研究により、マグマ固化の歴史からマントルの対流活動に至るまで地球内部の諸問題に貢献できました。今後、このような研究をより推進することで、マントルだけでなく核の融解関係も明らかになり、地球全体の進化に対する理解が深まることが期待されます。 参考文献 Kimura, T., Ohfuji, H., Nishi, M., Irifune, T. (2017) Melting temperatures of MgO under high pressure by micro-texture alanysis. Nature Communications 8, 15735. Kimura, T., Kuwayama, Y., Yagi, T. (2014) Melting temperatures of H2O up to 72 GPa measured in a diamond anvil cell using CO2 laser heating technique. The Journal of Chemical Physics 140, 074501.]]>
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酢酸を使って乾燥ストレスに打ち勝つ植物の生存戦略とは  https://academist-cf.com/journal/?p=5448 Tue, 01 Aug 2017 01:00:25 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5448 環境応答とエピジェネティック制御 あらゆる生命活動の基本となる「水」の欠乏は、生物にとってクリティカルヒットになります。地球温暖化にともなう気候変動により、世界各地で長・短期に関わらず乾燥や干ばつが起こり、作物生産や緑資源の壊滅的な被害が年々拡大しています。私たちは、乾燥への対抗策を見出すため、基礎研究の立場から植物の乾燥耐性・適応機構の解明を進めています。 今回は、これまでの研究では知りえなかった、まったく新しい植物の乾燥ストレス応答機構を制御するキーレギュレーターの同定とその作用機序の解明を目指して、遺伝子の応答制御と関連の深いクロマチン修飾変動(特にヒストン修飾)に目をつけ、解析を行いました。ヒストン修飾は真核生物に保存されるエピジェネティック情報のひとつです。モデル植物であるシロイヌナズナを用いて、ヒストン修飾酵素をコードする遺伝子の変異株を多数集め、乾燥ストレス下での耐性・感受性を調べるスクリーニングを行いました。その結果、ヒストン脱アセチル化酵素HDA6の遺伝子変異植物体が、著しく強い乾燥耐性を示すことが明らかとなりました。 [caption id="attachment_5447" align="aligncenter" width="600"] hda6遺伝子変異株は非常に強い乾燥耐性を示す
hda6遺伝子変異株および野生型親株のシロイヌナズナに対し、給水停止により2週間乾燥処理したのち、3日間の再給水を行ったときの生存を確認した[/caption]

乾燥によるダイナミックな代謝変換

hda6遺伝子変異体とその親株の野生型植物を用いて、乾燥条件下でのゲノムワイドな遺伝子発現変動、およびこれにリンクした代謝物の変化を調べました。その結果、hda6遺伝子変異体と野生株ではともに、「乾燥処理により中心代謝系である解糖系が大々的に抑制」される一方で、解糖系の中間代謝物であるピルビン酸を出発点とする代謝バイパス経路の「酢酸合成系が乾燥により誘導・活性化」されることが明らかとなりました。次に乾燥条件下での植物体内の酢酸蓄積量を調べたところ、hda6遺伝子変異体では野生型のシロイヌナズナに比べ、およそ2倍量の酢酸が蓄積していました。 さらに生化学的解析の結果から、HDA6タンパク質は酢酸合成に必須の酵素をコードする2つの遺伝子領域に結合し、これら遺伝子の転写活性を直接制御していることがわかりました。つまり、乾燥に応答して植物体内では解糖系から酢酸合成系へのダイナミックな代謝変換が起こり、その変換スイッチ分子として植物のエピジェネティック因子であるHDA6が働いていることが明らかとなりました。 [caption id="attachment_5443" align="aligncenter" width="600"] 乾燥による植物の中心代謝変換
植物において、通常生育時に解糖系からクエン酸回路への代謝フローが機能している。このとき、HDA6タンパク質は酢酸合成に働く酵素遺伝子PDC1とALDH2B7を直接抑制している。乾燥条件下では、解糖系からクエン酸回路へのフローが抑制されるとともに、これら遺伝子領域からHDA6タンパク質が乖離し、酢酸合成系の抑制が解除されることで、乾燥に応答した酢酸の合成が誘導促進される。[/caption]

酢酸が植物に乾燥耐性を付与するメカニズム

では、どのようにして酢酸は植物に乾燥耐性を与えることができるのでしょうか? まず私たちは、植物体の外部から酢酸を投与することで、植物に乾燥耐性を付与できるかどうか調べました。酢酸とその他の酸溶液(塩酸、蟻酸、酪酸、乳酸、クエン酸)を用いてシロイヌナズナに9日間前処理し、その後、およそ2週間給水を停止して植物を乾燥状態においたときの生存について調べました。その結果、今回用いた酸溶液の中では酢酸だけがシロイヌナズナに強い乾燥耐性を付与でき、乾燥環境下での植物の生存にポジティブに働くことがわかりました。 次に酢酸の作用機序を明らかにするため、外部からシロイヌナズナに酢酸を与えたときの植物ホルモンの量的変化などを調べた結果、酢酸投与により植物体内のジャスモン酸量が一過的に急上昇することがわかりました。ジャスモン酸は植物の傷害応答に関与することが知られている植物ホルモンです。 さらに、酢酸と乾燥の複合的な処理により、ジャスモン酸によって誘導を受ける遺伝子群が高感度に発現誘導されること、および、ジャスモン酸合成とシグナル伝達に関わるタンパク質をコードする遺伝子の破壊株では、乾燥に著しく弱くなることなどもわかりました。 これらにより、「酢酸がジャスモン酸合成を誘導し、その結果、傷害応答に関わるジャスモン酸シグナル伝達系の下流遺伝子群が活性化されることで、植物は乾燥に強くなる」というメカニズムが明らかになりました。 [caption id="attachment_5446" align="aligncenter" width="600"] 酢酸による乾燥耐性効果
2週齢のシロイヌナズナ野生株に10mMのさまざまな酸溶液を用いて前処理をした後、およそ2週間の乾燥処理を施した。乾燥処理後、3日間の再給水を行い、植物の生存の様子を調べた。10mM酢酸で処理したシロイヌナズナの野生型植物体だけが顕著な乾燥耐性を示した。これにより、酢酸による植物への乾燥耐性付与効果が確認できた。[/caption]

酢酸の役割はもうひとつある

生体内の酢酸はアセチルCoAに代謝変換されることが知られています。このアセチルCoAはクロマチンの活性化に必要なヒストンアセチル化修飾の唯一の基質と考えられています。私たちは、酢酸投与によるゲノム活性化の可能性を調べるため、放射性同位体でラベルした酢酸を植物体内に取り込ませた後、ヒストンタンパク質を精製して、ラベルした酢酸がヒストンタンパク質へアセチル化修飾として取り込まれているか否かなどを調べました。 その結果、外部から与えた酢酸は、生体内のヒストンH4に取り込まれるだけでなく、ゲノムワイドなヒストンアセチル化を促進してクロマチン・遺伝子群の活性化を促進すること、また、それら遺伝子群のなかには酢酸によって誘導を受けるジャスモン酸下流の遺伝子が多数含まれることがわかりました。 このことから、今回見つかった植物の新規乾燥耐性獲得メカニズムにおいて、酢酸はジャスモン酸の一過的合成と下流遺伝子発現の誘導、およびこれら遺伝子群に対するクロマチンレベルでの活性化という二重の活性化経路で複合的に機能していることが明らかになりました。 [caption id="attachment_5444" align="aligncenter" width="600"] 酢酸から下流の乾燥耐性付与メカニズムの流れ
酢酸の効果は二重の経路で植物に乾燥耐性を付与する。酢酸の効果①:酢酸の投与により、傷害応答に働く植物ホルモンであるジャスモン酸の合成が一過的に誘導される。合成されたジャスモン酸の刺激により、ジャスモン酸シグナルネットワーク下流の遺伝子群が活性化される。酢酸の効果②:同時に、投与された酢酸は植物体内でアセチル基としてヒストンタンパク質に取り込まれ、①で活性化されるジャスモン酸シグナルネットワーク下流標的遺伝子の活性化誘導に機能する。[/caption]

進化的に植物に保存されたメカニズム

私たちは、乾燥条件下で酢酸合成を担う2つの遺伝子(PDC1とALDH2B7)を同定しています。進化的系統解析の結果から、ピルビン酸からアセトアルデヒドへの反応を触媒する酵素遺伝子PDC1は酵母および植物に特異的に保存されており、一方で、アセトアルデヒドから酢酸への触媒酵素遺伝子ALDH2B7は酵母からヒトに至るまで高度に保存されていました。このことから、乾燥耐性に関わる酢酸合成系の進化的な保存性は、植物に特化したものであると推察されました。 この推察をもとに、シロイヌナズナ以外の植物種において酢酸による乾燥耐性付与効果を明らかにするため、イネ、コムギ、トウモロコシおよびナタネを用いて、乾燥実験を行ったところ、単子葉植物、双子葉植物を問わず実験に用いたこれら全ての植物種で、酢酸を与えることにより乾燥に強くすることができました。 [caption id="attachment_5445" align="aligncenter" width="600"] 主要作物種における酢酸の乾燥耐性付与効果
トウモロコシ、イネ、ナタネ、コムギに、0-50mM酢酸で前処理を施したときの、乾燥耐性付与効果を調べた。単子葉、双子葉に関わらず、酢酸処理による乾燥耐性の付与効果が確認できた。また、すべての植物種において、有効な酢酸濃度はおよそ10-30mMの範囲であることが示された。[/caption]

今後の展開

今回、私たちが発見した「エピジェネティック因子により制御される、酢酸—ジャスモン酸を介した植物の乾燥耐性機構」は、これまでに報告されている多くの乾燥応答遺伝子との関連性がほとんどなく、植物の乾燥応答機構と環境変動時の生存戦略を考えるうえでも、まったくの新しい知見と可能性を拓くものだと言えます。 今後は、ジャスモン酸により活性化される下流遺伝子ネットワークの解析を通して、植物に乾燥耐性を与えることができるジャスモン酸ネットワーク下流の実行因子(遺伝子や生体分子など)の解明を進めたいと考えています。また現段階において本研究成果は、酢酸による植物への乾燥耐性付与効果を「実験室内」で明らかにできたというだけであり、農地の乾燥対策や砂漠の緑化にすぐに適用できるものではありません。農地での応用を見据えた研究・開発および実証実験を進めていくことで、干ばつ、乾燥による地球規模での植物資源の減少を食い止めるための技術の確立を、私たちは目指しています。 参考文献 Kim JM, To TK, et al. Nature Plants 2017, article number: 17097. doi: 10.1038/nplants.2017.97.]]>
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建築家のいない建築はどのようにできるのか? - 細胞質流動の研究から「隠れた秩序」に迫る https://academist-cf.com/journal/?p=5455 Wed, 02 Aug 2017 01:00:09 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5455 細胞は「建築家のいない建築」 私は生物学の研究者ですが、実は20歳くらいまで生物学にはほとんど興味をもっていませんでした。「ものを作る・設計すること」、とくに都市計画に興味をもっていました。店や工場、住居や道路をどう配置すれば効率がよく住み良い街になるのか、自分で設計してみたいと思っていました。 興味が突然、生物学に変わったのはある本がきっかけでした。芦原義信先生という建築家が書かれた『隠れた秩序』(中央公論社)という本です。この本には「都市計画の専門家が細部まで設計した都市よりも、人々の営みによって自然にできあがった都市の方が、なぜか住みやすく災害などにも強い」ことが議論されていました。「そこには(まだ人間が気づいていない)隠れた秩序があるはずだ」と結論づけられていました。限られた人によって全体が設計された建築(トップダウン型)よりも、全体像の指示がないまま個々の要素が勝手に組み上がっていることによってできる建築(ボトムアップ型)の方が、機能的であるということは、自然界や人間社会のあらゆる局面において見られる共通原理のように思えます。そこで、私は「建築家のいない建築(設計者のいないシステム)」がどのようにできあがり、それがなぜ優れているのかを研究したいと思うようになりました。そして研究の対象として細胞を選んだのです。 細胞は生命の最小単位で、単独でも生物として機能することができます。細胞はたんぱく質やDNAなど高分子と呼ばれる化学物質からできていますが、個々の高分子は固有の化学反応を引き起こすだけで、細胞全体を設計する建築家の役割を果たすものは見当たりません。DNAはよく「生命の設計図」と呼ばれたりもしますが、DNAにはタンパク質の作り方が書いてあるだけで、全体の設計に関する情報は直接的には書かれていません。化学物質の集まりから細胞という秩序ある生命体がどのようにできるのか、これこそがボトムアップ型建築の好例であると考え、細胞の研究をすることにしたのです。

「生きている」とは「流れている」ことである(かもしれない)

「生命(生きている状態)」と「非生命(生きていない状態)」の違いは物質の違いではありません。生きているニワトリの卵(発生しヒヨコになる)と、生きていないゆで卵は同じ物質でできていますが、生きている状態については大きな違いがあります。顕微鏡で細胞を観察すると、生きて分裂を続ける細胞と死んでしまった細胞とでは、静止画を見ただけでは区別が難しいこともあります。しかし、細胞の様子を動画の形で経時観察するとその差は一目瞭然です。生きている細胞ではその内部で細胞核やその他の小さな粒子が絶えず動いていますが、死んだ細胞では動きが止まっています。細胞より大きなレベルでも、生きている動物は動きますし、植物もゆっくりとではありますがさまざまな動きを見せます。このように、非常に単純ではありますが、生きていることの大きな特徴として「動いている」ということがあげられます。 一方で、たとえ動いていても、その動きがデタラメ(無秩序、ランダム)であれば、生きている状態とは思えません。部屋の中に光が差し込んだときに空気中の小さなホコリが舞っている様子が見えることがありますが、あのような無秩序な動きは生きている感じを受けないですよね。感覚的な話に思えるかもしれませんが、「秩序のある動き」が生きていることの特徴といえそうです。秩序のある動きの代表例として、多くのものがある決まった方向に動く「流れ」があります。また、生きている状態には、目には見えない流れも存在します。それはエネルギーの流れです。生きている状態を保つには、絶えずエネルギー(食物や太陽光)を取り込み、それを消費していなかければなりません。エネルギーの流れが止まれば、それはすなわち死を意味します。ですから、「生きている」状態とは、目に見える動きとしての「流れ」や、目に見えないエネルギーの「流れ」が密接に関わっているといえそうです。

細胞質流動はあらかじめ方向が定められていなくても、ある方向にそろう

私たちは細胞内で目に見える物質の流れについて研究しています。私たちが研究している線虫という体長1mmの透明な虫では、受精直後の1細胞期の細胞内で全体的な流れが生じます(減数分裂期細胞質流動)。 [caption id="attachment_5452" align="aligncenter" width="600"] 線虫の減数分裂期細胞質流動の様子(1番目の参考文献の図を改変)。動きを静止画で表すため、細胞内の顆粒の動きの連続写真を撮影し、各時間での顆粒を異なる色で表現したうえで重ね合わせました。虹色のグラデーションが見える部分が顆粒の動いている様子を表しています。ぜひ動画でダイナミックな動きをご覧ください。[/caption] この細胞内の流動は細胞内全体で同じ方向に向かって流れが生じるという点で明確な秩序がありますが、その方向(右回りか左回りか)は個体ごとに違っています。また同じ個体でも途中で方向が逆になるというように方向は気まぐれに変化します。このような流動は、あらかじめ方向が決まっているトップダウン型の秩序ではなく、その場その場の状況に合わせて方向が決まるボトムアップ型の秩序の好例であると考えました。そこで、同じ研究室の助教の木村健二さんが中心となり、画像解析を専門とする九州大学の内田誠一先生、生命現象の数理解析を専門とするフランス・キュリー研究所のJean-François Joanny先生のグループなどと共同研究を行い、この流動のメカニズムの解明に取り組みました。この研究での疑問は、「あらかじめ方向が定まっていないのに流動の方向はなぜそろうのか?」ということと、「せっかく方向をそろえた後に、なぜ逆方向に方向転換できるのか?」という2点でした。 この細胞質流動の原動力は、繊維状のタンパク質(微小管)が発生していることがすでにわかっていました。微小管という繊維をレールのようにして、その上をモータータンパク質と呼ばれる車のようなものが走ることによって流動が生じます。なので、レールの方向をそろえることができれば、細胞内で同じ方向に流動が生じます。問題はどうやってレールの方向をそろえるのかということです。木村健二さんは、ER(小胞体)と呼ばれる細胞内で網目状に広がるネットのような構造物がレールをそろえる役割を持つことを証明しました。あるレールの上を走る車が(細胞内では巨大な)ネットを引っ張ることにより、このネットに連結している周囲のレールも最初のレールと同じ方向に引っ張られ、同じ方向にそろうというしくみです。 [caption id="attachment_5453" align="aligncenter" width="600"] 細胞質流動の方向がそろうメカニズム。細胞の辺縁から内部に向かって多数のレール(緑、微小管)が生えている。このレール上を車(青、モータータンパク質)が動くことにより、流動が発生するが、この時、車はネット(赤、ER/小胞体)を引きずるため、周辺のレールも同じ方向にそろう。[/caption]

なぜ方向転換するのか? - 流れが「よどむ」ことの生きものらしさ

前節で述べたようにレールの向きが次々とそろっていけば、全体的な流動が起きることは説明できそうですが、流動の逆転はどう説明できるのでしょうか? 細胞内の分子というのは機械のように安定的に動くのではなく、かなり気まぐれであることがわかっています。細胞内は渋滞電車の中のようにたくさんの分子がひしめいていて、思うように身動きが取れません。レール(微小管)や車(モータータンパク質)の数は限られていて分布にムラがありますし、ネット(ER/小胞体)も切れたりしてつながっていないところもあります。そうすると、レールの方向がある程度そろっても、すべてのレールが同じ方向を向くことはなく、たまたま逆方向を向いているレール上で別の車がネットを引っ張り、たまたまその車につながっているネットが幅広い領域をカバーしているなどの偶然が重なると、方向転換が起き得るのです。 木村健二さんらは、ある遺伝子の働きを弱めることによってレールを長くすると、1台の車がネットを引っ張る距離と時間が長くなるので、流動の方向が安定し、ほとんど逆転しないことを発見しました。この実験結果は、流動の方向の転換が偶然の産物であることを支持しているのですが、同時に新しい疑問を投げかけます。私たちが実験したように、ある遺伝子の働きを弱めることによって流動の方向を安定させることができるのに、なぜ正常な細胞では、わざわざ流動が時折、逆転するような条件になっているのでしょうか? この疑問に対しては、私たちもまだ答えを持っておりません。今後の研究の課題です。同じ方向に安定的に回り続けるより、途中で止まったり、逆方向に流れたりする方が、「生きものっぽい」と私は感覚的に思っています。本稿の前半で述べたように「流れる」ことは生きものらしいのですが、流れが「よどむ」ことはもっと生きものらしい、私はそう考えています。今のところ、この感覚に科学的な根拠はありませんが、今回見つけた流動の意味について研究を続けることによって、流れが「よどむ」ことの意義や生きものらしさについても追求していきたいと考えています。 参考文献 Kenji Kimura, Alexandre Mamane, Tohru Sasaki, Kohta Sato, Jun Takagi, Ritsuya Niwayama, Lars Hufnagel, Yuta Shimamoto, Jean-François Joanny, Seiichi Uchida, Akatsuki Kimura. 2017. Endoplasmic Reticulum-Mediated Microtubule Alignment Governs Cytoplasmic Streaming. Nature Cell Biology, 19: 399-406. 木村健二, 木村暁. 2017. 細胞質流動の発生および逆転は小胞体のネットワークにより支配される. ライフサイエンス新着論文レビュー. 10.7875/first.author.2017.029 木村健二, 高木潤, 庭山律哉, 島本勇太, 内田誠一, 木村暁. 2017. 細胞質流動が自発的に流れの方向をそろえるしくみ, 逆転させるしくみ. 実験医学. 35: 2250-2253.]]>
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高いトポロジカル数をもつ磁気スキルミオンを発見 - 超小型メモリデバイスの開発に向けて https://academist-cf.com/journal/?p=5460 Tue, 08 Aug 2017 01:00:18 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5460 トポロジーとは? トポロジーは幾何学の一分野です。しかし、トポロジーと高等学校までで習うユークリッド幾何学とは、「2つの図形が同じであるとみなす」基準に関して大きな違いがあります。ユークリッド幾何学では、「合同変換」で移り合う図形同士を同じとみなします。一方、トポロジーでは、その基準は緩く、「連続変形」で移り合える図形同士を同じとみなします。そのため、トポロジーでは、2つの図形が同じか否かをどのように判別するか、というのが基本的な問題です。それに対する有効的なアプローチのひとつに、連続変形では変化しない「トポロジカル数」というものをそれぞれの図形に対して定義するという方法があります。トポロジカル数の代表的な例は、図形の穴の数やひねり数です。 たとえば、アルファベットの形をトポロジーで区別するときには、穴の数が重要な役割を果たします。「C, E, F」などはトポロジカル数(穴の数)が0、「A, D, O」などはトポロジカル数が1、「B」はトポロジカル数が2です。別の例として、普通の帯とメビウスの帯とを区別するときには、帯が何回ひねられているかが良いトポロジカル数になります。普通の帯ではトポロジカル数(ひねり数)が0ですが、メビウスの帯ではトポロジカル数が1です。 [caption id="attachment_5461" align="aligncenter" width="600"] (a)トポロジーによるアルファベットの形の区別
(b)トポロジーによる普通の帯とメビウスの帯の区別[/caption] 今回の研究テーマである磁気スキルミオンは、上述の例のようにトポロジカル数で特徴づけられる電子の磁石の配列構造です。

磁気スキルミオン

磁気スキルミオンは、電子の磁石の向きが渦状に並んだ構造を持っています。この磁気渦構造に対するトポロジカル数は、すべての矢印の矢尻を束ねたときに矢の先が球面を何回覆うか、という量で定義されます。下図の例では、(b)に示すように球面をちょうど1回覆う形になるので、トポロジカル数は1となります。 [caption id="attachment_5462" align="aligncenter" width="600"] (a)磁気スキルミオンの構造。矢印は個々の電子がもつ磁石の向きを表す
(b)球面をちょうど1回覆う形になるためトポロジカル数は1となる[/caption] トポロジカル数は、連続変形に対して不変であるため、磁気スキルミオンは熱ゆらぎや不純物効果に対して堅牢であることが期待されています。そのため、磁気スキルミオンのトポロジカル数をデジタル情報として取り扱うことができれば、磁気スキルミオンを新たな不揮発性メモリ素子として応用できる可能性があります。この技術を応用することができれば、メモリ素子に必要な物理的領域のサイズが大幅に小さくなるため、小型の不揮発性メモリデバイスの開発などが期待できます。 これまでの研究では、主に空間反転対称性が破れた物質を磁場中に置いたときに現れるトポロジカル数1の磁気スキルミオンが調べられてきました。ところがごく最近になって、空間反転対称な物質や理論モデルにおいても磁気スキルミオンが見出され、その安定化機構が議論の的になっています。こうした磁気スキルミオンには従来と異なる性質が期待されることから、応用の幅がさらに広がる可能性があります。そのため、このような新しいタイプの磁気スキルミオンの探索が世界的な研究の潮流となっています。

理論モデルと大規模数値シミュレーション

私たちの研究グループでは、新しいタイプの磁気スキルミオンの発見を目指して、金属磁性体に対する基本的な理論モデルにおいて安定化する電子の磁石の配列パターンを解析しました。そのために、近年開発された効率の良いアルゴリズムを適用し、超並列スーパーコンピューターを用いることで、大規模な数値シミュレーションを行いました。物質中における電子の振る舞いは多数の電子同士の協調現象によって決まるため、このような大規模な数値計算が本質的に重要となります。

トポロジカル数2の新しい磁気スキルミオン

数値シミュレーションの結果、金属磁性体においてトポロジカル数2の磁気スキルミオンが現れることを見出しました。これは、これまでのトポロジカル数1の磁気スキルミオンとは異なるまったく新しいものです。また、従来の磁気スキルミオンを安定化させるのに必要であった物質の空間反転対称性の破れや磁場を必要としないため、磁気スキルミオンを実現させる物質の候補が広がります。さらに、このような新しい磁性が系全体の電子の複雑な協調現象によって起きていることを見出しました。 さらに、磁場中に置くことによって、トポロジカル数2の磁気スキルミオンがトポロジカル数1の磁気スキルミオン、トポロジカル数0の磁気渦状態への多段階の変化が生じることを見出しました。このようにトポロジカル数が2→1→0と多段階に変化する振る舞いは、従来の磁気スキルミオンには見られないまったく新しいものです。 [caption id="attachment_5463" align="aligncenter" width="600"] (a)トポロジカル数2の磁気スキルミオン
(b)磁場中に置くことでトポロジカル数が2→1→0と多段階に変化する[/caption] この現象は、磁気スキルミオンのトポロジカル数をデジタル素子として応用するときに、顕著な利点になる可能性があります。なぜなら、従来の磁気スキルミオンはトポロジカル数が0と1をとることで2値メモリとしての機能が期待できましたが、今回の研究で見出された磁気スキルミオンは多値メモリとしての機能を有することが期待できるからです。これを応用することで、新しいタイプの超小型メモリデバイスの開発などが期待できます。 磁気スキルミオンは次世代技術としての応用が世界的に期待されています。私たちの研究グループでは、磁気スキルミオンに関する基礎学理の構築と、応用を見据えた新しいアイディアの創出を目指した研究を続けています。具体的には、磁気スキルミオンの動的性質やメモリ素子としての取り扱いやすさを調べること、また本研究の理論を実現する候補物質の探索などが今後の課題です。 参考文献 "Zero-Field Skyrmions with a High Topological Number in Itinerant Magnets", R. Ozawa, S. Hayami, and Y. Motome, Phys. Rev. Lett. 118, 147205 (2017). doi: https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.118.147205]]>
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「地球最後のフロンティア『深海』に研究者は何を見る?」高井研博士vs浦環博士のトークイベントレポート https://academist-cf.com/journal/?p=5471 Tue, 01 Aug 2017 02:00:49 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5471 現在クラウドファンディングに挑戦中の浦環博士と、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の高井研博士が深海探査の真髄と魅力について語り尽くすバトルトークが東京大学生産技術研究所にて開催されました。 ※当日の様子は、こちらから見ることができます。

深海には、「生命とはなにか」に迫る手がかりがある!

[caption id="attachment_5509" align="aligncenter" width="600"] 生命の謎にせまる高井研博士[/caption] イベントはまず、高井博士による「この夏に薦める『にわか』と思われないための深海ネタ集」と題された講演からはじまりました。高井博士は、「生命圏と非生命圏の境界を知ることで、『生命とは何か』にせまることができる」と語ります。 深海には120℃をこえる高温環境や1000気圧をこえる高圧環境など、想像を絶する環境が広がっています。しかし、そんな過酷な環境であっても、それぞれの環境に合わせて微生物は生息していることを高井博士は発見しました。深海には生命の限界や起源を知る手がかりがあるといいます。 今、高井博士は、世界で最も深い地点であるマリアナ海溝にただ潜るだけではなく、その海底を縦断する、つまり、深海を点ではなく線で見ることで、深海の真の姿を明らかにしようとしています。さらに将来は、このような知見を活かし、木星の衛星であるエウロパや土星の衛星であるエンケラドスなど、海があると考えられている星々を探査し、地球外生命の研究を行いたいと語りました。

信頼性のある無人潜水艇の利用が、深海探査には不可欠

[caption id="attachment_5505" align="aligncenter" width="600"] 無人潜水艇の開発をすすめる浦環博士[/caption] 続いて、浦博士が「独断と偏見による最新海洋工学トピックス」と題して、深海探査の難しさについて熱く語りました。浦博士はまず、アメリカのROV(遠隔操作型無人潜水機)「Remora6000」が、2009年に墜落したエールフランス機のフライトレコーダーを4000mの深海底から回収したことや、「Remora6000」のほか「かいこう」や「ドルフィン-3K」といったROV、深海曳航調査システム「ディープ・トウ」が、1999年に打ち上げられたものの失敗に終わったHIIロケット8号機のエンジンを約3000mの深海底から発見・回収したことを例にあげたうえで、これからの深海探査には、ROVだけでなく信頼性のあるAUV(自律型無人潜水機)の利用が不可欠であることを説明しました。 また、広大な海を探査するためには多数の無人機を同時に展開しなくてはいけません。しかし、そのためには、いかに素早くロボットを投入できるか、それぞれのロボットの位置を計測できるか、常にロボットにコマンドを送れる状況にあるのか、トラブルで浮上してきたらどうするのか、など、クリアすべき課題は多いと語ります。浦博士は、2012年には3機のAUVの同時展開に、2016年にはAUV3台とASV(洋上中継器)の同時展開に成功しました。今後は、IoTの技術も活かすことで、さらに多くのAUVを展開し、自律的に海底を探査できるようにしたいと主張しました。

もし自由に探査できるとしたら、どこの海を見たい?

[caption id="attachment_5507" align="aligncenter" width="600"] サイエンスバトルトークの様子[/caption] それぞれの講演の後は、「サイエンスバトルトーク」が繰り広げられました。テーマのひとつは「どこでもドアがあればどこの海域を探査したい?」。浦博士は、「インド洋の熱水域である『エドモンドフィールド』に行きたいですね。ここには、私が開発に携わったAUV『r2D4』が眠っているのです(深海探査中、通信が途絶え、ロストしてしまったのです)」と、その当時を回想しながら語りました。 一方、高井博士は、「紅海を探査してみたいです。紅海の海底は、熱水だけでなく油が湧き出しています。さらに塩分濃度が高いという特徴も併せ持っています。生物にとっては三重苦の環境なのです。ここに生息する微生物は、まさに『King of “M”』といえるでしょう。究極の極限生物を発見できると思います」と、笑いを取りながら将来の研究への展望を語りました。

深海を、研究だけではなく、レジャーにも活かしたい!

[caption id="attachment_5508" align="aligncenter" width="600"] 深海探査の奥深さについて語る高井博士と浦博士[/caption] イベントの後半では、質疑応答の時間が設けられました。「深海生物は食べることができるのか?」という話題の後、「深海生物に”食べられる”というのはいかがでしょうか?」という質問が投げかけられました。この質問に対して高井博士は、「私は、『深海埋葬』を実現したいと思っています。海への散骨ではなく、深海の海底に沈めてもらい、熱水噴出孔の成分になりたいですね。また、深海は研究だけでなく、レジャーにも活かしたいと考えています。500mくらい潜れる有人潜水艇を大量に建設し、深海旅行がもっと身近に行えるようにしたいと考えています」と、深海に対する研究以外の面での夢を語りました。 また、「今後、どれほどの数のAUVが同時展開できるようになるのでしょうか?」という質問もありました。この質問に対して浦博士は「これは、それぞれのAUVの信頼性に関わってきます。たとえ、それぞれのAUVの信頼性が99%だとしても、10機同時に展開すると、10%の確率で帰ってこない機体が出てきてしまいます。かといって、信頼性の高いものをつくろうとすると、非常にコストがかかってしまうのです」と難しい問題であることを解説しました。高井博士も、「信頼性を上げることだけが解ではありません。逆に、ロストすることを最初から織り込んで、ロストしても探査が問題なく行えるような機体を開発するという方向性もあります。トータルデザインで考えないといけないのです」と付け加えました。 *** [caption id="attachment_5506" align="aligncenter" width="600"] 現在、クラウドファンディングに挑戦中![/caption] 6500mよりもさらに深いような「超深海生命圏」のほとんどは、西太平洋、つまり日本近海にあります。日本は、深海探査に非常に恵まれた国なのです。日本の科学をもっと世界にアピールしていくために、さらに深海研究に力を入れていく必要があると感じました。今後の深海研究から目が離せません。 現在、浦博士は、五島列島沖に沈む「伊58」と考えられる潜水艦などの姿を明らかにし、バーチャルミュージアムをつくるために、クラウドファンディングに挑戦しています。ぜひご支援ください。]]>
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地球が誕生したのは偶然か、それとも必然か? - 惑星科学者・佐々木貴教助教に聞く https://academist-cf.com/journal/?p=5519 Thu, 17 Aug 2017 01:00:46 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5519 ーー最近よく話題になる「系外惑星」とは、どのような惑星を指しているのでしょうか。 系外惑星とは、太陽以外の星をまわる惑星を指します。昔から、太陽の周りに惑星があるのなら他の星にあってもいいだろうと考えられてきたのですが、そのような星はなかなか見つかりませんでした。1995年10月に、ペガスス座51番星という星をまわる系外惑星「ホットジュピター」がはじめて発見されてからは、系外惑星がどんどん発見されるようになり、現在では3,600個を越える数が発見されています。 ーーものすごい勢いですね。ホットジュピターが発見されたタイミングで、観測技術の革新のようなものがあったのでしょうか。 実は、技術革新が直接的なきっかけになったわけではありません。1980年代から90年代のあいだに系外惑星を観測する技術自体は成熟しており、当時からいろいろな国が系外惑星を探していたのですが、なかなか見つかりませんでした。そんななか1995年にスイス人の2人組が、「常識に縛られない視点」から世界初となる系外惑星を発見したんです。 ーー常識に縛られない視点とは……? 彼らが発見したホットジュピターは、わずか4日くらいで星をまわるガス惑星でした。これは、木星のようなガス惑星が、星から近い位置に発見されたということを意味しているのですが、太陽系の常識からすると、ガス惑星は星から遠い位置にいなくてはなりません。当時の惑星科学の専門家たちは、まさかそんなところにガス惑星があるとは想定していなかったので、スイスの2人組のような視点で観測データを見ることができなかったんですね。彼らは惑星の専門家ではなかったこともあり、常識に縛られずに観測できたのかもしれません。 ーー専門家ほど「太陽系の常識」に縛られていたということですね。 その後、系外惑星研究の分野はグングン伸びました。望遠鏡の性能が向上したことはもちろんあるのですが、この分野に人材と資金が集まったことが大きな理由です。系外惑星がどこにあるかわからなかった時期は、研究者は系外惑星があるかないかを見極めるチャレンジングな課題に挑まなければならないので、短期間で成果を出して論文にまとめなければならない大学院生などはやりたがらないわけですよ。ただ、系外惑星の存在が明らかになり、さらに数もある程度ありそうだなということになれば、人材と資金が一気に注ぎ込まれることになります。そのおかげで、わずか20年で急成長したというわけです。 ーー系外惑星のなかに、地球のような星はどれくらいあるのでしょうか。 地球のように生命が誕生するのに適した惑星は、だいたい20個くらいです。3,600個中の20個と聞くと少ない気もしますが、決してそういうことでもありません。というのも、観測精度の高い望遠鏡を利用しても、ガス惑星のように大きい惑星のほうが見つけやすいんですよね。実際には、さらにたくさんの地球型惑星があると期待されています。 ーー佐々木先生は、惑星科学の理論的な研究をされているとのことですが、理論分野ではどのような研究が行われているのでしょうか。 たとえば、系外惑星のうちの何割が地球と似た大きさでかつ生命を宿せるのかということや、惑星形成過程で大気や水をどのように獲得するのかというテーマがあります。系外惑星を研究するには、そもそも惑星がどのようにできるかということまで立ち戻って考える必要があるので、私たちに一番身近な太陽系形成過程についての理解も深めていかなくてはなりません。 ーー太陽系形成過程は、理論的にどこまで説明することができるのでしょうか。 太陽系の形成理論は、1970年代から80年代にかけていくつかの研究グループにより構築されており、その理論モデルを使うことで、大まかな太陽系形成のシナリオは説明できていました。ただしこの理論モデルでは、太陽系はできても太陽系以外の系が形成されなかったり、太陽系形成に伴う細かい物理過程を説明できなかったりなど、改善の余地も残されています。 ーー実験ができるわけではないので、理論の正しさを検証するのが難しいように思えます。 既存の理論が正しいだろうということは、主に2つの観点から説明することができます。 まず、理論モデルそのものが、ほぼ基礎物理に則っているんですね。最初に星ができて、角運動量保存することを考慮すると、まわりに円盤ができる。そこで微惑星が誕生して、お互いが重力でくっついていく。つまり、重力の影響のみを考慮した方程式を解くだけで勝手に惑星が誕生するんです。このプロセスにおいては余計な仮説を取り入れていないため、そこから出てきた結果にも納得できているということです。 もうひとつは、太陽系には内側に小さな地球型惑星があり、太陽から離れていくと巨大なガス惑星が出てきて、さらに遠くには氷の惑星がいるなど、系としては結構複雑なんですね。それがシンプルな理論モデルできれいに説明できたので、この理論モデルでよいのではないかと考えられるようになりました。 ーーなるほど。系外惑星を考慮した理論を作るときには、どのようなアプローチが考えられてきたのでしょうか。 まずは、これまでの太陽系形成理論における暗黙の仮定を取り払うということがされてきました。たとえば、太陽系形成理論では、地球は現在地球がある位置の周りの材料を、木星は現在木星がある位置の周りの材料を集めてできたというようなことを前提にしていたんですね。ただ、惑星形成の段階では、惑星は原始惑星系円盤という円盤のなかを自由に動きまわっていることが知られていました。つまり、地球が今の場所でできる必要はまったくなく、他の場所でできた地球が現在の位置にたどり着いたと考えても良いということになります。このような物理過程をすべて組み込んだ理論には、系外惑星を含めた多様な惑星系ができるというメリットがある一方で、今の場所に地球がいる必然性もなくなるデメリットもあるため、現在でも議論が続いている状況です。 ーー既存の太陽系形成理論に基づくのではなく、まったく別の理論モデルを考え直すということもありえますか。 ありますね。惑星形成の基本的な考えかたは、直径10kmくらいの小さな岩や氷を集めてレゴブロックのように惑星が形成されるというものなのですが、原始惑星系円盤から惑星の材料である塊がちぎれてそのまま惑星になるというアイデアも提唱されています。このアイデアではそもそも太陽系を作ることはできないのでしばらく忘れられていたのですが、系外惑星が発見されてきてからは、このような考えかたでないとできない惑星もあるということが明らかになりつつあります。いずれにしても、既存の理論モデルでは不十分な点も残されています。太陽系と系外惑星を共に再現する理論モデルの構築は、重要な研究課題のひとつです。 ーー佐々木先生は、何を研究のゴールとされているのでしょうか。 私の研究のゴールは、地球が地球になったのは偶然だったのか、それとも必然だったのかということについて明らかにすることです。太陽系形成の初期条件が満たされていれば、今の地球が必ずできるかというとそうではなく、ある確率の範囲内で地球とそっくりになるというように考えることができるんですね。まずは太陽系で「地球っぽい」惑星が統計的にできやすかったということを示していきたいです。 ーーもし地球が統計的にできにくいという結論が出たとすると、地球が偶然の産物であるということになり、系外惑星に地球型惑星があるという予測ができなくなるように思います。理論的に地球を作る難しさというものはあるのでしょうか。 地球が水を獲得するプロセスです。地球ってよく、水の惑星と言われるじゃないですか。たしかに宇宙から地球を撮影した写真を見ると水にあふれているような感じもしますが、実際の重さでいうと地球全体の0.02%程度しかないんですね。つまり、地球表面に薄い水の膜があるだけで、中身はほぼ岩石ということです。この「ほんのわずかな水の獲得」を理論的に説明するのは難しいんですよ。もっと水がジャブジャブあったり、カラカラだったりする状況は簡単に説明できるのですが……。 ーーわずかな水を含むためには、どのようなシナリオが考えられるのでしょうか。 ひとつの可能性として、カラカラの地球にわずかな水を含んだ彗星が偶然降ってきたということが考えられます。ただ、それでは生命を宿す地球型惑星が偶然実現されたことになるため、たとえ宇宙に別の地球型惑星があったとしても、そこに生命がいるかはわかりません。 また、惑星形成の過程で、氷を含んだ材料が多く取り込まれている可能性も考えられています。これまでは、太陽に近い位置にある地球のまわりには氷はなく、木星くらいまで太陽から遠ざかると惑星形成の材料として氷を使えるのではないかと考えられていました。しかし最近では、地球のまわりにも氷があったのではないかと、複数の研究者から報告されています。この場合には地球は水を獲得することはできるのですが、あまりたくさんあるとすぐにたくさんの水を獲得してしまい、「ほんのわずかな水の獲得」は実現できません。 ーー系外惑星に地球型惑星があるかどうかを予測するには、水の獲得プロセスの理解が欠かせないということですね。 そうですね。生命を宿す地球型惑星が、どのように、どれくらいの数できるのかということを検証するために、まずは地球の形成過程を徹底的に理解したいと考えています。また、太陽系と同じような初期条件からスタートしたときに、地球のように生命を宿す惑星が高い確率で形成されるということを示せたら嬉しいですね。やはり究極的には、地球外の知的生命体が普遍的に出現できるものなのかということを知りたいですから。
佐々木貴教(ささき・たかのり)助教プロフィール 1979年佐賀県唐津市生まれ。2008年3月東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。博士(理学)。東京工業大学GCOE特任助教および特任准教授などを経て、2014年より京都大学大学院理学研究科宇宙物理学教室助教。専門は、惑星と生命の起源と進化についての理論研究。ホームページ:http://sasakitakanori.com
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カーボンの中に金属が規則配列した触媒 - 貴金属に替わる安価な触媒開発を目指して https://academist-cf.com/journal/?p=5529 Mon, 14 Aug 2017 01:00:27 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5529 奥ゆかしい材料、カーボン まず、今回の発見の鍵である「カーボン(炭素)」について説明します。みなさんがよくご存じの炭素同素体は、ダイヤモンドと黒鉛でしょう。最近は、フラーレン類、カーボンナノチューブ類も仲間に加わっています。これらの物質では基本的に構造の同定が可能です。つまり、原子1個1個の位置を決めることができます。化学者にとって、これは非常に重要なことです。化学的手法により、構造の制御がやりやすいからです。 一方で、炭素同素体の別な仲間に「無定形炭素」と呼ばれる物質群が存在します。無定形、すなわち定まった形の無い炭素のことを指します。広義には、カーボンブラック、カーボンファイバー、活性炭、木炭、ガラス状炭素、ダイヤモンドライクカーボンなどが含まれます。世の中で「カーボン」として使われている材料の多くは、実はこの無定形炭素に属します。これらの材料では原子1個1個の位置を決めることができず、そのため構造の制御がとても困難になります。多くの場合は、秘伝の料理を作るがごとく、経験的に磨き上げた原料と製造方法に頼ることになります。同じアップルパイでもパン屋さんによって激しく味が違うように、同じカーボンブラックでも非常に多くの異なる種類が販売されており、目的によって使い分けがされています。このように、カーボンは一筋縄ではいかない奥ゆかしい材料なのです。

カーボンと金属で、錬金術が可能!?

錬金術、すなわち元素変換を人間の手で大量に行うことはほぼ不可能ですが、貴金属と同じ機能をもつ代替材料を安価な原料から合成することは可能です。事実上の錬金術というわけです。さて、本稿の主役であるカーボンも、金属と混ざることで白金などの貴金属に似た触媒活性を示し、代替触媒として期待されています。ところが、主成分が無定形のカーボンであるため、活性中心となる構造部位のみを大量に配置するようなことができません。この錬金術を成功させるには、カーボンと金属をより緻密に組み上げる必要があります。カーボンとしては、奥ゆかしい材料から一皮むけて、結晶や分子のように構造の同定と制御が可能な形に進化することが重要です。

カーボンの中に金属が規則配列した新触媒

下の図の上段に、金属とカーボンからなる従来の触媒の調製方法を示します。有機金属錯体のように有機物と金属が混ざったものを単に熱分解させて炭素化する方法が取られていました。しかし、熱分解により元の構造はほぼ完全に消失し、乱雑な炭素骨格の中に金属種が埋め込まれたような混合物しか作ることができません。原料や焼成方法をさまざまに変えることで触媒の性能向上が検討されてきましたが、そういった方法には限界があります。 そこで今回、私たちの研究グループが開発した新しい合成方法が、下の図の下段に示すものです。原料(前駆体)の化学的構造に工夫を凝らしてあり、熱に強い機能性ブロック(ここに金属原子が含まれます)と、激しい構造変化をせずに炭素骨格に転換される部位から成る分子結晶を用いています。これを炭素化すると、前駆体の規則構造と機能性ブロックが炭素化後にも保たれ、カーボンの中に金属原子が規則配列した構造体が得られることを発見しました。このようにして得られる材料を、私たちは「規則性炭素化物構造体; Ordered Carbonaceous Framework(OCF)」と名付けました。 [caption id="attachment_5526" align="aligncenter" width="600"] 従来の炭素系触媒の調製方法と、本研究の手法[/caption] 下図にOCFの具体的な調製方法を示します。前駆体は、環状ポルフィリン2量体分子からなる錯体結晶です。ポルフィリン環の中心には、熱に強い機能性のNi-N4ブロックが存在しており、2つのポルフィリン環はジアセチレン鎖で連結されています。この結晶を加熱していくと、ジアセチレン鎖が重合し、308℃で結晶性高分子が生成します。Ni原子は規則正しく配列しており、この結晶の(020)面(d値が14.6 Å)を形成しています。さらに加熱を続けると、Ni-N4ブロック以外の部位がカーボンに変化し、OCFが生成します。その際、Ni原子の位置はほとんど変化しないため、その電子顕微鏡写真は炭素化前と殆ど同じ像になります。全体の操作としては、前駆体の錯体結晶を単に600~700℃で炭素化するだけという極めて簡便なものです。 [caption id="attachment_5527" align="aligncenter" width="600"] OCFの調製スキーム[/caption] 錯体結晶は緻密な構造制御が容易であり、高い触媒活性を実現できますが、耐熱性や耐薬品性が低く、また導電性が無いため電極触媒には利用できないといった欠点がありました。OCFは錯体結晶のように緻密な構造制御が可能であり、なおかつカーボンの利点である耐熱性、耐薬品性、導電性を併せ持ちます。実際、OCFは電極触媒として作用し、CO2を選択的にCOに還元することを確認しています。今回の発見で重要なのは、カーボンと金属を緻密に組み上げる方法、すなわち合成ルートを見出した点です。原理的には今回の前駆体だけでなく、他の有機結晶や錯体結晶からでも様々に異なるOCFが合成できるため、貴金属代替触媒の実現に大いに役立つと期待できます。

まとめ

一般的に、有機物を酸素が無い状態で焼成するとカーボンに転換できますが、熱分解の過程は非常に多くの複雑な分解反応や重縮合反応が同時に起こるため、「有機系結晶を焼成しても乱雑なカーボンしか得られない」というのがこれまでの常識でした。今回の発見はこれを覆すものであり、有機結晶のように規則正しい構造をもつカーボン系の触媒を合成するルートを提案しています。今後、前駆体の構造を変化させることで、カーボン材料の3次元的な構造を「化学的に」制御し、様々な新触媒・新材料の開発に繋げたいと考えています。   参考文献 H. Nishihara, T. Hirota, K. Matsuura, M. Ohwada, N. Hoshino, T. Akutagawa, T. Higuchi, H. Jinnai, Y. Koseki, H. Kasai, Y. Matsuo, J. Maruyama, Y. Hayasaka, H. Konaka, Y. Yamada, S. Yamaguchi, K. Kamiya, T. Kamimura, H. Nobukuni, F. Tani, "Synthesis of ordered carbonaceous frameworks from organic crystals", Nature Communications, 8, 109 (2017).  ]]>
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“ゴキブリ”にタネまきしてもらう植物「ギンリョウソウ」 https://academist-cf.com/journal/?p=5542 Wed, 09 Aug 2017 01:00:04 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5542 銀竜草 まずギンリョウソウについてみてみましょう。この植物、国内では北海道から南西諸島までの広域に分布します。葉緑素を欠いているため、植物体の大部分が白色で、その姿かたちを竜にみたて「銀竜草」の名がつけられました。植物のなかには光合成をやめてしまい、菌類(キノコやカビの仲間)から栄養を奪って生きるものが知られていますが、ギンリョウソウもそんな「菌従属栄養植物」の1種で、ベニタケ類の菌糸から栄養を得ています。特に光を必要としないため、暗い森の中でも難なく暮らしていけます。もっとも地上部に植物体が現れるのは、花を咲かせ、実をつけるための約2か月間だけです(熊本市では4月中旬~6月中旬)。 [caption id="attachment_5535" align="aligncenter" width="600"] ギンリョウソウの開花株[/caption] ギンリョウソウの実は亜球形(幅1cm余り)で、くすんだ白色をしています。中には果肉と多数の微小なタネ(長さ約0.3mm × 幅0.2mm)が詰まっています(タネの数は平均937.3個)。タネの皮(種皮)はとても頑丈で、カミソリ刃で切断するのも難儀するほどです。実は熟すと落下、あるいは果茎ごと倒れますが、薄暗い森の地面の上では目立ちません。また、香りもなく、嗅覚に訴えその存在をアピールしたいわけでもないようです。さらに、果肉を舐めても(ヒトの味覚では)甘さが感じられません。目立たず、匂わず、味もなし。一体どんな動物を呼び寄せたいのでしょうか。 [caption id="attachment_5536" align="aligncenter" width="600"] 摂食痕のある実
淡褐色の微小種子が筋状に並んでいる。右下は実からとり出した種子[/caption]

やって来たのは……

実を食べる動物の実態を探るため、熊本市内の2か所の森で2シーズンにわたり、下記の調査を実施しました。赤外線センサーカメラを設置し、どんなトリやケモノが食べに来るか調べました。計1,259時間にわたって記録をとりましたが、予想に反し、実に興味を示したものは皆無でした。 一方、ビデオカメラ等も活用しつつ節足動物の来訪者を計206時間にわたって調査したところ、ザトウムシ2種、トビムシ類、カマドウマ1種、ゴキブリ2種、オオクチキムシ、アリ類という6つの動物群が計405回も記録されました。ただし、そのなかで一貫して来訪し、実を食べたのはモリチャバネゴキブリ(以下、モリチャバネ)だけでした(来訪回数100回、そのうちの72回で摂食を確認。1回あたりの採食時間は平均8.8分)。このモリチャバネ、その名のとおり森に棲むゴキブリ(体長11~14mm)で、夜行性、成虫は飛ぶことが得意です。 [caption id="attachment_5537" align="aligncenter" width="600"] 実を食べるモリチャバネゴキブリ[/caption]

運び手としての資質

野外で実を食べていたモリチャバネは捕獲してから3~10時間後にタネ入りの糞粒(長さ約1mm)を排出しました。各糞には平均3.1個のタネが入っていました。ギンリョウソウの実だけを与えて飼育すると、その数が平均7.2個に増えました。それらの排出されたタネ計1,406個を注意深く調べてみましたが、消化管を通過するあいだに破砕されてしまったものは、ただのひとつもありませんでした。 [caption id="attachment_5538" align="aligncenter" width="600"] タネの入った糞粒[/caption] 排出されたタネの状態をより詳しく調べるため、以下の実験を行ないました。 〔生き残っているか?〕試薬を用いて検査してみたところ、糞粒からとり出したタネの生存率(52.0%)は果肉からとり出したタネのそれ(49.3%)と大差ない、つまりゴキブリ体内を通過しても生存率が低下しないことがわかりました。 〔発芽力が残されているか?〕排出された糞粒をギンリョウソウ生育地の地面に埋め、1年後に回収してタネの状態を調べてみたところ、発芽こそしていなかったものの32%にあたるタネがまだ生きていることを確認しました(ギンリョウソウのタネは菌類と関係を結べないと発芽できないため、そもそも人がタネをまいて発芽させること自体、非常に困難です)。このことは、排出されたタネが菌糸と出会いさえすれば発芽可能なことを窺わせます。 [caption id="attachment_5539" align="aligncenter" width="600"] 試薬を用いたタネの生死判定
赤く染色されたタネだけが生きている[/caption]

かけがえのないパートナー

これまで、ゴキブリにタネを運んでもらい、まいてもらう植物、“ゴキブリ散布植物”の存在を報告した人は誰もいませんでした。しかし、得られた調査結果は「ギンリョウソウがモリチャバネにタネを託し、まいてもらう」ことを明示しています。ゴキブリ散布植物の発見です! 論文書きの最中、私たちは関東の森で実を食べるモリチャバネが撮影されていたことを知りましたが、このことから“モリチャバネによるタネまき”は熊本以外の地域でも行われていると推察されます。 どうしてギンリョウソウがゴキブリにタネを運んでもらうよう進化したのか、現時点では定かではありませんが、その実とタネにはモリチャバネによるタネまきに適した特徴がいくつも認められました。 ・実が鳥類・哺乳類に摂食されてしまうことがない。 ・実の成熟期が年1回のモリチャバネの羽化期(成虫の出現期)とほぼ一致。 ・実がモリチャバネの生活場所である地表面に置かれる。 ・タネが昆虫の体内(消化管)を通過できるほど微小。 ・タネの皮が頑丈で、消化管を通過しても破砕されない。 また、モリチャバネ自体もタネの運び手としてふさわしい特徴を備えていました。 ・個体数が多いことに加え、実によく訪れる。 ・生活場所が発芽に必要な菌類のみられる地中近く(地表面)であるため、糞粒もそこに排出されると考えられる。 ・タネが排出されるまでの時間が長く、また成虫は飛翔に長けていることから、遠方にタネが運ばれることも起こり得る(しかも、各糞に入っているタネは少数。その結果、より多くの地点にタネが運ばれて菌糸と出会う確率が上がるのかもしれません?)。 こういった双方の特徴を考えあわせると、ギンリョウソウにとってモリチャバネは“かけがえのないパートナー”であるとみて良さそうです。一方で、あらゆる場所でモリチャバネと共生関係を結んでいないことも確かです。寒さの厳しい地域にはゴキブリが自然分布していないからです。他大学の研究者によると、カマドウマがタネの運び手になっている地域があるそうです。カマドウマの仲間は日本列島の北から南まで広く分布しています(前記したとおり、私たちはカマドウマの来訪も記録しましたが、とても稀で、しかも傷んだ実や齧り跡のある実しか食べなかったことから、それを偶発的な摂食者とみなしました)。 [caption id="attachment_5540" align="aligncenter" width="600"] カマドウマの1種
翅が退化し飛べないが、その跳躍力には目を見張るものがある[/caption]

今後に期待

近縁な植物(ギンリョウソウ亜科)のなかには、ギンリョウソウによく似た実をつけるものがいくつもあります。また、それ以外の菌従属栄養植物や寄生植物のなかにも似た形状の実が散見されます。一方、これまでに世界から約4,600種のゴキブリが発見されているそうです。これらのことから想像をたくましくすれば、探せば第二、第三のゴキブリ散布植物があっさりみつかるような気もします。日本だけでも50種を超えるゴキブリが生息しています。ギンリョウソウの他にもゴキブリを頼る植物があったとしても何の不思議もありません。次のゴキブリ散布植物がいつ、どこで発見されるか、楽しみに待ちたいと思います。 参考文献 Duthie C, Gibbs G & Burns KC (2006) Seed dispersal by weta. Science 311: 1575. Uehara Y & Sugiura N (2017) Cockroach-mediated seed dispersal in Monotropastrum humile (Ericaceae): a new mutualistic mechanism. Botanical Journal of the Linnean Society. 10.1093/botlinnean/box043 de Vega C, Arista M, Ortiz PL, Herrera CM & Talavera S (2011) Endozoochory by beetles: a novel seed dispersal mechanism. Annals of Botany 107: 629–637.]]>
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脱水しても生き延びる「ネムリユスリカ」が支えてくれる、乾燥状態での酵素活性 https://academist-cf.com/journal/?p=5551 Thu, 10 Aug 2017 01:00:18 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5551 脱水しても生き延びるネムリユスリカ ネムリユスリカは、アフリカの半乾燥地帯の水たまりに生息する昆虫です。乾季に、乾いた水たまりの土の中で、幼虫の体水分が脱水し、代謝や呼吸を停止させて休眠状態となります。降雨時に吸水して再び生育が開始します。この休眠状態は、アンヒドロビオシスと呼ばれ、ワムシや線虫、クマムシなど一部の生物がもつ能力です。ネムリユスリカのアンヒドロビオシスの状態では、17年間の乾燥を経た後に水をかけると復活したという記録があります。他にも、100℃近い高温や絶対零度、放射線、有機溶媒、真空中、宇宙空間でも耐えることができます。ネムリユスリカの研究は、農研機構の黄川田研究グループが中心となって推進しています。

ネムリユスリカ由来培養細胞

昆虫の培養細胞の多くは、ばらばらにした胚子を栄養豊富な培地で馴化することで作製されます。この方法で樹立されたネムリユスリカ由来培養細胞(Pv11細胞)を高濃度のトレハロース溶液に浸し、25℃条件下で脱水させます。脱水条件下において、トレハロースは水分子と置き換わる性質があり、生体成分を保護する働きがあります。また、ゆっくりとした脱水は、トレハロースをガラス状態にし、細胞の過度な縮小を抑制します。このとき、Pv11細胞の中では、干からびても死ななくなるための複数の遺伝子が発現していると考えられています。トレハロース処理をしたPv11細胞をシリカゲルを入れた箱に入れて乾燥状態を維持し、培地を加えると、細胞が蘇生しました。これまで昆虫生体でしかできなかった現象を、培養細胞で再現できるようになりました。再吸水したPv11細胞が、再び細胞分裂を開始するという事象は、乾燥後の蘇生に関わる生体物質を、カラカラに乾いた状態でも活性を保護していることを裏付けています。しかし、この細胞に人為的に導入した酵素の活性を、常温で乾燥させた条件下でも保護できるかどうかは不明でした。 [caption id="attachment_5547" align="aligncenter" width="600"] ネムリユスリカの脱水と吸水行程(左)
ネムリユスリカ由来培養細胞(Pv11細胞)。赤色はミトコンドリアを表す(右)[/caption]

乾燥すると壊れてしまう酵素でも、活性を保護できるか?

ホタルの発光で知られるルシフェラーゼは、ATPとマグネシウムイオン存在下でルシフェリン(基質)の化学反応を触媒する酵素です。ルシフェラーゼは、乾燥で変性し、活性を失うことが知られています。私たちはルシフェラーゼを発現するPv11細胞を樹立しました。細胞を乾燥状態で1週間維持し、復活させるとおよそ30%程度の酵素活性を示しました。このとき細胞の生存率はおよそ25%程度でした。統計的な解析と生化学的な解析から、Pv11細胞内のルシフェラーゼの活性は、生存細胞数に依存することがわかりました。これは、Pv11細胞が生き延びていれば、ルシフェラーゼをほぼ完全に保護できると考えられます。また、Pv11細胞を乾燥状態で372日間、25℃で維持した後に、培地を添加すると、ルシフェラーゼによる酵素活性を検出することができました。この結果は、少なくとも1年間は、酵素活性を保護できることを示しています。 [caption id="attachment_5548" align="aligncenter" width="600"] Pv11細胞の乾燥耐性
A. Pv11の生存率。乾燥後とは、1週間の乾燥保存を経た後、培地を加えた後の細胞生存率を示す
B. ルシフェラーゼ活性測定。Aの生存評価と同時に行った。エラーバーは標準誤差[/caption]

乾燥状態で、Pv11細胞が酵素を保護していない可能性

乾燥保存を経て、再吸水後にPv11細胞の代謝が再開されるということは、細胞のゲノムに組み込まれたルシフェラーゼも代謝再開に伴って再生産されます。言い換えれば、再吸水後のルシフェラーゼの活性は、乾燥で保護されていた酵素の活性を検出したものではない可能性が考えられました。そこで翻訳阻害剤(タンパク質の合成を妨げる薬品)を用いて、再吸水後の代謝を停止させた上で、ルシフェラーゼの活性を測定したところ、阻害剤の有無に関わらず、同レベルの酵素活性が検出されました。これは、代謝再開時に新しく生産されたルシフェラーゼの活性を検出したのではないと言えます。したがってPv11細胞は、乾燥条件下でもルシフェラーゼの活性を保護できることになります。

今後の展開

本研究の成果は、ネムリユスリカの乾燥耐性機能とトレハロースを組み合わせることで電力消費を極限まで抑えた生体物質の保存技術に展開されます。電力供給が乏しい地域や災害時にも安定的に、貯蔵と運搬を可能にする技術への第一歩となります。今回の研究では、ルシフェラーゼの常温乾燥保存を示した一例に過ぎません。今後は、医療用診断酵素や抗体など、冷蔵・冷凍保存が望まれる生体資料の保存への適用が期待されます。ネムリユスリカの細胞がもつ乾燥耐性能力の仕組みを詳しく研究することで、乾燥耐性に必要な因子が明らかになります。これらの因子を、乾燥に対して感受性であるヒトの細胞や組織などに応用することで、水を必要としない新たな保存技術ができると期待しています。 [caption id="attachment_5549" align="aligncenter" width="600"] 将来的な酵素の常温乾燥保存イメージ。任意の酵素を導入したPv11細胞を、トレハロース溶液内に浸し、脱水させてガラス状態にする[/caption]   参考文献 Watanabe, K., Imanishi, S., Akiduki, G., Cornette, R. & Okuda, T. Air-dried cells from the anhydrobiotic insect, Polypedilum vanderplanki, can survive long term preservation at room temperature and retain proliferation potential after rehydration. Cryobiology 73, 93–98 (2016). Kikuta, S., Watanabe, J.S., Sato, R., Gusev, O., Nesmelov, A., Sogame, Y., Cornette, R. & Kikawada, T. Towards water-free biobanks: long-term dry-preservation at room temperature ofdesiccation-sensitive enzyme luciferase in air-dried insect cells. Scientific Reports, 7. 6540 (2017) DOI: 10.1038/s41598-017-06945-y 黄川田 隆洋『ネムリユスリカの不思議な世界』ウェッジ選書]]>
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人類はなぜ森林のなかで地上生活を始めたのか - ボノボとチンパンジーの生態から探る https://academist-cf.com/journal/?p=5562 Fri, 18 Aug 2017 01:00:17 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5562 地上生活は森のなかで始まった およそ700万年前、チンパンジーやボノボとヒトが分かれる前の共通祖先は、アフリカの熱帯雨林で樹上生活をしていた、現在のヒトともチンパンジーとも違う生き物でした。ところが、1年中温暖湿潤だったアフリカの熱帯林に大きな変化が起こっていました。ヒマラヤ地域の上昇によりアフリカモンスーン気候(季節性気候)が強まってきていたのです。熱帯地域では乾季の長さが乾燥化の目安となります。乾季が長くなると森林は存続できず、次第に木がまばらになり、やがて熱帯草原(サバンナ)へと植生が変わっていきます。 およそ900万年前以降の後期中新世、アフリカでは、乾燥化・湿潤化を繰り返しながら次第に乾燥化傾向が強まり、森林面積が減少してきました。ヒトの祖先はそのような環境変化のなかで直立二足歩行を獲得し、アウストラロピテクスの時代(400〜200万年前)にはサバンナへ生息域を大きく広げたことがわかっています。そこで、森林の後退でサバンナでの生活が始まり、二足歩行などさまざまな人間の特徴を進化させたとするサバンナ仮説がかつては有力でした。 ところが、近年発見された初期人類の化石は、従来のサバンナ仮説ではうまく説明できません。最古の化石人類の一種、アルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)をはじめ、初期人類の化石はみな森林に近い環境から見つかっているのです。いずれの化石種も、直立二足歩行を示す特徴を持ち、限定的ながら地上生活を始めていたのです。ラミダス猿人の歯の同位体分析によると、森林の外の食物を摂ることはほとんどなかったと言えます。つまり樹上に住んでいて、食物を探すときにサバンナへ出て、これが地上生活を促したと考えるのも無理があることになります。ヒトの地上生活は森林が生活の中心だったころにすでに始まっていたのです。では、なぜ初期人類は森林のなかで地上を使うようになったのでしょうか。

現生のボノボとチンパンジーの生態から探る地上性の起源

私は、その謎に迫れる可能性を感じていました。すでに西アフリカ、ボッソウの森で、チンパンジーの地上利用時間が雨季と乾季で異なることを発見していたからです。熱帯林では各樹木が太陽光を奪い合うので、モザイクのようにそれぞれの木から枝が伸び、林冠が閉じます。太陽光はほぼ林冠部の葉で受け止められ、森林上部が高温になります。そこから対流や放射で温度が伝わるので、太陽光の届かない林床はずっと気温が低くなります。気温の低い雨季には樹上、暑い乾季には涼しい地上ですごして体温調節のエネルギーを節約していると考察しました。そこで、実際に季節性の強いボッソウの森と季節性の少ない生息地での地上利用時間、および森林内気温の高さによる違いを調べたいと思いました。かつて年中温暖湿潤だった時代から乾期が明瞭になった時代にかけて、ヒトの祖先が森林内の温度環境にどのように反応したか推測できるのではないか、と考えたからです。 [caption id="attachment_5559" align="aligncenter" width="600"] (左)ボッソウのチンパンジー。ナックル歩行で道路を渡る
(右)ワンバのボノボ。オスとメスが倒木の上で毛づくろい[/caption] 乾期がなく1年中雨量が多い典型的な熱帯林はアフリカの中央部、コンゴ盆地に分布し、そこにはチンパンジーの近縁種、ボノボが住んでいます。2005年12月から2008年11月まで、西アフリカのボッソウに2回、ボノボの調査地であるコンゴのワンバに3回、それぞれ2か月から4か月の調査をおこなって地上利用時間の季節変化を調べました。結果は予想どおりでした。どちらの森林でも地上付近は林冠より4〜7度、気温が低かったのです。そして、ボッソウ、ワンバどちらでも、気温の高い日は地上にいる時間が長くなりました。ボノボの住む森は気温の季節差があまりありません。したがって、季節ごとの平均を取ると、地上利用時間は少ないままで変化しないのです。樹冠の食物の量は地上利用時間に影響しませんでした。つまり、森林内気温の季節変化が地上利用時間を増やす主な要因となっています。 哺乳類の体温調節機構は基本的に共通しています。季節馴化で環境温度の季節変化に生理的に対応しますが、やはり気温が高い季節には涼しい場所に移動したり、放熱が良い姿勢で休んだりします。つまり、行動的な体温調節で生理的な季節馴化を補います。私たちも同じ行動をしていると思います。現在のチンパンジーやボノボとヒトの祖先の体温調節機構が違っていたとは考えにくいでしょう。 初期人類化石の発見地は、1,500万年前の温暖期のピークには広くアフリカ大陸を覆っていた熱帯林の周辺部にあたると考えられます。季節性気候が強まった影響は避け難いことだったでしょう。実際にラミダス猿人の生息地は乾季が明瞭な森林だったことがわかっています。樹上性でほとんど地面に降りることのなかった人類の祖先にとって、気温の季節変化は地上にいる時間を増やす強い要因となったと考えられます。乾季の出現という季節の始まりがヒトの地上生活のきっかけだったと推測できます。乾季が4〜5か月以上続くと熱帯林は存続できません。森林が後退したあと、樹が点在する開けた環境に適応できたのは、森林内ですでに季節的な地上生活を経験していたからだと思われます。

では二足歩行の起源は?

今回の報告は、ヒトの地上生活が森林内で部分的に成立したことを生態学的に裏付けたといえます。サバンナに出なくても季節的な地上生活は始まるのです。また、現在のボノボやチンパンジーは、ヒトとは違う道筋で半地上性を獲得しています。樹上ではぶら下がり移動、地上ではナックル歩行という特別な歩き方をします。ヒトとは異なる方法で、森林内地上生活にも適応しているわけです。つまり森林内では、地上生活を始めると同時に二足歩行になる必然性もないと考えられるでしょう。 二足歩行の起源にはさまざまな仮説があり、それらのほとんどは開放的環境、つまりサバンナへの進出を仮定の出発点においています。もちろん定常的な二足歩行の確立には、サバンナのような環境が必要であったのかもしれません。しかし、初期の二足歩行をおこなっていた我々の祖先は、森林を生活の中心にしていました。森林のなかで、直立二足歩行はどういう点で有利だったのでしょうか。大型類人猿の行動研究から、二足歩行は不安定な枝の上で果実を取るために樹上で始まったとする仮説もあります。ただ、現在の類人猿の骨盤などの形態は初期人類とは異なるので、人類の二足歩行の起源には直接適用できないかもしれません。いずれにしろ、二足歩行の起源・地上生活の起源・サバンナへの適応という人類進化のイベントには、それぞれ別の生態学的な説明が必要と思われます。他の地域のチンパンジーやボノボの生態と生息環境を調べ、人類の進化についてもっと追求していきたいと考えています。 参考文献 Hiroyuki Takemoto. (2017). Acquisition of terrestrial life by human ancestors influenced by forest microclimate. Scientific Reports, 7, 5741. 杉山幸丸編著.(2010).ヒトとサルの違いがわかる本.オーム社]]>
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食品成分で時差ボケは解消できるか - 体内時計を動かす食べ物の話 https://academist-cf.com/journal/?p=5581 Mon, 21 Aug 2017 01:00:35 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5581 (左)代表的な時計遺伝子による約24時間のフィードバックループ
(右)培養細胞の時計遺伝子Bmal1とPer2の発現を発光で可視化したもの[/caption]

全身の時計は朝ごはんに同期する

1つひとつの細胞に体内時計があるということは、ひとつの個体(1人の人間)として活動するときにはどうなっているのでしょうか。通常は、細胞の時計同士が同期していて、協調的なひとつのリズムを作るようになっています。人の体内時計を個体レベルで測ると、個人差はありますが、平均で24.2時間ほどと言われています。つまり、地球の自転に対して1日あたり10分くらい長いのですが、それではちょっと困るので、毎日時刻調整をして、自転周期に同期させています。 ここで、体内時計と外界時計の同期に使われているのが光です。目から入った光の情報は、視神経を介して視交叉上核というところに届き、そこの体内時計を補正します。この視交叉上核の時計は中枢時計と呼ばれ、全身の時計を同期させるためのマスター時計として機能しているのです。つまり、中枢時計は光に同期して外界と時刻合わせを行い、その他全身の時計(末梢時計)は中枢時計に同期することで、身体中の時計の時刻情報が同期するようになっているわけです。 このように全身の時計が中枢時計に同期する仕組みですが、組織によって少し同期因子が異なります。しかし、大まかには栄養シグナルや体温リズムなどを利用しています。つまり、朝ごはんを食べると、全身に栄養シグナルが回り、体温が上昇し、それが朝の時刻情報となって時計が同期します。よく使われる実験マウスは夜行性ですので、普通に飼育していると、ほとんどの食事は夜に食べ、夜に活動します(夜に体温が上がる)ので、身体の時計は夜行性リズムになっています。しかしここで、昼間にしか餌をあげない状態で1週間ほど飼育すると、身体中のほとんどの時計がひっくり返って昼行性リズムに同期します。 [caption id="attachment_5577" align="aligncenter" width="600"] 中枢時計と末梢時計の時刻合わせ[/caption]

食品成分で体内時計を調節できるのではないか?

食事情報が体内時計の同期因子になるということは、その内容(食品成分)によって体内時計をコントロールできるのではないか、という発想で、我々は10年ほど前から体内時計の調節作用を持つ食品の研究をしています。体内時計は各細胞にそなわっていますので、培養細胞を使った実験が可能です(これは便利)。培養細胞の時計遺伝子の活性を発光として可視化すると、とてもきれいな24時間リズムが見られるのですが、ここにさまざまな食品成分を添加して、リズムを変化させる食品成分を探しました。 そこでまず見つけたのが、赤ワインに含まれるポリフェノールとして有名なレスベラトロールで、培養細胞の時計時刻を2~3時間ずらす作用がありました。その他のポリフェノール類にも時計をずらす能力を有するものがそれなりにあって、特にフラボノイドと呼ばれる一群は作用が強いこともわかっています。 次に見つけたのがカフェインですが、これは体内時計の長さを伸ばすことがわかりました。実際にマウスにカフェイン溶液やインスタントコーヒーを飲ませたところ、マウスの活動リズムが伸びました(デカフェのコーヒーは効きません)。他の研究者からも、ヒトの体内時計(メラトニンの分泌リズムとして計測)を伸ばす作用や、マウスにカフェインを与える時間をうまく調節することで、体内時計を前に動かしたり後ろに動かしたりできることが報告されましたので、実際にカフェインを使って体内時計を調節することは可能だろうと思われます。個人的には、毎朝、同じタイミングでコーヒーを飲むことで、時計がきっちりと同期して健康的になれるものと考えています。 [caption id="attachment_5578" align="aligncenter" width="600"] カフェインによるヒト培養細胞の体内時計の伸長[/caption] カフェインと反対に時計を短くする効果を示すものとして、シナモンの香り成分として知られる桂皮酸(けいひさん)があります。培養細胞で時計の長さを短くすることがわかり、マウスに継続的に投与すると行動周期が短くなります。ヒトでの効果は確かめられていませんが、夜型になりがちなヒトの体内時計を朝型に戻すことができれば画期的ですね。 体内時計を朝型に変える食品として、実は、食塩も有望なことを見つけています。マウスに高食塩食を自由摂食させると、食事のタイミングは変わらないのですが、全身の時計が3時間くらい前倒しになることがわかりました。行動リズムは変わらないので、起きるタイミングは同じですが、消化器官などの体内組織はちょっと早めに活動を開始していることから、たとえば朝にちゃんとお腹がすいたり、トイレも出やすかったりする効果があるのではないかと期待しています。朝からテキパキ活動したい人には朝の味噌汁(和食)は向いているのかもしれません。 [caption id="attachment_5579" align="aligncenter" width="600"] 高食塩食の自由摂取により、末梢時計が約3時間前進[/caption]

時差ボケに起因する不健康問題の解決に向けて

夜の光を自在に操れるようになった現代人は、海外旅行をしない人でも、意外と時差ボケになりがちです。実は、朝ごはんを食べなかったり、休日に寝坊するだけでも時計の同期は弱くなり、身体の中では軽い時差ボケが起こっています。このような時差ボケが、身体パフォーマンスを低下させ、エネルギー代謝のバランスを悪くして肥満を誘発し、老化やがん、あるいは、免疫機能などに悪影響を及ぼすことが徐々にわかってきました。一番良いのは、毎日規則正しく(朝の)光を浴び、規則正しく(朝の)食事を摂ることです。それにより身体中の体内時計が強く同期し、働くべき時刻に頭脳や身体が機能し、休息すべき時刻に修復・回復系がしっかりと機能して、健康的な身体が維持できるものと思われます。 そうは言っても、夜にがんばらなければならないときもありますし、実際に海外に行くこともあるでしょうから、そういうときに我々の研究が(将来)役に立つはずです。体内時計を調節する食品により身体の時差ボケを解消することができれば、健康促進やパフォーマンス向上につながりますので、その実現を目指し、日々、研究を進めています。 参考文献 Oike H. (2017) Modulation of circadian clocks by nutrients and food factors. Biosci Biotechnol Biochem. 81(5), 863-870. doi: 10.1080/09168451.2017.1281722. Oike H, Kobori M, Suzuki T, Ishida N. (2011) Caffeine lengthens circadian rhythms in mice. Biochem Biophys Res Commun. 410(3), 654-8. doi: 10.1016/j.bbrc.2011.06.049. Oike H, Nagai K, Fukushima T, Ishida N, Kobori M. (2010) High-salt diet advances molecular circadian rhythms in mouse peripheral tissues. Biochem Biophys Res Commun. 402(1), 7-13. doi: 10.1016/j.bbrc.2010.09.072.]]>
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単独性ハナバチの集団越夜 - メスでは昼の活動を早く終わらせた個体ほど安全な位置を確保する https://academist-cf.com/journal/?p=5601 Thu, 24 Aug 2017 01:00:36 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5601 ハナバチの集団越夜の様子[/caption] このハナバチの寝る体勢もユニークで、大あごで枝などを咥えて、6本の脚は体にぴったりとつけ、体が宙に浮いた状態で寝るのです。一度寝始めると多少風が吹いたくらいではまったく動こうとはしません。そして、朝になり周辺がうっすらと明るくなってくると、もぞもぞと体を動かし始めて、身支度を整え、おもむろに飛び立っていきます。 私たちの研究グループは、南西諸島に生息するミナミスジボソフトハナバチという単独性ハナバチの一種に着目しました。ミナミスジボソフトハナバチを含む、フトハナバチと呼ばれる単独性ハナバチの仲間は、基本的にはオスが集団を作って夜を過ごしています。ところが私たちが調査した結果、ミナミスジボソフトハナバチではオスだけでなくメスも越夜集団を形成することが明らかになり、その形成行動や越夜に利用される場所などに着目して研究を進めてきました。

何個体が集まってどこに集団をつくるのか

まずは、オスとメスがそれぞれつくる越夜集団に参加している個体数を調べてみました。オスとメスの越夜集団はそれぞれ5月から6月にかけて西表島の林道で見ることができます。このハナバチはオスが先に羽化し、その後メスが羽化してくるという習性をもちます。越夜場所に飛来した個体が林道脇に垂れ下がっている葉や枝に止まる行動を観察し、葉や枝にそれぞれ何個体が寝ているかを数えました。すると、メスは平均4個体、オスは平均7個体が集まって越夜していました。調査期間中には単独で寝ている個体も観察されましたが、オスもメスも2個体以上が一緒に寝ている場合が多いことがわかりました。越夜集団は通常、垂れ下がった細い蔓や葉、かれた枝を利用して形成されます。今回集団が確認されたのは林道沿いにみられる、単子葉植物の垂れ下がった葉の上でした。越夜集団の中で、もっとも地上に近いポジションにいる個体の地上からの高さを測ってみると、1m前後ほどでした。このことから、ミナミスジボソフトハナバチは下に十分な空間がある場所に越夜集団を形成することがわかりました。 [caption id="attachment_5604" align="aligncenter" width="600"] 越夜集団に参加している個体数[/caption]

越夜集団に参加しているメスは誰なのか

これまで単独性ハナバチでは、メスは昼間に巣を作って卵を産み、夜は作りかけの巣の中で過ごすと言われていました。それでは越夜集団に参加しているメスはどのような発育段階の個体なのでしょうか。それを調べるために、昼間花に訪れて採餌している個体と巣を作っている個体、越夜している個体をそれぞれ採集し、卵巣の発達段階を比較してみました。すると、どの状態のメスも卵巣が十分に発達した成熟個体であることがわかりました。つまりメスはその日の巣作りが終わると越夜場所に飛来して寝ており、次の日に産卵と巣作りが可能な状態で越夜していると考えられました。

越夜集団内のどのポジションが好適か

越夜場所に飛来したメス個体はどのようにして集団を形成するのか、また集団内でのポジションはどうやって決まっているのかを調べました。日没前から越夜が行われる場所にじっと張り込んで、その行動を記録しました。その結果、加入個体数が多いメス集団ほど、参加を試みるメス個体の数は多くなりました。また、オスメスそれぞれについて、集団に参加した順番と集団内での越夜ポジションを調べてみました。すると、最初に参加した個体ほど、垂れ下がった葉の地面に近い場所を選んで寝ていることがわかりました。2番目以降の飛来個体は、最初の個体の越夜ポジションよりも上部に止まって夜を過ごしていました。メスでは明確な傾向がみられましたが、オスではそのような傾向はみられませんでした。これは、一番下にいる個体ほど、垂れ下がった葉を伝ってくる捕食者などを避けるのに、自分より上にいる個体を犠牲にして防ぐためだと推測しました。つまり、メスでは昼間の営巣活動を早く終わらせた個体ほど、越夜集団内で安全な位置を確保していることがわかりました。 [caption id="attachment_5603" align="aligncenter" width="600"] 集団に参加した順番と集団内での越夜ポジション[/caption] 日本にはおおよそ389種ものハナバチが生息していますが、夜はどこで過ごしているのかについては、あまり詳しいことがわかっていません。また、これまでメスは作りかけの巣穴などで越夜すると思われていた種でも、ミナミスジボソフトハナバチのように、どこかでこっそりと集団を形成して越夜している可能性もあります。これらのハナバチではどのような場所を越夜に利用しているのか、集団の形成がみられるのかといった点を明らかにしたいと思います。また夜間の捕食者は誰なのか、集団に参加している個体の体温はどうなっているのかを解明していくことで、単独性ハナバチにおける集団行動の進化について探ることができると期待しています。 ミナミスジボソフトハナバチは南西諸島の固有種であり、固有植物の重要な花粉媒介者であるとも考えられています。近縁種は日本全国に生息しており、こちらも在来生態系において花粉媒介の役割を担っているといわれています。近年、野生ハナバチ類の花粉媒介に果たす重要性が見直されつつあり、保全対策をすすめる動きもあります。野生ハナバチ類の生存において、巣材や巣場所、餌となる花資源の豊富さといった面は重要視されてきましたが、夜にどのような場所を好んで寝ているかについては情報がまだまだ不足しています。ミナミスジボソフトハナバチのように集団で越夜する場所を必要とする生きものは、その行動の面白さだけではなく、ハチも私たち人間同様に安眠の場を必要としていることを教えてくれていると考えています。 参考文献 Yokoi T, Idogawa N, Kandori I, Nikkeshi A, Watanabe M. The choosing of sleeping position in the overnight aggregation by the solitary bees Amegilla florea urens in Iriomote Island of Japan. The Science of Nature. doi:10.1007/s00114-017-1438-8]]>
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ビフィズス菌の糖代謝酵素の形からヒトとの共生の道すじを探る https://academist-cf.com/journal/?p=5614 Tue, 22 Aug 2017 01:00:15 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5614 腸内細菌は新しい糖代謝酵素の宝庫 健康なヒトの腸内には数百種以上の腸内細菌が棲んでいると言われます。腸内環境は嫌気的なので、酸素を使わない糖質の発酵にその主なエネルギー源を頼っています。ところが、ヒトが食べた食物のうち、澱粉などの消化されやすい糖質は小腸でほとんど吸収されてしまうので、主に大腸にいる腸内細菌は、食物繊維と総称されるような、ヒトの消化酵素では分解されにくい糖質を取り合って生きています。食物のなかには多種多様な糖質が含まれていますから、腸内細菌を調べると、これまで知られていなかったような新しい酵素がたくさん見つかります。以前、欧州のグループが、日本人の腸内細菌から海苔などの海藻の多糖の分解酵素の遺伝子が頻繁に見つかること、それが海洋に棲む細菌から伝播してきたと推測されることを報告して話題になりました。 糖質を加水分解する酵素はGlycoside Hydrolase(GH)と呼ばれ、見つかった順に番号を振られてファミリー分けされています。これから紹介する酵素のうち、EngBF、GLNBP、NagBb、LnbXは、それまで知られている酵素とアミノ酸配列の有為な相同性が見られなかったために、それぞれGH101、GH112、GH129、GH136という新しいファミリー番号を与えられています。また、ここでは紹介していませんが、GH121、GH127といったファミリーも、ビフィズス菌の糖代謝酵素の研究を通じて発見されたものです。一方、ごく最近の報告ですが、バクテロイデス属という成人の主要な腸内細菌からは、ペクチンを分解する酵素群のなかから新たなGHファミリーが一度に7種類も発見されました。腸内細菌の糖代謝酵素の研究は現在とても盛んになっているといえます。

ビフィズス菌は母乳に含まれるオリゴ糖や腸内の糖質を「食べて」いる

ビフィズス菌は「健康に良い」いわゆる善玉菌として有名ですが、特に赤ちゃんの腸内に多く見られます。授乳を開始すると、乳児の腸内細菌の大部分がビフィズス菌によって占められる、という一般的な事実が以前から知られており、それは近年の研究でも確かめられています。ヒトの母乳は乳糖、脂質などから成りますが、3番目に多い固形成分として、さまざまなオリゴ糖が1〜2%程度含まれており、これらは総称してヒトミルクオリゴ糖と呼ばれています。 ヒトミルクオリゴ糖は3つ以上の糖が繋がっている(乳糖以外の)オリゴ糖であり、100種類以上の成分から成ります。ヒトミルクオリゴ糖の主要な構成要素として、LNBと呼ばれる2糖(ガラクトースとN-アセチルグルコサミンがβ-1,3-結合してできています)があります。非常に興味深い事実として、このLNBが含まれるオリゴ糖は、ほとんどの哺乳動物の母乳からは見つかっていません。ボノボ、チンパンジー、オランウータンなど一部の類人猿からは見つかっているのですが、その量は少なく、LNBを含むオリゴ糖が多く含まれるのはヒトの母乳の際立った特徴なのです。 乳児の腸内にビフィズス菌を増やす因子はこのヒトミルクオリゴ糖であることが以前から知られていたのですが、それが具体的にどのようなメカニズムにもとづくのかは、長い間謎のままでした。それが約10年前に、ビフィズス菌体内でLNBを分解する酵素(GLNBP)が発見されたことから、一気に研究が進むことになります。 その後の研究で、乳児の腸内に存在するタイプのビフィズス菌は、GLNBPと下流の代謝系酵素(NahK, GalT, GalE)、そしてLNBをしっかりと結合して菌体内に取り込むトランスポーター(GL-BP)を、共通して持っていることが明らかになりました。さらに、ビフィズス菌のなかには、LNBをヒトミルクオリゴ糖から切り出す酵素であるLNBアーゼを菌体の外に持っているものがあります。 実は、この経路は、LNBとよく似たGNBと呼ばれる2糖も、取り込んで代謝することができます。GNBはヒトの腸内の粘膜の成分であるムチンと呼ばれる糖タンパク質の糖鎖として存在しており、ビフィズス菌の菌体外には、ムチンからGNBを切り離す酵素(EngBF)が見つかっています。そして、GNBのなかにはN-アセチルガラクトサミンという糖があるのですが、それをタンパク質から切り離す菌体内酵素(NagBb)も見つかりました。このことから、ビフィズス菌は、ヒトの腸内に存在する糖鎖も複数の経路を通じて栄養源にできることが明らかになっています。

ビフィズス菌の糖代謝酵素の形からわかること

私たちの研究室では、ビフィズス菌がヒトミルクオリゴ糖やムチン(糖タンパク質)を分解して代謝する一連の酵素やタンパク質の構造解析を行っています。タンパク質の立体構造から明らかになることは多く、たとえば、酵素の反応機構や基質の認識の様子が詳細にわかるようになります。 ビフィズス菌に特徴的に見られる酵素であるホスホケトラーゼは、この菌が他と違って効率の良い糖代謝経路を有するための鍵となる酵素なのですが、補酵素としてチアミン(ビタミンB1)を利用しています。その立体構造から、チアミンに結合した反応中間体(アセチルTPP中間体)にリン酸が直接反応して高エネルギー化合物(アセチルリン酸)を生産するメカニズムが明らかになりました。また、NagBbでは、N-アセチルガラクトサミンの認識に、金属イオンが関わっていることも明らかになりました。糖のN-アセチル基の認識に金属イオンが関わるということはこれまで知られておらず、ビフィズス菌の酵素を調べると、新しいことがいろいろとわかってきます。 [caption id="attachment_5611" align="aligncenter" width="600"] ホスホケトラーゼとNagBbの構造[/caption] ビフィズス菌には他の微生物は持っていないようなユニークな酵素が多く存在しており、私は、これらの酵素がどのような分子進化を遂げて現在のような形や機能を持つに至ったかについて興味を持っています。たとえば、ホスホケトラーゼはペントースリン酸経路やカルビン回路などで働いているトランスケトラーゼという酵素の活性部位が変化して出来ていること、NagBbは同様にムチンの糖代謝に関わっているEngBFと少し構造が似ていることがわかりました。また、GLNBPはβ-ガラクトシダーゼという酵素と、NahKはタンパク質にリン酸基を付加する酵素であるプロテインキナーゼと、それぞれ進化的起源を共通に持っていると推測されます。ビフィズス菌は、腸内で生き抜くのに必要な、特殊な代謝系を得るために、さまざまな起源を持つ酵素を組み合わせて利用しているのではないかと考えています。

まったく異なる2種類のLNBアーゼ

ビフィズス菌のうちBifidobacterium bifidumと呼ばれる種は、GH20に属するLNBアーゼ(LnbB)を持っていますが、Bifidobacterium longumではGH136という新しいファミリーに属するLnbXというLNBアーゼを持っています。この2つの酵素はどちらもヒトミルクオリゴ糖からLNBを切り出すという同じ機能を持っているのですが、そのタンパク質としての構造や反応のメカニズムはまったく異なります。 [caption id="attachment_5612" align="aligncenter" width="600"] 2種類のLNBアーゼの構造[/caption] LnbBは、糖質分解酵素でよく見られる(β/α)8バレルというフォールド(タンパク質の折りたたみパターン)を持ち、同じGH20に属するβ-N-アセチルヘキソサミニダーゼという酵素のポケットが広がることによりLNBが結合できるように分子進化してきたことが推察されます。また、LNBの切断には、基質のなかのN-アセチル基自身が反応することがわかっています。 一方、LnbXは、β-ヘリックスと呼ばれるフォールドを持ち、タンパク質のなかの418番目のアスパラギン酸残基が反応して、水分子がその反応に関わることもわかりました。LnbXの進化的起源についてはよくわからないのですが、面白いことに、ファージ由来のテイルスパイクタンパク質などとも形が少し似ています。このことは、Bifidobacterium属が乳児の腸内環境でヒトミルクオリゴ糖分解を分解するにあたり、まったく異なるタイプのLNBアーゼを別々に獲得したことを示しており、非常に興味深い事実だと考えています。 ビフィズス菌に限らず、腸内細菌は、食物や宿主由来の糖質を奪い合う環境で競争しつつ、宿主との共生をはかっているとも言えます。そこでは多様な糖質分解ツールを持つ微生物が栄養状態の変化に応じて増殖のチャンスを広げられるので、新しい酵素がどんどん現れる、酵素の分子進化の実験場のような場所なのではないかと考えられます。 参考文献 Suzuki R et al & Fushinobu S (2010). Crystal structures of phosphoketolase: thiamine diphosphate-dependent dehydration mechanism. J. Biol. Chem. 285(44), 34279-34287, doi: 10.1074/jbc.M110.156281 Sato M et al & Fushinobu S (2017). The first crystal structure of a family 129 glycoside hydrolase from a probiotic bacterium reveals critical residues and metal cofactors. J. Biol. Chem. 292(29), 12126-12138. doi: 10.1074/jbc.M117.777391 Yamada C et al & Fushinobu S (2017). Molecular insight into evolution of symbiosis between breast-fed infants and a member of the human gut microbiome Bifidobacterium longum. Cell Chem. Biol. 24(4), 515-524 doi: 10.1016/j.chembiol.2017.03.012]]>
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X線回折データを用いて分子軌道を直接観測! - 40年以上ものミステリー“構造変化なき転移"に挑む https://academist-cf.com/journal/?p=5622 Wed, 23 Aug 2017 01:00:12 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5622 TMTTF分子の分子軌道分布[/caption] 昨今、機能性物質における分子性結晶の躍進は目覚ましく、有機ELディスプレイなど多くの分子性物質による実用的な製品開発が行われています。分子設計によって無限の材料開発が可能であることから、これからの「ものづくり」を支える一大分野です。X線回折は結晶中の電子による散乱現象を用いるため、電子の数から原子を決定し、その配置を決定することが可能であることから、材料開発には欠かせません。一方で、これらの分子性結晶の機能は、分子軌道と呼ばれる空間的な電子の分布によって説明されることが化学の世界では常識となっていますが、今までは量子化学計算という方法で推定するしかありませんでした。 今回私たちは、大型放射光施設SPring-8で得られる高強度かつ、高品質なX線回折データを用いることで、原子配置だけでなく、その原子の持つ電子の空間分布の可視化から分子軌道の直接観測に成功しました。

研究の背景

原子により構成される分子は数百万種類以上存在するだけでなく、毎年万の単位で新しく合成され続けています。この分子の集合体である分子性結晶は、それらの組み合わせで構成されるため、実際上無限の物質群を設計することが可能です。分子性物質の場合には、分子間の相互作用によってその機能が記述されるために、物質設計に対する指針を示すうえでも、その相互作用の理解が非常に重要です。 この分子間の相互作用の担い手が分子軌道です。現在では、計算科学の発展により、分子設計には量子化学計算が大きな役割を担っています。しかし、単一の分子ではなく多くの分子が集まった結晶中の電子状態を含めた精密な情報を計算で得ることはいまだ困難です。さらに、実際の結晶中の分子軌道の情報を実験的に明らかにすることは、記述するための独立なパラメータが膨大になるために困難でした。 分子を構成するためには、原子同士が結合を作りますが、内殻の電子はこの結合にはほとんど寄与しません。一方、結合を形成する電子軌道の集まりは分子軌道と呼ばれますが、結合を形成する電子は電気的な機能にはあまり寄与できません。分子軌道の一部の電子だけがその分子の性質に大きく寄与します。通常のX線回折では原子の位置の情報程度しか得ることができませんが、我々の開発したコア差フーリエ合成(CDFS; Core Differential Fourier Synthesis)による電子密度解析は、分子の性質を色濃く反映する分子軌道だけを抽出することを可能としました。

擬1次元性分子性結晶 (TMTTF)2PF6

このような新しい実験手法と解析方法を提案するためには、多角的に調べられた標準的な物質の電子状態が説明可能か否かという検証が不可欠です。そこで、本研究では典型的な擬1次元性分子性結晶として知られる(TMTTF)2PF6を選びこの手法に関する検証を行いました。 この系の最初の報告は1978年で、PF6は-1価の閉殻のアニオン(陰イオン)分子、TMTTFは+0.5価の開殻のドナー分子であり、TMTTF分子は二量化することで+1価の電荷をもつダイマー(二量体)を形成して1次元的に積層した結晶構造を形成しています。分子性結晶としては単純な結晶構造にもかかわらず、温度-圧力相図上では多彩な電子物性(金属的伝導相、ダイマー・モット絶縁体、電荷秩序相、スピン・パイエルス相、反強磁性相、超伝導相)を示します。 特に、電荷秩序相では誘電率測定などから二量体内のTMTTF分子間で電荷の偏りが示唆されていましたが、中性子回折などさまざまな実験がためされたにも関わらず、実空間におけるその直接証拠を捉えることができなかったため、“構造変化なき転移 (structure-less transition) ”とも呼ばれて、40年以上もミステリーとされていました。つまり、極めて多角的にこの物質の性質が調べられていたにもかかわらず、分子軌道の観点からはその謎が誰にも解けなかったわけです。

分子軌道分布の直接観測に成功

我々は、この系の良質な結晶を用いてさまざまな測定を試みたデータを収集し、さらにこのデータについて現在提案されているさまざまな電子密度解析の方法を適用してみました。たとえば、SPring-8で得られた高分解能のデータの逆フーリエ変換を試みると、数学的にフーリエ変換の打ち切りと呼ばれる影響のために原子の持つ電子雲をまともに捉えることができません。 そこで、原子の持つ結合に寄与しない電子(内殻電子)の情報とフロンティア軌道と呼ばれる分子軌道を形成する電子情報を分離する解析手法を用いました。この結果、分子を構成する原子の位置などの精密な情報とフロンティア軌道を形成する電子密度の情報を別々に得ることができました。この結果、TMTTF二量体内で電子相関による電荷秩序が平均して電荷移動量 という極めてわずかな分量で生じていることを突き止めました。この電荷移動量が微小だったために、さまざまな実験でその変化をとらえきれなかったわけです。 [caption id="attachment_5619" align="aligncenter" width="600"] (左上)TMTTF分子の分子構造 (右上)(TMTTF)2PF6の結晶構造 (左下)逆フーリエ変換によって計算されたTMTTF分子の全電子密度分布。数学的な打ち切りの影響によって原子周りの電子に多くの偽の波が立っていて分子軌道が特定できない。(右下)CDFS法によって分子軌道のフロンティア軌道を抽出した電子雲の様子。結合性の炭素間の二重結合の様子や、炭素-硫黄間の反結合性による節の状態などが明瞭に観測されている[/caption] さらに、その電荷密度の結晶内の分布は、正孔-rich(黄色)と正孔-poor(緑色)なTMTTF分子が互いに最も避けあう2次元的なウィグナー結晶状態(電子結晶)を形成していることが電子密度レベルで初めて明らかとなりました。この結果は、40年間に渡って多くの他の論文によって報告されてきた内容と何ら矛盾がないことが示されて、アメリカ物理学会の刊行するトップジャーナル(PRL)に掲載されました。この手法が十分信頼できるということが示されました。 [caption id="attachment_5620" align="aligncenter" width="600"] 電荷秩序相のウィグナー結晶状態。正孔の多い(電子の少ない)黄色と正孔の少ない(電子の多い)緑色で表わされたTMTTF分子の長軸方向から眺めた配列の様子。ピンクはPF6の閉殻の陰イオン。価数の異なる分子が自己集積的に離れて結晶化し、矢印で示したように緑の分子の周りの最も近い分子がすべて黄色の分子になっている[/caption]

最後に

私たちが提案するCDFS法による電子密度解析はSPring-8の放射光による高分解能回折データがあれば、特殊な測定技術や解析は必要とせず、さらに無機系化合物にも適用可能です。CDFS法を用いることで今後より幅広い物質・材料の詳細な電子状態を議論することができ、機能性材料へ開発への情報提供が可能となります。 参考文献 Shunsuke Kitou, Tatsuya Fujii, Tadashi Kawamoto, Naoyuki Katayama, Sachiko Maki, Eiji Nishibori, Kunihisa Sugimoto, Masaki Takata, Toshikazu Nakamura, and Hiroshi Sawa “Successive Dimensional Transition in (TMTTF)2PF6 Revealed by Synchrotron X-ray Diffraction” Phys. Rev. Lett. 119, 065701 (2017).]]>
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リン酸化酵素が神経細胞で担う機能とは? – 概日リズム障害と加齢依存的な運動異常を示す変異マウス https://academist-cf.com/journal/?p=5640 Fri, 25 Aug 2017 01:00:53 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5640 神経細胞による概日リズムおよび運動の制御 神経系は生体の恒常性維持のためにさまざまな機能を制御しています。概日リズムや運動の制御は、神経系の重要な役割のひとつです。概日リズムは約24時間で周期的に繰り返す睡眠・覚醒などの生理現象です。昼夜で変化する外界の環境に適応するために必要であり、概日リズムを制御する中枢は脳に存在し、神経伝達物質やホルモン分泌を介して全身の個々の細胞に存在する細胞時計を制御します。 また、神経細胞が持つ非常に長い突起(軸索)は、脳からの信号を直接筋肉に伝えており、素早く自分の思い通りに手足を動かすことを可能にしています。怪我により神経が損傷すると筋肉を動かせなくなりますが、加齢によっても筋肉は衰え、運動能は低下します。それゆえ、高齢化が進む昨今、加齢に伴う運動能低下のメカニズムの解明は重要な課題となっています。私たちは、こうした複雑な神経機能の制御を、分子の観点から明らかにする研究に取り組んでいます。

リン酸化酵素 MKK7とは?

私たちが注目したのは、リン酸化酵素であるMKK7という分子です。MKK7は、標的分子のリン酸化を介して多様な細胞応答を引き起こします。これまでにMKK7は、ストレスに応答して細胞死を誘導するシグナルとしての事例が多く報告されてきました。一方、私たちのグループは、MKK7は細胞生存を誘導するシグナルであることを報告してきました。興味深いことに、哺乳動物培養細胞を用いた実験により、MKK7の活性が低下すると、細胞時計の周期が異常になる(伸長する)ことを発見しました。また、マウスを用いた実験により、MKK7を介するシグナルが神経系で常に活性化状態にあることを見出しました。マウス胎仔脳におけるMKK7の役割を調べるために、神経幹細胞でMKK7を欠損するマウス胎仔を作出したところ、脳の形成過程に異常を生じること、その結果、生後すぐに致死となることを明らかにしました。一方、成体マウスの神経系におけるMKK7の役割はよくわかっていません。そこで成体マウスの神経細胞特異的MKK7欠損マウス(MKK7 cKOマウス)を作出し、MKK7の機能解析を行いました。

神経細胞特異的MKK7欠損マウスの解析

MKK7 cKOマウスは致死を回避しました。興味深いことにMKK7 cKOマウスは正常マウスに比べて脳の大まかな構造に変化は見られないものの、白質と呼ばれる部分の面積が肥大し、脳重量が増加していることがわかりました。また、活動の周期を調べたところ、培養細胞の結果と同様に、周期が異常になる(周期が伸長する)こと、活動周期のメリハリが低下していることが明らかになりました。 [caption id="attachment_5637" align="aligncenter" width="600"] 神経細胞特異的 MKK7 欠損マウスの活動記録
マウスは夜行性であり、正常マウス(左)は明るい時間帯(0−12時)に睡眠し、暗い時間帯(12−0時)に活動する。一方、神経細胞特異的MKK7欠損マウス(右)は、暗い時間帯での活動が低下している。 図中に散在する黒い領域はマウスが活動していることを示す。[/caption] さらにMKK7 cKOマウスでは、加齢に伴って徐々に後肢に顕著な筋力の低下を示すこと、20ヶ月齢では著しい歩行困難を示すことがわかりました。筋力の低下したマウスでは脊髄の神経軸索が変性し、骨格筋が萎縮していました。これらの結果から、MKK7は成体の神経細胞において概日リズム制御および運動能の維持に必須の役割を果たすことが明らかになりました。 [caption id="attachment_5638" align="aligncenter" width="600"] 神経細胞特異的 MKK7 欠損マウスの加齢依存的な筋力低下
2.5ヶ月齢では正常マウスとMKK7欠損マウスでは後ろ足の開きに差はなかったが、加齢とともに(8ヶ月以降)MKK7 欠損マウスでは後ろ足の開き狭くなり、20ヶ月齢では完全に後ろ足が開けなくなった。[/caption]

MKK7の役割

では、MKK7は成体の神経細胞において、どのような役割を持っているのでしょうか? 培養細胞を使った過去の研究から、MKK7が細胞内の時計タンパク質をリン酸化し安定性を変化させることで、細胞時計の周期を適切な長さに制御していることがわかっています。したがって、MKK7の欠損は、神経細胞の時計周期を変化させることにより、個体の概日リズムを変化させたと考えられます。また、運動異常を示す老齢のMKK7欠損マウスの脊髄では軸索輸送に関連するタンパク質が蓄積していることがわかりました。MKK7が誘導するシグナルは軸索輸送を担うモータータンパク質であるキネシンなどをリン酸化し、その機能を調節することが報告されています。従って、加齢に伴う運動異常は、MKK7の活性の低下によって神経細胞の軸索輸送に異常をきたし、軸索が変性した結果であると考えられます。

最後に

最近、統合失調症患者の中にMkk7遺伝子に変異がある事例が報告され注目を集めています。概日リズム障害や加齢依存的な運動能低下に関する今回の研究が、今後、精神や運動に障害を持つヒト疾患の原因解明に貢献することを期待し、研究を続けていきたいと思います。 参考文献 Tokiwa Yamasaki1, Norie Deki-Arima1, et al., (2017) Age-dependent motor dysfunction due to neuron-specific disruption of stress-activated protein kinase MKK7. Scientific Reports 7, 7348. (1Contributed equally)]]>
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進みゆく海洋酸性化とサンゴ礁生態系への影響評価 − 最新の生物飼育実験系と高解像度観察技術で挑む https://academist-cf.com/journal/?p=5653 Mon, 28 Aug 2017 01:00:24 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5653 海洋酸性化とは 人為的に放出された二酸化炭素(CO2)の増加によって引き起こされる地球温暖化は、陸・海のさまざまな生態系に深刻な影響を及ぼすことが懸念されています。地球的規模の環境問題として、地球温暖化と並んで近年注目を集めているのが、海水中のCO2濃度が増加して、海水中のpHが低下してしまう、「海洋酸性化」と呼ばれる現象です。海洋酸性化が進むと、海水中の炭酸カルシウム飽和度が減少するため、貝類やサンゴのような、炭酸カルシウム骨格を形成する石灰化生物の骨格形成が困難になることが予想されています。 特にサンゴは、高い生物多様性を誇るサンゴ礁生態系の基盤形成の中心を担う生物であるため、サンゴが減少してしまうと、他の多くの周辺生物にも悪影響が出てしまう可能性があります。しかし、海洋酸性化による骨格形成の阻害が、海に生きる多種多様な石灰化生物に実際に起きるのかどうかについては、当初不明な点が多く残されていました。弘前大学の野尻幸宏教授を中心とした、日本の研究グループがこの問題に本格的に取り組み始めた2008年頃は、海洋酸性化のサンゴへの影響評価に関する知見もかなり限られた状況でした。 [caption id="attachment_5646" align="aligncenter" width="600"] 美しいサンゴ礁生態系の景観[/caption]

精密CO2制御装置による生物評価

海洋酸性化の生物への影響を調べる方法のひとつとしては、CO2濃度を調整した海水中で石灰化生物を飼育し、骨格の成長率などを調べるアプローチがあります。しかし、飼育実験の環境下で海水中のCO2濃度をできる限り均一にして、目標の値に維持するのは相当の工夫が必要で、当時の技術では、海水中のCO2濃度を正確に制御することは容易ではありませんでした。 こうした問題点を踏まえ、野尻幸宏教授らは、細長いCO2吸収塔を用いることで、海水中へのCO2の溶解をできる限り均一になるように工夫しました。また、海水中のCO2濃度をこまめに測定しながら、随時CO2の添加量をコンピュータで制御することで、海水中のCO2濃度を正確に維持できる、精密CO2制御装置を開発することに成功しました。 この装置のおかげで、近未来を想定した海洋酸性化の状況を正確に再現し、現実的な範囲内での生物影響評価が実施可能となりました。井口もこの装置を中心とした海洋酸性化研究プロジェクトに参画し、琉球大学・瀬底研究施設での飼育実験のサポートに関わるようになりました。精密CO2制御装置装置によって作成された酸性化海水を用いることで、我々の研究グループは、サンゴや有孔虫、石灰藻類などの、サンゴ礁周辺に見られる石灰化生物の影響評価を徹底的に行いました。その結果、海洋酸性化が今後進行すると、サンゴ礁の石灰化生物は実際に悪影響を受ける可能性が高いことが、次第に浮き彫りとなってきました。これらの研究成果はさまざまな国際学術誌に掲載され、引用回数も多く、世界的にも注目されるようになりました。 [caption id="attachment_5647" align="aligncenter" width="600"] 琉球大学・瀬底研究施設に設置された精密CO2制御装置[/caption]

サンゴ種間・種内に見られる海洋酸性化に対する生物応答の多様性

海洋酸性化によるサンゴ礁の石灰化生物への影響が明らかとなる一方で、研究を重ねていくにつれて、サンゴの酸性化海水に対する応答には、さまざまなバリエーションが見られることも次第に明らかとなってきました。過去の研究においては、サンゴ白化現象を引き起こすとされる高海水温に対するサンゴの感受性は、白化しやすいサンゴ種もいれば、ほとんど白化しない種もいるなど、種間で顕著な違いが見られることが既に知られていました。 [caption id="attachment_5648" align="aligncenter" width="600"] 琉球大学・瀬底研究施設周辺で見られるさまざまなサンゴ種。一番下の列の塊状のサンゴ種は白化しにくいことが知られている[/caption] 海洋酸性化に関しても、骨格形成が阻害されやすい種と、そうではない種が自然界には普通に存在することが、精密CO2制御装置を用いた飼育実験を重ねるうちに明らかとなってきました。さらに興味深いことに、同種内においても、酸性化海水への感受性には個体差があることも、次第に明らかとなってきました。そのため、今後海洋酸性化が進行すると、サンゴ種間・種内での感受性の違いにより、サンゴ群集・個体群の変化は複雑な挙動を示すことが予想されます。 [caption id="attachment_5649" align="aligncenter" width="600"] 精密CO2制御装置を用いたサンゴ飼育実験の様子[/caption]

サンゴが骨を作るメカニズム解明の必要性

海洋酸性化への進行に伴い、サンゴ礁生態系で生じるであろう、サンゴ群集・個体群の変化を予測することは容易ではありません。琉球列島周辺だけでも、400種近いサンゴが生息するとされており、すべての種で飼育実験を行って結果を重ねるには、途方もない時間と労力がかかります。そのため、サンゴが海洋酸性化の影響をどのように受けるのかについて、その詳細なメカニズムを明らかにすることができれば、手間と時間がかかる飼育実験を行わなくても、サンゴ群集・個体群における海洋酸性化の影響評価を迅速に進められる道が拓けることが期待されます。しかし、サンゴがその炭酸カルシウム骨格をどのように形成するのかについては未解明な点が多く、海洋酸性化による海水中のpHの低下が、骨格形成にどのように影響を及ぼすのかについても、皆無に近い状況でした。 サンゴは夏の満月周辺前後に、その多くが一斉産卵をすることが知られています。この一斉産卵の機会に、我々の研究グループは、サンゴの配偶子を採取して育てたプラヌラ幼生を用いることで、石灰化を始めた直後のサンゴの状態(サンゴ初期ポリプ)での、海洋酸性化の影響評価を可能にする実験系を作り上げました。サンゴ初期ポリプを実験に用いることで、体内に共生する藻類の影響を排除したサンゴ宿主の評価が可能となります。 さらに大野は、高解像度顕微鏡を用いた観察技術を応用し、サンゴ初期ポリプで石灰化母液と呼ばれる場所のpH変化を捉えることを試みました。その結果、石灰化母液のpHを低下させると、その数分後には、サンゴが能動的に石灰化母液のpHを上昇させることを突き止めました。この現象は、サンゴが周辺海水のpH変化を感知して、石灰化母液内のpHをコントロールしながら骨格形成を行えることを示唆しており、詳しいメカニズムの解明が期待されています。 [caption id="attachment_5650" align="aligncenter" width="600"] ミドリイシ属サンゴの一斉産卵の様子[/caption] [caption id="attachment_5657" align="aligncenter" width="600"] 実験で用いた共焦点顕微鏡システム[/caption]

今後の展望として

多くの謎が残されていた、海洋酸性化がサンゴ礁生態系に及ぼす影響に関しては、上記の実験系の確立によって、次第にその概要が明らかとなってきました。しかし海洋酸性化に対するサンゴ種間・種内の感受性の違いを明らかにするための研究は、ようやく始まったばかりです。上記で紹介した研究手法を用いれば、海洋酸性化だけでなく、地球温暖化や富栄養化などの環境変化に対する種間・種内の応答の差異と、そのメカニズムの解明が可能になることが期待されます。現在も関連成果の論文投稿を進めており、近いうちにまた、この場をお借りして紹介できればと思います。 参考文献 1. Iguchi, A., Kumagai, N.H., Nakamura, T., Suzuki, A., Sakai, K. and Nojiri, Y., 2014. Responses of calcification of massive and encrusting corals to past, present, and near-future ocean carbon dioxide concentrations. Marine Pollution Bulletin, 89, pp.348-355. 2. Sekizawa, A., Uechi, H., Iguchi, A., Nakamura, T., Kumagai, N.H., Suzuki, A., Sakai, K. and Nojiri, Y., 2017. Intraspecific variations in responses to ocean acidification in two branching coral species. Marine Pollution Bulletin, 122, pp.282-287. 3. Ohno, Y., Iguchi, A., Shinzato, C., Inoue, M., Suzuki, A., Sakai, K., and Nakamura, T., 2017. An aposymbiotic primary coral polyp counteracts acidification by active pH regulation. Scientific Reports, 7, 40324. ]]>
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頻脈性不整脈に「衝撃」的な解決策 - 衝撃波アブレーションによる、より安全で有効な治療を目指して https://academist-cf.com/journal/?p=5588 Fri, 01 Sep 2017 01:00:36 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5588 頻脈性不整脈とその治療法 頻脈性不整脈とは、心臓の拍動リズムの異常により、正常な拍動の範囲(1分間に100拍以上)を超えて脈が速くなる疾患のことです。脈が飛ぶことにより不快感を感じる期外収縮、脈がバラバラに乱れ脳梗塞の原因にもなる心房細動、いわゆる心臓麻痺として突然死の原因となる心室頻拍や心室細動などが挙げられます。 頻脈性不整脈の治療は、これまで内服薬で不整脈の発作頻度を減らすという治療法しかなく、患者さんは長期間内服を続ける必要がありました。しかし近年、足の付け根など太い血管から挿入したカテーテルという細い管で、異常な拍動リズムの原因となっている異常な心筋を破壊し不整脈を根治する治療法である「カテーテルアブレーション治療」が開発され、広く行われるようになってきました。現在主流となっているカテーテルアブレーション法は、高周波通電によるジュール熱で標的を焼灼する「高周波アブレーション」という手法です。

高周波アブレーションの問題点

高周波アブレーションは、1980年代後半に開発されて以降、関連機器の改良に伴いさまざまな不整脈の治療が可能となり、ますます重要性が高まってきています。しかし、高周波通電によるジュール熱を用いるこの治療法には、熱を用いた手法であることに起因するいくつかの問題点があります。 第1に、深達度の限界です。高周波アブレーションはカテーテルが接触した面から熱を伝達させて異常心筋を焼灼するため、深達度は3〜5mm程度とされており、10mm以上の厚さになる心室筋の深部の治療は困難なのが現状です。 第2に、不要な心内膜損傷に伴う血栓塞栓症です。高周波アブレーションは接触面から熱を伝達させるため、心臓の内側(心内膜)がやけどのようにひどく傷害された状態になってしまいます。そこにできた血の塊(血栓)が何かの拍子に剥がれて、血流にのってさまざまな臓器の血管に詰まり(血栓塞栓症)、脳梗塞などの重篤な合併症を起こす可能性があります。 第3に、炎症治癒反応の遷延による再発のリスクです。高周波アブレーションによる損傷部は一種の火傷ですので治るのが非常に遅く、炎症が落ち着いて組織が治癒するまで12週間も要するとされています。炎症と不整脈再発の関連についても報告されており、遷延する炎症が再発のリスクとなります。

衝撃波アブレーションの開発

このような現行の高周波アブレーションの問題点を克服する新しいアブレーションシステムを開発するため、我々は、非熱産生性のエネルギーである衝撃波に着目しました。衝撃波とは、爆発などによって物体が媒体中を超音速で移動することにより生じる圧力波のことで、尿路結石に対する体外式結石破砕や、我々が開発した狭心症に対する低出力体外衝撃波治療など、すでにさまざまな分野で医療応用されているエネルギーです。 我々は、衝撃波研究の世界的権威である東北大学流体科学研究所の高山和喜名誉教授の協力を得て、10年前から開発を進めてきました。当初は原始的な装置から研究がはじまりましたが、現在ではヒトに応用可能なレベルのカテーテルが完成しつつあります。 衝撃波アブレーションシステムの原理は、カテーテル先端の反射器の内部焦点にパルスレーザーを収束させることにより球状衝撃波を発生させます。そこで発生した衝撃波を反射器で反射させ心筋内の外部焦点に収束させることにより進行方向への指向性を与え、円錐状から紡錘形の損傷を対象組織に与えることができます。 これまでの検討では、非熱依存性のシステムである利点を示すことができましたが出力不足から深達度が不十分でした。今回、我々は衝撃波出力の強化という大きなブレイクスルーを達成し、衝撃波アブレーションシステムの性能を大きく向上させることに成功しました。そこで、改良された衝撃波アブレーションシステムが、高周波アブレーションの持つ問題点を克服しうるかどうかを、動物実験で検証しました。

衝撃波アブレーションの優位性

まず、深達度の検討では、衝撃波アブレーションは安定出力で5.2mmの深達度を達成し、さらに高出力条件下では深達度は7.8mm(最大13mm)にも達し、この深達度は3〜5mm程度とされる現行の高周波アブレーションを大きく凌駕するものでした。また、出力調整により深達度の調節も可能であったため、標的の深さに対応して到達深度を設定することで安全性を高めることもできることが示されました。 次に、電子顕微鏡を用いた心内膜損傷の評価では、高周波アブレーションと比べて衝撃波アブレーションのほうが、明らかに損傷が軽度でした。このことから高周波アブレーションの致命的な合併症である内膜損傷に起因した血栓塞栓症リスクを大きく軽減することが期待されます。 さらに、アブレーションによる損傷部の回復過程を観察した検討では、高周波では熱による変性により局所の血流が阻害され、組織がなかなか修復されず炎症も遷延していたのに対し、衝撃波アブレーションでは局所血流が維持されており、速やかに炎症が終結して組織が修復されていました。 以上の結果から、衝撃波アブレーションは高周波アブレーションの問題点である深達度不足、血栓塞栓症、炎症遷延と再発を克服しうる性能を持っていると考えられます。

今後の展望

今回の動物実験で、我々の衝撃波アブレーションカテーテルが、高周波アブレーションカテーテルの問題点を克服し、今後の不整脈治療にパラダイムシフトを起こしうる性能を有している可能性を示しました。次の段階としては、高度な操作性や性能を必要とする心室性不整脈のアブレーションが実施可能なレベルのカテーテルを完成させ、動物を用いた前臨床試験において物理的な安全性の最終確認を経て、いよいよ世界で初めてこのシステムをヒトに適応するファーストインヒューマンの臨床試験(治験)へと進んでいく予定です。 また、我々の衝撃波アブレーションシステムの大きな特徴として、国内企業との協力の成果として開発された、国産技術を基盤とした「日の丸印」の技術だという点も挙げられます。企業からの共同研究開発のご提案もお待ちしております。日本発の画期的なシステムの今後にご期待ください。 参考文献 Hasebe Y, Yamamoto H, Fukuda K, Nishimiya K, Hanawa K, Shindo T, Kondo M, Nakano M, Wakayama Y, Takayama K, Shimokawa H. Development of a novel shock wave catheter ablation system -The first feasibility study in pigs- PLoS One. 2015;10(1):e0116017. Hirano M, Yamamoto H, Fukuda K, Morosawa S, Amamizu H, Ohyama K, Uzuka H, Takayama K, Shimokawa H. Development of a novel shock wave catheter ablation system -A validation study in pigs in vivo- Europace. (EP Europace, eux244, https://doi.org/10.1093/europace/eux244)]]>
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理研・初田哲男博士、原子核物理学について語る。「その瞬間は、手が震えました」 https://academist-cf.com/journal/?p=5631 Wed, 30 Aug 2017 01:00:29 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5631 【インタビュー後編はこちら】理研・初田哲男博士、分野横断型組織iTHEMSについて語る。「分野融合のカギは、”環境”に尽きる」 ーー初田先生は、いつごろから物理学に興味を持ちはじめたのでしょうか。 小学校高学年のころに、湯川秀樹さんの著書「旅人」を読んだことがきっかけです。この本には、湯川さんが「中間子論」を発見するまでのことについて書かれていて、実は私がこの本を読んだときの感想文が残っているんです。このころから原子核や素粒子に興味があったのですが、中学、高校と進むにつれて、宇宙の起源やブラックホールへと興味が移りました。大学入学時は宇宙物理学を志そうと思っていたものの、大学初年度の講義で物質の構造を調べることに興味を持ち、大学院では原子核理論研究室に入りました。 ーー中間子論は、湯川博士が日本人初のノーベル賞を受賞した理論として知られていますが、どのような理論なのでしょうか。 原子核は、陽子と中性子から構成されていて、一番小さい原子核は陽子と中性子を合わせて2個、大きい原子核ではそれらが200数十個集まり作られるのですが、なぜそれらが結合して原子核が形成されるかということは、20世紀初頭までは理解されていませんでした。何かしらの強い力により結合することはわかっていたのですが、その正体は明らかにされていなかったんです。 それを解明したのが、湯川さんです。1935年に湯川さんは、陽子と中性子、陽子と陽子および中性子と中性子のあいだに「中間子」がキャッチボールされることで力が発生し、原子核が形成されるということを理論的に予言しました。この中間子は実験的にも確認されて「π中間子」と名付けられました。その後、それまで原子物理学とされていた分野が、陽子やπ中間子などの性質を調べる素粒子物理学と、原子核の性質を調べる原子核物理学の2つに分かれていくことになります。原子核物理学の礎を築いたとともに、新たな素粒子を予言する動きを生み出した湯川さんの功績は、非常に大きなものでした。 ーー原子核の性質を調べる研究では、その後はどのようなテーマが扱われてきたのでしょうか。 19世紀に、物質どうしを化学的に反応させることにより、新しい物質を作ったり分解させたりすることが行われてきましたが、原子核物理学でも同様に、核融合や核分裂に関する実験が進められるようになりました。核融合では、太陽のような恒星が燃え続ける理由を探る基礎研究が、核分裂では、原子炉など応用寄りのテーマが行われました。また、原子核に刺激を与えると、原子核自体が変形や回転、振動する状態になり、さまざまな構造を持つようになります。このような原子核自体の性質を調べる研究は、現在でも実験と理論の両面から行われています。 ーー理化学研究所には、113番目の元素「ニホニウム」を発見したRIBF(仁科加速器研究センター)もありますが、原子核の性質を調べるためにも使われているのでしょうか。 もちろんです。RIBFでは、中性子が多くて陽子の少ない「中性子過剰核」を作れるようになりました。これのどこが面白いかというと、中性子が多い原子核は日常には存在しておらず、もしできたとしても直ちに崩壊してしまいます。しかし、超新星爆発が起きている環境は例外で、短時間ではありますがここでたくさんの中性子過剰核ができているんですね。つまり、中性子過剰核の理解が超新星爆発の理解へとつながるため、RIBFを活用することで、超新星爆発の研究が進む可能性があるということです。 ーー原子核の理解が宇宙の理解につながるという点が面白いですね。一方で、素粒子物理学はどのように進展してきたのでしょうか。 1960年代初めまでは、陽子やπ中間子はこれ以上分割できない「素粒子」であると考えられていたのですが、加速器実験が進むと、何百種類もの素粒子のようなものが発見されるようになりました。その過程で、陽子やπ中間子は素粒子ではなく、さらに小さな粒子「クォーク」でできていると考えられるようになります。原子核が陽子や中性子でできているのと同様に、陽子や中性子はクォークでできていて、クォークの組み合わせにより多種多様な粒子ができているということです。 ーー陽子や中性子よりも小さいとなると、観測が難しいように思えますが、実験でクォークは見つかったのでしょうか。 当初はクォークの存在を仮定していただけでしたが、1970年頃にスタンフォード大学で行われた加速器実験で、クォークを直接取り出すことはできないけれども、クォークの存在を間接的に裏付けることができるとわかりました。この実験結果は、ノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎さんが提唱した「量子色力学」で説明できることもわかり、そこからクォークの力学の研究が本格的にはじまりました。 ーー量子色力学の基本的な考えかたについて、教えてください。 陽子や中性子は3つのクォークからできているのですが、クォークどうしはそのまわりにいる粒子「グルーオン」の交換により結合しています。湯川理論では、陽子や中性子のあいだにπ中間子の交換が生じることで核力が生じると考えるのですが、よくよく考えるとπ中間子もクォークでできているため、陽子や中性子のあいだに働く核力は、クォークの言葉で理解できるはずです。それを実現するための手段が、量子色力学です。ただし、これは相当難しい理論で、未だに解析的に解くことはできず、その解法は数学のミレニアム問題のひとつにも設定されています。 ーー解析的に解けないということは、クォークやグルーオンから陽子やπ中間子の存在を説明することはできないということでしょうか。 解析的には解けないのですが、コンピュータで数値的に解くということは、ある程度の精度でできるようになりました。陽子の質量であれば誤差1%以下の精度で予言できるようになったんですね。私の仕事も、この流れのなかで進めてきたものです。 私たちは、量子色力学を数値的に解くことで、陽子や中性子が近付くと斥力が、離れていると引力が発生することを示しました。近付いたときに斥力が働いて、適当な大きさで原子核が安定に存在できるということは、湯川さんの理論では説明できないんですね。原子核の「斥力芯」の存在を理論的に明らかにしたというのが、私たちの仕事です。 ーーこの研究アイデアは、どのような過程で得られたものだったのでしょうか。 原子核物理学の未解決問題に斥力芯の導出があるということは、大学院生のころからずっと頭にありました。当時の指導教官が核力の専門家で、斥力芯を導出できたらすごいよと言われ続けていたんです。1990年代に、クォークの性質を大規模数値計算から理解できる可能性があることを知り、核力の性質を数値的に調べたら面白そうだなと、ぼんやりと考えていました。ただ、これは物理学の問題ですので、アイデアがあるだけではダメで、定式化をして計算機に乗せるところまでやらなくてはいけません。 そんななか、2005年の日本物理学会で大変興味深い研究発表を聴きました。π中間子のあいだに働く力を格子量子色力学という方法で計算するというものです。その話を聞いた瞬間、この計算方法は核力の問題にも使えるのではないかとピンときたんです。そこで、京都大学の青木さんと当時東京大学の研究員だった石井さんと3人で議論をはじめて、1年ほどかけて式に書き下しました。定式化の部分は大変でしたが無事に完成し、石井さんを中心に数値計算を進めました。 ーー結果はどうだったのでしょうか……?
 2006年の夏に、石井さんが数値計算の結果を持ってきてくれました。図を見たときは、手が震えましたよ。横軸が距離、縦軸が力の大きさを表したグラフだったのですが、短距離での斥力芯がきちんと出ているんです。「ええっ!」と思いましたね。「ついに湯川以来の問題が解けた。これが答えだ!」と。あのときの感動は、今でも鮮明に覚えています。 [caption id="attachment_5692" align="aligncenter" width="600"] 初田プログラムディレクターが見た瞬間「手が震えた」という最初の結果(2006年7月22日)。核子(陽子、中性子)間の距離rが小さくなるとポテンシャルエネルギーV(r)が大きくなり、距離が大きくなるとポテンシャルエネルギーが小さくなる。これは、短距離で斥力が働いていることを意味する。[/caption] その後行ったより精密な計算で、短距離の斥力だけでなく、遠距離での引力も得られることがわかり、大急ぎで論文にまとめ、2007年に米国物理学会の Physical Review Letters 誌 に発表しました。この論文は、全自然科学分野から選ばれるNature 誌の Research highlight 2007 の21論文のひとつになりました。 ーーこれだけ大きな仕事をされる際には、研究過程で想定外のこともあったかと思うのですが、実際はどうだったのでしょうか。 想定外に良かったことは、2005年に高エネルギー加速器研究機構に導入された新しい計算機を、3か月間優先的に使えたことです。そこで一気に計算を進めることができましたから。さらに、ここでの計算結果は、2007年ごろから本格化した次世代スーパコンピュータ(現在の京コンピュータ)を作るときにも素核宇宙(素粒子・原子核・宇宙)分野での具体的な計算事例として取り上げられて、現在も京を使えています。私たちの定式化を用いて京ではじめて計算した成果も、現在論文にまとめているところです。 ーー初田先生たちの仕事によって、原子核物理学の研究はどのように変わったのでしょうか。 未知の力を予言できるようになりました。核力に関する実験は進んでいるのですが、陽子や中性子の仲間であるハイペロンと原子核のあいだや、チャームクォークを含んだ粒子と原子核のあいだに働く力などに関する実験は、東海村にある大強度陽子J-PARCという加速器施設で今後大きく進展すると期待されています。ミクロな立場から原子核の性質を調べて、実験に提言できる手段ができたので、今後の研究の方向性がより明確になりました。湯川さんの中間子論から70年が経ち、ようやく一周したと感じています。 ーー素粒子・原子核は一度は二手に分かれた分野ですが、理論と実験の発展により、素核宇宙の研究者たちが共同で研究する風潮も出てくるのではないでしょうか。 原子核物理学の目標のひとつに、元素の起源を知りたいということがあります。現在は、鉄より重い元素は、超新星爆発あるいは中性子星の合体によりできたのではないかと考えられているのですが、私は後者に注目しています。なぜかというと、超新星爆発は100年に1回くらいしか観測されないのですが、中性子星の合体は5年に数回は見つかると考えられているからです。中性子星は合体すると重力波を出すので、そのデータをもとに中性子星の構造も調べることができるんですね。 そうすると、原子核・素粒子物理学の研究者は、斥力の強さを見積もることで中性子星の半径を求めたり、その物性を調べたりすることができます。一方で宇宙の研究者は、中性子星の合体から爆発、元素合成が起こる過程を京を使って解析するなど、役割分担しながら研究を進めることができます。最終的には、元素の起源や中性子星の構造の理解が進み、上手くいけば中性子星が合体する様子やブラックホールの形成過程が可視化されるかもしれません。中性子星の合体による重力波のデータが出てくれば、素核宇宙の研究者の連携がより一層強くなり、一気に宇宙や物質の起源に関する理解が深まると思います。 ーー異分野融合は難しいとよく言われていますが、素核宇宙が連携する接点のようなものがあれば、教えてください。
 京が大きな役割を果たしました。最初、京の利用用途には、素核宇宙の分野はいずれも入っていなかったんですね。なんとか説得して仲間に入れてもらったのですが、生命科学やエネルギー、ものづくりなども含め、当初はすべての科学分野から5分野だけが優先的に利用できたので、さすがに素核宇宙が別々に、というわけにはいきません。それを機に、素核宇宙がみんなで一緒に研究する雰囲気が出てきました。あのとき、京に素核宇宙のような基礎科学が組み入れられたことは、分野の発展に大きな役割を果たしています。 ーー素核宇宙に限らず、さまざまな分野の物理学者が共同で取り組む研究が進めば、よりたくさんの研究アイデアが形になる機会が増えるように感じます。 中性子星の構造論と関連する冷却原子系の分野や、凝縮系物理学の研究者とは一緒に仕事をすることもあります。私の研究室に在籍するポスドク研究員は、冷却原子系の研究と中性子星の研究を同時に走らせたりしていますよ。まだまだこれからできることもたくさんありますが、研究を積み重ねていくなかで、物理はひとつだということをひしひしと感じるようになりました。 *** 研究者が異分野交流を行う機会はあまり多くないが、一度機会ができれば互いが抱える課題を共有し、協働して問題解決を進めていくという話が最も印象的だった。「物理はひとつである」という言葉には、研究者は専門分野だけに捉われずに研究領域全体を眺めてみようというメッセージが含まれているのかもしれない。後編では、初田プログラムディレクター率いる数理創造プログラム「iTEHMS」についてお届けする。物理学のみならず、数学・化学・生命科学・工学・計算科学・情報科学・社会科学などにまたがる分野横断的研究を進める新たな組織を作ろうとしている氏の取り組みに、ぜひご注目いただきたい。 【インタビュー後編はこちら】理研・初田哲男博士、分野横断型組織iTHEMSについて語る。「分野融合のカギは、”環境”に尽きる」
初田哲男(はつだ・てつお)プログラムディレクタープロフィール 1958年大阪市生まれ。1986年3月京都大学大学院理学研究科物理学第二専攻博士課程修了。理学博士。京都大学大学院理学研究科 助教授、東京大学大学院理学研究科 教授、理化学研究所 主任研究員などを経て、2016年より理化学研究所 数理創造プログラム(iTHEMS) ディレクター。専門は、ハドロン物理学の理論および数理生物学。iTHEMSのホームページはこちら
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分子の容器にキャップをつけてイオンの出入りをコントロール - ホスト・ゲスト化学の新手法 https://academist-cf.com/journal/?p=5675 Fri, 08 Sep 2017 01:00:09 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5675 分子の容器とホスト・ゲスト化学 ある分子が特定の分子やイオンを見分けて捕まえる現象は分子認識(あるいはイオン認識)と呼ばれており、酵素・基質の特異的結合との関連性などから注目を集めています。このとき、捕まえる側の分子(ホスト)と捕まえられる側の分子(ゲスト)は、共有結合より弱い「非共有結合性の相互作用」、たとえば水素結合、静電的相互作用、疎水効果などにより結合します。このようなホスト・ゲスト間の相互作用を扱う化学がホスト・ゲスト化学(分子認識化学)です。 一般的に、ゲストを取り囲むことができる環状の分子(大環状化合物)は、ゲストのサイズや形を見分けるのに適しており、優れたホストとなります。クラウンエーテルはその代表例であり、環状に並んだ複数のエーテル酸素原子に囲まれた空間(空孔)で、そのサイズに合った金属イオンを選択的に捕まえることができます。これらのホスト分子は、内側にゲストを取り込む空間があるため、分子サイズの人工の容器に例えることができます。 一般的な大環状ホスト分子の場合、環状構造の上下の空間、すなわち認識場の開口部は開いていますので、ゲストを速やかに取り込むことができます。このとき、ゲストの取り込みと放出は平衡反応であり、ゲストは常に自由に出入りできる状態にあるといえます。すなわち、これまでの多くのホスト分子はフタのない分子サイズの容器と見なすことができるでしょう。 その一方で、私たちの日常生活では、キャップが付いた容器をしばしば用います。これらの場合、キャップを開ければ内容物を出し入れでき、閉じれば出し入れができなくなります。ごく当たり前のように思われる容器の開閉ですが、実は、分子サイズの容器でこれを実現するのは困難でした。しかし、分子サイズの容器を、分子の保存や運搬などのより実用的な用途に応用していくためには、開閉機構によって内容物の出入りをコントロールする技術の開発は不可欠です。 今回、私たちの研究グループは、クラウンエーテルの空孔の開口部となる上下の空間にキャップを導入できる分子を開発し、分子の世界の容器のキャップの取り替えによる内容物の出し入れのコントロールを初めて実現しました。

キャップ付きのクラウンエーテルの開発

本研究では、クラウンエーテルの開口部を閉じるキャップとして、カチオン性ホストの対アニオンが効果的に機能しました。分子内に2つのコバルト(III)をもつクラウンエーテル型ホスト分子を合成し、それぞれのコバルトの上下にメチルアミン(CH3NH2)を配位結合により導入しました。このホストは、さまざまな金属イオン(Na+, K+, Rb+, Cs+, Ca2+, La3+)を空孔内に取り込みます。このとき、対アニオンであるトリフラート(CF3SO3)は空孔の上下の開口部に位置していることがわかりました。ゲストを取り込んだ構造の結晶構造解析では、このトリフラートとメチルアミン部位の間には水素結合が見られます。すなわち、環状ホスト分子の空孔の上下にトリフラートのキャップがしっかりと保持されており、「キャップ付きの分子の容器」に内容物(ゲスト)が取り込まれている様子がわかります。

キャップによりイオンの出入りを抑制

さて、私たちの日常で用いる容器の場合には、キャップをすれば内容物の出入りができなくなりますが、それと同様に、本研究で開発したキャップ付きの分子の容器の場合においてもゲストの出入りは著しく遅くなります。特に、ランタンイオン(La3+)の出入りは非常に遅く、完全に取り込むまでに120時間以上かかります。興味深いことに、キャップの種類を変えると、それに応じて出入りの速度も変わります。キャップを酢酸イオン(CH3CO2)とした場合、ランタンイオンは5分以内に取り込まれ、その速度には少なくとも100倍の違いがあります。私たちの日常の世界で、緩いキャップときついキャップで容器の内容物の漏れにくさに差があるのとよく似た状況と言えます。

望みどおりのタイミングでイオンの出入りを開始させることに成功

私たちの世界の容器の場合、たとえば水の入ったボトルのキャップを開けると水が出てくるように、キャップを開閉することによって内容物の出し入れを望みのタイミングでコントロールしています。同じように、今回開発したキャップ付きの分子の容器を使って、内容物の出し入れを望みのタイミングでできるかチャレンジしてみました。その結果、2種のイオンが存在している状態において、キャップを取り替えたタイミングでイオンの出入り(交換)を開始させることに成功しました。 この交換実験には、速やかに取り込まれるカリウムイオン(K+)とゆっくり取り込まれるランタンイオン(La3+)を用いました。キャップとしてトリフラートを用いた場合、この2種のイオンを同時に加えるとカリウムイオンのみが取り込まれました(状態A)。別の測定から、このホスト分子はカリウムイオンと比べてランタンイオンをより強く包接することがわかっていますが、取り込み速度の差により、本来は不利なはずのカリウムイオン包接体が生成します。この準安定状態の寿命は、一般的なホストにゲストが取り込まれる時間と比べて極めて長く、より安定なランタンイオン包接体(状態B)への変化は2週間経過後でもほとんど起こりません。つまり、トリフラートのキャップがイオンの出入りを事実上完全に抑制しているといえます。 一方、キャップを酢酸イオンに取り替えて同じ実験を行うと、イオンの交換は加速され、その速度はトリフラートのときの約75倍になりました(状態C)。また、準安定状態(状態A)を作って120時間経過後に酢酸イオンを加えると、その時点から急速にイオンの交換が進行し、ランタン包接体へと変化しました。つまり、キャップによりイオンの出入りを抑制することで準安定状態を作り出すことができ、これを出発点として、キャップ交換によって望みどおりのタイミングでイオンの出入りを開始させることに成功しました。

速度を調節できる新機能への展開

イオンの出入りのコントロールという観点で言えば、これまでにも多くの研究が報告されてきています。これらはいずれも、ホスト分子がゲストを捕まえる「強さ」(平衡定数)を外部刺激によって変化させる方法に頼っていました。本研究の調節機構はこれとは異なり、イオンを捕まえる「強さ」を変えずに、イオンの取り込みの「速さ」を変化させています。準安定状態からのイオンの出入りの調節は、イオンチャネルによる細胞の膜内外のイオン濃度の制御機構に見られるように、生物が生命活動を維持するために重要です。本研究で開発した環状ホスト分子は、この複雑な働きに類する機能を単一分子で実現しました。 本研究では、ホスト・ゲスト化学の「時間スケール」の自在なコントロールを通じて、「時間」と「分子の機能」をリンクさせる新手法を開発しました。キャップによってゲストの出し入れを著しく遅くすることができ、これを活かすことで、人間の目で見て意味のある時間スケール(数秒~数分~数時間)において、イオンの出入りを止めたり促したりできるような機構を初めて実現できました。本手法を応用することで、時間とともに機能が刻々と変化する分子を作り出すことができます。本研究成果は、分子機能の精巧な時間制御のための重要な指針となり、必要な場所、必要なタイミングで薬剤や機能性分子を働かせ、分子機械を駆動するための重要な基盤技術として発展することが期待されます。 参考文献 Yoko Sakata, Chiho Murata, Shigehisa Akine, "Anion-capped metallohost allows extremely slow guest uptake and on-demand acceleration of guest exchange", Nature Communications, 8, 16005 (2017)]]>
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ヘビの胴体が長いメカニズムがわかった! - 脊椎動物の後ろ足の位置の多様性を生み出す仕組み https://academist-cf.com/journal/?p=5685 Tue, 29 Aug 2017 01:00:56 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5685 私たちの後ろ足は背骨の中の仙椎の場所にあります 私たちヒトを含む脊椎動物の体の中心には背骨(せぼね)があります。背骨はたくさんの脊椎骨(せきついこつ)が1列に並んだ構造をしており、脊椎骨は形の違いで頭に近い方から頸椎(けいつい)、胸椎(きょうつい)、腰椎(ようつい)、仙椎(せんつい)、尾椎(びつい)と呼ばれています。私たちの後ろ足は骨盤(こつばん)を介して仙椎に接続しています。 [caption id="attachment_5680" align="aligncenter" width="600"] 脊椎動物の骨格パターン
後ろ足(水色)は仙椎(赤色)の場所に作られている[/caption]

仙椎と後肢の位置関係は進化の過程で保存されています

さまざまな動物の骨格を見てみると、今生きている動物だけでなくすでに絶滅してしまった恐竜や首長竜、ヘビの祖先で手足を持つテトラポドピスに至るまで、あらゆる生物種において後ろ足は仙椎に接続していることがわかります。このように、仙椎の場所に後ろ足が形成されるメカニズムは進化の過程で非常に良く保存されています。興味深いことに、進化の過程で脊椎骨の数は大きく変化していますが、後ろ足は必ず仙椎の位置に作られます。 これまで、なぜ後ろ足は必ず仙椎の場所に作られるのか、また進化の過程でどのようにして後ろ足の位置が多様化していったのかはまったくわかっていませんでした。 [caption id="attachment_5681" align="aligncenter" width="397"] 脊椎動物の骨格パターンの進化の様子
進化の過程を見ても後ろ足(水色)は必ず仙椎(赤色)の場所に作られている[/caption]

GDF11が作用した場所に仙椎と後ろ足が作られる

“進化”は、受精卵から体がつくられ産まれる直前までの状態である「胚」の“発生過程”の変化の蓄積によって起こります。私たちは、さまざまな脊椎動物において後ろ足ができるときの発生過程を調べれば、なぜ後ろ足が必ず仙椎の場所に作られるのか、また進化の過程でどのようにして後ろ足の位置が多様化していったのかを、明らかにできるのではないかと考えました。 まず私たちは、体の発生過程を観察しやすいニワトリの胚を用いて後ろ足の発生メカニズムを詳細に調べました。その結果、背骨が作られる場所の中でGDF11(ジーディーエフイレブン)と呼ばれるタンパク質が働き始めた場所が、将来の仙椎になることがわかりました。さらにGDF11タンパク質は仙椎になる組織の隣の組織(専門用語で側板中胚葉という名前の組織です)にも働きかけて、そこに後ろ足と骨盤をつくることを発見しました。この発見により、脊椎動物の後ろ足が必ず仙椎の位置に作られているメカニズムが初めて明らかにされました。 [caption id="attachment_5682" align="aligncenter" width="600"] 仙椎の場所に必ず後ろ足が作られる仕組み
背骨が作られる場所の中でGDF11と呼ばれるタンパク質が働き始めた場所が、将来の仙椎になり、隣接する組織に後ろ足が形成される[/caption]

ヘビはGDF11が働き始めるタイミングが極めて遅いために長い胴体を持つ

次に私たちは、動物種間で後ろ足の位置の違いが生まれる仕組みを調べるために、脊椎動物の中で胴体が短い(頭から後ろ足までが近い)ものと、胴体が長い(頭から後ろ足までが遠い)もの、合わせて9種の動物においてGDF11の働き方を調べました。 その結果、カエルやカメなどの胴体が短い(頭から後ろ足までが近い)ものは発生中にGDF11が働き始めるタイミングが早く、エミュー(鳥の仲間)やヘビなどの頭から後ろ足までが遠いものではGDF11が働き始めるタイミングが遅いことがわかりました。 この結果から、進化の過程で後ろ足の位置が多様化していった原因は、GDF11というたったひとつの遺伝子から作られるタンパク質の発生中に働くタイミングが異なるためであることが明らかになりました。特にヘビは、他の動物と比べてGDF11が働き始めるタイミングが極めて遅いために、長い胴体を持つことがわかりました。 [caption id="attachment_5683" align="aligncenter" width="600"] 後ろ足の位置の違いを生み出す仕組み[/caption]

今後の期待

GDF11は、ヒトを含むすべての脊椎動物が持っています。よって、地球上に存在する多様な形態を持つ脊椎動物すべてにおいて、後ろ足の位置の多様性はGDF11というたったひとつの遺伝子から作られるタンパク質が働くタイミングが胎児期に異なることで生み出されたと考えられます。特にヘビは、他の動物と比べてGDF11が働き始めるタイミングが極めて遅いために、長い胴体を持つことがわかりました。 後ろ足の位置の多様性に代表される生物の大進化は、これまで進化学の分野では体の形を作るHox遺伝子(ホックス遺伝子)の変化によって引き起こされたと考えられて来ました。今回の研究で、GDF11はHox遺伝子の働く場所をまさに制御している働きを持つことがわかりました。これにより生物の形態の大進化は、オーケストラの指揮者の様に働く、思った以上に少数の遺伝子の変化によってもたらされた可能性が推測されます。 GDF11の機能を阻害すると胴が長くなり、体の下半身全体の位置がずれることがわかっています。今後は胎児期にGDF11の作用するメカニズムをさらに調べていくことで、仙椎や後ろ足だけではなく、下半身全体の器官の位置を決める発生メカニズムの解明に大きく貢献することが期待されます。 参考文献 Matsubara Y., Hirasawa T., Egawa S., Hattori A., Suganuma T., Kohara Y., Nagai T., Tamura K., Kuratani S., Kuroiwa A., Suzuki T. (2017), Anatomical integration of the sacral-hindlimb unit coordinated by GDF11 underlies variation in hindlimb positioning in tetrapods. Nature Ecology and Evolution, 1, DOI: 10.1038/s41559-017-0247-y]]>
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卵胞の成熟を助ける新しい分子「PRIP」 - 不妊の病因解明、アンチエイジングへの手がかりとなるか https://academist-cf.com/journal/?p=5698 Mon, 04 Sep 2017 01:00:34 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5698 性周期は、生殖機構を制御するメインシステムであり、その制御が適切でないと、卵子の未成熟、排卵障害などを引き起こし、不妊に至るケースもあります。これまでのさまざまな研究から、生殖関連組織の役割や種々のホルモンのフィードバックによる時空間的な制御など、基本的な仕組みが明らかにされてきましたが、複雑で精緻なシステムには未知の部分も多く、性周期の乱れや卵巣機能の低下など生殖機構に支障が生じる分子メカニズムについてはあまり解明が進んでいないのも事実です。

PRIP遺伝子欠損マウスは出産仔数や出産回数が減少する

私たちの研究グル−プは、PRIPというタンパク質の生体における機能について研究を行っており、これまでに細胞内のカルシウム濃度や特定のシグナル伝達の制御などに関わることを明らかにしました。このタンパク質の遺伝子を欠失させたノックアウトマウスを作製したところ、出産仔数や出産回数が減少するといった表現型が観察され、生殖系に異常があることが示唆されました。そこで、生殖機構におけるPRIPの役割に着目し解析を始めました。 野生型のメスとPRIPをノックアウトした(PRIP-KOマウス)オスを交配させると、野生型どうしを交配したときの出産仔数まで戻りましたが、野生型のオスとPRIP-KOのメスを交配させても出産仔数の回復が見られなかったので、PRIP-KOマウスでの生殖異常はメスに起因することがわかりました。そこで、メスのマウスについて解析を進めました。

卵胞の成熟にはPRIPが必要

PRIP-KOのメスでは野生型に比べ性周期が乱れており、黄体形成ホルモン(LH)や卵胞刺激ホルモンの下垂体からの分泌が不規則で、かつ増加していました。そこで、これらのホルモンを規則的にマウスに投与して人為的に性周期を整え、卵胞を成熟させ排卵する実験を行いました(ヒトの不妊治療に類似しています)。 しかし、同じ実験を行った野生型に比べ、PRIP-KOマウスでは排卵数が激減していました。このことは、自然交配で産まれてくる仔の数が少ないことと一致するとともに、性周期を整えるホルモンを投与しても効き目が薄いことも示しており、反応すべき卵巣に異常があることが示唆されました。卵巣の切片を作製して観察したところ、PRIP-KOマウスでは未成熟卵胞の数が多く、排卵刺激を行ったにも関わらず排卵した卵胞(黄体)の数が減少していました。また、出血性嚢胞や未成熟なまま黄体化した卵胞など組織形態学的異常も見られました。 排卵数が少ない原因として、排卵という仕組み自体が障害されているか、あるいは排卵可能な状態まで卵胞が育っていないかが考えられますが、その後の解析から、卵胞はある程度まで育つもののそれ以降の成熟が進みにくくなっており、そのために成熟卵胞の数も排卵数も少なくなることがわかりました。つまり、卵胞(卵子)の成熟にPRIPが必要だということです。

黄体形成ホルモンとその受容体

本来、LHは排卵直前に一過性に分泌量が急激に上昇しますが、上述のようにPRIP-KOマウスではその分泌が不規則でかつベースの分泌量が高いことがわかったので、この点についてさらに解析を進めました。その結果、下垂体から分泌されたLHを受け取るLH受容体タンパク質の卵巣における発現量が増加していました。さらにそのホルモン刺激を受け取ったあと細胞内で起こるシグナル伝達が、排卵前だけでなく性周期の初期から亢進していることもわかりました。卵胞が成熟してから受けるべき刺激を未成熟な時期から受けることで、PRIP-KOマウスでは卵胞が成熟しにくい環境になっていると考えられます。 このほか、PRIP-KOマウスでは血液中のエストロゲン量の減少、テストステロン及びインスリン量の増加などが見られ、ヒトの不妊症の原因のひとつである多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)に似た特徴を示しました。興味深いことに、ヒトの遺伝子発現の国際的なデータベースをもとに解析すると、痩せ型のPCOS患者ではPRIPの発現が低下傾向にあることがわかりました。PRIP-KOマウスも痩せ型ですので、PCOSと部分的に類似している可能性があります。

最後に

PRIPがLHの分泌やLH受容体の発現調節を通して卵胞成熟をポジティブに制御することがわかりました。それらの調節にPRIPがどのように関わっているかなど全容を解明するにはさらなる研究が必要ですが、卵胞成熟を助ける新たな分子の発見は、未だ不明な点が多い生殖機構の基盤研究に進展をもたらすとともに、不妊症など婦人科系疾患の病因・病態の解明につながることが期待されます。 PRIP-KOマウスは、一部PCOSに似た特徴を示しますが、不妊治療で排卵誘発を行ってもなかなか卵胞が成熟せず排卵に至らないケースにも似ているので、そのような病態のモデルマウスとして応用することも可能です。また、PRIPが存在することで卵巣機能が良好であり続ければ、老化を遅らせることにも寄与するので、アンチエイジングへの手がかりのひとつとなる可能性があります。そういった可能性を含め、さらに解析を進めていきたいと思います。 PRIPはシグナル伝達制御の領域において有名とは言い難い分子ですが、そんな無名な分子でも生体内からなくなると卵胞の成熟がうまく進まず出産仔数が減ることになるので、そのような分子が他にも存在する可能性があると思われます。卵胞成熟の制御はとても複雑でさまざまな分子やシグナル経路が関わっていることを改めて実感しました。 参考文献 Matsuda, M. and Hirata, M.: Phospholipase C-related but catalytically inactive proteins regulate ovarian follicle development. J Biol Chem. 292: 8369-8380, 2017. Matsuda, M., Tsutsumi, K., Kanematsu, T., Fukami, K., Terada, Y., Takenawa, T., Nakayama, K.-I. and Hirata, M.: Involvement of phospholipase c-related inactive protein in the mouse reproductive system through the regulation of gonadotropin levels. Biol Reprod. 81: 681-689, 2009.]]>
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ニオイって実は超複雑で超有用! - ニオイに秘められた情報に迫る新たなアプローチ https://academist-cf.com/journal/?p=5710 Tue, 05 Sep 2017 01:00:05 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5710 ニオイとは 我々の生活には「ニオイ」が溢れています。これらのニオイ、実は多種多様な分子が混ざり合ってできているということをご存じでしょうか。ニオイを構成する分子(ニオイ分子と呼ぶことにします)は、約40万種類も存在すると言われています。ニオイとは、1種類のニオイ分子だけでできているときもありますが、多いときには数1000種類のニオイ分子がさまざまな割合で混ざり合った複雑な混合気体なのです。たとえば、コーヒーのニオイは、500種類以上のニオイ分子から構成されていることが知られています。我々が吐き出す息(呼気)はさらに複雑で、そこには1000種類を越えるニオイ分子が含まれていることが報告されています。 このように、ニオイは非常に複雑かつ多様であり、それゆえにその分析は簡単ではありませんでした。しかし、裏を返せば、ニオイにはその発生源に関する詳細な情報が秘められているとも言えます。この情報は、たとえば、ニオイから健康状態を知る、ニオイから安全/危険を判断する、ニオイから感情を読み解く、など、価値ある未踏の応用につながる可能性を有しているかもしれません。我々は、日常生活を大きく変えるほどのさまざまな可能性を秘めたニオイに着目し、誰もが手軽に使える「嗅覚センサ」の開発を推進しています。このコラムでは、我々が最近得た成果の一端として、ニオイから特定の情報を高い精度で抽出する手法について紹介します。

従来のニオイ分析 - ガスクロマトグラフィーによる全成分分析

従来のニオイ分析には、ガスクロマトグラフィー(GC)という分析装置がよく使われています。これは、内壁に特殊な表面処理を施した「カラム」と呼ばれる細くて長い管の中にニオイを通過させ、各ニオイ分子のカラム内壁へのくっつきやすさを利用して、全成分を分離するというものです(つまり、内壁にくっつきやすければカラムから出るのに時間がかかり、くっつきにくければすぐに出てくる、この時間差を利用)。これにより、原理的にはニオイを構成するすべてのニオイ分子の種類と量がわかるため、あるニオイの全貌を知るうえで大変効果的です。GCは実際にさまざまな場面で用いられており、たとえば、特定の疾患を抱える人の呼気にだけ含まれるニオイ分子の存在の可能性などが報告されています。そのため、ニオイから特定の情報を抽出するという目的は、GCによって実現することも可能なのです。 一方で課題も残されています。数100種・数1000種ものニオイ分子からなるニオイの分離・測定は簡単ではなく、その結果も複雑で、多くの場合、その解析には時間と労力を要します。また、検出できないほど微量な成分は見落とされることもあります。さらに、装置自体が比較的大型かつ高価(数100万円のものから、高性能なものでは1000万円以上)であり、基本的には専門的な分析や研究用途が前提とされています。こうした課題が解決できれば、一般消費者レベルでも手軽にニオイを測定できるようになるなど、ニオイ分析の裾野は一気に拡がる可能性があります。

膜型表面応力センサ(Membrane-type Surface stress Sensor, MSS)によるニオイ分析

前述した全成分を分離する分析法とは異なるアプローチとして、複数個のセンサ(センサ素子、チャンネルとも呼ばれる)を配列させた、所謂センサアレイ(アレイは「配列」を意味するarray)を用いて、ニオイを分析するという方法があります。この方法は生物の鼻がニオイを認識する機構を模倣しているため、センサアレイは「電子鼻」や「人工嗅覚」とも呼ばれます。誰もが手軽に使える小型のニオイ分析装置を開発するうえで、近年の微細加工技術の進展は、センサアレイだけでなく周辺回路も小型化できるという意味で、このアプローチを強く後押ししています。センサアレイを構成するセンサにはさまざまな種類がありますが、以下では、近年我々が開発したMSSによるニオイ分析について概説します(正確には、4つのMSS素子を設けたチップを使用していますが、便宜的にMSSと表記します)。 [caption id="attachment_5705" align="aligncenter" width="600"] MSSを用いた小型ニオイ分析装置のプロトタイプ。呼気計測の結果を、リアルタイムでスマートフォン画面上に表示させている。MSSチップのサイズは10mm × 5mmで、1枚のチップには4つのセンサ素子が設けられている[/caption] 一般に、センサアレイを形成する各センサ素子は、より多くの種類のニオイ分子に対応するために、各々の応答特性が、ニオイ分子の種類に応じて大きく異なるように組み合わせる必要があります。MSSの場合、各センサ素子にそれぞれ特性の異なる材料を塗布して、各種ニオイ分子を吸着する「感応膜」を形成することによって、応答特性を多様化します。 ここで重要なのは、「ひとつの感応膜が1種類の分子にのみ応答するのではない」、ということです。感応膜には、その種類によって各々得手不得手なニオイ分子がありますが、不得手であってもまったく応答しないということは希で、わずかでも応答を示す場合がほとんどです。つまり、得意なものに対する応答の強さを1とした場合、その他はすべて0ということではなく、どんなニオイ分子にも0から1のあいだで応答します。この傾向が感応膜ごとに異なるという多様性と、その自在な組み合わせこそが、センサアレイのカギと言えます。得意とするニオイ分子種が大きく異なる感応膜を組み合わせておけば、より多くのニオイに対応可能なセンサアレイを構成することができるのです。 このようなセンサアレイを用いて、各センサの応答の違いからニオイの違いを識別する方法を、一般的に「パターン認識」と呼びます。これは相対的なアプローチであるため、たとえばニオイAとニオイBは違う、ということはわかっても、ニオイAに何がどれだけ含まれているのか、ということまでは簡単にはわかりません。 [caption id="attachment_5706" align="aligncenter" width="600"] センサアレイを用いたパターン認識の概念図。各々のセンサが得意とするニオイ分子は異なるため、計測するニオイごとに各センサの応答が変化する。これにより、ニオイを識別することができる[/caption]

データサイエンスとのコラボレーション

では、センサアレイで定量分析はできないのでしょうか。我々はこの問いに対するひとつの答えとして、MSSを用いて次のような実験を考えました。「アルコール度数の異なるさまざまなお酒を準備し、それらのニオイをMSSで分析することによって、そのお酒のアルコール度数がわかれば成功」というものです。アルコール度数は、お酒に含まれるエタノールの濃度として定義されています。お酒の主な構成成分は水とエタノールですが、香料その他の成分も含まれているため、同じアルコール度数のお酒であっても、同じ応答を示すとは限りません。実際にアルコール度数がすべて40%のお酒7種類をMSSで測定してみると、かなり異なる応答波形が得られました。これは、アルコール度数とセンサ応答のあいだには線形的な単純な相関が存在するわけではないことを意味します。 [caption id="attachment_5707" align="aligncenter" width="600"] 7種類のお酒のニオイを計測して得られたMSSの応答波形。いずれのニオイもアルコール度数40%の液体から発せられたものだが、応答波形は異なることがわかる[/caption] そこで我々は、統計処理などに用いられるデータサイエンスの手法(機械学習)を採り入れた解析を行うことにしました。多くのニオイ応答データ(ここでは32種の飲料からデータを取得)の背後にある相関を機械学習により見出すことで、未知のニオイ(学習に使用していない、赤ワイン、芋焼酎、ウイスキー)のアルコール度数の推定を試みました。この試みは非常に上手くいき、実際のアルコール度数と推定されたアルコール度数が高い精度で見事に一致することが確認されました。 [caption id="attachment_5708" align="aligncenter" width="600"] 実際のお酒のアルコール度数と推定されたアルコール度数の関係。学習に使用していない赤ワイン(12%)、芋焼酎(25%)、ウイスキー(40%)のアルコール度数が、高い精度で推定できた[/caption] 今回は、超高感度であり小型化も可能なMSSに、感応膜として我々が独自に開発した特性の異なる4種の機能性ナノ粒子を塗布してニオイ分析に用いました。当然、アルコール度数を推定するためには、アルコール度数に関係する情報が十分な感度で拾われなくてはなりません。その点、今回のセンサと感応膜の組み合わせは、今回の実験においては十分に有効であったと言えます。また、学習と推定を繰り返すことにより、高い推定精度を実現するには、疎水的な性質を持つ感応膜の組み合わせが有効であることもわかりました。

今後のこと

以上のように、モバイル化やモノのインターネット(IoT)での応用が見通せるMSSを用いて、さらにデータサイエンスの手法を効果的に採用することで、ニオイから特定の情報を抽出できることが実証されました。目的に応じて最適な感応膜の組み合わせは変わるため、どのようなケースにも対応できるようにさまざまな特性の材料を揃える必要があり、材料開発は重要な課題のひとつです。センサ周りの諸要素やデータ解析手法にも最適化すべき点はまだ多くありますが、嗅覚センサの標準化に向けた包括的研究開発を今後も推進していきたいと思います。
参考文献 Kota Shiba, Ryo Tamura, Gaku Imamura & Genki Yoshikawa, "Data-driven nanomechanical sensing: specific information extraction from a complex system", Scientific Reports 7, 3661 (2017), doi:10.1038/s41598-017-03875-7]]>
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我々はどうやって青色を見ているのか? - 霊長類青センサータンパク質の構造解析 https://academist-cf.com/journal/?p=5719 Thu, 31 Aug 2017 01:00:57 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5719 光と色 私たちが普段見ているすべての色は、「光の三原色」と呼ばれる青・緑・赤の3種類の光の組み合わせのパターンによって作られます。つまり、「光」は「色」の源なのですが、光がありさえすれば色が存在するわけでもありません。太陽や電球など、光源からの光がものに当たると、ある特定の波長のみが反射され、残りの波長は吸収されます。私たちはこの反射された波長の光を眼で受け取り、脳に伝えることではじめて色を認識できるのです。私たちの眼には、物体によって反射されたさまざまな波長の光を感じる2種類の細胞があり、とりわけ暗闇でのわずかな光を感じ、モノを見ることを得意とする桿体視細胞、そして色識別に特化した錐体視細胞があります。 私たちの研究室では、これら視細胞の中に存在する光センサータンパク質の研究を行っています。5ナノメートル(1ナノメートル=10億分の1メートル)という小さな分子がどうやってさまざまな波長の光を見分け、光情報を脳に伝えているのか、原子・分子といった言葉で解き明かすことに奮闘しています。

色を見分ける3種類の光センサータンパク質

私たちの色覚を担う光センサータンパク質は、「光の三原色」に対応した青・緑・赤の3種類が存在します。一般的に光センサータンパク質は光を吸収するために、タンパク質内部に発色団と呼ばれる化学分子を結合させています。たとえば植物であれば、光合成などを行うために赤や青の光の波長に適した異なる発色団分子(フィトクロム、クリプトクロム)をタンパク質内部に結合させていますが、興味深いことに、3種類の色覚センサータンパク質は11シス型レチナール(ビタミンA誘導体)というまったく同一の発色団分子を使って異なる色の光を吸収しています。これはタンパク質を構成するアミノ酸とレチナールがそれぞれ特異的な相互作用をすることで、さまざまな波長の光吸収が実現されると考えられています。 したがって、私たちが色を見分けるしくみを理解するためには、それぞれの色覚センサータンパク質がレチナールとどのような化学的な相互作用を行っているのか、波長制御機構を明らかにする必要がありますが、1)色覚センサータンパク質の試料調製が困難なこと、2)限られた試料に対する構造解析手法が存在しないこと、3)実験操作のすべてを暗室で行わないといけないことからタンパク質の構造研究は皆無であり、私たちが色を見分けるという当たり前のことを、分子レベルで説明できなかったのです。 [caption id="attachment_5715" align="aligncenter" width="600"] 3種類(青・緑・赤)の光センサータンパク質の可視吸収スペクトル・11シスレチナールの構造式。レチナールは、ポリエン鎖部分、シッフ塩基、β-イオノン環からなる[/caption]

赤と緑を見分ける色覚センサータンパク質の構造解析

タンパク質の構造解析と聞いてまず思い浮かべる解析手法は、X線結晶解析法や電子顕微鏡法、さらには核磁気共鳴法(NMR法)でしょう。これらの手法は原子レベルでの精緻な構造情報を与えてくれることから、タンパク質の立体構造を決める手法として広く利用されています。一方で構造解析にはタンパク質の生物学的機能研究に比べて、桁違いの試料量が必要になります。 そこで私たちは京都大学霊長類研究所の今井啓雄准教授との共同研究により、10年前に赤外線を用いた振動分光法(赤外分光法)によるサル色覚センサータンパク質の構造解析を開始しました。赤外分光法は原子や分子の位置情報を得られない一方、それらの化学構造や、状態変化に対応した構造変化を追跡することもできます。なにより、X線結晶解析法やNMR法の一桁低い試料量で測定が可能なため、試料調製が困難な膜タンパク質にとってうってつけの構造解析手法なのです。 私たちは、哺乳類ガン細胞を用いたタンパク質の大量発現と高精度低温赤外分光法を組み合わせることで、2010年に世界で初めて霊長類赤・緑センサータンパク質の構造解析に成功し、続くタンパク質内部に結合した水分子の解析および同位体標識したレチナールを用いた解析成果によって、私たちが赤と緑を見分ける分子機構の解明に成功しました。 一方、青センサータンパク質は、過去の文献によれば、赤・緑センサータンパク質よりも一桁近く発現量が少ないことが知られており、赤外分光法を持ってしても構造解析は不可能であると考えられていました。 [caption id="attachment_5716" align="aligncenter" width="600"] 赤外分光装置・哺乳類ガン細胞(HEK293T)を用いた色覚センサータンパク質の大量調製[/caption]

霊長類青センサータンパク質の構造解析

今回、青センサータンパク質の構造解析に向けて、霊長類間での種の選択やタンパク質の可溶化・精製条件の再検討を行い、赤外分光法を実行するのに十分量の精製試料を得ることに成功しました。その結果、研究開始から10年越しに青センサータンパク質の構造解析を達成することができました。 得られた青センサータンパク質の赤外吸収スペクトルは、レチナールの分子構造やタンパク質の骨格構造が赤・緑センサータンパク質とは大きく異なっていました。特に顕著な違いが確認されたのが内部結合水の信号です。本実験では重水(D2O)中、77Kでの液体窒素温度下での光照射により、始状態と異性化後の中間体との赤外差スペクトルを測定していますが、赤・緑センサータンパク質には6~8個の水のO-D伸縮振動モードがシャープなピークとして観察されました。青センサータンパク質の場合、始状態に4個、異性化中間体に3個と数は少なかったものの、2500cm-1振動数付近に半値幅が40cm-1を超えるブロードで強度の大きな水のピークが含まれていました。私たちの研究室で系統的に行ってきたさまざまな光センサータンパク質の内部結合水解析においてもこのような信号が得られたことはありませんでした。 私たちは青センサータンパク質中において、疎水的な化学構造を有するレチナール分子の近傍に複数の水分子が集合体(クラスター)を形成していると解釈しました。さらに波長制御に重要な役割を及ぼすアミノ酸の部位特異的な変異体の赤外吸収スペクトルで水の信号が減少したことから、水分子の集合体構造がレチナールのポリエン鎖上のπ電子の局在化を引き起こすことで青色光吸収をもたらすものと考えています。 [caption id="attachment_5717" align="aligncenter" width="600"] 視覚センサータンパク質の内部結合水の赤外吸収バンド・霊長類青センサータンパク質の波長制御メカニズム[/caption]

今後の展開

私たちの色の認識は、「光の三原色」に対応した青・緑・赤の3種類の色覚センサータンパク質が外界からの光を吸収することから始まるわけでありますが、実際には私たちは眼ではなく脳で色を認識しています。これは、個々の色覚センサータンパク質が吸収したさまざまな波長の光情報が、視細胞内の別のタンパク質(Gタンパク質)を介して電気信号に変換されることで脳に伝えられています。 そこで今後は、色覚センサータンパク質とGタンパク質との相互作用を原子レベルで解析することで、私たちの色認識における光シグナル伝達の詳細なメカニズムを明らかにしていきたいと考えています。特に、色覚センサータンパク質は3種類あるにもかかわらず、光情報を最初に受け取るGタンパク質は1種類しかありません。したがって、それぞれの色覚センサータンパク質とGタンパク質との相互作用の共通性、特異性を赤外分光測定から見出し、私たちが色を見分けるしくみの謎に迫っていきたいと考えています。 参考文献 Katayama K, Furutani Y, Imai H, & *Kandori H. “An FTIR study of monkey green- and red-sensitive visual pigments” (2010) Angew. Chem. Int. Ed., 49, 891-894. Katayama K, Furutani Y, Imai H, & *Kandori H. “Protein-bound water molecules in primate red- and green-sensitive visual pigments” (2012) Biochemistry, 51, 1126-1133. Katayama K, Nonaka Y, Tsutsui K, Imai H, & *Kandori H. “Spectral tuning mechanism of primate blue-sensitive visual pigment elucidated by FTIR spectroscopy” (2017) Scientific Reports, 7, 4904-4913.]]>
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哺乳類の細胞分裂を守る染色体領域でRNAが果たす役割とは? https://academist-cf.com/journal/?p=5728 Wed, 06 Sep 2017 01:00:06 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5728 細胞分裂を守る染色体領域:ペリセントロメア ひとつの細胞が持っているゲノム情報は、マウスで約25億塩基対、ヒトで約29億塩基対からなり、およそ2メートルくらいの長大な二重らせん構造をとっています。この長大なDNAが絡み合うことなく核内に機能的に収納できるようにするため、ヒストンH2A、H2B、H3、H4が2分子ずつ集まったヒストン8量体にDNA約146bpが巻きつき、これらがコンパクトに折りたたまれることで染色体(クロマチン)を構成しています。 [caption id="attachment_5723" align="aligncenter" width="600"] ヒストン8量体にDNAが巻きつき、これらが折りたたまれることで染色体が構成される[/caption] 染色体にはDNAの密度が低い、つまりDNAが緩んでいて、転写が活性なユークロマチンと、DNA密度が高くDNAが凝縮することで、転写が抑えられているヘテロクロマチンに大別されます。高度に凝縮されたヘテロクロマチンは、染色体機能の維持、発生や疾患におけるエピジェネティックな遺伝子発現抑制など、さまざまな生命現象に重要な役割を果たす高次クロマチン構造です。 哺乳類の染色体では、メジャーサテライトと呼ばれる配列が1万回近くも繰り返して並んだ配列から構成されるペリセントロメア領域が動原体(セントロメア)近傍に存在し、その領域に典型的なヘテロクロマチン(ペリセントロメアヘテロクロマチン)が形成されます。まったく遺伝子の存在しないペリセントロメアは必要なのでしょうか? 実はこのペリセントロメアヘテロクロマチンは染色体が分離する際に染色体同士を結合しているコヒーシンと呼ばれる分子が最後まで残って結合している場所であり、無事に細胞分裂が起こるように守っている領域なのです。 [caption id="attachment_5724" align="aligncenter" width="600"] ペリセントロメアの模式図。ペリセントロメア領域が動原体近傍に存在し、その領域に典型的なヘテロクロマチン(ペリセントロメアヘテロクロマチン)が形成される[/caption]

哺乳類のペリセントロメアヘテロクロマチン形成機構

哺乳類のヘテロクロマチン領域では、翻訳後修飾のひとつであるヒストンH3の9番目のリジン残基がトリメチル化されたH3K9me3が特徴的に蓄積しています。ペリセントロメアヘテロクロマチンは、ヒストンメチル化酵素のSuv39h1がこのH3K9のトリメチル化を触媒し、そのメチル化修飾部位をヘテロクロマチン構造タンパク質であるHP1が認識・結合することにより形成されることが知られています。このヘテロクロマチンの形成や機能の維持に中心的な役割を果たすSuv39hをノックアウトしたマウスでは染色体異常が誘導され、多くは致死になることが知られています。しかし、どのようにしてSuv39h1やHP1がペリセントロメア領域に存在しているのかなど、その形成の仕組みの詳細はわかっていませんでした。

ペリセントロメアからもRNAが転写される

遺伝子からRNAが転写されてそれがタンパク質に翻訳されるというセントラルドグマはよく知られています。しかし、実際にタンパク質をコードしている遺伝子は全ゲノム中の1.5%にも満たないにも関わらず、ゲノムから転写されているRNAは約7割にもおよぶことが明らかになり、このようなRNAをノンコーディングRNAと呼ぶようになりました。先ほど説明したペリセントロメア領域からもわずかながらメジャーサテライトRNAというノンコーディングRNAが転写されます。ショウジョウバエや分裂酵母などのモデル生物では、この転写されたRNAを介したRNA干渉がヘテロクロマチン形成に関与していることが知られていましたが、哺乳類では、RNAがヘテロクロマチン形成や維持に関与しているかはわかっていませんでした。 ヘテロクロマチン構造の形成に関わる因子は進化的によく保存されており、分裂酵母には、Clr4と呼ばれるマウスのヒストンメチル化酵素Suv39h1の相同因子があります。私たちは以前の研究から、Clr4がメチル化ヒストンの結合に関わるクロモドメイン(CD)を介してRNAと結合できることを見いだしていました。 そこで、Suv39h1もCDを介してRNAに結合できるのではないかと考え、生化学的に実験を行いました。その結果、Suv39h1のCDはRNAと結合し、ヒストンのメチル化の程度に影響されないことを発見しました。さらに、マウスの細胞内においても、Suv39h1はCDのRNA結合活性依存的に、ペリセントロメア領域から転写された「メジャーサテライトRNA」と結合していることがわかりました。

RNAと結合できないとヘテロクロマチン形成が遅れる

Suv39h1のCDはRNAと結合できることがわかりましたが、CDはH3K9me3とも結合できます。そこで、H3K9me3と結合するSuv39h1のCDを解析し、その結合に関わるアミノ酸残基を同定しました。そして、生化学的な解析により、両者の結合は独立していることを見いだしました。これらの結果は、Suv39h1がCDを介して、H3K9me3とRNAの両方に結合でき、両者の結合はそれぞれ独立に機能していることを示しています。では、実際に細胞内ではSuv39h1のRNA結合がヘテロクロマチン形成にどのような役割を果たしているのでしょうか? その答えを導くために、私たちはペリセントロメア領域のH3K9me3が消失しているSuv39h欠損線維芽細胞に、変異型のSuv39h1を導入して機能解析を行いました。その結果、H3K9me3結合部位に変異を導入した細胞だけでなく、RNA結合部位に変異を導入した細胞でもヘテロクロマチン形成が遅れることがわかりました。また、これらの細胞株における核の状態を顕微鏡で観察したところ、Suv39h1のH3K9me3結合部位とRNA結合部位に変異を導入した細胞では、ヘテロクロマチン領域にSuv39h1が蓄積している細胞の割合が低下していました。

ペリセントロメアからのRNAの役割は?

これらの結果は、変異型のSuv39h1が安定的にヘテロクロマチン領域につなぎ止められていないからだと考え、Suv39h1の動的な挙動を顕微鏡で観察しました。すると、H3K9me3結合部位に変異を導入した細胞だけでなく、RNA結合部位に変異を導入した細胞も、ヘテロクロマチン領域でのSuv39h1の動きが速くなっていること、つまり可動性が増していることがわかりました。 [caption id="attachment_5725" align="aligncenter" width="600"] RNA結合欠損型Suv39h1やH3K9me3結合欠損型Suv39h1の動的挙動。これらの細胞ではSuv39h1の動きが速くなっていることがわかる[/caption] しかし、これだけではメジャーサテライトから転写されているRNAがSuv39h1の動きに影響を与えている直接的な結果にはなりません。そこで、核内のメジャーサテライトRNAをノックダウンした細胞で、Suv39h1の挙動を顕微鏡で観察したところ、ノックダウンすることでもSuv39h1の動きが速くなることを明らかにしました。 以上の結果より、Suv39h1が安定的に染色体に結合するためにメジャーサテライトRNAが重要な役割を果たし、それがヘテロクロマチン形成に重要であるということを明らかにしました。 [caption id="attachment_5726" align="aligncenter" width="600"] RNAが媒介する哺乳類のヘテロクロマチン形成機構[/caption] 今回私たちは、哺乳類では、クロモドメイン(CD)とSETドメイン(SET)を持つSuv39h1が、ノンコーディングRNAとCDを介して結合し、またH3K9me3と結合することで、効率的にヒストンH3K9をトリメチル化し、ヘテロクロマチンを形成するという新しい機構を示しました。 近年、染色体異常が原因の先天性疾患が報告されていますが、その仕組みを完全に理解するには至っていません。進化的にノンコーディングRNAを介したヘテロクロマチン形成が保存されているという事実は、今後、未だに明らかにされていない初期のヘテロクロマチン形成を解明する糸口となり、先天性異常を引き起こす染色体不安定性を解明する重要な一歩になると期待しています。 参考文献 Atsuko Shirai, Takayuki Kawaguchi, Hideaki Shimojo, Daisuke Muramatsu, Mayumi, Ishida-Yonetani, Yoshifumi Nishimura, Hiroshi Kimura, Jun-ichi Nakayama and Yoichi Shinkai, "Impact of nucleic acid and methylated H3K9 binding activities of Suv39h1 on its heterochromatin assembly", eLife, doi:10.7554/eLife.25317 Ishida et.al. Molecular Cell, 47, 228-241 (2012)]]>
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見る方向や光の偏光によって色が変化する物質 ‐ 重い遷移金属元素を含む物質が生み出す新たな機能性 https://academist-cf.com/journal/?p=5736 Thu, 07 Sep 2017 01:00:52 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5736 ルビー(写真は東京大学物性研究所 浜根大輔博士提供)はアルミニウムと酸素でできた物質で、アルミニウムの一部がクロムに置き換わっている。クロムのもつ電子が、高いエネルギーの状態へ移るときに緑の光を吸収し、残った赤い光がルビーの美しい赤色として私たちの目に入る。緑の光のエネルギーは、ちょうど電子が飛び移る先の軌道とのエネルギー差に対応している[/caption]

無機物質の色がつく理由

太古の昔から私たちは宝石の美しい色に魅了されてきました。さまざまな色の宝石がありますが、どのようにこれらの美しい色は表れるのでしょうか? 光は波の性質を持っており、私たちの目で見える光(可視光)は380~750nmという波長をもちます。波長が違う光はそれぞれ異なる色に対応しており、そのエネルギーも異なります。宝石のような無機物質が色をもつ原因は多くの場合、結晶の中にある電子が特定のエネルギー (つまり特定の色)をもつ光を吸収するためにおこります。電子がよりエネルギーの高い状態に飛び移る(これを「励起」といいます)ことができるとき、そのエネルギー差に対応した光が吸収されます。 たとえば、ルビーは透明なアルミニウムの酸化物に少しだけクロムという元素が入っています。クロムの電子は緑色の光を吸収することでエネルギーの高い軌道に移り、残った赤色がルビーの色として私たちの目に届くわけです。クロムでは電子軌道に電子が中途半端に入っているため、高いエネルギーにある電子の詰まっていない軌道に電子を励起することができます。 このような光による電子の励起はいつでも起こるわけではなく、光の偏光(光が振動する方向)と電子軌道の形(対称性)の関係によって決まります。つまり、ある偏光をもった光の吸収は起こるが、違う偏光では起こらないということがありえます。結果として、見る方向によって色が変わってもおかしくありません。実は、この性質は「多色性」として知られており、鉱物学では鉱物を識別する際などに利用される性質です。多くの鉱物がこの性質を示すものの、トルマリンやアイオライトのように限られた物質だけが大きな色の変化を示します。今回の私たちが合成した新物質は、天然に存在する最も劇的な色の変化を示す物質に匹敵するほどの鮮やかな多色性を示しました。

5d遷移金属の可能性

色の原因である電子は、s軌道、p軌道、d軌道とエネルギーの低いほうから順に決まった軌道に入ります。電子がd軌道に入っている元素を遷移金属元素といい、鉄や銅など馴染み深い周期表の第4周期の元素は3d軌道に電子が入るため3d遷移金属元素と呼ばれます。先ほど出てきたクロムも3d遷移金属元素です。そして、その下にある原子番号の大きい第5、第6周期の元素をそれぞれ4d、5d遷移金属元素と呼びます。 地球上に豊富に存在する3d元素に比べて、白金やレニウムといった5d元素は希少であり、化学反応を起こしにくいため、これまであまり研究が行われていませんでした。しかし、5d遷移金属元素は3d元素と異なり、スピン軌道相互作用という相対論的な効果が強くはたらき特殊な性質が現れるため、近年大きな注目を集めています。私たちも5d遷移金属元素を含む化合物の合成に取り組んでいたところ、偶然に強い多色性を示す物質が合成できました。 [caption id="attachment_5734" align="aligncenter" width="600"] 合成したCa3ReO5Cl2の結晶。茶色に見える結晶を90度回転させると緑色に見える。私たちの見ている光はさまざまな偏光を持った光が混ざっているためこのような色に見えるが、ある偏光だけを通すフィルターで結晶を見ると偏光の方向によって、赤・黄・緑の3色に見える。つまり、この黄色と赤色が足し合わさって茶色に見えている。この性質は、レニウムのまわりを酸素がピラミッド型に結合することで現れる。酸素だけではピラミッド型に結合しないので、酸素と塩素が両方含まれている点も重要[/caption]

多色性のメカニズム

今回の研究で私たちが発見したのは、見る方向や光の偏光方向によって劇的に色が変化するレニウムの化合物(組成式Ca3ReO5Cl2)です。この物質の結晶をピンセットで回転させると色が緑から茶色へと劇的に変化する様子を観察できます。 光吸収の測定と5d電子の状態を計算した結果、やはりこの物質でもレニウムがもつ5d電子によって光が吸収され色をもつことがわかりました。この物質中ではレニウムは化学結合を作るためRe6+という正の電荷をもった状態になっており、レニウムのまわりには負の電荷をもった酸素O2−と塩素Clが結合しています。レニウムの5d電子の状態はまわりの酸素や塩素の結合状態に大きく影響されます。私たちはレニウムのまわりに酸素がピラミッド型に結合することが、多色性を示すのに重要であることをつきとめました。 ピラミッド型に酸素が結合するのは珍しいのですが、今回は負の電荷を持ったイオンが酸素と塩素の2種類あり、塩素が酸素が結合するのを邪魔しているためこのような結合になったと考えられます。3d元素でもピラミッド型に酸素と結合するものが存在しますが、多色性は見られません。両者の違いは、3d電子よりも5d電子のほうが酸素に強く影響されることが原因であることもあきらかになりました。

5d化合物の示す新たな性質の発見に向けて

このように、私たちは5d遷移金属元素を含む新しい化合物を見つけることで、そこで現れる劇的な多色性という性質を発見しました。5d遷移金属元素を含む物質の研究はまだまだ始まったばかりです。今後研究がすすみさらに新しい物質が発見されれば、今回のような驚くような性質をもった物質の発見が期待されます。 参考文献 Daigorou Hirai, Takeshi Yajima, Daisuke Nishio-Hamane, Changsu Kim, Hidefumi Akiyama, Mitsuaki Kawamura, Takahiro Misawa, Nobuyuki Abe,Taka-hisa Arima, and Zenji Hiroi, "“Visible” 5d orbital states in a pleochroic oxychloride", J. Am. Chem. Soc., 2017, 139, 10784-10789. DOI: 10.1021/jacs.7b05128]]>
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理研・初田哲男博士、分野横断型組織iTHEMSについて語る。「分野融合のカギは、”環境”に尽きる」 https://academist-cf.com/journal/?p=5749 Wed, 06 Sep 2017 04:00:13 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5749 インタビュー前編でご紹介したとおり、原子核物理学の分野で優れた業績をあげてきた理化学研究所(理研)の初田哲男博士。現在は、2016年11月に始動した同研究所の数理創造プログラム(iTHEMS)のグループディレクターとして、数理科学を軸とした分野横断型研究を進めている。2015年のNature誌のインタビューで、日本における分野横断型研究の取り組みは、海外と比較して遅れをとっている状況にあると初田博士は指摘しているが、今後、新たなイノベーションを生み出していくために異分野の研究者同士の相互作用は必須であるといえる。日本での分野横断型研究の成否を握るiTHEMSについて、初田博士にお話を伺った。 【インタビュー前編はこちら】理研・初田哲男博士、原子核物理学について語る。「その瞬間は、手が震えました」 ——まずはiTHEMSの概要と立ち上げられたきっかけについて教えてください。 iTHEMSという名称は、Interdisciplinary Theoretical and Mathematical Sciencesの略です。理論科学や数学、計算科学の研究者が分野の枠を越えて基礎研究を推進する新しい国際連携研究拠点となることを目指し、昨年11月に立ち上がりました。その前進は、2013年に始動した数学(Mathematics)のないiTHESです。 理研にやって来る前、私は東京大学の理学部物理学科に所属していました。大学では物理学科、化学科など各学科に分野が分かれていて、建物も異なり、それぞれの学生を教育しなければならないため、他の分野の人と共同研究するバリアが大きいといえます。興味はあるけれども、教授会で少し話す程度で、それ以上話が進まないということに課題を感じていました。 理研を外から見ていると、いろんな分野の人がいて、しかも同じ建物のなかで一緒にやっているなぁという印象を持っていましたが、実際に入ってみると確かにそうでした。特に理論物理、理論化学、理論生物学など理論系の研究室の話を聞いていると、もちろん対象は違うのですが、背景にある数学的な手法は共通する点も多くあると感じました。それを横軸にして、たとえば物理の研究者が生物をやったり、生物の研究者が物理をやったりと、お互いに専門分野の手法を輸出したり輸入したりできれば、新しいものが生まれてくるのではと考え、まずはiTHEMSの前身となるiTHESを立ち上げました。 ——前身のiTHESからはこれまでにどういった成果がでてきていますか。 たとえば、理論物理の研究者が、エンジニアと一緒に"透明マント"の理論を作ったり、生物物理の研究者と一緒に染色体分離のメカニズムについて明らかにしたりなどといった成果が出ています。染色体の研究を行った研究者は、もともと理研の原子核理論の研究員として採用されたのですが、この成果が高く評価されて、今は東大医学部の助教として活躍しています。そういう意味で、キャリアアップの場としても機能しているといえますね。非常に良い枠組みになってきているなと感じています。 ——初田先生も、生物物理の研究者との共同研究で、魚の網膜に関する研究を行われていると伺いました。この研究について詳しく教えてください。 iTHES研究員である理論物理学者の小川軌明さんを中心に、私と数理生物学者の望月敦史さん、立川正志さんが共同研究しています。 眼の構成要素である網膜では光の強度や色を感知しています。魚の場合、赤・緑・青色の光と紫外線に対応した4種類の光受容細胞を網膜上に持っています。ヒトの網膜では、光受容細胞はまばらに点在しているのですが、魚の網膜では、その4種類の細胞がきれいなパターンを作ってびっしり並んでいるんです。しかもそのパターンは、メダカ、ゼブラフィッシュ、サケなど、魚の種類によって異なります。 これは実は、二次元の壁紙群という数学的な問題に置き換えられます。壁紙群の表現論では、可能なパターンは17種類しかないことがわかります。実際に、メダカやゼブラフィッシュなどはこの17種類のうちのいずれかに対応しています。私たちは、4種類の細胞がなぜ、そしてどのようにしてそれらのパターンを形成しているのかということを研究しています。 ——その問題に対して、理論物理学的にはどういったアプローチをとるんでしょうか。 物理の世界では、アップスピンとダウンスピンという2種類のスピンの相互作用を考えて、磁性を理解しようとします。4種類の細胞は、4種類の方向があるスピンのようなものであると考えると、網膜のパターンは、それらがお互いに相互作用してできる一般的な磁性の問題として数学的に捉えることができます。すると、各パターンのうち一番エネルギーの低い状態を求めるという物理学の問題にも焼き直せます。なぜそのパターンが安定で、どういうパラメータの値であればそのパターンになるのかということが計算できるようになるのです。 ——細胞の問題を、物理の言葉で表現できるということなんですね。 特に私たちが着目したゼブラフィッシュの場合、網膜の中心から放射状にパターンができているのですが、原理的には同心円状のパターンもありえます。その2つのパターンは、エネルギーの値を計算するとまったく同じになります。ところが実際のゼブラフィッシュの網膜は、放射状パターンしかありません。なぜ一方のパターンのみしか表れないのかということは、長いあいだ謎とされていました。私たちはこの問題にも取り組みました。 [caption id="attachment_5803" align="aligncenter" width="600"] 魚の網膜のパターン(画像提供:初田哲男博士)[/caption] ——これは物理の視点から見るとどのように考えればよいのですか。 物理の言葉でいう「揺らぎ」と関係しているといえます。揺らぎに対する安定性を考えるんです。実際に網膜のパターンができる際には、周りから細胞が集まってきて形作られていくのですが、その過程では、細胞があっちにいったりこっちにいったりと揺らぎながら細胞同士がくっついていきます。この揺らぎに対して、引きつけやすいパターンなのかそうでないパターンなのかを計算することができます。 すると、エネルギーは同じなのですが、周りの揺らぎに対する安定性まで考えると、放射状パターンの方が安定になるということを式の上で示すことができました。いくら途中で同心円状のパターンができそうになっても、ゆらゆら揺らいで放射状パターンの方に行ってしまうんです。 ——なるほど。iTHEMSの前身であるiTHESからは、そういった分野融合型の研究成果が実際に出はじめてきていますが、そこに新たに数学(Mathematics)を加えようと思われたのはどうしてですか。 理研には数学が抜けていると感じていたからです。理研の初代所長である菊池大麓さんは数学者でしたが、それ以来、理研では本格的な数学者が研究室を持ったことはなかったんです。 私たち理論物理学者が使っている数学って、微分方程式や固有値問題など、19世紀から20世紀初めの数学なんですよね。数学自身は、20世紀半ばから現代に至るまで相当な抽象化が進み、さまざまな枠組みができているのですが、それらの分野と相互作用する機会がなく、生かしきれていないという課題を感じていました。一方で数学者も、他の分野でも使えるはずの成果が、応用につながっていかないという問題を感じていることがわかってきました。 海外では、数学を他の分野に生かそうという流れができてきていますが、日本ではまだまだ弱いです。理研にはいろんな分野の研究室があるので、そこに数学者が入ってくると、それを核としてさまざまな繋がりができるのではないかと考えました。 ——2015年のNature誌のインタビュー記事のなかでも、日本では分野横断的な研究は海外に比べて遅れをとっていると指摘していらっしゃいました。いろいろな要因があると思いますが、分野横断的な研究が進まないいちばんの原因はどこにあるとお考えですか。 私自身のアメリカでの経験も踏まえて感じるのは、異分野融合に必要なメンタリティをもった人たちが育っていないということです。その原因は、”環境”に尽きると思うんです。「分野を飛び越えておもしろいことをどんどんやろうよ」というメンタリティをもった人が、上の立場の人たちに少ない。そういった環境で育っているから、若い人も当然同じようなメンタリティになっていく、このような流れが環境としてできてしまっていることが問題だと思っています。 数理科学以外のサイエンスの分野でも、さまざまな人とのコラボレーションが新しいことを生むきっかけになっているというのは確かです。本当に突拍子もない新しい発見というのは、ずっとその道をやってきた専門家ではなく、ちょっと違う分野からやってきた人が見つけたりするものです。ですので、そういうことができるような雰囲気をiTHEMSでは作っていく必要があると考えています。 ——iTHEMSでの具体的な取り組みを教えてください。 iTHEMSは、私と、副プログラムディレクターである数学、計算科学、生命科学の研究者、それに連携促進コーディネーターの計5名が全体を見渡しながら運営しています。組織は、その5名がそれぞれグループを作るのではなく、全員がひとつの箱のなかにいて、みんながお互いに交流できる形にしています。 前身のiTHESは、もともと理研にあった様々な理論研究室をひとつのグループとしてまとめた形なので、ある意味でチーム構造になってしまっていて、お互いの相互作用がスムースにいかない場合もあるということに課題を感じていました。 そこで、チームを作らずに、ひとつの箱のなかで一緒にやりましょうということにしたのです。ただし、それだけでは何も生まれてこないかもしれないので、「極限宇宙」、「生命進化」、「数理と人工知能」、「新しい幾何学」という核となるような大きなテーマを4つ立てています。たとえば、幾何学といっても、数学者だけでなく、物理学者も生物学者も一緒になったゆるいグループを作って、共同研究をしていくというイメージです。我々はこれをセルと呼んでいます。 ——研究者同士の交流を促すための工夫は何かされていますか。 毎週金曜日に、Coffee Meetingを開催しています。Coffee Meetingは、15分程度のプレゼンテーションを昼食をとりながら聞き、そのあと研究者同士が自由に交流するというものです。Coffee Meetingへの参加はiTHES/iTHEMSの研究者の義務としています。たとえば、物理と数学って、近いようでやっぱりぜんぜん遠くて。喋る言葉も考え方も違うので、日常的な交流が必要だと考えたんです。日々会話をしていくなかで、「あ、こういうふうに喋ればわかってもらえるんだ」という気づきをトライアンドエラーで得ていくしかありません。 [caption id="attachment_5807" align="aligncenter" width="600"] Coffee Meetingの様子(写真提供:iTHEMS)[/caption] 一方で、他分野の深いところまで知る必要もあります。そこで、数学の研究者に、月に何回か専門外の研究者に向けたレクチャーをやってもらうという取り組みも始めました。今は第1号として、結び目理論の研究者に、数学のことを知らなくてもわかるようゼロから理論を説明してもらっています。考え方や概念がわかるので、すごく勉強になりますね。それに、こうしてひとたび突破口が開けると、みんな研究者ですから、自分で勉強できるんですよ。きっかけがわからないだけなんです。 そのほかに、社会のなかでどのように数理や理論が使われているかを学ぶ産学連携レクチャーも開催しています。それがきっかけで、自分たちで人工知能の勉強会を始めた研究者もいますよ。このようにして、これからもいろんな仕掛けを作っていかないといけないですね。 [caption id="attachment_5804" align="aligncenter" width="600"] 結び目理論の講義の様子(写真提供:iTHEMS)[/caption] ——分野横断型研究の推進に向けては、やはりさまざまな課題もあると思います。 若い人が、いろんなことに手を伸ばしすぎてしまって中途半端になり、進路に困ってしまうというリスクがあります。学生を育てる役割を持つ大学では、特に気をつけなければいけません。大学で学位を取得する際には、きちんと専門分野で一定の仕事をやりきる必要があると考えています。そういう人が学位取得後に分野融合型の組織に入って視野を広げて、違う分野の研究室に移っていくということであれば、成功率は高いと思います。iTHES/iTHEMSの若手研究者も、自分がこの先どういう方向にいけばよいのか、それぞれに悩みを持っていると思うんです。それに対しては、ロールモデルをいくつも作っていくしか手はありません。 ——しっかりした専門性が土台にあるからこそ、他分野でも活躍できるということなんですね。 もうひとつ感じている課題は、分野融合に対する意識の温度差です。理論物理が専門の研究者は、おもしろいことはなんでもやってやろうというメンタリティを持つ人が多いですが、物質科学や生命科学のように、特別な対象に密着して、それを深く理解することが研究の重要な側面になる分野もあります。多様な現象を個別に深く理解することと、全体をカバーしうるユニバーサルな理論を作ることは表裏一体でいずれも重要なので、両者をバランス良く折り合わせて分野融合の意識を醸成していかねばなりません。生命現象の理解から生まれた新しい理論が、物理学の進歩に大きく貢献するようなことがあればすばらしいな、と考えています。 数学については、現代数学を実際にいろんな分野の科学に応用できるようにするためにはまだまだ相当なギャップがあると感じています。数学者の喋っている言葉を聞いても最初は皆目わからないので、それをちゃんと自然科学者が理解して使える形にしていくということが必要です。それは、数学者だけではできないし、私のような自然科学者だけでもできません。そこの擦り合わせをうまくやるというのは、1年や2年でできることではありません。 ——長期的な視点で取り組んでいく必要がありそうです。現在、iTHEMSでは若手研究者を募集されています。採用基準としてどういった方を想定されていますか。 大切なことが2つあります。ひとつは自分の専門分野で世界的な成果を挙げているということ。そういう人が他の分野の研究者と相互交流してこそ、本質的に新しいことができるのです。もうひとつは、現在、他の分野の人と仕事をしていなくても、他の分野から何かを吸収したい、そして自分も何かを提供したいというような意識を持っていることです。どんなに優秀で高い業績をあげている人でも、他の分野には一切興味がないとなると、この組織で活躍してもらうのはなかなか難しいと思うので。 ——昨年始動したばかりのiTHEMSですが、これからどういった組織にしていきたいとお考えですか。 たとえば、研究者同士の交流の結果、自然発生的にでてきたグループに予算を付けて共同研究が進むような仕組みを作り始めています。その第1号として、宇宙の観測データを機械学習で解析しようというアイディアを持ったグループが立ち上がっています。また、数学と生物の若手研究者が一緒になって、生命現象を結び目理論で理解するという共同研究や、物理学の若手研究者と体育学の研究者が一緒になって、スポーツ技術を数理科学で理解するという共同研究が動きはじめています。こういったボトムアップ的なプロジェクトをどんどん若い研究者に立ち上げてもらって、数年掛けて成長させていくと、次第にiTHEMSの全体像が見えてくるのかなという気がしていますね。 ただしファンディングという視点でみると、我々の活動を理解してもらうことは簡単なことではありません。成果やゴールがはっきり見えていないと、予算獲得のための説得が難しいですから。良い成果を積み重ねながら予算を獲得し、それを糧にちょっとずつ土壌を肥やしていくという、財源確保と土壌整備の両面を進めていかなければならないと考えています。iTHEMSは大目標があってみんながそれに向かっていくようなシステムではないので、何が出てくるかはわかりません。だからこそ、何が出てきても発展させていけるような土壌を肥やしていきたいですね。 *** インタビューで、若手だけでなくシニアーな研究者が異分野融合の意識を持つ必要性を語っていた初田博士。現在でも、月に1本論文を書くことを目標としており、まさに自ら率先して現場での分野横断型研究を進めているという。そのおかげもあってか、iTHES/iTHEMSの若手研究者の方々も研究者同士の交流に積極的で、筆者が参加させていただいたWine Meeting(※夏の期間だけはCoffeeがWineになるそうです)では、何気ない会話からいろいろなコラボレーションが生まれてきそうな雰囲気を感じることができた。今後のiTHEMSの活躍に注目だ。 【インタビュー前編はこちら】理研・初田哲男博士、原子核物理学について語る。「その瞬間は、手が震えました」
研究者プロフィール 初田哲男(はつだ・てつお)博士 1958年大阪市生まれ。1986年3月京都大学大学院理学研究科物理学第二専攻博士課程修了。理学博士。京都大学大学院理学研究科 助教授、東京大学大学院理学研究科 教授、理化学研究所 主任研究員などを経て、2016年より理化学研究所 数理創造プログラム(iTHEMS) ディレクター。専門は、ハドロン物理学の理論および数理生物学。iTHEMSのホームページはこちら
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「ノルコロール」を用いて反芳香族化合物の性質を解き明かす https://academist-cf.com/journal/?p=5815 Mon, 11 Sep 2017 01:00:38 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5815 π電子と芳香族性・反芳香族性 πといえば円周率のことでしょうが、化学者はπ電子を連想するでしょう。多くの二重結合をもつ化合物はπ電子化合物と呼ばれます。二重結合は、σ結合とπ結合でできており、それぞれの結合を形成する電子はσ電子やπ電子と呼ばれます。σ電子が2つの原子をしっかりつなぎ止めているのに対して、π電子は2つの原子のあいだにゆるく存在し、周りからの影響を受けやすい性質があります。π電子化合物がきれいな色をもっていたり半導体特性を示したりするのは、π電子をもつためです。π電子は機能の宝庫ということができます。π電子化合物は色素として重要で古くから研究されてきました。さらに、有機半導体材料、有機EL、有機太陽電池など最先端分野でも非常に重要な物質となっています。 π電子化合物のなかでもベンゼンに代表される芳香族化合物は安定な物質であり、プラスチックや医薬品、液晶、電子材料など身のまわりで広く利用されています。芳香族化合物はいくつかの二重結合がつながった環状構造をもっており、含まれるπ電子の数が4n+2個(n=0, 1, 2, 3, …)であるという特徴がありあります。では、π電子の数が4n個(n=1, 2, 3, …)の場合はどうなるのかというと、逆に不安定になります。このような分子は反芳香族化合物と呼ばれます。これまであまり研究されていませんでしたが、逆に未知の性質が潜んでいる可能性もあります。最近では、優れた酸化還元特性や電荷輸送特性をもつことが明らかにされ、注目を集めつつあります。反芳香族化合物のネックになるのは、その不安定性です。空気中ですぐに壊れるような化合物では扱いにくいし、応用への可能性が減ってしまいます。

お椀型構造をもつπ電子化合物

通常、π電子化合物は平面構造をしています。しかし、最近ではお椀型、らせん型、ベルト型など曲面構造をもつπ電子化合物が合成され、おもしろい構造をもつため注目されています。曲面π電子化合物は固体中に並べた場合に平面化合物とは異なる配列をとると考えられ、材料としての性能が向上したり、新たな物性が発現したりすると期待されています。特に、お椀型化合物は凹面と凸面という2つの異なる面をもちます。このため、まるでお椀を重ねるかのように、方向性のある積層構造を形成しやすいことが知られています。代表的なお椀型分子としては、コラニュレンやスマネンが知られていました。これらはどちらも芳香族化合物です。一方、お椀型の反芳香族化合物は知られていませんでした。

安定な反芳香族化合物の発見

反芳香族化合物は一般に不安定です。ところが私たちは意図せず安定な反芳香族化合物であるノルコロールを合成することに成功しました。その経緯については佐藤健太郎さんの有機化学美術館・分館「ノルコロール〜できるはずのなかった化合物」を見てください。このノルコロールですが、対称性の高い非常に美しい構造をしており、私の好きな分子のひとつです。 安定な反芳香族化合物であるノルコロールを手にして、私たちは反芳香族化合物の性質を明らかにすべく研究をおこなっています。最近注目しているのが反芳香族化合物を重ねるとどうなるかという研究です。芳香族化合物を重ねようとすると、π電子どうしの反発がおきてしまいます。しかし、反芳香族化合物は重なりやすい性質があることがわかってきました。さらに、不思議なことに反芳香族化合物を重ねると芳香族としての性質を示して安定化することも明らかになりました。 ノルコロールには大きな制約がありました。ノルコロールは中心にニッケルを含んでいますが、これ以外の金属では合成できません。ニッケルの代わりにいろんな金属を入れられたら、その構造や物性を制御できます。そのため、ニッケル以外のノルコロールを合成することがテーマとなりました。ノルコロールはニッケルを鋳型のようにして使うことによって合成されます。つまり、ニッケルの上に2つのユニットを載せておき、分子内カップリング反応で連結することによってノルコロールが得られます。では、ニッケル以外の金属を鋳型にすれば他の金属をもつノルコロールも簡単に合成できそうです。しかし、そうは問屋が卸しません。反応に使う試薬のため鋳型の金属が追い出されてしまいまったくうまくいきません。さまざまな試行錯誤を行い、銅を鋳型にして銅を使った試薬を用いてカップリングさせるという方法で銅をもつノルコロールを合成することができました。最初のノルコロールができてから4年後のことです。 銅をもつノルコロールが合成できて大きなボーナスがありました。ニッケルをもつノルコロールからニッケルを取り外すことはできません。一方、銅は外すことができ、真ん中に穴が空いたような金属をもたないノルコロールが得られました。この穴にいろいろな金属をはめ込むことができるようになりました。 ノルコロールにどんな金属をはめ込もうかと思案していたときに、大きな金属を入れたらどうなるのかと考えました。銅を取り除いてできた穴は比較的小さいので、ここに大きな金属を無理矢理入れたら、平面が曲がってお椀型になるのではないか? という非常に安易な発想です。しかし、実際にやってみると、優美な曲面構造が誘起されお椀型構造をもつ反芳香族化合物が合成できました。また、お椀型ノルコロールは、曲面構造に変形しても非常に強い反芳香族性を保っていることがさまざまな測定から明らかになりました。さらに、お椀型構造の表面と裏面で異なる物性をもつこともわかりました。

まとめ

お椀型反芳香族化合物ができたからって何の役に立つのでしょうか? 実は私たちにもよくわかりません。しかし、これまではその性質や有用性を調べたくても、お椀型反芳香族化合物を合成する方法がありませんでした。今回の研究でそれを手にすることができたので、お椀型反芳香族化合物ならではの性質を明らかにしていきたいと思います。お椀型分子の特徴である異方性のある積層構造と反芳香族性が関連するような研究ができたらいいかなと考え中です。 参考文献 “Gram-Scale Synthesis of Nickel(II) Norcorrole: The Smallest Antiaromatic Porphyrinoid”, Ito, T.; Hayashi, Y.; Shimizu, S.; Shin, J.-Y.; Kobayashi, N.; Shinokubo, H. Angew. Chem. Int. Ed. 2012, 51, 8542. “Stacked Antiaromatic Porphyrins”, Nozawa, R.; Tanaka, H.; Cha, W.-Y.; Hong, Y.; Hisaki, I.; Shimizu, S.; Shin, J.-Y.; Kowalczyk, T.; Irle, S.; Kim, D.; Shinokubo H. Nat. Commun. 2016, 7, 13620. “Shaping Antiaromatic π-System by Metallation: Synthesis of a Bowl-Shaped Antiaromatic Pd-Norcorrole”, Yonezawa, T.; Shafie, S. A.; Hiroto, S.; Shinokubo H. Angew. Chem. Int. Ed. 2017, 56, in press. DOI: 10.1002/anie.201706134]]>
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わたしたちはなぜエアコンをつけるのか? - 意識的な体温調節の仕組みを探る https://academist-cf.com/journal/?p=5823 Tue, 12 Sep 2017 01:00:32 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5823 体温調節には2種類ある 「体温調節」という言葉からみなさんは何を思い浮かべるでしょうか? 夏の暑い日に汗をかいたり、冬の寒い日に筋肉が震えたりするのを想像するかもしれません。こうした体の反応は「自律性体温調節」と呼ばれ、無意識に起こる体温調節の反応です。一方で、意識的に行う体温調節もあります。それは「行動性体温調節」と呼ばれ、暑いときに薄着になる、寒い部屋でコタツに入って暖まるなどの行動を指します。 [caption id="attachment_5824" align="aligncenter" width="600"] 自律性体温調節と行動性体温調節[/caption] こうした2つの体温調節はどのようにして体の中で起きているのでしょうか。無意識に行われる自律性体温調節は、これまでの研究でその仕組みが明らかとなってきました。たとえば、寒くて震えるときには、皮膚の温度センサーで感知した環境の寒さの情報が脊髄を経て脳へ送られ、脳の中の外側腕傍核という場所を通って、視床下部の体温をコントロールする中枢(体温調節中枢)に届きます。そこから筋肉に命令が伝達され、私たちは震えるわけです。このような自律性体温調節の仕組みが解明されていく一方で、意識的に行う行動性体温調節の仕組みはまだまだ謎に包まれています。そこで私たちは、いま、体温調節の行動を引き起こす脳の仕組みを解明すべく研究を進めています。そして、そこには想像を超える神経の仕組みが見えてきました。

温度を「感じ」なくても快適な温度を選ぶことができる不思議

どんなときに冷房や暖房をつけるのかを考えてみるとわかりますが、当然、耐え難い暑さや寒さを「感じる」ときだと思います。実は、意識の上で温度を「感じる」神経回路はすでに発見されて教科書にも載っており、その名を脊髄視床皮質路と言います。名前のとおり、皮膚の温度センサーからの温度の情報を脊髄と視床を経て大脳皮質という脳の場所へ順にリレーして伝える神経回路で、この情報伝達によって環境の温度が高いのか低いのかが私たちの意識にのぼります。そこで、ひとつの仮説が立てられます。それは、この脊髄視床皮質路によって伝えられる温度の情報が意識的な体温調節の行動につながるのではないか、というものです。暑いと感じて冷房をつけるという日常の行動を考えれば、脊髄視床皮質路を経て「感じる」環境温度の情報が体温調節の行動を引き起こすのは当たり前のように思えます。 私たちはこの仮説を検証するため、脊髄視床皮質路を人為的に視床で遮断して温度を「感じる」ことができないようにしたラットを作製し、快適な環境温度を選択できるかを調べる実験を行いました。実験では、並べた2枚のプレートの片側を適温(28℃)、もう一方を暑熱(38℃)または寒冷(15℃)の温度に設定し、ラットにそのプレート上を自由に行き来させました。その結果、正常なラットでは体温調節行動が見られ、ほとんどの時間を適温のプレート上で滞在しました。そして驚いたことに、温度を「感じる」ことができないラットも正常なラットと同様に適温のプレートを選択できたのです。この実験結果は、温度を「感じる」脊髄視床皮質路は、行動性体温調節に必要ないということを示しています。 [caption id="attachment_5825" align="aligncenter" width="600"] ラットの視床を破壊して適温のプレートを選択させる実験
視床を破壊され、温度を感じられなくなったにもかかわらず、適温のプレートを選ぶことができた。つまり、行動性体温調節に脊髄視床皮質路は必要ないことがわかった。[/caption]

体温調節に重要なのは外側腕傍核だった!

脊髄視床皮質路が行動性体温調節に関与しないならば、どのような神経路で伝達される温度情報が体温調節の行動を引き起こすのでしょうか。私たちが次に着目したのが自律性体温調節を引き起こす経路です。その経路を中継する外側腕傍核という脳の場所に薬剤を注入することによって情報伝達を遮断し、そのラットについて、先ほどと同様のプレート選択試験を行いました。すると、外側腕傍核での情報伝達を遮断されたラットは適温のプレートを選ぶことができなくなってしまいました。この実験結果は、外側腕傍核を経て伝達される環境温度の情報が体温調節行動に必要であることを示しています。 [caption id="attachment_5826" align="aligncenter" width="600"] ラットの外側腕傍核を遮断して適温のプレートを選択させる実験
外側腕傍核に薬剤を注入して伝達を遮断すると適温のプレートを選ぶことができなくなった。つまり、行動性体温調節に外側腕傍核を介した情報伝達が必要だとわかった。[/caption] さらに、外側腕傍核が機能しなくなると体温の調節がどうなるのかを調べるために、暑熱(38℃)に設定したプレート上にラットを20分間置き、脳の温度変化を観察しました。すると、正常なラットでは脳の温度を正常範囲内に維持できたものの、外側腕傍核での情報伝達を遮断されたラットでは高体温状態に陥りました。この実験結果は、外側腕傍核を介した環境温度の情報伝達が脳内で行われないと恒温動物である哺乳類は行動性と自律性の体温調節を行うことができず、暑熱環境ではあっという間に熱中症になってしまう危険性があることを示しています。 [caption id="attachment_5827" align="aligncenter" width="600"] 温度感覚の伝達経路と役割[/caption]

わたしたちはなぜエアコンをつけるのか?

では、外側腕傍核を介して伝達される環境温度の情報がどのようにして体温を調節するための行動を引き起こすのでしょうか。その鍵は、温度感覚によって生み出される「不快感」「快適感」という情動にあるかもしれません。普段感じる「暑い」「寒い」「暖かい」「涼しい」といった温度感覚は、単なる温度の高低の知覚に加えて情動を伴った感覚であるということができます。たとえば「暑い」や「涼しい」という感覚は次のように表すことができます。   「温度が高い」+「不快感」=「暑い」 → 逃避   「温度が低い」+「快適感」=「涼しい」 → 滞在 外側腕傍核を介した温度情報の神経経路は、環境温度の高低の情報を伝達するだけでなく、この式における「不快感」「快適感」をも生み出す経路なのではないかと考えられます。つまり、夏の暑い日であれば、皮膚から送られた環境温度の情報が外側腕傍核を経て脳の情動中枢へ送られることで、その高温環境が快適か不快かを判断し、不快だと判断されると快適な温度環境を作り出そうという体温調節行動が惹起され、わたしたちはエアコンをつけるというわけです。 また、外側腕傍核が正常に機能しないと体温調節ができなくなってしまうという実験結果は、熱中症に陥るメカニズムの解明に大きく役立つ可能性を秘めています。毎年夏場になると熱中症のニュースが全国を駆け巡りますが、たとえば、外側腕傍核を経た神経路によって生み出される「不快感」が「やせ我慢」のような別の心理によって抑圧されることで、暑さから逃れようとする体温調節行動を取らなくなってしまい、熱中症になってしまうという可能性が考えられます。 この「不快感」「快適感」を生み出す脳の神経回路は生命を守るための行動を生み出す重要な情動メカニズムであり、私たちが現在取り組んでいる研究課題です。この研究が発展することで、脳の生命システムの本質を明らかにするだけでなく、生命を熱中症のような危険から守る技術の開発にも貢献したいと考えています。 参考文献 Yahiro T, Kataoka N, Nakamura Y, Nakamura K The lateral parabrachial nucleus, but not the thalamus, mediates thermosensory pathways for behavioural thermoregulation Scientific Reports 7, 5031 (2017) Nakamura K, Morrison SF A thermosensory pathway mediating heat-defense responses Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 107, 8848–8853 (2010) Nakamura K, Morrison SF A thermosensory pathway that controls body temperature Nature Neuroscience 11, 62–71 (2008)]]>
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歴史学は”論文5年、史料100年” - 小田原藩の歴史を捉え直す東海大学・馬場弘臣教授 https://academist-cf.com/journal/?p=5833 Thu, 07 Sep 2017 03:00:21 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5833

【academistプロジェクト】古文書を翻刻し、新しい江戸時代史像を描き続けたい!

教科書に理路整然とまとめられた歴史的事実を見ると、私たち人間の歴史はあたかもすべて理解されているように思えてしまう。しかし、歴史的事実として明らかになっていることはそれほど多くなく、さらに史実と認められてもその捉えかたは時事刻々と変化するため、何度でも見直す必要があるという。今回、東海大学・馬場弘臣教授に「そもそも歴史学とは何なのか?」という基本的事項から、インターネット時代の歴史学研究の可能性について、詳しくお話を伺った。 ーー歴史学者の方々は、日頃どのようなことをされているのでしょうか。 歴史の教科書を読むと、歴史はすでに完成している印象を与えるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。たとえば、坂本龍馬が暗殺されたことは有名ですが、だれに殺されたのかということは未だ明らかにされていません。私たちが歴史の授業で学んだことのなかには、詳しく知られていないことはたくさんあります。歴史学者の仕事のひとつは、当時の史料を集めてそれらを解読し、まだ知られていない事実を復元していくことなんです。 ーーなるほど。事実はどのような史料から復元するのでしょうか。 当時の書簡や日記のような一次史料と、それらが編纂された二次史料、さらにそれを書き直した三次史料などです。一次資料をもとにするのが最も重要なのですが、本当に一次資料かどうかを判断するのは、そう簡単ではありません。先日も、坂本龍馬が亡くなる5日前に出した手紙が発見されたというニュースがありましたが、よく調べてみるとこれまでの手紙と筆跡が違ったり、内容が不自然だったりするということで、偽文書であるという説もあります。もちろんそれに対する反論もあって、それほど真偽の画定は難しいのです。 ーー事実を復元するだけでも相当大変そうです。 また歴史学は、時代によって捉えかたが変わるという特徴を持っています。たとえば、江戸時代に貨幣経済を普及させようとした田沼意次をご存知でしょうか。彼は、当時は賄賂政治家などと呼ばれていたのですが、改めて見直してみると、時代の流れを正しく捉えて適切な施策を打ち出していたのではないかとも言われています。社会が豊かになると、歴史の捉えかたが変わり、人間に対する評価も変わるんですね。 ーー面白いですね。同じ事実を見ているのに、時代により評価が変わる……。 事実は変わらないのですが、現在を生きる私たち自身は日々変化しているので、歴史の捉えかたは変わります。だからこそ、歴史は何度も捉え直されなければなりません。 ーー歴史学では、どのようなときに論文が出版されるのでしょうか。 復元された事実をもとに、これまでにない新しい主張をするときです。新しい史料を提示しただけでは、残念ながら評価はされません。つまり、歴史学者は史料から歴史的事実を復元する「客観」的な仕事と、歴史的事実に意味を与えて論文にまとめる「主観」的な仕事を、共にこなしていくということになります。 ーーなるほど。論文と史料には、それぞれ異なる役割があるということですね。 歴史学会では「論文5年、史料100年」と言われています。時代により歴史の捉えかたは変わるので、どんなに良い論文だとしても、5年持てば良いだろうという意味です。一方で、史料は歴史的事実をまとめたものですので、きちんと残しておくことができれば、100年後の歴史学者たちが私たちの歴史を捉え直してくれるということになります。 ーー現在馬場先生は、「吉岡由緒書」を翻刻することで小田原藩の歴史を捉え直すクラウドファンディング・プロジェクトを進められていますが、この吉岡由緒書が史料にあたるわけですよね。 そうですね。吉岡由緒書を翻刻して刊行まで漕ぎつけることが、今回のプロジェクトの第一目標です。吉岡由緒書とは、小田原藩の中堅藩士であった吉岡家が、1642年に大久保家に仕官して以降、1871年の廃藩置県に至るまでの230年に渡り書き綴った小田原藩の記録です。現在、計5冊の吉岡由緒書を原稿に起こしているのですが、35万文字近くの分量になる予定です。 ーー気が遠くなる分量ですね……。吉岡由緒書のどのような記述に注目されているのでしょうか。 私が注目していることは、1703年に起きた元禄地震と、1707年の富士山の噴火に見舞われたなかで、小田原藩の体制がどのように立て直されてきたのかということです。体制を立て直すプロセスでは、さまざまな形で資金調達が行われて、何代にも渡る改革が進められてきたはずなんですね。そこで私は、吉岡由緒書に書かれている吉岡家の藩士に対する給与の記録を分析することで、このプロセスを解明し、幕政史や江戸時代史像を問い直す仕事をしていきたいと考えています。 ーーこれからは、あらゆる情報が電子で保存されていくため、歴史学者が使える情報量が圧倒的に増えるように感じます。今後、歴史学の研究手法はどのように変わっていくとお考えでしょうか。 史料の整理や解読を専門とする「アーキビスト」の役割が大きくなるように思います。これまでは、主に研究者が史料の発掘と整理をしていましたが、1980年中頃からアーキビスト運動が盛んになって、公文書館や文書館も建設されるようになってきました。これからは、研究者とアーキビストが両輪になって歴史研究が進んでいくことが望ましいと思っています。 ーー史実の数が増えるメリットがある一方で、デメリットとしてはどのようなことが考えられるのでしょうか。 情報が増えてくると、専門家以外の方々に何が史実なのかを納得していただくことが、現在以上に難しくなると思います。たとえば、新撰組などはあまりにも異説が多いのですが、新撰組が大好きな方々にそれが異説であると納得していただこうと思うと、なかなか難しいです。 ーー史実だけではなく、歴史学の考えかたを広めていくことも重要になると。 そうですね。そのためには、私たち歴史学者が資料や史実にもとづいて論理的に考えている様子を、継続的に発信していくことが重要だと思います。今回のクラウドファンディングは、研究費をご協力いただくことに加えて、さまざまな方と一緒に翻刻を行うことで、歴史学の考えかたをより深く知っていただきたいという思いもあります。 ーー将来的には、専門家も非専門家も一緒に研究を進める「オープンサイエンス」の取り組みもできるのではないでしょうか。 私のような文字史料を基本として扱う研究については、それも可能かもしれませんね。古文書のテキスト化やネットでの流通の実現が期待できますので。すでに京都大学が進めている「みんなで翻刻」のような試みが、もっと広がっていけばと思っています。 ーー最後に、馬場先生が研究を通じて最終的に明らかにしたいことがあれば、教えてください。 最終的には、自分が何者でどうしてこの世界にいるのかということを知りたいです。そのためには、人々がどういう仕組みのなかで生きてきたのかということを、明らかにしなくてはなりません。私の研究対象は小田原藩ですが、この「藩」という組織も江戸時代にしかないんですよね。それは一体なぜなのでしょうか。今回のプロジェクトで、江戸時代史をもう一度捉え直していくことで、理解を深めていきたいと思っています。
研究者プロフィール:馬場弘臣(ばば・ひろおみ)東海大学教育開発研究センター教授 1958年福岡県八女郡生まれ。1987年東海大学文学研究科博士課程修了。文学修士。小田原市史、南足柄市史、大磯町史、真鶴町史、横須賀市史、益子町史、龍ケ崎市史など各地の自治体史編纂事業を担当。2007年東海大学教育研究所准教授、2013年同教授、2016年現職。専門は、日本近世史。小田原藩政史、災害史、地域史、交通史、水利史、幕末維新史等々さまざまな分野を研究。ホームページはこちら

【academistプロジェクト】古文書を翻刻し、新しい江戸時代史像を描き続けたい!

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北大・山本順司准教授によるサイエンスカフェ「石の中の銀河・惑星地球の時空間」が開催されました! https://academist-cf.com/journal/?p=5835 Thu, 07 Sep 2017 04:00:06 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5835 北大博物館に100万分の1スケールの地球断面図を作りたい!」で目標金額を達成した、北海道大学総合博物館の山本順司准教授によるサイエンスカフェが、8月19日(土)に東京・高田馬場にて開催されました。 今回のサイエンスカフェは二部構成で行われ、第一部では「石の中の銀河」と題して山本先生の研究紹介を、第二部では「惑星地球の時空間」と題して博物館の展示解説をしていただきました。本稿では、その様子をお届けいたします。

地球のすがたを知る

まずは、「石の中の銀河」と題した研究紹介でした。山本先生は太陽系の起源を解明することを目指しています。 小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトでは小惑星から太陽系の起源を探索しようとしていますが、山本先生は地球深部と大気の性質を調べることによっても、太陽系や地球がどのようにして作られたかを知ることができると語ります。なぜなら、地球深部も大気も、原始隕石によって作られたものだからです。隕石の構成成分のうち、重い成分は地球深部の一部になり、軽い成分は気体となって大気を構成します。山本先生は、地球深部と大気の成分を調べて隕石の”記憶”を探ることで、地球の成り立ちを解明する研究を行っています。

隕石の”記憶”を探る

研究の過程では、ときに大変な経験もするそうです。たとえば、ハワイで溶岩を採取するために、船上で1か月近く生活していたこともあったと語っていました。ハワイを採取場所に選んだ理由は、原始隕石の成分を直接採取できるかもしれないと考えているからです。この考え方は、地球化学的なモデルに基づき、マントルは全体が均一ではなく、上層マントルと深層マントルに分けられるとするものです。この考え方のもとでは、ハワイは「ホットスポット」と呼ばれ、深層マントルが直接地上に上がってくる貴重な場所であるそうです。一方、マントル全体を均一として考える地球物理的なモデルもあり、どちらが地球の真のすがたであるかどうかはまだ決着がついていないと述べていました。 では、採取したサンプルのどの成分を調べるのでしょうか。それは、希ガスです。希ガスは安定で石と反応しないため、希ガス(ヘリウム・ネオン・アルゴン・クリプトン・キセノン)の比率を調べることで、地球深部と大気がどのような隕石からできたか推測できるそうです。 大気中の成分を調べた結果、大気の希ガス組成は炭素質コンドライトという隕石に含まれる希ガスの組成に近く、また、ハワイの溶岩を調べた結果、主に炭素質コンドライトからなっていることがわかりました。ただしデータを詳しくみると、エンスタタイトコンドライトという隕石が少量含まれた混合物の可能性もあるそうです。山本先生は、さらなる調査が必要であるとしたうえで、もし地球がどのように作られたかがわかれば、地球の内部温度がわかり、今後どのように地球が冷えていくかも予測できるかもしれないと語りました。

地震をきっかけに科学を伝えることに興味をもつ

続いて、「惑星地球の時空間」と題して北海道大学総合博物館の展示解説をしていただきました。話のなかでは、博物館リニューアルまでの道のり、クラウドファンディングで集めた資金を使って設置した「6.4mの地球断面図」について詳しく知ることができました。 大学3年生のころ、所属する研究グループが阪神淡路大震災の前兆(地下水のラドン濃度上昇)を観測していたことが、科学をどう広く伝えるべきか考える機会になったという山本先生。これまでに、科学館をもたない大分県において「青少年科学館を作る会」という活動を行い、石からマグマを作るといった出張実験教室などを行ってきました。こうして科学を伝えるなかで、「新しい博物館を作りたい」という思いは山本先生の心の中にずっとあったそうですが、現在所属している北海道大学に移るまで、それを実現する機会はなかなか得られませんでした。

世界のどこにもない、とんがった大学展示を作る

北大に移ってから少し経った頃、博物館改修の機会が得られ、どうせなら大きくリニューアルしようと思ったそうです。そのコンセプトは「世界のどこにもない、とんがった大学展示を作る」でした。大学展示というと、どこか古くさい内容で、展示内容もずっと同じような印象がありますが、山本先生はそのイメージを変えようとしました。大きくリニューアルするために大学内でさまざまな交渉をする必要があり、非常に大変だったとも語っていました。 その苦労のかいもあり、入館料無料で、北大12学部すべての展示室を設置し、お酒や展示に絡めたメニューを提供するなどこだわりのカフェを備えた、魅力的な博物館が完成しました。バリアフリーで、授乳室や手で触ることができる展示などを設け、ユニバーサルミュージアムとしての取り組みも行っています。リニューアル前よりも来館者は伸びており、年間40万人の来館者を目標にしているそうです。 リニューアル時に、山本先生は念願だった自身の展示室を作ることができるようになりました。山本先生が整備した展示室では主に石や鉱物を展示しています。展示品がよく見えるように、照明の当て方や展示ケースの配置にも工夫したと語っていました。標本ラベルをあえて付けていない展示や、合成結晶や生体鉱物の展示といった展示内容はもちろん、鉱物を硬さ順や比重順に並べるなど、並べ方にも工夫が凝らされています。地殻とマントルの境目(モホ面)という非常に珍しい展示もあるそうです。 その展示室のなかでもひときわ目を引くのが、「6.4mの地球断面図」の存在です。これは、アカデミストのクラウドファンディングで集まった資金によって制作されたもので、壁一面に貼られた断面図から、100万分の1スケールで地球の内部を詳細に知ることができます。正面から見ると、ライトアップされた断面図が強調されてきれいに見えます。また、断面図の表面につくった凹凸で立体感を演出するなど、細部にまで工夫が施されています。この断面図を見ると、日本の富士山も地球規模では小さな点ほどの大きさであることが実感できます。また、46億年にもおよぶ地球の歴史を表現したパネル「4.6mの地球史年表」も印象的です。札幌を訪れた際には、北海道大学総合博物館にぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。]]>
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無生物から生物を産み出す自己組織化 - フラーレンからマイクロサイコロを作る、触角を生やす。 https://academist-cf.com/journal/?p=5873 Wed, 13 Sep 2017 01:00:20 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5873 超分子と自己組織化 Self-Assembly(自己集合)やSelf-Organization(自己組織化)という言葉を聞いたことがあるでしょうか? これは、分子などが自然に集まって、より高度な形態を作り出すものです。自己集合と自己組織化のあいだには、非平衡系であるか平衡系であるかという区別はあります(散逸系で有名なノーベル賞科学者プリゴジン博士による)。ただし、ものが集まって新しい秩序を形作るということでは一緒ですので、以下では話を単純化させるため自己組織化という言葉を使っていきましょう。 ものが集まって機能を発揮するということは、超分子化学と同じでです。つまり、自己組織化は超分子化学の重要な部分なのです。ホスト―ゲスト化学のように1つ2つの少数分子が見分けられ集合する化学が1987年のノーベル賞の対象となりました。いくつかのユニットが絡み合ったりした超分子が刺激で動く分子マシンが、2016年には分子マシンということでノーベル賞をとっています。実は、超分子化学のなかで、多くの分子が集まる自己組織化現象がノーベル賞対象として残されていると考えています。生きもの自体が分子の自己組織化で形成されています。分子のような無生物と我々のような生きているものをつなぐ重要な概念が自己組織化だからです。 研究では、分子の構造を設計してそれらが作る自己組織構造をくみ上げようと試みます。ただ、正直なところ、アレッこんなものできちゃったよ! のような驚きの構造が予想外にできるのです。そんな実例をここに示します。

フラーレンからサイコロができた

単純なユニットからどれほどの驚くものができるか? 我々は、集合する元の分子として、形がもっとも単純で単一の元素からできているフラーレン(C60, C70など)を用いました。分子ユニットをおもしろい形に集合・組織化させるためには、分子がちょうど集まりそうという微妙な条件を狙うことが大切です。ひとつの方法は、液-液界面析出法という方法で、フラーレン分子をよく溶かすことのできる溶媒に溶かしておき、そこにそれとは混じらないしかもフラーレンを溶かしにくい溶媒を加えます。それらの液体の界面はフラーレン分子が集まるような集まらないような微妙な状態になり、そこからいろいろな形のフラーレンの集合体ができます。溶媒の組み合わせは、無限にありいくらでも実験できます。棒状構造、チューブ、六角形やひし形のナノシートなどの自己組織化構造が実際に得られます。最近、立方体のようなものができることがわかってきました。そして、穴の開いたサイコロができたのです。 今回は、C60ではなくC70を、それをよく溶かすメシチレンという溶媒に溶かし(濃度1mg/mL)、その溶液1mLをC70を溶かさないtert-ブチルアルコールという溶媒3mLに加えて12時間静置させました。生じた沈殿を電子顕微鏡で観察すると、一辺数μmの立方体(キューブ)ができており、その各面には約1μm 程度の直径の穴がきれいに開いていました。まるでサイコロのようです。正直なところ、なぜこれができるのかはよくわかりません……。ですが、狙ったとおりにいつでも作ることができます。過剰のC70分子を加えると、その表面に薄層を作り、穴にふたをすることもできます。またそれに電子ビームを当てると、ふたをはがすこともできます。 [caption id="attachment_5868" align="aligncenter" width="600"] C70のメシチレン溶液をtert-ブタノール溶液に加えて放置すると穴の開いたサイコロ構造が自己組織化で生成する[/caption] 一連の研究は、純粋な興味に基づいて行っているので、どうやって役に立てるかについては気にしないのですが、この穴に何かトラップできるかもしれないということで、いろいろと試してみました。その結果、孔よりちょっと小さい径の粒子が選択的にトラップされることがわかりました。たとえば、樹脂製の普通のポリマー粒子に比べて、黒鉛に近い炭素素材のマイクロ粒子が選択的にこのフラーレンサイコロポケットにトラップされることがわかりました。sp2炭素からなる芳香族分子はπ-π相互作用によって惹きつけあうという分子現象はありますが、これは芳香族性の穴が芳香族性の粒子を認識したということで、分子認識の基礎原理がマイクロレベルでも通用することを示しています。芳香族性を持つ粒子は有害なことが多いですから、有害物質のセンシングや除去に使えるかもしれません。

多様な形態へ、分化する・進化する分子組織体へ

立方体キューブからいろいろな形のものを作ることができます。ある系では、初めに立方体を自己組織化で作成しておき、それを溶媒で洗うと表面から触角のようなロッドが生え始めます。このようにしてできたハリネズミのようなフラーレン構造体は、触角の先に吸着する気体分子を検知するセンサーに使うことができます。 [caption id="attachment_5869" align="aligncenter" width="600"] キューブから触角を生やすことができる。この触角構造は特定のガス分子を検出するセンサーに用いることができる[/caption] また、あるフラーレンの誘導体を界面のある溶液中に放置すると、初めに卵のような球状体を形成し、時間がたつとその表面が相分離しそこからチューブ状の尻尾が生えてくるという現象も発見しました。これは、フラーレンオタマジャクシで、卵から二次の形態変化を起こすような分化現象(あるいは、進化?)を(遺伝子プログラムによらず)分子過程だけに基づき再現したことになります。 [caption id="attachment_5870" align="aligncenter" width="600"] 卵から尻尾が自然に生えるがごとく二次形態変化をする自己組織化構造[/caption] ここに示したように、自己組織化は驚きの科学で、想像もできないようなおもしろい形態が分子が自発的に集合する過程によって形成されます。その構造は人為的に操作することもできますし、生物が分化・進化していくような形態変化をもたらすこともできます。我々の体は、分子が組織化されてできています。それは、遺伝子情報と分子間相互作用に基づき行われていますが、太古の昔の生命発生時には、ここで示したような分子間相互作用だけに基づいた形態変化が、実は重要な役割を果たしたのかもしれません。自己組織化は、無生物分子と生物組織を結ぶカギなのです。   参考文献 Bairi P. et al (2017). Intentional Closing/Opening of "Hole-in-Cube" Fullerene Crystals with Microscopic Recognition Properties. ACS Nano 11 (8), 7790−7796. doi: 10.1021/acsnano.7b01569. Bairi P. et al (2016). Hierarchically Structured Fullerene C70 Cube for Sensing Volatile Aromatic Solvent Vapors. ACS Nano 10 (7), 6631−6637. doi: 10.1021/acsnano.6b01544. Bairi P. et al (2016). Supramolecular Differentiation for Construction of Anisotropic Fullerene Nanostructures by Time-Programmed Control of Interfacial Growth. ACS Nano 10 (9), 8796−8802. doi: 10.1021/acsnano.6b04535.]]>
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コケで都市の大気環境を評価する - "コケ"にはできないコケのちから https://academist-cf.com/journal/?p=5885 Thu, 14 Sep 2017 01:00:09 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5885 ヒノキゴケ。コケには花はない。花のように見えるのは胞子体である[/caption] というのも、コケは環境の変化に非常に敏感に反応するため、コケの変化をみることで、現在、環境にどのような問題が起こっているのか、また、どんな危険が差し迫っているのか、評価することができるためです。今回の研究では、コケを利用した都市の環境評価の有効性やその問題点などを整理し、低コストで汎用性の高い環境評価手法を提案しました。都市でひっそりと暮らすコケは、一体、私たちに何を教えてくれるのでしょうか。 [caption id="attachment_5880" align="aligncenter" width="600"] コケが一面に生える渓谷[/caption]

生物で都市の環境を評価する

自動車の排気ガスや工場の排煙による大気汚染、化学肥料の大量使用によって生じる窒素汚染、都市化に伴って気温が上昇するヒートアイランド現象など、人間活動がさかんな都市では、さまざまな大気環境問題が生じています。こうした問題を解決していくためには、まず現状の大気環境を正しく評価し、理解する必要があります。環境を評価する方法といえば、最初に思い浮かぶのはおそらく、計測機器を用いた環境分析でしょう。でも、私たちの身近にも、計測機器と同じように環境を評価できるものがあるのです。それは「生物」です。 生物は環境と密接に関わりをもち、それぞれの環境に適応して生活しています。そのため、生物の行動や分布、形態を環境の変化と結びつけることで、これらの生物の反応を指標として環境を評価することができるのです。このように、環境の変化に対する生物の反応を利用した環境評価を「生物指標」といい、そこで使われる生物を「指標生物」といいます。生物指標には、低コストで広範囲の地域を評価できる、長期間の環境が反映される、生態系への影響が評価しやすい、などの利点があります。

環境指標としてのコケ

生物にはいろいろな種類がありますが、どの生物が「指標生物」として適しているのでしょう? ここで登場するのが今回の主役である「コケ」です。コケはシンプルな体のつくりをしており、環境の変化に敏感に反応するために優れた指標生物になります。この説明はコケの構造を知ると理解しやすいので、コケの葉の断面をみてみます。 [caption id="attachment_5881" align="aligncenter" width="600"] 葉の断面。とても単純な構造をしており、維管束などを欠く[/caption] すると、葉の大部分は一細胞の厚さしかなく、葉細胞1つひとつが周囲の環境と接しているのがわかります。コケをよくみると透明感がありますが、これは葉が薄く、光を通しやすいためです。さらに、維管束を欠くコケは、葉細胞が直接、大気や雨などから水や栄養分を吸収しています。こうした体の構造や生態から、コケは周辺環境の影響をとても受けやすいのです。 [caption id="attachment_5882" align="aligncenter" width="600"] ホウオウゴケ。コケは葉の厚さが薄いため、光を通しやすく、キラキラしている[/caption]

都市の環境がコケで評価できる?

さて、いよいよ本題に入りましょう。冒頭にて、大気環境問題が都市において深刻になっていることを紹介しました。しかし、居住地や商業地、農地、工場などが混在する都市の大気環境は一様ではなく、場合によっては狭い範囲で急激に変化することもあることから、その評価は容易ではありません。高価な観測機器を街のいたるところに設置して、大気環境を分析することもできますが、現実的には難しいところがあります。そこで私が注目したのが「コケを利用した大気環境評価」です。本研究ではこの評価手法を広く実践していくための基礎研究として、 1. コケが都市の大気環境を評価するにあたってどの程度有用なのか 2. コケをどのように利用すれば、効率的に都市の大気環境を評価できるのか を検討しました。 調査地は、非常に発達した市街地から人里離れた深山に至るまでさまざまな環境を含む八王子市(東京都)の22地点としました。評価対象とする大気環境問題は、「窒素汚染の深刻さ」「窒素酸化物(NOx)汚染の程度」「大気の清浄度」「都市化に伴う乾燥化(=乾燥に脆弱な種の分布)」の4つです。 本研究では、まず、コケの大気環境への応答を利用して、各環境問題の対する指標価を算出しました(詳細は参考文献)。たとえば、大気の窒素汚染が深刻なところでは、コケに含まれる窒素も多くなることから、コケ内の窒素量が「窒素汚染に対する指標価」となります。同様に、窒素酸化物汚染の程度にはコケ内の窒素安定同位体比、大気の清浄度にはコケの多様性、都市化に伴う乾燥化には乾燥に脆弱なコケの分布、をそれぞれ指標価としました。 次にこれらの指標価と調査地の周辺環境(土地利用タイプなど)とを一般化線形モデルとよばれるモデルで結びつけ、各モデルの整合性に基づいてコケ指標の有用性を検討しました。以上の結果に基づいて、コケを利用した効果的な環境評価手法について考察を加えました。

コケだからこそわかった!

得られたコケの指標価に基づいて八王子市全体の大気環境評価した結果を下図に示しました。 [caption id="attachment_5883" align="aligncenter" width="600"] コケ指標を利用した大気環境評価マップ(八王子市、東京都)
カラーチャートで緑から赤色になるほど、値は高くなる。小さな黒点は調査地を示す。図(a)より、窒素汚染は都市が発達する八王子市の東部で進行しつつあることがわかる。しかし、図(b)をみると、その窒素汚染源は一様ではなく、窒素酸化物汚染は市の中央部(高速道路付近)で深刻になっていることがわかる。また、図(d)をみると、八王子市の西部では、乾燥に脆弱な種が多く分布していることも示されている。図(a)の結果を考慮すると、東部は都市化によってヒートアイランドなどが発生し、乾燥に脆弱な種が消失・減少していると考えられる。このように、複数のコケの指標価を同時に利用することで、都市の大気環境を多角的に評価できる[/caption] この結果から、八王子の東部(市街地中心)では窒素汚染や乾燥化の影響が強く、中央部(高速付近)では窒素酸化物の汚染が進行していることがわかりました。一般化線形モデルの結果も考慮すると、「窒素汚染の深刻さ」「窒素酸化物汚染の程度」に対するコケの指標価は窒素の排出源の有無で、「都市化に伴う乾燥化」については、都市開発の程度で説明され、いずれも整合性の高いモデルであると判断されました。これらの指標価は同時に算出できることから、コケを利用して複数の大気環境を一度に評価することや、その相互関係を考察することもできます。 興味深いことに、コケの指標価の有効性は調査地点からの距離で変化し、この変化は環境問題の特性に応じて異なることも明らかになりました。たとえば、特定の排出源の付近で起こる窒素汚染の場合、コケの指標価は調査地点から遠ざかると急激に低くなりましたが、都市の広範囲に生じるヒートアイランドに対する指標価は、調査地点から離れても大きくは変化しませんでした。これらの結果は、コケの指標価の有効範囲を考慮するうえで、重要な情報になります。 なお、今回検討した大気環境問題のうち、「大気の清浄度」については、整合性の高いモデルは得られませんでした。この指標価は、大気汚染が深刻なところでは、コケの多様性が減少するという関係に基づいて算出されます。この関係を考慮すれば、調査地の大気がコケの多様性を減少させるほどには汚染されていなかったため、有効なモデルが得られなかったと推察されます。 以上の結果をまとめると次の3点になります。 1. コケを利用して都市の大気環境を評価することができる ※特に「窒素汚染の深刻さ」「窒素酸化物汚染の程度」「都市化に伴う乾燥化」の影響は、コケ指標に強く反映される 2. この手法を用いることで複数の大気環境を同時に評価でき、その相互関係も検討することもできる 3. ただし、コケに影響が及ぶ範囲は環境問題ごとに異なるので、注意が必要である 本研究の結論では、これらの結果に基づき、コケを利用した効果的な大気環境評価方法を提案しました。

今後への期待

身近なコケを利用して大気環境の状態を知ることで、地域の環境や生物への関心も高まります。そこで、本研究の成果は、都市における大気環境の評価を広く促進するともに、環境負荷を改善する行動や政策の決定につながると期待されます。この手法が広まり、コケの有用性が一般に認識されるようになったら、ひょっとしたら、近い将来コケが"コケ"にされなくなる日がくるのかも? しれません。 参考文献 大石善隆、2015.苔三昧-もこもこウルウル寺めぐり. 岩波書店、102p、東京 Oishi, Y., Hiura, T., 2017. Bryophytes as bioinidcatos of atmospheric environment in urban-forest landscapes. Landscape and Urban Planning 167: 348-355. https://doi.org/10.1016/j.landurbplan.2017.07.010]]>
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世界最古のスッポンを福井県で発見 - バラバラの化石片から証拠を得るには https://academist-cf.com/journal/?p=5905 Fri, 15 Sep 2017 01:00:57 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5905 世界中に分布するスッポン、その最古の化石は福井県に? 福井県勝山市は白亜紀の恐竜化石の産地として有名で、ひとかけらでも恐竜化石が発見されればたちまち脚光を浴びます。しかしその裏側で、何千、何万というカメの化石が発掘されていることはあまり知られていません。私たち研究グループはそんなカメ化石に着目し、日本で発見された化石に世界最古のスッポンが含まれていることを確認しました。 スッポン(スッポン科)の化石は南極以外のすべての大陸から発見されており、現在もユーラシア・北米・アフリカの河川や沼地で、水底に潜む生活をしています。勝山市の恐竜発掘現場から発見された化石1点が世界最古級のスッポンである可能性は、共同研究者の平山教授が今世紀初頭に指摘していました。ただしこの化石は極めて断片的なもので、骨表面の凹凸などわずかな特徴を除いてスッポンであることの証拠に乏しいものでした。しかしその後も大勢の発掘隊員の努力によりカメ化石の発見は続き、私と福井県立恐竜博物館の薗田研究員らの追加調査から、福井では恐竜とともにスッポンが生息していたことが確実になってきました。

スッポンの骨格の特徴

スッポンの特徴のひとつは、甲羅を構成する骨が著しく少ないことです。骨の数も面積も、スッポンの甲羅は他の亀の甲羅と比べて極端に退縮しています。特に明らかなのは、甲羅を縁どる「縁板骨」と呼ばれる骨が完全に消失していることです。甲羅の縁取りがなくなった結果、甲羅からその一部である肋骨が飛び出しているように見えます。 スッポンの特徴2つめは、ウロコを持たないことです。爬虫類の体は普通、角質(タンパク質の一種)でできた硬いウロコに覆われていて、特に通常のカメの甲羅では巨大化したウロコが規則的に配列し、おなじみ六角形の「亀甲」模様を作っています。しかしスッポンはこのウロコを持たず、甲羅も手足もカエルのように柔らかい皮膚に覆われています。 [caption id="attachment_5901" align="aligncenter" width="600"] スッポンとその他の一般的なカメとのからだの違い[/caption] これらの形態の特徴は、しかし、福井のカメ化石を分類するうえでは必ずしも十分ではありません。福井で発見される白亜紀の脊椎動物化石の多くは、河川で堆積するまでにバラバラの骨片になってしまっているからです。まず、縁板骨を持っていなかったかどうかは、縁板骨以外の甲羅の破片からはわかりません。また、角質は化石には残らないため、甲羅の骨一片のさらにかけらからは、ウロコやその痕跡が本当になかったかどうかを証明することも困難です。

バラバラの化石片から、いかにスッポンの証拠を得るか

一方10年ほど前、スッポン科の甲羅の骨を顕微鏡で観察した研究者が、骨のコラーゲン線維の束が非常に規則的に配列していることを発見しました。その配列はまるで、建築に使用する「合板」のように、あるいはグラスファイバーを編み込んだ強化プラスチックのように、線維走行の異なる層を何枚も貼り合わせた構造をしていました。普通、カメの甲羅ではコラーゲンはただ平行に並んでいるか、不規則に折り重なっているかのどちらかです。合板状の構造が正真正銘のスッポンにしか見られないものであれば、甲羅のほんのわずかな断片からでも、スッポンである証拠を得られる可能性が生じるのです。 そこで私たちは、これまで形態的特徴をもとにスッポン科に分類されてきた白亜紀のカメ化石と、スッポン科に近いがスッポン科には含まれないカメ(スッポンモドキ科、その他のスッポン上科)の化石を集め、顕微鏡で観察を行いました。その結果、スッポンモドキ科や、スッポン科の祖先に最も近いと言われた化石種でも、コラーゲンはただ平行もしくはランダムに配列していたのに対し、白亜紀以降のスッポン科とされる標本はすべて、はっきりとした合板状の微細構造を有していることが確認できました。つまり、合板状の微細構造は、スッポン科の分類学的特徴として極めて信頼性が高いことが示されたのです。 [caption id="attachment_5902" align="aligncenter" width="600"] スッポン科以外のカメ(スッポンモドキ科)と、スッポン科の甲羅の骨組織の違い。スッポン科の骨線維は特有の「合板」状構造を形作り、これは福井県の甲羅片にも観察できる[/caption]

福井の化石を再検討、正真正銘のスッポン科に認定

あらためて福井県立恐竜博物館に所蔵されているカメ化石の微細構造を観察したところ、厚さわずか2mmほどの甲羅の骨に18層もの合板状の微細構造が確認され、少なくとも3標本の「世界最古」のスッポン化石が含まれていることが証明されました。さらに最近になり、腹側の甲羅の骨や四肢、肩、腰の骨などスッポン科とみられる化石数点がまとまって発見され、甲羅の骨が退縮した様子などもわかってきました。断片的な骨格の形態情報から判断する限り、その姿は現在生息しているスッポンとほとんど変わらないものであったと想像されます。 この最古のスッポンが発見された「北谷層」は約1億2000万年前の地層で、この時代は白亜紀の前期にあたります。中国でも最近白亜紀前期の地層からスッポン科の化石が発見されていますが、日本産標本の時代は中国のものと同じかそれよりもわずかに古いと推定されています。白亜紀の中ごろ(前期と後期の境界前後、約1億年前)になると中央アジアでも化石が見つかり始め、白亜紀後期のうちに北米やヨーロッパからも化石が発見されるようになります。そして現在までの間、スッポンは南半球を含む全世界へと放散していったのです。 [caption id="attachment_5903" align="aligncenter" width="600"] 白亜紀の初期まで(〜1.13億年前)と白亜紀中頃(1.13億年前〜0.9億年前)における、スッポンの分布とおおまかな気候帯区分[/caption]

史上最大規模の温暖化がもたらしたスッポンの拡散

なぜスッポンの化石がそんなに重要なのか? それは、彼らが現在も世界中に生息しているからに他なりません。彼らの起源を知ることは、現在私たちを取り巻いている生態系の起源を知ることに直結するでしょう。 白亜紀前期から中ごろにかけての地球では、史上最高規模の温暖化が進んでいました。北極の氷床が急激に縮小し、世界的な大気循環に影響を及ぼした結果、中緯度地域に沼地が増えていったと考えられています。私たちが同定した最古のスッポンは、まだ全世界的に大陸が乾燥していた時代、ユーラシアの中でも比較的湿潤だった沿岸域で発生したものでしょう。その後スッポンは温暖化・湿潤化したユーラシア内陸部、北米へと分布を拡大していったことが伺えます。 興味深いことに、白亜紀中頃の温暖化・湿潤化の時代では、現生鳥類を含むグループ(真鳥類)や、被子植物、花粉を媒介する昆虫など現代型の生物が一斉に多様化したと考えられており、それらの最古の化石のほとんどは中国やミャンマーなどアジア東部から見つかっています。スッポンもまた、白亜紀前期に現れた現代型の生物であり、東アジアを起源として、ユーラシア大陸に暖かく湿った環境が広がるに従い分布を広げ、現存する生態系の一員としての地位を確立していったと推察されます。小指の先ほどしかない甲羅のかけらから始まった研究ですが、恐竜の全身骨格にも劣らない大切なことを私たちに教えてくれました。 参考文献 平山 廉,2002.福井県勝山市の手取層群北谷層産出のカメ化石(予報).福井県立恐竜博物館紀要 vo. 1, p. 29–40. Nakajima, Y., Danilov, I. G., Hirayama, R., Sonoda, T. and Scheyer, T. M., 2017. Morphological and histological evidence for the oldest known softshell turtles from Japan. Journal of Vertebrate Paleontology 37, e1278606 Hasegawa, H., R. Tada, X. Jiang, Y. Suganuma, S. Imsamut, S. Charusiri, N. Ichinnorov, and Y. Khand. 2012. Drastic shrinking of the Hadley circulation during the mid-Cretaceous Supergreenhouse. Climate of the Past, vol.8, p. 1323–1337. doi:10.5194/cp-8-1323-2012]]>
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根を切るともっと根が出る仕組みを解明 - やっぱり植物はたくましい! https://academist-cf.com/journal/?p=5915 Tue, 19 Sep 2017 01:00:47 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5915 植物のたくましさ 道ばたの草木を見たとき、「たくましい」と感じたことはないでしょうか。当然、植物は「動かない」生きものであり、何らかの災厄から移動して逃れることはできません。草木はそのような災厄(ストレス)をその場で克服しつつ子孫を残しているわけで、私は畏怖を持って植物を見ています。 「雑草は切っても切っても生えてくる」ということはひとつの植物のたくましさでしょう。これは頂芽優性と呼ばれる現象で、一番先端にある茎頂を失うと、その下で休眠している腋の茎頂が発達を開始し、新しい芽や葉が生えてくるのです。一方、庭仕事をされたことがある方は「雑草を抜いたのに、放置した場所でまだ生えている」ということを経験されたかもしれません。これはもうひとつのたくましさであり、根が切断されても枯死する前に植物体が根を急速に再生させ、その場で固着生活を継続させた結果なのです。 前述の頂芽優性については、18世紀に進化論で有名なチャールズ・ダーウィンとその息子が最初に報告して以来、長年研究されてきました。近年、頂芽優性を制御しているのはストリゴラクトンという新しい植物ホルモンだということもわかってきました。一方、切断された根がいかに再生してくるのかということについてはあまり研究がありませんでした。というのは土の中で目視できない根の傷害応答はあまり注目されず、根が再生するメカニズムについての研究はほとんどありませんでした。さらに根は自発的に枝分かれしていつも新たな根(側根)を作るので、自発的に作られる側根と傷害によって誘導される側根の区別が難しいことが、研究を困難にしていました。 そこで私たちはこの問題に取り組み、傷害による植物根の再生過程に関わる因子が植物ホルモンのオーキシンであること、オーキシン合成の誘導、さらにオーキシンの極性輸送によって植物の根は再生することを明らかにしました。

偶然を見逃さない

研究は偶然から始まりました。シロイヌナズナはシャーレの寒天培地中で、生育させることができるモデル植物です。ある日、当時大学院生だった徐冬暘(シュドンヤン)さんは別の研究で、根を途中で切断したシロイヌナズナを観察していました。そのシロイヌナズナは突然変異体で主根は伸びるけれども側根は出てこないはずだったのですが、あろうことか側根がフサフサと野生型と同じぐらい出ていたのです。彼女はこれを見逃さず、すぐ私に報告してくれました。 使った突然変異体はオーキシン信号伝達経路に異常があるmsg2/iaa19という変異体だったのですが、同様の経路に異常がある変異体で試験しても、本来、側根が出ないはずなのに側根が出てくるものがありました。そこで慎重に無傷コントロールと根切りした野生型植物を4日後に比較すると、わずかですが確かに側根が増えていることがわかりました。この小さな差が今まで側根が増える現象に気づけなかった原因だろうと考えています。 さらに興味深いことに、切断した植物の側根はコントロールより長い、つまり成長が早いということもわかりました。根の総延長を測定するとコントロールと根切りした植物はなんと同じだったのです。地上部と根の量は植物種で一定であるというshoot-root-ratioという現象が古くから知られています。もしかしたら根切りした植物は根の成長を促進させて、shoot-root-ratioを回復させているのかもしれません。側根数が増える現象をRoot-Cutting induced lateral root Number (RCN)と呼び、側根の成長を促進する現象をRoot-Cutting induced lateral root Growth (RCG)と名付けました。今回の論文発表では側根数が増えるRCNについてそのメカニズムを明らかにしました。 [caption id="attachment_5911" align="aligncenter" width="600"] 無処理のシロイヌナズナと生育途中で主根を切ったシロイヌナズナの様子(左図)及び側根数、側根の成長速度のグラフ(右図)。無処理の方が主根は長くなるが、根切りをした方が側根が多く、成長速度も速くなっていることがわかる。(左図は処理後4日目の写真。赤矢印は主根を切った位置)。[/caption]

エビデンスから仮説を立て、実験による検証を行う

自発的な側根の形成にはオーキシンが重要な働きを持っていることが詳しく判っているので、私たちは根の再生にオーキシンがどのように関わっているのか? というアプローチを行いました。若い植物にオーキシンの極性輸送を阻害する薬(NPAなどの農薬)を投与すると、新しい側根はまったくできず主根だけになります。しかし大変驚いたことに、オーキシンの極性輸送を阻害するいろいろな薬を与えても、根を切るとまたもや側根が出てきました。 そこでオーキシン信号伝達経路が機能しているのかを遺伝子発現解析で調べてみると、根切りによって確かにオーキシン応答が促進されていました。次に疑ったのはオーキシン合成です。そこでオーキシン合成を阻害する試薬を試したところ、RCNが顕著に抑制されました。さらにオーキシン合成に関する11種類の遺伝子の破壊株を調べたところ、YUCCA9という遺伝子に異常がある変異体はRCNが顕著に抑制されていました。また根切りによってYUCCA9遺伝子の発現量は根切り後、急速に増加し2時間でピークに達している、早い応答であることが判りました。 これらから、根切りがYUCCA9遺伝子を誘導することで、根のオーキシン量を増やしていると予想されました。そこで帝京大学理工学部・朝比奈雅志准教授の研究グループと共同研究を行い、根のオーキシン量を測定したところ、根切りによって実際に増加していること、yucca9変異体ではそのような増加は見られないことを確認し、YUCCA9遺伝子が根切り応答に必要な遺伝子であるということが明らかになりました。 一方、オーキシン合成を阻害する試薬、YUCASINとNPAを同時投与すると側根はまったくできないどころか、根切りでも側根の発生は抑制されました。さらにオーキシンの極性輸送に関する変異体にYUCASINを投与すると、野生型より顕著に側根が減少すること、根切りによってオーキシンの極性輸送体遺伝子の発現は上昇することから、根切りによるRCNにはオーキシン合成の促進と同時に極性輸送が必要であると結論付けられました。 [caption id="attachment_5916" align="aligncenter" width="600"] 本研究で明らかになったメカニズム。根切りをすることでYUCCA9遺伝子が活性化、オーキシンの合成等を経て、側根が作られたり発達したりする。ただし、根切りがどのようなシグナルを引き起こしてYUCCA9を活性化させているかはまだ同定できておらず、今後の研究が待たれる。[/caption]

根切り応答研究は始まったばかり

植物にとって根の傷害は脱水という形で直ちに地上部に影響してしまう緊急事態であり、根を切られた植物はできるだけ早く根を再生しようとする性質があります。園芸ではこのような植物の性質をうまく利用しています。たとえば世界中で親しまれている日本伝統の園芸芸術、盆栽作りでは慎重に根の剪定(根切り)を行います。根切りされた植物は、水や養分を効率よく吸収できる若い根を限られた空間(鉢)で再生することで、健全かつ小さな植物である盆栽になります。今回の発見は、このような園芸技術としてしばしば利用されている植物根の再生について、その分子メカニズムを解き明かしました。 根切りについては農学的見地から効率的な方法が研究されてきましたが、そのメカニズムが明らかになったことでさまざまな応用が期待されます。また、本研究室ではRCGのメカニズムについても研究が進行中であり、成果を発表する予定です。最大の謎は根切りによって何がYUCCA9遺伝子を誘導するのか、RCGと同じものなのかという点であり、このアプローチも進行中です。 [caption id="attachment_5917" align="aligncenter" width="600"] このような盆栽は園芸家の努力と植物がもつ「たくましさ」の共同作業によってのみ完成する。[/caption] 参考文献 Dongyang Xu, Jiahang Miao, Emi Yumoto, Takao Yokota, Masashi Asahina, Masaaki Watahiki "YUCCA9-mediated Auxin Biosynthesis and Polar Auxin Transport Synergistically Regulate Regeneration of Root Systems Following Root Cutting", Plant and Cell Physiology,  (2017) https://doi.org/10.1093/pcp/pcx107]]>
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花の咲く時期の違いが新しい種を生む - 秋に咲かなくなったアキノキリンソウの進化学 https://academist-cf.com/journal/?p=5929 Thu, 21 Sep 2017 01:00:23 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5929 新しい種が進化する条件 生物学において「種」とは、互いに交配できる(遺伝子を交換できる)個体の集まりとして定義できます。ちょっと表現が難解かもしれません。植物を念頭にもう少し噛み砕いて言うと、「同じような形をしている個体で、個体どうし花粉をやりとりしている。そして交配の結果、きちんと健全な子孫を残していける」。この条件を満たしていればそれは同じ種であると言えるでしょう。 ならば、種が分かれていく(種分化)ためには、この基本条件を打ち破る力が必要となるはずです。もっとも一般的な種分化の要因は、「地理的隔離」です。これは、同じ種の個体が空間的に引き離されることで、花粉や種子のやり取りができなくなる状況にあたります。別の島に分布するなら海によって個体が引き離されるでしょうし、高い山がある場合には山の向こう側とこちら側で花粉や種子が行き来できなくなるでしょう。 ほかにも、たとえば同じ種の中に花の色が違う個体が生まれたとして、それぞれの花色を好む昆虫がいたとしましょう。すると昆虫は同じ色の花ばかりを訪れるので、違う花色の間では花粉が運ばれにくくなると考えられます。こうした生態的な要因で新しい種が生まれるというシナリオ(生態的種分化)は、生物の適応という点からとても興味深いものです。しかし、本当に生態的要因だけで種分化が起こったのかどうか(つまり、地理的な隔離の関与はなかったのか)を知ることは容易ではありません。よって、できるだけ地理的隔離の影響が小さい種分化を対象にして、生態的な要因がどう働いたのかを調べることが肝心になってきます。 [caption id="attachment_5932" align="aligncenter" width="600"] 種分化をもたらす隔離要因として地理的隔離と訪花者の選択性を図説した。点線矢印が花粉を運ぶ昆虫の動きを示し、灰色の壁が隔離機構を表している[/caption]

「秋に咲かなくなった」アキノキリンソウ

植物の種分化の初期段階において、生態的要因はどのように影響するのか? この疑問に答えるため、私たちはアキノキリンソウという植物に着目しました。アキノキリンソウはキク科の草本植物で、日本では北海道から沖縄の広い範囲に分布しています。近縁な種に北米原産のセイタカアワダチソウがありますが、それよりもずっと小型で楚々としています。その名前のとおり秋に花を咲かせる植物で、林縁や草地で黄色い花が揺れているのを見かけます。ところが私たちの調査によって、このアキノキリンソウが秋に咲かない地域が北海道にあることがわかってきました。それが北海道の特殊土壌地帯(蛇紋岩地帯)と高山帯です。 [caption id="attachment_5925" align="aligncenter" width="600"] 7月に撮影した北海道産アキノキリンソウの生態写真。左側が蛇紋岩地帯に生育する早咲きの蛇紋岩型、右側がすぐそばの林床に生えていた通常型。この時期、蛇紋岩型(左)は花盛りだったのに対し、通常型(右)は蕾すらつけていなかった[/caption] 実際に北海道各地(49か所)でアキノキリンソウの開花期を調べたところ、通常型のアキノキリンソウに比べ蛇紋岩地帯の系統は平均で約40日も早く咲き、また標高が1,000m高くなると開花が約22日早まることがわかりました。蛇紋岩土壌は貧栄養で重金属を多く含むため日陰をつくる森林が発達しません。真夏には直射日光が地表に直接届き、灼熱地獄となります。そのため、蛇紋岩型のアキノキリンソウは真夏の高温と渇水に見舞われるリスクを回避するべく、涼しい初夏に咲く性質を獲得したと考えられます。それに対し、気温の低い高山では短い生長期間に種子を実らせる必要がありますので、できるだけ早い時期に咲く性質が好まれたようです。このように蛇紋岩地帯と高山帯では、異なる環境の影響でアキノキリンソウがそれぞれ初夏に開花するようになったと考えられます。 [caption id="attachment_5926" align="aligncenter" width="600"] 北海道における蛇紋岩地帯の分布。天塩山地から日高地方にかけて島状に分布している(左上図)。蛇紋岩型は6〜7月から開花を始めるため、通常型からは開花期がずれる(右上図)。それに対し、山地帯(左下図)では標高が変化するにしたがって開花期が連続的に変わっていく(右下図)[/caption]

遺伝分析が明らかにした早咲き系統の進化

こうした地域では、秋に開花する通常型のアキノキリンソウが早咲き系統を取り囲むように生えています。そのため、通常型と早咲き系統のあいだに地理的隔離はありませんが、開花期の違いによって時間的に隔離されている可能性が考えられました。 そこで、早咲き系統と通常型のアキノキリンソウを150株採取し、ゲノムの中の約3,400か所の遺伝的変異を調べました。その結果、通常型の系統と比較して、蛇紋岩地帯に分布する早咲き系統の遺伝的組成が大きく変化していることがわかりました。さらに蛇紋岩地帯の早咲き系統には、6月・7月・8月に咲くものがありますが、より早く開花する個体ほど遺伝的な違いが大きい傾向が見られました。この結果から、開花時期が変化したアキノキリンソウのなかから新しい種が進化しつつあることがわかりました。 その一方で、同じように早く咲く高山帯のアキノキリンソウは、周辺に分布する低地のアキノキリンソウとほとんど遺伝的組成が変わらず、頻繁に遺伝的な交流があることがわかりました。山岳地帯では標高が上がるにつれてアキノキリンソウの開花期が徐々に変化します。そのため、山の頂上と麓では開花期が異なっていても、中間標高の個体を介して遺伝的な交流が続いているのだと考えられます。 このように、たとえ開花期に違いがあったとしても、土壌境界のように環境が急激に変化するか、山の標高のように緩やかに変化するかという条件によって、異なる開花期をもつ系統間で「時間的隔離」が働いて新しい種が進化するかどうかが決まっているようです。

今後の展望

今回のアキノキリンソウの研究では、蛇紋岩地帯と高山帯という特殊環境に適応した結果、繁殖する季節が変化して種分化が促進されていることがわかりました。また、蛇紋岩地帯周辺では数十メートルというわずかな距離で蛇紋岩型と通常型が生育していますが、こうした系統が交じり合わずに共存しているのにも、開花期のずれが一役買っているのでしょう。このように考えると、植物を生態的に隔離する開花期の重要性に改めて気付かされます。今後は蛇紋岩地帯と高山帯のアキノキリンソウが早く咲く原因となっているゲノム変異を調べ、それが2つの環境で共有されているものなのか(同じゲノム変異で早く咲く形質が表れているのか?)、異なっているのか(蛇紋岩型と高山型で独立して獲得された変異なのか?)を明らかにしていきたいと考えています。   参考文献 Sakaguchi, S., Horie, K., Ishikawa, N., Nagano, J.A., Yasugi, M., Kudoh, H. and Ito, M. (2017) Simultaneous evaluation of the effects of geographic, environmental and temporal isolation in ecotypic populations of Solidago virgaurea, New Phytologist, doi:10.1111/nph.14744. Hirano, M., Sakaguchi, S., Takahashi, K. (2017) Phenotypic differentiation of the Solidago virgaurea complex along an elevational gradient: Insights from a common garden experiment and population genetics, Ecology and Evolution, doi: 10.1002/ece3.3252. Sakurai, A. and Takahashi, K. (2017) Flowering phenology and reproduction of the Solidago virgaurea L. complex along an elevational gradient on Mt Norikura, central Japan, Plant Species Biology, doi: 10.1111/1442-1984.12153.  ]]>
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40億年前の火星は厚い大気に覆われていた - 隕石を手がかりに火星環境大変動の謎に迫る https://academist-cf.com/journal/?p=5937 Wed, 20 Sep 2017 01:00:56 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5937 火星環境大変動の謎 火星は希薄な大気しか持たない惑星です。その地表は平均気温約-60℃と極めて寒冷で、荒涼とした大地が広がっています。1965年に火星探査機マリナー4号がはじめて火星地表の写真を送ってきたとき、しばしば水の惑星と形容される地球と対比して、火星は“死の惑星”と表現されました。 ところが、その後アメリカを中心に行われてきた探査研究の成果として、数多くの流水地形や液体の水が存在した鉱物証拠が発見されてきました。これが意味することは、火星はかつて液体の水が安定に存在できるほど温暖な時代があった、ということです。火星をそれほど温暖に保つためには、厚い大気と温室効果ガスが必要です。厚い大気を失ったことが、かつて温暖であった火星が極寒の惑星へと変貌した原因ではないかと考えられてきました。 では火星はいつ、なぜ厚い大気を失ったのでしょうか? 原因のひとつの可能性は、火星が地球の10分の1の質量しか持たず、低重力であることです。重力が小さいことは、大気が宇宙空間に流出しやすいことに繋がります。原因のもうひとつの可能性は、火星が磁場を持たない惑星であることです。磁場を持たない惑星の大気には太陽風が直接吹きつけるため、大気の宇宙空間への流出を引き起こします。私たちの研究グループでは、まず火星の厚い大気が“いつ”失われたかを解明することを目的とし、さらにはその結果から“なぜ”失われたかを推測することを試みました。

手がかりは“火星隕石”

失われた太古の火星大気への手がかりとして私たちが着目したものは、火星隕石と呼ばれる、天体衝突によって火星から飛び出し地球まで飛来した隕石です。これらの隕石は、含有ガスの化学組成や岩石の酸素同位体組成をもとに、火星からやってきたことがわかっています。探査研究と比較して、火星隕石を利用した研究は、その隕石が火星地表のどこからやってきたのかわからないという欠点があります。その一方で、実験室で詳細な化学分析ができるため、リモートの探査では知り得ない多くの情報を得ることができます。大気の組成は惑星全域でよく均質化されており地域性がないため、私たちの研究では火星隕石研究の利点のみを活かすことができます。 南極で発見された、アランヒルズ84001と名付けられた火星隕石は、詳細な化学分析により40億年前という非常に古い時代に形成されたことがわかっていました。さらに、当時の火星大気を岩石中にガスとして含有していることが過去の研究で報告されていました。今回の研究では、この含有ガスの同位体組成が40億年前の大気量を知る手がかりとなりました。 火星大気が宇宙空間に流出する時には、軽い同位体が優先的に流出することで、残る火星大気には重い同位体が濃集します。私たちは、さまざまな火星大気の時間変化シナリオに対してこの同位体組成の時間変化をシミュレートすることで、火星隕石アランヒルズ84001に記録された40億年前の大気の同位体組成を再現する条件を探りました。 [caption id="attachment_5934" align="aligncenter" width="600"] 宇宙空間へ流出する火星大気の模式図。軽い同位体(14Nなど)が優先的に流出することで、火星大気には重い同位体(15Nなど)が濃集する[/caption]

厚い大気に覆われていた火星

その結果、40億年前の火星は、地表大気圧が約0.5気圧以上の厚い大気に覆われていたということがわかりました。現在の地球大気が1気圧なので、当時の火星は地球程度の厚い大気に覆われていたことになります。この0.5気圧という値はあくまで下限値であり、実際の火星大気はさらに分厚かった可能性があります。大気が分厚いほど、地表はより温暖になります。一方で、現在の火星は僅か0.006気圧の希薄な大気しか持っていません。すなわち、40億年前以降に火星大気の大部分が失われたことになります。 なぜ火星はかつて存在した厚い大気を失ったのでしょうか? 現在の火星に残されている古い地殻が磁化していることから、火星は約40億年前に磁場を持っていたと推定されています。現時点では厚い大気を失った原因を特定することは難しいですが、磁場を失ったことが太陽風による大規模な大気の宇宙空間への流出を引き起こした可能性があります。現在、火星大気の流出過程を観測しているNASAの火星探査機MAVENによる最新の観測結果からも、これを支持する成果が得られつつあります。 [caption id="attachment_5935" align="aligncenter" width="600"] 横軸:火星誕生からの時間、縦軸:大気圧、棒グラフ:現在の大気圧及び本研究で明らかとなった40億年前の大気圧、点線:大気圧の時間変化(予想)。矢印:過去の研究の推定値
Kurokawa et al. (2018) Icarusのプレスリリース資料より[/caption]

日本独自の火星探査に向けて

厚い大気に覆われ、地表には液体の水が存在した40億年前の火星では生命は誕生しなかったのでしょうか? 地球では約40億年前にすでに生命が誕生していたことが地質学的な証拠からわかっています。将来の火星探査で、火星にかつて生命が存在した証拠が発見される可能性は十分にあります。さらに、ここ数年の大きな発見として、火星はかつて想像されていたような完全なる“死の惑星”ではなく、春や夏の比較的温暖な時期に地下から水が湧き出している地域があることがわかってきました。火星の極寒で乾いた地表の下には、現在でも生命が存在可能な環境が広がっているのかもしれません。 JAXAは2024年に火星衛星サンプルリターン機MMXを打ち上げる予定です。成功すれば日本で初めて人工衛星を火星軌道に投入して探査活動を行うことになると同時に、世界初の火星圏からのサンプルリターンとなります。そして、これに続くミッションとして、日本初の火星着陸探査の検討も始まっています。これらの日本独自の火星探査によって、火星環境の大変動の歴史や、生命誕生の有無を解明できると期待しています。 参考文献 Hiroyuki Kurokawa, Kosuke Kurosawa, Tomohiro Usui. A Lower Limit of Atmospheric Pressure on Early Mars Inferred from Nitrogen and Argon Isotopic Compositions, Icarus, Vol.299, 443-459, (2018).]]>
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動作中の誘電体における原子位置を0.01nmの精度で直接観察 - 電圧で誘起されるイオン分極の直接観察に向けて https://academist-cf.com/journal/?p=5947 Tue, 26 Sep 2017 01:00:53 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5947 誘電体に電気が蓄えられる仕組み 私たちの生活をより便利で快適なものにするため、電化製品の改良は日夜進められており、縁の下の力持ちとして頑張っている電子デバイスの高性能化も進められています。電子デバイスに用いられる材料のひとつである誘電体は、電圧を加えると電気を蓄える性質があり、コンデンサと呼ばれる電子部品などに用いられています。 誘電体に電気が蓄えられる仕組みは、電圧が加えられた際に+もしくは-の電気を持つ原子(陽イオンもしくは陰イオン)がほんのわずかな量(0.01nm程度)だけその位置をずらすことに起因するとされており、これはイオン分極と呼ばれています。したがって、電圧を加えた際に起こるイオン分極を直接観測しようと考えると、電圧を加えた状態で原子の位置を0.01nm程度あるいはそれより良い精度で精密に測定する必要があります。

電圧印加その場電子顕微鏡法

材料の中における原子の位置を精密に測定する方法のひとつとして、透過型電子顕微鏡法というものがあります。透過型電子顕微鏡における近年の技術進歩は目覚しく、最近では0.001 nm(=1pm)の精度で原子の位置を測定できるようになってきています。しかしながら、透過型電子顕微鏡法による通常の観察は、材料に対してなんの外的な刺激も与えていない静的な状態で行われます。前段落までに述べた電圧を加えた際に発現するイオン分極を直接観察するためには、電圧を加えた状態で電子顕微鏡観察を行う必要があります。そのような観察技術は「電圧印加その場電子顕微鏡法」と呼ばれており、著者らの研究グループもこれまでに研究成果を発表してきました。しかしながら、電圧印加その場電子顕微鏡法による観察では、観察時に電圧印加という外的な刺激が加わり、試料やレンズ系の安定性が損なわれることから、従来高い位置精度の観察を行うことは困難でした。 [caption id="attachment_5944" align="aligncenter" width="600"] 電圧印加その場電子顕微鏡法の模式図。観察対象となる材料に外部から電圧を加えながら電子顕微鏡観察を行い、画像や動画を記録する[/caption] 私たちは実際にイオン分極が起こっている状況を直接観察したいと考えていますが、その大きな目的を達成するためにはまず、材料に電圧を加えたままの状態で高い位置精度が保証されることを実証する必要があります。そこで、今回私たちは誘電体の代表的なモデル材料とされるチタン酸ストロンチウム(SrTiO3)の結晶をサンプルとして位置精度の検証実験を行いました。検証実験を行うに際して、私たちの研究グループでは、電圧印加その場観察用の試料ホルダー制作、観察用試料のデザイン最適化および微細加工、電子顕微鏡像観察および解析技術の向上などの工夫を施すことで、電圧印加その場電子顕微鏡法の精度向上を図りました。

電圧をかけたままの状態で0.01nm以下の原子位置精度を得る

今回の実験は、原子位置精度の検証が目的ですので、測定されるべき原子位置がわかっている状態で測定を行う必要がありました。したがって、加える電圧は1cmあたり0.57kV(0.57 kV/cmの電界強度)と低く設定し、原子位置が大きく変化しない状態で測定を行いました。実際に観察された電子顕微鏡像を見ると、SrTiO3の結晶における原子の配列が明瞭に観察されていることがわかります。得られた写真から原子同士の間隔を算出してその標準偏差を基にして原子位置の精度を割り出したところ、0.01nm以下の精度が得られていることがわかりました。 [caption id="attachment_5945" align="aligncenter" width="600"] (a)0.57kV/cmの電界を加えた状態で観察されたSrTiO3結晶の電子顕微鏡像
(b)原子同士の間隔から評価された原子位置の測定誤差[/caption] 今回の検証により、私たちは電圧を加えることで発現するイオン分極の観察に大きく近づいたと考えています。それだけでなく、電圧印加その場電子顕微鏡法は誘電体以外のさまざまな種類の電子デバイスに適用が可能です。したがって、今後、さまざまな分野にその適用が進み、各種電子デバイスにおける特性発現のメカニズムがより詳細に解明されたり、電子デバイスの材料の開発がより加速されたりするものと期待されます。 参考文献 Yukio Sato, Tsukasa Hirayama, and Yuichi Ikuhara, “Real-Time Direct Observations of Polarization Reversal in a Piezoelectric Crystal:Pb(Mg1/3Nb2/3)O3-PbTiO3 Studied via In Situ Electrical Biasing Transmission Electron Microscopy”, Physical Review Letters, 107, 187601-1-5 (2011). Yukio Sato, Takashi Gondo, Hiroya Miyazaki, Ryo Teranishi, and Kenji Kaneko, “Electron microscopy with high accuracy and precision at atomic resolution: In-situ observation of a dielectric crystal under electric field”, Applied Physics Letters, 111, 062904-1-5 (2017).]]>
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私たちの細胞が持つ、「こわす」仕組みの多様性 - オートファジーにはいくつもの経路がある https://academist-cf.com/journal/?p=5955 Fri, 22 Sep 2017 01:00:22 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5955 細胞内の「こわす」仕組みの重要性 生物の基本単位である細胞の中では、その構成成分(タンパク質、脂質、核酸など)の絶え間ない合成と分解が起こっています。細胞活動を維持するためにこれらの合成が必要なことは理解しやすいですが、実は分解もまた重要な役割を担っています。なぜ、分解(こわすこと)が重要なのか、という問いに対しては、2つ答えがあります。 ひとつは、細胞の外部から得られる構成成分の材料(アミノ酸など)の供給では、合成に必要な材料の需要に追いつかない場合が多く、細胞内の余剰の構成成分を分解し新たな合成の材料として(リサイクルして)使う必要があるから、というものです。 もうひとつは、細胞内の構成成分が変性し、細胞に対して毒性を与えるものになる場合があり、その除去が細胞の活動維持に必要となるケースがあるからです。このようなことから近年、細胞内の分解システムの研究が進展・脚光を浴びており、2004年にはユビキチン・プロテアソームシステムによるタンパク質分解機構の発見がノーベル化学賞を受賞し、そして2016年には大隅良典博士によるオートファジーメカニズムの発見がノーベル医学生理学賞を受賞しました。

オートファジーにはいくつもの経路がある

オートファジー(日本語では自食作用)は、細胞内部の構成成分をリソソーム(酵母、植物では液胞)と呼ばれる場所(細胞内小器官)に輸送してから分解する働きの総称で、私たちを含む真核生物全般が持つ仕組みです。大隅博士のニュースのおかげで、科学者のみならず一般の方々にもオートファジーという言葉は認知されるようになりました。 リソソームは袋状の構造をしているので、その中にものを輸送するには仕掛けが必要です。私たちの細胞が持つ仕掛けの主要なものとして、1)こわすべきものを包むように細胞内に新たな二重膜の袋、オートファゴゾームを作り、オートファゴゾームの外側の膜の一部がリソソーム膜と融合するか、エンドソームと呼ばれる別の細胞内小器官の膜と融合した後、リソソームとさらに融合する、また2)リソソーム膜が直接、陥入などの変形を起こしてこわすべきものを取り囲み、陥入口を閉じてこわすべきものを含んだ袋をリソソーム内に切り離す、というものがあります。 [caption id="attachment_5952" align="aligncenter" width="600"] 細胞内の膜を使う2つのオートファジー経路[/caption] 1)をマクロオートファジー、2)をミクロオートファジーと呼んでいます。大隅博士のご研究は、1)のマクロオートファジーの分子機構を明らかにしたものですが、その研究の結果、マクロオートファジーに機能する多くの因子、Atg(Autophagy-related)タンパク質が見つかり、それらが私たちの生・老・病・死のさまざまな局面で重要な働きをすることがわかりました。 しかしながら、リソソーム膜自体に存在するタンパク質をこわすべき局面では、 2)のミクロオートファジーの仕掛けを使う方が効率的であるのは明瞭です。実はこれまでの研究では、リソソーム膜のタンパク質がミクロオートファジーによって本当にこわされるのか、またこわされるとすればどのような分子機構によるものなのかは不明でした。

ミクロオートファジーによる酵母液胞膜タンパク質の分解

私たちは酵母Saccharomyces cerevisiaeを対象とした研究から、液胞(リソソーム)膜を貫通して存在する複数のタンパク質が生育条件の変化に応じて分解されること、その際に液胞膜の陥入が見られることを見出しました。これらの発見で、ミクロオートファジーによって液胞膜タンパク質が分解されることが強く示唆されたのですが、このことをきちんと証明するためには、液胞膜陥入の仕掛けに機能するタンパク質を明らかにし、それらが確かに液胞膜の表面にやってくることを示す必要があります。 私たちは、エンドソームを陥入させることが知られていたESCRTタンパク質と呼ばれる因子群が液胞膜タンパク質分解に必要なこと、またその分解が誘導される際にはESCRTタンパク質のうちのひとつ、Vps27が液胞膜の表面にやってくることを見出しました。これらのデータを総合することで、液胞膜の一部がESCRTタンパク質の働きで陥入して液胞の内部に輸送され、そこに位置していた膜タンパク質が分解されるミクロオートファジーの全体像が見えてきたわけです。 [caption id="attachment_5953" align="aligncenter" width="600"] 酵母ミクロオートファジーによる液胞膜タンパク質の分解[/caption] 一方でこの過程には、マクロオートファジーにおいてオートファゴゾームを作るのに必要なAtgタンパク質は不要でした。

こわす仕組みの多様さが私たちの細胞の健常性を支えている

ここでご紹介した研究は酵母を対象としたものですが、最近では哺乳類の胚発生過程でもミクロオートファジーが重要な働きをもつことが、日本の研究グループから発表されています。 また、リソソーム膜上のタンパク質が核酸(RNAなど)を取り込んで分解する分子機構も日本で解明されました。 このように、新たな膜をつくる(Atgタンパク質による)働きや、既存の膜を曲げる(ESCRTタンパク質による)働きなど、多様な仕掛けを使ってオートファジーは成り立っています。私たちの生活で、目的地への交通手段がいろいろある方が便利で万一の場合でも安心なように、細胞にも「こわす」ためのさまざまな輸送の仕組みがあり、細胞活動を支えています。今後の多くの研究を経て、これらの仕組み同士の機能ネットワークの全貌が明らかになることが期待されます。 参考文献 1. OKU M., MAEDA Y., KAGOHASHI Y., KONDO T., YAMADA M., FUJIMOTO T., SAKAI Y. (2017) Evidence for ESCRT- and Clathrin-dependent Microautophagy. The Journal of Cell Biology. DOI: 10.1083/jcb.201611029 2. KAWAMURA N., SUN-WADA G.H., AOYAMA M., HARADA A., TAKASUGA S., SASAKI T., WADA Y. (2012) Delivery of Endosomes to Lysosomes via Microautophagy in the Visceral Endoderm of Mouse Embryos. Nature Communications. DOI: 10.1038/ncomms2069 3. AIZAWA S., FUJIWARA Y., CONTU V.R., HASE K., TAKAHASHI M., KIKUCHI H., KABUTA C., WADA K., KABUTA T. (2016) Lysosomal Putative RNA Transporter SIDT2 Mediates Direct Uptake of RNA by Lysosomes. Autophagy. DOI: 10.1080/15548627.2016.1145325]]>
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氷はどこまで低密度になれるか? - 空気よりも軽い「エアロアイス」の理論予測 https://academist-cf.com/journal/?p=5959 Mon, 25 Sep 2017 01:00:14 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5959 氷の結晶にはたくさんの種類がある 氷は水に浮きます。何をあたりまえのことを、と思われるでしょうが、実はちっともあたりまえのことではなく、たいていの物質では固相のほうが密度が高いので、固体は液体に沈みます。また、高圧でできる氷はすべて、同じ圧力の水よりも密度が高いので、高圧で作った氷も水に沈みます。つまり、固体の密度が液体よりも低くなる現象は、常圧で水を凍らせた場合にしか起こらない、極めて稀な現象と言えます。 一般に、物質の結晶構造は、圧力によっても温度によっても違ってきます。常圧で水を冷やすと、氷I(1)と呼ばれる六角形の結晶構造(雪の結晶でおなじみ)ができますが、2000気圧以上では氷III(3)と呼ばれる、四角形の結晶構造ができます。ある温度、圧力で、どの相(結晶構造、あるいは液体、気体)がもっとも安定になるかを示した図が相図です。なお、準安定相(ある条件で実験で作れるが、最も安定ではない相)である氷IV(4)や氷XII(12)は相図には描かれません。 実は、水の結晶構造は、全部で17種類が実際に作られ、純物質としては異常にたくさんの種類があります。氷の構造なんてとっくに調べつくされていると思われるかもしれませんが、今世紀に入ってから発見された氷が5種類もあり、今後も増えそうです。 0℃、1気圧の水と氷は、どちらも同じ分子でできていても、分子の集まり方が違うために、まったく違う性質を持っています。同じように、結晶の構造が違う17種類の氷は、それぞれ性質が違います。 [caption id="attachment_5970" align="aligncenter" width="600"] 水の相図(抜粋)。ローマ数字は氷の種類を表す。通常の氷は1気圧で生じる氷I[/caption]

押してだめなら引いてみる

氷I以外のほとんどの氷は、水や氷に高圧を加えることで作られました。通常の氷や水よりも密度が高い氷は全部で13種類あります。 では、通常の氷よりも密度の低い氷は作れるのでしょうか。2000気圧でうんと押せば、密度の高い氷の構造に変化するのであれば、逆に–2000気圧でうんと引っ張ってやれば、密度の低い氷もできそうな気がします。理論家がそのような氷を予測したものの、負圧を加える実験はとても難しく、実際に作るのは不可能だと考えられてきました。 ところが、2014年に、ドイツの研究者たちが、通常の氷よりも密度の低い氷を作ることに成功しました。彼らは、氷をひっぱるのではなく、ネオンハイドレートという、水とネオン分子が一緒に凍った氷から、ネオンだけを真空引きしてとりのぞくという方法を考案して、世界をあっと言わせました。この氷は、理論家が予想していたのと同じ結晶構造をもっていて、いまでは氷XVI(16)と呼ばれています。 氷XVI(16)は、理論上は負圧で最も安定になると予測されています。常圧では準安定なので、放置すると、より安定な氷Iに戻ります。同じ実験手法を応用して、氷XVII(17)も2016年に作られました。現時点では、通常の氷よりも密度の低い氷はこの2種類だけが実際に作られています。

密度の低い氷はほかにはないのか

密度の低い氷が作れたということは、負圧側にもいくつかの氷があって、水の相図は負圧側にも拡張できることを意味します。では、負圧側の氷は、高圧の氷よりもたくさんの種類があるのでしょうか。また、氷XVI(16)や氷XVII(17)は安定相なのでしょうか。それとも、同じ温度圧力で、氷XVI(16)よりも安定な結晶構造が見落されているということはないのでしょうか。 負圧は実現が困難なので、これらの疑問に実験で答を出すのは今のところ不可能です。そこで、ふたたび理論家の出番です。ある結晶構造が実験的に作れるかどうかはさておき、ひとたび氷の構造が決まれば、その安定性は理論計算で予測できます。結晶構造がたくさんあればあるほど、その予測は正確になります。理論家は、実験にさきがけて、いくつかの密度の低い氷の構造を予測し、それらが安定となるような温度圧力範囲を示してきました。氷XVIよりも密度が低い氷の構造もいくつか予測されています。

酸化ケイ素と水の深いつながり

理論家がこれまでに予測した氷の構造には共通する特徴があります。ひとつは、結晶構造に大きな空洞があること、もうひとつはそれらがゼオライト(沸石)の結晶構造に似ていることです。 ゼオライトはケイ素(シリコン)とアルミニウムの酸化物の結晶で、結晶構造に空洞があるので、ほかの物質を捉えて吸着したり、空洞内での化学反応を助ける触媒になったりする、機能性物質として知られています。 ゼオライトに限らず、酸化ケイ素の結晶構造は氷の結晶構造にとても似ているので、酸化ケイ素のケイ素原子を酸素におきかえ、酸素原子を水素に置きかえると、氷の結晶構造に作りかえることができます。たとえば、トリディマイトとチバイトの結晶構造は、氷I(1)と氷XVI(16)の結晶構造に変換されます。実は、これまで理論家が予測した、低密度の氷の構造は、すべてゼオライトの結晶構造としてすでに知られていたものと同一でした。 そこで、私たちは、これまでに発見されたゼオライトの結晶構造(200種類以上)をあまねく氷の結晶構造に変換し、すべての構造の安定性を比較してみることにしました。こうして、密度0.5〜0.9g/cm3の範囲を網羅的に調べた結果、ゼオライトITTと同じ構造を持つ氷が、これまでに理論で予測されていたものよりも、低密度かつ安定であることをつきとめました。 [caption id="attachment_5964" align="aligncenter" width="600"] さまざまなゼオライトの構造。左上から時計回りに: MEP, DOH, RHO, MTN, ITT, FAU. Zeolite Databaseより引用[/caption]

どこまで密度は低くなるのか - エアロアイスの発見

とはいえ、これですべての可能性をチェックしたとは言えません。ゼオライト以外の構造を持つ、もっと安定な氷があるかもしれません。また、ゼオライトの構造を持つ氷は、最低でも密度0.5g/cm3なので、それより低密度の氷は見落している可能性もあります。 そこで、これまでに理論家が予測した低密度氷の構造に着目しました。どの結晶構造も、多面体と角柱のブロックに分解できるように見えます。それなら、角柱部分を延長すれば、構造に新たなストレスを加えることなく、もっと密度の低い構造が作れるはずです。 これを、エアロアイス(aeroice)と名付けました。エアロアイスの密度は0~0.5g/cm3の範囲で自由に設定でき、コンピュータシミュレーションによってその物性も予測できます。その結果、極低温では多種多様のエアロアイスが安定に存在しうることが明らかになりました。理論計算を行ったエアロアイスの中では最も密度が高い氷(密度0.4g/cm3)でさえも、氷XVI(16)よりも安定であり、しかも密度が低いエアロアイスほど熱力学的には安定であることもわかりました。100xFAUと呼ばれる氷は空気よりも密度が低く、わずか–6気圧で氷Iよりも安定になるはずです。 [caption id="attachment_5963" align="aligncenter" width="600"] エアロアイスを組み立てる手順[/caption]

おわりに

実験で作られた氷XVI(16)やXVII(17)に比べてもエアロアイスは安定で、低密度な氷の安定構造は非常に多様であることがわかりました。負圧側の相図を作るのは、理論計算でもかなり大変な作業になりそうです。それぞれの結晶構造を実際に作る指針はまだ不明ですが、今後も新たな密度の低い氷が続々と発見されると思われます。結晶の空洞部分を他の分子で支えることで、これらの構造を作ることもできるかもしれません。生体分子内にとりこまれた水が、特殊な構造を作ることで、さまざまな機能を生みだす例が知られています。水のつくる構造の多様さを知ることで、生体分子の機能をより深く理解できるようになると考えられます。 参考文献 T. Matsui, M. Hirata, T. Yagasaki, M. Matsumoto, and H. Tanaka, Hypothetical ultralow-density ice polymorphs, The Journal of Chemical Physics, Volume 147 issue 9, page 091101 (2017). (Cover Article, Featured Article) http://dx.doi.org/10.1063/1.4994757]]>
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傷あとを残さない皮膚再生 - カエルで明らかになった皮膚再生を可能にする細胞の起源 https://academist-cf.com/journal/?p=5988 Thu, 28 Sep 2017 01:00:51 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5988 両生類は手足を切られても再生できる! 生物は事故や病気によって自分の体が傷つくリスクを常に背負いながら生きています。我々ヒトももちろん例外ではありません。ヒトの場合は、すり傷や切り傷など皮膚の浅い傷ならば治癒して元通りにすることができます。しかし、手足(四肢)を切断するような大けがの場合は元通りに再生することはできません。ところが我々と同じ四肢を持つ脊椎動物でありながら、そのような再生を行える動物たちがいます。それが両生類です。 イモリやサンショウウオのような尾を持つ両生類(有尾両生類)は大人になっても高い再生能力を持ち、四肢や尾を切断されても元通りに再生できます。これら両生類が四肢を切断されると、再生芽という細胞集団が切断面に作られ、再生芽が四肢を形成することによって失われた構造を再生します。 これに対して、カエル(無尾両生類)の場合はオタマジャクシ(幼生)の時期にはイモリと同様に四肢を切断されても再生できます。しかしオタマジャクシからカエルになるプロセス(変態)が完了すると完全な四肢は再生できなくなります。たとえば研究で良く使われるアフリカツメガエル(学名はXenopus laevis、以下ツメガエルと呼びます。)の場合は、変態後に四肢を切断されると、いったん再生芽を形成するものの一本の棒のような軟骨構造しか再生できません。

人体最大の器官—皮膚—に注目

ところで、両生類の場合は四肢や尾を丸ごと再生できる高い再生能力が注目を集めるため、皮膚だけが傷ついた後の再生能力はこれまであまり研究されてきませんでした。皮膚は大きく分けて表層の表皮と深層の真皮の2つの層から構成され、この基本構造は両生類も我々哺乳類も共通です。哺乳類の場合は、真皮に達するような深い傷を負うと真皮を再生できず、瘢痕という硬い構造を作って傷口を埋めます。しかし瘢痕は弾力を欠くうえに見た目のうえでも傷あととして残ってしまうため、機能のうえでも美容のうえでもさまざまなトラブルの原因になります。また哺乳類では毛(毛包)や分泌腺のような皮膚構造も再生できません。 皮膚はヒトでは体重の16%もの重量を占めることから人体最大の器官(臓器)と呼ばれることがあります。さらに体表面のすべてを覆うことから、生活の中で傷を負うリスクが最も高い器官とも言えます。私たちは数年前からこの皮膚に着目し、両生類(ツメガエル)における皮膚の再生能力を、真皮を含めた皮膚全体を四角く切除することで調べてみました。その結果、変態後であってもツメガエルの皮膚は瘢痕を残さずにほぼ完全に再生できること、そして皮膚再生の過程で傷口に集積する細胞では四肢の再生の過程で生じる再生芽細胞と共通した遺伝子(prx1, prrx1とも言う)が働くことを2011年に発見しました。

モデル生物、アフリカツメガエルを用いる利点

ところでツメガエルのように研究で汎用される生物のことをモデル生物と呼びます。イモリやサンショウウオではなく、ツメガエルを研究に用いることにはいくつかの利点があります。まずツメガエルはホルモン注射によって1年中卵を産ませることができ、丈夫で飼育しやすいという利点があります。さらにイモリやサンショウウオではゲノム解読が行われていないのに対して、ツメガエルでは2016年に全ゲノムが解読されています。またツメガエルでは、近交を繰り返すことによって樹立された純系の系統(J系統)が存在し、この系統の個体ではMHC(Major Histocompatibility Complex、主要組織適合性複合体)が完全に同一になっています。そのため、J系統の個体間で移植を行っても免疫拒絶は起こりません。またツメガエルでの全ゲノム解読はこのJ系統の個体を用いて行われました、たとえばヒトゲノムで解読された配列決定に用いた試料は、複数人からの混合で、個人差などにより多少の違いがあります。一方でJ 系統を用いて解読されたツメガエルのゲノム情報に関しては、同じ系統のカエルを使う限り配列のずれは生じません。

皮下の細胞が皮膚再生に寄与する

変態後のツメガエルの背中や四肢においては、皮膚の直下(皮下)は主に筋肉組織から構成されています。私たちはツメガエルの皮膚再生の過程を詳細に観察するなかで皮下に位置する組織で組織分解が起こり、そのなかから前述の再生芽マーカー(prx1)を活性化した細胞が生じることを見つけました。このことから皮膚再生においては皮下の組織に由来する細胞が皮膚再生に寄与している可能性を考えました。 そこで、東北大学大学院生命科学研究科の田村宏治教授と大学院生の大塚理奈さん、新潟大学理学部生物学プログラムの井筒ゆみ准教授らと共同で、変態後のツメガエルにおいて皮下の組織の細胞をラベルする実験方法を新たに考案しました。ここで用いた方法は遺伝子組換えによって全身が緑色蛍光タンパク質(GFP)でラベルされた個体と、ラベルされていない個体の間で皮膚を交換移植し、皮下の組織のみがGFPでラベルされた状態を作るというものです。通常はこのような個体間移植を行うと、移植した組織は免疫拒絶によって生着しませんが、私たちは前述のJ系統のツメガエルを利用することで拒絶の問題を克服し、胴体の背中において皮下の組織のみがGFPでラベルされたツメガエル個体の作製に成功しました。この個体を用いて皮膚再生における細胞の寄与を調べた結果、GFPでラベルされた皮下の組織に由来する細胞が傷口の下に移動して集積すること、さらにその後は再生した皮膚の真皮に寄与することが明らかになりました。

今後の展開

今回、皮膚再生に寄与する細胞が皮下の組織に由来することが明らかになったことにより、皮膚再生を可能にしている細胞の正体を突き止めることが初めて可能になりました。この細胞が皮下の組織におけるどんなタイプの細胞種に由来するのかを調べることで、皮膚再生に寄与する細胞の性質が明らかになると期待できます。またツメガエルで見つかった皮膚再生に寄与する細胞と同等の細胞が哺乳類の皮下の組織に存在するのかという点も今度大いに興味が持たれます。さらに哺乳類で見つかっている瘢痕形成に寄与する細胞と、今回ツメガエルの皮下の組織で見つかった皮膚再生に寄与する細胞との間で比較解析を行うことで、どうやって瘢痕形成を防いで皮膚を再生させられるかが今後明らかになると期待できます。このことはヒトにおいて瘢痕を作らせずに皮膚を完全に再生させる治療法の確立に役立つはずです。 また、両生類の四肢では皮膚を深く傷つけると瘢痕を作らずに皮膚を再生しますが、ここにさらに神経の移植などの操作を加えると、新たにもう1本の四肢が再生してくることが知られています。つまり両生類では瘢痕を作らない皮膚の再生を前提にして、皮膚再生よりも高度な再生である四肢の再生へとステップアップすることが可能です。今回の発見を端緒にして哺乳類における瘢痕を作らない皮膚再生が可能になれば、将来そこからステップアップして、哺乳類においても四肢の再生のようなより高度な立体的な器官の再生を実現し、人体を再生させる画期的な医療へとつながることが期待できます。 参考文献 Otsuka-Yamaguchi R, Kawasumi-Kita A, Kudo N, Izutsu Y, Tamura K, Yokoyama H. Cells from subcutaneous tissues contribute to scarless skin regeneration in Xenopus laevis froglets. Developmental Dynamics 246, 585-597. 2017 †Session AM, †Uno Y, †Kwon T, Chapman JA, Toyoda A, Takahashi S, Fukui A, Hikosaka A, Suzuki A, Kondo M, van Heeringen SJ, Quigley I, Heinz S, Ogino H, Ochi H, Hellsten U, Lyons JB, Simakov O, Putnam N, Stites J, Kuroki Y, Tanaka T, Michiue T, Watanabe M, Bogdanovic O, Lister R, Georgiou G, Paranjpe SS, van Kruijsbergen I, Shu S, Carlson J, Kinoshita T, Ohta Y, Mawaribuchi S, Jenkins J, Grimwood J, Schmutz J, Mitros T, Mozaffari SV, Suzuki Y, Haramoto Y, Yamamoto TS, Takagi C, Heald R, Miller K, Haudenschild C, Kitzman J, Nakayama T, Izutsu Y, Robert J, Fortriede J, Burns K, Lotay V, Karimi K, Yasuoka Y, Dichmann DS, Flajnik MF, Houston DW, Shendure J, DuPasquier L, Vize PD, Zorn AM, Ito M, Marcotte EM, Wallingford JB, Ito Y, Asashima M, Ueno N, Matsuda Y, Veenstra GJ, Fujiyama A, Harland RM, Taira M, Rokhsar DS. Genome evolution in the allotetraploid frog Xenopus laevis. Nature 538, 336-343. 2016 †Yokoyama H, †Maruoka T, Aruga A, Amano T, Ohgo S, Shiroishi T, Tamura K. Prx-1 expression in Xenopus laevis scarless skin-wound healing and its resemblance to epimorphic regeneration. Journal of Investigative Dermatology 131, 2477-2485. 2011. †は同等の寄与をした複数の筆頭著者]]>
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匂いのマークを見廻るオス - コマルハナバチの婚活術 https://academist-cf.com/journal/?p=5996 Fri, 29 Sep 2017 01:00:40 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=5996 コマルハナバチとは? コマルハナバチは、北海道と沖縄を除く日本全土に生息する社会性のハナバチです。地中に作られる巣には産卵を行なう一匹の女王と、それ以外の仕事を行なう多数の働き蜂が存在します。 初夏の頃、コマルハナバチの巣からは、次世代を担う新女王とオスが巣立って行きます。オスは離巣したあと、ひと月程度しか生きられませんが、新女王は雄と交尾をしたあと地中に潜って冬を越し、次の春に新しい巣を創設します。女王は働き蜂と同様に、全身が黒い体毛に覆われ、おしりの先が濃いオレンジ色をしています。一方、オスは全身レモン色をしているので、メスとの区別はすぐにつきます。 [caption id="attachment_5997" align="aligncenter" width="600"] (左)飼育下のコマルハナバチの巣。1匹の女王と多数の働き蜂がいる。(中央)採餌中の働き蜂。(右)オス(女王とオスの写真提供:久保良平氏)[/caption] コマルハナバチは珍しい蜂ではなく、どこにでもいるいわゆる普通種なのですが、交尾しているところが観察されるのは非常にまれです。そのため、この種がいつ、どこで、どのようにして配偶者を見つけるのかは、よくわかっていませんでした。

特定のルートを巡回してメスを探す

コマルハナバチの配偶場所は、偶然見つかりました。私は2015年の6月初旬に、この研究とは関係ない目的で、玉川大学キャンパス内の林のなかを歩いていたのですが、そのとき藪から藪へと飛んでいくたくさんのコマルハナバチのオスに出会いました。近くには餌場となる花はほとんどなかったので、これらのオスは交尾するために新女王を探しているところにちがいないと思いました。 [caption id="attachment_5998" align="aligncenter" width="600"] コマルハナバチのオスが多数巡回している玉川大学構内の林[/caption] もう少し気をつけてみてみると、オスはデタラメに飛んでいるのではなく、たくさんの蜂が通る空中の道のようなものがあることに気が付きました。ある場所では、5分間に40匹以上ものオスが飛んでいきました。また、一部のオスの背中にペイントマーカーで印を付けてやることで、これらのオスが決まったルートを巡回しており、しかも複数のオスが飛行ルートを共有していることがわかりました。 しかし、オスが花のないところをたくさん飛んでいるからといって、これらのオスが配偶者を探していると結論することはできません。そこで、コマルハナバチの新女王をこの場所に糸で吊るしてみました。すると、すぐさまオスが新女王を見つけ、その周りをまとわりつくように飛びはじめたのです。女王につかみかかり、交尾を試みようとするオスもいました。 [caption id="attachment_5999" align="aligncenter" width="600"] 新女王へのオスの反応。新女王につかみかかり交尾を試みるオス(左)。場所によるオスの反応の違い(右)[/caption] 餌場となっている花のまわりでは、オスは新女王と出会ってもほとんど関心を示さないので、この結果は、これらのオスが交尾をするために集まってきていることを示唆しています。残念ながら、この場所での交尾はまだ観察されていないのですが、複数の新女王の飛来が確認されています。

葉に匂いを残す

さらに観察を続けると、オスがアセビなど低木の葉の縁に体を押しつけるようにしてすばやく歩くという独特な行動をとることもわかってきました。ただし、この行動は早朝の5:30〜7:30以外の時間帯にはほとんど見られません。海外のマルハナバチでは、オスが下唇腺という分泌器官で作られる匂い物質を飛行経路に残していることが報告されています。私たちも、コマルハナバチのオスが体をすりつけた葉を採集してきて、ガスクロマトグラフ/質量分析装置という分析機器を用いて、葉から揮発してくる化学成分を分析してみました。すると、たしかにコマルハナバチのオスの下唇腺から分泌されるシトロネロールという成分が検出されたのです。 [caption id="attachment_6000" align="aligncenter" width="600"] ガスクロマトグラフ/質量分析装置による化学分析の結果[/caption]

匂いの機能

これまでマルハナバチの研究者は、オスの下唇腺の匂いには新女王を誘引するフェロモンとしての機能があると考えてきましたが、それを証明した研究はありませんでした。そこで、私たちはY字型のガラス管を使って、本当に下唇腺の物質が新女王を誘引するかを調べてみました。この実験では、新女王にガラス管の中を歩かせ、二股に分かれた部分で、特定の匂いのする方へ歩いて行くかを調べます。その結果、新女王はオスの下唇腺の抽出物やシトロネロールに強く誘引されることがわかりました(下図左)。これは、オスが下唇腺の匂いで女王を誘引しているというこれまでの考えを支持する結果です。さらに興味深いことに、同じ実験をオスで行ってみると、オスもこれらの匂いに誘引されたのです(下図右)。 [caption id="attachment_6001" align="aligncenter" width="600"] オスの下唇腺抽出物あるいはシトロネロールへの誘引性試験[/caption] 今回、多数のオスが飛行経路を共有していることが観察されましたが、これはある個体が残した匂いのマークに別のオスが誘引されることにより起こる現象のように思えます。多数のオスが一緒に巡回することで、その地域に放出される匂いの量を増加させ、より強く女王を誘引しようとしているのかもしれません。あるいは、一部のオスは、ほかのオスがつけた匂いのマークを利用することで、自分では匂い物質を生産しないで、女王を獲得しようとしているのかもしれません。

複数の戦略をもつ?

じつはコマルハナバチのオスは、私たちが見つけたのとまったく違うやり方で交尾相手を獲得しているということが、先行研究で報告されていました。その研究によれば、コマルハナバチのオスは、巣の入り口でホバリングし、飛び出してくる新女王を捕まえたり、あるいは巣の中へ入っていって新女王と交尾をするというのです。おそらく、コマルハナバチのオスは、配偶者を獲得する方法をいくつも持っていて、状況に応じて有効な方法を選ぶことができるのでしょう。 今回の研究によって、コマルハナバチのようなありふれた蜂も、巧みなやり方で子孫を残そうとしていることが明らかになりました。しかし、オスが出す匂いにオス自身が誘引される意義など、わかっていないことも多く、今後の研究によってさらにこの昆虫の秘密が明らかにされてくることを期待しています。 参考文献 K. Harano, R. Kubo & M. Ono (2017) Patrolling and scent-marking behavior in Japanese bumblebee Bombus ardens ardens males: alternative mating tactic?. Apidologie, in press. doi: 10.1007/s13592-017-0534-2 R. Kubo, K. Harano, & M. Ono (2017) Male scent-marking pheromone of Bombus ardens ardens (Hymenoptera; Apidae) attracts both conspecific queens and males. The Science of Nature, in press. doi: 10.1007/s00114-017-1493-1]]>
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阪大・橋本幸士教授、超弦理論を語る。 - 世界を記述する数式はなぜ美しいのか https://academist-cf.com/journal/?p=6005 Thu, 05 Oct 2017 01:00:12 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6005 超ひも理論をパパに習ってみた」や「超弦理論知覚化プロジェクト」、「TED×OsakaUでの講演」など、さまざまなアウトリーチ活動も手がけている大阪大学・橋本幸士教授。大学時代まで「物理学者という仕事があることを知らなかった」という橋本教授は、なぜ物理学を志し、超弦理論の分野を選んだのだろうか。超弦理論の基本的なアイデアやその歴史を振りかえりながら、橋本教授の研究者像に迫る。 ーー超弦理論の研究者と聞くと、幼いころから物理学の本を読んでいたイメージがあるのですが、実際はどうだったのでしょうか。 小学生のころから物理学者に憧れていたというようなことは、実はまったくないんですよね。そもそも物理学者という仕事があることすら知りませんでしたから(笑)。子どものころは、物のカタチのように、もっと具体的なことに興味を持っていました。 ーー物のカタチですか……? レゴがすごい好きで、身のまわりの物体をレゴで再現しようとしていました。カタチがシンプルであれば比較的作りやすいのですが、たとえばレゴで人間を作ろうと考えると、そもそも表面が柔らかい人間をどう再現するのか、完成したとしてもどのように動かすのか、ということまで考えなくてはなりません。ここまでやろうとすると大変ですが、当時はそういうことに情熱を燃やしていましたね。あとは、日本地図を非常に精密に書くというプロジェクトを一人で発動させたりしていました(笑)。小さい島を含めてすべて書いていましたよ。やはりカタチに興味を持っていたのでしょうね。 ーーなるほど。好きな科目はありましたか? 中高生になると、数学が好きになりました。積分で体積を導出するというように、さまざまなカタチを数学で論理的に理解できるということが、すごくおもしろかったんですね。自分の興味に合うのは数学だと思って、大学では数学を勉強しようと思っていたのですが、いざ入学して勉強をはじめてみると、予想していた数学とは全然違ったんです。教科書には、理学系出身の方ならお馴染みの「イプシロン・デルタ論法」のように複雑なことがたくさん書いてあるのですが、あまり興味を持てませんでした。 ーー物理学に興味が移ったのは、どのようなタイミングだったのでしょうか。 大学2年生の時に、霊長類研究所を見学する合宿イベントがあったのですが、引率してくれた先生が素粒子物理学の専門家で、夜に学生を集めて物理学の魅力をとうとうと語りはじめたんです。そのときにはじめて、世の中のカタチを数学で解き明かせる分野があることを知り、物理にシフトすることにしました。物理学のなかでも数学よりだった分野が、素粒子物理学の分野だったんです。 ーー橋本先生は特に、超弦理論を専門とされています。超弦理論とは、どのような理論なのでしょうか。 物質の構成材料である原子は、中心の原子核とその周りの電子たちで構成されていて、原子核を構成する陽子と中性子はこれ以上分解できない「素粒子」だと信じられてきました。しかし、1960年代に加速器実験が進展すると、陽子や中性子に似た新粒子がたくさん発見されました。そこで、陽子や中性子は素粒子ではないだろうと考えられるようになったんです。そのときに、物質の最小単位は粒子ではなくて「ひも」であると仮定する南部陽一郎のアイデアが登場して、超弦理論の研究が幕を開けました。 ーー物質を細かくし続けると最終的に「ひも」になるというのは、不思議な気がします。なぜ「ひも」に置き換えようと考えるのでしょうか。 ひもは長さを持つため、振動したり巻きついたりすることができます。振動は、節が1つの振動、節が2つの振動などというように、エネルギーの異なるさまざまな定在波に分類できるんですね。エネルギーは質量に相当することがアインシュタインの理論から言われていますので、ひもの振動の違いや巻き付き方の違いによって、異なる質量を持つ粒子たちを説明できるというわけです。 ーーひとつの「ひも」であらゆる素粒子の性質を理解してしまおうと。 そういうことです。ただし当初は、弦理論が数学的に無矛盾にならないためには、空間の次元を25次元にしなければならないなどの問題が指摘されて、一度は下火になりました。 ーー25次元とは、まったく想像できない世界です……。 ところが1980年代に、「超弦理論の第一革命」が起こりました。基礎物理学における大きな夢に、自然界を支配している4つの力である、強い力、電磁気力、弱い力、重力をひとつの理論で説明するということがありまして、すでに重力以外の3つはゲージ場の量子論という枠組みで説明できているのですが、重力を統合することは未だにできていません。しかしこのとき、超弦理論のひとつのバージョンから、4つの力を統一的に説明できる可能性が見えてきたんです。 ーー基礎物理学の夢に一歩近づいたということですね。ちなみに、ここで提唱された超弦理論は空間の次元は何次元になるのでしょうか。 9次元で、ある程度は現実的な解釈がされるようになりました。ただし残念ながら、理論が一定の範囲内でしか使えなかったため、次第に盛り上がりは薄れていきました。その後も研究は進んでいき、1995年になると「超弦理論の第二革命」がスタートします。私はこのタイミングで大学院に入ったので、教授も学生も関係なくみんなで一緒に勉強をはじめることになりました。 ーー第二革命から20年で、最もインパクトのある発見があれば教えてください。 第一革命のころに比べると、理論で扱える範囲が広がったということも重要なのですが、一番の発見は、「ホログラフィ原理」です。たとえば、写真のネガそのものは二次元なのに、実際には立体的に見ることができますよね。それと同じような考えかたを素粒子物理学に適用できることが、超弦理論から予言されたんです。 ーー具体的な事例があれば、教えていただけますでしょうか。 以前、ブルックヘブンで、宇宙のはじまりであるビックバン直後の状態を再現する実験が行われました。ビックバン直後は4兆℃の超高温状態で、陽子や中性子を構成している素粒子「クォーク」とそれらをつなぎとめている素粒子「グルーオン」がバラバラに存在している「クォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)」状態であると考えられています。この実験では、QGPを実現することができただけではなく、QGPがサラサラであることが明らかになりました。しかし、なぜサラサラになるのかということは、クォークとグルーオンの振る舞いを説明する「量子色力学」で説明することは難しく、スーパーコンピュータを使っても現時点では説明できません。 一方で、「量子重力理論」を使うことで、さらさらのQGPができることが予言できました。もともとまったく異なる理論なのに実は同じであるという等価性を使って、難しい計算を解くことができたということです。ホログラフィ原理から得られた「4次元の量子色力学=5次元の量子重力理論」という等価性を使って、実際の物理現象を説明することができたこの研究成果は、超弦理論の予言であるとも言われています。 ーーQGP以外の物理系に適応することもできるのでしょうか。 高温超伝導物質の研究に、重力の計算が使われることもあります。強い相互作用をしている系は一般的に計算が難しくなるので、そこに重力の考えかたを輸出するということですね。 ーーホログラフィ原理は、超弦理論の正しさを示す証拠になるように思いますが、やはり「ひも」自体が見えたとなると、よりインパクトがあるように思います。今後、実験的に「ひも」を観測することはできるのでしょうか。 それはだれにもわかりません(笑)。明日わかるかもしれないし、100年後になるかもしれません。ただ現在の加速器実験の延長線上に、うようよ動いている「ひも」が見つかるということは、直接的には想定が難しいです。なぜかというと、「ひも」の特徴的な性質が観測されるエネルギースケールが1015TeVと、ものすごく大きいんです。 ーー現在の加速器実験のエネルギースケールはどれくらいなのでしょうか。 だいたい10TeVくらいです。まさに桁違いですよね。もちろん理論模型にはさまざまあり、そのなかにはもうすぐ「ひも」の振動が見えるという予想もあるので、ありえないと断定することはできないのですが。 ーー今後、どのような実験データから「ひも」の証拠を確かめることができるのでしょうか。 ビックバン直後には、「ひも」が存在するエネルギースケールがあったはずなので、当時放射された電磁波や重力波の観測が進むことによって、間接的な証拠が出てくるのではないかと思います。そうすると、当時の重力の様子がわかってくるはずです。 ーー超弦理論で考えられる9次元の世界を、私たちの見えるカタチに落としこむことはできるのでしょうか。 実はまさに、そこに取り組んでいるところです。あるアート関係の方に、超弦理論の研究者の頭のなかがどうなっているのか見たいと声をかけていただいたことがきっかけで、現在「超弦理論知覚化プロジェクト」が動いています。私たちは、高次元空間の数式を毎日のように取り扱うので高次元を見ることができるのですが、それを一般の方々に伝えることは簡単ではありません。このプロジェクトを通じて、高次元がすぐそこに潜んでいるということを、特に若い世代に伝えていきたいと思っています。 ーーアーティスト × 物理学者 というのは、素晴らしいコラボレーションですね。他にも異分野との共同プロジェクトは動いているのでしょうか。 まだ詳しくは言えないのですが、人工知能の研究も進めています。アウトリーチ活動で知り合った人工知能の研究者と飲んでいたときに、人工知能と高次元に共通項があるのではないかという話になりまして、お互いまったく違う分野ではあるのですが、プロジェクトを始動させました。このアイデアが論文になるかどうかはわかりませんが、それはそれでとてもおもしろいので、何かしら形にしていければ良いなと思っています。 ーー最後に、研究者として達成したい目標について、教えてください。 理論物理を研究していると「ああ、これは美しい関係だな」というように、自分の中に深く染み入るときがあるんです。アインシュタインも、自分自身が編み出した一般相対性理論を美しいと思ったはずなのですが、なぜ美しいと感じたかというところまでは、よくわかっていないと思うんですよね。美しいと思わせる理論には、何かしらの構造があるはず。「ひも」の正体に迫るとともに、そういうことも明らかにしていければなと思っています。
橋本幸士(はしもと・こうじ)大阪大学教授 プロフィール 1973年生まれ、大阪育ち。2000年京都大学大学院理学研究科修了。理学博士(京都大学)。カリフォルニア大学サンタバーバラ校理論物理学研究所、東京大学、理化学研究所などを経て2012年より現職。専門は理論物理学、弦理論。超弦理論と場の理論の数理を用いて、素粒子論を中心にさまざまな物理学の現象と数理構造を対象にした研究を行う。著書に『Dブレーン − 超弦理論の高次元物体が描く世界像』(東京大学出版会)、『超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義』(講談社サイエンティフィク)、『マンガ 超ひも理論をパパに習ってみた』(大阪大学出版会)など。大阪大学湯川記念室委員長、大阪大学理論科学研究拠点拠点長。『小説すばる』で連載、雑誌『パリティ』編集委員。アーティストとのコラボレーションを含め、様々なアウトリーチを行う。HPはこちら
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あなたの写真がマルハナバチを救う! - 市民参加型調査「花まるマルハナバチ国勢調査」 https://academist-cf.com/journal/?p=6012 Wed, 27 Sep 2017 01:00:50 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6012 マルハナバチの一種のオオマルハナバチ(撮影者 森島英雄)[/caption]

市民参加型調査「花まるマルハナバチ国勢調査」とは?

市民参加型調査とは、市民ボランティアの方々が行う調査のことです。私は、山形大学の横山教授、東北大学の河田教授、中静教授とともに、市民の方々が撮影した写真を収集して、マルハナバチの分布調査を行う「花まるマルハナバチ国勢調査」を開始しました。ただ、写真を集めるためには、多くの市民の方々にマルハナバチの写真を送ってもらえるよう、呼びかけなくてはいけません。そのため、ホームページFacebookTwitterのアカウントを作り、マルハナバチの写真を撮影してメールで送ってもらえるように呼びかけました。みなさんに親しみを持ってもらえるよう、マスコットキャラクターとして「はなまるちゃん」に登場してもらい、はなまるちゃんに宣伝してもらいました。 [caption id="attachment_6009" align="aligncenter" width="600"] 花まるマルハナバチ国勢調査のマスコットキャラクター「はなまるちゃん」[/caption] 写真の収集は、主に富士通の携帯フォトシステム・クラウドサービスを利用しました。メールで携帯フォトシステムにGPSデータが記録された写真を送ると、ウェブ上で管理者が写真を確認でき、写真の画像から種名を同定後、GPSデータをもとにグーグルマップ上に写真を公開できるシステムになっています。GPSデータがない写真の場合は、本文に書かれた撮影場所の住所をグーグルマップで緯度経度に変換し、ソフトウェアで写真にGPSデータとして記録してから、転送しました。写真の種の同定は、写真の映像から山形大学の横山教授が行いました。

「花まるマルハナバチ国勢調査」で集まった写真

2013年から2015年の間で4,000枚を超える写真を収集し、3,000枚を超えるマルハナバチの写真を収集することができました。日本のマルハナバチは外来種も含めて16種いるのですが、そのうち15種の写真を収集することができました(2016年には残りの1種も収集できました)。高い標高に生息する種や限られた地域に生息する種・亜種など、収集が難しいと思われた種の写真も、その地域に住んでいる市民の方たちのご協力により、たくさんの写真を収集することができました。これらの写真の位置データと種データから、マルハナバチの分布データを作成することに成功しました。

市民参加型調査の問題と解決

しかし、市民参加型調査には、常につきまとう問題があります。それは、調査バイアスです。調査されていない地域や、調査されている地域内でもデータの密度が高いところと低いところが生じてしまうのです。そのような調査バイアスを減らすために、種分布モデルによる生息地推定を行いました。分布データと環境データを使用して、その種がどのような環境に生息しているのかを種分布モデルにより推定し、それをもとに生息地を推定するため、調査されていない地域でも、生息地として推定することが可能になります。種分布モデルは、汎用性の高いMaxentを使用しました。Maxentで重複/近接した位置データを削除し、さらにバイアスファイルを設定することで、調査バイアスを減らすことができます。

マルハナバチ6種の種分布モデルによる生息地推定

生息地を推定するのは、十分に分布データが収集できた主要マルハナバチ6種(トラマルハナバチ、コマルハナバチ、オオマルハナバチ、クロマルハナバチ、ミヤママルハナバチ、ヒメマルハナバチ)に絞りました。生息地を推定した結果、トラマルハナバチの生息地が最も広く、ミヤママルハナバチやヒメマルハナバチが狭いことがわかりました。また、6種に適した気温や標高の組み合わせは異なり、トラマルハナバチ、コマルハナバチ、オオマルハナバチ、クロマルハナバチの4種は35〜70%ほどが森林で占められた場所が適していると推定されました。この「ほどほどの」森林面積は、マルハナバチにとって、里山環境(人が管理する二次林や草原、畑や水田、居住地などのモザイク)が生息地として適していることを反映していると考えられます。 [caption id="attachment_6010" align="aligncenter" width="600"] マルハナバチ6種の推定された生息地。色が青いと生息地の確率が低く、緑から赤は確率が高い。(a) トラマルハナバチ、(b) コマルハナバチ、(c) オオマルハナバチ、(d) クロマルハナバチ、(e) ミヤママルハナバチ、(f) ヒメマルハナバチ[/caption] これらのモデルをもとに、過去と未来の生息地の予測を行い、現在と過去・未来の生息地を比較することで、生息地の縮小/拡大を評価し、どの種のどの地域個体群を保全すべきか、温暖化に向けてどの地域をどのような土地利用にすべきか、具体的な保全対策を提案することを目指します。 花まるマルハナバチ国勢調査は、まだ継続しています。ぜひ、マルハナバチの写真をお送りください。あなたの写真が日本のマルハナバチを救うかもしれません。 参考文献 Suzuki-Ohno, Y., Yokoyama, J., Nakashizuka, T., and Kawata, M. (2017) Utilization of photographs taken by citizens for estimating bumblebee distributions. Scientific Reports 7, doi: 10.1038/s41598-017-10581-x. 大野ゆかり、横山潤、中静透、河田雅圭 市民が撮影した写真による生物観測情報の収集,問題点と解決方法 種生物学研究(印刷中、種生物学会のウェブページで公開予定)]]>
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地球はやっぱり丸かった?!- 物質を最適な方法で運ぶ理論を用いて物の形を理解する https://academist-cf.com/journal/?p=6029 Wed, 04 Oct 2017 01:00:28 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6029 突然ですが問題です! 橋本と調布にパン工場があり、これらを我らが南大沢と新宿の喫茶店に運びます。橋本と調布からはともに200個のパンを出荷し、そして南大沢には150個、新宿には250個のパンを入荷します。パンひとつあたりの輸送費用が
橋本から南大沢は1円、橋本から新宿は4円、調布から南大沢は2円、調布から新宿は1円
であるとき、一番安く運ぶ方法(最適解)は何でしょうか? 問題を図で書くと以下のようになります。 感覚として近くに運ぶと安いと知っているので

橋本→南大沢:150個、調布→南大沢:0個、橋本→新宿:50個、調布→新宿:200個

という運び方が最適で、輸送費用は550円だとわかります。しかしこれが最適だという根拠が直感だけでは心許ないので、連立方程式による厳密な証明を考えてみましょう。 橋本から南大沢に𝑎個、調布から南大沢に𝑏個運ぶとすると、橋本から新宿に(200 − 𝑎)個、調布から新宿に(200 − 𝑏)個運ぶことになります。このとき𝑎 + 𝑏 = 150に注意すると、輸送費用は

1 × 𝑎 + 2 × 𝑏 + 4 × (200 − 𝑎) + 1 × (200 − 𝑏) = 1000 − 3𝑎 + 𝑏 = 550 + 4𝑏

となります。そして0 ≤ 𝑎, 𝑏 ≤ 150なので、輸送費用は𝑏 = 0のとき最も安い550円となります。 このように出荷地と入荷地の数が少ないときは直感が働き、連立不等式を解くこともそんなに難しくありません。しかし出荷地も入荷地もたくさんありその配置が複雑な場合は、直感は働きづらく、そして未知数が増えるため連立不等式を解くことも大変になります。 たとえば秋の味覚、梨を運んでみましょう。相模原線沿線では京王稲田堤の付近で梨狩りができ、稲田堤では相模原線と立川と川崎を繋ぐ南武線が十字に交差しています。そこで梨を立川・稲田堤・川崎の3か所から橋本・南大沢・調布の3か所に以下の量と費用で運ぶとき、最適解は何でしょうか? これを漠然とした直感(や連立方程式で)解くのは大変なので、「近くに運べば安い」と直感を数学の言葉で表し確固たる理論にし、そしてその理論に基づき最適解を探してみましょう。

北西隅法とモンジュ性

出入荷地が沢山あっても、それらが横に一直線上に並んでいれば近くへ運ぶ方法は簡単に決められます:左端の出荷地から左端の入荷地へ運び、出荷地が空になったら右隣の出荷地に、入荷地が一杯になったら右隣の入荷地に移りどんどん運べば良いのです。この近場へ順々に運ぶ方法は、表の左上のマスから目一杯どんどん埋めていく方法として一般化され、「北西隅法」と呼ばれます。 ここで、表の左端には出荷地が縦に、上端には入荷地が横に書かれているとします。そして北西隅法が最適解であるためには表の並びが近い順である必要があり、それは「費用がモンジュ性を満たす」ことで定義されます。出荷地が𝑛個、入荷地が𝑚個あり、表の上から𝑖番目の出荷地から、表の左からj番目の入荷地への輸送費用が𝑐𝑖𝑗円であるとき、この費用がモンジュ性を満たすとは任意の1 ≤ 𝑖 < 𝐼 ≤ 𝑛, 1 ≤ 𝑗 < 𝐽 ≤ 𝑚に対し

𝑐𝑖𝑗 + 𝑐𝐼𝐽 ≤ 𝑐𝑖𝐽 +𝑐𝐼𝑗

が成り立つことです。たとえば、𝑛 = 𝑚 = 2ならば 𝑖 = 1, 𝐼 = 2, 𝑗 = 1, 𝐽 = 2の場合のみを考えれば良いので

𝑐11 + 𝑐22 ≤ 𝑐12 + 𝑐21

が成り立つとき、費用はモンジュ性を満たします。そして実際に、費用がモンジュ性を満たすならば北西隅法が最適解になります。たとえば、最初のパンを運ぶ問題の最適解を、北西隅法を用いて考えてみましょう。 これは最適解でありませんが、それは費用がモンジュ性を満たさないからです。そこで表の新宿と南大沢の位置を変えれば費用はモンジュ性を満たし、このときの北西隅法は最適解になります。
ちなみに梨の輸送費用もモンジュ性を満たしているので、北西隅法が最適解となります。しかし費用によってはどのように並び替えてもモンジュ性を満たさないものがあります。そのような場合は北西隅法を飛び石法により改善することで、最適解が得られることが知られています(たとえば梨を運ぶ問題で、川崎から橋本への輸送費用を37円から36円にすると、どのように並び替えても費用はモンジュ性を満たしません)。



物を運ぶと形がわかる

では
パンのような固体ではなく、水のような物質を輸送する場合はどのような輸送が最適解となるでしょうか? たとえば、円盤状の水たまりを他の場所に移すとします(ただし最初と最後の円盤の形は同じとします)。このとき平行移動が最適な輸送に思えます。実際、輸送費用が距離の二乗に比例するときは、最短線に沿った輸送が最適となります。そこで平面上では平行移動による輸送が最適となり、そして水の形は元の円盤の形を保ったまま運ばれます。 しかし地球は平面ではなく曲がっています。たとえば水を北極から南極へ運ぶとすれば、北極と南極を通る最短線は経線なので、経線に沿った輸送が最適となります。そして北極(点)と南極(点)の中点がなす集合が赤道全体(曲線)になるように、輸送途中の水の形は元の円盤の形と異なり、特に途中経過のどこの水の形を見ても元の円盤よりも広がっています。これは地球が正に曲がっていることにより起きる現象です(ちなみに途中経過のどこの水の形を見ても元の円盤よりも縮まる空間は負に曲がっていると考えられ、その代表例は双曲平面と呼ばれる曲面です)。 このように物質を最適な方法で運ぶことで、私たちは宇宙に出ることなく地球上にいるまま、地球が正に曲がっていることを知ることができます(しかし丸いかどうかはこれだけではわかりません)。
私の研究は、このような理論(最適輸送理論)を用いて物の形や形ごとに定まる性質を調べること(幾何解析)です。 参考文献 1. R.E.Burkard, B.Klinz, R.Rudolf,“Perspectives of Monge properties in optimization”,Discrete Appl. Math.(1996),95—161. 2. 刀根 薫, “オペレーションズ・リサーチ読本(増補版)”, 日本評論社(1991). 3.桑江一洋,塩谷隆,太田慎一,高津飛鳥,桒田和正,“最適輸送理論とリッチ曲率”, 日本数学会 (2017).]]>
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植物の種子は隣が何者か知っている - 種子による周辺環境の把握は想像以上に巧妙だった https://academist-cf.com/journal/?p=6046 Mon, 02 Oct 2017 01:00:52 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6046 情報の統合処理とは? 私たちが生きる世界は、情報で溢れています。私たちは、食物を獲得し、外敵から逃れ、配偶者を得て繁栄するために、必要なときに必要な情報を利用する能力を進化させてきました。過酷な環境でも生き残り、子孫を残すためには、さまざまな情報を総合的に考慮して決定を下し、最適にふるまう必要があります。 動物は、複雑に絡み合う複数の情報を考慮(統合処理)し、決定を下す能力をもっています。このような情報統合は、脳などの中枢神経系を介しておこなわれる高度な情報処理機構として、動物に特有のものと考えられてきました。 一方で、発達した中枢神経系をもたない植物においても、近隣の競争相手や土壌養分の存在といった複数の情報を統合処理し、根の成長パターンを変化させることが近年明らかにされてきました。植物は、葉や根などの各組織や細胞で受容したシグナルを、組織間または細胞間で伝達しあうことで各情報を統合するシステムを備えていると考えられています。

胚をとりまく生物的環境

ヒトを含む哺乳類は、母親が子宮内で胚を保護し、ある程度成熟してから生み出されます。一方、卵生動物や植物では、胚は卵や種子の状態で外環境へ放出されるため、母親の保護や制御から離れ、捕食や競争などの多種多様なストレスに晒されます。孵化したばかりの子や発芽したばかりの芽生えは、成長段階のなかで最も脆弱な存在であるため、胚は、生き抜くために適切なタイミングを推し量って出てくる必要があると考えられます。このような状況下では、胚は未熟ながらも外環境の複雑な情報を収集し、それに基づいて孵化や発芽のタイミングを決定している可能性があります。 この予測を確かめるため、私たちは身近な雑草であるオオバコを使って検証することにしました。オオバコは、野外で複数の個体が集団を形成して生育しています。ひとつのオオバコの集団のなかには、遺伝的に近い個体や遠い個体が混在している場合があり、それらの個体と長期間関わり合いながら生育しています。同種の競争者に加えて、シロツメクサのような他種の競争者もオオバコの集団を取り巻いています。オオバコの種子は、特別な撹乱が生じない限りその場所に留まり、競争にうち勝たなくては生きていけません。オオバコの種子は、周囲の状況を認識し、自らのふるまいを変えることができるのでしょうか。 [caption id="attachment_6064" align="aligncenter" width="600"] オオバコの生育環境[/caption] 私たちは、オオバコの種子が、「同種の種子の遺伝的類似性」と「他種の存在」という2種類の異なる情報に応じて異なる発芽応答を示すのかを検証することで、植物の胚による情報の統合処理の可能性を探ることにしました。

種子はどのように応答するか

(1)異なる情報に対する応答 はじめに、一緒に播種された同種の種子の存在や遺伝的な類似性、または他種の種子の存在というそれぞれの情報に対して、オオバコの種子がどのような発芽応答を示すのかを調べました。同じ親株から採取された“遺伝的類似性の高い同種の種子”と、異なる集団の親株から採取された“遺伝的類似性の低い同種の種子”、そしてオオバコと競争関係にあるシロツメクサの種子を“他種の種子”として扱い、それぞれオオバコの種子と一対一で湿らせた砂を敷いた栽培容器のなかに播種して発芽のタイミングを調べました。 その結果、それぞれの種子と一緒にされた場合でも単独で播種された場合と同じように発芽することがわかりました。オオバコは、同種や他種の存在といったそれぞれの刺激に対しては、特別な発芽応答を示しませんでした。 (2)情報の組み合わせに対する応答 次に、2つの情報が同時に与えられた場合の種子の応答を調べました。ひとつの栽培容器に、遺伝的類似性の高いオオバコの種子、遺伝的類似性の低いオオバコの種子、シロツメクサの種子を、それぞれ組み合わせを変えて2つもしくは3つずつ入れ、観察対象とするオオバコの種子の発芽タイミングがどのように変わるかを調査しました。 すると、遺伝的に近い種子と一緒にシロツメクサの種子を播種された場合のみ、他の場合よりも1日ほど早く発芽することが判明しました。これは、オオバコの種子が同種の遺伝的類似性と他種の存在という異なる2つの情報を統合し、発芽タイミングを変えていることを示しています。 [caption id="attachment_6066" align="aligncenter" width="600"] 近隣の種子に対するオオバコ種子の発芽応答[/caption] 解析を進めると、さらに興味深いこともわかってきました。一緒に播種された同種の種子間の発芽日のずれ(発芽の同期程度)を調べたところ、他種に遭遇した遺伝的に近い種子同士は、他種に遭遇していない場合に比べてより同期して発芽していたのです。 同期して発芽するためには、相手の発芽タイミングを推し量り、自身の発芽タイミングを合わせるという精緻な発芽タイミングの調節が必要となります。これは、オオバコの種子同士が互いに何らかの情報のやり取り、すなわちコミュニケーションを行っていることを示唆しています。このような現象は“Embryonic communication(胚間コミュニケーション)”と呼ばれ、カメやヘビなど動物の胚が、隣の胚と振動情報をやり取りすることで同期孵化を成し遂げる例などが知られています。オオバコの種子の同期発芽は、植物で胚間コミュニケーションの存在を示唆したはじめての例となりました。

どのようにしてふるまいを決定するのか

種子による周辺状況の把握やコミュニケーションは、どのような手がかり(キュー)を用いて達成されているのでしょうか。種子は、発芽する前に周囲から水分を取り込みます。私たちは、取り込まれた水に含まれる化学物質を種子内部の胚が受容しているのではないかと予想しました。 それぞれの種子を水に浸して抽出液をつくり、オオバコの種子に与えてみました。予想したとおり、近縁の種子とシロツメクサの種子の抽出液を与えた場合にのみ、オオバコの種子は発芽タイミングを早めることがわかりました。加えて、隣の種子との発芽の同期程度を調べたところ、シロツメクサの種子の抽出液を与えた場合のみ、近縁の種子と同期して発芽していました。 [caption id="attachment_6067" align="aligncenter" width="600"] 水抽出物実験の結果[/caption] 興味深いことに、濃度の薄いシロツメクサの種子の抽出液(3日間抽出)では、発芽が早まることはありませんでしたが、同期発芽だけが観察されました。このことから、発芽を早めることよりも同期して発芽するという応答が優先的に発現されると考えられます。種子が水溶性の化学物質を受容できることは多くの種でも確認されていることから、オオバコ以外の種子でも、周辺の生物由来の化学物質を利用した情報統合やコミュニケーション能力が普遍的に獲得されている可能性が高いと、私たちは考えています。

今後の展開

本研究により、1)植物の種子が複数の情報に基づく意思決定、すなわち情報統合が可能であること、2)種子は遺伝的に近い種子と同期して発芽すること、が明らかになりました。植物の種子がどのようにして情報統合やコミュニケーションを成し遂げているのか、水溶性の化学物質の分析を含め、種子の情報受容処理システムの全貌の解明は、私たちの次の目標のひとつです。 また、このような種子の能力が、植物の生存においてどのような役割を果たしているのかも、まだ大きな謎として残されています。私たちは、植物の種子が近隣個体の遺伝的類似性に応じて異なる戦略を備えることで、他種との競争に優位にふるまっていると予測しています。これらの疑問についても、今後長期的な栽培実験を施行するなどして解明を目指したいと考えています。 参考文献 Yamawo A., Mukai H. (2017) Seeds integrate biological information about conspecific and allospecific neighbours. Proceedings of the Royal Society B. 284: 1857.]]>
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IPAカードを作り、音声学の魅力を広めたい!- あらゆる言語の音声を記述する https://academist-cf.com/journal/?p=6073 Mon, 02 Oct 2017 09:00:19 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6073 そこで今回、認知心理学・言語心理学を専門としている専修大学・平田佐智子博士は、IPAのカードを作ることにより、音声学の普及を目指していくために、クラウドファンディングに挑戦します。注目のリターンはもちろん、平田さんの作成した「IPAカード」です。音声学について興味のある皆さまは、ぜひプロジェクトページをご覧ください! [caption id="attachment_6075" align="aligncenter" width="600"] リターンで提供されるIPAカード(イメージ図)[/caption]]]> 6073 0 0 0 まるでSFの世界? - 光刺激の有無で流れる、固まる、変形自在な物質の創出 https://academist-cf.com/journal/?p=6093 Tue, 10 Oct 2017 01:00:04 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6093 SFの世界の変形自在な物質 突然ですが、この記事をご覧の皆さんは、映画ターミネーター2または最近ではターミネーター: 新起動/ジェニシスを観たことがありますか? 私は幼いころ、旅行中にこの映画を見ました。ロサンゼルスへの旅行だったそうですが、観光のことをほとんど覚えていないのに、そのときに観たこの映画のことを鮮明に覚えています。ターミネーター2にはT-1000という悪役アンドロイドが登場します。T-1000は、攻撃されて傷ついても液状化して修復し、人が通れないような狭い隙間でも自在に変形して通り抜けることができます。また、ときには自らの一部を剣や槍のような鋭い刃物に変形させて襲い掛かってくるのです。 映画の解説コラムではないので、そんなT-1000をどうやって倒すのか続きを知りたい方には映画を観ていただくとしましょう。現代の科学技術では、T-1000のように変形自在なアンドロイドをつくることはできません。また、そのようなことを可能とする物質も開発されていません。T-1000を構成するような変形自在な物質が開発されれば、(使い方さえ間違えなければ)きっと人類社会の発展に大きく寄与してくれることでしょう。では、どのような戦略で研究を進めれば、SF映画のなかの産物を現実化できるのでしょうか?

物質の流動状態の制御とその方法論

T-1000の機能の一端を物質科学の言葉で表現すると、「意図した部分のみを自在に流動化・非流動化させることができ、かつ粘弾性をも制御可能な物質」ということになるでしょう。物質の流動化・非流動化は、水と氷のあいだの相転移のように私たちの身のまわりに日常的に見られる現象で、そのほとんどが熱刺激によって引き起こされます。しかしながら、「意図した部分のみ」を流動化・非流動化させることは困難です。熱刺激はすぐに周囲に伝わってしまうからです。 一方、最近になって光刺激によって流動化・非流動化する低分子物質群が見出され、広く研究され始めています。光刺激には「意図した部分のみ」に作用させられる利点があります。これらの物質は、光刺激によってシス体とトランス体とのあいだで立体配座が変化(光異性化)することで知られるアゾベンゼンを含みます。アゾベンゼンが平面的なトランス体であるときには分子が配列しやすく結晶状態となります。しかし、光異性化してシス体になると折れ曲がったような構造となるため、配列できずに融解します。 これらの物質には確かに流動・非流動状態の制御が可能です。しかし、結晶性の固体、液体、またはそれらの混合物となるため粘弾性を思いどおりに制御することが困難でした。粘弾性とは、固体のような弾性体、および液体のような粘性体としての振る舞いをあわせた性質のことです。ほどよい粘弾性を持つ身のまわりの物質としては、たとえばお菓子のグミがわかりやすいでしょう。

光刺激で粘弾性を操る

わたしたちの身のまわりの多くの物質は粘弾性体として振る舞い、そのひとつにゲルがあります。ゲル材料の流動化・非流動化は、ゾルゲル転移に代表されるように古くから研究されてきました。しかし、ゲルを構成する溶媒成分は、蒸発して性質を変化させてしまうという決定的な問題がありました。いつの間にか溶媒が蒸発してT-1000がミミズのように干からびてしまったら、シュワちゃんの出番もなくなってしまいます。 そこでわたしたちは、ゲルと同様の粘弾性体である高分子のみを使って、溶媒成分を用いることなく物質の流動化・非流動化を達成できないか考えました。高分子には側鎖にさまざまな機能性官能基を導入することで材料に望みどおりの性質を賦与できる利点もあります。こうした研究展開に関連して、ごく最近、アゾベンゼンを側鎖に持つ高分子に光刺激を与えると、ガラス転移温度が室温を境に上下で変化することが報告されました。 ガラス転移温度とは、高分子物質がゴム状態とガラス状態とのあいだで変化する温度のことです。たとえばチューインガムに使用されているポリ酢酸ビニルのガラス転移温度は30℃程度であるため、室温(25℃程度)では硬いガラス状態ですが、口に含むと体温(37℃程度)によって温められ柔らかいゴム状態となります。したがって、この研究では側鎖の性質をうまく利用して溶媒成分を用いることなく粘弾性を制御した点で注目に値します。ところが、この高分子は流動・非流動状態を制御するための機能を側鎖によって実現しているため、側鎖の改変を通じてそれ以外の機能を施す余地がほとんどありません。その一方で、これまで述べてきた問題をすべて解決して物質の流動状態を操る有効な方法論もありませんでした。

繰り返し切断・再生可能な網目状高分子

わたしたちは、ナマコの生体機能に着目しました。ナマコのなかには海水から取り出されて力学的刺激を受けると流動し、また海水に入れると非流動状態となり最終的には元の形にまで戻るものがいます。最近、ナマコの流動・非流動メカニズムは、コラーゲン繊維の架橋・解架橋によるものと説明されました。ナマコはもちろん水を含んだゲル状態ですが、溶媒成分を含まずとも架橋・解架橋メカニズムによって流動化・非流動化する人工物質があってもよいのではないかと考えました。その鍵となったのが、ポリジメチルシロキサン(PDMS)と呼ばれるシリコーン系の高分子です。PDMSはシリコーンオイルやグリースとしても用いられますが、その架橋体はシリコーン樹脂としても知られています。 今回、光刺激に応答して切断・再形成可能な原子団を分子鎖中に導入した網目状PDMSを合成し、網目状と星型との間で高分子形状を自在に切り換えられるようにしました。すると、シリコーン樹脂と同様に網目状PDMSには流動性がなく、星型PDMSにはシリコーンオイルのような流動性があることがわかりました。さらに、合成した網目状PDMSに紫外光を照射すると、照射した部分のみが分子鎖の切断に伴って流動することを突き止めました。 これで完全決着かと思っていたのですが、論文を投稿した際には紫外光があたった部分のみ温度が上がって流動したのではないか、という指摘もありました。そこで、サンプルの温度を一定に保ち、近傍の温度変化をモニタリングしながら光照射時の粘弾性を測定することにしました。この測定が揺るがぬ証拠となり、わたしたちの合成した網目状PDMSの流動化・非流動化が確かに光刺激によって引き起こされていることを実証するに至りました。わたしたちの研究にご協力いただきました皆様と、研究の完成度をここまで高めてくれたReviewerには本当に感謝しています。この報告に続いて、最近では異なる2波長の光刺激を与えることで、高分子材料の粘弾性を上げたり下げたりすることにも成功しています。

今後の展開

今回合成した物質は、ちょうど柔らかいゼリーのような状態と液体状態との間で流動状態が変化します。用途に合わせた細かな分子設計上のチューニングは必須でしょうが、たとえば光をあてると剥がれる接着剤などでしたら今回の粘弾性の変化で十分かもしれません。しかし、わたしたちにとっての次なる目標は、より大きな粘弾性の変化を生み出すことです。と言っても鋭い刃物のような硬さを求めているわけではなく、具体的には人間の皮膚と同等の粘弾性までを自在に操れるようにしたいと考えています。人間の皮膚に近い質感を持つ人工皮膚への応用実績があることも、実はシリコーン樹脂に着目した理由のひとつです。より人間の皮膚に近い質感を持ちながら光刺激によって自在に変形する材料を開発することが、この研究のひとつのゴールだと考えています。 ターミネーター2では、T-1000は2029年から1990年代に送り込まれてきたという設定になっていたかと思います。当時からみれば30〜40年後の遥か未来の話でしたが、現在から考えると2029年まで12年しか残されていません。あと10年でどこまでいけるか、楽しみにしていてください。 参考文献 S. Honda, T. Toyota, “Photo-triggered solvent-free metamorphosis of polymeric materials”, Nat. Commun., 8, 502, 2017 S. Honda, N. Tanaka, T. Toyota, “Synthesis of Star-Shaped Poly(n-Butyl Acrylate) Oligomers with Coumarin End Groups and Their Networks for a UV-Tunable Viscoelastic Material”, J. Polym. Sci., Part A: Polym. Chem., 2017, in press. DOI: 10.1002/pola.28777]]>
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気候の激変で幕を開けた千葉時代 - 77万年前頃の初期チバニアン期で起きたこと https://academist-cf.com/journal/?p=6101 Fri, 06 Oct 2017 01:00:23 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6101 氷河期には海水が重くなる 第四紀の気候は氷期・間氷期サイクルで特徴づけられます。そのサイクルは、地球の公転軌道や自転軸の傾斜角などが作る日射量の地理的分布の変化がペースメーカーとなって作られています。氷期・間氷期変動は主にグリーンランド・北米など北半球高緯度の氷床が拡大・縮小を繰り返して起こり、同時に100mを超える海水準の変動も起こります。さらに、海水の酸素同位体比(δ18O、質量数16の酸素 16Oに対する質量数18の酸素18Oの割合)も変化します。 海水の蒸発時には軽い水(H216O)がより高い比率で蒸発します。よって氷床の元となる雪には軽い水が濃縮されることになります。氷期には氷床として軽い水がより多く陸揚げされたままになるため、残された海水は重くなりδ18Oが増加します。過去の海水のδ18Oは有孔虫化石に記録されており、水温変化が少ない深海底に棲む底生有孔虫の化石からは世界中でほぼ同じδ18O変動が得られます。 今では、氷期/間氷期はこのδ18O変動で定義され、δ18Oの増加(氷床拡大、海面低下)イベントには偶数の、δ18Oの減少(氷床縮小、海面上昇)イベントには奇数の番号が、年代の若い方から順に付けられています。1万1700年前~現在に至る温暖な完新世は間氷期になります。番号1が割り当てられ海洋酸素同位体ステージ(Marine oxygen Isotope Stage, MIS)1と呼ばれます。昔の教科書に載っているウルム氷期はMIS 2-4に相当し、同氷期の真中あたりにやや温暖な亜間氷期MIS 3がはさまれています。

今注目の間氷期MIS 19

79万〜76万年前の間氷期MIS 19は、地球軌道の状況が完新世に近いことからその気候記録から将来の気候が予測できるとして注目されています。また、最後の地磁気逆転がこのなかで起こっており、そのとき増えた宇宙線がもたらした寒冷化の発見は長年議論されてきた地磁気と気候リンクの証拠として注目を浴びています。 さらに、最近MIS 19の後半に見つかった千年スケールの多数の気候イベントは新たな議論を巻き起こしています。そして、未定であった中期更新世の始まりがMIS 19のなかに定義されようとしており、今や地質学的にも注目される間氷期です。現在、国際地質学連合の下部組織がその国際標準模式層断面および地点(GSSP)を選考中です。千葉県市原市の千葉セクションはそのGSSPの候補地として、チバニアンという中期更新世を表す名称の提案とともに申請中です。 [caption id="attachment_6097" align="aligncenter" width="600"] 地質時代(層序)区分と最近見つかった中期更新世の直前~最初期のイベント[/caption]

チバニアン期(千葉時代)初期に繰り返した気候の激変

私たちは千葉セクションの近くで掘削した海成層のコア試料から、超高解像度(10年間隔)の古海洋環境記録を得ました。この記録と大阪湾、北大西洋中緯度の記録から、中期更新世(チバニアン期、千葉時代―仮称)初期の、数mの海水準変動を伴う氷床の拡大・縮小を500年~2000年間隔でくり返す激しい気候変化を明らかにしました。北太平洋と北大西洋で同時に起こるこの気候変化の一部には、北大西洋の大量の氷山流出が関係している証拠も見つけました。 [caption id="attachment_6098" align="aligncenter" width="600"] 北大西洋高緯度域へ熱が輸送される通常時(左)と熱輸送が停止する大量氷山流出イベント時(右)の様子。グリーンランド東の点線円は、低温高塩分の北大西洋深層水の沈み込み口域を表す[/caption] これらの気候イベントは7万年前から2万年前にかけて起こったダンスガード・オシュガー(D-O)イベントに特徴が似ています。D-Oイベントは数百年~3000年ほど続く温暖期(亜間氷期)と寒冷期(亜氷期)の20回に及ぶ繰り返しです。寒冷期のなかには北大西洋における大量の氷山流出イベントと同時に起こったものもあります。この寒冷期には、日本列島を含む東アジアでは、気温低下に加え、夏季降水量の減少が起こりました。

銀河宇宙線による寒冷化

銀河宇宙線が増えれば下層雲が増え、銀河宇宙線が減れば下層雲が減るという両者のあいだの正の相関(スベンスマルク効果)は銀河宇宙線が気候に影響を及ぼす可能性を示唆しています。正の電荷をもつ銀河宇宙線は地球と太陽の磁場によってシールドされており、磁場が弱まれば大量の銀河宇宙線が地表に降ってきます。このように銀河宇宙線量を制御している地磁気と太陽磁場も気候に影響を及ぼす可能性が出てきます。 [caption id="attachment_6099" align="aligncenter" width="600"] 地磁気と太陽磁場は銀河宇宙線を制御し、その結果下層雲量も制御している[/caption] 大阪湾の海底堆積物コアで見つかったMIS 19の最高海水準期付近の寒冷化は約5000年間続いており、その期間は地磁気強度が40%以上減少し、銀河宇宙線量が40%以上増加した期間にぴったり一致します。このことから、同寒冷化は銀河宇宙線の増加により増えた下層雲の日傘効果が原因だと考えられています。本来なら、最高海水準期に合わせて気温もピークを取るのですが、この寒冷化が起こったことで少なくとも中緯度域の最温暖期は地球磁場逆転後に地磁気強度が40%以上に回復するまで遅らされています。それは最高海水準期の4000年後です。同様の遅れは北大西洋中緯度域の海表面水温でも起こっています。

太陽活動がリズムをとる急激な温暖化、それを終わらせる突然の寒冷化

銀河宇宙線による寒冷化が遅らせた最温暖期のなかで、チバニアン期(千葉時代)最初の、かつ極めて特徴的な温暖イベントが起こりました。それは約200年の周期で振動しながら急激に温暖化して800年後にピークに達した後、大量の氷山が北大西洋中緯度域まで到達する大寒冷イベントにより突然(わずか50年で)元に戻る現象です。 これを見ると、SF映画「デイ・アフター・トゥモロー」の地球温暖化によって突然訪れる氷河期が現実味を帯びてきます。北大西洋では高塩分のメキシコ湾流が赤道域から熱を運び、北上するにつれて同海流の海水は冷やされて低温高塩分水となって、グリーンランド近海で海底に沈みこんで北大西洋深層水を形成しています。その深層水は大西洋底を南下し、インド洋底を経由して太平洋底まで行き、そこで海表面に浮上して最終的に大西洋に戻る海水の熱塩循環を構成しています。大量の氷山流出は北大西洋の中高緯度域に融氷水をまき散らし、海表面を低塩分化させます。その結果、海水の熱塩循環が止まり、熱の輸送が停止して北大西洋上の気温がいっきに低下したと考えられます。その影響は大気を通じてすぐに北太平洋にも及びます。 この200年の周期性を伴う急激な温暖化が大寒冷イベントで突然停止するパターンは最温暖期中に2度繰り返し、その約1万年後の第2の温暖期にもう1度起こりました。約200年の周期は太陽活動のde Vriesサイクルである可能性が高く、その現象が起こった期間の気候は太陽活動に敏感だったことになります。太陽放射の僅かな変化が、銀河宇宙線を介した雲量変化により増幅されて気候に現れた可能性があります。 これら千葉時代開始期の気候現象は、地質学的重要性とは別に、地球の気候システムそのものを理解していくうえで重要な要素を含んでいます。今後、他の地域でも高解像度気候記録を取得して、同気候現象の広がりを調べていくことが重要です。 参考文献 Hyodo, M., Bradák, B., Okada, M., Katoh, S., Kitaba, I., Dettman, D.L., Hayashi, H., Kumazawa, K., Hirose, K., Kazaoka, O., Shikoku, K., and Kitamura, A. (2017) Millennial-scale northern Hemisphere Atlantic-Pacific climate teleconnections in the earliest Middle Pleistocene, Scientific Reports, 7, 10036 doi:10.1038/s41598-017-10552-2. Kitaba, I., Hyodo, M., Katoh, S., Dettman, D.L., Sato, H. (2013) Mid-latitude cooling caused by geomagnetic field minimum during polarity reversal, Proc. Natl Acad. Sci. USA, 110, 1215-1220, doi: 10.1073/pnas.1213389110.]]>
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ゴムの破壊の物理学 -「速度ジャンプ」はなぜ起きるのか? https://academist-cf.com/journal/?p=6108 Thu, 12 Oct 2017 01:00:10 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6108 ゴム風船が割れるとき、大きな音とともに一気に破裂してびっくりした経験は誰しもあると思います。一方で、あまり膨らんでいないゴム風船に針などで穴をあけても、穴はそれほど広がらずゆっくりと空気が抜けていきます。このように、ゴムには高速破壊と低速破壊の2つの破壊形態があります。

低速破壊から高速破壊への変化は「速度ジャンプ」と呼ばれています。速度ジャンプは科学的に面白い現象であるだけでなく、高い耐久性や耐摩耗性を持ったゴム製品の開発にも密接に関係しており、工学的、産業的にも重要な現象です。ところが、速度ジャンプは60年前から知られている現象でありながら、なぜ起きるのかがわかっていませんでした。最近、我々の研究グループでは、ゴムの破壊現象の本質を抽出した「単純な数理モデル」を構築し、その数学的な解をもとにして、速度ジャンプの発生するメカニズムを理論的に解明しました。

ゴムの速度ジャンプとは?

上で述べたようにゴム風船を使って実験すると、風船内部の圧力や風船の形状などさまざまな要素がゴムの破壊に関係します。ここでは問題の焦点を絞るために、下図のようなシンプルな設定の実験を考えます。下図の設定で、最初に与えたひずみ(上下にいくら引っ張ったか)と亀裂(破れ)の進展する速度を測定します。一度の実験でゴムシートは完全に破れるので、破れていない同じゴムシートを用意してひずみを変えながら何度も測定を行い、ひずみと速度の関係を調べます。 [caption id="attachment_6137" align="aligncenter" width="600"] 速度ジャンプの実験方法。横長のゴムシートを縦方向(短い方向)に引っ張って固定することにより「ひずみ」を与えてから、端に初期亀裂を与えると横方向に亀裂が進展する。しばらくたって亀裂の進展する速度が一定となったときにその速度を測定する[/caption] さて、どのような実験結果が得られるでしょうか? 典型的には下図のようになります。 [caption id="attachment_6138" align="aligncenter" width="600"] ひずみと速度の関係の両対数グラフ。両対数グラフでは、1目盛りが10倍、2目盛りが100倍、3目盛りが1000倍に対応する。ひずみがある臨界値を超えるときに急激な速度の上昇「速度ジャンプ」が観測される[/caption] ひずみを大きくすると速度が大きくなることが予想できると思いますが、実はそれだけではありません。ひずみがある臨界値を超えるときに、数千倍もの急激な速度上昇が起きるのです。これが「速度ジャンプ」です。速度ジャンプを境に、秒速1mm未満の遅い亀裂進展が、秒速1m以上の速い亀裂進展に急激に転移します。このような速度ジャンプは、天然ゴムや合成ゴムで実験条件を変えても観測される普遍的な現象です。しかしながら、1956年に報告されて以来、60年間その発生メカニズムは未解明でした。

亀裂進展を模倣した数理モデルを構築

我々は、速度ジャンプが起こるメカニズムを明らかにするために、なるべく単純な数理モデルを構築し、数学的に解析することにしました。もし、単純な数理モデルが速度ジャンプを示せば、そのモデルが速度ジャンプの本質を捕らえていると考えられるからです。我々は、下図Aのような通常よく使われる格子モデルを、下図Bのように亀裂進展問題に特化させて単純化しました。このように単純化しても、下図Cのように亀裂進展を扱えるからです。この単純化により、そのままでは数学的に解けない亀裂進展の問題が解けるようになります。 [caption id="attachment_6112" align="aligncenter" width="600"] (A) ゴムシートを格子状に並んだ質点(図の黒丸)で代表した標準的なモデル。(B) 本研究で考案した数理モデル。亀裂が進展していく先の質点だけを考えることで、問題が大幅に簡単化される。(C) 亀裂は1〜3の手順を繰り返して右に進む[/caption] さらに我々は、上図Bの数理モデルに、ゴムの持つ重要な性質である「ガラス化」の効果を取り入れました。(ガラス化とは、ゴムを速くひっぱると約1000倍硬くなる現象です。次節で詳しく説明します。)すると、この数理モデルの数学的な解から、下図のように速度ジャンプが再現されました。逆に、このガラス化の効果を取り入れない数理モデルを数学的に解くと、速度ジャンプは起こりませんでした。つまり、速度ジャンプの出現にはゴムのガラス化が本質的だとわかりました。 [caption id="attachment_6139" align="aligncenter" width="600"] 本研究で構築した数理モデルを数学的に解いた結果の両対数グラフ。実験で観測されている速度ジャンプを再現する[/caption]

ゴムは速くひっぱると1000倍硬く振る舞う

ここで少し脱線して、ゴムを速くひっぱると硬くなる現象「ガラス化」について説明します。ゴムは、とても長いひも状の高分子の集まり(生ゴム)を、加硫と呼ばれる化学反応によって結びつけた物質です。たとえるなら、茹でたてのざるそばの一本一本が、ところどころ結びついていてひとつの塊になっているような物質です。ただし、ゴムのひも状高分子は、ざるそばと違ってミクロな分子であるため、激しい熱運動をしています。つまり、「激しく熱運動するざるそば」というのが、分子レベルでのゴムの正しいイメージです。このために、ゴムはひっぱる速さによって異なる3つの性質を示します。 まず、ゴムをゆっくりひっぱると、しなやかに熱運動するひも状高分子を引き延ばすことになり、我々が日常的に目にする柔らかいバネのように振る舞います。次に、ゴムを少し早くひっぱると発熱します。(たとえば、輪ゴムを早くひっぱると発熱が確かめられます。)最後に、熱運動よりも速くひっぱると、ゴムを構成するひも状高分子は熱運動できずに硬い棒のように振る舞い、ゴムはガラスのように硬くてもろい状態になります。この状態になることを「ガラス化」と言います。これは、茹でる前の乾燥したざるそばが硬くて脆いことに対応します。

速度ジャンプの起源は「亀裂先端のガラス化」

我々は、今回構築した数理モデルを数学的に詳細に分析することで、60年前からの謎であった速度ジャンプが起こるメカニズムを明らかにしました。遅い亀裂進展のときには、下図Aのようにゴムシート全体が柔らかいままで、亀裂先端だけは少し早くひっぱられるので、発熱しながらゆっくりと亀裂が進展していきます。ところが、亀裂の進展速度がある限界値に達すると、下図Bのように亀裂の先端でゴムの「ガラス化」が起こり、それにより速度ジャンプが起こって一気に裂けるのです。たとえば、柔らかいプラスチックはゆっくりとしか引き裂けませんが、硬いガラスは一瞬で粉々になるのと同じです。 [caption id="attachment_6114" align="aligncenter" width="600"] 速度ジャンプの発生メカニズム。(A)低速破壊では、亀裂先端が発熱しながら亀裂が進展していく。(B)速度ジャンプは、亀裂先端が非常に速く引っ張られることにより、ガラスのように硬くなることによって引き起こされる[/caption] なぜ速度ジャンプのメカニズムがこれまで未解明だったのか不思議に思うかも知れません。実は、ゴムの亀裂進展の問題は数学的な取り扱いが非常に難しいため、上記のようなメカニズムの説明を与える理論は存在しませんでした。今回は、大幅に単純化した数理モデルを新しく構築することで、数学的な困難を避けてメカニズムを説明することに成功したのです。 今回の理論は速度ジャンプの起源を明らかにしただけではなく、速度ジャンプの起こりづらい丈夫なゴムを開発するための指針も示しました。速度ジャンプを抑制するには、ゴムを構成するひも状高分子の網目を粗くすること、および、ガラス化したときの硬さを強化すれば良いことが数式で示されました。特に、網目を粗くすることが速度ジャンプの抑制につながることは、過去の実験結果によっても裏付けられています。これらの指針に基づけば、材料開発のトライアルアンドエラーが抑えられ、耐久性や耐摩耗性の向上したタフな新規ゴム材料の開発を効率的に行うことができると期待されます。 参考文献:N. Sakumichi and K. Okumura, “Exactly solvable model for a velocity jump observed in crack propagation in viscoelastic solids”, Scientific Reports 7, 8065 (2017). doi:10.1038/s41598-017-07214-8]]>
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小さな物体にはたらく重力の実験で、4次元以上の異次元空間を探す https://academist-cf.com/journal/?p=6131 Wed, 11 Oct 2017 01:00:00 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6131 万有引力の法則は正しくないかもしれない 近代科学の出発点に位置するニュートンの万有引力の法則は、実は小さな距離では正しく成り立つのかどうか、今でも実験でよく確認されていません。特にミクロンスケール以下では重力の存在自身すらも、誰も確認できたことがありません。一方で、その破れは3次元を超える異次元空間、つまり4次元以上の「余剰次元」の空間の存在を示す鍵となる可能性が高く、実験的な検証が注目されています。 私たちは小さな物体間にはたらくきわめて微弱な重力を計測する技術を開発し、余剰次元の探索を大きな目的として重力の精密検証実験を進めてきました。そのなかで、万有引力定数が物質によらない普遍的な定数なのかをミリメートル距離で初めて実験的に確認することに成功しました。

小さな世界でも重力は同じように存在するのだろうか

重力を時空の歪みとして捉える理論であるアインシュタインの一般相対性理論の予言する、重力レンズ効果、重力波、ブラックホールなどの特異な現象は、宇宙物理学的な観測によって次々実証されつつあります。一般相対性理論は太陽系の惑星運動など、低エネルギーではニュートンの万有引力の法則とほとんど同じ予言をし、それらの観測結果はきわめて高い精度で万有引力の法則が正しいことを支持しています。 ところが、ミリメートル以下のようなミクロなスケールに目を向けると、重力の法則は精密に実験・検証が行われておらず、いかなる重力理論も、現在もなお検証が必要な仮説の域を出ていません。これは、重力が電磁気力などの他の力に比べてあまりに弱く、実験的な計測が難しいためです。

4次元以上の空間があるかもしれない

空間は3次元であるという実験的な証拠は数多くありますが、実験で調べられていない小さな4次元以上の空間が存在するはずである、という主張が超弦理論等によりされています。一般相対性理論も万有引力の法則も、空間は3次元であることを前提としているので、もし4次元以上の余剰次元があれば重大な修正が必要になります。 余剰次元はまだ理論的な仮説のひとつに過ぎず、実験的な証拠は何も見つかっていません。また理論的にもそれがあったとしても、何次元あるのか、その大きさは、などはまったくの未知のままです。実験と矛盾しない範囲では、余剰次元は0.1mmのスケール程度まで拡がっていてもおかしくなく、かつ、そこまで拡がると重力が何故弱いのか、という謎を解決できるかもしれないため、その可能性が注目されています。この場合、0.1mm以下では重力の強さが万有引力の法則の予想からずれ始めて、距離が小さくなるほどずっと強くなることが期待されます。これが、私たちが目的として実験を進めている「逆二乗則」の破れの探索です。 逆二乗則とは、距離の二乗に比例して重力が弱まる万有引力の法則の性質のひとつで、空間が3次元であるという仮定から導かれるものです。同様の逆二乗則は電気力なども満たすため、それらの実験から空間は3次元であるとも考えられてきたのですが、余剰次元方向へは電気力は伝搬できないと考えられており、重力だけが余剰次元を観測する手段であると信じられています。余剰次元が存在する場合、余剰次元の拡がりの外側では重力は万有引力の法則に従う一方で、内側では重力は強まり万有引力の法則から逸脱します。そのため、余剰次元の探索をするにはその拡がりの程度まで物体同士を近づけて重力を観測する必要があります。

コロンブスの卵のような画像処理技術で重力を見えるように

万有引力定数を初めて実測して地球の質量を決定したキャベンディッシュは、「ねじれ秤」を用いてそれを成功させました。他に有効な計測方法がないため、この計測方法は現在にいたるまで使われ続けています。 私たちもこの、ねじれ秤を小型化しその動きをビデオカメラで撮影し画像処理解析を施すことで重力を検出します。ねじれ秤とは細いワイヤーに両端に物体をつけた棒をつるした装置であり、この棒にはたらく偶力に応じたねじれ角度を測ることで物体にはたらく力を測定することができます。重力実験においては、ねじれ秤の近くに重力源となる物体を設置することで、重力源からの引力によってねじれを生じさせます。ねじれ秤の動きは画像を目で見てもまったく動きが見られないきわめて微小なものですが、これを捉えるために私たちが開発した画像処理システムを用います。このシステムでは特殊な画像処理を施すことで位置の変化をナノメートルという非常に高い精度で測定することが可能で、私たちのもつ特許技術にもなっています。 センチメートル程度の物体による実験では、重力の強さは地球に対する場合の約1億分の1程度でしかなく、ねじれ秤に現れる変化も微小です。さらに重力に対して、電気力や磁気力、熱や空気の影響が大きいため、近距離での重力の測定をさらに難しくしています。私たちは電気シールドや非磁性の物質の利用、装置内の真空度を上げるなどの工夫をすることで抑制し、また、画像情報を活用することで不必要な振動成分を解析で除去することで重力の検出を可能にしています。 [caption id="attachment_6127" align="aligncenter" width="600"] 重力源がねじれ秤の両端にある物体に近づくことで物体間の引力が強まりねじれる。このねじれ角度をビデオカメラで測定し力を測定する[/caption]

現代版ピサの斜塔の実験に成功!

私たちはこの研究をNewtonプロジェクトと名づけ余剰次元の探索を行っています。プロジェクト最初の装置Newton I号では、センチメートルスケールで重力を測定することに成功し、これをきっかけに、ミリメートルスケールからミクロンスケールでの実験に向けた開発・実験が行われています。 この開発の中で、2号機であるNewton II号では自由落下の一様性から等価原理の検証に成功する成果が得られました。自由落下の一様性は「すべての物質はその種類や組成によらず重力場中で同じ加速度で落下する」という、ガリレオのピサの斜塔の実験で有名なものです。Newton II号の結果は、これまで検証されていなかったセンチメートルスケールにおいて自由落下の一様性を5%の精度で検証することに成功しました。このとき検出した重力の大きさは、地球による重力のわずか1億分の1という微弱な重力であり、ねじれ角度は0.06度以下という非常に小さな変化でした。 [caption id="attachment_6128" align="aligncenter" width="600"] 左はNewton IIの装置の概略図とその写真。ワイヤーで吊るされたタングステンのねじれ秤のまわりを、アルミと銅の小物体を回転させながら、ねじれ秤の角度変位を観測する。重力源とタングステン間の表面近接距離は最短で4.5mmで測定を行った[/caption] [caption id="attachment_6129" align="aligncenter" width="600"] Newton IIの観測した重力信号。タングステンの物体が銅とアルミの物体に対して感じる重力場の強さの比が質量比と矛盾ないことが初めて確認された。縦軸は重力によるねじれ秤の角度変位、横軸は時間。青い線が万有引力の法則から予想される信号である[/caption]

これからが本番

Newton I号から始まったこのプロジェクトは、高感度化、高精度化、そして小型化が進められ現在はNewton V号まで開発が進んでいます。これまでにセンチメートルからミリメートルスケールでの重力測定に成功し、ミクロンスケールでの実験も今まさに進行しています。そのなかで等価原理と万有引力の法則がさらに厳しくテストされつつあります。 今後、近距離で等価原理を破る新たな重力理論の兆候や、余剰次元の存在を示す万有引力の法則の破れなどが発見される可能性もあります。また本研究は大型の研究所での巨大科学ではなく、大学の実験室で学生が主体となって工夫を重ねながら進めているアイディア勝負の小さな実験であり、学生から学生へと代々引き継がれ今回の成果をあげました。 自由落下の一様性の確認は、私たちの実験が正しく重力を捉えている証拠となるテストでもあります。私たちは今回の結果を得て初めて、ミリメートルからミクロンスケールへと重力実験を進める基礎を固めることができたと考えています。今後もこれを足掛かりに本丸の逆二乗則の検証、余剰次元の探索へと、大規模実験に匹敵する大きな成果をあげていきたいと思います。 参考文献 K. Ninomiya et al., “Short-range test of the universality of gravitational constant G at the millimeter scale using a digital image sensor”, Classical and Quantum Gravity 34 (2017) 185005 https://doi.org/10.1088/1361-6382/aa837f 村田次郎 「『余剰次元』と逆二乗則の破れ」 講談社ブルーバックス (2011)]]>
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「フィンガービジョン」でロボットのための人工知能研究を加速させる - 東北大・山口明彦助教 https://academist-cf.com/journal/?p=6146 Tue, 10 Oct 2017 10:00:34 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6146 【academist挑戦中】「フィンガービジョン」でロボット研究を加速する!

触覚と視覚が融合したセンサ「フィンガービジョン」の開発を進めている東北大学大学院情報科学研究科の山口明彦助教。ロボットの手のひらに目がついているような状態の実現を目指し、クラウドファンディングに挑戦している。フィンガービジョンを搭載したロボットでは、いったい何ができるのだろうか。また、どのような未来を見据えて山口助教は研究を進めているのだろう。ロボットのための人工知能「ロボットラーニング」がキーワードだ。

――今回のクラウドファンディングプロジェクトでは、「フィンガービジョン」改良のために資金を募られていますね。フィンガービジョンの概要を教えてください。

フィンガービジョンとは、私が開発を進めている触覚センサです。人間の手は触覚を持っていますが、多くのロボットは持っていません。触覚のないロボットで柔らかいものや壊れやすいものを操作することは非常に困難です。そこでロボットのための安価で高性能な触覚センサを作ろうと、このプロジェクトを発足させました。

――触覚センサには、ほかにもいろいろなタイプのものがあると思います。フィンガービジョンの特徴を教えてください。

安いものでは、金属の変形によって電気抵抗が変化するひずみゲージを利用した触覚センサがありますが、あまり性能が高いとは言えません。一方、圧力分布や振動など、ヒトの指先の皮膚感覚に近い情報を検知できる指型の触覚センサもありますが、非常に高価です。これら触覚センサの課題を解決するため、フィンガービジョンでは、カメラを利用します。これにより、広範囲で圧力やその分布、滑りの情報を捉えることができるうえ、材料費は5000円程度ですみます。また皮膚の部分が透明であるため、皮膚の外側を見ることもできます。すなわち「触覚」だけでなく「視覚」を持つというのも特徴です。

――フィンガービジョンでは、どういった仕組みで皮膚のような感覚の情報を得ているのですか。

フィンガービジョンの特徴である透明な皮膚は、アクリルでできた硬いレイヤと、シリコンからなる柔らかいレイヤで構成されています。この柔らかい層のマーカーの変形をカメラで読み取ることで外力を推定します。さらに、内部のカメラによって撮影した画像を解析することで、操作している物体の滑り・変形といった情報も捉えられます。また、カメラを使っているということは、人間の皮膚と異なり、接触していなくても近接物体の情報を取得できるということです。硬いレイヤは、外力がカメラに到達するのを防いでいます。

――今回のクラウドファンディングプロジェクトのテーマは「フィンガービジョンでロボット研究を加速する!」です。フィンガービジョンを使うと、どのようなロボットが実現できそうですか。

たとえば、野菜や果物のような壊れやすかったりつぶれやすい物体をロボットで操作できるようになります。ロボットは現在、自動車や電子機器の工場など、工業分野では日常的に利用されている一方で、食品業界ではまだあまり普及しているとは言えません。食品検査などの分野にフィンガービジョンのような触覚センサを持つロボットが導入されれば、おなじ品種の果物や野菜でも、潰さないで選別するということができるかもしれません。

また、ホームケアロボットへの応用も考えられます。ホームケアロボットのように、人間とインタラクションしようとするロボットを作る際には、人間を傷つけてはいけません。フィンガービジョンを使えば、とても"ジェントル"なロボットを作ることができると考えています。

――フィンガービジョンは、カーネギーメロン大学のChris Atkeson教授と共に進められている「Whole-body Vision」というプロジェクトの一環として研究を進められていますよね。ロボットの全身にフィンガービジョンを貼り付けたようなイメージになると思うのですが、そのようなロボットではいったい何ができるのでしょうか。

フィンガービジョンを全身に貼り付けることで、ロボットが知覚できない場所がなくなるんです。たとえば、頭にしかカメラが付いていないロボットでは、関節の脇に人間の手があり、挟み込みそうになってしまっても、検知することができません。その部分にフィンガービジョンのようなセンサがあると、ぶつかる前に画像で捉え、次のアクションにつなげることができる。つまり、超安全なロボットができると見込んでいます。

――クラウドファンディングのページでは共同研究者も募られていますね

たとえば、無色透明の柔軟素材を開発していただける企業との共同研究が考えられます。フィンガービジョンの皮膚は、硬すぎると感度が悪くなりますが、柔らかすぎると扱いが難しくなります。透明度があり、なおかつ適度な柔らかさを持つ材料はなかなかありません。

またフィンガービジョンではカメラを用いるので、カメラ周りの電子回路の設計を担当していただける企業があると、すごく助かります。コンピュータビジョンの研究者や、野菜や果物などの食品検査に関わる研究者の方などともコラボレーションが考えられます。

――フィンガービジョンの今後の課題を教えてください。

今いちばんの課題は、皮膚に対して垂直方向の感度を向上させることです。皮膚上のマーカーは、横方向には大きく動きますが、縦方向への動きが小さいため、動きの検出が難しいためです。皮膚の形状やマーカーを工夫することによって改善していく必要があると思います。また、カメラを用いるということは、周囲が暗いと使えないということです。フィンガービジョンにLEDを搭載するなどして解決する必要があると考えています。

――山口先生は10年以上、ロボットのための人工知能であるロボットラーニングの研究に携わられていたそうですね。触覚センサに興味を持ったきっかけはなんだったのでしょうか。

ロボットにおいていちばん難しいといえる問題は、バナナの皮を剥いたり、折り紙を折ったりなど人間が日常でやっているような物体操作です。人間にとってはすごく簡単なことなのに、ロボットにとっては非常に難しい。そこに人工知能技術を応用できないかという研究を進めていた際に、高性能な触覚センサがないことが不利益になっていることに気づきました。

人間でも、分厚い手袋をつけると物体操作が難しいですよね。それと同じことがロボットにも起きていることがわかったんです。触れている物体が滑っていることにロボット自身が気付くことができないんです。そこで、新しい触覚センサを開発しようと思い立ちました。今後は、フィンガービジョンの研究を進めていくことで、ロボットの物体操作のための人工知能を開発していこうと考えています。

――「人工知能」がキーワードになるんですね。

私が研究を始めた当時は、人工知能というと、テキスト処理などの機械学習技術にシフトしつつあった時代で、コンピュータの中で閉じた世界を中心に考えられていたんです。しかし私は、それに対して少し違和感を感じていました。現実の世界では、人はインタラクションしながらコミュニケーションをとっていきます。この現実世界で起こっていることを、身体を持ったロボットにやらせたいと思っていたからです。

将棋を行う人工知能は、将棋に特化したプログラムを書いたにすぎません。人間はなぜ人間らしくいられるのでしょうか? 身体を持っているということが、その疑問に対する大きなファクターになるのではないか。私はそう考えてロボットラーニングの研究を進めています。

――最後に、今後の研究のビジョンを教えてください。

私の研究人生が終わるまでには、人間と同等の、またはそれ以上の能力を持つ人工知能を作りたいです。もちろん、そこには身体も含まれていて、触覚センサのようなものも搭載されていることでしょう。それによって、人間が行うにはつらい作業をロボットが代わりにやってくれるというような世界観を作っていきたいですね。

山口明彦助教プロフィール:2006年京大工学部電気電子工学科卒。2008年奈良先端大情報科学研究科博士前期課程修了。2011年同博士後期課程修了。博士(工学)。奈良先端科学技術大学院大学情報科学研究科特任助教、カーネギーメロン大学ロボット研究所博士研究員、ブレーメン大学人工知能研究所客員研究員を経て、2017年9月より東北大学情報科学研究科助教。ロボットラーニング、ロボットマニピュレーションの研究に従事。

【academist挑戦中】「フィンガービジョン」でロボット研究を加速する!

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鱗食魚の利きはいつ、どのように獲得されるのか? - 生得的要素と学習効果がカギ https://academist-cf.com/journal/?p=6161 Mon, 16 Oct 2017 01:00:38 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6161 ヒトの利き手と動物の利きの研究 ヒトの利き手の研究は歴史が古くて数多くありますが、実は研究上の困難が多数あります。まず、ヒトの寿命は長くて継続的な追跡調査には大変な時間がかかりますし、定量的な調査には同じ基準で大勢を対象としたテストをする必要があるため、常に大がかりな調査になってしまいます。また、左利きは右利きへの矯正という社会的圧力が多くの文化圏や民族で存在し、生物学的な意味での右利きと左利きを判断しづらい状況にあります。もちろん、ハードな人体実験は許されませんから、利き手の決定に関する原因究明には限界があります。 一方で、多くの動物にも利きが見られます。好みや生得的行動、生理機能について左右差を示す動物は、魚類から哺乳類まで、幅広い分類群から報告されています。なかでも、私はアフリカ・タンガニイカ湖に生息する鱗食魚(ペリソーダス ミクロレピス)に着目して、利きの仕組みについて研究を行っています。 この魚は、他の魚のウロコをはぎ取って栄養源としていますが、口が右にねじれて開く個体と左にねじれて開く個体が同種の中に存在します。右顎が大きくて左に口が開く「右利き個体」は獲物の右体側の鱗を、左顎が大きくて右に口が開く「左利き個体」は獲物の左体側を好んで狙うという、形態と行動の1:1の対応関係が知られています。ただし、この関係性も成魚での研究に限られていました。 [caption id="attachment_6154" align="aligncenter" width="600"] 鱗食魚の右利き・左利き。左あごが大きい個体が「左利き」、右あごが大きい個体が「右利き」と定義される。左右の唇端を結ぶ線は、体軸に対し傾いている。下のイラストは口部形態の利きと獲物に対する襲撃方向の関係を表す[/caption]

鱗食魚を対象として利きの獲得過程を探る

今回の研究では、「右利き」「左利き」が発達段階でどのように獲得されるかを実験的に検証しました。鱗食魚は、性成熟までに約1年で、短期間に利きの発達機構を観察することができます。世界淡水魚園水族館「アクア・トトぎふ」の協力のもと、この魚の繁殖に実験室ベースで世界で初めて成功し、個体の成長や経験と利きの発達の関係を詳しく解析することができるようになりました。 [caption id="attachment_6155" align="aligncenter" width="600"] タンガニイカ湖に生息する鱗食魚Perissodus microlepisの稚魚、幼魚、成魚。この幼魚は鱗食開始期に相当する[/caption] ふ化してから固形飼料のみで個別飼育した鱗食魚を用いることで、摂食経験をコントロールでき、利きを厳密に追跡できます。そして、以下の実験を行いました。 (1)鱗食未経験の幼魚(体長4cm、ふ化後4か月)と餌魚としてキンギョを1匹ずつ実験用水槽に入れて、生まれて初めての鱗食行動を高速度ビデオカメラで観察しました。鱗食初日は、獲物に対して両方向から襲い、多くの個体に偏りは認められませんでした。さらに捕食実験を重ねると(数日おきに計5回実験)、襲撃方向は徐々に口部形態と対応した一方向に偏りました。 [caption id="attachment_6156" align="aligncenter" width="600"] 捕食実験1回目と5回目における各個体の襲撃方向の比率
1回目は獲物に対して両方向から襲うが、5回目では多くの個体は襲撃方向が口部形態の左右差に対応した方向に偏る[/caption] [caption id="attachment_6157" align="aligncenter" width="600"] 実験回数と襲撃方向の偏りの変遷。捕食実験をする度に襲撃方向は一方向に偏っていく(実験1→5:1.6倍)[/caption] (2)鱗食経験がある幼魚の利きの強さは、鱗食未経験の成魚(体長7cm、ふ化後9か月)や同じ日齢(兄弟)で未経験の幼魚に比べて高いことがわかりました。 [caption id="attachment_6158" align="aligncenter" width="600"] 鱗食経験のある群とない群での襲撃方向の偏りの比較。鱗食未経験では、幼魚でも成魚でも偏りが小さい(左)。同じ日に生まれた兄弟間でも、鱗食経験のある幼魚の方が、経験のない幼魚よりも偏りが大きい(右、5.7倍差)。捕食行動の左右性の強化には、鱗食経験が重要であることが実証された[/caption] つまり、幼魚でも成魚でも鱗食初日の左右性は弱く、身体の発育は同じでも鱗食経験がある方が左右性は強いということです。したがって、襲撃方向の偏りの強化は、鱗食経験に依存する学習に起因することが明らかになりました。また、捕食実験を繰り返すと、襲撃成功率が向上し、その成功率は口部形態の利きと対応する方向からの襲撃の方が非利き側からよりも高いことが見出されました。したがって、襲撃方向と捕食結果を関連づけて学習し、次の捕食行動を修正すると考えられます。 (3)しかし、驚いたことに、襲撃時に見られる胴の屈曲運動(屈曲変化量、最大角速度)は生まれて初めて行う捕食実験から、口部形態と対応した方向で高い能力が発揮され、実験を繰り返しても、その左右差は維持されていました(たとえば、左利きは左から襲撃したときのほうが素早く大きく屈曲して獲物に噛みつく)。利き側の屈曲運動を優位とする制御システムは脳神経系に埋め込まれており、それは生まれつき形成されていると示唆されます。 これら3つの実験結果から、鱗食魚には生得的に捕食に有利な方向があり、鱗食経験からの学習を通じてランダムであった襲撃方向が有利方向へと統一され、効率的に鱗食できるようになると考えられます。これまで、どんな動物の利きの獲得機構についても明らかにされていませんでしたが、鱗食魚の利きに対する生得性と学習効果を見事に示したと言えます。 [caption id="attachment_6159" align="aligncenter" width="600"] 鱗食魚の捕食行動の利きの発達モデル。鱗食を開始した幼魚は両方向から襲うが、うまれつき口部形態は非対称で運動能力にも左右差がある結果、捕食成功率が左右で異なる。鱗食魚は襲撃方向と捕食の成功・失敗の関係を学習することで、口部形態と合う方向から襲うようになると考えられる[/caption]

おわりに

今後は利きの制御メカニズムを神経回路から分子機構まで明らかにしたいと考えています。鱗食行動の「利き」は胴の屈曲に現れ、これほど単純明確な左右性運動は他にないことが特色です。魚類の素早い屈曲運動は後脳に左右一対で存在するマウスナー細胞が駆動することが知られており、この左右性を発現する回路は、マウスナー細胞の入出力系に存在すると示唆されています。 右利き・左利きの脳にどのようなレベルの違いがあるのでしょうか? 脊椎動物の脳の基本セットは共通していること、ヒトの遺伝子の73%が魚類にもあることから、鱗食魚で得られた知見は、動物間で共有される利きのメカニズムの理解に繋がり、しいてはヒトの利き手のメカニズムを明らかにするうえでも役に立つと期待しています。 参考論文 Yuichi Takeuchi, Yoichi Oda. Lateralized scale-eating behaviour of cichlid is acquired by learning to use the naturally stronger side. Scientific Reports. 7: 8984. 2017.]]>
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拡散により植物モルフォゲンの濃度勾配ができる仕組み https://academist-cf.com/journal/?p=6172 Fri, 13 Oct 2017 01:00:51 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6172 魅力的な拡散-濃度勾配モデル 生きものが形づくられるとき、細胞は活発に分裂し、そして、さまざまな機能に特化していきます。その仕組みを総合的に理解しようとするのが発生学です。形そのものの美しさや、それをつくる仕組みの巧妙さに魅せられ、発生学者は日々研究を楽しんでいます。このように研究をする動機はわかりやすいのですが、発生は分子・細胞・組織と階層をまたいで起こる複雑な現象なので、その仕組みを解くのは簡単ではありません。 半世紀ほど前にLewis Wolpert博士は、遺伝情報から生み出される分子が組織の中に濃度勾配を作り、それぞれの細胞が周りの分子の濃度を感じることで異なる機能を獲得する、というアイデアを提案しました。時を同じくしてFrancis Crick博士は、生体内におけるそのような分子情報の濃度勾配が、シンプルな物理現象「拡散」により作られうることを指摘しました。これらの拡散-濃度勾配モデルは、複雑で精妙な発生現象をスッキリ説明する魅力的な仮説です。実際に、組織の一部で生産され、細胞間を輸送されることで組織全体に濃度勾配をつくり、それに応じて細胞をコントロールする分子(モルフォゲン)がいろいろと同定されました。しかし、一部を除き、シンプルな拡散で濃度勾配ができているわけではないことが明らかになり、次第に拡散モデルは非現実的なものと考えられるようになりました。 [caption id="attachment_6167" align="aligncenter" width="600"] モルフォゲン濃度勾配の基本的な考え方[/caption]

いつものイスに座って議論

モルフォゲンに関する研究は動物の発生を中心に発展してきました。一方、動物のモルフォゲンと同じ分子は植物には存在しません。ホルモンの一種オーキシンや、根の発生に関わるPLETHORAやROOT MERISTEM GROWTH FACTOR(RGF)といった分子が挙げられるくらいです。ところが、筆者の一人(川出)は、濃度依存的に葉の細胞分裂をコントロールするANGUSTIFOLIA3(AN3)という転写コアクチベーター分子が、細胞間を移動していることを見つけていました。興味深いことに、AN3は葉の基部側のみで生産され、先端部へ向かって滑らかな濃度勾配をつくります。この濃度勾配は分裂する細胞の分布とよく合うので、モルフォゲンという観点から着目して研究を進めていました。それをさらに発展させる転機は、研究により定量的・理論的な視点を組み込むことでした。 筆者のもう一人、谷本は川出の大学院の同級生で、細胞移動の物理学を研究していました。川出と谷本は毎晩のように上野アメヤ横丁(アメ横)のパイプ椅子に座り、安い酒を呑みながら“面白い研究とはなにか”について議論をしていました。そのなかで、分子の細胞間の移動を植物で定量するアイデアが浮かんできました。 植物の細胞は隣の細胞と原形質連絡というトンネル状の構造で直接につながっています。この構造は直径が数10nmもあるので、タンパク質のような大きな分子でも通過できます。この特有の構造により、植物では動物とはまったく異なる分子移動が起こっています。原形質連絡を介した分子の移動を定量的に調べたら、何か面白いことが見つかるのではないだろうか? というアイデア(と、もちろん酒に)酔った私たちは、一緒に研究を始めました。

とりあえず測ってみるという姿勢

私たちは緑色蛍光タンパク質GFPを使い、葉原基の基部と先端部における、一細胞および組織(50細胞程度)レベルでの分子の移動能を測定しました。ここでは、光退色後回復法(FRAP, Fluorescence Recovery After Photobleaching)という実験手法を用いました。GFPはレーザー照射により蛍光が退色しますが、照射した領域の外側からGFPが移動してくるので、レーザー照射した領域の蛍光が回復します。この回復カイネティクスを理論的に解析することで、GFP分子の移動能が定量できます。一細胞レベルでの実験から、GFPは原形質連絡の中を拡散的に移動していることがわかりました。この一細胞レベルの拡散性は基部と先端部で同じでした。 [caption id="attachment_6168" align="aligncenter" width="600"] FRAP解析
(上)全身で緑色蛍光タンパク質(GFP)を作っているシロイヌナズナ株の葉をFRAP解析の実験材料にして、原形質連絡を通るタンパク質の移動能を調べた。マゼンタ色で囲っている中央の1細胞にレーザーを照射すると、GFP分子の蛍光が退色する。引き続き観察していると、周囲の細胞からGFPが移動して来ることで、中央の細胞の蛍光強度は回復する。スケールバーは10µm
(下)GFP蛍光強度の変化を時間の経過とともに示すと、指数関数的に回復していることがわかる。これは、GFPが原形質連絡の中を拡散していることを意味する[/caption] しかし、ここで大きな疑問にぶつかりました。組織レベルでの実験では、基部と先端部で移動能が違ったのです。一細胞レベルでは差がないのに、なぜ組織レベルでは差がでるのでしょうか。組織レベルでのタンパク質の積極的な輸送など、考えられる可能性はいくつかあります。それらを検討するため、実測値を組み込んだ数理モデルを構築しました。 その結果、細胞の大きさが、組織レベルでの分子移動能を決める重要な要素だとわかりました。葉の原基では、細胞の分裂が基部で盛んであり、先端部へ向かい低下します。分裂が活発な小さな細胞の領域では原形質連絡をいくつも通らないといけないので、一定距離を移動するのにより多くの時間がかかります。したがって、基部の組織レベルの移動能が先端部より小さくなる、という結論にたどり着きました。わかってしまうととても簡単なことなのですが、組織内の分子動態を考えるうえで細胞の大きさが重要な要素だという報告は今までありませんでした。このような先行研究が見落としていた点に気付けたのは、先入観なしに、まずは測ってみようという姿勢で研究に挑んだからだと考えています。

Crick博士の残した宿題を解く

葉原基におけるGFPのFRAP解析から、細胞の分裂活性が偏在するとき、組織レベルで拡散性に違いが生じるということがわかりました。これは、拡散モデルを考えるうえで大切な点です。そこで私たちは、改良版・拡散モデルでAN3の濃度勾配ができる仕組みを解くことに挑戦しました。まず、GFPを3つ融合させて分子量を大きくし、原形質連絡を通れないようにしたAN3(AN3-GFP-GFP-GFP)の濃度勾配を解析し、AN3が分裂による細胞の持ち越しのみでどの程度先端部へ広がるのか明らかにしました。この組織成長の作用を改良版・拡散モデルに組み込み、細胞間を移動できるAN3-GFPの濃度勾配を解析したところ、理論的な推定値と実測値が見事に合いました。つまりAN3の濃度勾配は、シンプルな物理現象「拡散」が成長する組織内で起こることで形作られるのです。ただし、組織レベルで拡散性が変化することは忘れてはいけません。 [caption id="attachment_6169" align="aligncenter" width="600"] 葉におけるAN3濃度勾配
(上)遺伝子操作により細胞の間を移動できなくしたAN3、もしくは、移動できるAN3を作る葉の写真を示す。どちらのAN3にもGFPが融合しているので、GFPの蛍光でAN3の分布を検出できる。葉の写真とGFPは、同じ葉を同じ視野で撮影している。移動できないAN3に比べて、移動できるAN3では分布が拡大しており、これは細胞の分裂頻度と対応していた。スケールバーは50µm
(下)AN3濃度勾配の実験と理論との比較。移動できるAN3は葉の基部側20µm程度で限定的に産出され、先端部へと移動することで濃度勾配をつくる。水色は実測値、黒色は拡散モデルによる理論値を示す。両者がきれいに一致するのが見て取れる[/caption] これにて、Francis Crick博士が後世に出した宿題「拡散モデルを生体内で示す」は葉で解決しました。

新しい問題を求めて

今後の課題はたくさん挙げられます。たとえば、葉原基の基部におけるAN3生産量がどのようにして決まっているのか、というのはわかっていません。また、AN3の拡散性を詳細に調べるのも大切です。このように目の前にある課題を解くこともしますが、まだ誰も気付いていない問題を見つけたいとも考えています。そこで、葉原基における分裂の活性や方向、細胞の大きさや形などを時空間的に定量する準備を進めています。例のごとく、とりあえず測ってみるという姿勢です。これにより、AN3濃度勾配のダイナミクスと細胞の振る舞いをつなぐ新しい鍵が見つかると信じています。 当時の私たちにとってアメ横は大きな発見でした。しかし、今でもどんどんと発展していて、以前とは少し違います。これは良いことで、慣れた場所に留まらず次へ行けと言っているのでしょう。 参考文献 Kawade K, Horiguchi G, Usami T, Hirai MY, Tsukaya H. “ANGUSTIFOLIA3 signaling coordinates proliferation between clonally distinct cells in leaves” Current Biology, 23: 788-792 (2013). Kawade K, Tanimoto H. “Mobility of signaling molecules: the key to deciphering plant organogenesis” Journal of Plant Research, 128: 17-25 (2015). Kawade K, Tanimoto H, Horiguchi G, Tsukaya H. “Spatially different tissue-scale diffusivity shapes ANGUSTIFOLIA3 gradient in growing leaves” Biophysical Journal, 113: 1109-1120 (2017).]]>
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分子雲で7つの炭素が連なる長い分子CCCCCCCHを発見! https://academist-cf.com/journal/?p=6185 Tue, 17 Oct 2017 01:00:16 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6185 7Hの検出に初めて成功しました。直線炭素鎖分子とは、黒鉛、ダイアモンドに次ぐ、炭素の第三の形態であり、宇宙空間で検出されている分子種の4割程度がこのグループに属します。このなかでも、長い直線炭素鎖分子の発見は、宇宙の化学組成と化学進化の解明の鍵となります。 [caption id="attachment_6180" align="aligncenter" width="600"] 分子雲にある直線炭素鎖分子C7H(想像図)[/caption]

宇宙空間では炭素が特別な物質になっている

炭素は、地球上にみられる黒鉛やダイアモンドという形態だけでなく、直線炭素鎖分子と呼ばれる第三の形態を持っています。地球上の通常の炭素鎖分子は、一般に各炭素原子が水素原子を伴いますが(たとえばブタン CH3–CH2–CH2–CH3)、直線炭素鎖分子は、二重結合や三重結合を含み炭素だけが直線上につながる構造(たとえばジアセチレン HC≡C–C≡CH)をとります。この形態は、他の分子との衝突で容易に壊れてしまう不安定な形態であるため、地球上では天然に存在しません。炭素4個程度までの比較的短いものは人口的に合成できますが、反応性が高く保存は困難です。そのため、高真空かつ極低温(10~数十K)の宇宙空間にしか見られません。 しかし、この分子は宇宙では特殊ではありません。現在宇宙空間で180種以上(年間1~5個のペースで増加中)の星間分子が観測されていますが、それら分子種の4割程度がこのグループに属します。シアノポリイン(H–(C≡C)n–CN)やクムレン(C2nH、C2n+1H)などの種類があります。

分子雲に望遠鏡を向けることになる

宇宙空間で分子は、回転することによって複数本の決まった周波数の電波信号(回転遷移)を放出します。その電波信号は、大きな分子ほど本数が多く、小さな分子ほど本数が少ない傾向にあります。そのために、信号一本当たりでみると、大きな分子ほど弱く、小さな分子ほど強くなります。しかし、大きな分子でも、直線構造の分子だけは、信号の本数が少ないため、信号一本当たりが強くなります。したがって、大きな分子となると、直線構造の分子以外は観測しにくくなります。よって、直線炭素鎖分子は、見えにくい大きな分子の存在を代表します。ゆえにその検出は、宇宙での化学進化と呼ばれる化学反応の連鎖を解明するプローブであり、宇宙の化学組成を示す指標でもあります。 その直線炭素鎖分子のひとつであるCCCCCCCH(C7H)は、その存在が予想されていながら、多くの研究者のこれまでの探査で、どの分子雲(塵と気体分子からなる宇宙空間にある雲)にも発見されていませんでした。老化した星の周辺にできる星周雲の中にはすでに発見されていますが、そこは分子雲とは区別される別の領域です。そこにある分子はやがて壊れてしまう運命にあり、進化していく分子を見るには分子雲で検出する必要があります。 そこで我々は、高感度を誇るアメリカ国立電波天文台のグリーンバンク100m電波望遠鏡を用いてその検出に挑戦しました。探査に選んだ天体は、おうし座にある低質量星形成領域L1527です。星形成領域は分子雲のひとつです。L1527は星形成領域ではあるものの、星が形成されたばかりの初期の状態にあります。これまで炭素鎖分子はまだ星が形成されていない暗黒星雲と呼ばれる分子雲で主に観測されてきました。この星形成領域にも短い直線炭素鎖分子(炭素5個以下)はいくつか観測されてきましたが、長い直線炭素鎖分子(炭素6個以上)は観測されないかあるいは暗黒星雲に比べて極めて微量でした。今回この天体で、長い直線炭素鎖分子の検出に挑みました。 [caption id="attachment_6181" align="aligncenter" width="600"] アメリカ国立電波天文台にあるグリーンバンク100m電波望遠鏡
単一鏡でアンテナ可動式の電波望遠鏡としては世界最大[/caption]

やっと見えてきた微弱な信号

2015年に3月から10月まで2シーズンにわたり、延べ43時間の観測を行いました。初め3月に現地に赴き観測を行い、その後東京理科大学からリモート観測で現地の望遠鏡を操作しました。 分子は回転によって複数の決まった周波数の電波信号を放出しますが、その周波数は分子に固有であるため、その周波数の電波信号を受信できれば、その分子が観測した天体に存在することがわかります。回転により放出される複数の電波信号のうちで、今回我々は、42.8と44.6GHz 帯において現れる4本の電波信号の観測を行いました。その結果4本の電波信号のピークを得ることができましたが、各ピークは微弱でした。そこで、4本のスペクトルの重ね合わせ処理(平均をとる)を行ったところ、はっきりとしたC7Hのピークが浮かび上がり、C7Hの検出を確認できました。これは、分子雲におけるこの分子の初の検出です。この分子は、直線炭素鎖分子のなかでもクムレン類に属しますが、奇数個の炭素を持つクムレン類(C2n+1H)の中で、これまでで最も長い分子です。 [caption id="attachment_6182" align="aligncenter" width="600"] 検出されたC7Hの電波信号(図の中央部のピーク)[/caption] 今回観測した低質量星形成領域L1527はこれまで長いものが比較的少ない領域であると考えられていました。しかし、今回の観測で、長い直線炭素鎖分子も豊富であることがわかってきました。

多様な分子があふれる宇宙の姿がこの先にある

今回我々のC7Hの初検出は、他の暗黒星雲や星形成領域でも今後C7Hが観測できる可能性を示しています。また、より長い直線炭素鎖分子C8HがL1527に観測に十分な量存在することも示しています。ただ、このC7Hを含め、現在発見されている星間分子は、その一端にすぎません。 電波観測においては、新しい分子はかなり時間をかけてじっくり積算をしないと出てこない状況にあります。強い電波信号を放っていながら、その正体のわからない分子は、もはやかなり限定的です。その点では、随分開拓が進みました。しかし、そもそも電波で見える星間分子というものが星間分子全体のごく一部なのです。 大きな分子が見えにくいことは上で述べたとおりですが、それだけではなく、宇宙空間は場所によっては分子が宇宙背景放射の3Kと同程度まで冷えてしまいます。今回C7Hを見つけた領域は10~20K前後の温度を持っているので分子は電波を放出できますが、3Kまで冷えてしまうともはや電波を放出できません。そのような分子は背後にある恒星の光を光源にして、今度は可視光領域で吸収線を作ります。Diffuse Interstellar Bands(DIBs、和名:ぼやけた星間線)と呼ばれています。これらは、数百本発見されていますが、5本がフラーレンイオンC60+に同定されたことを除けば、まだ何も解明されていません。 [caption id="attachment_6183" align="aligncenter" width="600"] Diffuse Interstellar Bands(DIBs、和名:ぼやけた星間線)[/caption] 我々人類は直線炭素鎖分子が可視光領域でどのような吸収線を作るかについて、かなり知識を持っていますが、それがDIBsの解明にはまったく通用しません。現在発見されている星間分子とは種類が異なり、しかもサイズの大きな分子が、数多く存在することは間違いないでしょう。今回は長い直線炭素鎖分子が見つかりましたが、これはまだまだ入り口に過ぎません。これからさらに新しい星間分子の発見で、我々の持つ宇宙観はもっと変わっていくはずです。 参考文献 Araki et al., “Long carbon chains in the warm carbon-chain-chemistry source L1527: First detection of C7H in molecular clouds,” The Astrophysical Journal, 847, 51, 2017. http://iopscience.iop.org/article/10.3847/1538-4357/aa8637 荒木光典、「現在こそゴールドラッシュの星間分子発見」、天文月報5月号・天球儀、108, 283 (2015) http://www.asj.or.jp/geppou/contents/2015_05.html 荒木光典、「実験室でぼやけた星間線の起源を探る」、天文月報1月号、99, 18 (2006) http://www.asj.or.jp/geppou/contents/2006_01.html]]>
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手足の筋肉のつくり方はどうやって進化したのか? - サメのヒレから四肢筋の発生様式を再検証 https://academist-cf.com/journal/?p=6194 Wed, 18 Oct 2017 01:00:56 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6194 私たちの手足は原始的な魚の胸鰭と腹鰭から進化した 私たちの手足は、それぞれ原始的な魚の胸鰭と腹鰭(対鰭;ついき)から進化したものです。サメやエイを含む軟骨魚類というグループは、私たちヒトを含む顎口類(がっこうるい)の原始的な状態を知るのに適したモデルです。 [caption id="attachment_6195" align="aligncenter" width="600"] 顎口類の対鰭と四肢[/caption]

四肢筋は皮筋節から分離した筋芽細胞(遊離筋)からつくられる

私たちの手足の筋肉(四肢筋)は、遊離筋(ゆうりきん)と呼ばれる移動能力を持つ筋芽細胞(きんがさいぼう;将来筋肉へと分化する細胞)からつくられます。遊離筋は、皮筋節(ひきんせつ)とよばれる骨格筋のもととなる構造から分離し、四肢の原基(将来ある器官になるが、まだ形態的・機能的には未分化な部分)の中へ移動することで、四肢に筋肉をつくります。また、遊離筋はLbx1遺伝子を発現しているという特徴があります。 一方、軟骨魚類の対鰭の筋肉(対鰭筋)は、これまでの研究では、皮筋節が鰭の中にまで伸長することによってつくられるとされており、筋芽細胞におけるLbx遺伝子の発現も認められていませんでした。これらのことから、対鰭と四肢の筋肉の原始的な発生様式は、遊離筋ではなく、皮筋節の伸長によるものと考えられてきました。 [caption id="attachment_6205" align="aligncenter" width="600"] 軟骨魚類における対鰭筋の発生様式についての従来の説[/caption]

軟骨魚類の対鰭筋も皮筋節から分離した筋芽細胞からつくられる

私たちは、軟骨魚類トラザメ属(Scyliorhinus)の胚を題材に、対鰭筋の発生様式を再検証しました。その結果、トラザメ胚の対鰭の原基では、Lbx1遺伝子を発現する細胞群が観察されました。この特徴は、もうひとつの軟骨魚類の原生種のグループである全頭類(ぜんとうるい)のゾウギンザメ胚でも確認されたことから、軟骨魚類で共通した特徴と考えられました。 また、トラザメ胚の対鰭の原基で、皮筋節由来の細胞や筋芽細胞であることを示す遺伝子の発現も観察されたことから、軟骨魚類の対鰭筋は、四肢動物と同じく、Lbx1遺伝子を発現する皮筋節由来の筋芽細胞によって作られることが示されました。 さらに、対鰭筋の発生過程を詳しく調べると、対鰭筋をつくる筋芽細胞が、皮筋節の腹側の端から分離すること、またこれらの筋芽細胞が、皮筋節から分離後、対鰭の原基の中で集まる様子が観察されました。 [caption id="attachment_6206" align="aligncenter" width="600"] トラザメ胚の対鰭におけるLbx1の発現(上)と対鰭筋の発生様式(下)[/caption] これらの結果から、軟骨魚類の対鰭筋の発生様式が、従来の定説と異なり、遊離筋の特徴をもつ筋芽細胞からつくられることが明らかとなりました。このことは、顎口類の原始的な状態を反映するとされる軟骨魚類において、その対鰭筋の発生様式が、私たちの四肢筋と類似することを示しています。今回の研究成果は、遊離筋から対鰭や四肢の筋肉がつくられるという発生様式が、顎口類で共通のメカニズムであり、これまで考えられていたよりも古い起源をもつ可能性を示しました。

今後の展望

今回の研究により、遊離筋による四肢の筋肉の発生様式が従来考えられていたよりも、古い起源をもつ可能性が明らかになりました。遊離筋は脊椎動物の進化の過程で、四肢筋だけでなく、舌筋や横隔膜など、新しい筋肉をもたらした特殊な細胞群です。 軟骨魚類を題材としたこの研究成果は、これらの遊離筋由来の筋肉の進化を理解するうえでも重要な発見となりました。近年、軟骨魚類のような、技術的な制限が多い生物を使った研究は、ゲノム解析技術の発展により可能になってきています。今後も、サメのように系統的に重要な動物を題材に進化の謎に迫っていきたいと思います。 参考文献 Eri Okamoto, Rie Kusakabe, Shigehiro Kuraku, Susumu Hyodo, Alexandre Robert-Moreno, Koh Onimaru, James Sharpe, Shigeru Kuratani and Mikiko Tanaka, "Migratory appendicular muscles precursor cells in the common ancestor to all vertebrates", Nature Ecology & Evolution (2017) doi:10.1038/s41559-017-0330-4]]>
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昆虫類の体壁、そして翅関節の一部は肢の付け根に由来する https://academist-cf.com/journal/?p=6221 Thu, 19 Oct 2017 01:00:57 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6221 昆虫類の陸上進出を支えた「側板」 昆虫類の体は、頭・胸・腹という3つのユニットで構成され、それぞれが摂食・統合、移動、消化・生殖という機能に特化しています。翅や肢を備え、移動に特化した胸部は、背板、腹板、側板と呼ばれる3つの硬化部で構成されています。 [caption id="attachment_6216" align="aligncenter" width="600"] 昆虫類(左)と胸部断面(右)の模式図。ピンクが背板(翅本体を含む)、青が側板、緑が付属肢を示す[/caption] 昆虫類は、長い間多足類(ムカデやヤスデの仲間)と近縁だと考えられてきましたが、現在では水生の甲殻類の一部から進化してきたことが明らかとなっています。水中から陸上へ生活の場を移す際にはさまざまな環境の変化に晒されますが、そのなかでも大きな違いのひとつが浮力の有無です。側板は、近縁な甲殻類にはみられない昆虫類の派生形質であり、水の浮力から離れ陸上に進出した昆虫類の体を支える頑健な体壁として、また歩行のための筋肉の付着点として、大きな役割を果たしています。では、この側板は、いったい何に由来しているのでしょうか。

亜基節由来説の検証 - 2μmの薄くて分厚い障壁

亜基節由来説、つまり側板が、付属肢の根元にあたる基節のさらに基部側にある肢環節“亜基節”に由来していることが初めて提唱されたのは、19世紀末のことです。しかしその後は、走査型電子顕微鏡(以下、SEM)を用いたいくつかの先行研究から発生学的証拠が提示されはしたものの、実はそれぞれの研究で背板・亜基節と同定されている部位が異なるという問題を抱えていました。我々は、こうした部位同定の問題が胚発生終盤の形態観察の難しさに起因していることに気が付きました。胚発生終盤になると胚は、表皮から分泌された胚クチクラと呼ばれる薄膜に包まれますが、この胚クチクラがSEMを用いた観察の大きな障害となっていたのです。 SEMというのは、高真空下に置いた試料に電子線を当て、そこから放射される二次電子・反射電子を検出することで、対象の表面構造を観察することができるという代物です。一般的なSEM観察では、前処理として試料を完全に乾燥させ、電子線による試料の帯電を防ぐために金属コーティングなどを施します。胚クチクラという柔らかい薄膜に包まれた状態の胚を乾燥させると、試料の収縮は避けられません。そこに金属コーティングを施せば、観察できるのは皺だらけになった胚クチクラの表面構造です。先行研究では、この胚発生終盤という重要なステージの形態形成を正確に追跡することができずにいたために、解釈の混乱が生じていたというわけです。

SEMで胚クチクラを「透かして」観る

金属コーティングは、胚クチクラに包まれた胚の正確な観察を妨げてしまいます。かといって金属コーティングを施さなければ、試料は瞬く間に帯電してしまい、観察どころではなくなります。この問題を解決したのが、低真空SEMを利用した観察法でした。原理の詳細は省きますが、低真空SEMの大きな利点のひとつが、帯電が起こりにくいため金属コーティングを施さずに試料を観察できる点です(デメリットとして解像度がやや低下します)。さらに、クチクラのような薄膜に、コーティングなしの状態で強い電子線を当てると、表面構造だけでなく、薄膜の直下の構造まで透過して観察することができるのです。SEMといえば、一般的には表面構造を観察するためのものですが、この手法を利用することで、胚クチクラの下で進む形態形成の詳細を追跡することが可能となり、胚発生全体をこれまでよりも高い解像度で観察することができるようになりました。また、胚の完成形である1齢幼虫においても、クチクラが柔らかいために前処理による収縮が観察の障害となっていましたが、この問題も近年開発されたナノスーツ法を導入したことで、試料を乾燥させる必要がなくなり、より正確な観察が可能となりました。 [caption id="attachment_6217" align="aligncenter" width="600"] 胚発生終盤の胚の低真空SEM像(左)および通常のSEM像(右)。低真空SEM観察時には、通常のSEMで確認できない小顎鬚の分節や前肢基部の関節構造などが胚クチクラを透過してはっきりと確認できる(黒矢印)。md: 大顎, mxp: 小顎鬚, cx1: 前肢基節, scx1: 前肢基節(=側板), tr1: 前肢転節[/caption]

亜基節由来説の立証、そして昆虫の翅の起源へ

観察時の障害を乗り越えてしまえば、あとは各発生段階の形態形成過程を丹念に観察するのみです。ランドマークとなる構造を新たに見つけ、それらを頼りに形態形成過程を追跡した結果、背板ー肢境界を確定することができ、側板領域は付属肢の最基節である亜基節に由来していることがわかりました。そして、議論を重ねた結果、この成果は長年続いてきた側板形成の問題にとどまらず、翅の起源に関わるものであるということに気が付きました。 [caption id="attachment_6218" align="aligncenter" width="600"] 胚発生後期から終盤の胚(1-6)、1齢幼虫(7)、終齢幼虫(8)。ピンクが背板領域、青が亜基節(=側板)領域、緑が基節以降の付属肢、白点線が将来の翅関節領域を示す[/caption] 昆虫類の進化史のなかでも翅の起源は特に重要視され、長い間議論が続いてきましたが、主要な説としては「側背板起源説」と「肢(または鰓)起源説」の2つに大別されます。前者は、翅が背板の側縁部(=側背板)に由来するというもので、翅のシート状の形状・位置・気管と翅脈の類似性などから支持される一方、筋肉などの由来が説明できないという欠点を抱えていました。これに対し後者は、翅が付属肢の外側にみられる可動性の付属物(カゲロウ目幼虫の鰓など)に由来するというものですが、可動性の構造という類似性はあるものの、現存する翅とは位置や形状に大きく隔たりがあることが説明できていませんでした。また、どちらかの説を支持するような中間形の化石記録がないことも大きな問題となっていました。 そうしたなかで、近年の分子発生学的研究から提唱されたのが、両仮説を統合した「二元起源説」です。これは、側背板・付属肢外側の付属物の双方に関わる遺伝子が共同で働いたことで、翅が急速に進化したというものです。形態学からも、側板上方の一部が分離した構造が翅関節の一部を構成していることが示唆されたことはありましたが、これまでは側板の由来が定かではなかったためにそれ以上の議論に発展することはありませんでした。しかし、今回の我々の研究が、側板は付属肢の最基節である亜基節に由来していることを明らかにしたことで、翅関節の構成要素には付属肢要素が含まれており、「二元起源説」が初めて形態学的にも支持されることになりました。 [caption id="attachment_6219" align="aligncenter" width="600"] ピンクが背板領域、青が亜基節(=側板)領域、緑が基節以降の付属肢を示す。翅関節に関係する基翅節片、翅下節片は側板から分離するとされ、翅を駆動させる筋肉系が付着している[/caption]

今後の展開

本研究では、材料として扱いやすく、比較的派生的な系統であるフタホシコオロギを材料として用いましたが、原始的な有翅昆虫類や無翅昆虫類においても同様の側板の形成様式がみられるのか確かめる必要があります。また、陸上進出は節足動物の複数の系統で独立に起きたとされています。多足類などにもみられる側板などについても今回のようなアプローチで調べることで、新たな発見があるかもしれません。   参考文献 Mashimo, Y., Machida, R. (2017), Embryological evidence substantiates the subcoxal theory on the origin of pleuron in insects. Scientific Reports, 7, 12597. doi: 10.1038/s41598-017-12728-2 Clark-Hachtel, C.M., Tomoyasu, Y. (2016), Exploring the origin of insect wings from an evo-devo perspective. Current Opinion in Insect Science, 13, 77–85. doi: 10.1016/j.cois.2015.12.005 Takaku, Y., Suzuki, H., Ohta, I., Ishii, D., Muranaka, Y., Shimomura, M., Hariyama, T. (2013), A thin polymer membrane, nano-suit, enhancing survival across the continuum between air and high vacuum. Proceedings of the National Academy of Sciences, 110(19), 7631–7635. doi: 10.1073/pnas.1221341110]]>
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国内外の教育環境はどう違う? - 若手教育学者・奴久妻駿介氏 × 柿原豪氏 https://academist-cf.com/journal/?p=6209 Mon, 23 Oct 2017 01:00:49 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6209 academist Live」。初回は、教育学を専門とする一橋大学大学院・奴久妻駿介(ぬくづま・しゅんすけ)氏に、教育学の概要や実際の仕事内容について詳しくお話を伺った。教育学では、「教育の多様性と画一性のバランスをどのように取るべきか?」ということを個々の事例をもとに考え、国に提案していくことがひとつの重要なテーマであるという。奴久妻さんは現在、自身が小学生時代を過ごした場所でもあるアメリカの外国人児童生徒がどのような教育を受けているのかということに注目し、研究を進めている。今回は、その国際比較を行うために、ニュージーランドにおける外国人児童生徒の研究に勤しむ成城大学大学院・柿原豪(かきはら・ごう)氏をお招きし、対談を実施した。本インタビュー記事では、対談の概要をまとめてお届けしたい。 [caption id="attachment_6210" align="aligncenter" width="600"] 外国人児童生徒を対象とした研究を進めている奴久妻駿介 氏(左)と柿原豪 氏(右)。アメリカとニュージーランドではどのような違いがあるのだろうか[/caption] 奴久妻駿介 氏(以下、奴久妻):本日はよろしくお願いします。私は小学生のころアメリカにいたので、当時は私自身がまさに「外国人児童生徒」でした。今、日本に住む外国人児童生徒の状況を見ていると、当時の自分と重なるところもあり、そこが研究への動機付けになっているのですが、柿原さんはいかがでしょうか。 柿原豪 氏(以下、柿原):私は学校の教員としても働いているのですが、グローバル化が進み日本にも外国人児童生徒が増えていくなかで、今の学校現場はこのままで大丈夫なのだろうかという疑問を感じ、研究をはじめました。主に、外国人出身者が約4割いるというニュージランド最大の都市・オークランドに注目して、研究を進めています。 奴久妻:約4割というのは多いですね。実際には、どういう国籍の人がいるのでしょうか。 柿原:先住民はマオリ族で、そこにイギリスなどをはじめとするヨーロッパ系が移住してきて、ニュージーランドができました。第二次世界大戦後には労働力が必要になったため、南太平洋諸国からの外国人の受け入れを開始するわけですが、1990年代以降はアジア系の移民も増えてきています。 奴久妻:実際に、外国からニュージーランドに来た人たちの教育はどのように行われているのでしょうか。子どもたちの進学状況について教えていただきたいです。たとえば日本では、最近の高校進学率のデータをみると、朝鮮・韓国・中国系は9割程度が高校に進学しています。その一方で、フィリピンやブラジル系の子どもたちの高校進学率は5割前後と低く、さらにその子どもたちのキャリア形成は極めて不透明です。 柿原:一般的に、中国や韓国から来た豊かな層は良い学校に通い、高い進学実績を残しています。また出身国に限らず、たとえば経済的に高い水準にないオークランド南部などでは、進学率は高くありません。 奴久妻:国籍だけではなく、居住地域が豊かであるかどうかによっても、変わるということですね。たしかにアメリカでも、豊かな地域は固定資産税で学校の運営費が賄われることになるので、地価が高いと良い学校に通えるということは、ある程度言えるのかもしれません。 また、言語間格差も重要なトピックだと思います。たとえば日本では、日本語の習得が一番早いと思われているのは、漢字に対するハードルの低い中国系ですが、ニュージーランドでもこのような言語間格差を感じることはあるのでしょうか。 柿原:ニュージーランドの学校の先生に聞いてみると、アジア系の生徒は理数系の出来はいい。けれども、英語の障壁はあるといいます。 奴久妻:なるほど。理数系科目は比較的言語が関係ありませんからね。そういえば私も小学生のころは、算数の点数は高かったほうでした。ところでアメリカでは、言語間格差がある場合には、みんなが同じ授業を受けているなかで外国人だけ違う教室に移動して、ABCから学ぶ「取り出し授業」が行われているのですが、ニュージーランドはどうなってるのでしょうか。 柿原:日本もアメリカと同様に、取り出し授業が行われているのですが、実はニュージーランドではそれがないんですよね。あまりにも取り出し授業が多いと、子どもたちの学習権を侵害していると見なされてしまうんです。 奴久妻:ああ、そういう解釈なんですか。 柿原:ですので、基本的には取り出しは行いません。その代わりに、外国人児童生徒が多い学校では、その子どもたちを集めて、英語を母語としない生徒のための英語の特別授業を行うということをしています。母国の子どもたちが通うクラスよりもやさしい英語で勉強していくのですが、そのクラスのなかには、先生の話をさらに噛み砕いて生徒に伝えたり、生徒が困っている時にはアドバイスをするスタッフも入り込んでいるんです。 奴久妻:充実していますね。スタッフは、ボランティアになるのでしょうか。 柿原:日本ではボランティアがほとんどですが、ニュージーランドでは「ティーチャーエイド」と呼ばれる職業があり、彼らは学校に独自の予算で雇われています。非常勤職員ではあるものの給与体系はきちんと示されていて、経験を積めばランクが上がる仕組みです。ニュージーランド政府は、移民であろうとも国内格差を拡げたくないと考えているので、教育を受ける人たちは将来的にはニュージーランド人になるというスタンスで、教育制度を設計しています。 奴久妻:そうなると、外国人児童生徒の不就学問題もあまり発生しなさそうですね。 柿原:発生しない仕組みにはなっています。日本では、外国人児童生徒にとって義務教育は義務ではないのですが、ニュージーランドではそういうことにはなりません。義務教育段階にある全ての児童生徒は学校に通うことになっています。移民の場合には、内務省が移民の住んでいる地域を把握しているので、その情報が各自治体に流れ、家庭に連絡がいく仕組みになっています。 奴久妻:連絡がくるんですね。日本とは大違いです(笑)。 柿原:その辺りは、きちんとしていますね。日本では、各自治体が誰がどこに住んでいるかということを、把握できていないですから。 奴久妻:多言語化もできていませんからね……。ニュージーランドはその辺りきちんとしていると思います。外国人児童生徒と教育と結びつけて考えるときに、もう少し広い視点でみると、教育現場の画一性と多様性の話ができるのかなと思っています。教育現場には、外国籍だけではなく、同性愛や不登校、身体的なハンデなど、さまざまな子どもたちがいるわけですが、日本とニュージーランドの学校は、多様性と画一性の観点からみるとどのような違いがあるのでしょうか。 柿原:よく感じることは、校則の違いです。たとえば、髪の色に関する校則に関してですが、多民族化に伴い多様化が進むと、いろんな髪の色の子どもたちが出てくるわけです。それにも関わらず、髪の色は黒でなければいけないという話が未だにあったりするんですね。 奴久妻:なるほど。私の知る話では、ピアスをしているベトナム人の女の子が、日本の学校の先生からピアスは外しなさいと言われた事例があります。ベトナムでは女の子が生まれた場合、お母さんが愛を込めるという意味で、赤ちゃんにピアスを与える文化があるのですが、その文化が守られないことになります。校則が、文化を一元化してしまっている事例です。 柿原:日本人しかいないということを前提に、校則が考えられているわけですよね。 奴久妻:そう考えると、これから日本の学校に多様性を持たせていこうとなった場合、現在の公教育システムの枠組みだけで実現可能なのかというところは、考えるべきことだと思います。たとえば、インターナショナル・バカロレアでは、プログラム修了後に特定の試験をクリアすれば、各国の大学に入学することが可能です。個人的には、このような第三セクターが国境を超えた教育システムを作ることは、難民や特定の国でしか生きられない人たちのための新しい選択肢、すなわち多様性の担保に重要ではないかと考えているのですが、このあたりに関しては、どのように捉えていますでしょうか。 柿原:現場で働く先生方は、目の前のタスクをこなすことで精一杯ということもあり、多様性がどのようなものかということをあまり考えられていないと思います。まずは私たち教員が感じていることを、教育委員会や文部科学省にあげていくべきではないかと考えていて、私個人としては、研究を通じて先生方と上の方々をつないでいける仕事ができればと考えています。 奴久妻:また多様性を受け入れる方法として、ICT教育は重要だと思います。ケアの難しい生徒に対しては、現場で行われているFace to Faceだけではなく、公的機関以外の組織との連携も必要になるのではないでしょうか。 柿原:あまりそういう発想はなかったのですが、実現できればおもしろいと思います。現時点では、学校や生徒・家庭、企業、政府といった教育に関わるアクターの中に、画一性を大いに問題だとする意見は多くないのではないかと思います。画一性を大事にする教育による成功体験が大きいことは、良くも悪くもあるのかなと思います。変革の流れが生まれてきたときに、変わっていくのではないかなと思っています。 奴久妻:変革の流れを、私たちで作っていきましょう。もちろん、画一性の教育で得られた知見がたくさんあるのは理解しています。まずは違いの意見を混ぜ合うことが、重要な一歩です。柿原さんのような現場で働く先生をはじめ、さまざまな方々とブレインストーミングをしながら、気づきを増やしていきたいです。
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*** 奴久妻駿介さんのプロジェクト「外国人児童生徒の不就学問題を解決したい!」、チャレンジ期間は残り3週間弱となりました。ぜひ応援をお願いします!]]>
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光照射によって「巨大な」磁気の波を発生 https://academist-cf.com/journal/?p=6227 Tue, 24 Oct 2017 01:00:08 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6227 光によるスピン制御 冒頭でご紹介したとおり、通常、スピンは特定の向きに配向し、それによって生み出される磁力が活用されています。加えて近年では、スピンの集団的な歳差運動が形成する「スピン波」を利用した情報制御・通信デバイスの開発に大きな期待が寄せられています。これまで電波が担ってきた役割をスピン波に置き換えることにより、情報処理における省電力化の可能性があるためです。 [caption id="attachment_6228" align="aligncenter" width="600"] (a) 位相の揃ったスピン波(広義のスピン波)
(b) 位相のずれた伝搬スピン波(狭義のスピン波)[/caption] スピンの向きを制御するときには通常、外部磁場が用いられます(最近では電流を用いたスピン制御も研究されています)。同様に、スピン波はマイクロ波帯域の高周波磁場や電場を与えることで発生させることができます。これに対し、本研究では、「光」でスピンを制御する手法を適用しました。光によるスピン反転やスピン波の発生は近年、特に注目を浴びており、理論上、非熱的なプロセスであることから省エネにつながることも期待されています。さらに、制御に用いる光として、約0.1ピコ秒(「ピコ秒」は1兆分の1秒)の時間幅で瞬くレーザーパルス光を利用することで、磁場や電流では達成し得ない超高速度でスピン制御が可能です。

「パルス光で」励起された現象を「パルス光で」みる

レーザーパルス光で励起されるスピン変調現象はとても高速なので、その動きを追跡するには、同様に短い時間幅で瞬くパルス光が必要になります。この研究では、兵庫県の播磨科学公園都市にある大型放射光施設SPring-8の放射光を用いました。SPring-8では約50~100ピコ秒の時間幅をもったパルス光を観察光として利用できます。放射光のエネルギー(波長)を、観測する試料の磁性元素の共鳴条件に合わせ、光の偏光状態の違いに由来した応答の差を検出することでその元素のスピンの向きがわかります。 検出装置として、SPring-8のビームラインに設置された光電子顕微鏡を用いました。放射光パルスによって試料から飛び出る電子の量は光の偏光状態とスピン向きに応じて違いが生じるため、放出電子を拡大結像することで、ストロボ撮影のように微小時間内のスピンの動きを画像として検出しています。

フェリ磁性Gd–Fe–Co薄膜で観測された巨大スピン波

この実験では、「フェリ磁性」という、少し変わったスピン配列を示すGd–Fe–Co合金でできた薄膜を試料として、光誘起によるスピン応答を調べました。Gd–Fe–Co合金は、構成元素である希土類元素(Gd)と遷移金属元素(Fe、Co)のスピンが互いに反平行に向いており、各元素のスピンの大きさの差によって正味の磁力を持ちます。また、Gd–Fe–Co合金はその組成に応じて、Gd元素とFe、Co元素の磁気的な運動量が釣り合う固有の温度(角運動量補償温度)を持っています。したがって、レーザーパルス光を照射したときにGd–Fe–Co薄膜の温度が角運動量補償温度をまたいで変化するかしないかにより、スムーズかつ高速なスピンの反転が行われるか、歳差運動(スピン波)が発生して緩やかなスピンの反転が起こるかどうかが決まるといわれています。 [caption id="attachment_6248" align="aligncenter" width="600"] (a) 一般的な磁性体(フェロ磁性体)とフェリ磁性体におけるスピン配列の概念図
(b) 組成の異なるGd–Fe–Co薄膜において期待される光誘起スピン反転過程の概念図[/caption] 研究当初は、上記の理論に沿って、Gd–Fe–Co薄膜の光誘起スピン反転の速さが組成によってどのように違うのかを可視化する目的で実験を進めました。しかし、実際に観測してみると、予想もしなかった結果が得られました。高速・スムーズなスピン反転が期待される組成(Gd 26%)では、予想どおり明瞭なスピン反転が観測されたのですが、歳差運動(非伝搬スピン波)により単純にスピン反転時間が間延びすると予想していた組成(Gd 22%)では、驚くことに同心円状に波打つスピン変調がはっきりと観察されたのです。 [caption id="attachment_6230" align="aligncenter" width="600"] (a) Gd含有量26%と22%のGd–Fe–Co薄膜における、レーザーパルス照射直後のスピン変化を示す時間分解光電子顕微鏡像(”ps”はピコ秒のこと)
(b) Gd含有量22%のGd–Fe–Co薄膜における、レーザーパルス照射後1500ピコ秒後のスピン分布の詳細[/caption] レーザーパルス光の照射により伝搬スピン波が発生することは、これまでも、フェリ磁性の酸化物やフェロ磁性金属などで報告されていましたが、それらは歳差運動角で0.1~1°程度と微弱な振幅のスピン波でした。一方、今回のGd–Fe–Co薄膜で観測されたのは約20°の歳差運動角を持つ「巨大な」スピン波でした。 この振る舞いの起源を理解するため、さらに詳しい比較実験や理論的考察を行った結果、歳差運動(非伝搬スピン波)は角運動量補償特性に基づいた共鳴的な励起であることが確認できました。ただし、「空間伝搬(位相のずれ)」の引き金となっているのは内的・共鳴的な起源によるものでなく、レーザーによって付加された熱の空間的不均一によって外的・非共鳴的に引き起こされた強制的な位相変化であることがわかりました。しかしながら、この現象でも伝搬波の形状を持っていることに変わりはないため、スピン波の伝搬機構に関して新たな視点を与えたとも言えます。

本研究の意義と今後の展望

このGd–Fe–Co薄膜、実はこれまでは、「超高速のスピン反転」が可能な媒体として注目されていました。つまり、歳差運動によって高速反転が阻害されるような条件はむしろ好ましくないと考えられていたのです。しかし本研究ではその条件において、これまでの10倍以上の振幅をもつ「巨大な伝搬スピン波」というまったく新しい現象を見出しました。 これまで知られていた現象が巨大現象として観測されることは、時として科学や産業に大きな影響を与えることもあります。例として、ハードディスクの飛躍的な高密度化に貢献した「巨大磁気抵抗効果」という現象が挙げられます。この磁気抵抗効果は、1988年にドイツのP. Grünberg博士らのグループによって微小な効果として発見されましたが、そのほぼ同時期に、フランスのA. Fert博士らのグループにより、その数10倍に及ぶ巨大な抵抗効果が報告されたことで物理業界に大きなインパクトが走り、瞬く間に産業応用へと発展しました。両博士は2007年にノーベル物理学賞を受賞しています。 今回の現象の発見も、スピン波を利用した電子工学の発展や技術応用に繋がることを大いに期待しています。 参考文献 T. Ohkochi, H. Fujiwara, M. Kotsugi, H. Takahashi, R. Adam, A. Sekiyama, T. Nakamura, A. Tsukamoto, C. M. Schneider, H. Kuroda, E. F. Arguelles, M. Sakaue, H. Kasai, M. Tsunoda, S. Suga, and Toyohiko Kinoshita “Optical control of magnetization dynamics in Gd–Fe–Co films with different compositions” Applied Physics Express 10, 103002 (2017). DOI:10.7567/APEX.10.103002]]>
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弱い量子コンピューターはどのくらい強いのか? - 量子スプレマシー研究の最前線 https://academist-cf.com/journal/?p=6237 Fri, 20 Oct 2017 01:00:35 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6237 多項式階層というのは、P、NPを一般化した概念であり、崩壊しないだろうと信じられています(不正確ですが、イメージとしてはP=NPが信じられていないようなものです)。したがって、多項式階層が崩壊しないと信じるならば、OCQモデルは古典計算機ではシミュレートできないことになります(注2)。 このように、弱い量子コンピューターが古典計算機より強いことを示す研究は量子スプレマシーと呼ばれており、最近、世界中で流行しています。今回紹介したOCQモデルだけでなく、交換する量子ゲートからなる量子計算モデル(IQPモデル)や、相互作用無しの光子を用いた量子計算モデル(ボソンサンプリングモデル)など、さまざま提案されており、それらの理論的、実験的研究が活発に行われています。近い将来に実現される量子コンピューターはまずはユニバーサルではなく、このような弱いものであるだろうと考えられているため、弱い量子コンピューターは何ができて何ができないのかを明らかにすることが重要となってきています。 量子スプレマシーの研究は量子情報処理という工学的、実用的な話だけでなく、理論物理の基礎とも密接に関係しています。たとえば、量子論の誕生以来、量子と古典の境界がどこにあるのか、という問題は多くの研究者たちの関心を集めてきました。ユニバーサル量子計算機というのはある意味、「最も量子的な存在」なわけですが、それをどんどん弱めていったとき、どこまで弱めたら古典計算機になるのか? ということが理解できれば、量子と古典の境界がどこにあるのかのひとつの答えとなります。このように、量子計算は、理論物理の基礎に計算機科学の視点からアプローチする、というまったく新しいエキサイティングな研究領域を開拓しているのです! 量子スプレマシーについてもっと詳しく知りたい方は、参考文献をご覧ください。 参考文献 [1] T. Morimae, Hardness of classically sampling one clean qubit model with constant total variation distance error, Physical Review A 96, 040302(R) (2017) [2]観測に基づく量子計算、7.3節、小柴健史、藤井啓佑、森前智行、コロナ社 [3]量子計算理論、10章、森前智行、森北出版
(注1)あくまで数理的なモデルであり、現実のNMR量子計算機を完全に再現しているわけではありません。 (注2)この結果は、以下で述べる他のモデル(IQPモデル、ボソンサンプリングモデル)の証明と同様に、ある数学的予想の正しさも仮定しています。これは、問題のあるひとつの例を解くのが難しいときに、他の多くの例でも同じように難しいだろう、という予想であり、average case hardness conjectureと呼ばれています。
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理論計算化学が拓く新反応開発 - 遷移金属を用いないアルキニルホウ素化反応 https://academist-cf.com/journal/?p=6265 Fri, 27 Oct 2017 01:00:38 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6265 「ホウ素」と「炭素-炭素三重結合」 私たちは東京大学大学院薬学系研究科・基礎有機化学教室で元素の特性を活かした新反応開発・ものづくりに挑んでいます。元素もいろいろありますし、非常に多岐にわたる研究テーマに、研究室員みんなが思い思いに和気藹々と取り組んでいます。なかでも注目している元素のひとつがホウ素です。 炭素−ホウ素結合は有機合成化学を行ううえでさまざまな結合に変換できる非常に有用なツールになるのみならず、近年ではホウ素を含む化合物そのものが医薬品に用いられたりするなどの背景から、有機分子に位置・立体を精密に制御しつつホウ素を導入する新たな反応の需要は高まる一方です。一方、炭素−炭素三重結合(以下、C−C 三重結合)は触媒や酸などの外部刺激を与えることで多彩な化学反応を行うことができます。そのため、有機分子にホウ素と C−C 三重結合を一挙に導入することができれば、医薬品や機能性材料などの非常に複雑な化学構造を自在に作る基礎となる化合物を簡単に手にいれることができます。 私たちは、実験化学と並ぶ大きな研究の柱として理論計算・計算化学を駆使し、「発見した反応・合成した化合物を解析し、その本質を理解すること」、「分子の性質をあらかじめ予測することで、合成すべき機能性分子を効率的にデザインすること」、さらには「これまでにない反応を見つけ出すこと」に挑戦しています。本稿では3つめの観点から開発した反応を紹介します。

ホウ素試薬とアルコキシアルキンの擬分子内型反応

私たちは遷移金属触媒を用いることなく効率的に有機分子をホウ素化する方法の開発に取り組んでおり、これまでに C−C 三重結合を有するアルコールをブチルリチウムでアルコキシドに変換し、これにジボロンを反応させることでC−C 二重結合に2つのホウ素を導入する反応を開発しております(当時修士課程の学生だった永島さんによる研究成果)。単純なアルキンとジボロンをアルコキシドの存在下で反応させようとしてもまったく反応が進行しないのに対し、反応基質であるアルキンと活性化剤であるアルコキシドを同一分子内に配置することによって擬似的な分子内反応に持ち込むことで、これまでにない反応性を実現しました。さらにこの反応に特徴的なのは、2つのホウ素が二重結合のトランス位に導入されている点です。それまでに報告されていたアルキンのジボリル化反応はシス選択的なものばかりであったため、まったく新しい反応性・立体選択性を同時に実現した良い例でした。さて、こうなってくると「ホウ素−ホウ素」の組み合わせだけではなく、「ホウ素−他元素」の組み合わせにも本コンセプトがつかえるのではないか? と欲が出てきます。とはいえ、凄まじい数のホウ素化合物があるのでどれから試して良いやら……と途方に暮れていました。

そんなときこそ計算化学

こんなときこそ計算化学だ! と思い、寝ているあいだにスパコンにがんばってもらいました。いろいろな有機ホウ素化合物とプロパルギルアルコキシドの反応を網羅的に解析したところ、フェニル基やビニル基、少々意外ながらもアリル基を有するボロン酸エステルは、初めの炭素−ホウ素結合生成反応の進行に大きな活性化エネルギーを要することがわかってきて、現実的に反応しないだろうな……と思われました。手詰まり感が出てきて炭素−ホウ素の組み合わせは厳しいのか……と諦めかけたとき、某試薬メーカーのサイトを眺めていたら、アルキニルボロン酸エステルなるものが売られていることに気がつきました。急いで活性化エネルギーを計算してみたら、まだまだその値は高いものの、他のものに比べて著しく低くなることがわかりました。

アルキニルホウ素化反応の開発

早速試薬を購入して、当時新加入だった4年生の野上さん(現在大学院修士課程)に反応を仕込んでもらいました。加熱下でしばらく撹拌したのち、「TLCは原料とまったく変わらないです」との報告にガッカリしかけたものの、続く「NMRチャートには謎の新ピークがありますけど」に気を取り直して根気よく単離・精製を行ってもらい、X結晶構造解析にて構造を決定したときには思わずハイタッチでした。 本反応で得られる化合物はオキサボロロール骨格を有しますが、複雑に置換されたオキサボロロール化合物の物性はあまり知られておらず、有機溶媒にまったく解けないものが出現したり、通常のシリカゲルカラムクロマトグラフィー精製ではまったく綺麗にならないものが多く、ピュアな化合物を得るのにとにかく苦労しました。筆者が大学院生のときに「有機化学で一番難しいのは精製」と先輩に教えられたことを常々思い知らされながらのおよそ1年半を経て論文投稿、各生成物の精製法を一から根気良く検討してくれた野上さんの地道な努力が実を結んで Journal of the American Chemical Society (アメリカ化学会)誌に無事掲載されるに至りました。 本反応の開発過程で、アルキニルオキサボロロール化合物が強い青色蛍光を示し、置換基の種類によってその蛍光波長を調整できることがわかりました。今後はこれを利用した分子プローブや色素の開発など応用面に着目した研究展開を行っていく予定です。現時点では、ホウ素試薬の活性化基がアルコキシド基に限られるなど、まだまだ制限が多い本反応形式ですが、このコンセプトを用いて「あっ!」と驚いていただけるような面白い分子・美しい分子・素晴らしい機能を追い求めていきたいと思います。続報にご期待ください! 参考文献 M. Nogami, K. Hirano, M. Kanai, C. Wang, T. Saito, K. Miyamoto, A. Muranaka, M. Uchiyama: J. Am. Chem. Soc. 2017, 139, 12358. Y. Nagashima, K. Hirano, R. Takita, M. Uchiyama: J. Am. Chem. Soc. 2014, 136, 8532.]]>
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海底に突き刺さった潜水艦は特定できたのか? - 浦環博士のプロジェクト報告会レポート https://academist-cf.com/journal/?p=6269 Mon, 23 Oct 2017 07:33:13 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6269 海底に突き刺さった潜水艦は伊58か?」の支援者向けプロジェクト報告会が、10月10日に東京で開催されました。報告会では、8月22日から25日にかけて行われた遠隔操縦式の無人潜水機(ROV:Remotely Operated Vehicle)を使った海底調査の結果について、ラ・プロンジェ深海工学会 浦環博士が詳細に解説しました。 1946年に長崎県・五島列島沖合水深200mに海没処分された旧日本海軍の潜水艦24隻は、日本テレビにより2015年に発見されています。そのうち「伊402」のみが特定されていましたが、ほかの潜水艦についてはどれがどの潜水艦であるか明らかになっていませんでした。潜水艦24隻が沈む東シナ海は、流れがあり、濁っているため、海底の調査は非常に難しいのです。 浦博士らの民間調査グループ ラ・プロンジェ深海工学会は、「伊58」「呂50」の特定に向けたプロジェクトの第一段階として、2017年5月19日〜21日に、曳航式のサイドスキャンソナーを用いた調査を行いました。この結果、日本テレビのデータには無かった潜水艦が存在しており、そしてその潜水艦は、海底に垂直に突き刺さる形で沈んでいたことがわかりました。 浦博士は、この海底に突き刺さった潜水艦をはじめ、海底に眠っている潜水艦24隻を特定するための資金の一部をacademistにて募集し、見事目標金額500万円を達成。8月22より行われた調査では、ROVを用いて詳細な状態を写真・動画撮影することで、各潜水艦の特定を試みました。 この結果、海底に垂直に突き刺さった潜水艦No.25は「伊58」ではなく「伊47」であることが明らかになりました。「伊58」は、船尾を上にして約60度の傾斜で海底に立っているNo.24、「呂50」はNo.19でした。 浦博士によると、潜水艦には漁網が絡んでおり詳細な形が判断しづらく、特に「伊53」と「伊58」の区別が非常に困難だったそうです。「調査時点ではNo.1が「伊58」だと思っていたが、その後の詳細な解析により、9月7日に行われた記者会見の3日前に特定に至った」(浦博士)とのことでした。 8月22日〜25日のROV調査の様子、および9月7日の記者会見の様子は下記ニコニコ生放送のサイトにてご覧いただけます。 みんなで特定しよう!旧日本海軍「伊58」潜水艦 水中ロボによる海底探査を生中継 潜水艦「伊58」特定プロジェクト 調査報告会見を生中継 今後は、今回のデータを生かして、VR等を用いたバーチャルメモリアルを作っていくことが期待されています。浦博士は講演の最後に、「海中技術者として海に落ちたものは必ず探し出したい。また、日本は海洋国家として、サルベージ技術を向上させていくことが大切。深海は自分のものであると思えるように今後も海中技術を利用したさまざまなプロジェクトを進めていきたい」と語っていました。 12月3日には、世界三大記念館「三笠」にて一般向けに講演会が行われる予定です。ご興味のある方はぜひご参加ください!  ]]> 6269 0 0 0 見通しが暗いと言われる博士課程を少しでも明るく! - 研究への興味だけでなくキャリア志向も大事? https://academist-cf.com/journal/?p=6291 Thu, 26 Oct 2017 01:00:21 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6291 集団の平均という視点から個人の特徴をつかむアプローチへ 今回の研究はフィンランドの研究者と共同で行ったもので、フィンランドの博士課程の学生の学業への動機と学業経験の満足度の関係のパターンを探ろうとしたものです。ヘルシンキ大学の博士課程の全学生およそ4000人に対しアンケート調査への協力を依頼し、1200人程度の学生から協力を得ました。アンケートでは学生が<博士課程を始めた動機>(「専門性を高めるため」や「研究テーマに興味があるため」など)についての項目と、<博士課程の学業全般>、<研究指導の質>(「指導教官から適切に評価されている」など)、<研究コミュニティーの雰囲気>(「研究者間に同僚であるという良い意識がある」など)、<機関の実務的な手続きや実践>(「自分を含めた博士課程の学生間に平等な権利と責任意識がある」など)の満足度を測る項目を準備しました。まず統計的手続きを経て、博士課程を始めた動機について2つの要素「キャリア志向」と「研究への興味」を抽出し、これらの指標を使って学生の学業動機の特徴をつかもうとしました。 [caption id="attachment_6303" align="aligncenter" width="600"] フィンランドでは博士課程を修了すると、研究者として認められ、科学の自由を象徴するシルクハットと、知識は力であることを象徴する剣を得る伝統がある。分野によって異なるが、現在は入手しない修了生も多くなってしまった。[/caption] 今までのこの分野の多くの研究では、得られた回答者を同様の傾向を持った一群とみなしその特徴を明らかにするものが多かったのですが、今回の調査では学生個人を学業動機の2つの指標の高低によってさらにいくつかの下位群に分類し、その分布の割合から博士課程の学生の進学動機の特徴をつかもうとしました。たとえば「キャリア志向」は高いけど「研究への興味」は低い学生群「高キャリア志向群」や、「キャリア志向」はあまりないけど「研究への興味」は人並みにある学生群「低キャリア志向群」などです。そしてこれらの群間の学業満足度の数値を比較し、さらに現地人学生と留学生の下位群への分布の割合を比較しました。

研究への興味もいいけどキャリア志向もね

その結果、博士課程で学ぶことでキャリアをアップさせたいとあまり考えない学生群「低キャリア志向群」は、研究への興味が人並みであっても、特に学業満足度が低いことが示されました。また、現地人学生と留学生はどのような進学動機のパターンの群に属するか分析したところ、現地人学生はこの「低キャリア志向群」により多く分布することが示されました。留学生は自身のキャリアアップのために博士課程で学ぶという意識が高い「高キャリア志向群」により多く分布していました。 [caption id="attachment_6290" align="aligncenter" width="600"] 現地学生と留学生の博士課程進学動機のタイプの異なる群への分布を示した図。現地学生は「高キャリア志向群」への分布が極端に少なく、「低キャリア志向群」への分布が極端に高い。[/caption] 今回の結果は、冒頭に紹介した学生さんを含め、解決の糸口の見えない不透明なキャリアパスに直面する博士課程の学生へのサポートのあり方にひとつの示唆を与えます。それぞれの学生が高度専門家としての可能性のある将来のキャリアへ向けた目標や希望をより具体的に考え、また、支援する大学や指導教員がその方向に促すことで、より望ましい態度で学業に専念していける可能性が高まるのではないかと考えられます。

これからに向けて

ややもすると、指導教官とのミーティングは研究内容やその進捗の報告が中心となり、将来のキャリア開発についてゆっくり話すことが難しい現場もあると聞きます。さらに、研究職以外のキャリアに興味があると言ってしまうと、指導教員から熱心に指導されなくなってしまうのではないかと不安に考える学生もいます。大学研究職パスに乗れなかった研究者は「負け組」という意識さえ蔓延する国もあります。ある学会で本研究結果を発表したところ「博士課程はキャリアのためにやっているのではない」というご意見をいただいたこともあります。少なくとも現代日本においては、最近出版された『博士になったらどう生きる?‐78名が語るキャリアパス』がありありと示すように、博士人材がたどるキャリアの実情は想像以上に多様になっています。にもかかわらず、科学研究費助成事業データベース、CiNii Articles、Google Scholarなどのウェブページで「博士課程」を検索してみると、日本国内には研究の蓄積がほとんどないことを痛感させられます。 最近「博士世界」という雑誌が朝日新聞デジタルの記事で紹介され注目されました。実は先ほど紹介した科学研究費助成事業データベースで「博士課程」を研究課題名に含む7件のうち3件が2016年度に採択されたものです。一時的な偶然かそれとも必然なのかわかりませんが、まだ見ぬ私自身の安定したキャリアのためにも、将来の若手研究者のよりよい人生のためにも、私自身もまず自分のキャリアに必要な職能開発を意識しつつ、これらの取り組みに刺激を受けながら着実に研究を続けていきたいと思います。 参考文献 Sakurai, Y., Vekkaila, J., & Pyhältö, K. (2017). More or less engaged in doctoral studies? Domestic and international students' satisfaction and motivation for doctoral studies in Finland. Research in Comparative and International Education, 12(2), 143-159. 栗田佳代子, 吉田塁, 堀内多恵 (2017) 『博士になったらどう生きる?―78名が語るキャリアパス』 勉誠出版. 入りたい人、入ってしまった人のための情報誌「博士世界」 (最終閲覧日:2017年10月20日)]]>
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コオロギも「ビックリ」したときに記憶する https://academist-cf.com/journal/?p=6298 Wed, 01 Nov 2017 01:00:14 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6298 どうして記憶するの? 物事を記憶することは、効率よくエサを探したり、外敵を避けることができるようになるため、環境の変化に適応して生き延びる助けとなります。したがって、ヒトだけでなくあらゆる動物にとって、物事を記憶することは重要です。 たとえば、パブロフの犬の実験が有名でしょう。犬にベルの音を聴かせた後にエサを提示する訓練を繰り返すと(注1)、犬はベルの音とエサを結び付けて記憶することができるため、やがてベルの音を聞いただけで唾液を分泌するようになります。最近の研究では、ショウジョウバエすら匂いとエサの在り処を結びつけて覚えられることが報告されています。

ほ乳類は「ビックリ!」すると記憶する

では、動物が記憶を形成するために必要な条件は何でしょうか。その歴史は古く、1972年にRescorlaとWagnerという2人の科学者が、”予測と違ってビックリする”と記憶が作られる、との理論(“予測誤差”理論)を提唱しています。 たとえば計画どおりに進んだ旅行よりも、思いもよらない出会いやイベントがあってビックリした旅行の方が記憶に残っているのではないでしょうか。この予測誤差理論は、ブロッキングと呼ばれる現象に基づいて提唱され、現在でもほ乳類が記憶を形成する条件を説明する有力な理論として支持されています。しかし、この理論がほ乳類以外の動物の記憶形成を説明可能かどうか、十分な検証がされていませんでした。

コオロギだって「ビックリ」すると記憶する

そこで私たちは、予期誤差理論の基礎となったブロッキングと呼ばれる現象がほ乳類以外の動物でも成立するか、実験を行いました。実験対象として着目した動物は、昆虫のフタホシコオロギです。ほ乳類と進化的に遠く離れたコオロギにも予測誤差理論が当てはまるならば、広く動物の記憶形成に必要な条件を説明可能な理論として位置づけることが可能だと考えられます。 フタホシコオロギは、近年記憶のメカニズムについて研究の発展が目覚ましいモデル動物です。今回は、匂いや模様を、報酬の水や罰の塩水と結びつけて記憶させる実験系を用いました。 [caption id="attachment_6295" align="aligncenter" width="600"] コオロギの記憶訓練とテスト
(a)コオロギの訓練には水や塩水を入れたシリンジを用いる。シリンジの先には匂いエッセンスの付いたろ紙や、図のような模様が取り付けられている
(b)匂いの記憶テスト装置。装置内に二種類の匂いが提示されており、コオロギはこれを選択する
(c)模様の記憶テスト装置[/caption] まずは、コオロギにある種の模様とミントの匂いを同時に提示して直後に水を与える訓練を行います。するとコオロギはそれぞれの刺激と水を結びつけて記憶して、ミントの匂いや模様を好み近寄るようになりました。これは、ミントの匂いや模様からは報酬の水を予想していなかったため、「ビックリ」して匂いと水、模様と水を結び付けて記憶したと解釈できます。 では、「ビックリしない」局面では記憶は作られないのでしょうか。これを試すブロッキング実験を行いました。 [caption id="attachment_6653" align="aligncenter" width="600"] ブロッキング実験 (a)実験手順の一例。匂い記憶のブロッキング実験では、コオロギに模様と水を結び付ける訓練を行った後、模様に加えて匂いを提示した後水を与える訓練を行った (b)実験結果の一例。ブロッキングを行ったコオロギは、コントロールに比べて訓練した匂いに近づかなかった。これは、匂いと水を結び付けた記憶が十分に形成されなかったことを意味する[/caption] あらかじめ、コオロギに模様と水の関係を記憶させます。次に、模様とミントの匂いを同時提示した後に水を与える訓練を行います。このとき、コオロギは模様を見ることで水がもらえることを予想できます。すると、ミントの匂いと水の関係は十分に記憶されませんでした。すなわち、ブロッキング現象が確認できました。 次に、今回のブロッキング実験が特定のにおいや模様、報酬や罰の組み合わせでのみ生じる特殊ケースでないことを示すため、模様と匂いの組み合わせを逆転させる実験や、報酬の水の代わりに罰の塩水を用いた実験を行いました。すべてのケースでブロッキング現象が成立することが確認できました。つまり、コオロギは「ビックリ」したときにこそ記憶を作る、すなわち予測誤差理論がコオロギの学習にも当てはまることが明らかにできました。

ほ乳類と昆虫、どこまで共通性があるの?

次に、薬物を用いた検証を行うことで、”ビックリ”の情報を伝達する物質を探索しました。結果、コオロギではおいしいエサに関する記憶など、うれしい記憶を作る際に必要な”ビックリ”の情報をオクトパミンと呼ばれる生体アミン(注2)が伝達することを明らかにしました。 [caption id="attachment_6297" align="aligncenter" width="600"] オクトパミン・ドーパミンの役割をまとめた理論モデル
コオロギの記憶形成の際に働くオクトパミン(OA)・ドーパミン(DA)神経細胞が、どのような仕組みで機能するかまとめている。オクトパミン・ドーパミン神経細胞に向けられた▲が報酬や罰の情報、が匂いや模様の情報を伝達する。オクトパミン・ドーパミン神経細胞はこの情報を処理して「ビックリ」の情報を生み出す。オクトパミン・ドーパミン神経細胞から伸びたの先へ「ビックリ」の情報は伝達されて、記憶の形成をコントロールする[/caption] オクトパミンは、ほ乳類のノルアドレナリンに類似した物質です。一方、毒や外敵の襲撃に関する記憶など、嫌な記憶を作る際に必要な”ビックリ”の情報はドーパミンと呼ばれる生体アミンが運んでいることを確かめました。ほ乳類では、ドーパミンがうれしい記憶を作る際に必要なビックリの情報を伝達しています。したがって、うれしい記憶か嫌な記憶か、という性質の違いはあるものの、昆虫とほ乳類にはドーパミンを介してビックリの情報を伝達する、という点で記憶メカニズムの類似性が見られました。

まとめ

1. ほ乳類は「ビックリ」したときに記憶します。 2. コオロギも「ビックリ」したときに記憶することを明らかにしました。 3. ほ乳類と昆虫で「ビックリ」の情報を伝えるメカニズムには、共通性があることを明らかにしました。

終わりに

ヒトの記憶のメカニズムを調べたり、記憶に関係する薬を開発したりするために、昆虫を対象としたパイロット実験を行う時代が来るだろうと、私は考えています。ほ乳類を対象とする動物実験を忌避する意見もあるため、昆虫の研究が今後まずます重要になるのではないでしょうか。 研究の過程で、これまで過去にほ乳類で行われてきた予測誤差理論の妥当性の検証に不十分な点があったことを発見し、コオロギを用いた実験によってそれを補完したこともお伝えしたかったのですが、やや難しいため今回は割愛します。もし本記事で私の研究に興味を持ってくださった方がいればScientific Reports注目の記事としてまとめられた日本語の解説プレスリリース原著の論文(英語)に目を通していただけると大変うれしく思います。 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
(注1)パブロフの犬の実験 犬にベルの音を聴かせた後にエサを提示する訓練を繰り返す厳密に言えば、“ベルの音”ではなく“メトロノームの音”です。パブロフはメトロノームのテンポを変えることで、どの程度類似した刺激に記憶が般化されるか調べています。メトロノームはカチカチと音が鳴るものが多いですが、大きな音を鳴らすためのベルが付属している場合もあります。パブロフがベル付きのメトロノームを用いていたのかどうか、私は詳しく知りませんが“ベルの音”という理解が広まった一因はここにあるのではないかと思います。 (注2)生体アミン アミノ酸から作られる低分子です。代表的なものにドーパミンやセロトニンが挙げられます。 ほ乳類から昆虫までさまざまな生物が、情報を伝達する物質として利用しています。
  参考文献 Rescorla, R. A. & Wagner, A. R. [A theory of Pavlovian conditioning: Variations in the effectiveness of reinforcement and nonreinforcement] Classical Conditioning II [Black, A. & Prokasy, W.R. (eds.)] [64-99] (Academic Press, New York, 1972). Kamin, L. [Predictability, surprise, attention and conditioning] Punishment and aversive behavior [Campbell, B.A. & Church, R.M. (eds.)] [279-298] (Appleton-Century-Crofts, New York, 1969). Waelti, P., Dickinson, A. & Schultz, W. Dopamine responses comply with basic assumptions of formal learning theory. Nature 412, 43–48 (2001).]]>
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かたひじはらない法哲学者、スナック研究に挑む - 首都大学東京・谷口功一教授 https://academist-cf.com/journal/?p=6314 Thu, 09 Nov 2017 01:00:17 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6314 今、密かにスナックブームが起きている。その火付け役となったのが、芸人で全日本スナック連盟会長でもある玉袋筋太郎さん、そして、首都大学東京で法哲学を教える谷口功一教授だ。日本に約10万件もあるとされるスナック。その存在感とは裏腹にスナックに関する書物は極めて少ない。そんな現状に憤りを感じ、自身がスナック愛好家でもある谷口教授が名だたる研究者を集めてスナック研究会を立ち上げた。公共性とは何かを巡る重厚な研究書を著す一方で、スナックの研究も行う谷口教授とは、一体何者なのか? 新宿二丁目のゲイバーa day in the lifeで行われたトークイベント後、ハイボール片手にお話を伺った。 ——まずはじめに、先生の専門の法哲学とはどのような学問であるのかお聞きしたいです。 法学部のなかには、憲法・民法・刑法などの実定法学と呼ばれる分野があり、ふつうはこれらを法学としてイメージしますが、これとは別に基礎法学という分野があり、法哲学はそのなかに含まれます。基礎法学のなかには、法哲学以外にも、法社会学・英米法・ドイツ法・フランス法・東洋法制史・西洋法制史などが含まれており、この点、法学部のなかには、社会学・外国法(地域研究)・歴史など「文学部が丸ごと法学部のなかにあるような形」にもなっているわけです。 この実定法と基礎法という区分に関して、私がいつも使う譬えは医学部の話で、医学部でも、臨床医学(外科・内科・精神科……)と基礎医学(解剖学・生化学・遺伝学……)の区分がありますが、法学部における基礎法学というのは、医学部における基礎と同じようなものを考えてもらえばわかりやすいかもしれません。実際に患者さんを治療・診療はしないけれども、それを支える基礎について研究する、ということですね。 「法哲学」そのものについてですが、もの凄く大雑把にいうと法哲学は「法とは何か」を問う《法概念論》と「正義とは何か」を問う《正議論》の2つの柱から成り立っています。わたし自身の研究は後者に関連する形で「公共性とは何か」ということを長年考えてきました。 ——法や正義といった一見すると自明な概念を改めて吟味する学問が法哲学なのですね。先生が代表を務めるスナック研究会が各種メディアで話題になっていますね。 スナック研究は、あくまでも趣味の片手間でやっているもの(或いは飲み歩いているだけ)だと思っている人も少なからずいるようですが、わたし自身は毛頭そんなつもりはなく、これもまた、わたし自身の法哲学の研究プロジェクトのなかで大きな地位をキチンと占めるものです。 ——そもそもスナックを研究しようと思ったきっかけは何だったのですか? 私の生まれ育った場所は大分県別府の繁華街で、幼少期からスナックは身近な存在でした。大学から上京してそのあとはずっと東京に住んでいたのですが、地方での学会の際にはスナックに行くことも多々ありました。ただ、地元のスナックに頻繁に通うようになったのは、東日本大震災を経験して帰宅難民の恐さを知ってからだと思います。そうしてスナック通いをするうちに、スナックの歴史などに興味を持って調べてみましたが、日本中にスナックはたくさんあるのにもかかわらず学術的に掘り下げられたことないことを知って驚き、一人でコツコツ調べ始めたのがきっかけです。また、水商売を侮るような風潮に一石を投じたいという思いもきっかけのひとつと言えるかもしれません。 ——日々の生活のなかでのふとした疑問が研究に発展したのですね。先生がこれまで法哲学という分野でしてきた研究とスナックとはどういった関係にあるのでしょうか。 わたし自身が法哲学者になろうと思った際に、最も大きな影響を受けた井上達夫(東京大学教授・法哲学)の『共生の作法』(創文社)という本があるのですが、このスナック研究は、この本で示されていた「会話としての正義」というアイデアに対する私なりの応答でもあるのです。詳しいことは、スナックに関する次回の著作(単著)のなかで明らかにするつもりですので、今しばしお待ちください。 ——次回の著作が待ちきれないので、予告編としてもう少し質問させてください(笑)。今回はスナック、以前出版された単著『ショッピングモールの法哲学——市場、共同体、そして徳』(白水社)においてもショッピングモールといった具体的な場所、そして「郊外」への関心が窺えます。 先に「公共性とは何か」ということについて考えてきたと言いましたが、2015年に白水社から刊行した『ショッピングモールの法哲学--市場、共同体、そして徳』という本のなかでも示したとおり、この「公共性」に関するわたしのなかの関心は、ある時期から郊外の大規模ショッピングモールをモチーフとした共同体論(コミュニティ重視)とリバタリアニズム(市場=経済的自由の重視)の相克といった、かなり具体的な事象を背景にしたものになってゆきました。 この郊外という場所性をもとに色々と研究してゆくなかで、2010年くらいから郊外、特に地方では移民の問題などが存在していることを知り、現在ではそのことについての研究も行っています。「郊外の多文化主義」という論文のなかで、そのことについて扱っています。この論文は、ニューズウィーク日本版でWeb上に転載されています。 ——概して言うと、経済的自由を重視するリバタリアニズムが「郊外」のコミュニティの荒廃を促し、それへのアンチテーゼとしてコミュニティを重視する共同体論が興隆してくるという図式があると思います。ただ、先生は「公民的徳性civic virtue」と呼ばれるものを有した市民の「参加」を重視する、いわば肩肘が張った共同体論にもやや懐疑的な姿勢をとっている点が興味深いです。こうした懐疑が今回のスナック研究にもどこかつながっているのではないかと思います。

おおむね、それで合っています。敢えて言うとしたら「公民的徳性」の発揮みたいなのは、昼の活動に限定して考えられがちだけれども我々は夜も生きているわけで、夜の話は? と考えたらスナックがあった、ということです。

——先生の研究はスナックという対象もさることながら、その方法も特徴的なように思えます。一般的には法哲学の研究はどういった方法でなされるのでしょうか? 昔、ある有名な法哲学者が言った言葉に「法哲学は法哲学者の数だけ存在する」というものがあるのですが、実際このとおりで、法哲学の研究は、それほどノーマライズ(規格化)されたものではなく、各人の手法によって大きく異なっていると思います。基本的に文献を読み込んで解釈をしているという点では他の人文諸科学と変わりありませんが、先に説明したとおり法学の一分野ですから、もちろん実定法学の知識も動員して考察をしていく点が、似たような(隣接)分野である政治哲学や、哲学そのものとの違いと言えるかもしれません。 ——先生の研究スタイルは幅広い文献を渉猟することに加えて、今述べたどれからもはみ出たスタイルをとっているように思えます。 私のいずれの研究においても、法哲学者としてはまったく典型的ではないのですが、実踏調査をかなりしたうえで、それを帰納的に理論のほうへと落とし込んでゆく手法を採っており、これがわたし自身の研究のひとつの特徴なのかな、とも思うところです。 これは実のところスナック研究とも大いに関係のある話で、たとえば移民のことなどについて調査に行く際、もちろん、自治体の役所や多文化共生センターなどにも行くのですが、そこでは得られないような生の情報を得るためにこそ、自腹でその土地のスナックへ行き、実際ほんとうのところはどうなっているのかといったことを、呑んだり歌ったりしながら教えてもらうわけです。やっていることは新聞や週刊誌の事件記者と同じです。 現地のスナックで聞く話は、非常に興味深い話も多く、また書くと現地のひとたちに迷惑のかかる話なども少なからずあり、実際には書けない話もありますが、そういうことを知らないままに書くのと知っていて(差し障りのあることは)書かないのとでは大違いで、書き上がったものの奥行きも、おのずと違ってくるだろうと思っています。なぜ、こういうことに関心を持って、こういう手法を採っているかというと、それは自分が楽しいから、面白いからという点に尽きます。研究というのは、そういうものでしょう。 ——「面白いから、楽しいから研究する」、当たり前のことのように思いますが再度言われるとハッとしてしまいます。先生ご自身のスナック研究の集大成として近々単著が出ますね。これまでの研究の一区切りになると思いますが、その後の研究の展望がもしあれば最後にお聞きしたいです。 さきほどもお話ししたとおり、共著論文集だった『日本の夜の公共圏』(白水社)とは別に、わたし自身の単著としてのスナックに関する本を現在執筆中です。すでに出版社も決まっており、できれば年内、遅くとも今年度内には何とか出版の目処をつけたいと思っています。このなかでは、さきに話したようなわたし自身の法哲学研究者としての大きな宿題(井上達夫の「会話としての正義」への応答)を果たせればと思っています。また、この本以外にも、スナックに関しては、続けて本を書き継いでゆきたいと思っており、すでに幾つかの案も持っていて幾つかの出版社の方とも話をしているところです。 わたしは法哲学者であると共に、このスナック研究という分野においては founding father(創業者)になれたと思っているので、今後はその創業者利益をめいっぱい活用して、さらに面白い研究をしてゆければと思っています。研究者の人生は意外に長いですが、楽しくなければ研究じゃないし、続かないというのが私の持論です。

谷口功一(たにぐち・こういち)首都大学東京教授 プロフィール

1973年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員を経て現職。専門は法哲学。スナック研究会代表。著書に『ショッピングモールの法哲学』(白水社)、『公共性の法哲学』(共著、ナカニシヤ出版)、編著に『日本の夜の公共圏:スナック研究序説』(白水社)。

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地球の限りある資源をどう使っていくべきか? 触媒化学から見る未来 - 早稲田大学・関根泰教授 https://academist-cf.com/journal/?p=6322 Thu, 02 Nov 2017 01:00:16 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6322 ——関根先生の専門である触媒化学とは、化学のなかのどのような分野なのでしょうか。 化学には、有機化学や無機化学のような分子の構造に根付いた分野もあれば、化学工学や高分子化学、電気化学のような実用に近い分野もありますが、触媒化学はその中心にある化学反応をとりもつ縁の下の力持ちのような存在です。そのため、”セントラルケミストリー”とも言われています。実は、化学工業のおよそ9割が触媒を使ったプロセスなので、ありとあらゆるところに触媒はこっそりと使われています。これに対して我々のミッションは、新しい時代に合った触媒プロセスをつくっていくことであると考えています。 ——関根先生がとくに着目されている触媒について教えてください。 触媒とは、それ自身は変化せず、他の物質の化学反応を速める物質です。したがって、どんな触媒を使ってどんな反応をターゲットにするか考える必要があるのですが、我々は「固体の触媒」と主に「ガスの反応」を扱っています。固体触媒のところに原料ガスがきて、別の物質に変わっていくという反応です。たとえば、石油化学の原料がきて、使いたいプラスチックになる。汚い環境物質がきて、きれいな物質になって大気に出る——これら反応前後の物質を取り持つかたちで、触媒自体は何も変わらずにさまざまな反応を進めています。 ——関根先生は、たくさんある化学反応のなかでも、水素や合成ガスをつくる反応、炭化水素を別の炭化水素に転換する反応に注目されていますよね。 これまでは、石油が「エネルギーになる」「プラスチックになる」という人間に欠かせない2つの役割を担ってきました。しかしこれからの時代は、天然ガス、水素、バイオマスがそれらの役割を担っていく必要があります。物質をつくる・転換するという反応には触媒が必ず使われるので、それらの新しい触媒プロセスを研究開発することは、これからの時代の物質生産を持続的に支えることにつながります。 ——特に、何か注目している物質はありますか? 天然ガスの主成分であるメタンです。メタンは大量に存在し、再生可能エネルギーとの親和性も高いので、未来永劫、化学の根幹をなす原料として使われる可能性があります。反応性が低く、やっかいな分子ですが、だからこそ、それを用いた反応は我々にとって一番取り組みがいのあるミッションです。 ——メタンと再生可能エネルギーの親和性が高いのはなぜですか? たとえば、二酸化炭素と再生可能エネルギーから作った水素を使うと、メタンを作ることができます。メタンを燃やすと二酸化炭素が出るので、水素を使ってまたメタンに戻すというサイクルを繰り返すことができます。今は地中から掘ってきた天然ガスのメタンが社会全体で使われていますが、それが再生可能エネルギーでつくったメタンに置き換わっていき、ゆくゆくは、メタンを使いまわす社会が実現できる可能性があります。これは、石油が終わりを迎えたときに残る、化学の一番の柱になると言われています。 ——再生可能エネルギーで作った水素をそのままエネルギーとして使うこともできると思うのですが。 もちろん、水素をそのまま使う手もありますが、水素は軽くて漏れやすいので、運搬が難しいです。ところが、天然ガスにはすでにパイプがあります。家でコンロから出てくるガスの主成分はメタンで、配管のなかを流れています。つまり、将来、再生可能エネルギーからメタンをつくる時代がきても、今のインフラがそのまま使えるということです。水素を媒介する役割としても、メタンは可能性があるのです。 ——新しい触媒を作るときは、どのような考えで触媒をデザインするのでしょうか? まず、固体触媒に使える元素は40個くらいに限られます。これは、常温で気体のヘリウムやアルゴンなど、また、毒性のあるカドミウムやヒ素などの元素を使うことはできないためです。40程度の元素のなかには、遷移金属やアルカリ土類金属など、触媒としての機能を持ったさまざまな元素があります。原料Aを生成物Bにする化学式を立て、必要となる化学結合の切断・形成を考え、その機能を持った元素を組み合わせて実際に反応が起こるかどうか確かめていきます。 ——関根先生の研究では"非在来型"触媒というテーマを標榜されています。これまでの触媒とは何が違うのでしょうか。 今までの触媒は、触媒の上に原料がきて、反応するのをずっと待つという「鳴くまで待とう」タイプの触媒でした。我々は「鳴かぬなら鳴かせてみよう」ということで、触媒に電場をかけて力づくで反応させることで、より低い温度でも新しい触媒プロセスが実現できることを提案しています。 ——「鳴かせてみよう」という発想はおもしろいですね。なぜ触媒に電場をかけるのでしょうか。また、このアイディアに至ったきっかけは何だったのでしょうか。 実は、偶然発見したことがきっかけなんです。我々はもともと、触媒とプラズマを組み合わせる研究をやっていました。プラズマによって分子をイオン化することで、触媒の上で反応させやすくするという考えで研究を進めていて、これはこれで上手くいっていました。 ですが、あるとき偶然、学生と一緒に実験をしていてプラズマを出すために電圧を上げていく途中で、今までは気づかなかった不思議な状態があることに気づきました。プラズマが成立する前は触媒に電場がかかっているだけなので、反応は進んでいないはず、というのが当時の常識でした。ですが、「何が起こっているんだろう」と気になったので学生にサンプリングしてもらったところ、すごく反応が進んでいて、電場でも反応が進むことが初めてわかりました。 ——偶然の発見だったんですね。 もとの経緯としては偶然の発見なんですが、電場の方がプラズマよりもエネルギー消費が圧倒的に小さいので、これは実用にも資するものになるだろうという直感があって、プラズマの研究をそこから2、3年で畳んで、電場の研究にシフトしていきました。 ——プラズマから電場へ……、思い切った転換ですね。 電場で反応が進むことはわかったのですが、そのメカニズムには不明な点が多くありました。そこで、ちょっとずつ装置を増やしたり原料を変えたり反応系を変えたりしながらいろいろ調べていきました。大体のことがわかるようになるまで10年弱かかったのですが、最終的に明らかになったことは、電圧の勾配ができるなかで、触媒表面にくっついた分子が一方向に選択的に動いて、どんどんとぶつかりながら効率よく反応していくということです。 ——メカニズムの解明に10年近くもかかったんですね。何が難しかったのでしょうか? 自分たちで新しく装置を作る必要がありました。既存の装置では触媒に電場をかけながら測定することができないので、自分たちで新しく測定系を作り、電場をかけながら触媒表面の分子の変化を測定しました。他にも、放射光施設SPring-8も利用しましたが、強力な放射光下なので遠隔操作で電場をかけられる測定系を作らなければいけませんでした。さまざまな測定を積み重ね、触媒に電場をかけた状態の反応機構を解明することができました。 ——関根先生の今後の夢を教えてください。 私は研究者でもあり、教育機関に勤める人間でもあるので、研究を通してあとに続く人たちが育ち、自然科学が発展し、世の中が良くなることにつながればいいなと思います。そのためには、直面した問題をどう解決すべきかという方法論を考えられる人を育てることが重要だと思います。自分一人でできることは限られていますが、研究を通して学生がものの考え方を身につけ、社会に出て、また人を育てて……という流れが続けば、ものの考え方が後世に広く伝わっていく。きちんと物事を考えられる人が続いていくことで、物質をうまく使いつつ、人間も存在し続けられるような持続的な社会につながると思っています。 ——最後に、若手の研究者に向けてメッセージをお願いします。 真に大事なことを自ら考えてオリジナリティのある研究をやっていけば、必ず評価してくれるときが来ると思います。最近、特に若い研究者に関しては、レピュテーション(評価)やトレンドに流されやすいように思います。流行りの分野に群がって、ハイインパクトなジャーナルに出して、盛り上がってそこで終わり、といったような流れがありますが、それでは後世に何も残らないと思うんです。 私自身、メタンに25年取り組んできました。今でこそメタンが注目される時代になりましたが、私は流行りを追っているわけではなく、化学として取り組んだらおもしろいというモチベーションがあるからこそ、反応性の低いやっかいなメタンを触媒でどうにかするという研究を続けてきたわけです。こうして「芯がぶれないように続けていく」ということは、オリジナリティのある研究を行ううえで非常に重要であると考えています。  
関根泰 教授 プロフィール 早稲田大学 先進理工学研究科 教授 1993年東京大工学部応用化学科卒、1998年同博士修了、その後、東大助手、早大助手・講師・准教授を経て、2012年より現職。専門は触媒化学、資源エネルギー。
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インスリンとレプチンの働きを抑制している脱リン酸化酵素 - PTPRJの役割とは https://academist-cf.com/journal/?p=6333 Tue, 31 Oct 2017 01:00:52 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6333 インスリンとレプチン インスリンは、食後の血糖値の上昇に反応して膵島β細胞から血中に分泌されるホルモンで、血糖値を下げる働きをしています。インスリンが筋肉や脂肪細胞等の表面に存在するインスリン受容体に結合すると、細胞は血液中から細胞内への糖の取り込みを活性化し、エネルギー源として利用あるいは蓄積を始めます。インスリン受容体にインスリンが結合すると、その細胞内領域に存在する特定のチロシン残基を自己リン酸化することによって活性化し、続いて細胞内のシグナル分子をリン酸化することによって細胞内へ情報を伝えています。 一方、レプチンは脂肪細胞から分泌されるホルモンであり、脳内の弓状核という摂食行動をコントロールしている領域(摂食中枢)に作用して、摂食を強力に抑制します。レプチン受容体自身にチロシンリン酸化能はありませんが、細胞内領域にはJAK2というタンパク質リン酸化酵素(PTK)が会合しています。細胞表面に存在するレプチン受容体にレプチンが結合すると、JAK2は自身の特定のチロシン残基の自己リン酸化によって活性化し、次にレプチン受容体をリン酸化することによって、細胞内へレプチンの情報を伝えます。この情報によって、摂食中枢の神経細胞は活性化し摂食抑制を促します。 このように、インスリンやレプチンの受容体は機能的にはPTKであり、タンパク質のチロシンリン酸化を介した情報伝達を行っています。タンパク質のチロシンリン酸化の制御には、PTKだけでなく脱リン酸化酵素であるプロテインチロシンホスファターゼ(PTPs)が重要な役割を果たしています。PTPsは、膜タンパク質である受容体型(RPTPs)と細胞質に存在する非受容体型に分類されます。

PTPRJによるインスリンシグナルの制御

私たちは長年にわたりRPTPsの生理機能を明らかにする研究を進めてきました。最近、R3 RPTPサブファミリーに属するRPTPs(PTPRB, PTPRH, PTPRJ, およびPTPRO)がインスリン受容体を基質として、情報伝達に必要なリン酸化チロシンを脱リン酸化することによって、その活性化を抑制していることを見出しました。 R3 RPTPsのひとつPTPRJは、インスリンの標的器官である、肝臓、筋肉、脂肪組織においてインスリン受容体と共に発現しています。そこでPTPRJの遺伝子欠損マウスを調べたところ、野生型マウスに比べて、インスリン受容体の活性が亢進していることが確認されました。マウスにグルコースを投与すると、Ptprj欠損マウスでは、野生型マウスに比べて、より速やかに血糖値が低下しました。一方、インスリンを投与すると、Ptprj欠損マウスでは血糖値の低下がより顕著でした。これらの結果は、Ptprj欠損マウスでは、PTPRJによるインスリン受容体に対する阻害が失われており、その結果、インスリンに対する感受性が亢進していることを示しています。 [caption id="attachment_6329" align="alignnone" width="600"] マウスの腹腔にグルコースを投与し、血糖値の変化を調べると、野生型マウスと比べてPtprj欠損マウスでは、より速やかに血糖値が低下する(耐糖能が高い)ことがわかる(左)。マウスの腹腔にインスリンを投与し、血糖値の変化を調べると、Ptprj欠損マウスにおいては血糖値がより大きく低下することがわかる(右)。この結果は、Ptprj欠損マウスにおいては、インスリンの働きが増強していることを示している。[/caption]

PTPRJによるレプチンシグナルの制御

Ptprj欠損マウスは、野生型マウスと比べて、体長は変わりませんが、摂食量が少なく、低体重で、脂肪量が少ないことを見出しました。PTPRJは脳の摂食中枢の神経細胞においてレプチン受容体と共に発現しています。私たちは、PTPRJがレプチン受容体の活性を抑制しているのではないかと考え、そのメカニズムを解析しました。その結果、PTPRJが、レプチン受容体に会合したJAK2の自己リン酸化による活性化に重要なチロシン残基を脱リン酸化することによって、レプチンの働きを抑制していることが明らかになりました。Ptprj欠損マウスでは、PTPRJが無いために、レプチンによる摂食抑制の働きが亢進していると考えられます。そこで、マウス脳室にレプチンを投与したところ、野生型マウスに比べて、摂食量と体重が顕著に減少しました。 [caption id="attachment_6330" align="aligncenter" width="600"] 高脂肪食で飼育した野生型マウスとPtprj欠損マウスの比較。野生型マウスに比べてPtprj欠損マウスは低体重であり(左上)、摂食量も少ない(右上)。CT画像解析から、Ptprj欠損マウスでは脂肪(黄色)の量が顕著に少ないことわかる(下)。[/caption]

PTPRJのレプチン抵抗性への関与

肥満状態の人は、脂肪組織が多いためにレプチンのレベルは高い状態になっていますが、摂食は必ずしも抑制されていません。その理由は、レプチンが効きにくくなる、「レプチン抵抗性」と呼ばれる現象が起こるからです。レプチン抵抗性が生じるメカニズムはよくわかっておらず、その治療法も見つかっていません。 そこで、レプチン抵抗性の形成におけるPTPRJの関与について調べました。マウスを高脂肪食で2か月間飼育すると、レプチン抵抗性が形成されることが知られています。このとき、摂食中枢でPTPRJの発現が上昇していることがわかりました。 次に、高脂肪食で14週間飼育したマウスにレプチンを投与したところ、野生型マウスでは、レプチン抵抗性を発症しているために、摂食量と体重の減少はほとんど見られませんでした。一方、Ptprj欠損マウスでは、レプチン投与に応答して摂食量および体重の顕著な減少が見られ、レプチン抵抗性が生じていないことがわかりました。逆に、通常状態の野生型マウスの摂食中枢に、ウイルスベクターを用いて、人為的にPTPRJの発現を増加させると、レプチン抵抗性が誘導されました。このように、肥満にともない弓状核でPTPRJの発現が上昇することが、レプチン抵抗性形成の要因となっていることがわかりました。 [caption id="attachment_6331" align="aligncenter" width="600"] レプチン抵抗性を発症していない野生型マウスの摂食中枢に、ウイルスベクターを用いて人為的にPTPRJを過剰発現させた。コントロールのウイルスを感染させたマウスでは、レプチンの投与によって摂食量と体重に顕著な減少が見られたが(黒線)、PTPRJウィルスを感染させたマウスでは、このような応答が失われ(赤線)、レプチン抵抗性が誘導されていることがわかる。[/caption]

最後に

PTPRJが、インスリン受容体とレプチン受容体の働きを抑制していることが明らかになったことにより、PTPRJを阻害する薬剤は、糖尿病(それに伴うインスリン抵抗性)とともに肥満(それに伴うレプチン抵抗性)を改善する治療薬となりうることがわかりました。 すなわち、PTPRJの活性を阻害することによって、少ないインスリンでもインスリン受容体が充分に活性化し、高血糖を改善することができると考えられます。また、同時に、レプチン受容体の活性化を促進し、肥満した人の食欲の亢進を改善できると考えられます。今後、PTPRJを標的とする薬剤が、糖尿病とともに肥満を改善する治療薬として開発されることが期待されます。 [caption id="attachment_6332" align="aligncenter" width="600"] PTPRJは、インスリンの標的器官で、インスリン受容体を脱リン酸化することによってインスリンの働きを抑制している。また、視床下部の神経細胞において、レプチン受容体のJAK2を脱リン酸化することによって、レプチンの働きを抑制している。PTPRJは、これらの制御を通して、糖代謝、並びに摂食・エネルギー代謝の制御に重要な役割を果たしているが、肥満等の病態においては、PTPRJの働きはむしろ病状の悪化に貢献しているといえる。[/caption]   参考文献 Shintani T, Higashi S, Suzuki R, Takeuchi Y, Ikaga R, Yamazaki T, Kobayashi K and Noda M. (2017) PTPRJ inhibits leptin signaling, and induction of PTPRJ in the hypothalamus is a cause of the development of leptin resistance. Sci. Reports, 7, 11627. doi: 10.1038/s41598-017-12070-7. Shintani T, Higashi S, Takeuchi Y, Gaudio E, Trapasso F, Fusco A and Noda M. (2015) The R3 receptor-like protein-tyrosine phosphatase subfamily inhibits insulin signaling by dephosphorylating the insulin receptor at specific sites. J. Biochem. 158, 235-243. doi: 10.1093/jb/mvv045.]]>
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トポロジカル絶縁体で巨大磁気抵抗効果を発見! - 非散逸電流のオンオフ切替を実現 https://academist-cf.com/journal/?p=6344 Mon, 06 Nov 2017 01:00:24 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6344 トポロジカル絶縁体 -トポロジーが生む絶縁体の表面金属状態 まず名前にある「トポロジカル」という言葉について説明します。トポロジーとは、ある「かたち」を、連続変形によって変わらない量に着目して分類する数学的概念のことです。有名なわかりやすい例だと、物体の穴の数に着目し、コーヒーカップとドーナツは穴がひとつ空いているので同じものとみなす一方で、ボールは穴が空いていないので別物として区別するというものです。 このような観点を、物質、特に絶縁体の持つ電子状態に適用すると、トポロジカル絶縁体は、バンド構造(結晶中で運動する電子のとり得るエネルギー状態)が通常の絶縁体とは連続変形によってつながらない、異なるトポロジーを持った絶縁体です。異なるトポロジーを持つ絶縁体同士を接触させると、それらが互いに連続的につながろうとして、その境界で金属的な状態が生まれます。これを「トポロジカル表面状態」といい、トポロジカル絶縁体とはいわば、中身は普通の絶縁体ですが表面でのみ電気伝導を生じるような、通常の金属とも絶縁体とも異なった新しい枠組みの特殊な物質系です。 [caption id="attachment_6339" align="aligncenter" width="600"] 上は、物体の形状を穴の数によって分類するトポロジーの考え方。穴をひとつもつ「ドーナツ」や「コーヒーカップ」と、穴がない「球」を区別する。下では、絶縁体をトポロジーの考え方で分類したもの。絶縁体は、電子が詰まった価電子帯と電子が入っていない伝導帯の間にエネルギーギャップを持つが、普通の絶縁体とトポロジカル絶縁体で、価電子帯と伝導帯に対応する電子状態(赤線と青線)が反転している。それらを接触させたとき、境界に必ずエネルギーギャップを閉じるような金属状態を生じる[/caption]

トポロジカル絶縁体表面に流れる非散逸電流

トポロジカル絶縁体の表面やグラフェン、半導体界面などの2次元的な電気伝導面に対して垂直方向に強い磁場をかけると、「量子ホール効果」と呼ばれる現象が生じます。量子ホール状態にあるとき、サンプル中心は絶縁体となる一方で、端ではトポロジカル電流が流れます。この端電流は非常に強固で、不純物などの障害があっても避けるように進むため、エネルギー散逸がない電流です。 さらに、トポロジカル絶縁体表面を磁化と相互作用させると、この非散逸電流を外部磁場なしに生じさせることができ、この現象は「量子異常ホール効果」と呼ばれます。量子異常ホール効果は、2013年に磁性不純物としてクロム(Cr)を導入した、テルル化ビスマスアンチモン(Bi, Sb)2Te3という強磁性化したトポロジカル絶縁体において、中国の研究グループによって初めて発見され、最近ではこの物質を基盤とした非散逸電流の研究に注目が集まっています。 [caption id="attachment_6340" align="aligncenter" width="600"] 量子ホール効果(左)と量子異常ホール効果(右)を示す概念図。サンプルの端で一方向に非散逸電流が流れる[/caption]

トポロジカル絶縁体ヘテロ構造作製と非散逸電流の観測

量子異常ホール効果による非散逸電流の研究を行うため、私たちは図に示したような、磁性不純物Cr、バナジウム(V)を選択的に注入した(Bi, Sb)2Te3薄膜ヘテロ構造を、分子線エピタキシー法によって作製しました。分子線エピタキシー法は、高品質薄膜を作る手法のひとつで、結晶が非平衡成長するので、磁性不純物を熱平衡結晶成長と比較して高濃度に注入することが可能という利点があります。また、基板上に1層ずつゆっくり成長していくため、積層構造の厚みや組成を成長中に自由に設計できます。特に、今回はそれぞれの層の組成を最適化し、量子異常ホール効果を発現する高品質なトポロジカル絶縁体薄膜の作製に成功しました。量子異常ホール効果は、当初100ミリケルビン(mK)以下という、絶対零度(-273.15℃)にほとんど近い温度環境でしか観測されなかったのですが、私たちはこのようなトポロジカル絶縁体ヘテロ構造を作製することで、観測温度を約2Kに高められることを実証しています。 [caption id="attachment_6341" align="aligncenter" width="600"] 作製したトポロジカル絶縁体薄膜の走査型電子顕微鏡による断面像と電気伝導測定の模式図[/caption]

非散逸電流のオンオフ切替に伴う電気抵抗の劇的な変化

Cr、Vを注入した層はそれぞれ保磁力(磁化を反転するのに必要な外部磁場の大きさ)が大きく異なります(Crドープ層は約0.2テスラ、Vドープ層は約1テスラ)。この保磁力差を用いることで、ハードディスクの磁気ヘッドなどに用いられるスピンバルブのように2層の磁化方向を平行、反平行と外部磁場(ピップエレキバン程度の磁力)で制御することが可能になりました。 そこで、薄膜垂直方向に磁場をかけながら電気伝導測定を行うと、この磁化方向変化により、電気抵抗値が10万倍も変化する非常に巨大な磁気抵抗効果を発見しました。平行磁化状態となる磁場領域では量子異常ホール効果に特徴的な量子化されたホール抵抗値(約25キロオーム)を示し、反平行磁化状態となる磁場領域では2ギガオームを超える絶縁体となります。 [caption id="attachment_6342" align="aligncenter" width="600"] CrとVを導入した層の磁化方向が平行の場合は非散逸電流が流れ、反平行の場合は電流が流れない絶縁体状態となる。Crの導入した層は、Vの層より保磁力が小さく、外部磁場によって容易に磁化反転する[/caption] このことから、トポロジカル絶縁体の表面状態と磁化の相互作用によって、平行磁化状態では量子異常ホール効果の非散逸電流が流れる(オン状態)、反平行磁化状態では流れない(オフ状態)という状態切り替えができていることがわかりました。また、トポロジカル絶縁体薄膜の内部や磁化と相互作用した表面状態の絶縁性は、これまで金属的な表面状態や非散逸端電流が共存していたため、実験的評価がなされていませんでした。今回のオフ状態の実現により、初めてこの評価が可能になりました。

本研究の意義と今後の展望

本研究によって、平行磁化状態、反平行磁化状態を局所的に制御するスピントロニクス技術を用いれば、ひとつのサンプルで非散逸電流の回路を自由に設計することが可能になりました。現時点では、動作する温度が室温と比較して(ケルビン換算で)まだ2桁ほど低いですが、私たちは、室温での応用を目標に、少しずつ発現温度を高めるための研究を進めています。 一方、学術的な観点では、トポロジカル絶縁体の内部や磁性と相互作用した表面状態が高い絶縁性を持つことが初めて明らかになり、トポロジカル絶縁体とその表面状態が非常に強固であることをより明確にしました。また、これまでのトポロジカル物質研究は、理論家の予測を実験家が実証する場合が多かったのですが、本研究で観測した巨大な磁気抵抗効果はまったく予想外の現象でした。このように、実験してみないとわからない、おもしろく、重要なことが、これから次々と生まれてくるのではないかと期待しています。 参考文献 M. Mogi, M. Kawamura, A. Tsukazaki, R. Yoshimi, K. S. Takahashi, M. Kawasaki, Y. Tokura, Tailoring tricolor structure of magnetic topological insulator for robust axion insulator. Science Advances 3, eaao1669 (2017) M. Mogi, R. Yoshimi, A. Tsukazaki, K. Yasuda, Y. Kozuka, K. S. Takahashi, M. Kawasaki, Y. Tokura, Magnetic modulation doping in topological insulators toward higher-temperature quantum anomalous Hall effect. Applied Physics Letters 107, 182401 (2015) M. Mogi, M. Kawamura, R. Yoshimi, A. Tsukazaki, Y. Kozuka, N. Shirakawa, K. S. Takahashi, M. Kawasaki, Y. Tokura, A magnetic heterostructure of topological insulators as a candidate for an axion insulator. Nature Materials 16, 516 (2017)]]>
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重度のストレスで萎縮するのは感覚系の脳部位?! https://academist-cf.com/journal/?p=6352 Wed, 08 Nov 2017 01:00:02 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6352 ストレスと精神疾患の深くて微妙な関係 読者の皆さんのなかには、ストレスで精神的に辛い思いをしたという方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか? ストレスを受けて心の病にかかるという文脈は多くの方に理解しやすく、これをきっかけとして精神科を受診するという方もたくさんいます。 ストレスによる精神疾患としては心的外傷後ストレス性障害(以下、PTSD)が知られていますが、ストレスがあれば必ず罹患するというものでもないようです。震災のような甚大なストレスの現場においても、PTSDの罹患率は20%程度です。 ストレスと関係なく発症する精神疾患もありますが、その反面、精神科における他の多くの疾患はストレスで悪化します。PTSDという病気は、特にストレスとの関係が深い精神疾患として見なされていますが、PTSDの症状があると判断されてもそれがストレスによるものであるという証明は非常に難しい。このことは私たち精神科医師にとって非常に頭の痛い問題なのです。ストレスと因果関係のある病変部位がわかれば、診断・治療に役立つのではないか? という思いで本研究は企画されています。

動物モデルでの実験

これまでのPTSDの臨床画像研究においては、前部帯状回・海馬・扁桃体などの脳萎縮が報告されてきました。横断的なメタアナリシス研究もされていますが、上記に述べたストレスとの因果関係を明確にすることはやはり難しいといえます。 動物実験では恐怖学習関連の実験がこれまで数多くされており、PTSDの症状とその結果はかなり類似しています。PTSDのモデルストレスについてもいくつか提唱されていますが、Single prolonged stress(以下SPS)というモデルを今回は重度のストレスとして採用しています。PTSD患者においては、ストレスホルモンであるグルココルチコイドの分泌が抑制されるという報告があり、今回は行動面の報告とストレスホルモンの動態の双方が類似している点がこのモデルの強みです。 私たちはこの動物モデルを用い、人間の臨床研究と同じ方法(すなわち脳MRI撮影)で解析するという研究を企画しました。動物で得られた結果を人の研究にフィードバックしやすいと考えたからです。また、ストレスを負荷するという操作によって得られる直接の結果であることを今回は重視していますが、動物実験であれば生活環境・遺伝的素因などを揃えることができますので、それが可能だと考えたのも理由です。 解析の手法は、「voxel based morphometry」というものです。これはMRI画像における脳全体を細かなボクセル(2次元画像におけるピクセルあるいはドット)単位(本研究では0.137 × 0.137 × 0.137mm3)ごとに統計解析し、脳体積の減少や増加を解析する検定手法です。画像解像度からは100万回以上の検定回数となりますので検出力は決して高いとはいえません。しかし、全脳を網羅的に統計処理できるので研究バイアスが入る余地が少ない手法といえます。 ただし、非常に精細な画像が要求されるため、動物の撮影では体動によるノイズなどのため撮像クオリティの面で解析困難なことがあります。今回は灌流固定して頭蓋骨ごと脳を摘出して撮影するというプロトコールを用いています。また、検出された部位に対して顕微鏡解析でストレスの影響を確認するような実験を企画しました。

実験の結果

50日齢・雄性のSprague DawleyラットにSPSを負荷し、負荷後7日後に灌流固定し脳を頭蓋骨ごと摘出しました。対照(Sham)は軽微なストレスとしてエーテル麻酔のみ負荷し、同様の処置を行います。横置き型MRI(Agilent社製、横置き型マグネット、7.04T、ボア径310mm)を用いて、SPS群(n=18)Sham群(n=17)について頭部MRI撮影を行いました。 Voxel based morphometryを用いた画像解析の結果として、右視覚野および両側視床における脳萎縮が判明しました。 [caption id="attachment_6353" align="aligncenter" width="600"] Voxel based morphometryを用いた画像解析の結果(height threshold p<0.001, cluster-FWE corrected P<0.05)[/caption] 私たちはストレスとの因果関係によってもたらされた結果であることを重視しています。追加実験として実験で判明した萎縮部位において、得られた結果がストレス以外の実験内操作によって得られたものではないことを検証したいと考え、ストレス後に活性化することが知られているミクログリアについて解析しました。手法としては活性化ミクログリアのマーカーであるIba-1に対する抗体を用いて蛍光免疫組織化学を行っています(SPS:n=5, Sham: n=6)。 染色されたIba-1陽性細胞の数・細胞の大きさの平均値を比較したところ、視覚野では双方とも有意に増大し、視床では細胞の大きさのみですが有意に増大していました。結論としてこれらの領域レベルで、ミクログリアが活性化しておりストレスの影響があったことが確認されたといえます。 [caption id="attachment_6354" align="aligncenter" width="600"] ミクログリア活性化解析の結果(Iba-1: 活性化ミクログリアのマーカー
Neurotrace : 神経細胞のマーカー)[/caption]

結果はストレスより痛みに似ている

これまでの動物実験の研究からは、恐怖学習による行動変化とPTSDの症状は類似していると考えられてきました。臨床研究でも海馬・扁桃体・前部帯状回など恐怖学習と関連した脳萎縮の報告があり、実のところ今回の研究でも、これらに相当する部位での脳萎縮が重度のストレスによって生じると私たちは予想していました。結果からは、これらの部位では有意な脳萎縮を検出できず、視覚野・視床など感覚系の脳部位で萎縮を検出していますが、これは予想外の結果ということになります。すなわち新発見でもありますが、果たしてこの発見が妥当なのかどうかは今後の研究を含めて議論される必要があります。 また、私たちの研究は精神的ストレスを用いた研究でありますが、PTSDよりもむしろ疼痛に類似した結果になってしまっていると考えています。ストレス性精神疾患での患者の視覚野の脳萎縮の報告は少ないですがゼロではありません。一方で視床についてはストレス性精神疾患での萎縮の報告はほぼありません。逆に、視床の萎縮が報告されている研究は何か? ということになると、ストレスに近いと考えられる分野のものでは疼痛関連の研究ということになります。重度の疼痛を伴う脊髄損傷患者を対象とした臨床研究では、視覚野の萎縮の報告もあります。脊髄損傷の患者さんを想定すれば、原因となった事故などはPTSDになってもおかしくないストレス体験と考えられますし、精神的ストレスと痛みは脳からすれば類似した刺激であるということはあり得るのかもしれません。また、「心の痛み」という言葉もありますが、まさにそのとおりの結果だと考えています。

視覚処理はストレス研究のフロンティア

私たちの研究で得られた視覚野や視床という部位はPTSDの研究としては予想外の結果であったことは前述しました。しかし、視点を変えるとPTSDには再体験という症状があり、しばしば「ストレスの場面が見える」という患者さんの訴えがあります。私たちはこれまでの恐怖学習理論ではこの見えるという現象の説明が極めて難しいと考えています。また、精神科医なら誰もがこの現象を知っていながら、見えるということに関連しそうな視覚野についてはPTSDの研究としては病因論的に議論されてこなかった領域なのです。 一方では、視覚野を介さない視覚処理経路(網膜〜中脳上丘〜扁桃体への経路)が恐怖反応に重要な役割を果たしているという報告があり、視覚野が萎縮した私たちの報告との関連を検証することは今後の魅力的な研究課題です。また、人間を対象とした研究では視覚タスクゲーム(テトリス)でPTSDを予防できたという報告もあります。今回報告された部位について実際の臨床研究で検証され、診断・治療が変化する可能性はあるのではないかと考えています。 参考文献 Yoshii, T. et al. Brain atrophy in the visual cortex and thalamus induced by severe stress in animal model. Sci. Rep. 7, 12731, doi:10.1038/s41598-017-12917-z (2017). Wei, P. et al. Processing of visually evoked innate fear by a non-canonical thalamic pathway. Nat Commun 6, 6756, doi:10.1038/ncomms7756 (2015). Iyadurai, L. et al. Preventing intrusive memories after trauma via a brief intervention involving Tetris computer game play in the emergency department: a proof-of-concept randomized controlled trial. Mol. Psychiatry 10.1038/mp.2017.23, doi:10.1038/mp.2017.23 (2017).  ]]>
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DNAを使って世界一細い電線をつくる  https://academist-cf.com/journal/?p=6362 Tue, 07 Nov 2017 01:00:50 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6362 DNAは優れた化学材料 すべての生きものはDNAを遺伝物質としてもっています。もちろん我々も両親から受け継いだDNAを細胞の中にもっています。このDNAが、たとえばプラスチックやゴム、合成繊維などをつくるための化学材料として使えると聞いたら驚く方もいらっしゃるかもしれません。しかしDNAはデオキシリボ核酸という名前の単なる化学物質ですし、ヌクレオチドという構成単位の化合物が数珠状につながったポリマーですから、プラスチック(たとえばエチレンのポリマーであるポリエチレン)などの材料とまったく同じなのです。しかも、ほかの化学材料と比べてさまざまな点で優れています。 まず、DNAはとても丈夫です。そもそも生きものの遺伝情報を保存している分子ですから、たとえば熱いお風呂に入ったくらいで壊れてしまっては困ります。また、数万年前に生息していたマンモスの遺体がシベリアの永久凍土の中から見つかり、これからDNAを取り出して解析することに成功したというニュースもありました。実際にはDNAの半減期は521年であるという報告もありますが、つまりそれくらい壊れにくいということです。 そして、DNAは触っても食べても安全です。堅い表現をすれば「生体適合性が高く毒性が低い」ということになりますが、それもそのはずです。我々が毎日食べている肉や魚、米や野菜はすべて生きものですから、そこにはDNAが含まれているのです。先ほど述べたようにDNAは壊れにくいですから、煮ようが焼こうが生で食べようが、みなさんは毎日DNAを口にしているのです。 さらに、DNAは環境に優しいです。これも堅い表現をすれば「環境負荷が低い」ということになります。たとえば落ち葉は土壌中の微生物に分解されてやがて土へと還りますし、落ち葉を集めて燃やすことはプラスチックごみを燃やすよりも抵抗が少ないでしょう(CO2が出ますので焚き火が環境に優しいかどうかはわかりませんが)。もうお気づきですね、この落ち葉にはDNAが含まれていますし、すべての生きものが生まれて死んでいく自然界において、DNAは日常的に環境に放出されているのです。 ところでDNAはどれくらいの大きさなのでしょうか。みなさんもどこかで見たことがあるはずのDNA二重らせんは、直径がわずか10億分の2メートル(2ナノメートル)の細長いひもです。わずか10億分の2メートル……と言われてもイメージしにくいでしょうから身近なもので説明しますと、イヤホンに使われているワイヤーケーブル(約2ミリメートル)の100万分の1の細さです……それでも伝わりにくいと思いますが、それくらい細いのです。 もちろん目で見ることはできませんし、虫眼鏡や顕微鏡でも見ることはできません。我々が研究に使っているX線結晶解析という特殊な実験手法を使って初めて見ることができるのです。このような想像できないくらい細く、そしてとても丈夫で、しかも食べても安全で環境にも優しいDNAを使って電線を作ることができれば、世の中のいろいろなものがもっと便利になるはずです。

DNAで電線をつくるには?

それではDNAで電線をつくるにはどうすれば良いでしょうか。DNAはプラスチックと同様に電気をあまり通しません。ですので、電気を流す金属をDNA二重らせんに組み込めば良いのです。とても簡単そうに言ってしまいましたが、20年くらい前からDNAに金属を組み込むための地道な研究が世界中で行われてきたのです。 下の図でそのアイデアを簡単に説明します。DNAはA、T、G、Cという塩基をもつ4種類のヌクレオチドでできていて、2本のDNAの鎖が逆平行に絡み合ってA-T、G-Cの2種類の塩基対をつくることで二重らせんという美しい形になります。これらA-TとG-Cは、1953年にDNAの二重らせん構造を世界で初めて提案したJames WatsonとFrancis Crickの名にちなんでWatson-Crick型塩基対と呼ばれていますが、これらの塩基対は遺伝情報を保存するためにとても重要です。生きものがもつDNAにはこれら2種類の塩基対しか存在しません。 しかし、DNAから「遺伝情報を保存する」という縛りを取り払って単なる化学物質として扱うなら、これらの塩基対にこだわる必要はありません。そこで我々は、DNAのWatson-Crick型塩基対を、銀が介在した特殊な塩基対に置き換えることにしました。そうすることでDNA二重らせん中に銀原子を1個ずつ一列に精密に並べることができるのです。 こうして出来上がったのが、先日Nature Chemistry誌で報告した「DNA-銀ハイブリッドナノワイヤー」なのです。下の図を見ていただければわかるように、DNA二重らせんの真ん中に銀原子が1個ずつ近距離に等間隔で途切れることなく並んでいます。つまりDNAでできた絶縁体の中に銀でできた金属ワイヤーが入っているという、まさに先ほど例に挙げたイヤホンのワイヤーケーブルのような形をしているのです。しかも絶縁体部分を含めた直径は10億分の2メートル(DNAの直径)、中身の金属ワイヤーの部分に限ればわずか100億分の3メートル(銀原子1個の直径)となります。これよりも細い金属線を含むワイヤーを作ることは事実上不可能なのです。 [caption id="attachment_6359" align="aligncenter" width="600"] DNA-銀ハイブリッドナノワイヤーのつくりかた[/caption] [caption id="attachment_6360" align="aligncenter" width="600"] DNA-銀ハイブリッドナノワイヤーのサイズ[/caption]

世界一細いDNA電線が使われる未来とは?

DNAと銀でできた世界一細いワイヤーケーブルは、いつ頃、どのように使われるのでしょうか。まず、これを電線として使うためには、電気がどの程度効率よく流れるのかを調べなければいけません。この点については現在研究を進めていて、近いうちに結果が得られるでしょう。 もしこれが電線として使えることが確認できれば、もちろんICチップを極限にまで小型化することが可能になりますが、その用途として考えられるのはやはりDNAでできているというメリットを活かしたもの、つまり我々の体の中ではたらく電子機器のような薬です。DNAでできた細胞よりもずっと小さいICチップを搭載した薬を飲み、治療が必要な細胞に到達したときに外部からの電気信号で薬をはたらかせる、といったことが可能になるかもしれません。また、このICチップを搭載した診断薬が体の中を動き回り、ガンや糖尿病の発症はもちろん、その日の体調すらもあなたにメールで知らせてくれるかもしれません。そしてこれらの薬はいずれ代謝されて自然へと還っていくのです。 みなさんは、このようなことが実現する未来はずっと遠いように感じるかもしれません。しかし、このコラムの読者の多くが、黒電話がプッシュフォンになり、やがて高価な無線電話が登場し、さらにはポケベルやPHSになり、そして携帯電話やスマートフォンへと進化してきたのを、わずか数十年のあいだで見てきたはずです。そして、これからの数十年間で起こることもまた、我々の想像をはるかに超えるものになるでしょう。アカデミックな研究から生まれるあらゆる発見は、そう遠くない未来で必ず世の中の役に立つはずなのです。 参考文献 Jiro Kondo, Yoshinari Tada, Takenori Dairaku, Yoshikazu Hattori, Hisao Saneyoshi, Akira Ono, Yoshiyuki Tanaka. (2017) A metallo-DNA nanowire with uninterrupted one-dimensional silver array. Nature Chemistry, 9, 956-960.]]>
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忖度と選択 - 他者信念の誤った思い込みが男性による育児休業の取得を抑制する https://academist-cf.com/journal/?p=6382 Fri, 10 Nov 2017 01:00:52 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6382 日本における男性の育児休業 「積極的に子育てに関わる男性」を意味する「イクメン」という言葉が流行語となってから早数年が経ち、現在ではすっかり定着したような印象を受けます。かつては、「男は仕事、女は家庭」という夫婦の性別に基づいた分業が当たり前のものとして受け入れられていたものの、今日では人々の生き方が性別によって決められるべきではないという考え方が広まってきているといえるでしょう。そうした時代背景が、イクメンブームへとつながるきっかけになったものと推察されます。 しかしながら、このブームとは裏腹に、日本の男性による育児休業の取得率は依然として低迷した状態が続いています。こうした事実は、彼らの価値観が依然として保守的なままであることを反映しているのでしょうか。 実はいくつかの調査結果は、近年では男性ひとりひとりはむしろ育児休業に対して好ましい考え方を抱いていることを示しています。つまり、男性個々人の多くは取得を望んでいるにもかかわらず、彼らの願望は実際の育児休業取得にはほとんど結びついていないと考えられるのです。男性個々人の価値観は変化しているにもかかわらず、なぜ取得率の向上へと結びついていないのかは、これまで十分に理解されていませんでした。

多元的無知

伝統や社会的慣習などの社会規範は、私たちの信念や行動に大きな影響を及ぼします。そうした社会規範は固定的なものではなく、時代とともに“更新”されていきます。しかし、いくつかの社会規範は、人々から支持されなくなった後でさえ、集団や社会を支配し続けることがあります。社会心理学者たちは、そうした社会規範の維持・再生産の背景には「多元的無知」が潜んでいると指摘してきました。 多元的無知とは、多くの人々がある特定の価値観や意見を受け入れていないものの、“自分以外の他者はそれを受け入れているのだろう”と誤って思い込んでいる状況を指します。かつて、白人系アメリカ人から黒人系アメリカ人に対して向けられていた差別意識は、1960年代から70年代には弱まっていたものの、白人系アメリカ人の多くは“他の白人系アメリカ人の多くは好ましく思っていないのだろう”と誤って認識していたことが示唆されています。すなわち、当時のアメリカ社会では、依然として人種差別が根強く維持されているかのように人々の目に映ってしまっていたのです。 日本において男性による育児休業の取得率が伸び悩んでいる背景にも、多元的無知のメカニズムが潜んでおり、性役割分業が多くの人々が望まない形で維持されているのではないかと私たちは考えました。その仮説を検証するために、20代から40代の既婚男性で、職場に男性でも育児休業を取得できる制度があると認知している人々を対象に、Web調査を実施しました。 [caption id="attachment_6379" align="aligncenter" width="600"] 男性の育児休暇における多元的無知[/caption]

他者信念の誤った忖度とその影響

男性の育児休業に対する態度を測定したところ、多くの男性は肯定的な態度を抱いている一方で、自分よりも他者の方が男性の育児休業に対して否定的だと推測していることが明らかになりました。この「男性の育児休業に対する他者信念の誤った忖度」が行動意図に及ぼす影響について検証するため、男性の育児休業に対する「回答者自身の信念」と「他の男性の信念に対する予測」に基づき、回答者を4つのグループに分類しました (“自分も他の男性も育児休業を肯定的に捉えている”と回答した人々 [自他ポジティブ群]、“自分は肯定的だが、他の男性は否定的だろう”と回答した人々 [多元的無知群]、“自分は否定的だが、他の男性は肯定的だろう”と回答した人々 [自ネガ他ポジ群]、“自分も他の男性も育児休業を否定的に捉えている”と回答した人々 [自他ネガティブ群])。 “自ネガ他ポジ群”は他の群と比較して該当する人数が少なかったため、分析からは除外して、残りの3群で“取得願望の強さ(どの程度取得したいか)”と、“実際に子供が生まれたときの取得意図(実際にどの程度取得しようと思うか)”を比較しました。 その結果、自他ネガティブ群は“取得願望の強さ”も“実際の取得意図”も3群で最も低いことが示されました。そして、“取得願望の強さ”には自他ポジティブ群と多元的無知群とで有意な差がなかったものの、“実際の取得意図”は多元的無知群の方が有意に低いという結果が得られました。さらに、多元的無知群の“取得願望の強さ”と“実際の取得意図”との乖離は、3群のなかで最も大きいことが明らかになりました。つまり、取得願望は高いにもかかわらず、他者が育児休業に否定的だと思い込むことで取得を控えてしまう傾向があるのです。 [caption id="attachment_6380" align="aligncenter" width="600"] グループごとの取得意図の差異[/caption] 以上の結果は、他者信念の誤った忖度が、“取得を望んでいるものの、取得はしない”という選択へと導いてしまう可能性を示唆しています。

本研究が持つインプリケーション(実践的意義)

日本における男性の育児休業問題が多元的無知に特徴づけられるという本研究結果は、問題解決へとつながる糸口を提供してくれます。多元的無知を解消するためには、それが個人や集団に与える影響について教育をすることや、“どれくらいの割合の人々が実際にはその社会規範を受け入れているのか”に関する客観的情報をフィードバックすることの有効性が示唆されています。 これまで、男性による育児休業の取得率向上に向けた取り組みとして「男性自身の育児休業に対する意識の啓発」が有効なのだと信じられてきました。本研究知見を踏まえれば、むしろ、企業内のセミナーや研修など(あるいは、academist JournalのようなWebメディアやニュース、新聞などによる報道)を通じて、他者信念に対する歪んだ認識を是正することの方が、現状を打破する鍵を握っているかもしれません。 参考文献 Miyajima, T., & Yamaguchi, H. (2017). I Want to but I Won't: Pluralistic Ignorance Inhibits Intentions to Take Paternity Leave in Japan. Front. Psychol. 8:1508. doi: 10.3389/fpsyg.2017.01508]]>
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【新着プロジェクト】富士山頂の測候所から、大気汚染物質の広がりの謎にせまる! https://academist-cf.com/journal/?p=6389 Fri, 10 Nov 2017 10:00:22 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6389 富士山頂の測候所から、大気汚染物質の広がりの謎にせまる! 富士山頂で採取した環境試料に含まれる有害な重金属や有機化合物を分析するには、試薬を使って処理を行い、高額な分析装置を使用する必要がありますが、試料数が膨大なために分析装置の使用料、必要な試薬・高圧ガスに多大な費用がかかります。現在、これらの環境試料の分析を行うために必要な研究予算150万円が不足しており、すべての研究がストップする瀬戸際に瀕しています。そこで是非とも、皆さまからのご支援をいただき、採取したすべての試料の分析を進め、解析をしていきたいと考えています。 支援者の方々は、 「アースドクター」オリジナルタオル(5千円)、大河内教授のサイン付き著書『越境大気汚染の物理と化学』贈呈(3万円)、大河内教授案内による富士山麓ツアー(10万円)などのお礼を受け取ることができます。ご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします! 【募集期間】2017年11月10日〜2018年1月26日 【支援サイト】academist(アカデミスト)]]> 6389 0 0 0 雌マウスの社会的敗北ストレスモデルの確立 - 女性のストレス関連疾患を生物学的に研究するために https://academist-cf.com/journal/?p=6398 Mon, 13 Nov 2017 01:00:32 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6398 他の雄に敗北することは大きなストレスになる まず、動物モデルを用いた社会的ストレスの研究がどのように行われているかを紹介しましょう。雄マウスは、なわばりを守るために他の雄を攻撃します。攻撃を受けて負けた個体は、非常に強いストレスを受けます。このような敗北経験が長期間にわたると、雄マウスは体重が減少し、不安が高まり、社会行動が減少し、睡眠パターンが異常になり、好きだったものを好まなくなるなどの変化が生じます。ちなみに、自分自身が攻撃されたときだけでなく、仲間の個体が攻撃されているのを見ているだけでも、同様の行動変化が生ずることもわかっています。 これらの行動変化は、人間のうつ病の症状と一部重なることから、うつ病に関わる生物学的基盤の基礎研究に用いられています。実際、ヒトで用いられている抗うつ薬の投与によって、これらの行動変化が改善することも示されています。

ストレス感受性の個体差

同程度のストレスを受けたからといって、すべての人がうつ病を発症するわけではありません。ストレス感受性には個人差があり、すぐに落ち込んでしまう人もいれば、ストレス耐性が高い人もいます。このストレス脆弱性・耐性に関わるメカニズムが明らかになれば、ストレス関連疾患の治療薬の標的として活用することができるでしょう。マウスの社会的敗北ストレスモデルは、このようなストレス感受性の違いを研究することができるのも利点です。 社会的敗北ストレスの実験では、1日1回、数分間だけ直接攻撃を受けた後、仕切り越しに攻撃雄が見えるところに24時間おくという状況を10日間に渡って続けます。その後、他の雄マウスに対してどれくらい関心を持つかという、社会性のテストを行います。通常、ストレスを受けていない個体(コントロール)は長い社会的探索を行います。一方、社会的敗北ストレスを受けると、多くの個体は社会刺激を避けるようになります(ストレス脆弱群)。しかし、3割程度の雄マウスは、ストレスを受けた後でもコントロールと同じような社会的探索を示します(ストレス耐性群)。社会行動以外の指標についても(たとえば、体重やうつ様行動など)、ストレス脆弱群は影響を顕著に受けるのに対し、ストレス耐性群はほとんどコントロールと変わりません。 このモデルを用いて、ストレス脆弱性の個体差に関わる神経回路や、遺伝子発現、免疫系応答の違いなど、さまざまなメカニズムが徐々に明らかになってきており、新たな創薬にそれらの知見が生かされてはじめてきています。しかしながら、これらの実験系はすべて雄マウスを用いたものになっていました。

雌で敗北ストレスを研究する方法の確立

雌においてこの実験系を用いようとすると、ひとつとても大きな問題に直面します。それは、雄マウスは雄の侵入者は攻撃しますが、雌には攻撃をしないのです。なぜならば、雌は貴重な配偶相手となるため、なわばりから追い出す必要がないからです。マウスは、雌同士での攻撃行動をあまり示さないため、雌に敗北ストレスを与えるのは容易ではありませんでした。 そんななか、他の研究グループが、視床下部の一部(視床下部腹内側核腹外側部; VMHvl)にあるエストロゲン受容体α(ERα)発現ニューロンを活性化することで、雄マウスの攻撃行動が誘発でき、雌に対しても攻撃行動を行うようになることを報告しました。私たちはその発見を応用して、雌マウスの敗北ストレスモデルを作成することにしました。具体的には、DREADDという薬理遺伝学の方法を用いて、雄マウスのVMHvlのERαニューロンを活性化させることで、雌マウスに対する攻撃行動を誘発しました。この方法で安定して雄から雌への攻撃行動を誘発できたことから、雌における社会的敗北ストレス実験を行うことにしました。

飼育環境が雌のストレス感受性に影響する

まずは雄マウスと同じ実験系を用い、身体的な攻撃を受けた後、仕切り越しに攻撃雄が見えるところにおくという状況を10日間続けました。雄の場合、仕切り越しに攻撃雄がいることが精神的ストレスとなり、ストレス脆弱性を高めることがわかっていました。一方、雌を同じ実験系で行うと、不思議なことが起こりました。夜のあいだに雌マウスが仕切りを乗り越えて攻撃雄の部屋の中に入り、翌朝見ると一緒に寝ていたのです。 この実験を始めた当初は、雄とまったく同じ装置を用いていて、雄よりも小柄な雌は仕切りの一部の小さな隙間を通り抜けることができたのです。そのような行動は多くの日で観察されました。つまり、雌は雄に攻撃を受けた後でも、薬理作用が消えて攻撃をしなくなった雄と一緒にいることを選択したのです。 その後、装置を改造し、雌が通り抜ける穴をふさいで社会的敗北ストレス実験を再び行いました。そして、ストレス感受性を定量するために社会行動テストを行いました。その結果、ほとんどの雌がストレス耐性を示し、社会行動だけでなく、体重変化や不安様行動などの指標でも、ストレスの影響がほとんど認められませんでした。 [caption id="attachment_6394" align="aligncenter" width="600"] 一般的な社会的敗北ストレスの実験方法では、雄マウスは6割程度の個体がストレス脆弱性を示す。その一方、同じ方法で雌マウスをテストすると、ほとんどの雌マウス(80〜90%)がストレス耐性を示した。[/caption] そこで、私たちは、雌にとって雄マウスの存在が近くにあることが、ストレス耐性を高めている可能性を考えました。今度は、雄から身体的な敗北ストレスを受けたあと、仕切り越しに攻撃雄を置かず、1匹だけで個別飼育するか、雌同士で2匹で集団飼育をしました。 その結果、どちらのグループでも約半数の個体がストレス脆弱性を示すようになりました。集団飼育をしたグループでは、ストレス脆弱雌においてのみ、体重の減少も見られました。一方、雌マウスにとって個別飼育はそれだけでストレスになり、コントロール群でも不安様行動が増加し、体重の増加が認められませんでした。 このことから、雌マウスの社会的敗北ストレスによるストレス感受性を調べるためには、雌マウス同士で集団飼育をすることが望ましいことがわかりました。 [caption id="attachment_6395" align="aligncenter" width="600"] 身体的攻撃を雄から受けたのちに、個別飼育や雌同士の集団飼育を行なわれた雌は、半数がストレス脆弱群となり、体重が減少し、社会刺激を避けるようになった。[/caption]

雌においても免疫系の応答がストレス感受性に関与する

雄マウスの知見から、社会的敗北ストレスによって、抹消の免疫系にも変化が生ずることがわかってきており、特にインターロイキン6(IL-6)という炎症性サイトカインが、ストレス感受性に関与することが明らかになっていました。そこで、雌同士で集団飼育をした雌マウスの血中IL-6量を調べたところ、雌においてもストレス脆弱群でIL-6が過剰に増加したのに対し、ストレス耐性群ではコントロールと変わらないことが明らかとなりました。このことから、IL-6は雄雌ともにストレス感受性の個体差に関与することが分かりました。

おわりに

世界中の約35%もの女性が、暴力被害を受けたことがあると報告されてます。ドメスティックバイオレンスをはじめとした暴力の経験により、うつ病や不安障害に苦しむ女性は少なくありません。本研究により、雌マウスにおける社会的敗北ストレスモデルを用いて研究することが可能となりました。雄マウスの社会的敗北ストレスモデルから明らかになってきている知見について、すでにいくつかの他機関との共同研究により、その性差の解析が始まっています。本モデルを用いることで、女性に対してより適切な治療薬の開発につながるような生物学的基盤研究の進展が期待されます。 参考文献 Takahashi, A. et al. Establishment of a repeated social defeat stress model in female mice. Scientific Reports 7: 12838 (2017).]]>
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コオロギ求愛ソングにおけるピッチ安定性 - 音痴な鳴き声ではメスに振り向かれない? https://academist-cf.com/journal/?p=6406 Thu, 16 Nov 2017 01:00:29 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6406 コオロギが声を発する仕組み 私は動物の鳴き声によるコミュニケーションについて調べるために、コオロギ(和名:フタホシコオロギ、学名:Gryllus bimaculatus)を使って研究を行なってきました。本当はセミのほうが面白いと思ったこともあるのですが、セミは幼虫の期間が何年も続いた後、成虫となって鳴き声を発する期間が数週間しかない(それに飼育も難しい)ということから、私の現在の境遇では取り組むことが難しい研究対象であると考え、断念しました。 脇道に逸れましたが、コオロギが「声」を発する仕組みは、私たちが声を発する仕組みとはだいぶ違います。私たちは喉の奥にある声帯を振動させ、さらにそれによって生み出された空気の振動を気道で共鳴させて発生していると考えられます(さらに口の開き方や舌・口唇の使い方などが最終的な声を決めますが、詳細はここでは割愛します)。 一方、コオロギの場合には前翅を振るわせることによって空気の振動を生み出し、鳴き声を発していると考えられています。また、コオロギの場合、翅をこすりあわせることによって音を出すことができるのは、通常オスのみです。これは、鳴き声を奏でるのに必要な「つめ」と「ヤスリ」の構造が、オスの翅にしかないためです。 [caption id="attachment_6401" align="aligncenter" width="600"] コオロギが「声」を発する仕組み
左上写真はフタホシコオロギ(オス)の前翅。翅の裏にはヤスリ状の構造(下拡大写真)があり、片方の翅の「つめ」をもう片方の翅の「やすり」にこすりつけることにより、翅全体を振動させて音を発する。[/caption]

コオロギの鳴き声とメスの「選り好み」

コオロギのオスはいくつかの鳴き声パターンを持っていますが、私は特にメスを交尾へと誘うための2種類の鳴き声に着目して研究を行なってきました。オスは「呼び鳴き(calling song)」とよばれる鳴き声によって、遠くにいるメスを近くへと引き寄せ、近づいてきたメスを「口説き鳴き(courtship song)」と呼ばれる鳴き声によって交尾へと誘います。 一般的に(カブトムシなど)虫の交尾ではオスがメスの背中にマウントする形で交尾を行いますが、コオロギの場合は 、メスがオスの背中にマウントするという特殊な形式で交尾が行われます。この理由はよくわかっていませんが、ひたすら鳴き声を奏でてメスを待ち続けるコオロギの姿は、とても紳士です。また、この特徴によって、コオロギを用いると「メスによるオスの選り好み」を比較的簡便に観察することができます。 たくさんのオスを観察していると、あるオスの鳴き声には人気・不人気があることがわかります。つまり、あるオスの鳴き声にはメスがよく口説かれる一方で、別のオスの鳴き声にはまったくメスが振り向かない、ということがしばしば見受けられます。しかし、1)オスの鳴き声にどのような個性があり、2)どのような鳴き声がメスに好まれるのか、ということについては、いくつかの断片的な研究のほかにわかっていることはあまり多くありません。 ひとつの仮説としては、メスがより体サイズの大きいオスを好むということが考えられます。体の大きいオスは、ある環境により適応した個体であると考えられるからです。そこで私は今回、鳴き声のパターンと体サイズとの関連を調べることにしました。

どんな大きさの個体でも、鳴き声の高さは一定

鳴き声のパターンを研究するためには、鳴き声の「音色」を研究者(人間)が理解できるように可視化することが必要です。そのようなテクニックとしてスペクトログラムという技術がよく用いられます。これは、鳴き声に含まれる周波数成分(音の高さに相当するパラメータ)を色で表示するもので、波形データと合わせることで、鳴き声のパターンを視覚的にわかりやすく表示することができます。 [caption id="attachment_6402" align="aligncenter" width="600"] スペクトログラムによる鳴き声パターン(周波数分布)の可視化
それぞれ1秒間の呼び鳴き(左)および口説き鳴き(右)のスペクトログラム。横軸は時刻、縦軸は周波数帯を示し、赤色ほど強度が高いことを示す。呼び鳴きは5.8kHz付近に単一周波数ピークを示し、口説き鳴きは5.8 kHz付近のピークに加えて、高音成分(~18kHz)に広く周波数成分を有し、さらに鳴きのリズムも早い。それぞれスペクトログラムの下部には波形を示してある。図で示したのは羽化後2週目の成熟した個体から録音した鳴き声。[/caption] このスペクトログラムに着目することによって、これまでにいくつかのことがわかってきました。まず、呼び鳴きと口説き鳴きでは、それぞれ特有の周波数ピークが存在します。これらの周波数の値(つまり音の高さ)は、コオロギの翅にあるミラーやハープと呼ばれる領域の振動数と密接に関連していると考えられていますが、最近私は、フタホシコオロギのこれらの鳴き声について、体全体の大きさやミラー部・ハープ部の大きさに影響されずに、常に一定の周波数になるように調節されているということを見出しました。 [caption id="attachment_6403" align="aligncenter" width="600"] 呼び鳴き(左)および口説き鳴き(右)の周波数ピークの値を、コオロギの体重(mg)に対してプロットしたグラフ。呼び鳴き(左)については5.8kHz付近の単一ピークを、口説き鳴きについては5.8kHz付近の低音ピークと15kHz付近の高音ピークの2つの成分についてそれぞれプロットした。いずれの成分についても、体サイズとピーク周波数との間に有意な相関関係は見いだされず、特に呼び鳴き(左)については極めて厳密にピーク周波数が制御されていることがわかる。本検討では羽化後2週目の個体を用いた。[/caption] [caption id="attachment_6404" align="aligncenter" width="600"] 前翅のミラーおよびハープ(右写真参照)のサイズと体サイズとの関係。体サイズが大きい個体ほど、ミラーおよびハープのサイズは大きい。したがって、体サイズによって発音器官(翅)のサイズが変動しても、鳴き声の高さは常に一定となるように制御されていることがわかる。[/caption] 実際この結果は、ほかの研究者たちによって提唱されている、メスの耳は呼び鳴きの周波数に対してチューニングされており、特に音源定位(音がどの方向から来たかを認識すること)の感度が呼び鳴きのピーク周波数周辺で高くなっているという仮説ともよく合致しています。これらのことを踏まえると、フタホシコオロギにとっては鳴き声の高さが非常に重要な意味を持っており、ある一定の音程から外れた鳴き声を発するオスは、メスに見向きもされないということが推察されます。

残された疑問と今後の展開

これまで、コオロギの発声においては、つめとヤスリで生じた振動がミラーやハープ「共鳴(共振)」によって増幅され、最終的な鳴き声として発せられていると考えられてきました。ミラーやハープのような膜状構造体の振動特性は、形状・素材・張力といったさまざまな要因によって決定されますが、一般的にはサイズが大きくなるほど固有振動数の値は小さくなると考えられます。 したがって、今回の発見はコオロギの鳴き声の高さが翅のサイズ以外の要因(張力の調節など)によって、最終的な音の高さが一定になるように厳密に制御されていることを示しています。 また神経科学的には、コオロギが自分の鳴き声を耳で聞き、フィードバック学習を行なっている可能性が考えられます。さらに極端な仮説としては、ミラーやハープは実際には「共振」しておらず、つめとヤスリで生じた振動がそのまま「強制振動」を引き起こしている可能性も考えられます。ただしその場合には、どのようにして大音量を維持しているのかという別の疑問も生じます。 このように、一見単純に見えるコオロギの鳴き声ですが、まだまだ多くの謎が隠されています。私は今後まず、鳴き声のパターンの成熟過程に着目し、成長に伴って上記の鳴き声パターンがどのような過程をたどって獲得されるのかを明らかにしようと考えています。さらに最終的な目標としては、周波数以外のさまざまなパターンも含めて、メスがどのような鳴き声を好むのかを明らかにしようと考えています。 この目標に向けて、現在は行動実験や計算機を活用した解析システムの樹立を試みています。新しい研究成果が得られ次第、またご報告できればと思います。 参考文献 1. Miyashita, A., Kizaki, H., Sekimizu, K. & Kaito, C. No Effect of Body Size on the Frequency of Calling and Courtship Song in the Two-Spotted Cricket, Gryllus bimaculatus. PLoS One 11, e0146999 (2016). 2. Anichini, M., Kuchenreuther, S. & Lehmann, G. U. C. C. Allometry of male sound-producing structures indicates sexual selection on wing size and stridulatory teeth density in a bushcricket. J. Zool. 301, 271–279 (2017). 3. Bennet-Clark, H. C. & Bailey, W. J. Ticking of the clockwork cricket: the role of the escapement mechanism. J Exp Biol 205, 613–625 (2002).]]>
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アンドロイドへ抱く不気味さの正体は未知への不安 https://academist-cf.com/journal/?p=6416 Mon, 20 Nov 2017 01:00:16 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6416 不気味の谷 科学技術の発展はめざましいですよね。なかでも、人型ロボット(アンドロイド)技術の成長は著しく、見た目が人間にどんどん類似しています。もしかしたら、アンドロイドが人間と遜色なく当たり前のように日常に溶け込み、街中で生活しているような世界はそう遠くはないかもしれませんね。しかしながら、このような技術の進歩が単純に幸せな未来につながるわけではないのです。この急な発展に我々人間の心が追いついていかない可能性があります。 実は、アンドロイドの見た目がネックになりうるのです。アンドロイドや人形などの見た目は、人間に近づくほど好まれます。研究者の多くは可能な限りリアルな人間に近い見た目のロボットを生み出そうと日夜努力しています。しかしながら、人間への類似度があるレベルに到達した途端に、強い不気味を喚起するようになります。その後、リアルな人間とまったく同じレベルの類似度になると、人間と見分けがつかなくなるので好意度が回復すると考えられます。ロボット工学者の森政弘氏は、好意度の急激な落ち込み極値を谷に見立ててこの現象を「不気味の谷」と名付けました。さて、この不気味の谷は人間の心の中でどのようにして生じているのでしょうか? [caption id="attachment_6411" align="aligncenter" width="600"] 不気味の谷の概念図[/caption]

アンドロイドはどっちつかずだから不気味

不気味の谷が起こる原因についてはこれまでいくつか挙げられてきました。そのうちのひとつが、人間なのか非人間(アンドロイドや人形)なのか分類困難なことが不気味さに関与しているという説明です。こちらについて検討した実験では、人間の写真と人形の写真をさまざまな割合で合成して、「人っぽさ」を操作した写真について、「人間か人形か」を分類することを参加者に求めました。さらに、これらの写真について「不気味に感じるかどうか」もあわせて尋ねました。その結果、分類困難な写真(具体的には「分類するのに要する時間が長い」かつ「人間と人形かで判断が分かれる」写真)の場合に、不気味さが喚起されるということが明らかになりました。この結果にもとづいて、分類の困難さが不気味さに関連していると結論づけられました。 [caption id="attachment_6412" align="aligncenter" width="600"] 分類課題と好意度 (不気味さ)との関係。カテゴリ曖昧点とは、判断が分かれるポイントである。[/caption]

どっちつかずのアンドロイドを不気味の谷底へ突き落とすのは「未知への不安」

分類できないことが不気味さに関連していることはわかりましたが、それは何故でしょうか。この点については、「よくわからないもの」に対して不安を感じ、それを避けようとする心理的な反応が起こっているためではないかという仮説が立てられていました。しかしながら、「何が不気味であるか」を調べるような従来の研究アプローチではこの点を直接的に検証するのは困難な状況でした。 そこで、私たちは「誰が不気味を(強く)感じるのか」を調べることで、この仮説の実証を試みました。具体的には、「未知への不安」を抱きやすい性格に着目しました。先ほどの実験の手続きに加えて、参加者が未知への不安を抱きやすい性格かどうかについても測定を行いました。その結果、未知への不安を抱きやすい人ほど、分類困難なものを不気味と感じやすいことが明らかになりました。以前の研究結果とこの研究結果をまとめると、不気味の谷は、分類できないものに対する未知への不安が原因であることが明らかになりました。 [caption id="attachment_6413" align="aligncenter" width="600"] 未知への不安と分類困難な対象が喚起する不気味さの関係[/caption]

アンドロイド以外も落ちていく不気味の谷

今回は、アンドロイドの不気味さの仕組みについて紹介しました。この仕組みにもとづくと、アンドロイドだけではなく他の生物(たとえば犬など)のロボットや人形も不気味さを喚起しても不思議ではありません。現に、2013年の研究で犬と犬のぬいぐるみの写真でも不気味の谷が起こることがわかっています。また、犬型ロボットでおなじみのaiboも最近新型が発表されていましたが、それが非常に不気味であると話題になりましたね。 加えて、食わず嫌いについても今回の不気味の谷の仕組みと同様の説明が可能ではないかと考えて、研究を進めています。我々のグループでは、イチゴとトマトの合成写真を使用して、分類課題と好意度の評定課題を行いました。そうすると、やはり分類が難しいときに最も気持ち悪いと評価されることがわかりました。さらに、未知の食物に不安(食物新奇性恐怖)を感じやすい人の方がこの気持ち悪さを強く感じることが判明しました。したがって、アンドロイドと同じく、分類が難しい「よくわからない食べ物」に対して不安を感じ、それを避けようとする心の仕組みがあることがわかりました。 しかしながら、よくわからない食べ物でも実はおいしかったり、健康に良かったりすることもあります(俗に言うゲテモノや珍味などはまさにそうかと思います)。ゆえに、よくわからない食べ物を過度に回避してしまうことは、たびたび人間にとって不利益にもなり得るので、気持ち悪さを自在に制御できることが望ましいと考えられます。 実は先の発見に加えて、分類が難しい果物写真の好意度を上昇させる術もすでに見つけています。具体的には、果物の匂いを同時に呈示すると、分類が難しい果物写真の好意度が上昇することがわかりました。この知見については、匂いによって「食べ物らしさ」が増したことで、好意度が上昇したのではないかと我々は考えています。 [caption id="attachment_6414" align="aligncenter" width="600"] イチゴとトマトの合成写真[/caption]

明るい未来を目指して

科学技術の発展は素晴らしいもので、これからもどんどん進歩していってほしいと私は思っています。その一方で、人間の心が時代の急激な変化に取り残されてしまうのは望ましくないとも思っています。実験心理学の観点から、不気味の谷の問題を解決し、人々の生活にも科学技術の発展にも明るい未来を提供できるように、引き続き研究を進めたいと思っています。
参考文献 Sasaki, K., Ihaya, K., & Yamada, Y. (2017). Avoidance of novelty contributes to the uncanny valley. Frontiers in Psychology, 8:1792. Yamada, Y*., Kawabe, T*., & Ihaya, K*. (2012). Can you eat it? A link between categorization difficulty and food likability. Advances in Cognitive Psychology, 8, 248–254. (*同等貢献著者) Yamada, Y*., Kawabe, T*., & Ihaya, K*. (2013). Categorization difficulty is associated with negative evaluation in the “uncanny valley” phenomenon. Japanese Psychological Research, 55, 20–32. (*同等貢献著者)]]>
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微細藻類の力で二酸化炭素から「バイオコハク酸」を生産 - 環境に優しいプラスチック作りに向けて https://academist-cf.com/journal/?p=6424 Fri, 17 Nov 2017 01:00:05 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6424 コハク酸はプラスチック原料! 細胞の中にはいろいろな化合物があります。細胞の中の化合物は代謝産物とも呼ばれています。さまざまな代謝産物のなかで、「コハク酸」という物質をご存知でしょうか? 高校生は、生物の教科書でクエン酸回路というものを習います。クエン酸回路は、別名クレブス回路、TCA回路などとも呼ばれます。この回路を細胞内で回すことで還元力が生成され、その後ATPが合成されます。これらは呼吸と呼ばれ、細胞のエネルギー供給になくてはならない反応です。コハク酸は、クエン酸回路の代謝産物のひとつです。ですので、生物を選択した高校生の多くは、クエン酸回路を覚えるときにコハク酸という物質の名前を覚えることと思います。 このように高校生も知っているコハク酸ですが、実はこのコハク酸がプラスチックの原料となることはあまり知られていません。コハク酸は、ポリブチレンサクシネート(PBS)というプラスチックの原料になります。PBSはスプーンやフォークなどの一般的なプラスチック製品や農作物を覆うフィルム(マルチフィルムという)などに使われています。PBSを原料とするフィルムは生分解性があるため、使い終わった後に剥がして焼却する必要がないという利点があります。 コハク酸は、PBSだけでなく、可塑剤や医薬品原料、食品添加物としても使うことができ、非常に広い用途で使われています。幅広い需要に応えるため、現在コハク酸は、石油から合成されています。

バイオコハク酸生産の世界的な争い

コハク酸は石油から合成されますが、上記のとおりクエン酸回路の代謝産物として知られており、ほとんどすべての生物はコハク酸を持っています。このため、近年では生物を使ったコハク酸生産が進められています。生物由来のコハク酸は「バイオコハク酸」と呼ばれ、バイオコハク酸の生産が世界的な競争になっています。少なくとも4つのバイオベンチャーがバイオコハク酸の工業生産を行っており、最大手であるバイオアンバー社(カナダ)は、年間数万トンの生産能力を有しています。 これらの会社では、大腸菌や酵母などの生物を使ってバイオコハク酸を生産しています。この場合には糖を与えて発酵させることで、バイオコハク酸を生産しています。これらの生物は、コハク酸を非常に効率良く生産できます。しかし、原料である糖の値段が高く、また、糖の利用は人間の食糧消費と競合するといった問題点も含んでいます。 そこで我々のグループは、微細藻類に注目しています。藻類と言えば昆布やワカメ、海苔などが有名です。これらは大型藻類ですが、微細藻類はその名の通り細胞が小さく、直径が1〜10数マイクロメートルの単細胞性藻類を指します。微細藻類は光合成を行うことができるため、自ら糖を作り出すことができます。我々は微細藻類の光合成の能力に着目し、光合成由来の糖を使ったコハク酸生産を考えました。

シアノバクテリアはバイオコハク酸を生産する

我々は、微細藻類のなかでもシアノバクテリアを利用してバイオコハク酸の生産を行っています。シアノバクテリアは別名ラン藻、アオコとも呼ばれる生物です。バクテリアと名前が付いているとおり、シアノバクテリアは原核生物に分類されます。シアノバクテリアのなかには、スピルリナという健康食品や色素の生産のために工業的に培養されている仲間もいます。そのなかでも我々は、シネコシスティス(Synechocystis sp. PCC 6803)という単細胞性のシアノバクテリアを用いています。このシネコシスティスは、増殖が速く、遺伝子改変が簡単であるという利点を有し、直径が約1.5マイクロメートルの球形をしています。シネコシスティスは、研究業界では世界的に使われているシアノバクテリアです。 [caption id="attachment_6420" align="aligncenter" width="600"] 単細胞性シアノバクテリアであるシネコシスティスの光学顕微鏡写真[/caption] 我々は、このシネコシスティスがコハク酸を生産し、細胞外にコハク酸を放出することを発見しました。コハク酸はほとんどすべての生物が持っていますが、細胞外に放出する能力を有することが工業化には重要です。我々は、シネコシスティスを暗く酸素のない条件で培養することで、コハク酸が細胞外に放出されることを発見しました。酸素のない条件とは、簡単に言うと「発酵」の条件になります。すなわち、シネコシスティスを発酵させると、バイオコハク酸ができることがわかりました。 このシネコシスティスの発酵では糖を加えていません。あらかじめシネコシスティスが光合成で作った糖からコハク酸ができています。光合成は、二酸化炭素から糖を作ることですから、今回の生産法ではシネコシスティスが二酸化炭素をコハク酸に変換したことになります。

遺伝子の改変によるバイオコハク酸の増産

シネコシスティスを発酵させることでバイオコハク酸が生産できることを発見しましたが、遺伝子改変や培養条件の変化によって、さらなるコハク酸生産量の増加を目指しています。発酵時には、コハク酸だけでなく、酢酸や乳酸などの副産物も細胞外に放出されることがわかりました。そこで酢酸キナーゼという酢酸を合成する酵素の遺伝子を破壊したところ、コハク酸生産量が増加することがわかりました。また、SigEという細胞内の糖代謝を制御する司令塔を増強することで、コハク酸生産量が増加することもわかりました。 [caption id="attachment_6421" align="aligncenter" width="600"] 遺伝子改変によるシネコシスティスのコハク酸増産。酢酸キナーゼ遺伝子の破壊や糖代謝の司令塔であるSigEの増強(細胞内のタンパク質量を増やすこと)によって、コハク酸生産量が増加した。[/caption] この他にも、水素を合成する酵素や他の代謝制御因子の改変でコハク酸が増えることを明らかにしてきました。このように、コハク酸を増やす新しい遺伝子を発見し、それらの遺伝子の改変を行うことで、シネコシスティスのコハク酸生産量を増やすという研究を行っています。

ミドリムシもバイオコハク酸を作る!

シネコシスティスでコハク酸の研究を始めましたが、他の微細藻類のコハク酸生産能力も試しました。微細藻類のなかで有名なものにユーグレナがあります。ユーグレナは別名ミドリムシと呼ばれています。現在、株式会社ユーグレナがユーグレナの大量培養に成功し、ミドリムシクッキーや飲むユーグレナなどの商品として広く販売しているため、ご存知の方も多いかもしれません。ユーグレナはシアノバクテリアと異なり、真核生物になります。 我々は、ユーグレナ社と共同で研究を行い、ユーグレナを発酵させるとコハク酸が細胞外に放出されることを発見しました。特に、ユーグレナをあらかじめ窒素欠乏状態にしておき、その後発酵させることでコハク酸生産量が劇的に増えることを発見しました。ユーグレナのコハク酸生産量は870mg/L以上となり、光合成で固定した二酸化炭素由来のコハク酸生産量としては世界最高記録になります。 [caption id="attachment_6422" align="aligncenter" width="600"] ユーグレナグラシリスによるコハク酸生産。窒素がある条件で培養したユーグレナはあまりコハク酸を作らないが、窒素を欠乏させた後に発酵させるとコハク酸の生産量が劇的に増加する。[/caption] このように我々は、微細藻類には二酸化炭素からバイオコハク酸を合成する能力があることを発見しました。しかし、現在の生産量は、酵母や大腸菌によるバイオコハク酸生産量と比べて2桁近く低いのが現状です。我々はさらなる遺伝子改変や培養の工夫によって微細藻類のコハク酸生産量を増大させ、環境に優しいプラスチック作りを行いたいと考えています。 参考文献 Osanai T, Shirai T, Iijima H, Nakaya Y, Okamoto M, Kondo, A, Hirai MY. (2015) Genetic manipulation of a metabolic enzyme and a transcriptional regulator increasing succinate excretion from unicellular cyanobacterium. Front. Microbiol. 6:1064. Tomita Y, Yoshioka K, Iijima H, Nakashima A, Iwata O, Suzuki K, Hasunuma T, Kondo A, Hirai MY, Osanai T. (2016) Succinate and lactate production from Euglena gracilis during dark, anaerobic conditions. Front. Microbiol. 7:2050. Takeya M, Iijima H, Sukigara H, Osanai T. (2017) Cluster-level relationships of genes involved in carbon metabolism in Synechocystis sp. PCC 6803: Development of a novel succinate-producing strain. Plant Cell Physiol. doi: 10.1093/pcp/pcx162.]]>
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やる気が出ると目がさえる - モチベーションと睡眠覚醒の関係の謎を明らかに https://academist-cf.com/journal/?p=6429 Tue, 21 Nov 2017 01:00:43 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6429 睡眠覚醒はどのように制御されるのか? 睡眠は、主に2つのメカニズムによって調節されると考えられています。長時間起きていると睡眠負債が溜まっていき、あるレベルになると眠気を生じさせる恒常性制御と、朝になったら目がさめ夜になったら眠くなるといったように日周的に眠気をコントロールする体内時計による制御です。 これら2つに加え、第3のメカニズムとして感情や認知などによる脳内環境の変化も睡眠覚醒を制御するのではと考えられてきましたが、そのメカニズムは謎でした。 [caption id="attachment_6431" align="aligncenter" width="600"] 睡眠の2プロセスモデル。恒常性による調節(プロセスS)および体内時計による調節(プロセスC)からなり、これらの合計で睡眠のタイミングや強さが決まると考えられている[/caption]

モチベーションに関わる側坐核が睡眠覚醒を制御する

この謎を紐解くため、私たちの研究グループは、モチベーション行動に重要な側坐核という脳部位に注目しました。なぜかというと、睡眠を誘発するアデノシンという脳内物質を受けとることができる「アデノシン受容体」を持つニューロンが側坐核には多数存在するためです。 光を使って特定のニューロンの活動を操作する、光遺伝学という手法を使って側坐核内のアデノシン受容体を持つニューロンを活性化してみると、マウスの行動量が顕著に低下しました。さらに脳波測定を行ったところ、徐波睡眠(ノンレム睡眠)の量が明らかに増加していたのです。逆に、ニューロンの活動を低下させたときには、徐波睡眠の量が大きく減少しました。この結果は、側坐核のニューロンが睡眠覚醒を制御するうえで非常に重要であることを意味しています。 さらに解析を進めると、側坐核内の2つの領域(コアとシェル)のうち、コア領域に睡眠を誘発する機能があり、この領域が腹側淡蒼球というまた別の脳部位に情報を伝達することで睡眠を誘発することが示唆されました。「側坐核のコア→腹側淡蒼球」という経路で情報が伝達されている可能性が高いと考えられます。 [caption id="attachment_6433" align="aligncenter" width="600"] 青色光により側坐核の神経活動を人為的に活性化できる、チャネルロドプシンを組み込んだマウスを用いた実験(光遺伝学の手法)。このマウスの側坐核に光を照射すると、チャネルロドプシンを持つ神経が興奮して睡眠量が増加する[/caption]

モチベーションは睡眠覚醒を制御するのか?

ここまでの実験では、特定のニューロンの活動を操作することで睡眠量がどう変化するかを見てきました。しかし、このニューロンはどのような生理的条件で実際にコントロールされるのでしょうか。私たちは、モチベーション刺激となるチョコレート、異性のマウス、もしくは玩具をマウスの飼育ケージに投入し、何が起こるかを調べました。驚くべきことに、いずれの条件においても睡眠量が低下していただけでなく、刺激に応じて側坐核のニューロンの活性が抑制されていたのです。これらの結果から、側坐核のニューロンは、モチベーションに関わる刺激によって制御され、かつ睡眠覚醒を制御することが明らかになりました。 [caption id="attachment_6434" align="aligncenter" width="600"] モチベーション刺激(玩具、異性、チョコレート)および非モチベーション刺激(普段のエサ、床敷き)を与えた時のマウスの睡眠量(A)および側坐核神経の活性(B)。モチベーション刺激を与えた場合、睡眠量および側坐核活性は低かった[/caption] 今回の発見により、モチベーションと睡眠覚醒をつなぐ直接的な回路を見つけだすことができました(もちろん今後の検証を待つ必要があるのですが)。マウスを使った実験結果であるため、人間でも同じように言えるのかはわかりませんが、なぜ私たちはつまらない会議や講義にでているときにあれほど眠くなるのか、またここぞというときに目がさえるのか、日ごろから疑問に思っていたことに少しだけ説明がつくのではないでしょうか。 この研究が進み、さらにメカニズムが解明されていけば、気持ちが高ぶって眠れない人への治療薬の開発にもつながるかもしれません。ぜひ、続報を期待してください。   参考文献 Yo Oishi, Qi Xu, Lu Wang, Bin-Jia Zhang, Koji Takahashi, Yohko Takata, Yan-Jia Luo, Yoan Cherasse, Serge N. Schiffmann, Alban de Kerchove d’Exaerde, Yoshihiro Urade, Wei-Min Qu, Zhi-Li Huang, Michael Lazarus. Slow-wave sleep is controlled by a subset of nucleus accumbens core neurons in mice. Nature Communications. 2017 Sep 29:8(1):734 記事制作協力 ミハエル・ラザルス(筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構 准教授) 樋江井哲郎(筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構 科学コミュニケーター)]]>
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音の最小単位「国際音声記号」の魅力に迫る - 慶應大・川原繁人准教授インタビュー https://academist-cf.com/journal/?p=6445 Wed, 22 Nov 2017 03:00:39 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6445 Mt.Fuji」は普通、「まうんと・ふじ」と発音するが、実は「ふ」は「FU」でも「HU」でもない。この違いを理解するには、「ふ」をさらに細かい要素に分解していく必要がある。音声学者たちは、国際音声記号(IPA:International Phonetic Alphabet)を開発することで、世界に存在するあらゆる音声を記述しようとしている。しかしIPAは、初学者には難易度が高い印象を与えることもあり、現に学生ウケが良いとはいえないという。そんななか、ポケモンや妖怪ウォッチなど知名度の高い題材を用いることで、音声学の間口を広げようと活動している研究者がいる。それが、慶應義塾大学言語文化研究所の川原繁人准教授だ。今回、IPAカードの作成資金を募るためのクラウドファンディングに挑戦中専修大・平田佐智子氏が、IPAに関するインタビューを行った。 [caption id="attachment_6460" align="aligncenter" width="600"] 慶應義塾大学言語文化研究所の川原繁人准教授[/caption]

IPAはどのような場面で使われているのか

平田佐智子 氏(以下、平田):私がIPAを勉強するモチベーションは、「世の中にこんなにたくさんの音声があるなんて面白い!」というところなのですが、IPAは実際に、どのような場面で使われるのでしょうか。

川原繁人 氏(以下、川原):IPAを使えば、多言語の音声を同じ基準で記述できるので、たとえば方言の調査で使われます。実際、IPAが爆発的に広がったきっかけは、イギリスの方言の調査を行うためだったんですね。その伝統は今でも続いていて、未知の言語をIPAで書き取っていく仕事をされている方が、多数いらっしゃいます。

平田:言語聴覚士の方々が使っているという話も聞いたことがあります。

川原:訓練の一環としてやっているところはありますね。言語聴覚士の方々は、実はIPAの拡張版を使っているんです。たとえば、口蓋の一部に裂け目が現れる口蓋裂(こうがいれつ)の患者さんや、吃音症の患者さんの発音を書き取るためには、拡張版が必要になります。

[caption id="attachment_6452" align="aligncenter" width="600"] IPA(国際音声記号)の一覧表[/caption]

平田:なるほど。いずれの場合でも、覚えるのが大変そうです。先日IPAの入門講座を受けたのですが、全然ダメでした……。担当の先生はIPAはツールであって、これだけが全てではないということは仰っていたのですが。

川原:IPAは、言いかたを変えれば、素晴らしいカンペシートです(笑)。無理に覚えずに、必要な音を探せるようになれば良いのではないかと思います。

平田:発音の聞き取りも、予想以上にできませんでした。特に日本の音韻体系を外れると、全く対応できなくなるんですよね。

川原:それはある意味当然です。人間は自分の母語に引き寄せて音を聞いてますからね。外国語の音を聞いたときに、いきなり真似できるほうが珍しいんです。たとえば、日本語には子音と子音が連続する言葉って、あまりないんですね。有名な実験に [ebzo] のような音を日本人がどのように知覚するか確かめた研究があります。試しに、発音してみていただけますか?

平田:「エブゾ」というように、「ブ」が入ってしまいますね……。

川原:そうなんです。「ebzo」の「b」と「z」の間には、物理的な母音はないのですが、心理的には母音が入り、「ebuzo」と聞こえるんですね。実際に脳波を調べてみると、日本人の脳は母音ありと母音なしの区別ができていないという結果も出ているみたいです。つまり、子音と子音のつながりを聞くと、脳が勝手に母音を補完してしまうということです。そう考えると、はじめのうちはできないのが当たり前ですよね。

IPAは発音指導にも役に立つ

平田:IPAは全ての音声の源ですので、たとえば英語の発音指導にも活かせるように思えます。その辺りに関しては、どのようにお考えでしょうか。

川原:効果はあると思いますよ。たとえば、「Mt.Fuji」の「ふじ」は「FUJI」と書くじゃないですか。でも、日本語の「ふ」は「FU」でも「HU」でもないんですよね。音として全然違います。IPAの表の読みかたさえ覚えてしまえば、どう発音すれば良いかが原理的にわかるので、語学教育にも活かされるはずです。

平田:IPAの全てが英語に必要というわけではないので、必要なところだけ覚えて使えると良いかもしれませんね。

川原:また、IPAに英語でも日本語でも出てこない音が出てくるというのも、面白いと思います。

平田:たしかに、全然聞いたことのないヘンテコな音があるように思います。しかも、それが言語音として存在しているというのが面白いです。たとえば、この辺りでしょうか。(IPAの表の一部を指差す)

川原:これは吸着音ですね。クリックと呼ばれています。クリックはアフリカでしか使われていないので、かなりニッチですよ。

平田:でも、言語音として使われているんですよね。

川原:使ってますよ。南アフリカのサッカーチームが日本にきていたときに、アフリカから来た応援団が渋谷にいたのですが、そこで生のクリックを聞きました。いや、これは感動しましたよ。実際のクリックを聞いて、「もしかして、あなたの母語はズールーですか?」と言いたくなったくらいです(笑)。

平田:クリックには、どういう音があるのでしょうか。日本人には発音できなさそうな気がしますが……

川原:そう思われるかもしれませんが、言語音としては使われていないだけで、たとえば舌打ちの音の「チェッ」も、クリックなんですね。

平田:言語音にはなくても、発することはできるということですね。

川原:そうですね。

平田:IPAの表自体は、完成されたものと理解して良いのでしょうか。

川原:実は、いまだに議論されているんです。「Journal of IPA」というマニアックな機関紙があるのですが、時々、新しい記号が必要なのではないか、あるいは既存のこの記号は不要ではないかという論文が出ているので、将来新しい音が追加されるかもしれません。そうなったときには、IPAカードも追加しなければなりませんね(笑)ところで、平田さんが音声学に関心を持ちはじめたのは、いつ頃だったのでしょうか。

[caption id="attachment_6476" align="aligncenter" width="600"] 現在制作中のIPAカードのサンプル[/caption]

平田:幼少期のころかもしれません。私は幼いころドイツにいたのですが、当時「R」の発音で言語の壁を感じていました。

川原:ああ、それはわかります。私もドイツでホームステイしたことがあり、お姉さんの名前が「バーバラ(Barbara)」さんだったのですが、中学生の頃の私の耳には、「バーバガ」にしか聞こえませんでした(笑)。

平田:R」は全部「G」に脳内変換して間に合わせる感じですよね。最初はそれでゴマかしていたんですけれども、小学3年生の算数で「gram(グラム)」が出てきてしまい、詰んだ記憶があります(笑)。

川原:ははは。それは誤魔化しきれませんね。

平田:ちょうどその頃、言語には発音が全然違うものがあるらしいことに気づいたんです。太刀打ちできないものが、たくさんあると。

川原:なるほど。その当時の経験が、現在の興味につながっているのかもしれませんね。でも、最初はゴマかしていいんですよ。むしろ、そうであるべきです。あまりIPAに厳密にこだわっていると、それだけでストレスがたまってしまうので。

平田:あと、エジプトのカイロで知り合った方が、パスポート(passport)のことを「バッサボルト」と発音していたのも、記憶に残っています。

川原:アラビア語には、「p」がないですからね。「b」になってしまうんですよね。「p」と「b」の境界がないので、全部bになる。さらに、「r」も「アール」と伸ばさないので、わかりにくいかもしれません。

平田:でも、そういう事例をひとつ一つ紐解いていくプロセスは、とても面白いです。IPAの知識があると、国籍の異なる人たちの発音のどこがどう違うのかがわかるようになるので、今回制作するIPAカードを、世界の言語を理解するためのツールとして使って欲しいなと思います。

人文科学系のクラウドファンディングは盛り上がるのか

平田:私は現在、クラウドファンディングに挑戦しています。人文科学系の研究者はあまり挑戦しない印象があるのですが、その辺りはどのようにお考えでしょうか。

川原:もしかすると、社会に研究を還元する意識が比較的薄いのかもしれません。以前、文科省が「役に立たない学問にはお金をあげない」という発言をして、研究者から文句が出たことがあったじゃないですか。たしかに言い過ぎなところもありますが、各学問を研究する研究者たちが「こういう学問があるんですよ」「社会とはこのように関わっているんですよ」ということを発信しないまま文句を言うのは、おかしいのではないかと感じました。

平田:なるほど。

川原:たしかに専門的な内容への理解を求めるのは難しいですが、その研究が社会にどう貢献しているか、どう関わっているかだけを発信するだけでも良いと思うんです。たとえば私は、将来自分の声が失われると分かっている難病の患者さんの声をあらかじめ録音し、声が失われた後もパソコンを通して再生できる「マイボイス」の開発をお手伝いしているのですが、音声学者がこのようなサポートしていることを発信するだけでも、研究に対する理解は変わってくるのではないでしょうか。

平田:私の専門とする心理学の基礎研究は、外部資金を潤沢に獲得できなくても研究室の維持ができることもあり、ガツガツしていないのかもしれません。だからと言って、研究室に閉じこもっていて良いというわけではないのですが。アウトリーチ活動をしていかないと、これからますますお金は減るわけですからね。

川原:これは音声学に限った話かもしれませんが、他の分野と協業を実現するという意味でも、アウトリーチ活動を行う価値はあると思います。たとえば、過去に電化製品のノイズを減らす技術開発が盛んに行われていた時期がありました。掃除機の機械音がうるさいのでなんとかしてほしい、というようなクレームがあったんですね。そこで、工学系の研究者がノイズをなくすための努力を重ねていくわけですが、それができたら褒められるかといえばそうではなく、次はゴミを吸っている感じがしないというクレームが来るわけです。

平田:これは面白い事例ですね。 川原:この場合では、工学者に「音は人間が聞くものである」という視点が欠けていたんですよね。実際、工学者の方々からは、人文学的な知見が欲しいと言う声があるわけですので、一緒にやれることはたくさんあるように思うんです。

平田:分野ごとに文化が違うので、まずは互いのことを知ってもらうために、情報発信をすることが重要ですよね。川原先生は、一般書もたくさん出されています。

川原:そうですね。以前出した「音とことばの不思議な世界」は音声学の話がメインになっているのですが、現在執筆中の本は、たとえば「サ行の音はさわやかな感じ」というように、音声そのものが何らかのイメージを伴う「音象徴」という現象について、それぞれの章で取り上げていく本になる予定です。2017年12月には発刊しますので、ぜひ読んでみてください。

[caption id="attachment_6447" align="aligncenter" width="600"] 川原先生の著書「音とことばのふしぎな世界」[/caption]

平田:これは私は読まないといけない気がします(笑)。

川原:本の中では、以前話題になったポケモン音象徴の分析結果もまとめてありますよ。ポケモンの名前に含まれる濁点が多ければ多いほどポケモンの戦闘力が上がるというような話です。この話は、中国語、英語、ロシア語にも飛び火して、2018年5月に「世界ポケモン音象徴学会」を開催することになったんです(笑)。人生のなかでも思わぬヒットでしたね。

平田:それはすごいですね。ポケモンとなると、学生さんも食いつきそうです。

川原:妖怪ウォッチや、宝塚の芸名などを対象にした研究もあったりしますよ。身のまわりのゲームや名前に関連させることができれば、本来であれば面倒なデータの打ち込み作業でも、そこまで苦にならないんですよね。これから音声学を広げていくためにも、おもしろ系は間違いなく重要です。ぜひ、IPAカードもその流れに乗って、どんどん普及させていってくださいね。

平田:ありがとうございます。まずは、記号と音の対応関係をちゃんと示すというところから、やっていきたいと思います。今日はありがとうございました。

*** 平田佐智子氏のクラウドファンディング「IPAカードを作り、音声学の魅力を広めたい!」、2017年12月2日(土)まで支援受付中です。ここでしか手に入らないIPAカードを、ぜひご購入ください!]]>
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脳の中の時計 - 錯覚で解明する時間知覚判断の注意と意思決定の右半球ネットワーク https://academist-cf.com/journal/?p=6453 Fri, 24 Nov 2017 01:00:48 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6453 「時間を感じる」とは? 一口に時間といっても数秒といった短いものから24時間、数日といった長いものまでさまざまな範囲があります。たとえば、24時間周期をもとにした時間サイクルは、概日リズムとして、睡眠や摂食といった私たちの行動に影響を与えています。概日リズムは視交叉上核がその司令塔とされ、日光によってリセットされています。一方で数分から数時間の時間感覚は、計画的な日常生活に必要な意思決定にも関与します。また、1秒未満の短い時間は、発話や調和のとれた身体運動、音符や休符といった音楽のパタン認識に重要です。私たちは、数秒以内のとても短い時間の処理を対象として研究を進めています。

時間を処理する固有の脳領域はあるのか?

光、音、肌触りによってもたらされる情報は、受容する感覚器(眼・耳・触覚受容器)と情報を処理する固有の脳領域が存在しますが、時間を受容する特定の感覚器官は存在せず、それを処理する固有の脳領域もありません。ヒトが感じる時間とは、脳が外界からの入力を手がかりに、複数の領域のグローバルネットワークとして機能する結果生み出される「認知の産物」と考えています。

時間縮小錯覚

「ピ・ピ・ピ」という3つの連続する短音(20ミリ秒)によって区切られた2つの時間間隔(T1、T2)を考えてください。T1、T2がそれぞれ120、200ミリ秒としてこの音パタンを聞いてみると、2つの時間間隔は、物理的には80ミリ秒の差があるにもかかわらず、ほぼ等しい長さに聞こえます。この知覚現象は「時間縮小錯覚」と呼ばれ、筆者の共同研究者である中島祥好・九州大学芸術工学研究院教授とten Hoopen, G.ライデン大学准教授が共同で発見した錯覚現象です。重要で正確なはずの1秒未満の短い時間情報処理においても、そうした現象がみられるのです。 [caption id="attachment_6489" align="aligncenter" width="600"] 時間縮小錯覚は、物理的には異なる長さの時間間隔を2つ続けて呈示した場合に、ある時間範囲においてはそれら2つの間隔が知覚的に等しく感じられるという現象。典型的な精神物理学的実験では、(A)時間間隔(T2)を単独で呈示したときと(B)T2の直前に先行時間(T1)を付け加えたときの主観的等価値(Point of Subjective Equality: PSE)を測定する。この場合、T2の物理的な長さは等しいにもかかわらず、PSEはT1を付け加えたときの方が短くなる。つまり、時間マーカーが2つのときは錯覚は起こらず、マーカーが3つで、かつT1がT2の時間間隔よりも短い時に錯覚が起こるという規則性がある(聴覚だと-80 ms ≤ T1-T2 ≤ +40 msが錯覚のおこる時間範囲)。[/caption] このような2つの時間間隔の長さが同じか・異なるかを判断する際、私たちは区切りである短音に注意を向け、T1の長さを記憶し、それをT2の長さと比較し、最終的に2つの時間間隔の長さが等しいか否かの判断を行うと考えられます。このことから、時間知覚は入力刺激に対する「注意」と「モニタリング」、時間間隔の「記憶」、時間長の「判断」といった異なるステージを経て成立し、その処理には複数の脳領域が関わっていると考えられます。時間縮小錯覚を題材に研究することにより、ミリ秒単位の時間知覚に伴って実行される、注意・記憶・判断のプロセスを含んだ脳内の「感じられる」時間や、同じ入力なのに異なる判断をくだす場合の情報処理を検証することが可能だと考えたのです。

右半球に存在する時間知覚ネットワーク

私たちは、時間縮小錯覚を題材として事象関連電位(ERP)、脳磁図(MEG)を用いて時間判断に関わる脳の電気活動や脳領域を時空間的に調べました。ERPは、ヒトを含む動物の脳で生じる電気活動を、頭皮上、脳表、脳深部などに置いた電極によって記録するもので、MEGは、神経細胞間での情報のやりとりで発生する電流によって生じるわずかな磁場を高感度デバイス(超伝導量子干渉計:SQUIDs)を用いて計測する技術です。どちらも脳の神経活動の時間的な変化をミリ秒単位で知ることのできる計測手法で、私たちが対象とするような短い時間範囲で起こる知覚現象を扱うには最適の手法です。 実験では、参加者に聴覚刺激による時間判断課題をしてもらいながら、その間の脳活動をERPあるいはMEGによって記録し、脳のどこが、どのタイミングで時間判断に関連して働いているのかを調べました。解析の結果、時間判断時の脳活動は右半球優位であり、特に刺激聴取中には右半球側頭頭頂接合部(TPJ)の活動が高く、この領域が時間間隔への注意やモニタリングに関わることが示唆されました。また、刺激聴取直後に右半球下前頭皮質(IFG)の活動が高まり、この領域が時間判断に関連することが示されました。 [caption id="attachment_6490" align="aligncenter" width="600"] ATA課題時の右半球の活動 (A)側頭頭頂連合(TPJ)、(B)下前頭皮質(IFG)[/caption] さらに、時間縮小錯覚の生じる刺激パタンのみで刺激終了から50ミリ秒以内のIFGの活動が有意に高まっており、この脳反応が錯覚と関連すると考えられます。 [caption id="attachment_6491" align="aligncenter" width="600"] IFGにおける刺激終了直後の判断の効果。時間縮小錯覚の起る刺激パタンのみ刺激終了後50ミリ秒以内の活動が有意に高まっていることがわかった。[/caption]

今後の展望

視覚、聴覚、皮膚感覚など個別のモダリティの情報はそれぞれ異なる神経連絡を経て個別に処理されており、その時間分解能は各感覚で異なります。たとえば聴覚は数十ミリ秒以内に生じる細かい変化を捉えることができますが、仮に視覚が同様の時間分解能を有するならば、私たちが目にする「動画」は紙芝居のように「連続する静止画」に見えてしまうでしょう。このように感覚処理の時間解像度は各モダリティで異なるにもかかわらず、私たちは複数感覚からの情報を同期させて処理しています。素朴に考えても、複数感覚を統合させて行われる日常的な時間情報処理には、個別の感覚で行うそれとは別の、あるいは付加的な統合過程が働いていると考えられます。 私たちが題材とする時間縮小錯覚は聴覚・視覚・皮膚感覚の3つの感覚において生じることが明らかとなっています。現在私たちは、この現象を用いて、複数感覚(視覚と聴覚)を同時に呈示した際に起こる時間縮小錯覚についてひとつの感覚(たとえば聴覚)で呈示した際と同様の計測方法で脳機能測定を行い、これまでの聴覚による結果と比較することによって、時間知覚における複数モダリティの統合処理過程をさらに検証しています。 参考文献 Nakajima Y et al (2004) Time-shrinking: the process of unilateral temporal assimilation. Perception 33: 1061-79. Mitsudo T et al (2014) Perceptual inequality between two neighboring time intervals defined by sound markers: correspondence between neurophysiological and psychological data. Front Psychol 5: 937. Hironaga N and Mitsudo T et al (2017) Spatiotemporal brain dynamics of auditory temporal assimilation. Sci Rep 12: 11400.]]>
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タイのクジラの待つだけ採餌 - カツオクジラは立ち泳ぎをしながら採餌する https://academist-cf.com/journal/?p=6466 Wed, 22 Nov 2017 01:00:35 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6466 ナガスクジラ科の採餌行動 地球上で最大の動物シロナガスクジラを含むナガスクジラ科の動物は、突進採餌(ランジフィーディング)と呼ばれる方法で餌を捕ることが知られています。ランジフィーディングとは、口を開けながら高密度に分布するオキアミや小魚などの群れに突進し、餌を海水ごと口に含み、最後にヒゲ板と呼ばれる櫛状の器官を用いて海水だけ口外に排出する餌捕り方法です。この方法は、口を開けながら高速で遊泳するため遊泳抵抗が大きく、その結果たくさんエネルギーを消費すると言われています。これまでのナガスクジラ科の採餌に関する研究の多くは、ランジフィーディングに関するもので、他の採餌方法についての知見はほぼありませんでした。

カツオクジラの立ち泳ぎ採餌

そんななか、今回の研究では、タイ王国のタイ湾でナガスクジラ科の一種であるカツオクジラが立ち泳ぎをしながら採餌をすることを発見しました。立ち泳ぎ採餌では、クジラは口を閉じて頭を垂直に水面に出します。次に水面に下顎を下ろし、口角だけを水面下に沈め周りの海水を口内へ流し込む水流を作ります。その後、数秒から数十秒間その体勢を維持し、口の中に餌が流れ込んでくる、もしくは餌がジャンプして飛び込んでくるのを待ちます。最後に口を閉じ水中へ潜るという過程です。 [caption id="attachment_6462" align="aligncenter" width="600"] カツオクジラの大人仔供ペアの立ち泳ぎ採餌。(A)口を閉じて水面に垂直に頭を出す。(B, C)下顎を水面に下ろす。(D)立ち泳ぎの姿勢を維持しながら餌が口の中に入って来るのを待つ。(E)口を閉じて水中へ潜る。(F)(D)の拡大図。口角(赤丸部分)を水面下に沈め口なのかに入り込む水流を作る。[/caption] 加速度ロガーの記録を見てみると、立ち泳ぎしているあいだは巡航遊泳(3秒周期)よりも早い周期(0.7秒周期)の動きが見られます。またビデオロガーには、尾びれによるストロークと胸びれを動かしている様子が記録されていました。このことから、立ち泳ぎの際にクジラは尾びれと胸びれを使ってバランスを取っていたことがわかりました。タイ湾は富栄養化が進み、水面付近以外は貧酸素な状態となっています。つまり餌の小魚は水面付近にしか生息できません。そのため水面に水平的に分布する小魚に対し、立ち泳ぎ採餌は効率的な採餌方法であることが考えられます。 [caption id="attachment_6463" align="aligncenter" width="600"] データロガーから得られた行動データ。上から立ち泳ぎの概念図、潜水深度、遊泳速度(ロガーのストール速度以下(0.2m/秒)は非表示)、長軸方向の動的加速度、加速度スペクトル。立ち泳ぎ採餌をしている時に、スペクトル上に0.7秒周期の動きが信号として現れているのがわかる。立ち泳ぎ前の巡航遊泳時には3秒周期の動きが信号として現れている。[/caption] [caption id="attachment_6464" align="aligncenter" width="600"] カツオクジラの立ち泳ぎ採餌中のビデオロガーの映像。(A)尾びれの動き。(B)胸びれの動き。[/caption]

立ち泳ぎ採餌は省エネ戦略

立ち泳ぎ採餌では、水面に頭を出しているだけなので、ランジフィーディングに比べ、エネルギー消費が小さいことが考えられます。これらの採餌行動は漁法に例えることができます。立ち泳ぎ採餌は、海中(海底)に網を設置し一定時間放置したあと引き上げる「敷き網漁」、ランジフィーディングは、網を曳き続ける「トロール網漁」といった具合です。この研究では、どれだけの餌を獲っていたのかまでわからないので、立ち泳ぎ採餌のエネルギー効率の良し悪しを判断することはできませんが、少なくともエネルギー消費が小さい採餌方法であることが推察できます。

カツオクジラの文化的行動

立ち泳ぎ採餌は、大人の単独個体もしくは大人と仔供のペアで観察することができます。仔供は大人の真似をして採餌方法を学んでいるようです。真似というのは社会学習の要因のひとつと考えられていることから、カツオクジラの大人と仔供のペアでの立ち泳ぎ採餌は社会学習であることが示唆できます。またカツオクジラは世界中の温暖な海域に生息しているのですが、この海域以外のカツオクジラにおいて、立ち泳ぎの報告はありません。つまり立ち泳ぎ採餌はタイ湾にのみ観察される地域特有の行動であることがわかります。社会学習や地域特有の行動という観点から、立ち泳ぎ採餌はタイ湾で見られる文化的行動である可能性が考えられます。

ヒゲクジラ類の受動的な餌取り様式の初の事例

今回報告したカツオクジラの立ち泳ぎ採餌は、ナガスクジラ科の動物だけでなく、ヒゲクジラ類の動物全体における受動的な餌獲り様式の最初の報告となりました。またこのことは、カツオクジラがさまざまな環境に対して、柔軟に対応する能力を持ち、条件により餌捕り方法を使い分けていることを意味しています。 参考文献 T. Iwata, T. Akamatsu, S. Thongsukdee, P. Cherdsukjai, K. Adulyanukosol and K. Sato. (2017) Tread-water feeding of Bryde’s whales. Current Biology, Vol.27, No.21, pp.R1154- R1155, doi: 10.1016/j.cub.2017.09.045.]]>
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野生チンパンジーのメスの「産休」 - 出産直後の子殺しリスクへの対抗戦略の可能性 https://academist-cf.com/journal/?p=6496 Mon, 27 Nov 2017 01:00:56 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6496 ヒトの産休とチンパンジーの「産休」 現代の人間社会では、多くの国で女性が出産前後に産休をとることが認められています。会社で働く女性の出産のために国が法的に定めた産前産後休業制度のほかにも、さまざまな文化で出産後の回復期を定めて出産した女性を保護する慣習があります。たとえば、伝統的に日本では「産後の肥立ち」、中国では「坐月子」、ヨーロッパでは「confinement(lying-in)」と呼ばれる産後の期間がもうけられています。人間社会で出産に関するこうした慣習や制度があるのは、ヒトの出産がきわめて難産であり、出産時の母体にかかる大きなダメージから回復するのに一定の期間が必要であるためです。 ヒトにもっとも近縁な現生動物種であるチンパンジーでは、出産前のメスが集団の他のメンバーから離れ、しばらく観察されない不在期間のあとで新生児を抱いて戻ってくるという現象が知られており、メスが集団と一緒に遊動することを「休んで」出産していると考えられることから、研究者の間ではこれを「産休」と呼んできました。 しかし、野生チンパンジーの「産休」の存在を実証した研究はこれまでほとんどなく、また野生下ではチンパンジーの出産の観察事例が非常に少ないこともあり、出産前後のメスの過ごし方や出産前後の母子が抱えるリスクについては十分に調べられてきませんでした。また、野生動物のメスは出産後も自分で採食したり新生児の世話をしたり外敵から身を守ったりする必要があるため、実際には出産後も「休んで」いるわけではありません。そのため、野生チンパンジーで見られる「産休」の機能や進化的意義については、「産休」現象自体がこれまできちんと把握されてこなかったこともあり、長く不明なままでした。

オスによる子殺し vs. メスによる子殺しへの対抗戦略

霊長類を含む多くの哺乳類で、オスによる子殺しの事例が報告されています。その要因のひとつとして提案されているのが性選択仮説です。多くの哺乳類では、メスが子供に授乳している間は排卵を再開せず、次の子供を受胎しません。そのため、オスは自分と血がつながっていない離乳前の乳児を殺すことによって、メスの排卵の再開を早めさせ、自分の子を受胎させることが可能になることから、子殺しはオスにとっての繁殖上の利益があるという仮説です。 野生チンパンジーでは、これまで9つの異なる集団で45例の集団内での子殺しの報告がありましたが、性選択仮説のほか、栄養仮説(殺した乳児を食べることによって栄養的な利益を得る)や、資源競合仮説(食物資源や繁殖資源を争う可能性のある将来的な競合相手を殺すことによって資源獲得上の利益を得る)などの仮説が提案されてきました。 一方、メスにとっては、自分の子を殺されることは繁殖上の大きな不利益となるため、オスによる子殺しのリスクに対して、さまざまな対抗戦略を進化させてきたと考えられています。メスによる子殺しへの対抗戦略仮説のひとつであるリスク回避仮説では、出産後のメスが単独で過ごす時間を増やしたり、子殺しのリスクが高い状況から離れたりすることで、子殺しの危険を回避することが示唆されています。 メスにすばやく排卵を再開させるというオスにとっての繁殖上の利益を考えると出産直後の子殺しがもっとも合理的だと考えられますが、野生チンパンジー集団ではこれまで出産直後の子殺しは観察されたことがありませんでした。そもそも野生チンパンジー集団では出産の観察も少なく、これまでわずか5例しか報告されていません。この出産観察事例の少なさは、野生チンパンジーのメスが「産休」をとるため、つまり出産前後に姿を隠すためと考えられてきました。 しかし、観察が難しいこともあり、野生チンパンジーのメスが出産前後にどのような行動をしているのか、そもそも本当に「産休」と呼ばれる現象があるのか、またチンパンジーにも「産休」があるとしてそれにはどのような機能があるのか、などについてはこれまでほとんど調べられてきませんでした。

観察事例:出産直後の新生児をオスが奪って食べる

今回の私たちの研究は、2014年12月に、タンザニア・マハレの野生チンパンジー集団で、たまたまメスの出産とその直後のオスによる新生児の強奪・共食いを目撃したことから始まりました。20頭前後のチンパンジーの集まりを追跡・観察していたとき、デボタという名前のメス(推定14歳)が地面にうずくまった姿勢でいきなり出産し、デボタの後ろに座っていたダーウィンという名前のオス(25歳)が、生まれた瞬間の新生児を拾い上げて走り去り、その後この新生児を食べる様子が観察されました。これは、野生チンパンジーの出産の観察としては6例目、新生児が死産ではなかったとすると(※)集団内での子殺しとしては46例目の報告になりますが、出産とその直後の新生児の強奪・共食いをつづけて観察したものとしては世界初の観察事例になりました。 (※注:この観察は生まれた瞬間に新生児が奪われたため、娩出された新生児の生死を確認できなかった。新生児が死産だった場合には「ダーウィンによる子殺し」ではないことになる。) [caption id="attachment_6497" align="aligncenter" width="600"] 出産直後の新生児を奪ったオスのチンパンジー(ダーウィン)。このあとしばらくしてこの新生児を食べた。[/caption]

チンパンジーの「産休」

デボタの出産時の状況がまったくの無防備だったことから、野生チンパンジーのメスが出産前後にどのような行動をとる傾向があるのかを調べる目的で、「産休」について調べてみました。マハレで蓄積されてきた21年分の長期データを用いて調べたところ、野生チンパンジーのメスが出産前後に不在になる期間(「産休」期間)は、同時期の他のメスの不在期間と比べて長い傾向があることがわかりました。 [caption id="attachment_6498" align="aligncenter" width="600"] 出産前後の不在期間(「産休」)と他のメスの不在期間の比較。マハレでは集団の集合状態に明確な季節性(集合季/分散季)があり、集合季には多くの個体が毎日のように観察されるため不在期間が短くなり、分散季には逆に不在期間が長くなる傾向がある。この季節性を加味しても、「産休」による不在期間は他のメスの不在期間よりも長い傾向がみられた。[/caption] このことは、マハレの野生チンパンジーのメスは、出産前後に「産休」をとる傾向があることを示しています。デボタがなぜ「産休」をとらず「公衆の面前で」出産したのかはわかりませんが、少なくとも「産休」をとっていれば出産直後に新生児を奪われるリスクはなかったと考えられるため、今回の事例では「産休の欠如」が新生児を奪われる要因となった可能性があります。 推定年齢や集団への移入歴からみるとデボタは初産だったと考えられますが、初産の場合には出産についての十分な経験や知識がなく、いつどのように「産休」をとるのかを判断できなかった可能性もあります。今後さらに初産と経産のメスで出産時にとる行動に違いがあるのか、初産と経産で子殺しのリスクに違いが見られるかどうかなど、引き続き調べていきたいと思います。

まとめ

ダーウィンが新生児をすべて食べてしまい、ダーウィンの糞からも残存物を発見できなかったため、新生児のDNAサンプルを採取できず、ダーウィンがこの新生児の父親であるかどうかを判別することはできませんでした。そのため、子殺しについて提唱されてきたどの仮説が今回の事例にあてはまるのかについては明らかにできませんでした。しかし、メスの「産休」が出産直後の子殺しのリスクを下げる可能性を示すことができたことは、子殺しに対するメスの対抗戦略の進化という問題に新たな手がかりをもたらすと考えています。 参考文献 Nishie H, Nakamura M. 2017. A newborn infant chimpanzee snatched and cannibalized immediately after birth: Implications for “maternity leave” in wild chimpanzee. American Journal of Physical Anthropology (Online), DOI: 10.1002/ajpa.23327]]>
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雷が原子核反応を起こす証拠 - academist「雷雲プロジェクト」の研究成果がNature誌に掲載! https://academist-cf.com/journal/?p=6503 Thu, 23 Nov 2017 02:43:10 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6503 榎戸輝揚 特定准教授、元・理化学研究所 湯浅孝行博士らの研究グループは11月23日、雷が大気中で原子核反応(光核反応)を起こすことを突き止めたとする論文を、英国学術誌『Nature』にて発表しました。 榎戸博士と湯浅博士は2015年、「カミナリ雲からの謎のガンマ線ビームを追え!」というテーマ(雷雲プロジェクト)でacademistに挑戦し、約160万円の支援を獲得しました。 この資金がきっかけとなり雷雲プロジェクトの研究が進んだことで、研究グループは今回、2017年2月6日に新潟県柏崎市で発生した雷から、強烈なガンマ線のバースト放射を検出することに成功しました。このガンマ線のバースト放射から35秒ほど遅れて、陽電子と電子の対消滅により発生する0.511MeVガンマ線も検出されたことから、研究グループは、雷による光核反応が起こったものと考察しています。 [caption id="attachment_6507" align="aligncenter" width="600"] 研究グループのメンバー。左から、東京大学大学院理学系研究科 中澤知洋講師、同博士課程 古田禄大氏、同博士課程 和田有希氏、京都大学白眉センター 榎戸輝揚特定准教授[/caption] 今回の研究成果の詳細については、京都大学のプレスリリースをご覧ください。また、榎戸博士・湯浅博士よりacademistおよびacademist Journalにてご報告いただきます。なお、academist Journalでは論文の筆頭著者である榎戸博士のインタビュー記事も掲載しています。ぜひご覧ください。 関連リンク プレスリリース 星の死後にできた中性子星の謎とは? – 雷雲プロジェクトの立役者、京大・榎戸輝揚特定准教授に聞く 論文 academistプロジェクトページ「カミナリ雲からの謎のガンマ線ビームを追え!」 市民参加型の研究を目指した「雷雲プロジェクト」の野望  ]]> 6503 0 0 0 青銅比準結晶? - 黄金比でない準結晶を分子シミュレーションで生成 https://academist-cf.com/journal/?p=6516 Thu, 30 Nov 2017 01:00:52 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6516 研究の背景 人間が美しいと感じるとされる長方形の比率「金属比」、そのなかでも特に黄金比はギリシャ時代から美術、建築、数学、諸科学で研究されてきました。最近ではダン・ブラウン原作の映画「ダ・ビンチ・コード」で、黄金比とそれに関係したフィボナッチ数が謎解きに使われています。フィボナッチ数と黄金比は自然界や数理科学の所々に現れる不思議な数で、自然界ではパイナップル表面の模様(鱗片)、ひまわりの種、葉序などが知られています。 この黄金比が現代科学に大きな衝撃を与えたのが、一般相対論でも有名な英国オックスフォード大学のペンローズ教授によって発見されたペンローズタイリングです。有名な菱形ペンローズタイリングは黄金比の面積比をもつ2種類の菱形で構成される「非周期的」タイリングで、辺の向きが必ず36度の倍数の向きを向いていること、黄金比の自己相似性があることが特徴です。 [caption id="attachment_6602" align="aligncenter" width="600"] 図1(a)長方形は縦の辺と横の辺の比が金属比(黄金比、白銀比、青銅比)になっている。(b)黄金比のペンローズタイル、2色の図形と黒枠の図形が黄金比になっている。(c)白銀比のアンマン-ビーンカータイル、2色の図形と黒枠の図形が白銀比になっている。(d)青銅比タイル、3色の図形と黒枠の図形が青銅比になっている。[/caption] 1982年4月8日にイスラエルのダニエル・シェヒトマン教授が電子顕微鏡でアルミマンガン合金の観察中に正20面体準結晶を発見し、ペンローズタイリングが物質構造としても存在することが明らかになりました。正20面体のもつ5回回転対称性と周期性がない事実は19世紀末に確立した結晶学の常識を大きく揺るがすもので、2011年シェヒトマン教授にノーベル化学賞が与えられました。このノーベル賞が機会となって準結晶の認知度も上がり、合金系だけでなく液晶、高分子、ナノ粒子など化学分野でも準結晶が次々に発見されています。 一般的に知られているとは言い難いですが、周期性は現在の結晶の定義ではありません。実際、1991年国際結晶学連合(IUCr)は結晶(Crystal)を「Any solid having an essentially discrete diffraction diagram」と再定義し、シャープな回折ピークをもつ準結晶も結晶の一部となっています。従来の結晶は正確に言えば「周期的結晶」とよばれるようになりました。常識というのはたまには疑ってみるものですね。

無理数と準結晶

フィボナッチ数 Fnは 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34,…… と成長しますが、数式では と書かれます。隣り合うフィボナッチ数の比Fn+1/Fnnの極限をとると、2次方程式 の解である黄金比1.618…に収束することがわかります。つぎに自然数kを使って一般化した で生成される数列の隣り合う数の比Gn+1/Gnは、同様な2次方程式 の解に収束します。k = 1 が黄金比、k = 2が白銀比、k = 3は青銅比に対応します(図1(a))。ちなみにk = 4は黄金比の3乗に対応します。 黄金比は正10角形準結晶(図1(b) ペンローズタイリング)、白銀比は正8角形準結晶(図1(c) アンマン-ビーンカータイリング)、黄金比の3乗は正20面体準結晶のそれぞれの自己相似性に関連していることが知られています。しかし、k = 3の青銅比に関係した準結晶は知られていませんでした。 青銅比を連分数で表記すれば となり、3が無限に続くところが美しいですが、この無理数に関係したタイリングが発見されなかった理由は、この無理数が正多角形からは導かれないことが原因でした。 今回、図1(d)に示す小正三角形、大正三角形、長方形の3種類のタイルを使って青銅比に基づく自己相似な6回の回転対称性を持つタイリングの構成に成功しました。図2のように2種類の長さが交互に現れる12角形を基本として配列することもできます。点線の12角形は色付きタイルの青銅比倍の大きさとなっていることから自分が自分に相似形で隠れているという幾何学的性質である「自己相似性」があることがわかります。 [caption id="attachment_6512" align="aligncenter" width="600"] 図2:青銅比準結晶のタイリング。2種類の大きさの正三角形と1種類の長方形で構成される。2種類の長さが交互に現れる12角形で構成される。点線の図形は青銅比(3.303)倍の12角形となっている。[/caption] 図2を見ればわかるように、一般に「結晶」の証とされてきた6回の回転対称性を持っており、6回の回折図形を持ちます。これまでの準結晶の回転対称性に関する常識「準結晶は非結晶学的回転対称性を持つ」という言い方は必ずしも正確ではないことを指摘しておきましょう。

分子シミュレーションで生成される青銅比準結晶

これまでわれわれは、デンドリマーミセルなどコアシェル粒子系に注目し、2つの長さスケールを持つハードコア矩形ショルダーポテンシャル粒子系の分子シミュレーションで、正3角形と2等辺3角形のモザイクからなる10回、12回、18回、24回対称の回転対称性を持つ2次元準結晶が形成されることを発見してきました。 今回、青銅比準結晶の生成にも成功しました。 図3では、コアシェル粒子そのものが小正三角形、大正三角形、長方形を形成していることを示します。さらに6角形の中心を結ぶと青銅比倍の小正三角形、大正三角形、長方形を形成していることもわかります。この結果は、青銅比準結晶の構成要素がランダムに配列したタイリングが物理的に生じうることを示しています。 [caption id="attachment_6513" align="aligncenter" width="600"] 図3 :2つの長さスケールを持つコアシェル粒子系分子シミュレーションによる青銅比準結晶の生成。6配位の粒子を青色、5配位の粒子を橙色、空孔欠陥周りの粒子を赤色で示した。小正三角形、大正三角形、長方形を形成している。6配位の粒子を結ぶと3.3倍の自己相似な小正三角形、大正三角形、長方形を形成している。[/caption]

まとめ

準結晶の発見によってギリシャ時代から議論されてきた黄金比という無理数と、物質構造にはつながりがあることがわかりました。今回の発見によって、さらに数学と自然に深いつながりが見えてきたように思います。合金系正12角形相の近似結晶や、この1、2年に発表された酸化物準結晶、金属ナノ粒子準結晶にも小正三角形、大正三角形、長方形が現れています。さらに研究が進めば青銅比タイリングの発見が期待できるのではないでしょうか。 参考文献 T. Dotera, S. Bekku & P. Ziherl, “Bronze-mean hexagonal quasicrystal”, nature materials, 16, 987–992 (2017). T. Dotera, T. Oshiro & P. Ziherl, “Mosaic two-lengthscale quasicrystals”, nature, 506, 208–211 (2014).]]>
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星の死後にできた中性子星の謎とは? - 雷雲プロジェクトの立役者、京大・榎戸輝揚特定准教授に聞く https://academist-cf.com/journal/?p=6527 Thu, 23 Nov 2017 23:33:04 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6527 雷はなにをきっかけに発生するのだろうか——このような疑問に挑戦する「雷雲プロジェクト」は、2015年10月からacademistで研究資金の募集を開始し、目標金額を大きく上回る160万円を獲得した。2016年には科研費を獲得し、研究を軌道に乗せることに成功。そして先日、プロジェクトの成果がNature誌で発表された。本プロジェクトを主導している京都大学白眉センター榎戸輝揚特定准教授は、自身の実現したいサイエンスを追求するべく、国内外を飛びまわり活躍する若手研究者だ。今回、若手研究者チームで達成した雷雲プロジェクトの研究成果と、NASAで進めている中性子星の研究、これから10年間で成し遂げたい野望について、詳しくお話を伺った。

——まずはじめに、今回の研究成果の概要を教えていただけますでしょうか。

私たちはこれまで、雷が発生するときに放出されるガンマ線を検出する装置を開発してきました。今回、4台の検出器を新潟県柏崎市に設置したところ、201726日に、検出器から数百メートル離れたところで発生した落雷とそれに引き続いて、3つの特徴的なガンマ線の信号を得ることができました。

——それぞれどのような信号だったのでしょうか

まず、落雷の瞬間に非常に強いガンマ線を検出しました。その後、50ミリ秒ほどで急速に減衰するガンマ線をとらえて、それから約35秒後に、0.511MeV のエネルギーを持つガンマ線をとらえました。

——3つのガンマ線の発生源について、教えてください。

はじめのガンマ線は、落雷の瞬間に観測された「雷からのガンマ線」です。このガンマ線は、大気中に含まれる14Nと相互作用します。通常のガンマ線が窒素原子と相互作用をすると、窒素原子の電子を弾き飛ばしたりするのですが、今回はガンマ線のエネルギーが高いため、原子核と反応できます。この場合、陽子に捕獲された中性子を弾き飛ばす「光核反応」が生じたと考えられます。

——14Nから中性子が叩き出されると。叩き出された中性子はどうなるのでしょうか。

最終的には、大気中や地表の原子核に吸収されます。大気中に多く含まれる14Nに吸収されると、窒素の同位体15Nとなり、この原子核のエネルギーが高い状態から低い状態に移る際に再びガンマ線を放出します。このガンマ線が、2つ目の「即発ガンマ線」です。また、中性子が14Nの原子核を構成する陽子と入れ替わる反応が起こる可能性もあり、このときには14Cが生成されることになります。

——一方で、14Nから中性子が叩き出されると、同位体13Nができることになりますね。

そうなります。ただし、13Nは不安定ですので、雷雲と一緒に風下に流されながら13Cに崩壊します。このプロセスで陽電子が発生するわけですが、陽電子そのものの寿命は短く、大気中の電子と対消滅してガンマ線を放出します。これが、3つ目の「対消滅ガンマ線」です。13Nは約10分間は崩壊し続けるので、このときの雷雲は、反物質の雲と考えることができます(※)。 ※厳密には、陽電子が反陽子と組み合わさるような安定原子を形成した場合に「反物質」と呼称として使われる。

——一連のプロセスで、学術的に面白いポイントはどのあたりになるのでしょうか。

まずは、雷が光核反応を引き起こすということです。光核反応は原子核物理学の分野では既に知られていた反応だったのですが、雷で発生するかを疑いなく示した事例はありませんでした。今回、雷という身近な現象で光核反応の発生を確認できたことは、面白い結果だと思います。

また、雷が大気中で炭素の同位体である13Cと14Cを作ることも興味深いポイントです。たとえば、14Cは動植物がどの時代に存在していたかを調べる年代測定に使われているのですが、今回の研究から雷も炭素同位体を作ることがわかったので、年代測定に与える影響については重要な研究課題になると思います。

最後に、雷が反物質の作り手であったという、自然の隠れた姿が明らかになったことも、純粋に面白いと感じています。

——榎戸先生は10年前に、「陽電子砲でシトを攻撃できるか、を物理的に計算する」という記事を公開されています。記事の終わりに今回の雷雲プロジェクトの話をされていて、陽電子砲の計算がその布石だと書かれていることに驚きました。

あれ、そんなこと書きましたっけ(笑)。大学院生の頃、友人とエヴァンゲリオンを観にいったのですが、双子山上空で主人公のエヴァが敵をポジトロン砲で攻撃するシーンがあり、いろいろ気になって計算したノートです。当時使っていたシミュレーション・ソフトを試してみたかったという理由もあります。が、布石ではありませんよ。それにしても、恥ずかしい記事を見つけてきましたね……。

——天文学を10年以上研究されていることになりますが、そもそも天文学者を目指したきっかけは何だったのでしょうか。

うーん……やはり物理学の考えかたが、シンプルだったことです。他分野にももちろん興味はあるのですが、さまざまな自然現象を少ない原理で説明するという発想が、好きなんですよね。天文学を選んだのは、基本的に宇宙観測が好きだったからで、宇宙でなくてはダメということではありません。

——特に、「中性子星」に関心を持たれていると伺いました。

そうですね。中性子星とは、星が一生の終わりに起こす「超新星爆発」により形成される星で、その名のとおり中性子から構成されています。半径は約10kmなのに質量は太陽の1.4倍程度もある、極めて密度の高い星です。たとえるならば、スプーン1杯に富士山を押し込めるくらいの密度になります。さらに秒速30回転以上の高速回転をしている天体があるのも特徴的です。

——ものすごいエネルギーが必要になりそうですね。中性子星はどれも似たような特徴を持っているのでしょうか。

現在のところ、中性子星は2600個くらい発見されているのですが、そのなかでも全く異なる光りかたをしたり、星の進化の経路が違ったりなど、多様性に富んでいます。多様な中性子星を観測を通じて整理し、理解を深めていくことが、この分野のひとつの目標です。

——榎戸先生は現在、どのような研究をされているのでしょうか。

中性子星の内部状態を理解するための研究を進めています。中性子星の内部は、状態方程式と呼ばれる数式で記述されるのですが、状態方程式は未だ一意に決まっていません。私は現在、国際宇宙ステーションに搭載されたX線望遠鏡で中性子星を観測するプロジェクト「NICERNeutron star Interior Composition Explorer)」に参加しているのですが、まさにこのプロジェクトの目的が、観測から状態方程式を明らかにしようというミッションです。

——観測データから、中性子星の状態方程式を導きたいと。

もうすこし具体的に言うと、複数の中性子星の半径と質量を精度良く測定できれば、状態方程式を一意に決められると考えられているのですが、これもまだ予想の範囲内で、現在議論されているところです。

——半径と質量は、どのように測定するのでしょうか。

中性子星の表面に「ホットスポット」と呼ばれるあたたかく光る部分があるのですが、中性子星が回転すると、灯台の明かりのように明暗が時間的に変化することになります。この光の時間変化をX線で測定することで、中性子星の半径と質量の比を知ることができて、別の情報と組み合わせると、半径と質量をそこそこの精度で推定できるのではないか、と期待されているんですね。これまでなかなか行われてこなかった計測法なのですが、NICERではこの方法で状態方程式を決めていこうと、日々研究を進めています

——榎戸先生は、NICERでどのような役割を担っているのでしょうか。

初期のころは、X線の観測装置を作るグループで仕事を始めました。検出器が完成した後は、磁場の強い中性子星「マグネター」のサイエンスを行う10人程のグループのリーダーをしています。衛星から得られたデータを解析することはもちろん、どの天体をどれくらいの長さ観測すれば良いかどうかを検討したり、検出器の特性をきちんと理解するというような仕事もあります。

——イチオシの中性子星があれば、教えてください。

一番の興味は、やはりマグネターです。いわゆる普通の星の物理や進化過程は、すでに多くが解明されていて、教科書にも記載されています。一方で中性子星は、星が死んだ後のゾンビのような星で、これまで理解されてきた星とは全く別の種類の世界を理解することになります。この「裏の星の世界の進化」は、まだ理解されていなくて、これから解かれていく面白い話だと思っています。

——今後10年間で実現したいことはありますか。

将来的には、いくつかの研究室と連携して小型衛星を運用したいです。ここ数年で、ブラックホールどうしの合体から出た重力波と、中性子星どうしの合体から出た重力波が観測されたのですが、実は、高速回転する中性子星から定常的な重力波を観測できるのではないかという話があります。

——なぜ重力波に注目されるのでしょうか。

地球からの距離9000光年のところに、「さそり座X-1」というものすごく明るいX線源があります。さそり座X-1自体は中性子星で強い重力を持つため、周りのガスや塵が落ち込み、星の回転が速くなっていきます。ある程度速くなると、遠心力で星が壊れてしまうはずなのですが、実際には壊れていないんです。その理由として、中性子星のまわりに形成されている降着円盤が中性子星の角運動量を奪っているという説があるのですが、重力波の研究者たちのなかでは、定常的な重力波が角運動量を外部に持ち逃げしているという予想もされています。

——重力波が観測できれば、この予想を裏付けることができるということですね。

ただ、重力波を探査するときのパラメター空間が広いため、高感度の観測ができるかというとそうではありません。特に、さそり座X-1の自転周期がよくわからないことが、探査を難しくしています。自転周期そのものの観測は難しいのですが、自転周期の情報を持っていると思われる「準周期振動」を小型X線衛星で長期的に観測することで、自転周期がわかってくる可能性があるんです。そうすると、パラメター空間がかなり絞られてくるので、重力波を用いた高感度の観測ができるようになります。 ——そのためにも、小型衛星で長期的に観測することが重要になると。

大型衛星はたくさんの研究者が使うこともあり、観測時間が限定されてしまいますからね。重力波が見つからない可能性ももちろんあるのですが、中性子星における降着の物理のようなものがスピンオフで見えてくる可能性もあるため、比較的マッチングの良いサイエンスではないかなと考えています。10年後くらいまでには、実現させたいですね。

榎戸輝揚(えのと・てるあき)京都大学白眉センター特定准教授プロフィール 天文学者。東京大学大学院理学系研究科 博士課程修了。スタンフォード大学、理化学研究所、NASAゴダード宇宙飛行センターの研究員などを経て、多様な分野で創造性に富んだ人材を国際公募する京都大学白眉プロジェクトに平成27年度より採用される。京都大学の宇宙物理学教室勤務。専門は宇宙X線望遠鏡を使った中性子星の観測などで、極限環境で起きる物理現象を研究している。学術系クラウドファンディングも駆使し、オープンサイエンスの枠組みで進める「雷雲プロジェクト」の地上観測も進める。趣味は歴史小説とNHKの番組。
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スズ・ヒ素を主成分とした層状超伝導体を発見 - 新しい超伝導・新機能物質群の候補 https://academist-cf.com/journal/?p=6566 Wed, 29 Nov 2017 01:00:25 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6566 高温超伝導の夢 1911年にオランダのカマリン・オンネスが水銀の電気抵抗率が絶対温度4.2K以下で消失する超伝導現象を発見して以来、超伝導転移温度上昇に向けた研究が世界中で進められています。もしも室温を超える転移温度をもつ超伝導物質を発見することができれば、電力損失ゼロの送電ケーブルのように、究極のエコ社会の実現も夢ではありません(ノーベル賞の受賞は確実でしょう)。1986年の銅酸化物、2008年の鉄ニクタイド(リン、ヒ素、アンチモンなどの第15族元素の化合物をニクタイドと呼びます)などの高温超伝導体の発見は、まさに世界的なフィーバーを巻き起こしました。電気抵抗の消失や完全反磁性といったマクロな物理現象でありながら、その起源は電子間に引力が働くという量子力学的多体効果であり、しかもこれらの高温超伝導機構がいまだ解明されてはいないという事実は、多くの科学者を魅了し続けています。 銅酸化物や鉄ニクタイド高温超伝導体に共通する特徴は、CuO2平面、FeAs層のように、超伝導が発現する層(超伝導層)と、それ自身は超伝導にはならない層(スペーサー層)が交互に積層している点です。このような層状構造を有する化合物においては電子の動ける範囲が2次元的に制限され、3次元構造を持つ一般の化合物とは異なる特異な電子状態が発現します。CuO2平面やFeAs層のように、新しい超伝導層を発見することができれば、その類似点や異なる点を検討することで、超伝導転移温度の上昇や、超伝導メカニズムの解明に向けた新しい進展をもたらすものと期待されます。 [caption id="attachment_6562" align="aligncenter" width="600"] 層状高温超伝導体の結晶構造
(左)銅酸化物La1-xBaxCuO4(CuO2平面が超伝導層となる)
(右)鉄ニクタイドLaFeAsO1-xFx(この場合はFeAs層が超伝導層である)
いずれの場合も層状構造によって特異な電子状態が発現する。[/caption] 本稿では、私たちの最近発見した、スズ・ヒ素(SnAs)超伝導層をもつ新しい層状超伝導体NaSn2As2について紹介します。さらに、今後期待される物質開発の展開、また2012年に私たちの研究グループが発見したBiS2系層状超伝導体との類推から、どのように非従来型超伝導へ切り込んでいくのかを述べたいと思います。

スズ・ヒ素を主成分とする新しい層状超伝導物質を発見!

NaSn2As2の結晶構造は、以下に示すように、SnとAsからなる超伝導層(SnAs層)と、ナトリウム(Na)からなるスペーサー層が交互に積層する層状構造をしています。2枚のSnAs伝導層はファンデルワールス力により弱く結合しているため、容易に剥離することができ、スコッチテープ法などの簡便な方法で数ナノメートル程度の厚さまで薄膜化できることが報告されています。私たちはNaSn2As2単結晶を合成し、低温まで電気抵抗率を測定することで、転移温度1.3Kの超伝導体であることを明らかにしました。通常の金属から超伝導相への相転移は比熱測定でも観測され、本物質がバルク(完全な)超伝導体であることがわかりました。 [caption id="attachment_6563" align="aligncenter" width="600"] スズ・ヒ素(SnAs)層を超伝導層とするNaSn2As2。1.3K以下で電気抵抗率が消失し、超伝導体となることがわかる。[/caption]

類縁化合物への展開

以下に示すように、スズニクタイド(SnPn)層を含む層状化合物はすでに多くが報告されています。本研究でNaSn2As2が超伝導体であることを示したことで、これらのSnPn系層状化合物においても同様に超伝導が発現する—あるいは反対に、他の化合物では超伝導が発現せず、NaSn2As2が特異な場合なのか—これはいまだ明らかにされていない問題です。 [caption id="attachment_6564" align="aligncenter" width="600"] 種々のスズニクタイド層状化合物の結晶構造。伝導層、スペーサー層の制御により、超伝導をはじめとした新しい機能の発現が期待できる。[/caption] たとえば、NaSn2As2のスペーサー層をSrで置換したSrSn2As2はトポロジカル物質であることが理論的に予測されています。トポロジカル超伝導体においてその存在が予言されているマヨラナ粒子を実現することができれば、その特異な統計性を利用した量子コンピュータへの応用が期待されます。 また、スペーサー層をEuで置換した場合には磁性体(反強磁性体)となることも報告されています。超伝導体・トポロジカル物質・磁性体といった異なる機能を、SnPn伝導層を含む一連の化合物において系統的に研究する格好の舞台となることが期待できます。さらに、伝導層の枚数を減らしたNaSnAs(111型)の場合にはローンペア効果により熱伝導率の低減が報告されており、熱電変換などの超伝導以外の機能を持つ材料となることも考えられます。現在、合成方法の詳細な条件や種々の元素置換効果を検討しているところです。

BiS2系層状超伝導物質との類推

私たちの研究グループは2012年にビスマスと硫黄を超伝導層とする新しい層状超伝導物質群(BiS2系超伝導体)を発見しました。伝導層やスペーサー層の元素や枚数を制御することで、これまでに多くの新超伝導体を見出し、その数は数十にのぼります。特徴として、常圧下で合成した試料は転移温度が3K程度であったのが、高圧処理による格子歪みの導入やスペーサー層の置換により、11Kにまで上昇します。 さらに最近では、BiS2系化合物の超伝導が非従来型メカニズムであることを示す結果が、私たちを含めた複数のグループから報告されています。まだ決定的な結論は出ていないのが現状ですが、ひとつの有力のシナリオは、Biイオンのもつローンペア電子と、その局所的な構造揺らぎ(乱れ)です。本稿で紹介したSnAs系超伝導体も、層状であるという結晶構造のほかに、Snイオンがローンペアをもつという共通の特徴を持っています。転移温度は1.3Kとまだまだ低いのですが、研究はスタートしたばかりで、どのような物理が飛び出てくるのか、未知の部分が多いです。 近年の計算機シミュレーションの発達や理論の整備により、物質の熱力学的性質や電子構造について、理論計算で求められるパラメータが増えてきました。しかしながら、高温超伝導のように、真に世界をアッと驚かせるような成果は、実験家のアイデアと地道な努力(と幸運)によるところが大きいと考えています。たとえば現在では高温超伝導体として知られる鉄ニクタイドも、最初の報告では転移温度は10K以下でした。種々の元素置換や他グループとの共同研究を含めた測定により、SnPn層を含む多くの超伝導体が見出され、新しい物理の地平を開拓できるものと信じて日々研究に打ち込んでいます。

今後の展望

本稿では、SnAs伝導層を主成分とする新しい層状超伝導体NaSn2As2を紹介しました。現在の転移温度は1.3Kと低いのですが、今後どこまで上昇するのか、まだまだ未知の部分は多いです。銅酸化物や鉄ニクタイドなどの高温超伝導体、また最近非従来型の超伝導が報告されているBiS2系超伝導体と比較すると、層状構造という重要な特徴が共通していることがわかります。今後、類縁化合物の性質を系統的に明らかにすることで、低次元物質に発現する非従来型の超伝導についての理解が進むものと期待されます。 参考文献 Y. Goto, A. Yamada, T. D. Matsuda, Y. Aoki, and Y. Mizuguchi, J. Phys. Soc. Jpn. 86, 123701 (2017).]]>
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造礁サンゴ骨格の炭酸カルシウム結晶構造は水温によって変化する - 白亜紀を模した海洋環境で https://academist-cf.com/journal/?p=6575 Tue, 28 Nov 2017 01:00:07 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6575 過去の海洋環境とサンゴ骨格の関係は? 過去の海洋では、海水中のマグネシウム(Mg)に対するカルシウム(Ca)の割合(Mg/Ca比)が大きく変動していたと考えられています。現在のMg/Ca比は5.2ですが、約1億年前の白亜紀においてはMg/Ca比が低く、短期的には1.0を下回っていた可能性も報告されています。 海洋生物が骨格として作る(石灰化する)炭酸カルシウムは主に2種類の結晶構造で、アラゴナイトとカルサイトと呼ばれます。同じ水温だとMg/Ca比が高いほどアラゴナイトが形成されやすく、低いとカルサイトが形成されやすいことがわかっていました。現在の海洋環境下では造礁サンゴ(サンゴ礁をつくるサンゴ)はアラゴナイトの炭酸カルシウム骨格を形成します。ちなみに、装飾品として扱われる宝石サンゴは分類上別のグループでカルサイトの骨を作ります。 私たちの研究チームでは、造礁サンゴがカルサイトの骨格を作ることができるかを調べるため、まずMg/Ca比だけを5.2から0.5まで変化させて(水温など他の条件は同じ)サンゴ骨格の結晶構造が変化するのか調べました。その際、親群体のサンゴを実験に使うと、元々持っているアラゴナイトの骨格が邪魔になるだろうということで、骨を形成する前の幼生の段階から実験を行うことにしました。骨格生成前のプラヌラ幼生の段階から条件をコントロールすることで、各条件下のみで形成された純粋なサンゴ骨格を得ることができます。 実験の結果、通常アラゴナイトの骨格を作るサンゴから明瞭なカルサイト骨格が確認され、Mg/Ca比の低下と共に、カルサイトの含有量が増加することがわかりました。骨格の隔壁と呼ばれる箇所もカルサイトで生成されたことから、サンゴは過去の低Mg/Ca環境下でカルサイト骨格を形成し、成長に利用していたことが考えられました。 [caption id="attachment_6570" align="aligncenter" width="600"] ラマンマッピングによるサンゴ骨格結晶構造の判別。(a) Mg/Ca=5.2、(b) Mg/Ca=1.0、(c) Mg/Ca=0.5で成長させた骨格(26℃下)。赤:アラゴナイト、緑:カルサイト。Mg/Ca比が低いほど、カルサイトの生成量が増加。[/caption] [caption id="attachment_6571" align="aligncenter" width="600"] 造礁サンゴのアラゴナイト・カルサイト混在骨格の走査型電子顕微鏡(SEM)写真(x1000倍)。Mg/Ca=0.5で成長させた個体。[/caption]

海水温度はサンゴのアラゴナイト・カルサイト骨格生成にどのように影響するか?

これまでの造礁サンゴを用いた実験では、水温は変化させておらず、単一の水温条件におけるMg/Ca変動への応答のみの結果でした。一方で、炭酸カルシウムを無機的に沈殿させる実験により、水温がアラゴナイト/カルサイトの割合を変化させ、同じMg/Ca比で比較した場合は高温ほどアラゴナイトが生成しやすいことが報告されました。石灰化生物を用いて水温とMg/Ca比の両方を変化させる実験結果は世界的にも報告されていなかったので、私たちは海水温とMg/Ca比の両方を変化させ、水温がサンゴの炭酸カルシウム骨格形成に与える影響について調べることにしました。 この実験では、高知で産卵したエンタクミドリイシというサンゴのプラヌラ幼生を19, 22, 25, 28℃の恒温器内においてMg/Ca比が5.2, 1.0, 0.5の海水環境で着底させ、骨格成長を促しました。そして、約4か月成長させたサンゴ骨格の炭酸カルシウムの結晶構造をX線回折法およびマイゲン染色法(アラゴナイトのみを染色する方法)により確認し、アラゴナイトとカルサイトの比率を求めました。 測定の結果、造礁サンゴの骨格生成は海水のMg/Ca比だけでなく水温の影響を顕著に受けることが明らかになりました。Mg/Ca比が5.2(現在の海水組成)の海水中では100%アラゴナイトが、Mg/Ca比が1.0および0.5(過去の海水組成)の海水中ではアラゴナイトとカルサイトの混合骨格および100%カルサイトの骨格が確認されました。そして、低Mg/Ca比環境において、水温に依存してアラゴナイト/カルサイトの割合が変化することがわかりました。水温が高くなるにつれ、アラゴナイトの割合が高くなっており、無機的に生成させた炭酸カルシウム沈殿の結果と同じ傾向が見られました。一方で、無機的沈澱で得られていた結果と比較すると、同じ水温・Mg/Ca比下で造礁サンゴのほうがアラゴナイトの炭酸カルシウムを作りやすいこともわかりました。 [caption id="attachment_6572" align="aligncenter" width="600"] マイゲン染色後のサンゴ骨格、ピンクに染色された部位がアラゴナイト、白色はカルサイトの結晶構造。(a)Mg/Caが0.5(過去の海水)、海水温が28℃、(b)Mg/Ca比が0.5、海水温が25℃、(c)Mg/Ca比が0.5、海水温が22℃、(d)Mg/Ca比が0.5、海水温が19℃で成長させた。水温が高いほどアラゴナイト骨格の面積が広くなっていることがわかる。[/caption]

Mg/Ca比の変化が成長速度に与える影響は?

Mg/Ca比の低下が成長速度に与える影響を調べるために、1マイクログラム(µg)まで測定できる高性能のはかりを用いて(1µgは1mgの1000分の1)、成長した個体の骨格重量を測定しました。成長速度を比較すると、低Mg/Ca環境下では明らかに成長速度が遅く、すべての水温で骨格成長が阻害されました。どの水温でも成長が現生の個体より50%以上遅いことから、低Mg/Ca環境下(過去の海水組成)では年間を通じて成長が阻害されていたということになります。 Mg/Ca比が低い白亜紀(約1億年前)の地層からは造礁サンゴの化石はあまり見つかっておらず、当時の低Mg/Ca環境がサンゴの減少を引き起こしていた原因のひとつであることが考えられます。ただ、私たちの実験結果から、Mg/Ca比が1.0の環境では、25℃以上の水温で、アラゴナイトが骨格の8割以上を占めるということもわかりました。現在の海では、沖縄など亜熱帯に生息する種、高知など温帯に生息する種に関わらず、サンゴの産卵水温はほぼ25℃以上です。過去にMg/Caが1.0を下回るほどの環境であった期間は短いと考えられており、どの年代においても造礁サンゴが生まれてすぐに生成する骨格は主にアラゴナイトで形成されていたことが推測できます。 [caption id="attachment_6573" align="aligncenter" width="600"] 各Mg/Ca比、水温におけるサンゴ1個あたりの骨格成長速度。現代の海水組成(Mg/Ca=5.2)で育てたサンゴと比較して、Mg/Ca比が1.0の海水で平均63%、Mg/Ca比が0.5の海水では約57%骨格成長が抑制された。[/caption]

今後の展望

現生のサンゴでもカルサイトの骨格を形成し、過去のMg/Ca変動に対応する能力は持つことがわかりました。しかし、白亜紀など低Mg/Ca環境下では年間を通じて成長速度が遅くなるため、サンゴは主要な造礁生物にはなれなかったことが推測されます。 約1億年前の化石記録からは、厚歯二枚貝というグループの貝が主要な造礁生物だったと考えられています。厚歯二枚貝は、白亜紀に栄えた造礁生物で白亜紀の主要な生物礁を形成しました。一般に、二枚貝の殻の大部分はアラゴナイトですが、厚歯二枚貝はカルサイトの殻を厚く発達させて繁栄したと考えられています。厚歯二枚貝は、環境変動に伴い現在までに絶滅してしまったため実験には使えませんが、今後はサンゴの結果に加えて他の石灰化生物(有孔虫や二枚貝など)のMg/Ca比および海水温変動に対する応答を調べることで、造礁生物の変遷要因をより明らかにしていくことが期待されています。 参考文献 1. Higuchi, T., Shirai, K., Mezaki, T., Yuyama, I., 2017. Temperature dependence of aragonite and calcite skeleton formation by a scleractinian coral in low mMg/Ca seawater. Geology. Doi: 10.1130/G39516.1. 2. Higuchi, T., Fujimura, H., Yuyama, I., Harii, S., Agostini, S., Oomori, T., 2014. Biotic control of skeletal growth by scleractinian coral in aragonite-calcite seas. Plos one 9, e91021. 3. Ries, J.B., 2010. Review: geological and experimental evidence for secular variation in seawater Mg/Ca (calcite-aragonite seas) and its effects on marine biological calcification. Biogeosciences 7, 2795–2849.]]>
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外来種のモウソウチク・マダケが里山生態系を脅かす - 温暖化が進めば北日本でも分布拡大する可能性 https://academist-cf.com/journal/?p=6586 Wed, 06 Dec 2017 01:00:49 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6586 日本文化と竹林 イネ科タケ亜科(87属1500種以上)は世界中の熱帯から温帯に分布し、日本にも150〜600種が分布するとされています。このなかで、日本で高さが5mを超えるような竹林を形成するのはマダケ属のタケ(マダケ類:モウソウチク(孟宗竹)、マダケ(真竹)、ハチク(淡竹)、クロチク(黒竹)、ホテイチク(布袋竹)、キッコウチク(亀甲竹))です。林野庁の2012年の最新統計では、日本の竹林は16万1千ヘクタールに上り、その99%をモウソウチクとマダケが3:1の割合で占めています。 マダケ類は日本でも食料(主にモウソウチクとハチク)や材(主にマダケ)、園芸などの目的で利用されてきました。マダケ類は日本文化に古くから関わってきたため、これらが外来種であるというと驚かれるかもしれません。しかし、マダケ属の自然分布域は中国の長江流域以南で、モウソウチクは18世紀前半に、他のマダケ類は8世紀頃に中国から持ち込まれた外来種だと考えられています(最近になって神奈川県相模原市の200〜300万年前の地層からマダケあるいはその近縁種の化石が発見されたので、日本のマダケが当時からずっと生き残ってきたのか、それともメタセコイアやイチョウのようにある時点で絶滅したのか、今後の研究が待たれます)。 多くの日本人に親しみ深い竹取物語が成立した9世紀後半から10世紀前半にはモウソウチクはまだ移入されていなかったので、かぐや姫(三寸ばかりなる人)が入ることができる竹はマダケかハチクだと考えられています。当時まだエキゾチックで貴族だけが楽しむことができた竹林に、エキゾチックなかぐや姫のイメージを重ねたのだと考える人もいます(まさにexotic species=外来種ということになりますね)。 [caption id="attachment_6580" align="aligncenter" width="600"] 京都・嵯峨野の天龍寺からトロッコ嵐山駅へ続く竹林の道(2012年5月 髙野撮影)[/caption]

放棄竹林の増加

しかし1970年代以降にはタケノコの輸入自由化や農家の高齢化に伴って竹林の管理放棄が進みました。特に成長の早いモウソウチクは、タケノコから約1か月で20mもの高さに成長し、 周りの植物を日陰にして枯らしてしまいます。放棄竹林は年に最大3〜4mの速さで周囲に拡大していくことから、里地里山管理のうえで最大の問題点とも言われています。2015年には、国がマダケ属のタケを産業管理外来種(産業または公益的役割において重要であるが、利用上の留意事項が求められるもの)に指定しました。各地で駆除や有効活用が試みられていますが、再生の速い竹林を完全に駆除する多大な労力を要することもあり、根本的な解決には至っていません。 前述のようにマダケ類は南方種なので、放棄竹林は主に西日本で問題になっていますが、現在マダケは青森県、モウソウチクは北海道南部まで分布しています。将来の気候変動に伴い日本域の温暖化が進めば、さらに高緯度・高標高でも竹林が生育可能となり、地域の生態系を乱してしまう可能性があります。 一方、現在の日本の竹林の分布は主に人間によって形成されたと考えられます。このため、マダケ類が生育可能な地域が今後どのように拡大していくのかを前もって知ることは、将来の竹林の管理を考えるうえで重要です。

マダケ・モウソウチクの分布予測

将来のタケの分布を予測するため、私たちは長野県から青森県までの145か所のAMeDASから半径5km以内のマダケ・モウソウチクの有無を調べました。さらに、1975〜1980年の空中写真から過去の竹林分布も調べ、この期間に新たに竹林が定着した場所が17か所あることを見つけました。 これらのデータと緯度・標高との関係を見ると、1975年以降に新たに成立した竹林は、緯度-標高傾度に沿った分布限界付近に集中していることが明らかになりました。このことは、過去40年程のあいだにもマダケ類が植栽され、竹林の分布域が拡大していたことを示唆しています。 [caption id="attachment_6581" align="aligncenter" width="600"] 緯度・標高と竹林のありなしとの関係。緯度-高度傾度に沿って竹林(青い点)が分布しており、竹林の新規定着が確認された17地点(黄色い点)はこの移行帯に分布している。[/caption] さらに私たちは調査で得られたデータとAMeDASから得られた2002〜2010年の気候の平均値を結びつけ、モウソウチク・マダケの分布を予測する生態学的ニッチモデルを作成しました。 その結果、平均気温と日射量の年平均を説明変数としたロジスティック回帰モデルによって145か所の竹林有無を93%の正答率で予測することができました。このモデルでは年平均気温が8〜11°Cを超えるとモウソウチク・マダケが生育できる確率が高くなり、日射量も正の効果を持っていました。しかし確率が高い場所でも、竹林が確認できなかった地点(能代、男鹿、八森、大間など)が見られました。これらの場所は、気候条件的にはモウソウチク・マダケが生育できますが、まだ植栽が行われていない場所と考えられます。 [caption id="attachment_6582" align="aligncenter" width="600"] マダケ・モウソウチクの潜在生息適域である確率と年平均気温・日射量の関係。背景の色が確率(青:0.0、白:0.5、赤:1.0)、●はタケが見られた調査地点、△はタケが見られなかった調査地点を表している。[/caption]

将来のタケの生育可能域の予測

将来のタケの生育可能な地域を知るためには将来の気候、気温と日射量の値を予測する必要がありますが、このためには大気大循環モデルという気候モデルが使われます。将来気候を決定するためには二酸化炭素を始めとする温室効果ガスの濃度を指定する必要がありますが、これは排出シナリオと呼ばれる将来予測に基づいて決定されます。温室効果ガスによる人為的な気候への影響を少しでも緩和しようとする取り組みが各国・世界規模で行われていますが、それがどれだけ奏功するかは今後の経済発展・技術進歩、さらには人々の環境意識などに依存しています。研究者としては可能性のある複数の排出シナリオを用いて、可能な限り信頼性の高い予測を行うことが求められています。 本研究で用いられた年平均の気温や日射量といった気候の将来変化は気候モデルによって予測されますが、気候モデルは完全ではないために「予測の誤差」(バイアス)が存在することが知られています。バイアスは現在と将来で大きくは変わらないと考えられますので、現在気候と将来気候の「差」はかなりの信頼度で予想することが可能なのですが、タケの生育可能地域を考える際には実際の気温や日射量の値が必要となります。 そのため本研究ではAMeDASデータと現在気候のモデル最現値を比較することでバイアスを推定し、この分だけを将来気候から差し引くというバイアス補正によって将来気候を推定しました。 前述のようにタケの生育可能性を決定するうえで最も重要な要素は気温ですが、気温の将来変化は場所ごとに異なるため、個々の地点での気候変化をできるだけ空間詳細な情報として出すことが必要です。そのために用いられるダウンスケーリングと呼ばれる手法では、最初に地球全体の気候を再現する大気大循環モデルを動かしておおまかな気候を再現し、その結果を基に日本付近で空間解像度の高い領域気候モデルを動かします。私たちの研究では全球平均した気温が産業革命前から4℃昇温したという設定のもと、日本域で水平方向に5kmのグリッドで将来気候を再現しました。  図はこの結果から得られた昇温量ですが、値が場所ごとに大きく異なっていることがわかります。全体的に見ると北日本で大きな昇温が得られており、特にオホーツク海沿岸でその傾向が顕著に見られます。これは将来の温暖化の影響は全球規模で゙見て熱帯域よりも高緯度域で顕著に表れやすいこと、さらにオホーツク海沿岸では冬季の流氷が減少することで気温が大きく上昇することが原因と考えられています。 このようにして得られた気温と日射量の将来での値を竹林生態モデルに入れることで、4℃昇温した世界での日本域のタケの生育可能な地域を求めました。2015年のパリ協定によって産業革命前から全球昇温を2℃未満に抑えることが目標とされ、さらに努力目標として1.5℃未満の昇温量が設定されました。これら温暖化進行のさまざまなレべルのもとでの影響を評価するために、 前述の4℃に加えて1.5℃、2℃、3℃といったそれぞれの昇温量のもとで竹林の生育可能域を推定しました。  その結果、1980〜2000年には東日本(北緯35度以北、東経136度以東:図の範囲)でモウソウチクとマダケの生育に適した土地の割合は35%であったのに対し、日本の平均気温が産業革命前に比べて1.5℃上昇した場合には46〜48%、2℃上昇では51〜54%、3℃上昇では61〜67%、4.0℃上昇した場合には77〜83%まで増加し、北限は稚内に到達すると予測されました。

まとめ

これらの結果は、地球温暖化を1.5℃に抑制するパリ協定の目標が、温暖な生育環境を好む外来種の分布拡大を抑制するために、一定の効果を持っていることを示しています。一方で、タケの広域の分布は主に人間による植栽によって決まっています。今回私たちが予測したのはタケの「潜在」生息適域であるため、分布確率が高い場所でも人間が植えない限り、タケが生えることはありません。温暖化がある程度進んでしまった場合にも、外来種被害予防三原則である、入れない・捨てない(管理放棄しない)・拡げない(タケを新たな土地に定着させない)といった管理と対策を、地域住民と行政が一体となって進めることが重要です。 このように、気候変動対策においては、温暖化そのものを抑制する温室効果ガスの削減(緩和策)と、気候変動が進んでしまった場合の適応策の両方を進めていく必要があります。 参考文献 Takano KT, Hibino K, Numata A, Oguro M, Aiba M, Shiogama H, Takayabu I, Nakashizuka T. 2017. Detecting latitudinal and altitudinal expansion of invasive bamboo Phyllostachys edulis and Phyllostachys bambusoides (Poaceae) in Japan to project potential habitats under 1.5°C– 4.0°C global warming. Ecology and Evolution. DOI: 10.1002/ece3.3471 国立科学博物館 筑波実験植物園 植物化石展ブログ 化石の見方~高校生たちの取り組み 環境省. 2004. 里地里山パンフレット~古くて新しい いちばん近くにある自然~ p.4 竹林が里 地里山を飲みこむ. ]]>
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深海熱水噴出域から浅海へ旅する貝の幼生- 海洋表層で分散するミョウジンシンカイフネアマガイ https://academist-cf.com/journal/?p=6597 Fri, 01 Dec 2017 01:00:18 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6597 伊豆・小笠原海域の明神礁カルデラ熱水噴出孔(水深795m)
堆積物表面には白色のバクテリアマット、ミョウジンシンカイフネアマガイ(中央上部)とフジツボ類の一種(右上部)の群集がみられる。海洋研究開発機構の海洋調査船「なつしま」ならびに無人探査機「ハイパードルフィン」により撮影(NT14-06航海、第1652潜航) (c) JAMSTEC[/caption]

幼生分散の役割

熱水噴出域に生息する無脊椎動物の多くは、成体の移動能力が乏しい一方で、卵や幼生として海中を浮遊する特徴をもちます。この浮遊期における海洋分散が種の分布域を規定し、また絶滅を防ぐために重要な役割を果たします。 熱水性動物の幼生発達様式は、母親から受け取った卵黄を栄養源として成長する卵黄栄養型と、他の浮遊生物を食べて成長するプランクトン栄養型に二分できます。前者の幼生は、海底近くでの採集例があり、また、低水温・高圧力の実験環境下においてよく成長するため、底層流によって分散すると考えられています。一方、後者のプランクトン栄養幼生は、孵化後に中深層へ移動し、摂餌・成長すると推測されてきましたが、幼生の実際の行動や分散水深についてはほとんど解明されていませんでした。

プランクトン栄養幼生の分散水深を探る

今回、私は狩野泰則准教授・小島茂明教授(東京大学大気海洋研究所)および渡部裕美博士(海洋研究開発機構)と共同で研究を行い、沖縄トラフおよび伊豆・小笠原の熱水噴出域(水深442〜1227m)から、プランクトン栄養型の貝類であるミョウジンシンカイフネアマガイの成体と卵嚢を採集し、幼生飼育および遺伝子配列の比較により同種の分散機構を検討しました。 シンカイフネアマガイ類は、1)太平洋・大西洋・インド洋の熱水域に広く分布する点、2)大気圧下で成体と幼生の飼育が可能であり、卵嚢が透明で内部の胚発生を追える点、3)貝殻形態から発生様式および幼生の着底サイズを推定できる点で、生態情報に基づいた幼生分散の研究対象として優れた分類群です。試料の採集は、海洋研究開発機構の海洋調査船「なつしま」と無人探査機「ハイパードルフィン」を用いて実施しました。 [caption id="attachment_6593" align="aligncenter" width="600"] 北西太平洋熱水噴出域の分布
黒塗りはミョウジンシンカイフネアマガイ成体の生息地点で、地点間は最大1300km離れている。[/caption] [caption id="attachment_6594" align="aligncenter" width="600"] 左上:明神礁カルデラ熱水噴出域から採集されたミョウジンシンカイフネアマガイ(殻長約6mm)
右:同種孵化幼生の飼育実験
5℃・10℃・15℃・20℃・25℃・30℃条件において各10個体を1個体ずつ個別に6か月間飼育し、成長と生残の至適水温を評価した。
左下:25℃給餌条件の孵化後112日幼生(殻長260µm)[/caption]

ミョウジンシンカイフネアマガイの海洋表層分散

卵嚢から孵化した幼生を実験室で観察したところ、すべての個体が継続的な上昇遊泳を行い、その速度は5℃・25℃の条件下で毎分16.6〜44.2mmに及ぶことがわかりました。また、これらの個体は、無給餌条件下でも5℃・15℃・25℃で各平均156・84・30日間を生きながらえました。つまり、水深1000mを超える深海環境から、幼生が餌なしで表層まで到達できることを示唆します。 植物プランクトンである珪藻の一種を給餌した180日間の幼生飼育実験では、成体の生息環境に近い10℃ないし15℃においてほぼ無成長のまま死亡する一方、分布域の表層水温に近い25℃で最高の生残・成長率を示すという、幼生の鉛直行動と整合的な結果が得られました。また、幼生が本種の着底サイズ(殻径720µm)に至るには、この25℃条件の成長率で1年以上の期間を要すると推定されました。そこで、地理的分布を網羅するよう採集した77個体の成体を用いてミトコンドリアDNA配列を比較したところ、最大で1300kmほど離れた生息地間を頻繁に行き来していることが認められ、長期にわたる浮遊幼生期の存在が支持されました。 以上の結果は、ミョウジンシンカイフネアマガイ幼生が深海熱水噴出域で孵化した後に太陽光の届く水深(200m以浅)まで泳いで浮上、植物プランクトンを食べて成長し、表層海流にのって長距離分散することを強く示唆します。 [caption id="attachment_6595" align="aligncenter" width="600"] ミョウジンシンカイフネアマガイ幼生の生残(左)および成長(右)
実線が給餌、点線は無給餌条件を示す。同種地理的分布域の表層水温に近似する25℃の給餌条件で、最も良い成長・生残がみられた。成体の生息環境水温(11℃前後)では、ほとんど成長せず死亡する。30℃の高温でも長期間生存できない。[/caption]

表層水温と熱水性動物の地理分布

ミョウジンシンカイフネアマガイの成体は、伊豆・小笠原海溝と沖縄トラフ北部の熱水域のみから報告され、その南に位置するマリアナ海域や沖縄トラフ南部の熱水環境からは知られていません。これら南方の海域では、夏季の平均表層水温が29℃を超えるため、幼生は長期間生存できずに死亡する(生残至適水温を参照)と考えられます。つまり、表層水温が、はるか深くに生息する熱水性動物の分布を規定している可能性があります。 興味深いことに、北極や南極の熱水噴出域では、生息するすべての動物が卵黄栄養型の発生様式を示します。これら極域の熱水生物群集は、直上の表層水温が年間を通して−1℃から2℃と低く、また餌となる植物プランクトンが僅かな時季にしか得られないため、長期の浮遊期を経て着底するプランクトン栄養型発生に不適であると考えられます。このことからも、表層環境が深海熱水動物の分布を規定している可能性を推察できます。

幼生はどのように熱水域を見つけるのか

生まれた場所を離れた幼生は、表層で成長した後にどのように熱水噴出域を見つけるのでしょうか。未だはっきりしたことはわかっていませんが、幼生は熱水に由来する水温変化や特徴的な化学物質を認識し着底すると考えられます。また、分散の最中に捕食されるなど、熱水域に辿りつくことなく死亡する幼生も数多く存在すると推測されます。どれくらいの幼生の放出・供給によって個体群が成り立っているかについても今後の研究が待たれます。 今回の研究は、深海熱水噴出域に生息する固有種の一部が、プランクトン幼生期に表層まで遊泳し、長距離分散することを明らかにしました。また、表層水温が、深海に生息する熱水域動物の地理的分布を規定している可能性が示されました。これは、化学合成群集の生態・進化に関わる新たな仮説であり、熱水噴出域と光合成環境の物質循環にも新たな視点を加えるものと考えられます。 参考文献 Yahagi, T., Kayama Watanabe, H., Kojima, S. & Kano, Y. Do larvae from deep-sea hydrothermal vents disperse in surface waters? Ecology 98: 1524–1534 (2017). DOI:10.1002/ecy.1800 Yahagi, T., Kayama Watanabe, H., Kojima, S. & Kano, Y. Larval connectivity between deep-sea hydrothermal vents via surface waters. The Bulletin of the Ecological Society of America 98: 231–235 (2017). DOI:10.1002/bes2.1324 Yahagi, T., Fukumori, H., Warén, A. & Kano, Y. Population connectivity of hydrothermal-vent limpets along the northern Mid-Atlantic Ridge (Gastropoda: Neritimorpha: Phenacolepadidae). Journal of the Marine Biological Association of the United Kingdom, in press.]]>
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優良な日本酒酵母のカギは、染色体の本数の増加だった! https://academist-cf.com/journal/?p=6606 Mon, 04 Dec 2017 01:00:25 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6606 日本酒酵母は、大きく酵母Saccharomyces cerevisiaeに分類されるものです。 酵母Saccharomyces cerevisiaeは2億年ほど前、現在のユーラシア大陸の東側(中国あたり)で発生した生きものだと考えられています。 そのなかでも日本酒酵母は、醸造食品や醸造技術とともにユーラシア大陸から日本列島に移住し、住み着いた可能性があります。平安時代の延喜式の様子には酒を造る造酒司が記載されています。大和朝廷の成立とともに優良な醸造を行うもろみが受け継がれ、そのもろみのなかに日本酒酵母もいて、優良なもろみとして受け継がれてきたと考えられます。その後、鎌倉時代には寺院で造られるようになり、室町時代には民間で大規模に造られるようになりました。 大規模な酒造りには発酵力の強い日本酒酵母が不可欠ですから、そのいずれかの時代から受け継がれ、長年の選抜を受けてきたのが現在の日本酒酵母だと思われますが、それがいつの時代のものなのか、現在の科学では特定には至っていません。しかしいずれにせよ長年、日本文明とともに醸造技術者によって優良な個体が選抜され、その遺伝子が受け継がれてきたのが現在の日本酒酵母であるといえます。

日本酒酵母の優良な個体を遺伝的に選抜するには

これまで、日本酒酵母の優良な個体の遺伝的な選抜を可能にしたのは、塩基配列レベルの変異だと考えられてきました。しかし今回、佐賀大学、国立遺伝学研究所、情報・システム研究機構、酒類総合研究所、佐賀県工業技術センター、イタリア・バリ大学の研究グループは、日本酒酵母の優良な個体の選抜のカギが、染色体の本数のばらつきにあることを初めて発見しました。 それまでに我々は、ミトコンドリアへのピルビン酸の輸送を増強した株を選抜するという育種戦略で、オフフレーバーの原因となるピルビン酸が低減した酵母を育種し、低アルコール日本酒として実用化しており、その原因遺伝子を調べていました。そこで低ピルビン酸酵母のゲノムを調べると、一部の染色体(11、14番染色体)の本数が通常の2本から3本に増えていることに気づきました。 染色体の本数が増えるということが低ピルビン酸性の原因であることを突き止めるために、染色体の本数がばらついた一倍体を多数取得し、それらの醸造特性を調べました。その結果、増えた染色体の部位ごとにピルビン酸の濃度が異なっていることがわかりました。さらに11番染色体に加えて別の染色体も増えると、日本酒酵母は良好な醸造特性を獲得することが明らかになりました。また、その代謝について調べた結果、11番染色体が増えると日本酒酵母のミトコンドリアが活性化され、ピルビン酸を他の物質に変換していると考えられることもわかりました。

醸造酵母の育種や品質管理に使える新たな技術領域

本研究をもとに、遺伝子組み換え技術を使わなくとも、染色体の本数が増えた株を選抜すれば、遺伝子の発現の増えた株を得ることができ、同じ効果を得ることができます。すなわち、食経験豊かな「染色体数の増減」という日本酒酵母に起きる変化を利用して、意図した日本酒酵母の遺伝子を持った酵母を選抜できるようになったのです。さらに日本酒酵母の染色体の本数が不安定であることが本研究でわかったので、染色体本数をモニタすることで日本酒酵母が管理できることになります。 これらの結果は、他の醸造酵母でも育種や品質管理に使える可能性があるため、染色体の本数のばらつきという観点から醸造酵母を育種したり品質を管理したりといった、新たな技術領域が始まったといってもいいでしょう。 これらの研究成果は米国微生物学会誌Applied and Environmental Microbiologyに査読付原著論文として受理され掲載されています。また国際学会International Conference on Applied Microbiology and Beneficial Microbesでもベストポスター賞に選ばれています。 参考文献 Chromosomal aneuploidy improves brewing characteristics of sake yeast. Kadowaki M, Fujimaru Y, Taguchi S, Ferdouse J, Sawada K, Kimura Y, Terasawa Y, Agrimi G, Anai T, Noguchi H, Toyoda A, Fujiyama A, Akao T, Kitagaki H*. Appl Environ Microbiol. 2017 Oct 6. pii: AEM.01620-17. doi: 10.1128/AEM.01620-17.]]>
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地球上で、海はこれからもずっと存在するのだろうか? https://academist-cf.com/journal/?p=6618 Tue, 05 Dec 2017 01:00:00 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6618 地球を特徴づける海の存在 「地球は青かった」とは、人類で最初に地球を飛び出したユーリイ・ガガーリンの言葉ですが、なぜ青いかというと地球には海があるからに他なりません。では、他の星はどうかというと、地球のように表層に海がある惑星は今のところ見つかっていません(エウロパなど、氷の下に液体の海が存在する衛星はいくつか報告がありますが)。月や火星に探査機が着陸してあたりを見渡してみても、そこには海のようなものは見当たらず、延々と砂と石からなる荒涼とした砂漠が広がっているだけです。 [caption id="attachment_6614" align="aligncenter" width="600"] 現在の地球(ひまわり9号による撮影、気象庁)[/caption] では、なぜ地球にのみ海が存在するかというと、それは地球が液体の水が存在する絶妙な条件を満たしているからです。地球では約40億年前に海ができて、それ以降ずっと存在してきましたが、それは地球表層で上記の条件をずっと満たしていたからです。そして、そこにはプレートテクトニクスが関わってきます。というのも、温室効果ガスのひとつである二酸化炭素は、プレートによる沈み込みと火山活動による脱ガスによって、大気中での濃度がほぼ一定に保たれるしくみがあるからです。ここで、海を持続的に存在させるのにもうひとつ重要になってくるのは、地球内部での水の循環です。 [caption id="attachment_6615" align="aligncenter" width="600"] 水の相平衡図。地球の表層では液体の水が存在する条件を満たすが、金星では温度が高すぎて蒸発してしまい、火星では冷たすぎて凍ってしまう。[/caption]

水は地球内部でも循環している

プレートテクトニクスによって、地球表層の物質は沈み込むプレートと一緒に地球の内部へ運び込まれます。それらのなかには、先ほどの二酸化炭素も含まれますし水も例外ではありません。水は、岩石の隙間や含水鉱物という水を取り込む鉱物によって、地球内部へと運ばれます。ですが、地下での圧力や温度が増加すると、隙間にあった水は絞り出されたり、含水鉱物は不安定になったりして、プレートから水が放出されます。そのような水は、岩石の融点を下げてマグマをつくり、マグマと一緒に水は地表に戻ってきます。このように水は地球内部でも循環しているため、地球表層の水量は、水を含んだプレートの沈み込みによる減少量と、火山などの脱ガスによる排出量のバランスによって決まります。 地球で40億年ものあいだ海が存在してきたのは、表層環境に加えて、地球内部での水収支があってきたからですが、どうも最近はこのバランスが崩れてきたようです。プレートの水の取り込みは、プレート最上部の海洋地殻に限られるとこれまで考えられてきましたが、近年の海底地震探査によると、海溝付近での断層に沿って水の浸透がマントルまで達していることが指摘されています。そこで、私たちはプレートがどの程度海水を取り込んでいるかを実験的に検証することにしました。

海洋マントルの水の取り込み

プレートが海溝で沈み込みを開始すると、折れ曲がりの力により、海溝より海側で断層が発達します。この領域は少し地形が盛り上がっていることから、アウターライズと呼ばれ、ここで発達するアウターライズ断層はマントルの深さにまで達します。もちろんその上には海があるわけですから、海底に亀裂が入ると、海水が断層に沿ってプレートに浸み込みます。 断層沿いにマントルまで水が浸み込むと、岩石と反応して蛇紋岩という石を作ります。蛇紋岩は重量にして13%もの水を含むため、この岩石の分布や存在量が地球内部での水収支を見積もるうえで重要になってきます。マントルと水から蛇紋岩を作る反応は地質学的にあっという間ということがわかっていますので、蛇紋岩の広がりはその反応前線への水の供給が決めています。そこで私たちは、水の供給速度を調べるために、広島大学にある容器内透水試験機を用いて蛇紋岩の浸透率を測定しました。 その結果、岩石中の水の通りやすさをあらわす浸透率は、圧力の増加とともに低下することがわかりました。このことは、深さとともに水の供給速度が低下することで、蛇紋岩の分布は狭まることを意味しています。また、蛇紋岩の広がりは海水が供給される時間にもよるため、マントルでの蛇紋岩の分布は時間とともに拡大します。これらの実験結果に基づいて、プレートによって地球内部へ運び込まれる海水の量を再検討したところ、年間25億トンくらいになることがわかりました。これは、火山などの脱ガスによって水が地球内部から排出される量よりもかなり多く、海水の総量は減少傾向にあることを示唆しています。 [caption id="attachment_6616" align="aligncenter" width="600"] 海洋マントルの含水モデル。海溝付近のアウターライズ断層に沿ってマントルまで水が浸透すると、年間で約25億トンもの水量がプレートとともに地球内部へ運び込まれる。一方で、火山活動などによる水の排出量は年間2億トン程度と見積もられている。[/caption]

これからの地球:長期的な視野にたって

このように、現在の地球内部での水収支はつりあいからほど遠く、海水は年々減少する傾向にあるといえます。これを海水準変動に換算すると、年間0.006mmの低下という極わずかな値になり、現在の上昇率である年間1〜3mmのなかに隠れてしまいます。しかし、現在の海から毎年この量の水が時々刻々と失われていくとすると、約6億年後には海水がすべてなくなってしまうことになります。 現在、温室効果ガスの増加により地球温暖化が進み海水準が上昇していると言われていますが、地質学的なサイクルでは氷河期に向かっているとの考えもあります。地球の歴史のうえでは、海が40億年ものあいだ存在しえたのは奇跡的で、その海がこれからもずっとあり続ける保証はありません。 私たちの実験成果は、海水が減少傾向にあることを示していますが、今回それが実証されたわけではありません。今後は、海洋底の掘削プロジェクトによって現在進行形のプレートの含水プロセスを検証するとともに、過去の地質学的試料を使って海水量の変動に迫っていきたいと思います。 参考文献 Hatakeyama, K., Katayama, I., Hirauchi, K. and Michibayashi, K. (2017) Mantle hydration along outer-rise faults inferred from serpentinite permeability. Scientific Reports, 7, doi:10.1038/s41598-017-14309. 片山郁夫(2016)沈み込み帯での水の循環様式、火山, 61, 69-77.]]>
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ガラスは通常の固体とは違う - 分子振動からみるガラスの特異性 https://academist-cf.com/journal/?p=6630 Thu, 07 Dec 2017 01:00:24 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6630 物質の状態:気体、液体、固体、そしてガラス 物質の三態として、気体、液体、固体がよく知られています。気体は空間中を無限に広がります。液体は無限に広がることはありませんが、形を変えて流れます。そして、固体は形が変わることなく固まっています。 物質は無数の分子から成っており、三態の違いを分子レベルで考えることができます。気体では分子は互いに遠く離れており、乱雑に飛び回ります。液体では分子は密に集積しており、互いに衝突しながら運動します。そして、固体では分子は規則的に整列して固まっています。 しかし実は、固体の「分子が整列して固まっている」という記述は十分に正確ではありません。なぜなら、分子が整列していないにも関わらず固まっている物質が存在するためです。満員電車を考えると、乗客は整列していませんがギュウギュウな状態で動けないです。分子スケールで満員電車の状態にある物質が存在するのです。たとえば、ガラスの窓、セラミックスの食器、プラスチックのペットボトル、アスファルトの道路など、私たちの生活に数え切れないくらいあります。 そこで、分子が整列している規則的な固体を「結晶」、整列していない不規則な固体を「ガラス」と区別して呼びます。ガラスというと窓ガラスを思い浮かべる人が多いと思いますが、一般には不規則な固体の総称を指します。結晶との対比で、ガラスを非晶質、アモルファスとも呼びます。 [caption id="attachment_6624" align="aligncenter" width="600"] 私たちの身の回りのガラス 左図:ガラスの窓。中図:セラミックスのコップ、プラスチックのペットボトル。右図:アスファルトの道路[/caption]

2つの固体:「通常の固体=結晶=規則的な固体」と「ガラス=不規則な固体」

固体には規則的な結晶以外にも、不規則なガラスが存在することを説明しました。しかし実は、ガラスが固体であるかは学問的に未だに確立されていません。そのため、固体といったとき通常は結晶を指します。 たとえば、ガラスはもの凄く粘度が高い液体という議論があります。つまり、もの凄くドロドロしているために固まっているように見えるだけであり、もの凄く長い時間スケールでは流れているというのです。この議論は究極的には、無限の時間を待っても流れないガラスはあるか、という問いに集約されますが、これはとても難しい問題です。少しずつ知見は増していますが、それでも、研究の最前線で喧々諤々の議論が今なお続いています。 そこで、ここでは、無限の時間ではなく、私たちが生活する時間スケールを考えましょう。私たちの時間スケールでは、ガラスは間違いなく固まっています。固いという意味では、「ガラス=不規則な固体」は、「通常の固体=結晶=規則的な固体」と見分けがつきません。つまり、2つの固体が存在すると考えてもよいでしょう。こう考えたとき自然に出る疑問は「結晶とガラスの2つの固体は本質的に同じか?」です。これについて、以下で考えましょう。

固体の分子振動:固有なパターンを理解しよう

結晶であれガラスであれ、分子は固まっていますが、まったく止まっているわけではなく、ブルブルと振動をしています。この分子振動には実は、固有なパターンがあります。分子振動が固体の性質、たとえば、暖まり難い・易いといった熱的性質を決めているため、そのパターンの理解は固体物性を理解するうえで極めて大切になります。 結晶の分子振動を考えましょう。結晶では、分子は規則的に整列して振動します。このことから、振動のパターンが「音波」であることを数学的に示すことができます。音波とは、固体全体に広がった、三角関数のような形をした振動のパターンです。結晶を叩くと音がでますが、これは分子を強制的に音波のパターンで振動させたためです。このように私たちに身近な振動である音波が、結晶に固有な分子振動のパターンなのです。 さらに、音波は「デバイ則」と呼ばれる物理法則に従うことがわかっています。音波と一言でいっても、さまざまな周波数をもったパターンが無数に存在します。デバイ則は、周波数ごとに音波のパターンがいくつあるかを教えてくれます。これは振動状態密度と呼ばれる量ですが、これから結晶の熱的性質を理解できます。 [caption id="attachment_6625" align="aligncenter" width="600"] 結晶と音波の概念図。左図:結晶における規則正しい分子の配置。図では塩化ナトリウム(NaCl)型の配置を示す。右図:音波の振動パターン。文献より引用。[/caption]

分子シミュレーションでガラスの分子振動を探ろう

一方で、ガラスはどうでしょうか。実験研究によると、熱的性質はガラスと結晶では大きく違います。これは、ガラスの分子振動が、結晶のもの、つまり音波とは異なることを示唆しています。したがって、デバイ則をガラスには適用できないでしょう。実際に、デバイ則ではガラスの熱的性質を説明できません。 [caption id="attachment_6626" align="aligncenter" width="600"] 実験データからみるガラスと結晶の違い。実験で計測した熱的性質をガラスと結晶で比較して示す。左図:比熱の温度依存性、右図:熱伝導率の温度依存性。文献より引用。[/caption] デバイ則は、アインシュタイン、デバイらの貢献によって1900年代前半に完成された理論です。結晶の熱的性質を説明する理論として、物理学を学んだ人であれば誰もが知る理論です。それから約1世紀もの年月が経ちますが、ガラスを説明する理論は残念ながら完成していません。その理由として、分子が不規則に並んでおり数学的に扱うことが困難であることが挙げられます。 では、どうすればよいでしょうか。ひとつの有効な方法は、コンピュータシミュレーションです。現在では、さまざまな分野で「分子シミュレーション」が利用されています。この手法は、物質における多数の分子をひとつひとつ扱い、それらの運動を計算することによって、物質全体としての性質を評価できます。分子シミュレーションによって、ガラス中で分子がどのように振動しているかを詳細に観測できます。 [caption id="attachment_6627" align="aligncenter" width="600"] 分子シミュレーションで計算したガラス。ガラスでは、分子は整列せずに不規則な状態で固まっている。[/caption]

分子振動がみせるガラスと結晶の本質的な違い

我々は、実際に分子シミュレーションによってガラスの分子振動を観測しました。今から、その結果のエッセンスを説明します。まずガラスにも、結晶と同じように音波が分子振動のパターンとして存在することがわかりました。また、結晶の音波と同様に、ガラスの音波もデバイ則に従います。ガラスも叩くと音がでますが、これはガラスの音波が励起されたためと理解できます。 しかしながら、ガラスには音波に加えて、「局在振動」のパターンが存在することがわかりました。局在振動とは、空間中のある一部の分子が大きく振動する一方で、他の分子はほとんど振動しない振動のパターンです。音波は空間的に広がった振動のパターンなので、局在振動は音波とは全く異なる別の振動のパターンです。 さらに重要なことは、局在振動はデバイ則ではなく、まったく別の新しい法則に従うことがわかりました。したがって、ガラスにはデバイ則に従う音波とそれとは別の法則に従う局在振動が混在し、これらがガラスの性質を決めています。この成果によって、分子振動の観点から「ガラス=不規則な固体」と「通常の固体=結晶=規則的な固体」の本質的な違いが確立されました。 [caption id="attachment_6628" align="aligncenter" width="600"] 分子シミュレーションによって明らかとなった、ガラスに固有な分子振動のパターン。左図:音波の振動パターン。右図:局在振動のパターン。局在化している分子の振動を黒い矢印で強調して示す。[/caption]

これからのガラス研究の展開と期待

これまでの研究によって、ガラスの分子振動の理解が確立されました。結晶でいうところの分子振動が音波として確立されたところまで、ようやく到達したのです。現在は、ガラスの分子振動(音波と局在振動の混在)から、結晶のデバイ則に対応する理論を構築する段階です。構築される理論は、ガラスの熱的性質を見事に説明するものでしょう。 さらに、ガラスはその熱的性質に留まらず、弾性や塑性といった力学的性質にも、結晶とは違う性質を示します。こうした固体物性も、局在振動と直接的に関係することが最新の研究によって報告されています。局在振動、およびそれが従う新しい法則を基盤にして、ガラスの固体物性理論の新たな展開がそこまできています。 最後に、私たちの身の回りには数え切れないくらいのガラスが存在します。これだけガラスが浸透しているのにも関わらず、そのガラスを説明する理論が確立されていないのは、驚くべきことです。それだけ、ガラスは難しく奥深いということでしょう。今回紹介した研究以外にも、近年のガラス理論の発展は目覚しいものがあります。こうした理論側の研究が工学研究、産業界へとアクセスし、これまでにない新しいガラスが開発される日もそう遠い未来ではないのかもしれません。 参考文献 H. Mizuno, H. Shiba, and A. Ikeda, Continuum limit of the vibrational properties of amorphous solids, PNAS 114, E9767–E9774 (2017). C. Kittel, Introduction to Solid State Physics, 7th edition (John Wiley and Sons, New York, 1996). R.C. Zeller and R.O. Pohl, Thermal conductivity and specific heat of noncrystalline solids, Phys. Rev. B 4, 2029-2041 (1971).]]>
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大分県別府湾から過去2800年にわたるマイワシ・カタクチイワシの魚鱗化石を発見! https://academist-cf.com/journal/?p=6638 Fri, 08 Dec 2017 01:00:48 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6638 世界の食料を支えるイワシ類資源 イワシ類は、世界で最も漁獲される魚で、世界の漁獲の6分の1を占め、ペルー・チリ沖、カリフォルニア沖、日本沖、アフリカ西岸沖に有数漁場があります。なかでもペルー沖のカタクチイワシは、多いときで年間1200万トンを超える漁獲があり、そのフィッシュミールや冷凍ものが世界中に輸出され、マグロ・ブリ・ハマチなどの養殖魚の餌としてだけでなく、農業肥料や鶏や豚の餌にも使われます。イワシ類は世界の食糧を支える魚と言っても過言ではありません。

20世紀に見られたマイワシ・カタクチイワシ間の魚種交替

近年、その需要は益々増大していますが、そのイワシ類資源の供給は決して安定しているものではありません。有数漁場におけるイワシ類の個体数は約25~30年間隔でマイワシとカタクチイワシのあいだで魚種交替が起こっています。こうした魚種交替は、太平洋十年規模振動(PDO)指数という太平洋の気候変動が関連しており、指数が正の値が続く時代に日本やペルー沖でマイワシが爆発的に増加し、負の値が続く時代にカタクチイワシが激増します。 [caption id="attachment_6634" align="aligncenter" width="600"] 日本およびペルー沿岸のイワシ類の漁獲量と太平洋の気候変動指数[/caption] なぜPDO指数とイワシ類が連動しているかについては、PDO指数に対応する水温や餌密度の変化がマイワシ・カタクチイワシの仔魚・稚魚期の成長速度に影響することで生じるという説が有力です。PDOの周期性は50~60年ということが指摘されており、その半分の25年から30年間隔で正と負が入れ替わるという前提が今後も成り立つとすれば、PDOに敏感に応答するイワシ類の次の20~30年の資源変動の予測ができることになります。 現在、ペルー沖でカタクチイワシの漁獲量が著しく減っていますが、先程の前提に基づけば、次の20年はマイワシが各有数漁場で爆発的に増えることが期待されます。最も資源量が多くなると期待されるのは、かつて500万トンという世界一の漁獲資源を誇った日本でのマイワシ資源です。世界の食料事情を左右するイワシ類資源が今後安定して得られるかどうかを考えるうえで、日本のマイワシがペルー沖のカタクチイワシに変わって激増するかどうかは重要です。2015年以降、PDOは正の値が続き、日本ではマイワシ資源が増加する兆しが見えてきましたが、1980年代のように、400万トンを超える漁獲がこの20年のあいだに本当に期待できるのでしょうか。

魚種交替は長期間にわたって常に起こってきたかという問い

その答えを海底堆積物の魚鱗化石記録に見られる過去数千年間のイワシ類の動態が教えてくれるかもしれません。実は、ペルー沖などの現存する堆積物記録からは、いずれもマイワシ・カタクチイワシの魚種交替が定常的に起こってきたという証拠は見つかっていませんでした。しかし、従来の記録は時代ごとに鱗の保存性の良し悪しがあるという問題や、群れが経年的に移動するので、ある1地点の魚鱗データではイワシ類の分布域全体の個体数を捉えらきれていないなどの理由で、海底堆積物から認められた長期的な魚種交替の不安定性については疑問視される傾向にありました。したがって、過去の長期的な魚種交替の不安定性を検証するためには、有機物の分解を抑制する貧酸素な海底環境が長い期間維持されて鱗の保存性が良く、かつイワシ類の分布の移動の影響も無視できる海域の堆積物記録が必要です。 [caption id="attachment_6635" align="aligncenter" width="600"] 別府湾海底堆積物に記録された過去2800年間のマイワシとカタクチイワシの年間魚鱗堆積量[/caption]

別府湾の魚鱗堆積物記録が示す事実

別府湾は、貧酸素な海底環境を長年保ちイワシ類の鱗が良好に保存され、主産卵場に近いために分布の移動の影響が少ないという前述の条件を満たす、世界有数漁場で唯一の海域だと考えられます。我々の研究チームは、別府湾から得られた長さ9mの海底堆積物柱状試料を用いて、過去2800年間のマイワシとカタクチイワシの鱗の年間堆積量を復元しました。連続的な魚の記録としては、世界最長記録となります。この記録を見ると、マイワシとカタクチイワシの魚種交替が起こる時期はわずかで、全体の9割以上の期間で魚種交替は不明瞭であることがわかります。この結果により、イワシ類のどの有数漁場でも、魚種交替が定常的に起こっているという証拠はないということがわかりました。 [caption id="attachment_6636" align="aligncenter" width="600"] 過去千年間の日本マイワシの個体数、PDO指標(東アジア積雪異常、北米冬季降水量)[/caption] 長い記録から見ると、イワシ類の長期変動パターンは実に多様です。たとえば、マイワシ個体数の十年規模で起こる爆発的増加が100年以上も消失する時代が何度も繰り返し起こってきたという驚くべき現象も見えてきました。興味深いことに、こうした100年スケールのマイワシ個体数の変動は、東アジアの積雪や北米年輪幅から復元されたPDO指数の約300年周期変動と連動しており、マイワシの爆発的増加の百年規模の消失が、気候変動によって生じることを強く示唆しています。 現在はマイワシの爆発的増加が70年間隔で繰り返される時代で、約200年ほどそうした時代が続いていますが、気候の約300年周期性が続いているとすれば、近い将来このタイプの気候変動によって、マイワシの爆発的な増加が100年以上消失する時代に突入するというシナリオも考えられます。すなわち、世界の次の20年の食料供給を支えるはずの日本のマイワシ資源が大幅に増加しない可能性もあるというわけです。

今後の展望

このように、堆積物から得られた過去の情報は、ペルー沖のカタクチイワシ資源の崩壊後、日本のマイワシが爆発的に増加するかどうかについて今後も引き続き注視する必要があることを教えてくれます。魚種交替の不安定性の原因は現段階ではわかっていませんが、イワシ類の過去の気候変動や海洋環境変動に対する応答の理解が進めば、水産資源の将来予測にとって有益な情報が得られるかもしれません。また、過去に起こった現象を計算機を使った数値モデルで再現することができれば、そうした数値モデルにより、より確かな個体数変動の将来予測につながることが期待されます。 参考文献 Kuwae, M. et al. (2017) Multidecadal, centennial, and millennial variability in sardine and anchovy abundances in the western North Pacific and climate–fish linkages during the late Holocene. Progress in Oceanography 156: 86-98.]]>
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大阪の地下に眠っていたクジラを博物館で年月を超えて研究する https://academist-cf.com/journal/?p=6649 Mon, 11 Dec 2017 01:00:47 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6649 博物館の資料は年月を超える 博物館は標本を収集・保存し、さらに研究し、その成果を展示等で公開しています。標本が保存される限り、時代を超えて研究は行われ、新しい知見が生まれます。ここでは博物館における、年月を超えたクジラの研究をご紹介します。 [caption id="attachment_6644" align="aligncenter" width="600"] 本研究で扱った大阪の地下から出てきたカツオクジラの化石(頭骨)(本研究を発表した論文Tanaka and Taruno, 2017より改変)[/caption] 事の始まりは、大阪の地下鉄工事が、1970年の大阪万博にさきがけて行われたことにあります。1966年、大阪市東成区の地下鉄今里駅周辺の工事中に、地下14メートルの深さから、クジラの骨が発見されました。およそ8800年〜4000年前の太古のクジラです。そのころは縄文時代で、気候が暖かく、海水面が上昇し、大阪平野の奥まで海が広がっていました。当時の新聞は「骨がでてきた」「人骨か」「すわ!一大事」「警察官がかけつけて・・・」「ひやっとした」などと書き立てました。クジラの骨は大阪市立自然科学博物館(当時)に収蔵され、 10年後の1976年に鯨類研究所の大村秀雄博士(故人)によって、「ミンククジラである」と論文で発表されました。 [caption id="attachment_6645" align="aligncenter" width="600"] 化石産地の地図。水色で示されているのは完新世に平野に入り込んでいた海(本研究で発表した論文Tanaka and Taruno, 2017より改変)[/caption]

先達の知見を活用して再研究する

それから40年経って、鯨類化石を専門とする田中が大阪市立自然史博物館に着任しました。新しい職場でどのような研究ができるか、博物館内をいろいろみて回りました。目に止まったのが大阪の今里駅から見つかったクジラでした。どの分野もそうなのかもしれませんが、化石の研究は、研究者と標本の幸せな出会いがあるかどうかで研究が進むか進まないか変わってきます。研究者の守備範囲は限りがあって、何でもできるという研究者は希にしかいません。田中はクジラやイルカなどの水生哺乳類の化石を専門にしています。そのため、今回研究したクジラを見たとき、面白いことになりそう、と感じました。幸せな出会いでした。 田中の共同研究者であり、前任の学芸員である樽野(ゾウやシカの化石が専門)と共に、2000年代に大きく進歩したヒゲクジラ類の骨の形についての知識にもとづいて、再検討しました。再検討できたのは、博物館にそのクジラ化石が保存されていたこと、それから世界中の先達が1世紀にわたって蓄積した研究成果のおかげです。再検討の結果、幅広いクチバシ(吻部)や頭にある翼蝶形骨という骨の形が四角く大きいことから、ミンククジラではなく、カツオクジラであることが明らかになりました。 カツオクジラは暖かい海にすむクジラで、ミンククジラと比べると大型で珍しい種類です。カツオを食べることから、名付けられました。瀬戸内海での記録は3件、日本近海の記録はあわせて13件ある限りで、骨格標本として展示されているのは和歌山県立自然博物館など3つの施設のみです。変異(大人子ども、オスメス、地域ごとの違いなど)を考える際、ひとつでも多くの標本が必要です。カツオクジラは標本数が少ないのですから、大阪のカツオクジラは貴重な標本なのです。 また、興味深いことに、地層から見つかったカツオクジラ、つまりカツオクジラの化石はこれまで知られておらず、大阪から見つかったクジラが世界で初めての記録です。過去の生物の分布は謎に満ちています。地道に同定し、記録を蓄積していくことで、クジラを含め、多くの生きものが、過去にどのように分布をしていたのか明らかになってくるでしょう。 このような研究の成果が、「大阪市の完新統(第四紀)から発見されたカツオクジラ」と題し、米英の古生物学の学術誌「Palaeontologia Electronica(パレオントロジア・エレクトロニカ)」(2017年10月17日出版)に掲載されました。 [caption id="attachment_6646" align="aligncenter" width="600"] 今回の研究で明らかになったカツオクジラ。翼蝶形骨の形が特徴的(本研究で発表した論文Tanaka and Taruno, 2017より改変)[/caption]

研究成果が展示を活かす

博物館が目指すのは、収集・保管した資料の研究を行い、その成果を展示などで市民に発信していくことです。今回の研究に使用した標本も、研究成果は一旦まとまったので、大阪市立自然史博物館の常設展・第2展示室に追加展示しています。もちろん、この標本が長く博物館で保管されれば、将来新しい研究が同じ標本でなされ、さらなる新知見が得られるかもしれません。 いずれにしても、博物館における研究は重要で、展示更新を含めて一石数鳥の利点があります。まず、論文や書籍など知的資産を生み出すことができ、知的資産は展示や普及活動で活用できる他所にはないオリジナルの情報になります。また、研究に使われた収蔵標本は学術的価値が高まり、コレクションの価値、ひいては博物館の価値を高めることにつながります。当館は「オリジナルな情報発信のために」「研究の促進、研究成果の公開を進めます」と中期目標に掲げています。 大阪が、かつてはクジラが泳ぐ海であった証拠を広く皆さんに見ていただき、太古の世界に思いを馳せていただきたいと考えています。大阪平野の地下からは、他にもいくつかのクジラ化石が見つかっています。私たちは地下に眠っているクジラの種類を明らかにし、太古の大阪湾にどのようなクジラが泳いでいたのかを明らかにしたいと考えています。 [caption id="attachment_6647" align="aligncenter" width="600"] 大阪市立自然史博物館の展示風景。中央の赤いボードに乗っている標本がカツオクジラ[/caption] 参考文献 Omura, H., 1976: A skull of the minke whale dug out from Osaka. Scientific Reports of the   Whales Research Institute, vol. 28, p. 69-72 Tanaka, Y., and Taruno, H., 2017: Balaenoptera edeni skull from the Holocene (Quaternary)    of Osaka City, Japan. Palaeontologia Electronica, vol. 20.3.50A, p. 1-13. 展示がある大阪市立自然史博物館 〒546-0034  大阪市東住吉区長居公園1-23 TEL 06-6697-6221  FAX 06-6697-6225 地下鉄御堂筋線「長居」駅下車3号出口・東へ800m JR阪和線「長居」駅下車東出口・東へ1000m 常設展示入館料:大人300円、高大生200円 ※中学生以下、障がい者手帳などをお持ちの方、市内在住の65歳以上の方(要証明) は無料。 ホームページ http://www.mus-nh.city.osaka.jp/]]>
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長期記憶に不可欠な分子RNG105 - ニューロンでのタンパク質合成と長期記憶形成をつなぐ仕組み https://academist-cf.com/journal/?p=6660 Wed, 13 Dec 2017 01:00:54 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6660 ニューロンで起こる「局所的」なタンパク質合成 ニューロンは突起を伸ばし、他のニューロンの突起とつながることでニューロンネットワークを形成しています。このつなぎ目は「シナプス」と呼ばれています。私たちが物事を覚える際には、ニューロンがシナプスを介して他のニューロンへ信号を送り、その信号を受け取ったニューロンがさらに次のニューロンへシナプスを介して信号を送るという、信号の伝達リレーが起こります。 物事を記憶して思い出すときには、再度同じニューロンネットワークで信号伝達が起こります。ですから、長期記憶のためには、このネットワークのつなぎ目であるシナプスが切断されないように、強化して維持しておく必要があります。その強化のために働くタンパク質は、数十種類以上あると考えられています。信号伝達の際にシナプス付近でそれらタンパク質を局所的に合成することが、長期記憶の形成に必要なのではないかと考えられていますが、その関連性は明らかではありませんでした。 タンパク質を合成するためには、その材料が必要で、特に、タンパク質の設計図となる伝令RNAが必要です。シナプスで局所的にタンパク質を合成するためには、シナプスの近くに伝令RNAを配置させておく必要があるわけです。RNG105は伝令RNAに結合する分子であり、シナプスの近くまで移動する能力を持つという私たちのこれまでの研究結果から、RNG105が長期記憶形成に関わるタンパク質合成に重要な役割を担う候補分子ではないかと予測しました。 [caption id="attachment_6655" align="aligncenter" width="600"] 前シナプスから後シナプスに信号が伝達される際に、後シナプス付近で局所的にタンパク質が合成されるとともに、シナプスが強化(シナプスの肥大化、AMPA受容体の表面配置)される。しかし、局所的タンパク質合成と長期記憶の関連性はこれまで明らかではなかった。[/caption]

RNG105欠損マウスでは長期記憶が低下

RNG105が長期記憶の形成に必要かどうかを調べるために、遺伝子改変によってRNG105を欠損したマウスを作製し、5種類の学習・記憶テストを行いました。その結果、すべてのテストでRNG105欠損マウスの長期記憶が著しく低下しているという結果を得ました。 その一例が、条件付け文脈学習テストです。このテストでは、明るい部屋と暗い部屋とを自由に行き来できる装置を用います。通常、マウスは暗い場所を好み、そこに長く滞在します。しかし、暗い部屋に入った際に弱い電流を経験すると、マウスは嫌悪の経験を記憶し、その後は電流が流れなくても暗い部屋の滞在時間が減少します。この暗い部屋の滞在時間を計測した結果、RNG105欠損マウスは5分間の短期記憶は正常にできるのに対し、1日から1週間に渡る長期記憶の形成は正常マウスに比べて著しく障害されていることが明らかになりました。 [caption id="attachment_6656" align="aligncenter" width="600"] RNG105欠損マウスの暗い部屋での滞在時間は、電流刺激5分後は正常マウスと同等に低下する。しかし、1日後、1週間後では両マウスに大きな差が生じ、1週間後にはRNG105欠損マウスの暗い部屋での滞在時間は、ほぼもとのレベルに戻ってしまう。[/caption]

RNG105欠損マウスのニューロンではシナプス強化が上手くいかない

シナプス強化を評価する方法のひとつとして、人為的な刺激によってシナプスの信号伝達を起こし、その際に信号の受け取り側のシナプス(後シナプス)が肥大化する現象を顕微鏡で観察する方法があります。この方法を用いて、RNG105の欠損がシナプス強化に与える影響を調べました。正常ニューロンでは刺激により後シナプスが肥大し、そのサイズは刺激後1時間経っても維持されました。一方、RNG105欠損ニューロンでは刺激により後シナプスは一度肥大したものの、時間経過とともに次第に縮小しました。 [caption id="attachment_6657" align="aligncenter" width="600"] 信号伝達刺激直後のシナプス(点線円内)のサイズの変化を経時的に顕微鏡観察した。RNG105を欠損したニューロンでは、後シナプスの肥大化を長時間維持できない。[/caption] 別の評価法として、後シナプス表面のAMPA受容体の量を測定する方法があります。AMPA受容体とは、シナプス信号伝達に中心的役割を果たす分子です。AMPA受容体を検出する抗体染色法という手法でその量を測定した結果、正常ニューロンに比べてRNG105欠損ニューロンでは、後シナプス表面のAMPA受容体を増やす制御機構が上手く働かないことが分かりました。以上の結果から、RNG105は、長期的なシナプス強化に必須であることが明らかになりました。

RNG105欠損ニューロンではシナプス付近への伝令RNAの配置が低下

では、RNG105欠損マウスの異常はなぜ生じるのか? その原因を探るため、RNG105の欠損が伝令RNAに及ぼす影響を解析しました。ニューロンの細胞体および樹状突起(後シナプスが多く存在する突起)から伝令RNAを抽出し、次世代シークエンスという手法を用いて、数万種類の伝令RNAそれぞれの量を測定しました。 その結果、通常ではニューロンの樹状突起に偏って存在する特定の種類の伝令RNA群が、RNG105欠損ニューロンの樹状突起では、その偏りが低下していることを見出しました。このことは、RNG105欠損ニューロンでは、後シナプスの近くに伝令RNAをあまり配置できていないことを意味しています。そのような伝令RNA群の中には、シナプス強化に働くタンパク質の設計図である伝令RNAが多数含まれていることが、遺伝子オントロジー解析からわかりました。 以上のことから、通常のニューロンでは、RNG105によって樹状突起の後シナプス付近に伝令RNAが配置され、それをもとに合成されるシナプス強化タンパク質が後シナプスへ供給されており、そのことがシナプス強化、ひいては長期記憶を形成するうえで重要な鍵を握っていると考えられました。 [caption id="attachment_6658" align="aligncenter" width="600"] 正常ニューロンでは、特定の種類の伝令RNA(シナプス強化に働くタンパク質の設計図である伝令RNAが多数含まれる)が、後シナプスの多く存在する樹状突起に偏って配置される。一方、RNG105欠損ニューロンでは、それら特定の伝令RNAが樹状突起から減少してしまう。[/caption]

おわりに

今回のRNG105が長期記憶形成に必須という発見により、長期記憶形成の際のタンパク質合成がどのように起こるのか、また、どのような種類の伝令RNAからタンパク質が合成されるのかについて、新たな知見が得られました。また、本稿では紹介しませんでしたが、RNG105は巨大な複合体である「RNA顆粒」の主要な構成因子です。RNA顆粒の異常は、認知症、筋萎縮性側索硬化症(ALS)、自閉症スペクトラム障害(ASD)など、さまざまな神経精神疾患の原因になることが明らかにされつつあります。したがって今回の発見を足がかりにして、長期記憶形成の分子メカニズムがさらに解明されることに加え、臨床・創薬分野の応用研究にも道を開くことが期待されます。 参考文献 Nakayama K*, Ohashi R*, Shinoda Y, Yamazaki M, Abe M, Fujikawa A, Shigenobu S, Futatsugi A, Noda M, Mikoshiba K, Furuichi T, Sakimura K, Shiina N. (*equal contribution) (2017) RNG105/caprin1, an RNA granule protein for dendritic mRNA localization, is essential for long-term memory formation. eLife 6, e29677. Ohashi R, Takao K, Miyakawa T, Shiina N. (2016) Comprehensive behavioral analysis of RNG105 (Caprin1) heterozygous mice: Reduced social interaction and attenuated response to novelty. Sci. Rep. 6, 20775. Shiina N, Yamaguchi K, Tokunaga M. (2010) RNG105 deficiency impairs the dendritic localization of mRNAs for Na+/K+ ATPase subunit isoforms and leads to the degeneration of neuronal networks. J. Neurosci. 30, 12816-12830.]]>
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受動喫煙の社会格差 - 知識があるだけでは職場の受動喫煙は減らない https://academist-cf.com/journal/?p=6666 Tue, 12 Dec 2017 01:00:38 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6666 健康被害をおよぼす受動喫煙を防ぐための海外での取り組み レストランやカフェでおいしいご飯を食べているときに、タバコの煙が流れてきて、せっかくの食事が台無し……という経験はありませんか? 子ども連れで禁煙のお店に入りたいのに、なかなか見つからず苦労した人も多いと思います。このような、他の人のタバコの煙にさらされることを「受動喫煙」といい、健康にさまざまな悪影響があることが数々の研究から明らかになっています。 そのため、レストランや学校や職場などで「子どもやタバコを吸わない人が受動喫煙の危害を受けない権利」が「タバコを吸う権利」よりも優先され、海外では受動喫煙を規制する法整備が進められています。欧米のバーで、店内でタバコを吸えないというのを目にされた方もいらっしゃるかと思います(室内での喫煙はPM2.5などの濃度が極めて高くなります)。しかし海外にくらべて日本のタバコ対策は大きく遅れており、厚生労働省は、東京五輪・パラリンピックのある2020年までに受動喫煙のない社会を目指すとの目標を掲げています(が、政治的に施策が後退する方向にあり、目標達成が危惧されています)。 このように、日本でも注目が高まりつつある受動喫煙ですが、海外では、社会経済状態(収入や教育年数など、その人がおかれた社会環境を示す指標)が低い人は、非喫煙者であっても受動喫煙の被害を受けやすいことが報告されています。しかしながら、日本にも受動喫煙の健康格差は存在するのか調べた研究はほとんどありませんでした。

受動喫煙の健康格差は日本にも存在する

そこで、宮城県が2014年に実施した県民健康調査のデータを分析しました。喫煙者のデータを除外後、家庭での受動喫煙について有効回答が得られた 1,738名および職場・学校での受動喫煙について有効回答が得られた1,003名のデータを分析しました。受動喫煙は「ほぼ毎日」、「週に数回」、「週に1回未満」、「なし」の 4段階とし、教育年数との関係を分析しました。その他の要因の影響を取り除くため、年齢、性別、世帯人数、過去の喫煙歴、タバコの健康被害の知識を統計モデルで考慮しました。 その結果、タバコを吸わない回答者においても、家庭での受動喫煙は19%にみられ、職場・学校での受動喫煙は39%にみられました。さらに、教育年数が短い人は、非喫煙者であっても受動喫煙にさらされやすいという健康格差が確認されました。教育年数13年以上の人にくらべ、10〜12年の人は家庭での受動喫煙が1.9倍多く、9年以下の人は3倍多いという差がみられました。職場・学校の受動喫煙については、教育年数13年以上の人にくらべ、10〜12年の人は家庭での受動喫煙が1.8倍多く、9年以下の人は3.8倍多いという差がみられました。統計モデルでタバコの知識を考慮しているため、この結果は、「仮にすべての人が同程度のタバコの知識をもっていたとしても、教育年数の短い人ほど受動喫煙にさらされやすい」ことを示しています。 [caption id="attachment_6663" align="aligncenter" width="600"] 教育年数と受動喫煙の関連[/caption]

個人の知識で防ぐには限界がある

さらに、個人の努力で受動喫煙を防ぐことは可能なのかを調べるための分析を行いました。仮に個人の努力で受動喫煙を減らすことができるのなら、タバコの害について知識を持っている人ほど受動喫煙が少ないことが予想されます。 [caption id="attachment_6664" align="aligncenter" width="600"] タバコの知識と受動喫煙の関連[/caption] その結果、タバコの健康被害についての知識が多いことは、家庭での受動喫煙が少ないことと統計的有意に関連した一方、職場・学校での受動喫煙とは有意な関連はみられませんでした。つまり、個人がタバコの害に関する知識をつけることは、家庭での受動喫煙をわずかに減少させるものの、職場での受動喫煙を防ぐことはできないことが示されました。

社会全体での取り組みが必要

日本のタバコ対策は世界の最低ランクに位置づけられています。今回私たちが行った研究から、1)日本でも受動喫煙に社会格差があることが確認され、2)個人が知識を持っているだけでは職場での受動喫煙を防げないことが示されました。罰則付きの法整備も含め、職場・家庭・飲食店での受動喫煙対策が必要でしょう。そのような環境を変えるアプローチにより、この研究で確認された健康格差の縮小にもつながると考えられます。 参考文献 Matsuyama Y, Aida J, Tsuboya T, Koyama S, Sato Y, Hozawa A, and Osaka K. Social inequalities in secondhand smoke among Japanese non-smokers: a cross sectional study. J. Epidemiol. 2017. [in press]]]>
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生態系崩壊を告げる「預言者」を探せ?! - レジームシフト研究の最前線 https://academist-cf.com/journal/?p=6675 Fri, 15 Dec 2017 01:00:39 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6675 生態系崩壊の予兆は検知できるのか いま自然生態系のバランスを維持する仕組みが壊れ始め、レジームシフトといわれる現象が起きています。レジームシフトとは、目の前に広がる昨日までと何ら変わりのない自然が、何らかの出来事をきっかけに突発的かつ劇的に変化することです。たとえば、時間の経過に差はありますが、湖沼に住んでいた魚や水草が大量に死亡して消えてしまったり、森林の草花がシカによって食べつくされてしまったりするのも、すべてレジームシフトです。 [caption id="attachment_6672" align="aligncenter" width="600"] シカ害の問題は、レジームシフトの最も良く知られた例である。オオカミが絶滅したことで、増えてしまったシカの採餌によって下層植生が破壊された様子(左)、その結果、シカが忌避する毒草であるバイケイソウ(ユリ科)のみが繁茂した状態(右)。撮影:門脇浩明、京都大学芦生研究林、2004年[/caption] このレジームシフトの背後にあるのは、生息地の破壊や環境汚染、気候変動、生物の絶滅など人間活動によるものです。人間活動によって生態系にそもそも備わっていたはずの自己修復能力が失われると、そこに僅かなきかっけが与えられるだけで、崩壊への一途を辿るのです。しかし、生態系の崩壊は、どこまで耐えられるのかは明確ではなく、閾値を伴う非線形な反応であるため、環境変化の追跡から崩壊を予測することが難しいのです。 さらに、一度レジームシフトによって失われてしまった自然生態系は、環境条件を改善した場合にも回復することは難しく、崩壊後の対処も困難であるという側面があります。そのため、いつ何時起こるのかわからないレジームシフトに備えることは、生態系を維持管理するうえで最も難しい問題とされ、確たる手立ては明らかにされてきませんでした。しかし、ただ難しいとしてこれまでの多くの生態学者も黙って見守っていたわけではないのです。

予兆検知の新たな枠組みへ

守らなければならない自然に対し、生態系の破壊はかつてない速さで迫りつつあります。そのような状況のなか、より現実的で的確にレジームシフトの予兆を検知することや崩壊してしまった生態系の回復に向けてできる手立てを一刻も早く提示する必要があると考えました。そこで、中央水産研究所の西嶋翔太研究員らと共に新しいレジームシフト理論について模索しました。そして、生物群集全体のバイオマスを検討してきた従来の理論に加え、生物種を分けたうえで生物間の相互作用を組み込むことでレジームシフトに備える一歩となる新たな理論的枠組みの提示が実現したのです。 新たな理論では、レジームシフトに先駆けていち早く個体数が少なくなる種があることがわかりました。そのため、最も敏感に反応する「指標種(indicator species)」を割り出すため、個々の種を明確に区別しつつ詳細なモニタリングを行い、それぞれの生物間相互作用を調べることで生態系の異常をより正確に検知することに繋がると考えられます。一度崩れてしまった自然生態系のバランスを回復させることは難しく、莫大な時間と労力、費用が求められるうえに確実に元通りに戻す魔法のような方法はありません。よって、生態系のなかの特定の種にターゲットを絞り、その個体数の変化を分析することでレジームシフトによる生態系崩壊を予測することが非常に重要と言えるのです。 [caption id="attachment_6678" align="aligncenter" width="600"] 従来のレジームシフト理論と新しい理論の違い。Kadowaki et al. (2017)を元に改変。[/caption]

予兆検知の鍵を握るのは

今後は、実際にこの枠組みを実用化することが目標です。生態系の変化の予兆ををいち早く検知する確実な方法を実現したいと考えています。レジームシフトのように、同じ場所で一度しか起きていない現象を科学することはとても難しいことです。さらに、試行錯誤を繰り返そうにも、地球上のどこかの場所を選び出し、何らかの手を加えることとなり、新たな自然生態系のバランスを破壊することを意味します。しかし、数理モデルやシミュレーションによって、人工的な世界を創造し、それと現実世界との対応を探ることは可能です。フィールドにおいて色々な証拠を集めたうえで、仮想世界のなかで起こりうるレジームシフトへ至る経路を見ていくことは、地球上において発生してきたレジームシフトにおいて、どの経路が偶然でありどの経路が必然であったのかを知るための鍵となるかもしれません。

今回提示した枠組みの成り立ち - 具体的手法

先行研究を知るために、まず文献の分析をもとに、レジームシフトの予兆をより正確に予測するために考慮すべきポイントの絞り込みを行いました。その結果、生態系を記述する状態変数の解像度、生物間相互作用が正のフィードバックが生み出すメカニズム、調査を行う空間スケール、これら3つの要因を明確に考慮することがレジームシフトの予兆を予測するうえで重要であることがわかりました。 さらに、上記のポイントを踏まえたうえで、従来のレジームシフト理論に生物間の相互作用を組み込んだ数理モデルを解析することで、レジームシフトの予測が可能となる条件を検討しました。また、生態系の効率的な再生を可能とするために有効な手法について予測を示しました。今後は、環境DNAなどの最新モニタリング技術と組み合わせ、わたしたちの新しい理論を用いることで、より正確なレジームシフトの予測が実現できる可能性を検証することが重要です。レジームシフト予見への挑戦はこれからも続きます。 [caption id="attachment_6673" align="aligncenter" width="600"] 多様な淡水プランクトン群集。これらの生物を種ごとに区別してモニタリングすることによって、生息地におけるレジームシフトを告げる「預言者」と出会えるかもしれない。撮影:門脇浩明、琵琶湖のプランクトン、2015年[/caption]

おわりに

この研究は、門脇浩明(京都大学)、西嶋翔太(中央水産研究所)、Sonia Kéfi(モンペリエ大学)、亀田佳代子(琵琶湖博物館)、佐々木雄大(横浜国立大学)による研究チームにより行いました。生態系の劇的な変化(レジームシフト)についての分析と数理モデルを組み合わせ、 生物個体数の小さな変化を追跡することで、生態系の異常や崩壊の予兆を検知するための枠組みを発表しました。なお、詳細は参考文献の論文に掲載されています。オープンアクセスなので、どなたでもご覧いただけます。 参考文献 Kohmei Kadowaki, Shota Nishijima, Sonia Kéfi, Kayoko O. Kameda, Takehiro Sasaki (2017). Merging community assembly into the regime-shift approach for informing ecological restoration. Ecological Indicators, 85, 991-998.]]>
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脳から探る「社会のルール」の変化の仕組み https://academist-cf.com/journal/?p=6680 Mon, 18 Dec 2017 01:00:38 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6680 みんなの意識が変わると「社会のルール」は変わる 世の中には無数の「社会のルール」(規範と呼ばれます)が存在し、私たちがどう振る舞うのかを大きく左右しています。たとえば、「人からモノを盗んではいけない」というのは世界中のさまざまな国や地域で共通にみられる規範です。 こういった規範は、人々がそれに賛成しお互いにそれを守ることで社会の中で維持されています。それゆえ、これらの規範は昨今の禁煙規範の高まりや同性婚の容認の例にみられるように、人々の意識の変化に伴って変化していきます。現代ではこういった変化の原動力として、人々がTVやインターネットのようなさまざまなメディアを通じてお互いに意見・情報発信を行い他の人々に特定の規範に対する意識を変えるよう「説得」するという過程が重要な役割を果たしています。 これまで「人が説得によって規範に対する意識を変える」という過程の裏にはどのような脳の働きがあるのかはほとんど明らかになっていませんでした。そこで、私たちは機能的磁気共鳴画像法(fMRI)という脳活動の測定法を用いてこの謎に挑戦し、規範の変化という大きな社会現象のメカニズムを脳の働きという生物学的な視点から紐解いていくことを目指しました。

「社会のルール」に対する意識変化の脳内メカニズムを探る

実験では、参加者(大学生男女27名)にMRI装置の中で特定の規範、あるいは非規範的なことがらに対する賛成度の変容を促すメッセージを読む、という形で説得を受けてもらいその際の脳活動を測定しました。 説得に用いたメッセージには4種類のものがあり、それぞれ 1)「規範を肯定する説得を行い参加者の賛成度を上げる」、2)「規範を否定する説得を行い参加者の賛成度を下げる」、3)「非規範的なことがらについてそれを肯定する説得を行い参加者の賛成度を上げる」、4)「非規範的なことがらについてそれを否定する説得を行い参加者の賛成度を下げる」ことを目的としたものが提示されました。このように説得の対象や説得が促す賛成度変化の方向をいろいろと変えたものを用意したのは、それぞれのメッセージを読んでいるときの脳活動どうしを比べることで、規範に対する説得を受けている時だけに特別に活動を上昇させる脳の部位や、説得の方向によって異なる活動を示す脳の部位をあきらかにするためです。 説得の前後では、説得の対象となったものを含んださまざまな規範・非規範的なことがらに対する参加者の賛成度を測定し、説得によってどの程度それが変化したかを評価しました。また、この時の脳活動を計測することで規範に対する「賛成の度合い」そのものを表現している脳の場所を特定するということも行っています。 [caption id="attachment_6681" align="aligncenter" width="600"] 実験概要の模式図
a) 参加者はそれぞれの説得メッセージを読んだ後で、それをどの位興味深いと思ったかを回答した。ひとつの説得メッセージは5つの文章(スライド)にわたって提示された。b)説得メッセージは「説得の対象(規範か非規範的なことがらか)」および「説得の方向(肯定的か否定的か)」によって 2 x 2 = 4種類のものが提示された。c)説得の前後では、参加者は説得の対象となったものを含んだ様々な規範・非規範的なことがらに対する賛成度を回答した。[/caption]

実験の結果

実験の結果、規範についての説得を受けているときには規範と関係のないことがらについて説得を受けているときと比べて前頭前野内側部、側頭極、側頭頭頂接合部といった脳の場所の活動が高まっていることがわかりました。これらの場所は、これまでの研究から社会的な場面の理解あるいは他者の心の推測のような社会性にまつわる心の働きに関わるとされている場所です。規範はそもそも社会的なものですから、説得によって規範に対する意識が変化する過程では、規範にまつわるさまざまな社会的な要因が脳内のこれらの場所で処理されていることが考えられます。 [caption id="attachment_6682" align="aligncenter" width="600"] 規範についての説得の処理に関わる脳の場所
規範についての説得を受けているときには規範と関係のないことがらについて説得を受けている時と比べて前頭前野内側部(ピンク色の丸)、側頭極(黄色の丸)、側頭頭頂接合部(緑色の丸)といった脳の場所の活動が高まっていた。[/caption] また、意識が変化する方向によっても関与する脳の場所が異なることが明らかになりました。説得によってある規範に対する賛成度が「下がる」場合には、側頭葉の一部(左中側頭回)の活動が高まっていました。この場所は、論理的な推論や再解釈に関わるといわれている場所です。通常、多くの人は規範に賛成であるのが普通です。それゆえ規範に対する賛成度を「下げる」という特別な意識の変化を起こす場合には、その妥当性を論理的に考えたり、規範にまつわる事柄の再解釈をしたりする心の働きが活発になると思われます。左中側頭回の活動はそのような心の働きを反映しているのではないかと私たちは考えています。 [caption id="attachment_6683" align="aligncenter" width="600"] 規範に対する賛成の度合いが下がることに関わる脳の場所
(左)規範に対する賛成度を下げるような説得を受けている時には左側の中側頭回(黄色の丸)の活動が高まっていた。(右)説得を受けている時に左中側頭回の活動がより高くなっていた参加者程、後に賛成度を大きく下げていた。[/caption] さらに、私たちは頭頂葉の一部(左縁上回)には規範に対する賛成の度合いを表現している部位があることを発見し、この場所では説得により生じた賛成度の変化を反映した活動変化が生じていることを明らかにしました。 [caption id="attachment_6684" align="aligncenter" width="600"] 左縁上回の活動は規範に対する賛成の度合いを表現し、説得中には賛成度の変化を反映した活動を示した
(左)賛成度回答中に、左縁上回はある規範に対する参加者の賛成度が「低い」時程高い活動を示した。(右)説得を受けている時に左縁上回の活動がより高くなっていた参加者程、後に賛成度がより「低く」なっていた。[/caption]

社会現象のメカニズムの総合的な理解へ向けて

今回、私たちは「人が説得によって規範に対する意識を変える」というプロセスを支えるさまざまな脳のネットワークを同定しました。これは、規範の変化という大きな社会現象のメカニズムを脳という生物学的な視点から解き明かしていく第一歩となる知見です。 規範の変化についてはこれまで主に社会学・法学・社会心理学などの人文科学分野で研究されてきており、そこではたとえばコンピューターシミュレーションで人工的な社会を作り、規範の発生や変化の仕組みを探るということが行われてきました。今回私たちが明らかにしたような、規範の変化に際して実際に人々の脳の中でどういうことが起きているのかという知見はこういった既存の研究に新たな視点や情報を提供し、規範の変化という現象に対する総合的な理解を深めることに貢献することが期待されます。 参考文献 Yomogida Y et al. The Neural Basis of Changing Social Norms through Persuasion. Sci. Rep. 7, 16295, doi:10.1038/s41598-017-16572-2 (2017)]]>
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「東アジアの大気汚染研究において、富士山頂はベストな環境だ」 – 早稲田大・大河内博教授 https://academist-cf.com/journal/?p=6690 Thu, 25 Jan 2018 23:00:31 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6690 【academist挑戦中】富士山頂の測候所から、大気汚染物質の広がりの謎にせまる! 富士山で大気を採取し、東アジアの大気汚染の現状にせまる研究を進める早稲田大学理工学術院の大河内博教授。現在、富士山頂での継続研究を目指して、クラウドファンディングに挑戦している。なぜ富士山頂という厳しい環境で測定を行うのだろうか。今、世界の大気汚染はどのような状態にあるのだろうか。地球の診断士「アースドクター」として研究に邁進する大河内教授に、大気環境科学の重要性について詳しく伺った。また本インタビューの風景は、研究者と一緒に最先端研究について考える「academist Live」で視聴することができる。 ——今、どのような研究を行っているのでしょうか。大河内先生の研究内容を教えてください。 富士山の山頂に「富士山測候所」という観測所があります。観測所の横に2001年まで設置されていた「富士山レーダー」をご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。この観測所で大気を採取し、その化学性状を調べることで、大気汚染物質が地球規模でどのように動いているのかを、ここ10年ほど継続的に調べています。大気汚染物質と言っても無機物質から有機物質まで多種多様ありますので、そういったものを総合的に評価し、環境問題の解決につなげようと研究を進めています。また、富士山頂では7〜8月にしか観測が行えないため、同時に富士山麓で通年観測を行っています。 ——富士山頂では、具体的にどのような大気汚染物質を観測しているのでしょうか。 まずは酸性雨問題の現状を知るために、二酸化硫黄や硝酸といった酸性物質にフォーカスを当てて研究をしています。中国大陸から空気が運ばれているときに,二酸化硫黄や硫酸塩の濃度が高くなり、このときに富士山頂で雲が発生すると、硫酸イオンを高濃度に含んだ酸性の雲水が発生することがわかりました。このように酸性化した雲は、やがて地上に酸性雨として降ってきます。私たちは富士山だけで観測していますが、同じようなことは日本全国で起きているのではないかと考えています。富士山頂では夏季しか測れないため、1年を通してどのような変化があるか、ということを断言するのは難しいのですが、最近は雲水の酸性度は弱まってきているような傾向があります。富士山麓で行っている通年観測の結果においても、硫酸塩、硝酸塩の濃度が明らかに減っていることがわかります。 ——それは良い傾向ですね。どのような理由で濃度変化がおきているのでしょうか。 観測を行っている富士山麓の標高は1300mほどですので、日本国内の大気汚染物質の影響を強く受けます。自動車の排ガス規制などにより、近年、窒素酸化物濃度が下がってきていることを反映して、硝酸塩濃度も減少傾向にあるのではないかと考えています。 一方で、富士山頂の大気は「自由対流圏」という、周囲の地上の影響をあまり受けない大気です。上空大気の流れを見ると、アジア大陸からの流れがあるときに、二酸化硫黄や硫酸の濃度が上がり、酸性化することがわかります。特に、中国北部から韓国を通るような道筋だと、その傾向が顕著です。今、硝酸や硫酸の濃度が下がっているというのは、これらを作る窒素酸化物や二酸化硫黄のアジア大陸からの排出が減っていることをあらわしている、と考えることができます。 ——それ以外には、どのような物質を測定しているのでしょうか。 PM2.5に含まれる「多環芳香族炭化水素」という有害な有機物質の濃度も測っています。これらの物質のなかには発がん性を持っているものも多数存在します。また、難分解性の有機物質も測定しています。これらが地球全体に広がっており、雲に取り込まれることで、雨として落ちてくるのです。さらに、ヒ素やセレン、カドミウムといった重金属も測定しています。中国などでは現在も石炭が燃料として使われています。中国からの大気が届くと、これらの重金属の濃度が非常に上がることが確認できています。 ——今日お持ちいただいた、この機械で雲水を採取されているのですね。 はい、富士山頂で実際に設置している雲水の採取器です。細線に雲水が付着してだんだん水滴が大きくなり、細線を伝って落ちてきます。その水を、チューブを通じてボトルで回収します。1〜2時間ごとにボトルを交換することで、経時的な変化を見ることができます。交換作業自体は非常に単純なのですが、富士山頂で行うとなると結構大変です。風速20m/sをこえるような強風ですので、風上を向いていると息ができないほどですし、夜中でもボトル交換を行いますので、寝る間もありません。 ——まさに、フィールドワークの大変なところですね。現在挑戦中のクラウドファンディングでは、継続的な観測が重要だとおっしゃっています。経年観測を行うことで、どのようなことがわかるのでしょうか? 大気汚染の現状を把握するにあたり、まずは「地球規模における通常の空気質(バックグラウンド大気)」を調べる必要があります。そのうえで、 大気汚染物質の濃度が大きく変化する現象や、大気の流れる方向などのデータと合わせることで、大気汚染の現状を捉えることができるのです。そのために経年観測は欠かせません。これまでの研究によって、夏場でも越境汚染がおきていることはわかってきました。しかし、越境汚染の影響が強くあらわれるのは冬から春先です。この時期に富士山頂ではどのような大気汚染物質の濃度変化がおきているのか、ということは全然わかっていないのです。その謎をぜひ解明したいと思っています。 ——経年観測を行うためには、どのようなハードルがあるのでしょうか? 私が所属するNPO法人「富士山測候所を活用する会」でも議論を続けていますが、「電源」と「無人化」が大きなハードルです。夏場は、商用電源を我々で管理して使っているのですが、基本的に通電できるのは7〜8月だけです。それ以降は商用電源が使えないので、バッテリーを充電して使うしかありません。国立環境研究所では、夏の間にバッテリーを100個ほど山頂まであげて、冬のあいだはそれを使うことで1日1回、二酸化炭素濃度を無人で測定しています。こういったことができればいいのですが、大気汚染物質の化学分析を行うとなると、もっと大きな電力が必要になりますし、無人で観測し続けられる機器もありません。理想をいうと、雲水を自動で採取し、分析までその場でできるような機器を開発したいのですが、まだまだクリアするべきハードルは多く、革新的な技術開発が必要となっています。 ——富士山は、研究対象としてだけでなく、風景としても髄一の美しさがありますよね。 そうですね、富士山の研究は2006年からはじめて今年で10年ちょっとになります。合計で50回ほどは登っていますね。また、富士山麓には2週間に1回は行きますが、やはり富士山はとても綺麗です。私は雲をぼーっと眺めるのが好きなのですが、同じ風景は一度もありません。夏の富士山麓は避暑地としても非常に過ごしやすいですし、オススメです。 ——先生は、富士山だけでなく、丹沢や福島でも研究を行われていますね。どのような研究なのでしょうか。 丹沢山塊では、東丹沢を中心に、渓流水のサンプリングおよび分析を主に行っています。森林は、大気汚染物質を捕捉して空気をきれいにする、というはたらきがあります。そして、捕捉された大気汚染物質は、雨とともに土壌に浸透し、やがて川に流れ出てきます。そのため、渓流水に含まれるイオンや微量金属の測定を行うことで、“森林の健康診断”を行うことができるのです。この研究も10年くらい継続し、約40か所で行っています。 ——福島県での研究についても教えてください。 浪江町の里山で放射性物質の動態調査を進めています。福島第一原子力発電所事故が起き、放射性物質が放出された結果、今、浪江町の森林は放射性物質を捕捉している状態にあります。現在、人が住む場所や畑などから除染が進められていますが、森林は手付かずの状態です。しかし、住民が帰って来るためには里山の除染も必要です。放射性物質が森林内にどれだけ溜まっているのか、そしてどのように移動するのかを調査した上で、森林生態系に悪影響を与えないように除染できる技術開発にまでつなげていきたい、と思い、研究しています。 ——まさに地球の診断士「アースドクター」ですね。最後に、現在挑戦中のクラウドファンディングについての意気込みをお願いします! クラウドファンディング開始から今まで、多くの人にご支援いただくことができました。ありがとうございます。これまで10年間、富士山研究を続けてきましたが、継続しないとわからないことがたくさんあります。今年の7〜8月にも富士山頂でサンプルを回収しましたが、研究資金の不足から、いまだ分析ができていない状況にあります。プロジェクト成功のために、ひきつづきご支援のほどよろしくお願いします! *** 大河内教授のプロジェクト「富士山頂の測候所から、大気汚染物質の広がりの謎にせまる!」、支援期間は残りわずかです。ぜひ応援をお願いします!
研究者プロフィール 1969年生まれ。早稲田大学理工学部資源工学科卒業。博士(工学)。神奈川大学、東京都立科学技術大学(現首都大学東京)を経て現職。専門は大気・水圏環境化学。著書に『越境大気汚染の物理と化学』(共著、成山堂書店)、『地球・環境・資源 地球と人類の共生をめざして』(共著、共立出版)、『東日本大震災と環境汚染』(共著、早稲田大学出版部)などがある。
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カメには恐竜に負けない魅力がある - カメ研究歴40年、早稲田大学・平山廉教授に聞く https://academist-cf.com/journal/?p=6702 Thu, 21 Dec 2017 01:00:04 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6702

【クラウドファンディング挑戦中】系統樹マンダラを作り、カメ研究を盛り上げたい!

私たちにとって身近な生き物であるカメ。しかし、その起源や進化は、未だ明らかにされていないことが多い。それもそのはず、たくさんのカメの化石が発見されているのにも関わらず、国内のカメ研究者は片手で数えるほどしかいないからだ。早稲田大学の平山廉教授は、40年ほど前から日本のカメ研究を牽引してきた研究者で、いまでも国内外を飛びまわり化石発掘に勤しむ日々を過ごしている。本記事では、平山教授がカメの研究をはじめたきっかけや、これまでの研究の経緯、カメ研究の最先端について詳しくお話を伺った。

ーーまずはじめに、平山先生がカメの研究をはじめたきっかけを教えてください。

私は大学時代、経済学部に所属していたのですが、経済学にはあまり興味を持てませんでした。一方で、幼いころに読んだ化石の本がずっと頭に残っていて、よく図書館で化石について独学で勉強していました。化石が好きだったからか、それまでは見るのも嫌だった洋書を粘り強く読むことができたんですね。もしかしたらこの道でいけるかもしれないと思って、大学院進学を決意しました。

ーーカメではなく、化石がきっかけだったのですね。

カメを研究対象に選んだ理由は、魚類や哺乳類などを専門としていた大学院の先輩方と重ならないように、研究テーマを爬虫類で探していたことがきっかけです。最初は恐竜にしようかと思ったのですが、当時恐竜の化石はまったく見つかっていなかったので、諦めました。どうしようかと悩んでいたところ、指導教官の研究室に先生の知り合いから預かっていたカメの化石があることを教えてもらい、カメを研究することにしました。

ーーはじめは、どのようなことを研究されたのでしょうか。

まずは、生きたカメの生態を知るために、ペットショップで世界中のカメを集めて、それらの骨の形や甲羅の模様を調べました。種がある程度判別できるようになった段階で、先生が預かっていた化石の種を決定する作業を行いました。立派な甲羅を持つカメだったのですが、甲羅の中に石が詰まっていたため、内部の骨の状態を調べることができず、なかなか種を決めることができませんでした。

ーー内部の骨を状態を調べる方法は、見つかったのでしょうか。

実は、酸で溶かせば甲羅の内部まで見えることがわかり、酢酸に1日つけて水洗いをするということを繰り返し行いました。1回の作業で1mmくらいの厚さしか溶けないので、かれこれ4か月くらい続けることになったのですが、ようやく内部が見えるようになり、種を判別することができました。

ーーそれは、新種だったのでしょうか。

この化石は、中国揚子江付近からベトナム北部にかけて分布するハナガメの仲間ですが、明らかに新種でした。後に別の標本に基づいて、新種として論文にまとめて発表しています。

ーーはじめて研究成果を出されたとき、カメ研究にどのような魅力を感じましたか。

カメの種類がわかると、いろいろなことが言える可能性があるなと思いました。たとえば、熱帯や亜熱帯に住むカメの化石が日本で発見されたことがわかれば、当時の日本がそれくらい暖かかったと考えることができます。また、地質学的な観点からは、約1500万年前までは日本海がなく日本が大陸と地続きになっていたことが主張されているのですが、この主張は古生物から得られる証拠とも矛盾しないというようなことも見えてきます。

あとは、アメリカ自然史博物館のギャフニー先生がはじめて化石研究に取り入れた「分岐分類」の方法を研究で使えたことも、よく覚えています。当時この考えかたは主流ではなく、上の世代はあまり興味を示していなかったので、志の高い院生どうしで文献を読み解き、それぞれの研究に活かすということを進めていました。自分たちが分岐分類の考えかたを日本に広めていけるかもしれないと思うと、高揚感がありましたね。

ーー最初のカメを発見してからも、さまざまな新種を発見されたのでしょうか。

そうですね。私が新種で発表したカメは17種で、そんなに多くはありません。これから新種発表しなければならないカメは20種類くらいあるのですが……。早く論文にまとめろと言われているものが、いくつもあります(笑)。

ーーこれまでに、何種類くらいのカメが報告されているのでしょうか。

生きているカメで300種。化石のカメでは1000種くらいです。下の図の左側が、私がカメの研究をはじめた時の化石の分布、右側が現在の分布です。この数十年の発展がよくわかるのではないでしょうか。ちなみにカメの種数は、だいたい恐竜と同じくらいと言われています。

ーーこれは顕著ですね。カメ研究から恐竜との関係性もわかったりするのでしょうか。

よくある話に、恐竜が絶滅した原因は隕石落下によるものだというものがあるじゃないですか。実は、隕石が落ちたと言われている前後の時代で、同じ種のカメが発見されているんです。

ーーカメは隕石落下により絶滅したどころか、何事もなかったかのように生き続けていたと。

そうなんです。また、昆虫もほとんど絶滅していないことが知られています。結局、ほとんどの生き物が滅びていないんですよ。もちろん隕石が落ちたのは事実だと思うのですが、そこまで大騒ぎするほどではないのではないかと、私は考えています。

ーーところで、カメの化石が見つかれば見つかるほど、形態で分類することが難しくなると思うのですが、肉眼観察の限界というものはあるのでしょうか。

たとえば、カメの化石の数が増えていけばいくほど、比較するふたつの化石が同種なのかどうかを判別しにくくなります。ふたつのカメが完全に別々の種なのか、片方の種が変異してもう片方の種になったのか、などということの見分けがつきにくいのです。同じグループだということは言えたとしても、細かい種に分けるのはなかなか難しいですね。

ーー細かい種まで調べる方法は、あるのでしょうか。

化石の骨の内部にDNAの情報があれば良いのですが、何千万年も経ってしまうとDNAが保存されていないため、細かい種を見分けることは困難です。これはカメに限らずいろいろな動物に言えることで、形から分類を行うひとつの限界だと思います。

ーーもしDNA解析ができたとすると、どのようなことがわかってくるのでしょうか。

たとえば、スッポンはカメの特殊なタイプなのですが、スッポンがどういうカメに近いかということを、形だけから判別することは難しいんですよね。ウニとクラゲのどちらが人間に近いのかと聞かれても、形だけでは到底わからないのと同じです。DNA解析ができれば、ウニのほうが人間に近いということがクリアに出てくるのですが。

ーー現在、研究者間で最も熱いトピックについて教えてください。

カメの起源ですね。「カメは他の爬虫類と何が違うのか」「最古のカメが見つかった」というトピックは、長いあいだ注目されていて、『Nature』や『Science』のような科学誌に載りやすい話題です。実際、ここ数年で、中国とドイツで最古のカメが見つかったという報告がそれぞれありました。

ーーカメの起源は、現段階ではどのような認識がされているのでしょうか。

19世紀の頃は、カメは恐竜以前の原始的な爬虫類の生き残りだろうと言われていたのですが、20世紀後半になってDNA解析が行われるようになると、恐竜に近い生きものであると考えられるようになりました。だいたいのカメの化石は、最古の恐竜が生きていた時代のものが出てくるので、この結論はリーズナブルだと思います。それ以前の古生代には、カメはいなかったんじゃないかなぁ。

ーーカメは古生代にもいた! という主張もありそうですね。

古生代にも、南アフリカだけで発見されている小さな爬虫類「エウノトサウルス」の化石が50個くらい発見されています。この化石は一見カメの甲羅のように見えるので、カメではないかという説もあります。ただ、私がロンドンに保管されている元の標本を見たところ、カメではないと思いました。

[caption id="attachment_6707" align="aligncenter" width="600"] ロンドンの自然史博物館に保管されているエウノトサウルスの模式標本(撮影:平山先生)[/caption]

ーーどのようなところが、カメはないのでしょうか。

基本的にカメの甲羅は、お腹と背中がセットになっているのですが、エウノトサウルスの化石は背中の部分だけしか残されていません。発生学の視点からも、カメの甲羅が形成される過程で背中の部分だけができるというのは考えにくいのではないか、と言われています。ただエウノトロサウルスがカメに近いと考えている研究者もいて、実際に『Nature』や『Science』に論文が掲載されていたりするので、この議論はしばらく続きそうです。

ーーまだまだインパクトある研究テーマが残されているということですね。ところで、国内にカメ研究者は何人くらいいるのでしょうか。

日本国内だと、4人ほどですね。研究者は本当に少ないです。20185月に、カメの国際シンポジウムを早稲田大学で行う予定なのですが、ここでは世界中から30人ほどの研究者が集います。

ーー魅力的なテーマのように思いますが、なぜ研究者人口が少ないのでしょうか。

フィールドの生物学に対する予算が少ないということもありますが、まだカメ研究の魅力を一般の方々に伝えきれていないからかもしれません。でも、関心は持たれているんですよ。昨年夏に開催した化石発掘体験には、2週間で3,000人のお客さんが参加されましたから。子供からお年寄りまで簡単に参加できて、新しいことを発見できるというのが、一番の魅力です。2018年1月中旬からクラウドファンディングで製作する「系統樹マンダラ(カメ編)」をぜひ手に取っていただき、カメ研究の現状を広く伝えていきたいと思っています。

ーー最後に、カメ化石発掘の魅力をお聞かせください。

化石が出てくるということは、そこに新種があるということです。日本は狭い国であるにも関わらず、カメを含めたさまざまな化石が見つかってきています。これだけ見つかるということは、研究がまだまだ追いついていない、研究すべきことがたくさんあるということです。未来を生きる若い人たちにこそ、一度フィールドで過去を発見する体験をしていただいて、自らの手で最先端の発見をしてもらいたいな、と思っています。


【クラウドファンディング挑戦中】系統樹マンダラを作り、カメ研究を盛り上げたい!

研究者プロフィール:平山廉(ひらやま・れん)教授

早稲田大学国際教養学部教授、理学博士。1956年生まれ、東京都出身。慶応義塾大学経済学部卒業、京都大学大学院後期博士課程中退。帝京技術科学大学講師、帝京平成大学助教授を経て現職。専門は化石爬虫類、特に恐竜時代のカメ類の系統進化や古生物地理に大きな関心を持っている。近年は、国内では岩手県久慈市の白亜紀(約9千万年前)のカメや恐竜化石の産地を発掘調査しており、海外ではミャンマーから見つかる乗用車サイズの巨大リクガメ(約5百万年前)や、中国の新石器時代の遺跡から出土するカメの遺骸(甲骨文字の起源につながる可能性あり)を主として研究している。主な著書に『カメのきた道』(NHK出版)、『最新版!恐竜のすべて』(宝島社)、論文「Oldest known sea turtle(最古のウミガメ)」(Nature誌)など多数。
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【2017年】研究コラム閲覧数ランキングTop 10 https://academist-cf.com/journal/?p=6724 Thu, 28 Dec 2017 01:00:37 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6724 研究コラム」のなかから、特に閲覧数の多かった記事上位10本をご紹介いたします。

1. ゆりかごから墓場まで – 生物考古学が明らかにする江戸時代のあるおばあさんの一生

https://academist-cf.com/journal/?p=3129 生物学や地球化学の手法を利用して、当時の人びとの生死、食性、健康状態、集団構造など、考古学や歴史学上の研究課題に答えようとする「生物考古学」分野の記事が堂々の第1位となりました。明石藩家老のおばあさん「ST61」の一生を同位体分析によって明らかにしたという研究についてご紹介いただいています。

2. 植物の種子は隣が何者か知っている – 種子による周辺環境の把握は想像以上に巧妙だった

https://academist-cf.com/journal/?p=6046 オオバコの種子は、周囲環境における「同種の種子の遺伝的類似性」と「他種の存在」という2種類の異なる情報を統合して、発芽タイミングを変えているという研究成果について解説していただきました。種子による周辺状況の把握やコミュニケーションは、どのような手がかりを用いて達成されているのでしょうか?

3. マクロな「流れ」とミクロな「量子」の関係 – 曲がった空間の幾何学を用いて「流れ」を理解する

https://academist-cf.com/journal/?p=5397 水やコーヒーなどの私たちの身近にありふれた「流体」。これらの身近な物質の「流れ」を、現代物理学が到達した極微の視点から眺めるとどのように理解できるのでしょうか? 一般読者にも研究の概要が理解できるよう、大変わかりやすくまとめていただいています。

4. 世界で最も小さいものが見える顕微鏡 – 「水のチェーン」の構造が明らかに

https://academist-cf.com/journal/?p=3749 SPMという世界で最も小さいものが見える顕微鏡では、金属表面上に吸着した1つひとつの水分子を鮮明に見ることができます。こちらの研究では、水分子の5員環が1次元的に配列した構造である「水のチェーン」の様子をはっきりと捉えることができています。

5. なぜ昆虫は飛べるのか? – 蚊の特殊な飛行メカニズムが明らかに

https://academist-cf.com/journal/?p=4632 昆虫のような特に小型の生物の飛行については、彼らが小さいこと、そして動きが非常に早いことが主な理由で、実はわかっていないことが非常に多いです。この記事では、「ハネの形状・運動を正確に再現したとしても、航空機の理論上は自重を支えるだけの空気力を発生することができない」というマルハナバチのパラドックスや、今回明らかになった蚊に特有の新しい空気力発生メカニズムについてご紹介いただきました。

6. 深海に住む悪魔のサメ「ミツクリザメ」- その驚きの捕食方法「パチンコ式摂餌」とは?

https://academist-cf.com/journal/?p=4418 欧米では「goblin shark(悪魔のサメ)」の呼称で知られるミツクリザメ。今回明らかになったその捕食方法は驚くべきものでした。記事中で紹介されている「ミツクリザメの歌」も必聴です。

7. ヘビの胴体が長いメカニズムがわかった! – 脊椎動物の後ろ足の位置の多様性を生み出す仕組み

https://academist-cf.com/journal/?p=5685 なぜ、動物種間で後ろ足の位置の違いが生まれるのでしょうか? GDF11というたったひとつの遺伝子から作られるタンパク質が、そのカギを握っているということが研究から明らかになりました。

8. 釣り人の写真は貴重な資料! – Web上の写真をもとに川魚ウグイの繁殖生態を明らかにする

https://academist-cf.com/journal/?p=4492 ウグイは、いつ繁殖し、どのような婚姻色をもち、それらは地域ごとに違うのでしょうか? 従来は、複数年にわたる調査や人手によって野外データを得て分析する必要がありました。しかし、今回の研究では、Web上の写真を使うことでこの謎に迫りました。

9. 私たちの世界の複雑性はどのように説明されるのか? – 物質の根源「クォーク」に潜むカオス

https://academist-cf.com/journal/?p=3654 クォークの発見から数十年。しかし、その運動の力学は未だ理解されていません。それは、運動の背後に潜む複雑性、カオスが原因になっているためだといいます。記事では、クォークの運動のカオスを測る指標の定式化に向けた最新の研究成果についてご紹介していただきました。

10. “ゴキブリ”にタネまきしてもらう植物「ギンリョウソウ」

https://academist-cf.com/journal/?p=5542 ギンリョウソウというツツジ科植物が果肉を提供する見返りに「ゴキブリにタネを運んでもらい、まいてもらう」という、にわかには信じがたい共生関係が発見されました。人間には嫌がられているゴキブリも、ギンリョウソウにとってはかけがえのないパートナーなんですね……。 * * * 次回は、2017年のインタビュー記事ランキングをご紹介いたします。お楽しみに!]]>
6724 0 0 0 植物の種子は隣が何者か知っている – 種子による周辺環境の把握は想像以上に巧妙だった]]> マクロな「流れ」とミクロな「量子」の関係 – 曲がった空間の幾何学を用いて「流れ」を理解する]]> 深海に住む悪魔のサメ「ミツクリザメ」- その驚きの捕食方法「パチンコ式摂餌」とは?]]> ゆりかごから墓場まで – 生物考古学が明らかにする江戸時代のあるおばあさんの一生]]> なぜ昆虫は飛べるのか? – 蚊の特殊な飛行メカニズムが明らかに]]> 世界で最も小さいものが見える顕微鏡 – 「水のチェーン」の構造が明らかに]]> 私たちの世界の複雑性はどのように説明されるのか? – 物質の根源「クォーク」に潜むカオス]]> ヘビの胴体が長いメカニズムがわかった! – 脊椎動物の後ろ足の位置の多様性を生み出す仕組み]]> “ゴキブリ”にタネまきしてもらう植物「ギンリョウソウ」]]> 釣り人の写真は貴重な資料! – Web上の写真をもとに川魚ウグイの繁殖生態を明らかにする]]> ゆりかごから墓場まで – 生物考古学が明らかにする江戸時代のあるおばあさんの一生]]> 植物の種子は隣が何者か知っている – 種子による周辺環境の把握は想像以上に巧妙だった]]> マクロな「流れ」とミクロな「量子」の関係 – 曲がった空間の幾何学を用いて「流れ」を理解する]]> 世界で最も小さいものが見える顕微鏡 – 「水のチェーン」の構造が明らかに]]> なぜ昆虫は飛べるのか? – 蚊の特殊な飛行メカニズムが明らかに]]> 深海に住む悪魔のサメ「ミツクリザメ」- その驚きの捕食方法「パチンコ式摂餌」とは?]]> ヘビの胴体が長いメカニズムがわかった! – 脊椎動物の後ろ足の位置の多様性を生み出す仕組み]]> 釣り人の写真は貴重な資料! – Web上の写真をもとに川魚ウグイの繁殖生態を明らかにする]]> 私たちの世界の複雑性はどのように説明されるのか? – 物質の根源「クォーク」に潜むカオス]]> “ゴキブリ”にタネまきしてもらう植物「ギンリョウソウ」]]>
【2017年】インタビュー閲覧数ランキングTop 10 https://academist-cf.com/journal/?p=6732 Fri, 29 Dec 2017 01:00:41 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6732 インタビュー記事のなかから、特に閲覧数の多かった記事上位10本をご紹介いたします。

1. 阪大・橋本幸士教授、超弦理論を語る。 – 世界を記述する数式はなぜ美しいのか

https://academist-cf.com/journal/?p=6005 理論物理学者として数々の実績を残す傍ら、著書「超ひも理論をパパに習ってみた」や「超弦理論知覚化プロジェクト」、「TED×OsakaUでの講演」など、さまざまなアウトリーチ活動も手がけている大阪大学・橋本幸士教授。大学時代まで「物理学者という仕事があることを知らなかった」という橋本教授は、なぜ物理学を志し、超弦理論の分野を選んだのでしょうか。超弦理論の基本的なアイデアやその歴史を振りかえりながら、橋本教授の研究者像に迫ります。

2. 日本で見つかった首長竜「フタバスズキリュウ」の研究秘話 – 東京学芸大・佐藤たまき准教授に聞く

https://academist-cf.com/journal/?p=3434 フタバスズキリュウは、今から50年近く前の1968年に、当時高校生だった鈴木直氏により福島県でその化石が発見された”国産”の首長竜です。長いあいだ科学的な検証が十分に行われず、正式な論文として発表されていませんでしたが、2006年に現・東京学芸大学の佐藤たまき准教授により論文化され、フタバスズキリュウが新属新種の首長竜として正式に記載されました。

3. ウミガメって、どんな一生を送っているの? – 東京大学大学院・木下千尋さんに聞く

https://academist-cf.com/journal/?p=3399 「ウミガメ」と聞くと、テレビなどで観たその産卵風景などを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。私たちにとって身近な動物のように思えますが、ウミガメがどこで生まれ、どのように成長しているのかということは、実はあまり知られていません。ウミガメの青春時代の生態について研究に携わる東京大学大学院・木下千尋さんにお話を伺いました。

4. 科学史の研究って、どんなことをしているの? – 国立科学博物館・有賀暢迪研究員に聞く

https://academist-cf.com/journal/?p=4329 科学史という研究分野をご存知でしょうか。言葉をそのまま解釈すると、科学と歴史を組み合わせた学問というように捉えることができます。しかしながら、科学という言葉には多様な意味が含まれており、また歴史を調べるにしてもいつからいつまでの出来事をどのように分析するのか等、考える余地が多すぎるように思えます。実際のところ、科学史研究はどのように進められているのでしょうか。国立科学博物館・有賀暢迪研究員に、科学史研究の基本的な考えかたや、実際の研究テーマに関してお話を伺いました。

5. 理研・初田哲男博士、原子核物理学について語る。「その瞬間は、手が震えました」

https://academist-cf.com/journal/?p=5631 原子核物理学の分野でノーベル物理学者・湯川秀樹博士以来の問題を解き明かした理化学研究所 数理創造プログラム プログラムディレクターの初田哲男博士は「物理はひとつだということを、ひしひしと感じました。」と語ります。湯川博士の「中間子論」で幕を開けた原子核物理学。そこから70年の歳月を経て、ようやく一周したのではないかと初田博士は主張しています。これまでの原子核物理学の歩みと今後の方向性について、詳しくお話を伺いました。

6. 「出口は目指すが、やるのは基礎研究」 – 有機ELの先駆者、九大・安達千波矢教授

https://academist-cf.com/journal/?p=3622 スマートフォンやVRゴーグル、テレビの素材として注目されはじめている「有機EL」。実は、初めて注目されたのは1950年代のことでしたが、1980年代後半の段階でも世界で5人程度の研究者しかいなかったそうです。30年前の状況から有機ELに注目し、研究開発に大きく貢献してきた九州大学・安達千波矢教授にお話を伺いました。

7. 「ロボットではなく、ロボットが成し遂げたことを見せろ!」- 東大・浦環名誉教授の研究哲学に迫る

https://academist-cf.com/journal/?p=5062 日本の海中ロボット研究の第一人者である東京大学の浦環名誉教授は、30年にわたって自律型海中ロボットの研究開発を行い、約20台の先鋭的なロボットを世に送り出してきました。浦名誉教授はこれまでの経験を生かして、五島列島沖に沈む潜水艦を特定し、その現在の姿を明らかにする「伊58呂50特定プロジェクト」を主導しています。「Show your results!」をモットーに、これまでロボットを使ってさまざまな成果を残されてきた浦名誉教授の研究哲学を探るべく、お話を伺いました。

8. ノンコーディングRNAの研究から3Dプリンタの世界へ – 慶大先端生命科学研究所 ガリポン・ジョゼフィーヌ特任助教

https://academist-cf.com/journal/?p=4837 慶應義塾大学先端生命科学研究所 ガリポン・ジョゼフィーヌ特任助教は、2次元の切片データから、ディープラーニングを用いて3Dデータを作成することで、顕微鏡のなかのミクロな世界を3Dプリンタで出力することに挑戦しています。しかし、もともとはRNAに関する「ウェット」な研究を行っていたというガリポン特任助教。RNAの実験とディープラーニングを活用した3Dプリンタの研究は、一見つながりがないようにも思えますが、ガリポン特任助教はいつ、そしてなぜ、3Dプリンタに興味を持ったのでしょうか。そして、3Dプリンタで実現したい世界とは、一体どのようなものなのでしょう。

9. 「生きているからこそ感じられる魅力を伝えたい」- 日本で唯一の深海生物に特化した「沼津港深海水族館」

https://academist-cf.com/journal/?p=4019 巨大な眼や半透明な身体、するどい牙に、暗闇にキラリと光る発光器ーー。深海にすむ生物は、私たちの想像をはるかに超える興味深い形態と生態を持っています。沼津港深海水族館の石垣幸二館長は、「深海生物を生きたまま観察することでその生態に迫り、その姿をみることで深海生物に愛着を持ってほしい」との思いから、日本で唯一の深海生物に特化した水族館を運営しています。

10. 理論物理学者でギャンブラー? – 慶應大・村田助教がポーカー必勝法を語る

https://academist-cf.com/journal/?p=4363 ブラックホール物理学の研究に勤しむ傍ら、毎年夏になるとギャンブラーとしてポーカーの世界大会に参加している慶應義塾大学・村田佳樹助教。理論物理学者がポーカーに熱中していると聞くと、一見、強そうなイメージを持つかもしれません。実際のところ、理論物理学とポーカーに接点はあるのでしょうか。村田助教とのポーカー対決を通じて、その実態に迫りました。 * * * academist Journalでは、来年もさまざまな研究者への取材に取り組んでいきます。「ぜひこの研究者に取材してほしい!」という要望がありましたら、お気軽にご連絡ください。]]>
6732 0 0 0 ウミガメって、どんな一生を送っているの? – 東京大学大学院・木下千尋さんに聞く]]> 日本で見つかった首長竜「フタバスズキリュウ」の研究秘話 – 東京学芸大・佐藤たまき准教授に聞く]]> 科学史の研究って、どんなことをしているの? – 国立科学博物館・有賀暢迪研究員に聞く]]> 阪大・橋本幸士教授、超弦理論を語る。 – 世界を記述する数式はなぜ美しいのか]]> 理研・初田哲男博士、原子核物理学について語る。「その瞬間は、手が震えました」]]> 「出口は目指すが、やるのは基礎研究」 – 有機ELの先駆者、九大・安達千波矢教授]]> 「ロボットではなく、ロボットが成し遂げたことを見せろ!」- 東大・浦環名誉教授の研究哲学に迫る]]> ノンコーディングRNAの研究から3Dプリンタの世界へ – 慶大先端生命科学研究所 ガリポン・ジョゼフィーヌ特任助教]]> 「生きているからこそ感じられる魅力を伝えたい」- 日本で唯一の深海生物に特化した「沼津港深海水族館」]]> 理論物理学者でギャンブラー? – 慶應大・村田助教がポーカー必勝法を語る]]> 阪大・橋本幸士教授、超弦理論を語る。 – 世界を記述する数式はなぜ美しいのか]]> 日本で見つかった首長竜「フタバスズキリュウ」の研究秘話 – 東京学芸大・佐藤たまき准教授に聞く]]> ウミガメって、どんな一生を送っているの? – 東京大学大学院・木下千尋さんに聞く]]> 科学史の研究って、どんなことをしているの? – 国立科学博物館・有賀暢迪研究員に聞く]]> 理研・初田哲男博士、原子核物理学について語る。「その瞬間は、手が震えました」]]> 「出口は目指すが、やるのは基礎研究」 – 有機ELの先駆者、九大・安達千波矢教授]]> 「ロボットではなく、ロボットが成し遂げたことを見せろ!」- 東大・浦環名誉教授の研究哲学に迫る]]> ノンコーディングRNAの研究から3Dプリンタの世界へ – 慶大先端生命科学研究所 ガリポン・ジョゼフィーヌ特任助教]]> 「生きているからこそ感じられる魅力を伝えたい」- 日本で唯一の深海生物に特化した「沼津港深海水族館」]]> 理論物理学者でギャンブラー? – 慶應大・村田助教がポーカー必勝法を語る]]>
宇宙空間に広がる素粒子の運動を探る - ブラソフ方程式の高精度シミュレーション https://academist-cf.com/journal/?p=6735 Thu, 04 Jan 2018 01:00:59 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6735 ダークマターやニュートリノの運動 我々の宇宙に存在する銀河や銀河団は、ダークマターを主成分とする物質が宇宙初期のほぼ一様な物質分布から重力相互作用によって形成された天体(自己重力系)であることがほぼ確実となっています。ダークマターは宇宙の質量の大半を占める物質で、光(電磁波)では観測できず、その正体は未だに明らかになっていません。しかし、さまざまな証拠から、何らかの素粒子でできていると考えられています。 ダークマター以外にも、我々の宇宙にはニュートリノという素粒子が多数存在することがわかっています。ニュートリノは、ニュートリノ振動の発見によってわずかながら質量を持つことが明らかとなっているため、銀河の空間分布に見られる宇宙大規模構造の形成に、力学的な影響を与えていると考えられています。 これらダークマターやニュートリノの運動は、粒子の種類や粒子間に働く相互作用の違いに依らず、ブラソフ方程式(無衝突ボルツマン方程式)という共通の方程式を用いて表すことができます。私たちは宇宙空間での粒子の運動を、ブラソフ方程式を使って数値シミュレーションする際の高精度な計算手法を開発しました。

位相空間で物質の運動を眺める

ブラソフ方程式は非常に多数の粒子からなる物質の運動を記述するための方程式です。ある時刻での粒子の運動を特徴づける物理量としては、粒子の位置とともにその速度(運動量)があります。この位置と速度からなる仮想的な空間を位相空間と呼びます。 ある時刻のひとつの粒子の運動は位相空間上の1点で表され、その点は時間の経過とともに位相空間中を連続的に移動します。非常に多数の粒子の運動を扱うには、個々の粒子に対応する位相空間中の多数の“点”の移動を考えるよりも、“点”の数密度を位置と速度の関数として捉え、その時間変化を考えた方が便利です。この“点”の数密度のことを分布関数と呼びます。 [caption id="attachment_6736" align="aligncenter" width="600"] 個々の粒子の運動は位相空間ではひとつの点に対応する。非常に多数の粒子の運動を記述する場合は点の位相空間での数密度場(分布関数)で表す。[/caption] 簡単な例として、粒子が1次元的に等速度運動する場合を考えます。位相空間は位置座標と速度座標の2次元空間になり、ある時刻に多数の粒子が原点付近にさまざまな速度を持って存在すると、分布関数は下図上段のようになります。時間が経過すると正の速度を持つ粒子は右に移動し、負の速度を持つ粒子は左に移動します。 [caption id="attachment_6737" align="aligncenter" width="600"] 物質が1次元空間を等速度運動するときの、位相空間での分布関数(上段)と密度分布(下段)の時間発展[/caption] 上図は粒子が他の粒子や外部から力を受けない場合について述べたものですが、たとえば粒子同士が重力相互作用によって力を及ぼす場合は、重力によって粒子の速度が変化(上下方向に分布関数が移動)し、下図のようなS字型の分布関数に時間発展します。 [caption id="attachment_6738" align="aligncenter" width="600"] 物質が1次元空間を重力相互作用しながら運動するときの、位相空間での分布関数(上段)と密度分布(下段)の時間発展[/caption] このように時間の経過とともに、位相空間での粒子の分布関数の形が変化します。ブラソフ方程式は、この分布関数が時間とともにどのように変化するかを表す方程式なのです。

6次元の呪い

これまで述べたように、重力相互作用によって天体を形成するダークマターやニュートリノの運動は、ブラソフ方程式で表すことができます。しかしながら、銀河、銀河団、宇宙大規模構造の数値シミュレーションでは、これまでブラソフ方程式が用いられることはほとんどありませんでした。その理由は、3次元空間での数値シミュレーションを実行するには、位置空間の3次元と速度空間の3次元を合わせた6次元という非常に高い次元を持つ位相空間での計算する必要があり、そのためには膨大なメモリが必要なためです。 ブラソフ方程式の数値シミュレーション(以下、ブラソフシミュレーション)では、位相空間を小さな領域(メッシュ)に分割し、ブラソフ方程式を離散化して計算します。同じような計算手法は流体力学シミュレーションでも利用しますが、流体力学方程式の数値シミュレーションは3次元空間を離散化するのに対し、ブラソフ方程式は6次元の位相空間を扱うため必要なメモリが劇的に増加するのです。

粒子シミュレーションからブラソフシミュレーションへ

これまでの研究では、ダークマターやニュートリノの分布を超粒子で表現し、粒子間に働く重力を基に超粒子の運動方程式を解く「粒子シミュレーション」が広く用いられました。 粒子シミュレーションは、位相空間での分布関数を有限個の点でサンプリングして、その点の位相空間での移動を計算するものです。このサンプリング点の個数は本来のダークマターやニュートリノの数と比較すると何十桁も少ないので、粒子シミュレーションでの分布関数は本来の連続的な分布ではなく、超粒子の離散性によるショットノイズが混ざってしまいます。 このノイズは分布関数が大きな領域ではさほど問題にはなりませんが、分布関数が小さい(粒子数密度が低い)領域では状況によって深刻となります。たとえば、宇宙空間を高速で運動するニュートリノは、ダークマターの重力による天体形成を遅らせる無衝突減衰という働きをします。無衝突減衰では、分布関数の値が小さなテイル部分の物質の運動が重要な役割を果たすのです。そのため、この例を粒子シミュレーションで行うと計算結果がノイズに埋もれてしまい、正確なシミュレーションが困難になるのです。 [caption id="attachment_6739" align="aligncenter" width="600"] 粒子シミュレーションでの分布関数と本来の分布関数との比較。粒子シミュレーションでのノイズが分布関数のテイル部分では大きな影響を及ぼすことになる。[/caption] この問題を解決するには、やはりブラソフ方程式を直接数値シミュレーションするのが本質的な解決となります。計算機におけるメモリの大容量化と複数の計算機を束ねて利用する並列計算の技術進歩のおかげで、私たちは世界に先駆けて6次元位相空間での自己重力系のブラソフシミュレーションを実現しました。

高精度数値解法で数値拡散を減らす

ブラソフシミュレーションの最大の困難は、6次元位相空間をメッシュに分割するのに必要なメモリが膨大であることです。もちろん、メッシュの数が多ければ多いほど数値シミュレーションの精度は高くなりますが、ブラソフシミュレーションではただでさえ膨大なメモリが必要なため、これ以上メッシュの数を大幅に増やすのは現実的ではありません。 そこで私たちが取り組んだのが、ブラソフ方程式の数値解法を高精度化するというものでした。一般に、ブラソフ方程式の数値シミュレーションで得られる数値解には、数値拡散という分布関数の輪郭が時間の経過とともにぼやけてしまう性質があります。この性質自体は位相空間を有限個のメッシュに分割して数値シミュレーションする以上避けられないものですが、数値解法を高精度化することによって数値拡散を大幅に減らし、結果として実効的にメッシュ数を増やすのと同じ効果を得ることができます。 ブラソフ方程式には、分布関数の時間や位相空間座標についての微分が含まれています。数値シミュレーションでは、これをメッシュで離散化した分布関数の差分で近似します。この近似の精度を向上させることで、数値拡散を減らすことができます。ただし、一般にこのような高精度化を安易に行うと、分布関数の数値解に非物理的な振動が発生したり、本来は正の値をもつはずが負の値になったりする場合が多々あります。 私たちは、このような非物理的な振る舞いを起こさないことを数学的に保証した、高精度なブラソフ方程式の数値解法を開発しました。数値解法の精度の表し方には次数という指標を使います。同じ大きさの計算領域を分割するメッシュ数を2倍にしたときに数値解の誤差が倍になる精数値解法の精度をN次精度と呼びます。当然、次数の大きな数値解法が優れているわけです。 従来のブラソフシミュレーションでは最高で3次精度の数値解法が用いられていましたが、私たちは5次精度と7次精度の数値解法を開発しました。この5次精度および7次精度の数値解法で得られる結果を自己重力系のブラソフシミュレーションに適用した結果、3次精度の数値解法を用いたものと比較して、はるかに高精度な数値シミュレーションとなっていることを確認しました。 [caption id="attachment_6740" align="aligncenter" width="600"] 球対称なダークマター分布の重力収縮のブラソフシミュレーションにおける分布関数の時間発展。最上段が3次精度、2段目が7次精度の数値解法による結果である。別の手法で求めた参照解と比較して7次精度の数値解法による結果が精度の良い数値シミュレーションとなっていることがわかる。[/caption] 誤差の大きさを比較してみると、7次精度の数値解法を用いた数値シミュレーション結果は、3次精度の数値解法を用いてメッシュ数を8倍にしたものと同等かそれ以上の精度で計算できることがわかりました。

ブラソフシミュレーションが拓く宇宙物理学

私たちが開発した高精度なブラソフ方程式の数値解法の応用として、私たちが考えているのは大きく分けて2つあります。ひとつは、宇宙大規模構造形成におけるニュートリノの力学的影響です。素粒子実験でニュートリノは0でない質量を持つことがわかっていますが、質量の絶対値はいまだにわかっていません。宇宙空間に大量に存在するニュートリノが質量を持つ場合、宇宙大規模構造の形成時に無衝突減衰と呼ばれる、ニュートリノの質量に依存した物理過程が働きます。従って、無衝突減衰の痕跡を宇宙大規模構造の観測でとらえることができれば、ニュートリノ質量の測定につながります。このニュートリノの無衝突減衰の数値シミュレーションは、粒子シミュレーションよりもブラソフシミュレーションの方が適しており、宇宙大規模構造でのニュートリノのダイナミクスをブラソフシミュレーションで調べる研究を現在行っています。 ここでは詳しくは述べませんが、もうひとつの応用としては、宇宙プラズマのダイナミクスがあります。宇宙プラズマの数値シミュレーションについても自己重力系と同様に粒子シミュレーションが使われてきましたが、ブラソフシミュレーションのほうが精度よく計算できる状況がいくつかあります。宇宙プラズマの場合はイオンと電子の分布関数が電磁気力による時間発展をブラソフ方程式で計算します。 ブラソフシミュレーションはこれまでの粒子シミュレーションで扱われてきた自己重力系や宇宙プラズマの研究における新しい研究手段として期待されており、それぞれの分野の研究の進展に大きく貢献すると考えています。 参考文献 Kohji Yoshikawa, Naoki Yoshida, Masayuki Umemura, "Direct Integration of the Collisionless Boltzmann Equation in Six-dimensional Phase Space: Self-gravitating Systems",  2013, The Astrophysical Journal, 762, 116
Satoshi Tanaka, Kohji Yoshikawa, Takashi Minoshima, Naoki Yoshida, "Multidimensional Vlasov-Poisson Simulations with High-order Monotonicity- and Positivity-preserving Schemes", 2017, The Astrophysical Journal, 849, 76
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副作用の個人差を動物で再現 - HLA導入マウスの開発 https://academist-cf.com/journal/?p=6744 Tue, 26 Dec 2017 01:00:08 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6744 医薬品による副作用の個人差とHLAとの関連 医薬品の副作用のなかでも特異体質性の副作用は特に予測が難しく、投与量を上げたり、投与期間を延ばしたりしたとしても動物で再現することは困難です。そのため、危険性を見いだせないまま臨床試験に進み、また、頻度も稀であるため、限られた人数での試験では目立った副作用として捉えられないことも十分考えられます。最終的には、市販後に大規模に使われて初めてその副作用が明るみになることが多いのが現状です。 近年、特異体質性副作用のなかでも特にHLAの関わるものがいくつかあることがわかってきました。実験動物は当然HLAを持たないため、薬の投与量を上げても意味のある毒性として観察されないことがあります。また、HLAは臓器移植の際の適合性チェックにも使われることからわかるように、個人差が非常に大きく、副作用と関連するHLA型を持った人が臨床試験に十分に含まれている可能性は高くありません。現在の臨床試験では、HLAの型を網羅するような被験者の集め方をしていないので当然です。

自己と非自己を区別するために重要なHLA

HLAは基本的に全身の細胞に発現しています。通常は自分自身のタンパク質を分解したペプチド断片をT細胞に提示しています。この断片をT細胞が自己ペプチドと判断すれば殺されることはありません。一方、非自己ペプチドを提示し、これがT細胞に捉えられるとその細胞は殺されてしまいます。たとえば、ウィルス感染した細胞の中では、ウィルス由来のタンパク質が産生されますが、これを分解する過程で生じたペプチド断片は非自己の産物です。ウィルス感染細胞はSOS信号のように非自己ペプチドをT細胞に提示し、T細胞がこれを目印に当該感染細胞を殺すことで他に感染拡大することを防いでいるとも言えます。

特定のHLAを持つ人で薬物による副作用が起こる仕組み

HLAにはペプチド断片が提示されることが一般的ですが、稀に薬物そのもの、あるいは薬物と結合したペプチドが提示されることもあることが最近わかってきました。このとき、T細胞は非自己ペプチドを提示しているように捉え、それを提示している細胞をウィルス感染細胞と同じように殺します。よって、薬そのもの、あるいは薬と結合したペプチドを提示しやすいHLAを生まれつき持っている人は、その薬を飲んだときに自己の細胞が傷害を受けることから、副作用を発症するリスクが高くなります。 では、事前にHLA検査をして、特定のHLA型を持つ人にその薬を飲まなければよいのでは? と誰でも思うことでしょう。しかし、実際にはそう話はうまくはいきません。医薬品として売り出されてすぐの段階では、その薬の副作用と関連するHLA型が何かそもそもわかっていないからです。多くの場合、医薬品の市販後に多くの患者に使用し、その結果副作用の現れた人、現れなかった人の遺伝子情報を広く解析して初めて明らかとなるのです。逆に言うと、現在の医薬品の開発プロセスでは、HLAと関連した副作用発現の可能性は全く分からないまま認可され、そのリスクは市販後に多くの患者に使用されて初めて検証されていると言っても過言ではありません。

HLAを導入したマウスを作製して人で起こる薬物副作用を再現する

私たちは、HLAの関連する副作用を臨床試験開始前に把握するためにもっとも足りていないのは、「HLA+薬物→副作用発症」のあいだにあるメカニズムの理解だと考えています。メカニズムの理解には、適切な動物モデルが必要と考え、今回HLA型の中でB*57:01遺伝子を導入したマウスを作製しました。HLA-B*57:01はHIVの治療薬であるアバカビルを服用したときの過敏症や、抗生物質であるフルクロキサシリンを服用したときの肝障害と関連することが過去に示されています。HLAを導入した動物モデルはこれまでにいくつか報告されていますが、関節リウマチや1型糖尿病などの自己免疫疾患のモデルであり、薬物副作用の個人差を再現したものはありませんでした。 今回作製したHLA導入マウスでは、アバカビルを皮膚に塗布することでCD8陽性のT細胞が特異的に増殖して活性化することが確認されました。この特徴は、HLA-B*57:01陽性のアバカビル過敏症患者で見られる現象と一致しており、HLAの関わる薬物副作用をマウスで再現した例として初めての報告になります。 詳細は省きますが、HLA-B*57:01をマウス体内で機能させるためにHLAの一部をマウスのものに置換する(キメラHLAと我々は呼んでいます)、ヒトの遺伝子であるHLAをマウス細胞内で安定に発現させるために同時に補助遺伝子を導入するなど、我々が作出したマウスにはいくつかの細工が施されています。キメラHLAがアバカビルを特異的に提示していること、さらにはアバカビルに反応してCD8陽性のT細胞が特異的に活性化されていることなどから、ここで施した細工は有効に働いたと考えられます。

HLAを導入したモデルマウスの有用性

医薬品による副作用の発現と関連が知られているHLAを持っていても必ずしも副作用を発症するわけではありません。たとえば、HLA-B*57:01を持っていても、アバカビルによる過敏症は2人に1人しか起こりません。フルクロキサシリンに関しては、HLA-B*57:01を持っていても1000人に1人しか肝障害を発症しません。つまり、特定のHLA型を持っていることはたくさんあるリスク要因のひとつに過ぎず、副作用が発症するためには、未だ明らかとされていない他のリスク要因も必要であると考えられます。 今回作製したモデルマウスは未知のリスク要因の探索にも有用であると期待されます。今回の手法は他のHLA型と薬物の組み合わせにも適用できるので、これらのHLA型を持ったマウスを同様に作製すれば、副作用が動物で本当に再現できるのか、他にどんな要因が必要なのか、など詳細に調べることが可能になるはずです。

今後の展望

HLAの関わる副作用を臨床試験前に予測できるようにすることが最終目標です。すべてのHLA型に対応した動物を作製するということではありません。HLA型の多さを考えると無謀ですし、仮にこれらの動物が揃えられたとして、膨大な医薬品候補化合物に対して評価すること非現実的です。動物を用いた評価を代替できる、より簡便な系が必要と私たちは考えています。そして、今回作製したモデル動物を丁寧に調べることで、そのような系を作るためのヒントが得られるのではないかと期待しています。つまり、HLAの関わる副作用が起こるときに体内で何が起こっているかを詳細に理解し、その本質を細胞レベル、さらには分子レベルにまで落とし込むことができれば、膨大なHLAの組み合わせと医薬品候補化合物の組み合わせの先にある副作用発症リスクを試験管レベルで評価できる試験系、あるいはコンピュータの力を借りて予測できる系が構築できると考えています。 参考文献 Susukida, T. et al. Evaluation of immune-mediated idiosyncratic drug toxicity using chimeric HLA transgenic mice, Arch Toxicol, 2017 (in press) Illing, P.T. et al. Immune self-reactivity triggered by drug-modified HLA-peptide repertoire, Nature, 486, 554-558, 2012 Usui, T. and Naisbitt, D. J. Human leukocyte antigen and idiosyncratic adverse drug reactions, Drug Metab Pharmacokinet, 32, 21-30, 2017]]>
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【新春企画】編集部の"イチオシ"研究&研究者発表! https://academist-cf.com/journal/?p=6752 Tue, 02 Jan 2018 01:14:56 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6752 研究コラム

【周藤イチオシ】クォークの織りなす新奇な世界 – 新粒子候補テトラクォークZc(3900)の正体に迫る

https://academist-cf.com/journal/?p=3729 academist Journal編集長・周藤のイチオシ研究紹介記事は、理論物理学分野から選びました。 2013年、日本と中国の2つの高エネルギー加速器実験グループから同時に、ハドロンと呼ばれる粒子のひとつとして、まったく新しい粒子「Zc(3900)」の存在を示唆する実験データが報告されました。Zc(3900)の正体はいったい何なのか? 世界中で理論物理学者たちの競争が始まり、日本からは、HAL QCD Collaborationという研究グループが独自のアプローチで挑みました。 実はこの研究では、「Zc(3900)は新粒子とは呼べない」ということが明らかになります。そう聞くと、読者のみなさんは少しがっかりしてしまうかもしれません。しかし、今回の成果によって、Zc(3900)以外の新奇なハドロン候補の正体も理論的に解明する道筋がついたのです。一見、直接的な成果に繋がらなかったように見える研究でも、着実に科学の進歩へ貢献しているということを、ぜひこの記事を通して感じていただければと思っています。

【柴藤イチオシ】「細胞質流動」の再現に成功! – 人工細胞を作って、細胞の仕組みを解明する

https://academist-cf.com/journal/?p=4063 アカデミスト代表・柴藤のイチオシは、細胞質流動の再現に成功したという研究紹介記事です。 私たちの身体を構成している細胞の内部には、さまざまな細胞小器官が存在していますが、それらは特定の場所に留まっているのではなく、細胞内を流れていることが200年以上前から知られていました。しかし、この細胞質流動がどのような仕組みで発生しているかということは、明らかにされてきませんでした。 素人目線からすると、実際の細胞内部を詳細に観察しようと思えてしまいます。しかし今回、早稲田大・宮崎牧人助教は、細胞の中身をいったん全て取り出し、それらを再びカプセルに封入することで、この謎を解明しました。「人工細胞を作ろう」と考えた点が、本記事をオススメする一番の理由です。ぜひ本編で続きをお楽しみください。

【谷口イチオシ】DNAを使って世界一細い電線をつくる

https://academist-cf.com/journal/?p=6362 academist Journal編集部インターン生・谷口のイチオシは、DNAを使って世界一細い電線をつくるという研究紹介記事です。 上智大学の近藤次郎准教授は、銀原子があいだに入った特別な塩基対を用いることで、DNAの中に銀原子をまっすぐ並べることに成功しました。本来は遺伝情報を持っているDNAを単なる物質として扱うことで、世界一細い銀ワイヤーを作製したことは非常に面白いと思います。 近藤先生によると、細い電線はデバイスを小型化でき、DNAを使っているので生体にも使えるとのことです。実際に電線として使えるかどうかは研究中ですが、DNA-銀ハイブリッドナノワイヤーが使われる未来を想像してみてはいかがでしょうか。

インタビュー

【周藤イチオシ】理研・初田哲男博士、分野横断型組織iTHEMSについて語る。「分野融合のカギは、”環境”に尽きる」

https://academist-cf.com/journal/?p=5749 日本における分野横断型研究の取り組みは、海外と比較して遅れをとっているといわれています。この状況を変えていくためには、どのような取り組みが必要なのでしょうか? さまざまな分野の研究者を取材していくなかで、異分野融合研究の研究アイディアは「ふだんの何気ない会話から生まれてくる」ケースが多いように感じています。数理科学を軸とした分野横断型研究の取り組みを進める理化学研究所の数理創造プログラム(iTHEMS)は、まさにそんな会話が生まれる環境が整った組織です。

【荒井イチオシ1】かたひじはらない法哲学者、スナック研究に挑む – 首都大学東京・谷口功一教授

https://academist-cf.com/journal/?p=6314 新しいと思ったものが、実はあまりにも身近過ぎて気づかなかっただけ、ということは少なくない。谷口教授が主導するスナック研究もそうだ。少し街を歩けば容易にスナックが見つかるように、日本という国にスナックは深く根付いている。根付いているがゆえに、日常生活の中では意識されず、空気と化している。そんな中、谷口教授は研究会を立ち上げ、当たり前過ぎて見過ごされていたスナックを学術的な検討の俎上に載せた。では、なぜ法哲学者の谷口教授がスナックを研究するに至ったのだろうか。

【荒井イチオシ2】科学史の研究って、どんなことをしているの? – 国立科学博物館・有賀暢迪研究員に聞く

https://academist-cf.com/journal/?p=4329 ロックを毎日のように聴いていても、その起源について知っている人は少ない。科学者にとっての「科学」もこれと似ていないだろうか? 科学史を専門とする国立科学博物館の有賀研究員のこの記事はそうした問いを投げかけます。18世紀のヨーロッパと戦後の日本とでは同じ「科学」といっても印象がだいぶ違うようです。今は当たり前のことが昔は別のあり方をしていた、裏を返せば今では想像もつかないような科学が100年後、200年後にはあるかもしれない、そんなふうに想像力をドライブさせてくれるのが科学史、ひいては歴史学の面白さだと気づかされました。ぜひ、記事を通して科学史の魅力の一端に触れてみてください。

【谷口イチオシ】地球の限りある資源をどう使っていくべきか? 触媒化学から見る未来 – 早稲田大学・関根泰教授

https://academist-cf.com/journal/?p=6322 メタンをどうにかする——早稲田大学・関根教授はそのために新しい触媒開発に取り組んでいます。天然ガスの主成分であるメタンは、大量にあるにも関わらず、反応しにくいという難点があります。新しい触媒開発を通して、関根先生はメタンを別の物質に転換して有効利用しようとしています。地球の持続性までも考えて話す姿は印象的でした。ぜひ、ご一読ください。

【柴藤イチオシ】星の死後にできた中性子星の謎とは? – 雷雲プロジェクトの立役者、京大・榎戸輝揚特定准教授に聞く

https://academist-cf.com/journal/?p=6527 京大・榎戸輝揚特定准教授に、先日Nature誌に掲載された「雷雲プロジェクト」の詳細とご自身の専門とする中性子星に関してお話を伺いました。研究プロジェクトのリーダーを務めるには、研究遂行能力だけではなく、長期的なビジョンを掲げてチームをまとめていくリーダーシップが必要であることを感じるインタビューでした。世界的に活躍する若手研究者・榎戸准教授の取り組みに、ぜひご注目ください。 * * * academist Journalでは、2018年も魅力的な研究コラムやインタビュー記事を掲載してまいります。どうぞよろしくお願いいたします!]]>
6752 0 0 0 「細胞質流動」の再現に成功! – 人工細胞を作って、細胞の仕組みを解明する]]> クォークの織りなす新奇な世界 – 新粒子候補テトラクォークZc(3900)の正体に迫る]]> DNAを使って世界一細い電線をつくる ]]> クォークの織りなす新奇な世界 – 新粒子候補テトラクォークZc(3900)の正体に迫る]]> 「細胞質流動」の再現に成功! – 人工細胞を作って、細胞の仕組みを解明する]]> DNAを使って世界一細い電線をつくる ]]> 理研・初田哲男博士、分野横断型組織iTHEMSについて語る。「分野融合のカギは、”環境”に尽きる」]]> 理研・初田哲男博士、分野横断型組織iTHEMSについて語る。「分野融合のカギは、”環境”に尽きる」]]> 「細胞質流動」の再現に成功! – 人工細胞を作って、細胞の仕組みを解明する]]> DNAを使って世界一細い電線をつくる ]]> クォークの織りなす新奇な世界 – 新粒子候補テトラクォークZc(3900)の正体に迫る]]> 理研・初田哲男博士、分野横断型組織iTHEMSについて語る。「分野融合のカギは、”環境”に尽きる」]]> かたひじはらない法哲学者、スナック研究に挑む – 首都大学東京・谷口功一教授]]> 科学史の研究って、どんなことをしているの? – 国立科学博物館・有賀暢迪研究員に聞く]]> 地球の限りある資源をどう使っていくべきか? 触媒化学から見る未来 – 早稲田大学・関根泰教授]]> かたひじはらない法哲学者、スナック研究に挑む – 首都大学東京・谷口功一教授]]> 科学史の研究って、どんなことをしているの? – 国立科学博物館・有賀暢迪研究員に聞く]]> 地球の限りある資源をどう使っていくべきか? 触媒化学から見る未来 – 早稲田大学・関根泰教授]]> 星の死後にできた中性子星の謎とは? – 雷雲プロジェクトの立役者、京大・榎戸輝揚特定准教授に聞く]]> 星の死後にできた中性子星の謎とは? – 雷雲プロジェクトの立役者、京大・榎戸輝揚特定准教授に聞く]]>
なぜ「ファラデーの電磁誘導の法則」は2とおりの方法で導かれるのか? https://academist-cf.com/journal/?p=6758 Fri, 05 Jan 2018 01:00:46 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6758 高校物理の教科書には、速度vで動く導線とコの字型の回路に磁場Bが印加されている場合の誘導起電力の計算が記載されており、このとき誘導起電力は、FluxRuleを使った方法とローレンツ力を使った方法の2とおりで導出されています。後者は荷電粒子の存在が必須ですが前者では必要なく、2つの機構における起電力生成は全く別物です。それにも関わらず、両者とも起電力生成は同じFlux Ruleで表されるのです。物理的に全く異なる機構から得られる起電力生成が、Flux Ruleとしてひとつの法則にまとめることができるということは、非常に不思議なことです。 このことに対して、物理学者のファインマンは、
We know of no other place in physics where such a simple and accurate general principle requires for its real understanding an analysis in terms of two different phenomena. Usually such a beautiful generalization is found to stem from a single deep underlying principle. Nevertheless, in this case there does not appear to be any such profound implication. We have to understand the "rule" as the combined effects of two quite separate phenomena”( "The Feynman Lectures on Physics, Vol. II”, 17-1, Addison-Wesley Publishing Company, Reading, Massachusetts, 1964)。(日本語訳:このような 一致が見られるとき、大抵は、統一的な両者を束ねる原理あるものだが、この場合には、それが見当たらない)
と述べています。さらに興味深いことに、アインシュタインの相対論に関する最初の論文にも、磁石と導体がある場合、どちらを動かしても同じ電流が導体に生じるのに、どちらを動かすかで物理の記述が違うことが言及されています。つまり、静止した導体の近くで磁石を動かしたときには、導体に電場に生じ、その電場から力を受けて電子が動き、電流が生成します。これは、レンツの法則に従って生じた電流と考えられます。ところが、静止した磁石の近くで導体を動かした時には、電場は生じませんが、電子に働く起電力がローレンツ力により生じ、電流が発生することになります。 最近私たちは、量子力学とゲージ場としての電磁場を考えることで、これら2つの機構が波動関数のU(1)位相が持つdualityでつながっていることを示しました。つまり、ファインマンが見当たらないと言っていた、“a single deep underlying principle”が見つかったのです。 量子力学では、物理量を表す演算子と物理的状態を表す波動関数の2つで物理を記述します。そして電磁場に対しては、電場や磁場よりも「ゲージポテンシャル」が基本的な物理量として現れます。つまり、電場や磁場はゲージポテンシャルから導かれる2次的なものになります。このときの電場と磁場は、FluxRuleを自動的に満たしますので、ローレンツ力から導かれる誘導起電力をゲージポテンシャルで表すことができれば、奇妙な一致の理由が示せるはずです。 そのとき鍵となるのが、ゲージの自由度とゲージ変換です。ゲージの自由度とは、同じ電場、磁場を与えるゲージポテンシャルはひとつではなく多数あるということです。ここで計算が簡単になるゲージを選べば、物理を損ねることなく運動方程式を計算することができます。量子力学におけるゲージの自由度は、波動関数の変化を伴ったゲージ変換というものになり、荷電粒子の物理的状態を表す波動関数も変換を受けます。 このことはゲージ変換を通じて、電場、磁場、荷電粒子は不可分につながっていることを意味します。古典物理学では電場、磁場は測定しなくても確定値を持って存在することが可能ですが、量子力学では電場、磁場はその観測によって初めて確定値を持つことになります。確定値を持つためには、それらと相互作用する荷電粒子が必要ですので、上記で述べた不可分が現れるのは自然かもしれません。この不可分性により、古典物理学では2つの機構、ひとつは荷電粒子の存在を必要とするもの、もうひとつはしないもので表されるFlux Ruleがつながります。 再び上図の状況を考えてみることにしましょう。x軸方向に伸びた導体棒がy方向に速度vで動いていて、z方向に磁場が印加されています。まず、磁場が存在しない場合を考え、そのときの導体中の電子の波動関数を以下のように表します。

そして磁場が存在するときに、波動関数を

と近似してgを求めることにします。eigはU(1)位相因子と呼ばれます。z 軸方向の磁場は、ゲージポテンシャル𝐀 = (0, Bx, 0), φ = 0 を使って表します。このときローレンツ力は、波動関数の位相に変化をもたらします。それは、

で与えられます。これは、ファインマンの経路積分で磁場からのローレンツ力による位相の変化としてよく知られているものです。q = −eは、電子の電荷です。 導体棒がy軸方向に十分細くy − vt ≈ 0が成り立っているとするとgは−eBvtという運動量を持った並進運動を表す位相となります。これを時間で微分したものがニュートン方程式に現れる力となります。今の場合この力は、−eBvと求まります。これを電荷−eで割って、棒の長さlをかければ起電力Bvlが得られます。つまり、U(1)位相因子eigを全体運動と見たときに、それはローレンツ力で加速する運動となり、誘導起電力が現れます。 次に、U(1)位相因子𝑒𝑖𝑔をゲージポテンシャルと見ることにします。g ≈ − eBxv/ħt から、ħベクトルポテンシャルのx成分、−𝐵𝑣𝑡が得られます。これを利用して電場のx成分がBvと求まります。したがって、棒の長さlをかけて起電力はBvlとなります。 上記のように U(1)位相因子eigが全体運動とゲージポテンシャルの2とおりの見方ができるdualityが存在します。そしてそれが、Flux Ruleで表される2つの古典電磁気学的起電力生成機構をつなげます。そこには、量子力学が持つ電場、磁場と荷電粒子の不可分性が垣間見られます。この不可分性は、現在の最先端の理論物理学で現れる「ストリング理論」に通じるものがあります。高等学校で習う内容の奇妙な点が量子力学やストリング理論につながっているということは、大変興味深いことです。 参考文献 H. Koizumi, J. Supercond. Nov. Magn. 30, 3345 (2017).]]>
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【2017年版】世界の学術系クラウドファンディングサイトTop 5 https://academist-cf.com/journal/?p=6781 Sat, 30 Dec 2017 01:18:28 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6781 昨年に引き続き、世界の学術系クラウドファンディングTOP5をご紹介します。プロジェクト数が多いサービスを順番に取り上げたランキングです。 第1位:Experiment@アメリカ(1799プロジェクト) 毎年ダントツ1位のExperimentですが、2017年のプロジェクト増加数は155件(2016年:850件)、支援総額は約5500万円(2016年:約3億円)と、ペースが落ちています。おそらく何かしらの新規事業を準備しているはず……。ちなみに2015年に女性研究者向けの学術系クラウドファンディングを手がけていた「INSTRUMENTL」は、研究者に対する研究費コンサルティングサービスを展開しています。 第2位:Pozible@オーストラリア(141プロジェクト) 昨年と変わらず、オーストラリアのPozible. 学術系ではないのですが、研究カテゴリが設置されているめずらしいクラウドファンディングサイトです。研究カテゴリに限ると、ここ1ヶ月ほど更新されていません。サービス全体としては、株式投資型クラウドファンディングや個人のクラウドファンディングサイトを作れる仕組みも実装されているなど、運営側として参考になるところが多くあります。 第3位:Sciencestarter@ドイツ(123プロジェクト) 第3位も昨年と同様、ドイツのSciencestarter。着々とプロジェクトが増えており、来年には第2位に浮上する勢いです。研究だけではなく教育関連のプロジェクトも動いています。これまでの支援総額は約8,000万円。ちなみにSciencestarterはStartnextというプラットフォームを利用しています。Startnextはドイツ、オーストリア、スイスのメンバーで運営されていて、全体の支援総額は約70億円と巨大なプラットフォームとして成長を続けています。 第4位:academist@日本(55プロジェクト) 昨年のランキング記事では、「来年はSciencestarterを追い抜く」と豪語していたものの、逆に差が広がり……昨年同様の第4位。今年は大型プロジェクトのサクセスもあったため、支援総額だけを見れば、Sciencestarterと並びました。2018年は100プロジェクトを目指します。現在稼働中のプロジェクトもぜひご注目ください! 第5位:CROWDSCIENCE@イギリス(35プロジェクト) イギリスの「WALACEA」が名前を変えて復帰。1件辺りの単価は大きく、支援総額は1億円強あるみたいです。こちらのような医療系のプロジェクトは引きが強いですね。 ランキングは以上です。オーストラリアにもFund Scienceというサービスがあったのですが、現在は稼働していない模様です。来年以降は、中国、韓国、東南アジア諸国でも研究者のためのクラウドファンディングサービスが動き出すかもしれません。抜けがありましたら、ぜひご連絡ください!]]> 6781 0 0 0 学問論とは何か - 京大・宮野公樹准教授にその理念と実践を聞く https://academist-cf.com/journal/?p=6804 Wed, 10 Jan 2018 01:00:45 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6804

【クラウドファンディング挑戦中】「真理探究」とは何か?全分野の研究者79名で挑む!

「全79分野の研究者をひとつの部屋に集めて、この部屋に学問があるって言いたいんです」。そう話すのは、京都大学学際融合教育研究推進センター・宮野公樹准教授だ。宮野准教授は、異分野交流会学際研究着想コンテスト京大100人論文など、学際融合を目指した数々の取り組みを形にしてきた立役者であり、日々「学問論」について考えを巡らせる学者でもある。今回「学問論」の観点から、宮野准教授の研究内容や学術界の課題、2018年2月に開催するイベント「学問の世界〜the academic world〜」について、詳しくお話を伺った。 ——まずはじめに、宮野先生が学問論に関わるようになったきっかけを教えてください。 35歳くらいまでは、ナノテクノロジーに関する研究をしていました。しかしその後、総長学事補佐(松本前京都大学総長時代)と、文部科学省でのナノテクノロジー政策に関する仕事を通じ、特定の科学技術の研究が大事であることは理解しつつも、科学政策や科学そのものに関心が移り、最終的に「学問とはなんだろう」という問いに行きついたというわけです。 ——宮野先生の考える「学問」とはどのようなものなのでしょうか。 昨今は業績主義が蔓延していて、論文を1本でも多く書くことが重視されがちですが、いうまでもなく、本来はどれだけ書いたかよりも何を書いたかが大事。では、どんな内容が「よい」のか。その「よい」について考えた結果としていきつくのが「学問」です。いろんな議論を省略してでもとにかく学問とは何かと答えろというなら、それはこの世(=自分)がなぜ在るのかという不可思議に対峙したときの姿勢、生き様(よう)だと思うようになりました。 ——宮野先生はこれまで、定期的に研究者が集う異分野交流会をはじめとした数々のイベントを学内で開催されてきいます。これは、研究者が「学問」しやすい環境を作りたいというところが背景にあるのではないかと思います。実際のイベントの内容と、そこで生まれたコミュニケーションの様子について、教えていただけますか。 異分野交流会も定期的に開催していますが、目玉企画のひとつが、学際研究着想コンテストです。これは異分野の研究者チームで学際的な研究テーマを考え、1枚のポンチ絵にアイデアをまとめ、プレゼンテーションを行うというものです。優勝したチームには、使途も期限も問わないという極めて自由な賞金100万円の研究費が与えられます。もうひとつが、研究者に「私の研究はこんな感じです」「こんなコラボがしたい」などということを出してもらい、学内での研究者どうしの良縁を生み出すことを目的とした「京大100人論文」という企画です。 これらのイベントを通じて実際に目の前でコラボレーションが生まれたことは嬉しいですが(たとえば、この前はパズル専門家と日本画家が意気投合していたんですよ)、もっと嬉しいのは、研究者たちが悩みだしたときですね。他分野の研究者から質問を受けたときに、自分の専門って狭いかもしれない、あるいは一方的な見方しかできていなかったのかもしれないというように、研究者たちが内省している瞬間こそ、「学問」の本来の姿と呼べるからです。 ——異分野交流することによって、思考の広がりがあるのかもしれませんね。 その通りです。最近、異分野融合や学際の推進などが叫ばれていますが、本当は各学術分野の根源は先にのべた学問という共通の根っこであるはず(この場合、学問は哲学と置き換えてもいいでしょう)。その後、学術の発展とともに明確に名前付けされて分けられてきたんですよね。まるでそれに抗うように今は学際が大事とかいわれていますが、本来的にひとつだったものを自分たちであえて分けてきたものなのに、いまさらになってその統合が大事だというのは、そもそもおかしいわけです。異分野が集い議論をして、自分たちを高め合うということは、学問の本来の姿なのですから。先に言ったように、各研究者が自分の専門領域や我が身を振り返る。その結果として自身の専門の枠をこえて成長し、研究者個人のなかで異分野の融合というものがなされていく。つまり、異分野融合に必要なのはまずもって異分野間の衝突や対立なんですよ。対話なんて綺麗事じゃだめなんです。これが私が所属する学際センターの思想、真髄といえるでしょう。 ——宮野先生からみて、現在の学術界はどのような問題を抱えていると思われますか。 先日、経済学者の早稲田大・若田部昌澄先生の意見が掲載された記事に、短いながらも強いメッセージがありました。日本の科学技術の低下の理由は、リソースを削って現場を鍛えれば生産性は上がるという、経済論議に通じる考えかたにあるというものです。つまり、運営費交付金を減らしてその分を競争に回せば良いという国の方針が間違いだったと、スパッと言っているんですね。 ——ノーベル賞受賞者をはじめ多くの有識者の方々が、口をそろえて言っていることですね。若田部先生は、どのような対策を提示されているのでしょうか。また、宮野先生の立場からみたコメントもいただきたいです。 若田先生は、3つの対策を提示されています。まずは、研究者と研究時間を増やすこと。次に、トップダウンで物事を決める「選択と集中」の施策をやめること。最後に、現場の裁量を増やすことです。これらの提案には、強く同意します。一方で、研究者と研究時間を増やすとはいえ、どんな研究者でも良いというわけではないですし、ダラダラ遊ぶ時間が増えてもダメなわけでしょ。だから、先人たちは現在のような競争原理をいれたという経緯があるんです。 ——その結果、現在の状況になったと。 ですので、研究者や研究時間を増やすことに加え、現状とは違う別の競争原理を導入することが重要と思いました。これまでは、若田部先生のおっしゃるとおり、経済原理にしたがっての論文数や研究費獲得件数という指標で、勝ち残りのトーナメント方式を採用してきたわけですが、今疑うべきは、リソースを不足もそうですが、やはりこれに変わる新しい物差しを導入することなのかなと思っています。 ——新しい物差しというと? それが、異分野の衝突です。現在研究者は、それぞれの分野で別々に評価されているわけですが、たとえば「真理探究」という共通の目標があれば、研究者どうしが分野を超えて競うこともできると思うんです。共通の学問観があるなら、研究者は既存の分野を越えて、いやむしろ分野というものが存在しないがごとく研鑽しますので。そうなると、「あの人の言うことはよくわからないけど、なぜか説得力がある」ということも、学者としての素養として認められるようになると思います。 ——面白いですね。一方で、ある程度の定量化ができないと、現実的には難しいのではないでしょうか。 共通の学問観のもと、真理探究というものを共通目標とした議論においては、だれの意見が良かったかということは、たとえば、Facebookのいいね!の数のような形で、ある程度の定量化はできるように思います。もちろん、いろいろな問題は発生しますがね。ただ、僕としては定量評価は所詮測れるものしか測ってないという態度は必要と思ってます。このまっとうな考えかたがなかったために、現状のような業績競争に陥ってしまったのですから。 ——2018年2月22日に、全分野の研究者が集うイベント「学問の世界〜the academic world〜」を開催されるとのことですが、詳細を教えていただけますか。 歴史学、地学、考古学というように、科研費の科目の中項目が79個あります。学問論を考える人間として、79分野から1人ずつ研究者を集めて、「この部屋に学問がある」と言いたい(笑)。そういう全分野参加型のイベントを企画しています。もし79名集まったら、それだけで9割がた成功と思ってます(笑)。 ——「この部屋に学問がある」という言葉を聞くだけでも面白そうです。イベントではどのようなことを行う予定でしょうか。 たとえば、私が各分野の論文の平均ページ数を聞き、研究者がツイッター形式の特設サイト上で答えて、全員の答えがプロジェクタに投影されるようなイメージです。ある分野では平均8ページなのに、別の分野は30ページもある! というように、分野による違いがリアルタイムでわかるだけでも、面白いと思います。また、各分野の目指すところについても聞いてみたいですね。たとえば社会学者が、日本人における幸せとは何かということをアンケート調査してるというと、違う分野の研究者からすると、「アンケートという形でとった主観はほんとの答え?」(哲学者)とか、「日本の居住区にもよるよね?」(地域研究者)とか「そも日本人の定義は?」(考古学者)いうようなツッコミができるわけです(笑)。そういう質疑を繰り返すうちに、自身でも気づかないその分野の大前提のようなものが、わかってくるのではないかと期待しています。それは各研究者において我が身を、我が分野を振り返ることになるのです。まさにこれが学問の姿かと! ——研究者の募集はいつごろから始まるのでしょうか。 1月上旬くらいからの公開で、枠は早い者勝ちにします。諸々参加条件はありますが、一番大事なことはこの悪ノリに付き合える人です(笑)。ちなみに議論に参加する研究者の参加費は無料ですが、観戦者の参加費は、懇親会で飲むためのお酒です。 ——参加酒が必要になるんですね(笑)。イベントの目的について、教えてください。 「真理探究」です。みんなキレイごとのように真理探究と言うものの、よく考えたら真理探究が何かはよくわかっていません。日本では、年間6.5万本の論文が出ているので、6.5万個の真理があるということになるのですが、それだけの真理があるのはおかしいという感覚を僕らは持っています。そうであれば、真理はおそらくひとつ。つまり我々が専門でやってることは、真理探究のあるひとつの側面なんですね。専門というのは、全体におけるひとつの分化した一片、カケラなんですよ。ところが分野が断絶しているために、私たちはこのカケラをついつい真理と思ってしまう節があります。そうであるなら、カケラたちを一度すべて集めて、真理なるものの全体を見てみようじゃないか!と。良い議論ができれば、きっと真理が見えてくるはずです。研究者番号を持つ人であれば、企業人も参加できるので、ぜひ参加していただきたいです。研究者枠で申し込みが間に合わなかった方や、一般の方々には、先に話した当日の観戦枠を準備しています。 ——観戦枠でぜひ参加したいです。1月9日から、この企画に関連したクラウドファンディング・プロジェクトがスタートします。チャレンジ内容について、ご紹介いただけますか。 研究者たちに本企画のヒヤリングをしたら、ぜひ参加したいと言ってくれたのですが、なかには都合で参加できない人もいました。当日の様子を録画しないのかという声があったので、それなら後からでも見られるドキュメンタリー番組を作ろうと思ったんです。もちろん、メイキングシーンから(笑)。その動画を公開すれば、当日参加できない人たちにも観ていただけるし、より多くのフィードバックをいただくこともできます。今回は、「学問の世界〜the academic world〜」のドキュメンタリー動画作成のための資金を募りたいと思い、クラウドファンディングの挑戦を決めました。 ——ドキュメンタリー動画のエンドロールに名前が載るリターンとか、魅力的ですよね。 それは面白いですね。リターンの種類ごとに、名前の大きさが変わるというイメージでしょうか。イベントが成功する確固たる自信はまだないのですが、このノリに付き合っていただける研究者にはぜひ参加していただきたいし、研究者でない方々にも、聴講者として参加していただいたり、クラウドファンディングで応援していただけたりするとありがたいです。

【クラウドファンディング挑戦中】「真理探究」とは何か?全分野の研究者79名で挑む!

研究者プロフィール:宮野公樹(みやの・なおき)准教授 京都大学学際融合教育研究推進センター准教授。96年立命館大学理工学部機械工学科卒業後、01年同大学大学院博士後期課程を修了。大学院在籍中の00年カナダMcMaster大学にて訪問研究生として滞在。のち、立命館大学理工学部研究員、九州大学応用力学研究所助手、2005年京都大学ナノメディシン融合教育ユニット特任講師、2010年京都大学産官学連携本部特定研究員、2011年より現職。その間、2011年4月〜2014年9月まで総長学事補佐、加えて、2010年10月〜2014年9月まで文部科学省研究振興局基礎基盤研究課参事官付(ナノテクノロジー・材料担当)学術調査官を兼任。博士(工学)。
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地震断層・火山の状態を予測する新たな情報の提供へ – 波動を利用した地殻内部の時空間変動モニタリング https://academist-cf.com/journal/?p=6816 Tue, 09 Jan 2018 01:00:05 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6816 地震断層や火山のモニタリング 近年、GPSなどの地表測地データの普及によって、高い精度と解像度で地表変動を知ることができるようになりました。その地表変動から、地震や火山噴火の発生予測につながる情報が手に入るようになってきました。しかし地震や火山噴火に関係する変動は、地下深部で生じます。地下深部の変動を正確に理解するには、地表の観測に加えて、地殻深部の変動を観測することが重要です。 地殻内部を調べる手法に、掘削があります。実際に、断層や火山のマグマだまりに対して掘削する試みが国内外で行われています。しかし井戸を掘削するのは高価ですし、掘削地点は限られてしまうため、地殻変動を空間的に把握することは困難です。そこで我々の研究グループでは、地殻深部を伝わる弾性波(地震波)を上手く利用することで、地殻内部で生じる時空間変動を調べる研究を行ってきました。弾性波は、地下深部にある断層や、マグマだまりの中を伝播するため、その変動を強く反映すると考えられます。 地殻変動や、地震に伴う地殻のダメージ、マグマだまりの流体圧が上昇すれば、地震波の伝わる速度(弾性波速度)は低下します。この弾性波速度の低下は、クラック(亀裂)を使って説明することができます。地震によって地殻がダメージを受けたり、地殻内部の流体圧が上昇すれば、クラックが発生します。そのクラックが弾性波速度(弾性定数)を低下させると考えられています。従って、地震波速度の時間変化を調べれば、地殻深部で生じるクラック量の変化を知ることができ、さらには地殻のダメージの度合いや流体圧をモニタリングできます。

地震波速度の時空間変化を調べるには

我々の研究グループでは、弾性波速度の変化を調べる方法に、地震波干渉法とよばれる手法を使っています。詳しくは述べませんが、この方法を使えば、微動を使って2台の地震計のあいだの弾性波速度の変化を計算することができます。微動というのは、人間には感じることのできない小さな振動です。微動は風や海の波などにより常に発生しているため、この情報を使うことができれば、連続的に地震計のあいだの弾性波速度の変化を調べることができます。 我々は、この研究を2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)のときにはじめました。しかし当初は、ひとつの地震計の地下の弾性波速度の時間変化を調べることができただけでした。他の研究グループでも同様の試みが行われましたが、限られた地震計のあいだの弾性波速度の変化がわかるだけでした。そのため、空間的に弾性波速度の時間変化をマッピングし、地殻内部の変動を正確に調べることには、ほとんど成功していませんでした。 今回、我々の研究グループでは、防災科学技術研究所の地震計ネットワークで記録された微動に対して地震波干渉法を適用し、地殻深部(地表〜地下10km)を伝わる弾性波速度を空間的に高い密度で計算することに成功しました。さらに、その弾性波速度の時間変化を計算することで、地殻深部の時空間変動を明らかにしました。ここでは熊本地震で動いた断層と、阿蘇山のマグマだまり周辺で発生した弾性波速度の変化を調べた結果を紹介します。

熊本地震での断層や火山の変動:地震と噴火の関係も明らかになってきた

地震波干渉法を微動データに適用した結果、熊本地震に伴って、断層や阿蘇山で弾性波速度が低下することを観測できました。地震後は、弾性波速度が地震前の状態に徐々に戻っていく傾向も確認できました。さらに10月に発生した阿蘇山の噴火によって、阿蘇山周辺では弾性波速度が急激に上昇することが明らかになりました。 さらに多数の地震計で取得された微動データから、さまざまな地震計ペア間の弾性波速度の変化を調べることで、地震で影響を受けた地殻をマッピングすることに成功しました。その結果、熊本から別府に伸びる断層帯では、弾性波速度が広域的に低下していることがわかりました。これは地震に伴う地殻内部のダメージや、一時的に地殻内部の水圧が上昇したことが原因と考えられます。地震で最も弾性波速度が低下したのは、阿蘇山の地下にあるマグマだまりでした。これは地震によってマグマだまりの流体圧は高くなったこと、つまり不安定な状態になったことを表していると考えられます。実際、地震直後に、阿蘇山は噴火しました。一方、その噴火によって地震波速度が上昇したことが明らかになりましたが、これは噴火によってマグマ溜まりの流体圧が低下し、阿蘇山が安定したことを反映していると考えられます。 このように本研究で開発した手法を使えば、地殻内部で生じている複雑な変動を明らかにすることができます。地震断層と火山体内部のマグマ溜まりの時空間変動を高い解像度で調べることができたのは、本研究がはじめてです。現在は、この解析を日本全国の地震計に適用しています。すでに熊本地震以外の地震でも同様に弾性波速度が低下していることや、火山地域で弾性波速度の変動が大きいことなど、さまざまなことがわかってきています。

今後の実用化へ向けて

本研究で開発した手法は、GPS等の地表測地データの地下深部版と考えることもできます。地震や火山活動は地殻深部で生じる現象であり、その変動を正確に理解するためには、地殻深部を伝わる地震波を利用する本手法は有効であると考えられます。もし本手法を用いて地震前に発生する微小な変動や、噴火前のシグナルを捉えることができれば、断層や火山活動を予測する新たな情報源になる可能性があります。 現在、力を入れて研究しているのは、岩石物理理論や人工知能を使って、弾性波速度と地震や噴火に関係する物理量(たとえば水圧)を関連づける作業です。弾性波速度の時空間変化を引き起こすメカニズムを明らかにできれば、地震や噴火前にみられる重要なシグナルを見つけ出し、危険度を予測することも可能だと思っています。将来的には、日本列島全体のモニタリング結果を公開して、防災に寄与できるひとつの情報となればと思っています。 波動を上手く使えば、日々の生活に関わる多くのものをモニタリングできます。たとえば、橋梁や防波堤といった土木建築物の健全性も同様の方法でモニタリングすることができます。最近では、光ファイバーを地震計として利用できるようになり、さまざまな場所で振動を容易に測定できるようになりました。さらに膨大なモニタリングデータ(ビッグデータ)を扱うことのできる計算機も普及しました。今後は、波動を用いてさまざまなものをモニタリグし、その情報を身近な人間活動やビジネスで積極的に利用する時代がやってくると考えています。 参考文献 Nimiya, H., Ikeda, T., Tsuji, T., 2017, “Spatial and temporal seismic velocity changes on Kyushu Island during the 2016 Kumamoto earthquake”, Science Advances, 3(11), e1700813, doi:10.1126/sciadv.1700813. Minato, S., Tsuji, T., Ohmi, S., Matsuoka, T., 2012, “Monitoring seismic velocity change caused by the 2011 Tohoku-oki earthquake using ambient noise records”, Geophys. Res. Lett., 39, L09309, doi:10.1029/2012GL051405.]]>
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健康で長生きしたければストレスを溜めないことが1番 - 昆虫サイトカイン研究からわかること https://academist-cf.com/journal/?p=6821 Thu, 11 Jan 2018 01:00:28 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6821 昆虫サイトカイン研究で何がわかるか? すべての生物は多様なストレスに曝されながら生命活動を営んでいます。さまざまな内因性・外因性ストレスへの対応に不可欠な情報伝達因子のひとつが、サイトカインという生体成分です。もともと、哺乳類で発見された因子ですが、昆虫でも数種類見つかっており、Growth-blocking peptide(GBP)もそのなかの1種です。 GBPは、30年近く前に見つかったペプチドですが、その受容体は同定されていませんでした。私たちはGBP受容体の同定を目指してきました。GBPの受容体が同定できれば、GBP-GBP受容体の情報伝達活性を遺伝的に操作した変異体ショウジョウバエを作成することも可能となり、その表現型の解析からストレスが生体に及ぼすさまざまな影響を生きたハエで調べることも可能となるからです。

昆虫サイトカインGrowth-blocking peptide(GBP)とは何か?

GBPはアワヨトウという蛾の幼虫の体液で見つかったペプチドです。その幼虫は、寄生蜂によって寄生され幼虫から蛹への発育が阻害された状態でした。すなわち、GBPは、寄生というストレス状況下に発育を抑制すべく、アワヨトウ幼虫自身が生産した因子だったわけです。その後の国内外の研究グループの研究によって、GBPは多機能性を持つペプチドで、構造的に良く似たペプチドが多くの蛾の仲間にも存在することがわかりました。ただ、GBPの最初の発見から20年以上経っても、異目種の昆虫GBPは報告されませんでした。そこで、私たちはショウジョウバエのGBPの同定を目指し、最終的に、蛾のGBPと機能的に相同なショウジョウバエGBPを同定することができました。

GBP受容体はどのような構造か?

GBP受容体の同定はショウジョウバエの培養細胞S3を用いて行いました。先行研究により、GBPによるPhospholipase C依存的な細胞質カルシウム濃度上昇作用を確認していましたので、ショウジョウバエのdsRNAライブラリーを用いて網羅的にRNA干渉(RNAi)を行い、GBP依存的なカルシウム濃度上昇に関与する遺伝子の同定を試みたわけです。一連の解析の結果、GBP受容体遺伝子として同定されたMethuselah-like 10 (Mthl10)は、細胞外ドメインを有するclass B GPCRをコードする遺伝子でした。その遺伝子名が示すようにMthl10は他の15種類の遺伝子と共にMth/Mthlファミリーを形成し、そのリガンドはもちろん生理機能もまったく不明の遺伝子でした。同族遺伝子のなかで、そうした研究がなされていた遺伝子が唯一Mthでした。Mth変異体ショウジョウバエは寿命が延びることから、『旧約聖書』上で最長寿として描かれた人物の名前'Methuselah'にちなんで命名された遺伝子です。

GBP-Mthl10情報伝達系はどのような生理機能を担っているか?

Mth変異体ショウジョウバエの表現系から、Mthl10発現抑制もショウジョウバエの寿命を延ばす可能性大と予想しました。ただ、仮に、期待どおりの表現系が観察できたとしても、そのメカニズムを明らかにする必要があるわけです。そこで、私たちは、GBPの既知生理活性である感染・非感染を問わないストレス条件下での自然免疫活性化とMthl10の関係を明らかにすべく解析を開始しました。 ショウジョウバエの培養細胞S2あるいはショウジョウバエの幼虫・成虫でも、RNAiによるMthl10の発現抑制は、GBP依存的な細胞性免疫、さらに、抗菌ペプチド発現のような液性免疫活性を顕著に低下させることがわかりました。こうした免疫活性の抑制は、ショウジョウバエの病原菌への感受性を有意に高めることも確認できました。すなわち、GBP-Mthl10情報伝達は、GBP依存的なストレス条件下での自然免疫活性の活性化に必要不可欠であることが証明できたわけです。 GBPのもうひとつの重要な機能が代謝調節です。最近、GBPは体液中のアミノ酸濃度の上昇に呼応して脳内からインシュリン様ペプチドの分泌を促すことが報告されました。そこで、私たちは、GBPの強制発現さらにMthl10の発現抑制系統のショウジョウバエで脳神経細胞からのインシュリン様ペプチドの分泌活性を測定しました。 予想どおり、GBPの強制発現では分泌が促進し、Mthl10の発現抑制では分泌が減少することがわかりました。さらに、このインシュリン様ペプチド分泌細胞は、Mthl10を発現していることも確認できました。したがって、GBP-Mthl10情報伝達は、体液中のアミノ酸濃度依存的なインシュリン様ペプチド分泌の調節に不可欠な系であることがわかりました。ストレス下で、摂食が低下するとGBPの分泌は減少し、Mthl10は活性化しないためにインシュリン様ペプチド分泌も抑えられることになります。 [caption id="attachment_6822" align="aligncenter" width="600"] さまざまな環境ストレス、あるいは、体液中の栄養分(特に、アミノ酸)濃度上昇に反応して、脂肪体(ヒトの肝臓に相当する器官)からGBPは分泌され、脂肪体自体からの抗菌ぺプチドの産生・分泌を促す。一方、脳からのインシュリン様ペプチドの分泌も促して代謝レベルも上昇させる。[/caption]

GBP-Mthl10情報伝達系は寿命に影響するか?

GBP-Mthl10情報伝達系の活性低下はショウジョウバエの自然免疫活性を抑制し、さらに、代謝レベルも低下させることがわかりました。こうした生理的環境はハエの寿命を延ばすことができるに違いないと思えてきました。そこで、GBP強制発現系統、Mthl10発現抑制系統、そして、GBP強制発現/Mthl10発現抑制系統(強制発現と発現抑制を同時進行する系統)の3種類のショウジョウバエとこれらの系統と交配したコントロール系統のハエの寿命測定を行いました。 期待どおり、GBP強制発現系統ではコントロール系統に比べ約10%寿命は縮まり、Mthl10発現抑制系統では約25%寿命が延びました。また、GBP強制発現/Mthl10発現抑制系統では、コントロールと有意差のない寿命となりました。 [caption id="attachment_6823" align="aligncenter" width="600"] GBP強制発現系統(W1118;Actin-Gal4;UAS-GBP)ではコントロール系統(W1118)に比べ約10%寿命は縮まり、Mthl10発現抑制系統(W1118;Actin-Gal4;UAS-dsMthl10)では約25%寿命が延びた。また、GBP強制発現/Mthl10発現抑制系統(W1118;Actin-Gal4;UAS-GBP;Actin-Gal4;UAS-dsMthl10)では、コントロールと有意差のない寿命となる。図は文献より引用。[/caption] カロリー制限による寿命延長は、さまざまな科学報道番組でも取り上げられてきた周知の事実です。ショウジョウバエでもカロリー制限によって寿命の延長が観察されます。そこで最後に、GBP-Mthl10情報伝達系とショウジョウバエのカロリー制限の関係について検証しました。まず、カロリー制限をしたハエではGBPの発現が低下することを確認できました。そして、こうしたカロリー制限個体では、やはり液性免疫のエフェクター分子である抗菌ペプチドの発現が明らかに低下することが分かりました。そして、Mthl10の発現抑制系統ではカロリー制限をしようがしまいが、抗菌ペプチド遺伝子発現は非常に低い状態であることもわかりました。したがって、少なくとも自然免疫活性の観点においては、GBP-Mthl10情報伝達活性の低下が、カロリー制限をしているハエと似た生理的環境を作り上げていたのです。 [caption id="attachment_6824" align="aligncenter" width="677"] コントロール系統(y w)系統では、約24時間のカロリー制限によって抗菌ペプチド発現は有意に減少傾向を示す。一方、Mthl10の発現抑制系統(Actin-Gal4;UAS-dsMthl10)では、普通の食事でもカロリー制限の食事でも、抗菌ペプチド発現は一貫して低いレベルに留まる。図は文献より引用。[/caption]

終わりに

以上の研究結果は、動物が抱える宿命的ジレンマを浮き彫りにしています。すなわち、私たちはサイトカインによってさまざまな環境ストレスに抗して生きているものの、サイトカインを盛んに分泌してストレス応答機能を働かせると自らの寿命を縮めてしまうということになります。 一方で、今回の研究は、健康長寿を志向する予防医学にひとつの基礎的な研究知見を提供したことにもなります。サイトカインを必要以上に分泌しない、すなわち、ストレスを感知したり、あるいは、下流の情報伝達を作動するハードル(閾値)を適度に上げる技術の進歩は健康長寿に結びつく可能性を強く示唆しているからです。たとえば、そうした生理的環境を保つ食品やサプリメントの開発はひとつの有力な研究分野と言えるかもしれません。 参考文献 Tsuzuki, S., Ochiai, M., Matsumoto, H., Kurata, S., Ohnishi, A. and Hayakawa, Y., 2012 Drosophila growth-blocking peptide-like factor mediates acute immune reactions durig infectious and non-infectious stress. Scientific Reports, 2. 210. Tsuzuki, S. Matsumoto, H., Furihata, S., Ryuda, M., Tanaka, H., Sung, E-J., Bird, G.S., Zhou, Y., Shears, S.B., and Hayakawa, Y., 2014, Switching between humoral and cellular immune responses in Drosophila is guided by the cytokine GBP. Nat. Commun., 5, 4628. Sung, E.J., Ryuda, M., Matsumoto, H., Uryu, O., Cook, M.E.,Yi, N.Y, Wang, H., Putney, J.W., Bird, G.S., Shears, S.B., Hayakawa, Y., 2017 Cytokine signaling through Drosophila Mthl10 ties lifespan to environmental stress. Proc. Nat. Acad. Sci. USA, 114, 13786-13791.]]>
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西太平洋プレート境界の天然ガスが示す深部の情報 https://academist-cf.com/journal/?p=6835 Fri, 12 Jan 2018 01:00:57 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6835 天然ガスの組成からプレート境界構造を調べる 火山活動などを通じて地球内部から放出される揮発性元素は、大気・海洋環境に影響を与えてきました。特に炭素は火山ガスの主成分であり、CO2の物質循環と環境への影響についてはよく調べられてきました。また、メタンは多くの場合天然ガスの主成分で重要な資源であるとともに温室効果ガスでもあるため、その物質循環についての知見は重要です。しかしながら、湿地・水田での生物活動等による浅部起源のメタン循環は比較的よくわかっている一方で、深部起源のメタンについては未知の点が多くありました。 西太平洋では海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込んだり、プレート同士が衝突しています。このような収束するプレート境界構造ではマグマの発生など、深部から表層に至る物質循環に関わる現象が起きています。日本・台湾では深部メタンを伴う天然ガスが発生しており、その成因はプレート境界で前弧・火山弧・背弧などが組み合わさった複雑な構造と密接に関係していると考えられます。 深部メタンはマントルマグマ由来の成分と、堆積物中の有機物の分解によって生成される成分とに大別され、成因によって炭素同位体組成やメタン・エタン・プロパンの濃度比に違いが見られます。また、ヘリウムの安定同位体3Heはマントル物質の存在を敏感に示すので、ヘリウム同位体比(3He/4He比)は深部物質循環・地殻構造を調査するうえで重要な情報を与えてくれます。そのため本研究ではCH4/3He比などにも着目して天然ガスの起源を推定することで、西太平洋のプレート境界構造に制約を与えました。

メタンのデータは天然ガスの起源を反映する

私たちは秋田・新潟・南関東・南台湾のガス田や泥火山でガスを採取し、それらの化学組成・同位体組成を分析しました。また、陸上の天然ガスとは生成環境が異なる海底熱水(トカラ列島・沖縄トラフ)のガス成分との比較を行うことによって、天然ガスの成因・起源について精密な検証を試みました。 [caption id="attachment_6836" align="aligncenter" width="600"] 今回調査した天然ガス、海底熱水サイト[/caption] メタンの炭素同位体比(δ13C値)とエタン・プロパンに対する濃度比(C1/(C2+C3)比)からは、メタンの成因に関する情報が得られます。深部メタンは大きく分けて以下のいずれかの成因で発生しており、そのうえで分別が起こると考えられています。 ・有機物の微生物活動による分解 ・有機物の熱による分解 ・マントルマグマ由来 南関東のメタンは微生物活動による生成で説明できるのに対して、秋田・新潟のメタンの起源はほぼ有機物の熱分解で説明可能です。南台湾のメタンは、熱分解起源のガスが移動に伴って分別したものと解釈できます。また、トカラ列島の海底熱水はマントルマグマ由来の成分に近く、天然ガスとは異なる非生物的な起源を持つことが明らかになりました。 [caption id="attachment_6837" align="aligncenter" width="600"] メタンの炭素同位体比と炭化水素組成の関係[/caption] マントルマグマ由来のメタンの混合率は、南台湾 = 秋田・新潟 > 南関東の順番で高く、マントル物質の存在を反映するヘリウム同位体比にも同様の傾向が見られました。また、炭素同位体比とCH4/3He比との関係からメタンの起源推定を試みました。天然ガスのデータは微生物活動・熱分解・マントルマグマ成分による三成分混合曲線に囲まれるため、それぞれの混合率を計算することが可能です。これにより、南関東では91%が微生物活動起源である一方、秋田・新潟では50%以上が熱分解起源であり、南台湾と近い混合率を持つことがわかりました。マントルマグマ由来のメタンの混合率は、南台湾 ≧ 秋田・新潟 > 南関東の順番で高く、エタン・プロパンに対する濃度比に基づく推定と同様の傾向が見られました。 [caption id="attachment_6838" align="aligncenter" width="600"] メタンの炭素同位体比とCH4/3He比との関係[/caption]

メタン以外のデータとも矛盾しない

火山ガスなどに含まれる窒素・アルゴンの同位体組成は、大気・マントル・堆積物成分の混合で説明できることが知られています。そのため、メタンとヘリウムのデータを基にした手法と同様に、窒素・アルゴンのデータから天然ガスの起源を制約することができます。マントル起源の窒素の混合率は、南台湾 > 秋田・新潟 > 南関東の順番で高く、メタン・ヘリウムのデータから推定された非生物起源メタンの混合率と同様の傾向が見られました。 [caption id="attachment_6839" align="aligncenter" width="600"] 窒素同位体比とN236Ar比の関係[/caption]

天然ガスの起源から見える地殻構造の違い

各地域の天然ガスの組成と起源を基に地殻構造を比較します。南関東のガス組成は、火山活動が存在しない前弧の低温環境で微生物活動によってメタンが生成されたことを示します。秋田・新潟のガス組成には、マグマの熱によって有機物が分解して生成したと考えられるメタンの寄与が見られます。南台湾のガス組成は火山活動の存在を反映しているだけでなく、プレート同士が衝突することによって形成される地殻構造に影響を受けていると考えられます。マントルマグマ由来のメタンの混合率は、南台湾・秋田・新潟では比較的高く、南関東では無視できるほど低い値でした。このことから、南台湾・秋田・新潟では火山活動・マグマの存在によるガス組成への影響が比較的大きいと考えられます。当該地域では南関東よりも高い熱流量、遅い地震波速度、低い重力異常が観測されており、これらの観測データはガス組成から推定される地殻構造の違いを支持しています。 [caption id="attachment_6840" align="aligncenter" width="600"] 天然ガスの組成・起源と地殻構造[/caption] 参考文献 Yuji Sano, Naoya Kinoshita, Takanori Kagoshima, Naoto Takahata, Susumu Sakata, Tomohiro Toki, Shinsuke Kawagucci, Amane Waseda, Tefang Lan, Hsinyi Wen, Ai-Ti Chen, Hsiaofen Lee, Tsanyao F. Yang, Guodong Zheng, Yama Tomonaga, Emilie Roulleau and Daniele L. Pinti. (2017) Origin of methane-rich natural gas at the West Pacific convergent plate boundary. Scientific Reports 7, 15646. doi:10.1038/s41598-017-15959-5]]>
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長時間光り続ける有機化合物を作る! - 有機蓄光システムの特色と今後の課題 https://academist-cf.com/journal/?p=6853 Thu, 18 Jan 2018 01:00:21 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6853 身近な蓄光材料とその課題 蓄光材料(夜光塗料)は太陽光や照明の光を蓄積し、数時間に渡って発光し続けるため、非常誘導灯や時計文字盤、塗料や玩具など我々の身のまわりにもたくさん利用されています。この蓄光材料は、ほとんどがアルミン酸ストロンチウムやアルミン酸カルシウムの母結晶に、ユウロピウムやジスプロシウムなど少量のレアアースを添加した無機材料で構成されています。こういった既存の無機蓄光材料は、発光特性や耐候性に優れるため実用化に至っていますが、その合成には1000℃以上の高温処理を必要とすることや、高性能化にはレアアースが必要であること、合成後に粉砕して微粒子化し溶媒や媒体に分散させるといった複雑な工程を必要とすることなど、課題も多く残されています。 [caption id="attachment_6849" align="aligncenter" width="600"] 無機蓄光材料とその用途[/caption]

有機発光材料の特徴

有機発光材料は、簡便に大量合成が可能であり、また溶媒に可溶なため塗布することができます。さらに、分子構造によって容易に発光色を制御できるといった特色を持ち、実用化されている発光材料もたくさんあります。しかしながら蓄光発光を示す有機材料はこれまで実現していませんでした。 有機物が光を吸収すると基底状態から励起状態への電子遷移が生じ、その後、励起状態から基底状態へ戻る遷移が発光として観測されます。一般的に、励起一重項状態からの発光を蛍光、励起三重項状態からの発光をリン光と呼びますが、これら蛍光、リン光はどちらも指数関数的減少を示すため、その強度が1/eになるまでの時間を用いて発光寿命で論議されます。この発光寿命は、蛍光ではナノ秒からマイクロ秒の範囲、より遅いリン光でもマイクロ秒から数十秒の範囲にあり、数時間にわたる発光を取り出すことは不可能です。

励起状態から電荷分離状態へ

有機物を用いた蓄光発光を実現するには、単純な光励起状態ではなく、別の状態に光エネルギーを蓄積する必要があります。そこで我々は光誘起電荷分離状態に着目しました。光誘起電荷分離状態とは、文字どおり光によって電荷が生じる過程であり、植物の光合成過程や有機太陽電池において利用されています。有機太陽電池は電子ドナー材料と電子アクセプター材料の混合物で構成されており、光を吸収すると励起状態で電子ドナー材料から電子アクセプター材料への電荷移動が生じることで、電子ドナー材料のラジカルカチオン(正孔)と電子アクセプター材料材料のラジカルアニオン(電子)が形成されます。これら正孔と電子を電極から取り出すことで光電変換が実現します。 しかし、電極に至らなかった正孔と電子は再び結合し、元の励起状態に戻ってしまいます。そこで我々は、この正孔と電子となった電荷分離状態を長時間保持すれば、有機物を用いた蓄光発光が実現できるのではないかという着想に至りました。 [caption id="attachment_6850" align="aligncenter" width="600"] 有機蓄光の発光メカニズム[/caption]

有機蓄光システムをどう達成するか

電荷分離状態は対となるラジカルアニオンとラジカルカチオンが共存する不安定な状態ですので、その長時間保持は容易ではありませんでした。しかしながら、最終的には電子アクセプター材料材料に少量の電子ドナー材料を分散させるという非常に単純な手法によって達成することができました。 この有機蓄光システムが光を吸収すると、まず、励起状態で電子ドナー材料から電子アクセプター材料への電荷移動が生じます。その後、電子アクセプター材料上に生じた電子は隣接するアクセプター材料上を移動しながら電荷分離状態が保持されます。光照射を止めると、このアクセプター材料上の電子は確率的に電子ドナー・アクセプター界面に戻り、電荷再結合によって再び励起状態に戻ります。その結果、この有機蓄光システムの発光は室温でも長時間持続し、その発光は単純な指数関数的減少ではないことが確認されました。 [caption id="attachment_6851" align="aligncenter" width="600"] 有機蓄光の発光の様子[/caption]

有機蓄光システムの特色と問題点

有機蓄光システムに用いる分子は簡便に合成でき、構造によって発光色を制御できます。また、それらを混合するだけで得られるため複雑なプロセスを必要としません。柔軟性や透明性といった新しい蓄光材料に対する新しい機能も期待されます。 しかしながら、有機蓄光は水・酸素に不安定という大きな問題点があり、発光持続時間もまだまだ不十分です。今後は詳細なメカニズム解析とともに、材料開発や封止技術の導入などを行い、実用レベルの有機蓄光を開発していく必要があります。 参考文献 Ryota Kabe and Chihaya Adachi, Organic long persistent luminescence, Nature 550, 384–387]]>
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天体間の物質輸送は意外と容易に起こる? - 天体衝突による火星隕石の"ところてん式"放出メカニズム https://academist-cf.com/journal/?p=6857 Fri, 19 Jan 2018 01:00:45 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6857 火星隕石とは 地球上で発見される隕石はさまざまな分析に提供され、その性質(化学的特徴など)ごとに分類分けされます。そのなかでも異質であったのが「SNC隕石」と呼ばれる隕石群でした。SNC隕石はシャーゴッタイト(Shergottite)、ナクライト(Nakhlite)、シャシナイト(Chassignite)という3つの隕石群の頭文字をとって名付けられました。その化学的特徴などから同じ天体を起源とするだろうと言われていました。 1970年前半までに見つかっていたSNC隕石は全部合わせて6個でした。これらの隕石の特筆すべき特徴は(1)2〜13億年という太陽系年齢と比較して極めて若い結晶化年代を持つこと、(2)わずかではあるけれども水質変性の証拠をもつこと、(3)磁鉄鉱を始めとする酸化的鉱物が存在すること、でした。これらの特徴から、SNC隕石の母天体上ではおよそ2億年前まで火成活動が起こっており、少なくとも一時期は液体の水が存在し、相当に酸化的であったことがわかります。このような天体は火星しかないと考えられていました。 その後、1980年にアメリカの南極隕石探索チームがElephant Moraine A79001というシャーゴッタイトを発見しました。この隕石は強い衝撃によって一時的に融けて、ガラス化した組織を含んでいました。ガラス組織に閉じ込められていた気体の希ガス等の同位体組成が、バイキング探査機によって計測されていた火星大気成分と一致したことで、SNC隕石は火星から来た、ということが決定づけられました。この一致によって「火星隕石」という呼び名が定着していったようです。

火星隕石放出の力学的困難

火星隕石が火星から来た、ということは明らかになりました。ところが火星サイズの惑星からその脱出速度を超えて物質を射出することは力学的には困難であり、その放出機構はそれ自体が研究対象でした。過去には火山の噴火などの内因的過程による放出も検討されましたが、宇宙空間への放出は不可能である、と結論付けられました。火星隕石は岩石学的な分析から30〜50 GPa程度の衝撃圧力を経験したことが知られています。すなわち(1)火星の脱出速度を超える速度で放出、(2)その際に30〜50 GPaの圧力を経験する、という2つの物理的な条件を満たす必要があります。以下ではMM条件(Martian Meteorite condition)と呼びます。 内因的過程で不可能であるなら、と注目されたのが天体衝突による物質放出です。火星への天体衝突の典型的な速度は〜10 km/sなので、その半分の速度まで物質を加速できればよい、ということになります。1984年にアリゾナ大学のH. Jay Melosh助教授(現パデュー大学特別教授)は天体衝突でMM条件を満たす物質放出を説明する衝突剥離(Impact spallation)という解析的なモデルを提案しました。これは地表面付近の物質が強い衝撃圧を受けることなく、効率よく加速される可能性があることを明快に示すものでした。ところが、このモデルは数式を解くために大胆な仮定が置かれており、そのまま火星隕石放出過程に適用することはできませんでした。90年代以降になって数値衝突計算によって衝突剥離過程の検証が行われ、火星隕石は天体衝突によって地球に飛来したことが一般的に受け入れられるようになりました。

Paul S. De Carli博士による警鐘

これに異を唱えたのがSRIインターナショナル(旧スタンフォード研究所)の Paul S. De Carli名誉上級研究員でした。衝撃物理学の原理にしたがって計算を行うと、火星の脱出速度まで岩石を加速するには>50 GPaの強い衝撃波が不可欠です。数値衝突計算は決して万能ではありません。少し専門的な話題になりますが、先行研究で用いられた数値計算手法は空間を格子に区切り、格子の物理量の差分を時々刻々積分することで時間変化を解く、というものでした。衝撃波のような不連続面は原理的に扱うことができません。そのため「人工粘性」と呼ばれる項を導入し、衝撃波面を人為的に数格子分だけ鈍らせることによって、数値計算を安定化します。De Carli博士は先行研究の数値計算中でMM条件を満たす物質が観測されたのは、地表面(火星地殻と薄い大気の境界面)付近で人為的に衝撃波が鈍ったためであり見かけの結果に過ぎない、と2007年と2013年に出版した論文中で喝破したのです。

高解像度数値計算による衝突剥離過程の解明 – 心太式加速

筆者らの研究グループはDe Carli博士らの論文を受けて、衝突剥離過程の見直しを開始しました。具体的には格子法と粒子法という2つの独立な手法を使って、先行研究に比べて一桁以上高い空間解像度で数値計算を行いました。空間解像度を系統的に変化させた計算を行い、地表面付近で衝撃波が鈍る影響も評価しました。 論文にはもちろん書いていないのですが、当初、筆者はDe Carli博士の主張の正しさを数値的に示そうとして計算を開始したのです。De Carli博士の主張は明快かつ衝撃物理学の原理に基いており、Melosh博士の火星隕石放出問題には適用できない解析モデルと先行研究の低解像度の数値衝突計算結果よりも確からしいと考えたからです。 我々は慎重な計算に基いて人工粘性の影響を受ける物質を取り除いて、衝突によって放出される物質の速度と経験した最大衝撃圧を求めました。筆者の当初の思惑に反して低衝撃圧にも関わらず、火星脱出速度を超える速度まで加速されMM条件を満たす物質が存在することを確認しました。これは衝撃物理学の原理だけでは説明できない未知の加速メカニズムが存在していることを示唆していました。 そこで数値計算中でMM条件を満たす物質の衝突後の履歴を詳細に解析しました。その結果、高い衝撃圧を経験した深部の物質が、地表面付近の低い衝撃圧しか受けない物質を心太(ところてん)式に押し出すことによって、最終的に火星を脱出できる速度まで緩やかに加速することを見出しました。この新発見によって火星隕石における岩石学と衝撃物理学の間の矛盾を解決し、火星隕石放出過程を力学的に説明することができました。我々はこの新しいメカニズムを「後期加速メカニズム(Late-stage acceleration)」と名付けました。 [caption id="attachment_6858" align="aligncenter" width="600"] 数値計算結果例。火星地殻に貫入していく衝突天体(赤いハッチ部分)の外周近傍の様子を時系列で示した。水平距離(横軸)と地表面から測った高さ(縦軸)は衝突天体の半径で規格化している。衝突天体が火星地殻と接触してからの経過時刻を規格化時間t/tsとして図中に示した。t/ts = 1は衝突天体が火星地殻にすべて埋まる時刻。同じ軌跡をたどる追跡粒子を赤から紫の6つの点、それらと同じ深さにある地層を同じ色の線で示した。火星地殻物質がさらされている圧力をカラーバーで示した。深部の岩石(例:紫の点)が浅部の岩石(例:赤の点)をおよそ10万気圧で押し出している様子がわかる。Kurosawa et al. (2018) Icarusのプレスリリース資料より[/caption]

惑星科学・宇宙生物学へのインパクト

我々の「後期加速メカニズム」の新発見は、火星隕石放出過程だけでなく惑星科学・宇宙生物学の諸問題へ応用が可能です。高い衝撃圧を受けていない物質が従来考えられてきたよりも容易に惑星間を移動できることを示唆しています。低衝撃圧しか受けていない岩石中ではウィルスや微生物が生き残る可能性があります。生命体が惑星間を移動している可能性(いわゆるパンスペルミア仮説)に新展開をもたらすものでありましょう。 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は次世代惑星探査計画として火星衛星サンプルリターン計画(MMX)を掲げています。火星の衛星であるフォボスには火星から放出された物質が堆積している可能性があり、その量が十分に多ければ、一度のサンプルリターンミッションで火星衛星物質と火星物質の両方を回収できる可能性があります。探査機に搭載する回収装置を検討するためにはフォボスの土壌に火星物質がどの程度混合しているか、をそれなりに精度よく推定しておく必要があります。今回の新発見は火星への天体衝突によって火星を飛び出しフォボスに到達した放出物の量が従来推定値よりも多かった可能性があることを示唆します。 [caption id="attachment_6859" align="aligncenter" width="600"] 火星隕石が地球に到達するまでの概念図。「後期加速メカニズム」により、このような物質のやりとりが従来考えられてきたよりも容易に起こることがわかった。Kurosawa et al. (2018) Icarusのプレスリリース資料より[/caption] 参考文献 Kosuke Kurosawa, Takaya Okamoto, and Hidenori Genda, Hydrocode modeling of the spallation process during hypervelocity impacts: Implications for the ejection of Martian meteorites, Icarus, 301, 219-234, 2018.]]>
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沖縄伝統の「芭蕉布」‐ 涼しさの理由をミクロの世界から探る https://academist-cf.com/journal/?p=6870 Wed, 24 Jan 2018 01:00:17 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6870 研究のきっかけは、「とにかく蒸し暑かったから。」 読者のみなさまは、芭蕉布を存知でしょうか。沖縄を旅された方なら、どこかで「芭蕉布(吉川安-作詞・普久原恒勇作曲)」のメロディーを耳にされたかもしれません。沖縄の歌にもなった芭蕉布は、琉球王国(かつての沖縄)で織られていた伝統的な織物で、バナナの茎から採れる繊維から作られます。この芭蕉布は、大変に古い織物で14世紀ごろから織られていたという説もあります。沖縄県本島の北部に位置する大宜味村喜如嘉では、伝統的な製法で今日でも芭蕉布を生産し続けています。「喜如嘉の芭蕉布」は、人間国宝の平良敏子先生の偉業により、沖縄を代表する伝統織物になりました(喜如嘉芭蕉布事業協同組合)。 [caption id="attachment_6866" align="aligncenter" width="600"] 人間国宝平良敏子先生と芭蕉布(喜如嘉の芭蕉布保存会提供)[/caption] さて、私は蒸し暑いのがとても苦手です。私が以前住んでいたカリフォルニアの内陸部は、夏の気温は高いのですが湿度は10%以下と非常に低く、沖縄とはまったく気候が違います。このカリフォルニアから、湿度が100%に近い夏の沖縄にいきなり移り住んだのです。勤務先に行くのも蒸し暑くて一苦労、クーラーの無かった昔に、人々はこの厳しい気候のなかでいったい何を着ていたのだろうかと思いました。普通なら、クーラーのきいた涼しい職場に着けば、日常的なこのような小さい疑問はすぐに忘れてしまうでしょう。ところが、今でこそバイオテクノロジーや核酸化学・工学の研究をしていますが、私は学生のときに被服学を専攻していました。興味を持ち調べたところ、沖縄ではかつて一般庶民から琉球王まであらゆる階級の人々が、芭蕉布を夏に着用していたことがわかりました。私は、なぜ芭蕉布を夏に国中で着用するようになったのか、さらなる疑問を持ちました。

芭蕉布の研究

沖縄で芭蕉布を着用していた歴史的な背景としては、琉球王府による庶民に対する綿・絹の着用制限と、芭蕉布の生産奨励が挙げられます。また、原材料のバナナが亜熱帯の気候によく合い、栽培しやすかったことも一因でしょう。では、繊維の科学的な性質から考えて、芭蕉布が何百年もの間、廃れずに人々の間で着用されてきた特別な理由はあるのでしょうか。 しかし、残念なことに芭蕉布や芭蕉糸の科学的な研究は1980年代から進んでおらず、特に私が興味を持った材料から繊維を採る工程は、科学的にはまったく調べられていないことがわかりました。私は、最新技術を用いてこの研究を進めることにしました。幸い、私の勤務する沖縄科学技術大学院大学(Okinawa Institute of Science and Technology Graduate University, OIST)は、世界に誇る電子顕微鏡技術を持っています。このOISTの電子顕微鏡技術が、前世紀で止まっていた芭蕉布の科学的な研究を復活させました。また、関連部署の協力により、機器分析から新しい知見を得ることができました。以下に、この研究の概要を紹介します。より詳細については、記事の最後に挙げた繊維学会の論文誌をご参照いただければ幸いです。

芭蕉布の「21世紀的」な科学研究

芭蕉布はセルロース系繊維であり、その原材料は沖縄の古い言葉で「ウー(苧)」と呼ばれるイトバショウ(バナナの1種)です。このイトバショウは、伝統的な方法で剪定を行いながら、3年ほどかけて丁寧に栽培されます。芭蕉布の糸には、イトバショウの偽茎を構成する葉鞘が使われます。芭蕉布の生産では、この葉鞘の外側が「ウー剥ぎ」(正確には「ウー剥ぎ」工程の「口割」)と呼ばれる伝統的な工程により選別されます。この「ウー剥ぎ」によって得られたサンプルを電子顕微鏡で調べたところ、芭蕉糸のもとになる密な維管束が多く存在していることがわかりました。すなわち、伝統的な工程では、経験的にこの維管束の多い表皮側だけを葉鞘から切り出しており、これが次の精錬工程の効率を上げているものと考えられました。この維管束の断面は、他の繊維断面にはないユニークな形の中空状であり、図に示すようにこれが汗(水)の速やかな拡散など、夏の衣服に求められる性質に寄与していると推測されました。このため、蒸し暑い沖縄の夏に適した布として、芭蕉布が長く着用されてきたのだと考えられます。 [caption id="attachment_6868" align="aligncenter" width="600"] 高温多湿な環境下では、不感蒸泄(気体の水)や汗(液体の水)のために衣服と皮膚のあいだの湿度が高くなり、ヒトに不快感をもたらす。繊維の断面形状が中空だと、取り込まれた水が拡散しやすく、湿度が低くなり快適である。繊維の多角形の断面形状は、皮膚に繊維表面を密着させないことから、着用時に爽やかである。[/caption] 「ウー剥ぎ」によって得られた材料は、木灰汁を薄めたアルカリ溶液で1時間ほど煮沸され(精錬)、一晩放置後に水洗いされます。この伝統的な精錬「ウー炊き」は、熟練者によって行われ、すべての工程中最も注意が必要です。この方法は、江戸時代と変わらない様子で今でも行われています。写真に示すように「ウー炊き」後も材料の維管束は良く保存されていました。さらに機器分析(FTIR、XRD)からも「ウー炊き」がマイルドな精錬方法であるにもかかわらず、十分に効果があることが示されました。このようなマイルドな精錬方法を経た材料から、糸のもとになる繊維(維管束)が分離されていくのです。 [caption id="attachment_6867" align="aligncenter" width="600"] 「ウー炊き」後の維管束(線で囲った部分、1 μm = 1/1000 mm)
(引用: Figure 3D, Journal of Fiber Science and Technology 73(11), p.321. 一般社団法人繊維学会)[/caption] 本研究は長い芭蕉布作製工程のうち、ほんの一部を調べたにすぎません。しかし、ここで得られた知見から、先人たちがその土地や気候に合った植物から創意工夫により芭蕉布を生産していたのだと推測されます。

今後の展望

この研究を開始するにあたり、私たちは、原材料のイトバショウの生産量の減少から、芭蕉布が存亡の危機にあることに気が付きました。産地が原材料不足に陥っている理由としては、イトバショウが農作物ではないために、法制上、支援しにくい状況も一因でしょう。原産地では、芭蕉布生産の維持が切望されています。また、研究で得られた新しい知見を、将来、産業に発展させるためにも材料の確保は必要です。 そこでOISTが研究と原産地への貢献を目的として、琉球大学と連携した産地支援体制を構築しました。論文の共著者でもある、琉球大学の諏訪竜一先生は、沖縄など亜熱帯の有用植物生産研究のエキスパートです。 沖縄県の協力を得て、諏訪先生のグループはさっそく、大宜味村の畑にイトバショウの収量、品質を高める栽培実験の準備を開始しています(琉球大学農学部作物学研究室)。良質なイトバショウ増産研究の幕開けです。私も材料の評価で、この研究を支援できればと思います。 さらにOISTでは、この研究や産地支援への取り組みを地域に積極的に発信しています。本研究がきっかけとなり、メディアの力で喜如嘉の芭蕉布に一般の方の関心が集まり、ひいては地域振興の一助となることを期待します。日常で感じた小さな疑問に端を発した一研究が、今や大きなプロジェクトに育ちつつあります。 参考文献 1) K. Hendrickx, The Origins of Banana-fibre Cloth in the Ryukyus, Japan, Leuven Univ. Press (2008), ISBN-10: 9058676145. 2) Y. Nomura et al., Journal of Fiber Science and Technology, Vol 73, p.317-326, 2017.]]>
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92歳の長生き貝、津波を生き延びていた! - 日本最長寿の二枚貝殻が明らかにする地球環境変動 https://academist-cf.com/journal/?p=6894 Thu, 25 Jan 2018 01:00:22 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6894 生活に大きく影響する長周期気候変動 地球の気候はさまざまな周期で変動しています。特に、太平洋においては数十年規模の周期で自然に変動する太平洋十年規模変動などが知られています。太平洋十年規模変動は海流や気圧などさまざまな要素が複雑に影響しているのですが、そのメカニズムはよくわかっていません。そのため、地球温暖化によってどのように変動特性が変化するかを理解することはとても重要です。また、北西太平洋は世界でも有数の豊かな漁場ですが、その漁業資源は太平洋十年規模変動などの気候変動に応答して大きく変動することが知られており、水産資源の変動メカニズムの理解と持続的な資源利用という観点からも重要です。しかし、観測機器による気温などの環境記録は古くても1850年代以降に限られており、さらに海洋の観測データは1950年以降に限られているという問題があります。 観測記録の無い時代の環境を調べる方法として、環境を記録する「古環境指標」を解析することで過去の環境を明らかにする手法があります。古環境指標とは過去の環境を記録しているものの総称で、さまざまなものがあります。よく知られているものとして、樹木年輪があげられますが、たとえば樹木の年輪の幅はその年の環境が樹木の成長に適した環境であったかという指標となるので、それを過去にさかのぼって計測することで昔の環境変動を明らかにすることができます。 一方、海の環境を復元するための古環境指標としては、海洋堆積物(海底に降り積もった泥)や、その中に含まれる有孔虫や珪藻などの微小化石、サンゴ骨格などがあります。それらの種構成や、その中に含まれる化学組成などを分析することで、過去のさまざまな環境を明らかにすることができます。しかし、高解像度かつ高緯度海域の古環境指標が無いことが、長周期気候変動のメカニズムの理解が進まない要因のひとつとなっていました。

長寿二枚貝ビノスガイ

私たちの研究グループは、日本沿岸に生息する大型二枚貝「ビノスガイ」に着目し、その貝殻の古環境指標としての有用性を検証しました。二枚貝の仲間のなかには百年以上の非常に長寿命な種がいることが知られており、過去の環境を復元する研究に用いられてきました。上述の樹木年輪のように、貝殻の年間成長量(1年でどれだけ大きくなるか)は「その年の環境が貝の成長にどれだけ適していたか」という指標となり、過去の年間成長量を調べることで過去の環境変動を明らかにできます。このような手法は樹木年輪で最初に発展しましたが(樹木年輪年代学)、近年はその解析手法を長寿二枚貝に応用する研究例が飛躍的に増加してきています。しかし、日本周辺海域においては長寿命の二枚貝はこれまで知られておらず、そうした研究が進んでいませんでした。 私たちの研究グループは2011年の東北地方太平洋沖地震以降、岩手県大槌町の船越湾において津波が生態系に及ぼした影響を調べる調査を継続的に行っており、一連の調査で大型のビノスガイを数個体発見しました。北方の貝は長寿命の傾向があることが私たちの研究グループの予備的な調査でわかっていたため、このビノスガイの年齢査定を行い、古環境指標としての有用性を検証する研究を開始しました。 [caption id="attachment_6895" align="aligncenter" width="600"] ビノスガイの写真。写真の貝の横幅は10cmくらい。岩手県大槌町の船越湾で採取されたうちのひとつが92歳だとわかった。[/caption]

貝殻から環境をどう読み解くのか?

貝の年齢や年間成長速度は貝殻の表面にあるしま模様を観察するだけではわかりません。そのため、まず貝殻を切断し、その切断面を光沢が出るまで研磨し、顕微鏡で観察します。すると、貝殻の断面には周期的なしま模様が見られます。次に、このしま模様が1年に1本形成される「年輪」であることを確かめる必要があります。私たちの研究グループが以前行った研究では、貝殻が形成された当時の水温に依存して量が変化する「酸素同位体比」の分析からしましまの形成時期を特定し、目に見えるしまは冬の間に成長が遅くなることで生じる成長停滞線であり、1年に1本の「年輪」であることを確認しました。さらに、年輪の数え間違えが無いかを確認するために、年輪計数により1950年以前に形成されたと判断した部位に、1950年代に行われた核実験により大量に放出された放射性炭素が含まれていないことを確認しました。このように、年輪計測に間違いが無いよう化学的な手法も併せて入念に調べ上げた上で、大槌から採取したビノスガイの年齢と年間成長量(年輪の幅)の変遷を復元しました。 その結果、2013年に採取したビノスガイの一個体は92歳であり、2011年の東北地方太平洋沖地震による津波だけでなく、1960年のチリ津波、1933年の昭和三陸地震も含め3度の大津波を生き延びてきた長寿個体であったことが明らかになりました。私たちの研究グループは北海道紋別から採取したビノスガイについても同様の研究を行っており、そこでは99歳の個体を発見しました。信頼性の高い手法で日本周辺海域の二枚貝の寿命を調べた例のなかでは、ビノスガイは日本で一番の長寿命の種であると言えます。 [caption id="attachment_6896" align="aligncenter" width="600"] ビノスガイの成長線の写真と模式図。10歳頃までは年間成長量が速く、その後急に成長が低下する。1970年以降に年間成長量が増えたのは、環境の変化によるものである。先端部分を顕微鏡でみると、多くの年輪が見られる。[/caption]

ビノスガイの成長パターンが記録していた環境変動

大槌のビノスガイの年間成長量は1955年頃に低下し、その後1970年から1980年にかけて上昇した後、2000年頃まで低下し、2000年以降は横ばいもしくは微増する、という約40〜50年周期のパターンを示しました。樹木年輪で用いられる手法を応用して環境変動の影響を抽出して調べたところ、興味深いことに、太平洋で採取した貝にもかかわらず、太平洋十年規模変動よりも、大西洋の長周期気候変動である大西洋数十年規模変動に近いパターンを示しました。このような例は、アリューシャン列島から採取された石灰藻の記録にも見られており、長周期の気候変動に関しては太平洋と大西洋がリンクしながら変動している可能性を示していると考えられます。 今回の一連の研究は、ビノスガイが日本最長寿の海産二枚貝であり、長期間にわたる環境を記録していることを明らかにしました。これまでのところ復元できた環境記録はせいぜい数十年ですが、成長時期の異なる個体(生きた状態で採取した個体の殻と、死んだ個体の殻)について、成長パターンを複数個体で照合し類似したパターンをつなぎ合わせることで、環境記録をさらに延伸することも可能です。この手法をもちいることで、過去数百年にわたる古環境記録の復元できれば、長周期気候変動や水産資源変動のメカニズム解明に大いに役立つと期待でき、現在はそのような研究を継続して進めています。 [caption id="attachment_6897" align="aligncenter" width="600"] ビノスガイの年間成長量とAMO、PDOの変遷。右が採取した2013年で、左に行くほど過去にさかのぼる。一番上のグラフは1年間にどれだけビノスガイの殻が成長するかを対数で表したもの。上に行く程年間成長量が多い、つまり良く成長することを示している。二番目のグラフは、上の年間成長量から、樹木年輪年代学でよく使われる手法を使って、環境の影響だけを抽出したもの。上に行く程、貝の成長に適した環境だったことを示している。三番目のグラフは、太平洋の長周期気候変動である「太平洋十年規模変動」(紫色)と、大西洋の長周期気候変動である「大西洋数十年規模変動」(赤色)を示している。興味深いことに、ビノスガイは太平洋で採取したにもかかわらず、大西洋数十年規模変動の方が太平洋十年規模変動よりも似たパターンを示し、変化のタイミングや周期などがよく一致した。[/caption] 参考文献 Kotaro Shirai, Kaoru Kubota, Naoko Murakami-Sugihara, Koji Seike, Masataka Hakozaki, Kazushige Tanabe (2018) Stimpson’s hard clam Mercenaria stimpsoni, a multi-decadal climate recorder for the northwest Pacific coast. Marine Environmental Research, 133, 49-56. Kazushige Tanabe, Toshihiro Mimura, Tsuzumi Miyaji, Kotaro Shirai, Kaoru Kubota, Naoko Murakami-Sugihara, Bernd R. Schöne (2017) Interannual to decadal variability of summer sea surface temperature in the Sea of Okhotsk recorded in the shell growth history of Stimpson’s hard clams (Mercenaria stimpsoni). Global and Planetary Change, 157, 35-47. Kaoru Kubota, Kotaro Shirai, Naoko Murakami-Sugihara, Koji Seike, Masako Hori, Kazushige Tanabe (2017) Annual shell growth pattern of the Stimpson's hard clam Mercenaria stimpsoni as revealed by sclerochronological and oxygen stable isotope measurements. Palaeogeography, Palaeoclimatology, Palaeoecology, 465, 307-315,]]>
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「ドレミファソラシ」は虹の七色? - 音を聞くと色を感じる現象に迫る https://academist-cf.com/journal/?p=6904 Tue, 23 Jan 2018 01:00:12 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6904 音と色の共感覚 音や音楽を聞くと色を感じる脳の現象を「共感覚」といいます。共感覚を持つ人は周りには少ないかもしれませんが、F.リスト、N.リムスキー=コルサコフ、J.シベリウス、エドワード・ヴァン・ヘイレン、佐渡裕など、古今東西、音楽家には比較的多くみられます。共感覚の特徴として、色の感覚には個人差が大きいことが知られています。つまり、ニ長調などの調性の色についてリストとリムスキー=コルサコフの意見が合わなかったように、音と色の対応には一定の法則はなく、でたらめに決まっているようです。これは、共感覚による知覚体験が個人に特有で、普遍性がないことを意味します。O.メシアンは、自らの共感覚に基づいて作曲をしましたが、他の共感覚者や(共感覚を持たない)私がその曲を鑑賞して得られる印象は、メシアンの意図したものとは、おそらく異なるでしょう。 しかし本当に、音と色の対応には、何の規則もないのでしょうか。アルファベットに色を感じるタイプの共感覚では、文字と色の対応はでたらめだと以前は思われていましたが、多数の被験者を集めて統計学的な傾向を調べたところ、Aは赤、Bは青に感じられやすいなど、ある程度の法則があることが判明しました。音と色の共感覚については、まだ、少数の共感覚者を対象としたものが散発的にあるのみで、十分な検討がされていません。そこで15名というこれまでにない多くの共感覚者を集めて、音と色の関係を、あらためて詳しく調べてみました。

ピッチの螺旋モデル

音楽についての共感覚にもいろいろな種類があり、たとえば特定の曲や、調性や、和音などに色を感じる人がいます。ここでは、音楽の基本要素である単音の音高知覚(ピッチ)について、色の感覚を調べました。 音楽では、音の基本周波数が2倍になると、1オクターブ高い同じ音と見なされます。つまりピッチは、低い音から高い音が、単純な一直線ではなく、螺旋状に並んでいると考えることができます。これをピッチ知覚の螺旋モデルといいます。このとき、円状に並ぶドレミなどの音の種類を「ピッチクラス」と呼びます。互いにオクターブ関係にある音を、縦串でまとめた概念です。そして、この縦方向の次元に対応する知覚を「ピッチハイト」と言います。普通の意味での音の高さにあたる概念です。 [caption id="attachment_6908" align="aligncenter" width="600"] ピッチの螺旋モデル。ピッチの知覚は、ピッチクラス(pitch class)とピッチハイト(pitch height)の2つの成分を持つと考えられる。ピッチクラスはピッチクロマ(pitch chroma)とも呼ばれる。同じピッチクラスに属する音はオクターブ関係にあり、似たように知覚される。[/caption] ここで、ピッチに対する共感覚も、ピッチハイトとピッチクラスの2つの成分に分けて考えることにします。まず、ピッチハイトと色の共感覚では、高い音は明るく、低い音は暗く感じられることが、以前からよく知られています。これは、文化を問わない普遍的な現象で、チンパンジーにもこの共感覚があるようです。一方、ピッチクラスと色の共感覚については、ほとんど調べられていません。そもそも、ピッチの共感覚を2つの成分に分ける発想が、我々の研究に独自です。つまりこれまでは、ピッチを螺旋ではなく一直線に並べる方式で、色との関係をとらえようとしていたのです。

ピッチクラスの色

しかし、ピッチクラスに対する色を調べようとして音を聞かせると、そこには必ずピッチハイトの情報も含まれてしまいます。そこで私たちは、「“ソ”に感じる色を教えてください」のように、言葉で指示することにしました。これにより、音高情報をはぎ取った“ソ”という概念(つまりピッチクラス)に対する色を調べられます。被験者には、パソコンの色を選ぶツールで、つまみをマウスで自由に動かしながら、自分の感じる色を作成してもらいました。これを、ドからシまでのすべての音について、ランダムな順番で行い、作成された色はRGB(色の3原色)の数値で記録しました。このテストは1日に2回行い、さらに約3か月後にも再び2回行い、計4回分のRGBの数値を、被験者ごとに平均しました。その結果が下の図です。 [caption id="attachment_6909" align="aligncenter" width="600"] 共感覚者15名の選んだ色を〇、全員の色の平均を□で示した(色を感じられない音は〇を省略してある)。個人差はあるものの全体の傾向として、ドの赤からシの紫まで、音階には虹のような色が付いている。[/caption] 選んでもらった色には、個人差がありました。しかし、被験者間で色の平均値を計算して、全員に共通するパターンを探ると、ドは赤、レは黄色など、ドレミファソラシの七つの音と虹の七色が、ほぼその順番で対応する、隠れた法則が明らかになりました(ただしファは、このルールから逸脱しているように見えます)。 さらに、この図をよく見ると興味深いことに気付きます。ド#とレ♭は、異名同音といい、名前は違いますが同じ音です。このような場合、色は同じになりません。ド#はドに似て赤っぽく、レ♭はレに似て黄色っぽい色になっています。つまり、ピッチクラスに対する色の感覚は、音名に影響されるのです。心理学実験で詳しく調べると、音を聞いて色を答えるよりも、音名を聞いて色を答える方が、反応が速いことがわかりました。色は音そのものよりも、音の名前と強く結びついているのです。とするとこの現象は、音に対する共感覚というよりは、音名に対する共感覚と理解した方が良さそうです。

なぜ虹の七色か?

なぜこのような結びつきが生じるのか、原因は不明です。「レはレモンのレ」や「ソは青い空」など、誰もが小さい頃に歌う「ドレミの歌」が影響している可能性はありますが、ドの赤やシの紫など説明できない部分も残るので、決定的な説明にはなりません。子供のピアノ教室でドは赤などと鍵盤に色シールを貼ることがありますし、おもちゃの楽器の鍵盤には虹の配色のものが多いので、小さい頃にこういったものを見た経験が影響したのかもしれません。しかし、何故そもそも音楽の先生や玩具メーカーがこの配色にしたのか、という問題が出てきます。こういった疑問に答えるには、文化や言葉の違う海外でも同じ結果が得られるのか、調べる必要があります。 音楽は音の芸術です。しかし音楽を聴いていると風景を連想したり、つい身体を動かしたくなったりするなど、音楽には音の範疇には留まらない、多感覚的な体験を引き起こす力があります。共感覚はその極端な例と言えるでしょう。共感覚の解明は、我々の脳が何故どのように音楽に心を動かされるのかという未解明の難問に、ヒントを与えてくれるかもしれません。 参考文献 Itoh K, Sakata H, Kwee IL, Nakada T. Musical pitch classes have rainbow hues in pitch class-color synesthesia. Scientific Reports 7(1):17781, 2017. doi: 10.1038/s41598-017-18150-y.]]>
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自分に都合のいいように環境改変 - 外来種アメリカザリガニの成長戦略 https://academist-cf.com/journal/?p=6935 Tue, 30 Jan 2018 01:00:58 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6935 外来生物はなぜ定着できるのか? 外来種や外来生物という言葉を耳にする機会が増えています。外来生物とは、人間活動によって、本来生息していなかった地域に他の地域から導入された生物のことです。アニメの影響でペットとして輸入されたアライグマや、ハブの天敵として導入されたマングースが日本における外来種の代表例として挙げられます。外来生物は、在来生物を捕食したり、餌や住み場所をめぐって在来生物と競争したりすることで、在来生物の存続を脅かします。それだけでなく、農作物を荒らしたりすることで人間の経済活動にも影響を及ぼします。 では、なぜ外来生物は導入された地域に定着し、繁栄できるのでしょうか? すべての生物は自然選択と呼ばれる進化プロセスの結果、生息場所の気候や環境に適応できたものが生き残っています。新しい場所に導入された外来生物は、ほとんどの場合、本来の生息場所とは異なる環境に対応できずに定着に失敗しますが、一部の外来生物は導入先で個体数や分布を拡大し、時に在来生物を打ち負かしてしまうのです。外来生物の定着を可能にしている仕組みを明らかにすることは、外来生物の侵入や拡大を予測したり、抑制したりするうえで重要な取り組みです。 私たちは、外来生物の定着メカニズムとして、生物の環境改変による自己促進効果に着目しました。一部の外来生物は物理的な環境を改変することで、自分や他者にとっての餌や住み場所の量や質を変えてしまいます。環境改変の結果、外来生物自身に有利な環境が生まれれば、導入先に定着することが容易になると考えられます。つまり、新たな環境に適応するのではなく、環境自体を自分の都合のいいように変えてしまおうという発想です。このような効果を「自己促進効果」と呼びます。これまでの研究では、植物や二枚貝といった固着性の生物でしか自己促進効果は実証されていなかったのですが、私たちは捕食性の動物であるアメリカザリガニにおける自己促進効果を示すことに成功しました。

アメリカザリガニの自己促進効果仮説

北アメリカを原産とするアメリカザリガニは1920年代に食用のウシガエルの餌として日本に持ち込まれました。それ以降、野生化した個体が分布を広げ、現在では全国各地の湖沼や水田、水路などに生息しています。アメリカザリガニをよく観察すると、水草を切断するという不思議な行為をすることに気づきます。ザリガニは雑食性ですので、水草を食べることもあるのですが、切るだけで食べずに、切断された水草が水面に浮いていることが多々あります。一見すると無意味なこの行動が自己促進効果をもつことを明らかにしたのが今回の研究です。 湖沼において水草は水生昆虫や魚類にとって重要な隠れ場所を提供しています。したがって、ザリガニによって水草が切断されると、隠れ場所が無くなり、水生昆虫や魚類にとっては捕食される危険性が高まります。水草を利用する水生動物には、ヤゴ(トンボ幼虫)やアカムシ(ユスリカ幼虫)など、ザリガニの餌動物も含まれます。したがって、水生動物は隠れ場所の喪失と捕食という2種類の影響をザリガニから被ることになります。一方で、ザリガニにとっては、水草という隠れ場所を除去することで、餌である水生動物が探しやすくなるというメリットが生まれる可能性があります。ここから、ザリガニが多くなると水草が大きく減少し、餌動物への捕食効率が高まることで、ザリガニの成長率が高まると予想しました。

水槽実験による検証

この自己促進効果を検証するために、底面積が0.75cm2の大型水槽を用いた実験を2種類行いました。まず、導入するザリガニの数を1、2、4匹と変え、水草を入れた水槽と入れていない水槽に分けました。また、ザリガニの餌としてヤゴとアカムシを各水槽に同じ量だけ導入しました。その結果、ザリガニの数が増加するほど、ヤゴやアカムシ、水草が大きく減少しました。そして、水草がない水槽ではザリガニの個体数が増加するほど、ザリガニの成長率(実験期間中の体重の増加率)が減少する傾向を示したのに対し、水草がある水槽では、ザリガニの個体数が増加すると成長率も増加するという反対のパターンを示したのです。通常、生物は個体数が増加するほど各個体の餌の取り分が少なくなるので、成長率は低下します。しかし、今回の実験結果では、水草がある状況では、ザリガニの個体数が多いほど成長が高まるという逆の現象が観察されたのです。 次に、この逆転現象のメカニズムを明らかにするために、人工水草を用いた実験を行いました。この人工水草はザリガニに切断されないプラスチックでできており、水草の隠れ場所としての機能を評価することが可能です。今度は導入するザリガニの数は一定にし、人工水草の密度を変えてヤゴやアカムシの生存率やザリガニの成長率を調べました。その結果、人工水草の密度が上昇するにつれて、ヤゴやアカムシが多く生残するようになり、さらにはザリガニの成長率が低く抑えられることがわかったのです。つまり、水草の隠れ場所としての機能がザリガニの捕食効率と成長率を規定することが示されました。2つの実験から、ザリガニ密度の増加→水草の減少→ザリガニの捕食効率の上昇→ザリガニの成長率の上昇という自己促進効果のプロセスが実証されたことになります。 [caption id="attachment_6931" align="aligncenter" width="600"] (左)実験の風景と(右)使用した人工水草[/caption] [caption id="attachment_6932" align="aligncenter" width="600"] (左)ザリガニの個体数と成長率の関係(灰色:水草あり、白:水草なし)と(右)人工水草の密度とザリガニの成長率の関係。Nishijima et al. (2017)を元に改変。[/caption]

ザリガニによるレジームシフト!?

実は私の専門は実験や観察を行うことではなく、数理モデルを使って生態系のダイナミクスを理解したり、予測したりすることです。今回の実験で実証されたプロセスをモデル化するとザリガニが低密度の状態から高密度の状態へと突発的に推移するという興味深い現象が生じます。これは、ザリガニが少し増加すると水草が減少し、それによって捕食効率が上がり、成長が良くなることでさらにザリガニが増加するという「正のフィードバック」が起こるためです。 今回の実験では、ザリガニの成長率の上昇がザリガニの高密度化につながるかどうかまでは検証できていません。しかし、野外ではザリガニが突発的に大発生することが確認されており、環境改変による自己促進効果がザリガニの大発生を誘発していると考えられます。このように、少しの変化がきっかけとなって生態系の劇的な変化が生じることを「レジームシフト」と言います。レジームシフトについては『生態系崩壊を告げる「預言者」を探せ?! – レジームシフト研究の最前線』で詳しく扱われていますので、ぜひこちらの記事もご覧ください。

アメリカザリガニを適切に管理するために

高密度で定着した外来生物を根絶させるのはとても困難です。このような場合、外来種を低密度に抑制し、その影響を抑える管理が現実的な対策となります。しかし、アメリカザリガニに対してはカニカゴ等を用いた駆除が行われている湖沼もありますが、多くの場合でそれほど効果的ではありません。駆除以外の対策として考えられるのは、生息地管理です。今回の自己促進効果を逆手に取って、ザリガニに切断されにくい水草を導入すれば、ザリガニの成長が抑えられると同時に、ヤゴなどの水生動物にとっての隠れ場所を提供できます。ザリガニが侵入した湖沼の生物多様性を守るためには、駆除と生息地管理の組み合わせによって、ザリガニの低密度化と生態系の再生に根気強く取り組む必要があります。 [caption id="attachment_6933" align="aligncenter" width="600"] (左)千葉県の印旛沼で捕獲されたアメリカザリガニ。後ろに映るのはザリガニの排除柵であり、柵内に水草を導入して復活させようとする試みが実施されている。(右)静岡県桶ヶ谷沼におけるザリガニや水生動物のモニタリング調査。この沼にはベッコウトンボをはじめとする希少なトンボ類が数多く生息するが、ザリガニの大発生によりその存続が脅かされている。[/caption] 参考文献 Nishijima S., Nishikawa C., and Miyashita T. (2017) Habitat modification by invasive crayfish can facilitate its growth through enhanced food accessibility. BMC Ecology 17: 37. ]]>
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タンパク質が金ナノ粒子の配列を制御する! - バイオ物質と人工物の融合 https://academist-cf.com/journal/?p=6948 Wed, 31 Jan 2018 01:00:39 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6948 バイオ物質のホモキラリティー 天然に最も良く見られる19種のL-アミノ酸とアキラルなグリシンからなるタンパク質やデオキシ-D-リボースが組み込まれたデオキシリボ核酸(DNA)など、自然界のD体、L体の存在比には偏りがあります。これをホモキラリティーと呼びます。これは、はじめは小さい偏りが生じたのち、増幅されたと考えられています。この初めの偏りの起源には偶然説や必然説などの諸説あります。一方で、人工的な系ではD体、L体は等しく(ラセミ体)作られる場合が多く見受けられます。 このようなD体とL体の関係は鏡像関係であり、キラルであるといいます。そして我々の世界には偏りがあって、キラルな物質に囲まれているのです。私たちは、このホモキラリティーから生命を考えられずにはいられないのです。事実、生体はホモキラリティーに制御されて生命活動を維持していると言っても過言ではありません。

金ナノ粒子とは?

金属のナノ粒子はナノメートルサイズの微粒子を指し、バルクとは異なった物性を示すようになります。特に、金のナノ粒子は可視光領域の光と相互作用する局在表面プラズモン共鳴(LSPR:Localized Surface Plasmon Resonance)と呼ばれる電子の共鳴振動現象が知られていて、金ナノ粒子のコロイド分散溶液は赤色や紫色、青色等を呈します。実際に、金貨などは黄金色ですが、金ナノ粒子がガラスに散りばめられたステンドグラスは赤・青や紫色など色彩豊かとなります。 [caption id="attachment_6943" align="aligncenter" width="600"] 教会のステンドグラス[/caption] この局在表面プラズモン共鳴特性は金ナノ粒子の形状やサイズに大きく依存します。たとえば、球状金ナノ粒子は局在表面プラズモン共鳴に由来する可視光領域の吸収帯をひとつ、棒状金ナノ粒子(金ナノロッド)は可視光から近赤外光領域の吸収帯を2つ有しています。特に金ナノロッドの吸収帯は粒子のアスペクト比(長軸長と短軸長の比)に大きく依存するため、このコロイド分散溶液の色は紫、青、緑、茶色などさまざまです。 このような魅力的な電子・光学的特性はエレクトロニクス、フォトニクス、光線力学療法、ドラックデリバリーシステム、バイオイメージングなど広範囲な分野でさまざまな実用的応用が期待されます。最近では金ナノ粒子の合成研究が急速に発展して、これまでに球、棒、正六面体などのさまざまな形状制御が可能となってきました。 [caption id="attachment_6944" align="aligncenter" width="600"] 現在までに報告されているさまざまな形状の金ナノ粒子の例[/caption]

棒状の金ナノ粒子を並べて新たな光学特性を出現させる

金ナノ粒子は凝集、配列・配向すると局在表面プラズモン共鳴に由来する光特性が大きく変化し、新たな集団的光物性を示します。このような金ナノ粒子の自己組織化研究は、この特異な光学特性によりバイオセンサや光学デバイスへの応用が期待されます。特に、異方性の金ナノロッドの配列はパターンの多様性が期待でき、長軸同士を重ね合わせたside-by-side型や、単軸同士を付き合わせたend-to-end型などとして知られます。我々は、この配列パターンの多様化により、単一分散状態では認識不可能な高次元での変化を識別できるようになると考えています。 [caption id="attachment_6945" align="aligncenter" width="600"] 金ナノロッドの配列パターン[/caption] 特にキラルな金ナノ粒子集合体には注目が集まっていて、不斉ポリマーのテンプレート、DNA折り紙、アミノ酸、ペプチドなどを使って報告がされています。一方で、大きなタンパク質を用いたキラル金ナノロッド集合体の報告は殆どありませんでした。バイオ技術とナノテク技術の融合は、最近新たなナノバイオテクノロジーというものづくり技術として注目されています。

キラルな棒状金ナノ粒子集合体を創る

私たちは、棒状金ナノ粒子である金ナノロッドとキラルな生体高分子であるタンパク質の相互作用によるねじれた棒状金ナノ粒子集合体を創ることに成功しました。金ナノロッドはCTAB(臭化ヘキサデシルトリメチルアンモニウム)と呼ばれる界面活性剤の二重膜によって覆われていて、溶液中ではその界面はプラスに帯電し、静電反発によって分散しています。ここに、等電点が弱酸性であるタンパク質(今回は血清アルブミン)を添加すると、水溶液中でマイナスに帯電したタンパク質が金ナノロッドと静電的な相互作用によって集合化が引き起こされることが明らかとなりました。 この集合体は金ナノロッドの長軸同士を重ね合わせた‟side-by-side型”と呼ばれる配列の揃ったものであることが電子顕微鏡観察によって証明できました。この集合体の円二色性(CD)スペクトル測定の結果、金ナノロッド自体の可視光から近赤外光領域の吸収帯にキラル性を表す巨大なコットン効果が確認され、集合体のねじれ方向には偏りがあることが明らかとなりました。このねじれの偏りを評価するものにg-ファクターと呼ばれる異方性因子という指標がありますが、このキラル金ナノロッド集合体のg-ファクターは1.6×10-2という数値に達し、これは記録的な値でした。さらに、分散溶媒の組成に依存したねじれ方向の逆転現象やタンパク質の種類を変えることによるキラルシグナルの制御が可能となるという非常に興味深い結果も得られました。現在は、これらの外部環境応答性に関する詳細な検討を行っています。 [caption id="attachment_6946" align="aligncenter" width="600"] キラルにねじれた棒状金ナノ粒子の集合体[/caption]

超高感度なセンサへの期待

このねじれた棒状金ナノ粒子の集合体は、金ナノロッドに由来する可視光から近赤外光領域に巨大なプラズモン円二色性シグナルを有しています。このプラズモン円二色性シグナルを利用することによって、3次元構造の微細な変化(揺らぎなど)にも応答可能となるため、さらに高感度なセンサ技術への応用が期待されます。 また今後は、金ナノ粒子が示す特徴的な局在表面プラズモン共鳴を利用した光電場増強効果や非線形光学現象を最大限に利用したナノマテリアルへの展開を考えています。 参考文献 Hideyuki Shinmori, Chihiro Mochizuki, “Strong Chiroptical Activity from Achiral Gold Nanorods Assembled with proteins” Chem. Commun. 2017 53, 6569-6572.]]>
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砂糖水に潜む、水分子の不思議な振動 - ブルーシフトの分子メカニズム解明 https://academist-cf.com/journal/?p=6912 Thu, 01 Feb 2018 01:00:15 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6912 我々の体と炭水化物 皆さんが毎日必ず口にしているもの、それは炭水化物です。もちろんお菓子を食べたり、ジュースを飲んだりすれば糖を摂取しますし、ご飯を食べるとデンプン、野菜を食べればセルロースとして、炭水化物を摂取したことになります。 [caption id="attachment_6913" align="aligncenter" width="600"] 日常にあふれる炭水化物の例。砂糖、デンプン、セルロースなど、その形はさまざま。[/caption] これらの炭水化物は、我々の体の中ではそのほとんどが、単糖(C6H12O6)に分解されて体を巡っています。また、我々の体の約7割は水で構成されていることから、体内を巡る単糖は、水分子と相互作用しながらさまざまな機能に関わっていることが想像できるかと思います。単糖やそれと相互作用している水分子を検知することができれば、尿や血中の単糖の量や状態を把握できるようになるため、糖尿病などの単糖が関わる疾患の早期診断法の開発につながります。実際、健康診断等でよく使用されるMRI(核磁気共鳴画像法)は、体の中の水分子を可視化しており、癌や炎症による水分子の変化を検出することで、診断を可能にしています。

水分子の観察方法とブルーシフト

水分子は、体の約7割を構成する物質であること、炭水化物を始めとする生体分子の機能や安定性を考えるうえで重要な研究対象です。しかし、水分子のO-Hの長さは約10-10 mと大変小さい物質であるため、直接顕微鏡などを使って観察することは困難です。 水分子は、酸素原子と水素原子がそれぞれバネで結ばれた様な状態にあるため、O-Hが振動運動を行っています。このような水分子の振動は、光を始めとする電磁波を用いて観察することが可能です。分子は、運動の種類によって吸収する光の種類(振動数)が異なるため、吸収された光を解析することで、水分子がどのような運動を行っていたか特定することが可能となります。このような方法は分光法と呼ばれ、分光法によって得られた振動運動の強さを振動数ごとに並べたもの(スペクトル)を解析することで、水分子の振る舞いを詳細に知ることができます。水分子のスペクトルは、温度や圧力などの周辺環境、他の物質との相互作用によって敏感に変化することが知られており、スペクトルの変化を見ることで、水分子の様態やダイナミクスを理解することができます。 [caption id="attachment_6914" align="aligncenter" width="600"] スペクトルの概念図。運動の種類によって、吸収する光の種類、つまり振動数が異なる。[/caption] 近年、特定の溶液を対象とした分光法によって、溶質の周りに存在する近接した水分子(水和殻)が、通常の水分子に比べてスペクトルのピークが高振動数側にシフトする現象(ブルーシフト)が報告されました。つまり、通常の水分子よりも速い振動現象を示す水分子が溶質近傍に観測されたのです。普通に考えると、溶質近傍の水分子は溶質との水素結合によって安定に存在しているため、スペクトルは低周波数側にシフトするのでは?と思うかもしれません。実際、レッドシフトを示す水分子も存在します。しかし、溶質の周りで普通とは異なる運動を示す水分子は、どのような状態で存在しているのか、なぜ、ブルーシフトやレッドシフトが観測されるのか、詳しい分子メカニズムは未解明なままでした。

グルコース水溶液中のブルーシフトの発見

本研究では、グルコースなどの単糖水溶液を対象に、ラマン分光法および分子シミュレーションによる双方向的アプローチを行うことで、長年未解明であったブルーシフトの分子メカニズムを解明しました。まず、ラマン分光法によって、濃度の異なる複数のグルコース水溶液のスペクトルを測定しました。次に、Self-modeling curve resolution(SMCR)法を用いて、溶質由来のスペクトル変化だけを抽出したことで、単糖との相互作用に起因したブルーシフトを示す水分子が存在することを見出しました。 [caption id="attachment_6915" align="aligncenter" width="600"] 単糖水溶液中のブルーシフトの様子。水溶液の中では、単糖水和殻中の水分子は特異な構造をとる。本研究によって、このような水分子がブルーシフトを示すことを発見した。[/caption]

ブルーシフトの分子メカニズムの解明

本研究では、分子シミュレーションのひとつである第一原理分子動力学シミュレーションを用いて、実験で観察されたブルーシフトの分子メカニズムの特定を行いました。シミュレーションの水分子のスペクトルを計算したところ、実験と同様にブルーシフトを観測することに成功しました。さらに、このブルーシフトは、グルコースのみでなく、マンノースやガラクトースといった構造が異なる他の単糖水溶液でも見出すことができました。 次に、単糖と相互作用している水分子のうち、どのような水分子がブルーシフトを示すのか調べました。本研究で用いた分子シミュレーションでは、原子ひとつひとつの動きを直接観察することが可能です。まず単糖周りの水分子の分布について調べたところ、ブルーシフトを示す水分子は、単糖周りのどこか特定の場所に局在しているわけではなく、広がりを持って点在していることがわかりました。さらに、このようなブルーシフトを示す水分子は第一水和殻の外側に位置するように分布していること、そのなかでも外側を向いているOHの振動が特に強いブルーシフトを示すことを世界に先駆けて解明しました。 [caption id="attachment_6916" align="aligncenter" width="600"] ブルーシフトの分子メカニズム。(A) 単糖周りの水和殻の様子であり、ブルーシフトを示す水分子が多く存在する部分。中央水色が単糖、周辺の赤色がブルーシフトを示す水分子の分布を表している。(B)強いブルーシフトを示す水分子の分布の概念図。[/caption]

おわりに

本研究では、ラマン実験および分子シミュレーションを用いて、単糖水溶液中の水分子がブルーシフトを示すこと発見しました。また、分子シミュレーションを解析することで、単糖水溶液中のブルーシフトの分子メカニズムを明らかにしました。これらの知見は、溶質種固有の水分子スペクトル変化を用いた次世代センシング法の確立に貢献することが考えられます。さらに、溶質の安定性や機能における水分子の役割の解明につながるため、生物・医学・化学を超えた、さまざまな分野への波及効果も期待されます。 参考文献 K. Tomobe, E. Yamamoto, D. Kojic, Y. Sato, M. Yasui, and K. Yasuoka, Origin of the blueshift of water molecules at interfaces of hydrophilic cyclic compounds, Science Adv., 3, e1701400, 2017. K. Tomobe, E. Yamamoto, M. Yasui, and K. Yasuoka, Effects of temperature, concentration, and isomer on the hydration structure in monosaccharide solutions, Phys. Chem. Chem. Phys., 19, 15239, 2017. J. G. Davis, K. P. Gierszal, P. Wang, D. Ben-Amotz, Water structural transformation at molecular hydrophobic interfaces, Nature, 491, 582, 2012.]]>
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神経細胞の軸索輸送は、たくさんの分子モーターで運ぶお神輿輸送だった! https://academist-cf.com/journal/?p=6959 Mon, 05 Feb 2018 01:00:42 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6959 軸索内の小胞輸送 私たちの体を構成している細胞の中では、人間社会のようにさまざまなタンパク質が役割分担して働いています。たとえば細胞内は道路である微小管が張り巡らされ交通網が発達しており、物質は小胞としてパッキングされ、宅配便役のキネシンやダイニンといった分子モーターに輸送されています。特に神経細胞の長い軸索ではさながら高速道路のように宅急便が行き交っています。 人手不足による宅配便の停滞が社会問題であるのと同様に、運び手である分子モーターの障害はアルツハイマー病、パーキンソン病、ハンチントン病といったさまざまな神経疾患の原因になります。小胞輸送の計測はこれらの疾患の理解や新しい治療法の開発に必須の技術ですが、傷つきやすく複雑な環境を持つ細胞内では力測定などの物理計測が困難であるため、小胞輸送の計測は進んでおらず、細胞を傷つけない非侵襲な細胞内の力測定技術が必要とされてきました。

ゆらぎを利用した非侵襲力測定

溶媒中で小さな粒子(〜1μm)は熱ゆらぎに起因する溶媒分子の衝突でゆらぎます。これをブラウン運動と言います。神経細胞内の小胞も周囲の分子との衝突でゆらいでいます。分子の衝突の影響が大きいので小さい小胞ほどたくさんゆらぎます。私たちはこのゆらぎと小胞にはたらく力に相関があることを見つけました。この発見により、小胞に働く力を小胞の重心位置のゆらぐ運動から見積もることができるようになりました。細胞に力を加えたり傷つけたりせずに、小胞の重心位置のゆらぎは小胞を観察するだけで非侵襲的に得られます。たくさんの分子モーターが運べば大きな力が出るし、ひとつの分子モーターでは小さな力しか出ません。測定の結果、力の大きさから小胞は数個の分子モーターに協同で輸送されていることがわかりました。神経細胞軸索輸送ではひとつの分子モーターで輸送するのでなく主に2、3個の分子モーターで輸送することで安定した輸送を実現していると考えられます。

神経細胞内の物質輸送でも起こっていた! 運転手不足による宅配危機

非侵襲性が特徴である「ゆらぎによる力測定法」は生きたままの個体で用いることが可能です。そこで私たちは生きている線虫内の小胞輸送に力測定法を応用することを考えました。 シナプス形成の異常はアルツハイマー病の発症に密接に関係しています。以前の研究で線虫内のシナプスの材料の輸送を制御しているタンパク質が欠損するとシナプス形成位置に異常が出ることが知られていましたが、分子モーターに及ぼす影響を直接測定することはできませんでした。今回、小胞の力測定を行った結果、このような異常が出る線虫ではシナプスの材料を運ぶ分子モーター数が減少することを突き止めました。お神輿の輸送のように大勢の分子モーターで輸送すれば安定した輸送を実現できますが、運び手である分子モーターが減ってしまうと輸送が弱まり異常が起こると考えられます。 シナプス形成位置の変化という神経科学的な問題を力や分子モーター数などの物理的パラメータから定量的に議論することが可能になりました。神経疾患で原因タンパク質の同定が進むなか、小胞輸送障害の物理的原因はあまり調べられていませんでしたが、非侵襲力測定を用いて物理的原因を明らかにすることにより、疾患メカニズム解明に役立つと期待されます。 参考文献 Hayashi et al., Application of the fluctuation theorem for non-invasive force measurement in living neuronal axons biorxiv doi:https://doi.org.10.1101/233064 Niwa et al., Autoinhibition of a neuronal kinesin UNC-104/KIF1A regulates the size and density of synapses Cell Reports, 16, 1-13 (2016) Hayashi et al., Non-invasive force measurement reveals the number of active kinesins on a synaptic vesicle precursor in axonal transport regulated by ARL-8 Physical Chemistry Chemical Physics,doi: 10.1039/C7CP05890J (2018)]]>
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ぶつぶつってなんでこんなにも気持ち悪いの!? - トライポフォビア研究のいま https://academist-cf.com/journal/?p=6966 Wed, 07 Feb 2018 01:00:05 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6966 トライポフォビアとは カエルの卵や蜂の巣、蓮の花托など、丸い物体が集まっていてぶつぶつしているものって気持ち悪いですよね。この気持ち悪さは、集合体恐怖(トライポフォビア)と呼ばれています。下にトライポフォビアを引き起こす代表例(ここでは、トライポフォビック対象と呼びます)の蓮の花托の写真を載せていますが、人によっては強烈な気持ち悪さを感じると思うのでモザイクをかけています。モザイク無しの写真に興味のある方は「蓮の花托」で検索してみてください。 [caption id="attachment_6962" align="aligncenter" width="600"] モザイク加工した蓮の花托[/caption] トライポフォビアは、まずインターネットを中心に話題になりました。ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、Facebookのページもあります。また、蓮の花托を人の肌にコラージュした「蓮コラ」も一時期流行し、そのような画像がこぞってネット上にアップロードされていました。このように、トライポフォビアについては、人々は気持ち悪さを感じつつも一種の娯楽的な楽しみ方もしています。さて、ぶつぶつしたものはどうしてこんなにも気持ち悪いのでしょうか。

トライポフォビアに関係する視覚的な特徴

トライポフォビアが初めて学術的に取り上げられたのは、2013年のことでした。エセックス大学の研究チームが、トライポフォビックな対象には独特な視覚的特徴があることを示しました。まずはこの研究について紹介します。 我々の視覚体験は、さまざまなきめの細かさに関する情報(空間周波数)が集まって成り立っています。低い帯域の空間周波数情報はぼんやりとしたきめの粗い特徴を含んでいて、高い帯域の空間周波数情報は輪郭線などのきめの細かい特徴を含んでいます。エセックス大学の研究チームは、中程度の帯域の空間周波数情報がトライポフォビアを引き起こしやすいことを示しました。さらに彼らは、トライポフォビック対象の空間周波数情報が、毒ヘビなどの有害生物のそれと類似していることまで明らかにしました。 本当に中域の空間周波数情報だけがトライポフォビアに関わっているのでしょうか。我々はトライポフォビック対象から中域の空間周波数情報だけを取り除いた写真(中域除去画像)を作成し、その写真が引き起こす不快感を測定しました。しかしながら、この中域除去画像は元々のトライポフォビック対象の写真と同じくらい不快であることがわかりました。したがって、中域の空間周波数情報だけがトライポフォビアに関わっているわけではないことがわかりました。 さらに、我々はトライポフォビック対象の低域の空間周波数情報だけを残した写真(低域保存画像)、中域の空間周波数情報だけを残した写真(中域保存画像)、高域の空間周波数情報だけを残した写真(高域保存画像)を作成し、それぞれの写真が喚起する不快感を測定しました。その結果、低域保存画像と中域保存画像が、元々のトライポフォビック対象の写真と同じくらい不快であることがわかりました。さらに、トライポフォビアを感じやすい人ほど、これらの写真から強い不快感を感じることが明らかになりました。つまり、トライポフォビアにはきめの粗い特徴ときめの細かさが中程度の特徴が関与していることが判明しました。 [caption id="attachment_6963" align="aligncenter" width="600"] トライポフォビック対象ときめの細かさ(空間周波数)の関係[/caption]

トライポフォビアは恐怖ではなく嫌悪

さて、ここまでトライポフォビアがどのような視覚的な特徴と関係しているかを調べた研究を紹介してきました。しかしながら、このような視覚的な特徴だけがトライポフォビアに関係しているわけではありません。そもそもトライポフォビアは、フォビア(つまり恐怖)なのでしょうか。この点について、東京大学と千葉大学の研究チームが、トライポフォビアが恐怖ではなく嫌悪感である可能性を示しました。彼らは、トライポフォビアを感じやすい人にどんな特徴があるかを調べました。その結果、トライポフォビアの感じやすさと排泄物などに対する嫌悪感の感じやすさの間に関係があることがわかりました。この研究以降にも、トライポフォビアが嫌悪感である可能性を示す研究が発表されました。 トライポフォビアが嫌悪感であることはわかりましたが、円形物体の集合がどうして嫌悪感を喚起するのでしょうか。そもそも嫌悪とは、外界から自身が汚染されることを回避するために生じる感情と言われています。上述の研究でトライポフォビアと関係することがわかった嫌悪は、そのなかでも「中核的嫌悪」というもので、これは対象から毒物を摂取したり病原体が感染するのを防いだりするための反応です。 そこで我々は、ヒトがトライポフォビック対象から皮膚病を連想し、その感染を避けようとする回避反応として嫌悪感が生じているという仮説(不随意的皮膚病予防 [IPAD] 仮説)を提唱しました。とびひやヘルペスなどの皮膚病は、円形の湿疹が集合して発生する(つまり見かけがトライポフォビック対象と似ている)うえに、ヒトからヒトへ感染すると言われています。IPAD仮説は、たとえ皮膚病とは関係しないトライポフォビック対象を見た場合であっても、この種の認知機能が(誤って)働いてしまうのではないかという考えです。この仮説と一致する知見として、皮膚病に感染したことがある人の方がトライポフォビック対象を不快に感じることを示しました。このことは、皮膚病に感染したことがある人はより鮮明に皮膚病を連想し、感染への強い回避反応を示したことを示唆しています。 [caption id="attachment_6964" align="aligncenter" width="600"] 皮膚病経験者と皮膚病非経験者のトライポフォビック対象への不快感の強さ[/caption]

さいごに

以上から、トライポフォビアにはきめの細かさに関する視覚的な特徴と皮膚病感染を避けようとして生じる嫌悪感が関わっていることがわかりました。先ほども述べた通り、トライポフォビア研究は2013年に始まったばかりで、まだまだ謎が多いです。さらに多くの研究がなされていくことで、いろいろなことがわかっていくことでしょう。 また、2018年1月現在、米国精神医学会には疾患として認められていませんが、最近になって症例報告に関する論文が世界で初めて報告されました。基礎研究の知見だけではなく、今後は臨床現場からもたくさんの知見が提供されるかもしれません。トライポフォビア研究から目が離せません! 参考文献 佐々木恭志郎・山田祐樹 (印刷中). トライポフォビア―過去から未来へ― 認知科学, 25(1). [認知科学誌の許可を得てプレプリントを先行公開中] Sasaki, K.*, Yamada, Y.*, Kuroki, D., & Miura, K. (2017). Trypophobic discomfort is spatial-frequency dependent. Advances in Cognitive Psychology, 13, 224-231. (*同等貢献著者) [こちらで読めます] Yamada, Y., & Sasaki, K. (2017). Involuntary protection against dermatosis: A preliminary observation on trypophobia. BMC Research Notes, 10:658. [こちらで読めます]]]>
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歳をとると面の皮が厚くなる? - 17型コラーゲンと表皮のお話 https://academist-cf.com/journal/?p=6968 Fri, 09 Feb 2018 01:00:22 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6968 皮膚はレンガ造りの家 「あの人は面の皮が厚い」というのは、その人をずうずうしいとか厚かましいと評する言葉ですが、皮膚の厚さがどうやって決まるのかなんて考える人はそうそういないでしょう。でも、「お前は面の皮が厚い」と万が一disられたときに「私の面の皮は厚くない!」とその場でやや斜め上方向に反論するには、皮膚の厚さがどんなものかわかっていなければいけません。そこで皮膚の構造を理解するために、レンガ造りの家を思い浮かべてみてください。まずは家を建てるための土地、すなわち地面があります。ここに土台をたてて、その上にレンガを積み重ねていくと家が完成します。この場合、地面にあたるのが真皮と呼ばれる構造、積み重ねられたレンガが表皮と呼ばれる構造です。家と地面の間に位置する土台は、表皮基底膜領域がこれに当たり、ここにあるさまざまなタンパク群が表皮の縁の下の力持ちをしてくれています。少しイメージできましたか? [caption id="attachment_6969" align="aligncenter" width="600"] 皮膚はレンガ造りの家と同様の構造である[/caption]

土台が不安定な皮膚ってどうなるの?

家を建てるときに、土台が不安定だとうまくレンガを積むことができませんよね? では、生きものでは、土台として働いている表皮基底膜領域タンパク群がイマイチだと、積み重ねられたレンガに当たる表皮はうまくできないのでしょうか? これを調べるために私たちは、17型コラーゲンという表皮基底膜領域タンパク(土台)がダメになっているマウスの皮膚を調べました。予想に反して、17型コラーゲンがダメな皮膚では、表皮(レンガ造りの家)は普通の家と比べてむしろ分厚く(背が高く)形成されることがわかりました。生きものとレンガ造りの家はとても違うものですね! 17型コラーゲンのダメな皮膚の表皮は、発生段階(家造りの途中)で分厚くなりますが、その後は徐々に普通の表皮と同じくらいの厚さになります。この理由は、土台が不安定なまま家造りを始めてしまって、土台がダメなのをカバーしようとしたレンガ積み職人が必要以上にがんばって(細胞が過増殖して)当初背の高い家(分厚い表皮)ができてしまいますが、その後は職人が燃え尽き症候群に陥って、結局まわりの他の家と同じ高さに仕上がるということのようです。レンガ積み職人も燃え尽き症候群にならないように、ちゃんとペースを守って仕事をしてほしいものです。でも、レンガ積み職人も悪気があるわけではなくて、職人たちの仕事の労働基準監督をしているWntシグナルというものが、17型コラーゲンがダメな皮膚では何故かお休みしてしまっているため、労働管理がうまくいかなくて職人が過重労働してしまったようなのです。家造りにもドラマがありますね。 [caption id="attachment_6970" align="aligncenter" width="600"] 17型コラーゲン欠損マウスは発生段階で表皮が分厚くなる[/caption]

老化したら皮膚ってどうなるの?

17型コラーゲンがダメな皮膚は、表皮(レンガ造りの家)と真皮(地面)の間がうまくつながっていないわけですから、両者の間が剥がれやすくなって水ぶくれがよくできます。これは、土台が不安定な家が地震で崩れやすいのと同じです。水ぶくれができやすいだけではなく、17型コラーゲンがダメな皮膚では、若いうちから白髪や抜け毛が起きやすいと知られていました。ご存知のとおり、白髪や抜け毛は老化現象ですから、土台の不安定な家(17型コラーゲンがダメな皮膚)は老朽化(老化)しやすいといえます。 では逆に、皮膚が老化(家が老朽化)したら、表皮(レンガ造りの家)ってどうなりますかね? 普通は薄く(背が低く)なりそうな気がしますよね。これが、豈図らんや、皮膚が老化すると表皮は分厚くなるのです。レンガ造りの家の例えからは、想像がつきませんよね。少しだけ複雑な話をすると、紫外線に曝されている皮膚は、紫外線の影響によって表皮が薄くなるのですが、手のひら・足の裏やお尻などは紫外線の影響を受けません。私たちは、紫外線が当たらない部分の皮膚が老化すると、表皮が分厚くなるということに気づきました。 でも、なんでそんなことが起こりますかね? 家造りが開始されてからだいぶ時間が経っても(歳をとっても)、実はレンガ積み職人は手を休めることなくレンガを積み続けます。レンガを積むというのは、細胞でいうと分裂するということです。レンガをどうやって積むと家が安定するかというと、ある程度水平方向にレンガを並べてその上に垂直方向へ順序よくレンガを積むのが良いわけですが、歳を取ってくるとレンガ職人は横着をして、あまり水平方向のレンガを並べずに割りと早いうちから垂直方向のレンガを積んでしまうようなのです(細胞では極性の乱れと呼ばれます)。このため、歳をとると分厚い表皮(背の高い家)ができます。これはもしかすると、歳をとったときに皮膚癌が生じやすいというのと関連があるのかもしれません。 [caption id="attachment_6971" align="aligncenter" width="600"] 加齢すると表皮は分厚くなる[/caption]

皮膚の老化って止められるの?

では、どのようにすれば家(皮膚)の老朽化(老化)を止められるでしょうか? 先ほどお話したとおり、土台(表皮基底膜領域タンパク)がダメな家(皮膚)は老朽化が早いので、逆に土台をしっかりさせれば家(皮膚)が新しい(若い)まま保てるのでは? と思われます。そこで、土台である17型コラーゲンを2割程度増やした皮膚を造ってみると、家造りしてから時間が経っても表皮は分厚くならずに、若い皮膚(新しい家)でいられることがわかりました。土台ってやっぱり重要なんですね! [caption id="attachment_6972" align="aligncenter" width="600"] 17型コラーゲンを加齢表皮に補充すると表皮は薄くなる[/caption]

じゃあ今何をすればいいの?

ここまでのお話を読まれた方は、やっぱりコラーゲンってサイコー、明日からコラーゲンたっぷりのモツ鍋を食べたり、サプリメントを飲んで若さを保とう! と皮算用されたかもしれません。でも、コラーゲンを食べたり飲んだりしても、皮膚へコラーゲンが移行することはまったくありません。それと、コラーゲンにもたくさんの種類があって、今回の研究で注目した17型コラーゲンは、細胞の外に分泌されずに細胞膜に留まっている特殊なタイプのコラーゲンなので、注射で皮膚に打っても意味がありません。地道に17型コラーゲンがたくさん出るようになるような薬を見つけるのが、若返りへの近道でしょうか。 あと、今日のお話では真皮(地面)の老化(老朽化)についてはまったく度外視していました。みなさんが最も気にしている皮膚の老化現象である“シワ”は、真皮の老化なんです。これも老化だから仕方ありません。でも、皆さんも顔に“シワ”ができても気にしないようなメンタリティを持つために、面の皮は厚いほうが意外といいのかもしれませんよ。不老不死への道のりはまだまだ長いものですね。 参考文献 Type XVII collagen coordinates proliferation in the interfollicular epidermis. Watanabe M, Natsuga K, Nishie W, Kobayashi Y, Donati G, Suzuki S, Fujimura Y, Tsukiyama T, Ujiie H, Shinkuma S, Nakamura H, Murakami M, Ozaki M, Nagayama M, Watt FM, Shimizu H. Elife. 2017 Jul 11;6. pii: e26635. doi: 10.7554/eLife.26635.]]>
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「量子スピン液体」の神秘性 - 宇宙と物質のあいだにある不思議な対応関係とは https://academist-cf.com/journal/?p=6995 Thu, 15 Feb 2018 01:00:25 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=6995 固体なのにドロドロ? 「量子スピン液体」とはなんでしょう? この疑問に答えるためにはまず、「量子」「スピン」「液体」という3つの概念について物理学的に理解する必要があります。「液体」は皆さんご存知のとおり、水やアルコール、油といったサラサラ、もしくは、ドロドロ流れる物質です。「量子スピン液体」と物理学者が呼んでいる物質はこれらすべての液体と異なり、実は固体です。典型的な量子スピン液体の候補はたとえばハーバートスミス石と呼ばれる鉱石で、宝石のように透き通った綺麗な固体結晶として産出されます。ではなぜこのような「固体」が「液体」と呼ばれているのでしょうか? 液体と呼ばれている以上、何かがサラサラ、もしくは、ドロドロ流れているようなものでなくてはなりません。しかし、量子スピン液体の中には目で見ることのできる何かが流れているわけではありません。それどころか、顕微鏡ですら見ることができません。たとえば、固体のなかでも「金属」と呼ばれる物質の中にはとても小さな電子が流れています。電子一粒一粒は見えませんが、電子顕微鏡と呼ばれる高性能の顕微鏡を用いると、金属中を動き回ることでうっすら雲のようになった電子を見ることができます。この意味で、金属は「電子の液体」です。一方、「量子スピン液体」は普通の意味での「液体」でもなければ、金属のような「電子の液体」でもありません。それでは一体何が流れているのでしょうか?

スピンとは何か?

この疑問に答える前に「スピン」を説明します。ここに磁石があるとします。磁石にはN極とS極があります。この磁石を切ったらどうなるでしょう? N極とS極が分離できるでしょうか? いいえ、それはできません。磁石を2つに分けても、そのあいだに新たなN極とS極が現れ2つの磁石に別れるだけです。さらにこれを繰り返して原子や電子の単位まで磁石を分割してもN極やS極は残ります。これは、磁石の中の小さな原子や電子(や原子核)にも実はN極やS極があることを意味します。それどころか、磁石に限らずあらゆる物質中の電子もまた、実はN極やS極を持っています。このように物質中の電子が持つ「ミクロな磁石の向き」をスピンと呼びます。 [caption id="attachment_6993" align="aligncenter" width="600"] 磁石(左)を切り分けてもN極とS極を切り離すことはできない。これを何回も繰り返して行き、最終的に分子や原子のスケールまでバラバラにしても、N極やS極は残る。このことは原子や電子(右)にもN極とS極があり磁石として振舞うことを示している。ここではスピンの向きを便宜上N極からS極に向けて矢印で示す。[/caption] 電子のスピンには色も形も匂いもありません。しかし、スピンも物質中にたくさんあると「固体」「液体」「気体」という3つの状態を取ることが知られています。これは、原子や分子がたくさん集まることであらゆる物質が、温度や圧力によって「固体」「液体」「気体」という「物質の三態」で分類されるのと同様です。ところが、スピンは物質中にたくさんあるにも関わらず、光では見えませんし、触ることもできません。唯一、その磁石としての性質、つまり、N極やS極を持ち磁石に引き合うかどうかという「磁性」(もしくは熱力学的性質)によってのみ調べることができます。たとえば、物質中のたくさんのスピンたちがそれぞれ独立して向きを変えるバラバラの磁石だと思えるとき、その物質は「常磁性」状態であると言います。「常磁性」は物質の三態で言うと「気体」に相当します。 [caption id="attachment_6992" align="aligncenter" width="600"] 高校で習った理想気体と同様、「常磁性」物質中のスピンもスピン同士がほとんど相互作用せず、独立に向きを変えることができると仮定して説明できるため、スピンの「気体」に相当する。スピン間の相互作用により、スピンの向きがある一定の方向にパターンを持って整列する、強磁性や反強磁性状態がスピンの「固体」に相当する。どちらでもない、スピン間の相互作用が強いにも関わらず、スピンがパターンを持って整列しない状態がスピンの「液体」に相当し、これを元に磁性体(右)においても普通の物質(左)と同様の「状態図」を描くことができる。[/caption]

熱ゆらぎと量子ゆらぎ

鉄などの例外を除くと、多くの固体は室温で常磁性を示します。これは、室温が非常に大きな熱エネルギーを持ち、その熱ゆらぎによってスピンは相互作用によらずランダムに振動するからです。これらの物質は、冷やしていくと「相互作用の強さ」と「熱ゆらぎの強さ」の大小関係が変化し、相互作用の影響で凍結した「固体」状態になります。 [caption id="attachment_6991" align="aligncenter" width="600"] 気体の二酸化炭素を冷やしていくと、摂氏マイナス79度で「昇華」し、固体のドライアイスに変化する。これは冷却した二酸化炭素は熱ゆらぎでバラバラに運動するよりも整列して固体として結晶化した方が、ファンデルワールス力による相互作用エネルギーを減らすことができるためである。同様に、スピン同士が強く相互作用する磁性体においてもスピンがバラバラの常磁性、「気体」状態から、低温でスピンの整列した「固体」状態へ変化する。[/caption] ドライアイスの場合と同様に、室温でスピンがバラバラで常磁性を示す多くの物質は、冷やしていくと相互作用エネルギーを減らすために整列し、強磁性や反強磁性といった、スピンの向きがある一定の方向にパターンを持って整列した「固体」に相当する状態となります。 では最後に、スピンにおける「液体」状態とはどのようなものでしょうか? その前に実は、「物質の三態」における液体状態も細かく見ると「普通の液体」と「量子液体」の2種類に分類できることを説明します。水やアルコールのようなほとんどすべての液体は量子液体ではありません。「普通の液体」では原子の運動が古典的な熱ゆらぎによって起こっているため、絶対零度の極限まで温度を下げていくと、どこかで熱運動が存在しなくなり、分子間の引力相互作用により固体に凝固します。一方で、「量子液体」は量子力学でしか説明できない液体のことで、絶対零度でも固体にならず液体のままとどまります。これは量子力学において絶対零度でも原子や分子のゼロ点振動が存在するためで、特に液体ヘリウムは絶対零度近くでも固体にならず、量子液体に分類されます。

スピンの量子液体

結論を言いますと「量子スピン液体」とは「スピンの量子液体」状態のことで、スピン同士が互いに強く相互作用しているにも関わらず、絶対零度までスピンの向きが整列したパターンを取らない状態として定義されます。極低温までスピンの向きが整列しない量子スピン液体にはいくつかの候補物質が知られていますが、その中に何が流れているのかは長らく謎でした。たとえば、有機物の量子スピン液体の候補物質は、比熱を測定するとまるで金属であるかのように振る舞います。これらの物質はどれも絶縁体なので、中に「電荷を持たない電子のようなもの」が流れていることが示唆されます。果たして、このようにスピンが集まることで新たな謎の粒子が現れることが量子力学において許されるのでしょうか?

キタエフ模型とマヨラナフェルミオン

この問いに理論的な決着をつけたのが「キタエフ模型」の理論です。キタエフ教授は、スピンがたくさん集まった系の理論模型であるキタエフ模型を作り、その中をマヨラナフェルミオンと呼ばれる「電荷を失った電子」が流れることを数学的に証明しました。また、そのドロドロ流れる未知の粒子を比熱や熱伝導の測定により捉えられることも示しました。このキタエフ模型は、量子スピン液体が実体のない仮想的な液体状態ではないことを示した意味で画期的でしたが、この模型で予言される現象を完全に実現する物質は未だに知られていません。 私の研究はキタエフ模型を実現する物質の理論的な設計です。今まではイリジウム酸化物やルテニウム塩化物などの無機物が注目されていましたが、その可能性を有機物へと広げたことが主な研究成果です。量子スピン液体の面白さは、その「ドロドロさ」にあります。キタエフ模型の中のマヨラナフェルミオンは気体の分子のようにバラバラに運動しているのではなく、「創発Z2電磁場」の影響を受けながらドロドロと運動しています。驚くべきことに、このような創発現象は宇宙を記述する標準模型である「ゲージ理論」と数学的にまったく同じ構造をしています。 [caption id="attachment_6990" align="aligncenter" width="600"] 物質中での創発現象と素粒子の標準模型には神秘的な対応関係がある。特に、およそアボガドロ数個のたくさんの原子が集まったマクロな世界と、原子よりもはるかに小さく顕微鏡ですら見ることのできないミクロな世界が同じ数学の言語で記述されるというのは驚きである。素粒子の標準模型にはニュートリノという素粒子が含まれるが、近年標準模型を超えた物理としてニュートリノにマヨラナフェルミオンとしての性質があるのではないかと指摘されている。創発現象は宇宙空間のように希薄な世界では起こらないにも関わらず、マヨラナフェルミオンとしてのニュートリノとゲージ理論の関係は、キタエフ模型におけるマヨラナフェルミオンと創発Z2電磁場の関係に似ていて、ここにも不思議な対応関係がある。[/caption]

最後に

キタエフ模型は数学的に解くことのできる単純な構造を持っていますが、一般の他の量子スピン液体はより複雑で多彩なゲージ理論で記述されます。 [caption id="attachment_6989" align="aligncenter" width="600"] 反強磁性を示す磁性体において、となり同士のスピンは普通逆向きにペアを作りたがるが、三角形のモチーフを単位としたスピン配置(左)においては、スピンたちが互いにカップルを作れないドロドロとした「三角関係」を構成する。特に、かごめ格子(右)と呼ばれる格子上にスピンを並べるとスピンは低温で整列することができない。このようなスピン配置においてどのような未知の粒子・ゲージ理論が現れるのか、未だにはっきりとはわかっていない。[/caption] 我々人間一人一人が周囲の複雑な人間関係や社会構造に悩みながら生きるように、スピンたちも周囲のスピンとの「フラストレーション」を感じながら独自の物語を生み出します。私たちが不完全な人間であるからこそ世界に美しさが存在するように、量子スピン液体もまたその性質が厳密に解き明かせないからこそ神秘的な魅力があるのです。 参考文献 [1] “Magnetic three states of matter: A quantum Monte Carlo study of spin liquids,” Y. Kamiya, Y. Kato, J. Nasu, and Y. Motome, Phys. Rev. B. 92, 100403(R) (2017). [2] “Anyons in an exactly solved model and beyond,” A. Kitaev, Ann. Phys. 321, 2 (2006). [3] “Designing Kitaev Spin Liquids in Metal-Organic Frameworks,” M. G. Yamada, H. Fujita, and M. Oshikawa, Phys. Rev. Lett. 119, 057202 (2017).]]>
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宇宙でも素粒子でもない物理学 -「統計力学」の魅力を慶應大・白石直人研究員に聞く https://academist-cf.com/journal/?p=7005 Fri, 02 Mar 2018 01:00:07 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=7005   ——白石さんの専門である「統計力学」とは、どのような分野なのでしょうか。 統計力学は、ミクロな要素とマクロな(大きいスケールの)現象をつなぎ合わせる役割を持った分野です。物理学者と聞くと、ものすごく大きな宇宙やものすごく小さな素粒子、極限環境で起きる現象のように「超」のつく世界を研究していると思われているかもしれませんが、実はそれだけではありません。身近なスケールで起きている現象にも、解明されていない現象がたくさんあるんです。 ——たとえば、どのような現象があるのでしょうか。 熱湯と冷水を混ぜると、ぬるま湯になります。これはだれでも知っている経験的な事実ですが、ゆるま湯を見せられて、それがどれくらいの温度の熱湯と冷水を混ぜてできたのかと問われたら、わからないですよね。 ——そうですね。 このように、偏った状態が均一な状態に向かうこと、一度均一な状態になったら元々どういう状態だったかという情報を完全に失ってしまうことは、熱力学の基礎にある事実です。これは熱湯と冷水を混ぜたことがある人ならだれでも知っている、昔から経験的に知られていた事実でもあります。しかし、逆の変化はなぜ起きないのか、なぜ混ぜる前の情報は完全に失われてしまうのかということは、実はまだ十分には理解されていません。 ——混ぜてしまったら元の状態が分からなくなるというのは、当たり前の事実に聞こえますが、一体何が物理学で理解できていない部分なのでしょうか。 水は非常にたくさんの水分子からできています。そして個々の水分子の運動は、ミクロの世界を記述する量子力学のシュレディンガー方程式に従います。したがって、水分子の集団のシュレディンガー方程式だけ知っていれば、水全体の性質、たとえば混ぜる前の状態の情報が完全に失われる理由も原理的にはわかるはずです。しかし実際には、水分子の性質はよくわかっていますが、そこからマクロな水の振る舞いを導くことはできていません。 ——超高性能のコンピュータで、膨大な数のシュレーディンガー方程式を解くことができれば、解決するのでしょうか。 実は、そうでもないんです。なぜかというと、熱湯と冷水からぬるま湯ができるような現象は、水特有のものではないからです。この現象は、高温の酸素と低温の酸素を混ぜて室温の酸素ができたり、熱した鉄板を冷たい鉄板に置くと両方同じ温度になったりするように、構成する分子の種類によらずに成り立ちます。つまり、こうしたマクロな現象を統一的に説明しようと思ったときには、分子の種類をはじめとするミクロな情報のすべてがあったとしてもそれだけでは十分ではなく、むしろ大半のミクロな情報は捨てて、その現象に対して本質的な要素だけをうまく拾い上げることが重要になるのです。 ——マクロな現象を理解しようと思ったときに、対象を細かく分解して調べる方法だけでは、限界があると。おもしろいですね。白石さんは、なぜ統計力学を専門に選ばれたのでしょうか。 僕も高校生のころは、ミクロな世界を記述する理論がわかれば、マクロな世界を含めたすべての自然現象を理解できるだろうと考えていました。でも、熱湯と冷水の問題のように、経験的に明らかな事実が未だに完全には説明できていないことを知って、驚きました。量子力学と熱力学というよく知られた考えかたが、実はまだ互いにつながった理解ができておらず、単純な現象を説明することすらできない。ここにもどかしさを感じて、きちんと理解したいと思ったんです。そこで、ミクロな要素とマクロな現象をつなぐ統計力学に興味を持ちました。 ——白石さんは院生時代に、熱エンジンの効率に関する研究成果を発表されて、ネット上で話題になりました。こちらも統計力学に基づいた研究だと思うのですが、研究の概要について教えていただけますか。 たとえば蒸気機関車は、熱エネルギーを仕事に変換することで走行します。熱エネルギーがすべて仕事になれば理想的なのですが、それは原理的に不可能で、一部は環境に捨てないといけないことが証明されています。19世紀前半に熱エンジンの研究をしていたカルノーは、熱をどのくらい仕事に変換できるかを示す「熱効率」の上限を決める定理を明らかにしました。 ——100の熱エネルギーに対して、最大60が仕事になるよ!というようなことを導き出せる定理ということですね。この場合、熱効率が最大60%になると。 そうですね。ここで「最大」とありますが、カルノーは最大効率が実現可能であることを示す際に、スピードを無限に遅くした場合には最大効率が実現できるという議論をしています。時速1km程度でノロノロ走行すれば、最大効率に近い状況になるというわけです。でもそれでは全然実用的ではないですし、ある程度スピードを出している状態で最大効率を実現したいじゃないですか。 ——たしかに、そうですね。 しかしカルノーは、スピードを無限に遅くする以外の方法で最大効率が実現し得るのかについては特に論じませんでした。そして、スピードは極めて基本的な量でありながら熱力学ではうまく取り扱うことができず、効率とスピードの関係がどうなっているのかは長らく未解決問題として残されていました。21世紀に入ってから、熱力学やそのほかマクロな系に対する現象論的枠組を用いて考察する範囲内では、最大効率を実現しながらもある程度スピードが出せるような熱エンジンが存在したとしても、特に矛盾をきたさないということが指摘されました。 ——ということは、最大の効率を実現しながらスピードを出せる、夢のようなエンジンがあるということでしょうか。 いや、そういうことではないです。ここでわかったことは、マクロな系に対する既存の枠組を使っている範囲では、夢のようなエンジンが「不可能であることを示せない」というだけで、夢のようなエンジンの作りかたを具体的に示したわけではありません。実際、この事実が指摘されたのち、具体的なモデルで計算する研究は多数行われましたが、どのモデルでも最大効率にするとスピードがゼロになってしまうという結果になりました。つまり、不可能であることの証明はないが、できなさそうであることの状況証拠が積みあがっていたという感じです。そして今回我々は、マクロな熱機関の振る舞いをミクロなダイナミクスに分解して考えることで、このような熱エンジンが何をしても実現できないことを一般的に示しました。エネルギーを無駄なく利用したい要望と、短時間で多くのエネルギーを得たい要望は、残念ながら両立できないということです。 ——なるほど。「あちらを立てれば、こちらが立たず」の関係になるわけですね。今回の成果で白石さんが最もおもしろいと感じられる部分は、どのようなところになるのでしょうか。 やはり、結果そのものです。100年以上前から知られている熱力学に、非平衡統計力学の手法を用いて普遍的な知見を新しく加えられたことは、大変意義深いことだと思っています。 ——今回の研究成果は物理学に関する内容でしたが、物理学以外でも統計力学が使われることもあるのでしょうか。 統計力学のマインドは、物理学以外でも有意義だと思います。たとえば、「生きているもの」を特徴づけるというのは、ひとつの興味深い問題だと思います。私たち人間を含めた生きものは、ミクロに見ればタンパクの集まりにすぎないわけですが、マクロに見るとスーパーで買う肉とは明らかに違いますよね。生きものは反応したり増殖したりしますが、実験室で作ることはできません。バクテリアのレベルでさえ、まだ成功していないです。でも一度死んでしまうと、決して生き返ることはなく、スーパーの肉と同じ状況になってしまいます。 ——両者にどのような違いがあるのでしょうか。 この問題は難しくて、物理学的にはどのようにアプローチをすれば良いのかすらわからない状況だと思います。ここで見せたかったのは、統計力学がどのようなマインドで問いを立てるかということです。ミクロの立場ではまったく同じように見えるのに、マクロで見ると片方は生きていて、片方はタンパクの塊に過ぎない。ミクロな構成要素とマクロな現象のつながりを理解したいというのが、統計力学の哲学だと言っていいでしょう。 ——他の事例はありますか。 同じ生物学でいうと、細胞内のエネルギーを仕事に変換する分子に「分子モーター」と呼ばれるものがあるのですが、これは先ほどお話した熱エンジンに近い発想で議論できたりします。あと、これは最近本で読んだのですが、進化医学という分野では、腸内細菌を生態系として見たり、がんを多種多様ながん細胞の競争と淘汰の過程として見たりするそうです。これはあくまでも僕個人の見方ですが、こうした方向の研究とは統計力学は相性がよさそうな気がします。一般に、ミクロなものがたくさん集まるとどのように振る舞うのかという視点で考えれば、他にも生物だけではなく、宇宙や経済など、幅広いトピックに統計力学の考えかたを適応することはできると思います。 ——さまざまな分野の話題に精通されていますが、白石さんのなかで研究テーマにするかどうかの基準がありましたら、教えてください。 難しいところですが、自分に解けそうな問題かどうかですかね。気になることを見つけたら、まずは簡単な例題を作って試したり、既に明らかにされている結論を改めて自分で追ってみたりします。ここまではただの勉強なので、研究者はその先を考えなくてはなりません。この段階で、「この部分はどうもおかしい」「ここはもうすこし深く調べられそうだ」という着想がどれくらい浮かぶのか、浮かんだとしてそれが自分に解決できるのか、という点を、見極めることが重要だと思います。とはいうものの、問いの立てかたのコツや、着想を得るための方法論があれば、私も知りたいですね(笑)。研究経験を積んだ教授たちには、いつも驚かされてばかりですので。そのレベルに到達するためにも、幅広い知識を身につけながら、これからも研究成果を出し続けていきたいと思います。
研究者プロフィール:白石直人(しらいし・なおと)研究員 2012年3月東京大学理学部物理学科卒、2017年3月東京大学大学院にて博士号取得、現在は日本学術振興会特別研究員PDとして慶應義塾大学に所属。専門は非平衡統計力学。これまでに一高記念賞、日本物理学会若手奨励賞等を受賞。またアウトリーチ活動も幅広く行っており、最近ではテレビ朝日シリーズ「仮面ライダービルド」(2017年9月~2018年8月予定)の物理学アドバイザーも務める。
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「無知の知」はどのように生み出される? - 前頭極が未知の出来事への自信の判断を司る https://academist-cf.com/journal/?p=7024 Mon, 26 Feb 2018 01:00:31 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=7024 「無知の知」とメタ認知 私たちは日々生活しているなかで、自身にとって未知の人や物に出会います。そして私たちは、未知の物事を経験したことがないという事実を認識し、その認識に基づいて、自身の行動を変えることができます。たとえば、パーティーや学会で、初めて会う人に対して挨拶する際に、「その人と過去に会ったことがない」という事実に対する確信の程度によって、相手の心を傷つけないように挨拶の仕方を変えることがあるでしょう。このように、自身の認知過程を、主観的に捉えて内省的に評価する能力は「メタ認知」と呼ばれます。 メタ認知のはたらきのおかげで私たちは自身の意思決定に対して確信を持つことができます。しかし、特に古代ギリシアの哲学者ソクラテスが唱えた「無知の知」の概念と相通ずる、自身にとって未知の出来事に関するメタ認知に関しては、どのような脳のはたらきによって実現されているのか、まったくわかっていませんでした。このように、自分自身が経験したことのない出来事に対して評価を行う心のはたらきは、抽象的で概念的な思考を行うために重要です。 筆者らは、過去の研究においてすでに、ヒトと生物学的に近しいマカクサルが、自らの記憶に対して確信している程度を、客観的かつ行動学的に評価する方法を確立していました。そこで、この研究では、サルが未経験の出来事について確信度判断を行う際の脳のはたらきを、脳機能イメージング(磁気共鳴機能画像法)と薬学的不活性化実験によって調べました。

サルの「無知の知」をいかにして調べるか

筆者たちの研究では、サルに対して記憶課題を課し、さらに記憶課題における自身の回答に対してどれくらい自信があるか、確信度の判断を行うように要求しました。確信度の評定が、記憶に基づいて適切に行われているか、言語を持たないサルにおいて裏付けるために、賭けパラダイムを用いました。サルは4枚の図形を見て記憶し(記銘)、記憶した図形のリストをもとに再認記憶課題を行いました(想起)。この記憶課題においては、もし、呈示された図形が記銘時に記憶した図形のなかに含まれない未知のものである場合、「見ていない」と回答することが求められます。この際、正解・不正解のフィードバックや報酬はいっさい与えられませんでした。 つづいて、マカクサルは再認記憶課題の自らの回答に対し自信があるかどうかの確信度を判断しました。確信度判断は、正解だった場合に多量の報酬がもらえるが不正解だった場合には報酬はまったくもらえない高リスク選択肢と、正解あるいは不正解にかかわらず少量の報酬がもらえる低リスク選択肢のどちらかを選ぶ「賭け」の形式で行われました。もしサルが、自身の確信度に基づいて、適切にこの「賭け」を行うことができれば、記憶課題に正解していた時に、不正解だった時に比べて、より高頻度で高リスク選択肢を選び、最終的にもらえる報酬の総量を最適化できると予想されます。この研究では、自身の記憶課題の成績に基づいて、どの程度の割合の試行で、最適な「賭け」を行うことが出来たかを、ファイ係数と呼ばれる指標で評価しました。このファイ係数がゼロよりも大きければ大きいほど、メタ認知判断成績が良いことを意味します。全てのサル個体において、メタ認知判断成績(ファイ係数)がゼロよりも有意に大きいことから、サルが、確信度判断を、自らの記憶に対する自信に基づいて適切に行っていることが裏付けられました。 [caption id="attachment_7023" align="aligncenter" width="600"] メタ認知課題
マカクサルは記憶の記銘、保持、想起からなる再認記憶課題を行い(記憶処理)、その回答に対する確信度を判断した(メタ認知)。[/caption]

前頭葉の先端部「前頭極」が未経験の出来事に対するメタ認知判断を担うことを発見

次に筆者らは、この課題を遂行している際のサルの脳活動を磁気共鳴機能画像法によって計測しました。この手法は、脳の全体の活動を同時かつ非侵襲的に観測することができるためヒトを対象とした研究において広く用いられています。記憶想起に関わる脳活動を、全脳のボクセル(画像素子)において計算し、メタ認知判断成績との相関係数を計算し、脳のどの領域の活動が、メタ認知判断成績を予測するのか調べました。 すると、前頭葉の先端部にあたる前頭極(細胞構築学的分類における10野)と呼ばれる領域の脳活動のみが、未経験の出来事に対するメタ認知判断成績を予測することがわかりました。また、この領域の活動は、過去に経験した出来事に対するメタ認知判断成績を予測しないほか、未経験の出来事を正しく未経験だと判断する記憶課題成績とも相関していませんでした。一方で、筆者らの過去の研究の知見のとおり、背側前頭葉領域(9野)の活動は過去に経験した出来事に対するメタ認知判断成績を、海馬の活動は記憶課題成績を予測することが確かめられました。

前頭極の神経活動を薬理学的に不活性化すると、未知の出来事に対するメタ認知判断のみが適切に行えなくなる

筆者らは、未経験の出来事に対するメタ認知判断成績と相関して活動する前頭極(10野)の脳領域に、GABA-A受容体の作動薬であるムシモールを微量注入し、この領域のみの神経活動を可逆的に抑制しました。すると、抑制によって未経験の出来事に対するメタ認知判断成績のみが悪化することがわかりました。過去に経験した出来事に対するメタ認知判断成績や記憶課題の成績に変化は見られませんでした。また、同量の生理食塩水を微量注入する対照実験において、メタ認知判断・記憶課題いずれの成績も変化しないことが確かめられました。これらの実験により、前頭極(10野)が未経験の出来事に対するメタ認知判断のみを特異的に担い、「無知」だという自身の判断に対して、評価を下す役割を果たすことが明らかになりました。 [caption id="attachment_7022" align="aligncenter" width="600"] 前頭極が未知の出来事に対するメタ認知判断を司る
今回の研究で同定された前頭葉の先端部(前頭極;10野)に位置する未知の出来事に対するメタ認知判断の中枢。既知の出来事に対するメタ認知判断の中枢(9野)とは異なっていた。前頭極に同定した領域に対して薬理学的な不活性化を行った。[/caption]

「無知の知」を生み出す脳の仕組み

筆者らの研究によって、未知の出来事に対するメタ認知判断の中枢(前頭極;10野)と過去に経験した出来事に対するメタ認知判断の中枢(9野)が異なることが、初めてわかりました。さらに脳機能イメージングの結果、未知の出来事に対するメタ認知判断の成績が良い時ほど、前頭極と海馬の脳活動が同期を強めることが見出されました。これらの結果は、前頭葉の神経ネットワークが、未知の事象と既知の事象を異なる情報伝達系に基づいて処理し、その両方が統合されて、「既知感・未知感」という意識体験を生み出していることを示唆しています。 前頭極はもっとも進化的に新しい脳領域のひとつであり、ヒトをはじめとした霊長類のみで発達しています。ヒトを対象とした脳機能イメージング研究の知見から、前頭葉の前側に近い領域ほど、抽象度の高い情報を処理し、もっとも先端にあたる前頭極は、課題の解決のために、他の前頭葉領域の認知過程を制御するという仮説が、近年提唱されています。筆者らは、過去の研究で、時間順序記憶課題遂行中のサルの神経ネットワークの挙動をもとに、課題遂行に必須の脳領域を予測する方法を初めて開発しましたが、そのネットワークも前頭極を最上位とした階層構造をかたちづくっているという点で、この仮説は支持されていました。 最近の研究により、前頭極は、新しいルールの習得や、実際に得ていない報酬に関する情報の処理など、さまざまな課題の遂行に関与することが示されてきました。しかし、前頭極がこれらの課題を達成するために、具体的にどのような役割を担っているのかは、よくわかっていませんでした。本研究は、前頭極のはたらきが、未知の環境に適応するための基礎となる能力である「無知の知」を生み出すのに貢献することを、初めて明らかにしました。前頭極の機能をさらに調べることで、「無知の知」の自覚に基づいて、自身の知らない情報を集めたり、新しいアイデアを着想したりする際にはたらく高度な思考がどのように生み出されるのか、解明されるのではないかと期待されます。 [caption id="attachment_7021" align="aligncenter" width="600"] 「無知の知」を生み出す神経ネットワーク
前頭極(10野)は、記憶想起を担う海馬と相互作用することで、未知の出来事への確信度判断を担っていることがわかった。さらに前頭極は、過去に経験した出来事への確信度判断を担う前頭葉領域(9野)とは異なっていた。[/caption]   参考文献 Kentaro Miyamoto, Rieko Setsuie, Takahiro Osada, Yasushi Miyashita (2018) Reversible silencing of the frontopolar cortex selectively impairs metacognitive judgment on non-experience in primates.Neuron 97, 980-989. DOI: 10.1016/j.neuron.2017.12.040]]>
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硫黄が拓く液晶化学 - 室温付近で液晶性を有するπ共役系棒状分子 https://academist-cf.com/journal/?p=7032 Wed, 07 Mar 2018 01:00:50 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=7032 結晶と液体のあいだ? 液晶ディスプレイの普及により、「液晶」という言葉がよく使われるようになりました。しかしながら、液晶が何を意味しているのか、ご存知の方は意外と多くはないかと思います。まず、液晶について簡単に説明いたします。 世の中の多くの物質は熱をかけていくと、3次元的な秩序により向きが規定され、基本的には動かない「結晶」が融けて流動的な「液体」となります。この“一般に言われる液体”には分子の向きに秩序はなく、みなバラバラに好き勝手な方向を向いております。ある方向への向きの偏りがないため、等方的な媒質として見られます。これらまったく異なる状態である結晶と液体の共通点、それは「我々が指示する方向を(簡単には)向いてくれない」ことです。 一方で、棒のように長く硬い分子の中には、熱をかけて一度融解した後に、ある程度同じ方向を向いた流動性のある状態を形成することがあります。これがまさしく液晶であり、結晶と液体の間に生じる中間相(状態)を示しているのです。英語にするとLiquid Crystal……たまには英語の方がわかりやすい単語もあるようですね。 液晶には分子の重心に秩序のないネマチック相や、層構造を有しているスメクチック相など、さまざまな種類の相があります。その最大の特徴は、電磁場の照射や、手で擦るだけで分子が向きを変える「外場応答性」を有していることです。つまり、液晶は「我々が指示する方向を向く」ことができるのです。優れた液晶分子ですと、擦ったテーブルの上に置くだけでも部分的に一時的な配向が可能です。皆様が日ごろ使用されている液晶ディスプレイの中には液晶分子の層があり、どのカラーフィルターに光を通してどの色を出すか、そのシャッターの役割を担っているのです。100年以上も昔に人参から抽出されたコレステロール誘導体の結晶の融点観察から発見された液晶の現状を、誰が想像できたでしょうか。 [caption id="attachment_7031" align="aligncenter" width="600"] 液晶と分子設計[/caption]

液晶相を誘起するためには?

どんな分子をつくれば液晶相を形成する可能性があるのでしょう? 本稿では熱により相転移する熱相転移型液晶を示す分子の設計指針について簡便に示します。 液晶を形成するためには分子自体に異方性(向き)があることが重要となります。柔軟な分子では、融解した後に方向を規定することが難しくなるためです。そのため、液晶分子の多くは細長い棒の形が望ましいとされています。これら棒状分子は、剛直性部位(メソゲン部位)と柔軟性部位から形成されます。メソゲン部位は、ベンゼン環やシクロヘキシル環、二重結合、三重結合、エステル結合、アゾ結合などの固い結合をなるべく直線的に結合させることが重要になります。メソゲンはまさに「メソ源」なのです[メソ(meso)は「中間の」を意味する接頭語]。 一方で、液晶分子自体をメソゲンとも言います。また、多くの場合は柔軟性部位としてアルキル基を必要とします。これにより、分子間のパッキングを抑制することで分子の位置の融解が促進され、相転移温度の低下により現実的に分析できる温度にて液晶相を形成できることや、メソゲン部位と柔軟鎖のミクロ相分離による層構造の安定化などがその理由に挙げられます。 液晶状態では、分子は回転運動や併進運動するために流動性を生じます。そのため、分子が長軸周りに回転運動しているため、曲がっている(つまり直線的ではない)と融解後の分子の回転半径の拡張に伴い液晶性が発現しにくくなるため、これが次項で解説する硫黄系棒状分子が液晶を形成しにくい理由のひとつと考えております。一般に、剛直な棒状分子は分子間の相互作用が強く、融解温度が高くなる傾向にあるため、必然的に室温では液晶にはなりにくくなります。液晶材料として用いるためには多くの場合、室温で液晶を形成する必要があるため、室温液晶分子の開発は重要な課題のひとつとなります。

室温まで液晶が過冷却される硫黄を導入したπ共役系棒状分子

硫黄は、炭素や酸素などと比較して分極率が高く、電磁場との応答性、光を曲げるための性質などに優れるため、光・電子材料を指向した研究にはよく用いられる元素のひとつです。硫黄を分子構造に導入する構造としては、5員環構造内に硫黄を有するチオフェン環を用いることが多いです。我々は、大きな誘電率や屈折率異方性(複屈折)の発現を目指し、環構造内ではなく分子長軸方向(メソゲン部位とアルキル鎖の間)に硫黄の導入が可能なアルキルチオ(SR)基を有する棒状分子類縁体を合成しました。 しかしながら、液晶性を有する炭素(アルキル基)や酸素(アルコキシ基)の類縁体とは異なり、それらは結晶が融けて等方性の液体に、つまり液晶にはなりませんでした。炭素と酸素が硫黄に代わるだけで、何がそんなに変わるのか? 過去の報告例を探しても、液晶分子に関する報告が少ないだけでなく、一部の代表的なメソゲンのアルキルチオ基類縁体において液晶相が報告されるものの、それらは非常に狭い温度範囲であり、液晶相における詳細な物性の報告はありませんでした。一方で多くの場合、それら非液晶性のアルキルチオ基類縁体はアルコキシ基類縁体と比較して、融点が低いことがわかりました(一般に高分極性の置換基の導入は融点の向上に繋がります)。そこで、この性質を利用し、液晶性を発現する分子設計を見出せれば、「室温で液晶になるπ共役系分子」がつくれないかと考え、本研究を始めました。 汎用的なトラン系分子(ジフェニル-アセチレン)をモチーフにさまざまな類縁体を合成したところ、片方に炭素数が5以上の長鎖アルキル基を導入した分子のみが液晶相を形成し、多くの場合、それらは室温以下まで液晶相が過冷却されることがわかりました。これらはアルキル鎖が長い場合には層状のスメクチック相、短い場合には流動性の高いネマチック相を示します。また、屈折率や複屈折の温度可変測定を行ったところ、それらの温度依存性が炭素類縁体や酸素類縁体と比較して大きいことがわかりました。これは、分子密度や分子の配向度の上昇を表すため、分子間で相互作用が強く効いていることを示唆しております。 しかし一方で、この分子間における相互作用を考えると、融点低下への効果はむしろ矛盾しそうです。単結晶状態における結合角を比較すると、アルキルチオ基のC-S-C結合は約105°、アルコキシ基のC-O-C結合は118°と、アルキルチオ基は屈曲しているため、それにより拡大する分子の回転半径が融点および等方相への転移温度を低下させ、液晶相の不安定化に寄与するひとつのファクターではないかとは考えております。 現在は、液晶相の形成にアルキル基がどのような寄与をしているのか、また、上述した相反しそうな性質の起源を解明するために、さまざまな類縁体の結晶相と液晶相における凝集構造から考えられうる種々の分子間相互作用を明らかにするだけでなく、それら含硫黄系液晶分子の特異な性質を利用し、新しい室温液晶分子や屈折率の大きな温度依存性を利用したフィルムの開発などを展開しております。 参考文献 Yuki Arakawa, Satoyoshi Inui and Hideto Tsuji. "Novel diphenylacetylene-based room-temperature liquid crystalline molecules with alkylthio groups, and investigation of the role for terminal alkyl chains in mesogenic incidence and tendency." Liquid Crystals, 2017. DOI: 10.1080/02678292.2017.1383521.]]>
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日本の海洋市場を元気に! - Team KUROSHIOプロジェクト報告会レポート https://academist-cf.com/journal/?p=7038 Fri, 23 Feb 2018 01:00:17 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=7038 無人探査ロボットで東京ドーム1万個分の海底地図を描きたい!」の支援者向けプロジェクト報告会が、2月19日に東京で開催されました。Team KUROSHIOの中谷武志博士、大木健博士が同チームの取り組みやShell Ocean Discovery XPRIZEの進捗状況について報告しました。 Shell Ocean Discovery XPRIZEは、世界的オイルカンパニーであるShellがスポンサーとなって行われている国際コンペティションで、各チームは40フィートコンテナ1個分に収まるロボットシステムを利用し、広大な海底地図を作るという課題を競います。Team KUROSHIOは、日本で唯一、第一の関門である技術提案書の審査を突破し、Round1に進出したチームです。2017年2月に、Round1へ挑戦するための資金獲得に向けてacademistにてクラウドファンディングに挑戦し、約650万円を集めることに成功しました。 当初、Round1は2017年9月にプエルトリコにて実施される予定でしたが、大型ハリケーンによる寛大な被害を受けたため、現地での実海域試験が不可能となりました。もともとRound1の課題は、水深2000mで16時間以内に最低100km2以上の海底マップ構築、海底ターゲットの写真撮影を行うというものでしたが、この事態を受け、Round1の実施方法は大幅に変更されることになりました。 変更後のRound1は、XPRIZEの審査団が各チームを訪問し、海底探査に必要な11項目について評価を行うというもの。2018年1月28日〜31日の4日間、Team KUROSHIOは、東京大学生産技術研究所にて、水中ロボットによる画像撮影の実演や6時間以上の水中ロボットの連続運転、そしてデータ処理の実演などといった審査に挑みました。Round1の結果はまだ明らかになっていませんが、Team KUROSHIOは、通過は堅いと自信を見せており、すでに最終ラウンドであるRound2に向けた準備を進めているそうです。 Round2は2018年10月に開催予定です。挑戦するからには、「やはり"金メダル"を目指したい」とするTeam KUROSHIOの中谷さん。また、大木さんは「結果を問わず、日本の多くの人が海は面白いと思える世界を描き、日本の海洋市場を元気にしたい」と語っていました。 [caption id="attachment_7039" align="aligncenter" width="600"] 左から大木健博士、中谷武志博士[/caption] Team KUROSHIOの活動の様子は、FacebookTwitterでご覧いただけます。Round1を突破することができるのか、そして世界No.1の座につくことができるのか、ぜひチェックしてみてください!]]> 7038 0 0 0 宇宙空間にただよう氷の微粒子から分子がガスの状態で放出されるしくみ https://academist-cf.com/journal/?p=7062 Wed, 28 Feb 2018 01:00:13 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=7062 10ケルビン(マイナス263℃)の極低温環境に存在する星間分子 宇宙における星誕生の場である星間分子雲は、おもに水素(H2)を主成分とするガスと、星間塵と呼ばれる直径1マイクロメートルにも満たない固体微粒子で構成されます。これまでに発見されている星間分子の総数は150種を超えますが、それら星間分子のなかには、H2や、水(H2O)、二酸化炭素(CO2)など、気相では生成が難しく、おもに星間塵表面で生成するものが含まれます。 極低温(10ケルビン)の星間塵は化学反応の緩衝材として働き、反応の余剰エネルギーを逃がすことができます。そのため、気相反応ではおこりえない単純付加反応(たとえば、気相でOH + H → H2Oという反応は、余剰エネルギーの逃げ場がないために生成物のH2Oが安定して存在できません)が起こるなど、星間塵は星間分子雲での分子生成にとても重要な役割を担っています。 星間塵表面で生成したH2OやCO2などの分子は、星間塵表面で固体として存在することが赤外天文観測で確認されている一方で、電波天文観測によって、ガスとして気相にも存在することが確認されています。それらの分子が気相でガスとして観測されるためには、星間塵表面で生成後に何らかのメカニズムで気相に放出(脱離)される必要があります。 一般的には、星の形成過程で周囲の温度が上昇し、それとともに星間塵上に固体として存在する分子がガスとして気相に放出されると考えられていました。しかし、星誕生前の星間分子雲内部は10ケルビンという極低温ですので、そうした熱的な脱離プロセスはおこりえません。そのため、塵表面で生成した分子がどのようにして気相に放出され、ガスとして存在可能になったのかは、天文学上の謎でした。

反応熱がガス化のカギ:Chemical desorption

化学反応には、反応物と生成物のエネルギーの差によって、エネルギーを放出する発熱反応と、外部からエネルギーを吸収する吸熱反応の2種類がありますが、星間分子雲内部はきわめて温度が低いため、吸熱反応は進行しません。そのため、発熱反応のみおこりえます。 発熱反応の反応熱は反応によって大小さまざまですが、一般的にその大きさは分子の塵表面への物理吸着エネルギー、あるいは水素結合エネルギー(<0.5 eV)よりもはるかに大きいことがほとんどです。そのため、星間塵表面で生成した分子は、反応の余剰エネルギーの一部が使われて塵表面との結合が切断され、気相へ放出されるのではないか、と理論的に予想されました。これが、Chemical desorption(反応熱を用いた脱離)の原理です。しかし、これまで我々のグループだけでなく、世界各国の研究グループが星間塵表面における分子生成に関する実験を数多くおこなってきましたが、 その際にChemical desorptionが起きたという明確な証拠は得られていませんでした。 [caption id="attachment_7057" align="aligncenter" width="600"] Chemical desorptionのイメージ図[/caption]

硫化水素のChemical desorption

我々は今回、硫黄を含む代表的な星間分子、硫化水素(H2S)のChemical desorptionに関する研究をおこないました。具体的には、星間分子雲の超高真空・極低温環境を実験室内で再現し、星間塵の表面物質として知られる低温(10K)のアモルファスH2O氷上でH2Sと水素(H)原子を反応させ、Chemical desorptionによってH2Sが氷表面から脱離するか調べました。この反応は以下の2種の素過程で構成されますが、反応物と生成物がともにH2Sという特徴があります。

H2S + H → SH + H2 (1) SH + H  → H2S (2)

反応(1)(2)ともに発熱反応で、とくに反応(2)、つまりH2S生成反応の反応熱(3.8 eV)は、H2Sの氷表面への吸着エネルギー(0.1 eV程度)を大きく上回りますので、Chemical desorptionによる脱離が期待できます。 もし反応後に生成物が脱離しなければ、氷表面上のH2S量に変化はみられないはずです。しかし実際に反応後の氷表面を赤外分光法で分析すると、H2S量が明らかに減少することがわかりました。そして、H2Sがその他のSを含む分子(H2S2やHS2など)に変化した形跡は見られませんでした。 [caption id="attachment_7058" align="aligncenter" width="600"] H2Sの赤外吸収スペクトルとその時間変化[/caption] これらの結果をもって、H2Sは反応(1)(2)により氷表面からChemical desorptionしたと結論できました。2時間の反応終了後には、初期量の60%にまで減少しました。これは世界で初めてChemical desorptionを実験的かつ定量的に観測した例となりました。 [caption id="attachment_7059" align="aligncenter" width="600"] H2S量の時間変化[/caption]

星間分子雲でのH2SのChemical desorptionと今後の展望

H2S量の減少量の時間変化、および星間分子雲における水素原子フラックスから、Chemical desorptionによる脱離効率を見積もることができます。すると星間分子雲内部で起こりうる別の非熱的なH2Sの脱離メカニズムである、紫外線照射による脱離効率に比べて、2桁ほど大きいことがわかりました。これはChemical desorptionが氷星間塵からのH2Sの主要な脱離メカニズムだという強力な証拠となります。 さらに、星間分子雲ではH2Sはおもに星間塵上で生成されますが、これまでの赤外線天文観測では、 H2Sはガスとしてのみ発見され、固体H2Sは発見されていません。このことは、星間塵表面で反応(2)生成したH2Sの大部分が、その直後にChemical desorptionによって脱離したためだと解釈することもできます。 今回の我々の研究では、H2SのみのChemical desorptionを対象とし、想像した以上の成果を挙げることができました。しかし、H2S以外にも星間塵からの脱離にChemical desorptionを必要とする分子が多く存在します。メタノール(CH3OH)がその代表的な分子のひとつです。星間分子のなかで“もっとも単純な複雑有機分子”と呼ばれているCH3OHは、星間分子雲における分子進化に重要な役割を担うとされています。 H2Sと同様にCH3OHなどさまざまな分子の脱離プロセスを実験的かつ定量的に明らかにすることは、星間分子雲における星形成の初期条件を決定するために不可欠です。また、どれくらいの反応熱がどのようにして脱離のために用いられるのか、脱離するために必要な条件は存在するのかなど、Chemical desorptionに関する理論的な解釈もまだ不十分です。そのような状況で、今回の研究がそうした関連研究の扉を開けるきっかけとなることを強く期待します。 [caption id="attachment_7060" align="aligncenter" width="600"] 今回の実験に用いた超高真空反応装置[/caption] 参考文献 Oba et al., “An infrared measurement of chemical desorption from interstellar ice analogues”, Nature Astronomy, 2018, DOI:10.1038/s41550-018-0380-9]]>
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花を作る遺伝子はもともと何をしていた? - ヒメツリガネゴケのMADSボックス遺伝子を探る https://academist-cf.com/journal/?p=7068 Mon, 05 Mar 2018 01:00:03 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=7068 花を作らない植物を調べる 普段、私たちが目にする「花」はどのようにして作られるのでしょうか。ここ30年ほどの研究によって、複数のMADS(マッズ)ボックス遺伝子と呼ばれる遺伝子が協力して働くことで、花が作られることがわかってきました。またその後、花を作らない植物であるシダ類やコケ植物も、MADSボックス遺伝子を持っていることがわかりました。花を作る植物である被子植物は、花を作らない植物から進化したので、もともとあったMADSボックス遺伝子が進化をして、花を作るようになった、と考えられます。 では、どのようにMADSボックス遺伝子が進化をして、花を作るようになったのでしょうか。私たちは花を作らない植物であるコケ植物、ヒメツリガネゴケのMADSボックス遺伝子を調べることで、その進化の過程を推定しました。

水を輸送するための機能

ヒメツリガネゴケには全部で6つのMADSボックス遺伝子が存在します。私たちはその6つすべての遺伝子を破壊した株を作成し、破壊してない株と比べることで、その機能を調べました。観察の結果、遺伝子破壊株では植物体の外側における水の輸送ができていないことがわかりました。 一部のコケ植物では、毛細管現象を利用した植物体の外側を通る水の輸送が知られており、葉や茎の表面に水が運ばれるので、乾燥から身を守ることができます。葉の付け根には茎とのあいだに狭い隙間があり、その隙間による毛細管現象で、水が吸い上げられます。吸い上げられた水は葉の付け根に溜まり、溜まった水が次の葉と茎の隙間に到達すると、また毛細管現象によって水が吸い上げられる、ということの繰り返しで、植物体の先端まで水が運ばれます。遺伝子を破壊した株を観察すると、葉と葉のあいだ、節間が長くなっており、葉の付け根に溜まった水が次の葉と茎の隙間に届かず、水が吸い上げられない、ということがわかりました。 [caption id="attachment_7070" align="aligncenter" width="600"] 植物体の外側における水の輸送
植物体の下部を色がついた水に浸けると、色水が吸い上げられる。遺伝子を破壊すると吸い上げられない。[/caption] [caption id="attachment_7071" align="aligncenter" width="600"] 水が輸送される仕組み
葉の根元には茎との狭い隙間があり、その隙間を毛細管現象によって水が吸い上げられる。吸い上げられた水は葉の付け根に溜まり、溜まった水が次の葉と茎の隙間に到達すると、また毛細管現象によって水が吸い上げられる、ということの繰り返しで、植物体の先端まで水が運ばれる。遺伝子を破壊した株は節間が長く、葉の付け根に溜まった水が次の葉と茎の隙間に届かず、水が吸い上げられない。[/caption]

正常な精子を作る機能

コケ植物は生殖に精子を用います。作られた精子が水の中を泳いで卵まで辿り着くので、受精には水が必要です。ヒメツリガネゴケの精子と卵は、植物体の先端に作られますが、観察の結果、前に述べた毛細管現象によって吸い上げた水を利用して、受精していることがわかりました。しかし、遺伝子破壊株では、水の輸送ができません。そのため、精子が泳ぐための経路がなく、受精が困難になっていました。そこで、人為的に水をかけてやったところ、受精する割合は増えましたが、遺伝子を破壊していない株に比べると、1/4程度でした。 このことから、他にも受精が困難になる原因があることが考えられたため、次に精子と卵を調べました。コケ植物の精子には2本の鞭毛があり、その2本の鞭毛を動かして泳ぎます。しかし遺伝子破壊株の精子は鞭毛の動きが悪く、うまく泳げていないことがわかりました。さらに調べた結果、鞭毛を構成するタンパク質を作るための遺伝子の働きが、遺伝子破壊株で減っており、それが原因で鞭毛の動きが悪くなっていることが考えられました。一方、卵は正常でした。 [caption id="attachment_7072" align="aligncenter" width="600"] ヒメツリガネゴケの精子
胴体部から2本の鞭毛が伸びており、それらを動かして泳ぐ。[/caption]

花を作る遺伝子の進化の推定

以上の結果から、ヒメツリガネゴケのMADSボックス遺伝子は、節間の長さを短く維持することで、毛細管現象による水の輸送を可能にしていることと、正常な精子を作ることに機能していることがわかりました。今回、花を作らない植物で初めてMADSボックス遺伝子の機能がわかったことで、MADSボックス遺伝子の機能の進化について、次のことが推測されました。 節間の長さは茎の細胞の分裂と伸長によるもので、MADSボックス遺伝子はそれを制御していると考えられます。コケ植物よりも後に分かれたシダ類のMADSボックス遺伝子は、細胞の分裂が盛んな場所で働いていることがすでにわかっています。また、最後に分かれた被子植物のMADSボックス遺伝子は、一部の遺伝子が細胞の分裂や伸長を調節する機能を持っています。これらのことから、陸上植物の共通祖先のMADSボックス遺伝子も同じような機能を持っており、それが陸上植物で維持されてきたと考えられます。 また、陸上植物に最も近縁な現生植物である緑藻類に分類されるシャジクモのMADSボックス遺伝子は、精子が作られる部分(造精器)を含む生殖器官で働いている可能性が示唆されています。このことから、正常な精子を作るための機能は、緑藻類との共通祖先から引き継がれた機能だと推測できます。また、精子は被子植物では進化の過程でなくなってしまっていることから、被子植物のMADSボックス遺伝子は、精子での機能を失ったと考えられました。 MADSボックス遺伝子は花を作る植物である被子植物ではよく研究されていますが、花を作らない植物ではあまり研究が進んでいません。今後、花を作らない他の植物、例えばシダ類や裸子植物でのMADSボックス遺伝子の機能がわかってくれば、MADSボックス遺伝子の機能の進化が、より明確化してくるはずです。 [caption id="attachment_7073" align="aligncenter" width="600"] MADSボックス遺伝子の機能と進化の推定
ヒメツリガネゴケのMADSボックス遺伝子は、節間の長さを短く維持することと、正常な精子を作ることに機能している。節間の長さは茎の細胞分裂と伸長によるもので、シダ類や被子植物のMADSボックス遺伝子の研究から、陸上植物の共通祖先のMADSボックス遺伝子も同じような機能を持っており、それが陸上植物で維持されていると推測できる。緑藻類のMADSボックス遺伝子は、造精器を含む生殖器官で働いていることから、精子での機能は緑藻類との共通祖先から引き継がれた機能だと推測できる。精子は被子植物では進化の過程で退化消失しており、被子植物のMADS遺伝子は精子での機能を失ったと考えられた。[/caption] 参考文献 Koshimizu et al. Physcomitrella MADS-box genes regulate water supply and sperm movement for fertilization. Nature Plants 4, 36–45 (2018) doi:10.1038/s41477-017-0082-9]]>
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薄さは分子1個分! 室温でも「超安定」な極薄有機分子膜 - 磁気メモリの高密度化・省エネ化を促進 https://academist-cf.com/journal/?p=7091 Fri, 09 Mar 2018 01:00:27 +0000 https://academist-cf.com/journal/?p=7091 有機分子は優れたエレクトロニクス材料 最近、身のまわりの電子機器の材料に有機分子が活用され始めています。たとえば、テレビやスマートフォンは、従来のものより薄く、画面も高精細で鮮明になりました。これらディスプレイには、有機分子の薄い膜(有機分子膜)が使われています。また、再生可能エネルギーでおなじみの太陽電池やフレキシブルで目に優しい次世代の照明、さらにはコンピュータの心臓部ともいえるトランジスタにまで有機分子膜が活用されはじめています。これまでは、これらの材料にはシリコンや窒化ガリウムなどの無機化合物や貴重なレアメタルが用いられましたが、それらを安価な有機分子に置き換えると、作成コストを抑えつつ高性能なものが作れると注目されているのです。 このような研究開発では、有機分子に優れた特性や機能を付加させることがもちろん重要ですが、実用化という点からは、「いかに薄い有機分子膜を作るか」ということも重要になります。なぜなら、膜を薄くすると軽量化が図れますし、分子の量も節約できるので省資源化につながるからです。また薄い膜であれば、小さな電力で膜を機能させられるので省エネにもつながります。

どれくらい薄い有機分子膜をつくれるのか?

それでは、どれくらいの薄い分子膜を作れるのでしょうか? 膜の作成法は湿式法と乾式法に大きく分けられます。湿式法では、有機分子を含む溶液を何らかの方法で基板(膜を固定するための土台)に塗布し、乾燥させて膜にします。この方法は簡便で大きな装置も必要ないので、広く行われています。しかし、均一な膜の作成が難しいこと、不純物が混入しやすいこと、さらに膜の厚さ制御が難しいこと、などの欠点もあります。 一方、乾式法では大がかりな装置が必要ですが、不純物の少ない均一な膜を、厚さを精密に制御しながら作成できます。代表的な乾式法には、真空蒸着法が挙げられます。この方法では、真空中で分子を加熱することで昇華させ、それを基板に堆積(蒸着)させます。蒸着した分子1つひとつは、基板上を動き回りながら凝集して膜となります。この方法では、環境が真空なので不純物の極めて少ない均一な膜を作れます。また、分子を昇華させる温度や時間によって、膜の厚さも精密に制御できます。現在では、この真空蒸着法で、有機分子膜の厚みを分子1個分にまで薄くできます。これは単分子膜と呼ばれています。 [caption id="attachment_7086" align="aligncenter" width="600"] 代表的な分子膜の作成方法。左は湿式法、右は乾式法(真空蒸着法)を示す。[/caption]

薄いだけではダメ! 強固な有機分子膜が重要

ただ、こういった単分子膜を実際の電化製品の材料として利用するためには、もうひとつ重要な条件があります。それは、できた膜が劣化せず安定であることです。確かに現在では、単分子膜を作る技術は確立されていますが、この「単分子膜の安定性」に関しては問題がありました。このことは、走査トンネル顕微鏡で単分子膜を観察すると明らかです。走査トンネル顕微鏡は、探針とよばれる鋭い針で表面をなぞりながら、表面の凹凸を原子スケールで観察できる特殊な顕微鏡です。この装置を用いると、-196℃という低い温度では単分子膜は安定ですが、それを室温(27℃)に晒すと膜のエッジ部分で形状が時々刻々と変化する様子を観察できます。一般に、電化製品は室温以上で動作させますので、このような不安定な膜は使い物になりません。 [caption id="attachment_7097" align="aligncenter" width="600"] 走査トンネル顕微鏡を用いたポルフィリン単分子膜の観察。上は液体窒素で分子膜を-196℃に冷やしている。下は分子膜を室温(27℃)に晒した状態。室温では分子膜の形状が時々刻々と変化してしまう。[/caption]

強固な有機分子膜実現の鍵は基板!

そもそも、室温で分子膜が不安定なのは、分子膜と基板とのあいだに作用する力が弱いためです。一般に、分子膜の基板には、金、銀、銅などの貴金属が使われます。これらの基板と分子のあいだには、ファンデルワールス力という弱い力しか働かないため、室温では分子が基板に十分に固定されず、熱エネルギーによって動き回ってしまいます。その結果、膜のエッジでは、動き回る分子がくっついたり離れたりを絶えず繰り返し、形状が不安定になります。安定な膜を作るには、分子と基板のあいだに作用する力を調整する必要があります。 私たちは、この課題を解決するために、分子膜の基板として鉄に着目しました。これまでの研究から、鉄の表面では、室温でも分子1つひとつが特定の場所に固定されることを突き止めています。これは、鉄原子と分子が強い結合を作るからです。この鉄基板上では分子が膜としても室温で安定に存在できると考えました。

鉄基板を利用して強固な単分子膜を作る!

そこで、真空蒸着法でフタロシアニンと呼ばれる有機分子の膜を鉄基板上に作成しました。実験では、蒸着量を少しずつ増やしながら膜の変化を走査トンネル顕微鏡で観察しました。実験環境は室温です。蒸着量が少ないときは、図に示すように、すべての分子が鉄表面の上に吸着します。この場合、分子と鉄原子の結合が強すぎるため、分子1つひとつは、その場から動けません(つまり、膜形成に必要な凝集が起こりません)。そのため、分子は膜ではなく、バラバラに孤立した状態になってしまいます。 ただ、さらに蒸着量を増やすと、鉄表面の80%以上が分子で埋め尽くされ、その上(2層目以上)に、緻密な単分子膜が形成されることがわかりました。特に、2層目の膜では、分子が秩序的に配列していることも分かりました。この膜形成過程は、自己組織化と呼ばれ、分子を集積化して材料・デバイスを組み立てるボトムアップ・ナノテクノロジーの鍵となる現象です。 [caption id="attachment_7088" align="aligncenter" width="600"] 鉄基板の上に作成したフタロシアニン分子膜。上は室温で観察した走査トンネル顕微鏡画像。下には各顕微鏡画像の模式図を示している。[/caption] ここで重要なことは、こういった観察を室温で行ったことです。図に示すように、この単分子膜は室温であってもその形状が変化しません。つまり鉄基板上では、2層目以上で室温でも安定な自己組織化単分子膜が形成されることが明らかになりました。ちなみに、この2層目の単分子膜の厚さは、約0.16ナノメートル(1ナノメートルは100万分の1ミリメートル)という驚異的な薄さです。 [caption id="attachment_7089" align="aligncenter" width="600"] 鉄基板に作成したフタロシアニン分子膜の一部を走査トンネル顕微鏡で観察し続けた結果。時間が経過しても、単分子膜の形状は変化せず安定であることが確認できる。[/caption]

まとめと今後の展望

今回は、鉄基板を用いると、室温でも安定な自己組織化単分子膜を作れることを実証しました。ここでは2層目以上の膜に限った話ですが、真空蒸着の最中に鉄基板を加熱することで、鉄基板上(つまり1層目)にも強固な単分子膜を作れると考えています。なぜなら、加熱により熱エネルギーを得た分子が、基板の鉄原子からの束縛を逃れて、自由に動き回れる(つまり分子は凝集して膜になれる)からです。冒頭でも述べたように、このような強固な単分子膜は、有機エレクトロニクスデバイスの発展には不可欠です。 一方、私たちが用いたフタロシアニンは、インク等に使われる安価な分子であると共に、さまざまな電子デバイスの材料として応用が可能です。特に、今回基板に用いた鉄表面上では、このフタロシアニン分子ひとつが磁気メモリの最少ユニット(1ビット)として機能すると注目されています。もし、単分子膜を構成する1つひとつの分子(サイズは1~2ナノメートル)をメモリ制御できれば、現在の1000倍以上の情報を記録できる安価で超省エネなハードディスクが実現します。こういった新しい記録デバイスは、情報のクラウド化やビックデータ時代の到来に伴う諸問題(デバイスの消費電力増大、発熱による動作不良など)の解決につながるかもしれません。 参考文献 T. K. Yamada, Y. Yamagishi, S. Nakashima, Y. Kitaoka, and K. Nakamura, Role of π -d hybridization in a 300-K organic-magnetic interface: Metal-free phthalocyanine single molecules on a bcc Fe(001) whisker, Physical Review B, 94, 195437 (2016). E. Inami, M. Shimasaki, H. Yorimitsu, and T. K. Yamada, Room temperature stable film formation of π-conjugated organic molecules on 3d magnetic substrate, Scientific Reports, 8, 353 (2018). S. Schmaus, A. Bagrets, Y. Nahas, T. K. Yamada, A. Bork, M. Bowen, E. Beaurepaire, F. Evers and W. Wulfhekel, Giant magnetoresistance through a single molecule, Nature Nanotechnology, 6, 185 (2011).]]>
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